2018年07月04日


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この2枚組のUHQCDにはジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団によるドビュッシーのオーケストラル・ワーク集が収録されていて、それらは現在に至るまでSACD化を含む再販を繰り返している名盤の誉れの高いものだ。

それは丁度クリュイタンスがラヴェルで遺した業績にも比べられるものだが、惜しむらくはクリュイタンスのドビュッシーは音源が少なく、その渇を癒して余りあるのがマルティノンが精力的に録音した一連のドビュッシーになる。

彼が首席指揮者としては最後のピリオドになるフランス国立放送管弦楽団は、非常に洗練された暖色系の音色と個性的なソロでこの時代のフランスのオーケストラの典型でもあった。

ここでも『牧神の午後への前奏曲』では首席奏者アラン・マリオンのフルートでその一端を窺い知ることができる。

ワーナーから8枚のバジェット・ボックスでリリースされたマルティノンのラヴェル及びドビュッシー録音集と聴き比べてみたが、明らかに音質の違いが感知できる。

先ず音が出る前のヒス・ノイズまでくっきりと拾っているのに驚いた。

アナログ録音時代の徒花で致し方ないが、現在のノイズ除去を良しとしないリマスタリングのポリシーは評価されるべきだろう。

また低音から高音までのバランスが改善されて、特に総奏部分での響きがよりクリアーになり、ボリュームを上げても音質に破綻が生じない。

彼らの演奏によるドビュッシーの音源はCD4枚分が存在するので、是非残りの2枚もUHQCD化を期待したい。

注目すべきは当時録音を担当したバランス・エンジニア、ポール・ヴァヴァシュールで、彼が決して精彩を欠いた曖昧模糊としたサウンドを望んでいたのではなかったことが納得できる。

確かにオフマイク気味に採った独特の空気感はドビュッシーの管弦楽曲にはとりわけ効果的で、楽器の定位や臨場感より、オーケストラが混然とミックスされたホール全体の陰翳豊かな音場から立ち昇る光彩や繊細な線を描く手法は彼の音響哲学を実践したものだ。

ヴァヴァシュールは当時のフランスのオーケストラでなければ表現できないような特質を最大限に捉えることに成功したが、皮肉にも同時期のEMIの録音技術が他のメーカーより大幅に遅れをとったこともあり、彼の手法がEMIの中音域の薄っぺらな音質と同時進行せざるを得なかったのは不幸な事実だ。

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classicalmusic at 00:39コメント(0)ドビュッシーマルティノン 

2018年07月02日


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ワルター・バリリ(1921.6.16〜)はウィーン生まれのヴァイオリニストで、ウィーン音楽院に学んだ後、1936年ミュンヘンでデビューした。

1938年にウィーン・フィルに入団し、1940年にはコンサートマスターに就任、1943年には自らの名を冠した四重奏団を組織した。

当時、ウィーンにはコンツェルトハウス協会に所属するウィーン・コンツェルトハウス四重奏団、ムジークフェラインで定期演奏会を行ったシュナイダーハン四重奏団、と同じウィーン・フィルを母体とする2つの名団体が演奏活動を行っていた。

しかし、バリリ四重奏団は結成以来、なぜかメンバーの離脱や急死などの不運が重なり、1951年6月に一時活動の停止を余儀なくされた。

ところが、同じ年にシュナイダーハン四重奏団を主宰するヴォルフガング・シュナイダーハンがソリストに転身することになり、リーダーを失ったシュナイダーハン四重奏団の他の3人にバリリが加わる形で、1951年8月新たなバリリ四重奏団が生まれた。

バリリ氏は1996年の来日時のインタビューでこの時の運命的とも言えるタイミングの良さについて「なるようになるものだ」と語っていた。

ちょうど同じ頃、レコード界ではLPレコードの開発という革命が起き、戦後景気に湧くアメリカではレコード会社が次々に設立された。

1949年、ニューヨークで設立されたクラシック音楽専門レーベル「ウエストミンスター」もその一つ。

ウエストミンスターは米ドルの強さを背景に、ウィーンに出張録音を行い、バリリ四重奏団やウィーン・コンツェルトハウス四重奏団と数多くのLPレコードを制作した。

ウエストミンスター・レーベルは1954年に日本盤も発売されるようになり、彼らの室内楽演奏は日本でも多くのファンを獲得して、1957年12月、バリリ四重奏団の初来日公演は熱狂的に迎えられた。

