2007年10月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

       

しかし、これらを満足しうる演奏は少ない。

20世紀最高のワーグナー指揮者であるとともにブルックナー指揮者として一世を風靡したハンス・クナッパーツブッシュにしても、ライヴ録音には粘り強いロマン的な表情があり、ブルックナー様式とややかけ離れた感を与える。

従って、クナとカール・シューリヒトの正規録音が最高である。

その他日本には馴染みが深くて定評のあるロヴロ・フォン・マタチッチには優れたライヴ録音がある。

録音の多い朝比奈隆とオイゲン・ヨッフムは前者にはオケの弱さ、後者にはムラッ気があるが、廉価で交響曲全集の一つを揃えられたい向きにはうってつけ。目安としては朝比奈は最近のもの程良く、ヨッフムは新旧両盤どちらとも言いがたい。

交響曲全集よりもまず、ブルックナーの音楽の特質であるスケールの大きさ、オルガン的な響きの美しさ、宗教的な深さを感じられたい向きには、朝比奈指揮大阪フィルの名高き聖フローリアンでの実況録音(7番)をお薦めする。

これはブルックナーの入門であり、深奥でもある。これこそ日本人の誇りである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:13コメント(0)トラックバック(0)ブルックナー筆者のこと 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

    

ここでまず強調しておきたいのは、作曲家を解釈する演奏家の問題についてであり、これについては後々私のブログのテーマになるのだが、特にブルックナーの演奏についてで、特にブルックナーはナイーヴなのだ。演奏家によって生きも死にもする。それがただ単に凄い指揮者と優秀なオケだと名演奏になりえるとは必ずしも限らない点がユニークなのである。

私は、一時期まで宇野功芳氏の批評に全面的に賛同であった。しかし最近になって宇野氏が批判するフルトヴェングラーやカラヤンのブルックナー演奏にも素直に感動できるようになった。前者の精神性の高さと深さ、後者の良く彫琢された美しい表現も、ブルックナーは許容しうるだけの懐の深さはある作曲家ではないだろうか。

とはいえ、大自然の寂寥と人間の孤独を表現したブルックナーは、ドライな感情の人間には演奏できるか甚だ疑問であるし、即物的な演奏態度によっては必ずしもその本質を具現しない。徹底的に心象の世界の音楽だからである。そこで、私は以下のような基本的な考え方を変えていない。

1 厳しい客観性をもち、効果を狙いすぎず、あるがままを再現する。

2 透明な音感と、響きの透明度が必要。

3 「詩情」がほしい。

ブルックナーの名演へ

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:06コメント(2)トラックバック(0)ブルックナー筆者のこと 

2007年10月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

  

「スコアに忠実に」ということを極端に実施した例といえば、ベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ(英雄)」第1楽章のコーダで第一主題がトランペットに現れるところ、途中トランペットのテーマが消えてしまう演奏(ゲオルグ・ショルティの89年盤等)みたいに余りにもスコアに忠実なのには驚くばかりである。

ご存知のようにベートーヴェンが生きていた頃のトランペットにはそれ以上の音域が吹けなかったのだ。それを忠実に実行したところで何の意味があるのだろうか。ちなみにそれを「忠実に」実行したショルティは、これまた「忠実に」提示部の反復も行っている。

ライヴならともかく、家でCDを聴いてるのに、もう何度もその曲を聴いてて細部まで知り尽くしているのに、ご丁寧にも反復されたのでは、私などうんざりしてしまう。提示部の反復によって音楽が発展、止揚されているのであれば文句は言わない。全く同じ繰り返しなのである。

最近のリッカルド・ムーティ指揮のモーツァルトのシンフォニーなんか、さらにご丁寧にも展開部から再現部にかけても反復を実行している。皆様はどう率直に感じられるだろうか?何度も聴けてラッキーと思われるだろうか?そうではあるまい。反復なぞしなくても、それこそ一期一会、その演奏家の一世一代の名演を聴きたい!とお思いになるのではないだろうか(最近驚愕したのはムーティが「ザ・グレイト」でも反復を実行していたことである)。そこまで忠実にスコアを実行するのは不自然ではないだろうか。

ちなみに私はショルティもムーティも嫌いな指揮者ではない。むしろそれまでいい演奏をしていたからこそ、度重なる不自然さに疑問を呈したいのだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:07コメント(0)トラックバック(0)筆者のことベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

ところで何故私が今は亡き演奏家の名前ばかり挙げているのかというと以下のような考えを強めるに至ったからである。

20世紀初頭にそれまでのロマン的な演奏に対するアンチテーゼとして新即物主義と呼ばれる演奏家が台頭した。それは音楽は基本的に音の遊びであり、音を数学的秩序で組み合わせたものが音楽である、という美学であり、次第に勢力を拡げていった。

