2007年11月08日


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ところでその普遍性の世界は、往古の演劇が宗教的祭儀と不可分の関係にあった。ハリソン女史も言うように「人間を教会へ向かわせる衝動と劇場へ向かわせる衝動とは、出発点において同じであった」(J・E・ハリソン著『古代芸術と祭式』筑摩書房)というわけである。

つまり芸術は宗教で、また宗教は芸術であった。この二つながらの、良く生きんとする人間の情熱のおのずから志向するところは一致していたように思える。そこで問題は、古今東西を問わず、こうして芸術や宗教を通じて発現されてきた「結合の力」が、社会の近代化にともない、とみに衰微してきたという現実である。

私は19世紀以来、鋭敏な精神が予感し、警告してきたことをここであえて論ずるつもりはない。しかし自然や宇宙から切断されつつある人間は、今や人間同志の絆さえ断たれがちであり、その結果孤独はもはや孤独として、すなわち病いとしてすら意識されなくなってきた時代である。私達をとりまく芸術環境も近代の流れとともに、しだいしだいに大きく変わってきてしまった。


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ベートーヴェンの交響曲をかなりの歳月聴き込んでくると、「第7」の魅力に取りつかれるようになる。

一方に、第1、第3、第4楽章で主役を演じている活発なリズム運動があり、他方に第2楽章で深い哀愁を漂わせて奏でられる印象的なメロディーとハーモニーがある。この対比が魅力の根源なのだが、聴き手の心を動かす決め手となるのは、なんといっても第2楽章を深々と歌いあげてゆく力である。

フルトヴェングラーはイ短調の第2楽章にベートーヴェンが注ぎ込んだ哀しみをしっかりと受け止め、スケール大きく歌い進んでゆく。この「不滅のアレグレット」の対位法的な部分で、ウィーン・フィル(スタジオ録音盤)は優れた室内楽奏者のように、互いの演奏を聴きながら弾いてるかのようだ。

よほどの腕利きの集まりなのだろうが、自発的な表現を全体に取り込む指揮者の手腕も見事といわねばならない。ベートーヴェンの交響曲の緩徐楽章中、不思議な明るさに溢れている「第9」のあの第3楽章と並ぶイ短調のこの名楽章が、本来の深さと大きさを伴って聴き手の前に姿をみせるのである。

また、一方でトスカニーニはこの第2楽章も深々としているが、それより際立っているのが、第1、第3、第4楽章におけるリズムの鋭角的な刻みで、爽快この上ない。トスカニーニならではの切迫感が、才気のほとばしりを実感させる。必要なものだけを残した凝縮感が際立っている。

フルトヴェングラーが大人の風格を示しているのに対し、トスカニーニは余人の持たぬ恐るべき才気でそれに対抗している。

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20世紀に入ってからのベートーヴェンの交響曲演奏は、二つの大きな流れがあった、といえる。

それぞれを代表するのは、独墺のベートーヴェン演奏の伝統を受け継ぎつつ、それを深化させたフルトヴェングラーと、伝統にとらわれることなく楽譜を新しい視点から読み直し、ベートーヴェン解釈の新機軸を打ち出したトスカニーニである。

フルトヴェングラーの「第5」はいかにも堂々とした風格、骨太のがっちりした造型の二つが際立っている。

この指揮者の演奏に残っているロマンティシズムを好まない人は、「表現の誇張」を口にする。

例えば、第3楽章から第4楽章に休みなく続く接続部分である。

フルトヴェングラーはこの部分を最小限の音量と抑えたテンポで開始し、第4楽章に流れ込む寸前に音量とテンポを上げ、第4楽章に流れ込む寸前に音量とテンポを上げ、第4楽章の堂々たる第1主題を引き出す。

しかしこれは「誇張を意識させない誇張」の類いといってよいのではないか。それが生み出す特殊な効果が狙いなのだ。

ともあれ、それにより「第5」の全ての楽章でフルトヴェングラーはベートーヴェン特有の力強い足取りを聴き手に実感させ、聴き手の感情を高ぶらせるのである。

それに対し、トスカニーニは、爽快なテンポ、歯切れのよいリズムで弾き切られている。

フルトヴェングラーに代表される伝統的な「第5」が主流だった時代、トスカニーニのこの演奏はすこぶるモダンで、清新の気を注入したものといえる。

もっとも、聴き手はそれぞれ自分の好むテンポを持っているのが普通であり、悠然としたテンポを概して好む人にとって、トスカニーニのこのテンポがどうしてもそっけなく感じられるのは、否定できないだろう。

