2022年06月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1959年のセッション録音で、当時のデッカのスター歌手達が一堂に会した声の饗宴に相応しい『ラ・ボエーム』だ。

この作品のテーマは愛らしい感傷的な物語で、英雄が登場するわけでもないし、怨恨が火花を散らすような場面もない。

だからこじんまりとした舞台作品として創ろうと思えばそれも充分可能だし、むしろ相応しいかも知れない。

しかしここでは大歌手達が、あたかもヴェルディの悲劇のような恐ろしくスケールの大きな舞台をイメージさせる。

セラフィンのイタリア・オペラを知り尽くした指揮も聴きどころのひとつだ。

特に第2幕幕切れの軍隊の帰営の行進とカフェ・モミュスの勘定書きをアルチンドーロに押し付け、どさくさに紛れて逃げ出すボヘミアン達の退場は、オーケストラのダイナミズム、ラレンタンドとアッチェレランドを巧妙に組み合わせて劇的に幕切れを表現していて素晴らしい。

サンタ・チェチーリアはこの頃オペラの録音を頻繁に行っていて、イタリア風の明るさと、軽快な機動力が良く行かされている。

歌手陣は言うまでもなく甲乙つけがたいが、ロドルフォを歌うベルゴンツィは『冷たい手を』で胸のすくようなハイCを聴かせるし、それに答えるミミ役のテバルディのアリア『私の名はミミ』はかつて聴いたことがないほどスケールが大きい。

コミカルな役柄マルチェッロがバスティアニーニというのも贅沢なキャスティングで、また短いアリア『外套の歌』一曲で存在感を与えるコリーネ役のシエピも上手い。

勿論アルチンドーロとベノワの二役をこなすコレナはいつも通り、達者な芸で笑わせてくれる。

指揮者セラフィンは、ある程度歌手達の自由な歌唱を許しながら、起承転結を熟知した老獪ともいえる統率でこのオペラを宝石のように輝かせている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:56コメント(0)プッチーニセラフィン 

2022年06月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マーラーの交響曲第3番は、重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの作品の中でもとりわけ最大規模を誇る楽曲である。

したがって、この長大な楽曲を聴き手にいささかの冗長さを感じさせずに聴かせる演奏を行うのは至難とも言える。

同曲演奏史上最高の名演であるバーンスタイン&ニューヨーク・フィル盤(1987年)は、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱、猛烈なアッチェレランドを駆使するなど彫琢の限りを尽くしたドラマティックな演奏を行うことによって聴き手を深い感動に導いた。

このような劇的な表現は、聴き手にある種の張り詰めた緊張感のようなものを強いるとも言えるだろう。

これに対して、本盤に収められたマーツァルによる演奏は、長大な同曲をいささかも飽きさせることも、そして緊張感を強いることもなく、終始楽しく聴くことが可能である。

チェコ・フィルは、その独特の味わい深い音色が持ち味の中欧の名門オーケストラである。

マーツァルは同オーケストラをバランス良く鳴らして、マーラーの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが施された曲想を美しく明瞭に描き出している。

それでいて、スコアに記された音符のうわべだけを音化しただけの薄味な演奏には陥っておらず、どこをとってもコクがあり情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。

本演奏を聴いていると、心が幸福感で満たされてくるような趣きがあり、聴き終えた後の爽快感、充実感は、他の演奏では決して味わうことができないものであると言えるだろう。

これは間違いなくマーツァルの類稀なる音楽性の豊かさの賜物である。

前述のバーンスタイン盤とはあらゆる意味で対照的な純音楽的な演奏としては、本演奏は随一の超名演と高く評価したい。

また、チェコ・フィルの極上の美演も本名演の魅力の一つである。

第1楽章のホルンの朗々たる響きは雄渾な美しさを誇っている。

第3楽章における名手ミロスラフ・ケイマルによるポストホルンの演奏は、チェコの大自然を彷彿とさせるような澄んだ音色が美しさの極みである。

第4楽章のビルギット・レンマートの歌唱も見事であり、第5楽章におけるプラハ・フィルハーモニー合唱団及び児童合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:23コメント(0)マーラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



