2008年03月

2008年03月15日


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1949年、わずか30歳の若さで飛行機事故に散ったジネット・ヌヴー(1919-1949)の事故1ヶ月前の文字通りの最後の録音。

ヌヴーの力強い精神と繊細な感情を備えた演奏がスケールの大きい演奏を生み出す。

ヌヴーのソロは独特の閃きに満ち、しかも魂の高潔さや第一流の演奏家だけがもつ格調を漂わせている。

このブラームスも明確なフレージングで演奏しながら、流麗な感触を漂わせており、楽器を完全に弾き切っていることが演奏に余裕をもたらしている。

第1楽章での表情の変化や、第2楽章での高いものに向かって羽ばたこうとする純潔さと、想像力豊かな個性を感じさせる温かな言葉、そして緊迫したフィナーレなど、聴く者を強く感動させずにはおかない。

ドラティの指揮も、スタイルの古さを感じさせる箇所はあるが非常に立派。

ベートーヴェンは、ヌヴーがスタジオ録音を残さなかっただけに貴重な記録である。

潤いのある音色が引き締まった表情と結びついて、冴えた気分と強い感情移入を生み出す。

スケールの大きさと優美な情感を兼ね備えた演奏は、この曲にふさわしい威厳と品位を感じさせる。

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1949年、飛行機事故でわずか30歳の命を閉じたヴァイオリン界のプリマ、ヌヴーの録音である。

とても女性とは思えないほど、逞しさと情熱とをあわせもった演奏で、隅々にまで恐ろしいほどの集中力をもって、燃えさかる炎のような音楽を作り上げている。

この録音はヌヴーの代表的名演として有名なもの。26歳のときの録音である。

天才的な演奏だ。

豊かなセンス、清らかな高潔感、滑らかな艶、格調高い気凛、純潔な混じり気のなさ、魂の強靭さ、自在な強弱、張りつめた迫力、心をこめきった内面性、ブラームスの第1楽章に耳を傾けただけでもこのような言葉がどんどん浮かんでくる。

シベリウスも全身で哀しみを訴える第2楽章の中間部が素晴らしく、またフィナーレはリズムと音色が心に食い込むようだ。

SP時代の録音なので音は古くなったが、いつまでも語りつがれるべき不朽の名演奏だ。

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2008年03月14日


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「グランド・ソナタ」が表現の幅の広い実にスケールの大きな演奏であり、ホロヴィッツの持ち味が存分に発揮されている。

「フモレスケ」は止まることを知らずにうつろいゆくテンペラメントの表情も豊かで、即興的な趣を感じさせる。

そうした自在感はほかの曲においても強く支配しており、いずれをとってもまさしくホロヴィッツからしか聴けないシューマンだ。

「子供の情景」は自由奔放、即興的に多彩な表現を繰り広げ、各曲の性格を浮き彫りにして楽しませてくれる。

「クライスレリアーナ」は磨かれた響きでシューマンのロマンの世界、耽美な世界を鮮烈に再現してみせてくれる。

「トッカータ」など珍しい作品も入っているが、どの曲もホロヴィッツがシューマンの曲をごく身近なものとして所有し、その世界で自在にシュピレーン(演奏・遊び)している。

そこに聴き手は思わず引き込まれてしまう。

そうした自然な語り口こそホロヴィッツ一流のものであり、曲の流れの読みもさすがで、シューマンの内へと向かう炎が見事に外側に反射・投影されている。

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2008年03月13日


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フランソワは最晩年にドビュッシー/ピアノ曲全集の録音に情熱を傾けたが、未完のままに終わった。

この「前奏曲」は、磨かれたピアニズムが線の明澄な音楽をつくっている。

フランソワは個性的な解釈で、例えば「アナカプリの丘」など、強弱の指示を大きく変更しており、各曲とも自由な表情づけが随所に行われているが、それが彼の場合は生き生きとして音楽的なのだ。

フランソワの音楽はフランスのエスプリそのものだ。

このフランソワのヒューマンな柔らかい響きによる演奏を聴くと、神経がほぐされるような気持ちになるから不思議だ。

例えばフランソワのフォルティッシモは、決して無機的に強度を強調するものではなく、ここではふくよかな《音》そのものがすでに音楽的なのだ。

ただ「映像」の第2集では、曲に濃厚な色彩があり、曲の趣を若干違ったもののように感じさせる。

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classicalmusic at 18:51コメント(2)トラックバック(0)ドビュッシーフランソワ 

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フランソワのショパンやベートーヴェン演奏における様式的違和感は、このドビュッシーに関してはまったくない。

それはドビュッシーの作品そのものが古典的様式を脱したものであることにもよるが、それ以上に作品と演奏がより親密な呼応関係にあるからだろう。

フランソワがドビュッシーの音楽の刻々の閃きをとらえてゆくさまは極めて新鮮であり、フランス的エスプリにあふれている。

ここではふくよかな《音》そのものがすでに音楽的だが、その表現はいささかも曖昧なところがない。

フランソワの表現は限りなくデリケートだが、デッサンはしっかりしていて、その音楽は録音でありながら演奏の一回性を強く印象づけるのだ。

1音1音がすべて十全な表情をもっており、手を取り合って自在に音楽を生み出していく、そんなドビュッシーだ。

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classicalmusic at 18:36コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーフランソワ 

2008年03月12日


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第5番はまことに気宇の大きい劇的なブルックナーで、マタチッチの作曲者に対する熱い共感が聴く者の心を強く揺さぶる。ハース原典版によるが、一部にマタチッチ独自の変更もあり、細部の表情にも個性的な工夫が施されている。線の太い表現にもかかわらず、ブルックナーの音楽が作る対位法的な線が巧みに整理され、オケも厚い響きの中で少しの乱れもみせない。宗教的感情を大きく歌い上げる第4楽章後半の表現は絶妙である。


