2017年04月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーが遺したブルックナーの交響曲第4番の音源は複数存在するが、今回プラガによってSACD化されたのが1951年のシュトゥットガルト・ライヴで、録音データについては諸説あり、このディスクのライナー・ノーツには10月20日と書かれている。

モノラル録音ながら音場にかなりの拡がりがあり低音域も豊かだが、SACD化によって奥行きも感知されるようになり、高音部の再現にも無理がない。

放送用ライヴのためか幸い雑音が極めて少なく音質も良好で、聴衆の咳払いや拍手も一切入っていない。

第1楽章冒頭のいわゆるブルックナーの霧の中に現れるホルン・ソロのミスが聞かれるので、リマスタリングに使われた音源は修正されていないオリジナル・マスターのコピーだろう。

この程度のミスはライヴにはつきもので、虚構を増長するような部分的な差し替えは、それがテクニック的に可能であったとしてもかえって興醒めしてしまう。

スコアは基本的に第3稿(1878ー80)だがレーヴェ版の第3楽章後半のカット部分を復活させて、全曲の演奏時間は66分40秒でハース版に近いものになっている。

ここでもフルトヴェングラーの自己主張が大胆に示されており、全体に極めて劇的な表現をつくり、緩急自在のテンポ感覚に情念が渦巻くようなディナーミクの変化が相俟ってかなり個性的なブルックナーに仕上げられている。

第1楽章から自在な解釈が面白く、聴衆を彼の世界に引き込んでいく変幻自在な指揮法が際立っているが、それに従うウィーン・フィルの特質も浮き彫りにされている。

圧巻は終楽章で、壮麗なうちに感動に満ちたものとなっており、精神の高揚と解放が生き生きと表されている。

大自然の抱擁をイメージさせる弦の温もりやウィンナ・ホルンを始めとするブラス・セクションの渋い音色の咆哮は、より輝かしいサウンドのベルリン・フィルとは対照的で、荘厳な雰囲気の中に導かれる終楽章のカタルシスは理屈抜きで感動的だ。

この曲はウィーン・フィルが初演した作品でもあり、彼らにも伝統を受け継ぐ自負と限りない愛着があったに違いない。

通常ブルックナーの歴史的名盤としては採り上げられないが、一般に考えられているブルックナーとは異なるロマン派の演奏様式としても尊重すべきであり、フルトヴェングラー・ファンだけにキープしておくには勿体ない演奏だ。

ブルックナーらしくないという意見も出ようが、ここまで音楽的になり、豊かな創造性を持つとこれはこれで立派な存在理由がある。

余白にカップリングされたワーグナーの『パルジファル』第3幕から「聖金曜日の音楽」は、同年4月25日のカイロ・ライヴとクレジットされていて、オーケストラはベルリン・フィルになる。

音質に関してだがオーケストラの音響の再生自体は擬似ステレオだが悪くなく、またベルリン・フィルのメンバーの巧みなソロも聴きどころだが、ヒス・ノイズが全体にベールのようにかかっていてやや煩わしいのが残念だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:23コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーブルックナー 

2017年03月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1950年に33歳で夭折したディヌ・リパッティの遺した音源は既にセッション、ライヴ共に出尽くした感がある。

後はリマスタリングによる音質の向上とバジェット価格によるリイシューが購入の目安になるが、こちらは彼の生誕100周年記念として今年になってワーナーからリリースされたべリーベスト盤だ。

パンフレットの最後にCD1及び2が2008年、CD3が2011年のリマスタリングと記されているので、EMIからイコン・シリーズで出ていた7枚とは3枚目のブザンソン告別演奏会のみが異なった新しいリマスタリングということになる。

ちなみに現行のSACDではプラガ・ディジタルスのものが唯一のアルバムで、その他に網羅的なレパートリーを集めたレギュラー・フォーマットのセット物ではドキュメンツからのウォリット・ボックス10枚組があり、また最近独プロフィールからもやはり100周年記念のリマスター盤12枚組がリリースされた。

