2017年02月28日


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ダヴィッド・オイストラフがユニヴァーサル傘下のレーベルに遺した音源を集大成した企画で、ドイツ・グラモフォン、デッカ、フィリップス及びウェストミンスターへの録音がCD22枚に纏められている。

このうちブルッフの協奏曲では彼が指揮に回ってソロは息子のイーゴリが弾き、モーツァルトの協奏交響曲ではイーゴリがヴァイオリン、彼はヴィオラを担当しているが、いずれにしても20世紀が生んだ最も優れたヴァイオリニストの遺産がバジェット・ボックス化されたことはファンにとって朗報に違いない。

既出のEMI『ザ・グレイト・レコーディングス』17枚組と合わせると彼の代表的なレパートリーをカバーする重要なコレクションになることは疑いないだろう。

協奏曲集ではEMIのセットが凌駕しているが、オイストラフ・トリオを組んだクヌシェヴィツキー、オボーリンとのアンサンブルやソナタなどの室内楽はこちらに貴重な音源が数多く収録されている。

中でもCD17−20のベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲はオイストラフとオボーリンによる記念碑的な遺産であり、彼らの音楽性が典型的に示された、20世紀の演奏芸術の最高峰と言えるレコーディングとして高く評価したい。

それは音の美しさや技術の練磨とともに、2人が厳しい客観性を持って楽譜を見つめ、あらゆる余剰を切り捨てた上に自分たちの音楽的活動を注ぎ込んだためだ。

そこに高貴なほど格調の正しさを持ち、あらゆる音符に意志と感情を通わせた稀有の名演が成立し、深い精神性をもって聴き手を押し包み、現代の最も普遍的なベートーヴェン像がここに屹立している。

オイストラフとオボーリンの最盛期の録音だけに、音色も美しく、音楽の作り方も、ふっくらとした中に、作品の神髄に迫る迫力のある演奏となっている。

オイストラフとオボーリンは全体にやや遅めのテンポをとり、それによって豊かな表情を付け、脂の乗り切った2人の、ベートーヴェンの音楽への深い共感が伝わってくるかのようだ。

例えば《クロイツェル》がその良い例で、ロマン的香気に溢れ、音楽的にも大変充実しており、気迫のこもった熱っぽい演奏を行っている。

両者ともに絶頂期にあった演奏で、しっかりとしたテクニックに裏づけられ、表現意欲に燃えていて、特にオイストラフの豊麗な音色と滑らかなボウイングで辿る骨太な構成力と揺るぎない安定感は特筆される。

第1回ショパン・コンクールの覇者でもあったレフ・オボーリンの正確だがいくらか杓子定規で融通性のないピアノに不満がないでもなく、現代となってはそのスタイルに古めかしさを感じないでもないが、完成度の高さは認めざるを得ず、ベートーヴェンのソナタ演奏を代表する名演と言える。

その他にもCD8のラヴェルの『ツィガーヌ』やCD9のアンコール・ピース集など彼が後年レパートリーから外してしまった曲目が聴けるのも幸いだ。

またチェンバロのハンス・ピシュナーとのバッハのヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ全曲は廃盤になって久しかったアルバムだ。

彼が何故バッハの無伴奏ソナタとパルティータを弾かなかったのかは分からないが、もし全曲録音を果たしていればさぞ魅力的な演奏であっただろうと想像される。

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2017年02月26日


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20世紀ロシアの頂点に立った器楽奏者の巨匠を語るとき、チェロのロストロポーヴィチ、ヴァイオリンのオイストラフ、そしてピアノのリヒテルの存在は欠かせない。

彼らは既に他界して久しいが、遺された録音はその音楽的価値から言っても将来のクラシック音楽界にとって無視できないサンプルになり得るに違いない。

最近のバジェット価格による限定箱物ラッシュに乗じて、大手メーカーからそれぞれの全集がリリースされている。

ロストロポーヴィチの場合EMIからのコンプリート・エディションが法外なプレミアム価格で販売されている現在、今回のユニヴァーサルのセットは待望されていた企画だし、俄然その価値を高める結果になっている。

