2007年11月

2007年11月30日


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「芸術と政治とは何の関係もないと、人びとは口癖のように言う。何と間違った考えだろう。芸術も政治も、真空では存在できないということがわかっていないのです。双方とも働きかける人間が必要です。公衆が必要です。

音楽は何よりも共有体験でなければならない。公衆のない音楽とは、存在不能でしょう。音楽は、聴衆と芸術家との間にある流動体です。音楽は、構築物でも、抽象的発展でもなく、生きた人間の間に浮動する要素です。そしてこの運動により意味をもつのです。」

とフルトヴェングラーはリースに語っている。

この彼の言葉と、彼のトスカニーニに対する返事とが矛盾するのかしないのか、トスカニーニは矛盾していると考え、フルトヴェングラーは矛盾しないと考えていた。


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しかし、私はフルトヴェングラーがドイツに残ったわけはそれだけではないと考える。

なぜなら、彼の音楽ノートのカレンダーより1936年にこう記述していることを想起するからである。

「人間的感動の大部分は人間の内部にあるのではなく、人と人との間にある。」

フルトヴェングラーは、音楽は政治の外にあって、精神の自由を内面の世界に実現することによって、政治を超越し、さらにある場合には対抗する、と考えていた。

ということは、先の彼の言葉通り、音楽は人それぞれの内面だけのものである、という意味ではまったくないのである。


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2007年11月29日


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「『個人的利益のためだと真向から非難する人々も少なくなかった。もちろん、それが事実無根であることは、私自身が誰よりもよく知っていた。しかし、私がドイツにあくまでも踏みとどまらなければならぬということは、あらゆる理由をこえ、あらゆる有罪無罪の問題をこえて、揺るがぬ私の信条であった。

かつては、キリスト教がわれわれの共通の故郷であった。だが、この信仰の問題が背後に退いた後、あとに残るのは国家だけである。なぜといって、音楽家にとっては、やはり一つの故郷は必要なのだ。

たとえヒトラーに共感するところがどんなに少なかろうと、私は、ドイツと最後まで運命を共にしようと思ったのだ。世界における、または世界に対しての私の立場などは、決して、そして最も決定的な問題ではなかった。』

したがって、フルトヴェングラーは『音楽家にとって故郷は必要であり、亡命などは逃避にすぎない。』と考え、行動した。」とリースは記述している。


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classicalmusic at 21:08コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

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それゆえ、ドイツ人にとっては政治、つまり便益の世界で自分たちの意にそぐわないことが起こっていても、それが自らの精神、文化の世界に侵入し、冒してきさえしなければ、それを見逃すか、政治的不可避の悪として許容される。

だから世界に誇る頭脳と教養の士、知識人と芸術家のいたドイツで短期間に、しかもきわめて低級で野蛮な手段でナチスが政権を奪取できたのである。

フルトヴェングラーもドイツ人の例にもれず、政治がどれほどデモーニッシュな権力を持ちうるかということに対して全く気がつかなかったのである。

これに対し、イタリアのルネサンスとヒューマニズムの伝統のもとに育ったトスカニーニは、それをいちはやく見通した。それだけでなく、全力をつくして抵抗し、自らの行動がファッショのもとでは許されないとなると即座にアメリカに出て行った。

フルトヴェングラーの二重で、他者からみると理解に苦しむ曖昧な態度は、連合国すなわち、イギリス、フランス、オランダなどでなら、許される余地があったのかもしれない。

だが現実的にはナチス・ドイツには、トスカニーニがフルトヴェングラーに言った通り、精神の自由などあるはずもなく、権力の奴隷にされた国民の塊しかなかった。

フルトヴェングラーは世界の多くの人々がナチに奴隷化された国で指揮棒をとるものは許されないと考えていて、友人の多くでさえ、なぜ彼がドイツに留まるのかを理解できないでいることを承知していた。

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2007年11月28日


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このようにリースの言葉をたどってみて、まず、どうやらリースは最初に述べたことを後段になって忘れてしまっているようである。

さらに私が思い起こすのは、前述したドイツ的内面性の神話である。

それは「精神」「内面性」といったフラーゼをつらねながら一個の自足した文化空間をつくり上げる一方で、近代文明やそれに帰属する実証的、実践的運営のための統治技術といったものを程度の低いものとして斥け、自らの世界の「崇高さ」を誇る、というドイツ的内面性の神話である。

ドイツ人は文明と文化を厳格に区別することをはじめた人種である。

文明、すなわち経済も政治も便益の手段にすぎず、リースが「真実の世界、内面の世界」とつづけて書いているように、真実の世界は内面の世界であり、内面の世界は真実の世界なのである。

それはまた、さらに芸術が実現しようとしている自由の世界でもある。


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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

