2008年02月

2008年02月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1953年3月、独裁者スターリンが死去、その年の夏、ショスタコーヴィチは「第10番」の交響曲を一気に書き上げた。

この曲はショスタコーヴィチが最も率直に、自身の哲学と感情を示した奥の深い最高傑作である。

演奏は極めて気魄に満ちると同時に、作品に対する真摯な姿勢が感じられる。

静寂さに満ちた第1楽章開始の深く沈んだ暗い響きには、戦争で犠牲になった人間の死を思わずにはいられない絶望的な悲しみが色濃く漂って胸に迫るものがある。

緩徐なテンポによる開始楽章からは、息づまるような緊張感をもたらしている精神集中が伝わってくる。

また低弦部の充実と、作品構成上重要な主題を受け持つ木管奏者の素晴らしい活躍も特筆に値する。

ムラヴィンスキーは、ソロモン・ヴォルコフ編の『ショスタコーヴィチの証言』ではクソミソにこきおろされているが、その是非はともかくとして、ショスタコーヴィチの交響曲を彼ほど美しく巧みに表現し得た指揮者は、他に例がないというべきであろう。

ムラヴィンスキーは、ショスタコーヴィチの交響曲を数多く残しているが、第10番のこの演奏は、ツボを心得たその鮮やかで巧妙な表現の見事さにおいて、その中でもとくに際立った名演になっている。

"スターリンの肖像画"ともいわれる第2楽章は、中でも大きな聴きどころであり、その切れ味のよい凶暴な表現の冴えは、聴き手を圧倒してしまうだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:06コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチムラヴィンスキー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これはいわくつきの演奏だ。

指揮者とソロイストの思想の対立があらわで、バーンスタインが、グールドの常識はずれの遅いテンポに関して聴衆に話かけるところから収められている。

バーンスタインはグールドの遅いテンポについていけないけれども、共演に応じたのは、彼の演奏にもある種の発見があって、それに立ち合うよろこびもあるからだと言う。

とは言うものの、バーンスタインのオケ伴奏は剥き出しの刺激に満ち、相当変わっている。

それに対しグールドの演奏はダイナミックな力業を抑え、この曲からかつてないリリカルな美しさを引き出している。

そこからはからずも冷と熱とがドラマティックに対比し、かつ融通無碍に交錯し合う、掛け合いの面白味が実現している。

確かに両端楽章のテンポは大変遅い。

第1楽章には一貫した構成感があり、ブラームスの寂しさがイン・テンポの中から浮かびあがってくる。

しかし、グールドの演奏は、あくまでもその時々の彼の解釈のひとつであるに過ぎない。

この演奏の半年後のアドラーとの共演盤(M&A)があったが、それはこの演奏に比べて速い。

グールドは演奏のたびに、そしてレコードを作るたびに、何か新しい自分の発見を伝えようとしたのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:05コメント(0)トラックバック(0)グールドバーンスタイン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

シノーポリは「西欧の没落」の十字架を一身に背負うようにして、独り苦悩するのだ。いわば蒼ざめた落日の自我として音楽を解釈し、表現する、爛熟した20世紀末の新ロマン主義者、心理の深層を直接つかみ出そうとする、現代の表現主義者なのである。

彼が好んでとりあげたロマン派の音楽は多かれ少なかれこうしたアプローチで拡大される要素をもっていて、シノーポリは作曲者の意識に重ねて、自分自身の深層の流れを、不思議な殺気を帯びた眼差しで見つめつつ、孤独なパントマイムを演じるのである。

作曲者としてのシノーポリもまた表現の目的が音楽の外部にある、「新ロマン主義」の流れの中にいる。「スーヴェニール・ア・ラ・メモアール」やオペラ「ルー・ザロメ」が知られるが、どうも、自身をマーラーになぞらえるほどは音楽活動の中心に作曲を据えているわけではなさそう、と言っている前に亡くなってしまった。

また作品自体もマーラーになぞらえるべきかどうか、私は知らない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 12:19コメント(0)トラックバック(0)シノーポリ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「5番」以降のマーラーは「交響曲」が旧来もっていた管弦楽曲の規範としての性格が変容して、構造的にも内面的にも高度に複雑で特異な音楽になっている。そしてシノーポリの解釈は音楽を、よくある「自然風」な流れに任せてしまうことなく、戦慄する意識でそれを凍結する。

音楽の構造を浮き彫りにするようなスタイルを排し、それを客観的に見ることができない運命的なもの、言わば一つの宇宙のように扱い、その中であくまで細部細部に固執するのである。

総譜は隠喩の記号群のように解体して読まれ、微妙なコントラストの陰翳を帯びてゆっくりと進んでいく。各々の細部は局所的に極めて美しい。しかし自ら流れ出すことは決してなく、蒼ざめた平衡状態を保っている。言ってみればそれらのモザイクとして、場合によっては不自然にギクシャクとしながら「病める近代的自我の意識」としての音楽が生み出されていくわけである。

こうした音楽全体の造形と、部分部分の音響の豊かさから、シノーポリが作曲家、特に電子音楽を手掛けたことのある作曲家であるのを思い出さずにはいられない。あくまで一つ一つの音響を大切にしながら、ある設計チャートに基づいてそれらをダイナミックに結合、対比させてゆく手腕は目を見張るものがある。

マーラーの「5番」で言うなら、第4楽章「アダージェット」を他の指揮者、ワルターやショルティ、バーンスタインやインバルの演奏と比べてみればいい。一つの意識に耽溺するのではなく、憧れと絶望、情熱と戦慄といった多くの対照的な性格が意識の重層の中で交互している。まるでさらりと流れ去ることを拒否しているように。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 12:06コメント(0)トラックバック(0)シノーポリマーラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

シノーポリの演奏を検討してみよう。例えばマーラーの「交響曲第5番」を聴いてみる。テンポは概ねゆっくりめにとられていて、冒頭のトランペットのソロから、リズムに特徴的な癖が目立つ。彼の演奏一般に言えることだが、細部の解釈にはかなり独自な語り口を持っていて、これは多少評価の分かれる所でもあろう。

さてマーラーに戻って、次のフォルテは均衡のとれた、言ってみればかなり冷静なオーケストラの爆発である。ここまでの数十秒のあいだでもすでに彼の解釈の特色が顕著に出ていると思う。つまづくようなリズムの癖は内面的独白といった趣があって、あくまで自らの不在の中心に向かって凝縮しようとする自我の苦悩と符合する。

続くフォルテは、モノローグの延長としての主体的な爆発というよりも、沈潜する肉体を断ち切って外部から襲いかかる突然の音響の炸裂だ。その響きは直前のモノローグとは別種の、安定したバランスを保っている。

しかしそれが、ふっ、とかき消されて再びモノローグの世界へと立ち戻る。作曲者=指揮者マーラーの意識の流れを底流から追うようにして音楽は進行する。そしてその足取りは決して軽くなることはない。

概してマーラーの交響曲は一曲一曲を完結したものと見なすよりも、むしろ全作品を一つの流れとして捉えた方が解釈として深味が増すが、シノーポリの「第5」でもこの重い足取りは、一見解放されたかに見えるロンドのフィナーレでも基本的には変わらず、次の「悲劇的」を暗示するかのようだ。

リズムの舞踏的な側面はほとんど剥ぎ取られている。「5番」の1楽章は「葬送『行進曲』」の形をした自我の亡霊がうつろにゆらめきながら立ちつくしていて、その意識の裂け目に、強烈な他者の記憶がスーパーインポーズされる、といった風である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 11:39コメント(0)トラックバック(0)シノーポリマーラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

コダーイとプロコフィエフのユーモラスな名作の魅力満点のカップリングだ。

いかにも晩年のセルらしい、円熟したうまさにひきつけられる演奏で、セルの巧緻な演出と、オーケストラのアンサンブルの緊密さには圧倒される。

晩年のセルには音楽のなかにゆとりや遊びといったものが感じられるようになったが、これもそうした円熟の芸風をあますところなく伝えている。

「ハーリ・ヤーノシュ」では、この曲のユーモラスな味を、これほど見事に、しかもゆとりをもって表出した演奏というのも珍しい。

コダーイと同じハンガリー出身のセルだけに、同国人ならではの民族性が、あたたかく、深く伝わってくる。

クリーヴランド管弦楽団の、抜群の合奏力の光った「前奏曲」、東洋風な旋律をたっぷりと歌わせた「歌」、コミカルなシーンを実に生き生きと描いた「戦争とナポレオンの敗北」、セルのハンガリー人としての特色がことに強くあらわれた「間奏曲」。

