2008年09月
2008年09月30日
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1969年から70年にかけて録音されたエラートのフォーレ/室内楽曲全集。特にピアノ四重奏曲とヴァイオリン・ソナタが絶品だ。
ピアノ四重奏曲第1番では、淡い光彩に彩られた繊細微妙な世界が典雅に浮かび上がり、その美しさにはため息が漏れるほど。
第2楽章の軽妙洒脱さ、第3楽章の憂愁感を湛えた柔らかで磨きぬかれた響きは、今やなかなか真似の出来る演奏家はいないだろう。
第2期の様式を画するピアノ四重奏曲第2番でも、堂々とした風格や激しい情熱の表現と柔らかい叙情との対比が絶妙で、非の打ちどころがない。
演奏者全員が深い愛と共感を以てフォーレの音楽に奉仕しており、随所に漂う馥郁たる香はまさに稀有のものである。
ペダンティックで高雅な表現を聴かせるガロワ=モンブランは、少し線は細いがフランスのヴァイオリニストのなかでも最もハイ・グレードな音楽性の持ち主といってよいだろう。
そしてユボーは、現代フランスの最高のアンサンブル・ピアニストと目された人材だったが、この2人の共演は作品の様式感の把握の適切さや練りあげられたアンサンブルのキメこまやかさにおいて、これ以上は望めないとさえも想える渋く老練なフォーレの名作の再現を実現させている。
本場フランスのオーソリティの強味を如実に感じさせる味わい深い名演であり、そこではこの2曲のヴァイオリン・ソナタの演奏の規範となり得るレアリザシオンが強固に打ち出されているのである。
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ベームとウィーン・フィルは、1970年代からベームの最晩年まで、指揮者とオーケストラの時代最高の組み合わせとしてわが国でもきわめて人気が高かったが、確かにちょうどその時代、ウィーン・フィルはひとつの(今のところ最後の)輝かしい時代を迎えていたと思う。
奏者たちの世代の交代も徐々に、だが違和感やレヴェルの低下もなくスムーズに進行していた。
当時の若い力、すなわち現在のこのオーケストラの屋台骨を担っている中心奏者たちの若き日の溌剌とした演奏が、ベームのしっかりとした音楽のうえに伸び伸びと羽ばたく協奏交響曲は、この美しくも実り多い一時代を永遠に記録する珠玉の録音だ。
交響曲のほうも味わいに富んでいる。
ベームはウィーン・フィルの響きに構造的な堅固さを加え、ハイドンのもつ古典美を音楽的に格調高く表現している。
5つの交響曲のどれもが克明・着実で、しかも流麗な名演だ。
協奏交響曲はコンチェルト・グロッソ風の美しさが和気あいあいとした雰囲気の中に示され、これまた晩年のベームの芸術性を端的に示した秀演。
おそらくベームはワルター以後、ウィーン・フィルの魅惑的な響きを最もよく生かした指揮者であろう。
いずれもベームの唯一の録音で、彼はこのほかにはハイドンの交響曲を録音しなかった。
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2008年09月29日
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ブロムシュテット初のR.シュトラウスである「英雄の生涯」は、実に見事なR.シュトラウスの音の世界を作りあげている。
そのよく彫琢されたまろやかな響きは、まことに素晴らしい。
最もよい例が「英雄の敵」で、細部にまで神経を行き届かせながら、緻密に音楽を組み立てている。
特に感銘を受けた「英雄の伴侶」では、ミリングのヴァイオリン・ソロがよいムードを作り出していた。
指揮者と楽員の精神的一致が見事に開花した、快演といってよかろう。
「ツァラトゥストラ」はブロムシュテットの音楽的な成熟を感じさせる。
全体にテンポを遅めにとり、じっくりと腰を割り、1音1音かみしめるよう丹念に仕上げている。
またシュターツカペレ・ドレスデンも、まさにいぶし銀の音のすばらしさをきかせる。
「ドン・ファン」も冒頭のホルンから聴き手をひきつけ、旋律を十全に歌わせながら、しだいに興奮をかきたてていく語り口のうまさには感嘆させられる。
「メタモルフォーゼン」はややゆっくりとしたテンポで丹念に練り上げており、ブロムシュテットの表現力の豊かさもさることながら、このオケの重厚な響きに魅了される。
「死と変容」はひとつひとつの音を大切にしながら、生と死のはざまにある人間の心情を克明に描出している。
「ティル」は各場面を精緻に描出しているがあまりにも慎重になりすぎてか、多少生気に欠けるのが惜しい。
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周知のように当オペラは2幕のみの未完の作品だが、これはウィーンの作曲家ツェルハによる完成形3幕版での唯一の録音である。
1979年にブーレーズ指揮、シェロー演出でパリ・オペラ座で初演され、大評判となった。これはその同一キャストによる録音である。
ブーレーズの一分の隙もない統率のもとで、オーケストラもすべての歌手達も見事なアンサンブルを聴かせている。
しかも、彼の指揮は単に精確なきびしさだけに留まらず、舞台上のドラマとしての起伏や多彩な効果の点で、一段と豊かな表現を示すようになった。
また、パリ・オペラ座のオーケストラのもつ透明でデリケートな音色感の多様さが、ベルクの音楽の精妙なディティールをよりいっそう明瞭に語り出している点も、特徴のひとつである。
このまがまがしくも魅力的なオペラの音楽を素晴らしく雄弁に演奏していて見事だ。
ルル役のストラータス、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢役のミントンをはじめとする歌手たちの気迫がものすごい。
そしてなにより、ベルクの音楽が持つ異様な力に圧倒される。
現代ものを難しいと敬遠している向きにもお薦めしたいディスクだ。
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2008年09月28日
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ホロヴィッツは非常に速いテンポでさっそうと弾きまくっている。力強く、逞しく、技巧の冴えは驚くべきものだ。