音質を聴き比べてみると最も優れているのが当セットで、ステレオ期到来を待たずに亡くなった彼が遺した音源は総てモノラル録音ながら、比較的重心のしっかりしたサウンドが再現されている。

CD1のシューマンのピアノ協奏曲では若干雑音が聞かれるにしても、全体的には以前のCDの欠点だった平面的で干乾びたような音質はかなり聴きやすい状態に改善されている。

燃え上がるようなリパッティのソロが前面に出て臨場感を高めていることもあって1948年のセッションとしては充分に満足のいくリマスタリング効果が認められる。

モーツァルトの第21番は2年後のライヴでやはりカラヤンの指揮になり、音質的にはシューマンに及ばないがソロの部分は良好に捉えられている。

尚急速楽章に使われているふたつのカデンツァはリパッティ自身の手になる作品だ。

CD2ではSP盤から板起こししたようなスクラッチ・ノイズが随所に聞こえてくるが彼の豪快なピアニズムを堪能するにはさして邪魔にならない。

リパッティの作曲の師であったナディア・ブーランジェとのブラームスのデュエット集は、最も古い1937年の音源であるにも拘らず、音質は時代相応以上で、速めで生き生きとしたテンポ設定が来たるべきモダンな奏法を早くも先取りした新鮮な印象を与えている。

ラヴェルの『道化師の朝の歌』は殆んど狂気と紙一重のところの演奏で、他のどのピアニストよりもドラマティックで彼の恐るべきテクニックが示された積極性に驚かされる。

最後の1枚は最新のリマスタリングということだが、音源自体理想的なものではなく、確かにボリューム・レベルが上がってピアノの音色がより明瞭に聴き取れるが、同時に機材の共振も入っている。

しかしながらこのブザンソン告別演奏会は1人のピアニストとして、また1人の芸術家としての人生の終焉がこれほど厳しいものでなければならなかったか痛感させる。

当日のリパッティの演奏が決して病的なものではなく、逆に輝かしい精彩に富んでいるだけに尚更だ。

ライナー・ノーツはなく、収録曲目と録音データのみを掲載した7ページのパンフレット付。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:19コメント(0)トラックバック(0)リパッティ 

2017年03月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ロストロポーヴィチの主だったレコーディングはドイツ・グラモフォンとEMIに行われたが、前者は昨年既にバジェット・ボックス37枚組をリリースした。

一方ワーナーでは3枚のDVDを伴ったコレクション仕様40枚の豪華版を企画しているが、それに先立って彼の指揮したチャイコフスキーの7曲の交響曲を中心とするオーケストラル・ワークを纏めたリイシュー廉価盤がこのセットである。

ちなみにこの6枚は『ロココ風の主題による変奏曲』1曲を除いて40枚のソロ全集には組み込まれない予定だ。

オーケストラは序曲『1812年』がナショナル交響楽団、『ロココ風の主題による変奏曲』が小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏でロストロポーヴィチはチェロ・ソロにまわっている。

その他の総てが彼がしばしば客演したロンドン・フィルハーモニー管弦楽団だが、このうち『マンフレッド交響曲』ではデイヴィッド・ベルのオルガン、『憂鬱なセレナーデ』ではヴァイオリンのマキシム・ヴェンゲーロフがそれぞれ協演している。

ロストロポーヴィチも総合的な音楽活動を行った演奏家の1人で、チェリスト、ピアニストであっただけでなく円熟期に入ると更に指揮者としても多くの録音を遺している。

ロストロポーヴィチによるチャイコフスキーは、彼の故国ロシアへの郷愁溢れる熱い想いを窺い知ることができる名演だ。

彼の創造するサウンドは一見穏当のように見えるが、ここでは統率力にも秀でたテクニックを示していて、その華麗で瑞々しい繊細さと流麗なダイナミズムに加えて『マンフレッド交響曲』を始めとする交響曲第4番から第6番での総奏部分でのブラス・セクションのエネルギッシュな咆哮の迫力は先鋭的でさえある。

