2020年12月31日


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はじめまして。

このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。

「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。

どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。

クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。

私はそこに焦点をおいています。

そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。

どうぞ、よろしくお願いします。

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classicalmusic at 00:00コメント(133) 

2020年07月11日


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『カルーソー、愛の歌声』と題されたこの作品はイタリア放送協会RAIによって2012年に制作され、二晩に亘って放送されたテレビ映画になる。

冒頭でもステファノ・レアーリ監督は「自由な脚色によるフィクション」と断り書きを入れているが、それは現在のカルーソーの家族に対する配慮かも知れない。

世紀のテノールと呼ばれたエンリコ・カルーソーの生涯にまつわるエピソードの殆んどが取り入れられているので、彼の伝記映画として観ることも可能だろう。

彼の人生を物語化した映画としてはマリオ・ランツァ主演の『歌劇王カルーソー』が良く知られたところだが、当作品は2部からなる229分の意欲作で、それだけきめ細かく多くの逸話が盛り込まれている。

また主役カルーソーにはテノール歌手のジャンルーカ・テッラノーヴァを起用したところにも前作のハリウッド映画に対する本家のこだわりが感じられる。

イタリア語以外の言語には翻訳されていないのが残念で、カルーソーの輝かしくも波乱に満ちた人生を知る上でも他国語の字幕スーパーを作る価値のある作品だと思う。

ただし万人向けのメロドラマとしての側面があることは否定できない。

それゆえ彼の最初の妻でソプラノ歌手だったアダ・ジャケッティの姿はかなりセンチメンタルに描かれているし、彼女の妹リーナ像については相当のファンタジーが織り込まれていると思われる。

しかしアダ役のヴァネッサ・インコントラーダの微妙な表情の変化による演技は魅力的だ。

尚劇中のカルーソーの声はテッラノーヴァ自身が歌ったものだが、この映画でも使われているSP録音のカルーソー本人の声とは似ても似つかないのはご愛嬌だ。

ナポリからは歴史的な著名人が多く輩出している。

それは音楽界でも同様で歌手ではカストラートのファリネッリ、作曲家ではドメニコ・スカルラッティ、チマローザ、レオンカヴァッロそして現在活躍中の指揮者ムーティもその一人だ。

ここでの主人公カルーソーは貧しい家庭の出身だったが、自分の才能ひとつでオペラ界の寵児となったサクセス・ストーリーが、何よりもナポリの人々に愛されているのは言うまでもない。

地元のサン・カルロ歌劇場でのデビューは失敗に終わり、彼は二度とナポリで歌わないことを決意して、その意志は生涯貫かれた。

彼はその後ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のドル箱スターになったが、晩年自分の死を悟ったかのように故郷に帰って来る。

彼の人生はそれ自体がまさにひとつのドラマだったと言えるだろう。

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classicalmusic at 14:16コメント(0)芸術に寄す 

2020年07月10日


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地中海に面した仏領アルジェリアの都市・オラン。

おびただしい数の鼠の死骸が発見され、人々は熱病に冒され始める。

ペストという「不条理な厄災」に見舞われた街で、人々はいかに生きてゆくのか。

ノーベル賞作家アルベール・カミュ(1913~60)の傑作小説『ペスト』を、現代的視点で読み解いたのが本書である。

カミュ代表作の長編小説『ペスト』は、現在私たちが立ち向かっているパンデミック、コロナウィルスへの対策と事情が酷似していることもあって、予備知識なしでも興味を持って読み進めることができる作品だ。

実際には一連の前作『カリギュラ』『異邦人』及び『シーシュポスの神話」のいわゆる不条理の三部作の後に来る作品で、『ペスト』によって彼の不条理への哲学を推し進めていくことになる。

人間である以上不条理な世界での共存は避けられない。

その中で個人がどういう人生を選ぶかの可能性がここに示されている。

つまりカミュが『ペスト』で巧みに描き出したそれぞれの登場人物にその選択肢が託されている。

このテキストを学習することで人物に託されたメッセージを探り、彼の思想のより深い部分を認識しておくことは、他の作品を読む時にも好都合だろう。

またカミュの生い立ちや人となりを知っておくことは、こうした作品群に対する理解を一層深めてくれる。

父親はカミュがまだ一歳だった頃、第一次世界大戦で戦死し、殆ど無学文盲で障碍者だった母とともに貧困の中で成長する。

『ペスト』の中で医師リウーがペストとはあなたにとってどういうものかと問われた時、彼に『果てしなき敗北です』と言わせている。

そこにはカミュ自身が体験した生まれながらの敗北者のイメージが二重写しになっている。

パヌルー神父の説教ではペストのような災厄は神からの天罰として甘んじて受け入れよと力説させているが、リウーは懐疑的だ。

この小説にはヒーローは存在しない。

親友のタルーの死を看取り、リウーは妻を失いながらも、現実を真摯に見つめてベターと思われる道を模索することでしか不条理を乗り越えることはできないと感じる。

ウィルスが変異を続ける限りワクチンが開発できないのと同様そこには特効薬はない。

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classicalmusic at 14:39コメント(0)筆者のこと 

