2020年12月31日


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はじめまして。

このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。

「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。

どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。

クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。

私はそこに焦点をおいています。

そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。

どうぞ、よろしくお願いします。

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2020年01月17日


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2014年はC.Ph.E.バッハの生誕300周年に当たり、彼にちなんだコンサートの開催や作品集のリリースも盛んに行われた。

オランダのブリリアント・レーベルからはCD30枚のエディションも刊行されたが、このフルート・ソロと通奏低音のためのソナタ全曲集も同エディションに組み込まれた2枚をピックアップしたもので、2012年及び翌13年に収録されたヴェンツとしては久々のCDになる。

彼の若い頃の演奏はロカテッリのソナタ集に代表されるような、名技主義を前面に出したおよそ古楽とは思えないような疾走するテンポが特徴で、クイケン門下の異端児的な存在だったが、ここ数年超絶技巧は残しながらも様式に則ったよりスタイリッシュな演奏をするようになったと思う。

この曲集も流石に大バッハの次男の作品だけあって、豊かな音楽性の中にかなり高度な演奏上のテクニックが要求される。

ヴェンツを強力に支えているのがチェンバロのミハエル・ボルフステーデで、ムジカ・アド・レーヌムの長い間のパートナーとして絶妙なサポートをしている。

2枚目後半での彼のフォルテピアノのダイナミズムも聴きどころのひとつだ。

今回ヴェンツの使用したトラヴェルソは最後の3曲がタッシ・モデル、それ以外はノーストの4ジョイント・モデルで、どちらもシモン・ポラックの手になるコピーだ。

ピッチはa'=400Hzの低いヴェルサイユ・ピッチを採用している。

これはそれぞれの宮廷や地方によって統一されていなかった当時の、ベルリン宮廷で好まれたピッチで、ムジカ・アド・レーヌムもこの習慣を踏襲している。

またボルフステーデは2枚目のWq131、133及び134の3曲には漸進的クレッシェンドが可能なフォルテピアノを使って、来るべき新しい表現を予感させているが、この試みは既にヒュンテラーの同曲集でも効果を上げている。

尚このソナタ集には無伴奏ソナタイ短調が入っていない。

ヴェンツは大バッハの無伴奏フルート・パルティータは既に録音済みだが、この曲もやはり非常に高い音楽性を要求されるレパートリーだけに将来に期待したい。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、27年間に亘ってプロイセンのフリードリッヒ大王の宮廷チェンバリストとして奉職したために、大王のフルート教師クヴァンツや大王自身の演奏に常に参加して彼らの影響を少なからず受ける立場にあった。

しかし作曲家としては彼の革新的な試みが不当に評価されていて、俸給はクヴァンツの年2000タラーに対して若かったとは言え彼は300タラーに甘んじなければならなかった。

当時のプロイセンでは2部屋食事付ペンションの家賃が年100タラー、下級兵士の年俸が45タラーだったので決して低い額とは言えないが、クヴァンツが如何に破格の待遇を受けていたか想像に難くない。

カール・フィリップ・エマヌエルが作曲したフルート・ソナタには他にもオブリガート・チェンバロ付のものが10曲ほど残されているが、さまざまな試みが盛り込まれた音楽的に最も充実していて深みのある曲趣を持っているのはここに収められた11曲の通奏低音付ソナタだろう。

ソロと低音の2声部で書かれたオールド・ファッションの書法で、通常チェロとチェンバロの左手が通奏低音を重ねて右手が和声補充と即興的なアレンジを施すことになるが、このCDでも彼らはそのオーソドックスなスタイルを遵守している。

最後の第11番を除いて緩急のふたつの楽章に舞曲を加えた3楽章形式で、終楽章は通常ヴァリエーションで曲を閉じている。

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classicalmusic at 11:14コメント(0)バッハヴェンツ 

2020年01月15日


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著者ハンス=マルティン・リンデはリコ−ダ−の名手として、また古楽器を現代音楽に生かした作曲家としても知られている。