何よりも、ロンドン・フィルからロシア風の民族色の濃い、重厚な音色を引き出したロストロポーヴィチの抜群の統率力が見事である。

オーケストラの名前を隠して聴いたとした場合、ロシアのオーケストラではないかと思えるほどだ。

テンポもめまぐるしく変化するなど、緩急自在の思い入れたっぷりの演奏を行っているが、決してやりすぎの感じがしないのは、前述のようにロシアへの郷愁の強さ、そしてチャイコフスキーへの愛着等に起因するのだと思われる。

本セットに収められた楽曲の中で、特に名演と評価したいのは幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』だ。

この曲は、名作であるにもかかわらず意外にも録音が少ないが、ムラヴィンスキーの名演は別格として、殆どの演奏は意外にもあっさりと抑揚を付けずに演奏するきらいがある。

それに対してロストロポーヴィチの演奏は、民族臭溢れるあくの強いもので、ロシアの大地を思わせるような地鳴りのするような大音響から、チャイコフスキーならではのメランコリックな抒情に至るまでの様々な表情を緩急自在のテンポと、幅の広いダイナミックレンジで表現し尽くしている。

その表現の雄弁さは特筆すべきものであり、おそらくは、同曲の最高の名演の1つと言っても過言ではあるまい。

それに対して、交響曲第4番は意外にも端正な表現で、かの『シェエラザード』の濃厚な表現を念頭に置くと肩すかしを喰わされた感じだ。

もちろん、ロシア的な抒情にも不足はないが、『フランチェスカ・ダ・リミニ』の名演を聴くと、もう少し踏み込んだ演奏が出来たのではないかと思われるだけに、少々残念な気がした。

むしろ、交響曲第5番がロシアの民族色を全面に出した濃厚な名演で、冒頭は実に遅いテンポで開始される。

かのチェリビダッケを思わせるようようなテンポ設定だが、あのように確信犯的に解釈された表現ではなく、むしろ、自然体の指揮であり、そこには違和感は殆どない。

主部に入ってからの彫りの深い表現も素晴らしいの一言であり、重量感溢れるド迫力は、あたかもロシアの悠久の大地を思わせる。

第2楽章も濃厚さの限りであり、ホルンソロなど実に巧く、ロンドン・フィルも大健闘だ。

終楽章の冒頭も実に遅いテンポであるが、これは第1楽章冒頭の伏線と考えれば、決して大仰な表現とは言えまい。

主部に入ってからの彫りの深さも第1楽章と同様であり、この素晴らしい名演を圧倒的な熱狂のうちに締めくくるのである。

交響曲第6番『悲愴』は、終楽章後半の劇的なクライマックスの後の静かなゴングの糸を引くような余韻の残し方が感極まったように印象的で、それに続くブラスのコラールから弦の入りにかけてはえもいわれぬ寂寥感を感じさせて秀逸だ。

1976年から1999年にかけてセッション録音された音源になり、音質は極めて鮮明。

19ページのライナー・ノーツには演奏曲目及びフィリップ・ムジョーのチャイコフスキーのオーケストラル・ワークについての解説付で、録音データに関しては例によってそれぞれのジャケットの裏面のみに掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:13コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーロストロポーヴィチ 

2017年03月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シュロモ・ミンツが通常使用しているヴァイオリンは後期バロックの名匠、ロレンツォ・グァダニーニ製作の名器である。

この楽器自体美しい音色と潤沢な音量を誇っているが、低音から高音まで明るく澄んだ滑らかな音色と豊かな音量を駆使したミンツの奏法は、それだけでヴァイオリン音楽の典型的な美学を堪能させてくれる。

楽器を決して無理に鳴らそうとしないボウイングから紡ぎだされる知的でスマートなカンタービレやパガニーニに代表される超絶技巧を鮮やかに弾き切るテクニックは、レパートリーを選ばないオールマイティーの奏者であることを証明している。