2020年07月08日


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ウエストミンスターのリマスターUHQCD盤の1枚で、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の主体になるブラームスの2曲が収録されている。

映画『恋人たち』にも使用されたことでも知られる、若きブラームスの情熱と豊かな叙情を歌い上げる弦楽六重奏曲第1番。

イェルク・デムスを迎え、ドラマティックに歌い上げるピアノ五重奏曲。

ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団によるブラームスの内面世界を見事に描き上げた演奏だ。

この手の音源は殆どがモノラル録音であることを覚悟しなければならないが、弦楽六重奏曲第1番は1950年の録音で、やはり音色もいくらかセピア調の感が否めない。

一方ピアノ五重奏曲は1952年で、当時の技術的な改善が音質にも表れている。

いずれもノイズはごく少ないので鑑賞には差し支えない。

録音会場はウィーン・コンツェルトハウスの小ホール、モーツァルトザールで音響も悪くないが、弦楽部とピアノのバランスは必ずしも理想的とは言えない。

またピアノの音色が籠り気味で、高音部の輝かしさに不足している。

モノラルながら、もう少し分離状態が良ければさらにこの演奏の価値を高めていただろう。

この2曲にもウィーンの伝統的音楽性が横溢している。

アントン・カンパー率いるウィーン・コンツェルトハウスの繊細な音色と柔軟な歌心、そして現代ではもはや廃れてしまったロマンティックな感性は得難いものがある。

時代遅れと言ってしまえばそれまでだが、決して懐古趣味の耽美的な表現ではなく、アンサンブルに良い意味での古き良き時代のテクニックを残しつつ沈潜することなく、むしろ生気に溢れている。

若き日のウィーンの名手、イェルク・デムスのピアノには彼らの影響を受けてはいるが、よりクールな一面が新鮮な印象を与えている。

いずれにしても、まだ戦後の混乱期にあって音楽に飢えていたアーティスト達の、情熱の結晶として高く評価したい。

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classicalmusic at 12:51コメント(0)ブラームス 

2020年07月07日


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ベルリン交響楽団を離れた後のクルト・ザンデルリンク客演ライヴのひとつ。

ハイドンが1997年、ショスタコーヴィチが99年にそれぞれベルリンで録音され、ベルリン・フィルハーモニーの自主制作によってリリースされた1枚。

音質は良好で客席からの雑音もハイドン演奏終了後の拍手以外は殆んど皆無に近い。

ベルリン・フィル特有の弦楽セクションの統一感と磨き抜かれた音色、またウィンド、ブラス・セクションの余裕のある表現力などが良く捉えられている。

ライヴに付き物の若干の乱れはあるものの、全体的に見れば彼らの実力が発揮された充実した演奏内容になっている。

このディスクにはハイドンの交響曲第82番ハ長調『熊』及びショスタコーヴィチの最後の交響曲第15番の2曲が収録されている。

どちらもザンデルリンクが繰り返し演奏して切磋琢磨した作品だけに、その安定感と確信に満ちた表現が彼の晩年のスタイルを良く表している。

ハイドンではベルリン・フィルの洗練されたテクニックがザンデルリンクによって手際よく纏められている。

ハイドンが最後の交響曲まで第3楽章にメヌエットを置くウィーンのスタイルを捨てなかったように、古典派の音楽から少しも逸脱することのない、しっかりした形式と構成感を示しながら、終楽章では凛としたクライマックスを形成している。

こうした作曲家の様式に対する拘りもザンデルリンクの知的なアプローチによって磐石に示されているところが秀逸。

後者は剽窃の交響曲とも言えるくらい、至るところにショスタコーヴィチ自身や他の作曲家の作品のモチーフが一見何の脈絡もなく使われていて、晩年の作曲家の遊び心とも思える自由闊達な作法に驚かされる。

ショスタコーヴィチと直接交流があったザンデルリンクだけに彼の解釈も、そうしたバーチャルな開放感を自在に描いている。

それは作曲家が抑圧された人生の最後の交響曲で初めて成し得た試みなのかも知れない。

ここでも全楽章を通じて首席奏者達のソロとアンサンブルが聴きどころだが、特にパーカッション群による神秘的な緊張感の中に終えるコーダは象徴的だ。

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classicalmusic at 12:17コメント(0)ザンデルリンクショスタコーヴィチ 

2020年06月29日


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ブルーレイ・オーディオとしての音質改善への期待が大き過ぎたためか、思ったほどではなかった。

