2018年12月31日


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はじめまして。

このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。

「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。

どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。

クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。

私はそこに焦点をおいています。

そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。

どうぞ、よろしくお願いします。

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2017年08月07日


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現役の指揮者でイタリア・オペラの発展的上演に誰よりも精力的に取り組んできたのがリッカルド・ムーティであることは間違いない。

アバドの後を継いでスカラ座の芸術監督に就任して以来、彼は過去の上演で歌手や指揮者達が恣意的に作り上げた、ストーリーと乖離した慣習的歌唱やそれを助長した演奏によって歪められてしまった作品の姿に疑問を投げかけ、独自の原典主義を掲げて作曲家自身が本来望んでいたであろうオペラの姿に戻す作業を容赦なく敢行した。

ムーティにとって声の饗宴はあくまでも舞台を盛り上げるエレメントに過ぎず、それ自体を目的とする上演に彼は背を向けた。

歌手の抜擢にも彼の構想を実現でき得る自分の持ち駒として、また演出家の要望に忠実に応えられる人材が重要視されている。

こうした理由でムーティと衝突した関係者も少なくない筈だ。

しかしそれによってスター歌手の声の競い合いが優先されていたイタリア・オペラの姿は一新され、更にそれが現在のあらゆるオペラの上演のスタンスとして定着したことへの功績は大きい。

奇しくも1813年に生まれた舞台音楽の2人の巨星がワーグナーとヴェルディで、ムーティ自身ボーナスDVDの中でも力説しているが、前者が常に人智を超えた神々の世界と人との関わりを描いたのに対して、後者は徹底して人間の喜怒哀楽や愛の葛藤を表現した。

ヴェルディはそのために声の持つ可能性を極限まで追究して伝統的なイタリア・オペラを究極的なドラマに高めたと言っても過言ではないだろう。

彼のオペラは決して革新的なものではなく、ワーグナーが止めてしまった番号制オペラを執拗に踏襲し、カヴァティーナ、カヴァレッタ、重唱、幕切れのコーラスを伴うアンサンブル・フィナーレというスタイリッシュな進行が特徴だが、観衆は場面ごとに巧妙に用意された声の饗宴を堪能できるように作られている。

幸い上記のアマゾンのページのイメージ欄に、セットに収録された全11曲のオペラの題名が印刷されたボックス裏面の写真が掲載されているので参考にされたい。

オペラ以外では『レクイエム』と『聖歌詩篇』が加わり、EMI時代にムーティが構想したヴェルディの作品への解釈が俯瞰できる。

尚ボーナスDVDはシカゴ交響楽団との『レクイエム』、ローマ・オペラ座の芸術監督時代に上演した『アッティラ』と『マクベス』のリハーサル風景、ローマ大学でのピアノを弾きながらの講義、パルマでの講演会とインタビューを繋ぎ合わせた構成だ。

ここで彼はヴェルディのドラマに対する洞察力の鋭さ、音楽の高貴さや周到さなどを声楽家は勿論器楽奏者へのメッセージとしてかなり事細かに、しかし常にユーモアを交えながら語っている。

サブタイトルは英、伊、独、仏語の他に日本語が選択できる。

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classicalmusic at 00:38コメント(0)ヴェルディムーティ 

2017年08月05日


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作曲家スメタナはこの連作交響詩『わが祖国』をチェコの首都プラハに捧げている。

歴史的に外部からの度重なる苦難を強いられ、そして奇しくもこの曲が作曲された後の時代にも、更に国家的な危機を迎えなければならなかったチェコの民衆の愛国心を鼓舞し続けた、まさにチェコの象徴とも言える作品だ。

この演奏は1975年にプラハのルドルフィヌム、ドヴォルザーク・ホールで録音されたもので、ヴァーツラフ・ノイマン&チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のコンビの底力を見せたセッションとしても高く評価したい。