第7番はいかにもマタチッチらしくどっしりと腰を据えた正攻法のブルックナー。チェコ・フィルの分厚い響きも深々としたオルガン的な厚みを感じさせる。作曲中にワーグナーの死を知り、その霊に捧げたといわれる第2楽章では、同じようにワーグナーを崇拝するマタチッチ自身の祈念の感情が濃く漂う。全曲を通しては抒情性と同時に劇的な緊張力があり、マタチッチのスケールの大きな芸風が伝わってくる見事な演奏である。


第9番はライヴながら演奏は素晴らしくよく整っている。第3楽章は数ある録音の中でも最高の演奏のひとつで、大きな呼吸でゆったりと流れ、ふくよかな表情が強靭な生命力を宿しながら少しも晴朗な趣を失わない。テンポの配分が的確を極め、対位法的な線が常に明瞭に表出されてゆくのがその理由だろうが、最後の13小節の神々しいばかりの美しさにいたっては形容する言葉もない。

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classicalmusic at 23:38コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーマタチッチ 

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第4番は1989年7月16日に没したカラヤンの最後の録音のひとつで、カラヤン3度目のブラームス/交響曲全集の完結篇。

解釈は伝統的かつ合法則的と感じられ、以前にあった自我の表出も影をひそめている。

冒頭からきわめて安定度の高い造形で、音楽が交響的かつ立体的になる。

第1楽章では旋律の表情が多彩で、しかもディティールの精確な表現が改めてカラヤンの音楽的な誠実さを示している。

第2楽章もすべてが自然で聴き手を納得させずにはおかない。

第3楽章では響きの重量感が活力に満ちた音楽を作り、カラヤンが最後まで壮年期のような生命力を持ち続けていたことがわかる。

終楽章も同様で、各部分の鮮やかな展開はまったく自然というにつきる。

また表面的に音を磨くことより、内部に心を向けているのがよく、見事に曲を自己のものとした演奏と感じられる。

これは、カラヤンが若い頃から愛してやまなかったブラームスの最高の演奏と評価したい。

カラヤンはハイドンの主題による変奏曲を4回も録音しているが、最も新しいこの演奏で、カラヤンらしい演出のうまさが最も徹底されていると思われる。

豊かな響きの中に旋律はしっかりと保たれており、精緻な合奏による微妙な変化は美しく格調も高い。

もちろんベルリン・フィルの優秀な機能性も大きく貢献しているだろうし、いずれの面から見ても完成度の高いものである。

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classicalmusic at 16:19コメント(0)トラックバック(0)カラヤンブラームス 

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第1番はカラヤンの同曲異演盤の中で、この盤が最高の出来か。第1楽章の荘重な序奏部からして気の入れようが違うようだ。この緊張感は造形的に充実した第1楽章主部のみならず、全楽章に一貫しており、中間2楽章の気楽な楽想においてさえも演奏に少しの弛みもない。フィナーレは、第1楽章と呼応して圧巻。カラヤン指揮下のベルリン・フィルのますますの充実ぶりには畏敬の念さえ感じる。


老境に入ったカラヤンは渋い風格を示しながらも、緊張と輝きを失わない。第2番第1楽章では主題が確信に満ちた表現をつくり、落ち着いた情緒と豪快な力感の交錯する音楽をつくる。第2楽章は最もカラヤン的な部分で、全体の起伏が大胆かつ新鮮。終楽章は劇的で壮大な演奏だ。「ハイドン変奏曲」も作品を完全に手中にした好演で、堂々とした趣があり、格調が高い。全体の起伏と統一感も実に見事なものだ。


第3番はきわめてくせのない、ドイツ的ともいえる堅固さをもった表現である。冒頭からリズムが明確で、そのために強い推進力があり、80歳の高齢とは思えないほど音楽が溌剌と躍動している。各主題の明快な変転、歌と律動が混合する魅力は、ブラームスの書法を知りつくした結論といってよい。第2楽章も妥当なテンポで旋律を情緒豊かに歌わせている。第3楽章のいぶし銀のような響きと表情の豊かさ、終楽章の線の太い重厚な表現もカラヤンならではのものといえる。

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2008年03月11日


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ブル8は、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、ヨッフム、テンシュテットなど、昔からドイツ・オーストリア系の巨匠たちが名演を残してきたが、ギュンター・ヴァント(1912-2002)が2001年、即ち89歳のときにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したライヴ盤こそ巨匠芸術の真骨頂を見せた記念碑的名演ということになろう。

ただ単に老練な至芸というだけではないし、オーケストラがベルリン・フィルだからというのでもない。

作品をまさに血とし肉としてきた一人の指揮者が、敬愛する作品の世界を無垢なる姿で生き抜いている、その姿が感動的だからである。

決して枯れてなどいない。いや初々しい生命の息吹と前進していく音楽の熱い鼓動がみなぎっている。

しかもヴァントの素晴らしさはそうした生命力の誇示が目的なのではなく、実はそこから彼の音作りがスタートしている点であり、経験豊かな指揮者だけが発掘することのできる感動の新しい領域を聴き手に披露し、堪能させてくれる点にある。

ある小説に、「人間80歳を超すと化け物になる。見えなくてもよいものまで見えてくるのだから…」といった表現があったが、その見えない感動の領域までヴァントは聴かせてくれるのである。

指揮者は不思議な存在だ。60歳を超えて一人前などと言われるが、この演奏を聴くとその真理がわかってくる。

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classicalmusic at 23:47コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

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マークはこの録音によって名高い指揮者で、《スコットランド》といえば、マークの名が出るほど、昔からこの曲を得意にしていた指揮者である。