ところが1959年、バリリは右ひじを故障し、カルテットの活動を断念、新生バリリ四重奏団も約9年でその幕を下ろすこととなった。

このセットには、バリリ四重奏団の米ウエストミンスターへの録音がまとめられており、LPレコード初期に彗星のように現れては消えて行った、名団体の芸術の粋をじっくりと楽しむことができる。

中でも、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集は、LP初期に、ブダペストSQのそれと人気を二分したバリリSQの名盤である。

精密な機能的側面を追求するブダペストに対し、バリリはヒューマンな情緒性を大切にする点で一線を画した。

ベートーヴェンの特に後期の弦楽四重奏曲は、特に専門家でなくても至難であることはある程度想像できる。

しかし、だからといってひたすら苦行のように、あるいはいたずらに精密さばかりを求められても聴く方にとってはちょっと困るが、その点、このバリリSQの演奏は非常に楽しくて、ほっとする。

奥行きのある内容を多くの言葉を費やして語ることなら、できなくはないかもしれないが、それを優しい表情で、それとはなしに語るのは必ずしも簡単ではない。

また、スケールの大きさとデリカシーとを雄弁の限りを尽して語ることなら、できなくはないかもしれないが、それを柔軟性をもって簡潔に語るのは必ずしも簡単ではない。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集におけるバリリSQの演奏は、そのような難事を立派にやり遂げた内容と言えよう。

ここにおけるバリリSQの4人は、強い緊張感を貫きながらも身のこなしは軽やか、決して肩をいからせぬ優美な輪郭で、ベートーヴェンの各曲の全体像をスムーズに描き出していく。

もちろん、ウィーン風の優雅なスタイルであり、味付けはかなり濃厚な方なので続けて飲用するとやや飽きるかもしれないが、折に触れて取り出せばその都度に新たな感動に浸ることが出来る。

同じウィーンのスタイルとはいっても、コンツェルトハウスSQとはまた違うし、アルバン・ベルクSQとはもっと違いが顕著である。

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classicalmusic at 00:49コメント(0)ベートーヴェンモーツァルト 

2018年06月30日


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ワーナーの20世紀クラシックス・シリーズのひとつで、1枚目にはクルト・ワイルの初期の作品、2曲の交響曲とウィンド・オーケストラを伴うヴァイオリン協奏曲が収められている。

交響曲は大オーケストラを扱った華麗な力作には違いないが、彼の後の名作『三文オペラ』を一度ならず観た筆者には、大風呂敷の胡散臭いイメージが払拭されず、苦笑を禁じえない。

いやそれくらい彼のミュージカルは愉快そのものだった。

そうした意味ではこのセットの2枚目に入っている一連のブロードウェイ・ソング集が彼の機知やユーモア、そして小気味の良い揶揄や皮肉っぽい風刺を得意とした、最もワイルらしい作品ではないだろうか。

ブゾーニ門下の作曲家として彼が夢見た若い頃の大望はいざ知らず、交響曲という大見得を切った形式は、彼の渡米以後再度取り上げられることがなかったのも象徴的だ。

一方ヴァイオリン協奏曲の方は、その洗練されたオーケストレーション、シンプルな形式感から、よりとっつき易い作風になっている。

ここではソロのフランク・ペーター・ツィンマーマンが正確無比なテクニックと抑制を効かせたカンタービレでごく正攻法で攻めた表現が、マリス・ヤンソンス指揮、ベルリン・フィルのメンバーの好サポートもあって秀逸だ。

交響曲第1番及び第2番はどちらもガリー・ベルティーニ指揮、BBC交響楽団の演奏で録音は1967年、またヴァイオリン協奏曲は上記のメンバーで1997年のセッションになる。

尚2枚目には彼のミュージカルの中から『ヴィーナスの接吻』、『ニッカーボッカー氏の休日』、『フィレンツェの悪漢』、『ラヴ・ライフ』そして『ジョニー・ジョンソン』の抜粋がバリトンのトマス・ハンプソン他の歌唱、ジョン・マックグリン指揮、ロンドン・シンフォニエッタ・コーラス及び管弦楽団による1994年の録音で収められている。