彼のリコ−ダ−奏者としての活動期間は、友人でもあるフランス・ブリュッヘンと重なっていて、70年代から80年代にかけて互いにその技を競った仲だが、また一方で音楽学者としての仕事も見逃せない。

ショット社から出版された古楽の装飾に関する小ガイドは、古楽器演奏を志す学習者はもとより、アマチュアの愛好家にも、また古楽をより高度に鑑賞したい方にとっても、基礎的な一通りの内容を最低限網羅していて、簡易なだけでなく演奏にもすぐ役立つ実用性にも配慮されている。

本書は大きく分けて二部分から構成されている。

前半が解説で古楽の装飾、本質的、あるいはフランス風マニュアル、任意的、イタリア風マニュアル、通奏低音における即興演奏、緩徐楽章でのアドリブ、そして後半部が実際の演奏例になる。

解説はドイツ人らしく理路整然として無駄なく簡潔にまとまっていて、演奏譜例もコレッリ、オットテ−ル、テレマン、バッハ、ヘンデルなどの作品から広くサンプルが採られている。

参考までにドイツの古楽器メ−カ−、メック社から出版されている木管楽器のための季刊誌『TIBIA』2013年第一号の付録としてリンデのドキュメンタリーがDVDで付いている。

彼は1957年以来スイスのバ−ゼルに本拠を置いて演奏活動をし、現在でもスコラ・カントルムで後進の指導に当たっている。

彼のこれまでの音楽家としての活動や趣味の絵画についてインタビューに答える形で約一時間二十分に亘る映像とそれに因んだ音楽が収録されている。

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classicalmusic at 12:45コメント(0)クラシック音楽用語解説芸術に寄す 

2020年01月13日


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1983年にイスラエルのテル・アビブで開催されたフーベルマン・フェスティバルのライヴ録音を集めたもので、以前紹介したDVDのCD化になる。

現在のイスラエル・フィルハーモニーの母体になるパレスチナ管弦楽団の生みの親であるブロニスワフ・フーベルマンを記念したコンサートに参加した顔ぶれは、音楽監督のズービン・メータを筆頭にアイザック・スターン、ヘンリク・シェリング、イヴリー・ギトリス、イダ・ヘンデル、イツァーク・パールマン、ピンカス・ズッカーマン、シュロモ・ミンツなどまさにユダヤ系名ヴァイオリニスト全員集合といった感じだが、それだけに演奏水準も非常に高く充実した演奏会になっている。

また、各ヴァイオリニストがソロをつとめた演目ではソリストの得意中の得意のレパートリーを披露しており、パールマン(ベートーヴェン)、シェリング(チャイコフスキー)、ズッカーマン(エルガー)、ヘンデル(シベリウス)、ギトリス(バルトーク第2番)と名演揃いなのも嬉しい限りだ。

特に、堂々たる風格のシェリングによるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲では円熟期の彼の芸風を堪能できる。

さらに爽やかな美音の冴えるミンツのメンデルスゾーン、師弟の共演になるミンツとスターンのバッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲など興味の尽きないプログラムが続く。

ヴィヴァルディの四つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調ではソロの一番手にスターン、二番手ギトリス、三番手ヘンデル、四番手がミンツという豪華キャストも聴き逃せない。

パールマンとズッカーマンが共演するモ−ツァルトの協奏交響曲ではヴァイオリンとヴィオラが息の合ったデュエットを聴かせる。

DVDバ−ジョンを観ると内省的で殆ど無表情のズッカーマンと表情豊かなパールマンが好対照をなしているのが興味深い。

したがって視覚に直接訴える二枚組DVDの鑑賞もお薦めしたい。

これだけのメンバーの演奏を1週間の間に聴くことができたのは後にも先にもないほど充実した演奏会であったことは言うまでもない。

音楽週間最終日(1982年12月19日)はフーベルマン生誕100周年に当たり、この偉大なヴァイオリストの功績を称えた歴史的な演奏会となった。

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classicalmusic at 12:38コメント(0)スターンメータ 

