2017年06月10日


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プラガ・ディジタルスからのジェニュイン・ステレオ・ラブ・シリーズの新譜で、リムスキー=コルサコフの作品3曲が収録されている。

ピエール・モントゥー&ロンドン交響楽団の『シェエラザード』が目当てで買ったが、他の2曲の室内楽も機知に富んだ作曲家のアイデアと才能を示していて予想以上に楽しめるアルバムになっている。

弦楽のための六重奏曲及びピアノと管楽器のための五重奏曲はライナー・ノーツによればどちらもリムスキー=コルサコフがロシア音楽協会のコンクールのために提出した作品で、優勝は逸したが音楽性の豊かさと若々しい意欲的な作風に魅力がある。

前者は屋外で演奏する気の利いたセレナードのような清涼感があり、弦楽トリオをふたつ組み合わせる斬新な発想と第2楽章フガートではバッハの名前B、A、C、Hの4つの音を使った手の込んだ二重フーガ、第3楽章はイタリアの軽快な民族舞踏タランテッラ、更に第4楽章ではスラヴの抒情をクロスリズムの伴奏の上に歌わせるというかなり凝った作品だ。

演奏者はコチアン四重奏団にヨセフ・クルソニュのヴィオラとミハル・カニュカのチェロが加わる編成で、明快かつ溌剌とした推進力が見事な演奏だ。

一方後者は一種のサンプラーで、このCDの収録時間がトータル82分15秒とかなり詰め込んでいるにしても、第2楽章だけなのが惜しまれる。

プラハ木管五重奏団のメンバーにピアノのイヴァン・クランスキーが協演していて、管楽アンサンブルはどことなく垢抜けない音色だがスラヴの土の薫りをイメージさせるローカル色が聴きどころだろう。

モントゥー&ロンドン交響楽団の『シェエラザード』は1957年の良く知られたデッカ音源で、初期のステレオ録音だが新規のリマスタリング効果で分離状態の良い鮮明な音質が再現されていてノイズも殆んどなくなっている。

寓話「アラビアン・ナイト」の世界を説明的ではなく、音のみによって十分に描いた巨匠の腹芸のような含蓄の多い名演で、色彩豊かに、しかしナチュラルに表現している。

曲中4回に亘って登場するヴァイオリン・ソロによるシェエラザードのテーマはアイルランドの名手ヒュー・マクガイヤーの妖艶というよりは、むしろ清楚で可憐な表現に好感が持てる。

この作品はヴァイオリンの他にもフルート、オーボエ、コーラングレー、クラリネット、ファゴットやチェロなどのソロも大活躍する華麗なオーケストレーションに仕上げられているが、モントゥーのテンポは快速で、部分的な拘泥を避けてストレートな物語性を描き出し、クライマックスでのブラス・セクションの惜しみない咆哮も効果的だ。

この辺りにも彼の多くの新作初演の経験から鍛えられたスコアへの鋭利な洞察力が示されている。

レギュラー・フォーマットだが古いCDと聴き比べると見違えるような音質の向上が特筆される。

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classicalmusic at 00:37コメント(0)トラックバック(0)R=コルサコフモントゥー 

2017年06月08日


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カール・ズスケは、1962年にベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)のコンサートマスターに引き抜かれ、1965年に同僚と語らってズスケ弦楽四重奏団を結成、1966年にジュネーヴ国際コンクールに入賞した。

ズスケは多忙な国立歌劇場の仕事の合間を縫って室内楽に取り組み、やがてベルリン弦楽四重奏団と改称し、国際的にドイツ民主共和国(東ドイツ)最高の室内楽団と評価されることとなった。

それとともにズスケは室内楽の名手として名声を高め、数々の優れた室内楽のレコードを残したが、このベートーヴェンはこの団体の代表的名盤である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集には文字通り歴史的名盤がいくつもあって、どれひとつとして聴き逃せないことは勿論であるが、筆者が比較的少数派という自覚付きながらまず真っ先に選ぶのは(旧)ベルリン弦楽四重奏団の全集である。

おそらく戦後ドイツが生み出した最高の弦楽四重奏団の1つの最善の成果が示された演奏で、極めて端正で清潔な表現と清々しい響きに彩られたベートーヴェン。

しかし単にすっきりしているというのではなく、その中に自在で柔軟性に富む表情と豊かな感興が息づいていて、ズスケの叙情性豊かな表現が、緩徐楽章だけでなく随所に効果的である。

強い自己主張を打ち出すよりも、作品に真摯に奉仕することにより、内から自然と滋味が滲み出てくるような秀演である。

旧東ドイツに属するとは言え演奏スタイルは決して古めかしくなく、むしろ優れて今日的で、どの曲、どの楽章を聴いても明確な表現をもった積極性に溢れた音楽が繰り広げられている。

