2008年02月
2008年02月29日
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モーツァルトのディヴェルティメント第17番K.334にはモーツァルトのエッセンスがぎっしりと詰まっている。
ディヴェルティメントというのはセレナードと同じようなムード音楽だが、ディヴェルティメントの方がより室内楽風に書かれている。
第3楽章がいわゆる「モーツァルトのメヌエット」としてあまりにも名高いが、ここだけが有名になりすぎ、曲全体があまり重視されていないのが残念だ。
私は哀切きわまりない第2楽章の変奏曲を愛している。洗練されきった天使の哀しみだ。
こんな涙がしたたり落ちるような音楽をお祝いに送って文句は言われなかったのだろうか。
「人生とは何か」さらには「生きる意味はあるのか」と深刻に考えだすと切りがないが、そんな時にこの楽章を聴くと心が洗い清められる。
終楽章のロンドは底抜けの明るさのなかに、救いがたい生のはかなさを秘めてひたすら流れ続ける。
演奏はウィーン・フィルの首席クラスのメンバーだが、そこからはモーツァルトが好きでたまらないという愛情が伝わってきて、大変素晴らしい演奏でかつ楽しい。
モーツァルトの音楽の心をしっかりつかみ、それぞれの曲の美しさを十全に再現している。
若々しく生気に溢れたk.136もさることながら、K.334の優美艶麗な表現には強く惹かれる。
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ベームがウィーン・フィルの首席をソリストに起用したモーツァルトの管楽器のための協奏曲とベルリン・フィル及びウィーン・フィルとDGに残したモーツァルトのセレナードやディヴェルティメントをまとめたもの。
管楽器のための協奏曲集は、音色の魅力はさすがだが、ベームの指揮に遊びが乏しく、その影響を受けてコンチェルトらしい輝きや多彩なニュアンスにやや欠けがちなのが惜しまれる。
それらの中にあって、トゥレチェク独奏のオーボエ協奏曲の愉悦感が際立っており、協奏交響曲の4人のソリストもかなり美しい。
その点、セレナードはどの曲の演奏も愉悦感にあふれ、しかも格調高く、ベーム独特の風格のある見事な出来映えだ。
ウィーン・フィルを指揮した「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」は美しい旋律を流麗に歌わせた名演で、このオケ固有の弦の美しさがたまらない魅力となっている。
ベルリン・フィルを振った「ハフナー」「ポストホルン」もリラックスした気分に満ち、実に楽しい。
管楽器の名手たちによる「グラン・パルティータ」も、自由闊達な妙技を存分に味わうことができる佳演。
ちなみにポストホルンというのは、まだ鉄道がなかった時代のヨーロッパで、馬車が走る時に吹いた角笛である。
お客の他に郵便を運んだのでこの名があり、今でも田舎のバスにはポストホルンの絵が描かれ、この楽器の素朴な音色を録音で流しながら走るものが多い。
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2008年02月28日
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シューマンがチェロ協奏曲を作曲したのは1850年、彼の精神が変調を来たしはじめていた時期にあたる。
そのためこの作品はゆたかなメロディを流露させながらも、不気味なデーモンのささやきがそれを邪魔しにかかる。
つねに美しく歌い出そうとしながら、その歌はやるせない憂悶をおび、魔の淵を覗かせる。
デュ・プレの演奏は歌を重んじ、それをたっぷりとひびかせる。
そこにはシューマンのビーダーマイアー的な幸福感が感じとれるほどだ。
それだからわずかながらも脳に変調の予感がきざすと、すべてが暗転してしまう。
そんな幸せのなかにひそむ不安のおびえが、ゆたかな歌のなかに隠し味のように聴きとれる。
デュ・プレにとってそれは現実となった。
デュ・プレの表現意欲のすさまじさ、スケールの雄大さはとても女流とは思えず、朗々たる美音には切ないまでの憧れ心がこもっている。
フィナーレの情熱には命をかけた芸術家の姿があり、誰しも舌を巻いてしまうに違いない。
サン=サーンスの濃厚と繊細と蠱惑、悩ましいほどの表情の豊かさも見事だ。
どこまでもヴィヴィッドに魅惑的に仕上げられたデュ・プレのチェロであり、聴き手をいつの間にか虜にしてしまうような一種魔力に似た息づきがある。
彼女の曲作りはすべからく流麗と形容すべきものではあるが、そこには常に前向きな初々しい躍動感が息づいており、言い知れぬ魅力をたたえた独特の推進力がある。
ひたむきに歌い、まるで祈り訴えかけてくるかのように純粋な美を織り出してゆくその姿勢が我々の胸を打ってやまない。
表現はきわめてフレキシブル、サン=サーンスのスコアの欲するところに誠に濃やかに対応し、鮮やかに広がった音空間を醸し出している。
彼女全盛期の美質がこのコンパクトな作品の中に余すところなく盛り込まれている観。
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モーツァルトは1778年のパリ旅行の時、同地の4人の名管楽器奏者の依頼で、「フルート、オーボエ、ファゴット、ホルンのための協奏交響曲」を作曲したが、いかなるわけか演奏前に自筆譜が紛失し、結局陽の目をみないで終わってしまった。
ところが20世紀初めになって、消失した同曲の編曲が発見された。
その楽譜ではソロ楽器のフルートがクラリネットに変わっており、モーツァルトがのちに記憶を頼りに書き直したものであろう、と考えられ、彼の名作の一つとして演奏されてきた。
しかし、当時から偽作説は根強く残り、現在ではその意見の方が有力であるが、一方、モーツァルト以外の作者とは考えられないほど、この曲は魅惑的なのだ。
このCDは1974年にアメリカの学者がコンピュータによって同曲を分析し、復元したスコアを使って演奏したもの。
コンピュータによると、この作品のソロ・パートはモーツァルトの真作、オーケストラのパートは誰かの編曲、という結論が出た。
そこで、さらにコンピュータによって、モーツァルト自身が書いたであろうフルートのソロとオーケストラを復元したのである。当然、他の3つのソロの部分変更されている。
今までの版に比べると、オーケストラ部分の冗長さが取れ、きわめてセンスのよい結晶化したものになった。試みに一般的なCDと比べてみてほしい。興味深い発見があるだろう。
協奏交響曲はこの曲の録音史上特筆すべき最美の傑作である。
ニコレ、ホリガー、バウマン、トゥーネマンというソリストが揃ったということもある。
しかし上記のようにここでは新しい版によって、この曲を聴く喜びが大きくなった。
そして4人の奏者の絶妙なかけ合いは、聴いていて魅惑の花園に遊ぶようだ。
カップリングのオーボエ協奏曲もモーツァルト演奏に必要なものをすべて身につけた名演奏だ。
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2008年02月27日
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期待の新星!というには遅すぎるのかもしれない。
なぜならハーディングは既に26歳の時にドイツ・カンマー・フィルを振って極めて独創的なブラームスを鳴らしていたのだから。
ハーディングはテンポも奏法も古楽スタイルで一貫させ、それがピタッとはまっていたのだ。なによりもテンポの異常な速さに驚かされた。通常の2倍ぐらいのスピードである。
それに強烈なアクセントが加わるが、基調となるのはノン・ヴィヴラート奏法による透明なハーモニーと、旋律を決して歌わないクールさだ。
そんなハーディングが、最も伝統的なオーケストラであるウィーン・フィルを指揮して、しかもマーラーの交響曲第10番(クック補筆完成版)をレコーディングしたのだから、期待に胸がふくらむ。
そのジャケットには、イングランドのプレミア・リーグのサッカー選手かと思わせるハーディングの風貌が写し出されているが、マーラー晩年の心情が清冽・適切に表された演奏だ。
全楽章にわたるきりりと引き締まった清潔な表現は魅力的で、しかも細部が充分に克明で、レガートにも無用な粘りがない。
共感に満ちた豊かな表情の第1楽章、流動感の強い第2楽章、リズムの鋭敏さとテンポ変化の呼吸が自然な第3楽章、立体感が見事な第4楽章、そして孤高の寂寥とクライマックス。