いずれもあ然とするほどうまい演出だ。

「キージェ中尉」も遊びの精神が全編にみなぎった楽しい演奏で、どれをとっても心憎いまでに素晴らしい。

「ロマンス」の笑いを誘うオーバーな悲しみのあらわし方、「キージェの結婚」の巧みな遠近法を用いた描写、そして、速いテンポで爽快に描いた「トロイカ」など、どれをとっても、心憎いほど音楽のなかにゆとりと遊びが感じられる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:06コメント(0)トラックバック(0)セル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヨッフムのブル5では、その生涯の最後に演奏された気心の知れたコンセルトヘボウとのライヴ録音が神々しいまでの名演。

1964年5月にオットーボイレンのベネディクト修道院で行われたライヴ録音も紹介したいが、現在は入手難である。

真正面から作品に対しすべてを燃焼させたような感動的な表現で、流動感が強く、ヨッフムの性格的な弱さも感じさせない。

特に第2楽章には心なごむ静けさがあり、スケルツォ楽章で突き進む鋭さが強い説得力を生み出している。

また終楽章はやさしく柔らかい表情が魅力的で、しかも終結部の高潮が壮大だ。

全体を通して端正な中にも豊かな共感をもった演奏であり、亡き指揮者の注目すべき遺産である。

周知のようにヨッフムは2度にわたってブルックナー交響曲全集を完成しており、生涯ブルックナーに打ち込んでいた。20世紀のブルックナー演奏の正統派を担う存在だった。

しかしこの指揮者は、これはブルックナーに限らず全般にいえることだが、スタジオ録音となるとまとめへの指向がまさって、音楽の内的動態性が弱まる傾向があったことも確かだ。

コンセルトヘボウとのこのライヴは、そうした弱点がないばかりか、音楽が内的な力に満ちて確固たる有機体をつくり、ひとつの完成されたブルックナー世界を見事につくり出している。

強固ながらも威圧的にならない開放的な造形と音の広がり。「オルガン的な響き」のブルックナーはここに極まった感がある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:31コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヨッフム 

2008年02月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ショスタコーヴィチに傾倒し、弦楽四重奏曲のいくつかを室内交響曲にアレンジしている指揮者ルドルフ・バルシャイは、この大作曲家の交響曲の最高傑作として「第8」を挙げているが、たしかにこれはすばらしく感動的な音楽である。

古いライヴ録音なので、録音はやや大味で、とくに弱音の繊細美を欠くが、聴き進むうちに気にならなくなってしまう。

演奏自体は最高だからだ。

この第8番の演奏では、ムラヴィンスキーの確信に似た定見を見るような思いがする。

ムラヴィンスキーの確かな読みが、スコアの中から作曲者によるさまざまなインディケーションへの批判的解釈を加えての興味深い奏法の変更によって、曲想の核心に迫っているように思える。

全盛期を謳歌していたレニングラード・フィルの素晴らしい名演には、異論をはさむ余地のない、自信に満ちた表出力の圧倒的勝利を見ることができる。

第1楽章は旧作5番をさらに深めた音楽だが、ムラヴィンスキーの自信に満ちた精神の勁さは尋常ではなく、感情の熾烈なほとばしりが、好き嫌いを超えて聴く者を押し流す。

展開部のなんという血がしたたるようなクライマックス!

第2、第3、第4楽章も絶品中の絶品で、これ以上は考えられない雄弁な音楽と雄弁な演奏がここにある。

恐怖の叫びと自暴自棄、狂気を背負ってハラワタが裂けるようであり、聴いているのが辛くてたまらなくなる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:08コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチムラヴィンスキー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンの「仮面舞踏会」初録音で、最後のオペラ録音となったものである。

カラヤンは1989年夏にザルツブルグで当曲を上演する予定だったが、その直前に急逝し、舞台での指揮は果たせなかった。

カラヤンの指揮はいつにも増して、管弦楽の響きが文字どおり豊麗きわまりない。

ある時はズシリと下腹に響き、ある時は鋭いアタックとアクセントでドラマティックな緊張感を高め、ある時は肉声と一体になって抒情を大きく歌い出し、堂々とした足取りの中に、管弦楽と人声をフルに駆使した音楽のドラマを展開している。

グスターヴォ役のドミンゴも充実した歌唱でカラヤンの要求に応えている。

カラヤン最後のオペラ録音なので、つい終幕の死んでゆくグスターヴォ(これはスウェーデンを舞台にした版)に万感の思いなど聴きとってしまうのだけれど、むろんカラヤンにそんなつもりはなかったはず。

それでもカラヤンにとってのヴェルディの、いわば中核的作品である。

このオペラが最後になったのは、ただの偶然とは思えない。

実際、ここには音楽の力を主軸にして、さまざまな要素が集結する、カラヤン型ヴェルディの極致がある。

ドミンゴはその方向にぴったりだし、他の歌手陣だって、ちゃんと自分の責任を果たしている。

指揮者がつくり出すヴェルディ。ここまでくると、好き嫌いを言うのは後回しにするほかない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:01コメント(0)トラックバック(0)カラヤンヴェルディ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ソ連出身の異色現代作曲家アルヴォ・ペルトの本邦初の作品集。

ペルトは1935年9月11日エストニアのハイデ生まれで、音響技士の仕事のかたわらタリン音楽大学で作曲を学び、80年オーストリアに亡命した。

東方教会の単旋律聖歌に大きな影響を受け、ルネサンス音楽の手法を現代に生かした禁欲的な作風で知られている。

クレーメルやヒリヤード・アンサンブルなど多彩な出演者も注目される。

アルヴォ・ペルトの1970年代から80年代にかけてのこれらの作品では、東方教会の単旋聖歌の魅力を再発見し、切りつめられたモノフォニー、ヘテロフォニー的な素材に基づきながら、実に豊かで人間的な世界を切り開いている。

一見アルカイックに見えるペルトの音楽は極めて斬新で、ミニマルにおける反復が非表出性を意図しているのに対し、ペルトのそれは反復によって極めて表出豊かになっている。

なお当アルバムはソ連の反体制映画作家アンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)を偲んで、と題されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:38コメント(0)トラックバック(0)クラシック音楽用語解説 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンによるオルフはこれが唯一の録音で、ケルン放送響との録音もおそらく唯一であろう。

当曲はオルフが初期キリスト教の神学者オリゲネス他の思想をもとに世の終わりを描いた黙示録的なコメディアで、1973年8月20日ザルツブルク音楽祭で当CDと同じキャストで初演された。

当録音は、それに先だって行われている。

オルフ最後の大規模な作品で、ラテン語とドイツ語による台本はオルフ自身が書いている。

「シビュラ」は9人の巫女、「隠者」は9人の隠者によって歌われる。

オルフの総決算ともいうべきこの作品は、人気という点では「カルミナ・ブラーナ」に及ばないが、規模の壮大さ、オルフ技法の集積として、これからしばしば上演されてくるだろう。

カラヤン以下、オーケストラ、合唱団、声楽陣全員が一丸となった、白熱的な共感あふれる演奏は、オルフの生涯をかけたこの大作をより感動深いものとしている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:01コメント(0)トラックバック(0)カラヤンオルフ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「未完成」は驚くべき秀演である。

バーンスタインはこの聴き古された作品から今つくられたかのような新鮮さを感じさせる。

豊かな歌謡性が瑞々しく、トゥッティは素晴らしく交響的である。

造形も極めて端正で、澄みきった美感と温かさが両立している。

「ザ・グレイト」は超絶的な名演だ。

表現がもう少しでオーヴァーになりそうなぎりぎりの所で留まって説得力の強い音楽を聴かせる。

第1楽章の冒頭から一句一節が生きて呼吸し、ニュアンスも豊かの一語に尽きる。

テンポの設定、各楽章のコントラストも万全で、非常に速いアレグロ・ヴィヴァーチェで息もつかせぬ動感を表出するフィナーレに至るまで、起伏の的確さと起承転結の構成力には、もはや賞賛の言葉を思いつかないほどだ。

バーンスタインの数多い録音でもトップ・クラスに置くべきものに違いあるまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:34コメント(0)トラックバック(0)シューベルトバーンスタイン 

2008年02月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは数多いフルトヴェングラーのCDの中でも、筆者の最も好きなものの一つである。

まず、曲がすばらしく、指揮もオーケストラもベストで、かつ録音が優秀だ。

フルトヴェングラーの芸術を離れて、「エロイカ」という音楽を聴きたい時、筆者は躊躇なくこのCDを選ぶ。

EMIが行った正規のスタジオ録音なので、フルトヴェングラーの「エロイカ」の代表盤であり、たった一つ、ということになれば、当然これを採ることになるだろう。

もちろんモノーラル期のレコーディングだけに、そして英デッカの録音のような細部の生々しさを目指したものではないだけに、今の耳で聴くと彫りの浅さが気になるとはいえ、フィナーレ終結部のホルンのようにオン・マイクの部分もあり、全体に歪みがないのが何よりだ。

