2008年08月
2008年08月31日
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このオペラの録音中、最高の顔触れを揃えた屈指の名盤だ。
イタリア・オペラの醍醐味は何といっても声によるドラマである。圧倒的な声の力によって生み出されるドラマ性が与えてくれる感銘は、人間の本能に近い部分の快感を刺激し、興奮させてくれる。
数多くのイタリア・オペラの中でも、主役に圧倒的な声を必要とする作品の最右翼は「トゥーランドット」である。
いかなる時でも玲瓏たる声の透明な美しさと、強さを失うことのないニルソンの歌唱は、唯一無二の"トゥーランドット歌い"と呼ぶにふさわしく、コレッリもニルソンに一歩も譲らぬ声の力と輝きを聴かせる。
なかでも2人による第2幕の謎解きの場面の興奮は筆舌に尽くしがたい。
トゥーランドットとカラフの2人の主役において、ニルソンとコレッリ以上の歌手は初演以来ひとりもいないし、これからも果たして出現するかも想像できない。
この超人的な声を必要とする役柄をこの2人は圧倒的な声で演じ上げている。
もう1人の主役リューを演ずるスコットの人間味に溢れた名唱もドラマに奥行きを与えている。
他の歌手も高い水準の歌唱を展開するが、それらの名手をM=プラデッリが見事にまとめあげている。
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2008年08月30日
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ボールトの『惑星』はいずれの録音も名演だが、この演奏はその最後を飾る彼の会心作である。
非公式の初演を振って以来『惑星』はボールトのトレードマーク的な曲だったが、最晩年に残したこの録音は、何の飾り気もなく音楽の深みを追求した演奏。
ド派手な演奏で録音の素晴らしさを売りものにする演奏とは対極的である。
本来この曲は「宇宙時代が云々」といったことではなしに星占いをヒントに創作されたものなので、各曲の性格分けが大きな演奏のポイントとなる。
ボールトは「余計なことは何もしない」ことで、曲の本質を曲自体に語らせているのが見事だ。
名優がその存在を忘れさせ、主人公になりきるのと同じことか。
「火星」や「木星」のダイナミックな表現もさることながら、しみじみとした情緒にあふれた「天王星」や、神秘的でデリケートな音色の美しい「海王星」が特に出色で、最晩年のボールトの老熟した味が光っている。
また遅めのテンポで音楽の量感を出している「土星」、自然なフレージングでよどみのない「金星」なども秀逸。
エルガーの『エニグマ変奏曲』は各変奏曲を巧みに描き分けつつも、エレガントさをいささかも失うことがない風格の豊かな音楽は、大指揮者ボールトだけに可能な至高の表現であり、同曲の演奏の理想像の具現化と言ってもいいのではないだろうか。
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2008年08月29日
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クーベリックは、スメタナの「わが祖国」全曲は、ライヴ録音も含めて実に6回録音しているが、ドヴォルザークの「スラヴ舞曲集」は、このほかには1955年のウィーン・フィルとのモノーラル録音があるだけである。
しかし、それが決してこの民族舞曲集を軽く見ていたためではないことは、祖国に対するクーベリックの熱い思いがいきいきと格調高い表現をもって歌われた演奏を聴けば明らかだろう。
もっと民族色を強く打ち出した演奏も少なくないが、クーベリックは、作品たちが本来もっている生命力や民族的な味わいを、爽やかな集中力をもってのびやかに再現するとともに、音楽のすみずみなで、いかにも美しく洗練された表現を無理なく行きわたらせている。
これ以外はないと思われるように自然で、巧みな緩急の変化や、哀調美しい歌と溌剌としたリズムの弾みなど、まさにクーベリックならではのもので、何度聴いても感嘆させられるに違いない。
特に、作品46の第2番をはじめ、メランコリックで牧歌的な調べの味わいの深さは格別である。
そうしたクーベリックの指揮に、バイエルン放送交響楽団がまったく間然するところのない見事な演奏で応えており、温かく柔軟な響きと、いたずらに華美になりすぎることのない品格の良い色彩も、演奏にいっそう美しい味わいを添えている。
数ある「スラヴ舞曲集」のレコードの中でも、最も音楽的に洗練された名演というべきだろう。
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2008年08月28日
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メンゲルベルクの芸術を知るのにもってこいのディスク集である。
19世紀ドイツ・ロマン派音楽を最もよく体現したのが、メンゲルベルクの解釈・演奏であると断言しても過言ではあるまい。
スコアが要求するものから逸脱こそしないが、許容範囲内で、彼は自由に旋律を唱い、リズムやテンポを自在にコントロールし、いやが上にも曲想を盛り上げた。
スケールは大きく、正しく雄大な気宇を持った意気揚々たる演奏は、聴いていて心地良い。
精神的骨格ががっしりし、神経は太く、迫力豊かで、豪放磊落、大人の風格十分である。
半面、感情を沈潜させ、あるいは細やかな情緒で豊かに歌い上げ、繊細な神経を張り廻らせ、抒情をないまぜる箇処は、まるで別人の様であり、この硬軟両面の使い分けは見事である。
メンゲルベルクはクナッパーツブッシュやフルトヴェングラーの様な魔術師でもなければ、催眠術師でもない。またワルターの様な倫理的瞑想家でもない。
