2017年05月25日


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カルロ・マリア・ジュリーニは1948年にヴェルディの『椿姫』で本格的なオペラ指揮者としてのデビューを飾り、1953年からはヴィクトル・デ・サーバタの後を引き継いで39歳の若さでミラノ・スカラ座の音楽監督に迎えられた。

本盤に収録されたケルビーニの『レクイエムハ短調』はその前年1952年の録音になり、かなり珍しいレパートリーだが、彼の宗教曲に対する巧妙な手腕が示された貴重な音源で、作曲家の完璧とも言える精妙な対位法が織り成す高貴で厳粛な雰囲気とラテン的な劇場感覚の双方を見事に表現している。

歴史的にはトスカニーニ以後の2番目の録音で、ジュリーニはその後も再録音の機会を持たなかった。

但し音質に関しては、リマスタリングは良好なものの時代相応のモノラル録音であることが惜しまれる。

オーケストラ及びコーラスはジュリー二の母校、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の演奏で、イタリアらしい明快で屈託のない演奏に貫かれているが、先ず入祭唱のしめやかな「キリエ」に引き込まれる。

全体的にジュリーニはシンプルでストレートな解釈を示していて、第3部のブラス・セクションと銅鑼で告げられる「怒りの日」を聴いていると彼のヴェルディの『レクイエム』を彷彿とさせる。

それはヴェルディがこの作品からインスピレーションを得ているからだろう。

勿論ヴェルディは「怒りの日」で全オーケストラを鳴らし切る壮絶なサウンドを創り上げているが、その原形がここにあるような気がする。

オッフェルトリウムの壮麗な二重フーガでの統率も隙がなく、クライマックスを導くストレッタでの混声合唱の声部の綾も明瞭に再現している。

ルイジ・ケルビーニ(1760-1842)は2曲の『レクイエム』を遺しているが、このハ短調はフランス王政復古後1815年にルイ16世処刑後23年の追悼式典のために作曲されている。

彼はイタリア人だったが後年フランスで重用され王党派の1人として革命も経験している。

特有の厳粛さはおそらく声楽陣のソリストを欠いているからだろう。

と言うかケルビーニはこの『レクイエム』をことさら派手に聴かせるようなアピールは一切していない。

そこには葬儀のための音楽として忠実に奉仕した無欲さが感じられる。

しかし決して地味な作品ではなく、コーラス及びオーケストラの書法は練達を極めていて、全く無駄のない効果的な音響に驚かされるし、ベートーヴェンが称賛したというエピソードも疑いのない事実だろう。

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2017年05月23日


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この3枚にはレ・ヴァン・フランセーの古典から20世紀に至る迄の幅広いウィンド・アンサンブルのレパートリー8曲が収められている。

レギュラー・メンバー6人(フルートのエマニュエル・パユ、オーボエのフランソワ・ルルー、クラリネットのポール・メイエ、ホルンのラドヴァン・ヴラトコヴィチ、ファゴットのジルベール・オダン、ピアノのエリック・ル・サージュ)の個人的な実力だけでなく、彼らの合わせのテクニックや音色の輝かしさ、また変化する陰翳の豊かさと軽妙洒脱な表現力が鮮やかに示された極めて充実したアルバムになっている。

バジェット価格に抑えられているので彼らの演奏を初めて聴く方のためのサンプラー盤として、また室内楽の入門者にも是非お薦めしたいセットだ。

CD1は彼らが最も得意とするフランスの作曲家の作品集で、流石にその磨き抜かれた音色と精緻だが柔軟で瑞々しいアンサンブルが美しい。

アンサンブルから醸し出されるカラフルでコケティッシュな雰囲気は水を得た魚のような彼ら独自の世界を展開している。

3枚の中でもメンバー全員の洒落っ気と遊び心が最高度に発揮されているアルバムだろう。

こうした演奏に魅力を感じる方なら、別途にリリースされているピアノの加わらない管楽器奏者5人のみによるフランス及び世紀のウィンド・アンサンブル作品集の2枚組も欠かすことのできない選択肢になるだろう。