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リースはこれに続けて、自分の見解をこう付け加えている。

「大切なのは、ここでは主観的見解の違いだけが問題なのであって、どちらが実際に正しかったかは別問題だということは忘れないことだ。実際において正しかったのは、もちろん、トスカニーニであった。そしてそののち数年間にわたり、彼の正しさを証明することとなった。なぜなら、独裁政治の内部には現実を超越した自由などありえないのだから。しかし、より高い意味で、いや最高の意味でどちらが正しかったかということについて、果たして疑問の余地があっただろうか?フルトヴェングラーは、実際に自由でいることのできなかった独裁の中にあってさえ、自己の自由を感じることができたのである。なぜなら、彼の真実の世界、内面の世界には、ヒトラーもいなければ、ムッソリーニもいなかったのだから。」




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2007年11月27日


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「『すると、あなたは、芸術というものはたまたま政権を握った政府のための宣伝、つまりそのかぎりのものにすぎないとおっしゃるのですね。ナチの政府が勢力を占めれば、私は指揮者としてもやはりナチであり、共産主義の下では共産主義者、デモクラシーの下では民主主義者とはるのですか?いいえ、絶対にそうではありません!芸術は、これらのものとは別の世界に存在するものです。それはあらゆる政治的偶発的な出来事の彼岸にあるのではないでしょうか。』

トスカニーニは再び頭をふって答えた。『私はそう考えません。』これで話合いは終わった。」

以上が、フルトヴェングラー側から出た情報によるその日の模様である。

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classicalmusic at 20:29コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラートスカニーニ 

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「これに対し、トスカニーニはまったく冷たい返答をかえした。

『御挨拶をそっくりおかえし申したいところです。私は、自由な考えをもつすべての人間を迫害する恐ろしいシステムに甘んじられるような者が、ベートーヴェンをまっとうに演奏できるものではないとつねづね考えています。あなた方ナチスの人びとは、精神の自由な表明を全部おさえつけ、許したものといえば、力のゆがめられたリズムと、これ見よがしのお芝居だったではありませんか。「第9」は同胞愛のシンフォニーであることを考えてください。「百万の友よ、相抱いて」の言葉を書きおろしたのも、この言葉を音楽にしたのもドイツ人であったことを忘れないで下さい。この人類に向かっての力強い呼びかけを本当に指揮した人なら、どうしてナチスであることに甘んじておれやましょうか。今日の情勢下で、奴隷化された国と自由な国の両方で同時にタクトをとることは芸術家にとり許されません。』と言ったというのである。

これに対しフルトヴェングラーは『もしそうすることによってあなたがザルツブルグ音楽祭のための活動を続けて下さるなら、私は喜んでもう二度とここへ来ないつもりです。しかし私自身は、音楽家にとっては自由な国も奴隷化された国もないと考えています。ヴァーグナーやベートーヴェンが演奏される場所では、人間はいたるところで自由です。もしそうでないとしても、これらの音楽を聴くことによって自由な人間になれるでしょう。音楽はゲシュタポも何ら手出しできない広野へと人間を連れ出してくれるのですから。偉大な音楽は、ナチの無思慮と非情とに対し、真向から対立するものですから、むしろ私はそれによってヒトラーの敵になるのではないでしょうか。』

トスカニーニは頭をふって、『第三帝国で指揮するものはすべてナチです!』(続く)」

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2007年11月26日


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前述したようにフルトヴェングラーのこの間の行動は、抵抗する「国内亡命」といえるか、それとも政治的無知として断罪されるべきかは、高度な政治問題である。

この点について、リースの本の中でフルトヴェングラーが戦争勃発寸前の1937年の夏、ザルツブルグ音楽祭でトスカニーニとであったくだりにお互いの思想をぶつけあった記述がある。

リースによれば、この時二人が対面して交わした話には、幾通りかの記述があるのだが、その中で私に最も真実らしく考えられる一節が次に述べる通りである。

「フルトヴェングラーが数回の客演演奏会のためにザルツブルグにやって来た時、彼は同僚たちから暖かく迎えられた。ただトスカニーニのみは、彼がナチ政府の代表者であることに我慢ができず会うことを避けた。この二人が、よぎない事情で顔を合わせることになった時、フルトヴェングラーがトスカニーニに、彼の『ニュルンベルクの名歌手』の素晴らしい演奏を心からほめたたえた。(続く)」


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フルトヴェングラーに関する著作で、私が最も興味深かったのはクルト・リースの『フルトヴェングラー』(クルト・リース著『フルトヴェングラー』八木浩訳、芦津丈夫訳、白水社)である。

この本は、戦後四ヶ国連合軍がドイツを占領して、戦争裁判や公職追放といった一連の仕事を始めた時、フルトヴェングラーがナチに協力したというので、長い間、指揮活動を禁止されていた。

そこで、リースは、フルトヴェングラーの戦前、戦中の活動を追いながら、その無罪を明らかにしようとして書いたものである。

周知のように、フルトヴェングラーは一生ドイツを離れなかった。当然、1933年以来のナチ政権が成立してから、第二次世界大戦が終わる1945年までのほとんど全期間を通じて、ベルリン・フィルを中心に、ヨーロッパで華々しく活躍していた。