つまり、これは感情のみを第一義とした旧時代的な演奏ではなく、もっと堅固にまとめられた、切れ味の鋭い音楽をつくっている。

そのためには、ベートーヴェンの与えた指定を少しもないがしろにせず、それを曖昧でなく鮮明に示して、すみずみまで迫力に満ちた演奏である。

ズスケ以下切れ込みの鋭い踏み込んだ表現が光り、しかも無用な情熱に駆られることなく、悠然たる歩みと堅固な造形感に貫かれた堂々とした演奏が展開されている。

これは極めて透明度の高い、そして古典的美しさを端正な造形で表現した演奏であるが、ズスケを中核とするメンバーは、瑞々しくも感情の潤いに満ちた音楽を歌っているのである。

全体に精神の輝きと自在な表情に満ちた生命感に溢れており、アダージョ楽章における気品を湛えた崇高な表現も出色である。

4人の奏者の均質で透明な響きが実に美しく、ズスケをはじめ、チェロのブフェンダーや内声も感興に溢れる素晴らしい演奏を展開する。

各声部の自発性豊かな表情と声部間の応答の敏感軽妙なこと、練れた柔らかい響きときめ細かな表情にも感心する。

この団体は、表情が決して粘り過ぎず、響きもいぶし銀のように底光りのする光沢と透明感があり、表現も一見淡泊であるが、実に細やかな神経が行き渡っており、各奏者の反応も敏感で清々しい。

これほど美しい造形と精神性のバランスのとれた演奏は少なく、奇を衒わない正統的な表現でここまでの深みを出せる団体は現在でも多くはない。

初期作品は、古典的で均整の取れた佇まいを、何のケレン味もなく実に落ち着いた余裕を感じさせるアンサンブルで見事に描き出している。

中期作品では、とかく熱を上げすぎバランスを崩す演奏が多いなかで、これは極めて落ち着いた盤石の安定感を示しているが、その中に込められた精神的充実ぶりも超一級。

後期作品は、ズスケの透明で柔軟性に満ちた音楽性がアンサンブル全体に行き渡り、心の奥から滲み出てくるような歌を、決して力まずに豊かに引き出しており、繊細な配慮の行き届いた緩急やデュナーミクの変化も実に自然である。

従って、演奏内容、音の鮮度、録音の自然さなど色々な条件を総合的に考慮して、これはどんな名盤にもおよそひけをとらない素晴らしいレコーディングだと確信する。

そしてリーダーのズスケがライプツィヒ・ゲヴァントハウスに移った後も、じっくり時間をかけてシリーズを完遂した制作態度にも、この全集の盤石の重みがある。

このベートーヴェンの全集完成をもって解散したこのメンバーによる品格高い音楽性が余すところなく記録されているのである。

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2017年06月06日


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カルロ・マリア・ジュリーニが壮年期にドイツで振った放送用ライヴ音源シリーズからの3曲で、独ヘンスラー・プロフィール・レーベルの良好なリマスタリングによってケルン放送交響楽団との鮮烈な演奏が甦っている。

3曲の中では最も古い録音が最後に収録された1958年のドヴォルザークの交響曲第8番で、この曲のみモノラル録音になる。

オフ・マイクで採音された残響豊かなサウンドが得られているが、やや臨場感に欠けるのが残念だ。

しかし44歳だったジュリーニの一気呵成に燃え上がる高揚感と全く溜めのない奔流のような推進力が数多いこの曲の名演の中でも稀にみる緊迫感を漲らせている。

第1楽章後半からの総奏でのブラス・セクションの咆哮と弦の応酬もジュリー二の手の内にしっかりと統率されていて水も漏らさぬ態勢が維持されている。

また第3楽章の快速のアレグレットではスラヴ的な土臭さとは縁がないが、高潔とも言える瑞々しい弦がメロディーをクールに歌い切っているし、終楽章フィナーレへのアッチェレランドをかけた凄まじい追い込みは爽快なカタルシスを体験させてくれる。

ブゾーニとフランクの2曲は1971年のステレオ録音で、マスター・テープの保存状態も良くノイズのない鮮明な音質で鑑賞できるのが幸いだ。

いずれにしても放送用ライヴなので聴衆からの雑音や拍手は一切混入していない。

ブゾーニのサラバンドは一種のパッサカリアになっていて、繰り返される低音の上に対位法を使った変奏が神秘的な雰囲気を醸し出していて、続く華麗なコルテージュとの対比が鮮やかだが、ここでもジュリーニの精緻で隙のない表現力が劇音楽というジャンルを超越した、より普遍的なオーケストラル・ワークとしての価値を与えている。