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2007年11月07日


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ではなぜ芸術が人間にとってかくも根源的な営みであり続けてきたのか、その最大の要因は、芸術のもつ「結合の力」に求めることができると私は考えるのである。

ゲーテの『ファウスト』の独白にあるように、あらゆるものが一個の全体を織り成している、一つ一つが生きて働いている、というのが生きとし生ける者の実相ならば、人間と人間、人間と自然、人間と宇宙をも結び合わせ、全一なるものを志向してゆくところに、芸術のすぐれて、芸術たらんとせんがためのものがあったといえる。

詩歌であれ絵画であれ、音楽であれ、彫刻であれ、我々が珠玉の芸術作品に触れたときのあの感動、それを一言にして謂えば、「あたかも我が胸中の湖に共感の波動が幾重にも幾重にも広がり、精妙なリズムがはるか天空へと飛翔してゆくがごとき生命の充実感」であり、これこそ自己拡大への確かなる実感である。

有限なるものは無限なるものへ、体験の確実性は意味論的宇宙ともいうべき普遍性の世界へと昇りつめてゆく。そこに芸術特有の「結合の力」の生き生きとした発動があると、私はみているのである。


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「エロイカ」は、いかにも包容力が大きい。その上に語り口が自在、かつ深みがある。

どちらかといえば、ゆったりしたテンポで開始されるのだが、中に詰め込まれている「音楽」の豊かさ故に、決して遅いとは感じさせない。

しかもフルトヴェングラーのテンポは物理的に一定なそれではなく、楽想に応じて速くなったり遅くなったりする。それがかつて「19世紀的ロマンティシズムの名残り」と評された所以であろう。

しかし、前にも述べたようにフルトヴェングラーがやると、音楽的呼吸とは本来こういうものなのだ、ということを聴き手に納得させる力がある。このコツは誰にも模倣できない、彼だけのものである。

全4楽章中、フルトヴェングラーの持ち味が最も生かされているのは、フィナーレ(第4楽章)である。なかでも楽章の半ば近く、ト短調で奏でられる第5変奏は、青年ベートーヴェンの思いの丈が込められているようで、すこぶる印象的である。

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フルトヴェングラーは「私のベートーヴェンは特別なのだよ。」と常々語っていたというから、自分でも余程自信があったに相違ない。

特にベートーヴェンの「第7」が終わった後に聴衆の騒ぎは、もう熱狂とか興奮という言葉では表現できないものであったそうだが、録音を通じて聴いてもさもありなんと思わせる。

それこそが生きた演奏といわなければならない。

ベートーヴェンの九つの交響曲の中で、フルトヴェングラーの偉大さがはっきりと表れているのは奇数番号のように思われる。

つまり、「エロイカ(英雄)」「第5(運命)」「第7」「第9(合唱)」の四曲である。

これらの曲は、いずれもベートーヴェンが不幸な運命を乗り越え、深くて暗い地底から這い上がり、光明を得ようとして努力しつつある時の作品である。

この巨匠の凄さは、そうしたベートーヴェンの「苦悩を通じての歓喜」の精神をしっかりとつかみ、それを劇的に表現していることだ。

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2007年11月06日


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そんなベートーヴェンも交響曲のジャンルで独自色を出すには多少の「時」を必要とした。

彼が独自の道を歩むようになるのは、しばしば言われているように「エロイカ(第3番)」以降の交響曲からである。

その「エロイカ」以降の交響曲の真にすぐれた演奏を認めるにあたっては、この作曲家の「志の高さ」に留意し、耳を音響的に楽しませてくれる演奏よりも、心に働きかけてくる力が大きい演奏を優先すべきである。

耳に快いベートーヴェン演奏は、一度か二度聴く分には、確かに耳に入りやすく親しみやすい。が、飽きもきやすい。

特に手許に置いておくディスクは、聴けば聴くほどますます惹かれるものでなければならない。


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そういうベートーヴェンの「志の高い」思いは、例えば作品1の3曲のピアノ三重奏曲や作品2の3曲のピアノ・ソナタにもすでに見て取ることができる。

ハイドンとモーツァルトは、これらの楽種を3楽章で書いた。交響曲や弦楽四重奏曲より一段下の音楽、と見做していたためである。

ベートーヴェンは、ピアノ三重奏曲とピアノ・ソナタを交響曲や弦楽四重奏曲と同じ高さに引き上げるべく、最初から4楽章のピアノ三重奏曲、ピアノ・ソナタを書く。

それだけではない。

それらの各楽章に、かつてなかったような峻烈な表現を盛り込んだのだった。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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