2022年07月29日


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以前ユニヴァーサル・コリアから34枚組のイングリッド・ヘブラーのモーツァルトとシューベルトの全録音集がリリースされたが、既に廃盤になっている。

こちらは本家フィリップスの全音源を収録した58枚のオリジナル・ジャケット仕様である。

これまではプレミアム価格で販売されていたショパンのワルツ集やハイドンのソナタ集、シューマンの『子供の情景』などと共に彼女の殆ど総てのレパートリーを鑑賞することができる。

音質は全盛期のフィリップス特有の切れの良い鮮明なサウンドが特徴である。

最後のCD58のモーツァルトのピアノ・ソナタ第12番ヘ長調及び第13番変ロ長調に関しては1953年のモノラル録音だが今回初CD化された。

彼女はモーツァルトの権威だったが、モーツァルトに大きな影響を与えた大バッハの末っ子ヨハン・クリスティアン・バッハの作品も多く手掛けている。

このセットではピアノ・ソナタやフルート・オブリガート付きのピアノ・ソナタ、また18曲に及ぶピアノ協奏曲も圧巻だ。

ここではノイペルト製のフォルテピアノのコピーを演奏している。

ヘブラーは恣意的な解釈を避けた、磨き上げた美しい音色で清楚に演奏した殆ど最後のピアニストだった。

そのスタイルはモーツァルトの音楽に最もふさわしく、純粋な音楽の喜びを体現させてくれる。

その意味でもこの全集は貴重なものだが、彼女がフィリップス以外にレコーディングした音源については含まれない。

その主な音源はDENONからリリースされた二回目のモーツァルトのソナタ全集で、こちらは現行で入手可能だ。

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classicalmusic at 07:43コメント(0)ヘブラーモーツァルト 

2022年07月28日


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何という素晴らしい名演であろうか。

精妙なアンサンブルの中に、モーツァルト特有の陽気さ、軽妙さ、悲痛さ、苦悩といった、さまざまな情感を盛り込んだ名演だ。

弦楽四重奏曲第17番「狩」は、まさに狩りを皆で楽しむような生き生きとした力強い生命力に満ち溢れている。

構築性を尊重し、明るく大きく歌い上げており、これはスメタナ四重奏団ならではの名演だ。

スメタナ四重奏団の各奏者の醸し出す絶妙のアンサンブルは、これぞ弦楽四重奏曲の醍醐味とも言うべき高次元の至高の音楽を構築している。

他方、第15番は、モーツァルトにしては珍しい短調の楽曲であるが、悲劇的な曲想の中でも、決して甘美なメロドラマには陥ることなく、常に高踏的な至純の美しさを失わないところが素晴らしい。

そのデモーニッシュな魅力には聴き手を引きつけて離さない魅力がある。

ここでも、スメタナ四重奏団の各奏者の奏でるアンサンブルは、これ以上は求められないようなレベルに達しており、4人の室内楽的なかけ引きも見事というほかない。

第17番「狩」と同様、録音も含めれば、同曲最高の名演と言っても過言ではないだろう。

いずれも彼らの最盛期の録音といってよいだろう。

録音は、世界初のデジタル録音として、前述のようにもともと素晴らしいものである。

モーツァルトの弦楽四重奏曲の録音史上、最高の名演の一つをこのような高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:45コメント(0)モーツァルトスメタナSQ 

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ザルツブルクを支配したカラヤンが、伝説になるべくしてなったのが、この《ばらの騎士》だった。

舞台は映画化され、その映画は世界中で上映されたし、もちろん日本でも。

いまなら当然だが、1960年代はそうではなかった。

実際の舞台を収録したライヴ、というより、夢の彼方の映画だった。

だが、伝説の名舞台も、さすがに影が薄くなっている。

絶え間なく時は流れて半世紀以上経った。

元帥夫人の老いを、誰も止めようがない。

62年という歳月は、《ばらの騎士》というオペラにとって、決して短い歳月ではなかった。

いまなお、「シュヴァルツコップの元帥夫人」の神話は生きているけれど、シュヴァルツコップ的な歌唱はもう過去のものとなりかけている。

《ばらの騎士》というオペラも、コメディにしては涙の量が多いものに変わってきている。

残された映像や録音によって、時の変化がまざまざとうかがえる。

第1幕の幕切れで元帥夫人が見る鏡のように……。

「時」が《ばらの騎士》の主役になったのも、初めはシュヴァルツコップの元帥夫人だったのかもしれない。

映画で知る限り、まだこの上演で元帥夫人は、年齢や色香の衰えを悲しみ、受け入れている。

でもその深いため息に、過ぎゆく時を前にした人間の悲しみへと昇華する兆しを、私たちは聴きとることができる。

1960年の美しい《ばらの騎士》は、コメディーであり、ドイツ的歌唱によって与えられていることによって、過去に属していた。

しかし、同時にこの《ばらの騎士》は、未来でもあったのだ。

「時」のなんという不思議! そして時のオペラ《ばらの騎士》の、なんという不思議!

