2017年05月09日


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イタリア弦楽四重奏団が1966年から73年にかけて完成させたモーツァルトの弦楽四重奏曲全23曲のコンプリート・セット。

1991年に初刊行され更に2005年にも再リリースされたCD180枚に及ぶフィリップスのモーツァルト大全集に組み込まれていた演奏で、今回ユニヴァーサル・イタリーが8枚の単独セットとして復刊した。

ひとつの弦楽四重奏団がモーツァルトの弦楽四重奏曲を網羅した録音は殆んど皆無に近く、勿論演奏水準の高さでも第一級の曲集だけに歓迎したい。

この四重奏団の旧メンバー時の録音であり、最も古いものは1966年の6曲のハイドン・セットである。

このハイドン・セットも若々しいエネルギーに満ちた興味深い演奏だが、それ以後に録音された曲を聴くと、彼らの演奏がメキメキと精密さを加えて向上しているのがわかる。

いかにもイタリアの団体らしくよく歌っているが、音楽そのものは引き締まっていて厳しさがあり、どれも水準の高い演奏である。

彼らの演奏は一見快活で自由闊達のように聴こえるが、実際にはダイナミズムの変化を細部まで入念に研究し尽くし、それを忠実に実践に移すところに特徴がある。

明るく力強い響きとオーケストラを髣髴とさせる大胆な表現、そしてイタリアン・スタイルの流麗なカンタービレは彼らの武器で、イタリア風モーツァルトの喜びを満喫させてくれるセッションだが、アンサンブルとして非常に堅固に鍛え上げられていることも更に大きな強みになっている。

実際彼らの合わせ練習は毎日数時間、時には1日中ということも珍しくなかったというのは、第2ヴァイオリンのエリーザ・ペグレッフィの語るところだ。

逆に言えば彼らは常に自分達の音楽設計の枠を逸脱するような表現はライヴでもしなかった。

それが演奏にも絶大な安定感となって現れているのだろう。

モーツァルトの初期の弦楽四重奏曲は彼が11歳の時に始まる一連のイタリア旅行の産物で、弱冠14歳の時に作曲した第1番ト長調の様式はサンマルティーニの同作品を手本にしている。

後にハイドンの高度な作曲技法を取り入れる前に、彼がボローニャのマルティーニ神父に師事して伝統的な対位法と声楽曲のカンタービレを習得していたことは、その後のモーツァルトの音楽性の洗練に測り知れない影響を与えたに違いない。

8枚のCDに収められた曲集はクロノロジカルな順序で編集されているのでイタリア様式時代、ザルツブルク時代、ハイドン・セット、そしてプロシャ王セットと創作年代を追って変化する作風も理解しやすい。

またモーツァルトがハイドンから受け継ぎ、更にベートーヴェンの弦楽四重奏曲に引き継がれるアンサンブルの形態が、もはや完成された小宇宙であることも納得できるだろう。

音質はフィリップスの音源らしく鮮明で極めて良好。

ライナー・ノーツは29ページで英、伊語による曲目解説付き。

尚CD4枚ずつのジュエル・ケース2巻に分かれているのでボックスの大きさは縦12,5X横14X厚み5cmと多少大きめだ。

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2017年05月07日


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バーンスタインが客演指揮者として初めてウィーン・フィルを振ったのは彼が48歳だった1966年で、それ以降両者の良好な関係は絶えることなく続いたが、この8枚の交響曲集でも1979年から1990年までの彼らの最良のコラボが記録されている。

バーンスタインは円熟期になるとそれまでの汗を飛ばしながら指揮台でジャンプするようなパッショネイトな表現に加えて壮大なリリシズムを湛えた演奏をするようになり、ウィーン・フィルが持っている弦のしなやかさや渋めのブラス・セクションの音色が相俟って醸し出される官能的だがシックなサウンドが特有の雰囲気を創造していた。

