2018年12月31日


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はじめまして。

このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。

「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。

どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。

クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。

私はそこに焦点をおいています。

そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。

どうぞ、よろしくお願いします。

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2017年01月22日


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ライナーはR・シュトラウスを特に十八番と言えるレパートリーのひとつとしており、残された録音は、いずれも誉れ高く、かけがえのない名盤にほかならない。

なかでもシカゴ交響楽団との演奏は、この黄金コンビの名に恥じることがない堂々たる存在感があり、現在においても傑出した素晴らしい名演と高く評価したい。

ライナーはドレスデン国立歌劇場の音楽監督時代(1914〜21)に親交があったR・シュトラウスの主要な作品をほとんど録音している。

R・シュトラウスの様式感の特徴や独自性をまるで自分のものであるかのように巧みに把握したライナーは、シカゴ交響楽団のブレンドの良い引き締まったサウンドと精巧極まりないアンサンブルを駆使して、ほとんど非の打ちどころのない作品の再現を可能たらしめている。

ライナーの演奏は響きや表情を必要以上に磨け上げたり、華美すぎることがなく、その抑制の利いた演奏は作品の本質を深く鋭く表現していて、全く過不足がない。

尤もライナーのアプローチは、華麗なるR・シュトラウスのオーケストレーションをいかに巧みに音化するのかに主眼を置いているように思われる。

そのためには、技量が高いオーケストラが必要不可欠であり、その意味でもシカゴ交響楽団の存在は極めて大きいものであった。

鉄壁のアンサンブル、ブリリアントな金管楽器の響きなど、当時スーパー軍団として世に馳せていたシカゴ交響楽団の技量を最大限に発揮させているところであり、本演奏はまさにオーケストラ演奏の極致とも評価し得ると考えられる。

技量だけに着目すれば、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演にも比肩し得る演奏と言うことが可能であろう。

ただ、オーケストラの音色の味わい深さにおいては、この当時のシカゴ交響楽団の音色には艶やかさはあったものの、ベルリン・フィルの方に一日の長があるのではないだろうか。

また、カラヤンの指揮の方が適度に流麗なレガートを駆使するなどより官能的な味わいがあり、筆者としては、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏の方を圧倒的な音のドラマとしてより上位に置きたいと考える。

もっとも、これは非常にレベルが高い名演どうしの比較であり、本演奏の評価自体を貶めるものではないことに留意しておく必要がある。

表面上の華やかさという点では、多少割り引かれる要素があるかもしれないが、よく鍛え上げられたオーケストラから生まれる隙のない構成力、無駄なく引き締まった表現力は、この演奏に卓越した底力を与えていて、聴く度に得るところのある演奏と言えるだろう。

どの作品をとっても文句のつけようのない内容であり、座右に置いていつまでも味わいたい演奏になっているが、特にライナーがシカゴ交響楽団の音楽監督に就任して間もなく録音された『英雄の生涯』と『ツァラトゥストラ』(1954年)は、オーケストラを既に完全に掌握し、その能力を余すところなく発揮させているのに改めて驚く。

2曲とも考えられない熱気と興奮にあふれていて、楽員全員が指揮者のもとに一致結集し、うねるような気迫で歌い上げた名演で、オーケストラ音楽が男の芸術だった時代の記念碑的な録音だ。

他に先駆けてステレオ録音を開始したRCAの初期の録音の中でも、この2曲は演奏・録音ともに優れたものであり、歴史的価値も少なくない。

『エレクトラ』及び『サロメ』抜粋は、ライナーのオペラ指揮者としての手腕を確認させる、身も凍るような演奏で、作品の核心に一歩一歩にじりよっていく熱気があり、聴き手も抗し難い磁力に引き寄せられるかのようであるが、表情豊かなオーケストラ、鬼気迫る歌声を聴かせるボルクも素晴らしい。

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classicalmusic at 00:18コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスライナー 

2017年01月20日


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巨匠カラヤンが最も得意とした作曲家の1人がリヒャルト・シュトラウスであったことは疑いの余地がない。

この作曲家の音楽がオーケストレーションを極限まで駆使し、スペクタクルで絢爛たる音響効果を持っていることと、指揮者としてのカラヤンの音楽性に共通点が見出されるのは偶然ではないだろう。