ただしワーナーからは3月末にEMI音源を核にした3枚のDVD付CD40枚組コレクション仕様のセットがリリース予定だ。

尚CD25からは彼の指揮者及びピアニストとしての演奏が収録されていて、彼の指揮した2曲のオペラ、プッチーニの『トスカ』及びチャイコフスキーの『スペードの女王』全曲と夫人のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤの歌ったロシア歌曲集2枚が組み込まれ、総合的な音楽活動を記録したインテグラルなコレクションになっている。

72ページのブックレットには収録曲目及び録音データ一覧とダヴィッド・ゲリンガスによるエッセイが掲載されている。

アンサンブルではリヒテルと協演した1960年代初期のベートーヴェンのチェロ・ソナタ全曲が白眉で、2人の巨匠の顔合わせだけあって、大変スケールの大きな演奏である。

朗々と高鳴るチェロ、それを支える芯の強いピアノ、両者の間に、目に見えない火花の散っているかのような迫真的な名演だ。

2人の名手が火花を散らすようにぶつかり合い、自分の音楽を主張しながら、そこに絶妙な調和を生み出しているこの演奏は、二重奏の最も高度な境地をうかがわせる。

骨格のたくましい、正攻法的な演奏で、実にみずみずしい音楽を作り、また感興豊かで細部まで深く練り込んでいて、それぞれの作品の性格を明快に表わしていることでも、これに優る演奏はないだろう。

最も聴き応えがあるのは第3番で、第1楽章の冒頭の部分を聴いただけでも、2人の名人の物凄い気迫と緊張した呼吸が、聴き手にも伝わってくる。

ロストロポーヴィチとリヒテルが火花を散らしつつ繰り広げてゆく二重奏の中から、ベートーヴェンの威容がくっきりと姿を見せ、聴き手を圧倒する。

この魅力に抗し得ない人が音楽ファンのなかに果たして存在するだろうか?

当時の旧ソヴィエトには個性を主張できた伴奏者は極めて少なく、精緻だが機知や精彩を欠いたピアノに冷たさを感じた演奏も多かった。

流石にリヒテルとのベートーヴェンやゼルキンと組んだブラームスの2曲のチェロ・ソナタ、ベンジャミン・ブリテンのピアノ伴奏によるアルバム、あるいはCD19から21にかけてコーガン、ギレリスが加わるピアノ・トリオ集などは演奏水準の高さもさることながら、表現力の多様さでもそれぞれが互角の立場で作品に臨んでいるところが聴き逃せない。

ロストロポーヴィチは晩年表現がやや厚化粧になる傾向があったが、彼の確信に満ちた解釈は常に明白な説得力を持っている。

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2017年02月24日


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筆者の実家には両親が買い集めたマーキュリー・リヴィング・プレゼンスのLP盤が少なからずある。

それらの中には当時から入手困難だったものも多く、また、気安くコレクションできるような価格でもなかった。

しかし再生した時の音質の良さは、部屋があたかもコンサート・ホールに変わったかのような、劇的なものだったことを今でも良く覚えている。

そしてその後のあらゆる録音に対する筆者の音質評価はリヴィング・プレゼンスが基準になっていると言っても過言ではないだろう。

それは音の鮮明さ、臨場感、そして自然な音響空間などで、オーディオ機器を買い揃える時の目安としても、試聴サンプルとして聴いていたのがこれらだった。

勿論演奏そのものも名演の名に恥じないセッションがきら星の如くあり、その後CDになってから買い換えたものもあって、今回の廉価盤化による大挙放出には複雑な思いだったが、未購入のものも多く、また廃盤の憂き目に遭っているCDもあって結局買ってしまった。

過去にレコーディングされたタイトルは350にも上るが、CD化に伴って曲目は適宜リカップリングされているようだ。

内容は1950〜60年代に制作された米マーキュリー・レーベルのクラシック録音から、代表的な作品をCD50枚に収容。

このシリーズは全部で250種ほどになるが、その3分の1弱がこのボックスに入っていることになる(アナログLPとCDの容量差を活かし、多くの盤で関連作品の楽曲が追加されているため)。