それはこのセットに収録されている彼の十八番「アダージェット」を含むマーラーの交響曲第5番だけでなく、ベートーヴェンの第9番第3楽章やブルックナーの第9番第3楽章、更にはシベリウスの第1番にも顕著で、こうした曲をこれだけセンシュアルに響かせた例も珍しいのではないだろうか。

収録曲総てがライヴ録音であるためにバーンスタインのカリスマ的な魅力も伝わってくるが、幸い聴衆からの雑音は入っていない。

ベートーヴェンの第9番でバーンスタインはテンポをかなり抑えてウェットに練り上げた濃厚で変化に富んだ音楽の再現を試みている。

全体的に確かに隙のない解釈だが、作曲家がこの曲に注ぎ込んだストレートな力強さの表出という点では幾らか手が込み過ぎていて、厚化粧の誹りを免れないだろう。

終楽章「歓喜の歌」での4人のソリストとコーラスは殆んど限界の一歩手前まで歌わされているという感じがしないでもない。

会場になったシュターツオーパーの音響も関係しているだろうが、音質はこのセットに収録された他の曲に比較してやや録音レベルが低い。

ウィーン・フィルのような古い伝統を引っ提げたプライドの高いオーケストラを統率するのは容易ではない筈だが、中でもハイドン、モーツァルト、ブルックナーそしてマーラーの作品は彼らにとっても一家言持った郷土の作曲家だけに、指揮者は自分の解釈に従わせるだけでなく彼らの自主性を最大限尊重した協力関係が欠かせない。

そこにはウィーン・フィルと決別したカルロス・クライバーとは対照的なバーンスタインのディプロマティックな性格も裏付けられている。

ハイドン、モーツァルトでも常に機知に富んだ熱のこもった演奏だが、古典的な起承転結をわきまえた造形美にも不足していない。

彼のブルックナー第9番を一大叙事詩に喩えるならマーラーの第5番はさしずめ壮麗な抒情詩と言えないだろうか。

バーンスタインは自身作曲家であったために多くの同時代の作品もレパートリーにしていたが、ここで一番新しいものはショスタコーヴィチの2曲の交響曲で、第6番では彼の明晰でしかも繊細な感性を反映させたスペクタクルな仕上がりが美しく、第9番ではミュージカルや映画音楽を髣髴とさせるような軽妙な味わいがある。

それはウィーン・フィルが得意とする高度に洗練されたユーモアと遊び心にも共通している。

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2017年05月05日


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バルトークの弦楽四重奏曲は、作曲の状況を反映して性格と様式を異にするが、それをどのような視点から取り上げるかによって、演奏はかなり違ってくる。

ロマンティックな叙情をふんだんに持っている第1番から、激しい表情の第3番、古典的な佇まいを持った第6番まで表情が大きく変化を見せるのですべてを高い完成度で演奏するのは至難の業である。

ジュリアード弦楽四重奏団は安定した技術と幅広い音楽観によって、全集を3回録音する偉業を成し遂げたが、いずれも緻密に緊張の糸を紡いでいく練り上げられた演奏で、その見事な仕上がりには舌を巻く。

作品を現代音楽として知的な立場からアプローチし、強い集中力と完璧なアンサンブルとともにバルトークの厳しい精神と激しい意欲を再現する。

そこから生まれる鋭い気迫と強い緊張感はバルトークの性格の一面であることは確かで、一昔前の演奏様式だが、それなりの必然性を持ち、バルトークの音楽が持っていた「新しさ」を現代まで伝えてくれる。

ただ、ロバート・マン以外のメンバーはその度に違った顔ぶれで、2度目の1963年の演奏も捨て難い魅力があるが、残念ながら現在入手難。

この1981年の録音は3度目のもので、音質の透明度が最も高く、呼吸がぴったり合っていて、アンサンブルが自然である。

しかし、ヴィオラにしても、チェロにしても、みな出色の音の美しさと演奏能力を兼ね備えており、音楽創造の理念と水準は極めて高く、ジュリアードSQの演奏はバルトークの弦楽四重奏曲の解釈でひとつの典型となっている。