カラヤンはR.シュトラウスのスコアを緻密に磨き上げ、極めて巧妙な演出で聴かせる。

しかもこうした作品の再現には高度な演奏技術とアンサンブルの熟練が要求される。

そうした条件を満たすことができたのが、彼の手兵ベルリン・フィルであったことは幸いというほかはない。

ベルリン・フィルの演奏が、世界のヴィルトゥオーゾ集団にふさわしく、きめの細かいアンサンブルで応えている。

管楽器のソロのうまいこと、弦のアンサンブルの美しいこと、このコンビはまさにR.シュトラウス演奏の第一人者と言える。

劇的な迫力といい、耽美的な美しさといい、これほどの演奏が現れると、後攻の指揮者もオーケストラもさぞ辛いに違いない。

巨匠晩年の時代、両者の関係は決して良好なものとは言えなかったが、カラヤンによって練り上げられ、醸し出されるベルリン・フィルの華麗なサウンドは少しも衰えていないし、R.シュトラウス特有の世紀末的な甘美さや映像的な音響もとりわけ魅力的だ。

スペクタキュラーな要素も加味して、彼らの演奏は緻密さにおいても、またスケールの大きさにおいても、文句の付けようもないほど、見事な出来を示しているのである。

R.シュトラウスの交響詩は本質的に、都会的な洗練味と卓越した職人芸にあるが、これはまたカラヤン&ベルリン・フィルの本質とも合致しているかのようである。

この5枚組のセットにはグラモフォンに録音された彼らの最良の記録が集大成されていて、演奏内容は勿論1969年から86年にかけて行われた当時の録音水準の高さも注目される。

このセットでは彼らがクラシック界の一世を風靡したほどの『アルプス交響曲』、『英雄の生涯』、『ティル』や『ツァラトゥストラ』のほかにも名演が目白押しだ。

例えばローター・コッホをソリストに迎えた『オーボエ協奏曲』は白眉のひとつで、真摯で鮮やかなソロと隙の無いアンサンブルでやり取りするオーケストラが聴き所だ。

また現実離れした夢想空間を巧みに表現した『ドン・キホーテ』も知的な滑稽さに満ちている。

尚ここでのチェリストは1975年のロストロポーヴィチに代わってアントニオ・メネセスが起用されている。

協奏曲的な趣きは後退しているが、カラヤンの主張はむしろ増幅される結果になった。

R.シュトラウスの楽曲に関する限り、カラヤン&ベルリン・フィルを選んでおけば、まず間違いがないというのが、結論のようである。

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2017年01月18日


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チョン・ミュンフン(1953−)が1989年から94年まで音楽監督を務めたパリ・バスティーユ管弦楽団との初録音で、ドイツ・グラモフォン(DG)へのデビュー盤(1990年10月録音)。

就任から1年半余り経過したミュンフンの実力を世界中に知らしめた記念碑的なアルバムともなった。

このコンビの実力を知るためには恰好の1枚で、ミュンフンは、パリ・オペラ座の音楽監督就任とともにオーケストラの改革に乗り出し、パリ・オペラ座管弦楽団の演奏水準を著しく引き上げ(この頃、オーボエのルールーやフルートのカンタンが首席奏者として活躍)、ほとんど生まれ変わったと言えるほどの変化を遂げ、オペラだけでなく、シンフォニックなレパートリーにも取り組んでいった。

晩年のメシアンが当時準備していた《トゥーランガリラ交響曲》の新ヴァージョンのための種々の修正を考慮に入れた改訂版に基づく演奏で(既に日本でも1994年に大野和士&東京フィルの演奏で用いられた)、作曲者立ち会いのもとの試し刷り的な録音とも言えるが、作曲家自身も絶賛し、大いに満足したと伝えられる名演である。

と言っても、ダイナミクスを細かく変更したり、書き加えた程度で、楽譜を根本的に書き換えたわけではなく、聴いてわかる大きな変更はない。

おそらく作曲家の意図をよく知っているロリオ姉妹以外のソリストに委ねられてもきちんと作品の輪郭が伝えられるよう、指示を増やしたのだろう。

それよりも全体に作曲者指示のやや速めのテンポによりきりっと全体をまとめていくミュンフンの颯爽とした指揮と、俊敏且つ機敏なオーケストラのレスポンスが生きた快演で、着実で強靭、この大曲に正面から取り組み、音楽に内在する劇性を鮮やかに表出し、実に充実した演奏を繰り広げている。