そうして、その間、ナチからの政治的宣伝目的に使われることを固く拒否したり、ユダヤ人排撃には手強く抵抗したりしながらも、戦争の終わり近くまでドイツを離れなかった。

これが同業者など多くの人々の憤慨を買い、戦後連合軍から調査されるに至ったわけである。

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2007年11月25日


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イギリスの評論家、ピーター・ピリスが
「フルトヴェングラーが、シューマン交響曲第4番のレコーディングで特筆に値する勝利を収め、後に対して最も偏見を抱いている人間たちからさえ賞賛を勝ち得たことは、他の作品にみられる彼の有名なテンポの変動が、気まぐれの産物ではなく、その作品自体に対する深い研究の成果であったことを証明している。」
といった通りである。

録音されたのは、1953年5月で、フルトヴェングラーが亡くなる一年半前、後の最期期のレコーディングである。

いわば完成期の表現であるが、彼が晩年に目指した演奏様式の理想像である前述の

「形式は明確でなくてはならないが炎の核があって、この形式を隈なく照らし出さなければならない。」という言葉の真意がこのシューマンで実証されている。

私はフルトヴェングラーの正規の録音で入手可能なディスクはほぼ全て聴いたが、これこそフルトヴェングラーの全録音を通じて最高位にランクされる不朽の名演としたい。


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classicalmusic at 22:44コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーシューマン 

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フルトヴェングラーは指揮者としては珍しい論客であり、少なからぬ著作があり、ロマン音楽についての彼の見解・論考が発表されているが、シューマンについての発言はみられない。

広く容認されているように、シューマンの交響曲はその構成の晦渋さとオーケストレーションの弱体が容認できなかったのではあるまいか。

しかし、そのシューマンのレパートリーの中で「第4」を取り上げた回数が最も多く、特にレコーディングセッションまで行って演奏記録を残したということは、4つの楽章が切れ目なしに演奏され、あたかも全体が一つの楽章の作品であるかのような大きな「うねり」をもって構成された、ロマンティックな感情の起伏をフルトヴェングラーが好んだためであると考えられる。

その天性の即興性が生み出す自在な音楽の揺れ動きと感情の高まりは、曲の構成と一体となって聴く者をつかんで離さない。シューマン自身が「大管弦楽のための交響的幻想曲と呼んだ、大きく曲折したエモーションの起伏の幻想的な表現が、見事に達成されているのである。

「春」はこの指揮者のライヴ中では最良の音質であり、シューマンの音楽の内面を鋭くついた、素晴らしい演奏である。

ライヴ特有の気分の高揚も、聴き手を魅惑せずにはおかない。

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2007年11月24日


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フルトヴェングラーは1942年のライヴ録音で「ザ・グレイト」の演奏を残しているが、このときは、フィナーレのエネルギー感を第1楽章から叩きつけるようなすさまじい演奏をしていた。

同じ指揮者とは思えないその仕上がりに、以前に述べたフルトヴェングラーのライヴ・レコーディングにみられる彼の演奏のありようを窺わせるものがあるのだが、1951年録音にみられるフルトヴェングラーは後世に残すべきレコーディングセッションにあたって彼の解釈の真意が見事に達成されているものといわねばならない。

これは、フルトヴェングラーとベルリン・フィルの楽員たちとが一心同体となって、シューベルトの音楽を心ゆくまで歌い上げた稀有の名演である。

残念ながら「未完成」には理想的な録音がない。

ほんの1楽章のはじめの部分だが、練習風景の映像でフルトヴェングラーの指示でオケの表情がみるみるうちに変わっていって、そのまま全曲演奏がかなったならば、「ザ・グレイト」に匹敵する稀有の名演が生まれていたのかもしれない。

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classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーシューベルト 

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フルトヴェングラーのスタジオ録音は決して多いとはいえないが、それらの中で最も優れたレコーディングは、シューベルトの「ザ・グレイト」とシューマンの交響曲第4番である。

確かに彼の芸術はライヴ録音に、より端的にあらわされている。

とはいえ、このシューベルトの演奏は、例外的ともいえるほど燃焼した音楽で、シューベルトとしては、極めて劇的な表現である。

メリハリが強く、アゴーギグが大きく、フルトヴェングラーのロマン的な気質をそのままあらわした演奏である。

普通ならこのような解釈には疑問符を付けられることが多く、ピリオド楽器でシューベルト演奏が行われるようになった現在では、大時代的と片づけられるかもしれないが、フルトヴェングラーの場合は、その音楽的な迫真力があらゆる批判を封じ込めてしまう。