バルトークの弦楽四重奏曲は、ベートーヴェンやシューベルトなどの作品と違って、特殊な弓の奏法が多く用いられ、殊に第4番などでは、俗に爛丱襯函璽風のピツィカート瓩箸い辰拭特異なピツィカートが使われている。

それだけに技術的にすこぶる至難な作品となっているが、この団体による演奏は、いつもながらの完璧な技巧と、鋭く新鮮な感覚とで、見事に弾きあげたものだ。

彼らの、演奏という名の創造行為には、高度の緊張と献身的な情熱が漲っているのだが、それこそはバルトークのこうした大作を弾くのに最も適合した条件である。

インパクトの強さでは、当時の四重奏の常識的な技術水準を遥かに抜け出た1963年の精緻極まりない演奏が今なお驚嘆に値するが、こと音楽的な熟成という点では、18年後にレコーディングされたこの全集が明らかに上だと筆者は思う。

4人の心の内に燃えるものは同じように熱いが、彼らの眼差しが、技術的な興味をもはや越えて、音楽の核心にまっすぐに注がれているところが何よりも素晴らしい。

かつては、テクニックが前面に押し出された表現が目立ったが、ここでは、情感豊かに表現しており、旋律のひとふしひとふしに心が込められているところにひきつけられる。

つまり、緻密なアンサンブルを組みながら情緒面も尊重し、その各人の情緒表現に統一があるために、どの曲も強い迫力を帯びた、表現力に富んだ音楽となり、6曲を通して聴いてもマンネリズムに陥ることがない。

そのことが結果的にメカニカルなスコアの行間にある、人間バルトークの思いを感動的に伝える。

勿論情緒だけを大切にするのではなく、構成もはっきりしているので、どの曲も聴き応え充分だ。

もはや現代の古典となったこの作品の楽譜を新しい観点から見直し、音そのものの本来持っている機能に着目し、それを明快に再構成したジュリアード円熟の至芸と評価したい。

録音も、弦の艶やかな響きをよく捉えた、優れたものだ。

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2017年05月03日


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演奏自体はリヒテル全盛期の最も充実したパフォーマンスとして価値の高いものだが、ライナー・ノーツの最後に掲載されている録音データは根拠に欠けている。

11セット計22枚のリヒテル・ザ・マスター・シリーズは、フィリップスとデッカのセッション及びライヴからの音源を掻き集めたものなので、おそらく編集側も混乱をきたしていることが考えられる。

リヒテルの生涯に亘るコンサート活動のクロノロジーとディスコグラフィーを照合すると1993年に、このCDに収められたハイドンやウェーバーを演奏した可能性は少ない。

良く調べてみるとハイドンのソナタ第39番は、1985年3月6日及び7日のフライブルクでのライヴから採られたもので、このセットではこれが一番新しい録音になる。

ハイドンの第62番とベートーヴェンの第12番は1966年11月19日のフェッラーラでのライヴ、一方ウェーバーの第3番は1966年9月8日のロカルノの聖フランチェスコ教会で行ったライヴ、更にベートーヴェンの第9番と第11番は1963年6月から7月にかけてパリでフィリップスに入れたセッションだ。

最後の同第27番は1965年8月21日のザルツブルク・ライヴということになる。

僅か2枚のCDにこれだけ多くの異なった音源が入り乱れているのも、ある意味ではセッションを嫌ったリヒテルのCDの特色を暗示しているようで興味深い。

2曲のハイドンのソナタでは、古典派の音楽としての明確な曲想をきめ細かな創意工夫で、新鮮な面白みと巧みな演奏効果を上げているのが特徴的だ。

こうしたレパートリーは他のピアニストがそれほど食指を動かさないこともあって、彼の音楽性のオリジナリティーを自在に発揮している典型的な例と言える。

ウェーバーのソナタも比較的珍しいレパートリーで、名の通ったピアニストではギャリック・オールソンがソナタ全集をハイペリオンからリリースしているのが唯一のサンプルだが、リヒテルはリリシズムにおいてオールソンを凌駕している。