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classicalmusic at 17:36コメント(0)カラヤンシュヴァルツコップ 

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ザルツブルク音楽祭での収録年の異なるふたつのコンサートより、キャリア駆け出しのムーティがウィーン・フィルを指揮した演奏内容を編んだアルバム。

リッカルド・ムーティのザルツブルク音楽祭でのライヴから3曲を収めたCDで、前半の2曲が1972年8月17日に同地のグローセス・フェストシュピールハウスで演奏されたロッシーニのオペラ『セミラーミデ』序曲及びシューマンの『ピアノ協奏曲イ短調』で、ソリストにはスヴャトスラフ・リヒテルを迎えている。

後半は1974年7月27日にクライネス・フェストシュピールハウスでのモーツァルトの『協奏交響曲変ホ長調』で、ソロ・ヴァイオリンに当時のウィーン・フィルのコンサート・マスターだったゲルハルト・ヘッツェル、ソロ・ヴィオラには同首席奏者ルドルフ・シュトレングをそれぞれ配している。

ムーティのザルツブルク・デビューは1971年にカラヤンから招待された時で弱冠30歳だった。

このライヴはその翌年のもので、プログラミングの上でも既にムーティのストラテジーが良く表れている。

ムーティはコンサートの冒頭にしばしばイタリア・オペラの序曲を持ってくる。

しかもウィーン・フィルのようなオーケストラでロッシーニのクレッシェンドを思う存分聴かされた聴衆の精神状態は、いやがうえにも高揚してくる。

こうしたオーケストラのウォーミング・アップと聴き手の感覚を呼び覚ますファンファーレを兼ねた効果的な選曲がここでも功を奏している。

シューマンでは鉄拳のように振り下ろされるリヒテルの打鍵が、ムーティの指揮する毅然としたウィーン・フィルの上に冬の月光さながらに冴えた演奏で、リヒテルのソロは時として近寄り難い孤高の峻厳ささえ感じさせるが、ムーティはそれを包み込むだけの熱い情熱と巧みな采配で、リヒテル自身も次第に勢いに乗ってくる様子が興味深い。

第2楽章での弦楽器を引き立たせるカンタービレや、終楽章のソロとの堂々たる受け応えは若かったムーティの奮闘振りを示している。

かたや巨匠リヒテル、また一方ではうるさ型のプレーヤーが揃っているウィーン・フィルという二者をまとめあげ、両者の能力を活かしてみせた力量は流石だ。

モーツァルトでソリストを務めるヘッツェルは少年時代からヴォルフガング・シュナイダーハンに師事してウィーン流の奏法を会得した、まさにウィーン・フィルの顔だったが、先輩のシュトレングと組んだ『協奏交響曲』での線は細いが軽やかで典雅なロココ風の趣は、替え難い美しさを持っている。

ここではムーティ得意のイタリア風の明るく伸びやかなモーツァルトを心掛けていて穏やかな幸福感を感じさせてくれる。

尚ライナー・ノーツは29ページで独、英語による比較的充実したエピソードが掲載されているが、後半部はオルフェオ・レーベルのザルツブルク音楽祭ライヴCDのカタログになっている。

録音状態はこの手のライヴとしては良好なステレオ録音で、いくらかこもった感じの音質はボリュームを上げることによってかなり改善される。

またテープの劣化が原因と思われる若干の音揺れが聞かれるが大勢には影響ない。

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classicalmusic at 10:46コメント(0)ムーティリヒテル 

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これは素晴らしい名演だ。

かつてリスト・イヤーには、ピアノ・ソナタロ短調を軸とした圧倒的なリスト・アルバムを世に出して、健在ぶりをアピールしたエマール。

本盤に収められた演奏は、エマールが最も得意とするレパートリーとも言えるドビュッシーの前奏曲集であり、そもそも演奏が悪かろうはずがない。

既に、エマールはドビュッシーのピアノ曲を2002年に映像及び練習曲を録音していた。

2005年の来日時には、全曲ではなかったものの前奏曲集からいくつかの楽曲を抜粋して、名演の数々を披露してくれたことは現在でも記憶に残っている。

いずれにしても、本盤に収められたドビュッシーの前奏曲集は、エマールにとって、いわゆる録音としては、ドビュッシーのピアノ曲集を収めた2枚目のアルバムということになる。