ハーディングの手腕が光る。
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2008年02月26日
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ベルギー生まれの名指揮者であるクリュイタンスは、パリ音楽院管弦楽団の正指揮者を1944年から1967年までつとめ、このオーケストラの黄金時代を築きあげた。
このビゼーの録音はクリュイタンス晩年の録音のひとつ。
「アルルの女」は遅めのテンポで、各曲を入念に練り上げながら、劇の舞台となったプロヴァンス地方の南欧的な雰囲気を色濃く表出し、軽やかなリズムと色彩で生き生きと情感豊かに描き上げた名演である。
南仏アルルの光と影、そして空気の温度と湿度までも、このクリュイタンスの名演奏は聴き手に体感させてくれる。
特に第1組曲の「アダージェット」の夢見るような表情、リズムの生き生きとした「メヌエット」、第2組曲の郷土色濃厚な「パストラール」と「ファランドール」、優美なフルート・ソロが一段と輝く「メヌエット」など、どの曲をとっても一点のキズすらない。
これは、クリュイタンスの残した数多い録音中、特に傑出した稀代の名演と呼ぶべきものであり、この組曲の最高の演奏といっても過言ではない。
「カルメン」組曲も非の打ちどころがない見事な演奏だ。
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協奏曲は1978年1月、ホロヴィッツの「アメリカ・デビュー50周年記念コンサート」のライヴ録音である。
この曲は古今のピアノ協奏曲の中でも屈指の難曲として知られる。
ところがホロヴィッツは若い頃からこの曲を得意中の得意にしており、ラフマニノフは「この曲を完全に消化している」と脱帽した。
この難曲を《見せ物》にしてしまうホロヴィッツの恐ろしいまでのヴィルトゥオジティは圧巻。
つまりホロヴィッツの代名詞といえる曲なのである。
彼にとって協奏曲を手がけるのは25年ぶりなだけに、この演奏にかける意気込みは並々ならぬもので、とても73歳の高齢とは思えない、スケールの大きな、打鍵のしっかりとした演奏である。
若い頃に比べるとテクニックの面でやや弱さはあるものの、深々とした呼吸で、ラフマニノフの曲のもつ暗い情熱を濃厚に表出している。
テンポは以前の録音よりいくぶん落ちるが、表現力はその分増している。
叙情的フレーズをジェントルに歌いまわすかと思えば、超絶技巧をワイルドにうならせる。
このピアニストの神技の凄味をたっぷりと楽しませてくれる壮絶な演奏なのである。
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もう一つ今はないオーケストラを挙げるとすれば、パリ音楽院管弦楽団を忘れることはできない。
このオーケストラはクリュイタンスの死後、パリ管弦楽団を新しく創設するために解散させられたのだが、これほどフランス独特の響きをもったオーケストラはない。
機能的にはパリ管弦楽団の方がすぐれているかもしれないが、楽員の自発性に富む表現やエスプリがすばらしく、それがもはや永久に失われてしまったことは、クリュイタンスが指揮したラヴェル全集を聴けば明らかである。
どの曲も、ラヴェル固有の、フランス的詩情とラテン的色彩美にあふれており、クリュイタンスの表現は精妙で、しかも気品がある。
特に「マ・メール・ロワ」はクリュイタンス自身が「自分の最も素晴らしいレコード」と語ったように秀逸である。
「ダフニスとクロエ」は各場面の情景描写がうまく、構成力もしっかりしている。
その他、高雅で気品に満ちた「亡き王女のためのパヴァーヌ」、官能美と情熱的な気分を鮮やかに表出した「スペイン狂詩曲」をはじめ、どれも永遠に光を失うことのない感動的な名演奏だ。
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巨匠の演奏を残すために結成されたオーケストラといえば、ワルターのためのコロンビア交響楽団もそうである。
コロンビア交響楽団という名称は、米コロンビア(CBS)が他社との契約上正式な名称を使えない場合に使用したもので、特定のオーケストラの名称ではない。
こうした例は当時、ほかにもRCA(ビクター)のRCAビクター交響楽団などいくつかあった。
しかし、引退していたワルターの演奏を開発されたばかりのステレオに残すために行われた録音のオーケストラは、ワルターが引退生活を送っていたロスアンジェルス在住の演奏家を集めて結成されたのである。
ハリウッド映画が全盛だった当時は、映画音楽のためのフリーのすぐれた演奏家が大勢いたから、1958年から61年まで毎年1月から3月まで綿密なスケジュールを決め、ほとんど同じメンバーによってベートーヴェンとブラームスの交響曲全集をはじめ、ワルターの主要なレパートリーの大半を記録することができたのである。
ただし、ベートーヴェンの第9の終楽章だけは合唱団の都合でニューヨーク・フィルを使ったといわれる。
ワルター&コロンビア響の代表的名盤として、マーラーの交響曲第1番「巨人」を挙げておく。
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2008年02月25日
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すぐれたオーケストラでありながら解散し、現在では録音でしか聴けないオーケストラもある。
その筆頭にあげられるのは、なんといってもNBC交響楽団であろう。
1936年にニューヨーク・フィルを辞任したトスカニーニをアメリカに呼び戻すためにNBC放送が1937年に創設したオーケストラである。
当時、ヨーロッパから移住してきた演奏家を含む約700人の応募者から厳選された名手揃いのメンバーによって構成され、トスカニーニの厳しい指導により史上最高のオーケストラとまでいわれ、はじめは放送だけだったが、間もなく公開のコンサートとレコーディングも行うようになった。
だがトスカニーニが1954年に引退して間もなく解散を命じられた後、自主運営のシンフォニー・オブ・ジ・エアとして活動したが長続きせず、1963年に解散した。
NBC交響楽団としては結局17年間活動しただけだが、その録音はトスカニーニという強烈な個性をもった巨匠の主要なレパートリーのほとんどを後世に伝える貴重な記録となったのである。
そのすべてがCD化されており、その中から1枚だけ選ぶのは非常に難しいが、いかに傑出したオーケストラであったかがわかる演奏をあえて選べば、レスピーギの「ローマ三部作」だろうか。
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シュターツカペレ・ドレスデン(わが国ではザクセン国立歌劇場管弦楽団、ドレスデン国立管弦楽団、あるいはドレスデン国立歌劇場管弦楽団とも訳されている)は、ゼンパー・オーパーと称されるドレスデン国立(実際はザクセン州立)歌劇場に所属するオーケストラである。
この楽団の歴史は何と1548年までさかのぼることが可能な、世界最古のオーケストラといわれ、ドイツでも特別の評価を受けている団体である。
一般にドイツ人は、これこそオーケストラのなかのオーケストラであり、すべてのオーケストラのルーツだと一様に敬意をはらっている。
つまり一種の文化財と考えられているのである。
この楽団のアンサンブルの比類のない特色は、そのふくよかな音色の魅力と深みのある響き、細部まで一糸乱れぬ精緻な奏法の統一である。
すぐれた指揮者を得れば、ドイツ最高のアンサンブルであると思う。
上記のブロムシュテット、ザンデルリンク、サヴァリッシュ、ケンペの録音はその証明であり、形容を絶するような艶やかで晴朗な響き、独特の優雅な音楽を堪能することができる。
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インバル&フランクフルト放送響のマーラー全集の中でも飛び抜けて優れているのが「夜の歌」だ。
これはインバルの傑作というだけでなく、長くこの曲の代表的名演に数えられるに違いない。
すみずみにまでよく磨き上げられたその表現は、見事というほかはなく、特に、マーラーらしい抒情性にあふれた旋律の歌わせ方は、比類がない。
インバルの解釈は、音楽の細部、というより暗部にまで光を与えたようなもので、この曲に強靭な筋骨を与えた最初の演奏ではないかと思えるほどである。