それはオペラ作曲家としてのウェーバーの音楽を体現しているからに他ならない。

リヒテルは少なくともモスクワ音楽院に入学するまでの少年時代は、地方でオペラの伴奏ピアニストとしての経験を積んでいた。

そうした体験が育んだ歌心の表出が活かされているのではないだろうか。

ベートーヴェンのソナタは前述したように総て1960年代の録音で、彼がアメリカでのデビューを飾った後、破竹の勢いでヨーロッパ各地においてリサイタルを開き始めた頃の典型的な奏法を聴くことができる。

骨太でしかも特有の温かみがあり、またヴィルトゥオジティの見せ場にも欠けていない。

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2017年05月01日


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バルトークは、当時のドイツ主流の音楽体制にNOといった人で、盟友コダーイとともに、音楽の原始的な鼓動を聴き、独自の音楽語法を確立するために、休暇と収入の殆どを注ぎ込み、民謡の採集を行った。

したがって、その演奏は、音楽本来の持つ根元的なパワーを感じさせるものでなくてはならない。

とはいえバルトークの弦楽四重奏曲を看板とし、3度録音したジュリアードSQのような革新性も今や過去のものとなり、最近の団体は洗練された技術やアンサンブルによって、同曲を古典として演奏するようになった。

それらの中でも最も評価の高いのはウィーンのアルバン・ベルクSQであるが、あまりにも「当たり前」の音楽にしすぎているのではないだろうか。

筆者が現在最も気に入っているのは、1993年から新メンバーとなったハンガリーのタカーチュSQによる全集(1996年)で、演奏・録音ともに優秀、従来のバルトーク演奏とは著しく異なるアプローチを見せてくれた。

技術的には洗練の極に達しているのに、ハンガリーの団体だけにバルトークの音楽の内容に深く入り込み、心に訴えかけてくるのである。

彼らはバルトークの音楽に潜む悲劇性よりも明るい人間性に光を当て、打楽器的な衝撃音は弦楽器が本来持つ暖かいテヌート音に、緊迫した不協和音は巧みな音色操作で協和音に変身させている。

無機質なグリッサンドや、スル・ポンティチェロ奏法にも艶めかしい表情を付け、スケールや分散和音には草原のそよぎが目に映る。

初期の第1番、第2番からして響きが豊かに拡がり、まるでモーツァルトでも演奏するような気楽ささえ感じるが、彼らがその音楽に心酔しバルトークの心情を語り尽くしているからこそ、その説得力はより強烈に感じられるのだ。