11ページのライナー・ノーツには曲目紹介、演奏者及び録音データの他に簡単な作曲家のキャリアが掲載されているが、歌詞については残念ながら省略されている。

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classicalmusic at 00:02コメント(0)ヤンソンス 

2018年06月28日


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マーラーやシェーンベルクらのスペシャリストとして知られた指揮者シェルヘンが、最晩年に集中して行なった異常なライヴ演奏。

驚くほど緊張力の強い、情熱的な表現で、このベートーヴェン全集によって、わが国でもシェルヘンの再評価が一躍、加速されたと思う。

全集としてはかつてのウェストミンスター録音もあるが、演奏は極めて構えが大きく、大胆で自己主張が強い。

シェルヘンの芸術は晩年になってさらに率直に自己主張があらわされて、結果的にアンサンブルを整えるより、音楽の核心を性急に表現しようとする姿勢が、ますます強くなったように感じられる。

それも表現主義的な様式の帰結と言えるが、そこにスケールの大きい巨匠的な確信と激しい情熱が加わったため、音楽はかつてない相貌を示すことになった好例である。

まったく自由自在、強引とさえ言える表現だが、音楽の展開には予測不可能な面白さがある。

彼は足を踏み鳴らし、怒号をあげながら、呆気にとられるようなスピードで力まかせにオーケストラを追い立ててゆくものだから、オケも崩壊寸前。

楽員はアマチュアのように弾きまくり、吹きまくる、文字どおり「手に汗にぎる」演奏なのである。

スイスのイタリア語地域を本拠とするルガーノ放送管弦楽団は、少々荒っぽいが乗るとなかなかよい演奏をすることで知られている。

ここでもかなり荒っぽく、全体の響きも透明とは言い難いが、あるところから妙に乗ってきたりするから音楽とは不思議なものだ。

全編「ファイト一発!」「これでいいのだっ!」という信念の固まりで、昨今、こんな演奏例は他に皆無、みなホットに燃えたぎっている。

それだけにアンサンブルは粗く、第9番の声楽もよくないが、そんな欠点を超越して希有の音楽を聴かせる。

第1番のフィナーレなど、さすがにイタリア語を話す人たちだけに饒舌で面白く、第2番もフィナーレが最高で、全体に歌があって楽しい。

のめり込む『エロイカ』は、第1楽章の最初からチェロの第1主題が乱れたりして驚くが、シェルヘンのベートーヴェンの真骨頂はそんなことを気にさせず、激越なクレッシェンド、弦が悲鳴を上げるスフォルツァートなど元気いっぱいだ。

葬送行進曲はいかにもそれらしく、スケルツォはスリル満点、フィナーレも活気にあふれているが、フガートの処理などさすがと思わせる。

シェルヘンの音楽的パワーはさすが、と思わせるのは第4番で、序奏の神秘的な出だしから、いきなり全力投球のアレグロへの移行など解釈も面白いし、フィナーレも元気いっぱいの演奏だ。

第5番は出だしから勢いがあり、アンサンブルの乱れなど重要なこととは思えなくなるから不思議で、現代の完璧主義に疲れた向きには絶好だろう。

『田園』もまた乗りに乗っており、こんなに楽しげな第1楽章も珍しく、第2楽章の小川の流れも少々速め、第3楽章の村祭りも景気がよい。

となれば嵐の場面が凄いのは必定で、ティンパニは轟音だし、シェルヘンが叱咤激励どころか怒鳴る声まで聞こえるド迫力である。

“舞踏の聖化”と呼ばれた第7番は予想どおり元気がよいが、リズムの根本がしっかりしているので、崩れそうで崩れない。

第2楽章のアレグレットは意外にしっとりと歌うが、どんどん盛り上げて行くのも彼らしく、第3楽章プレストが大忙しなのは言うまでもないが、フィナーレも強烈、シェルヘンの怒鳴り声まで聞こえる、とにかくエキサイトした熱演だ。

