2018年12月31日


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はじめまして。

このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。

「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。

どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。

クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。

私はそこに焦点をおいています。

そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。

どうぞ、よろしくお願いします。

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2016年09月30日


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EMIから同時に刊行されたマルタ・アルゲリッチ・エディション全3巻18枚のCDからのコンパクトなダイジェスト盤で、ザ・サウンド・オブ・マルタ・アルゲリッチと題された3枚組ボックス・セットに協奏曲、ソロ及びデュオそして室内楽のそれぞれのジャンルから16曲が収められている。

収録された曲は1枚目の協奏曲集に限っては楽章単位で抜粋されているので、ファンの鑑賞用としては中途半端な編集だが、コスト・パフォーマンスが極めて高い廉価盤なので、クラシック入門者あるいはこれからアルゲリッチの演奏に触れてみたい方には最適だし、BGMとしても活用できる。

既に彼女のファンであれば、これを試聴盤として気に入ったジャンルのよりまとまったセットを購入することも可能だろうし、また限定盤なのでコレクター用の記念サンプラーとしても充分に価値がある。

CD.1の協奏曲集ではナカリャコフと組んだショスタコーヴィチの『ピアノとトランペットのための協奏曲』が秀逸だし、CD.2のピアノ連弾によるラヴェルの哀愁に満ちた『マ・メール・ロワ』が美しい。

また最後の室内楽ではカピュソン兄弟との協演になるハイドンの『ジプシー・トリオ』がどこか取り澄ました感じで魅力的だが、中でもヤナーチェクの『ピアノ、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、クラリネット、ホルン、ファゴットの為の小協奏曲』の演奏が白眉だ。

主導権は常に彼女が握っているが、アンサンブルのやりとりの面白さが聴き所だろう。

1965年から2009年の長期間に亘る録音の集約だが、音質については全体的にみてEMIのものとしては極めて良好と言える。

アルゲリッチの全集は既に2008年からドイツ・グラモフォンが順次リリースしているコレクション4セット27枚が最も充実した内容を持っていて、今回EMIがまとめた全集の廉価盤化は遅すぎた感があるが、曲目、録音年代、協演者も異なっているのでファンにとっては見逃せない企画になっている。

因みにEMIの宿敵でもあリ熾烈な競争を行っているグラモフォンも時を同じくして彼女の3枚組の廉価盤サンプラー・セットThe Art of Martha Argerichをリリースしている。

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2016年09月28日


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既に巨匠の域に達していたクラウディオ・アバドが2004年に自ら設立した若手演奏家で構成されたオーケストラ、モーツァルト管弦楽団を率いてこの作曲家の交響曲や協奏曲を晩年の数年間に集中的に録音している。

円熟期の彼が若い音楽家を相手にモーツァルトを仕込んでいく仕事は、後進の育成という意味ではひとつの理想的な姿と言えるだろう。

何故なら古典の基本であるモーツァルトの演奏技術の習得が、その他のあらゆる作曲家の作品の演奏に応用できるとされているからだ。

2005年と2006年のライヴからのこの録音では交響曲第35番ニ長調『ハフナー』、同第29番イ長調、同第33番変ロ長調、同第38番ニ長調『プラハ』及び第41番ハ長調『ジュピター』の5曲が2枚のCDに収められている。

尚2008年、2009年録音分の第39番変ホ長調と第40番ト短調も既にリリースされている。

これまでの欧米の名立たるオーケストラとの協演と基本的に異なっている点は、彼がピリオド奏法を取り入れていることだ。

彼自身が組織したこのオーケストラの目的のひとつは先に述べた後進の育成だが、またもうひとつのアバドの構想は音楽の原点に戻ってモーツァルトの作品をもう一度見直すことによって、晩年の彼の音楽観の変化の具体的な集大成を試みることではなかろうか。

それにはウィーン・フィルでもベルリン・フィルでもない、細部まで自分の意向を忠実に追って再現してくれるオーケストラが必要であり、大指揮者や歴史的なオーケストラの権威や慣習とは直接関わり合いの無い新進気鋭の彼らを使って、純粋な音楽の喜びを体現することに腐心できるという彼の矜持がある筈だ。

全体的な印象は、明るく軽快な響きを創造する手法は以前と少しも変わらないが、よりシンプルで言ってみれば風通しの良い音楽作りに徹していることだ。

それを支えているのがピリオド奏法で、ヴィブラートを最小限に抑え、音価を必要以上に引き伸ばさず小気味良い歯切れの良さを活かしている。

特に大作『ジュピター』では厚化粧を捨て去って意外なほど軽妙な感覚が貫かれていて、結果的にモーツァルトのオーケストレーションがガラス張りになって見えてくる。

ことさら重厚でもなければもったいぶったところもないが、アバドのきめ細かな指示が隅々まで行き届いていて、モーツァルトを愛する人にはその明快さゆえに広く受け入れられるに違いない。

