2018年12月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

はじめまして。

このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。

「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。

どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。

クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。

私はそこに焦点をおいています。

そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。

どうぞ、よろしくお願いします。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:59コメント(126)トラックバック(0) 

2016年08月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このセットでは総ての録音がヴァントの古巣だったケルン放送交響楽団と北ドイツ放送交響楽団との、いわゆる旧盤のみが選出されていて、60代から80代にかけてのヴァントの殆んど完成された至芸を堪能できる。

彼は最晩年に欧米のメジャー・オーケストラに客演するようになったが、やはり彼の仕事の基本はこの2つのとオーケストラに集約されているとみなすことができるだろう。

彼の指揮には万人受けを狙ったところは少しも無く、どちらかと言えばクラシック・マニアの耳を満足させるような入念で周到な音楽作りが特徴だが、入門者のファースト・チョイスとしても決して悪くない。

何故ならクラシック鑑賞のための基本的な音楽語法の伝達が明快で、それが時間をかけて練り上げられたオーケストラから響いてくるという至福を享受できるからだ。

この方法は特にドイツ物で最高の威力を発揮する。

28枚のCD中24枚までがドイツ系の音楽で占められているのもこうした理由に他ならない。

ボーナスDVDの音声は勿論ドイツ語だが、字幕スーパーは日本語と英語が選択可能。

内容は2部から構成されていて、第1部は彼の生涯とその音楽を追ったもので、一般に彼は客演嫌いだったと言われているが、実際には戦後の一時期フランスや当時のソヴィエト各地で盛んに客演している。

その頃既に30枚ものLPを出していたというのも意外な逸話だ。

しかしやがて演奏旅行の足は滞ってしまう。

最晩年の国際的な活動は別として、それまでヨーロッパでは彼の実力がそれほど評価されていなかったのが実情だ。

彼の稽古に立ち会った指揮者ケント・ナガノは「芸術と妥協は相容れないものだ。それを実践していたのがヴァントだった」と語り、彼のシビアな稽古を回想している。

ここでは暗譜で指揮台に立つヴァントの映像も幾つか見られる。

第2部は「最後のインタビュー」と題して評論家のヴォルフガング・ザイフェルトが、晩年の巨匠に1時間以上に亘ってインタビューしたものが収録されている。

「ラジオもレコードも無かった時代はピアノの前に座り、スコアを前にして弾きながら、作曲家がそこで何を表現したいのか自分で探るしかなかった」という言葉が印象的だ。

そして生涯続いた徹底分析の忍耐強い仕事が、冷徹に和声や音価の持つ意味合いを発見し、それをオーケストラで実現していく彼の手法の基礎になっていることは確実だ。

このようにして温められた彼の極めてオリジナリティーに富んだアイデアは見事に芸術として昇華されている。

懐古趣味的なLP大のカートン・ボックス入りで箱の厚みは5cmほどあり、30ページのライナー・ノーツもやはりLP大。

内部には四等分されたプラスティックの受け皿に28枚のCDとボーナスDVDが収納されている。

大きさについては現代的なニーズからはいくらか乖離しているとはいえ、ヴァントの代表的なオーケストラル・ワークが廉価盤で一挙に揃うのは魅力的だ。

録音は1976年から1999年にかけてで、デジタル・リマスタリングされた音質は鮮明かつパワフルで申し分ない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:04コメント(0)トラックバック(0)ヴァント 

2016年08月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



エフゲニー・ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのコンビによる演奏集のSACD化を続けているプラガ・ディジタルスからの新譜はシベリウスの作品集で、交響曲第3番、交響詩『四つの伝説』より「トゥオネラの白鳥」、交響曲第7番及びドビュッシーの『夜想曲』から「雲」と「祭」を収録している。

交響曲第3番は1963年10月27日のラジオ放送用ライヴからの音源で、近年になってサンクト・ペテルブルク放送局で発見されたマスター・テープはモノラル録音だが、こちらは同音源を擬似ステレオ化したものからのDSDリマスタリングになる。

ちなみに彼らはその前日にレニングラードでこの曲のソヴィエト連邦初演を行っている。

音質は時代相応以上に良好で音場は拡がっているが音響が平面的になった印象はなく、むしろオリジナルのモノラル録音より色彩感が増して臨場感にも不足していない。

「トゥオネラの白鳥」はステレオ録音で、近寄りがたいほどの峻厳な雰囲気と凍てついた死の河を漂う孤高の白鳥をイメージさせる表現が秀逸だ。

ドビュッシーは擬似ステレオ化されているが音質はこの曲集の中では恵まれていない。

「雲」はその幻想性で優れた演奏であることに疑いはないが、ムラヴィンスキーの厳格さがこうしたレパートリーでは律儀過ぎるところがあって「祭」での中間部の高揚がやや強引な力技に感じてしまう。