第三者的に聴くならば、およそブラームスらしくない豪快な演奏で、ホロヴィッツの全盛時代(1940年にホロヴィッツは36歳)の正確無比でピアノを華麗に鳴らしての演奏は、それだけで耳を楽しませてくれるが、さらにトスカニーニの指揮がこの作品のロマン性を表面に出して、しかもオーケストラを強烈に響かせる。
ブラームスの渋さなどは飛び散って、ともかく面白い演奏だ。
じっくりと聴きたいならばやはりR・ゼルキンあたりが妥当だろうが、20世紀の代表的巨匠2人が組んだ録音として、このホロヴィッツ=トスカニーニ盤は次世代でも聴かれよう。
チャイコフスキーは同曲のベスト・ワンといってよい演奏。トスカニーニは絶好調で、ホロヴィッツも脂が乗り切っている。
鋼のように力のあるタッチとリズム、腕が鳴るような技巧の冴えが人間業を超え、終楽章のコーダに至っては超人の凄まじさを見せる。
ホロヴィッツとトスカニーニという芸術家が一歩も譲ることなく拮抗し、己れの主張を行う様はまさに凄絶という他はない。
両者の対決は汗を握るばかりだが、聞こえてくる音楽はチャイコフスキーそのものである。
この曲を語る上で決して忘れることのできない1枚だ。
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2008年09月27日
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フランスの指揮者とフランスのオーケストラがフランス音楽の最高のスペシャリストとして機能していたころの良き時代の代表的名盤で、マルティノンの実力が最高度に発揮されている。
CD4枚で「牧神」や「夜想曲」などの名曲からカプレ編の「おもちゃ箱」までドビュッシーのオーケストラ作品のほとんどが聴ける。
自身も作曲家であるマルティノンの指揮は、ドイツ的論理とは違ったところにあるフランス的知性の明晰さを見事にドビュッシーに開花させた名演で、知的な品のよさとラテン的な色彩美をほどよく調和しているのが特色だ。
曖昧なサウンドに流されず知性で構築した音楽を感じさせつつ、同時にきわめて色彩的で繊細な感性を堪能させる、という奇跡のような音楽の冴えは、今聴いても現役盤を寄せ付けない魅力を発散している。
「海」の弦と管との音の綾織りの美しさ、「牧神」の幻想的で詩情豊かな表現、「映像」でのデリケートな音の作り方など、細部まで神経のよく行き届いた、いかにもこの人らしい品格のある演奏である。
特に「おもちゃ箱」が素晴らしく、巧みな棒で曲のもつ童話的な雰囲気をあますところなく表出している。
いずれの作品も、マルティノンならではの香り高い表現となっている。
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デュトワとモントリオール響は、現在本場のフランスでも失われてしまった本格的なフランス風の演奏を、遠く離れたカナダのケベック州に甦らせたのである。
かつてのクリュイタンスの録音にも負けない高雅なエスプリとしっかりとしたデッサンは、ほぼ理想に近いラヴェルへのアプローチといえる。
特に、全体のメロウな響きの中に明晰なソロ・パッセージが浮かび上がるところなど、かつてのモントゥーの解釈に最も近いだろう。
いずれも極めて質が高く、ラヴェル固有の透明で冷たい輝きをもった音色と、華麗かつ色彩的なオーケストレーションをあますところなく表出している。
特に「ダフニスとクロエ」では、「パントマイム」から音楽を次第に高潮させ、熱狂的な「バッカナール」でクライマックスを築くあたりは、すこぶる感動的だ。
「マ・メール・ロワ」はメルヘンの世界を精緻に描き上げた佳演で、ことに「一寸法師」や「パゴタの女王レドロネット」など、幻想的で詩情豊かな表現にはほれぼれとしてしまう。
その他の曲もラヴェルの音楽固有の色彩的でしかも黒光りする音色の美しさを余すところなく表出した名演奏。
これは1980年代にもこれだけのラヴェル演奏があったのだという、21世紀への強力なメッセージであり、ラヴェルの音楽を愛好する人たちにとって垂涎のディスクといえよう。
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2008年09月26日
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この中の第1〜4番「四季」は発売当初から大変な話題を呼んだ。
ルバートが多く、ラプソディックで、時には荒々しく思える演奏で、意外性という点で人々の注意をひきつけたかのようだった。アーノンクール独自の解釈とテキストの読みにより、独特の骨っぽい響きの世界を作り上げている。
バロック期の音楽でこの曲くらい有名なものもないだろう。戦後の室内合奏団隆盛の時代以後、無数の録音が生まれた。
そして、アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによる録音は、名曲に付されたソネットのテキストを当時の音型論的脈絡において戯画的に強調してみせるという斬新な解釈で、後に続く古楽の演奏家たちに多大な影響を与えた。
そうした、いわば表現主義的な「四季」は、1980年代後半になって登場して脚光を集めている、オイローバ・ガランテやイル・ジャルディーノ・アルモニコなど若いイタリアの古楽の演奏家たちによりずっと洗練された形で継承されているように思える。
劇的なドラマに満ち満ちたバロック音楽の出発点である。
この演奏が、いわゆるオリジナル楽器による正統的なバロック演奏であり、ヴィヴァルディの曲の真の姿を伝える唯一の演奏だと断定されては困る。
この「四季」に感動したファンには、「和声と創意への試み」の後半の6曲も是非薦めたい。しかしアレルギーをおこされた方は、それ以上症状を悪化しないように、といっておこう。
ただ、この演奏こそ「好奇な恣意の試み」とはいえる。
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2008年09月25日
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リヒテルは、ベートーヴェンでは充分に練り上げた解釈を示し、作品の内面深く迫る素晴らしい音楽を聴かせる。
