2019年12月31日


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はじめまして。

このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。

「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。

どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。

クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。

私はそこに焦点をおいています。

そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。

どうぞ、よろしくお願いします。

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classicalmusic at 23:59コメント(130) 

2019年04月22日


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バルトークの《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》は、数年後にやってくる2度目の世界大戦突入への不安感に蔽われていた1936年に作曲された。

この〈緊張の時代〉を背負った作品の気分を正当に表現し得た演奏として、ナチの時代をしたたかに生き抜き、戦後十余年を経てベルリン・フィルを手中に収め気力の充実し切っていたカラヤンの、1960年の旧録音がまず挙げられる。

カラヤン盤の異常な緊張は、この曲の録音史上で空前のものと言え、楽員と一体になっての音楽の高揚は、時に魂が張り裂けんばかりの悲痛さを伴って、恐怖に近い感動を覚える。

カラヤンは若い頃から、バルトークの研究と演奏に情熱を燃やし続けてきた人で、彼の演奏は、バルトークに対する深い敬愛の念が込められている。

この演奏も、曲の核心に鋭く切り込んだ完成度の高いもので、ひとつひとつの音に精魂を込めながら、一分の隙もなくまとめあげている。

カラヤンはベルリン・フィルの威力を充分に発揮させ、精緻を極めた構成力と、じっくりと腰を据えた演出で、各部を入念に仕上げていて、色彩豊かで、スケールの大きい演奏だ。

全体にわたる緻密な構成と、ディテールの磨きのかかった切り込みの鋭さがクールでホットなバルトークの両面性を彷彿とさせ、この曲の内面性と外面性とのバランスが最もよくとれている。

この戦後の音楽界に君臨した巨人は、あたかも高度成長時代の申し子のように思われがちだが、この演奏は、戦争を知らない筆者のような世代の人間に、彼等が生き抜いてきた時代がどれほど苦渋に満ちたものであったかを伝える貴重なドキュメントだ。

カラヤンの手にかかると、あらゆる音楽が艶美な世界に結びつけられてゆくといった感がないではない。

このヒンデミットの交響曲《画家マティス》にしても、一方では極めて機能的な表現をみせながら、一方ではカラヤンならではの艶やかな語法もまじえながらその演奏が進められていることは否めない。

しかも、その録音は、ベルリン・フィルが彼と初来日した1957年になされているだけに、オーケストラそのものにも、ヒンデミットの強力な擁護者であったフルトヴェングラーの時代の影が確かに残されており、それがカラヤンの演奏に特質を生かしながら呼応しているようにもみえる。

第1楽章「天使の合奏」の天国的な響き、第2楽章「埋葬」の哀しみの場面の感動、そして第3楽章「聖アントニウスの試練」での聖俗あいまみえた魂のドラマが、カラヤンの多彩な棒で十全に描かれてゆく。

確かに素晴らしい演奏であることは疑いの余地はなく、この作品に親しむためには、好適な1枚ということはできよう。

カラヤンはバロックから現代まで、そのときの作品に適応するようにベルリン・フィルの自発性をひきだしてゆく指揮者だったし、楽員はそうしたことをはっきりとおこなってみせた。

バルトークやヒンデミットでの管や打楽器奏者は、カラヤンがいたからこそ自発性を持って卓越した技量を発揮できたのだろう。

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classicalmusic at 20:24コメント(0)カラヤンバルトーク 

2019年04月20日


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フランスのトラヴェルソ奏者、マルク・アンタイが初めてバッハのフルート・ソナタ集を録音したのが1998年で、こちらの新録音が2016年なので18年ぶりの再録音ということになる。

解釈はごく正統的で、以前とそれほど変わってはいないが、兄弟でチェンバロを弾くピエールと同様余裕をみせた品位のある演奏が繰り広げられている。

このアルバムにはバッハの真作とされている4曲のソナタと無伴奏パルティータイ短調のみが収録されていて、選曲にも彼のこだわりが示されている。

前回と異なるのは通奏低音付のホ短調ソナタBWV1034を加えたことだが、ヴィオラ・ダ・ガンバを省略してチェンバロのみの伴奏にしていることだろう。

これは当時の演奏習慣では充分有り得る演奏形態で、特にバッハはチェンバロの左手と右手にそれぞれの声部を与え、実際にはデュエットの形態を採りながらソロ楽器と三声部の対位法の書法を発展させていくソナタを多く遺している。