幸いこのCDとの収録曲のだぶりがないのもコレクターにとっては好都合だ。

CD2はモーツァルトとベートーヴェンのピアノと管楽器のための五重奏曲で、この2曲に関しては過去にも名盤があった。

例えば前者にはフィリップスのモーツァルト・エディションにも加えられていたブレンデル、ホリガー、ブルンナー、バウマン、トゥーネマンの名演があるし、後者で興味深いものを挙げれば、彼らと同様フランス系のアンサンブルとしては1993年に巨匠リヒテルとモラゲス管楽五重奏団が協演した素晴らしいフィリップス盤が存在する。

聴き比べるとリヒテルの泰然自若として流麗なピアノが扇の要になってモラゲスとの調和が絶品で、気品においてもまた高い音楽性でも決して引けをとっていない。

またもう少し古い例ではドイツ・グラモフォンのベートーヴェン・エディション第14巻にレヴァインとアンサンブル・ウィーン=ベルリンの演奏があり、そちらもシェレンベルガー、ライスター、ヘーグナー、トゥルコヴィッチという錚々たるメンバーの卓越した演奏が聴き逃せないだろう。

尚レ・ヴァン・フランセーのベートーヴェン・アルバムにはこの曲は収録されていない。

CD3はテュイユの六重奏曲とリムスキー=コルサコフの五重奏曲で、前者は多少時代遅れなロマンティシズムがやや凡庸な印象を与えるが、聴き進めていくとテュイユの楽器の特性を熟知した流麗でしかも手馴れた対位法のテクニックが示された秀作だと思える。

寓話的なラルゲットから終楽章ヴィヴァーチェは、6人のメンバーによってテーマが次々と引き継がれる華麗な展開部が聴きどころだ。

一方後者はリムスキー=コルサコフがロシア音楽協会のコンクールに提出した作品で、作曲家の若々しい推進力を持った一風変わった奇抜な楽想を良く反映して、意気揚々としたパッセージが快適に再現されている。

中間楽章はレ・ヴァン・フランセーの暖色系で洗練を極めたアンサンブルではスラヴの抒情というわけにはいかないが、むしろ諧謔的で活発な終楽章ロンドに彼らの本領が発揮されていると言えるだろう。

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2017年05月21日


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総てチェコ勢で固めた演奏で、スプラフォンではこうした音源に事欠かないのは幸いと言うほかはない。

マルティヌーの2曲のヴァイオリン協奏曲、そして実質的なヴィオラ協奏曲の形をとるラプソディー・コンチェルトをヨセフ・スークのソロ、ヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団によるセッションで収めている。

ラプソディー・コンチェルトのみが1987年、ヴァイオリン協奏曲はどちらも1973年の録音になる。

この1973年はヴァイオリン協奏曲第1番が同じくスークのヴァイオリン、ショルティ指揮、シカゴ交響楽団によって初演された年だった。

元来この曲はヴァイオリニスト、サミュエル・ドゥシュキンからの委嘱作品で、初演が遅れた理由は楽譜の散逸とその再発見という皮肉な巡り会わせらしいが、基本的に無調で描かれた斬新でパワフルな曲想を持っていて、リズムにはチェコの民族的な要素が入り込んでいる。

スーク特有の明快なテクニックと気品のある表現が全開の演奏で、また初演への意気込みと自負も感じられる。

ヴァイオリン協奏曲第2番はエルマンのコミッションで、初演は1943年にミッシャ・エルマン自身のソロ、セルゲイ・クーセヴィツキー指揮、ボストン交響楽団によって行われた。

当時エルマン・トーンと言われた美音とスタイリッシュな奏法で一斉を風靡したエルマンの演奏を想定して作曲されたためか、第1番よりずっとリリカルなカンタービレに支配されていて、当然ながら彼の聴かせどころを最大限に活かした曲想を持っている。

その意味では美音家スークの艶やかで甘美な音色を駆使した、彼の面目躍如たるセッションでもある。

それは最後のヴィオラと管弦楽のためのラプソディー・コンチェルトにも共通していて、ヴィオラのふくよかな音色とこの楽器の機能を良く知り尽くした巧みな表現で、比較的稀なヴィオラのための協奏曲を牧歌的な魅力に溢れた作品に仕上げている。

ヴァーツラフ・ノイマン、チェコ・フィルのサポートはこれらの曲のスペクタクルで充実したオーケストレーションに彼らの機動力を発揮した、しかもバランスの良い再現が鮮烈だ。