静寂の中の水晶のように美しい響きと激しいフォルテとのコントラストも見事で、すべてが有機的に作用してベートーヴェンの壮大なドラマトゥルギーを形成している。
シューマンは第1楽章が絶品で、柔らかくしなやかな感性が全体を貫き、テンポも音楽作りも自然である。
シューマンの「幻想曲」のような曲は、ファンタジーの何たるかをすっかり曖昧にしてしまった現代の若手ピアニストたちには、まるで手に負えなくなってしまった。
仮にテクニックだけが万全に近いものであったとしても、このような曲はどうにもならない。
ここに聴くリヒテルは、もちろんテクニック的にもすごい高みに立ってはいるけれど、すぐにでも傷ついてしまいかねない柔らかで優美な抒情性と、吹き荒れる台風のような感情の激しさとが、ほとんど非論理的に交錯し合い、ややもすると支離滅裂にもなりかねないような状態を、たくましい音楽性で大きくまとめ上げ、唯一無二といえるような存在感を与えて得ている。
その手腕は実に素晴らしい。
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2008年09月24日
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これを聴いてシューベルトのソナタが好きにならない人はいないだろう。
シューベルトの演奏としては、きわめてスケールの大きな表現で、剛と柔とを巧みに対比させながら、強い説得力をもっていて聴かせる。
特に第19番第4楽章のロンドが圧巻。何とも快いリズムに乗って、緊迫した世界が醸し出される。
また第1楽章では、暗と明、剛と柔のコントラストを巧みに生かしつつ、実にしっかりした構成的なシューベルトを聴かせる。
これらの急速楽章は、弾き手が凡庸だと退屈に感じられるのに、すぐれた構成家であるリヒテルの手にかかると時間を感じさせない。
長大なソナタ第21番の前半、第1,2楽章をリヒテルは実にゆったりと弾き進んでゆく。
その中でシューベルトが背景にくっきりと浮かびあがり、聴く者を魅了する。
わけても第1楽章など、異常に遅いテンポだが、ほの暗く、不安な気分を強調していて、この曲のもつ微妙なニュアンスを心憎いまでに描き出している。
余韻嫋々で抒情美の極みといっても過言ではない。
第3,4楽章は快いテンポが演奏を支配し、軽快なシューベルトの世界が出現する。
力のあるピアニストが余裕をもって音楽する楽しみが強く感じられる演奏だ。
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2008年09月23日
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ほとんどの名ヴァイオリニストがこの曲を一度または二度録音している。
そのため往年の大家による演奏記録が幾つもあるが、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の録音は、1958年の録音ながら今もってこのオイストラフ盤を推す。
1974年に66歳で亡くなったオイストラフの、心技ともに最も円熟し、最も脂の乗った時代の演奏で、おそらく彼自身も会心の作と思ったのではなかろうか。
スタイルとしてはやや古めかしさを感じさせるものの、これほど曲の内面を深く掘り下げた演奏というのも少ない。
一点一画もゆるがせにしない整然たる演奏で、それでいて音楽は暖かく、作曲者の肌のぬくもりといったものを感じさせる。
たっぷりとした音色を基盤に、健康的な明るさと甘美な歌にみちている。
線が太く、たくましく、旋律を朗々と歌わせている点も忘れ難い長所で、なつかしい魅惑とスケールの大きさによって、ひとつの規範的な演奏となった。
曲の抒情的な性格を、豊かな美音でスケール雄大に表現した名演中の名演として、録音後半世紀以上たっても燦然と輝いている。
オイストラフ唯一の共演となったクリュイタンスの格調高いバックも見事というほかはなく、すぐれた音楽性をもとに堂々と立派に振り切っている。
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2008年09月22日
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モーツァルト没後200年記念特別演奏会でのライヴ録音。
なんとも個性的でスリリングな異色の演奏。
演奏のコンセプトは、バロックの後継者としてのモーツァルト像を19世紀的解釈を斥ける形で直接的に示そうとしたもので、楽譜も新モーツァルト全集によっている。
どの曲もアクセントのとり方、フレーズの表情など、オリジナル楽器的な奏法と音色で一貫させている。
アウフタクトを起点としたフレージングを確実に実行しながら、レガート、ノン・レガート、スタッカートなどの効果を自在に駆使する、当時最も先鋭的なバロック音楽の解釈がモーツァルトに適用されている。
テンポの設定やリズム処理も極めて独特のもので、すべてがアーノンクール調で一貫している。
彼の創意と着眼点の変更による問題提起は新鮮で、傾聴に値する。
アーノンクールのモーツァルト解釈は常に刺激的だが、この演奏は腕利き揃いの若い音楽家集団のヨーロッパ室内管との共同作業なので、さらにフレッシュな魅力が付け加えられている。
洗練された表現と快適な運動性が魅力的な「プラハ」と第39番、いたずらに悲愴美を強調しない古典的節度をもった第40番、堂に入った風格さえ感じさせる「ジュピター」など、いずれも個性的解釈に貫かれた秀演である。
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ワルター「モツ・レク」唯一のスタジオ録音は1956年のモーツァルト生誕200年記念録音。
モーツァルトの音楽をこよなく愛したワルターの最高の名演奏で、ワルターの各種の録音のなかで、録音の古さを超えて輝き続ける名盤である。
演奏は、ワルターが自分の思うままに指揮した感受性豊かな表現が聴きもので、なによりもミサの管弦楽の美しさを、情緒豊かに表現している。
情緒の細かな動きを隅々まで捉えて、入念に表現しようと努力したものだ。
やや主観的な表現だが、これほどモーツァルトの心をつかんで、美しく歌いあげた演奏というのも珍しい。
ワルターのモーツァルトに対する“想いの深さ”がひしひしと伝わってくるようで、4人の独唱者もこれに寄りそっている。