そして何よりも、演奏全体に漂う風格の高さを何にたとえよう。これこそほかの指揮者たちが束になっても敵わないフルトヴェングラーの宝なのである。

フルトヴェングラーの「エロイカ」は、他の指揮者のものよりさらに大きくテンポの動きをとって感動的にとらえた演奏である。

幽玄で重量感のみなぎったフルトヴェングラーの個性が実に強く出ている。

こうした音楽性の強い演奏に対しては、その中に沈潜する広い心の持ち主が必要ともいえる。

狭量ではうけとれない芸術の広さがあるからである。

これを単に主観的とか大袈裟な演奏といって訴けてしまってはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ギレリス後期のレコーディング活動は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集がメインとなった。

残念なことに、彼の突然の死によって、全集の完成はあと5曲を残して未完になってしまったものの、録音された27曲の演奏内容はどれも充実したものばかり。

ゆったりとした歌が魅力で、これらの名曲を手中にした自信のようなものがあり、未完ではあっても、今日のベートーヴェン演奏の最高の指針といえよう。

かつての「鋼鉄の腕をもつピアニスト」も、すっかり角がとれて、福徳円満な巨匠に円熟している。

聴きものはやはり後期のピアノ・ソナタ。

「ハンマー・クラヴィーア」は驚くほど高い透明度を持った演奏。

あたかも作品の構造そのものが自らの意志で音楽として鳴り響くという趣だが、これは知と情が作品の特質に従ったバランスを見せるということで、完璧に音楽的な演奏といえる。

余分な感情の動きや情緒のひだがまとわりつくということもない。

そしてギレリスのいわば構造的演奏は第4楽章のフーガでその真価を十全に発揮している。

ひとつの規範となる現代的解釈の名演。

第30番と第31番は1985年10月に急逝したギレリスが残した文字通り最後の録音。

いずれも流麗な演奏で、年齢からは考えられないほどみずみずしい響きだ。

特に第31番は出色の出来で、フィナーレのフーガの前に置かれているアダージョ・マ・ノン・トロッポは、もの悲しい淋しさをしずしずと歌いあげ、弛緩した趣が全くなくてさすが。

ここにはギレリスが到達した最後の境地が示されている。

しかもこの2曲からは、強い精神集中の向こうに、より開かれた世界をうかがい知ることができる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:47コメント(2)トラックバック(0)ベートーヴェンギレリス 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1985年に69歳の誕生日を目前にして没したギレリスは、晩年ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音に取り組んでいたが、残念なことに未完のままに終わった。

彼の残した演奏はいずれも特筆すべきもので、その強靭なタッチと正確無比なピアニズムはベートーヴェンに最も相応しい。

そうしたギレリスにぴったりの最後のソナタ第32番が録音されなかったのは本当に残念だが、録音された作品に聴くギレリスの精神の集中力には驚くべきものがある。

つまりギレリスの演奏は、ベートーヴェンこそ彼が真に対決すべき作曲家であったことを如実に物語っているのだ。

その豊かな表現の底には常に鋼の精神があり、ベートーヴェン作品の大きさと奥行きの深さをよく知らしめる演奏である。

ギレリスのベートーヴェンのディスクはいずれも高い評価を得ているが、全体のスケールが大きいだけでなく、細部のすみずみまで磨き抜かれた演奏で、1音1音があざやかに浮かび上がってくる。

力強い一方で、内に秘められたデリケートな抒情性が何とも心憎い。

各部のバランスも良く、非常に安定している。

それぞれの曲の冒頭から聴き手をひきつけ、最後まで緊張感がとぎれないのはさすがである。

ギレリスの強靭なタッチとダイナミック・レンジの広さも魅力的で、彼はつねにコントロールを失うことなく、オーソドックスに、ひとつひとつの音を積み重ねて、音の大建築を作り上げていく。

甘さはないが、格調高い演奏である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:31コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンギレリス 

2008年02月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワイセンベルクらしからぬコクのあるラフマニノフで、ユニークな美学に支えられたハード・ボイルドでありながら、ロマンティックな快演となっている。

ワイセンベルクはありあまるテクニックを駆使し、わずらわしいほど手練手管のかぎりを尽くして雰囲気満点に弾いている。

強弱と音色変化の幅の広さは驚くほどであり、なだめたり、すかしたりといった自在なエスプレッシーヴォを見せる。

バーンスタインの指揮も同様だ。

思わせぶりな甘いセンチメンタリズムとスケールの大きい迫力の対比がユニークな演奏である。

ワイセンベルクは少年時代からラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の演奏を夢見てピアニストになったと伝えられるが、彼が残したこの協奏曲の録音は、万感の思いを胸に秘めながらそれに溺れることなく、スマートに作品を語り継いでいった演奏である。

ダイナミックで雄渾な快演と言えるスケールの大きい演奏であり、壮麗な彫刻を想わせるようなその彫りの深い表現が圧倒的なアピールを放っている。

第1楽章では遅いテンポがムードと情感を最高に生かし、クリアーなピアニズムを駆使しながら、曲の粘りや哀感を存分に描きつくしている。

第2楽章のあふれんばかりの感情と燃え立つ心、フィナーレのリズム感、いずれもこれぞラフマニノフといいたいほどだ。

全楽章が抜き差しならぬ人間感情を伝え、彼の外面性がすべてプラスに作用している。

ワイセンベルクは好調を維持していた時期は非常に短かったが、その頃の彼の演奏はなかなか言葉で表現しにくいまったく独自の魅力をもっていたことも確かだろう。

一見クールに見受けられる無表情な語り口の中に、ナイーヴでロマンティックな自己の内面をほのかに覗かせているのだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:52コメント(2)トラックバック(0)ラフマニノフワイセンベルク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ベルリンの壁開放を祝って1989年12月25日に東ベルリンのシャウシュピール・ハウスにおいて行われたバーンスタイン指揮の「第9」演奏会の実況録音。

バイエルン放送響と同合唱団を中心に、東西ドイツと米英仏ソ連のオケと東西ドイツの合唱団のメンバーが参加し、独唱者もアメリカ(ソプラノ)、イギリス(メゾ・ソプラノ)、東ドイツ(テノール)、西ドイツ(バス)と国際色豊かな演奏である。

バイエルン放送協会による録音で、西側だけでなく東側でも同時に発売されたという。

《壁》が崩壊した年のクリスマス・コンサートとして記念碑的企画であり、混成メンバーによる演奏そのものが「第9」の理念を実践したものといえよう。

急遽集まったオケのアンサンブルは最上のものとはいえないが、そうしたことよりもあらゆる思いをこめたその内容を聴き取るべきだ。

第4楽章は、バーンスタインの堂々とした風格豊かな音楽が聴きもので、作品の祝祭的な性格を最大限に発揮させている。

なお、合唱部分では歌詞を「歓喜(Freude)」から「自由(Freiheit)」に変更して歌っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:30コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンバーンスタイン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1953年のウィーン音楽週間の開幕を飾る演奏会のライヴである。

フルトヴェングラーの「第9」の中でも、バイロイト盤の次点にこれを挙げる人も多いだろう。

ウィーン・フィルを振り、ウィーンのステージで行われたという条件のものでの特色が色濃く現れた演奏である。

まるで田園曲のような柔らかいアプローチで始まり、時間の枠を超えようとするような、悠久の流れの中にほどこされたさまざまな抒情は、オケへの自発的能力と聴衆への敬意に裏打ちされているようだ。

しかし、終楽章コーダの猛烈なテンポには、この指揮者独特の力による掌握がある。

フルトヴェングラーが1922年3月16日に、初めてウィーン・フィルを指揮して以来、ウィーン・フィルの指揮台に立ったのは数百回に及んだ。

これはフルトヴェングラーが亡くなる1年前の録音だが、壮大なスケールはこの指揮者ならではのものである。

フルトヴェングラーのディスクとしては、比較的録音状態が良好なこともあり、貴重な遺産といえよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:08コメント(2)トラックバック(0)フルトヴェングラーベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