フランクの交響詩『プシシェ』からは第4部の「プシシェとエロス」のみが演奏されていて、小規模ながら魅力的なピースに仕上げられている。

ジュリー二の解釈は官能性を仄めかす程度で、むしろ特有の透明感の中に物語のシュールレアリズム的な性格を映し出しているのが秀逸だ。

この作品はラテン詩人アプレイウスの『黄金のロバ』の中の挿話「クピードとプシュケー」のエピソードを4つの断章で纏めるという構想で作曲したもので、フランク晩年の巧妙なオーケストレーションが駆使されていて、ジュリーニに従うケルン放送交響楽団の高度な音楽性と実力も十分に発揮されている。

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2017年06月04日


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2015年に亡くなった指揮者クルト・マズアの追悼盤はこれまでにユニヴァーサル・イタリーからのベートーヴェン交響曲集及びワーナーからのメンデルスゾーン交響曲集のそれぞれ全曲集がリリースされていて、それらの殆んどがベルリンの壁崩壊を前後して録音されたものだ。

一方こちらのオイロディスク音源はいずれもライプツィヒがまだ東ドイツに属していた1970年代の演奏で、メンデルスゾーンは第1回目の全集になる。

ブルックナーに関しては2014年にソニー・クラシカルから廉価盤化された9枚組と同一音源なので、そちらを購入済みの方は注意されたい。

マズア壮年期の堅牢ですっきりしたオーケストラ統率と頑ななまでの正面切った解釈、そしてこの頃のゲヴァントハウス管弦楽団も良い意味でのローカル色、つまり飾り気こそないが深みのある豪快な表現力に魅力がある。

ウィンド、ブラス・セクションの音色は西側のオーケストラより素朴だが、真摯で古風な風格を備えていてバッハ以来の音楽都市ライプツィヒの伝統の重みを感じさせるのも事実だ。

マズアは映画『クラシック音楽と冷戦』の中でインタビューを受けているが、それによれば彼は当局の方針をはぐらかしながら音楽活動をしていたことが理解できる。

だからこそベルリンの壁が崩壊した時、先頭に立って人権の自由と開放の喜びを宣言したのだろう。

こうした1人の芸術家としての頑固な信念も彼の指揮に反映されているのではないだろうか。

その象徴的な演目がベートーヴェンの『フィデリオ』で、当時の彼らの自由への隠された憧憬が強く印象に残る演奏だ。

ブルックナーでの一切の誇張を避けた真っ正直な指揮からは濁りのない純正な音楽のダイナミズムが築かれていて、一過性の熱狂とは異なったより普遍的な感動を呼び起こす。

メンデルスゾーンはかつてのゲヴァントハウス管弦楽団の楽長だったし、またシューマンの交響曲は第3番を除く3曲は同オケが初演を飾った作品なので、彼らの伝家の宝刀とも言うべき貫禄を示した磐石な表現に説得力がある。

ここではまたシューマンの珍しいレパートリー、ゲーテの叙事詩から構想され、フランス国歌『ラ・マルセイェーズ』が使われた序曲『ヘルマンとドロテーア』が思いがけないボーナスだ。

尚バジェット・ボックスということもあり残念ながらライナー・ノーツは省略されているが、音質はリマスタリングの効果もあり鮮明で極めて良好。

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2017年06月02日


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パリ生まれのバリトン、ジャック・ジャンセン(1913-2002)が1952年にデッカに録音したLP2枚分の音源を1枚のCDに纏めたアルバム。

ここに収録された総てのレパートリーがフランスの作曲家の作品であることに象徴されているように、彼の歌唱はフランス語の持つ言葉としての表現力を多彩に引き出し得た演奏だ。

彼が歌詞から紡ぎ出す千変万化の微妙なニュアンスは、他の言語を母国語に持つ歌手には殆んど不可能に近いほどの独自の美学を体験させてくれる。

イタリアのバリトンのように輝かしくもなくヒロイックでもないが、それは作曲家達がそうした効果を求めていないからである。

こうした価値観を共有できる人にとってはジャンセンの軽やかな語り口やテノールのようなファルセットーネを巧みに使った歌い回しにコケティッシュな魅力やそれほど深刻さのない喜怒哀楽、皮肉等が見事に捕らえられていることが理解できるだろう。

ベル・エポック期を代表するアーンの歌曲集ではベルレーヌの詩による『灰色の歌』が全曲でないのが惜しまれるが、「秋の日のヴィオロンのため息の・・・」や「恍惚の時」の憂愁や抒情が美しい。