第8番は最初からめいいっぱいのライヴ・ファン必聴の演奏で、弦のセクションの松やにが飛び散るのが見えるような勢いに脱帽するし、第2楽章のユーモアがまた格別。

全曲を20分強で荒れ狂い突進するので、ビデオを早送りしているみたいだが、とにかく楽しい。

第9番もまことにヴォルテージが高く、第1楽章のアレグロは文字どおりマエストーソ(荘重)で、第2楽章では崩れそうで崩れないリズムが迫力を生む。

第3楽章は意外とあっさりしているが、フィナーレ導入部の激越さには驚くばかりで、とても弾けないような速いテンポも飛び出す。

“歓喜の旋律”はしみじみとしているが、いよいよ独唱と合唱が入ると物凄い迫力で、最後まで緊張感が持続する。

激情が先に立って仕上げがおろそかになっており、一般的にはお薦めできないが、フルトヴェングラーが警告した、レコード用の演奏がコンサート・ホールにも進出、という物足りなさを実感している人には最も貴重な記録と言えよう。

シェルヘンがルガーノのベートーヴェン・チクルスで成し遂げようとしたことは、「慣習」という名でスコア上に堆積した夾雑物を一掃することである。

その象徴が、「間違い」と言われ続けてきたメトロノーム記号を全面的に信頼し、実践したことであろう。

オリジナル楽器が市民権を得た今となってはこのテンポも不思議ではないが、この時代からスコア忠実主義だったとすればシェルヘンの評価も変わるだろう。

尚「しゃべる」「うなる」「号令をかける」の3拍子そろったリハーサルも収録されていて、そこでの怒声の凄まじさといったらなく、それが激烈な演奏と一体となり、本番が物足りなくなるほどだ。

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classicalmusic at 00:10コメント(0)ベートーヴェンシェルヘン 

2018年06月26日


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オトマール・スウィトナー、シュターツカペレ・ドレスデンによるモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲ハ長調及び管楽器のための協奏交響曲変ホ長調のドイツ・シャルプラッテン音源をUHQCDにリニューアルしたディスクである。

前者は1975年のブロムシュテット首席時代の客演、一方後者はスウィトナー自身が首席指揮者だった1961年の演奏で、どちらも彼らのレコーディングの殿堂ドレスデン・ルカ教会で収録されている。

本家のクラシック部門ベルリン・レーベルからは、スウィトナーのモーツァルト演奏集11枚が2巻に分けてリリースされた。

この2曲の協奏曲は組み込まれなかったので今回のUHQCD化でのグレードアップ盤の登場を歓迎したい。

古い音源であるにも拘らずオリジナル・マスターの状態が非常に良好なことが想像されるが、UHQCD化によって透明感のある彫りの深い音場が確保されている。

それぞれの楽器の定位も明瞭で、ハープの軽やかな撥弦音やフルートとの掛け合いの美しさもクリアーに再現される。

特に協奏交響曲の方は旧東独でステレオ録音がスタートして間もない頃の録音だが、4人の管楽器奏者の息の合ったアンサンブルも手に取るような臨場感がある。

ちなみにこの作品は、モーツァルトの原曲ではクラリネットではなくフルートのソロだった筈だがスコアは失われ、後に発見された現在の楽器編成で習慣的に演奏されている。

オリジナル編成による録音は殆んど見当たらないが、以前フィリップスからリリースされたモーツァルト・エディションには加わっていた。

モーツァルトと同じオーストリア出身のスウィトナーだけに、彼の得意とするジャンルに表現される開放的だが品が良く、おおらかな音楽作りが特徴的で、シュターツカペレ・ドレスデンのともすればやや律儀過ぎるところを和らげている。

ソリストは全員シュターツカペレの首席奏者で、彼らの音色はベルリン・フィルのスター・プレイヤー達のきらびやかさに比べればずっと地味でその奏法も華麗とは言えないが、決して野暮ったい印象はなく本来の室内楽的なアンサンブルの活き活きした演奏が織り成すモーツァルトの幸福感を堪能できる。

それは彼らがゼンパーオーパーでのモーツァルトのオペラ上演でも百戦錬磨で鍛え上げられたオーケストラであることを証明している。

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classicalmusic at 00:08コメント(0)モーツァルトスウィトナー 