ノイマンは冷静なアプローチの中に緻密なオーケストレーションを再現し、しっかりした曲の造形を示している。

テンポの取り方も中庸をわきまえた、ごく正統的な解釈を貫いているところに本家の強みを思い知らされる。

ここでもチェコ・フィルは弦のしなやかな響きと管、打楽器の機動性が相俟って鮮烈な情景描写を表出している。

チェコ勢以外の演奏者の場合、こうした曲にはかえって厚化粧を試みて、シンプルな美しさと新鮮さを失ってしまう可能性が無きにしも非ずだ。

この曲を祖国への滾るような想いを秘めて演奏したのはカレル・アンチェルで、1968年のプラハの春音楽祭のオープニングで彼が亡命直前にチェコ・フィルを指揮したライヴのDVD及びCDの双方がリリースされている。

アンチェルの後を継いで同オーケストラの主席指揮者として返り咲いたのが、当時ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督だったノイマンで、彼はラファエル・クーベリック亡命後の一時期、常任指揮者としてチェコ・フィルを委ねられていた。

そしてアンチェル亡命後もソヴィエトの軍事介入を受けながらオーケストラを守り抜いて彼らの全盛期を築き上げた功績は無視できない。

ライナー・ノーツは10ページほどで英、独、仏及びチェコ語で作品と指揮者について簡単な解説付。

音質は鮮明で、欲を言えばもう少し低音が欲しいところだが、この時代のものとしては極めて良好だ。

尚この録音は1975年の日本コロムビア・ゴールデン・ディスク賞を受賞している。

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classicalmusic at 00:13コメント(0)スメタナノイマン 

2017年08月03日


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ギーゼキングの演奏の価値はバッハの鍵盤楽器用作品をピアノで演奏するための普遍的な奏法を開拓していることである。

当時のピアニストがバッハのチェンバロ曲を体系的にレパートリーにすることは少なく、コンサートやレコーディングでも積極的にバッハを採り上げることが一般的でなかった時代に、彼がこれだけの充実した演奏集を遺してくれたことは驚異的でさえある。

ちなみに彼と同時代にはエトヴィン・フィッシャー、バックハウス、ケンプ、アラウ、ホロヴィッツやルービンシュタイン等が活躍していた。

しかしながらフィッシャー以外はごく単発的にバッハを演奏するか、あるいは全く無視するという程度で、バッハの作品に造詣が深く、またコラールの編曲でも知られたケンプでさえ、それらはあくまで演奏会のアンコール用に用意されたものでプログラムのメインになることはなかった。

バッハの音楽はあらゆるタイプのアレンジが可能だが、ライナー・ノーツでもギーゼキングは同時代の著名なピアニスト達がバッハのオリジナル・ピースよりも、リストやブゾーニによって大幅に手が加えられた編曲物を好んで演奏していたことに批判的だ。

彼は既にそれらが本筋から逸れた際物でしかないことを見抜いている。

そこではバッハをピアノで弾くための秘訣が語られているが、それが現在バッハ演奏の基本的な奏法として定着していることをみても、彼が如何にバッハの作品の再現に先見の明を持っていたかが理解できる。

当時はその後に校訂される正規の原典版がまだなかった時代なので、細部での音符や装飾音の相違が聴かれるが、それらは当然許容範囲とすべきだろう。

彼は表現上の感情移入についてもかなりの抑制を要求しているし、チェンバロには存在しない保音ペダル使用についても極めて限定的に考えていて、声部を保つためには指で鍵盤を押さえ続けることが基本であることを説いている。

このセットに収録された作品集の総てが1950年の放送用音源だが、こうした演奏活動がその直後の1952年のロザリン・テューレックの平均律全曲録音にも繋がっていくし、グレン・グールドの登場によってバッハのチェンバロ用作品のピアノ演奏は不動の地位を獲得したと言えるだろう。

グールドはテューレックから影響を受けたとされるが、これら一連のギーゼキングの録音を聴いていたことが想像されるし、実際多くの部分でそう思える箇所が指摘し得る。

ギーゼキングの演奏はそうしたパイオニア的な意味を持つだけでなく、現在の私達が鑑賞しても全く古臭さを感じさせない現代的センスが示されている。

イギリス組曲及びフランス組曲の12曲を含んでいないのが残念だが、それらに関しては音源が残されていないのだろう。

音質は時代相応といったところで格別優れたものでないことは断わっておく必要があるが、破綻はなくリマスタリング効果もあって鑑賞に不都合はない。

36ページのライナー・ノーツには既に紹介したギーゼキング自身が1949年に書いた『コンサート・グランドによるバッハの表現』と題された興味深いエッセイが掲載されている。