当時のデッカが誇ったフル・フリークエンシー・レンジ・レコーディング(ffrr)の音質は極めて良好でノイズも殆んどないが、一部で板起こしと思われる隣の音溝の音が直前にかすかに聞こえる現象が起きている。

簡易なライナー・ノーツが付いているが、廉価盤の宿命で歌詞対訳は掲載されていない。

ジャンセンはピエール・ベルナックやシャルル・パンゼラの後に続くフランス系バリトン歌手で、彼自身パンゼラの高弟でもある。

比較的軽い硬質で高音にも恵まれていたために、テノールで歌われることも多いドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』のペレアス役で決定的な成功を収めている。

このCDでの演奏の殆んどがジャクリーヌ・ボノーのピアノ伴奏によるものだが、ラヴェルの『マダガスカル島民の歌』3曲ではフルートのランパルとチェロのジャンドロンが助奏に回ってのサポートで華を添えている。

一方得意のペレアス役はやはりモノラル録音ながら、クリュイタンスがフランス国立放送管弦楽団を振った1956年の全曲録音があり、可憐で神秘的なメリザンドをデ・ロス・アンへレス、またゴローをほぼ同世代のスゼーとの協演で堪能することができる。

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classicalmusic at 00:24コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーラヴェル 

2017年05月31日


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チェコを代表するチェンバリスト、ズザナ・ルージィチコヴァの自由闊達で鮮烈な奏法がバッハの協奏曲に華やかな精彩を加えている魅力的なアルバムだ。

本盤に収録されているのはチェンバロ協奏曲第1番から第7番までの7曲、つまりソロ・チェンバロ用及びブランデンブルク協奏曲第4番から編曲されたチェンバロと2本のリコーダーのための協奏曲で、断片のみが残された第8番及び2台から4台用の6曲は含まれていない。

またブランデンブルク協奏曲第5番と三重協奏曲イ短調の2曲に関しては、ルージィチコヴァがエラートに録音した音源が昨年彼女のバッハのソロのための作品を集大成した20枚のボックス・セットの方に組み込まれて復活しているが、幸いこの2枚との曲目のだぶりはない。

ルージィチコヴァのソロは、デリケートな爽やかさには欠けるが多彩を極め、強靭かつ雄弁なバッハだ。

第3番から第7番にかけての鮮明な華やかさは彼女の独壇場だし、第1番の真摯さ、第2番のリュート奏法の愉悦的なリズムの弾みなど、その美点を挙げ出したら切りがない。

冗舌な感もある第3番は好き嫌いの分かれるところだろうが、ここに見られるロマンへの傾斜と内容に重きを置こうとする意志は特筆しておきたい。

ヴァーツラフ・ノイマン&プラハ室内合奏団の凝り過ぎない明快なサポートにも好感が持てる。

全曲プラハ・ルドルフィヌムに於けるステレオ録音で、スプラフォン音源によるが、新規リマスタリングの成果で時代相応以上の音質が再現されている。

確かに楽器編成は現在では考えられないモダン・チェンバロとモダン・オーケストラとの組み合わせによるa'=440Hzの現代ピッチを採用したセッションで、そこから響いてくる音響には如何にも隔世の感がある。

この頃はバロック音楽再興の黎明期に当たり、博物館の調度品に成り下がって使用不可能な状態だったヒストリカル・チェンバロの代用として、著名な古楽演奏家でも便宜的にモダン・チェンバロを使用していた。

それは巨匠ヴァルヒャやリヒター、初期のレオンハルトも例外ではない。

しかしそこには当時のバロック音楽の発掘と再現に賭けた演奏家達の意気込みと情熱を伝えた捨て難い魅力がある。

彼らがその後のいわゆるピリオド楽器による演奏形態の誕生を促したことは疑いのない事実だろう。

そうした過渡的な時代のサンプルとしても無視することができない興味深い演奏に違いない。

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2017年05月29日


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独ヘンスラーのプロフィール・レーベルはカルロ・マリア・ジュリーニが壮年期に手掛けた演奏を独自のリマスタリングで次々と復活させている。

中でも彼がドイツで客演した放送用ライヴ音源はマスター・テープの保存状態も良く、1960年代以降の音源は総てがステレオ録音であるために音質にも恵まれ、また聴衆からの雑音も一切混入していない。

このディスクに収録された2曲はどちらも1979年1月26日というデータの記載があり、録音会場全体の残響が程好く入ったオフ・マイク気味の採音なので、臨場感に溢れるような音場とは言い難い。