ただし今回の50枚のセットからは除外されている録音も多数あるので、購入されたい方は希望する曲目が含まれているかどうか確認する必要がある。

ちなみに楽曲の構成では近代曲が主体であり、特にソ連やハンガリーなど「旧東側陣営」の作家作品を多く収めているところに特徴がある。

これはマーキュリーレーベルの個性でもあり、RCAやコロムビアがロマン派楽曲を重視したことと好対照だ。

1951年から始まった無指向性1本吊りのモノ・マイクロフォンでスタートしたリヴィング・プレゼンスの録音は、やがて1959年には3本吊りのマイクによる採音と35mm映画用音声テープを使った3トラック・レコーダーへの録音という、決定的な手法を編み出した。

半世紀も前の稚拙な機材とミキシング技術と言ってしまえばそれまでだが、この方法によって現在の録音技術にも匹敵し、ある意味ではそれを凌駕するほどの音質が得られている事も多くの人が指摘している事実だ。

このマーキュリー流儀の録音はシンプルだが空間の再現性に優れ、しかも音に強靭な厚みがある。

これは優秀なマイク(ノイマンU47に代表される管球式コンデンサーマイク)と贅沢な録音機材、そして記録メディアの余裕がなせる技であり、より後年の録音に比べて記録幅のマージン(=ダイナミックレンジ)はむしろ広く取れている。

もちろんテープヒスなどのノイズは多めで、弱音部ではかなり目立つのだが、それよりも強奏部の立ち上がりと歪みの無さが圧倒的。

あのドラティの《火の鳥》から「カスチェイの凶暴な踊り」の冒頭で、打楽器の一撃と金管がサウンドステージを振るわせる部分などは、明らかに実演を超える凄まじさがあり、こういう誇張した表現に説得力を与える巧みさは、現代のハリウッド映画にも通じるものだろう。

彼らのレコーディングは1967年で事実上終了したが、プロデューサーを始め、この仕事に携わったエンジニア達の音に賭けたこだわりと、熱い意気込みがこれらのCDを通じて再び蘇ってくるようだ。

ライナー・ノーツは64ページで、録音時のエピソードと演奏者紹介が写真入りで掲載されている。

ボーナスCDには当時のプロデューサー故ウィルマ・コザート・ファイン女史へのインタビューが収められている。

単に録音が優れたクラシック作品なら、洋の古今で枚挙に暇(いとま)が無いが、マーキュリーの諸作には音楽と録音芸術が見事に一体化した「筋の通った価値」があり、それを創り出していたのが、女性ディレクターとして辣腕を振るったコザートである。

コザートは1953年にマーキュリーの副社長に迎えられ、以後10年にわたってエンジニアのロバート・ファイン(後に彼女の夫となる)らとともにレコードの制作にあたった。

実はこのボックスに収められた50枚は、1990年代にデジタル化された音源を使っている(2000年代のSACD化に使われたDSDマスターとは別音源)。

そのデジタル化に際しては、わざわざ録音当時の機材をレストアして送り出し側に使い、さらにコザート本人を招いて3ch→2chのダウンミックスを行うという念の入れよう。

その作業は必ずしも完璧なものではなかった(ごく一部でレベル調整の瑕疵がある)にせよ、ディレクターの意図を尊重する姿勢を評価すべきだろう。

コザートは2009年にこの世を去り、当時の関係者も残り少なくなってきたが、ここに収められた音楽が色褪せることは無いだろう。

クラシック音楽とオーディオ再生を愛する者にとって、これは必携といえる素晴らしいボックスである。

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2017年02月22日


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このドキュメンタリーで扱っている音楽家達の老人ホーム『音楽家憩いの家』はキャリアを終え、身寄りのなくなったかつてのスター達を収容する施設として作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの発案と基金でミラノに設立された。

当時の音楽家の中には豪邸に生活して何の不自由もなく余生を過ごした人もいたが、引退後生活に困窮したり、身寄りのなくなった者は、それまでの華やかなステージとは裏腹の生活を強いられた。

ヴェルディは彼らへの敬意から余生の安泰を願って、決して彼らのプライドを傷つけることのないような心のこもったホームを創設したが、この映画ではダニエル・シュミット監督の温かい愛情に満ちた目によって彼らの日常が活写されている。

