2020年12月31日


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はじめまして。

このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。

「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。

どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。

クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。

私はそこに焦点をおいています。

そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。

どうぞ、よろしくお願いします。

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2020年04月06日


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ベートーヴェンの初期室内楽の集大成といえる2作品を、ウィーンの音楽家たちが最もウィーン的であった時期の名手による演奏で収めたアルバム。

このディスクもかつてのウィーン・フィルの奏者の演奏から醸し出される音楽の馥郁たる薫りと、替え難い特有の情緒が貴重な1枚だ。

彼らはメンバー同士でアンサンブルを組んで切磋琢磨していたので、こうした室内楽も常に自然体でありながら、非常に味わい深い趣を持っている。

またここに収録された2曲は田舎町のボンからウィーンに出て来たべートーヴェンが、精一杯の洒落っ気と商売気を出して作曲した作品である。

そこにはもちろんウィーン気質に取り入るような社交性の中にも確固とした形式と品の良さが感じられる。

最近、あるアンサンブルが演奏したゼプテットを聴く機会があったが、バリリ率いるウィーン・フィルのウィンド及びブラス・グループに比較すると、演奏技術はともかくとしてあまりにも冷たく思えてしまった。

特に第2楽章アダージョ・カンタービレでたっぷりと歌われるウラッハやバリリのメロディーは、恐らく現在では殆ど聴くことが叶わないウィーン風の哀感を漂わせている。

ヴィエンナ・スクールと言えば、典型的な古典派の作曲家ハイドン、モーツァルトそして初期のべートーヴェンやシューベルトもその範疇に入る。

ハプスブルク、マリア・テレージア時代の権謀術数をめぐらせた政略とは裏腹に宮廷趣味は洗練され、その屈託のない享楽嗜好は彼らの作風にも影響を及ぼしている。

ウィーンでは交響曲へのメヌエットの挿入がほぼ欠かせない条件だったことにも表れている。

また複雑さを嫌い、シンプルで明快な音楽が好まれたことが、そのまま古典派の様式として形成されていることも例外ではないだろう。

べートーヴェンは早くからメヌエットを捨て去ってしまったが、この2曲では当然の如く採り入れている。

特にゼプテットの第3楽章ではジェオメトリックとも言えるような、均整の取れた充実した変奏曲として扱われている。

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classicalmusic at 13:12コメント(0)ベートーヴェン 

2020年04月01日


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旧ソ連の音楽界については、かなりその情報が限られていた時期があった。

1915年生まれのスヴャトスラフ・リヒテルについても、第2次世界大戦後しばらくの間は国内と旧東欧で活発な活動をみせ、犖渋紊離螢好鉢瓩覆匹噺討个譴覆ら、旧西側では、レコードを通じてその一端を知るのがほとんどであった。

衝撃的なアメリカ・デビューは1960年だが、初来日は70年になってようやく実現された。

リヒテルは旧西側の大手レコード・メ−カ−にプロコフィエフのピアノ・ソナタを4曲ほど録音している。

いずれも偶数番号、つまり第2、4、6、8番で、これらについてはステレオ・ライヴで残されている。

このディスクは第6番の他に奇数番号の2曲、第7番及び第9番の3曲を収録したレア盤で、リヒテル壮年期の鋭利な解釈と超絶技巧が有無を言わせず聴く者を牽引していく覇気に満ちた演奏が圧倒的だ。

リヒテルはプロコフィエフとも個人的な交流があったので、作曲家自身の作品に対する解釈や思い入れも十分に理解していたことが想像される。

実際ここに収録された第7番変ロ長調と第9番ハ長調はリヒテルがそれぞれ1943年と1951年にモスクワで初演している。

特に後者はプロコフィエフからリヒテルへ献呈された作品になるが、その信頼感はこの演奏も立証している。

第6、7、8番は第2次世界大戦中に作曲されたために戦争ソナタのニックネームで呼ばれている。

ちなみに第6番はプロコフィエフ自身、第8番はギレリスがそれぞれ初演を果たしている。

確かに如何にも人工的な構築性と弾丸を撃ち込むようなリズムは戦闘をイメージさせている。

ただし録音状態は時代相応をやや下回るもので、ノイズはごく僅かでリマスタリング効果も良好だが、音源にかなりのばらつきが感じられる。

特に前半の2曲ではピアノの音質、音色がアップライトピアノ程度にしか聞こえないのが残念だ。

収録年は第7番が1958年、他の2曲は1956年で、最初の2曲は演奏終了後に拍手が入ったライヴ、第9番はメロディア音源のセッションだろう。

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classicalmusic at 11:40コメント(0)プロコフィエフリヒテル 