しかしながらオーケストラのバランスは非常に良く、ホールで聴いているような明瞭で自然な奥行きのある音響が得られていて、また繊細な弱音から総奏の時の迫力にも不足していない。

既に定評のあるヘンスラーのリマスタリングも納得できる仕上がりになっている。

ハイドンの『驚愕』でジュリーニは作曲家円熟期のジオメトリックで巧妙なオーケストレーションを整然とした古典的な造形美で聴かせていて、模範的とも言える均衡を保った第1楽章では一切の誇張も感じられないが彼ならではの音楽性の豊かさと情熱が滲み出ている。

また厳格な中に愉悦と愛嬌を示した第2楽章、いくらか鄙びたレントラー風の速めで力強いメヌエットや終楽章のスケールの大きい躍動感までが古典派の交響曲の美学から全く逸脱することなく統合されている。

一方ラヴェルの『マ・メール・ロワ』はジュリーニ一流のデリカシーが反映された、超自然的でメルヘンチックな美しい幻想が描き出されている。

敢えて言えばラテン的な温もりは感じられず、遊び心を抑えたクールな雰囲気を漂わせているが、これはオーケストラがバイエルン放送交響楽団だからかも知れないし、そこには情に溺れないジュリー二の厳しい一面も表れている。

5つの個性的な小品はそれぞれが磨き上げられた小さな宝石のような輝きを放っていて、それらの変化と対比が興味深く、特に終曲のクライマックスに導かれる絢爛たるフィナーレが印象的だ。

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2017年05月27日


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フランスを代表する古楽奏者といえばアンタイ3兄弟で、ベルギーのクイケン3兄弟と共に大家グスタフ・レオンハルト健在時には多くの協演も果たしてきた。

次男でチェンバリストのピエール自身アムステルダムでレオンハルトの下で2年間の研鑽を積んでいる。

しかし彼は師の厳格な奏法を学びつつも、ネーデルランド派の荘重な古楽よりもラテン的な自由闊達さで名技主義的な華麗な演奏を得意としている。

彼がフランス・ミラール・レーベルに移ってから再録音を始めたドメニコ・スカルラッティのソナタ集はこれで4集目になり、引き続き今月第5集もリリースされるので、これまでのソナタ49曲とフーガ1曲に続いて更に33曲が加わったことになる。

使用楽器は常にヒストリカルからのコピーだが音色の選択にも凝っていて、今回は18世紀の無名のドイツ製チェンバロからフィンランドの古楽器製作者ヨンテ・クニフが2004年にコピーした楽器で、ピッチがa'=415Hzで前回よりもやや高めに設定してあるために、張りのある鮮やかな音響を再現しているのが特徴だろう。

選曲やライナー・ノーツから判断するとアンタイはスコット・ロスやピーター=ヤン・ベルダーのような全曲録音を達成する決意は窺われない。

曲順も決してクロノロジカルに初期の作品から後期に向かって片っ端から弾いていくという録音方法ではなく、それぞれが1枚のアルバムとして完結するように選曲されていて、ここにも彼のアルバム制作へのポリシーが表れている。

尚2曲目に収録されたK.247はオリジナルの調性は嬰ハ短調だが、アンタイは半音上げたニ短調で演奏している。

これは響きの美しい三度の和音を得るための当時の調律方法は、音の間隔をずらせてしまう変位記号に弱いため、それによって引き起こされる調子外れを避けたためと考えられる。

音質はチェンバロの華麗さと、一方でヒストリカル楽器特有の繊細さも捉えていて極めて良好だ。

ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)はナポリ派オペラで名声を博したアレッサンドロ・スカルラッティの息子として奇しくもバッハ、ヘンデルと同年にナポリに生まれている。

彼は当初ポルトガル宮廷の王女バルバラ・デ・ブラガンサの音楽教師としてリスボンに赴任したが、スペイン・ブルボン家の王子フェルディナンドと王女の結婚によってマドリードで生涯を終えることになる。

計555曲にも及ぶ一連の鍵盤楽器用ソナタは王妃バルバラのエチュードとして作曲されたものだが、バッハの『平均律』のような総ての調性をくまなく厳密に配列したペダゴジカルな性格は持っていない。

むしろ斬新な響きと奏法を実用的な練習曲の中に追求した高度な気分転換の要素を伴った小品というべきかも知れない。

豊富なインスピレーションに満たされていてK.212やK.457では明らかにアンダルシア風のギター音楽から採り入れたと思われる音形や不協和音が使われている。

現代の多くのピアニストがコンサートのプログラムに加えるのも、簡潔で生き生きとした生命力と可憐な楽想に溢れているからだろう。

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