2010年12月31日
ようこそ!「クラシック音楽ぶった斬り」へ
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はじめまして。
このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。
「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。
どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。
クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。
私はそこに焦点をおいています。
そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。
掲示板も設置しましたので、お気軽に投稿下さい。クラシック音楽に関するご質問もわかりうる範囲でお答えします。
どうぞ、よろしくお願いします。
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2008年07月24日
ブーレーズのドビュッシー(新盤)
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ドビュッシーの作品が、これほどまでの美しさと生きた音楽としての輝きをもって再現されたことは、前例がない。
ドビュッシーについて語られがちな繊細さや香りの豊かさ以前に、ここには生命の讃歌として音楽があり、内側からあふれ出る熱い情感と、その波打つ起伏の美しさに驚く演奏なのである。
ブーレーズは確かに1960年代から傑出した演奏を聴かせてきたし、そのあらゆる場面で楽譜の裏側まで見せるかのような明晰で、時に怜悧なまでに磨き抜かれた表現を堪能させてきた。
しかし、1990年代になってからはそうした客観性に人間的息づかいと表情が加味されるようになり、明らかに作品をとらえる視線に温かさがプラスされてきた。
音楽がいい意味でふくらみ始めてきたのである。
このドビュッシー録音はその証しであり、作品の手法の鮮やかさとともに、作曲者の素顔や心の状態にまでふれあうことを可能とするかのような人間的感動がある。
それは傑出した指揮者とオーケストラのみが作り出し得る一種の魔法の瞬間であり、媚薬にも似た音楽が聴き手を鳴り響く音楽のもう一つ奥の世界へと誘う演奏なのである。
クリーヴランド管弦楽団が精妙にして華麗なサウンドを聴かせている点も素晴らしい。単に技術やアンサンブルが優れているだけでなく、ブーレーズの意図を咀嚼した上での自発性を誇る演奏であり、ドビュッシーがひとまわり大きくなって蘇る、そんなスリリングな感動に浸らせてくれる。
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2008年07月23日
マーラーの音楽の表現するもの
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マーラーが登場した19世紀後半の音楽史は、ワーグナーの「総合芸術」すなわち劇と音楽を一体に結びつけた「楽劇」が絶大な旋風を巻き起こし、一方純粋器楽を代表する交響曲においては、ブラームスとブルックナーがそれぞれのやり方で交響曲に新たな可能性を切り開いた。
当時ウィーンでワーグナー対ブラームスという美学論争が起こったが、マーラーはこの相反する芸術理念を交響曲という枠組みの中で止揚し総合して、ロマン派交響曲を最終的な到達点まで推し進めた。
「私にとって交響曲を作曲することは、あらゆる可能な技術的手段を用いて、すべてを包含する一つの世界を打ち立てることを意味する。」
ここでマーラーが言う「世界」とは、当然のことながら旧来の方法論だけで表現するのは困難で、マーラーはさまざまなレトリックを駆使して作曲に挑んだ。
一つの交響曲の中に聖なるものと俗悪なもの、素朴なものと精巧なもの、悲劇的なものとグロテスクなものなど、矛盾し対立する要素が同居しているのは、すべてを内包すべく奮闘した結果なのである。
またマーラーの音楽にはユダヤ人という出自と、不幸な生活環境に由来する厭世思想と死生観が一貫している。
彼の創作活動はまさに人間苦の苦悶そのもの、より高い精神に向かって昇る道程であり、享楽的な側面は微塵もなかった。
ドイツの思想家アドルノが、マーラーを「ベートーヴェン以来、最も形而上学的な作曲家」と位置付けたゆえんである。
以上のようにマーラーの芸術は理解されるまでに長い時間を要したが、作曲技法的にも20世紀音楽に大きな影響を及ぼし、19世紀末の音楽史で非常に意義深い役割を果たした。
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2008年07月22日
バウムガルトナーのバッハ「管弦楽組曲」「ブランデンブルグ協奏曲」
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バウムガルトナーの演奏は全体に明るく軽快だが、構成が実にしっかりしており、しかもどの曲にもバッハの音楽に対する真摯な姿勢がはっきりと示されている。
「管弦楽組曲」は音楽の流れを大切にしながら、すっきりと精巧に仕上げ、ルツェルン音楽祭弦楽合奏団固有の明澄な響きが美しい。
ニコレのフルート・ソロともども第2番が素晴らしい。
バウムガルトナーの棒によって生命を得たこの楽器が空中を自由に泳ぎ回り、深山の涼しさを湛えた音色も極めて美しい。
他の曲も、がっしりとした骨格をもちながらよく歌う真実にあふれた豊かな音楽になっている。
