2008年04月
2008年04月02日
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カラヤンはベートーヴェンの交響曲全集を4回録音したが、第3回目のものはカラヤンとしては最盛期の、最も自己主張を強く表した時期のものであり、それだけに劇的で雄大、極めて個性的で何よりもカラヤン風である。その意味でも全9曲のそれぞれが興味深い。
総括的な特色を挙げると、まずカラヤンにおける管弦楽表現がほとんどソリストの芸術表現と同質のところまでいっているのが大きな特色である。
指揮者とオーケストラとの二元性のうえに管弦楽芸術が成立するという従来の常識的観念をこえて、さまざまな音楽をいかようにも引き出しうる一つの母胎が、自己の内部になんの摩擦もなく音楽を生産している。
実に4回目となる全集は、ベルリン・フィルの精緻な合奏力を駆使した、カラヤン一流の凄絶な気迫と透明度の高さを表した秀演である。しかし、これらの演奏では磨き抜かれた表情も決して外面的ではなく、それが豊饒な内面を映し出している。
特に「英雄」でのオケの精緻な合奏に感嘆させられる。現代管弦楽演奏の極限というべきで、それは管弦楽の室内楽的融合と形容したい。
カラヤンは以前よりも自我を抑え、各曲の構造と様式を明らかにした上で、作品そのものに語らせるという方法をとる。意外なあたたかさをもって作品の古典様式を着実に表出した見事なベートーヴェン演奏である。
第8番はカラヤンの主張が鮮烈に表される。冒頭から緊張にみちてオケを突進させるが、これは作品の可能性追求の結果なのだ。
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トスカニーニの影響があるといわれたカラヤンの演奏で、全9曲を通じてテンポにたるみがなく、表情は率直で演奏にむらがない。しかもトスカニーニの亜流的な演奏とは画然と異なり、その清新な表現は今も説得力を失わない。
第1回目のフィルハーモニア管との全集は、カラヤンの豪奢な演出力が強く効いた演奏である。それが鼻につく人もあるだろうし、それがために聴きばえのする演奏となっているともいえる。
しかし、カラヤンは音楽をよく知りぬいて、頭でも心でも感じて力強く表現する優れた音楽家であることも確かだ。オーケストラの技術もよく、立派な演奏ではある。
第2回目の初めてのベルリン・フィルとの全集は、カラヤンの劇的な表現力をベートーヴェンの要求の限界線までぎりぎりに押し進めた演奏である。
これから一歩出るとカラヤン臭くなる。その一線をしっかり踏まえたベートーヴェンである。
テンポにおいて、また表情の指示において、ベートーヴェンの要求を現代から考えて最も即物的と思われる方法において満たした、これは一つのスタンダードの演奏でもある。
この溌剌とした全集は、主観と客観が見事にバランスした好演集で、特に第1,2,3,6,9番が傑出した表現である。
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リヒターの演奏は、いわゆる歴史的な演奏ではないが、ストイックな表情できりりと引き締まった音楽を聴かせる。
その世界は極めて壮大で、堂々として威厳があり、ロマンティックな情感を持つが、決して恣意的なものではない。
音楽の作りはあくまでも緻密で、バッハのポリフォニックなテクチュアが鮮やかに描き分けられている。
強靭な精神力と壮大にして重厚な響きがことさらに印象深いその演奏では、オーソドックスなアプローチと格調の高さをもが大きな聴きどころとなっている。
年をとるにつれ、リヒターのバッハは伸び伸びとした趣を増し、その分威厳が薄れて身近に感じるものになった。
ひとつの時代のモニュメントとして貴重な価値を持つ演奏といえよう。
至極謹厳に弾き進んだパッサカリアとフーガ ハ短調BWV582は、リヒターを偲ぶのには忘れてはならない1曲だ。
コペンハーゲンのイエスポー教会オルガン、フライベルク大聖堂のジルバーマン・オルガン、アルレスハイム大聖堂のジルバーマン・オルガンの3つの楽器を使用している。