それはまさに天才的な業としかいいようがない。

この演奏の北ドイツ風ともいえるほの暗い音色ときびしい表情は極めて説得力が強く、シューベルトの孤高の心情があらわに表出され、この録音ほど啓示を与える演奏はない。

シューベルティアンという意味ではワルターやベームが素晴らしい。しかし、シューベルトが希求したシンフォニックな世界を具現した指揮者は、フルトヴェングラー以前にはいなかったし、その後もいない。

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2007年11月23日


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フルトヴェングラーのハイドン(とモーツァルト)は、それらを古典主義時代の枠から外して広く交響楽の見地から判断し直さなければならない。

「フルトヴェングラーの」と形容せずにはおけない強い個性を持っているのである。

それはロマンティックな解釈の基盤に立った古典派交響曲の表現といってすまされない独自のものである。

テンポは遅めであるが決して重くならない。細部のフレーズが柔らかく微妙な表情をたたえながら、聴く者をハイドンのつくりの大きさのなかに包みこんでしまう。

このような包容力をもったハイドン演奏はフルトヴェングラー以前には聴かれなかったし、彼の以後にもない。巨匠の名演というに相応しい、古典とロマンのバランスが見事に保たれたハイドンである。

彼が残したもう一つのスタジオ録音、第94番「驚愕」の演奏も本当に立派なもので、すっきりとした表情の中に、深い厚みが隅々にまで刻み込まれ、高い品格と風格が備わっており、この一曲でフルトヴェングラーの偉大さを証明するにたるものである。

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classicalmusic at 14:22コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーハイドン 

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フルトヴェングラーのハイドンも数少ないが、交響曲第88番「V字」は見事な演奏の一語につきる。

彼はこの曲を1951年のベルリン・フィル定期に取り上げている。11月30日と12月3日である。

ドイツ・グラモフォンへの録音への録音は12月5日に行われているから、コンサート直後に正式のレコーディングセッションが行われた例は珍しいものである。

このハイドンは、軽やかさを前面に押し出しつつ、四つの楽章のそれぞれの性格を巧みに描き分けてゆく。

そうして生まれた立体的で彫りの深いハイドンの世界。

とかく平面的なものに終わりがちなハイドンとは、ひと味もふた味も違っている。

言うなれば、引き締まった軽やかさ。隠し味として雄渾さ、スケールの大きさを背後に秘めているフルトヴェングラーならではの演奏である。

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2007年11月22日


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アメリカの音楽評論家、ハロルド・ショーンバーグは、
「フルトヴェングラーは歴史に弱かったし、音楽的直観力は高くても、音楽的教養は低かった。」
といって彼のバッハをけなしているが、一方フルトヴェングラーは次のように語っている。
「大多数の人々は、バッハの音楽に退屈しないと、それが正しい様式で演奏されているとは思えないのだ。」

私自身はフルトヴェングラー説に賛成したい。

バッハ当時のスタイルをそのまま再生してみるのも意義のあることには違いないが、意義のあることと感動とは別問題である。

今日ではバッハの時代とは比較にならない程、楽器の性能も技術も進歩し、コンサート・ホールや聴衆の数が拡大されている。

そして何よりも現代の聴衆は古典派、ロマン派、近代音楽を通り抜けてきている。それゆえに当時とは感覚的にまるで違うのである。

何度でも聴きたくなるような演奏こそ、聴衆の求める理想である。

フルトヴェングラーの「ブランデンブルグ」協奏曲はその高さまでいっていないのかもしれない。

バッハの音楽よりはフルトヴェングラーの個性を感じさせてしまうからである。何度でも反復して聴きたい、という気にはなれない。

それは彼とバッハの相性が今一つ良くないからだが、しかし無味乾燥で、無表情で、まるで機械が演奏しているようなバッハよりはどれほど良いか分からない。

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classicalmusic at 18:19コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーバッハ 

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ただ前述のモーツァルトの項でのフルトヴェングラーのコメント通り、彼のバッハにはいろいろな問題があろう。

「マタイ受難曲」を愛し、自分が死ぬときはマタイのコラールを聴きたいを漏らし、あたかも信仰告白のようにこの作品を指揮した彼であったが、遺された録音は意外に冴えないもので、とてもメンゲルベルクのような説得力は持っていない。

それは彼が自分の強烈な個性を抑えすぎているからで、むしろブランデンブルグ協奏曲第3番や第5番の方が数段面白い。

それはまさにフルトヴェングラー色濃厚なバッハで、大きなルバート、意味深いアタック、引きずるようなレガート奏法、極度に遅いテンポによって音楽は絶えず沈んで考え込むように流れてゆく。

表情も意志的なアクセントから、あえかで哀しくたおやかなピアニッシモまで無限の変化を示し、全編巨大な内容を孕んでいる。

すなわち人間の心しか感じさせないバロックなのである。

特筆すべきは第5番第1楽章におけるフルトヴェングラー自身のピアノである。

そのテンポの自在な動き、強弱の幅の広さ、情熱的な盛り上がりは指揮者のピアノとは思えない名人芸である。これは現代の機械的なチェンバロとは一線を画している。

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classicalmusic at 10:39コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーバッハ 