2018年06月24日


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このCDは7曲が1957年のシカゴ・リリック・オペラのガラ・コンサートからのライヴで、この時代のオペラ・スター歌手4人による声の饗宴を堪能することができる1枚だ。

ライヴはモノラル録音だが、音質はまずまずで全盛期のテバルディ、シミオナート、バスティアニーニの美声と、一にも二にも声の響きで表現するイタリア式のスタイリッシュなベル・カント唱法がいやがうえにも聴き手を引き込むアルバムだ。

尚第1曲目に置かれたヴェルディの『運命の力』序曲は初CD化のようだ。

このガラ・コンサートはゲオルグ・ショルティ指揮、シカゴ・リリック・オペラ管弦楽団の伴奏になる。

2曲目サン=サーンスの『サムソンとダリラ』からシミオナートが歌う「君の声に私の心は開く」と3曲目のチャイコフスキー『エフゲニー・オネーギン』からテバルディが歌う「タティアーナの手紙のシーン」は共にイタリア語訳の歌詞が使われているのが興味深い。

ごく特殊な言語を除いて国際公演では原語上演が常識になっている現在では珍しいことだ。

それを許しているショルティにも、また当時のイタリア人歌手達のアメリカでの絶大な人気からも、まだ歌手優先だった時代の慣例を窺わせるものがある。

ちなみにシミオナートはフェルディナンド・プレヴィターリと録音した別のアリア集で、同オペラのもうひとつのアリア「春は目覚めて」を原語のフランス語で披露している。

後半最大の聴きどころは8曲目、ポンキェッリの『ラ・ジョコンダ』から終幕のシーンでジョコンダとラウラのそれぞれに扮するテバルディとシミオナートがこれぞイタリア・オペラの醍醐味と言えるような、火花を散らす激しいデュエットを聴かせるトラックだ。

この2人は同オペラの全曲盤のセッション録音では協演する機会をもたなかったので貴重なライヴだ。

一方バスティアニーニが歌う十八番の『アンドレア・シェニエ』から「祖国の敵」が貫禄充分だ。

またトスカニーニに天使の歌声と讃えられたテバルディの何処までも澄み切った、それでいてドラマティックな表現による『メフィストーフェレ』はオペラの黄金時代を飾った模範的な歌唱芸術として聴き継がれるだろう。

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classicalmusic at 00:19コメント(0)ショルティ 

2018年06月22日


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この2枚のCDに収められた11曲の録音年代は、デニス・ブレインが加わった1957年のアンサンブル『3つの小品』から、マニュエル・パユのフルート、デイヴィッド・ジンマン指揮、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団による2002年の『フルート協奏曲』までほぼ半世紀に亘っている。

幸い古いものについてはデジタル・リマスタリング処理がされていて意外なほど音質が良く、イベールのオーケストラル・ワーク、協奏曲、更にアンサンブルから歌曲に至るまで広いジャンルの作品の魅力を俯瞰できるのが特徴だ。

廉価盤としては理想的なカップリングと言うべきだろう。

先ず『フルート協奏曲』におけるパユは、本当に明瞭な音で、アーティキュレーションに曖昧さもなく、速いテンポの中でも余裕がある。

そこが、他のフルーティストと最も違う所で、学習者にも最高のお手本になっている。
 
ただ、この楽器の限界まで低音などでフォルティッシモで鳴らしている所の音響、楽器の共鳴、うなりについては、ホールの後ろの席で聴けば美しい音なのであろうが、この優秀録音での近接音は、好悪を分けそうだ。

この海外盤では、国内盤に比べそれが少し隠されて、僅かだが距離感のある音になっているのは救われる。
 
結局、オーケストラの優秀さ、録音の良さもあり、この協奏曲のベスト争いにパユ盤も加わることになった。

音楽の遊園地的な管弦楽曲『ディヴェルティスマン』はルイ・フレモー指揮、バーミンガム市響の演奏で1973年の録音だが、筆者の持っているマルティノン、パリ音楽院の羽目を外した楽しさに比べると、スマートだがいくらかまとまり過ぎている気がしないでもない。