《スコットランド》の名盤というに留まらず、レコード史上に燦然と輝く金字塔である。

録音がやや色褪せているのが残念だが、演奏は大変素晴らしく、とりわけ弦楽器の響きが繊細で艶があり、細部の表情も丁寧に行き届いていて美しい。

《スコットランド》は冒頭の序奏からしっとりとした風情があり、細やかな表情の間から漂う哀愁が心を打つ。

主部に入るとさらに堂々とした力強さが加わって、この曲のロマン主義的魅力を余すところなく伝えている。

全体にゆったりとしたテンポで、深々と旋律をうたわせており、作品のもつ幻想的で哀愁にみちた味を、ごく自然に表出しているところにひかれる。

マークとロンドン響の《スコットランド》が優れているのは、聴く人の胸に初恋のときめきに似た甘く切ない心を呼び起こすところにある。

これは、テンポがどうだとか、どこにアクセントがあるとか分析しても始まらない。

マークの純粋な感性が、メンデルスゾーンの魂の波動と重なり合って、奇跡のときを生んでいる。それをともに体験するだけだ。

「真夏の夜の夢」は繊細な中にもメリハリの効いた秀演である。

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classicalmusic at 15:20コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーン 

2008年03月10日


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ヴァントは北ドイツの伝統を受け継いだブルックナー指揮者として、比類のない存在である。

この第7番も3度目の録音だが、ベルリン・フィルへの客演の緊張感が圧倒的な演奏の感銘につながっている。

毅然とした古典的造形とロマン的情緒の両面が満足された表現だが、細部の明快な処理も際立っている。

しかも音が徹底的に磨かれ、そのすべてに判然とした意味を感じさせる。

もちろん第1楽章冒頭のあの長大な主題から、心にしみいるような魅力があり、自然な抑制をもった音楽が淡々と歌っている。

アンサンブルも凝集力が強く、そのため弦のプルトなど人数が少なく聴こえるほどである。

展開部の寂寥感や堂々としたコーダも素晴らしい。

第2楽章もゆとりのあるテンポで流麗に演奏され、粘りやくせがまったくない。

その格調の高さは、この指揮者ならではのものである。

第3楽章も同様で、洗練された表情が有機的に積み上げられ、強固な造形でまとまっている。

音楽が言わんとするところが、そのまま表出された印象を与える。

トリオも神々しいとさえ形容したい。

したがって、終楽章は堅固な起承転結で見事に構成され、あらゆる部分で晴朗な音楽が鳴り響いている。

それは枯淡ともいえる美感をもち、演奏として比類のない完成度を誇っている。

これはヴァントの数多いディスクでも最高峰のひとつと評価したい。

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晩年のマーラーを苦しめていたのは、愛妻アルマのあからさまな不倫だった。

「大地の歌」や第9交響曲でしばしば語られる「死の予感」とは肉体的なものではなく、精神的な崩壊だった。

アルマは性的関係のない長い歳月の当然の代償として、グローピウスを自分の正当な恋人だと考え、またマーラーはそのことを暗暗裡に知っていながら、2人の関係を認めざるを得ない悲劇的な状況におかれていた。

マーラーの肉体的な健康状態は、決して衰弱したものではなかったが、むしろ精神的には危機的な状態に陥っていた。

マーラーは1910年8月、自ら精神分析医ジグムント・フロイトの診察を受ける。

18歳年下の妻が自分の傍に居る事を、夜中じゅう確認せざるを得ない強迫症状と、もっとも崇高な旋律を作曲している最中に通俗的な音楽が浮かんできて、かき乱されるという神経症状に悩まされていたが、フロイトによりそれが幼児体験によるものであるとの診断を受けた。

最晩年のマーラーは、一種の退行現象に陥り、妻を母親と同一視し始め、実際アルマを、自分の母親のマリア、あるいはマリーと呼び始めていたとさえ言われる。

いずれにせよ、「男性作曲家」にとっての「女性」のもつ意味は、深く、かつ重いものであるのは明白な事実であり、この2人の場合はきわめて象徴的である。

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classicalmusic at 14:23コメント(0)トラックバック(0)マーラー 

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1998年のベルリン芸術週間におけるライヴ。ヴァントにとって4回目の第9番の録音にあたるという。

その後リリースされたシューベルトの《未完成》と組み合わせた北ドイツ放送響との日本でのライヴ録音も非常にすぐれた演奏だったが、完成度ではこのベルリン・フィルとのライヴのほうがわずかながら上まわっているように思う。

それはヴァントが見事に統率したベルリン・フィルの彫琢された音の威力と豊かな表現力に加え、音楽の自然な流れも大変素晴らしいからであり、誰もがこの交響曲が充分に完成された傑作であることを納得するに違いない。

カラヤンが没し、後継者アバドのもとで響きが軽めになったベルリン・フィルだが、ヴァントのタクトのもとではかつての重厚さを取り戻した。

やや硬質の音色による引き締まった音楽作りが身上だったヴァントの音楽に、虹色にもたとえられる微妙な色合いがさしてきた。

テンポの歩みについても細かな揺れが加わり、それが独特の美しい陰影を織り成している。

スケールの大きさ、音楽の深みは比類がない。

第2楽章にはわずかな不満が残るとはいえ、ベルリン・フィルの歴史に残るブルックナー演奏だ。

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2008年03月09日


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ワルターはロマンティシズムの体験者であった。それは第1次大戦後の新しい音楽の流れに対してとった態度からも明らかである。

彼はシェーンベルクの「グレの歌」や「浄夜」には愛着を示しながら、十二音技法には疑問を投げかけている。

彼の次の世代の指揮者たち、クレンペラー、クライバー、フルトヴェングラーがかなり積極的に新しい傾向の作品を取りあげたのに対し、ワルターは消極的であった。

ただ彼のロマンティシズムは世紀末的なデカダンスとは無縁なもので、人間が本来もっている性格の一つとしてのロマンティシズム、言葉をかえれば人間性そのものであった。そのことはミュンヘン時代を回想する彼の言葉によく表わされている。

「戦争や革命や政治的な改造があったにもかかわらず、当時の世界は相変わらず、文学と音楽、学問と人間性がみずからのかちえた地位を主張し、十戒と人間的な良心が千年にわたるその支配権を行使できるような(中略)ものであった。それはわれわれの音楽が生まれた世界であり、人間精神の偉大な業績が作り出された世界だった。」(『主題と変奏』)