それほど民族的なエレメントは使われていないが、マルティヌーは彼らの最も得意とするレパートリーのひとつであることも証明している。

音質は1987年のラプソディー・コンチェルトのみがデジタル録音で、やはり最も良い状態だが、その他も2009年の新しいリマスタリングでオリジナル・マスターの特徴が蘇っている。

ライナー・ノーツは42ページあり、かなり充実した解説と演奏者紹介が英、独、仏、チェコ語で掲載されている。

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classicalmusic at 00:51コメント(0)トラックバック(0)スークノイマン 

2017年05月19日


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ベートーヴェンの作品でも弦楽四重奏曲は、作曲者の内面を反映した特別な作品と言える。

それらは、ひとりディスクで聴くにふさわしい規模であり、人生のあらゆる機会に聴き手の内奥に触れる。

音楽のもつ偉大な力を、さらに大規模な作品と同じように痛感させるのも凄い。

そのためベートーヴェンの弦楽四重奏曲は入手できるほとんどのディスクを聴いてきたと思うが、その中で、特に強い感銘を与えられたのが、このスメタナ四重奏団の全集である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏が、弦楽四重奏団にとってひとつの究極であるとともに、常にそのマイルストーンとなり得るものであることは間違いなく、それはスメタナ四重奏団にとっても、それは例外ではなかったろう。

モノーラル録音の時代から、彼らはベートーヴェンへのアプローチを重ねてきたし、メンバーの交替はあっても、一貫してボヘミアの伝統を生かした美しい音とアンサンブルによって、深く格調の高い演奏を緻密に展開してきた。

全集と言えば、かつてのブダペスト四重奏団が練達の境地でひとつの高峰を築いていた。

最近の東京クヮルテットの新鮮な表現も忘れ難いが、音楽の大きさにおいて、まだスメタナ四重奏団の最後の録音には及ばない。

スメタナ四重奏団は深い精神性とアンサンブルの集中力において、依然、他の追随を許さない。

弦楽四重奏のひとつの理想を達成した演奏であり、初期、中期、後期のいずれもが確かに作品の本質をあらわにしている。

本セットに収録されているのは1976年から85年にかけてのデジタル録音で、スメタナ四重奏団としては2度目の録音になるが、1回目は全集として完結していないので事実上これが彼らにとってはベートーヴェンが書いた17曲の弦楽四重奏曲(このうち1曲はピアノ・ソナタからの編曲)の唯一の記念碑的な全曲集になっている。

スメタナ四重奏団は古典から現代に至る膨大なレパートリーを総て暗譜によって演奏したが、とりわけベートーヴェンは精力的にコンサートのプログラムに取り入れた作曲家の1人だった。

彼らの公式演奏記録によれば1945年の結成から1989年にキャリアを終えるまでにベートーヴェンの弦楽四重奏曲のみで合計1490回、また音楽性の表出や演奏技術面においても難解とされる同後期作品だけでも654回取り上げている。

しかも1956年以降は最後までメンバー不動で活動を続けた、まさに百戦錬磨のカルテットでもあった。

スメタナ四重奏団は、モノーラル時代からベートーヴェンを何度も録音してきており、レーベルもウェストミンスター、スプラフォン、そしてデンオンと変わった。

それぞれの演奏が、今も光彩を放っているが、やはり音楽の深さにおいて、最後のデンオンへの録音が感動的である。

演奏の全体的な印象としては、第1回目の覇気はやや影を潜めたが、全曲を貫く奇を衒わないごく正統的なアプローチは筋金入りだ。

長年のキャリアと経験によって培われた阿吽の呼吸と鍛え上げられた緊密なアンサンブルを絶妙にコントロールして、清澄な響きの中に洗練された音楽性を醸し出す奏法は、彼ら独自の境地を切り開いていて感動を禁じ得ない。

