2020年12月31日
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はじめまして。
このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。
「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。
どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。
クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。
私はそこに焦点をおいています。
そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。
どうぞ、よろしくお願いします。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2019年12月10日
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スウィトナーはブラームスをロマン主義的作曲家の範疇でとらえているようで、近年ブラームスの交響曲はこうしたロマンティックなスタイルで演奏されて大きな成功を得られる傾向が強いが、スウィトナーの解釈は極めて自然で人工的なところがない。
第1番フィナーレの力強さはスウィトナー独特のもので、この演奏の骨組みががっちりしていることを主張しており、格調高く、堅牢な骨格をもった優れた演奏だ。
第2番も実に自然体のブラームスで、少しの衒いもなく旋律をのびのびと歌わせ、全体に穏やかな雰囲気が田園風といわれる楽想を自然に表わしている。
スウィトナーは極端な表情を避け、たとえば第2楽章では弦を柔軟に歌わせると同時に、木管やホルンの弱音をほとんど無視して穏当なバランスを作り出し、デュナーミクの広さより各楽器の音色を大切にしていることがうかがわれる。
第3楽章では輪郭の鮮明な響きを獲得しながら、そこにデリカシーを加えることに成功している。
ドイツ・オーストリア系以外の指揮者は、この作品の流れるような歌の性格を強調しすぎることが多いが、オーストリア人のスウィトナーは、曲の対位法的な特徴をよくつかみ、入りくんだ旋律を、美しく、しっかりと聴かせている。
第3番は終始、正攻法で一貫した堂々とした風格のブラームスで、スウィトナーは遅めのテンポから悠々たる足どりを見せ、スケールの大きい立派な響きを出し、深い呼吸をもって演奏している。
全体にテンポにゆとりがあり、シュターツカペレ・ベルリンの弦と管が見事に溶け合ったいぶし銀のような響きを聴かせる。
ここでスウィトナーは、これらドイツ的ともいえる音楽にウィーン風の柔軟性を加えており、旋律を流麗に歌わせて、ブラームスのもつ晦渋さを柔らげている。
中間の2つの楽章は自然な流れのなかに素直な情緒を漂わせ、両端楽章は充実感とともにきれいごとでないバランスによって、渋すぎないブラームス像を描き出していく。
特に第3楽章では、揺れるような歌がほのかなロマンをたたえ、心安らぐ美しさを表す。
スウィトナーはオーケストラを自分の楽器のように、力強くドライヴするタイプではなく、各奏者の自発性を尊びながら、音楽をまとめてゆく人である。
ここでは、そうした性格がよく生かされており、各楽章を丹念に、オーケストラのバランスを考えながら指揮し、雄壮でありながらも抒情的なこの曲の特徴をよくつかんだ、堅実な演奏だ。
スウィトナーによるブラームスの交響曲全集では、第4番が最も素晴らしく、スウィトナーの抒情性が作品とよく一致した、きわめて流麗で滔々と流れ、大らかに歌う秀演だ。
この曲の情緒的な面よりも、構成的な美しさをひき出した演奏で、対位法的な手法で書かれた旋律を、巧妙に処理している。
この曲のロマン的な性格も明らかにされているが造形的にも平衡感が強く、両端楽章ではこの指揮者の円熟を反映して堂々としたスケールの大きな音楽を聴かせる。
オーケストラの渋い味わいのある響きからしてブラームス的だが、各パートのバランスをくずさずに、自然に表現しているところがよい。