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2016年09月26日


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本盤に収められたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、アシュケナージがチャイコフスキー国際コンクールで優勝した翌年(1963年)のデビューしたばかりの頃のものである。

若干26歳の時の演奏であるが、両曲ともすぐれたテクニックを土台にしたリリシズムによって、遅めのテンポで弾いており、大変ニュアンスが豊かで、万人向きの後味の良い演奏を聴くことができる。

アシュケナージについては、音楽評論家の間でも賛否両論があるのは周知の事実である。

特に、とある影響力の大きい有名な某音楽評論家が、アシュケナージの演奏を甘口で厳しさが微塵も感じられないなどと酷評しており、それを真に受けた相当数の聴き手がアシュケナージに対してある種の偏見を抱いていることは十分に想定されるところだ。

某音楽評論家の見解の真偽はさておき、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアシュケナージは、そのような見解を一喝してしまうような凄みのあるピアニズムを披露している。

楽曲の核心に向かって畳み掛けていくような凄みのある気迫や生命力は、圧倒的な迫力を誇っている。

卓越した技量は当然のことであるが、技量一辺倒の薄味な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても、切れば血が吹き出てくるような灼熱の如き情感に満ち溢れている。

こうした阿修羅の如きアシュケナージのピアノを下支えしているのが、若き日のマゼールとロンドン交響楽団による豪演だ。

1960年代のマゼールは、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような前衛的な指揮を行っていたところであり、本演奏でも、そうしたマゼールの凄みのある指揮を堪能することが十分に可能だ。

しかもマゼールの指揮は明快な若々しさに、柔らかく優雅な雰囲気をも加えている。

いずれにしても、本演奏は、若きピアニストと若き指揮者の才能が奇跡的な化学反応を起こした一世一代の超名演と高く評価したい。

アシュケナージは、特にラフマニノフの演奏については、指揮者としてもピアニストとしても、他の追随を許さないような素晴らしい名演の数々を成し遂げてきていると言えるところだ。

同じくロシア人であるということに加えて、旧ソヴィエト連邦からの亡命を図ったという同じような境遇が、アシュケナージのラフマニノフに対する深い共感に繋がっていると言えるのかもしれない。

アシュケナージは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をピアニストとして3度にわたってスタジオ録音しており、いずれ劣らぬ名演であるが、この中で、フレッシュかつ繊細で、畳み掛けるような気迫と強靭な生命力を有した演奏は、本盤の最初の録音であると考えられるところだ。

前述のように、チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、飛ぶ鳥落とす勢いであったアシュケナージの好調ぶりを窺い知ることが可能な演奏とも言えるところであり、そのなりふり構わぬ音楽の進め方には、現在の円熟のアシュケナージには考えられないような、凄まじいまでの迫力を感じさせる。

バックは、ロシア音楽の名演で名高いコンドラシン指揮モスクワ・フィルであるが、切れ味の良さが聴きもので、若きアシュケナージのピアノ演奏をしっかりと下支えするとともに、同曲の有するロシア風のメランコリックな抒情を情感豊かに表現しているのが素晴らしい。

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2016年09月24日


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巨匠への道を歩んでいたブレンデルとアバドとの初顔合わせという話題盤であったが、2人の個性がよく結びつき、演奏に大きな風格を与えている。

バッハから20世紀の作品まで幅広いレパートリーをもつブレンデルだが、意外なことにそれまでシューマンはほとんど取り上げていなかった。

そうしたブレンデルが1980年代からシューマンのピアノ曲を次々と録音するようになったのも、この演奏がひとつのきっかけになったのではないだろうか。

そんなことを考えたくなるのも、この演奏がとても瑞々しいロマンをたたえているからである。

ブレンデルは1997年にこの協奏曲をザンデルリンクと再録音しており、それも魅力的な演奏で甲乙つけ難いので好みを分けそうだが、正攻法の演奏を細部まで彫り深く、より引き締まった感覚で展開しているのは壮年期の旧盤だろう。

作品に正面から向き合って巨細に磨き抜かれた表現の充実、さらに繊細でニュアンス美しい表現を強い集中力と豊かな感情の起伏をもって硬軟幅広く、かつのびやかにスケール大きく織りなしたこの演奏は、いっそう充実している。