得意の楽曲だけに、まさに満を持して世に問うたアルバムということができるだろう。

それにしても、何という見事な演奏であろうか。

各旋律の尋常ならざる心の込め方には出色のものがあり、加えて、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う独特のセンスに満たされている。

これぞフランス音楽の粋とも言うべき抗し難い魅力に満ち溢れている。

個性的という意味では申し分がないが、その解釈の様相としては古色蒼然と言ったものからは程遠く、常に現代的なセンスに満たされている。

決して恣意的なアプローチに陥るということはなく、あざとさをいささかも感じさせないのが見事である。

そうした抜群のセンスを維持した中での、思い切った強弱の変化やテンポの振幅を駆使した各楽曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりである。

おそらくは現代のあらゆるピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の演奏の中でも最高峰の一つに掲げるべき至高の高みに達している。

また、卓越した技巧と堅固な造型美は、エマールのフランス人離れした優れた美質とも言えるところである。

前述のようなフランス風の洒落たセンスを聴かせるのにとどまらず、楽曲全体の造型美を重視した骨太の音楽づくりにおいてもいささかも不足はないところである。

まさにこれぞドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

加えて、本盤には前奏曲集の第1巻と第2巻の全曲が収められているのも聴き手にとっては大変喜ばしいものである。

前述のような演奏の素晴らしさも相俟って、筆者としては、現代のピアニストによるドビュッシーの前奏曲集の録音の中では、最も優れた至高の超名演と評価したい。

音質も2012年のスタジオ録音であり、十分に満足できるものと言える。

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classicalmusic at 05:13コメント(0)ドビュッシー 

2022年07月27日


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今回もオーケストラはバーゼル室内管弦楽団が担当している。

タイトルの『ラメンタツィオーネ』(哀歌)は2曲目の交響曲第26番ニ短調の第2楽章にグレゴリオ聖歌の「エレミアの哀歌」のメロディーが取れ入れられているからだろう。

また一方で最後にカップリングされている第30番ハ長調の第1楽章には同じくグレゴリオ聖歌からの「アレルヤ」が使われているためにニックネームとして『アレルヤ』と名付けられている。

こうした聖歌の交響曲への導入は後のベルリオーズその他の作曲家にも受け継がれていくことになるのも興味深い。

ハイドンはこうした試みでもパイオニアだったと言えるだろう。

バーゼル室内管弦楽団に生気を吹き込むようなアントニーニの指揮ぶりも、いつも通りだ。

交響曲第79番ヘ長調の第1楽章には、後にクレメンティがピアノソナタ変ホ長調Op.24-2のテーマに使っている音型とリズムがあらわれる。

これはモーツァルトが最後のオペラ『魔笛』の序曲で取り入れる主題の原形とも言える溌溂としたもので、意外なところで彼らのつながりが感じられる。

ハイドンの交響曲を聴いていると、そのほかにもカール・フィリップ・エマヌエル・バッハやベートーヴェンなど、彼が影響を受け、また影響を与えた作曲家たちの音楽が至るところにあらわれている。

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classicalmusic at 21:58コメント(0)ハイドン 

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ザンデルリング生誕100周年記念したセットで、その5年前に出た95周年記念盤に続いてベルリン・クラシックからリリースされた。

残念ながら彼は2011年に98歳で鬼籍に入っている。

両親がユダヤ系だったためにドイツの国籍を剥奪され、若い頃からソヴィエトで研鑽を積み、戦後は旧東ドイツを中心に活躍した指揮者としては珍しくマーラーをレパートリーにしていた。

2歳年下のコンドラシンもスラヴ系の指揮者には珍しくマーラーを系統的にレコーディングしたが、ザンデルリングのような経歴を持つ人が世紀末的なウィーンのデカダンスの魅力を伝えるマーラーに情熱を捧げたことには驚かされる。

それは特に最後の未完交響曲第10番に表れている。

交響曲第10番嬰ヘ長調は第一楽章だけが演奏可能な状態でスコアが残されたが、それ以降は加筆する必要があるので、指揮者はオリジナル稿を尊重して第一楽章のみを演奏するか、補筆版を使った完成形で全曲演奏するかの選択に迫られる。

ザンデルリングは後者の立場を取っていて、デリック・クックの第3稿をもとにして独自の解釈を加えて演奏している。

それだけこの作品に懸ける強い情熱が感じられる。

これはリカップリングされた第9番でも言えることだが、彼はフルトヴェングラーのようにマーラーを熟れ切った果実のように演奏するのではなく、より分析的にサウンドを作り上げていく。