ワルターのモーツァルト観が最も充実した形で示され、これは抒情的に美しくまとまった「レクイエム」である。
ゼーフリートをはじめとする4人の独唱者とウェストミンスター合唱団も充分にその力を発揮し、集中力に富んだ濃密な演奏を展開している。
もちろん、それはワルターの確かな構成感と愛情に満ちた優美な表現との見事なバランスが生んだ成果でもある。
逆に「テ・デウム」はコーラスもオケも重厚で、特に内声を生かした厚みのあるハーモニーがブラームス風だが、もう少し清澄な響きや、冴えた表情や、厳しい迫力がほしいと思う。
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2008年09月21日
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ラフマニノフ没後25周年記念演奏会他のライヴ録音を元に制作したアルバム。
自らもピアニストであったラフマニノフのグランド・マナーが生き生きと甦ってくる演奏だ。
それは同じ血をひく音楽家としての作品への共感と無関係ではないだろうし、特にソナタ第2番は熱気をよく捉えている。
今でこそ第2番のソナタはメジャーになっているが、このレコードが出た当時はほとんどホロヴィッツの専売特許のようなものだった。
ホロヴィッツの十八番ともいえる作品で、実際に演奏した体験を踏まえて作曲者に改作をすすめた。
ラフマニノフがそれを果たさないうちに他界したため、ここでは両者の話し合いをもとにホロヴィッツが手を加えた演奏をしている(1913年版と31年の改訂版をもとにホロヴィッツ自身が手を施したもの)。
引き締まった構成と絢爛なテクニックを配し、原曲以上の魅力と生彩を引き出している。
この曲の華やかな効果とその中にひそむ熱い感情を引き出した演奏は見事というほかはない。
曲頭の数十秒を聴けば、雷に打たれたような衝撃を覚えるはず。
ラフマニノフの、というよりホロヴィッツのピアニズムを濃縮した印象。
他の小品も素晴らしく、すぐれた解釈者としてのホロヴィッツが示されている。
秘曲「楽興の時」第3曲の叙情的な美しさや滋味、「音の絵」第9曲での聴く者を熱狂させずにはおかない高揚感など、最後まで圧倒し、魅了し続ける充実のアルバムである。
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2008年09月20日
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ヨッフムは1950年からドイツ・ブルックナー協会の総裁をつとめ、1958〜66年にもバイエルン放送響及びベルリン・フィルと交響曲全集を完成するなど、ブルックナーの一大権威であった。
最円熟期に6年の歳月をかけて完成されたこの2度目の全集は、そうしたヨッフムのブルックナー演奏の総決算といってよいだろう。
ヨッフムが畢生の大事業として取り組んだ気概と、若い時代からのブルックナーへの愛情、そして80歳に迫る人生の観照、さらに神への祈りに通じる想念までが示されている。
この巨匠らしい手厚く確信にみちた表現がスケール豊かに、のびやかに発揮されており、あくまで誇張のない自然体の音楽の運びの中から、ブルックナーへの献身と情熱がじっくりと伝わってくる。
名門ドレスデン国立管弦楽団も、そうした巨匠の指揮に最良の演奏で応えており、まさにアンサンブルの極致ともいえる演奏を展開し、そのいぶし銀のような響きがいっそう美しい味わいを加えている。
この作曲家と作品への豊かな共感を溢れんばかりに表現し、驚くほど円熟した音楽で、ヨッフムのブルックナー芸術の真髄が見事に表出されている。
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2008年09月19日
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バーンスタインのドイツ・グラモフォンへの正式なレコーディングの第1作であった。
バーンスタインがボストン響を指揮しているのは珍しいが、演奏・録音ともにやや乾いた鮮明さが感じられ、それがひとつひとつの楽想の性格を明瞭に印象づける。
ファウスト、グレートヒェン、メフィストフェレスの3楽章のそれぞれの個性的特徴を見事に描き出して、この大曲を非常に聴きやすいものにしている。
細部まで克明に分析して、まるで曲をコンピューターを通して説明しているように演奏する。
しかも力強い構成力を発揮して、熱情と抒情の対照を実に美しく表した。
メリハリの強い個性的な解釈ではあるが、第2楽章を始めとして、リストの音楽にはさらにロマン的なうるおいが欲しい。
きわめて精力的で豊かな感興をもちながら、いま一歩、表面的なところで止まっていると感じられるのだ。
とはいえ、今までなかなか正当な評価を受けることがなかったこの名曲の優れた内容を再認識させる演奏だ。
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2008年09月18日
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この作品の決定稿となったブランデンブルグ辺境伯への献呈稿を用いず、バッハが最初に書き下ろした楽譜(第1稿)に基づいた演奏である。
第1番を3楽章としたり(通常の第3楽章をカット)、第5番のチェンバロのカデンツァが短くなっているなど、通常の演奏とは楽器編成を含めてかなりの相違がある。
ホグウッドは弦の各パートを1人にするなど、ブランデンブルグ協奏曲の原型を最も忠実な姿で再現しようとしている。
各パート1名ずつという奏者の水準はきわめて高く、やや速めのテンポをとりながら、歯切れのよい生き生きとしたリズムで精妙なアンサンブルを繰り広げている。
オリジナル楽器の古雅な響きも実に心地よく、潤いもあり美しい。
ホグウッドのよさは古雅なスタイルを生かしつつも、カビくさくならない点にあるが、それは音楽性が優れているからである。
第1番のホルン強奏はその味の濃い音色とともにユーモアたっぷりだし、第3〜5番なども地味ながらコクがあり、玄妙な雰囲気をもっている。
ホグウッドはアーノンクールやガーディナーのような「やってます」的押し付けがましさとは無縁で、さらりとやってのけるという印象を与えるのは、彼独特のミュージシャンシップ故であろう。