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私は友人に誘われて、クレーメルとツィメルマンのコンサートに行く予定だった。

私は昼前に友人宅に着き、その後他の友人2人が駆けつけて、昼間から飲み会になった。

ちなみに友人宅のステレオ装置は日本でも指折りの優秀なものである。

コンサートに行こうとする前、フランクのヴァイオリン・ソナタを聴かされた。オイストラフとリヒテルの圧倒的な名演の前には、これに匹敵するような名演は考えられないと判断し、行くのをやめてしまった。

今思えば痛恨の極みであるが、オイストラフとリヒテルの一期一会的なフランクを聴かされた後には全くコンサートに行く気が失せてしまったのだ。

何せ彼のステレオ装置はコンサートホールのSS席で聴くよりよほど臨場感があるのだ。

それでオイストラフとリヒテルの熱演を聴かされた後には、これ以上の感銘はありえないと感じ、行くのをやめてしまった。

いまさら後悔しても仕方がないのであきらめることにする。

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classicalmusic at 05:42コメント(0)トラックバック(0)フランク 

2007年11月21日


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フルトヴェングラーのディスコグラフィーを見て誰もが気づくことは、バッハとハイドンが少ないことである。

しかし、彼のレパートリーから欠落しているわけではなかった。ことに、1922,23年のシーズンから、アルトゥール・ニキシュの後を受けてベルリン・フィルを掌握するようになってから後の彼のベルリン・フィルの定期コンサートのプログラムを見ると、1926,27年のシーズンを除いて、バッハにしろハイドンにしろ毎年のように一ないし二曲取り上げていた。

ナチとの間がうまくいかなくなった34,35年から37,38年の4シーズンはコンサートの回数がへり、また第二次大戦中と、戦後の復活後も同様の理由でプログラムの幅は狭くなっているために、1922,23年ほど多くはないが、絶無ではない。

*アルトゥール・ニキシュ(1855〜1922)ハンガリーの名指揮者。第二代ベルリン・フィル常任指揮者。作曲者の指示を絶対視せず、指揮者の主観を作品上に投影した。


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classicalmusic at 18:07コメント(2)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

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そんなフルトヴェングラーが、たった一回だけものの見事なモーツァルトを実現した録音がある。

それはイヴォンヌ・ルフェビュールと共演したピアノ協奏曲第20番 K.466で、1954年5月、死の年のライヴであるが、最晩年であるからこそ可能な演奏だった。

当時の彼は「形式は明確でなければならない。すっきりと枯れていて、決して余分なものがあってはならない。」と語っていたが、その言葉の全き実践がこのモーツァルトであり、音楽の哀しみの中に身をもって入り込み、痛切に嘆きつくしている。

彼の魂の告白は異常なほどだが、厳しくも混じり気のない造型が大きな力となって、素晴らしい透徹感を生んでいるのである。

それはフルトヴェングラーが「40番」のように内面的には少しも抑制せず、「魔笛」のように自分の感情のすべてを注ぎ込みながら、形式的に一分の隙もない完璧さに仕上げたということである。

これこを、真に才能のある者だけが到達し得る理想の境地といわねばならない。

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classicalmusic at 02:57コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーモーツァルト 

2007年11月20日


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フルトヴェングラーモーツァルトとあまり相性が良いとはいえなかった。

「バッハの演奏は難しい。私自身が神になる必要があるからね。しかし、ブラームスやワーグナーは地のままでいけば良いのだ。」と語ったフルトヴェングラーは、モーツァルトにも同じことを感じていたのかもしれない。

彼の「魔笛」では、例えば「パ・パ・パの三重唱」一つをとっても、テンポの粘った動きがモーツァルトの透明感を全く失わせる結果となり、全体のリズムも重すぎる。

逆に「40番」は、どうにも吹っ切れないというのか、自分を出しつくしていない感が残り、本人としても不満足だったに違いない。実際彼自身「死ぬまでに一度で良いから40番のシンフォニーを理想的に演奏したい。」と洩らしている。

私が想像するに結局この願いは叶えられなかったのではないだろうか。要するにフルトヴェングラーとモーツァルトとの音の感性が違いすぎるのである。

それにフルトヴェングラーのモーツァルトは「魔笛」に限らず、神経質にすぎ、深刻にすぎ、微笑みに欠ける。

モーツァルトの音楽は深い内容を備えているが、それは分かる人には分かる式のもので、説明調になったり、強調してはならないのである。

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なかでも興味ある事実は、1945年の1月23日のコンサート(それは大戦間の最後のコンサートとなった)での演奏中、空襲による停電のために「ト短調交響曲」の第2楽章のはじめのところで演奏が中断され、復旧後もこの曲はそのまま割愛されたということと、間もなく彼がスイスに亡命したということである。