彼は目を爛々と輝かせ、威風堂々、辺りを睥睨しながら、肩で風を切りつつ、壮大な男のロマンを唱い上げながら、また道端の名も知れぬ、密やかに咲く小さな花を愛でつつ、大股で颯爽と闊歩する男らしいロマンティストなのである。
欲をいえば、愛弟子ワルター以上にマーラーの高い評価を得たメンゲルベルクのマーラー演奏の録音をもっと残してほしかった。
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2008年08月27日
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定評のあるアラウのベートーヴェンだ。
アラウが円熟の域に達し、ベートーヴェンをはっきりとレパートリーの中心に定めた時期の録音である。
この作曲家の作品はアラウのレパートリーの中核を成すもので、それだけに練りに練った演奏を聴かせる。
アラウのベートーヴェン演奏の特徴は、悠々迫らずという表現の大きさにあり、ここでもアラウは、いわば信念のようなものを鳴り響かす。
そこには小手先の解釈上のアイディアはみじんもなく、それだけに骨太で、ヒューマンな表現に満ちている。
覇気と生気に満ち、テクニックも強靭そのもので、実に完成度の高い音楽を聴くことができる。
解釈も過度のロマンティシズムに陥ることなく、格調ある表現の内に高い精神性をたたえて、いささかも揺らぐことのない世界を開示している。
アラウは数少ない、伝統的なドイツ音楽の継承者だったが、この全集を聴くと彼自身がそのことを強く意識して、全集録音の意義をその点に置いているように感じられる。
そのため演奏は極めて厳格だ。
彼は決して恣意的に振る舞わず、純粋に音楽の構造そのものに発言させようと神経を集中しているのである。
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2008年08月26日
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交響曲ハ長調は1959年のステレオ録音だが、すでに歴史的名盤といってよいだろう。
1930年代に発見されたこのビゼーの若書きを今日のようにポピュラーにしたのはビーチャムだそうだが、それを裏付けるようにこの演奏も大変に素晴らしい。
ビゼーの没後80年目に初演されたビゼーの若書きである交響曲ハ長調は実に愛すべき作品でビーチャムは春を想わせるような、この曲の性格を美しく引き出している。
1879年生まれのこのイギリスの巨匠の最晩年の演奏だが、いま聴いても不思議なほど若々しい香気があり、エレガントで洒落た表現も大変に味わい深い。
オケがフランス国立管であることも、この演奏の色彩を美しく新鮮なものにしている。
手兵ロイヤル・フィルとの「アルルの女」も、ビゼーの音楽を愛したこの大人ならではの巧まざるウィットとエスプリに富み、聴いていてほのぼのと頬が緩んでくる。
「アルルの女」ではビーチャムが育てたロイヤル・フィルの木管および金管(特にホルン)のソロがまろやかで筆舌につくしがたい魅力を放っている。
アンサンブルのまとまりもORTFをしのいでいるのも面白い。
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2008年08月25日
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交響曲は、オーマンディの数多い録音の中でも注目すべきものだ。
演奏は平衡感が強く旋律を存分に歌わせ、音楽的な充実感が作品の魅力を直接的に感じさせる。
しかも終楽章は熱気にあふれ、曲をじりじりと高みに押し上げてゆくさまが素晴らしい。
作曲者がオーマンディの演奏を絶賛したと伝えられるのも不思議ではない。
ヴァイオリン協奏曲は、ヴァイオリンという楽器がもつ限りない表現力に圧倒される破格の名演である。
確かにオイストラフが最も充実していた時期の録音だし、世代交代の点でも向かうところ敵なしの状況下の自信に満ちた演奏ではあるが、この恰幅のよい、男らしい表現は前人未踏の境地であり、ヴァイオリンの新たな可能性を切り開いた画期的録音として今なおレコード史上に君臨している。
しかもオイストラフの演奏には、この協奏曲に込められた寂寥感や幻想味といったものも心憎い巧さで盛り込まれており、味わいの豊かさの点でも申し分ない。
シベリウスらしい北欧の香りにはいささか乏しいが、弱音を重視した流麗な演奏であり、オイストラフがこの音楽に身を捧げているかのような愛情が感じられる。
特に、第2楽章の哀調や、ほとばしる情熱が聴きものだ。
オーマンディの指揮も充実、平板に陥ることなく、演奏をドラマティックに盛り立てて聴き手を離さない。
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2008年08月24日
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病気のため現役を退くことを余儀なくされたテンシュテットが、引退直前に残したライヴ。
テンシュテットは1970年代から80年代にかけて録音したマーラーでも、過剰な感情移入を排し、ひたすら作品の本質に迫る卓越したアプローチを見せていたが、病魔のため今度はいつ指揮できるかわからない状況のなか、ここではまるで何かにとり憑かれたような、いっそう圧倒的な演奏を聴かせている。
マーラーがこの曲を作曲したときと同じような心境に追い詰められたテンシュテットの大仰ではない、真に深い苦しみが刻印された第6番、難解な作品の全貌を解き明かし、一貫した論理によってまとめあげた第7番といずれもこの指揮者ならではの名演である。
「悲劇的」では、感情の制御と意識の集中の見事な均衡が両端楽章での演奏を、名優、名脇役が出揃った見事な演出の名舞台を見るような気持ちで聴かせる。