マーラーの抒情的旋律がそれぞれの部分にゆるぎなくはめ込まれた感じがあり、すべての音が意味深く聴こえてくる。
完璧なまでの名演だ。
マーラーの交響曲第7番を難解だと感じているひとに広く薦めたい。
なおこの録音は、B&Kマイク2本を基本として、一部に補助マイクを立て、ディジタル遅延補正してミキシングする方法が採られている。
この録音もまた、すこぶるすぐれている。
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ロストロポーヴィチとゼルキンという巨匠の初顔合わせであり、唯一の共演盤となったもので、お互いの個性を尊重しながらも、うまく調和させている。
ロストロポーヴィチのチェロは、相変わらず線が太く、朗々と鳴らしており、しかもデリケートさもある。
ゼルキンのピアノもブラームスを得意としているこの人だけあって、腰をすえてじっくりと弾いている。
スケールの大きな中身の濃い名演だ。
2人とも、よく計算された緻密で深みのある情感豊かな表現もみせ、2人の音楽体験の深さが、調和がとれて生かされている。
そのよい例が第2番の第2楽章で、作品の本質に根ざした演奏である。
第1番の悲痛さもわざとらしくない。
特に第1番のメヌエット楽章や第2番の第2楽章での悲痛な表現は格別である。
アンサンブルと内容の深さにおいて文句なしに理想的な1枚といえよう。
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2008年02月24日
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《ノルマ》はイタリア・オペラ全曲録音のなかでも、5指に数えられるべき不屈の名演。
同時にカラスという不正出の天才の全貌を余すところなく結晶させた名唱として、まず第一に挙げられるべきものに違いない。
やはり《ノルマ》はカラスにとどめを刺すといってよいだろう。
聴きかえすたびに鮮烈な感動に打たれる。
数種ある彼女の《ノルマ》録音の中で、この1960年セラフィン盤は、他のキャスや指揮、音質等を含めて、もっともバランスが良く、充実した出来映えを示しているもの。
カラスの声の真の全盛期は1955年を挟む数年間。
それゆえこの盤はその時期からやや外れ、歌唱の上では必ずしも彼女のベスト・ノルマではないけれども、それを持ち前のテクニックで補って余りある彫琢と陰翳をみせる。
セラフィンの棒は十二分までの精妙さ、コレッリ、ルートヴィヒ、ザッカリアの声も実に輝かしい。
総合的な仕上がりという点で、未だこのディスクに匹敵する《ノルマ》演奏はないといってよい。
ボイトの言葉「ベルリーニを愛さないような人は、音楽を愛していないのだ」を思い起こさせるカラス&セラフィンの遺産である。
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期待にたがわぬ良い出来映えで、面白く聴ける。
全11楽章にソプラノとバスの独唱、重唱を巧みに配し、全体を《死》とかかわる詩で一貫させた構成は見事なものだ。
室内管弦楽団規模のオーケストラの編成も多彩で、近代の交響曲のあり方を示す指標となる重要作である。
このCDはシコルスキ版に記載されたモルゲナーのドイツ語訳による演奏である。
ロシアの演奏とは異なる、洗練性と繊細な感性をそなえたチョン・ミュンフンの演奏が素晴らしく、彼がこの録音の後フランスのバスティーユ・オペラの音楽監督で活躍するのも納得がいく。
オーケストラの表情が豊かで、柔らかく広がる抒情から緊迫した劇的表現に至る濃淡を鮮やかに描いている。
2人の独唱者も素晴らしく、ショスタコーヴィチに若々しい新風を吹き込んだ名演である。
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1823年頃から自覚症状を示し始めたシューベルト不治の病《梅毒》は、シューベルトの音楽に、絶望的な此岸と、手の届かない幸福への憧れという彼岸の両面を刻み始める。
実生活の不幸や苦悩は、シューベルトにあっては音楽に昇華されることなく、私小説の如くに、むしろ作品の中へと吐露されていくこととなる。
かつてのロマンティックなシューベルト像(それは、例えばベルテのオペレッタ「シューベルトの恋」や映画「未完成交響楽」によって描かれたシューベルト)に基づいたシューベルトの後期解釈は、時代の進歩とともに過去のものとなりつつある。
内田の弾く、この不気味なまでに傷つきやすい魂は、この2曲の真の姿である。
内田光子は、目下シューベルト弾きとして、世界でも指折りの存在に駆け登ったと言えるのではないだろうか。
「レリーク」と「幻想」ソナタ2曲も、恐ろしく完成度の高い立派な演奏である。
隅々まで濃密な表情でびっしりと埋めつくされ、およそ一瞬たりともテンションの緩むことがない。
「レリーク」のとりわけ第2楽章が、絶品といえる素晴らしい出来だ。
さらに欲を言うなら、どこかにもう少し、ほっと息を抜けるようなリラックスした歌の柔らかく漂うシーンがあってもよいと思うのだが、さながら匠の手になる手の込んだ工芸品のような、見事なまでの仕上がりには、つくづく驚嘆した。
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2008年02月23日
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演奏・選曲ともに良く、大変楽しいアルバムだ。
一般にオペレッタといえば軽く見られがちで、確かに軽薄な二流作品も多いが、レハールの「メリー・ウィドウ」は、多くの傑作オペラと肩を並べる傑出した作品である。
カラヤンとベルリン・フィルの演奏は、文字どおり艶麗瀟洒のきわみで、この曲がJ.シュトラウスの「こうもり」にも比肩する生命と魅惑を持っていることを痛感する。
カラヤンの演奏は音だけで舞台を見るような興奮とロマンに誘う稀有の名演である。
私はカラヤンは交響曲よりもオペラにその芸術性をいっそう濃密にあらわしていたと信じているが、なかでも「メリー・ウィドウ」のような曲では、その官能的でしなやかな音の浮遊と色彩の魅力を完全に発揮している。
例えば第3幕との間奏にあの有名な「ヴィリアの歌」の旋律が再現してくるところなど、息を呑むほどの艶やかさである。
その青春のこぼれるようなロマンは、潤いに満ち、ほかに名演といわれるいくつかの演奏を圧倒する。
数多いカラヤンの録音のなかでもベストのものに数えたいし、コロ、ハーウッド、ストラータスなども楽しませてくれる。
スッペでもカラヤンはこうした軽い曲の演奏にも決して手を抜かず、全力投球している。
ここに彼の偉大さがあり、人気の秘密があったのだ。
曲想を十全に表出した「軽騎兵」、ワルツ風の旋律の美しさの光る「詩人と農夫」、速めのテンポで鮮やかにまとめた「美しきガラテア」など、それぞれ胸のすくような快演である。
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リストはシューベルトの歌曲でもベートーヴェンの交響曲でもピアノ独奏用に編曲してしまった人だが、編曲という仕事は、実に深い音楽的洞察を必要とする。
この編曲は、多少ヴィルトゥオーゾ風に傾くきらいはあっても、自ら優れた指揮者でもあったリストがオーケストラの響きと曲の構成を鋭く洞察して行っただけに、特別の意味を持つ。
グールドはリストがベートーヴェンの音楽を忠実にピアノに移そうとしたスコアを分析し、再編成している。
それは分かりやすく表現すれば、適度のスローモーションといえばよいであろう。
演奏は恐ろしく遅いテンポで不気味なほどに内声部を浮かび上がらせている。
しかもそれによってベートーヴェンの音楽が壊れるどころか、オーケストレーション効果への依存をすっぱりと捨てて、ひとつひとつの音が、まさに根源的にもつ意味を発見しているところが凄い。
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2008年02月22日
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エドウィン・フィッシャーの録音はレコード史上初の全曲録音ながら、名演として今日に語り継がれてきたものだ。