第3番は哀切なため息のような冒頭から、耳にも心にもグサッと突き刺さってくる。

第1楽章の重い和音はきわめて意味深く、表情はたっぷりなのにハーモニーはどこまでも澄み切っている。

第2楽章も何という素晴らしい音楽だろうと思わせる。

第4番は第1楽章の粘着力に作曲者の魂が宿り、常にコクと豊かさがあり、各パートが充分に自己主張をしつつバランスを崩すことがない。

第2楽章は音色自体がすでに味濃く、作曲者の言いたいことが如実に伝わってくる。

第3楽章はノン・ヴィブラートの出から曲と一体化した雄弁さがあり、しかも力みは一切見られない。

第4楽章の鮮やかなメリハリは落ち着いたテンポとともに楽しささえ感じさせ、第5楽章はいかに激しくてもあくまで有機的だ。

第5番の第1楽章は動的かつ大柄に始まるが、第2主題の静かな哀しみは、心にまとわりつく訴えの強さと音色の美しさにおいて比類がない。

第2楽章の哀切さも抜群、第4楽章には詩情があり、リズムは語り、哀歌も登場する。

第5楽章の即興性を伴った筆致とシンフォニックな響きも圧倒的である。

第6番は音楽の心をメンバーが完全に自分自身のものにしていることがわかる。

どこまでも孤独な哀しみの歌だが、陰惨ではなく、一縷の希望を秘めていることころが素晴らしい。

しかし終楽章に至って、別離の哀しみはいよいよ深くなり、聴く者の心に浸透してくるが、なお手放しの悲嘆は抑えられているのである。

新生タカーチュSQの当録音は、41歳で世を去った創立時のヴィオラ奏者オールマイの思い出に捧げられている。

そのため、というのは出来すぎだが、確かにこの演奏には「祈り」がある。

どんなに、作曲家の苦悩と慟哭が音に刻まれるときも、その彼方には安らかな明かりが見えるのだ。

バルトークには救いがなさすぎる、と敬遠気味だった筆者の心に、新しいバルトークの在り方を示してくれた全集である。

感謝とともに合掌。

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2017年04月29日


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リヒテルはある作曲家の作品を系統的に網羅するような演奏や録音には全く関心を持っていなかったようだ。

勿論彼が録音という仕事自体に熱心でなかったことは良く知られたところだが、例えばベートーヴェンのピアノ協奏曲は第1番と第3番しか弾かなかったし、ピアノ・ソナタでは32曲の作品のうちセッションとライヴ総てを掻き集めてきても22曲しか録音されていない。

それは彼自身も言っているように、ピアニストなら誰もが採り上げるような曲はあえて避け、自分の気に入っている作品に集中したいという願望の表れだったのだろう。

それでも彼の超人的な記憶力は膨大なレパートリーをもたらし、彼が望んだか否かに拘らず結果的に充分立派なディスコグラフィーを遺すことになった。

1枚目の4曲では晩年のリヒテルが切り開いた境地とも言うべき、何物にも囚われない自由闊達な表現が感動的で、中でも『熱情』では当時の彼の音楽的な構想を最も良く反映した解釈を聴くことができる。

それは彼がアメリカ・デビューを果たした1960年の録音と比較して一層きめ細かで優美でさえある。

一方作曲家後期の3曲はリヒテルが虚心坦懐に弾いた率直で心穏やかなベートーヴェンという印象で、中期のソナタのように激情を爆発させるわけではなく、響きの精妙さをもって対し、作曲家晩年の深遠な抒情を最大限に引き出している。

そこには巨匠特有の精神的な余裕と経験を積んだ貫禄が感じられ、こうした曲の表現に一層の深みと俗世のしがらみから開放された清澄な輝きを感じさせる。

またその美しさはテクニックの衰えを補って余りあるものがあり、雄渾な表現を得意とするいつもの彼とは異なる一面が示されていて興味深い。

この2枚組のCDに収められた7曲のソナタは、全曲フィリップス音源で前半がアムステルダム・コンセルトヘボウ、後半がシュトゥットガルトのルートヴィヒスブルク城オルデンスザールでのどちらもライヴからのデジタル録音になるが、これらは生前リヒテル自身がリリースを承認したそれほど多くない音源のようだ。

ふたつの演奏会場での音響の差が歴然としているが、音質自体は極めて良好だ。

17ページほどのライナー・ノーツには英、仏、独語によるリヒテルの略歴と演奏についての簡易な解説付。

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2017年04月27日


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プラガ・ディジタルスSACDシリーズの1枚で、プロコフィエフの交響曲第5番変ロ長調Op.100及び同第6番変ホ長調Op.111をカップリングしている。

どちらもライヴからの収録だが前者が1973年後者が1967年の良好なステレオ音源であるためにSACD化の効果も明瞭で、鮮明かつ充分に潤いのある音響が蘇っていて迫力にも不足していない。

尚ここに収録された2曲に関しては古いモノラル録音から1980年代に至るステレオ録音まで複数の音源が存在するが、このディスクではレニングラード・フィルの初期に感じられた息をもつかせないミリタリー的な硬直感から解放された大陸的な懐の深さと余裕で両者のコラボには揺るぎないものがある。

ムラヴィンスキーがレコーディングしたプロコフィエフの作品は意外に少なく、フランク・フォアマン/天羽健三編のディスコグラフィーにはここに収録された2曲の交響曲の他にはバレエ音楽『ロミオとジュリエット』のみが記録されている。