ワルターの芸術の本質が楽天的で、メランコリーであるにしてもペシミスティックな陰がないのは、それがこのような世界観、音楽観に根差しているからである。

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classicalmusic at 15:22コメント(2)トラックバック(0)ワルター 

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クレンペラーは妥協を知らなかった。自分の信念に忠実に音楽することがつねに彼にとってすべてで、周囲がそれをどう受けとるかなどということは、不思議なくらい、念頭になかった。

そんな人だったから、彼の生涯は、苦闘の連続だったらしい。彼が再三にわたる障害を克服したことはよく知られているが、怪我や病気は、彼が立ち向かわなくてはならなかったものの、ほんの一部にしかすぎなかったことだろう。克己の戦いを通じてのみ、クレンペラーは、自己を実現することができた。

こういう人の音楽であるから、誰にも気軽に親しめるというわけにはいかないのは、当然かもしれない。実際、クレンペラーの演奏はつねにかなり無愛想だし、感覚的な魅力も、しばしば欠けている。多彩な音色美だとか、水もしたたるような歌わせ方だとか、躍動的なリズムだとか……。

だが、私は、それらに十分引き換えうるだけの実質を、クレンペラーの演奏はもっていると思うのである。わかりやすい啓蒙書にくらべ、難解な哲学書に、じつは深い内容が盛りこまれているように。

啓蒙書はもちろん必要だが、世の中がみな啓蒙書になってしまったら、思索の精神は衰えるだろう。だが、本ばかりでなく、音楽においてもその徴候がみられるのが、現代ではないだろうか。時代に超然として、本質のみを掘り下げ続ける人というのは、もう、なかなか出なくなった。

そう考えると、クレンペラーという指揮者がいかに貴重な存在であったかが、改めて痛感されてくる。精神の健康を保つためには、クレンペラーの遺産に、これからも耳を傾けてゆきたいものである。

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2008年03月08日


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《ナクソス島のアリアドネ》は、聖と俗、芸術と娯楽をひとつのものに混ぜこんでしまおうという、R.シュトラウスの遊び心にみちみちた面目躍如の作品。

それだけに演奏は難しい。

カラヤンの1954年盤は、ケンペ盤と並ぶ歴史的名演である。

カラヤンのR.シュトラウスはいつも成功していた。

もっと多くのオペラを手がけなかったのが不思議だし、残念である。

でも《ばらの騎士》と《サロメ》とこの《ナクソス島のアリアドネ》を遺してくれた。

R.シュトラウスの響きと効果は、カラヤンによって完璧に達成された。

カラヤンの指揮と表現は、実に優美・艶麗・洗練をきわめたもので、このようにしなやかで生き生きとした演奏は後の余りにも巨匠的な表現からは到底望み得ない。

この精妙で知的なオペラに必要な様々な表現方法を、的確に雄弁に充たす結果となっているわけで、定評ある彼の《ばらの騎士》や《サロメ》にも劣らぬ、シュトラウスの不朽の名演に数えたい。

アリアドネを歌っているのはシュヴァルツコップで、やや妖艶にすぎる印象を受ける。

ツェルビネッタはリタ・シュトライヒ。彼女は清純な声で、細やかな表情づけも巧くこの役にとても合っている。

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classicalmusic at 19:59コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスカラヤン 

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クレンペラーの演奏には、大きな長所と、反面、大きな欠点があることがわかる。

また、彼の残した録音にはかなりの出来不出来があることも、わかってくる。

しかし、どの録音からも共通して感じられるのは、精神的な重量感とでもいうべきもの、ひたむきな求道心とも呼ぶべきものである。

例えばベートーヴェンの交響曲第7番の冒頭の和音を聴いただけで、これから進められるのが生半可な娯楽や慰安の音楽ではなく、人間の生きる努力と結びついた厳粛な営みであることが、ただちに感じとられる。

そこにはいつも、倫理的な緊張感が漂っている。

一言でいえば、クレンペラーの音楽は、「意志の音楽」であると思う。

たくましい、意志の音楽。

それも、並の人間をはるかに超えた、巨人的で根源的な意志の音楽である。

その意味でクレンペラーの個性は、作曲家でいえばベートーヴェンに近いところがある。

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2008年03月07日


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ブルックナーの交響曲第4番は、《ロマンティック》などという名称がついているせいか、たいそう高い人気をもっている。

当然ながら、それを収録したディスク類の数も多い。

いろいろな指揮者が、世界各地のオーケストラを指揮しながら、この交響曲のディスクを作っている。

そうした指揮者の中には1度ならず2度、2度ならず3度と、この作品を録音する者もいるほど。

指揮者ギュンター・ヴァントもそうである。

ドイツ出身の、このヴェテラン指揮者は、筆者自身が聴き知っている限り、これまでに4度、当交響曲を録音した。

第1回目はケルン放送交響楽団を指揮した1976年録音盤、第2回目は北ドイツ放送交響楽団を指揮した1990年録音盤、そして、ここにとりあげたベルリン・フィルを指揮した1998年盤、最後にミュンヘン・フィルを指揮した2001年盤の4種類。

これら4枚のディスクの演奏内容は、その基本的なアプローチの姿勢自体に大きな差異はないといっていい。 

どれもヴァントという指揮者の体質がよく出ており、質実剛健。

愛想のよさなどなく、容易にとりつく島がないような感じだが、いずれも素朴な力強さがあり、中身が濃い。

中でも、この3度目の録音盤は特にスケールが大きく、土台をがっしりと構築したかのような底力の強さが顕著に聴きとれる。

周囲を払うような風格をもっている演奏、とでも形容すればよいのかもしれない。

そこにはベルリン・フィルの力が少なからず作用しているのであろう。

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カラヤンによる唯一の《サロメ》録音で、当時ヨーロッパで脚光を浴びていたベーレンスのデビュー盤だった。