彼らのベートーヴェンはヨーロッパの伝統様式を踏襲しながら、それを新古典的な感覚で生かしており、内面から湧き上がる表情の深遠さは類を見ない。

しかも弦の響きの美しさとアンサンブルの清澄さ、室内楽的な融合と統一においても、彼らを凌ぐベートーヴェンは未だ存在しないと言える。

その感情を極度に抑制し、作為的なこわばりのない自然な音楽の姿を作り出していく技術の確かさには、ただ驚き入るばかりだ。

アナログ録音は、やや禁欲的に過ぎるきらいがあるが、デジタル録音では、持ち前の透明度の高い音色の中から暖かい情感が滲み出てくるあたりの味わいの深さが凄い。

作品に深く傾倒することによって、透徹した格調高い音の世界を生み出しており、特にベートーヴェンの晩年の心境を抉り出した後期の作品が素晴らしい。

彼らのベートーヴェンは、ハイドンもモーツァルトでもそうだが、弦楽四重奏の美学を終局にまで追い詰めた稀に見る完成度の高い名演なのだ。

それは、彼らの歴史の究極であるばかりではなく、室内楽のひとつの規範ともなり得よう。

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2017年05月17日


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アルバン・ベルク弦楽四重奏団の評価を決定づけたベートーヴェンの全集の第1回録音(1978年〜1983年)で、1985年度レコード・アカデミー賞受賞盤。

この団体の強い音楽的個性や主張がアルバム全体を通して終始一貫しており、今尚実に強烈な印象を残すアルバムである。

全体にテンポはやや速めだが、決して軽薄に流れず、むしろメリハリが実に明確で、音楽を絶えず前へ前へと駆動する力に溢れているため、若々しい推進力や軽快な躍動が生まれる。

清新な意気に満ちた初期作品や強い集中力によって統御された緊張度の高い中期作品群も素晴らしいが、何よりも後期作品集の一期一会的な完成度の高さが魅力的である。

ベートーヴェンの音楽に内在する可能性を鮮烈に引き出した演奏で、アンサンブルの緊密度や柔軟性、各奏者の技術的、精神的な充実感も並々ならぬ高さにある。

初めて彼らの弦楽四重奏を聴いた時には、例えばOp.95『セリオーソ』の極限まで高揚するようなアグレッシブなアタックや第1ヴァイオリンを受け持つギュンター・ピヒラーのスタンド・プレー的な独特のディナーミクにいくらか違和感を持ったが、曲を追って聴き込んでいくうちに決して表面的でグロテスクなパフォーマンスではないことに気付いた。

そこには外側に表出されるサウンドの斬新さとは裏腹に曲の内部へ掘り下げていく表現の凝縮を感知させることにも成功しているからだ。

しかも彼らのアンサンブルは精緻を極めていて、4人の士気の高さとともに音色には特有の透明感がある。

個人的には特に後期の作品群が、最も彼らの解釈に相応しいのではないかと思うところで、第15番になると鮮明さを強調しすぎることなく音のバランスが良くなっている。

聴覚を失って音響から切り離された世界で作曲を続けなければならなかったベートーヴェンの境遇を考えれば、どうしてもそこにセンチメンタルな表現を期待しがちだが、彼らはむしろクールな情熱で弾き切り、清澄だが感傷的なイメージを払拭することによって新時代のベートーヴェン像を見事に描き出しているところが秀逸だ。

改めて感じたのはこの団体がウィーン出身であることで、スピード感、刺激といった現代的なセンスをもちながら、決して優美さを失わないのである。

強い表現性をもちながら、知・情・意のバランスの良い演奏は筆者の長年の愛聴盤になっている。

旧セットと曲目の配列もCDの枚数も全く同様だが、ワーナー・バジェット・シリーズのひとつとして更にプライス・ダウンされている。

現在多くのレーベルから一斉射撃のようにリリースされている箱物廉価盤は、それぞれが限定生産と銘打ってあるにせよ、芸術的な価値は別としていわゆる減価償却を終えた商品なのだろう。

こうした企画のラッシュは初出時に1枚1枚正価で買い集めたオールド・ファンにとっては、ミュージック産業の生き残りを賭けた熾烈なサバイバル戦を垣間見るようで、何とも複雑な思いがする。

しかしこれからクラシックを聴き始める入門者や若い世代の人達には勿論またとないチャンスには違いない。

それは兎も角として、アルバン・ベルク四重奏団は2008年7月の解散までに都合2回のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲録音をしているが、この演奏は1978年から83年に行われたセッションで、第2回目は1989年のウィーン・コンツェルトハウスでのライヴが同じくワーナーから再リリースされる。