ここに登場するキャリアを終えた音楽家達は誰もが過去の素晴らしい思い出の中に生きているのだが、全員が驚くほどポジティヴに生き生きと生活している。

それはこの施設で暮らすことによって過去と現在が決して切り離されることがないからだろう。

登場するのは器楽奏者やオペラ歌手などさまざまで、それぞれが現役時代を忘れてしまうどころか現役さながらに演奏し語り合い、また学習さえ怠らない。

またそうすることが彼らの生き甲斐を満足させ尊厳を失わずに生きていくことに貢献しているのだろう。

ここでは戦中戦後スカラ座のプリマドンナとして活躍したソプラノ、サーラ・スクデーリ(撮影当時78歳)に焦点が当てられている。

自分の歌ったプッチーニの『トスカ』から「歌に生き、愛に生き」のレコード再生で、彼女自身が懐かしみながら一緒に口ずさむ様子といくらか憂愁を帯びた表情が感動的だ。

しかし彼女がその驚異的な声で実際に歌う時の表情は更に晴れやかで輝かしく、常に音楽に寄り添って余生を送ることの大切さが伝わってくる。

この作品に映し出された彼らの生活風景を見ていると、ヴェルディの構想が如何に高邁なものであったかが窺われる。

現に筆者の祖母を施設に入れざるを得なかった時、このドキュメンタリー映画が多くの示唆を与えてくれたことは事実である。

長年この施設の友の会会長で、かつての名メゾ・ソプラノ、ジュリエッタ・シミオナートは、短いコメントの中で音楽家の引退の時期について非情に示唆的な考えを表明している。

つまり1人の音楽家が引退する時期は聴衆から見放される時ではなく、逆にそうなる前にその人が完全なイメージを遺す形で聴衆から去っていくべきだと言っている。

それは全盛期に鮮やかな引き際を見せたシミオナートならではの名言だろう。

『音楽家憩いの家』の概要についてはシミオナートの伝記を綴った武谷なおみ著『カルメンの白いスカーフ』に詳述されているが、それによれば入所資格は60歳以上の年金受給者で、プロの音楽家であったことの証明の他に、年金の80%を施設に寄付しなければならない。

彼らは敬意を持って迎えられ入居後も自由な音楽活動を保証されていて演奏会やオペラ鑑賞などのレクリエーションも企画されている。

しかしヴェルディの楽譜の版権が切れ、印税が当てにできない現在では運営資金を寄付に頼らなければならないようだ。

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2017年02月20日


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小澤征爾&ボストン交響楽団が1980〜1993年、13年をかけて完成したマーラー交響曲全集で、両者の厚い信頼関係が成し遂げた金字塔と言えるBOXだ。

そして、この録音が数多くの演奏の中でもひときわ優れ、独自の音楽的な地位を保っていることは誰もが認めるところである。

1980年代と言えば小澤の評価が世界的に急上昇し、ついには1990年代の頂点に至る過程でもあったが、その原動力として、この全集が果たした役割は大きい。

当時の小澤は世界的な巨匠という責任と期待の前に立って、最終的なジレンマにあったのではないか。

それは、結局音楽における内面性、精神性と言われてきた奥義のようなものを異文化から来た人間がどう獲得するかという問題になり、これは小澤が独自のスタイルを保ちながら、しかもどれだけ燃焼度を高く確保していけるかという問題でもあった。

そういう意味において、小澤のマーラー録音の展開を追っていけたことは、また文化史的に極めてスリリングな体験と言うべきであったのかも知れない。

小澤はマーラーの「第9」を、ボストン交響楽団の音楽監督としての最後の演奏会で取り上げたほどであり、マーラーのスペシャリストとしての呼び声も高い。

小澤のマーラー演奏は東洋的諦念観の理解に裏打ちされていると特徴付けられるが、作曲者と完全に一体化した師バーンスタインの情緒的スタンスから一歩踏み出したオリジナルの強さがここにはある。