それは、第二次世界大戦後の「ト短調交響曲」の演奏にまったく影を投げかけていないとは考えられないからである。

戦後唯一のベルリン・フィルの定期は、1949年6月のことであり、名演として知られるウィーン・フィルとの録音は、オーケストラは違うとはいえ、その前年になされているのである。

パトスということばがこの交響曲にかかわるとすれば、フルトヴェングラーの演奏はそれを裏付けるものとなるに違いない。

その速めのテンポがもつ異常なまでの緊張感も、その感を一層強めているようだ。


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2007年11月19日


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モーツァルトの「ト短調交響曲」の代表的名盤として多くの人びとによって挙げられてきたのが、フルトヴェングラーとウィーン・フィルによる録音であるが、これは非常に興味深いことである。

「ジュピター」についてフルトヴェングラーの名が挙がることは決してないからである。しかもそれは偶然のことではない。

例えば彼が1922年から第二次世界大戦後にいたるまでのベルリン・フィルの定期で取り上げたモーツァルトの交響曲は、「プラハ」以降の四曲に限られているが、その中で「ジュピター」は、29年2月のただ一回(二日間)だけである。

それに対して第39番と「ト短調」は、いずれも四回以上で、「ト短調」が最も多く、しかも戦後取り上げた唯一のモーツァルトの交響曲ともなっている。

このことは、彼の「ト短調交響曲」に対する意識が「ジュピター」のそれとは全く異なっていることを示している。


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classicalmusic at 20:21コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーモーツァルト 

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指揮者にとってはほとんど避けて通ることのできないモーツァルトの作品の中で、特に最後の3大交響曲は、その指揮者の音楽の本質的なところにいたるまでを、例えばベートーヴェンなどとはまた異なった形で明らかにし得るという点において、極めて重要なレパートリーであるとみてもよいであろう。

もっとも、モーツァルトの交響曲の演奏については、しばしばハイドンの演奏との間に、ひとつの定説のようなものが生まれており、すぐれたモーツァルト指揮者は、ハイドンに適してないことが多く、ハイドンのエキスパートといわれる人には、モーツァルトに向かない人が少なからずあるというように、適性を問われる条件が、思いがけないところにあることも指摘されてきた。

それにしても、ここで「40番ト短調」と「ジュピター」という全く対照的な二曲のモーツァルトの交響曲について問うてみると、あるいはそれ以上に、この二曲の間にも、指揮者の意識や適性の違いが考えられるのではないだろうか。

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classicalmusic at 00:32コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2007年11月18日


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フルトヴェングラーは、今日の標準からみると遅いテンポを採る指揮者である。

それはある程度当たっているのであるが、ブルックナーの交響曲においては、総体的にいえば、彼のテンポはむしろ速い。

ことにスケルツォ楽章のテンポは著しく個性的で、作品にデモーニッシュな力を与えている。

とはいっても、緩徐楽章ではまことに悠然たる足取りで時間を超えた無限の広がりを感じさせる。

またフルトヴェングラーは前述のように、ロマン的な指揮者とされ、事実ワーグナーやブラームスなどのロマン派後期の作品ではその特性が見事な成果を生むのであり、ブルックナーの場合も同様であることは否定できない。

しかし同時に彼はブルックナーから感情過多、感傷性を徹底的に排撃しており、その演奏はむしろ古典的というべきものである。

意外にもテンポの延び縮みはなく、イン・テンポで押し通し、それでいながら表情は豊かである。

ことに経過句部分の音楽的意味の説得力に漲った表現は天才的という他ない。

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classicalmusic at 21:16コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーブルックナー 

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それゆえ彼がドイツ・ブルックナー協会の総裁になったことは不思議ではない。

1939年、彼はブルックナーについての講演を行い、ブルックナーの交響曲の原典版について、その価値を強調し、ブルックナーの音楽の持つ精神的内容の充実していることを認めた。

彼は『音と言葉』で次のように述べている。

「この音楽の言葉の敬虔さ、深さ、純粋さは、一度経験したことのある人にとっては、もはやそれから逃れることのできぬものである。」

「彼は音楽家ではなかった。この音楽家は、真実はエッケハルトやヤコブ、ベーメのようなドイツ神秘家の後裔であった。」

「ブルックナーの音楽は聴者が完全に帰依し、無我の境に入ることを期待し、要求する。」

「ブルックナーの持つ力強く素朴なものと高い精神性との混合はドイツ音楽家に珍しいものではない。ブルックナーはその点、シューベルト、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームスなどを先輩としている。」

「ブルックナーの偉大な芸術はまさに超時間的なものを志向しているゆえに、現代的なものである。」

「彼は今日のために作曲したのではない。彼はその芸術において永遠を考え、永遠のために作曲した。それゆえ彼は大作曲家のうちで最も誤解される人となった。」

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2007年11月17日


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ディスクユニオン
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1906年、当時二十歳のフルトヴェングラーが指揮者としてデビューした時、指揮したのはブルックナーの交響曲第9番であった。