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2008年09月17日
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名匠ケンペが晩年の1970〜76年にかけて名門シュターツカペレ・ドレスデンと録音完成した全集。
ケンペは生前、R.シュトラウスに深く傾倒し、その演奏を得意としていた。彼とシュターツカペレ・ドレスデンのコンビにとって、こうした作品はまさにうってつけといえよう。
ケンペがドレスデンに里帰りをして完成したR.シュトラウスの管弦楽作品集は、この作曲家の17曲の作品、ほとんどすべての管弦楽曲を網羅しており、しかもそれぞれが最高水準の名演として仕上げられている。
その功績の多くの部分が、この作曲家にゆかりの深いオーケストラに帰せられてよいだろうが、ケンペの質朴な音楽は作品の美をまったく虚飾なく伝える。
その意味でも類例のない全集であり、シュトラウスの演奏の原点を衝いた最高の成果でもある。
事実、演奏はいずれも極めて質の高いものばかりで、骨格のがっしりとした品格のある表現には強く心を惹かれる。
アンサンブルの見事さはいうまでもないが、その確かな造形が堅固で克明な音楽をつくり、シュトラウスの精緻をきわめた書法と洗練された美学を存分に味わわせてくれる。
特に交響詩の演奏が素晴らしく、ケンペの実力が遺憾なく発揮されている。
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2008年09月16日
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録音は古いが、モノーラル時代の屈指の名盤である。
トスカニーニはメンデルスゾーンで素晴らしい演奏を聴かせていたが、この「イタリア」はその最たるものである。
この曲の明澄爽快な気分を、これほどまでにストレートに表出した演奏というのも珍しい。
旋律の歌わせ方も巧妙だし、リズムも生き生きと踊っている。
灼熱する音と躍動する表情、輝かしい歌の美しさは、明るい南欧の風物に瞠目した作曲者の感動をそのまま伝えてくるようだ。
古典的形式をくっきりと保ちながら、優雅なリリシズムや、またスケルツォ的性格を、すっきりした線やリズムでなんの付加物もなく、すぱっと現わした行き方は、「イタリア」の特徴をすべて尽くしたものである。
一方「宗教改革」も圧倒的名演で、その明晰さ、しなやかな流動感、立体的な構築は、この作品の求めるすべてを具現している。
トスカニーニが、メンデルスゾーンの交響曲の中で、最も高く評価していたのがこの曲である。
それだけに、この曲の、ロマン派初期の若々しさにあふれた表情を美しく表現しており、構成もがっちりとしていて秀演だ。
荘重な趣きを力強く表現して、宗教的素材をもって壮麗な記念祭の歓喜を示した立派な演奏である。
それにしても、本盤のようなXRCDによる極上の高音質録音で聴くと、トスカニーニが臨機応変にテンポ設定を行ったり、豊かな情感にもいささかも不足をしていないことがよくわかる。
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2008年09月15日
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オリジナル楽器でなければ得られない響きを生かし、当時の演奏様式を採り入れながらも現代にアピールする魅力に満ちた演奏だ。
フレージングに独特のアクセントがあるが極めて自然で、オリジナル楽器による演奏にしばしば見られる音のふくらみを不自然に強調した解釈とは一線を画している。
弦の音色も明るく艶があって美しく、同時に響きが柔らかく豊かだ。
演奏者1人1人の技術が優れているためか、各パートの動きが明快で表情が生き生きとしているのも特徴。
アーノンクールの解釈で最も特徴があるのは第6番で、ここではテンポががかなり変化し、メロディアスな楽句では旋律をゆったり歌わせ、リズミックな楽句ではテンポを速める。
いいかえればこの曲のロマンティシズムとモダニズムを強調した解釈だ。
アーノンクールはここで、古楽器でなければできない演奏を聴かせてくれる。
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2008年09月14日
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カンタータには、本来の教会の行事のための「教会カンタータ」の他に、領主や貴族、知人などの慶事の際に演奏される「世俗カンタータ」というものがある。
バッハは、こういったカンタータを20曲あまり残しているが、この2曲はそれらのうちでも特に有名なものとなっている。
アーノンクールはレオンハルトと協同してカンタータ大全集を録音するという偉業をやってのけたが、これはその完成を記念した録音である。
世俗カンタータにおけるアーノンクールは生き生きとした躍動感に満ち、聴く者の心を解放してくれる。
2曲とも底抜けに明るく、バロック・オペラとしても納得できる楽しさいっぱいの演奏だ。
あの謹厳なバッハにもこうしたおどけた一面があったのかと思うと、実に愉快になる。
第208番は4人のソリストがよく歌い、オケも明快な音の動きと調和していて実に美しい。
第212番も農民たちの生活が躍如とした演奏。
バッハの音楽の楽しい一面を知るのに極めて好適の1枚だ。
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2008年09月13日
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チェスキー・レコードのCD復刻シリーズの1枚。
バルビローリ最盛期の秀演で、この指揮者の演奏としてはベルリン・フィルとのマーラーに匹敵する名盤である。
オーケストラと録音が優れているためか、細部まで精密に表現された演奏であり、しかも激しい情熱と豊かな抒情を交錯させている。
実に堂々とした力強い演奏である。
シベリウスはバルビローリの十八番だった。シベリウス演奏の伝統あるイギリスでも、バルビローリのシベリウスはまた特別な名声を博していた。