ポスト・バーンスタイン=ユダヤ的身振りを模索する客観的でセンシティヴなマーラー像、すなわちバーンスタインのマーラー以後、一体どんなマーラーがあり得るのか、その小澤なりの回答、なのであろう。

小澤のアプローチは全体を通していわゆる純音楽的なものであるが、マーラーの荘重な世界を、熱い魂がほとばしるような演奏で表現している。

小澤のマーラーには、こってりとした民族的な味付けや濃厚な感情移入は感じられず、むしろ絶対音楽として客観視された主旨で統一されている。

バーンスタインやテンシュテットの劇的で主観的なアプローチとはあらゆる意味において対照的であるが、だからと言って物足りなさは皆無。

明晰な響きと自在なリズム、カンタービレのしなやかな美しさ…しかし、何といっても小澤の音楽には絶対的な優しさがあり、この美質が小澤のマーラーを価値あるものにしている要因なのだろう。

バーンスタインほどオケを振り回さず、しかし客観的になりすぎず、音を丁寧に積み重ねながらぐいぐいと聴く者を引き込んでゆく。

一方、小澤のマーラーは非常にセンシティヴな響きを持っており、フランスの印象派や、武満やメシアンを思い出させるような、あるいは小澤があるエッセイでマーラーと比較していたアイヴスも連想させるような繊細さを感じさせる。

このように小澤のマーラー観とは、外部からくる様々な感覚を綜合した、ある種アール・ヌーヴォー的な作曲家というところにあり、そのアプローチは主観主義的であるよりもむしろ客観的・知的・純音楽的である。

また小澤独自のリズムの切れの良さと旋律の歌わせ方の明快さもよく出ており、そういう特質が最も良く生かされているのが、小澤向きの「第8」や「第2」「第1」だろう。

小澤の、楽曲の深みに切り込んでいこうとする鋭角的な指揮ぶりが、演奏に緊張感といい意味でのメリハリを加味することに繋がり、切れば血が出るような熱き魂が込められた入魂の仕上がりとなっている。

録音も優秀で、ボストン交響楽団の洗練された弦や木管、輝かしいブラスを、フィリップス・クオリティのサウンドで堪能できる高水準でシンフォニックな全集である。

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2017年02月18日


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ドイツの長老指揮者ミヒャエル・ギーレン(Michael Gielen 1927-)が、1988年から2003年にかけて、南西ドイツ放送響と録音したモダニズムに徹した鋭利な知の切れ味を堪能させる新解釈の高品質かつ均質性の高いマーラー(Gustav Mahler 1860-1911)の交響曲全集。

交響曲第10番は第1楽章のみ(2005年にクック版の全曲を録音、別売)で、「大地の歌」は含まれない(1992年に第1,3,5楽章、2002年に第2,4,6楽章を録音したが、当アイテムには含まれなかった)。

ギーレンのマーラー演奏は、細部まで見通しのよい堅牢な造形、緊密に練り上げられたテクスチュア構築など膨大な情報処理に秀でている点が特徴的で、素材間の緊張関係や声部の重なり合いの面白さには実に見事なものがある。

オーケストラの楽器配置が第2ヴァイオリン右側の両翼型である点も見逃せない重要なポイントで、マーラーが意図したであろうパースペクティヴの中に各素材が配されることによって生ずる響きや動きの妙味に説得力があり、多用される対位法や、素材引用への聴き手の関心が無理なく高められるのも嬉しいところだ。

どの交響曲も、指揮者のスタイルをしっかりと投影し、解析的で、情緒を抑制しながらも、自然で音楽的な起伏に満たされている。

この全集は、特にマーラーの音楽に存在する構造的な秘密を解明し、そこから導かれる「力」の存在に意識的でありたいと思う聴き手には、絶好のものだ。

ギーレンは、明らかにこれらのマーラーの音楽から、「情」ではなく、「知」に働きかけるものに焦点を当てている。

明瞭にされる声部、音型の変換、構造上の楽器の役割、そういったものを厳密に定義付け、細部を突き詰めることにより、音像を作り上げ、音楽を構築していく、建築学的な音楽と言っても良い。