スケルツォでのグロテスクなものと愛らしいものとの頻繁な転換に対応した見事な表情変化は、テンシュテットならではの至芸だ。
情熱的燃焼が、マーラーの感情と形式に見事に重なり合いながら、スコアの指示から逸脱しないところに彼の近代性がある。
「夜の歌」は、この作品がこれほど甘美な旋律に満ちた作品であることを、改めて発見させてくれるような演奏である。
テンシュテットのマーラー像は、人間臭く、あたたかく、耳に快い。
ここには心にしみ入るような情緒が素直に表されており、それが聴き手を魅惑せずにはおかない。
マーラーの中にある感傷が、これほど純粋に表現された演奏は珍しい。
ロンドン・フィルの響きは実にまろやか。
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2008年08月23日
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セルはしばしば厳格主義者といわれるように、その演奏は細部にまで徹底された室内楽のような精緻な響きと厳しい造形が特徴的であり、そのためにロマン派の音楽などでは、禁欲的ともいえるほど抑制された表現が物足りなく感じさせることもあったのだが、最晩年にはかなり変わり、表現もより開放的になってきた。
そうしたセルのいい意味での変化が最も端的に示されているのが、このドヴォルザークであり、精緻な構成に加え、従来より開放的な響きで旋律ものびやかに歌わせている。
そのために表情もしなやかになり、この交響曲にみなぎる民族色やロマン的な情感などもみずみずしさを増している。
第8番は、セル最晩年の晴朗な境地を表しており、以前の演奏よりスケールが大きい。
しかも自己主張を以前ほど抑制しなくなったためか、演奏に暖かさが加わっている。
ことに第3楽章の流麗な旋律の歌わせ方は実に素晴らしい。
もちろんクリーヴランド管弦楽団のアンサンブルは、この楽団の歴史上、最高水準にあるといってよく、実に感動的で音楽的な演奏だ。
2曲の「スラヴ舞曲」も、ゆとりと味わいを感じさせる佳演。
味わい豊かな格調高い名演といえよう。
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2008年08月22日
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ヴンダーリヒの若さをすべて集めた、一大記念碑である。
この時代のドイツでは、まだイタリア歌劇はドイツ語で歌われることが多かったためか、アリアは原語ではないが、ヴンダーリヒの魅力はもう言葉では超えてしまっている。
艶やかな声、たっぷりとしたフレージング、下から上の声域まで1本でムラのない発声、そして明るい響きなど、これほどまでに輝かしく、生命の喜びを伝え切ったドイツのテノールは他にいない。
1966年、ヴンダーリヒがまだ36歳という若さで不慮の事故のために世を去ってしまったのは、あまりにも残念なことだった。
ドイツ系で彼に匹敵するテノールは、少なくとも彼の後には現れていないといっていいだろう。
ヴンダーリヒが録音した「美しき水車小屋の娘」や「詩人の恋」は、その清澄な美声といい、知と情のバランスのとれた解釈といい、まさに非の打ち所のない完璧な歌唱で、聴く度に感銘を新たにする。
モーツァルト・オペラでのタミーノやベルモンテが素晴らしいのはいうまでもないが、オペレッタやウィーナーリート、さらにはポピュラー・ソングといった軽いジャンルでの録音を数多く残してくれたのも、実に有り難かった。
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2008年08月21日
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ソロ、オケ、指揮すべてが優れているすばらしい演奏。
協奏曲の醍醐味を実感させると同時に、何よりもブラームスの音楽自体の美しさ、魅力、内容の深さを最大限に表出しえている。
その意味で、ムターの凄まじい緊張感をもって登場する第1楽章が最も感銘深い。
カラヤンの指揮も立派の一語。旋律の歌わせ方にも独特のニュアンスがあり、彼の音楽性のベストが表れている。
ヴァイオリンのフェラス、ピアノのベルマンとアンダなど、カラヤンが発掘し、彼が可愛がったソリストたちは不思議なことにその後泣かず飛ばずになってしまった。
そのため、カラヤンには"ソリスト潰し"という異名さえ与えられたのである。
そのカラヤンが最後に手塩をかけたのが、当時10代前半のムターだった。
カラヤンはムターを頻繁に起用し、演奏会はむろんのこと、主要な協奏曲も次々と録音していった。
しかし、さしものカラヤンもかつてのことが頭をよぎったのか、「私のあやつり人形にならぬように」と、ある時期以降は意図的に共演数を減らした。
これは両者の蜜月時代の傑作。ガッシリとした伴奏に乗って、強く逞しく輝かしく独奏が歌う。
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2008年08月20日
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アバド初のオペラ録音であった。
アバドの折り目正しい、端正な音楽作りで、オペラ指揮者としても優れた資質と才能が、ここに早くも結実しているのを聴くことができる。
彼の個性に最適な作品を選んだのも成功の要因のひとつだろう。
このオペラの魅力を広く再認識させたのがアバドによる上演と録音で、その後このオペラの優れた上演・録音が出てきた。
いまでは指揮ならシャイーがいるし、ソプラノにはバルトリがいる。