ミュンヘンにおいてカイム管弦楽団の共演を得たこの演奏会は、指揮者としてのフルトヴェングラーを世に認めさせるのに充分な成功を収めた。

またフルトヴェングラーの自作自演の交響曲第2番を聴けば、種々の点で彼がいかにブルックナーに私淑していたかは明白であろう。

1910年代ばかりでなく、続く20年代においても、ブルックナーの真価はまだ世に認められていなかったが、フルトヴェングラーは努めてこの楽匠の交響曲を多くプログラムに取り入れた。

1922年から彼は、特に交響曲第4番と交響曲第7番を盛んに演奏している。ブルックナーの交響曲を世に知らしめるには、まずは親しみやすい曲からということで選んだのだろう。


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フルトヴェングラーのレパートリーの中で、ブルックナーの交響曲は最も重要なものの一つであった。

ベートーヴェン、ワーグナー、ブラームスを本領とした彼がブルックナーを指揮したのではない。

『音と言葉』の「ブルックナーについて」のなかで、「晩年になるにつれ、他の多くの作曲家よりもますますブルックナーを深く愛するようになった。」と述べた彼は、ブルックナーの交響曲を極めて高く評価していた。

愛国心の強かったフルトヴェングラーはドイツ音楽の輝かしい伝統と誇りとし、しかもその真髄が交響曲であるとして、交響曲の三大「B」である、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの作品の演奏を自己の使命と感じていた。



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2007年11月16日


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交響曲第4番の演奏を例にとってみても、フルトヴェングラーがいかにスコアを綿密に読んで、一音一句に彼の知識と魂とが込められているか、細かく聴くと息詰まるようでさえある。

ベルリン・フィルの威力もあるのか内声部がしっかりしている。

そして、全体は一遍の音詩のごとき効果をもって歌い読まれている。

いまさらながら、フルトヴェングラーの音楽の感じ方には敬服せざるを得ない。

これまでに残されたこの曲の録音中、49年のライヴ盤(EMI)は今なおその抒情的深みと霊的興奮度の高さにおいて抜きん出ている。

ここにはブラームスの真実の声があり、フルトヴェングラーの祈りがあり、ベルリン・フィルの誇りがある。

そしてそれらが一体となって作り出される演奏のうねりと気迫は圧倒的である。

しかもフルトヴェングラーとベルリン・フィルだけが持ち得た様式美が素晴らしく、演奏の背後にある伝統的重みと風格が歴史的名演の神髄を教えてくれるのである。

第4楽章の映像が残っており、それはリハーサルなのに本番のような気迫に圧倒される。

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classicalmusic at 18:03コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーブラームス 

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フルトヴェングラーのブラームス演奏は、彼の芸術形成の時代的背景に照らしても当然のことながら、多分にロマン的である。

しかもフルトヴェングラー自身のもつロマン性がブラームスの音楽の特質と完全に適合しているから、その演奏は例えようもなく素晴らしく感動的であり、同時に全く彼独特のものといえる。

前記の『音と言葉』の引用文にあやかるならば、フルトヴェングラーの演奏は徹底してブラームスそのままでありながら、徹底的にフルトヴェングラー流のものであった。

それゆえフルトヴェングラーの演奏するブラームスには、まるで自分自身の曲を演奏しているかのような自然さがあふれている。

それは、ブラームスの交響的発想がフルトヴェングラー自身のロマンティックな基盤と合一しているからに違いない。

楽想の一つ一つが必然的な共感をもって歌い出され、少しの違和感もない緩急法を得て、実在的な感覚を具現している。

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classicalmusic at 01:44コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーブラームス 

2007年11月15日


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フルトヴェングラーの母親アーデルハイドは、ブラームスが最も大切な親友と考えていた優秀な古典学者グスタフ・ヴェントの娘であった。ブラームスの音楽に対するフルトヴェングラーの讃仰と愛は、その母の影響によるところが少なくないのであろう。

しかし若い頃からドイツ理想主義の精神を家庭教師による緻密で高度な教育などでしっかりと植えつけられたフルトヴェングラーにとって、本来、ベートーヴェン、ワーグナー、ブラームス、R・シュトラウスの音楽は決して疎遠ではありえないものだったのである。

ブラームスについて彼は、この作曲家の音楽が純粋にドイツ的、ゲルマン的であることを高く評価しており、次のように述べている。

「ブラームスの芸術は、純真で、素朴で、つねに人間的だった。彼は、徹底して自然のままでありながら、徹底的に自分自身を保持する意志力も持っていた。ブラームスの芸術は、最後のドイツ的な作曲家として、ワーグナーと並ぶ世界的評価を得ることができた。それは、完全にドイツ的であり、しかもきわめて非妥協的であったにもかかわらず、むしろそれゆえに、名声を勝ち得たのである。」(フルトヴェングラー著『音と言葉』芳賀壇訳、新潮社版、「ブラームスと今日の危機」より)