バッハの《平均律クラヴィーア曲集》をハンス・フォン・ビューローはピアノ音楽の旧約聖書と呼んだが、1933年から36年にかけて録音されたフィッシャーによるこの曲集の録音は、正にビューローの呼び名にふさわしい音楽の世界が記録されている。
フィッシャーが47歳から50歳にかけての、ピアニストとして最も脂が乗った時期の演奏で、いまなお「平均律」の数多い全曲盤の中でも光彩を放っている。
ここでのフィッシャーはバッハの音楽世界にごく自然に没入してゆき、その自然さでバッハをわれわれに近付ける。
すべての音に彼の情愛が注がれており、それが聴き手の心を豊かにするのである。
これこそ彼の《音楽》の真骨頂を示したものだ。
グレン・グールドやリヒテル、最近ではアファナシエフやキース・ジャレット、シフらの興味深い録音もあるが、このフィッシャーの生み出す深く美しい世界こそが、ドイツ音楽の巨匠バッハの普遍的な価値を代弁している。
人間の魂を思わせる美、絶対的な高みに達した精神世界の美がここにある。
演奏の些細なミスやCD化による音質に不満もあるが、この一組は人類の宝だ。
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ゼルキンはモノ〜ディジタル期にかけてベートーヴェンのピアノ・ソナタを少なからず録音しているが、ついに全集は録音しなかった。
手堅くまとめられた演奏で、際立ったスケールの大きさや、表現の激しさで聴き手に迫ってくることはないが、ベートーヴェンの意図を再現し、それをフォルムの枠にはめこむゼルキンの手際のよさはなかなかのもの。
どこか親愛の情を感じさせる誠実な演奏ぶりを特色とするゼルキンの音楽的気質が、おおらかな印象を与えるベートーヴェンを生み出している。
この表現の明晰さはゼルキンならではだ。
ベートーヴェンの音楽の様式感に貫かれた、作品の本質に深く迫った真に実のある演奏であり、対象に向かいあった時のゼルキンの厳しい態度には本当に感服させられる。
感覚に陥ることなく、不自然なルバートも恣意的な音も強調も一切見られない。
当時壮年期の音楽家に相応しく、堂々としていて、若々しい熱気にあふれた、堅牢な構築性と激しい情念が理想的に融合した名演である。
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ケンプのベートーヴェン演奏は、今日でもまだ感銘を呼ぶものだ。
ケンプは決して行為やテクニックによって、聴き手を説得しようとはしない。
この演奏を聴いて痛切に感じるのは、ケンプがいかにベートーヴェンの音楽の世界を大切にして、本質に迫ろうとしているかということだ。
ひとつひとつの音色を大切にしながら、陰影をはっきりとつけたロマン的感覚の、実にコクのある演奏である。
ケンプの演奏はきわめて率直に聴き手の心に迫る。
というのもケンプがこれらの作品を、いかなる作為もなく自然体で演奏しているからだ。
その裏付けとなっているのは、彼が一生捧げて取り組んだベートーヴェン解釈であり、その結果としてのヒューマンなベートーヴェンである。
バックハウスのようなスケールの大きさこそないが、独特の味わいがあって耳を傾けさせる。
円満で全人的な表現は、まさにベートーヴェンの音楽の故郷へつながる音楽といえよう。
ケンプが当然のこととして全人生をかけたベートーヴェンを、ここに聴くことができる。
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2008年02月21日
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レヴァインの棒が冴えていて素晴らしい。
ダイナミックで、しかも妖しいムードの「火星」、細心の神経で平和な表情をまとめた「金星」、オペラ畑の指揮者らしく、中間部のメロディを心ゆくまで歌わせた「木星」、という具合にその演出力は卓抜である。
しかしそれ以上に驚嘆させられたのはオーケストラの威力で、美麗な弦の響きもさることながら、空気を引き裂くような金管の音も凄い。
古来、この曲はイギリス、そしてアメリカの指揮者たちが得意とし、また録音を繰り返してきた歴史がある。
バーンスタイン亡き後のアメリカ楽壇の牽引車レヴァインは、世界屈指のヴィルトゥオーゾ・オーケストラ、シカゴ交響楽団と録音し、絢爛たる音のスペクタクルのような「惑星」を世に送り出した。
それはイギリスの指揮者が聴かせる知的様式美とも、アメリカの指揮者たちが聴かせてきた多彩なショウのような演奏とも異なる。
それは真のヴィルトゥオーゾ・オーケストラのみが切り開くことのできるオーケストラ音楽の醍醐味を堪能させる演奏であり、感動の領域を新しいページへと一歩も二歩も進めた快演と言ってよいであろう。
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私がクラシック音楽に目覚め始めた1980年代にその生涯の最高の時期を迎えていた指揮者をひとり挙げるとしたら、迷うことはない、レナード・バーンスタインの名前を挙げよう。
ウィーン・フィルのライヴによるブラームス全集の密度の高い演奏、やはりシューマンの全集、また新しいマーラーの全集、自作自演のCDなど、まさに生涯のピークに至っていた観があった。
指揮者として、またジャズ等のイディオムを生かした交響作品の作曲家として高名な彼は、また、大ヒットしたブロードウェイ・ミュージカルの古典的名作「ウェスト・サイド・ストーリー」の作曲者でもある。
「現代のルネサンス人」等と呼ばれながらも、彼は器用なだけの万能人ではない。
彼の演奏は感情過多だとか、指揮のジェスチュアが大げさだとか言うのは簡単だ。
しかし彼に肩を並べる程に瞬間瞬間に音楽の中に生きる指揮者は、歴史的に見ても数える程しかいない。
彼はひとりひとりのプレーヤーを最高度にまで生かしながら総体としての合奏を豊かにかたちづくっている。
ひとつひとつの音が、フレーズが、自然に歌っている。
無理強いなどひとつもせずに、彼の演奏はただならぬ高揚から狂気的乱舞にまで至るのである。
せっかく同じ時代に生みあわされているのだから、これを見逃さずには、いや聴き逃さずにはいられなかったのだが…。
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音楽はしばしば不在を存在におきかえることができる。
だからノスタルジーはしばしば音楽のものである。
そして、ワーグナーの音楽は、神学や哲学がそうであったように、生の虚無を壮大さの幻想によって置き換えた。
ドビュッシーは「ベートーヴェンが展開部に執着するのは、もう何も話すことがないからだ」と言ったが、「何も話すことがない」ことは話題の貧しさではなく生の貧しさであることは言うまでもない。
彼にとって、当時の音楽の「存在」そのものであった神や超人を探しに出かけて「不在」の音楽は、生の貧しさの言い訳以外の何ものでもなかったのだ。
ドビュッシーの音楽は遠くから聴こえる。
しかし、それは不在ではない。
書斎や教会の外に、「牧神の午後」のまどろみのなかに、鳴り渡っている。
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メンデルスゾーンはこの曲のベストCDの1つ。
スターンは落ち着いたテンポとリズムで清潔な悲しみの情を実感させる。
ロマンティックなこの曲の性格を、よくつかんだ演奏で、メンデルスゾーンならではの優雅で香り高い旋律を、すぐれた技巧で抒情的に歌わせているのがよい。
優れたテクニック、かっちりとした造形を基に、歪みのない音楽性が匂い出るようだ。
ドヴォルザークは生命力のあふれた美演であり、スターンのヴァイオリンの艶と切れ味には聴いていて改めて感心させられる。
洗練と大胆さを兼備した秀演である。
チャイコフスキーも、したたるような美音をもとに真実性を追求した演奏。
スターンのヴァイオリンは悠然としていてスケールが大きく、しかも熱っぽく荒々しいロシア的情感を、もののみごとに表出している。
シベリウスはチョン・キョンファの表現をやや冷たくしたような演奏で、それだけに緻密な練り上げ方が素晴らしく、沈潜した最も音楽的に純粋なヴァイオリンだ。
たくましさとともに、豊かな抒情性をもった演奏で、いくぶん冷たい音色だが、旋律をたっぷりと歌わせながら運んでおり、その気品と格調の高さには惹かれる。
オーマンディの指揮は、現代風にきっぱりとしたスタイルだが、美しい情緒とニュアンスを持ち、内的な意味において豊穣だ。