といっても、原点ともいうべきアバドの軽快な音楽の走らせ方は素晴らしく、またベルガンサのアンジェリーナの機知に富んだ歌だって、まだまだ生きている。
まだ充分若かったアバドは、ロッシーニの音楽をほとんど肉体的に持っていて、何か解釈したり工夫したりするより先に、歌わせ、走らせている。
歌手ではベルカンサの名唱をはじめ、知・情・意の高次元での融合を目指すアルヴァの歌唱が特に印象深い。
ヴェテランのカペッキは味わいのある歌作りながら、声に余裕がないのが惜しまれる。
他のメンバーは、何しろロッシーニ歌いが次々と現れる前なので最高というわけではない。
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2008年08月19日
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1959年、ザルツブルグでのライヴ録音なので、音質はあまりよくないが、若いF=ディースカウの張りのある、美しい声が素晴らしい。
F=ディースカウは、言葉のもつイメージ機能の伝達にすぐれた歌手だけに、シューベルトやヴォルフの歌曲のように、遠心力の拡大に目を向けられる作曲家の作品の方が資質に合っている。
F=ディースカウのテクストに対する分析力の細かさは他の歌手の及ぶところでなく、言葉に対するリアクションの速さ、深さ、多様さなどは聴き手に無限の想像力を喚起する。
特に「ケルナー歌曲集」での重層的な感情の動きは、深く聴く者の心を捉えるはずだ。
「ひそかな涙」では、たっぷりとしたフレーズを心をこめて歌い上げ、終わりの2曲も、心を打つ名唱を聴かせてくれる。
「リーダークライス」には、エッシェンバッハやブレンデルの伴奏による録音もあるが、この作品のもつ若々しさをよく表現していることや、若い頃のF=ディースカウのみずみずしい歌唱を味わえるという点で、このディスクをとった。
ムーアのピアノも見事だ。
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2008年08月18日
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高雅で格調高く、しかも音楽を聴く楽しみを満喫させてくれるハイドンである。
第88番は旋律のひとつひとつが息づく魅惑的な表現で、終曲のテンポが実に効果的だ。
冒頭の序奏から主部への移行が絶妙な第98番、実にチャーミングな「時計」、作品の容姿を完全に把握した表現の第95番、そして素朴だが気品の高い「軍隊」など、感動的なほど美しい。
第104番も偉大な表現で、メヌエットには非常な精気がある。
ロビンズ・ランドンは第95番をあまり高く評価していない。
しかしそんなことはつゆ知らぬまま、初めて聴いた途端にその偉容に痺れてしまったのが、クレンペラーのこの演奏だった。
ザロモン・セット中唯一序奏を持たない第1楽章冒頭から、アポロ的殿堂が打ち立てられる。
第2楽章はエレガント。しかし媚態のかけらもない。簡潔さがこれほど深い味わいを持つ音楽、演奏も珍しい。
素晴らしく恰幅のいいメヌエットに続き、ハ長調に転じる終楽章は、あのジュピター交響曲と同様のカタルシスが待っている。
ここでのクレンペラーは"ヴィヴァーチェ"おかまいなしのスタティックな姿勢に徹し、格調を崩さない。
約半世紀たっても敬服に値する演奏だ。
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2008年08月17日
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ミュンシュ最盛期の名演。
フランクは男性的で生命力が強く、スケールが大きい。
第1楽章後半は遅めのテンポでよく歌わせているし、第3楽章後半の壮麗な劇的高揚も素晴らしく、ミュンシュの傑作のひとつである。
ここでミュンシュは、主情的にテンポを動かし、各楽想にこまやかな表情を与えて演奏している。
いつもの截然としたミュンシュを聴き馴れた耳には、意外に思われるくらいだ。
ドイツとフランスの国境地帯に生まれたミュンシュにとって、この作品はとても近しく感じるところがあるのだろう。
線の太さと自然で色彩的な表現を兼ね備えた、ひとつの理想とも言うべき演奏を実現している。
このフランクの交響曲では、曲の外形分析を演奏の基礎としているだけではなく、その造形の背後にある作曲者の表現意志までも的確に汲みとって、それを渾然と有機的に組織づけている。
イベールの「寄港地」も傑出した演奏だ。
ミュンシュは巧みな棒でそれぞれの曲のもつエキゾチックな気分を鮮やかに描き出し、官能的な南国の夜の情感を豊かに表出した「チュニス=ネフタ」が特に聴かせる。
その他、ユーモラスな曲想をしっかりとつかんだ「魔法使いの弟子」など、どれも格調の高い秀演だ。
当時のボストン響の力も、現在とは格段の差がある。
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2008年08月16日
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美しいマーラーである。バーンスタインに代表される感情移入の激しい表現とはまさに対極にある。あるいは"異端"といえるかもしれない。
マーラー特有の野趣味たっぷりのアクや毒が、ここでは美味なるものに変質してしまう。
徹頭徹尾、カラヤンの美学が行き届いた優美と洗練が感じられるマーラー演奏である。
カラヤンの耽美的といえるほど磨かれた響きはマーラーにふさわしい。これほど美しい、ひたすら美しいマーラー演奏も少ないだろう。
しかしきわめて大がかりな劇性の表明は、音響的には効果的であるが内面の充実が伴わない感がないではなく、マーラーの本質である悲劇性が音そのものに覆いかくされたような印象を受ける。