バルビローリのシベリウス演奏は、曲がそのうちに秘めているナショナリズムの精神に直截に挑むという激しいものではなく、音楽の流れや起伏を大切に扱うことやオーケストラのすべてのパートのバランスを精緻に決めることを主眼として、それによって民族的な熱いほてりが自ずから浮かび上がる、風格と気品をもったものである。
オーケストラの色調のほかすべてに効いた抑制を通じての真実の表現だ。
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2008年09月12日
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バルビローリ最晩年の唯一のシベリウス/交響曲全集である。
シベリウスの故国フィンランド以外で、最も熱烈に彼の音楽を愛好するのは英国で、その音楽の普及に最も貢献したのが、英国が誇る大指揮者サー・ジョン・バルビローリ(1899-1970)と彼が1943年から1959年まで率いたハレ管弦楽団だった。
ハレ管には、シベリウス演奏の伝統があり、バルビローリはあるシーズン中に7つの交響曲を年代順に全部振ったことがあった。
バルビローリは「ハレ管は、シベリウスの弦楽書法の技巧と精神に対して、何かとくべつな、いわばユニークな、洞察力ともっている」と語っていた。
これらはバルビローリの最後の仕事となったもので、それだけにスケールの大きい音楽を聴かせている。
彼はシベリウスの重厚な管弦楽法を晦渋なものとせず、全曲が歌と光に満ち溢れた明快さをもって演奏されている。
ハレ管もバルビローリが長年かかって育成したためか、実に克明なアンサンブルを展開し、瑞々しく爽やかである。
それぞれ充実した演奏だが、特に第1,4番は名演。第6,7番も抒情的な作品の内容を見事に表現している。
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2008年09月11日
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SP時代からの、この曲の最高の名盤といわれてきたものである。モノーラル録音なので、録音の状態はあまりよくないが、フィッシャーの格調高く、端正な表現は比類のないものだ。
フィッシャーは一見淡々と弾いているが、細部をよく聴くと軽妙・自在で、両端楽章の味わいの深さは特筆に値する。
録音が古いため、ともするとよさが分かりにくいかもしれないが、玄人好みの名人芸が随所に隠されており、さすが大家、音楽性満点だ。
巨匠フルトヴェングラーの、音楽の精神性を鋭くとらえた指揮もすごい。
フルトヴェングラーの指揮としてはかなり個性を抑えているが、第1楽章の推進力と緊張感、確信に満ちた実在感など、やはりこの人ならではのものだ。
両巨匠の共演は悠揚とした滋味がしたたり落ちるような雰囲気をたたえている。これは様式への好悪をこえて捨てがたいよさを持つ。
ピアノのテクニックの面だけからいえば、フィッシャーよりも達者なピアニストはいくらでもいるし、オーケストラもさらに洗練された表現を要求したくなる部分もある。
しかしここには単に風格とか名人芸といった通り一遍のこと以上に熱っぽい迫力と情熱がある。
これは永遠に光を失うことのない、稀有の名演だ。
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2008年09月10日
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ここに収められた「パルティータ」は、文字通りアラウの最期の録音となったものだが、幸いなことにここのアラウには、弱々しい老いの影はみられず、まさしく思索するピアニストであることを示している。
この演奏では何ら劇的なことは起こらないが、あらゆる音のひとつひとつは、しっかりとした思索の糸をつむいでいく。
作曲者の想念がじっくりと伝わってくる、まさしくアラウのみに可能な境地というべきだろう。
アラウは、一瞬一瞬の響きよりも、音そのものを実に大切にし、その音に最大限に発言させようとしている。
1つ1つの音型へのきめ細かい意味づけからなる演奏は、瞬間瞬間が充実しており、聴き手に深い充足感を与える。
そこにあるのは、ゆったりと構えた落着きが生み出す手応えのある音楽だ。
すべてが高い格調のもとに奏でられているが、一方には紛れもなくアラウの音、アラウの節まわしが生きており、温かなアラウならではの歌い口の真髄を聴かせてくれる。
そして心憎いまでのうま味。これぞ大家の味というべきであろう。
ここに奏でられるバッハの優しく親しい旋律は、ありきたりの悲歌よりもかえって胸深く滲みる。
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外面的な効果を顧みず、ひたすら作品の内なる精神性を追求し続けたアラウの、最後の到達点ともいうべき演奏だ。
ここではシューベルトやドビュッシーならではの魅力的な旋律も美しく歌われるというよりむしろ朴訥と語られるような感じだし、音の響きもいわゆる綺麗さとは程遠く、武骨ですらある。
音楽の流れも決して流麗なものとはいえない。
しかしその一音一音かみしめていくような音楽の運びのうちに立ち現れてくるのは、まさに作曲者の精神的真髄ともいうべきものだ。
感覚的な美や効果を一切そぎ落として、音楽のエッセンス、作品の深い音楽だけを露わにするような、厳しいまでの孤高の名演である。
アラウがいかに優れた、そして血の通った人間として、ここに収められた作曲家の人と音楽のよき理解者であったかが、フレーズを通して聴き手の心に伝わってくる演奏である。
作品の様式は古典的精神でよく把握されており、いささかの緩みもみせないが、そこに盛り込まれた表現のなんと温かいことか。
響きの柔らかさも特筆に値する。
完全な意味での人格性を担った演奏とは、こうしたものを言うのであろう。
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2008年09月09日
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「魔笛」「フィデリオ」「タンホイザー」など、ドイツ・オペラの合唱曲5曲と、ヴェルディの代表的なオペラの合唱曲を6曲収めた、いかにも才人シノーポリらしい選曲のディスクである。