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クリーヴランド管弦楽団とは、1918年にクリーヴランド市の音楽芸術協会の援助で発足したアメリカのオーケストラ。
ソコロフ、ロジンスキー、ラインスドルフのあとに継いで音楽監督となったセルによって、このオーケストラはアメリカのトップ・クラスに肩を並べる機能を持つ楽団となった。
その精緻なアンサンブルとバランスの良い音楽性は室内楽的と言われるほどで、演奏水準の高さは驚異的である。
セルのあとはマゼールからドホナーニへと音楽監督が受け継がれているが、その機能美は少しも失われることなく、このドホナーニや、アシュケナージ、シャイーなどのもとで実力を発揮している。
上記以外のディスクでは別項でも述べたブーレーズのストラヴィンスキー「春の祭典」がこのオケなくしては実現できなかったであろう精緻さで際立っていた。
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シカゴ交響楽団とは、1891年に創設されたアメリカのオーケストラ。
ニューヨーク・フィル、ボストン響に次いで、アメリカで3番目に古い交響楽団とされている。
創設者トマスからストック、ドィスフォー、ロジンスキー、クーベリック、ライナー、マルティノンと音楽監督が受け継がれてきたが、ショルティの時代になってから名実ともに黄金時代を迎えた。
輝かしい響きのブラス・セクション、豊麗な響きの弦セクションなど音の美感の素晴らしさに加えての驚くばかりに正確な合奏能力と指揮者の多様な要求に機敏に反応できる多彩な表現力が、世界で最上級のオーケストラとされる所以だろう。
1991年からバレンボイムが音楽監督となっている。
2006-2007年のシーズンは新音楽監督が決まらずに迎えることになるが、首席客演指揮者のピエール・ブーレーズが人事権などの一部を担う形で、新しいシェフの選考は継続される。
2006年シーズンより、ベルナルト・ハイティンクが首席指揮者に、ピエール・ブーレーズが名誉指揮者に就任すること、これらの人選は新しい音楽監督の決定とは別の話であるとの発表が楽団からなされた。
2010年5月、ムーティは正式に音楽監督に就任した。
なお首席指揮者ハイティンク、名誉指揮者ブーレーズもそのまま在任している。
私はもう25年程前になるが、ショルティ指揮シカゴ響のマーラー「復活」を聴いてド肝を抜いた。
ショルティは「復活」のあらゆる細部に至るまで手中に収め、全体を彼ならではの意志的な力で貫いている。
作品にふさわしく多彩を極めたショルティの表現はシカゴ響の卓越した技量によって初めて実現されている。
その音楽性は、白熱の燃焼から瑞々しい抒情まで幅広く、新古典主義的様式による典型的なマーラーだ。
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ロイヤル(アムステルダム)・コンセルトヘボウ管弦楽団とは、1888年に設立されたオランダのオーケストラ。
初代常任のケスの後、メンゲルベルクが50年間常任をつとめ、その間に、世界5大オーケストラの一つと言われるまでになった。
その後ベイヌム、ハイティンクとヨッフムの2人、ヨッフム亡きあとはハイティンク1人、と常任が受け継がれ、その後シャイーを経て、現在はヤンソンスがその地位にある。
このオーケストラは独特の音色、つまりいくらかくすんだ、しかし艶やかな、いぶし銀のようなサウンドを持っていることが大きな特色で、その魅力は今も変わらないが、最近では、よりフレッシュな表現力が持ち味となっている。
ともかく玄人好みのするオーケストラである。
また、アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールは、ウィーン楽友協会大ホールとボストン・シンフォニーホールと並び、世界3大コンサートホールに数えられ、世界最高と賞賛される優れた音響で知られている。
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2008年02月20日
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読者の方は私をクラシック一辺倒の固い人間だと感じてらっしゃるかもしれないが、実は人知れずビートル・マニアでもある。
「ザ・ビートルズ/サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、1968年にビートルズが打ち立てた、音楽ジャンルを超越した一枚。
テープによるマルチ・トラック録音、LPサイズによるコンセプト・アルバムなど、この時代を代表する方法論が全面に打ち出され、さらにロックを基盤としながらクラシックやジャズや民族音楽や現代音楽など様々な音楽要素を万華鏡のようにちりばめたトータル・アートの指向が全編に満ちている傑作である。
もっとも、本人たちはそう大層なことをやろうと思ったわけではなく、ちょっとみんなを驚かそうという遊びのつもりだったのかもしれない。
しかし、結果的にはクラシックとかポップとかいう次元を越えた20世紀を代表する名作の一つとなった。
ロックがクラシックの音楽家にも一目置かれるようになったのも、このアルバムがきっかけ。
クラシック音楽のブログにロックの名盤を混入させたのは、そんな理由から。
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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とは、1882年に結成されたドイツのオーケストラ。
1870年から翌年にかけての普仏戦争の結果、新しいドイツ帝国が生まれ、ベルリンがその首都となったが、当時のベルリンには宮廷歌劇場管弦楽団のほかに、いくつかのオーケストラがあった。
それらはいずれも私的なものだったが、その中に1878年にベンジャミン・ビルゼが始めたビルゼ管弦楽団があり、高い評価を受けていた。ところが1882年の初めに楽員に対する待遇の問題で内紛が起き、54名が脱退した。
そして残った楽員に、新しい6人のメンバーを加えて新しく創立されたのが、ベルリン・フィルというわけである。
初めは、常任指揮者を置かなかったが、1887年にハンス・フォン・ビューローが初代常任指揮者に就任して、この楽団をヨーロッパ屈指のものとしたのち、ニキシュ、フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトルとその地位が継がれ、その時々最高の指揮者を常任に置いて、常に世界最高のオーケストラとして君臨し続けてきたことは周知の通り。
こうしたスーパーぶりは、客演にしろ、この楽団に招かれることは、その指揮者にとってのステイタスとされることにも窺われる。
さまざまな指揮者のもとでのあらゆる演奏において、その特別に優れた機能美と表現力は、まさにこのオーケストラならではのものと言えるだろう。
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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは、1842年創立のオーストリアのオーケストラ。
17世紀以来のハプスブルク家の宮廷歌劇場の管弦楽団を母胎とする由緒あるオーケストラである。
古くから世界に名だたる音楽の都だったウィーンを本拠として、その伝統を豊かに保っているこのオーケストラは、独特の熟成した美しい音色と、マイルドでエレガントな表情をもっている。
それはオーストリア的オーケストラの極致と言われるものだが、それだけにまた強い個性を持っていることも確か。
それにはこのオーケストラのメンバーがほとんどオーストリアの出身者で、しかもウィーンのアカデミーで音楽を学んでいるということが関係しているのかもしれない。
それはともかく、その潤いのある美しい音と優れた機能性から、多くの指揮者がこのオーケストラを指揮してきた。
例えば常任指揮者だけでもニキシュ、ワルター、フルトヴェングラー、カラヤンなどを筆頭に、まさに大指揮者名鑑とさえ言える様相で、そのほか大指揮者と呼ばれる人のほとんどが客演している。
それは、いかにこのオーケストラが魅力的であるかを証明するものと言えるが、問題は指揮者がどれだけこのオーケストラの独特の個性を使いこなすことができるかで、楽員が信頼を置く指揮者によってドライヴされた時は、まさしく他に類がないほどの名演を展開することは確かである。