マーラー風というよりカラヤン風といわねばなるまい。
スラヴ風のふんぷんとした第2楽章や、ウィーン風味たっぷりの第3楽章のノドごしの良さ、両端楽章のソツのないスッキリとしたまとめ方など、アカを落として磨き上げるとこうなる、といわんばかりのスタイリッシュな表現。
白眉は第4楽章のアダージェット。大ヒットした『アダージョ・カラヤン』の筆頭曲として銘記されるべき演奏でもある。
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2008年08月15日
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1970年代頃以降オリジナル楽器の名手たちによって、いわゆるバロックの古典的名曲が次々に録音されるようになったが、それらの中にはその後の古楽演奏の発展に伴って、いささか古さを感じさせるものも少なくない。
しかし、この演奏はその完成度の高さからいって、今後もバロック・チェロによる同曲の録音のスタンダードであり続けるだろう。
ビルスマ49歳の録音だが、安定した技巧は円熟期にある音楽家の確かさを伝えている。
素朴であたたかみのある音色はユーモアあふれる人柄そのままだ。
語り口は饒舌だが押しつけがましくなく、自然で作為的なところがない。
解釈も充分に考え抜かれ、練り上げられている上に、自発性や即興性があるため、音楽の無限の多様性と可能性を提示する結果となっている。
ビルスマは後年再録音をしているが、ストラディヴァリウスを使った2度目の録音は、どちらかと言えばモダン楽器的なアプローチ。
繊細なアーティキュレーションによる語り口が生きた、バロック的な演奏といえば、やはりこの録音ということになる。
ビルスマのポートレートとしても聴き続けたいディスクだ。
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2008年08月14日
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ヘッツェルが不慮の事故で亡くなる直前に、自ら主宰するグループの最もよい状態を記録しようと思ったことから録音されたものだが、まさにヘッツェル自身とこの団体の円熟した最高の状態が記録された名盤である。
ウィーン・フィルのコンサートマスターに就任した頃はいささか硬めの音だったヘッツェルが、この頃にはすっかりウィーンの音になり、彼の端正な音楽作りと高度の演奏技術とも相俟って、唯一無二の成果を生み出している。
素晴らしいテンポ感と決して崩れることのない安定した音楽作り、ヘッツェルの艶やかな音色、アンサンブルの温かく柔らかい響きなど、現代的な爽やかさとウィーン流儀が幸福な結びつきを果たした快演である。
ディヴェルティメント第17番は、作品のヴァイオリン協奏曲風な性格を思い切り前面に押し出した演奏である。
その分だけ室内楽的趣は弱められ、特に低弦部の扱いは完全にオーケストラのバス機能に徹している。
一方第1番は管楽器が多用されているだけに、テクスチュアが明確に浮き立つ面白さがあり、その分だけシンフォニックな効果を狙っているようだ。
同団体のモーツァルトは各社に録音も多いが、このディスクに収められている3曲は確か初録音である。
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2008年08月13日
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「さすらう若人の歌」はバーンスタインの優しさにあふれた解釈が印象に残る。1音1音をいつくしむかのようなバーンスタインの表現が素晴らしいし、ハンプソンもそれにしなやかに寄り添い、優れた歌唱を行っている。
「亡き児をしのぶ歌」のバーンスタインは内的な充実のある表現で新鮮な感銘を受ける。ハンプソンも共感にあふれた歌いぶりだ。
「リュッケルトによる5つの詩」もハンプソンなりのスタイルで曲の深さを充分につかみ出している。
ハンプソンの歌は、一時代前のフィッシャー=ディースカウ型のマーラーを過去のものにしてしまった。
こまかい心理表現が、これを聴いたあとでは泥沼であったようにさえ感じられる。
その若々しい声を存分に生かし、ハンプソンは清潔に、まっすぐに歌う。
それが最も生きるのは、やっぱり「さすらう若人の歌」か。バーンスタインとウィーン・フィルが、その清潔でまっすぐな歌をいとおしむかのような軽やかさを維持して、さわやかな演奏をしている。
ここでマーラーは入り組んだ情緒の海に転落せず、かすかな悲しみをたたえながらも、素直で美しい航路をたどって進む。
「リュッケルトの詩による歌」も、実にまっすぐだ。
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2008年08月12日
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1961年11月13日に故ケネディ大統領の招きでホワイト・ハウスの舞踏室イースト・ルームで行われたコンサートの録音である。
カザルスが頑張って演奏しているのがうかがえ、そしてどの曲も彼の音楽的発言力が支配している。
ではカザルス臭の強い音楽か、というとそうではなく、カザルスの解釈は作品の本質に足を据えた正統的なものだから、他の音楽家も納得するのだろう。
メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲では、高度に緊密なアンサンブルが組まれているというわけではないが、燃えるような熱気が感じられる。
そしてカザルスが残した数多くの録音の中で、最も感動的なもの、と言えば、私はこの録音盤の「鳥の歌」を選ぶだろう。