その特質は、この作品を“見えない潜在的なオペラ”として捉え、全10楽章のドラマ性を強調している点にある。

例えば第5楽章は、速めのテンポと明確なリズムによって星たちの喜びの音楽となっており、控え目な第6楽章と見事なコントラストを見せている。

豊麗なオーケストレーションゆえの重厚なヴォリューム感を楯に押しまくるタイプの演奏とは本質的に違い、各声部をバランスよく立ち上がらせ、精妙に響かせる。

楽器間のバランス、テンポ、ダイナミクスも最適で、明るい音色、精妙な響き、鮮明でこまやかな造形、それでいて、感情的なニュアンスのつけ方もきめの細かさが際立っている。

しかし、もっと凄いのは、決して濁った響きにならず、メシアンの幻想的なエロティシズムを大らかに歌い上げているところで、例えば「愛の眠りの園」などは、パリ・バスティーユ管の色彩的な響きを生かした、神秘的で艶めかしい解釈となっている。

独奏のロリオ姉妹は初演から何回となく組んできたコンビであり、初期に比べると、はるかに落ち着いた演奏と言って良いだろう。

情熱的な名演も捨て難いが、これはミュンフンの知的な解釈が光った、作曲者が思い描いた理想的な演奏として銘記すべき代表盤のひとつである。

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2017年01月16日


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ジャン・マルティノンは60代になってから精力的にフランス物の録音に取り組んだ。

それらはベルリオーズ、ドビュッシー、ラヴェル、オネゲル、デュカスなど枚挙に暇がないくらいだが、このサン=サーンス交響曲全集も同時期、つまり1970年代のセッションで、それら総てが高い水準を維持している。

マルティノン自身、彼の円熟期の総決算として自国の作品に全力を注ぎ込んでいたに違いない。

そして奇しくも彼は1976年に他界している。

彼は高度な音色のブレンド・テクニックを使ってフランス国立放送管弦楽団から暖色系の繊細な音響を引き出している。

ドイツ系の指揮者であればもっと古典的な造形美を強調するだろうが、マルティノンの感性で捉えた解釈でスコアを読み取る柔軟なアプローチが彼らの演奏に特有の軽快さを与え、曲想に推進力を持たせているのも特徴的だ。

第3番『オルガン付』でも彼は決して稀有な大音響を作り上げようとしたのではなく、音楽自体が内包するエネルギーを解放する形で力みのない、しかし華麗な音楽を描き出している。

録音状態についてだが、この時期のEMIの特徴はオフ・マイクで採るホールの残響重視の方法で、当初筆者は中音に乏しく臨場感に欠ける録音上の欠点のように思っていたし、過去のレビューでもそう書いてきた。

しかし最近になってこの執拗とも言える録音方法を採用していたバランス・エンジニア、ポール・ヴァヴァシュールの確固たる哲学であったことが理解できるようになった。

特に音の陰影やその微妙な混交を考慮して作曲されたロマン派以降のフランスの管弦楽曲では、あくまでも鮮明な音質の追究という他のレーベルとは対極的な選択をしていたのではないだろうか。

つまりそれはそれぞれの楽器の音色を鮮明に拾うことではなく、複数の楽器の音色がミックスされた効果をホールの響きとして採りいれるという意味でのことだ。

フランス人の好む趣味を自分なりに想像するならば、一切を明るみに晒してしまうような方法は、むしろ品のないやり方で受け入れられなかったのかも知れない。

少なくとも一概にEMIが技術面で他社に大きく遅れをとっていたと決め付けるわけにはいかないだろう。

サン=サーンスの初期の交響曲を聴いていると、彼がいかに熱心な古典派の信望者だったかが理解できる。

そこにはハイドン、モーツァルトそしてとりわけベートーヴェンからの影響が濃厚に聴き取れる。

しかし曲調はあくまで明るく屈託のないところがいかにもフランスの作曲家らしい。

収録曲は番号付の3曲とイ長調及びヘ長調『ウルブス・ローマ』の5曲で、未完の作品を除く総ての交響曲を網羅している。

録音は1972年〜75年で演奏は総てジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団。

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classicalmusic at 00:59コメント(0)トラックバック(0)サン=サーンスマルティノン 

2017年01月14日


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ジャン・マルティノンは晩年自国のフランス音楽の録音に精力的に取り組んだ。