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シェーンベルクの登場した背景が19世紀末ウィーンであることは言うまでもないが、もっと広い視野で後期ロマン派の終焉を彼に見る方が適当だ。「グレの歌」の成立にはワーグナーの存在を考えないわけにはいかない。

彼の直接の先輩や同僚、つまりマーラーやツェムリンスキーとの関連も当然大きい。特にマーラーは終始シェーンベルクの強力な支持者であった。彼の助力なくして、ほとんど独学のシェーンベルクがあのような軌跡をたどることはできなかったのではなかろうか。

シェーンベルクは表現主義の時期以後多数の生徒を持った。中でも単に生徒にとどまらずアルバン・ベルクとアントン・ウェーベルンの存在は非常に大きい。最後のドイツロマン派作曲家としてのベルクの作品は、2つのオペラ「ヴォツェック」「ルル」や遺作の「ヴァイオリン協奏曲」等がよく知られている。

またシェーンベルクをなかばリードしていた先駆的な生徒、ウェーベルンの作品は、初期、中期の表現主義から後期の徹底してシンプルな12音の作品まで、筆舌に尽くせない鋭い感性に貫かれており、更に第二次大戦後の現代音楽の出発点になっていた。

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そして特定の調性によらずに全曲を構成統一するために12の半音を1回ずつ使って音列を作り、その順序に従って作曲していく方法に行きついたわけなのだ。

それは決して前もって音列を機械的に定めておく、といったものではなく、音楽表現の原形質の中から少しずつ抽出されてきた素材全体からひとつの音列が結果的に帰納されて来るのであって、その、生の素材の必要性から生まれた音列というシステムで楽曲を構成することで、初めて個々の無機的、表現的な音楽要素が相互に有機的に関連し合って、高次元の音楽構造体、ソナタとかフーガに比肩すべき全体となるのである。

だからこそシェーンベルクは

「12音列の発見により今後300年のドイツ音楽の優位は保証された」

と高らかに宣言したのである。

その実12音によるドイツ音楽の優位など何もなかった。ただ、個々の優れた作品が残っただけだ。

「ワルソーの生き残り」のような驚異的な作品はそれ一つとして存在するものだ。アウシュヴィッツの惨劇を前にして、一ユダヤ人シェーンベルクの遺した凄まじい人間の肉声の前には、「数理的操作」といった言辞は消え飛んでしまうだろう。

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「月に憑かれたピエロ」をひとつの頂点としてシェーンベルクの表現主義期は収束しはじめ、1910年代後半、彼は沈黙の時期に入ることになる。

自由な半音階的音楽で、鮮烈な表現的効果をあげることを彼は考えていたが、一方で、そうした表現がヒステリックでその場限りにならないようにするにはどうしたらよいか、構成的統一感といったものはどのようにすれば得られるのか、等を苦慮していた。

この時期の多くの作曲家の作品、マーラー、レーガーからドビュッシー、スクリャービン、といった人々の曲が、ひとつの音程を強調するよりその周りを迂回したり縫うように動いて、調感がぼやけていたり、部分的には調性が消失していたりするのは、聴いてみればすぐに明らかなことだろう。

シェーンベルクもまた、人間感情の表現とか音楽を通しての自己実現といった目的を押し進めていくうち、いつしか「ピエロ」の無調の域にまで達したのであった。

しかし調性こそ音楽の構造や形式を支える土台だったのだから、何とかしてこの「無調」の中から積極的に楽曲を構成する原理、仕組みを見出さなければならない。

シェーンベルクは数年間の沈黙を通じて、ウェーベルンらと共にこの原理を求めていた。

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シェーンベルクの12音列は、無機的なパズルだけで済ましてしまえるものではない。具体的にひとつ「音列」を考えてみよう。

『ドレミファソ』。

これも確かに音列である。

この逆行形は『ソファミレド』、反行形は(移調して)『ミレドシラ』、反行逆行形『ラシドレミ』。

つまり長調の音階を行って帰って逆行形、反行すれば5度ずれた短調の音階になる。

何のことはない、バッハ以来ほとんどすべての西洋音楽は「音列的」な性格を持っているのだ。

実際シェーンベルクらはそうした思考で多くの古典作品を分析している。

そもそもシェーンベルクは音楽の革命を目指したことは一度もない。

常に伝統主義者をもって、自認していたのである。

12音音楽を非人間的な操作による音楽だと決めつけるのがおかしいと思うのが自然だろう。

よく、現代音楽はわからない、などと言われるが、先入観にとらわれていては何も聴こえないのは当然だ。

少なくとも日本の古典文法の知識で現代英文に挑戦しても仕方がないのと同じだ、とは言えるだろう。

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