カザルスは故郷のスペインがフランコ独裁政権に支配されてからは、二度と故郷の土を踏まず、フランコ政権を承認する国でも、演奏しようとはしなかった。
わずか3分半の演奏だが、望郷の思い、平和への祈りが、震えをおびる弓から、かすかなうめき声とともに立ちのぼる。
感動を越えて、何か神聖なものに触れる思いに胸を打たれる。
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2008年08月11日
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何という生命の充実だろう。ヴェルディ最晩年の傑作をこの演奏で聴くと、生きる力が心と体にみなぎってくる。
第1声のハーモニーからの純度の高さに驚かされる。
しかも、少しの妥協もないきびしい表情の中に、何というあたたかさ。この緊張力、音楽の凝集力の上にヴェルディが描かれていく。
これはまた当代比肩するもののない合唱名指揮者エリクソンの力でもある。
リッカルド・ムーティが世界から敬愛される合唱指揮者、エリクソンが育てたスウェーデン放送合唱団、ストックホルム室内合唱団と、ベルリン・フィルを鮮やかにまとめ、無伴奏混成合唱曲「アヴェ・マリア」から、快く融合した合唱のハーモニーと各声部が織り成す音の流れを入念な扱いによって最良の演奏を展開している。
次の「スターバト・マーテル」も秀演で、静かな哀しみと劇的な音楽の対比が見事に生きている。
また無伴奏女声合唱曲「聖母マリアへの讃歌」での繊細な音の扱い、終曲「テ・デウム」での奥行きのある壮大な表現にも圧倒される。
ヴェルディ最晩年の偉大さを実感させる名演。
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2008年08月10日
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ボーイ・ソプラノの透明で清涼な歌声が印象的なフォーレの同曲最高の名盤。少年合唱団の少年のソロを用いて、純真無垢な感じをよく引き出した演奏である。
自分の葬式には是非このCDを流して欲しいというクラシック愛好家が少なくない超人気盤でもある。
ポイントは、宗教曲の名手コルボの遅めでどこまでも優しく抱擁するような温かい音楽運びと、女声コーラスのかわりに少年コーラスをを配した透明感あふれる音作り。
女声コーラスがない分だけドラマ性は薄いが、そのかわりにまさに天使のような清く澄んだ美しさにあふれたサウンドを得ることに成功している。
円熟した歌手と合唱団による演奏もよいが、こうした作為的なところの少しもない、淡々とした運びの演奏も、清らかなフォーレの音楽だけに魅力的だ。
ことに少年合唱団の歌声は、天国的な美しさである。
特にボーイ・ソプラノのソロで歌われる「ピエ・イエズス」と、天使に抱かれて虚空に消えて行くような終曲の「天国にて」の美しさときたら絶品だ。
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2008年08月09日
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ワシントンにおけるシゲティとバルトークのコンサートのライヴであるこの録音は、情けないほどに音質が悪く、最も肝心なバルトークのピアノの音色がかなり不鮮明で、ゴボゴボと割れがちであり、何とも耐え難いものとなっている。
しかしこの録音は、そうした劣悪な条件にもかかわらず、それが残されたことに深く感謝したい桁はずれの内容を示している。
ここで第1に指摘されることは、極限まで磨きあげられたシャープでしなやかなバルトークのピアニズムが、奇跡的な純度の高さを誇る音楽表現を可能たらしめている事実である。
そしてこれに触発されたシゲティも、情熱をみなぎらせ緊迫した名演を展開しているのである。
「クロイツェル」は音楽の流れがあまりよくなく、決して好演とはいえないが、バルトークの2曲はさすがに面白く、シゲティのヴァイオリンも冴えている。
この演奏を聴くと、表現の精神が現代の演奏よりも幅広く、表情も多様だ。
ドビュッシーのソナタも、シゲティの鋭く研ぎ澄まされた表現が興味深い。すこぶる硬質なドビュッシーだが、作曲者がこの楽器に託したイメージの芯のところを確かに捉えているようだ。
バルトークのヴァイオリンとソナタのためのラプソディ第1番はシゲティに捧げられている。両者はハンガリー以来の親友だった。
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2008年08月08日
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「善人は若死にする」と言うが、ペルゴレージのこの曲には、ふてぶてしいまでの強靭な生命力とは無縁の、死を予感し、それを迎える準備ができた夭逝の芸術家特有の諦念が聴きとれる。
また悲哀をおびた美のはかなさも感じとれる。
それが人間の短い掛けがえのない命の尊さを印象づけ、聖母への祈りを真摯なものにしている。
アバドはその美のはかなさを流麗かつ繊細さをきわめたレガートで引き出し、かつ命の尊さを掌のなかで慎重に慈しみ深くはかっている。
アバドは簡素な音構成の中の哀傷というよりも、シンフォニックな弦の響きの中にペルゴレージの現代的変容を見出そうとしているようで、ナポリのオーケストラのような透明な軽さはない。
多分にペルゴレージの音楽の中に顕在する"憂愁"を、ロマン派的心情で描き出してくる。
全体のバランスは精妙この上なく、まるでラファエロの絵画を眺めているような気にさせられる。
M・マーシャルの独唱はやや硬質ながら、美しく敬虔で、全体の調和美のなかに収まっている。