第1楽章では、多くの短い動機に分解できる第1主題も、スウィトナーの手にかかるとロマン的でヒューマンな情緒を色濃く表している。
第2楽章の漂うような流れのなかにさり気なく示される立体感も美しいが、この演奏では終楽章が最も素晴らしい。
決して構えたところはないが、風格に満ち、この作品の交響性と抒情性を見事に両立させた表現で、スウィトナーが巨匠的な風格を身に付けていたことを、まざまざと感じさせる演奏である。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2019年12月08日
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ロシアのヴァイオリン協奏曲2曲を、同国の若い世代を代表するヴァイオリニストであるワディム・レーピンが独奏を務めた、彼が指揮者ワレリー・ゲルギエフと初めて共演した演奏会(2002年7月)でのライヴ録音盤。
名ヴァイオリン奏者たる者、誰もが採り上げるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は残された名盤も数多いが、ロシアの若手世代のリーダー格、レーピン(1971年生まれ)はゲルギエフ率いるマリインスキー劇場管弦楽団という理想的なバックアップを得て名演を作り上げた。
演奏は終始、豊かな霊感に満ち、旋律的にも歌う楽器ヴァイオリンの魅力が余すところなく引き出されている。
ロシア的憂いと力強さの絶妙なバランスも見事で、どこをとっても均整のとれた味わいがある。
完璧なテクニックと妖しいまでに魅力的なカンタービレを持つ名手だが、レーピンはそうしたものは作品の本質とは関係がないとばかりに感触はちょっと冷たくすらある演奏を披露している。
だが、レーピンの演奏は実はそこから出発しているのであって、協奏曲全体を俯瞰しながら作品の核心へと突き進んでドラマティックこの上ない演奏の世界を打ち立てている。
ゲルギエフの指揮も遠慮などしておらず、協奏曲はソリストが主役なのだからオーケストラは抑えてという配慮もない。
演奏はもう冒頭からゲルギエフの世界で、とにかく凄まじいエネルギー、そして隈取りの深い表情、単純な伴奏句を奏しているだけでも前へ前へと押し出してくる。
そんな異様に力強いバックに対し、レーピンもパワーで真っ向から勝負、クリヴィヌと共演したスタジオ盤での洗練された表現とは別人のような思い切った演奏ぶりには、この怪童ヴァイオリニストのとんでもない馬力を実感させられる。
第1、3楽章での力技の応酬、第2楽章「カンツォネッタ」の綿々たる情緒と、メーターを振り切ってしまわんばかりの圧倒的な熱演だ。
「真のヴィルトゥオーゾが相手のときは遠慮する必要などありません。オーケストラを殺す必要はないのです」とゲルギエフは語っていた。
肝心なのは協奏曲という形式ではなく、協奏曲というフォームを借りて編み出された作品そのものの価値であり、そこに潜む宝石を探り当てるというわけであろう。
ソリスト、指揮者、オーケストラが火花を散らした熱演は、協奏曲が協奏曲を超えてオペラになった、そんな感銘が与えられる。
耳慣れた作品が演奏家の尽力によりその姿を一変させることがあるが、ここに聴く協奏曲もその1つ。
同時に収録されたミヤスコフスキー(1881-1950)のテンペラメントの激しさもまた出色であり、チャイコフスキーよりさらにメランコリックな曲想がいつになく熱っぽく迫ってくる。
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2019年12月06日
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20世紀後半の演奏の世界に新しい流れを作り出したのが古楽グループであった。
古楽演奏の精神という考え方は、作品は作曲者が生き、耳にしていたように再現されるとき、最も正しく、また本来あるべき姿で甦るということに要約されようが、こうした動きは1970年代以降の世界的なうねりとなり、各地に古楽器オーケストラが誕生した。
守備範囲はバロックから古典派というのが初期の傾向であったが、彼らの進出ぶりは目覚ましく、楽譜の読み、スタイルの研究、知識の拡大、そして何よりも深化されていく演奏技術などが相互に、それもプラスの方向で影響を与え合って演奏の世界を一変させた。