2020年01月11日


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かつてのルネサンス時代におけるレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどを思い出すまでもなく、世の中には、常人の想像をはるかに超えた多彩な能力の持ち主というものがいる。

もちろん現代のように各分野の専門化が先鋭化し、それぞれの領域を極めるために多大な時間とエネルギーを要求される時代にあっては、ルネサンス時代のように一人の人間が、音楽も美術も工学も医学もといった具合に、多分野にわたって抜きんでた能力を発揮することは難しくなったが、例えば音楽という領域だけに限ってみると、そこで多彩な能力を発揮する人をたまに見かけることがある。

もちろん音楽を勉強するうえで、ピアノや作曲理論というものは、どのような人でもクリアしなければならない関門のようなものなので、誰もが当たり前であると思われるかもしれない。

しかし一応できるのと、一流として人の前に立つことができるのとでは全く意味が異なる。

多彩で様々にこなしはするけれど、Aは一流、しかしBは二流という人が多いのが実際の所なのだ。

ところがふたまた以上をかけている人で、たまにどちらが本業かわからないほど多岐にわたって高度な能力を発揮する人がいる。

ダニエル・バレンボイムこそ、まさにその筆頭にあげられるべき音楽家ということになろう。

指揮者としての彼はベルリン国立歌劇場総監督就任後は、そのレパートリーを確実に増やしており、ドイツ=オーストリア系のレパートリーにおいては今や筆頭にあげるべき存在になっている。

こういう活躍を展開すれば、もともとはピアニストであったとしても、その活動はごく制限されるか、撤退するのが普通である。

ところが彼は、指揮者としての仕事が膨大なものになったからといって、若いときから注目されていたピアニストとしての活躍も決してないがしろにしていない稀有な存在なのである。

そういえば、そんな存在は過去にも現在にも少なからずいると言われるかもしれない。

確かにセルもショルティもバーンスタインもピアノは一流だったし、現在でもチョンやレヴァインがいる。

しかし彼らはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音できるほど、ピアニストとしての自立した立場を持っていたわけではない。

たまに聴衆の前でピアノ協奏曲を演奏したり、室内楽ピアニストとして腕を披露することはあったが、あくまでそれは指揮活動の傍らにおかれた存在でしかなかった。

唯一アシュケナージがピアノ、指揮の両面においてバレンボイムに近い活躍を展開しているが、逆に彼の場合は指揮の領域ではまだまだバレンボイムの域に達しているわけではない。

バレンボイムは今や驚くほかはないレパートリーの広さを誇っているが、いずれにしても非常に高い水準にあり、どれを聴いてもまず期待を裏切られることはない。

まさにとてつもない資質をもった演奏家ということができるだろう。

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classicalmusic at 12:57コメント(0)バレンボイム 

2020年01月09日


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世界の名立たるオペラ・ハウスとレコード会社が贅を尽くしてスター歌手の競演やそのスタイリッシュな歌唱の録音をオーガナイズした時代の、言ってみれば最後を飾った一人がブルガリアのバス、ニコライ・ギャウロフだった。

彼以降オペラ歌手の権限は良くも悪しくも制限を余儀なくされ、ジュリーニが痛烈に批判した、劇場間を掛け持ちして疲れた歌手達が短時間でオペラを粗製濫造する時代になってしまう。

その議論はともかくとして、ここにギャウロフ全盛期のふたつのライヴからのオーケストラ伴奏によるアリア集が収録されている。

実は最近エロクエンスから彼のアリアと歌曲を集めた1枚がリリースされたが、聴き比べると音質的にもこちらの方がお薦めできるのでレビューを書くことにした。

音源はどちらもミュンヘンで開かれた放送用日曜コンサートのライヴから採られたもので、アンコールと思われる最後の2曲は客席からの拍手喝采は入っているが、それ以外の雑音は皆無で放送用だけに良質のステレオ録音で鑑賞できる。