中でも最も評価の高いものがこの8枚のCDに収められたドビュッシーとラヴェルのオーケストラル・ワーク集である。

EMIクラシック・バジェット・シリーズのひとつで、一応今回も限定盤になっているが、既に2002年にリリースされたものと全く同一内容の約10年ぶりのリニューアル盤になる。

またこのうち1974年に録音された4枚のドビュッシーはオランダ・ブリリアントからもライセンス・リイシュー盤としても出ているし、日本盤としては独自のリマスタリング盤やSACD仕様もあり、カスタマーの選択にもバラエティーに富んだ名盤だ。

一方1975年の録音になる4枚のラヴェルのうち、チッコリーニのソロによる『ピアノ協奏曲ト長調』及び『左手のための協奏曲』と、パールマンをソロ・ヴァイオリンに迎えた『ツィガーヌ』の3曲を除いた3枚はEMIから別途にリリースされている。

ドビュッシーとラヴェルの音楽はマルティノンより5歳ほど年上のクリュイタンスの演奏を聴き逃すわけにはいかないが、残念ながら全盛期に亡くなったクリュイタンスはラヴェルはともかくとして、ドビュッシーの作品の録音はごく僅かしか残さなかった。

それに反してマルティノンはこの2人の作曲家を充分に堪能させてくれるだけの質と量のセッションを積極的にこなした。

フランス国立放送管弦楽団とパリ管弦楽団のふたつのオーケストラも巧みに統制されていて、パリ音楽院管弦楽団のようなスタンド・プレー的な面白みは影を潜めたが、どちらもフランスのオーケストラのお家芸である柔軟で陰影に富んだ暖かい音色と機動力も備えた、現在では殆んど求められなくなってしまった独自の持ち味を残している。

この時期のマルティノンのフランス音楽に対する情熱は、幸いサン=サーンスの交響曲全集を始めとしてベルリオーズ、デュカス、イベール、オネゲルなどのオーケストラル・ワークの録音という形で実を結んだ。

録音時のバランス・エンジニアは殆んどポール・ヴァヴァシュールが担当していて、それが如何にもフランス趣味を象徴していて興味深い。

筆者はつい最近までこの録音方法はEMIの技術陣と録音機器の欠点のように思っていたが、フランスものに関しては考えを変えざるを得なくなった。

特にドビュッシーの音楽ではこうしたオフ・マイクで得られる独特の空間と、透明に醸し出され混交される色彩感にヴァヴァシュールのポリシーが体現されているように思えるからだ。

尚11ページほどのライナー・ノーツにはマルティノンのキャリアが英、独、仏語で掲載されているが、曲目と録音に関するデータはそれぞれの紙ジャケットとボックスの裏面のみに印刷されている。

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2017年01月12日


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EMI音源の協奏曲集を9枚のCDにまとめたジュリーニ生誕100周年記念アンソロジーのひとつ。

フィルハーモニア管弦楽団を指揮したヴィヴァルディの『四季』全曲が、このセットでは1955年の唯一のモノラル録音になるが、それとは別にステレオ・テスト・レコーディングとして「秋」の3つの楽章も収録されている。

英テスタメントによってリマスタリングされたジュリーニとしては際物的なレパートリーで、音質も時代相応と言ったところだが、広いダイナミクスを使った独創的でしかもスケールの大きな描写は流石と思わせる演奏だ。

このセットではまたシュタルケルをソロに迎えたボッケリーニ、ハイドン、シューマン及びサン=サーンスの4曲の協奏曲が秀逸だ。

いずれも1957年から翌58年にかけてのセッションで、同じくフィルハーモニア管弦楽団を振ったものだが、若かったシュタルケルのシンプルだが堅牢な音楽作りと爽快な超絶技巧を際立たせるジュリー二の巧妙なサポートが聴きどころだ。

これらは手に入りにくくなっていた録音なのでバジェット盤での復活を評価したい。

尚サン=サーンスの同協奏曲は7枚目にロストロポーヴィチのソロでロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と1977年に再録音したものも含まれている。

同様にブラームスのピアノ協奏曲第1番に関してはクラウディオ・アラウ、フィルハーモニア管弦楽団(1960年)とワイセンベルク、ロンドン交響楽団(1972年)の2種類のセッションが収められている。

シュタルケルの剛毅で正確無比、ロストロポーヴィチの柔軟で多彩な奏法を駆使したソロ、アラウの骨太で彫りの深い解釈、ワイセンベルクの陰影に富む華麗なピアニズムと、それぞれの演奏家の聴き比べをするのも一興だ。

ミルシテインとのプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番は、ソロ・ヴァイオリンの高潔とも言える透明感のある音色を活かした、滑らかなレガート奏法が全曲を通じて堪能できる優れた演奏だ。

エスニカルで原始的なパワーを聴かせる部分でも力で押しまくるのではなく、あくまでも楽想表現としての態勢を崩さないミルシテインのテクニックには敬服させられる。

またそれを支えるジュリー二のきめ細かな指示によって作り出される精緻で、極めて機智に富んだフィルハーモニア管弦楽団の音響の面白さも特筆される。

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2017年01月10日


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クラシック音楽ファンにはお馴染みの稀代の音楽評論家、黒田恭一氏がカラヤン、バーンスタイン、カルロス・クライバーからマイルス・デイビス、ピアソラまで、35名のアーティストとひとつのアンサンブルに礼状を書くという想定で綴られたエッセイ集で、それが取りも直さず音楽への礼状としてまとめられている。

同氏の著書の中でも彼の人柄の温かさと、それぞれの人を見極める鋭い洞察がひときわ感じられる作品で、音楽をきくことをこよなく愛し、音楽の輝きをひとりでも多くの人と分かち合うことを切望し続けたひとりの音楽評論家の音楽への深い愛と洞察に満ちた名著である。

ただしこの本の発行が1990年で、著者(1938-2009)も含めてここに登場するアーティストの多くは既に他界している。

黒田氏はフランコ・ボニゾッリをテノール馬鹿の典型としながら、イタリア・オペラの醍醐味はまさにそこにあると断言している。

それは決して蔑視ではなく、自分の声の温存を顧みないサービス精神を潔しとし、聴衆を満足させる術を讃えているのだ。

またカルロス・クライバーには、彼の天才的資質を充分に認めながらも、一方では彼の欠点をも見事に見抜いている。

彼に欠けているのは父のE・クライバーにはあった傷つく勇気だと指摘していて、それは音楽上の欠点ではないにしろ、その視点は非常に興味深い。

マリア・カラスの項では、インタビューを断ってきた彼女の寂しげな一瞬の表情から著者は総てを悟っている。

カルロ=マリア・ジュリーニは、彼の野暮と紙一重の誠実さを褒め、自分の大切な万年筆をお釈迦にされ(筆圧のせい?)ても、その万年筆を宝物として大事にしまっておくという興味深いエピソードがある。

ヘルベルト・フォン・カラヤンについては、全盛期の颯爽とした姿を知っているだけに、晩年の介添人に付き添われ登場した時のカラヤンに対する感情、マイルスに対して、バック・ミラーを捨てて走り続け、寂しくありませんかと問うその感情・・・など挙げていけばきりがないが、総て文字通り黒田氏の温厚な性格が良く出ている。

そこにはもちろんそれぞれのアーティストに対する鋭い観察に裏打ちされている事は言うまでもない。

黒田氏は「きく」という行為の本質をわきまえていた数少ない評論家のひとりだったし、彼にとってそこにはジャンルも境界も存在しなかった。

そしてその喜びをひとりでも多くの人と分かち合うことを心から願っていたし、自分がその仕事に携わっていることへの感謝の気持ちを忘れなかった。

本文中でも「どのような音楽に対しても、感謝の気持ちを胸にたたんできいていきたい、と思う。感謝の気持ちを忘れてきかれた音楽は、いかなる音楽も、ききてにほほえみかけない」とし、クラシック、ジャズ、ポピュラー、中南米音楽……と、ジャンルを問わず、絶えずみずみずしい感性で音楽と向き合い続けたことが理解できる。

文章について言えば、彼は思いついたことをそのまま書き下ろすことはしなかったように思う。

解りにくい言い回しや、むやみな漢字の使用は故意に避けている推敲が窺えるからだ。

また本書を読めば一部の人が黒田氏の批評は生ぬるいと言うのが全く表面的な見解であることも理解できるだろう。

思えば黒田氏は筆者の恩師であり、授業以外の面でも学生達に協力を惜しまない優しい方だった。

東中野のお宅に初めて伺い、地下のオーディオ・ルームに案内された時の驚きを今でも忘れることができない。

部屋の側面には無数のLPが几帳面に整理されて収納してあり、呆気にとられて溜息をついている筆者に、「欲しいのがあったら、ダビングしてやるよ」と気さくに仰ってくれたことも記憶に新しい。

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