尚最後にボーナス・トラックとしてフルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルとの協演になる1942年のライヴでシューマンのピアノ協奏曲が収録されている。

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classicalmusic at 00:50コメント(0)バッハギーゼキング 

2017年08月01日


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巨匠リヒテルの弾くバッハはどの作品も骨太で安定感のあるしっかりした音楽構成を聴かせてくれる。

また彼特有の変化に富んだ多彩なピアニズムが美しいだけでなく、常にオリジナリティーに富んだアイデアを提示している。

中でも彼の奏法の頂点を示しているのが『平均律』だろうが、その後も次々と新しいレパートリーを開拓して晩年のコンサートでも彼はしばしばバッハをプログラムに組み込んだ。

この曲集でもレガート、スタッカートの使い分けやその組み合わせが巧みで、広いダイナミクスと共に舞曲ごとに新鮮な響きを試みている。

例えば『フランス組曲』第4番変ホ長調で、彼はプレリュード付のBWV815aを演奏しているが、短いプレリュードの流れるような静謐さとそれを打ち破るフーガの対比が極めて美しく、一貫するアーティキュレーションの安定感は、比類のないものだ。

また最後に於かれた『ファンタジアト短調』では、その疾風怒濤的な曲想から往々にして激情的に表現されがちな曲に、敢えて誇張を避けた意外にも格調高い音楽性を引き出してみせたところが如何にも彼らしい。

全曲を通じ、リヒテルの演奏ぶりにはポリフォニー音楽に対する高いセンスが示され、気負いのない穏やかさの中に、言い知れぬ精神の明るさと豊かさを実感させるが、これほど深い充足感をもたらす、完璧に美しいバッハ演奏は世に稀だろう。

このシリーズにしては珍しくライナー・ノーツの最後に信憑性のある録音データが記されている。

正確を期すために個人的に調べてみたが、いずれもフィリップス音源の1991年のドイツでのライヴ録音で、3曲の『イギリス組曲』が3月5日ローランドゼックにて、3曲の『フランス組曲』が3月7日及び10日にボンで開かれたコンサートから、そして2曲の『トッカータ』と『ファンタジア』が11月8日にノイマークトで収録されている。

拍手や客席の雑音が若干入っているが全体的に音質は良好なデジタル録音だ。

リヒテルの没後10周年記念として2007年にデッカからリリースされたザ・マスター・シリーズの中でバッハの作品集は、この第8巻の2枚と、第9巻のショパンの作品集とカップリングされた1枚の計3枚分が当てられている。

総てがライヴ録音で、ライヴに賭けた彼の情熱とその真摯な姿勢が良く表れているが、このシリーズもリミテッド・エディションで既に製造中止になっているため、ナンバーによっては入手困難な状態であるのが残念だ。

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classicalmusic at 00:27コメント(0)バッハリヒテル 

2017年07月30日


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フィリップスのライヴ音源から蒐集されたCD2枚分のモーツァルト作品集で、リヒテルはあるインタビューの中で語っているが、古典派の作曲家の中ではモーツァルトよりハイドンを好んで取り上げた。

それはコンサートのプログラムに組み入れる曲目としてはハイドンの方がまだ開拓の余地が残されていて、よりフレッシュな感覚で弾くことができたからだろう。

彼にはピアニストであれば誰でも演奏する曲は避ける傾向にあったことも疑いない事実だ。

しかし彼のディスコグラフィーを見ると皮肉にもモーツァルトの方が圧倒的にハイドンを凌駕している。

意外にも珍しいリヒテルのモーツァルトの第一印象は、極めてフランクな演奏だということで、興に乗っていく様がよくわかる。

そして彼が1度モーツァルトを演奏すると、やはり他のピアニストとは異なったリヒテル特有の創意工夫や表現があり、決してモーツァルトを敬遠していたわけではないことが理解できる。