その意味ではパールマンに共通しているが、ミンツにはパールマンの持っている解放的なサービス精神というか、ある種の媚のようなものが皆無で、情熱を内に秘めたクールな気品が感じられる。

このセットのCD7−8のバッハの『無伴奏ソナタとパルティータ』全曲では対位法のそれぞれの声部を流麗に歌わせながらも恣意的なところが少しもなく、構築性も充分に感知させている。

またもうひとつの無伴奏の対極にあるCD9のパガニーニ『24のカプリース』ではその悪魔的な恐るべき技巧を披露している。

協奏曲の中ではアバドとのメンデルスゾーンやブラームスにミンツの最良の音楽性が発揮されているが、バルトークやプロコフィエフでの鋭利で超然とした感性の表出でも引けを取らない。

またベートーヴェンではシノーポリの堅牢で構造的なオーケストラに支えられて冴え渡るソロも印象的で、終楽章でのテンポを抑えた敢えて名人芸を前面に出さない解釈にも説得力がある。

更に後半のソナタ及び小品集は彼のもうひとつのプロフィールを示していて、凝り過ぎない颯爽とした軽妙さが魅力だろう。

尚30ページほどのライナー・ノーツには収録曲目及び録音データの他に英、伊語によるこの音源の録音時期のミンツのエピソードが掲載されている。

ユニヴァーサル・イタリーの企画になるヴァイオリニストの系譜はグリュミオー、アッカルド、クレーメル、シェリング、そしてリッチと続いているが、今年2017年1月の新譜としてこのミンツ編がリリースされた。

当シリーズの弱点は何故かどれも網羅的な全集ではなく、選曲から漏れた音源が散見されることだが、現在入手困難な演奏も含まれているし、一応それぞれがブックレット付のバジェット・ボックスなので多くは望めないだろう。

しかしミンツは30代で大手メーカーへの録音をやめてしまったヴァイオリニストで、その後もコンサートを中心に演奏活動を続けている。

当ボックスに収録された以外の音源はそれほど多くなく、この13枚で彼の青年期の至芸が充分にカバーされていることは間違いない。

現在円熟期を迎えた彼のこれからの活躍にも期待したい。

ちなみにミンツがドイツ・グラモフォン以外のレーベルからリリースした現行のディスクは仏ナイーヴから指揮とヴァイオリンを担当したストラヴィンスキーの『兵士の物語』、米AVIE RECORSからのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全5曲及びヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の3枚組、ブラームスの3曲のヴァイオリン・ソナタと2曲のヴィオラ・ソナタ及び共作のF.A.E.ソナタ第3楽章スケルツォを収めた2枚組があり、DVDとしてはクルトゥーア・レーベルの『' 82フーベルマン・フェスティヴァル』の2枚組、チャレンジ・クラシックスからのパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番などがある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:31コメント(0)トラックバック(0)クライスラーパガニーニ 

2017年03月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトは600曲余りの歌曲を生み出し、それらのすべてに接したいと思うのはシューベルティアンの見果てぬ夢だった。

その願いを満たしてくれたのが、フィッシャー=ディースカウという超人的な歌い手によるこの大全集だった。

フィッシャー=ディースカウは古典から現代までにわたり、信じられないような量の声楽曲を歌い、演じ、録音してきたが、その膨大な録音群の中でひときわ高峰を成しているのがこのアルバムである。

勿論ここには男声用の歌曲しか収録されていないが、シューベルトの歌曲を窺う史上空前の最も重要なマイルストーンとなった。

以来別の企画でシューベルトの歌曲全集がリリースされたり、また目下進行中のシリーズもあったりするが、一歌手による一人の作曲家の作品への録音としてはレパートリーの上でも前人未到の驚異的な記録だし、今後も望めないだろう。

1966年から72年にかけての録音の集大成で、この21枚のCDに収められたシューベルトの歌曲は、3大歌曲集57曲とその他の男声用の作品406曲で構成され、その数だけでも実に463曲に及んでいる。