しかし、音色は決して冷たくはなく、むしろ不思議な暖かさを宿し、的確な起伏により、新鮮な高揚感を得て、鮮烈な興奮を聴き手に与えてくれる。

ごく簡単に、筆者が当演奏から受けた印象を、各曲ごとにまとめると、以下の様な感じになる。

第1番;1つ1つの楽器の明朗な響きと、そして、濁りのない合奏音によって、瑞々しく描かれている。

第2番;細かいモチーフを繋いだダイナミクスへの動線、さらに休符の意味まで厳密に突き詰めた演奏。この曲の劇場的な一面と一線を画している。第5楽章の冷静極まりない進行から、前半部の巨大なコラール、そして合唱を交え、コーダに向かう一連の流れは非常に美しく、ルネサンス・ポリフォニーを聴いているかのよう。

第3番;アダージョまで徹底したインテンポの表現で、鋭く線的に描かれたシャープなスタイル。シャイーに近いが、ギーレンの方がやや即物的な味わい。

第4番;厳密性がややシニカルな味わいを見せる。天国の音楽と言うより、瞬間瞬間の音色を追求。

第5番;引き締まったテンポで、クールに徹したモダニズムの極致的美演。動物のように激しく叫び、のた打ち回るだけが主張なのではないことを教えてくれる。

第6番;全体の中では古典的なアプローチ。だが新ウィーン楽派に連なる表現主義的な面をよく伝える。

第7番;従来のロマンティックな解釈とは完全に一線を画した演奏。第4楽章の各モチーフの扱いに卓越した冴えを見せる。

第8番;オペラ的なショルティとは対極をなす名演。テクスチャーの織り込みが細かく、驚かされる。終幕近くのソプラノがマジカルな効果を放つ。

第9番;オーケストラの技術を駆使した演奏。この曲の場合その成果が暖かみではなく、不安や恐怖の感情へと誘導されるのを感じる。独奏ヴァイオリンの深いニュアンス。

第10番;第9番に近いがより暗黒的、虚無的なものを意識させる。

以上、当然の事ながら、それぞれの感想がその曲固有のものというわけでなく、全集を通じて重複するものもあるが、筆者の素直な感想を曲毎に書くと、このようになる。

ギーレンは、テンシュテット(Klaus Tennstedt 1926-1998)のように、音の1つ1つの表現力は強いわけではなく、シャープで、冷酷なまでに素っ気ないが、ただ、その素っ気ない音が同時に鳴らされたとき、その組み合わせ方がドラマティックで、ロマンティックで、エロティックなのだ。

マーラーの音楽の多面性を見事にあぶり出した稀代の名演、名全集で、情感、知性、さらに哲学と、マーラーの音楽を深く追求した実にずっしりと重みのある全集に仕上がっている。

いずれにしても、現代最高のマーラー指揮者による素晴らしい全集だと思うので、是非推奨したいが、ギーレンのマーラー・シリーズは、単品で揃えると、併録してある楽曲がなかなか興味深いので、経済的に余裕のある人は、そちらの方がいいかもしれない。

バーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-1990)やショルティ(Georg Solti 1912-1997)とは大いに聴き味を異にするマーラーではあるが、彼らの演奏を支持する人であっても、もっと多層的で新たな感興を呼び覚ましてくれるギーレンのマーラーだと思うので、広く推薦したい。

すぐれた演奏は本当の自分を映し出す鏡となるが、この演奏は鏡にふさわしく、よく磨かれているはずだ。

また、録音状態も自然な質感をもった優秀なもので、ヘンスラー・レーベルで行われた録音だけでなく、第4番、第7番、第10番アダージョというINTERCORD時代にリリースされていた音源まで大幅な音質改善が図られているのも良心的である。

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2017年02月16日


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ダヴィッド・フレーは成長著しい現在最も注目すべき若手有望株のピアニストの1人である。

フレーはフランス生まれの最もフランス的なピアニストでありながら、これまでフランス物には殆んど目もくれずドイツ系の作曲家の作品ばかりを録音してきたが、どうやら鉾先を転じつつあるようだ。