デッカの音源自体に劣化が生じているのかも知れない。

確かに全体の音像も細密画的になり解像度も向上しているが、ウィーン・フィルのおおらかな空気感が少しばかり後退して、例えばオーボエの音色がやや鋭く痩せたように聴こえる。

マスターの保存状態やその消耗によっても変わってしまうだろうが、最近聴き込んでいる同時代のスプラフォン音源の方が優っているものが多い。

演奏内容については既に過去に投稿した名演なので今更云々しないことにする。

尚このディスクでは同音源の3種類のリマスタリングを聴き比べることが可能だが、それらの中での大差は感じられなかった。

このディスクの場合これまでSACDを始めとするさまざまなバージョンでリリースされてきた。

今回は粗製乱造とまでは言わないがブルーレイ・オーディオ化する場合先ず音源の吟味は必須だろう。

LP盤やレギュラー・フォーマットのCDと大差ない音質しか確保できないのであれば、改めてブルーレイでリニューアルする必然性はない。

廉価盤にしたのはそうした理由かも知れない。

理想的には最初からDSD録音された専用の音源から制作することが求められるので、このブルックナーのような歴史的名演は音質の改善という点に関しては当たり外れがあることも念頭に置かなければならないだろう。

1973年11月にウィーン・ゾフィエンザールで行われたセッション録音で、大編成のオーケストラの収容能力には限界があるムジークフェラインに代わって、デッカがその録音に頻繁に使ったプールの上に板を渡した仮設舞台でしかないが、音響空間が広いためか意外にもブルックナーなどの豊麗なサウンドを拾わなければならないレコーディングには向いていた。

このために全楽器が鳴り響くクライマックスではひとつの音塊になることが避けられて音の進展も良好だ。

また二手に分かれたブラス・セクションも力技ではなく、あくまでも音楽の推進力が伝わってくる録音であることも確かだ。

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classicalmusic at 14:09コメント(0) 

2020年06月25日


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ペストの蔓延によって完全にロックダウンされたアルジェリア、オランの街に閉じ込められた人々の閉塞感と、暗中模索の中で地道な治療活動で対応せざるを得ない医師リウー達の苦悩、そして殆ど偶然に疫病の終焉を迎える時の彼らの心境が、現代のコロナ禍に生きる私達にも共有できるだけに感動的な作品だ。

彼らは保健隊という独自の救助班を打ち立て、日ごとに猛威を振るい始めたペストの感染者やその家族の隔離、血清の開発や患者への治療や手術だけでなく厳密な統計を取る。

これもまさに現在必要不可欠な対策であり、状況は何一つ変わっていないが、疫病の名称やデータの公表を渋る上層部の方針は、どこぞの国の政府の政策と皮肉にも酷似している。

オランの街からペストが去りつつあったある日の夜に、リウーと親友タルーは仕事の後、海へ向かい、無言で海水浴をするシーンが印象的に描かれている。

それは2人にとって束の間の平穏であったが、リウーの後ろ姿にはカミュの言う永遠の敗北者の影が付きまとっている。

やがてタルーもペストの最後の犠牲者の1人になってしまうし、リウーには療養先から妻の訃報が知らされる。

この物語には若い記者ランベールの心境の変化が重要なアクセントを与えている。

彼はオランに仕事で訪れたが、都市封鎖によってパリにいる彼女のもとへ帰れなくなってしまう。

最初はどんな手立てを使ってでも街からの脱出を試みようとするが、ようやく金で買収した兵隊が都市の門を開けてくれるという日に、ランベールは街に留まることを決意し保健隊に入って救助活動を始める。

その他にもある少年の無惨な死を目の当たりにして揺れ動くパヌルー神父の宗教観や、ペストが過ぎ去った後、人々が再び街に繰り出して歓喜の声を上げている中で、発狂してしまう犯罪者コタールなど登場人物1人1人に語らせるカミュの文学的手腕は圧巻だ。

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classicalmusic at 22:56コメント(0)筆者のこと 

2020年06月23日


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ブルーレイ・オーディオ・ディスクが目当てで買ったものだが、音質の良さに改めて感心した。

録音は1959年にウィーン・ムジークフェラインのブラームス・ザールで行われているが、残響は多過ぎず潤いのある両者の明瞭な音色が程よいバランスで捉えられている。

幸い音源の保存状態も完璧でヒス・ノイズも殆ど聞こえない。

できればCDとの抱き合わせではなくブルーレイ単独でリリースして欲しかった。

シュナイダーハンはかつてのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリニストで、時代で言えばワルツやポルカで大衆的な人気を博したボスコフスキーの一代前のコンサートマスターだった。