ブレンデルは、情緒に流れると締まりがなくなるこの曲に、終始くっきりとした輪郭を与え、しかも表情の綾が細かく、スケールの豊かさとこまやかな抒情が両立して、すこぶるバランスの良い奏楽である。

知的で、しかも洗練された音楽性豊かなブレンデルならではのシューマンであり、彫琢された音色で、繊細に表情をつけながら、この曲にひそむ、一抹の不安感や、悲哀の色を見事に引き出している。

ブレンデルは華やかさには目もくれず、きわめて構成的な演奏であり、ロマンティックな曲への沈潜を窺わす、近代的な演奏スタイルで、内面的なシューマンの世界を描き出して余すところがない。

十分ロマン的でありながら、その表情は決して大げさに崩れることのない、制御の利いたブレンデルらしいアプローチが、シューマンの音楽の美しさを次々に明らかにしていく。

アバドの指揮もそうしたソロを充実した演奏によって、実に間然するところなく支えて、ブレンデルのスタイルに追随したもので、明敏な指揮でピアノをくっきりと生かしていて、その一体感がこの演奏のクォリティを高いものにしている。

両者の呼吸の合った演奏が感興豊かであり、幻想的な作品に瑞々しいロマンティシズムを新鮮に表出していて、デリケートな抒情にも不足がない。

この曲があまりすぐれた演奏に恵まれないのは、ソリストと指揮者の協調が難しいためで、ソロはいいけど指揮はもうひとつだったり、その逆も案外多い。

そうした中でアバドの指揮によるブレンデルが傑出しているのは偶然ではなく、アバドが作品を的確にとらえてソリストの個性に鋭く反応しているからで、この演奏においても、呼吸の乱れは少しもなく、ブレンデルの情感豊かな表現を見事に生かしきっている。

また、このCDを推すもうひとつの大きな魅力は、ウェーバーのコンツェルトシュトゥックが収録されていることで、シューマンに劣らぬ名演なので一聴をお薦めしたい。

ロマン派の先駆者と言われるウェーバーのピアノ曲は、豊かな色彩感にあふれ、ロマンティックな表情が前面に満ちているが、ブレンデルはそうしたウェーバーの音楽の特質をよくつかみ、きわめて美しい音色でまとめている。

この曲は録音も少ないのだが、ブレンデルとアバドは、劇的な才能に恵まれたウェーバーが十字軍の騎士と夫人の愛の勝利を描いたという、いかにもロマン的な標題をもつ曲の面白さと魅力を表情豊かに生き生きと表現している。

きわめて充実した演奏で、ブレンデルの明晰なタッチが音楽の本質を明確に伝え、アバドとのコンビネーションもすばらしく、競演の醍醐味を堪能することができる。

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2016年09月22日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そして、その音質についても、DGにスタジオ録音を行ったチャイコフスキーの後期3大交響曲集(1960年)やアルトゥスレーベルから発売された1973年の初来日時のベートーヴェンの交響曲第4番及びショスタコーヴィチの交響曲第5番等の一部のライヴ録音(既にいずれもSACD化)などを除いては、極めて劣悪な音質でこの大指揮者の実力を知る上ではあまりにも心もとない状況にある。

そのような中で、スクリベンダム・レーベルから1965年及び1972年のムラヴィンスキーによるモスクワでのライヴ録音がリマスタリングの上発売されているが、音質も既発CDと比較すると格段に向上しており、この大指揮者の指揮芸術の真価をさらに深く味わうことが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

何よりも、1960年代から1970年代にかけては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの全盛時代であり、この黄金コンビのベストフォームの演奏を良好な音質で味わうことができるのが素晴らしい。

本盤には、1972年のライヴ録音が収められているが、いずれも凄い演奏だ。

ムラヴィンスキーは、手兵レニングラード・フィルを徹底して厳しく鍛え抜いており、その演奏はまさに旧ソヴィエト連邦軍による示威進軍を思わせるような鉄の規律を思わせるようなものであった。

そのアンサンブルは完全無欠の鉄壁なものであり、前述の1960年のチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の弦楽合奏の揃い方なども驚異的であったが、本盤に収められた演奏でも随所においてそれを味わうことが可能だ。

冒頭のチャイコフスキーの交響的幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」からして、この指揮者ならではの深遠な内容と凄まじいまでの迫力を兼ね備えた凄みのある名演だ。

続くチャイコフスキーの交響曲第5番はこの指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、筆者としては、前述の1960年のDGへのスタジオ録音や、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。

もっとも、本演奏も終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や力感など、3強にも比肩し得るだけの内容を有しているところであり、本演奏をムラヴィンスキーならではの超名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。