ここでは大曲ロ短調ソナタがその典型的なサンプルだし、トラヴェルソの調性と機能を最大限に発揮させた作品だが、アンタイ兄弟が自由闊達な表現の中に息の合った素晴らしいアンサンブルを聴かせている。

バロック時代の無伴奏フルート作品の双璧と言えるのがここに収録された大バッハの無伴奏パルティータと息子カール・フィリップ・エマヌエルの無伴奏ソナタの2曲だが、いずれもテクニック的にもまた高度な音楽性においても難曲とされている。

ここでアンタイは前回同様繰り返しをしていない。

これは最後の最高音aの2度の突出を避けるための解決策だろう。

しかし以前にも増して楽器の音色が充分に活かされているように思える。

勿論これは録音技術の進歩のためかも知れない。

使用楽器は名匠I.H.ロッテンブルク・モデルで、2013年にルドルフ・トゥッツの手になるコピーだ。

この楽器は響きが豊かで、音色に高貴さを感じさせるのが特長だが写真から判断すると材質は柘植材のようだ。

チェンバロはバッハのケーテン時代にベルリンで工房を開いていたミヒャエル・ミートケによる1702年製のオリジナルをウィリアム・ダウド及びブルース・ケネディーが復元したもので、余韻が長くややダークで可憐な響きが魅力的だ。

バッハがミートケのチェンバロをケーテン宮廷楽団用に購入したことは良く知られたエピソードだ。

録音はオランダのハーレムで2016年に行われている。

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classicalmusic at 19:54コメント(0)バッハ 

2019年04月18日


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プレヴィンはそのころ音楽監督のポストにあったロンドン交響楽団とのコンビで、チャイコフスキーの3大バレエ全曲盤を1970年代に吹き込んでいるが、これはその後、ロイヤル・フィルに転じて間もなく、57歳になる1986年に14年ぶりに再録音したもので、彼の代表的な名盤のひとつである。

古今の数ある《くるみ割り人形》全曲盤の中でも極めて高い定評を誇る著名なディスクで、指揮者としてのプレヴィンの美点が最も幸福な形で発揮された、スタンダードな名盤と言える内容を示している。

決してとりわけ優美であるとか、ファンタジー的であるという性格ではないけれど、個々のことが整然と把握されており、全体のバランスがよく、洗練されたスマートなプロポーションで、この曲の全貌を展望したような演奏と言えよう。

チャイコフスキーはオーケストレーションが巧いとされ、筆者はこの見解には全面的には賛同しないが、3大バレエの中で、さすが最晩年の作品であるだけに、《くるみ割り人形》こそはその定説を立証するもので、それは組曲よりも全曲を聴いたほうが納得できるはずである。

メルヘン的世界は、舞台上ばかりではなく、音楽とそこに展開されている多彩な音色、そして多様な性格を与えられた主題的素材などにも明確に生きている。

ことに木管楽器や特殊楽器のチャーミングな色彩感は、まさにメルヘンの世界を描くにふさわしい。

この作品が音楽だけによっても広く親しまれている根底には、そうしたことがあることは間違いないが、プレヴィンのこの演奏は、まさにそうしたこの作品の特質を、多様な面から明らかにしてくれるに違いない。

オーケストラに過重なテンションをかけず、柔らかな手つきでそうした夢と音色の世界を描いたプレヴィンは、語り口の巧さといい、音楽的な洗練度といい、文句なしの出来。

彼は、オーケストラのアンサンブルと音色的な表現力を最大限に生かしながら、巧妙な語り口でそれぞれの主題がもつ性格を明快にとらえて語りかけ、随所に現れる美しい旋律を、適切なテンポで心ゆくまで歌わせている。

全曲を通じて、シンフォニックなまとめで、アンサンブルや音色の推移、構成感や対照感を聴かせることを優先し、情緒面を色濃く出している。

色々な踊りを集めた第2幕では、各曲の性格を見事にとらえ、内容豊かに表現し、実に絢爛豪華な気分を盛り上げていて、オーケストラもよく鳴っている。

イージーリスニング的な、気楽なタッチに流れているわけでは決してないが、ムーディで柔らかくふくよかに繰り広げられる音楽には、理屈抜きに、誰の心をも引きつける明快な魅力が満ち溢れている。

バレエ的であるよりはコンサート的な発想に立脚した演奏であるが、その中庸を得た表現の聴きやすさがとにかく捨て難く、リズムが抜群に弾んでいるので、実に面白く聴くことができる。

もちろん、バレエとしての情景と舞曲の構成や、そのコントラストもよく引き出されているが、全体的にみれば、オーケストラルなレパートリーとしてのこの作品の魅力を、華やかに聴かせてくれる演奏と言える。