ベーレンスのサロメは、カラヤンの意図を十全に生かしつつ、それ以前のサロメ像を打破した記念碑的名唱である。

カラヤンのザルツブルク音楽祭での新演出の《サロメ》の主役として抜擢されたベーレンスは、それまでのワーグナーやR.シュトラウスのドラマティック・ソプラノと共通する玲瓏たる強声の音色を持ちながらも、より女性らしいリリックな音色をも併せ持ち、従来の「猛女」のようなサロメではなく、より妖艶で若々しいサロメ像を生み出した。

カラヤンのアプローチもベーレンスの採択で理解できるように、劇性と叙情性の共存する万全の演奏。

聴く者を完全に呪縛して放さない艶麗で陶酔的な演奏にもかかわらず、決してヒステリックな咆哮に陥ることなく、作曲者が望んだ通り、繊細な透明さをただ一瞬も失うことがない。

そしてウィーン・フィルの劇的表現の素晴らしさ。

カラヤン盤の幻想的陶酔と透明感とが共存する世界の与えてくれる官能美は、強烈な説得力を持っている。

満を持してカラヤンが録音しただけに、この作品のあらゆる要素を満たしつつ、そこに洗練の極みと呼べる気品すら漂わせているのは凄い。

カラヤンがサロメの理想像として発見したというベーレンスを始め、歌手たちも申し分ない。

バルツァのヘロディアス、ワルター=ベームのヘロデ、オフマンのナラボート、ヴァン・ダムのヨハナーン以下、全く隙の無い布陣が、カラヤン美学を支えている。

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2008年03月06日


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カラヤンが満を持して録音した名盤だ。カラヤンの同曲唯一の録音。

この曲にかけるカラヤンの熱意が伝わってくるかのような熱演である。

演奏は、ベルリン・フィルのすぐれた合奏力を最高度に生かして、精妙をきわめたもので、ドビュッシーの音楽としては、やや艶やかすぎるきらいはあるものの、この作品の幻想的な気分と劇的な迫力を十二分に表出している。

カラヤンが特別の意気込みと熱意を傾けており、それは何よりもまずベルリン・フィルの能力をフルに駆使した音の精妙きわまりない練磨と、デリケートな音色効果の発揮に向けられている。

緻密な管弦楽の精度の高さと音色の研磨は、カラヤンの音楽的な見通しとあいまって演奏のユニークさを際立たせており、抑制のきいたバランスの中からあふれ出る音楽的感奮の妙が、強い魅力を放っている。

この演奏は、カラヤンとベルリン・フィルが為し遂げたオーケストラ芸術の一つの頂点が記録されているといっても過言ではない。

完璧にコントロールされたピアニッシモの中で明滅する繊細なニュアンスの豊かさには、比較を絶するものがある。

音色の微妙な移ろいもさり気なく美しく行われ、知らず知らずの内に、この不思議な物語の中へと引き込まれてゆく。

歌手陣では、シュターデの繊細さと可憐さに満ちた名唱を筆頭に、ダムやライモンディの充実した歌唱が、カラヤンの作り出した独特の世界の中で見事なドラマを描き出している。

時としてカンティレーナが余りにも濃艶すぎたりするが、ともあれ、シュターデのチャーミングな名唱を含めて、CDで聴く最良の「ペレアス」であることは疑問の余地がない。

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classicalmusic at 19:20コメント(0)トラックバック(0)カラヤンドビュッシー 

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トスカニーニが生涯敬愛し続けた自国の大先輩ロッシーニの序曲集は、8曲ともそれぞれの曲の持ち味を存分に表出した見事な演奏で、練達の棒できびきびと運びながら、どの曲も明快にまとめている。

輝かしい歌と美しく強靭な生命力にあふれた、聴いていて手に汗握り、身の引き締まるような名演である。

みずみずしく生き生きとした表現には強く惹かれるし、イン・テンポで進めながらも歌わせるべき旋律は表情豊かに歌わせているあたりは、さすがトスカニーニならではの至芸である。

そうしたトスカニーニの厳しい指揮に見事な集中力で反応したNBC響の卓抜な能力も素晴らしい。

トスカニーニは、上記のようにロッシーニを得意としているのだが、それにしてもこの演奏はよい。

実に明快な演奏である。

トスカニーニは独特のリズムの硬さがあるのだが、それが特に「ウィリアム・テル」序曲ではマッチしている。

驚くほど表情が鮮やかであり、華やかな、透明な空気のアルプスの風景そのものを感じさせる。

この曲のCDでは、まずこれにとどめをさす。

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classicalmusic at 12:38コメント(0)トラックバック(1)ロッシーニトスカニーニ 

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ヴァントのブルックナーは、北ドイツ放送交響楽団との演奏で既にピークといえる高みに達していたが、ヴァントは1990年代半ば以降にベルリン・フィルに客演、まさに歴史的偉業と呼ぶにふさわしい名演を残し始めた。

第5番はその最初期の1996年ライヴで、巨匠は84歳に達していたが、ヴァントのディスクでは、このベルリン・フィルとのライヴが代表作といえる。

ヴァントとしては3度目の録音だが、まさに超絶的な名演で、威風堂々とした円熟の表現である。

終始、安定した歩みを見せながら、緊張感を保ち続けており、ニュアンス豊かな練りに練られた表情が、自然そのものの音楽を歌っている。

造形的にもまったく隙がなく、しかも気迫にみちた演奏が、指揮者の年齢とは無縁といえるほどのみずみずしさをもって生命の躍動を伝える。

巨匠は84歳に達していたが、冴えわたる視界の豊かさと揺るぎない統率力を背景に、深々としてみずみずしいブルックナーの世界を見事に打ち立てている。

妥協なき指揮芸術がついにたどり着いた名演というべきか、演奏芸術の頂点にある至宝というにふさわしい。

ベルリン・フィルの驚異的な名技と精緻なアンサンブルも素晴らしく、鎧の輝きではなく底光りするような心ある熱演でヴァントの要求に応えている。

ことに終楽章の神々しさが圧巻である。

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classicalmusic at 00:51コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