21世紀となった今、こうした成果はモダン・オーケストラにも取り入れられるようになってきたし、古楽オーケストラも対象領域を拡げるなど事態は流動化しているが、ベルギーに1972年に創設されたラ・プティット・バンドは守備範囲をいたずらに拡大することなく、彼らが得意とし、また「好きだ」と言える作品に勢力を集中、古楽オーケストラのリーダー的存在感と品格とを保ち続けている。
創設者はバロック・ヴァイオリンの名手シギスヴァルト・クイケン(1944年生まれ)だが、コンサートマスターに寺神戸亮、チェロの首席には鈴木秀美らを擁するなど日本の名手たちも多数参加しており、狭いセクト主義に傾くことのない音楽最優先、感動最優先のアンサンブルである。
もちろんバッハは彼らの中心的レパートリーだが、不思議に《ブランデンブルク協奏曲》のような人気曲に対しては慎重であった。
歴史的名作の再現には、完璧なる人材と十分なる準備期間、そして演奏の熟成度が不可欠との判断があったのだろうか、ラ・プティット・バンドは結成から20年以上が過ぎた1993年から翌年にかけて、ようやく録音に踏み切ったのである。
満を持して取り組まれたバッハの名作だが、結果は、単に巧い、美しい、洗練されているといった次元を超えた「豊かさ」に満ち溢れている。
古楽オーケストラならではのふくよかで温かい音色、緩急も自在なアンサンブルの妙技、演奏家一人一人の顔が見えるような人間的味わい、そして演奏にかける気迫などを通して、聴き手は名作の名作たる由縁を再確認するとともに、その喜びに浸るように味わうことが可能となっている。
狩りのホルンの絢爛たるソロが屋外的興奮へと誘う〈第1番〉、トランペットに替えてホルンがソロを務め、しっとりとした華やかさを感じさせる〈第2番〉、規模は小さいながらイタリア的合奏の魅力を満喫させる〈第3番〉、独奏ヴァイオリンとリコーダーの掛け合いが楽しい〈第4番〉、これ以上に華麗で躍動的な幸福感はないと言いたくなる〈第5番〉、いぶし銀のヴィオラ・ダ・ガンバが光る〈第6番〉など、いずれも時を忘れて聴き入らせる名演である。
作品が喜んでいるような演奏と言ったら、一番分かりやすいのかもしれない。
技術だけでは名演にはならない。
経験、学識、相互理解、年輪がミックスされて「味」が出てくる。
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2019年12月04日
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デッカのモスト・ワンテッド・シリーズの1枚として復活したホセ・カレーラスのラヴ・ソング集。
LP2枚分計23曲が収録されていて後半のボーナス・トラックの部分は総てイタリアのカンツォーネを集めたものになる。
トラック10までがロベルト・ベンツィ指揮で、1978年、その他はエドアルド・ミュラー指揮による80年のセッション。
どちらもイングリッシュ・チャンバー・オーケストラのサポートを得てロンドンのワトフォード・タウン・ホールで録音されている。
いずれもカレーラス30代前半の録音で、若きカレーラスの真骨頂の美声を堪能できる。
前回のオペラ・アリア集と同様この音源でもカレーラス全盛期特有の惜しげもなく出されるリリコ・スピントの美声と、常に全力投球の姿勢を崩さない歌唱を聴くことができる。
また大らかで明るいところもさることながら、至る所に彼の繊細な表現力が光っている。
小細工を避けた真っ正直で情熱的な歌い方が彼本来の持ち味でもあり、それがまたテノールの魅力を理屈抜きで満喫させてくれるアルバムだ。
この曲集では第1曲目『グラナーダ』のスペイン語を始めとして英語、ドイツ語、イタリア語のバラエティーに富んだ作品を原語で披露している。
バルセロナ出身のカレーラスの母国語はカタルーニャ語で、イタリア語に近いこともあってカンツォーネの発音の良さは特筆される。
前半がアナログ、後半がデジタル録音になり、このシリーズの中では他のCDに比べて録音が比較的新しいために音質も極めて良好だ。
ライナー・ノーツはなく演奏者、収録曲目及び録音データのみが記載されたパンフレットが付いている。