第3番も第2番を凌ぐ素晴らしさだ。
第1番もまた、木管がうまい。ブルグのオーボエは特に魅力的だ。
第4番もよく練り上げられている。
「ブランデンブルグ」も指揮者と楽員たちとの息がぴったりと合った、極めて質の高い演奏である。
この「ブランデンブルグ」は数多い録音のうち、最も安心して聴ける模範的名演である。
特に第2番と第4番の2曲では、前者の純正なハーモニーとバランスの美しさ、後者のブロックフレーテの音色の魅力は忘れ難い。
整然としたアンサンブルで、しかも冷淡になっていない第3番、3人のソリストの絡み合いと香りのある音楽性が全曲にたちこめる第5番も見事だ。
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2008年07月21日
内田光子のモーツァルト:ピアノ協奏曲全集
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内田光子といえば、まずこの全集が代名詞のごとく浮かび上がる。一躍モーツァルトのスペシャリストとしての真価と国際的な名声をかち得た記念碑的なアルバムといってよいだろう。
彼女はこの録音に6年の歳月を費やしているが、ブレンデル盤の15年に比べればはるかに短く、演奏スタイルにも一貫性がある。
そのためか全集としてのまとまり、ひいては彼女の揺るぎないモーツァルト観が強く打ち出された印象となっている。
内田のモーツァルトには、鋭い感性で切り込んでいき、ついには核心を探りあてていくような直截に肌で感じられる感覚的な楽しみがある。
テイト&イギリス室内管弦楽団が、そうした彼女の"生きた"アプローチを尊重しつつ、打てば響くように反応し、さらに増幅して弾くところにいまひとつの妙所がある。
両者の蜜月時代を思わせる表裏一体化した解釈とアンサンブルは、各曲の持ち味を自然発生的に滲み出させており、それはほぼ全曲にわたってムラなく達成されているところが素晴らしい。
第20番以降の8曲は、いずれも玲瓏としたピアノの音質と、隙のない緻密な彫琢によって、それぞれの魅力を十分にしぼりとった非の打ちどころのない名演。
それに劣らず、前半の見落とされがちな作品の一つ一つからは、自然に息するように生彩に富んだ表現が浮かび上がってくる。
彼女自身の手になるカデンツァも、ケレンがなく絶妙である。
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2008年07月20日
ミケランジェリのラヴェル、ラフマニノフ/ピアノ協奏曲
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ミケランジェリ37歳時の録音。ミケランジェリが1957年にイギリスを訪れた際に録音した初のステレオ録音で、ラヴェル、ラフマニノフともにミケランジェリ唯一の録音である。
ラヴェルはまだしも、ラフマニノフは4曲中最もマイナーな第4番という奇抜な選曲。そこがいかにも奇才ミケランジェリらしくていい。
ラヴェルは、今なおハッとするような感覚をもたらしてくれる演奏で、両端楽章を完全無欠のテクニックで圧倒したかと思うと、第2楽章では絶妙のアゴーギグで揺さぶりをかけて翻弄する。
そのしたたかな表現力は単に奇を衒ったものではない。緻密で巧妙な頭脳的プレイでありながら、それをごく自然に聴こえさせてしまう至芸なのである。
冴え冴えとしたタッチの中には玄妙な味わいがあり、鋭利な音運びの中に繊細なうつろいがある。
知的で人工的な音楽でありながら、その精巧な美しさで聴き手の血を泡立たせるような魔力を、ミケランジェリのピアノは持っているのだ。
ラフマニノフにおけるヴィルトゥオジティにも感嘆させられる。一見煩雑な内容の超絶技巧曲と思われる作品が、別曲と見紛うほど理路整然と聴こえてくる。
ヴィルトゥオジティと知性、そして強烈な彼の個性を痛感させる演奏である。
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2008年07月19日
グールドのバッハ:ゴールドベルク変奏曲(1955年モノラル録音)
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グールドの墓碑には、この「ゴールドベルク変奏曲」のアリアの冒頭の3小節が刻まれているという。このバッハの名作は、それほどにグールドを象徴する音楽なのである。
彼は1955年にこの曲で衝撃的なデビューを飾り、50歳で没した1982年にも同じ曲の再録音盤を発表した。映像にもこの曲の録音を残している(81年)。
バッハがこの曲を通じて音楽のあらゆる次元を変奏として表したように、グールドの音楽表現の源泉はここに集約されているようにさえ聴こえる。
それが最初は衝撃だった極端とも思えるテンポ設定も、装飾音の風変わりな扱いも、アーティキュレーションも決して奇を衒ったり、変化のための変化としてなされたものではなく、「現代のピアノ」という本来はバッハの鍵盤楽器とは相容れない楽器を通じて、斬新で普遍的な聴くに足る演奏を模索した結果の美しい結晶だったことに気付く。
グールドは異例の幅広いレパートリーを通じて、現代ピアノにふさわしい解釈を探ってきたが、バッハにおけるこれは彼の結論だといえる。
バッハの抽象美を最大限に発揮しつつ、ここにはグールドがバッハに寄せる感嘆の念が実に切実に刻まれているのが共感を呼ぶのだ。
改めてこのデビュー盤を聴くと、最後の録音となった、あまりにも対照的なゴールドベルクの演奏も、ひとつの変奏のように思えてくる。
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