甘美な音色と抜群のテクニックを看板にして楽壇に登場したイツァーク・パールマンの溌剌とした情感があふれ出たような演奏だ。

パールマンはクライスラーの作品を得意としていたが、ちょっと合わないように思う人もいるかもしれない。

実は彼の演奏するクライスラーの音楽は、ウィーンの演奏家に劣らないほどウィーン風の美しさを持っている。

それはひとつには、パールマンがどんな曲を弾いても常に自分自身で楽しんで演奏する、そうした彼の本質によるものだ。

アーティキュレーションが格別に見事な、そして自らの表現力とテクニックを誇示すると言っても過言ではないその演奏は、それぞれの曲をいわば白日の下に置く。

あまりにも光の部分が表に出過ぎているが、このヴァイオリンの名手クライスラーの音楽に新しい光を当てる、颯爽とした見事な演奏であることは確かなことだ。

それに加えてこのクライスラーの音楽では、嫌味のない自然なポルタメントを用いてウィーン独特の雰囲気を醸し出していることにもよる。

例えば、ドヴォルザークの《スラヴ舞曲》の編曲では、多用される二重音の表現にノスタルジアさえも感じられ、ドヴォルザークよりもウィーンのクライスラーを強く感じさせる。

また《美しきロスマリン》や《愛の悲しみ》などの、微妙なテンポの揺れやワルツのリズムの取り方にも独特のものがある。

こうした際物的なピースの演奏においてパールマンの柔軟な姿勢がこれほど好ましい印象を残した例も少ない。

彼の演奏表現には聴衆に対する良い意味での媚があり、それは時として官能的でもあるし、忘れ去られた過去への追憶を蘇らせることもある。

また彼には聴く者の心を積極的に捉えようとする庶民的な気さくさがある。

そしてその為にはあらゆるテクニックを駆使するが、決して度を過ごした品のない表現に陥らないのは彼の秀でた音楽性の賜物だろう。

自己の芸術的な理想は高邁なものであっても時には聴衆と一緒に歩んで行く、そんな彼の優しさがここに収められた19曲に集約されている。

それぞれの曲に思いが込められ個性が与えられて理屈抜きに楽しませてくれるアルバムだ。

ソロをサポートするサミュエル・サンダースのピアノもうまさも注目され、音楽的センスの光る名伴奏で、まさに珠玉の小品集の名に相応しい仕上がりになっている。

1975年から78年にかけての録音が今回新たにリマスタリングされ音質もきわめて良好だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:51コメント(0)クライスラーパールマン 

2022年06月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1957年録音で、メンバーはサントゥッツァがレナータ・テバルディ、トゥリッドゥはユッシ・ビョルリンク、アルフィオがエットレ・バスティアニーニ、ローラはルチア・ダー二で、いずれも全盛期、しかも絶好調のセッションになっている。

アルベルト・エレーデの指揮でオーケストラはフィレンツェ五月祭管弦楽団。

デッカからはその後1960年にメゾ・ソプラノのシミオナートがサントゥッツァを歌った、デル・モナコ、マックニール、セラフィン指揮、ローマ・サンタチェチーリア盤がリリースされることになる。

エレーデ盤はフィレンツェでの上演に沿ったレコーディングらしく、スウェーデン生まれのテノール、ビョルリンクが加わっているのが特徴だろう。

彼の歌唱は真摯で、声も素晴らしいが、シチリア島という南イタリアの中でも血の気の多い気性の表出には、それほど成功していない。

一方テバルディは通常高貴な役柄が殆どなので、片田舎の娘は適していないように見えるが、ドラマティックな歌唱で充分サントゥッツァの役を果たしている。

トゥリッドゥとの二重唱の後吐き捨てるように言う「あんたには、呪われた復活祭を!」のセリフは凄まじいものがある。

バスティアニーニの馬車屋アルフィオもヴェルディ・バリトンとしては際物的なレパートリーだが、彼の存在感はこのオペラを非常に魅力的なものにしている。

作品自体の出来栄えは、イタリアでもそれほど評判が良くない。

つまり文学的に低俗で、音楽性もそこそこ、歌手には声の負担を要求するという理由からだが、こうした欠点を補うのは豪華絢爛の名歌手の共演が欠かせない。

そうした面でもこのセッションは成功している。

エレーデの指揮は歌手陣を生かすことに主眼が置かれていて、プレリュードなどではやや冗長になるきらいがあるのも事実だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:48コメント(0)マスカーニ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



新しい時代の到来を告げた名演というのがある。

名演はいつの時代にも存在したが、それまでの歴史にない新しい美学、技術とセンスに裏付けられた演奏が登場した時、さらに演奏の歴史は一歩先へと歩みを進め、感動は塗り替えられてきたのである。