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1955年盤には若き日のカラヤンが作り出している音楽のイタリア的な明るさと流麗さがある。
もちろん、ドラマの力強い起伏や悲劇的な緊張、あるいは管弦楽の雄弁さなどのカラヤンの特質も示されている。
カラスについていえば、このドラマの中でのヒロインの果たす割合が大きいだけに、それに応じて彼女の歌の威力がフルに発揮され、ドラマ全体を凄まじいばかりの力で引っぱっていくさまは壮観という他はない。
ミラノ・スカラ座を指揮した旧盤に比べると、1974年に録音された新盤では音の響きも表現も徹底的にカラヤンのものとなり、雄弁で彫りの深い音楽のドラマが生み出されている。
しかも、それが単なる感傷や慟哭の誇張としてではなく、プッチーニがここで意図した精妙な音色の効果とドラマの結合を十全に描き出している。
カラヤンのプッチーニ観が演奏の隅々にまでゆきわたった名演である。
このオペラは、ややもするとお涙頂戴式の低俗なメロドラマになりがちだが、作品の本質を深く掘り下げ、感動的にまとめているあたり、さすがにカラヤンである。
リリックな声に即したやさしい純情な女の姿を歌い出そうとしたフレーニの蝶々さんも、カラヤンのそうした意図にふさわしい。
ポネル演出のDVDに関しては好悪分かれるかもしれないが、一見の価値はある。
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2008年02月19日
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もともとカラヤンはプッチーニが得意で、「蝶々夫人」も素晴らしい演奏だったが、「トゥーランドット」は晩年とは思えない異常なテンションの高さでド肝を抜く。
管弦楽もだが、合唱も何かに憑かれたかのような興奮ぶりである。
この曲に限らず、プッチーニのオーケストレーションをカラヤンほど説得力ある演奏で聴かせた指揮者は他にいない。
この録音まで、カラヤンがこのオペラを実際に劇場で演奏していたという記録はない。
しかし、ここには満を持して発酵させたコクのある音楽がある。
テンポは驚くほど遅い。
カラヤンはそのテンポの中に、プッチーニの精妙な音楽、微妙きわまりない音色の高価を極めて入念に描き出している。
強い意思でキャスティングを組んだカラヤンの意図が生かされた名演だ。
トゥーランドットにあえてリリックな声のリッチャレッリを配しているのも異色で、声の質としては不向きなリッチャレッリをもってきて、見事に成功している。
それにドミンゴのカラフが素晴らしい。
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伝説的名演とされるカラス絶品のヴィオレッタは不幸にも、完成の域に遠い最初期の放送録音とプライヴェートによる録音しかない。
レコード会社が録音するタイミングを逸したためもあって、カラスの《椿姫》はCD時代になっていくつものライヴ録音が発売されたのは、それぞれ演奏と音質が一長一短のためだろう。
極端な言い方をすれば、どれをとってもこの不世出のソプラノの役づくりのうまさを味わうことができる。
音質もよく若いカラスの声の威力が最もよくわかるのは、フォニト・チェトラ盤だが、共演者と指揮に不満が残り、演奏だけならディ・ステファノ、バスティアニーニと共演したジュリーニ指揮の1955年のスカラ座でのライヴ録音がベストだろう。
このギオーネ盤はその3年後、1958年のリスボン・サン・カルロ歌劇場でのライヴ録音で、比較的音の状態は良好で、声と管弦楽のバランスもまずまずだし、貴重な演奏の記録としての価値は充分にある。
カラスの声は絶頂期で、しかもヴィオレッタを歌った最後の年となった。
ここで示されるのは感情の起伏の激しい、人生への愛着と不安に揺れ動く一人の女の叫びであり、愛らしさやコケットとは無縁のヴィオレッタだ。
カラスの声は文字どおりトップ・コンディションで、どの音域も透明で自然で伸びやかに響く。
ことに第2幕での苦悩に満ちた歌と、幕切れで息を引きとる寸前の不思議な恍惚の鬼気迫るばかりの素晴らしさは筆舌につくしがたい。
また当時無名に近い新人のクラウスが、カラスの相手役を努めているのも興味深い。
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2008年02月18日
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1955年5月28日、大好評を博したミラノ・スカラ座での公演のライヴ録音で、カラスのヴィオレッタを不滅のものとした演奏がこれである。
音質上の不備はあるものの、ジュリーニの棒の切れ味と緊迫感を背景に、この永遠のプリマドンナの熱気に満ちた世紀の至芸が光り輝き、異様なほどの気迫と感銘を持った演奏になっている。
ジュリーニの晩年とは異なった生気躍動するオペラティックな表現とオケの巧みさは断然傑出している。
特に劇的表現の粋を示したのは第2幕フィナーレで、多彩で華麗な表情が外面的効果に終わらないのは、ジュリーニの音楽の持つ独特の持続力と緊張が内側からしっかりと支えてるからだ。
また、カラスのデリケートで的確極まりない表情が、これほど完璧に実現されていることも驚嘆に値する。
この時、ヴィオレッタを歌ったカラスは32歳、まさに脂ののりきった最盛期の、熱のこもった演唱には、息をのむ。
表現の幅の広さ、甘美と激情の間を揺れ動く見事な心理描出、カンタービレとアジリタ双方における完璧なテクニック、悲劇的結末への求心力等々、ここにはカラスの感性と技術のすべてが、きわめて激しいエネルギーとともにそそぎ込まれている。
まさにヴィオレッタ歌唱の金字塔であろう。
以後ヴィオレッタ像は、まさにこのカラスの超名演の薫陶を受けることとなった。
ディ・ステファノのアルフレード、バスティアニーニのジェルモンという、黄金の組み合わせも、カラスと遜色のない名唱で、ジュリーニのエネルギッシュな棒とあいまって、非のうちどころのない名演となっている。
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大河ドラマのファンにとって、待望のアルバムと言える。
大河ドラマは、原則として1年間に渡って放送されるので、メインテーマについては約50回程度聴くことになり、どのような音楽でも自然と耳に入ってしまう。
それ故に、過去の大河ドラマのメインテーマを聴くと、それぞれの年の想い出とオーバーラップして聴くことになるのが、懐かしくもあり、楽しくもある。
そのような貴重な体験をさせてくれる意味でも、きわめて意義の多いアルバムと言える。
筆者個人としては、大河ドラマを通しで見たのは峠の群像以降であるが、1年を通して聴いた曲については、まさに、それぞれの年の想い出に浸りながら楽しく聴かせていただいた。
峠の群像以降に限って言えば、ドラマとしての最高傑作は徳川家康といのち、楽しさだけに限れば、独眼竜政宗と八代将軍吉宗だと考えているが、メインテーマはいずれも超一流の作曲家の手による作品であり、音楽自体はいずれも実に高水準の優れたものである。
それにしても、世界的な作曲家であるモリコーネや武満徹、富田勲をはじめ、池辺信一郎など、超一流の者ばかりであるし、演奏も、デュトワやアシュケナージをはじめ、我が国を代表する指揮者によるもの。
加えて、我が国最高のオーケストラであるNHK交響楽団が演奏するというもの(3作目以降)であり、あらためて、大河ドラマの豪華さを思い知った次第である。
嬉しいのは、前回発売のCDとの兼ね合いで入ってなかった50作目の江が入っていること。
江を含めた上で発売しても良かったのではないかと思っていただけに朗報と言える。
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戦後最大の歌手といえば、恐らく、ほとんどのひとが彼、フィッシャー=ディースカウの名前をあげるだろう。
それほどまでに、彼は幅広い分野(リート、オペラ、宗教曲など、声楽すべての分野に及んでいる)で獅子奮迅の大活躍をし、また膨大な数にのぼるレコーディングをおこなっているのである。
このような歌手は、これまでに存在しなかったし、今後も容易にはあらわれないであろう。