2020年03月26日


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バルサムが再びナチュラル・トランペットに挑戦したアルバムになり、中でも白眉はテレマンの協奏曲ニ長調で、編曲物ではなくトランペット・ソロのために書かれたオリジナル作品だ。

第1楽章アダージョの高音での非常に息の長いカンタービレを彼女は朗々と歌い上げている。

ドイツjpcのサイトではこの録音シ−ンを動画でアップしていて、実際の演奏が奏者にとってもかなり綱渡り的なテクニックであることが想像される。

恐らく循環呼吸を使っていると思われるが、持続するメロディーラインの美しさは流石だ。

ヘンデルの『王宮の花火の音楽』及びバッハの『クリスマス・オラトリオ』のコーラスを省いてシンフォニア風にアレンジしたものは、元来トランペットが加わる作品で、パーセルの『メアリー二世のための葬送の音楽』とともにバロック音楽の荘厳さとドラマティックな一面が効果的に表現されている。

私事で恐縮だが、筆者の少年時代はバロック音楽リバイバルの黎明期で、発掘されつつあったヴィヴァルディを始めとする作曲家達の作品の生き生きした新鮮な響きが本格的なバロック音楽だと思っていた。

当時全盛期のイ・ムジチ合奏団の来日公演を聴きに行って、子供ながらバロック通を気取っていたものだ。

しかしその後ピリオド楽器による再現が一般的になると、実はモダン楽器、モダン奏法による演奏は現代に創り上げられた解釈であり、バロック本来のサウンドからはかなり乖離していたことを知らされた。

トランペットもそのひとつで、モーリス・アンドレが愛用していた小型の楽器はバロック時代には存在しなかった、現代の特注品だったことも記憶に新しい。

この演奏集でバルサムが使用しているのはバルブ・システムのないナチュラル・トランペットである。

補助孔を開けているがテクニックさえ習得すればスケールやトリルも演奏可能で、鋭さが控えめのマイルドな音色に特徴がある。

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classicalmusic at 23:04コメント(0)テレマン 

2020年03月25日


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現在ではバロック・ヴァイオリンの大御所的存在のジュリアーノ・カルミニョーラがチェンバリスト、アンドレア・マルコンと組んだ最新盤で、先ず両者の音質の美しさに惚れ惚れとさせられる。

ネット配信の音源でもこれだけの音質を再生できる優秀な録音がこのディスクのセールス・ポイントのひとつだろう。

ヨーロッパの総てのヴァイオリン楽派はアルカンジェロ・コレッリにその源を辿ると言われているように、彼のDNAとその奏法は現代のイタリア人演奏家にも受け継がれていることを証明するような1枚だ。

バッハの織り成す対位法は勿論忠実に再現されているが、その中に節度のあるカンタービレと効果的な即興性などがちりばめられている。

また第6番の第3楽章では、マルコンが生き生きとしたチェンバロ・ソロでその腕前を披露している。

バッハが何故チェンバロだけの楽章を挿入したのかは知る由もないが、彼が興に乗じて弾いたであろう即興演奏を髣髴とさせる部分だ。

オブリガート・チェンバロ付の6曲のヴァイオリン・ソナタは、現在に至るまでさまざまな形態で演奏されてきた。

例えばカルミニョーラの師でもあったシェリングのモダン奏法にヴァルヒャがヒストリカル・チェンバロで伴奏した録音や、モダン・チェンバロで対応したコーガン、リヒター盤、あるいはピリオドには一切拘らずにピアノを使用したカピュソン、フレー盤などだ。

純粋な古楽のスタイル、つまりピリオド楽器にピリオド奏法での演奏というと、シギスヴァルト・クイケン、レオンハルト盤があり、通奏低音にヴィオラ・ダ・ガンバを加えたトリオ・ソナタ式のマンゼ盤もリリースされている。