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すっかり聴き慣れた通俗名曲を手がけたトスカニーニは、しばしばそこから思いがけないほどみずみずしく新鮮な新しさを引き出し、私たちを驚かせる。

そして、その好例の一つが、この《新世界より》であるといってよいだろう。

《新世界より》は新古典主義的で純音楽的ともいえる表現で、さっそうたる演奏である。

トスカニーニは、とってつけたようなセンチメンタリズムを一切排して演奏している。

しかし旋律のカンタービレは、どれもはっきりと効いていて、十二分に歌っている。

しかも旋律の歌わせ方が洗練されている。

オーケストラのアンサンブルにも破綻がなく、楽器の特質がくっきりと出て、曲が立体的にさえ聴こえる。

作品の古典的形式感をドイツ的伝統や民族的な性格と関係なく表出したトスカニーニの解釈は、以後この曲の演奏を一変させた画期的なものだったが、その新鮮さは今でも失われていない。

NBC響のほとんど完璧なアンサンブルで綴られたこの演奏は、弾力性のあるリズム、力強くブリリアントな感情の高揚、磨き抜かれたカンティレーナの美しさ、輝かしい集中力の持続などが強烈なアピールを放っており、それは、常にフレッシュな感動によって聴き手を魅了せずにはおかないのである。

「ハーリ・ヤーノシュ」も端的な表現で一貫しており、作品のハンガリー的な民族性を赤裸々に表出している。

「モルダウ」は標題的な書法をあまり強調しない直截な演奏で、堂々とした巨匠的風格を表した好演だ。

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classicalmusic at 00:25コメント(0)トラックバック(0)トスカニーニドヴォルザーク 

2008年03月05日


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「シェエラザード」というのは、「アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)」の中に登場する才色兼備の王妃の名前である。

この曲はリムスキー=コルサコフが「アラビアン・ナイト」のもつ雰囲気を音楽としたもので、全4楽章からできている。

カラヤンはロシアものも大変巧かったが、この「シェエラザード」演奏などそのよい例だ。

カラヤンの演奏は、冒険をスリルと残虐と官能とが入り混じった「千夜一夜物語」をそのまま音で描きあげた絢爛たる絵巻物だといってよい。

全編をシンフォニックで華麗に仕上げながらも、そこに東洋的なムードを巧みに盛り込み、音による豪華絢爛たる絵巻を繰り広げている。

また《近代オーケストレーションの大御所》といわれたR=コルサコフの多彩な管弦楽法の特色をカラヤンは万全に表出している。

それほどカラヤンは、この曲の持ち味というものを的確につかんで表現している。

同時にオーケストラの技術のうまさにもほとほと感心させられるし、ヴァイオリン・ソロのシュヴァルベも錦上花を添える素晴らしい演奏。

ことに劇的にまとめた終楽章は圧巻だ。

併録のイタリア奇想曲や大序曲「1812年」も、カラヤン唯一の録音であるが、これまた全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏の凄さを感じることが可能な素晴らしい名演だ。

カラヤンは、大序曲「1812年」において、冒頭にロシア正教による合唱を付加している。

さらに終結部にも付加すればより効果的であったのではないかとも思われるが(デイヴィスやマゼールなどの演奏に例あり)、十分に堪能できる名演であり文句は言えまい。

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classicalmusic at 18:52コメント(0)トラックバック(0)カラヤンR=コルサコフ 

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これらの演奏はテンポ設定が実によく、その彫琢された音の響きは大変美しい。

ことに「ボレロ」は秀抜で、ややゆっくりとしたテンポで始め、クレッシェンドしていくに従って、しだいにテンポを速めながら華麗な音の絵巻を繰り広げていくあたり、ミュンシュならではの卓抜な手腕である。

また「マ・メール・ロワ」も精緻にまとめた秀演である。

「ダフニスとクロエ」もミュンシュ一流の造形のしっかりとした精緻な表現でが素晴らしく、綿密な設計と演出には舌を巻く。

精密機械のようにスカッとしたまとまりと、色彩感と柔軟さは、ラヴェルの音楽を底の底まで知りつくしたミュンシュと、完璧な技術を誇るボストン響との名コンビならではのもので、もしこれがほかのオーケストラだったら、これほど彫琢された見事な演奏にはならなかったであろう。

それに、何と新鮮で若々しい、そして圧倒的な迫力なのであろうか。

神秘的で情感豊かな「夜明け」や、熱っぽくダイナミックな「全員の踊り」など、ミュンシュならではの至芸である。

こうした演奏を聴いていると、いかにミュンシュがラヴェルの作品を愛していたかがよくわかる。

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classicalmusic at 14:15コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルミュンシュ 

2008年03月04日


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シノーポリは指揮者というだけでなく作曲家でもあったが、大学では精神医学も修めたことからも分かるように、音楽家としては異例の多彩な背景を持っていた。

作品をただ美しく、あるいは劇的に再現して終わるのではなく、作曲家の深層心理にまでメスを入れ、なぜこの作品は書かれなくてはなかったか、そこに秘められたメッセージの真意は何だったのかといった次元にまで分け入り、その疑問と回答に至る過程を演奏という再現行為でみせてきた指揮者と言ってよいであろう。

この演奏はシューマンの情熱を激しく感じさせる。

苦悩にみちた作曲家の筆を背後に秘めながら、精密極まる演奏が、シューマンの心の中を恐ろしいようにあばいてみせる。

ふくよかな金管の響きと、小刻みに動き廻る弦楽器のパッセージが特に印象的。

ここにはピアノ書式オーケストラに移したシューマン独特の面白さが実によく出ている。

ウィーン・フィルの超絶技巧なくしてはこうした絶妙な演奏はありえない。

深みにはまると動けなくなるが、シューマンの毒と罠が聴き手を羽交い締めにし、動けなくしてしまう怖い名演である。

シノーポリが起こした奇跡といえよう。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)シューマンシノーポリ 