彼は1925年ベルリンで生まれている。父親は高名な教育家で、家庭はゆたかな芸術的雰囲気に満ちていたという。彼自身、芸術一般に対して強い関心をもつ少年であった(彼は画家としても玄人はだしであり、文筆もよくすることは、広く知られているところだ)。
早くから声楽家としての才能を開花させ、戦後、本格的に歌手として活動するようになる。
フルトヴェングラーをはじめとする多くの音楽家、その他文化人などと出会うことで、彼はいっそう大きく成長。大歌手への道を邁進することになる。
彼の数々のディスクは、いずれも比類ない名盤の誉れ高いものばかりだし、各種の舞台においても、今では語り種となっているような名舞台の数も限りない。
まさに、彼の栄光は、歌うことの栄光そのものといっても、決して過言ではないだろう。
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ピアニスト、ミケランジェリの演奏について、言葉でなんらかの表現をしようとするのは極めて難しい。
デリケートといえば、これ以上ないほどデリケートなのだが、ただそれだけではない。
優雅といえば、確かに優雅なのだが、それで片づくというのでもない。
完璧主義的美学の持ち主といえば近いのかもしれないが、彼はそれ以上の存在である。
とにかく、どんな言葉をもってきても、彼を上手くとらえることなどできない。
彼はピアノによって考え、ピアノによって美学を実践するというピアニストらしいピアニストである。
彼はまさしく彼のピアノが描き出すようにしか存在しないような、稀有のタイプのピアニストなのだった。
ここであげたCDはミケランジェリの来日公演ライヴ録音だが、演奏も音質も素晴らしい。
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R・ゼルキンはピアノ界の最大のビッグ・ネームである。
しかしながら、その存在のしかたとでもいうべきものは、かなりユニークだ。
彼は、他の大家たちと比較して、決してとび切り美しい音色を誇るというタイプではない。
また、テクニックが傑出しているというのでもない。
その語り口も洗練されていて、滑らかというのではなく、どちらかというと、不器用な感じで、ゴツゴツとしている。
ただ、彼はひたすら誠実な姿勢で、曲想の核へと鋭く、深く踏み込もうとしてやまない。
表面上の美しさなど多少犠牲にしても、彼は音楽の抜き差し難いような真実を絶えず追求している。
その一途さが、聴く者の心を強く打つ。
そして、こうしたR・ゼルキンのような存在を最高の位置におきえてきたことこそが、西洋のクラシック音楽界の奥の深さであり、意義深さであるといえよう。
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42歳ではかなく散った女流チェリスト、デュ・プレ屈指の名演のひとつにあげられる名盤である。
ドヴォルザークのチェロ協奏曲はデュ・プレの協奏曲録音としては最後のスタジオ録音になったもの。25歳時の演奏。
このドヴォルザークは超名演だ。デュ・プレ炎の演奏である。
デュ・プレは、きれいごとでない、凄まじいばかりに体を張った大熱演だが、人間の生命力のすべてを具現した朗々たる音色が眼前に激しく飛び出してくる。
冒頭から情熱が迸るような迫力のある表現で圧倒する。
音色の変化、リズムの間、ひそやかな弱音など、その多様な表現力に舌を巻く。
切々たる思いを劇的に語るかのようで、この演奏こそ"入魂の"という形容がふさわしく思える。
聴き手をエキサイティングに熱くさせる演奏はそうザラにはないが、このデュ・プレのドヴォルザークはその筆頭格にあげられる。
グイと鷲づかみにするような発音、どこをとっても熱気のこもった歌いまわし、心憎いまでの剛柔のニュアンスなど、全身全霊を傾け同作品を揺さぶる。
パワフルなオケをも凌駕する迫力と迫真性が漲っている。
今もってドヴォルザークのベストCDに挙げられて然るべき演奏である。
ひとりのチェリストと言うよりも、表現者としての原点を見る思いのする比類のない演奏である。
これは、一回の演奏にすべてをかけた情熱と気迫の記録であり、聴いているうちに人はここまで音楽にのめりこめるのか、と感動も新たにする名盤である。
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デュ・プレの最良の遺産の一つ。
デュ・プレ(1945-1987)は1961年にデビュー。
この録音はわずかその4年後のもので、彼女の天才を余すところなく表現している。
もっともデュ・プレが20歳の時に録音した初めての協奏曲録音だったというのだから驚くほかない。
無垢の精神を持つ若者が全身全霊を傾けて演奏した清らかな輝きに満ち溢れた音楽はこの上なく魅力的で、チェロの響きも常に格調が高い。
エルガーは第1楽章冒頭からただならぬ美音と雰囲気がほとばしり、ポルタメントを大きく使用した朗々たるカンタービレは表情的で豊かさの極であり、造形はあくまで雄大。
ロマンティックな情感が匂うばかりで、憂いを含んだ旋律をたっぷりと歌い上げる彼女の音楽は、すでに完成されたものといえよう。
そうしたデュ・プレのソロを暖かく見守りながら、絶妙なサポートを行なっているのがバルビローリの指揮である。
同じくきわめてイギリス的な性格をもったディーリアスのチェロ協奏曲では、デュ・プレの女性的でデリケートな感性が生かされている。
ディーリアスはオーケストラと有機的に絡み合い、その中を流れるチェロの淋しさは、この音楽が持つ人生の沈みゆく夕映えであろうか。
サージェントの指揮もきわめて共感豊かだ。
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2008年02月17日
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フルトヴェングラーは優れた指揮者であると同時に、ピアニストあるいは作曲家としても活動した。
フルトヴェングラーの作品は、その保守的な書法によってとかく批判があるが、音楽が時代の反映であり、人間性の内面の表出であるという立場から眺めるならば、すくなくともこの曲は同じフルトヴェングラーの交響曲第3番や「ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲」とともに素晴らしい作品であると思う。
この曲はブルックナー風ともいえる規模の大きなロマン的作品で、フルトヴェングラーは自作自演の強みを発揮して、驚くほどに豊かな感情をもって歌わせた演奏を展開している。
作曲家フルトヴェングラーの真価を知るためには、欠かすことのできない貴重な録音である。
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音そのものが形容を絶する美しさを持った素晴らしく魅惑的な演奏だ。
特に「驚愕」のまろやかな音色は、ウィーン・フィルとしても滅多にないものだろう。
バーンスタインの表現も溌剌として、自然な歌にみちあふれていて、ハイドンの最もハイドンらしい面を聴かせてくれる。
「V字」も素晴らしい。
精密さを求めるより、楽しさに重点を置くバーンスタインが、ニューヨーク・フィル時代には成し得なかったオーケストラとの阿吽(あうん)の呼吸を実現し、メヌエット楽章のスフォルツァンドや強弱の対照を面白く聴かせてくれる。
これこそパパ・ハイドンの真骨頂である。
いかにもユーモリストのバーンスタインらしい、明るく健康的なウィットに富んだ演奏で、新鮮な味わいをもった清々しい表現だ。
"パパ・ハイドン"と呼ばれた和やかなハイドンの音楽が、そのままバーンスタインの人柄に乗り移ったように聴こえてきて、気持ちがよい。
第92番もそうだが、底抜けの明るさの中にも時としてかげりが生じ悲しみがよぎるのを彼は豊かな感情をこめて表現している。
ウィーン・フィルを起用したのも成功で、そのまろやかな音色と流麗さは、他のオーケストラからは求められないものだ。
ライヴ録音ならではの熱気にみちあふれている。
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2008年02月16日
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ショパンはホロヴィッツが生涯を通して弾き続けたレパートリーだった。
彼のショパンの演奏の特徴は、どんな場合であれそれぞれの作品に即して華麗なドラマを演じきることにある。