一方シベリウスの交響曲第7番は良好なステレオ・ライヴ録音で、彼の常套手段になる第1、第2ヴァイオリンが向き合う両翼型の編成が繰り広げるステレオ効果も随所で聴き取ることができるし、この曲を簡潔にしかも効果的にまとめあげたムラヴィンスキーの力量は流石だ。

また彼は曲想の変化に応じてオーケストラにかなり細かい指示を出していて、民族的な熱狂とは異なった構造的な力学からの精緻な解釈、つまり音響のダイナミクスとテンポの対比を駆使してシベリウスのオーケストレーションの醍醐味を引き出しているのが聴きどころだろう。

時として咆哮するブラス・セクションと弦楽部のバランスは巧妙に計算されている。

ムラヴィンスキーの音源につきまとう録音データの問題だが、交響曲第7番に関してはこれまでにリリースされた同曲の音源は1965年2月23日のモスクワ・ライヴ及び1977年の東京ライヴのみだと思っていたがライナー・ノーツでは録音データが1965年10月29日でレニングラード・ライヴと記されているだけでなく、ご丁寧にレコーディング・エンジニア、アレクサンダー・グロスマンの名前も明記されている。

プラガの録音データには翻弄されることがあるので断定はしかねるが、記載に間違いがなければ第7番には3種類の録音が遺されていたことになる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:49コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキーシベリウス 

2016年08月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



エフゲニー・ムラヴィンスキーと手兵レニングラード・フィルによるショスタコーヴィチの交響曲第5番ニ短調Op.47及び第12番ニ短調Op.112『1917年』の2曲を収録したSACD盤である。

ライナー・ノーツには前者が1965年10月24日のモスクワ音楽院大ホールでの放送用ライヴ、後者が1961年10月1日のレニングラード・ライヴで1962年1月6日のプラハ放送用ブロードキャスト音源と記載されている。

同じプラガ・ディジタルスから既にリリースされたレギュラー・フォーマット盤と同一データだが、これらの音源はその後日本ムラヴィンスキー協会の事務局長だった天羽健三氏の調査によると、実際には第5番が1978年6月13日ウィーン・ムジークフェライン・グローサー・ザールでのライヴ、第12番は1961年モスクワ・ラジオ・ラージ・スタジオでのセッションと判明しているようだ。

なるほどフランク・フォアマン/天羽健三編のディスコグラフィーを閲覧すると、より信頼性の高いと思われるこちらのデータが記録されている。

ライヴ録音が多かった彼らの音源ではしばしば起こる混乱の一例だ。

どちらも良好なステレオ録音で、しかも両者の間には17年間の開きがあるにも拘らず、いずれ優るとも劣らない音質には正直言って違和感さえ感じられる。

特に第5番はライヴにしては聴衆を隔離でもしたかのように客席からの雑音や拍手は一切なく、データに関してはいくらか疑問が残らないでもないが、リマスタリングの効果は上々で、両翼型オーケストラ特有の音響が鮮明に蘇って、彼らの典型的なコラボの真骨頂を堪能することができる。

第1楽章のピアノを交えた重厚なカノンや終楽章の執拗に打ち込まれるティンパニの連打には弥が上にも高まる緊張感と執念とも思える迫力が示されている。

ショスタコーヴィチはロシア革命と社会主義をテーマに扱った一連の交響曲を作曲しているが、第12番は『1917年』の副題付でレーニンと10月革命をイメージした作品になり、後半の大規模なオーケストラのサウンドを殆んど限界まで全開させるムラヴィンスキーの統率力と、それに応えるレニングラードの大奮闘はソヴィエトの威信を懸けた凄まじい演奏だ。

ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの才能に関して、当初からその作品を通じて高い芸術性に理解と共感を示して、プロコフィエフを始めとする他の20世紀のロシアの作曲家の作品よりも好んで採り上げている。

このディスクに収録された2曲の他にもムラヴィンスキー&レニングラード・フィルが初演を飾ったショスタコーヴィチの交響曲は第6、第8、第9、第10番があり、全15曲の交響曲のうち6曲までの初演を彼らが手掛けている。

ちなみに第4番及び第13番はキリル・コンドラシン、最後の第15番は息子のマキシム・ショスタコーヴィチの初演になるが、1948年から10年間に及んだジダーノフ批判でショスタコーヴィチが退廃的作曲家のレッテルを貼られたことによって、ムラヴィンスキー自身にも当局からの圧力がかかったとも言われている。