ワーグナーの管弦楽曲については複数のCDにまたがって収められているが、いずれもこの指揮者ならではの彫りの深い素晴らしい名演に仕上がっている。

ブラームスの交響曲第3番は、後述のベートーヴェンの交響曲第5番と同様のスタイルによる引き締まった名演と言えるが、第2楽章や第3楽章のやや速めのテンポによる各旋律の端々から滲み出してくる枯淡の境地さえ感じさせるような渋味のある情感は抗し難い魅力に満ち溢れており、人生の諦観さえ感じさせるほどの高みに達していると言えるところだ。

ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、1965年盤もありそれも名演であったが、本演奏の方がより円熟味が増した印象を受けるところであり、筆者としては本演奏の方をより上位に置きたい。

いずれにしても、厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくが、それでいて豊かな情感と格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる演奏の凄みと言えるだろう。

ベートーヴェンの交響曲第4番は、前述の来日時の名演の1年前のものであるが、本演奏も同格の名演と評価したい。

速めのテンポで疾風のように駆け抜けていくような演奏で、一聴すると素っ気なささえ感じさせるが、各旋律に込められた独特の繊細なニュアンスや豊かな情感には抗し難い魅力があると言えるところであり、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっている。

ベートーヴェンの交響曲第5番も凄い演奏だ。

やや速めのテンポによる徹底して凝縮化された演奏と言えるが、それでいて第2楽章などの緩徐箇所における各旋律を情感豊かに歌い上げており、いい意味での剛柔バランスのとれた至高の名演であると言えるだろう。

いずれにしても、本盤は大指揮者ムラヴィンスキーの偉大な芸術を良好な音質で味わうことができるという意味においては、1965年盤と並んで安心してお薦めできる素晴らしい名盤であると高く評価したい。

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2016年09月20日


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今や押しも押されぬ一級の演奏家の仲間入りをしているシフが1981年から92年にかけてDECCAレーベルに録音したアルバムで、シフの洗練された音楽性と初々しいピアニズムの結晶を聴く名演集。

ピアノによるバッハ演奏の、最も現代人の感覚にぴったりくるのがシフの演奏で、淀みない流れと触発する美しさに溢れたシフの演奏に耳を傾けていると、バッハの鍵盤楽器作品が尽きせぬ心の泉であることが再確認される。

シフが弾くバッハの魅力は現代ピアノがもつ限りない機能性と美的表現力とに全幅の信頼をおき、そこからバッハの鍵盤曲の魅力を縦横無尽に引き出していく点にある。

しかもその背景にはシフならではの知的にコントロールされた音楽の心があり、技巧や感覚美の次元をこえたもうひとつ向こうの世界へと聴き手を誘う吸引力がある。

ロマンティックすぎる解釈かもしれないが、軽やかな弾みと自然な流れが小気味よいうえ、解釈上のツボも押さえられていて、この美しさには抗し難い魅力があり、聴き込むほどに味わいの増す演奏だ。

ここに聴くシフのピアノは、とにかく音色に磨き抜かれたような美しさがあり、1音聴いただけで、その魅力にひきこまれてしまう。

しかもここでのシフは無心かつ無垢であり、バッハの世界で戯れるかのような姿すら見せている。

シフの磨き抜かれたピアノの音色、洗練されたリズムの冴えなどを耳にすれば、ピアノという楽器に興味と関心とをもっているほとんどすべてのひとは、おそらく脱帽状態となってしまうことだろう。

そのうえ、ここにおけるシフは、バッハ演奏における様式観に関しても、ノンシャランにはならず、きちんとした筋をとおしており、説得力が強い。

磨かれ、粒をきれいに揃えた音と、軽やかな運びで、シフはバッハの鍵盤楽器作品を、自然な姿に整える。

リズムの良さにも水際立ったものがあり、テクニックもスムースで、バッハの音楽に対する各種様式観にもバランスのとれた配慮が行き届いており、間然としたところがない。

粒立ちのよい音で、色彩豊かに展開されるバッハは、実に新鮮な感覚に満ち溢れており、今日のバッハ演奏を代表するものの1つと言っても、決して過言ではないだろう。

チェンバロによる、オリジナルを重視する演奏とは実に大きく隔たっているが、それでも、聴いて正しくないなんて言う気には決してならないはず。

もしバッハがピアノとすぐれたピアニストを知っていたら、強くそれを希望したに違いないと思えるくらい、バッハの本質はここにあると感じられる。

20世紀末の人間の感覚とバロックの巨人が求めた技の、重なり合うところに、シフの演奏が成立していて、技術がただひたすらに作品のためにあることを実感させる至芸である。