何度再発されてきたか数え切れないほどの名盤だ。

あらゆる「第9」を凌ぐ力強い共感と気迫にみちた演奏で、ドイツの伝統的な演奏様式を継承しながら、そこにフルトヴェングラーならではの創意にあふれた音楽が湧出する。

フィナーレの劇的な構成力も比類なく、声楽部も素晴らしい。

「第9」という巨大な曲のすべての要素が、これほどまでに切実な実在感をもって演奏された例を知らない。

どんなに「第9」を研究した人でも、このフルトヴェングラーの演奏からは得るところが多いだろう。

彼はオーケストラや歌手を呪縛にかけ、自らもまた未踏の領域に入っていく。

これは明らかに「第9」解釈の限度にまで達している。

ライヴ特有のミスなど問題にならない。

これは私たちの宝である。

同一音源の異盤も出ているが、これは冒頭にフルトヴェングラーが指揮台に歩む足音と、演奏会前の拍手入りで、きわめて臨場感豊かだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:51コメント(2)トラックバック(0)フルトヴェングラーベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1989年7月16日に81歳で没したカラヤン最後の遺産。

当盤録音中の4月22日に開かれたカラヤンにとって最後となる演奏会の曲目も、"葬送のアダージョ"を含むこの第7番だった。

演奏は清澄で自然、素晴らしく美しい、実に豊かな《自然さ》をもっている。

冒頭の弦の出だしからして「どうだ」と言わんばかりの磨き抜かれた音色と、洗練された滑らかな歌いまわしを見せつけられる。

明晰にコントロールされた細部、そしてその集積が生み出す解析度の高さ。

このブルックナーはあまりにも整いすぎている。

この指揮者にしばしば見られた強引な自我の表出がまったく感じられない。どの楽想にも、またどの楽想の転換にもこの指揮者がよくみせる思い入れがない。つかみかたに曲折したものがない。いつも心から歌い出され、必然の流れのようにしてさまざまな局面へと入ってゆく。

例えば、同時代を生きたヨッフムの職人気質な"叩き上げた"演奏とはまるで感触が違う。

第1楽章はカラヤンらしいリズムの鋭さはあるものの、表現がごく自然で各パートが美しく整頓されている。

第2楽章ではウィーン・フィルの弦が魅力的で、音楽にふくらみといぶし銀の光沢を加え、第3楽章も明快で虚飾がない。

終楽章も音楽的に密度の高い自然な表現をもち、カラヤンはこの曲で彼の卓越した音楽性を珍しく素直に見せている。

鳥肌が立つようなカラヤンのリリシズムを堪能するには第2楽章のアダージョがお薦め。

ムーティをして「神の声を聴く」と言わしめたとされる演奏であり、それは同時に20世紀後半の楽壇をリードしてきた大指揮者カラヤンの栄光と孤独とが凝縮された、最後を飾るにふさわしい名演といえる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:45コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヴァルヒャは、視力の障害ゆえに、作品を学ぶ際にはすべて暗譜しなければならなかったが、不屈の意志を貫き、家族の協力も得て、ついにバッハのすべてのオルガン作品とチェンバロ作品を暗譜した。

そして、バッハのオルガン曲の全曲演奏を、モノーラルとステレオの2種類で残したほか、チェンバロ曲の大半も録音した。

彼の歴史的偉業であるバッハ・アルバムには、風格豊かにして感動的な演奏と共に、生涯をバッハに捧げたこの大家の深い精神性が刻みこまれている。

座右に置き、折に触れて長く楽しみたい愛聴盤を選ぶとすれば、その中にぜひ加えなければならないのがこれ。

バッハが生涯の最後に到達したフーガの"構造美"を際立って高い水準で余すところなく味わわせてくれる。

バッハの対位法が虚飾なく厳正に構築されたなかに、ヴァルヒャの生命力豊かで力強い表現が息づく。

《フーガの技法》でバッハは楽器を指定していないが、筆者は、同系統の音色をもつこと、長い音価を得られることが声部の進行をたどる上で最も無理がないと考える。

したがって、オルガンか弦楽合奏は効果的であろう。

ヴァルヒャの演奏はこの要求を満たしている上に、彼のバッハ解釈の特徴である有機的な構成力と、一つ一つの楽句から生き生きした情感を引き出す能力が、バッハの多声部書法から思いがけないほど豊かなイメージを表現し、作品が稀に見る想像力をもつことを実感させてくれる。

フランツ・カスパー・シュニットガーが製作に加わったアルクマールの聖ロレンス教会のオルガンの美しい音色と澄んだ響きも音楽の純粋な性格にふさわしい。

なお、未完のフーガはヴァルヒャ自身が補って完成させている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 02:36コメント(0)トラックバック(0)バッハヴァルヒャ 

2008年02月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

1963年の録音にもかかわらず、いまだにこれを超えるディスクは出ていない。

この曲の平凡な演奏は"寄せ集め"的印象を強めるが、この演奏は晩年のバッハが到達したポリフォニーの世界を一種の緊張感をもって再現している。

ピリオド楽器による演奏が興隆する以前に、決定的な評価を得ていたバッハは、かっちりとした響きと切れのいいリズムが大きな特徴である。

チェンバロ独奏、3人の弦楽器奏者、フルートとヴァイオリンと通奏低音など、小編成で演奏した《音楽の捧げもの》においても、各奏者がリヒターの意図を汲み、独特な緊張感が保たれており、指揮者として、カール・リヒターの名がひときわ大きくクレジットされていることが納得できる仕上がりになっている。

かつては、アプローチの峻厳さが取り沙汰されることが多かったものの、豊かに語りかけてくるニコレのフルートや盤石の通奏低音が印象的であり、今なお色褪せることがない名演が収録されている。

古楽器が復活され、その演奏がかなり広まってきたことには、それなりの意義はある。

しかし、それは、近代楽器によるバッハなどの演奏を否定できるものではないし、それによっては決して超えることができない世界があるということを、このリヒターらによる《音楽の捧げもの》が立証してくれる。

ニコレのフルート、リヒターのチェンバロをはじめとする通奏低音、マイネッケのヴィオラなどによって、そこに築かれた音楽の深さや大きさは忘れられていた"人間"の存在を、音楽家たちに思い起こさせてくれるに違いない。

特に「トリオ・ソナタ」は忘れ難い風格がある。

我々が求めるべきものは、数百年前ではなく、1960年代前半にさえあったのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:49コメント(0)トラックバック(0)バッハリヒター 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

カラヤンが最晩年に行なった破格の名演である。

だが最晩年といっても、演奏は十分な力強さと生命力を誇っており、決して枯淡の境地に分け入ったものなどではない。

偉大なる作品の全貌を余すところなく再現しようとした熱意が執念となって燃え盛っており、指揮台に立つカラヤンの壮絶な美学を目の当たりにするかのようだ。

しかも峻厳な高みに立つだけでなく、作品本来がその底に持つ豊かな歌謡性、情感のきめ細かさといったものも十全に味わわせる心憎い配慮があり、演奏はあくまでも美しく、しなやかである。

恐ろしく自信にみちた表現で、雄渾、壮麗、きわめてスケールが大きい。ダイナミックレンジが非常に広く、トゥッティでの金管強奏やティンパニの強打は凄絶この上ない。

楽譜の読みは細かく、深く、ディティールまで徹底した表情に味わいと意味深さが感じられる。

第3楽章は見事な表現である。ウィーン・フィルの管弦の美しさには形容の言葉もない。

第4楽章は実に克明に3つの主題の性格が表出され、テンポやデュナーミクもスコアの指示に忠実だ。コーダの壮麗さは比肩するものがない。

カラヤンは作品のドイツ的な強靭さをそのまま表そうとしているが、しかも本来の歌謡性はまったく失われず、それが感興豊かに音楽を流動させる。

同作品の複雑な構成についても、あたかも整然とした幾何学的な庭園を見せられたごとくまとめ上げているのもカラヤンならでは。

ウィーン・フィルが全力を注いでカラヤンの想いを音に変えており、その計り知れない実力と魅力に怖さすら感じてしまう。

いずれにせよ、カラヤンが最後に到達した晴朗な境地がここに示されており、彼の代表盤に挙げられる名盤である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:28コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



グールドがその視線を現代のピアニストとはまったく異なる方面に貪欲に投げかけていたことを示す隠れた名盤。

ゆっくりしたテンポで弾いて、思いのほか深く、しっとりとロマン的情趣に浸っている。

思い入れはグリーグよりビゼーの方がいっそう深く、強い。

ビゼーのピアノ独奏曲をここまで魅力的に聴かせるピアニストは、彼の他にまずあるまい。

シベリウスは非常に珍しいレパートリーだ。

3曲のソナチネはまるでロマン派の抒情小曲のように聴こえる。

シベリウスの換骨奪胎の作業が堂に入っているためで、それをグールドが巧みな表現で魅力ある音楽に仕上げている。

作品として優れ、聴いていてずっと面白いのは「キュッリッキ」で、グールドの感受性はところを得て自由に飛翔し、表現の多彩さ、ピアニスティックな効果、豊かな情感を楽しませてくれる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:53コメント(0)トラックバック(0)グールドグリーグ 