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「未完成」は作品に内在する孤高の厳しさを清潔な音楽として表現した名演。

精緻という言葉がぴったりと当てはまる完璧な演奏である。

しかも堂々とした風格を持っており、セルの傑作のひとつといえるだろう。

すべてのフレージングは厳格に守られ、和声のニュアンスはオーケストラの奏者たちによって正確に描き出される。

これほどスコアの読みの深い「未完成」は滅多にない。

しかもそこに若々しいロマン主義の息吹きが常に新しく噴きあげている。

「ザ・グレイト」も端然としているうえに表情が生気に満ち、輝かしい。

明確な線を強く出して、ダイナミックに鮮やかな技巧をもって仕上げた演奏。

細部ではかなり表情の動きを巧妙にとらえて表現しているが、全体としては知的に整えている。

リズムも軽くどこにも重苦しいところがない。

第3楽章などは、そのセルのうまさを率直に表したものだ。

しかし、聴き進めるうちに機械的な動きが感じられ、それがまた冷たいと感じられる。

最盛期のセルの音楽をよく表した好演である。

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classicalmusic at 20:31コメント(0)トラックバック(0)シューベルトセル 

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1982年に75歳で世を去ったイギリスのピアニスト、カーゾンは、レコーディングの数が少なく、その実力のわりには日本ではあまり知られてなかった。

この演奏はそうしたこの人の真価を、十二分に伝えた名演奏である。特にブリテンとの第27番は折り紙つきだ。

この曲は「短調の協奏曲にみられるように、情熱的でなく、ひたすら諦観へと傾いていった」というアーベルトの言葉を思わせるように、典麗優雅なこの作品の内面にひそむ哀感を、すこぶる繊細な弱音効果を生かしながら、てんめんと表出した演奏である。

作曲家として名高いブリテンの精妙な指揮も、心に熱く訴えかけてくる。

その他では第24番が美しい。

清水のように透明な音色を基本に弱音を重視し、しっとりとした女性美を展開するが、何気ない虚無感の中から、モーツァルトの音楽が哀しいばかりの魅力を伴って流れてくる。

ピアニストの存在を忘れさせる演奏で、それにはケルテスの指揮も大きな力になっている。

他の曲も同じスタイルによるものだ。

カーゾンにはクーベリックと共演したライヴがauditeから出ていたが、そちらも名演である。

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classicalmusic at 03:19コメント(0)トラックバック(1)モーツァルトブリテン 

2008年03月03日


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映画「アマデウス」で、モーツァルトがウィーンの町を馬車に乗って走ってゆくシーンに使われたのが、この「K.482」のフィナーレである。

場面も明るく、音楽も明るいが、みていると哀しいという、本当に印象的なシーンだった。

明るければ明るいほど、なぜかモーツァルトは哀しくなる。

この無邪気なロンドに対比される第2楽章は比類もなく寂しい嘆きの歌。

バレンボイムの旧盤の演奏には、モーツァルトの愉悦と魅惑、そして痛切な哀しみと孤独感のすべてがある。

前者の例としてフィナーレ、後者の例として第2楽章のアンダンテが挙げられる。

ともかく全曲にわたって雄弁を極めた、最も天才的なモーツァルトがここにある。

本当に宝物のような、名曲の名演奏といえよう。

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classicalmusic at 17:19コメント(0)トラックバック(2)モーツァルトバレンボイム 

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アシュケナージのソロは、力強さとともに音の美しさが常に保たれている。ひとつひとつの音が磨きぬかれ、しかも人工的な感じがまったくない。

解釈も落ち着きと余裕があり、多くのピアニストのように感情の動きに押し流されることがない。

したがって感情の細かな動きが明快な造形と結びついて、充実したエネルギーを生み出す。

ハイティンク/ウィーン・フィルもスケールが大きく、優美な雰囲気で好演している。

4楽章とも遅めのテンポで演奏しているのが大きな特徴。これはアシュケナージがブラームスというロマン派の巨匠の音楽を、新古典主義としての局面よりも、ロマン主義者としての側面を重要視して捉えている証拠である。

指定のテンポを無視してキープしては、これだけ情報量の多い曲では、個々の音はどうしても飛ばして聴かれる傾向が避けられないだろう。

ハイティンクの入念極まる棒に従ったウィーン・フィルの演奏は、この楽団の最も得意とする所を充分に生かした名伴奏となっている。ピアノのパートを十全に浮かび上がらせて、一つ一つの音を、一つ一つのフレーズを、丹念に演奏している。

これとほぼ同じコンセプトが独奏パートにも認められるのだが、オーケストラ以上に情感豊かに、たっぷりとした音量で弾くアシュケナージのピアノには、後にも先にもこの曲で体験したことのない、ほのぼのと暖かな、しかも明るく多彩な色感が感じられるのである。

ブラームスにしては珍しいピアノピアニッシモのところでの繊細な表情には、ハイティンク独特の高度な洗練が感じられるのだが、独奏ピアノがこの情趣を引き継ぐ時、更に情感が深まるのが凄い。鍵盤楽器でこれだけのデリカシーが出るのは滅多にないことなのである。

こうした反面で、ハイティンクがソロのピアノを引き締めにかかって、フレーズの隅々まで行き届いた神経で、しかも全体の構図の中での各フレーズの価値付けが完璧なのである。

まことに良い相棒であり、これならアシュケナージとの絶妙なアンサンブルが実現して当然かもしれない。

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classicalmusic at 12:31コメント(0)トラックバック(0)アシュケナージハイティンク 

2008年03月02日


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モーツァルトは1778年のパリ旅行で、芸術の都の雰囲気に触発され、多くの傑作を書き残した。「フルートとハープのための協奏曲」もその一つである。