どの角度からみても、プレヴィンの力量のほどを物語るような安定した出来ばえを誇る内容で、誰にでも躊躇なくお薦めできる。

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classicalmusic at 20:25コメント(0)チャイコフスキープレヴィン 

2019年04月16日


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《ムツェンスク郡のマクベス夫人》は、ショスタコーヴィチが生涯を通じて最も自由奔放な作曲を行った時期の総決算的な意味を持つ記念碑的作品の原典版。

意外にもショスタコーヴィチにはオペラが少なく、完成しているものは3作品で、このうちの1曲は本作品の焼き直し(改訂)だから、結局2曲となり、しかも、この2作は20歳半ばまで書き上げたものだ。

《ムツェンスク郡のマクベス夫人》が1936年の共産党批判を受けたため、ショスタコーヴィチがこの分野の作曲を犂躙鵜瓩犯獣任靴燭燭瓩世蹐Δ?

あまりに凄絶な内容はともかく、西欧の1920年代の前衛手法を巧みに取り込み、ドラマティックな表現力や緻密な構成、そして何より豊潤な旋律線は見事というしかない。

もしショスタコーヴィチが爛ペラ作曲家瓩箸靴導萍していたら、20世紀のオペラ史はかなり違ったものになっていただろう。

いずれにしても、同じ作曲家の6年前の佳作《鼻》などとは格違いの、20世紀のオペラの最高傑作のひとつである。

体制に抹殺されていたこの傑作のパリ初演の成果に基づくチョン・ミュンフン盤は、非常に優れた演奏である。

ダイナミック・レンジの大きな表現、歌と管弦楽のバランスも素晴らしく、この指揮者の緻密な音楽づくりと劇的センスの良さを強く印象づける。

このオペラには、太い描線で、濃く演奏するやり方があるとは思うけれど、もちろんチョン・ミュンフンはそうしてはおらず、細部のニュアンスを見事に拾い出す。

ここでも、さまざまなパロディやら何やらを投入して、まじめさと冗談の奇妙に混ざり合ったショスタコーヴィチの音楽を巧みに描いていくが、その際の手際の良さは大変なものだ。

このように作品の鮮烈さとともに叙情的な面にもよく配慮しながら入念緻密な音によるドラマを造形してゆくチョンは、刺激的な現代技法が隠し味に回る終幕が特に素晴らしい。

ここでちょい役の老囚を演じるクルト・モルの歌にただよう存在感もチョンの解釈を引き立てている。

20世紀を代表する傑作オペラの1つなのだと、この演奏なら得心がゆくし、暴力や性のオペラ化も、これならいける。

そして、この演奏の強みは、キャストがそれぞれ巧妙に歌で演技していることだろう。

性格的な役柄を得意にするユーイングをはじめ、ツェドニク(農民)、ザレンバ(ソニェートカ)、モル(老囚人)など、脇役まで隙のないキャストも充実している。

特にカテリーナを歌うマリア・ユーイングは、申し分なく魅力的な悪女になっていて、それに指揮者が同情の眼差しを注いでゆく。

あの手この手を繰り出して、暗いドラマを楽しませてしまおうとするショスタコーヴィチの狙いは、この演奏で存分に生かされることになった。

録音も歌唱と管弦楽のバランスに優れ、決別したチョンとパリ・オペラ座バスティーユの残した見事な記録でもある。

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classicalmusic at 20:09コメント(0)ショスタコーヴィチ 

2019年04月14日


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ジネット・ヌヴー(1919-49)の録音集は既にコンプリート・スタジオ録音4枚組がドキュメンツからリリースされているが、ヴェニアスによってライヴを含めた彼女の1938年から49年までの音源が、よりインテグラルな形で纏められた。

1935年のヴィエニャフスキ・コンクールで僅か15歳だったヌヴーが26歳のダヴィッド・オイストラフを抑えて優勝したエピソードは両者のキャリアが語られる時、必ずと言っていいほど引き合いに出されるが、実際にはこの2人の演奏スタイルはデュオニュソスとアポロンに喩えても良いほど異なっている。

少なくともこの時期のヌヴーは強い感性に導かれるままに演奏しているように思える。

それは天才だけが成し得る技には違いないのだけれど、一方でオイストラフはクラシックの将来の演奏様式を先取りするような個性の表出を避けた高踏的な解釈が特徴だ。

残念ながら彼女は円熟期を迎えることなく夭折したので、その後どのような演奏を開拓したかは知る由もない。

しかしここに示された作品にのめり込むような濃密な情念はヌヴー若き日ならではの奏法だ。

しかも彼女は、当時としても稀有な、音楽に対する烈しい情熱と深い洞察力、解釈を構成する夥しい精神と明晰な知性をそなえており、並外れた自発性と詩的感覚がそれを支えている。