そこではショパンの作品とホロヴィッツがまさに一心同体となるのだ。
ホロヴィッツのショパンは特にこのような小品において、表現が生み出す陰影の美しさに強く印象付けられる。
そして、それぞれの曲の性格によって、いろいろな表現の意志(いわばゆとり)がよく伝わってくるのが面白い。
この場合そのゆとりが重要なポイントで、彼の演奏はショパンに限らず強い即興性を帯びる。
それが実によく現れたアルバムだ。
ショパンのピアノ音楽から即興的な妙味を引き出し、ホロヴィッツならではの世界を築いている。
世にショパン弾きと呼ばれるピアニストは少なくないが、ホロヴィッツの魅力は別格といわねばならない。
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アシュケナージのショパン全曲演奏から、親しみやすい曲目を選んだ1枚。
ショパン・コンクールの出身者(第2位)であるアシュケナージにとって、ショパンはキャリアの最初から大切なレパートリーであり、おそらくその音楽には格別の愛情を持っているのであろう。
このCDからは、彼の作品を愛でる手触りのようなものすら伝わってくる。
どのジャンルのどの作品においても、アシュケナージはこれら小品の味を限りなく大きなものとして味わわせてくれる。
しかし、その際に《ショパンの音楽》をオーバーラップすることはない。
このあたりがアシュケナージの演奏一般への信頼に通ずる。
もちろん決して感傷的な演奏ではなく、引き締まった表現と見事なテクニックそのものが味わえることはいうまでもない。
質の高いショパン入門、あるいはアシュケナージのショパン入門となっている。
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ショパンの作品の多くは即興演奏から生まれたかのような自由な雰囲気を持っている。
確かにショパンの着想はすらすらと曲になって流れ出た。
しかし、これらを楽譜にし、作品とする段階では、ショパンは何日も考え、同じ箇所を何回も修正し、印刷されてもまだ不満で修正したといわれる。
これらの作品を分析してみると、実際には細心の注意を払って、非常に考え抜かれた上で作られたものであることが明らかとなるが、だからこそショパンの作品はひとつひとつの完成度が高く、現在もなお多くの人の心を打つのだろう。
ここであげたCDはアシュケナージのショパン・ピアノ作品全集。
19世紀のピアノの申し子であるショパンの作品を20世紀のピアノの申し子であるアシュケナージが弾く。
小気味良いまでに音楽のピアニズムを捉えたアシュケナージの演奏は、どんな曲を弾かせても面目躍如たるものがある。
どの作品においても表現は極めて新鮮であり、歴史の手垢を感じさせないのは、本当に見事としか言いようがない。
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2008年02月15日
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1987年12月に初来日した巨匠ホルショフスキー(1892-1993)のコンサートでのライヴ録音。
当時名ピアニストとしては世界最長老だったホルショフスキー。カザルスの共演者として有名。
これは彼が95歳の頃の録音だが、驚くほど元気で、しっかりとした演奏ぶりだ。
ここに聴かれるのは人間の可能性、そして人と音楽との結びつきの幸せだ。
タッチは冴え冴えとしており、音色には丸みがあり充実している。
枯淡の芸というにはまだまだ豊かすぎる情感を湛えた音楽なのだ。
バッハ、モーツァルト、ヴィラ=ロボス、ショパンといった、まったく様式を異とする作曲家の作品を、ホルショフスキーはタッチまでを変えて見事に弾き分けている。
共通するのは歌う心で、ここにホルショフスキーの演奏の真骨頂がある。
「鍵盤は見えなくてもピアノは弾ける。だが仲間のサインが見えないので室内楽ができないのが残念」というホルショフスキー。
これは達人の音楽であり、よき時代の音楽を心から味わわせてくれる。
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フルトヴェングラーはR.シュトラウスと親交のあった人だけに、その演奏は、内面からわきあがるような充実したものとなっている。
フルトヴェングラーのR.シュトラウスには、巨匠ならではの風格がある。
ここでも、音楽の掘り下げ方が深く、起伏の大きい、骨太の表現で、ロマンティックに描き上げていて、秀逸だ。
特にドイツ敗戦2年後の1947年の「メタモルフォーゼン」が秀演。
ひとつひとつの音に精魂傾けながら、作曲家の意図した《祖国ドイツへの挽歌》という曲想を余すところなく表出し、悲痛な表情の深々とした表現には強く心打たれる。
「ティル」はフルトヴェングラー一流のロマンティックな解釈だが、その卓抜した演出力は極めて魅力的。
このいたずら者の姿を、実にユーモラスに生き生きと描いており、聴き手をひきつけてはなさない、独特の魅力をもった演奏となっている。
また「ドン・ファン」も劇的かつ官能美の横溢した名演で、やるせないほどの官能のうねり、雄大なスケールが何ともいえない。
オーボエが奏する主題をこれほど哀切に表現した演奏は滅多にない。
また「死と変容」は、この曲の生と死の闘いを宇宙的なスケールで描いたもので、実にドラマティックで壮大な表現だ。
フルトヴェングラーらしい個性的な表現だが、この曲のもつ文学的内容を徹底的に彫琢した演奏で、聴いたあとに深い感銘が残る。
録音にも少しも不満がない。
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1953年3月、独裁者スターリンが死去、その年の夏、ショスタコーヴィチは「第10番」の交響曲を一気に書き上げた。
この曲はショスタコーヴィチが最も率直に、自身の哲学と感情を示した奥の深い最高傑作である。
演奏は極めて気魄に満ちると同時に、作品に対する真摯な姿勢が感じられる。
静寂さに満ちた第1楽章開始の深く沈んだ暗い響きには、戦争で犠牲になった人間の死を思わずにはいられない絶望的な悲しみが色濃く漂って胸に迫るものがある。
緩徐なテンポによる開始楽章からは、息づまるような緊張感をもたらしている精神集中が伝わってくる。
また低弦部の充実と、作品構成上重要な主題を受け持つ木管奏者の素晴らしい活躍も特筆に値する。
ムラヴィンスキーは、ソロモン・ヴォルコフ編の『ショスタコーヴィチの証言』ではクソミソにこきおろされているが、その是非はともかくとして、ショスタコーヴィチの交響曲を彼ほど美しく巧みに表現し得た指揮者は、他に例がないというべきであろう。
ムラヴィンスキーは、ショスタコーヴィチの交響曲を数多く残しているが、第10番のこの演奏は、ツボを心得たその鮮やかで巧妙な表現の見事さにおいて、その中でもとくに際立った名演になっている。
"スターリンの肖像画"ともいわれる第2楽章は、中でも大きな聴きどころであり、その切れ味のよい凶暴な表現の冴えは、聴き手を圧倒してしまうだろう。
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これはいわくつきの演奏だ。
指揮者とソロイストの思想の対立があらわで、バーンスタインが、グールドの常識はずれの遅いテンポに関して聴衆に話かけるところから収められている。
バーンスタインはグールドの遅いテンポについていけないけれども、共演に応じたのは、彼の演奏にもある種の発見があって、それに立ち合うよろこびもあるからだと言う。
とは言うものの、バーンスタインのオケ伴奏は剥き出しの刺激に満ち、相当変わっている。
それに対しグールドの演奏はダイナミックな力業を抑え、この曲からかつてないリリカルな美しさを引き出している。
そこからはからずも冷と熱とがドラマティックに対比し、かつ融通無碍に交錯し合う、掛け合いの面白味が実現している。
確かに両端楽章のテンポは大変遅い。
第1楽章には一貫した構成感があり、ブラームスの寂しさがイン・テンポの中から浮かびあがってくる。
しかし、グールドの演奏は、あくまでもその時々の彼の解釈のひとつであるに過ぎない。
この演奏の半年後のアドラーとの共演盤(M&A)があったが、それはこの演奏に比べて速い。
グールドは演奏のたびに、そしてレコードを作るたびに、何か新しい自分の発見を伝えようとしたのである。
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