2008年02月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



再録音盤のS・マイヤーの演奏は旧盤よりも表情が柔らかく、美しく、味わいが深くなっている。

クラリネットの表情が豊かになり、またこの曲からさまざまなモーツァルト像を引き出すことに成功しているのだ。

マイヤーは肉厚の太い音と素晴らしいテクニック(ウィーン・フィル系のひとより相当巧い)で元気良く吹く。

第4楽章の変奏のいくつかはテンポの揺れと表情が大きく、聴き手によっては古典的均整が失われていると感ずるだろう。

しかし、そういう反発を承知の上でモダンな抒情を演奏の中に結晶させようとし、成功しつつあるのはさすがだ。

このモーツァルトの演奏を聴いて感ずることは、マイヤーのクラリネットが年を経るごとに素晴らしくなっていることだ。

彼女の吹奏には管楽器につきものの、風音や息音のような雑音がまったくといっていいほどない。

低音のppでも高音のffでも、透明で美しい響きをもっている。

ウィーン弦楽六重奏団員の弦楽ともよく溶け合い、大変落ち着いた表情で、心からモーツァルトの音楽を彫琢しているのが素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:26コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトブラームス 

2008年02月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



何も言うことがないくらい素晴らしい演奏だ。

切れ味鋭い演奏技巧を駆使したアルバン・ベルクならではの演奏で、力感を重んじた、すこぶるモダンなモーツァルトを生み出している。

音質が極めて均質で見事な和声的響きの流れを聴かせ、4人の音の溶け合いと同時に各声部の旋律線が明確に聴き分けられるのも、この演奏の特徴。

それぞれの音色の美しさを保ちながら、他声部の音と重なって生み出す最高に豊かな響きのなかで結びついているのだ。

この再録音では、1977年のテルデックへの旧録音と内声部のメンバーがすっかり交替しているが、それによって演奏そのものが大きく変わったわけではない。

しなやかで典雅で、おっとりとした歌いまわしに独特の味があり、それによってヒューマンな暖かさを伝えたウィーンの数多くの先輩たちの音楽作りとは違って、切れ味の鋭い演奏技巧で力感を重んじたモダンな演奏ぶり。

こうしたスタイルは旧盤と同様だが、ここではそうした彼らの特質に加え、ウィーン情緒をも強く漂わせ、肩の力を抜いて旋律を歌わせる。

いわば音楽の上で遊ぶゆとりを身につけたことを感じさせる。

最もすぐれたモーツァルト演奏のひとつに数えられるハイドン・セットだ。

第18番での美しい響きが、ことに傑出している。

アルバン・ベルク四重奏団がついに解散するというニュースは世界に衝撃を与えた。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:24コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトアルバン・ベルクSQ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アシュケナージは指揮の分野に進出してしばらくは、鳴かず飛ばずの状態が続いた。

やはりピアニストの余技かと思っていたら、このラフマニノフの交響曲全集でホームランをかっ飛ばしたのだった。

コンセルトヘボウの輝かしいサウンドもさることながら、何よりもアシュケナージの共感に溢れた曲へのアプローチが、聴き手の心を捉えたのに違いない。

ノスタルジックに旋律を歌わせる一方で、スケール感のある構成力にも冴えをみせた。 

アシュケナージはコンセルトヘボウ管の強固な合奏力を駆使し、これら3曲のオーケストレーションをそれ自体の特色を失わず明快に表出する。

その響きは深く、重厚で、各曲の表面を整えるばかりでなく、激しい共感をもってラフマニノフの劇性と抒情、ロシア的特質を表現している。

全体の造形も平衡感が強く、アシュケナージの鋭敏な感受性のことごとくが注ぎ込まれた秀演だ。

第2番はアシュケナージとコンセルトヘボウ管の初共演。

アシュケナージの類まれな音楽性と作品への共感が、素晴らしい演奏を作っている。

あらゆる楽句が感興に満ちて歌い、しかも対位法的な書法や重厚な和音が見事なバランスで表出されているため、すこぶる彫りの深い表現が生まれているのだ。

数多いこの曲のディスクの中でも、トップを争う出来映えといえよう。

これで一皮むけた彼は、指揮者として全世界的な認知を受けるようになったのである。

これは後世に残してしかるべき、素晴らしい名演と評したいと思う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:50コメント(0)トラックバック(0)アシュケナージラフマニノフ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



バッハを面白く聴きたければメンゲルベルクにとびつくに限る。

第2次世界大戦前夜の演奏会のライヴ録音で、少なからぬカットがあるが、記念碑的名演として知られている。

これほど人間的で、ロマンティックな演奏はほかにないだろう。

どこからみてもオーソドックスな演奏とはいえないが、実に自由奔放でロマンティシズムの限りを尽くし、くまどりが濃く、劇的な誇張が興奮と感動を呼び起こす。

メンゲルベルクの音の捉え方、動かし方はもはや奇蹟に近い。

彼には厳格なイン・テンポということがなく、感情の昂まりとともに波打つ血の流れのように、聴き手に熱さが伝わってくる。

ここには19世紀後半から20世紀初頭に生きた、まぎれもない真実の感情が波打っている。

世界最後のエヴァンゲリストといわれたエルプの名唱も新鮮な感動を呼びおこす。

メンゲルベルクはかなりのカットを行っているが、アカデミックにこの曲を聴きたい人以外には、これでも一向にさしつかえはない。

別項で紹介した、リヒターの1958年盤と共に必聴の名盤だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:30コメント(0)トラックバック(0)バッハメンゲルベルク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



手の故障から奇跡的な復帰をはたしたパネンカとスメタナSQの共演は1960年のシューベルト:「ます」以来。

同SQにとってはドヴォルザークは4回目、シューマンは2回目の録音で、その演奏は練りに練られている。

ちなみにドヴォルザークの第1回モノ録音のピアノがパネンカだった。

パネンカはプラハに生まれたチェコ・スロヴァキアのピアノ奏者である。

ソリストとしても活躍しているが、ヴァイオリンのヨセフ・スーク、チェロのヨセフ・フッフロとともにスーク・トリオを結成したり、スークと組んだデュオなど、室内楽の分野でも積極的な演奏活動をおこなっている。

彼は、大の親日家でもある。

ここではスメタナSQと組んでいるが、この名コンビが得意のレパートリーとしている曲だけあってさすがにうまい。

パネンカは、指の故障を克服した直後の録音だが、技巧的にもまったく心配がなく、以前にも増して深い味わいがある。

スメタナSQも一段と円熟味を加えているが、この演奏の成功は、パネンカの力による部分が大きいといえる。

彼は、表面はすこぶるノーブルな音ながら、針のように鋭く光るものを内に秘めており、そこに室内楽の極意を見る思いがする。

スメタナSQのアンサンブルは、相変わらず緊密で切れ味がよく、パネンカとの呼吸もぴったりだ。

ドヴォルザークでは、ボヘミア色を強く打ち出しつつも緊密なアンサンブルを保ち、シューマンでは、パネンカのピアノが一層の冴えをみせている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:59コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークシューマン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



バルビローリは生前シベリウスに深く傾倒していた指揮者で、シベリウスを得意としており、演奏にも定評があった。

これも魅力満点のディスクで、そうした彼の実力が最高度に発揮された実に見事な演奏。

バルビローリとハレ管によるシベリウスは、とにかく聴き手の魂に訴えかける強烈なアピールをもった名演だ。

そして、この管弦楽曲集は、まさにファンタジーとノスタルジーに溢れた名演であり、私たちをシベリウスのロマンと神秘の世界に深く浸らせてくれる感動的な演奏になっている。

シベリウスの音楽固有の素朴な味を大切にしながら、それぞれの曲の内面を深く掘り下げ、熟成した表現でコクのある音楽をつくりあげている。

そしてバルビローリはオケを自在にドライヴしながら、どの曲も表情豊かにまとめている。

ことに北欧的情感を豊かに表出した「悲しきワルツ」と交響詩「ポヒョラの娘」は秀抜。

ハレ管は曲によって演奏にムラのあるオケだが、このシベリウスは入魂の演奏といってよい。

ハレ管のアンサンブルは、一般的には決して高い水準にあるとはいえないが、その少しザラザラとしたサウンドを逆利用したバルビローリは、それによってシベリウス特有の寒色的で荒涼とした世界をリアルに描出することに成功を収めており、同時に生々しい生命を宿したホットな表現を実現させている。

管楽器群の鮮烈な音色も、この演奏独自の魅力として特筆される。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:28コメント(0)トラックバック(0)シベリウスバルビローリ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