演奏は、この人一流の演出巧者なもので、緩急起伏を大きくつけながら、どの曲も表情豊かに仕上げている。
たっぷりと内容があり、聴いた後に大きな満足感が残る。
音楽の各部分が有機的に息づいていて、音楽生理的に快感をもたらす。
最も興味深いのは「タンホイザー」第2幕の大行進曲。
ドイツ風のがっちりとしたリズムや底力にみちた壮大な咆哮の代りに、躍動するような軽やかなリズムと透明で明快はハーモニーの色彩がある。
特に「歌の殿堂をたたえよう」などは、その好例だ。
ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団も精妙でエスプレッシーヴォな合唱を聴かせる。
録音も卓越している。
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2008年09月08日
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名ピアニスト多しといえども、イタリアの巨匠アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリほど、天才の名が与えられてしかるべき演奏家も他にはいないであろう。
完璧にコントロールされた技術と高い精神性、そして作品に捧げられる献身的情熱とが結晶となった彼の音の世界は、まさに演奏芸術の頂点を究めた表現活動であり、余人の追随を許さない高みにあった。
キャンセル魔、過敏なまでに神経質な対人関係、録音嫌いなど、彼にまつわるエピソードは尽きることがない。
しかもこうしたうわさ話は、時に一人歩きし虚像をいたずらに大きくしてしまった感すらあるが、ひとたび彼の演奏を耳にすれば、その神秘的なまでの美しさは聴く者すべてを虜にし、紛れもないミケランジェリの音と音楽の世界があることを確信させた。
そしてピアノ演奏の測り知れない奥深い領域へと聴き手を導くとともに、音楽がいかにかけがいのない表現活動であるかを再確認させてくれたのだった。
彼の後継者などあり得ないし、彼に比較し得るピアニストもまたあり得ない。
神秘の音楽家であり、独自の美学に支えられた演奏芸術は彼の死とともに消え去ってしまった。
私たちに許されているのは残された録音で演奏を味わうことのみだが、最初の一音から特別の経験へと誘うミケランジェリの芸術を可能な限り、率直で、純粋な心と耳とで受け止めたいものである。
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2008年09月07日
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両曲とも傑作で、現代音楽を敬遠している向きにも広く薦めたい名演奏である。
ミトロプーロス(1896-1960)は近代・現代作品を得意にし、シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲は同じクラスナーのソロでNYPと録音していた。
シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲のクラスナーは1940年にストコフスキー&フィラデルフィアo.と同曲の初演を行っている。
まず、プロコフィエフの交響曲第5番が素晴らしい。
ミトロプーロスの音楽からは豊かな人間性が感じられ、明晰な知性と豊かな広がりを兼ね備えたスケールの大きい演奏となっている。
同時にシャープな切れ味もいたる所に見られ、強い緊張感と相まって目が覚めるようだ。
シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲ではクラスナーの音色が美しく、集中力のあるすっきりとした演奏を聴かせる。
ミトロプーロスの指揮はスケールが大きく、今日の指揮者では太刀打ちできないものがある。
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2008年09月06日
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1988年に世を去ったバッハ演奏の権威シェリングの録音で、彼のバッハの音楽に対する深い傾倒と研鑽が集約的に示された演奏。
骨格のたくましい、線の太い演奏で、表現に深みが加わり、バッハの音楽のもつ構成的な美しさと精神的な深さを、あますところなく表出している。
例えば第1番の第1楽章の中間部のアダージョの深々とした感情の表し方に、それが出ている。
第1番はシェリングの音色の美しさが抜群で、愁いの心や訴えが切々と迫り、オーケストラも毅然として熾烈な響きとリズムをもつ。
第2番は流麗によく歌い、情感とニュアンスにあふれており、柔らかく深く厚いハーモニーで独奏を支えるオーケストラも見事だ。
よくまとまった演奏で、両曲ともに第2楽章が傑出している。両曲ともバッハの音楽を存分に味わわせてくれる。
リバールも好演。コレギウム・ムジクム・ヴィンタートゥールの響きも柔らかで美しい。
現代的な解釈による最もオーソドックスな演奏だ。
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2008年09月05日
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アンセルメ死の3か月前、燃え尽きんとするローソクの最後の輝きを見るような名演である。
この作品の幻想的な色彩性を、アンセルメはいかんなく演奏に出している。
精密な表現と比類のない造形力をもったこの演奏は、長年にわたってこの曲を手がけてきた彼の自信と執念を感じさせる。
このバレエは、ときに舞踏的というよりは記述的になる交響詩的要素をもっているが、その性格描写と魔術的世界の色彩性とがこんなにもぴったりと表された演奏は初めてである。
特に各場面の描き方のうまさ、リズムの迫力ある扱い方、そして「子守歌」から最後にかけての盛り上げ方のうまさは、まさに絶妙。
劇的効果を強く出した演奏で、「火の鳥」の最大の演奏といっても過言ではない。