1936年スイス生まれの名指揮者シャルル・デュトワは1978年カナダのモントリオール交響楽団の音楽監督に就任した。

決して世界的名門オーケストラではなかったし、デュトワも地位を確立していたわけではなかったが、42歳になったばかりのデュトワは厳しい指導でオーケストラを鍛え直し、最愛の、そして世界に自慢できる自分の楽器に育て上げた。

しかもフランス近代の作品を演奏しては世界最高と言われるまでの洗練された美しさと優雅な気品、さらに劇的表現力で一世を風靡し始めたのである。

それはオーケストラ界にもグローバル化の波が押し寄せ、フランスのオーケストラもインターナショナル化の波に呑み込まれ、独特のニュアンス豊かな演奏の妙味、香しい音色のマジックを失いつつあった時期と重なる。

それだけにデュトワ&モントリオール交響楽団が聴かせたフランス音楽は「フランスのオーケストラ以上にフランス的」と絶賛されて、ファンの度肝を抜いたものである。

パリのオーケストラも失ってしまった、本来のフランス的なエスプリが、カナダのフランス語圏にある、ケベックの首都に脈々と生き続けていたのである。

特に洗練された管のソロと、きめの細かな弦のアンサンブルは、沢山の楽器を集めるのは大きな音を出すためではなく、より多彩な音を求めるためであるという、フランスのオーケストラの美学を主張したものと言えた。

そんな奇跡の最初の引き金となったのが、このコンビのデビュー・レコーディングとなったラヴェルの管弦楽曲全集であった。

その筆頭を飾るバレエ音楽《ダフニスとクロエ》が1980年の収録だからデュトワが音楽監督に就任して2年目になるが、デュトワは自身の思い入れで作品を塗り込めるのではなく、むしろ客観的な精度と冷静なコントロールで作品を再現、作品そのものに自らを語らせる、そんな演奏を作り出している。

もし、それが普通のレヴェルの演奏であったならさしたる感動も引き起こさなかったと思われるが、デュトワの美学と怜悧なプロ意識は徹底しており、機能美に徹することで機能美を超えて豊かな抒情性とふくよかな詩情の豊かさを獲得、聴き手を唖然とさせた。

名演であることは誰の耳にも明らかとなったが、それが正確緻密に磨き上げられた異例の純度の高さを背景にしているだけに、聴き手は主観的解釈に眼を開かれるのではなく、現代のオーケストラが達成した機能美と作品の素晴らしさを同時に味わうという新次元の感動に酔い、我を忘れたのである。

しかもこの時期のモントリオール交響楽団の演奏には爽やかな緊迫感といったものが全体に漲っており、それが演奏の鮮度を常に新しく保持させる魅力にもなっている。

いつまでも愛される普遍的価値を持つ名盤であるように思われてならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:32コメント(0)ラヴェルデュトワ 

2022年06月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



グラズノフは、チャイコフスキーやロシア5人組などの帝政ロシア時代末期に活躍した大作曲家と、プロコフィエフやラフマニノフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチなどの旧ソヴィエト連邦時代に活躍した大作曲家(ラフマニノフやストラヴィンスキーは国外での活躍が中心であるが)の間に挟まれた、いわゆる狭間の世代の作曲家である。

これら前後の世代の作曲家の活躍があまりにも華やかであったこともあり、グラズノフは比較的目立たない存在に甘んじていると言わざるを得ない。

前述の旧ソヴィエト連邦時代に活躍した作曲家に絶大なる影響力を誇ったことを考えると、大変嘆かわしい状況に置かれていると言えるのではないだろうか。

グラズノフの楽曲は、チャイコフスキーやラフマニノフほどではないものの、その旋律は、メランコリックなロシア風の抒情に満ち溢れており、内容も多彩な変化に富んでいるなど、聴き応えがあり大変魅力的である。

交響曲は全部で8作存在しているが、いずれも親しみやすい名作揃いである。

全集を録音した指揮者は、これまでのところネーメ・ヤルヴィや尾高忠明、セレブリエールなどを除くと基本的にロシア系の指揮者に限られている。

そのことが前述のような現在におけるグラズノフのいささか残念な認知のされ方を表しているとも言える。

フェドセーエフは、本盤以外にもグラズノフの交響曲全集をスタジオ録音(1976〜1979年)しているので、本盤はスタジオ録音とほぼ同時期にライヴ録音された2つ目の全集ということになる。

スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキーなどの先輩指揮者の演奏は、ロシア風の民族色を全面に打ち出したアプローチを行っているのが特色であった。

それに対しフェドセーエフのアプローチは、スタジオ録音でもそうであったように、より純音楽的なものである。

本盤のライヴ録音の方が、スタジオ録音よりもより情感に満ち溢れた熱い演奏になっているように思うが、基本的なアプローチは何ら変わっていないと思われる。

もちろん、純音楽的とは言ってもスヴェトラーノフなどのあくの強い演奏との比較の話であり、グラズノフの交響曲が含有するメランコリックなロシア風の抒情の表現においても、いささかの不足はない。

モスクワ放送交響楽団も、フェドセーエフの指揮の下、ライヴ録音とは言えないような卓越した技量をベースとした素晴らしい演奏を披露しており、本全集の価値を高めるのに大きく貢献をしている点を忘れてはならない。

録音も比較的良好であり、文句のつけようがないレベルに達している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:14コメント(0)現代音楽 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アリスによるアルバム第4弾であるが、とてもデビューして間もないピアニストの演奏とは信じられないような成熟した演奏を聴かせてくれている。

彼女のチャイコフスキ−の協奏曲と同様、彼女の演奏はピアノの技巧を感じさせない、素晴らしい音楽のみが聴こえてくるのだ。

初のベートーヴェンのピアノ・ソナタの録音であるが、初期の第3番はともかくとして、いきなり第21番「ワルトシュタイン」の録音に臨むとは、大変恐れ入った次第である。

アリスとしてもよほど自信があるのだろう。

ライナーノーツの解説によれば、10年来の研究・練習の成果とのことであるが、確かに、ここでは若きピアニスト特有の青臭さなど微塵も感じられない。

アリスのベートーヴェンは繊細な神経に支えられ、そしてスケールの大きなものであり、特に「ワルトシュタイン」はベートーヴェンのピアノを理想的に表現している。

それにしても、何という堂々たるピアニズムであろうか。

卓越した技量も当然のことながら、男性顔負けの力強い打鍵には圧倒される。

それでいて、抒情的な箇所での情感豊かさは、さすがは女流ピアニストならではの繊細な美しさに満ち溢れている。

要は、表現の幅が広いということであり、この年齢にして、これだけの表現ができるというのは、アリスの類稀なる才能と、今後の前途洋々たる将来性を感じずにはいられない。

併録の小品もいずれも名演であり、特に、ボーナストラックの「エリーゼのために」の高踏的な美しさは、実に格調が高く、アリスの芸術性の高さを改めて思い知らされた。

録音も実に鮮明であり、アリスのピアノを完璧に捉えられているのが素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:08コメント(0)ベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本演奏を聴いて大変驚くとともに深い感銘を覚えた。

サヴァリッシュと言えば、どうしてもNHK交響楽団を指揮した、立派ではあるが大人しい演奏が印象的であるだけに、筆者としても、これまで所詮はベームの亜流指揮者としてあまり高い評価をして来なかった。

史上最年少でバイロイト音楽祭に登場するなど、才能には抜群のものがあり、凡演は少ないものの、他の指揮者を圧倒するような名演を成し遂げることも殆どないといったところが、これまでのサヴァリッシュに対する共通の評価と言えるのかもしれない。

しかしながら、本盤の両曲の演奏は、そうした印象を覆すのに十分な圧倒的な演奏なのではないだろうか。

冒頭のモーツァルトの交響曲第39番からして、重厚で彫りの深い表現に大変驚かされる。

演奏全体の堅固な造型美は相変わらずであるが、それ以上にどこをとってもあたりを振り払うような威容に満ちた風格が漂っているのが素晴らしい。

あたかもベートーヴェンの交響曲に接する時のような硬派の演奏と言えるが、それでいて四角四面に陥らず、モーツァルトらしさをいささかも失わないというのは、多分にウィーン・フィルによる美演によるところが大きいと言える。