幸いこのセットでは異なったピリオドに収録された5曲のソナタと『ファンタジア』ハ短調を巨匠の巧みな解釈で鑑賞することができる。

何よりも聴きものはソナタヘ長調K.280で、単純な譜面から何と豊かな表現を取り出すことか。

第1楽章のしっかりした構成感と対照的なテンポを落として深みのある抒情を歌い上げる第2楽章、そして終楽章の小気味良く洗練されたテクニカルなピアニズムは、リヒテルの大曲を聴いたことのある人には意外に思われるほど、むやみにスケールを大きくしたり、尊大になることのない真摯で控えめな演奏だ。

しかもそれは、全てが自発性に満ちた表情を湛え、リヒテルならではの味わい深いモーツァルトである。

またソナタ変ロ長調K.333には常套的なサロン風の洒落っ気はそれほど感じられないが、気品を湛えた自然な表現が美しい。

またもうひとつのヘ長調のソナタK.533では考え抜かれた音色の扱いと愛らしさが聴きどころだろう。

2曲のハ短調の作品はリヒテル晩年の瞑想的で、しかもオーケストラを髣髴とさせるドラマティックな奏法の腕が冴えた、全曲中でも最も聴き応えのある作品に仕上がっている。

かっちりと、玲瓏と、誰しもそう弾きたいと望むところを楽々と実現してゆくかのようなリヒテルの力量が伝わる、大変冴えた演奏である。

リヒテルは技術的に完璧なセッションを残すことより、聴衆の前で演奏するライヴに賭けた潔い音楽家だった。

こうした彼の姿勢はその他の多くの演奏家の安易な録音に対する警鐘でもあり、音楽鑑賞のあり方についても示唆的だ。

このCDではライヴ特有の客席の若干の雑音や拍手が入っているが、音質は極めて良好だ。

尚このシリーズの欠点は録音データが不正確なことで、ここに個人的に調べた音源を記しておきたい。

1枚目の3曲、ソナタヘ長調K.280、同変ロ長調K.333及び同ト長調K.283はいずれもザルツブルクで1966年1月28日及び30日、2枚目のソナタヘ長調K.533/494はイタリアのコモで1989年2月10日、『ファンタジア』ハ短調K.475とソナタハ短調K.457はシュトゥットガルトのルートヴィヒスブルクで1991年10月15日のそれぞれのライヴから収録されている。

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classicalmusic at 00:01コメント(0)モーツァルトリヒテル 

2017年07月28日


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セラフィンは中庸という観念からは決して逸脱しない鷹揚なテンポ設定で、小細工をせずに本筋のカンタービレを充分に聴かせながら、次第にスペクタクルなクライマックスを創り上げる、まさにイタリア・オペラ指揮者の鏡のような指揮ぶりが堪能できるアルバムだ。

オーケストラを自在に歌わせ、一方で音楽の起承転結を絶妙にわきまえた老練な手法で聴衆を煽り立てて、弥が上にも場面を盛り上げるような効果的なクレッシェンドやアッチェレランドの術を心得ていた指揮者だった。

それらは単純明快な声の饗宴とも言えるイタリア・オペラでは演奏上の要でもあるが、彼の采配には単なる職人技ではない、殆んど奥義を究めたとも思える巧みなテクニックが感じられる。

セラフィンが多くのスター歌手達を起用して上演したローマ・オペラ座の黄金期は事実上1950年代から60年代にかけてで、それは幸福にもこの序曲集が録音された時期と重なっている。

ロッシーニの序曲では曲中に必ずと言っていいほど管楽器のソロがちりばめられている。

時としてかなりのテクニックを必要とするパッセージが容赦なく現われて、追い討ちをかけるような執拗なクレッシェンドが舞台の緞帳を上げる前に聴衆の気分を高揚させるひとつの聴かせどころであるだけでなく、演奏するオーケストラのメンバーやアンサンブルの技術的な実力が露呈されてしまうという、彼らにとっては決して予断を許さないレパートリーでもある。