アマゾンのページに収録曲目一覧が掲載されているので照らし合わせて戴ければ幸いだが、トラック1、7、8、9が1966年、それ以外が69年の録音になる。

ただし全曲とも原語による歌唱で、トラック4から7迄の4曲は記載ではドイツ語になっているが実際にはオリジナル・テクストのロシア語で歌っている。

指揮者は1、2、7、8がジョルジュ・プレートル、その他がアルフレード・アントニーニでオーケストラは総てバイエルン放送交響楽団が担当している。

いずれもギャウロフがオペラの舞台で経験を積んだ十八番ばかりで、それぞれのシーンでの彼の舞台姿が目に浮かぶような臨場感がある。

彼の声には特有のスラヴ臭さがあったにも拘らず、その並外れた演技力、圧倒的に豊かな声量と広い音域で殆んど総てのバスのタイトルを歌うことができた。

筆者もオペラでギャウロフの勇姿を見ることができた年代だが、晩年でもスタイルを崩すことなく常に彼らしい存在感を示したスケールの大きな舞台を創り上げていた。

最後に置かれたフレンニコフの『酔っ払いの歌』は彼がしばしばリサイタルのアンコールで歌って大喝采を浴びた歌曲で、泥酔した男の滑稽さを活写した表現が実に愉快だ。

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classicalmusic at 14:17コメント(0)プレートル 

2020年01月07日


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本書ではスヴャトスラフ・リヒテルと友人達との交流を中心に彼のキャリアの後半に焦点を当てて、ユ−リ−・ボリソフが回想した対話形式の作品になるが、話しているのは大部分リヒテルで、ユニ−クなリヒテル語録といった印象がある。

日常的な会話の中に彼の演奏に対する哲学や、一種謎めいたファンタジーを垣間見ることができる魅力的な会話録だ。

リヒテルは少年時代からオペラや演劇の出前伴奏をすることで家計を助けていたが、その影響もあって早くから文学や絵画の素養も身につけていたので、本書に表れる文学的、あるいは美術的な幅広い教養と実践で鍛えた即興性が彼の演奏に深みを与えていたと言えるだろう。

自身述べているが、リヒテルは円熟期に絶対音感を失っただけでなく、音が1全音ずれて聞こえる現象に悩まされた。

それは音楽家にとってかなり致命的で、頭で考えている音と実際ピアノから鳴り響く音にずれが生じると、暗譜での演奏が困難になる。

彼が後年楽譜を見ながらコンサートに臨むようになったのはこうした事情だ。

本書ではリヒテルが演奏する作品1曲1曲に音楽の範疇を超えるかなり強烈なイメージを抱いて弾いていたことが明らかにされている。

それが純粋にスピリチュアルなものであろうと、具体的な視覚に訴えるものであろうと彼の演奏上のほぼ決定的な解釈になったようだ。

逆にそうしたイメージが枯渇したり、全く湧かない場合は演奏しない。

彼が全集物の体系的な演奏や録音にそれほど興味を示さなかったのも、それぞれの曲に通り一遍の性格を与えることを拒んだからだろう。

また演奏にはム−サ(ギリシャの芸術を司る女神)の降臨が欠かせなかったらしく、ボリソフに「君にはム−サの女神がついているかね?必ず手に入れたまえ、、、はっきりと思い描くことだ、力を込めて。守ってもらえるように」と言い、「私のム−サはもう疲れ果てているよ。かなりの年だな。息をするのもやっとで」などと自嘲的な冗談にも事欠かない。

リヒテルの会話にはボリソフもたじろぐほどの多くの比喩や他の分野からの引用が溢れていて、読み進めるには章ごとの訳注が欠かせないが、慣れてくると非常に面白く、思わず吹き出したり、苦笑せずにいられないような部分も多々ある。

それはコンサートで笑顔ひとつ見せなかった彼の意外なプロフィールを窺わせていてなおさら滑稽だ。

カラヤンとのべ−ト−ヴェンのトリプル・コンチェルトのセッションはよほど根に持っていたらしく、演奏内容よりも写真撮影を優先したカラヤンを至るところで槍玉に挙げているが、ここでもリヒテルは明け透けに批判している。