これらはバッハの音楽の懐の深さと変幻自在の融通性を示していて興味深いが、このディスクはピリオド・スタイルの最新録音でもあり、古楽ファンには是非お薦めしたい。

使用楽器はライナー・ノーツによればヴァイオリンは作者不詳の17世紀のオリジナル、チェンバロはウィリアム・ホーンがコピーしたミートケ・モデルで、ミートケはケーテン時代のバッハがベルリンに赴いて宮廷のために購入した二段鍵盤を持つ大型チェンバロだ。

尚ピッチは現代より半音ほど低いa'=415Hzに調律されている。

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classicalmusic at 23:12コメント(0)バッハ 

2020年03月23日


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ヴァルヒャの演奏は一切の饒舌を避けた、バッハ音楽の真髄だけが光を放っているようなシンプルなもので、あたかも平均律の原典譜を目の前に提示されたかの感さえある。

それだけに解釈は断固として明瞭で一点の翳りも戸惑いもない。

それはあの伝説的な暗譜方法、つまり各声部を別々に暗記してそれらを頭の中で再構成するという驚異的な暗譜法に由来しているのかも知れない。

理知的でありながら冷淡でなく、彼特有の突き進むような情熱で満たされていて聴く者に幸福感を与える稀有な演奏だ。

彼がバッハオルガン音楽の権威であることは無視できないし、チェンバロの演奏表現にもそれが反映しているのは事実だ。

ただ彼の演奏はバッハの音楽の媒介者としてひたすら奉仕するという目的で、楽器の持つ特性や能力を超越したところで成り立っているように思う。

そうした意味では1回目の録音時と基本的な姿勢は変わっていない。

勿論彼がこの2回目の録音の為にオリジナル楽器を選んでくれたのは幸いではあるが。

ちなみにこのセッションに使われたチェンバロだが、第1巻ではヤン・ルッカースが1640年にアントワープで製作したものでピッチはa'=415Hz、フレミッシュ特有のシンプルで立ち上がりの良い、しかも輪郭の明瞭な音色が対位法の音楽に適している。

第2巻はジャン=アンリ・エムシュが1755年から56年にかけてパリで製作し、1970年にクロード・メルシエ=イティエによって修復された楽器でピッチはa'=440Hz。

こちらはバロック盛期の華麗な響きを持っている。

ヴァルヒャがヒストリカル・チェンバロを使用したのはこの『平均律』を含めてわずか2例で、もうひとつがシェリングと組んだバッハのヴァイオリン・ソナタ集になる。

それは当時博物館に収容されていた古楽器の大掛かりな修復が余儀なくされていた事情によるものと思われる。

音源は1974年9月に行われたアナログ録音だが、音質はそれぞれのチェンバロの音質の特色を良く捉えた優れたものだ。

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classicalmusic at 23:09コメント(0)バッハヴァルヒャ 

2020年03月18日


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UHQCD化されたウェストミンスター復刻盤30枚のひとつで、モ−ツァルトの2曲の協奏交響曲を収録しいる。

ヴァイオリンとヴィオラのための変ホ長調が1951年、またカップリングされている4人の管楽器奏者が加わるオーボエ、クラリネット、ファゴット及びホルンのための変ホ長調は1949年の録音なので音質が心配だったが、想像以上にバランスの良好な音源だ。

ウェストミンスター盤は過去何回か復刻されているが、オリジナル・マスターが日本人グループによってアメリカで再発見されるまでは、出自不詳の板起こし盤もあったようで、その意味でも今回のUHQCD化ではいずれも比較的奥行きのあるしっかりした初出盤の音質が生かされていると思う。

ヴァルター・バリリのヴァイオリンは線は細めだが良く徹る艶やかな典型的ウィーン流の奏法で、ごく控えめだがポルタメントなどロマン派の名残を残しているのが興味深い。

確かに現代風のモーツァルトとは言えないが、演奏の全体像としては決して大時代の恣意的解釈を引き摺っているわけではなく、むしろその瑞々しさからは新時代を予感させるような新鮮なサウンドを伝えている。

ヴィオラのポール・ドクターとの絶妙なデュエットも聴きどころだ。

一方4本の管楽器が加わる変ホ長調の作品では、ここでも当時のウィーン・フィルの花形奏者を連ねていて、それぞれがモーツァルトの音楽性を謳歌するような、気の利いたアンサンブルで聴く者に幸福感を与えてくれる。