そうした不幸にも拘らず彼らが演奏を繰り返すことによって、現在これらの交響曲が西側でも独自の価値を獲得し、オーケストラのレパートリーとして定着しているのはまさに彼らの功績と言えるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:17コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチムラヴィンスキー 

2016年08月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ライナー・ノーツの録音データによれば、ここに収録された2曲はどちらも1955年6月3日にプラハのスメタナ・ホールでのライヴ録音ということだが、ベートーヴェンの交響曲第4番は客席からの雑音もなく、両翼型のオーケストラ配置も明瞭に感知できる良質なステレオ音源だ。

出所が信じられなかったのでフランク・フォアマン/天羽健三編のディスコグラフィーを調べてみると同日のライヴは存在するが当然ながらモノラル録音で、この演奏とは別物であることが想像されるが、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる同曲の音源は非常に多く、そのどれであるかは突き止められなかった。

一方ショスタコーヴィチの交響曲第10番の方はモノラル録音で確かにライヴらしき雰囲気が感じられるが、このデータの音源は前述のディスコグラフィーには存在しないので、おそらく1976年3月31日のレニングラード・ライヴと思われる。

適度な残響を含む音質は決して悪くなく、細部まで良く聴き取れるし破綻もない。

プラガ・ディジタルスでは既出のレギュラー・フォーマット盤をSACDにグレード・アップしてリイシューする時にライナー・ノーツは焼き直しで済ませているようだがデータに関しては常に疑ってみなければならないのがファン泣かせだ。

ベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調はレニングラード・フィルの整然として精緻なオーケストラが印象的で、終楽章の弦楽とウィンド・セクションの素早い受け渡しやアンサンブルの正確さは流石にムラヴィンスキーに鍛え上げられただけのことはある。

だが厳格な統制によってかえって音楽がいくらか冷たく聴こえて、より解放された情熱的なベートーヴェンを聴きたい向きには窮屈に感じる演奏かもしれない。

一方ショスタコーヴィチの第10番は抑圧された悲痛な思いと暗澹とした自由への憧憬と叫びが伝わって来る演奏が秀逸である。

第4楽章冒頭のオーボエが先導する喘ぐようなカンタービレには作曲者自身の心境が忠実に映し出されていて、ここに彼の苗字から取ったDESCHの音形が登場する。

周知の通りムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの15曲の交響曲のうち第5、6、8、9、10、12番の6曲を手兵レニングラード・フィルで初演を飾っていて、作曲家の作法や音楽語法にも精通していたし、また最大限の敬意を払ってその再現に努めたことが手に取るように伝わってくる演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:29コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキー 

2016年08月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



今年はエミール・ギレリス生誕100周年に当たることから、既にグラモフォンやRCAを中心とする幾つかのメーカーから彼のセッション、ライヴ盤が復活している。

このCDのセールス・ポイントは総てが初出音源ということで、先に同じグラモフォンからリリースされたコンプリート・レコーディング集にも入っていないし、ギレリス48歳の覇気に満ちたライヴが聴きどころと言える。

しかしながら、モノラル録音の上にオフ・マイク気味の狭い音場が臨場感を妨げていて、分厚い和音の後ではメロディーが濁って細部が聴き取りにくくなる採音状態も理想的とは言えない。

また拍手以外にもライヴの宿命で客席からの咳払いなどの雑音も若干混入している。

1964年12月6日にワシントン州シアトルのオペラ・ハウスで開かれた一晩のコンサートから録音されたもので、プログラムの曲目のメインはベートーヴェンの『ワルトシュタイン』及びプロコフィエフのソナタ第3番だがほぼ半分がロシアの作曲家の作品で構成されている。

ギレリスはセッションとライヴではかなり異なった演奏を遺している。

それは彼に遅れて1960年にカーネギー・ホールでアメリカ・デビューを果たした当時のリヒテルにも共通するところだが、ギレリスはライヴとなると驚くほどエキサイティングな表現をする。

それが鋼鉄のタッチの異名に甘んじた理由なのだろうが、実際には彼の演奏は力任せの強引なものではないし、ショパンやドビュッシーでは非常に豊かで繊細な音楽性を披露している。

一方でストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』からの「ロシアの踊り」で聞かれるように、彼は時としてミスタッチもものともせず獅子のように猛進する性格を秘めている。

だが決して硬直した演奏ではなく、例えばプロコフィエフのソナタではその弾力的で柔軟な曲想の展開が良く示されていて、当時のアメリカの聴衆にとってはこうした作品を鑑賞することが極めて新鮮な体験であったに違いない。