このようなテンペラメントは確実な技巧と結びついて、スケールの大きい、力強い演奏を生み出した。

彼女がベートーヴェン、ブラームス、シベリウスの協奏曲で、戦前からの巨匠に伍して充実した演奏をしたのもそのためである。

中でもイッセルシュテット、北西ドイツ放送交響楽団のサポートによるブラームスは白眉で、何かに憑かれたような激しさが聴く者を圧倒する。

2年前のスタジオ録音も構成力と感情表現のバランスが見事であったが、それに比べてライヴ録音の緊張感が演奏にいっそうの輝きを与えていて、臨場感があり、高揚した精神が演奏の隅々まで行き渡っている。

その反面、第2楽章では旋律を優美に歌わせて優美な情感を引き出している。

それはあたかも短く燃え尽きる彼女の人生を予感しているようで感慨深い。

ドラティ、ハーグ・レジデンティ管弦楽団のサポートによるブラームスは、3種類ある彼女の録音の最後であるが、彼女の演奏がますます充実してゆくのがよくわかる。

ブラームスのロマンティシズムを健康な精神と結びつけた彼女の解釈は、この曲の理想的な演奏を生み出している。

ロスバウト、南西ドイツ放送交響楽団のサポートによるベートーヴェンでも、彼女の力強い個性は、雄渾な解釈で、この音楽にあらゆる面から迫っている。

第2楽章の優美な表情は、彼女の幅広い、そして深い感情移入を示している。

ジュスキント、フィルハーモニア管弦楽団のサポートによるシベリウスも素晴らしく、この曲のロマンティシズムを線の太い解釈で豊かに表現し、テクニックもしっかりとしており、現在もこの曲の代表的な演奏の1つである。

得意としたフランス近代音楽でも、彼女は決して感覚的な魅力を求めていない。

ここに収められたショーソン、ドビュッシー、ラヴェルの音楽は、豊かな感情を伴って聴き手に語りかける。

今日でも、30歳でヌヴーほどの存在感を持ったヴァイオリニストは思い当たらないし、彼女は、他のヴァイオリニストが40代、50代で到達する精神的な深さを獲得していた。

それだけに、遺された録音を聴くことは大きな幸福であり、それは常に畏敬と驚きを喚び起こす。

彼女の芸術は、彼女の性別・年齢を超えて訴えかけるし、また、大曲、小曲にかかわらず、彼女の演奏は充実していて、狄燭侶歃儔鉢瓩箸枠狃に対して使われる言葉である。

ヌヴーはモーツァルトのように短い生涯を駆け抜けたが、あるいは彼女の生涯を見越して天がこのような充実感と完成度を与えたのであろうか。

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classicalmusic at 19:58コメント(0)ブラームスベートーヴェン 

2019年04月12日


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カッチェンのピアノ、スークのヴァイオリン、シュタルケルのチェロという名手によるブラームスのピアノ・トリオは音楽的な美しさから言えば現在でも第一線に挙げられる演奏だ。

1967年から68年にかけての録音であるにも拘らず、三者の楽器の音色を生々しく捉えた臨場感のある音質は、当時のデッカの技術水準の高さを証明している。

特に音色の美しさではこのトリオは群を抜いて素晴らしく、また彼らの高い音楽性は馥郁とした薫りを放っていて、聴き手に幸福感をもたらしてくれる。

初めてこれらの曲を聴く方にも躊躇なくお勧めできる。

この3人のコンビの演奏の特色は、ピアノ中心の情感豊かな演奏ということになるだろう。

カッチェンの並外れた演奏技術と音楽の大きさがそうさせるのだろうが、ピアノがやや勝ちすぎの感がなくもない。

ソロの演奏ではエネルギッシュで爽快な印象のあるカッチェンだが、それでもこうしたアンサンブルでは驚くほど抑制を効かせたピアノ・パートに徹している。

トリオ第1番の冒頭の溜息をつくようなピアノの導入に、静かに歌いだすシュタルケルの第一声と、それに重なるスークのヴァイオリンがなんとも素晴らしい。

また第3番のようなドラマティックな曲想の再現でも、彼らはよりリリカルな表現を基本にしているようだ。

CD2枚目の後半では、シュタルケルとのチェロ・ソナタ第2番が入っている。

カッチェンの早過ぎる死によってもう1曲のソナタが録音されずじまいになったのは残念だが、シュタルケルは1978年にジェルジ・シェベックと全2曲のソナタを再録音している。