筆者が、シフを聴いて初めて驚きを覚えたのは、これらの録音以前に、放送を通じてドメニコ・スカルラッティやバッハの作品を聴いたときだが、その切れ味のよいリズム感と、美しいタッチから生み出される透明感に満ちた音色で奏されるバッハやスカルラッティの音楽の、なんと躍動と愉悦に満ちていたことか。

軽やかなタッチが作り出す滑らかな調べはあくまでも磨き抜かれたタッチの美しさを誇るが、いささかも人工的、メカニカルな印象を与えず、音楽そのものに浸らせ、その新鮮な表情は彼らの作品に新しい光を当てるものだった。

粒立ちの良い音の佇まい、演奏に漂う清潔感と凛々しい気品も抜きん出ており、リズム処理のスムースさにも他の演奏家にはない快い切れがある。

このアルバムではそうした彼の美質を十分に保ちつつ、音色にはまろやかさと暖かさが、表現には余裕と落ち着きが増し、音楽全体に懐の深さや味わい深さが加わっている。

バッハの鍵盤楽器作品は今日では、チェンバロによる演奏が広く聴かれるようになっているが、ピアニストにとってバッハの音楽は不可欠のレパートリーである。

演奏会で取り上げることは少ないにせよ、名ピアニストほどバッハ作品を見事に弾いている。

しかし、多くのピアニストが19世紀の解釈でバッハを弾いて疑問を抱かないのに対し、シフのバッハ解釈は意識的にロマン主義的解釈を避けた次元でバッハ音楽の普遍性をピアノという、言わばモダン楽器で見事に彫琢している。

オリジナル楽譜にはあるべくもない強弱記号であるが、シフはこれを19世紀の解釈ではなく、バッハ音楽のテクスチャーから読み取れる自然かつ音楽的な変化として表現している。

それに、実を言えばグールドじゃないところも大きな魅力で、ある意味でもっともシフらしい、飾らないシフと出会えるアルバムと言えるかもしれない。

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2016年09月19日


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1960年に45歳でようやく西側諸国でのトゥルネーを許可されたリヒテルの演奏活動は、その後欧米で破竹の勢いで進められたが、このライヴでも既に円熟期に向かっていた彼の熟考された音楽作りと幅広い表現力が堪能できる。

最初のハイドンでは洗練された手際の良い軽快なソナタが実に巧妙で、彼はモーツァルトよりどちらかと言えばハイドンを得意としてレコーディングやコンサートのプログラムにしばしば取り入れたが、毎回異なった曲目を選んで演奏しているところが如何にも彼らしい。

剛毅なシューマンの2曲の『ノヴェレッテ』には彼の逞しさが、そしてショパンの『バラードト短調』のコーダのたたみかけるようなアッチェレランドにはリヒテルのオリジナリティーが明確に示されている。

またドビュッシーの『前奏曲集』で聴かせる溢れるほどのニュアンスの豊かさとピアノの音色への可能性の追究という面でも、後の巨匠のシューベルトやバッハにあらわれる音楽性を既に垣間見せていて興味深い。

ライナー・ノーツによれば、この録音はリサイタルの翌年1968年にヴォックス・ターナバウト・レーベルから2枚組のLPで登場したが、CD化に当たってオリジナル・テープは使用可能な状態ではなく、ヴォックス所蔵の第2音源から修復及びデジタル・リマスタリングされたようだ。

しかし音質は驚くほど良好で、この手のライヴ録音としては最良の状態が復元されている。

臨場感も申し分なく、リヒテルの入場、拍手、演奏、そして喝采の総ての状況がつぶさに把握できる。

またピアノのタッチも生々しく聴き取れるのが特徴だ。

リリース元のミュージカル・コンセプツ社は英マンチェスターのアルト・レーベルから一連のリヒテルの録音をリイシューしているが、この音源に関してはミュージカル・コンセプツの名称を使い、裏面にVoxのロゴをつけている。

イタリアの中部、ウンブリア州スポレートの町で開催される『2つの世界のフェスティヴァル』と題された行事は、1958年に作曲家ジャン=カルロ・メノッティによって企画されたヨーロッパとアメリカの2つの世界の芸術交流を目的とした祭典で、彼の死後も引き継がれて現在に至っている。

厳密には音楽祭ではなく、演劇やバレエ、美術などの分野からの参加も盛んで、毎年気候の良い6月から7月にかけての3週間に2つの劇場とローマ時代の野外劇場などを使って世界的な水準の演目と新しい芸術的な試みが披露される。

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