フィッシャー=ディースカウの声も芸術的な表現力も充実しきっていた時期の歌唱を満喫できるのが最大の魅力だが、これらの歌には、いわゆるやっつけ仕事としての歌唱がまったくないということも驚嘆すべきことだ。

ひとつひとつの曲に丹念な想いが込められ、精緻でありながら千変万化の巧みな表現と語り口調の絶妙さは傑出している。

ピアノのジェラルド・ムーアについて言えば、彼は伴奏を芸術の域に高めた功労者として知られているが、また自身の個性よりも常に曲趣と歌手の持ち味を生かすというニュートラルな立場を貫いた、まさに伴奏者の鏡のような存在だった。

彼は1967年に公開のコンサートからは退いたが、その後もこうした録音活動によって円熟期の至芸を鑑賞できるのは幸いだ。

まさにフィッシャー=ディースカウ&ムーアという稀代の名コンビによる共同作業の最高の結晶である。

更にフィッシャー=ディースカウは400曲を超えるこの大全集と前後して、わずか10年と少しの間に、ヴォルフとブラームス、シューマンの大全集の録音も行っている。

ベートーヴェンやメンデルスゾーン、レーヴェらの歌曲と合わせ、実に1000曲を超える録音を残してくれた。

フィッシャー=ディースカウは、どれほどの決意と使命感を持ってこの超人的な難事業にチャレンジしたのであろうか。

楽々と成し遂げられているように見えるが、これらは貴重な人類の宝というべきもので、奇蹟的というしかない偉業だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:21コメント(0)トラックバック(0)シューベルトF=ディースカウ 

2017年03月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー及びロンドン・フィルハーモニーの演奏による7枚のディーリアス・オーケストラル・ワーク集のリイシュー・バジェット・ボックス化になる。

以前EMIからリリースされた『20世紀の音楽』シリーズのディーリアス編では2枚に纏められていたが、このセットではディーリアスが個人的に交流を持ち、最良の理解者でもあったビーチャムが指揮した1929年から57年にかけての総てのセッション録音が復活している。

このうち最初の2枚のみがステレオで、それ以外は擬似ステレオ及びモノラル音源になる。

勿論それぞれがリマスタリングされているが、さすがに古い音源はスクラッチ・ノイズやヒス・ノイズが多くセピア色の時代物の写真でも見ているような印象だ。

それゆえ後半の5枚はアーカイヴ・コレクションとして割り切って聴くべきだろう。

ちなみに2枚分のステレオ音源は来月ワーナーから高音質UHQCDバージョンでもリリース予定だ。

英国生まれのドイツ人、フレデリック・ディーリアス(1892-1934)の作品はともすると飽きっぽいムード音楽の連続に陥りがちだが、ビーチャムの演奏には特有の気品があり、オーソドックスだが筋の通った解釈がひとつひとつの曲に込められた作曲者の思索を明らかにしている。

ディーリアスの作品は、後期ロマン派の流れを継承しながら洗練されたオーケストレーションで自然界に起こる森羅万象を音楽に反映させた。

その意味では彼の作品の殆んどが標題音楽になるが、彼が創造する独自の空気感やその劇的な変化が大自然への強い憧憬を感じさせている。

彼の神秘的かつ映像的なサウンドが10歳年下のヴォーン・ウィリアムズに大きな影響を与えたことは事実だろう。

メランコリックなメロディーの逍遥する静謐感の巧みな描写やエスニカルなエレメントを取り入れたダイナミズムに彼の音楽語法が特徴的だが、そこに枯渇した彼自身のスピリットが追い求める内面的な安らぎと回帰すべき永遠の故郷が表現されているのではないだろうか。

例えば『ブリッグの定期市』は古いイングランド民謡を基にグレインジャーが作曲した声楽曲だが、ディーリアスは変奏曲の形にアレンジして、1年に1度開かれるブリッグの町の市場にやってくる恋人の逢瀬を美しく暗示している。