『3つの小品』での聴き所は、ブレインが縁の下の力持ちに徹するアンサンブルの面白みと、彼としては貴重なステレオ録音であることだ。

また1958年のストコフスキー指揮、フランス国立放送管弦楽団による『寄港地』は、イベール自身が第1次世界大戦中に実際に立ち寄った港町の情景を音楽で綴ったイメージ集で、現代風に言うならさしずめ地中海クルーズ紀行といったところだが、ストコフスキーの情景描写は素晴らしく、音楽の持つ特徴を鮮烈に描き出している。

「テュニス」での名高いオーボエ・ソロを持続した緊張感の中に浮かび上がらせる棒さばきも鮮やかだ。

ジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団による2曲『祝典序曲』及び『架空の愛へのトロピズム』はどちらも1974年の録音で、ここでは流石にマルティノンの晴れやかで、特に後者では美しい抒情性と対照的なジャズ・バンド顔負けのラテン的な明るさが特筆される。

最後にジョゼ・ヴァン・ダムのバリトン・ソロ、ケント・ナガノ指揮、リヨン・オペラ・アンサンブルによる『ドン・キホーテの4つのシャンソン』だが、筆者はこの映画を持っていて、シャリアピンの途方もなく型破りでスケールの大きい歌と演技に魅了された者にとっては、酷な言い方かも知れないが、ヴァン・ダムの歌唱は修道僧の真面目くさった説教のように聴こえてくる。

しかしケント・ナガノが繊細で味のある伴奏を付けているのは評価できる。

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classicalmusic at 00:39コメント(0)ジンマンマルティノン 

2018年06月20日


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セルゲイ・プロコフィエフの交響曲第5番は祖国ソヴィエトのために書かれた作品で、それまでの急進的でややもすると刺々しい好戦的な趣が抑えられて、抒情的で雄大な曲想を持っている。

それだけに彼の円熟した作曲技法が駆使された、音楽的にも新境地を示していて、更にその後の彼の作風を方向付けているとも言える。

サー・サイモン・ラトル指揮、バーミンガム市響の1992年のセッションは、精緻なオーケストレーションを冷静に辿ったアプローチで、祖国愛の熱狂とは異なった方向から攻めた極めてスペクタクルな演奏だ。

一方第7番はアンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団による1977年の録音で、この作品はプロコフィエフにとっては最後の交響曲になるが、ここでもリリカルで、またスケルツォ的な性格が顕著だ。

特に第2楽章アレグレットは殆んどワルツで、1948年のジダーノフ検閲で当時のソヴィエトの作曲家には相応しくない作品として批判の槍玉にあがった曲でもある。

しかしプレヴィンの楽譜からの読み取りの深さは、そうした批判が必ずしも的を得ていなかったことを証明する高い音楽性を持っている。

交響的協奏曲は実質上チェロ協奏曲で、1952年にロストロポーヴィチのソロ、スヴャトスラフ・リヒテルの指揮で初演された。

このCDではロストロポーヴィチの愛弟子で女流のハンナ・チャンが師匠秘伝の作曲家自身の助言による解釈と、恐るべきテクニックを披露している。

アントニオ・パッパーノ指揮、ロンドン交響楽団による2002年のセッションで、題名の通り非常に充実したオーケストラ・パートをパッパーノが巧みに彫琢した緊張感とスリルに満ちた演奏が秀逸。

最後のバレー組曲『シンデレラ』は同名のバレー音楽から15曲を抜粋したもので、ロバート・アーヴィング指揮、ロイヤル・フィルの57年の歴史的セッションだが、デジタル・リマスタリングによって音質は良好。

蛇足ながらこのセットとRCAのラインスドルフ、プロコフィエフ作品集で彼の代表的なオーケストラル・ワークと協奏曲が揃うことになる。

勿論演奏の傾向は異なるが、優れたセッションの上に両者の選曲に全くだぶりが無く、また双方ともコスト・パフォーマンスの高い廉価盤なので、入門者にもお勧めできる。

ちなみに交響曲第1番『古典交響曲』は、どちらにも入っていないが、このEMI20世紀クラシック・シリーズのもうひとつのセット、協奏曲集にカップリングされている。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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