いずれもショスタコーヴィチを得意としていたバーンスタインならではの名演だ。

第7番は1988年にバーンスタインが37年ぶりにシカゴ響の指揮台に立った時のライヴであるが、長年コンビを組んでいたのではと思わせるほどよく息が合っており、音楽的にもこれ以上求められないほど雄渾な表現だ。

演奏は作品にふさわしくスケールが大きい。

曲の細部まで彫り深く抉られ、音楽の意味が絶大な効果と凄みを伴って迫ってくる。

第1楽章から巨大な重量物が押し進むような推進力と充実した力感がある。

作曲時の状況や自伝的要素とは離れて、純音楽的なアプローチがとられている。

晩年のバーンスタイン特有の濃密な表現によって、作品が持つスケール、重量感を余すところなく描き出すとともに、叙情的な部分の美しさも的確に描き出している。

その雄弁さ、メリハリの見事さ、音彩のすばらしさ、息の長い盛り上がりは聴いていて圧倒されずにはいられない。

ロシアのスタイルからは一定の距離を置くものの、普遍的な説得力を持つ演奏だ。

第9番も洗練された表情と合奏美が、ロシア臭のない純音楽的なショスタコーヴィチを聴かせ、この曲のもつ簡素で新古典的な性格を素直に表現している。

冒頭から指揮者の堂々とした風格が示され、全体にデュナーミクや色彩のコントラストが強い。

バーンスタインのアプローチは痛快だし、ウィーン・フィルの鮮麗な音色にも魅了される。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:34コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチバーンスタイン 

2008年02月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

いずれも驚くべき秀演だが、特に第6番が素晴らしく、長大な第1楽章はかつてない抒情的豊かさにあふれている。

第2楽章も尖鋭な感覚にとってかわり、真摯に音楽の内部を抉り出す感があり、同時に構造をよく理解した立体的表現がつくられている。

終楽章の活力に満ちた演奏とともに、ウィーン・フィルも絶妙なアンサンブルを展開している。

ウィーン・フィルを起用しているせいか、ややロシア的な香りには乏しいが、バーンスタインらしい、情感豊かで、ダイナミックな表現である。

第1番はショスタコーヴィチの卒業作品として書かれた。

同作品は、いかにも若さが表出した才気煥発さが顕著な反面、とても19歳の青年が書いたとは思えぬ練達の筆法と手際のよさに舌を巻く。

バーンスタインは、この作曲家の天才的な能力を実際の音によって明らかにし、後年の作品を予感させる部分が数多くちりばめられていることを実感させる。

第2楽章のアレグロ楽想の俊敏極まりない軽妙さ、そして終楽章におけるレントとアレグロ楽想とが交差する構成の妙を鮮烈に際立たせてみせる。

ケーゲルのあの峻厳な表現とは違う、思いにまかせたような開放感がある。

どちらが本当の青年ショスタコーヴィチなのだろう。

このシカゴ響との共演はバーンスタインにとって実に37年ぶりのものとなった。

そうした両者の加熱したやり取りの面白さもうかがえる演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:12コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチバーンスタイン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



いずれもカラヤン唯一の録音で、彼の数多くの録音の中でも屈指の名盤とされている。

いずれもカラヤン一流の綿密な設計と巧緻な演出が光る卓出したもので、こうした《新ウィーン楽派》の作品演奏にも優れた手腕を発揮するあたり、さすがカラヤンである。

なかでも特に傑出しているのはベルク「抒情組曲」からの3章で、ベルクの音楽特性を的確につかみ、巧みな語り口で曲の持ち味をあますところなく表出している。ことにみずみずしくしなやかな第1楽章は絶品。

またウェーベルンの4曲も極めて質が高い。どの曲も造形のしっかりとした実に精緻な表現で、音の響きが大変美しい。

特に「管弦楽のためのパッサカリア」が素晴らしく、カラヤンは精妙な指揮で、この曲の持ち味をくっきりと浮き彫りにしている。

また「6つの管弦楽曲」は音色の変化が絶妙で、交響曲も一分の隙もなく緊密に仕上げられている。ベルリン・フィルも見事な演奏ぶりだ。

シェーンベルクではまず「ペレアスとメリザンド」の演出のうまさに魅せられる。造形のしっかりとした名演で、ベルリン・フィルもカラヤンの意図に十全にこたえている。

好き嫌いの差があろうが「浄夜」がすごい。きわめてシンフォニックなアプローチで、オーケストラは精密。しかも、むせ返るような情感に満ち、この曲を後の12音主義者シェーンベルクの最初期の作品というよりも、ワーグナー以降の後期ロマン派の残光を示す曲としてとらえている。後期ロマン派的な官能と陶酔を、実にしなやかに表現している。

そして、きわめて精緻に各部を描きつくしながら、全体に豊かな流れが少しも損なわれてないのはカラヤンのうまさであり、凄さだろう。

「変奏曲」もきわめて洗練された演奏で、微細だが適度に鋭くなりすぎることのない筆致で各声部を美しく解きほぐし、かつ織りなした色彩の変化が素晴らしい。9つの変奏を非常に精緻に比類なく描き分けている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:19コメント(0)トラックバック(0)カラヤンシェーンベルク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



いかなるところでも、例えば熱っぽいところでも躍動的なところでも、あくまでも洗練を失わない名演である。

音質もまことに澄んでいる。

しかも、ただ表面的に美しいというだけでなく、作品に即したエスプリも展開する。

しかも、中間楽章では耽美的ともいえるくらいにたっぷりと表情をつけている。

こうした演奏はおそらくハスキル主導型のためだろうが、グリュミオーもよく合わせている。

2人の音楽的呼吸が見事に合い、そこから生まれた音楽は、きわめてなめらかである。

ハスキルのピアノは、端正で、土台がしっかりしていて、柔らかい響きであり、グリュミオーのヴァイオリンは、豊麗で実によく歌わせている。

そこからは、古典的な格式もロマンも漂っている。

そこには哀愁もあれば、軽快さもあり、愛らしささえ感じる。

暖かいモーツァルトで、聴く人の心をなごませる名演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:51コメント(0)トラックバック(0)グリュミオーハスキル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

EMI盤はヴァイオリンもピアノも、ブラームスのロマンティシズムに共鳴しながら、ニュアンスに富んだ演奏を繰り広げている。

アシュケナージの熟達したピアノには、深い精神性の裏付けが感じられる。

パールマンも表情や音色を抑えて、音楽の核心に迫ろうという姿勢が好ましい。

特に、第2番は抒情性豊かな作品だけに、2人の昂揚した気分がみなぎった演奏で、一段と光彩を放っている。

実に情感豊かな熱気のこもった表現である。

ソニー・クラシカル盤はパールマンとバレンボイムという天才肌の二重奏ならではの味わいにあふれ、潤いに満ちたブラームスの世界が広がる。

パールマンの音には繊細な美しさに加えて、表情の落ち着きがあり、耳に極めて快い。

彼の音楽センスのよさは抒情的な歌の旋律を過剰に歌い回さないことにあるが、それでいて旋律は十分に表情豊か。

その点がバレンボイムの気質とも見事な一致をみせ、ブラームスの室内楽の本質的な美を引き出している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 05:16コメント(0)トラックバック(0)ブラームスパールマン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



わずか31歳の若さで亡くなったカペル(1922-1953)の録音を集めたもの。

ショパンのピアノ・ソナタ第3番が絶品だ。

ひとつひとつの音に確かな意味が存在し、それらが個々の楽章と全曲を通して有機的に結ばれている。

その集中力の統合力もさることながら、表現の多様さは特筆に値する。

特にラルゴ楽章中間部の歌謡旋律の、ある種の憧憬をともなった繊細な表現が素晴らしい。

すべての音からほのかに立ち上がってくる気品は、カペルの音楽の魅力のひとつだが、それが端的に表出されている。

鬼気迫る「葬送」ソナタも必聴の価値あり。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の鮮やかな切れ味ときらめくばかりの才気、一種ドライで硬質な表出力と稀有の躍動性は、カペルの若くして完成されたピアニズムを伝えてあまりある。

ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲も彼の最も重要なレパートリーのひとつなだけに、きわめてヴィヴィドな秀演で、新鮮なエネルギーと鮮明なタッチが感銘を誘う。

リストの「メフィスト・ワルツ」では、そのヴィルトゥオーゾ的曲作りが聴きものだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:05コメント(0)トラックバック(0)ショパン 

2008年02月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



私はアファナシエフのライヴに接したことがある。

それでこう思った。

アファナシエフの演奏で最も興味深い点は、常識的な解釈の様式を越えても、どうしても自らの納得のいく世界を引き出そうという意思がはっきりと表明されていることだ。

「展覧会の絵」は、単なる美しく見事な演奏とは全く異なっている。

音色の使い方やテンポ設定などに独自の感覚と思念が表れているのも興味深く、またそれに劣らず独創性に満ちた5つの小品が加えられているのも、このディスクの好ましいところだ。