いずれにしてもムラヴィンスキーが録音した僅か2曲の交響曲がこのSACDに揃ったことは歓迎したい。

交響曲第5番は1973年6月29日のレニングラード・ライヴで、音質はホールの響きも適度に捉えたバランスに優れ、特にブラス・セクションの充実感はレニングラード・フィルの面目躍如たる音響を再現している。

交響曲第6番は1967年5月25日のプラハの春音楽祭からドヴォルザーク・ホールでのライヴとクレジットされている。

もしこのデータが信頼できるものだとすれば、音質が余りにも良過ぎるという印象を持った。

確かに東欧圏の中では当時のチェコが最も進んだ録音技術を持っていたことは疑いないし、またDSDリマスタリングされ音質向上が図られていることには違いないのだが、1960年代のライヴとしては異例と言わざるを得ない。

しかもライヴ特有の客席からの雑音は一切聞こえて来ない。

プラガは過去にムラヴィンスキーの音源やデータ改竄で物議を醸したレーベルなので、データに関しては筆者自身確証が得られず断言できないことを書き添えておく。

ムラヴィンスキーはこの曲の初演者でもあり、作曲家の構想を注意深く研究した解釈や、大規模な管弦楽に多彩なパーカッションやピアノが交錯する音響の再現にその絶妙なオリジナリティーを感じさせずにはおかない説得力があることは事実だ。

この曲にはより緊密なアンサンブルと推進力で優る1958年盤があるが、色彩感とスペクタクルな音響でこちらを採りたい。

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2017年04月25日


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バーンスタインは録音に関しては常に肯定的な考えを持っていて、生涯を通して精力的にレコーディングを行った。

CBS音源からはソニーがCD80枚のコレクション盤と自作自演集25枚をリリースしているし、ドイツ・グラモフォンからは全2巻計124枚の全集が刊行されていて、その他ニューヨーク・フィルハーモニック自主制作盤やEMI音源など、どれから聴くべきなのか入門者には迷うくらいの選択肢が提供されている。

ここに紹介する英リアル・ゴーン・ミュージックからの4枚組は、バーンスタインのデビュー間もない1946年からニューヨーク・フィル就任直後の1959年迄の初期の音源をリマスタリングしてリイシューしたもの。

ステレオ録音はCD2の2曲のガーシュウィンだけだが音質向上という面では、特に1940年代の音源が予想以上に骨太で精彩のあるサウンドで再現されていて、かなりの成果を上げている。

大部のセット物の購入を躊躇している方にも鬼才バーンスタイン若き日の演奏のサンプラー盤としてお薦めしたい。

いずれの演奏も初CD化ではないが、自作自演も含めて単品で揃えることが困難なレア音源が集められていて、例えば彼の交響曲第2番に関しては1965年の改訂版ではなく1949年の第1稿の方が収録されている。

また『セレナード』でも彼が後に再録音したフランチェスカッティのヴァイオリンではなく、初演を飾ったスターンのソロで聴くことができる。

そこにはストラヴィンスキーやガーシュウィンなどにも共通する、この頃のバーンスタインの音楽に対する鋭利な切り込みと意気揚々としたバイタリティーに溢れる解釈が古い録音から新鮮に甦ってくる。

またドヴォルザークやチャイコフスキーでは彼の滾るような情熱とロマンティシズムが弥が上にも伝わってくる。

リアル・ゴーン・ミュージックはクラシック専門のレーベルではなく、カタログを見るとジャズやポップスの歴史的録音をリマスタリングしてCD化しているようだが、ここではバーンスタイン自身も含めた7人の作曲家の作品10曲が選曲されて異色のアルバムに仕上がっている。

4枚のCDが4面折りたたみ式のデジパックに収納されていて、独立したライナー・ノーツは付いていないが、見開きにバーンスタインの簡易なキャリアと裏面に収録曲が掲載されたラフな体裁。

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