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2019年11月30日
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クラウディオ・アバド(1933-2014)がミラノのヴェルディ音楽院を卒業した後、ピアニストとしてのデビュー時代から指揮者に転向するまでのレコーディング5曲が収録された1枚で、新規のリマスタリングがされた興味深い音源だが、音質は時代相応といったところだ。
1曲目のカンビーニのピアノ協奏曲のみがモノラルで、その他はまがりなりにもステレオ録音で採られている。
カンビーニは1954年、アバド21歳の演奏だが彼の繊細なピアニスティックな音楽性が良く表れている。
ピアニストとしての彼の殆んど唯一の音源という意味でも貴重だ。
指揮は彼の父ミケランジェロ・アバドで、恵まれた音楽家のファミリーで育った、成るべくして成った根っからの芸術家だったことが偲ばれる。
またイタリア風の明快なピアニズムとカンタービレを奏でる歌心は流石に借り物でないDNAを感じさせる。
バッハの編曲になるヴィヴァルディの4台のチェンバロのための協奏曲では、アバドは第4チェンバロを弾いているようだが、第2にブルーノ・カニーノ、指揮がアルベルト・ゼッダという豪華メンバーだ。
ゼッダはロッシーニの権威で新ロッシーニ全集を編纂してリコルディから出版した音楽学者でもあり、こうした交友関係がアバドにとっては将来を準備する重要な音楽的素地になったと思われる。
後半のタルティーニの3曲のヴァイオリン協奏曲は、指揮者としてのアバドの能力が既に開花した1962年の演奏で、ヴァイオリン・ソロはフランコ・グッリだ。
グッリのストラディヴァリウスを使った明るく艶やかで快活な演奏は、当時としても理想的な演奏だったことが想像されるし、現在でもこれだけのタルティーニを弾ける人は稀だろう。
アバドのサポートはソロを活かした控えめだが、一方でバロックの様式に則った充実した音楽性が聴きどころだ。
彼がピアニストとしての活動をやめてしまったのは、勿論オーケストラの指揮により強いモチベーションを持ったからだろうが、また友人ポリーニが1960年にショパン・コンクールの覇者になったことも影響したのかも知れない。
アバドはこのレコーディングの6年後にはスカラ座デビューを飾り、翌年には同歌劇場音楽監督、71年にはウィーン・シュターツオーパーの首席指揮者に就任する。
こうした輝かしいキャリアの開始がこのCDに示されている。
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2019年11月28日
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ルイ王朝時代の宮廷ガンバ奏者、マレン・マレの回想を描いた映画アラン・コルノー監督『めぐり逢う朝』自体は、フランスの作品らしく深い陰翳に包まれた瞑想的なストーリーが魅力的だ。
それ以上にサヴァルの音楽はそれに自在な空気感を与えて、ある時は更に陰鬱に、またある時は沈みがちなシーンに仄かな幸福感を醸し出しているのが秀逸だ。
作曲家同士の師弟の確執を扱った一種の音楽映画であることは事実だが、それは天才の生涯を美化しただけの一昔前の安っぽい作曲家の伝記映画とは一線を画した、主人公が犯した取り返しのつかない罪への後悔と内なる懺悔が恐ろしいほどのリアリティーで迫ってくる。
サヴァルが映画音楽を手掛けたのはこれが最初かも知れないが、ピリオド・アンサンブルによるサウンド・トラックが過去になかったものだけに、周到な選曲と古色蒼然とした音色が映像と離れ難く結び付いて、この作品には不可欠な一端を担っていることを認めざるを得ない。
このディスクでのそれぞれの曲の配列は映画の中のストーリーの進行とは無関係だが、曲順は決して脈絡のない編集ではなく、1枚のサウンド・トラック盤として完結した構成を考えたものだろう。
それ故第1曲を映画の半ばで、栄誉を極めたマレが演奏するリュリの荘重な『トルコ行進曲』で開始して、最後を映画冒頭で主演のジェラール・ドパルデューの顔のアップとともに流されるマレの『聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モンの鐘』で締めくくっていることで編集者の意図が容易に理解できるだろう。