それに伴い、演奏とはスコアにかかれた通りに正確に音に実現することであり、それ以上でもそれ以下でもあるべきではない、という思想が広く浸透しつつあった。

その潮流が現代に至って、演奏家はスコアが要求する数学的秩序、例えばベートーヴェン以降のスコアに指示されるようになったメトロノームに機械的に従わなくてはならない、などといった流行を招いた。


ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 11:12コメント(0)トラックバック(0) 

2007年10月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



私が俗にいう名曲を聴き終えた頃、というよりも同曲異演奏を揃え始めた頃、巨大な存在として現れたのが、ウィルヘルム・フルトヴェングラーという20世紀前半に活躍した大指揮者だった。

彼が残したベートーヴェンを中心とする録音の数々は、当然モノーラルで特にライヴ録音など録音状態が良くないものが多いにもかかわらず、恐らく私だけでなく、真剣に音楽を聴こう、精神的な糧を得ようとする人達の決意的指針となるべきものである。

前記したようにいかに名曲であろうとも、演奏家が平凡だと、作品自体まで演奏家の水準に左右されることが、音楽鑑賞をするうえでは重要なキーになる。

ここにあげたディスクは、フルトヴェングラーの「第5」と呼ばれるほど、指揮者とオーケストラとが一体となった、圧倒的な名演である。

かなり主観の強い表現だが、そのスケールの大きさと、ドイツ的重厚さは、比類のないものだ。

数多いフルトヴェングラーのこの曲の演奏のなかで、正規のスタジオ録音は、彼の死の年に録音されたこのディスクだけである。

そのため、音自体も彼のものの中では最も良く、表現も磨き抜かれている。

しかし決して弛緩した演奏ではなく、晩年の彼の心境をのぞき見ることのできる深遠なものである。

ウィーン・フィルの美しい音色も強く印象に残る。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:12コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

   

同曲異演奏などまだ聴き比べる程聴きこんでないという初心者には、クラシック音楽は初めは堅苦しく感じるかもしれないが、聴くにつれて慣れるものである。何も岩波の青本を読むような知的忍耐力を要しない。

私の場合初めはどこかで、例えばCMや映画などで使われた音楽の断片が記憶に焼きついて、その断片を含む曲であれば、初めて耳にしたときでも全体を興味深く聴き進められた。CMや映画で印象に残ったフレーズを探すことにとても愉悦感に浸れた時期が確かにあった。

上にあげたものはクラシックの入門の入門である。クラシックをそもそも聴かない人やアレルギーを感じる人向け。

そしてそうこうしているうちに、古今の名曲の大半は聴き終えてしまう。大体そういった時期になると曲自体よりも演奏の方に興味が沸いてくる。というのは、演奏家が平凡だと、作品自体までその演奏家の水準に落ちてくることが身に滲みてわかってくるからである。

年末になると各地で開催される「第九」のコンサートに嫌気がさす方々も少なからずいらっしゃるのではないだろうか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)筆者のこと 

2007年10月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



前述したように私の学生時代はとても個性的な友人に恵まれたが(ここで音楽の話に戻ります)、社会に出て思うのは、現代は世界的に人間一般が没個性化しつつあるということ。クラシック音楽でも演奏家固有の感性や思想、本当の意味での個性を無視した、画一的な奏法や様式がコンサートやディスクを埋め尽くしている。

つまり、コンサートにおいてカーテンの陰に演奏者を隠して各曲ごとに入れ替わったところで、あるいはディスクのラベルをはりかえたところで、少しも差し支えのない事態が生じつつあるといってよい。

とはいえ、欧米にはまだ、幾つかの真の個性が瞬いているものの、非個性化の大波に対する防波堤とでもいえるような存在は、なかなか見つけることができないのが現状である。

歴史に残る名演奏家は、つまり希代の個性というものは、我々は残された録音を通じてしか知りえないのだが、その鳴り響く音そのものの響き、オーラというものが、他の演奏家や奏法とは一線を画した真の個性の輝きを帯びているのである。


ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:08コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

前置きが長くなってしまったが、要するに「クラシック音楽中毒患者」なのである。

クラシック音楽は私の「信仰」でもある。

前述したように、入学当初新興宗教のサークルに誘われたり(これが皆いい人ばかりなので厄介)、クラスメイトから健全な志向へと導かれたりして様々な刺激を受けた。

しかし現在も続いている親友のほとんどはフルトヴェングラー研究会の人たちである。この友情は廃ることがないと思う。

友人はほとんど結婚してしまったが、結婚式の選曲も楽しかった。

私はこのままだといつ結婚するのか知れないが、もし私が結婚するとしたら、結婚式では、ある先輩は居合の演舞、ある後輩は能を披露してくれるそうである。

それも私がクラシック音楽を通して真実を語ってきた功徳なのかもしれない。


ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:26コメント(0)トラックバック(0)筆者のこと 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