ムーティによって頂点を迎えた数年前に比べれば、当時のローマ歌劇場管弦楽団のパートごとの個人的な技術レベルがそれほど高くなかったことは事実で、それはこの序曲集にも現われていることは否定できない。

しかし一見明るく明け透けな開放感の中に、セラフィンによって引き出された豊かな音楽性と軽快な輝かしさ、劇場感覚に密着した融通性などはそれを補って余りある演奏効果を上げている。

1964年にドイツ・グラモフォンからLPでリリースされた音源で、後にCD化されたものの既に久しく製造中止になっている名盤のひとつだ。

このCDは英カルーセル・レーベルからのリイシュー廉価盤なので多くは望めないが、LPに収録されていた『セヴィリアの理髪師』第2幕第2場の2分余りの間奏曲「嵐の音楽」が何故か抜けている。

ただし録音状態に関してはこの時代のものとしてはかなり優れているし、リマスタリングも充分満足のいく仕上がりだ。

1963年10月4日から7日にかけてグラモフォンのプロデューサー、ハンス・ヴェーバー及びレコーディング・エンジニアのギュンター・ヘアマンスが当時ローマ市内にあったRCAイタリアーナのレコーディング・スタジオAで収録したもので、音質が鮮明で分離状態も極めて良好なステレオ録音になる。

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classicalmusic at 00:49コメント(0)ロッシーニセラフィン 

2017年07月26日


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本盤に収められたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、ケンプが2度にわたってスタジオ録音した全集のうち、1960年代半ばに行った2度目のステレオによるものであるが、いずれの楽曲も素晴らしい名演と高く評価したい。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は現在でもかなり数多く存在しており、とりわけテクニックなどにおいては本全集よりも優れたものが多数あると言えるが、現在においても、本全集の価値はいささかも色褪せていないと考える。

本全集におけるケンプのピアノは、いささかも奇を衒うことがない誠実そのものと言える。

ドイツ人ピアニストならではの重厚さも健在であり、全体の造型は極めて堅固である。

また、これらの楽曲を熟知していることに去来する安定感には抜群のものがあり、その穏やかな語り口は朴訥ささえ感じさせるほどだ。

しかしながら、一聴すると何でもないような演奏の各フレーズの端々から漂ってくる滋味に溢れる温かみには抗し難い魅力があると言えるところであり、これは人生の辛酸を舐め尽くした巨匠ケンプだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。

同時代に活躍していた同じドイツ人ピアニストとしてバックハウスが存在し、かつては我が国でも両者の演奏の優劣についての論争が繰り広げられたものであった。

現在では、とある影響力の大きい某音楽評論家による酷評によって、ケンプの演奏はバックハウスを引き合いに著しく貶められているところである。

確かに、某音楽評論家が激賞するバックハウスによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集についてはいずれの楽曲も素晴らしい名演であり、筆者としてもたまに聴くと深い感動を覚えるのであるが、体調が悪いとあのような峻厳な演奏に聴き疲れすることがあるのも事実である。

これに対して、ケンプの演奏にはそのようなことはなく、どのような体調であっても、安心して音楽そのものの魅力を味わうことができる。

筆者としては、ケンプの滋味豊かな演奏を聴衆への媚びと決めつけ、厳しさだけが芸術を体現するという某音楽評論家の偏向的な見解には到底賛成し兼ねるところである。

ケンプによる名演もバックハウスによる名演もそれぞれに違った魅力があると言えるところであり、両者の演奏に優劣を付けること自体がナンセンスと考えるものである。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、数年前に発売された、本全集から有名な4曲を抜粋したSHM−CD盤が現時点ではベストの音質であると考えられる。

しかしながら、当該SHM−CD盤は現在入手難であり、4曲以外のピアノ・ソナタについてはSHM−CD化すらされていないという嘆かわしい現状にある。

いずれのピアノ・ソナタもケンプならではの素晴らしい名演でもあり、今後は本全集についてSHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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