第9番のように様々なエレメントが交差する曲では、彼のようなある種の冷徹さがモダンな響きを作り上げていると言っていいだろう。

ベルリン交響楽団も彼らの実力を発揮した優れた演奏で、当時の西側の著名なオーケストラに引けを取らない腕前を示している。

最初には『大地の歌』が収録されているが、ペーター・シュライアーが珍しく感情をあらわにした表現が聴ける。

これもザンデルリングの解釈だろう。

アルトのビルギッド・フィニラは真摯に歌っていて好感が持てるが、ブルーノ・ワルター盤のキャスリーン・フェリアーの歌唱を聴き直してしまった。

それくらいフェリアーの死を予感した歌声は天才的なものを感じざるを得ない。

音質は極めて良好で、オーケストラのそれぞれの楽器の解像度も想像以上に良かった。

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classicalmusic at 13:46コメント(0)マーラーザンデルリンク 

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ジョヴァンニ・アントニーニによるハイドン交響曲全集の第3集のタイトルは『ひとり、思いにふけり』である。

このディスクにカップリングされたハイドンのイタリア歌曲の題名から採られている。

歌うのはイタリアのソプラノ、フランチェスカ・アスプロモンテで流石にイタリア語の明瞭な発音とリリカルな歌心が心地良い。

勿論彼女もピリオド唱法をマスターしていて、アントニーニの期待に応えている。

イル・ジャルディーノ・アルモニコの伴奏も時に嘆くように、また時には激しくめりはりのきいた演奏でソロをサポートしている。

他の曲もこのいくらか哲学的なタイトルに共通する楽想を持つ選曲になっている。

例えば交響曲第64番イ長調『時の移ろい』で、第2楽章ラルゴの風変わりな曲趣は物思いにふけり、また我に返るような印象を与える。

このディスクにはハイドンのイタリア語のオペラ『無人島』の序曲も収録されている。

このオペラは現在殆ど上演されない1幕ものの作品だが、主人公の女性コスタンツァが孤島に置き去りにされたことを嘆く第一部が今回のタイトルに相応しい内容を持っている。

イル・ジャルディーノ・アルモニコはここでもドラマティックで自由闊達な演奏を繰り広げている。

音質は極めて良好。

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classicalmusic at 07:16コメント(0)ハイドン 

2022年07月26日


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1975年12月4日、NHKホールにおけるステレオ録音(ライヴ)。

これは素晴らしい演奏内容だ。

驚く程スケールの大きな演奏で、テンションの高い1970年代のN響とマタチッチの巨人的音楽作風の相乗で、超弩級の音楽に仕上がっている。

それにしても何と言う演奏だろう。

「マタチッチの」「N響の」という文脈ではなく、すべてのワーグナー録音のなかでも屈指の名盤と言える。

いずれも完全にオーケストラ・ピースとして演奏しており、その分物語性はないが完結した音楽となっており、完成度は高い。

揺るぎない骨格、透明感と品位、横の流れの自然さ、どこをとっても立派の一語に尽きる。

マタチッチ自身が語っているようにクナッパーツブッシュのワーグナーを下敷きにした演奏となっている。

響きは雄大で広がりがあり、ムラヴィンスキーの突き刺すような演奏とは違い包容力がある。

巨大な山脈が地の底から動いていくかのような何とも凄い演奏だ。

雪崩のようなフォルテもマタチッチの高い集中力を感じさせてくれる。

緻密でありながら大胆、流麗でありながら重厚、N響という先入観は不要。

ただひたすらに音楽に奉仕する指揮者と演奏者のみがここにある。

その音楽の圧倒的な力に、この録音当時、もしマタチッチがバイロイトで「リング」を上演していたら、その歴史はその後大きく変わっていたのでは?とさえ思う。

日本の楽団でこのレベルの音楽をやってみせたマタチッチは本当に凄い指揮者であった。

技術を云々している場合ではない。この演奏には圧倒的な音楽的説得力がある。

整った演奏は他にたくさんあるが、ここではライヴの良さが技術的なものを超えているように思われる。

マタチッチとこういう結びつきを持ったN響はとても幸運だったのだと思う。

音質はややぼやけているが、ホールでの演奏を思わせる自然なもので好ましい。

演奏・録音・選曲の面からマタチッチのファンのみならず、ワーグナーの入門としても薦めたい。

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classicalmusic at 23:55コメント(0)ワーグナーマタチッチ 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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