メンバーの息遣いが聴こえてくるような鮮明な録音も驚異的で、それが緊張感漲る演奏の特質を一層強めているのに気付き、レコード芸術において演奏と録音が不可分であることを印象づけられる。

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2017年05月15日


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ボヘミアは古くから名立たる弦楽四重奏団を育んでいる地方だが、ライナー・ノーツによればスメタナ四重奏団は1945年に結成され、43年間の長いキャリアの中で60ヶ国でのコンサート活動を行い、数多くの音楽祭やレコーディング・スタジオに招待されたとある。

多忙な演奏会の合間を縫って彼らはベートーヴェンの弦楽四重奏曲やモーツァルトの弦楽五重奏曲の全曲録音を始めとする150種以上のレコーディングも成し遂げている。

このCDに収録されたモーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲に関しては僅かに1回ずつのセッションの機会しかなく、前者は彼らのメンバーが不動になる以前の1952年の演奏であるためモノラル録音である。

ヴィオラはヤロスラフ・リベンスキーが受け持っているがオリジナル・マスター・テープの保存状態が比較的良好。

リマスタリングの効果もあって彼らの身上でもある奇をてらわない飄々として流麗なアンサンブルと、弦の国チェコならではの落ち着いた音色が再現されている。

一方ブラームスは1964年のステレオ録音で、こちらは黄金期のメンバーの第1ヴァイオリン/イルジー・ノヴァーク、第2ヴァイオリン/リュボミール・コステツキー、ヴィオラ/ミラン・シュカンパ、チェロ/アントニーン・コホウトの4人が弦楽四重奏団としての頭角を現した。

鍛え上げた阿吽の呼吸とも言うべき類い稀な合わせのテクニックで、円熟期にはないこの頃特有の覇気に満ちた演奏を繰り広げている。

クラリネット・ソロはいずれも同郷の出身でチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者だったヴラディーミル・ルジーハである。

彼はターリッヒ、アンチェル、クーベリックなどの名指揮者の下で研鑽を積み、アンサンブルの一員としてもこのCDで示されているように個性派ではないにしても、モーツァルトでの弦楽にぴったり寄り添いながら弱音を巧みに使った温もりのある表現は流石に巧い。

そのごく自然な演奏がスメタナ四重奏団とひとつの完成されたモーツァルトの世界を創造している。

またブラームスでは両者ともかなりドラマティックな解釈を試みていて、スメタナの凛として厳格な弦にルジーハの渋く咽ぶようなクラリネットが応酬する協奏的な雰囲気が特徴だ。

スプラフォン音源の隠れた名盤で、どちらもプラハ・ドモヴィーナ・スタジオにて収録。

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2017年05月13日


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1917年にブダペスト国立歌劇場のメンバーによって結成されたハンガリーの代表的室内楽団ブダペスト四重奏団は、1967年にちょうど半世紀にわたって個性的な活動を繰り広げた20世紀最高の四重奏団である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の黎明期ともいえるSP期から数えると、何と3回もの全曲録音(1回目は1曲欠ける)を行なっているブダペスト四重奏団は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に生涯を捧げた歴史がある。

1917年からのSP期に第1回、1952年のLP期に第2回、1958年のステレオ期に第3回と、1967年に解散するまで何かとベートーヴェンとのかかわりをもってきた。

このステレオ期の1958年から61年にかけてニューヨークで録音された全集は、ブダペストのそれまでの至芸の総決算といえるもので、ベートーヴェンの本質に肉薄したその演奏は、人間ベートーヴェンの精神性を見事に語り尽くしている。

いわばロシア人だけによるメンバーが復活してからのことであり、このアンサンブルが円熟期を迎えていた時のことである。

ロイスマン、アレクサンダー・シュナイダー、クロイト、ミッシャ・シュナイダーという4人が、その顔ぶれであった。

この顔合わせは、1917年に創設された際のメンバーが、すべて姿を消した1936年に発足したことになる。

もっとも、1944年に第2ヴァイオリンが交代したため、一時変わってしまい、1955年に再び顔をそろえたのであった。

4人がすべてロシア人でありながら、教育はドイツ・オーストリアで受けており、1938年からは、アメリカのワシントン国立図書館に所属していたということを考えると、この名称がかなり奇異に感じられるのも事実だが、意外にブダペスト四重奏団として自然に受け取られていたのも興味深い。