マーシャルの繊細な歌い方に対して、V=テッラーニはスケールの大きい歌い方だが、意外とバランスがとれている。
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2008年08月07日
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カラヤンが本領を最大限に発揮した超絶的な名演奏。
カラヤンとしては珍しくライヴ録音だが、そのため感興の高揚や流れの一貫性があり、表現のすべてが真実味を帯びている。
歌謡性にとんだこの作品を、カラヤンは流麗に旋律を歌わせながら、自然に音楽を流しており、その磨き抜かれた表現は比類がない。
旧盤に比べ、ややテンポが速くなり、旋律の歌がいっそうなめらかになり、自然な流れと緊張を感じさせる。
この指揮者としてはごく自然な姿勢で作品に対しているが、むろん造形的にも磨き抜かれており、随所に魅惑的な表情が生まれている。
デュナーミクも構えたところがなくなり、音楽のすべてにわたって成熟している。
そこで表情は磨かれながら、いっぽうで、確信にみちた強さをそなえることになった。
ベルリン・フィルのアンサンブルも比較するものがないほど高度な水準に到達しており、繊細をきわめるとともに迫真の表出力を発揮している。
艶やかなベルリン・フィルの音色を見事にとらえた録音も、素晴らしい。
数多くのこの交響曲の名盤の中でも、必聴の1枚といえよう。
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2008年08月06日
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名曲である。ノーノ屈指の傑作にもかかわらず、現在の評価は芳しくない。
この演奏にしてもしかり。ケーゲルという凄腕の指揮者がかつて存在したことさえ、今は忘れられつつある。しからば、あえてこの演奏を後世に伝えなければならぬ。
「力と光の波のように」は常にポリティカルな主張を内容とし、当時の前衛手法(クラスター及びテープ)を駆使した硬派なつくりである(ピアノとオーケストラにソプラノと電子音が加わる)。
すでにアバドとポリーニによる録音が存在したが、作曲家自身の強い要望により実現したいきさつがある。
ケーゲルのいささか表現主義的な彫りの深い表現と強い推進力を得て、きわめて表出性の高い音楽に練り上げている。
ノーノの作品は政治的な問題をテーマとしたものが多く、「墓碑銘」はスペイン内戦と関わっており、スペインの抵抗詩人ロルカの詩をテクストとしている。
また「力と光の波のように」は、チリの人民連合によるアジェンデ政権の誕生と関わっている。
政権はこの曲の完成した翌年に崩壊したが、これらの作品は、今日でも強い表出力をもって聴き手に迫ってくる。
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2008年08月05日
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この宗教作品はバロック時代の音楽の最大の傑作であるばかりでなく、全ヨーロッパ音楽史を通しても記憶されるべき名曲である。
カトリック教会の「夕べの祈り(晩課、ヴェスプロ)」の中で、特に聖母マリアに捧げられた典礼のための音楽で、いくつもの詩編曲、アンディフォナ(詩編曲への前奏として歌われる聖歌)、賛歌、さらに最後の壮大な『マニフィカト』(キリストを宿したマリアによる神へのたたえ歌。2通りの作曲が用意されている)などから構成された大規模な音楽である。
モンテヴェルディ43歳のおりの1610年に出版され、時のローマの教皇に献呈された。
いくつかの名演奏盤があるなかで、作曲家ゆかりのヴェネツィアの聖マルコ大聖堂で収録されたガーディナー指揮の新録音盤は、特に圧倒的な力をもって迫ってくる。
出だしから残響豊かな広大なスペースを意識した、壮大でモニュメンタルなスタイルで聴き手を押し包む。
手兵モンテヴェルディ合唱団、合奏団を率いて、造形性を適確におさえ、表現意欲あふれたモンテヴェルディを再構築しているのである。
全体にテンポは速めで歯切れがよく、ソロやアンサンブルのパッセージがよく浮かび出てくる。
かなりの長丁場をメリハリ豊かに、変化十分にグイグイと押しきってゆく、その説得力のほどが凄まじい。
ガーディナーの作品に寄せる熱い思いがひしひしと伝わってくる、バロック宗教音楽の最高傑作の優れた演奏だ。
この作曲家の偉大さ、懐の深さを実感させるばかりでなく、これこそバロック音楽と納得させてくれる好演奏である。
なお、DVDもあって、聖マルコ大聖堂の細部や古楽器演奏の有様などを克明に見せてくれる点からも、一見に値する。晩年のモンテヴェルディが楽長を務めた場所でのライヴという点もこのDVDの見どころだ。
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2008年08月04日
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アクースティック録音が電気録音に変わり、交響曲や協奏曲の本格的な録音が始まった時、3大ヴァイオリン協奏曲の録音を企画した英グラモフォン社は、フリッツ・クライスラーをソリストに起用したが、これは彼がヨーロッパとアメリカで最高のヴァイオリニストとして尊敬されたことを考えれば当然の成り行きだった。
クライスラーはウィーンとパリでヴァイオリン奏法を身につけたが、充分にヴィブラートのかかった彼のトーンはまったく独特で、楽器の美感と表現力を最高に発揮することができた。
また、彼の解釈は高貴な精神と暖かい人間性に根ざしており、それが演奏に品位と優美な情感をもたらした。