最後に収められているヴァイオリンの為のスケルツォは、シューマン、ディートリヒとの共作によるヴァイオリン・ソナタの第3楽章をなすもの。

カッチェンがスークと1967年に録音したブラームスの3曲のヴァイオリン・ソナタと時を同じくして行われたセッションのものと思われるが、おそらく収録時間の関係でこちらに入っているのだろう。

カッチェンとシュタルケル、カッチェンとスークの二重奏は録音が古いためか、弦よりもピアノが前面に出てきて、カッチェン主役の傾向を一段と強めている。

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classicalmusic at 20:01コメント(0)スークシュタルケル 

2019年04月10日


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ロシアを代表する巨匠指揮者コンドラシンが1981年に南西ドイツ放送交響楽団を指揮してマーラーの交響曲第6番『悲劇的』を演奏したアルバムは、彼が世を去る2ヶ月ほど前にバーデン=バーデンで行われたライヴの模様を収録したものである。

コンドラシンは旧ソヴィエトのオーケストラとマーラーの第2番及び第8番を除く交響曲集を録音しているが、当時の西側に活動の本拠地を移してからも、機会に応じて頻繁にマーラーを採り上げている。

このディスクは2011年にリリースされたCDのライナー・ノーツの表紙を一新したリイシュー盤で、1981年に制作された放送用音源だったためか、音質では78年のレニングラード・フィルとの録音よりはるかに優っている。

レニングラード・フィル盤も極めて緊張感に満ちた迫真の内容を聴かせていたたが、この南西ドイツ放送交響楽団盤は、前回との比較では、全曲で2分半ほど演奏時間が拡大した結果、細部のより克明な表現が印象的な仕上がりとなっている。

手元にあったハイティンク、コンセルトヘボウ、クーベリック、バイエルン放送交響楽団及びアバド、ベルリン・フィル盤と聴き比べてみたが、コンドラシンが一切の弛緩を許さない、恐るべき緊張感の中に音楽の必然性を感じさせて卓越している。

クーベリックも激情的な演奏だが、オーケストラのやや強引な牽引という印象を否めない。

勿論アバドの極彩色で華麗な音像絵巻のように仕上げた、巨大なスケールのベルリン・フィルの演奏もマーラーの壮大な音楽的構想を映し出していて素晴らしい。

演奏時間をみてもコンドラシンが最も短く、全曲を通して68分ほどだが、第1楽章から立ち上がりの凄まじさを聴かせながら、終楽章は他の指揮者を圧倒して25分と破格に速い。

また多くの指揮者はスケルツォを第3楽章に入れ替えて第4楽章との相乗効果を狙うが、彼はクーベリックと同様に緩徐楽章アンダンテを第3楽章に置いて、フィナーレとの対比を図っている。

アンダンテはマーラー特有の半音階を使った詠嘆調のメロディーが同時期に作曲した『亡き子を偲ぶ歌』の死生観と相通じていることを感知させるが、ここでのコンドラシンは緊張感を保ちながら比較的落ち着いて歌わせている。

この作品のオーケストレーションではシロフォン、銅鑼、ベル、カウベル、ハンマーやスレイベルなどおよそありとあらゆる打楽器を取り入れた多彩なパーカッション群のサウンドも、殆んど狂気と紙一重のマーラーの精神状態を反映していて興味深い。

特に終楽章で波状的に現れる、荒れ狂う疾風怒濤のような曲想では、コンドラシンは南西ドイツ放送交響楽団の機動力をフルに活用して、全く破綻のないクライマックスを築き上げている。

1981年3月7日、コンドラシンは急遽テンシュテットの代役として、アムステルダムのコンセルトヘボウでハンブルク北ドイツ放送交響楽団を指揮し、マーラーの交響曲第1番を演奏したのを最後に、演奏会終了後に心臓発作を起こして帰らぬ人となってしまったが、最後の演奏会のプログラムが他ならぬマーラーであったというのも、この名匠のなんとも象徴的な最期としてあまりに有名だ。

かつては演奏機会も限られていたマーラーの音楽がポスト・スターリン時代になってようやく一般的になり始めたばかりの旧ソビエトで、マーラー受容を牽引する役割を担った第一人者がコンドラシンであった。

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classicalmusic at 20:01コメント(0)マーラー 
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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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