あとは主にサント=コロンブとマレの作品から選ばれており、とりわけ映画で繰り返し流れるサント=コロンブの「涙」は、聴く者を深い瞑想の世界へ呼び込む。
むろん映画の諸場面を思い出しながら聴くのがよいけれども、まったく映画を知らなくても、フランス・バロック音楽、特にヴィオールの名曲集として楽しめるだろう。
13曲目は、マレのヴィオール曲集第4巻所収の「冗談」である。この虚無的な旋律が、サント=コロンブの娘マドレーヌとマレの愛の場面で使われていることは、ほどなく訪れるふたりの破局を暗示しているようで、なんとも忘れがたい。
素晴らしい音質が体験できるのも特徴で、サヴァルが自主レーベル、アリア・ヴォクスを立ち上げて以来、常にハイブリッドSACD盤をメインにリリースしている。
その理由は、自身ガンビストでもある彼がヴィオールのような繊細な音色を持つ古楽器の音の忠実な再生と臨場感に富むサウンドに逸早く着目したからに他ならない。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2019年11月26日
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古い音源ながら新規の24bit/96kHzリマスタリングも良好で、ブルーレイ・オーディオの長所が良く出ている。
アナログ時代の名残でマスター・テープのヒス・ノイズが聞こえるにしても、音場がより立体的になり、それぞれの楽器の音像もかなり明瞭に聴くことができるし、低音から高音までのオーケストラのサウンドの拡がりも充分で、CDで初めてリリースされた時の音質より格段に向上している。
綴じ込みだがライナー・ノーツもしっかりしたコレクション仕様で、資料としての価値も高い。
またこれも既に指摘されているようにCDとの抱き合わせ商法ではなく、単独のブルーレイ・オーディオ・ディスクでの全曲リリースが好ましい。
ライバルのワーナーからはリマスター盤は集大成されたものの、高音質盤の方は二の足を踏んでいるのが惜しまれる。
この交響曲全集は1997年にドイツ・グラモフォン創立100周年記念として同社から刊行された全20巻87枚のベートーヴェン・エディションの第1巻に組み込まれた音源だ。
筆者自身は実はベーム、ウィーン・フィルの方を期待していたのだが、当時まだ帝王の威厳に輝いていたカラヤン盤が選ばれたのも、売れ筋から考えて当然と言えば当然の結果だった。
しかし改めて鑑賞してみると、確かに音楽的にも無駄がなく颯爽としたテンポ感やオーケストレーションの再現のスマートさは、幾らか頑固なまでにスコアに誠実なベームとは対照的であり、ベートーヴェン演奏の新時代を築いたディスクとしても強い説得力がある。
1960年代の全集は、ベルリン・フィルの芸術監督に就任して7年が過ぎ、フルトヴェングラーのオーケストラからカラヤンが自らの手中に収めつつある時期に、ベルリン・フィルにとっても最も重要なレパートリーであるベートーヴェンで自らの力と新生ベルリン・フィルを世に問うたもの。
この頃には既にカラヤンのスペクタクルなサウンド・スタイルは確立されていて、ここでもベルリン・フィルの実力を縦横に発揮させた濃厚なオーケストレーションが特徴的だ。
その表現は後の2度の録音より鮮烈で、彼のベートーヴェンの音楽に対する創造的な気概に満ちている。
トスカニーニの影響が強いなどと言われたこともあるが、今聴くとそこにあるのはやはりカラヤンの個性である。
しかもトスカニーニの亜流的な演奏とは画然と異なり、主観と客観が見事にバランスした演奏の清新な表現は今も説得力を失わない。
溌剌とした覇気とカラヤン特有の演出の妙が絶妙のバランスを保っていて、テンポにたるみがなく、表情は率直でむらがない。
ドイツ・グラモフォン社が持っていた新録音ではなく、この演奏を選んだ理由は演奏の質の高さだけでなく、よい意味でのスタンダード性からだろう。
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