モーツァルトの作品の中でも、これ以上、雅びな音楽は例があるまい。

フルートは日本の尺八に似ている。ハープは琴に似ている。両者の掛けあいには、どこか東洋的な、わび、さびの世界が感じ取れる。

この曲は貴族のサロン音楽として書かれたのだが、モーツァルトは少しも手を抜かずに、エレガントな名作に仕立て上げたのである。

第1楽章は、フルートとハープの音色美を燦然と発揮させ、華美なメロティーに埋まっているが、第2楽章以下は前述のわび、さびをたたえ、わけてもフィナーレの見事さは、何度聴いても魅惑的だ。

特に中間部は愉悦と哀しみが不思議に混ざりあい、その複雑な味はモーツァルトを聴く醍醐味といえよう。

ランパルとラスキーヌの演奏はともにこれらの楽器の第一人者の顔合わせだけあって、その目のつんだ合奏と表情の豊かさは比類のないもので、聴くたびに、新たな魅力が発見できるような名演奏である。

第1楽章のオーケストラの序奏からして、聴き手をぐっとひきつける、柔和な表情とあたたかな音色をもっており、独奏とパイヤール指揮のオーケストラとのからみあいもすばらしく、エレガントな雰囲気をもっている。

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classicalmusic at 14:20コメント(0)ランパルモーツァルト 

2008年03月01日


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カラヤンは1967〜70年にザルツブルグ復活祭フェスティヴァルでの上演に並行して「指環」を録音した。

カラヤンの透徹した意志が全4部作を支配し、精妙緻密で洗練された響きの美しさから生まれる抒情性に覆われた、他に類を見ないユニークな「指環」だ。

しかもカラヤンの手腕の恐るべき点は、ゲルマン音楽の伝統的な心理のうねりと巨大なダイナミズムをも盛り込んでいることだ。その意志は歌手のひとりひとりにまで徹底し、絶妙の心理描写を全員が成し遂げているのである。

「ラインの黄金」は音楽自体のもつ一種の若々しい覇気と、壮大なドラマの発端としての可能性を秘めた率直さが、カラヤンの明快で壮麗な表現の中に見事にとらえられている。F=ディースカウのヴォータンは若々しい知能犯的な性格が面白い。

シリーズ第一弾の「ワルキューレ」は完成度のうえで多少の不満はあるものの、このうえなく精妙で美しい。従来のワーグナー演奏から余計な脂肪分を取り去ろうとしたカラヤンの意図は、ここでもはっきりと表れている。

「ジークフリート」は完成度のうえで最も素晴らしい出来映えといえる。精妙で透明なリリシズムの中に、ワーグナーの音楽の新しい姿と生命を発見しようとするカラヤンの意図は、ここでその頂点をきわめた。旧来のロマンティックな情緒過剰な表現とは無縁の室内楽的透明さをもつ抒情的な美のきわみがある。

「神々のたそがれ」はカラヤンの「指環」の最後を飾るもので、「ワルキューレ」から比べるとその意図も一段と徹底し、ベルリン・フィルの演奏にも、より雄弁な呼吸がうかがわれる。歌い手の出来にやや不揃いな面があり、「ジークフリート」ほどの完成度はないものの、その中ではみずみずしい情感にあふれ、しかも力強い緊張も兼ね備えたデルネシュのブリュンヒルデは素晴らしい。

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classicalmusic at 15:49コメント(0)トラックバック(0)カラヤンワーグナー 

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旧盤はカラヤンが完璧な技術を超えたところで、率直な人間ハイドンの神への感謝を受け取り、そこに作為を施さずに、音楽の命ずるままにハイドンと共働している。

緻密な描写力と、多分にシンフォニックだが各楽器の音色の絶妙な融合には、さすがにカラヤンの目配りの精緻さがある。

丁寧な音作りで、美しい音像としては最高。

オーケストラとコーラスは譜面に忠実にしかも説得力のある音楽を奏でている。

独唱陣はヤノヴィッツが清澄な声で天使ガブリエルを歌い、ベリーのラファエルも広い声域を駆使してアリアを立派にこなしている。

ウリエルは、ヴンダーリヒの不慮の事故死によりクレンに代わったが、これがヴンダーリヒの最後の録音となった。

合唱はまったく危な気なく、フーガなど見事な構築ぶり。

新盤は"ハイドン生誕250年"を記念して、1982年のザルツブルグ音楽祭でおこなわれたライヴ録音である。

これは、神々しいほどの輝きを放つ、歴史的名演である。

旧盤も壮大な名演だったが、この演奏は、前回とはやや異なり、この曲のもつ古典的な造型の美しさを表出している。

ウィーン・フィルのしなやかな響きにもひかれるが、合唱が圧倒的にうまく、各部の最後のフーガを巧みに歌い上げていて聴かせる。

独唱者ではマティスがよい。

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classicalmusic at 09:08コメント(0)トラックバック(0)カラヤンハイドン 

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レコーディングに積極的なカラヤンにしては珍しく、このオペラの最初の録音(1985年)で、彼の満を持してのものだけあって、演奏の質は極めて高い。

これはカラヤンの長い試行錯誤の末の解答に他ならない。

この作品を処理するのに必要な、しかしカラヤン美学の中にはそれまでなかった、言葉で表現できない《何か》がここには感じられる。

カラヤンは作品のドラマティックで悲劇的な側面に深入りしすぎることを慎重に制御しながら、その音楽の魅力と官能を、ドラマ・ジョコーゾとしての軽妙さの中に表現するのに成功している。

またキャストの充実ぶりも抜群で、バランスのとれた配役も非常に成功しており、歌手たちもカラヤンの意図を十分に実現している。

自分の意のままのキャスティングを組み、それぞれの歌手の実力を存分に発揮させながら、全体を劇的にしかも精巧に仕上げているあたり、さすがに帝王カラヤンである。

音域の違うバルツァのドンナ・エルヴィラをはじめ、独唱陣もみなみごとな演唱だ。

ジェフリー・テイトのチェンバロがきわめて気のきいたコンティヌオを聴かせていることを付け加えておこう。

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classicalmusic at 08:53コメント(0)トラックバック(0)カラヤンモーツァルト 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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