このようなクライスラーの個性は、ベートーヴェンの協奏曲の性格と完全に一致していた。
したがって演奏はスケールが大きく、限りない精神の飛翔と豊かな感情が自然な流れの上で繰り広げられている。
当時、彼は51歳で円熟の境地にあり、技巧と音楽性が見事なまでに融合していた。
それゆえに、古典的な構成感とロマン的な情感が結びついたニ長調協奏曲にとって、またとない解釈者であり得たのである。
クライスラー自身もこの境地に長くとどまっていなかった。彼自身の再録音を含めて、これに及ぶ演奏はない。
今日から見れば貧しい録音であるが、彼の美しい音と余裕のある演奏から、威厳と風格が伝わってくる。
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2008年08月03日
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私は、フリッツ・ライナーこそはこれまでの最高のバルトーク指揮者であったと考えている。
そしておそらくライナーが理想とするオーケストラは、トスカニーニ/NBC交響楽団ではなかったかと推測するが、それに最も切迫する水準に達していたのは、ライナー/シカゴ交響楽団であった。
バルトークの2大名曲を収めたこのアルバムは、その名作の最も本来的でオーソドックスな名演であるばかりでなく、ライナー/シカゴ響の奇跡的な至芸をこれ以上なく痛感させてくれる名演でもあるのだ。
この演奏では、単にアンサンブルがパーフェクトなだけでなく、テンポとデュナーミクの設定や音色配合のバランスもがパーフェクトであり、さらにそのアーティキュレーションの精確さもが非の打ちどころのないものになっている。
精巧なバトン・テクニックと鋭敏な耳を兼備したライナーは、それを駆使して希代のヴィルトゥオーゾ・オーケストラといえるシカゴ響からそのあらん限りの力を引き出し、この2曲のほとんど理想に近い再現を可能たらしめているのである。
「オーケストラのための協奏曲」では、厳しくコントロールされた表現のなかで繰り広げられるブリリアントな管楽器の名人芸などが素晴らしく、「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」では、その完璧で研ぎ澄まされた表現から滲み出る恐ろしいまでの緊迫感の持続が聴き手を圧倒する。
この2曲の再現の規範となり得る演奏であり、今後も不滅の価値を失うことはないだろう。
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2008年08月02日
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モーツァルトのオペラの中でも「フィガロの結婚」には特に魅力的な演奏が多いように思う。
そのなかでもステレオ初期のE.クライバー盤をはじめ、1960年代のベームと1970年代のカラヤン盤、1980年代のムーティに1990年代のアバド盤などは、どれも特徴的なすぐれた演奏だが、ジュリーニ盤はキャストが素晴らしく、それを統率している指揮も非常に見事である。
ジュリーニがほぼ同時期に録音した「ドン・ジョヴァンニ」にも参加しているヴェヒターとシュヴァルツコップの伯爵夫妻の他、フィガロのタデイ、スザンナのモッフォ、ケルビーノのコッソット、アントニオに起用された若き日のカプッチッリなど、ウィーンとイタリアの歌手を中心にした贅沢なキャストは、それぞれが理想的な適役といってよいだろう。
オペラ歌手として最盛期を迎えていたシュヴァルツコップの伯爵夫人と瑞々しい新鮮なモッフォのスザンナ、ヴェヒターの伯爵と名ブッフォを強く印象づけたタデイのフィガロの声の対比と性格表現などもまったく申し分なく、24歳のコッソットのケルビーノもとてもチャーミングである。
しかし、この演奏の最大の魅力は、ジュリーニがウィーン風の優雅さや陰影、ブッファ特有の愉悦感などをひきしまった流麗なテンポでバランスよく表現していることで、この「たわけた1日」を生き生きと描いた傑作オペラの永遠のスタンダードともいえる名演である。
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2008年08月01日
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全94曲の全集として発売されていた名盤からの抜粋だが、よほどの古楽愛好家でなければ、それだけの曲数を聴く機会がないと思われるだけに、この抜粋盤の出現は喜ばしい。
中世の秋を印象づける最大の音楽が、ロンドン中世アンサンブルの卓越した演奏で耳にすることができるからだ。
全音楽史を通してデュファイは、モンテヴェルディ、バッハたちと並ぶ、類いまれな巨人的存在である。
その作品は当時のすべてのジャンルに及び、ミサ曲、モテトゥス、世俗シャンソンなど、それぞれが規模も大きく訴えも深い。
ここにあげたディスクは、既存するデュファイの世俗音楽作品の代表的なものが収録されている。
演奏も出色もので、バリトンのヒリアー、ジョージらの名歌手が、初期ルネサンスの恋の歌を切々と歌いあげている。
見事に芸術的に練磨され、中庸を得た演奏である。
ある種の遊びの要素を秘めて、古風に洗練された宮廷的な愛の歌が延々と続くが、少しも飽きを感じさせない。
適度なヴァラエティがあり、卓越した演奏によって各曲が現代に甦り、"中世の秋"の作曲家デュファイの抒情感を聴き手に伝えてくれる。
ホイジンガーの『中世の秋』の世界がそのまま音になって再現されたと思われる、名曲の名演奏である。
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