オーケストラはスイス・ロマンド管弦楽団(OSR)ではなく、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との録音だが、これはアンセルメがOSRよりすぐれたオーケストラを望んで実現したもので、彼がいかに自分の求める音を見事に引き出しているかがわかるという意味でも非常に興味深いものである。
巨匠アンセルメの貴重な遺産。
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2008年09月04日
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フルートはバッハのお気に入りの楽器の一つであった。それは「管弦楽組曲第2番」や「ブランデンブルグ協奏曲第4番」といった作品のなかでフルート(後者はブロックフレーテ)を大変活躍させていることからもよくわかる。
BWV1031は、残念ながら、バッハの作品ではないという疑いが濃い作品だが、この第2楽章「シチリアーノ」の旋律は実に優雅で哀愁を帯びており、ピアノ独奏用にも編曲され、多くの人に愛され、親しまれている。
演奏はニコレの得意としているレパートリーだけあって、さすがに聴きごたえがあり、清澄、透明、精彩にあふれている。
円熟・達意の境地にある2人、ニコレとリヒターがコンビを組んだこの演奏は、華美に流れるのを抑え、ひたすらバッハの音楽の真髄を探り、それに迫ろうとする気迫、そして生み出された堅実にして気品のある世界があり、聴き手はその意志と成果に動かされる。
様式にはいささかの歪みもなく、テンポもこれ以外は考えられないほど妥当である。
どの曲も、速い楽章の生き生きとしたムジツィーレンの喜悦にあふれる輝き、緩やかな楽章の歌の表情のこまやかな陰影の流動感の見事さなど音楽的には寸分の隙もない。
ことに、一点一画もおろそかにしない、端正なアプローチの仕方は、いつもながら見事だ。
曲ごとの楽想をうまくとらえたリヒターのハープシコードも、均整のとれた表現ですばらしい。
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2008年09月03日
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歌曲集「マリアの生涯」のオリジナル版とこのソナタ集のグールドの演奏は、ヒンデミット再評価のきっかけを与えたといえよう。
特にこのソナタ集では、ヒンデミットのコンセプト、その観念に溌剌とした生命を吹き込むことによって、それまでのいわゆる新即物主義的とされた醒めた客観的解釈とは異なった世界を築いた。
ヒンデミットの曲は、丹念に、職人的完璧さで書かれた堅実一点張りの印象を受ける。
グールドは作品を実に忠実に、あるいは執拗に追いかけて飽きることがない。
そして多少古めかしいが、外観だけは堂々としている音の建築を作りあげてみせる。
グールドの力で、ともかくこの3曲のソナタはその本来の姿を現した。
例えば葬送行進曲の内省から、二重フーガによるエクスタシーの境地まで、はじめてヒンデミットの音楽のオリジナリティ、その魅力が明らかにされた。
ヴェーベルンと対照させたグールドのヒンデミット論も秀逸で、初版の価値を改訂版と比較して論じた「マリアの生涯」論とあわせて読むとグールドのヒンデミット観がよくわかる。
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2008年09月02日
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セルが好んでいたシューマンだが、この全集は彼の全ての録音の中でもトップに挙げられよう。
実に清潔な、そして楽想を丹念に歌わせたシューマンだ。
セルは解釈家としての非凡な才能を見事に発揮している。そして、いささかの誇張もなく、シューマンの音楽を再構築することに成功している。
テンポの設定のうまさ、各パートの非凡な正確さ、そしていかにもシューマンその人の情感をじかに感じさせる音色の美しさ!
これこそ、クリーヴランド管弦楽団にして初めて可能になった新しい表現の領域といえる。
セルは鍛え上げたクリーヴランド管弦楽団と一切の無駄口をたたくことなく作品の核心へと分け入っているが、結果としての演奏はこぼれるばかりの喜びと美しさに満ちあふれており、シューマン熱い情熱と甘美な夢に浸らせてくれる。
作品の世界を音楽家としての責任と愛情をもって歌い上げた、まさに大家のみに可能な名演であり、何度聴いても新しい。
しかもセルの姿勢には自身を自ら律するような高潔な気品があり、聳え立つ樹木を仰ぎ見るような美しさもたたえていて、この存在感に学ぶべきものは大きい。
作曲者の生誕150周年を飾った名盤である。
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2008年09月01日
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ヴェデルニコフの"再発見"はピアニストの国ロシアの奥の深さを改めて認識させるものだった。
同じネイガウス門下のギレリスやリヒテルと並ぶ大ピアニストながら、政治的な理由で活動を制限され、最近になってその実像が明らかにされるようになった旧ソ連の巨匠ヴェデルニコフ。
死後に復刻された一連の録音はどれも聴き応えのあるものばかりだが、このブラームスはヴェデルニコフの資質がとりわけ直截に表れた録音の一つといえるだろう。
間奏曲作品117と118では、曲ごとの暗い郷愁的なロマンティシズムを現出させながら、ブラームス晩年の諦観を明らかにしている。
ことに作品117-1の内省的な歌や118-6の行き場のない絶望感などにみる曲の本質のみを露わにするような語り口は、ヴェデルニコフならではのものだ。
そうした味わいはまさにブラームスの音楽に対する深い洞察から生まれてくるものだろう。
音楽における真の叙情性とは何たるかを考える上で、このヴェデルニコフの演奏はきわめて重要な位置を占めている。
名技性と表現の彫りの深さが一体となった「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」も聴きものだ。
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