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いずれもトスカニーニの絶頂期の名演揃いであり、20世紀前半の管弦楽演奏が到達した最高水準の記録である。
ベートーヴェンは明快・端正で彫りが深く、しかも内面の緊張力と動感が凄まじく、今なお新鮮な感銘を与える。
ハイドンも古典主義的美感の極致といえるほど端麗な名演で、モーツァルトはレコード史上に残るこの曲の最高の演奏だ。
ハイドンはトスカニーニがニューヨーク・フィルの常任指揮者に就任した直後の録音で、ベートーヴェンは7年間勤めてきた常任指揮者の地位を辞任する直前に録音したレコードの一つ。
これらの曲目はいずれも後年のNBC響との録音でも聴くことができるが、NBC響との演奏は厳しく緊迫感のある表現となっている。
一方、ニューヨーク・フィルとの演奏は驚くほど自由な雰囲気をもっており、表現もこなれていて後年の演奏には見られない美しさがあり、一段と白熱的でもあった。
とりわけベートーヴェンは傑出した名演。
1951年のNBC交響楽団とのRCA盤も素晴らしいが、厳格すぎて自由な雰囲気が欠如している。
ニューヨーク・フィルの黄金時代に録音されたこの円熟した演奏とは比較にならない。
70年以上前の音ながら、充分に鑑賞に耐える録音である。
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2008年04月01日
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こうした曲を振らせたら、カラヤンは無類にうまい。
カラヤンは北欧の音楽を得意とし、「ペール・ギュント」を3度録音していたが、これは3度目だけに演奏もさることながら音質が実によく、詩情豊かなよく練り上げられた表現で、円熟しきったカラヤンの芸がこの演奏に結集している感がある。
「ペール・ギュント」は各曲の曲想をしっかりとつかみ、北欧的な詩情を豊かにたたえながら、それぞれの曲を精巧にまとめている。
抒情的な美しさにあふれた「ソルヴェイグの歌」、哀愁の気分に満ちた「オーゼの死」、奇怪な雰囲気を巧みに描出した「山の魔王の宮殿にで」など特に見事。
「ホルベルク組曲」でも、この曲のもつ北欧的な情感を色濃く表出している。
シベリウスの3曲も傑出した演奏で、カラヤン一流の演出のうまさと豊かな表現力に惹きつけられる。
この録音で5度目となる「フィンランディア」を始め、「悲しきワルツ」は4度目、「トゥオネラの白鳥」は3度目のもので、シベリウスの交響詩を演奏させたらこのコンビの右に出るものはいないといってもよい。
「フィンランディア」の雄渾で劇的な表現、「トゥオネラの白鳥」も描写がたくみで、後半の盛り上がりのうまさ、分厚い弦と完璧なアンサンブルに魅了されるし、「悲しきワルツ」の北欧的な詩情と哀愁の気分に満ちた描き方などは、本場の人たちの演奏よりも、さらにフィンランドの民族色と大自然とを感じさせる。
このあたり、まさにカラヤンの至芸である。
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クラウスはモノでもモーツァルト/ピアノ・ソナタをEMIに録音しており、そちらを評価する評論家も多いし、なかにはクラウスは若い時ほどよかったという人もいるのだが、私は後年の円熟した境地も捨てがたい。
モーツァルトの音楽を完全に消化し、同化しきった名演だ。
緩徐楽章に豊かな味わいがあり、速い楽章では独特のタッチによる音色の変化や即興的表情が印象に残る。
独特のアゴーギグがときに抵抗を感じさせもするが、その表現は作品の構造を深く理解した上での結論である。
第10番などとりわけ見事な演奏だ。
個性的な演奏様式を確立した独自の境地と言えるだろう。
この演奏は、モーツァルト弾きとして名を成したクラウスの到達点を示している。
若い時には晴朗たるモーツァルトを聴かせた彼女だが、ここではモーツァルトへの思いを率直に告白するスタイルに変わっている。
そしてヒューマンな感情がみなぎっており、それが聴き手の気持ちを豊かにしてくれる。
彼女の暖かな人柄が偲ばれ、追悼の念を強める演奏だ。
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