その主軸を占めたのは、新即物主義的なロイスマンであり、彼が主導しながら、その演奏では、4人の平等なる均衡のもとに緊密なアンサンブルが築かれていた。

そのベートーヴェンは、彼らにとってのひとつの究極であり、彼らの音楽も哲学も、そして理念もすべてそこに集約されており、弦楽四重奏のひとつの規範もそこに示されている。

ベートーヴェンの楽譜を深く洞察することによって、音楽の表現に欠くべからざるもののみを有機的に結合させ、作品を構造的に抽出している。

技術的には衰えを見せてはいるものの、聴く度ごとに新たな発見を見出すことのできるレコード史上の一大金字塔と言っても過言ではあるまい。

録音は古くなったが、1967年に解散したこの団体の演奏は、歴史の浅い弦楽四重奏団からは味わえないような風格が感じられる。

初期の作品から、後期の作品に至るまで、常に厳しい姿勢で貫かれ、音楽の内面をじっと凝視するかのような鋭さをもっている。

それだけに、現在聴くと、表情の柔らかさにはやや乏しく、演奏スタイルも古めかしいが、そういったものを越えた、精神的な充実ぶりが、感動を呼ぶ。

ブダペスト四重奏団の残した数多くの遺産のうちでも最高のものといってよく、この弦楽四重奏曲集の音楽特性をこれほど豊かに表現した演奏というのも少ない。

今後このような演奏が再び生まれてくる可能性はまずない。

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2017年05月11日


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1曲目の『浄められた夜』はオリジナルの弦楽六重奏版で演奏されている。

メンバーはアルテミス四重奏団にアルバン・ベルク四重奏団のヴィオラ奏者トマス・カクシュカとチェロのヴァレンティン・エルベンが加わった編成で2002年のセッションになる。

全体の印象としていくらか神経質になり過ぎるところが無きにしも非ずだが、この曲のドラマ性は良く表現していると思う。

室内交響曲第2番Op.38はジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団の1987年の演奏で、入念な表現で聴かせてくれる。

特に第1楽章は、厚みのある弦の響きが見事で、テイトの知性と表現力の豊かさを如実にあらわしている。

リリカルな部分では巧みに歌っているが、ポリフォニックな後半ではもう少し確実なアンサンブルの裏付けが欲しい。

室内交響曲第1番Op.9、5つの管弦楽曲Op.16、モノドラマ『期待』Op.17及び管弦楽のための変奏曲Op.31に関しては総てサイモン・ラトル指揮、バーミンガム市響と同現代音楽グループの演奏になる。

現代音楽を得意とするラトルによって鍛え上げられたバーミンガム市響の技術水準とアンサンブルのチーム・ワークが聴き所だ。

中でも5つの管弦楽曲の『色彩』と題された第3曲目は音響作曲法で作られた最初の音楽と言われ、メロディーや拍打ちのリズムも消失したオーケストラの響きだけで構成された斬新な試みが興味深い。

尚これらの曲目は2010年にEMIからリリースされた「サイモン・ラトル、新ウィーン楽派の音楽」と銘打った5枚組セットにそのまま組み込まれている。

モノドラマの副題が付けられたソプラノ1人が演ずる『期待』は、精神医学者マリー・パッペンハイムの詩に基く事実上のオペラで、主人公の女性が自分が殺した男の亡骸を夜の森で発見し、モノローグに耽るという不気味な設定で、フロイトの深層心理学を舞台に映し出した作品らしい。

ソプラノのフィリス・ブリン=ジュルソンは良く健闘しているが、大編成のオーケストラの前ではドイツ語の発音が聴き辛く、シェーンベルクの考えた世界を充分に描ききっていないように思われる。

おそらくそれは曲自体の性質、つまりイタリア・オペラのように大音声で歌うことができない意識下の表現に壮大なオーケストレーションが施されていることにも起因しているのかも知れない。

実際の舞台であれば離れた席で歌手の言葉を一部始終聴き取ることは更に困難になるだろうからだ。

いずれにしてもこの2枚のCDはシェーンベルクの理論と音響の確執を見る思いがするセットである。

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