いや、むしろ、ウィーン・フィルにこれだけの名演奏をさせたサヴァリッシュの類稀なる才能と統率力を褒めるべきであろう。

いずれにしても、このような素晴らしい超名演を聴いていると、ベームがサヴァリッシュを何故に高く評価し、信頼していたのかがよく理解できるところだ。

次いで、ブルックナーの交響曲第9番も凄い超名演だ。

まさに壮絶の極みとも言うべき豪演であり、指揮者の名前を伏せて聴くと、サヴァリッシュによる演奏であると言い当てる者は殆どいないのではないか。

とてもNHK交響楽団を指揮していたサヴァリッシュとは思えないような凄みのある指揮ぶりでありる。

多くの聴き手が、サヴァリッシュに対するこれまでの印象を大きく変えるきっかけとなるかもしれない。

そして、おそらくは、サヴァリッシュによる最高の超名演と言っても過言ではないと言えるのではないだろうか。

第1楽章からしてテンションは全開。

とかく安全運転に終始しがちなサヴァリッシュ&NHK交響楽団による演奏とはそもそも次元が異なる緊迫感に貫かれている。

どこをとっても濃密かつ重厚な音楽が紡ぎ出されているのが素晴らしい。

ブラスセクションなども最強奏させているが、いささかも無機的になることなく、懐の深さを有しているのが見事である。

第2楽章の速めのテンポによって畳み掛けていくような気迫や怒涛のような重量感溢れる進軍にはただただ手を汗握るのみ。

本気になった指揮者とオーケストラによる真剣勝負のぶつかり合いがここにあると言えるだろう。

終楽章も凄まじい。

1990年代にヴァントや朝比奈が成し遂げた悠揚迫らぬインテンポによる演奏とは大きく異なり、テンポの効果的な振幅なども織り交ぜたドラマティックな表現も駆使している。

それでいてブルックナーらしさをいささかも失わないというのは、サヴァリッシュがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みしているからに他ならない。

そして、ウィーン・フィルによる極上の美を誇る名演奏が、本演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

演奏終結の後、かなりの間をおいて拍手が沸き起こるのも、当日の聴衆の深い感動を物語るものと言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、サヴァリッシュによる至高の超名演であり、サヴァリッシュに対する印象を一変させるだけのインパクトのある圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質は、1983年のライヴ録音であるが、十分に満足できる良好な音質と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:03コメント(0)モーツァルトブルックナー 

2022年06月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マーツァルは、チェコ・フィルとともにマーラーの交響曲全集の録音を行っていたが、「第8」と「大地の歌」、「第10」を残したところで中断してしまっている。

その理由は定かではないが、既に録音された交響曲の中では、本盤に収められた「第5」と「第3」が特に素晴らしい超名演に仕上がっている。

他の交響曲の演奏の水準の高さからしても、是非とも全集を完成して欲しいと考えていたところである。

さて、この「第5」であるが、これが実に素晴らしい名演なのだ。

「第5」の名演と言えば、いの一番に念頭に浮かぶのがバーンスタイン&ウィーン・フィルによる超名演(1987年)だ。

これは変幻自在のテンポ設定や、思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使したドラマティックの極みとも言うべき濃厚な豪演であった。

おそらくは同曲に込められた作曲者の絶望感や寂寥感、そしてアルマ・マーラーへの狂おしいような熱愛などを完璧に音化し得た稀有の超名演である。

これに肉薄するのがテンシュテット&ロンドン・フィル(1988年)やプレートル&ウィーン響(1991年)の名演であろう。

ところが、マーツァルの演奏には、そのようなドラマティックな要素や深刻さが微塵も感じられないのだ。

要は、マーラーが試行錯誤の上に作曲した光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを、マーツァルは独特の味わい深い音色が持ち味のチェコ・フィルを統率してバランス良く音化し、曲想を明瞭に、そして情感を込めて描き出している。

まさに純音楽に徹した解釈であるが、同じ純音楽的な演奏であっても、ショルティ&シカゴ響(1970年)のような無慈悲なまでの音の暴力にはいささかも陥っていない。

はたまたカラヤン&ベルリン・フィル(1973年)のように耽美に過ぎるということもない。

「第5」をいかに美しく、そして情感豊かに演奏するのかということに腐心しているようである。

我々聴き手も聴いている最中から実に幸せな気分に満たされるとともに、聴き終えた後の充足感には尋常ならざるものがある。

いずれにしても本演奏は、前述のバーンスタイン盤などのドラマティックな名演とはあらゆる意味で対極にあるものと言える。

「第5」の魅力を安定した気持ちで心ゆくまで堪能させてくれるという意味においては、素晴らしい至高の超名演と高く評価したい。

このような純音楽的な名演において、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音は実に効果的であり、本名演の価値を更に高めるのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:25コメント(0)マーラー 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