アファナシエフの音質や、やや訥々とピアノを語らせてゆく様子は、これらの小品にはうってつけなのである。

多くの示唆に富み、ムソルグスキーの音楽に新しい光をあてる演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:16コメント(0)トラックバック(0)ムソルグスキー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



チャイコフスキーのコンチェルトは大柄なヴィルトゥオーゾの名演だ。

第1楽章序奏部は堂々とした威容を誇りながらも、テンポは速めで若々しさを失わず、しかもタッチの厚みと迫力は地響きを立てるがごとくで、楽器が完全に鳴り切っている。

また359小節からのソロだけの部分などは、まるでシェーンベルクの音楽を思わせる硬質の和音を響かせる。

第2楽章は逆にクールさがユニーク。

アバドの指揮もポゴレリチ同様、少しも隙がない。

ポゴレリチはこの作品と録音について「私の目標はチャイコフスキーが書いたピアノとオーケストラの心からの対話を示すことである。そこではパートナーシップが必要である」と語り、彼に同意しベストをつくしたアバドとオーケストラの全員に感謝している。

確かにこの演奏を聴くと、ポゴレリチの絶妙なピアニズムが指揮とオーケストラの巧妙なバックアップによって非常に効果を挙げていることがわかる。

ただ技巧を誇示した華麗さだけではなく、チャイコフスキーの情熱や叙情がみずみずしく新鮮に表現されているし、大胆ともいえるテンポやダイナミックスの変化による疾走感もすばらしく、滅多にないスリリングな魅力あふれる名演である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:56コメント(0)トラックバック(0)ポゴレリチアバド 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

サン=サーンスの第3番はチョン・キョンファのベストCDのひとつ。

この曲のフランス風のデリケートな感覚と、がっしりとした構成を、バランスよくあわせもった演奏である。

きわめて緊密な音楽づくりで、音楽の内面を深く掘り下げ、鋭く切り込んでいるのが特徴だ。

美しい音色で、情感豊かに、しかもほとばしるような情熱で弾きあげているところがすごい。

冒頭から異常ともいえる精神の充溢を実感させるその演奏は、きわめて高い芸術的感動を与えてくれる。

その表情の豊かさと大きさ、その情熱の凄まじさと生々しさ、それに対する女性的な優しさとデリカシー、まことに表現の幅が広く、以上すべてをチョン・キョンファ独特の体当たり的な弾き方で綴ってゆく。

ことに、第3楽章の有名な主題は、実にあざやかに歌わせている。

これくらい彼女の生の素晴らしさを伝えた演奏はなく、彼女の天才、その激しい情熱と雄弁な節回しを知るのには絶好のものといえよう。

フォスターの立派な立体感と音楽性も類例をみない素晴らしさだ。

現代にもこんなに精神的な演奏家が存在していることが嬉しくなるような、真の意味での名演といえる。

ヴュータンも曲は落ちるが演奏は全く同じだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 16:23コメント(0)トラックバック(0)サン=サーンスチョン・キョンファ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



デュトワの「オルガン付き」は緻密な設計が素晴らしい。

性格的な表現や推移も見事で、デュトワは率直に感興を表明しており、音楽が知的に整いながらも決して冷たくなることがない。

管弦のバランス設定も極めて精緻で、巧妙だ。

モントリオール響のフランス的な感覚がよく出た演奏で、サン=サーンスの音楽のもつ色彩的な特色を打ち出した表現である。

デュトワ指揮モントリオール響は、「どのオーケストラよりもフランス的」と評されるように、透明なサウンドと精緻なアンサンブルは素晴らしく、気品の高い典雅な解釈で、あくまでこの曲がフランスの音楽であることを実感させる。

ことに素晴らしいのは木管楽器の音色で、そのデリケートな表情とまろやかな響きがオルガンと調和して、ビロードのような艶と肌ざわりをもったトーン・カラーをつくりあげている。

これほどかぐわしい気分に満ちたサン=サーンスというのも、珍しい。

サン=サーンスの音楽的本質をこれほど的確に理解した演奏は滅多に聴けるものではない。

「死と舞踏」も要所をしっかりと押さえ聴かせ所を心得た好演。

「動物の謝肉祭」は作品の多様性を明快・率直に表出し、そのまま伝えている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:53コメント(0)トラックバック(0)サン=サーンスデュトワ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1979年バーンスタイン来日時の東京文化会館での迫真のライヴである。

これをさかのぼること20年前の彼の旧録音も素晴らしく、決して捨て去り難いが、当東京ライヴ盤は音質的により優れている上、臨場感とライヴゆえの熱気が聴き手をストレートに襲う点などを加味してこちらも推した次第。

大きな起伏をもった極めて充実感の強い表現で、その中からヒューマンな熱気がふつふつと湧き上がり、意志的な力と悲劇的な様相がたくましく描かれている。

バーンスタインの全身のエネルギーが演奏の全篇から放射され続けているかのごとき無類の生命力がこの第5最大のポイントだろう。

その響きは、そうした面を反映してか、多少粗野なところもないではないが、そこに自己の音楽を自在に飛翔させ、新たな未来を見据えたようなその演奏は、聴く者に新鮮な感動と希望をもたらしてくれる。

とくに第3楽章の精緻な抒情とフィナーレの迫力は圧巻。

第3楽章のラルゴの抒情性は悠揚とした流れで歌われ、バーンスタインの風格の大きさを反映している。

フィナーレの高揚し続ける音楽も見事だ。

その後様々な個性的ショスタコーヴィチ解釈が出現し、音質の鮮度も増しているが、それでもなお当演奏は他のディスクを突き抜けた個性を有しているように思えてならない。

ヨーヨー・マのチェロ協奏曲第1番は完成されきった逸品。

精妙を極めた音質と技巧・音程はマの独壇場で、オーマンディの指揮も相変わらず間がいい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:30コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチバーンスタイン 

2008年02月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

EMI盤はF=ディースカウの最絶頂期の録音で、いかにも若々しくみずみずしい歌いぶりが聴かれる。

特の「白鳥の歌」は、声のパワーとしては最高の状態にあるといってよく、1語1語その意味するところをつきとめようとする意欲がひしひしと伝わってくる。

円熟という点ではまだ距離があるにせよ、F=ディースカウは若い頃から完成度の高い歌を歌ってきた声楽家であり、その時々の録音を比べるのも楽しみというものだろう。

グラモフォン盤の「白鳥の歌」はF=ディースカウにとっては3度目の録音。

この後ブレンデルのピアノで4度目の録音を行っているが、声の状態はこの3度目のほうがはるかにいい。

特に後半のハイネの詩による6曲に示す理解の深さは驚嘆すべきものがある。

しかも、以前のものに見うけた過度の文学的傾斜は是正されている。

「別離」での言葉の誤り(62年のエンジェル盤のみ)ももとに戻っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:56コメント(0)トラックバック(0)シューベルトF=ディースカウ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

EMI盤はF=ディースカウが37歳の時の録音で、その声の最も充実した美しさが聴かれ、歌自体の表現にも若さがあふれている。

特にこの「水車小屋の娘」は、若者の青春の挫折をストレートに歌っているだけに、声の若さが必要なのだ。

ただ初回発売で収録されていた、彼自身の朗読によるプロローグとエピローグが入っていないのが残念だ。

F=ディースカウの「美しき水車小屋の娘」は、グラモフォン盤以前の彼の録音では後半が散漫だったのが、この録音ではぐんとしまり、最も正統的で安心して聴けるものになっている。

デュナーミクの対比も旧盤ほどではなく、表現が極めて自然でナイーヴになってきた。

声楽的見地からいっても洗練の極みに達しているのである。

何種かある彼の「水車小屋の娘」のベストといってもよい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:32コメント(0)トラックバック(0)シューベルトF=ディースカウ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



今なお輝きを失わない真に気宇の大きな演奏で、これらの作品の最高の解釈のひとつといっても過言ではないだろう。

SPからの復刻であるにもかかわらず、古めかしさをまったく感じさせない。

改めて聴くごとに、新発見したような新鮮さを味わうことができるのだ。

「大公」はスケールを保ちながら、ロマン的に歌わせることにもポイントをおいている。

シューベルトでは、表情やリズムが決して型にはまらず自在さをもっており、3人がアンサンブルを楽しんでいるのがよくわかる。

第1,2楽章がその良い例だ。

メンデルスゾーンでは、ややセンチメンタルで微温的な趣は遠く背後に退き、彫りが深く品格の高い世界が浮かび上がってくる。

シューマンも即興的でたぎるような情熱を込めた演奏が展開されており、十分に聴きごたえがある。

是非一聴を薦めたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:10コメント(0)トラックバック(1)カザルスコルトー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