シュナイダーハンもやはり生粋のウィーンっ子で、彼らに共通する伝統的なウィーン流の奏法がこのディスクでも堪能できる。

確かにスリルや緊張感にみなぎる演奏ではないが、力みが全くなく流麗で屈託のない解釈と洗練された音色で歌い上げるメロディー、特に第5番ヘ長調『春』などで彼の力量が最高度に発揮されている。

一方でまた第9番イ長調『クロイツェル』では迫力よりも風格で優っていて、戦闘的な表現は一切避けながら堂々たる演奏スタイルを披露している。

ピアニスト、カール・ゼーマンは当時のドイツを代表するソリストだっただけあって、いわゆる伴奏者にとどまらず自分自身の主張も通しながら柔軟かつきめ細かいデュエットを協演していて好感が持てる。

シュナイダーハンはカール・リヒターとバッハの6曲のヴァイオリン・ソナタ集も録音していた。

こちらも数年前にカール・リヒターのセットに組み込まれていたが、こちらも名演の名に恥じない演奏で、個人的にはコーガンとのものより趣味に合っている。

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classicalmusic at 16:28コメント(0)ベートーヴェン 

2020年06月21日


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2013年ドイツ・グラモフォンからリリースされたウィーン・フィル・エディション50枚組を上回る65枚組セット。

録音年代もデッカがウィーン・フィルと契約した直後の1951年から96年にかけての、どちらかというと歴史的名録音が多いのも特徴だ。

音質的にはむしろグラモフォンに優るデッカが誇った高音質がセールス・ポイントで、居並ぶ名指揮者の下で最も彼ららしい演奏とそのサウンドを堪能できる。

交響曲や大規模な管弦楽曲に関しては既に名盤の誉れに輝くものばかりだが、中でもブルックナーは第1番(1866年リンツ稿)アバド、第2番(1872年ハース版)及び第6番ホルスト・シュタイン、第3番(1889年ノヴァーク版)と第4番ベーム、第5番(ノヴァーク版)マゼール、第7番、第8番(1890年ノヴァーク版)ショルティ、第9番メータという壮観な顔ぶれだ。

現在手に入りにくくなった音源としてはCD6のモーツァルト協奏曲集が貴重だ。

1962年のセッションだが若き日のアルフレート・プリンツによるクラリネット協奏曲及びヴェルナー・トリップのフルートとフーベルト・イェリネクのハープでのフルートとハープのための協奏曲は、ウィーンの奏者でなければ出せない情緒と感性に満たされている。

彼らは後にベームとも再録音しているが、このミュンヒンガーとの協演もその精緻さと柔軟性に若々しさが加わって捨て難い魅力を持っている。

またウィーン・フィルの独壇場になるJ・シュトラウスの演奏はCD45からの一連のいわゆる軽音楽に注目すべきものがある。

クレメンス・クラウス指揮の『ニュー・イヤー・コンサート』は1951年のモノラル録音だが、ポルタメントをかけた弦楽器特有の歌心やワルツの二拍目を先取りする独特のリズム感は、現在であればあざとい奏法になってしまうところをごく自然に、さりげなくやりのけている。

それは彼らが伝統的に体得している感性に他ならないからだろう。

続くウィリー・ボスコフスキーの軽快でいくらか享楽的なウィーン趣味の演奏もひとつの典型だ。

彼らがベルリン・フィルやコンセルトヘボウと決定的に異なるところは、ウィーン・フィルがオペラの上演団体から成り立っていることで、シーズン中はシュターツオーパーのオーケストラ・ピットに入るのが本業なので、楽員であれば否応なく歌に合わせバレエに親しむことが要求される。

これが彼ら独自の音楽観を形成させているひとつの要因に違いない。

更にウィンナー・ホルンに代表されるような古いスタイルの楽器へのこだわりが相俟ってその演奏と音色に反映されていることは確実だ。

ライナー・ノーツの後半に日本語全訳が付けられているのも親切な配慮だ。

尤も日本人のウィーン・フィル・ファンをターゲットにした商法なのかもしれないのだが。

これは読み物としても面白いが、特にポール・モズリーとレイモンド・マッギルによるエッセイにこのセットの聴きどころ総てと指揮者達についての短いコメントが書かれている。

これを読むとウィーン・フィルの体質が良くも悪くも保守的であったことが理解できる。

ごく近年まで女性プレイヤーの入団を受け入れなかったのもそのひとつだし、彼らは新しい作品には常に懐疑的で、自分達より音楽を知らない(と彼らが思う)若い指揮者の登用には難渋を示したとある。

指揮者とオケの対立や録音時間捻出の問題で、デッカのプロデューサーと技術チームがたびたび振り回されたというのも無理のないことだろうが、一方でその頑固さが彼ら独自の音楽とトーンを保ってきた理由なのかも知れない。

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classicalmusic at 13:49コメント(0)ブルックナーシュトラウス 
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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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