またオペラ『村のロメオとジュリエット』は現在殆んど演奏されない曲目だけに貴重で、歌手達の演奏水準は理想的でなかったにしても1948年の録音としてはノイズのない良好な音源だ。

尚19ページのライナー・ノーツには収録曲目一覧とリンドン・ジェンキンスによるディーリアスとビーチャムのコラボについて解説されているが、録音データや演奏者の詳細に関してはそれぞれのジャケット裏面にのみ表示してある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:12コメント(0)トラックバック(0)ビーチャム 

2017年03月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブリューノ・モンサンジョンが編集したグールドとの対話集で、それぞれが異なった機会に収録され、彼の音楽的な構想のみならずラジオ番組の制作や私人としての日常生活など多岐に亘った内容が盛り込まれている。

先ず驚かされるのはグールドが殆んど饒舌とも言えるくらい良く話すことで、決して寡黙な芸術家ではなかったことだ。

また彼一流の話術を持っていて、どのような質問にも答えをはぐらかすことなく、真摯にしかも常に要領を得た語り口を披露している。

彼はまた聴衆やマスコミによって捏造された自分へのイメージの払拭も試みている。

彼の演奏中の身体を使った大袈裟とも思えるジェスチャーは、意識的であれ無意識にであれ頭脳に描いた音楽を最大限忠実に音に変換するための手段であり、決して聴衆へのパフォーマンスではないことを断言している。

はっきり言って彼は聴衆の反応などには全く無関心で、如何に音楽そのものの世界に自分を埋没させながら、理想とする表現の実現を貫徹するかということだった。

「私にとって聴衆は目的に向かう道の障害物だ」という言葉も象徴的だ。

本書の第2部として仕立てられたバーチャルなラジオ座談会ではグールドの哲学が彼自身によってかなり具体的に説明されているだけでなく、彼に起きたエピソードの釈明にも余念がない。

指揮者ジョージ・セルとの確執も興味深く、彼は表現上セルに敬意を払いつつも、実質的にこの巨匠をこき下ろしている。

グールドがクリーヴランド管弦楽団とのコンサートで弾く筈だったシェーンベルクのピアノ協奏曲はセルの意向で省かれた。

彼によればセルは新ウィーン楽派にも全く興味がなかったし、この協奏曲も勉強していなかった。

もう1曲のベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番のリハーサルでは椅子の高さの調節と弱音ペダルの使用でセルとの関係は決定的な決裂に至る。

『タイム』誌にはセルが「私が自分の手であなたの尻を5ミリほど削ってあげますよ。もっと低く座れるようにね」と言ったことが掲載され、グールドはその言葉が実際にセルから出たことを突き止める。

その後セルへの追悼文を掲載した『エスクワイア』誌では「そういうばかばかしいことを止めなければ(椅子の調節に夢中になっているグールドに対して)君の尻の穴に、椅子の脚を一本突っ込みますよ」に変形されていた。

グールドは録音芸術という形態を徹底的に追究した稀に見る音楽家だった。

つまり彼は聴衆を排して録音するだけでなく、1曲を構成し仕上げるために準備しておいた多くのテイクを切り貼りして彼が理想とする音楽に近付けた。

楽章ごとに異なった時期に録音し、異なったピアノを使ったベートーヴェンのソナタを、あたかも1台の楽器で通し演奏したかのようにグラフィック・イコライザーによって編集することも厭わなかった。

しかしそんなことを何の臆面もなく語ること自体、グールドの新時代への音楽への構想が如何に明確で具体的だったかを示しているのではないだろうか。

対話の内容は音楽的な話題を含めてかなり高度で込み入っているが訳出は良くこなれていて理解し易い。

また掲載されている少年時代から亡くなる少し前までの多くのスナップ写真は素顔のグールド像を捉えている。

エクセントリックでありたいとは思いもよらなかった彼が、自分自身に正直に生きれば生きるほど、逆に他人からはますますエクセントリックに見えてくるというパラドックス的人生がややもすれば滑稽だ。