第5番は、バーンスタイン初のショスタコーヴィチ交響曲録音だった。

同曲をバーンスタインは2度録音しているが、これは最初のもの。

当時彼はニューヨーク・フィルの音楽監督に就任してから間もない時期で、41歳という年齢的な若さもさることながら、演奏には覇気のほとばしりや気迫のこもった英気が滲み出ているのが容易に見てとれる。

この第5番はその代表的なものだが、彼の得意演目であったこともあって、冒頭から高いテンションの演奏が展開されている。

誠実な姿勢で率直に演奏されており、楽天性が前面に押し出され、それだけに聴きやすく、わかりやすい音楽になっている。

時として粗削りな表現がむき出しになってしまうところもあるが、表現力はかえって増すようにさえ思える。

バーンスタインにとって、このベートーヴェンの第5交響曲にも相通ずるような"苦悩をつきぬけて歓喜へ"の理念を思わせるような作品への共感がより率直に表出されていたのは、この最初の録音であるかもしれない。

それは、彼が実質的にまだ若かったということなのであろうが、オーケストラとの間の緊張感も含めて、その演奏にはライヴに匹敵するような強い気迫が感じられる。

ムラヴィンスキーの峻厳なイメージとは異なり、解釈は自在で溌剌とした気風に満ちており、いつ聴いても新鮮な感動と興奮を覚えさせる名演である。

第9番は純音楽的な明るさが強調された表現だ。

聴かせ上手な演奏ともいえるが、ディティールの表現を無理のないテンポで着実に表しており、それがしたたかといえるほど線の確かな音楽を作っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 17:29コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチバーンスタイン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ハイフェッツの至芸を凝縮したのが、ドイツのヴァイオリン協奏曲の傑作、マックス・ブルッフ(1838-1920)の手になる《ヴァイオリン協奏曲第1番》である。

すっきりときびしくまとめた演奏で、そこに抵抗を感じる人もいるかもしれないが、その完璧な技巧に支えられた表現の豊かさは、ハイフェッツならではのもので、ヴァイオリン音楽の醍醐味をたっぷりと味わわせてくれる。

すべての音符があるべき姿でそこにあり、当然求められるべき音量と音色、質感とカンタービレで最愛の歌に変えられている。

ハイフェッツにあっては技巧そのものが音楽なのであり、究められた技巧はもうただそれだけで聴き手を感動させるものであることを証明している。

演奏家の想い入れで作品をベタベタと飾り立てることなどなく、楽譜そのものが歌となっていく演奏である。

ことに《スコットランド幻想曲》第3楽章の上品で香り高い艶麗さはまことにセンス満点、このあたりはハイフェッツの独壇場だろう。

なんだか良くできたコンピューターが演奏しているみたいだが、コンピューターは汗はかかない。

だがハイフェッツは汗をかく。ただし見えないようにである。

唯一無二の天才の至芸はいつも冷たく、そして熱い。

しかしそれはほれぼれするような冷たさであり、その客観主義のお陰で聴き手は作品と結ばれたことを実感、感謝してしまうのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:22コメント(0)トラックバック(0)ハイフェッツ 

2008年02月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



《ワルキューレ》第1幕全曲は、クナッパーツブッシュがステレオで遺したスタジオ録音によるワーグナー演奏としてかけがえのないものだ。

不世出のワーグナー指揮者クナッパーツブッシュとウィーン・フィルの黄金バッテリーに、全盛期を過ぎたとはいえ、神のごときとまでうたわれたフラグスタートが加わった記念碑的録音。

表現の雄大なスケール、悠揚迫らぬその足取りには本当に感嘆させられる。

クナッパーツブッシュが比較的速めのテンポと粗いタッチで荒涼とした原風景を描いていく一方で、フラグスタートは、後継者のニルソンには欠けている、優しさ、か弱さ、可憐さといった要素を表すことにより、作品に彩りとニュアンスを添えている。

嵐を暗示する前奏曲からして、これ以上の演奏は望めないのでは、と思わせるほどだが、それに輪をかけてすばらしいのは、第3場の「一族の男たちが」以降における、ジークムントとジークリンデの愛の2重唱である。

《トリスタンとイゾルデ》や《ジークフリート》においても繰り返される、恋に落ちた男と女の熱にでも浮かされたような気分とその哀しさを、これほどみごとに表現した例はあるまい。

この作品を書くためにワーグナーという男は、いったい何人の女と手を取り合って咽び泣いたのだろうか、などと余計な想像まで働かせてしまう。

聴き手をそうした思いに誘うのも、クナッパーツブッシュがワーグナーの音楽の本質を抉り出し、突きつけるからであろう。

しかしワーグナー後期のこの作品のもつロマンティシズムと官能の陶酔にはいささか不足しているように感じられる。

が、ともあれ、クナのファンにとっては聴き逃せないものであることは確かだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:02コメント(0)トラックバック(0)ワーグナークナッパーツブッシュ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



戦後のチェコ・フィルの黄金時代を築き上げたアンチェルによる最良の録音である。

チェコ・フィルにとってもベストは、何といってもアンチェルとの盤だろう。

その自然でなだらかな、しかも彫りの深い表情は、この曲の最もスタンダードな名演と呼ぶにふさわしい。

アンチェルの表現は、各曲の持つ標題性よりはむしろ音楽の内面に光を当てているのが特色で、スラヴ民族の血の躍動を感じさせる。

アンチェルは民族色と同時に、現代的なシャープな音楽性も併せ持つマエストロで、それがいわゆる民族主義を超えた普遍的魅力を彼の演奏に与えている。

「わが祖国」もそんな魅力はいかんなく発揮されており、作品を緻密に再構築しながら、アンチェルは全霊を注ぎ込んだ熱演を披露、破格の劇的起伏と求心力とで聴き手を圧倒する。

それは穏やかな抒情の喜び以上に、どこか使命感すらたたえた白熱的演奏であり、全6曲それぞれから熱い生命の鼓動が聞こえるかのようだ。

アンチェルの演奏は、たんに母国が誇る名作を熱い思い入れで演奏するといった次元を越えた、音楽的完成度の高さが聴きもの。

精緻なアンサンブルと強固な造形意識からつくられる強く求心的な演奏によって、音楽そのものから自然に熱い劇性が生じている。

ことに「シャールカ」と「ブラニーク」の2曲は、その緊張感と吹きあげるような情熱に圧倒されてしまう。

チェコ・フィルも破格の水準にあり、クリーヴランド管弦楽団にも似た機能美すら感じさせる。

指揮者と楽員たちとの精神的な結びつきの強さが示された名演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:35コメント(0)トラックバック(0)スメタナ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

「アステリズム」が書かれてからすでに40年経ったが、武満の音楽で最も影響が大きかったのは、この時期の音楽ではないだろうか。

その意味でもう1曲加えるとしたら、73年の雅楽のための「秋庭歌」が挙げられよう。

前者のCDに収められた5曲は、ある意味では現代日本のオーケストラ音楽繁栄の礎石を築いた作品といえる。

小澤とトロント響の演奏も申し分ない。

「ア・ストリングス・アラウンド・オータム」は武満の晩年の作品で、ますます洗練された武満トーンになっている。

「ノヴェンヴァー・ステップス」「エクリプス」は武満が真にドビュッシーの後継者であり、ドビュッシーの今日的在り方をフランスに教えているかのような観すらある。

演奏では横山勝也の尺八と鶴田綿史の琵琶が、何より芸の力を感じさせ、「エクリプス」では磨き込んだ塗物のような光彩を放っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 16:42コメント(0)トラックバック(0)小澤 征爾 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

バッハはバックハウスらしい骨太のどっしりとした演奏だ。

表現上の見てくれにとらわれず、自分のタッチとスタイルで、さりげなく淡々と弾いていく。

しかし、その中でも歌うべきところは歌い、軽やかなリズムと動きが求められているところでは、それに対応する。

だから決して重すぎると感じることはない。

現在のピアニストでは聴けなくなったタイプの魅力と味わいのあるバッハだ。

ハイドンとバックハウスの組み合わせというのは意外な感じもするが、彼がハイドンを弾くと、そのピアノ曲が魅力的な音楽として楽しめる。

そのよい例が「アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ」、ソナタ第48番の第1楽章と、第52番の第3楽章だ。

ややロマンティックに歌ってみせるのが「アンダンテ」で、その他の曲はさらりと弾いて、ハイドンの異なる面を聴き手の前に引き出してくれる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:09コメント(0)トラックバック(0)バックハウス 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