2007年11月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

ナチズムの時代、ヒトラーの芸術的アイドルであったワーグナーは、確かにゲルマン芸術の象徴と呼ぶべき特質を持っている。

17世紀の音楽界を席巻したイタリアの覇権をドイツ圏の作曲家は18世紀に入ってから徐々に崩し始めた。

オペラの世界でゲルマンの独立性を完全に樹立した作曲家が19世紀のワーグナーであった、といっても過言ではあるまい。

ワーグナーの和声法と管弦楽法から生み出される色彩感、そしてその色彩感によって左右される微妙なアゴーギグ(速度を速くしたり遅くしたり、微妙に揺らしたりして音の表情に変化を与え、音楽に生き生きとした動きをもたらす技術のこと。フルトヴェングラーが多用した。)の変化という特性は、そのままゲルマン芸術の語法の代名詞と呼べるものだった。

勿論、オペラのドラマ性を司るテクストの在り方自体も、ワーグナーの場合は非常にゲルマン的であったわけだが、それ以上に音楽的特性におけるゲルマン性は、ワーグナー演奏の場合、重要なポイントとなる。


ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:38コメント(0)トラックバック(0)ワーグナー 

2007年11月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



その象徴性の純度というものを考えつき、私はポール・ヴァレリーの、あのソクラテスが踊る女人の姿を凝縮して語る美しい一節を想起するのである。

それは「生命のあの高揚と振動、あの緊張の支配、得られる限り敏捷な自分自身のなかで、あの恍惚状態へは、内面から湧き上がるような力を持ち、恥や煩い、愚かさなど生活の単調な過程はそのなかに焼きつくされて、女人のなかにある神のように尊いものを我々のなかに輝かせてくれるであろう」と。

これはもとより両者を同次元で論ずることはできないのかもしれない。しかし動くものの究極に言語という形を与えようと象徴性の純度を高めてゆく時、期せずして想像力が踊りのイメージを形どる連想作用に誘われるということは、大変興味深いことだと思うのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:44コメント(0)トラックバック(0)芸術に寄す 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

「第9」のアダージョでワルターの演奏を真似することができても、フルトヴェングラーのそれを真似ることは不可能に違いない。

他の三つの楽章のドラマティックな再現は、あるいは同じように指揮できるかもしれないが、アダージョだけは絶対無理だ。

世界中の全ての指揮者は、このフルトヴェングラーの第3楽章を聴いて、己の無力を知り、打ちひしがれるだろう。まるで歯が立たない、勝負にならないことを嫌というほど思い知らされるからだ。だから神技というのだ。

この歴史的にも忘れ難い実況録音は、最晩年のフルトヴェングラーが、思いがけない苦難の時を過ごした後の、自己のベートーヴェン観を、一挙にそこに示したものと考えられなくもない。

もしも、彼がもう少し生を得て、改めてその録音を行ったとしても、この緊張感を再び記録することができたかどうか疑問であるし、それは今後生きてゆく人間全てが忘れてはならない時をそこに刻んでいるモニュメントとなっているのである。



ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:00コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

バイロイトの「第9」の緩徐楽章では、手探りで進むような終結の部分こそいつものフルトヴェングラー調でだが、あとはじっくりと遅いテンポを保ちつつ、特別の細工もなく、音楽自体の深い美しさを最大限に発揮し尽くしている。

この演奏を前にしては、さすがのブルーノ・ワルターの表現さえ浅く感じられるほどだ。

かつて朝比奈隆がN響定期演奏会のパンフレットの中で、この楽章は少しでも遅いテンポで指揮しなければ意味がない、と語っているが、その考えの適否はさておき、フルトヴェングラーは他のどの指揮者よりも遅いテンポを採る。

普通ならこんなテンポで指揮すればだれてどうしようもないはずだ。もちろん朝比奈自身の演奏ももっと速い。ワルターなどは、第1主題が終わった後のパッセージで、だれないように次の第2主題のテンポを先取りしている。

これはつまり、そこで第2テーマのテンポにしてしまった方がオーケストラが弾きやすいのである。ワルターにはこういう職人的なところがあり、フィナーレでも低弦のレシタティーヴォにせよ、二重フーガにせよ、弦が弾きやすいように遅いテンポを採っている。自分の表現よりもオーケストラのことを考えた親切心が先に立つ。

ところが、フルトヴェングラーはまず自分の表現が先で、前述の第2主題の前では大きくテンポを落して、いやがうえにも次のテーマへの期待の心を抱かせるのである。


ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:36コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーベートーヴェン 

2007年11月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



例えば、フルトヴェングラー指揮のベートーヴェンの「第9」交響曲が終わった後の聴衆の騒ぎは、もう熱狂とか興奮とかいう言葉では表現できないものがあったそうだが、そこでは「結合の力」が十全に発揮され、芸術の次元において人生の昇華をも意味していると思う。

それは単なる歓喜ではなく、人生の深い探求と社会への限りない貢献のうえからの「歓喜のなかの大歓喜」でなければならないということなのである。

それを可能にしたのはフルトヴェングラーの「解釈」であり、それはスコアの客観的描出というよりも「創造的生命」のすぐれて象徴的な描出と捉えることができるのである。


ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:45コメント(0)トラックバック(0)芸術に寄すフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

フルトヴェングラーは生まれながらの舞台人である。

熱狂的に彼を迎える聴衆があってはじめて彼の即興精神は燃え上がり、演奏に火がつき、ドラマティックなテンポの動きや、踏み外した楽器のバランスによるデフォルメが現れる。

しかし重要なのは、たとえ即興精神に火がつかず、冷静に演奏しても、フルトヴェングラーの音楽はやはり素晴らしかった、という事実であった。

聴衆のいないレコード録音でも彼は常に意味深い響きを創造し、余裕を保ちつつ、精神の嵐と緊迫感を表出し得た。

そういうしっかりとした土台があるからこそ、どんなに荒れ狂っても元の音楽性が微動だにしなかったのだ。

すなわちフルトヴェングラーは純粋な一人の音楽家としても最高なのである。





ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ここで、一切の事象を永遠の相のもとではなくして持続の相の力で捉えようとした、ベルグソンの生への哲学に内包しているところの生命脈動してやまぬダイナミズムを「創造的生命」と名づけて着目したい。

それは常に時間的、空間的な限界を乗り越えて、小さな自己から大きな自己への超克作業に余念がない。換言すれば、宇宙本源のリズムとの共鳴和音に耳を傾けながら、日々新たなる飛躍をしていくところに、この面目があると思うからである。

(注)ベルグソン(1859〜1941)フランスの哲学者。カントの観念論に対し、直観や本能によって認識される純粋持続としての実在論を構築。




ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:10コメント(0)トラックバック(0)芸術に寄す 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このバイロイトの「第9」では、音楽の表情がとても敏感に捉えられている。

個々の表情があまりにも切実なので、時に感情移入と誤解されるが、よく聴くともともと音楽に備わっていた表情を鋭敏に感じて蘇らせていることがわかる。

しかも切実に表現された部分がバラバラになっていない。

それどころか一つのものが大きな流れにつながっている。

この手法の強みは、他のベートーヴェンの録音、シューベルトの第9交響曲やシューマンの第4交響曲などでも最大限に発揮されている。

フィナーレで歓喜の主題が低弦から歌い出される直前や、「神の前に!」で前半部を締めくくる際の、極限的なフェルマータは、単なる演奏効果を狙ったものではない、心からの祈りと聴くべきであろう。

第3楽章も絶品で、これはもう神技といって差し支えない。


ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 04:05コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーベートーヴェン 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