まだ戦後の混乱期だったことを考えると、彼らの音楽に対する不屈の情熱と演奏への意気込みを感じずにはいられない。

ウィーンでは1945年3月の空襲で、シュターツオーパーを始めとするいくつかの演奏会場が大破するまでオ−ケストラの定期演奏会やオペラ上演も平然と行われていた。

しかし連合軍占領後、音楽家の活動は現実的に皆無に等しかったようだ。

二ューヨークで設立されたウェストミンスター社は、当初ウィーンの演奏家を中心にレコーディングを開始した。

仕事に飢えていたアーティストは安く使えたし、それにも増して超一級の演奏が期待できたからだろう。

実際彼らは水を得た魚のように次々と名演奏を遺してくれた。

それも今では聴けなくなってしまったウィーンの伝統的な音楽性を惜しみなく披露しているのがこのシリーズの価値と言える。

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classicalmusic at 12:21コメント(0)モーツァルト 

2020年03月15日


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シューベルトのピアノ曲は、ここ20年間くらいの間に、演奏スタイルがかなり変わり、かつてのE・フィッシャーやケンプやゼルキンの、あの地味だが落ち着いた、じみじみとした味わいに比べると、最近のシューベルトは随分劇的で、スリリングで、時にはエキサイティングに聴こえる。

この傾向はきっと細部まで彫り込むように深読みをするブレンデルが大きな役割を果たしたのだろうが、だからと言ってブレンデル流がシューベルト演奏のスタンダードになったというわけではないことだ。

その後ピリスや内田光子が病的なまでに傷つきやすいシューベルトの魂を表現したが、ベートーヴェンやショパンなどに比べて、シューベルトには「こう弾かなければならぬ」という感じがずっと少ない。

人それぞれ、多様な可能性が許されていて、事実リヒテル、ポリーニ、ペライアといったピアニストたちが、まるで、自分の姿を映す鏡のように、それぞれのシューベルト世界を創り上げている。

そのようなシューベルト演奏のひとつの白眉が、ルーマニア出身のユダヤ系ピアニスト、ルプーの弾くソナタ第18番『幻想』ではなかろうか。

シューベルト中期の最後を飾るこの曲は、1曲のなかに様々なな魅力的な楽想が散りばめられ、しかもそれらががっちり〈原因/結果〉の糸で結ばれていないという、最もシューベルトらしいソナタ。

これをルプーは、力技で全体をがっちりまとめ上げるのではなく、まさに「神は細部に宿る」という言葉そのままに、すべての瞬間が〈美〉であるように弾いていて、感銘深い。

少し細めだが艶と透明感のある音色、淀みない音楽の流れ、決して力むことのない自然でたおやかな抑揚、ふつふつと湧き出るような喜ばしさ……。

とりわけ感銘深いのは、ルプーは音を厚ぼったく創らないために、音のテクスチュアの網目が隅々まで見通し良く響き、旋律だけでなく、伴奏音形から経過的なパッセージまですべての声部が、それぞれ生き生き躍動している様子が、手に取るように聴こえることだ。

その結果、曲全体の論理やドラマではなく、次々と立ち現れる「今ここ」の瞬間の豊饒さが、聴く者を魅了して、興味の尽きることがない。

しかも「力技」の印象がないので、音楽は軽やかに繊細で、ある喜ばしさに満ちている。

第2楽章の洗練された瑞々しさや、第4楽章の上品で生き生きとした躍動感も比類がないが、特にルプーらしいのは第1楽章で、遅めのテンポで楽想をじっくり歌わせており、スケールの大きなおおらかさを感じさせる。

一見とりとめないこの楽章をストーリー・テラーに構成するのではなく、推移や経過句のひとつひとつが、それぞれ幸福の由来であるように弾いていくやり方は、まさに今日的な(脱・近代的な)演奏と言いたい。

かつてルプーを宣伝するキャッチフレーズとして、よく「千人に一人のリリシスト」などということが言われていたが、彼の演奏を実際に耳にしてみると、とてもそういった言葉だけでは表わしきれない幅の大きな演奏家であることが分かる。

確かにその豊かな叙情性は一際抜きん出ているし、その音色の美しさも天下一品であるが、それを特徴づけるには、それ以外の要素が並外れて充実していることが不可欠であろう。

このシューベルトのアルバムでは、端正なピアニズムから生まれる彼の傑出した叙情的性質と、それを支える明確な造形感といった様々な要素が、まさに渾然一体となって実に見事なシューベルト像をくっきりと描き出している。

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classicalmusic at 12:01コメント(0)シューベルトルプー 
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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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