いずれにしてもグールドの演奏は勿論こうしたエピソードを知らなくても充分鑑賞できるし、彼の創造する音響力学からその素晴らしさを感じ取ることも可能なのだ。

しかしながら伝説的に伝えられている彼の表現の源泉を知る上では非常に示唆的な対話集と言えるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:04コメント(6)トラックバック(0)グールド 

2017年03月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



リヒテルが初めてアメリカを訪れた際の歴史的録音で、このCDの音源はリヒテル・アメリカ・デビュー盤のひとつとしてLP時代から評価の高いものだった。

この録音が行われた1960年はいわゆる冷戦下、アメリカから見れば“鉄のカーテン”で隔てられていた“東側”の演奏家が初めてアメリカに来演した年にあたる。

とりわけリヒテルの2ヵ月にわたるツアーはセンセーションを巻き起こし、RCAによるレコーディングも並行して行われた。

その初録音がここに収められたブラームスで、同年11月に収録された『熱情』ともども、リヒテル絶頂期の凄みが生々しく伝わってくる。

リヒテルは超人的技巧を駆使しながらもスケールの大きい、厳しい感情表現を示しており、特に両端楽章が立派だ。

ラインスドルフの指揮は極めて熱っぽく、オーケストラの華やかさも加えて、リヒテルとがっぷり四つに組んでいる。

過去にはラインスドルフ&シカゴ響とリヒテルの爆演のように言われたこともあるが、良く聴いてみるとシカゴ響はラインスドルフによって非常に良くコントロールされていて、力強いが野放図な音を出しているわけではなく、リヒテルも決して力に任せて対決するような姿勢ではない。

それぞれが個性を完全に燃焼させながらもぴったりと呼吸を合わせて、コンチェルトを聴く醍醐味を満喫させてくれるのだ。

そこには極めてスケールの大きい音楽的な構想を持ったピアニズムが展開されていて、両者の張り詰めた緊張感の中に溢れるほどのリリシズムを湛えた演奏が感動的だ。

またリヒテル壮年期の水も漏らさぬテクニックの冴えもさることながら、第3楽章を頂点として随所に現れる抒情の美しさは如何にも彼らしい。

一方ここにカップリングされたベートーヴェンのピアノ・ソナタ『熱情』は同年にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されたもので、当初はもう1曲の『葬送』と共にリリースされた。

この2曲のソナタは2004年にXRCD化もされているが、リヒテルの凄まじい集中力と緊張感の持続が恐ろしいほど伝わってくる。

リヒテルは深々とした呼吸で熱っぽく弾きあげた、ダイナミックな根太い演奏で、全篇に溢れる強烈なファンタジーが魅力だ。

この曲の力強さと抒情性を、巧みに弾きわけていて見事で、全体に、極めてエネルギッシュな表現である。

彼自身はこの演奏を嫌って失敗作のように言っていたが、音楽的な造形からも、またその表現力の幅広さと強烈なダイナミズムからもベートーヴェンに相応しい曲作りで、本人であればともかくあらを探すような次元の演奏では決してない。

1960年にリヒテルはアメリカにおいて一連のセッション及びライヴから当地でのファースト・レコーディングを行っているが、このCDに収められている2曲もその時の音源で、リヴィング・ステレオの良質なオリジナル・マスターが今回のDSDリマスタリングによって更に洗練された音質で甦っている。

ソニー・クラシカル・オリジナルスは、古い音源を最新のテクニックでリマスターして、従来のCDとは異なった音響体験を提案している興味深いシリーズだが、何故か音源によってリマスタリングの方法が異なっている。

このCDではSACD用のDSD方式が採用されているが、同シリーズの総てのCDと同様レギュラー・フォーマット仕様でミッド・プライスで提供しているのがメリットだろう。

音質は鮮明で協奏曲ではシカゴ・オーケストラ・ホールの音響空間も自然に再現されているし、ソロ・ピアノも潤いのある艶やかな音色が特徴で、オーケストラとのバランスも理想的だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:03コメント(0)トラックバック(0)リヒテルブラームス 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