同業者でもホロヴィッツ、グ−ルド、ガブリ−ロフ、ギレリス、ポリ−二などが引き合いに出されているが、感動した演奏には称賛を惜しまない姿勢は流石だ。

指揮者ではムラヴィンスキーとコンドラシンが彼にとっては別格的な存在だったようだが、基本的に彼の判断は曲目に関する演奏者の解釈と表現力に集中していて、名演奏家でも往々にして失敗があることを示唆している。勿論自分の演奏にも手厳しく、録音したレコードは10枚くらい残して後は全部廃棄できたらどんなに幸せかとも言っている。

周期的な鬱状態に苦しんだリヒテルの精神状態がそれに特有のアクセントを与えている。

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classicalmusic at 12:42コメント(0)リヒテル 

2020年01月05日


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2020年はベートーヴェンの生誕250年であるが、コンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン演奏は過去のものとはいえ自然体の表現が今あらたに普遍性を得ている。

コンヴィチュニーは古いドイツの楽長タイプの指揮者を連想させるが、オーケストラも同様で、第1、第2ヴァイオリンが左右に分かれ、コントラバスは左手奥に位置するという配置がさらに古めかしい印象を強める。

しかし、この配置では完璧なアンサンブルを求めるのは容易なことではないが、ベートーヴェンの場合、左右の掛け合いが実に効果的で、演奏に独自の立体感をもたらしたのは収穫である。

また管楽器の独特の音色が印象的で、いまと違って当時はすべて古い年代の楽器であったのだろうが、なかでも木管の原色的な色調とヴィブラートを抑制した奏法は、彼らの演奏にすばらしく古雅な趣をそえている。

むろん管弦のバランスが、確かにドイツ風といえる独自の重量感をもっていることは付け加えるまでもない。

したがって古典的、理性的なベートーヴェンであるが、それは情念の解放とか、情熱の外部への高揚を求めるより、伝統の枠組のなかにぴたりとはまり込んだような音楽をつくっている。

彼らの演奏はすべてが保守的であり、自由でしなやかな流動感や現代的な感覚美とは無縁のように感じられる。

しかし、それで音楽が形式的かというとそうではなく、楽想の発展が建築的に表出されながらも、その内部には素朴に内燃する感興が示されているのである。

確かに、この指揮者の音楽へのアプローチは、常に実直・誠実であった。

現代の指揮者のように外面的な効果や恰好のよさを求めず、ひたすら純粋に音楽の再現に徹していた。

むろん、いま、このような指揮者はもはや存在しないとさえいえるが、それが、現在再びコンヴィチュニーの再評価をうながす大きな理由となっているのだろう。

あえていえば、すべての演奏はコンヴィチュニーの表現を土台としてはじまる。

その客観的な妥当性と安定感の高さは、稀有のような大きな普遍性をつくり出していると考えてよいのである。

ベートーヴェンはその意味で現在も高く評価されてしかるべき演奏である。

この演奏は、かつてわが国に紹介された頃、伝統の響きと形容されたが、現在ではロマン派をくぐり抜けたところの古典主義への再帰と見るべきであろう。

ベートーヴェン演奏の様式が、オリジナル楽器の再興で大きく変化した現在、既にコンヴィチュニーの演奏のスタイルが過去のものになったといえるが、しかしながらコンヴィチュニーがゲヴァントハウス管弦楽団を駆使した芸術は、彼らの時代の証言であり、それとともにそれなりの普遍性を獲得している。

それは現在も無視し得ないもので、時代を越えて音楽そのものの本質を語ってくれるのである。

コンヴィチュニーの『ベートーヴェン交響曲・序曲全集』は、いま、その意味でかえって新鮮であるかも知れない。

これらの演奏のほとんど一分の隙もない構築性、必要最小限の表情があらゆる虚飾と添加物を取り去って、その本質を無理なく、ほとんど自然体のように表出するからである。

それはコンヴィチュニーの演奏が一見、没個性的に見えながら、実はそうではなく、確固とした音楽観を身に付けていることを証明しているとも思えるほどである。

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classicalmusic at 02:34コメント(0)ベートーヴェンコンヴィチュニー 
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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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