尚このコンサートでは彼が初演した第8番ではなく第3番を採り上げている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:47コメント(0)トラックバック(0)ギレリス 

2016年08月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



イタリア・オペラの録音史上燦然と輝く作品と言えば、この『運命の力』とデ・サーバタの指揮した『トスカ』、それにカラヤン、テバルディ、デル・モナコの『オテロ』を挙げないわけにはいかないだろう。

この録音は1955年で歌手達はキャリアの全盛期にあった。

初期ステレオ録音としてはEMIなどに比べるとデッカの方が音質に優り、またこれだけの歌手と専属契約を結んでいたレコード会社ならではの豪華キャストと言える。

伝統的には、イタリアオペラに求められる最も重要な要素は、舞台上で美声の歌手がスタイリッシュな歌唱を披露することで、それぞれのシーンの整合性や物語としての説得力などは、聴衆もそれほど真剣に求めていなかった。

指揮者の役割は歌手達の持っている能力を最大限引き出すことで、彼らを統率することではなかった筈だ。

少なくとも1960年代くらいまでイタリア・オペラの世界では指揮者も演出家も歌そのものに如何に奉仕するかにオペラ上演の命運が懸かっていた。

その真っ只中の時期にこの『運命の力』の録音が重なっているのも偶然ではない。

指揮者モリナーリ=プラデッリは、そのあたりを熟知していた人で、幸運にもこの時代には滅多に出ないようなスケールの大きい歌手が揃っていた。

この6人の主役級の歌手についてはオペラ・ファンであれば誰でもご存知なので言及しないが、彼らは声だけで役柄の総てを演じることができた。

しかし一方でわがままでもあった彼らを、巧く取りまとめる指揮者の手腕が必要で、この時期の指揮者には歌手の生理的条件から、大袈裟に言えば心理状態までを知ることが必須の条件だった。

そうしたオペラ制作が許された幸福な時代に、まさにオペラ黄金期の声の饗宴が実現したのである。

歌手を将棋の駒のように使いこなして、オーケストラに比重をかけ、物語の必然性や作品全体としてのより文学的、あるいは音楽的価値を追究する傾向はクラウディオ・アバドやリッカルド・ムーティ以降イタリア・オペラの世界でも一般的だが、この『運命の力』は純粋な声の威力が最後の砦を守っていた頃の記録としても聴き継がれるべき価値を持っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:58コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディ 

2016年08月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ここに収録されたシューベルトの『さすらい人幻想曲』及びシューマンの『幻想曲ハ長調』の2曲が最初にSHM−CD化されたのは2008年で、限定盤だったために既にプレミアム価格で取引されていた。

今回のリイシューに当たって低価格化されたことを歓迎したい。

今年になってからグラモフォンのアナログ時代のスタンダード・ナンバーがSHM−CDによって大挙放出され、ポリーニの演奏もソロ、協奏曲共に代表的な音源が復活している。

1973年の録音だが当時のグラモフォンのリマスタリング技術が初のCD化に際して完全に活かされていたとは言えない。

これら2曲を初出のレギュラー・フォーマットのCDと聴き比べると、旧盤はピアノの音質が若干痩せていて、高音の伸びも今ひとつな上に音色の瑞々しさにも欠けている。

SHM−CDによる音質のグレード・アップはリマスタリングとは直接関連がないようだが、注意して聴いているとその差は歴然としていて、ポリーニの持ち味がより忠実に再現されるようになったことを評価したい。

例えば彼はペダルを充分に踏んで豊かな音響を創造しているが音の濁りは皆無で、弱音でも脆弱にならず輝きを保った響きが得られている。

両曲とも古典的なピアノ曲の様式からはいくらか逸脱した奇想的なファンタジーに富んだ作品で、中世の騎士道小説を読むような硬派のロマンティシズムに支えられている。

テクニック的にも難解を極めた曲として知られているが、ここでもポリーニは一切の曖昧さを残さず、総てを音から音への力学によって明確に弾き切っている。

シューベルトの『さすらい人幻想曲』のフーガの明晰さと力強さ、そしてフランツ・リストに献呈されたシューマンの『幻想曲ハ長調』では感傷的な表現を避けた、あくまでも明瞭な響きによるスケールの大きいシンフォニックな奏法は彼ならではのものだ。

この作品の第1楽章終結部に現われるベートーヴェンの『遥かなる恋人に寄す』のテーマはピュアな音の結晶として鳴り響いている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:59コメント(0)トラックバック(0)ポリーニ 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