今回のショパン・アルバムは少なくともセッション録音では初挑戦で、予想はしていたがこのCDでもやはり彼らしい滴るような抒情に包まれたウェットなサウンドを駆使しながら甘美かつスケール感にも不足しない演奏が繰り広げられている。

彼はそれぞれの作品を自分の領域に容赦なく引き込んで敢然と手を加えるが、それほど耽美的に感じられないのはむやみにリズムを崩したり、音価を引き摺るのではなく、あくまでも鍵盤へのタッチと、それによって生み出されるディナーミクの千変万化で聴かせることに注意が払われているからだろう。

その深い瞑想に支配された感性の繊細さには尽きない魅力があり、さながら現代のピアノの詩人といったところだ。

彼はもともと超絶技巧で聴衆を唸らせるタイプの演奏家ではなく、彼自身そのことを誰よりも自覚しているので、通常若手ピアニストが取り組む派手なテクニックを誇示するような曲目には一切手を染めていない。

それとは対照的にピアノという楽器を通して如何に心情の機微を歌い上げるかというところに早くから嬉々として勤しんでいるように見える。

その成果がこれまでにリリースされてきたドイツ系の作品にも着実に応用されていると言えるだろう。

今回のショパンの選曲を見れば自ずと理解できるように、ノクターンやマズルカの詩的な魅力が究極的に追求されている。

通常このような選曲のアルバムは大家の演奏でもない限り売れ筋ではないのだが、洗練された個性的な解釈の美しさだけでなく充分な説得力を持った堂々たる演奏に驚かされる。

2016年9月パリのノートルダム・デュ・リバン教会における録音で、収録曲目に関しては上記のアマゾンのページのイメージ欄にケース・カバー裏面の写真が掲載されているので参照されたい。

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2017年02月14日


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2032年がハイドン生誕300周年に当たり、それに向けて現在ふたつのイタリアの古楽グループが世界初のピリオド・アンサンブルによる交響曲107曲の全集の制作に向けて着手している。

既にCD3枚計9曲の録音を終えているのがジョヴァンニ・アントニーニ率いるイル・ジャルディーノ・アルモニコで、この遠大な構想を着実に遂行しつつあるように見える。

一方こちらは同じくイタリア古楽界のベテラン・チェンバリスト、オッターヴィオ・ダントーネがアカデミア・ビザンティーナとの全曲レコーディングを完成させる企画を立ち上げている。

その第1弾として昨年2016年にリリースされたのがこの2枚組4曲で、そのうち第79番及び第81番はピリオド・アンサンブルの録音では初めての試みのようだ。

古楽奏者によるハイドンの交響曲全集は唯一ホグウッド、ブリュッヘン、ダントーネの三者混成ボックスがデッカから出ているが、いくらかご都合主義の寄せ集めの感は否めない。

またロイ・グッドマン&ハノーヴァー・バンドもかなりの曲数を録音しているが、いずれも単独では全曲録音にまで至っていないのが現状で、この機会にダントーネ、アントニーニの両者が最新の録音で全集を完成させることを期待したい。

この膨大な作品群を現代の大編成のオーケストラを使った分厚いサウンドで演奏するのもひとつの解釈だが、彼のように当時の宮廷楽団のアンサンブルをイメージさせるインティメイトな再現も重要な選択肢のひとつだろう。

彼らから引き出される音色は少人数編成ということもあって、古典派特有のジオメトリックなスコアのテクスチュアが見えてくるような精緻さと独特の透明感があり、かえってそれがフレッシュな音響を創造しているのは事実だ。

その意味ではむしろアントニーニの起伏に富んだ情熱的な演奏を凌駕していて、ダントーネのクールとも言える知的な解釈が反映されている。

また今回はメジャーな作品を敢えて避けた、肩透かしを食わせるような4曲を並べたところもユニークだが、ダントーネによる来たるべきハイドン交響曲全集のサンプラー盤として聴く価値があるもので、それぞれが味のある個性を持っていて音楽的にも他の標題付の交響曲に決して劣るものでないことが証明されている。

セッションの会場となったラヴェンナのゴルドーニ劇場は豊かな残響を持っているが、古楽器の音質を忠実に捉えた録音状態も秀逸。

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