2009年03月

2009年03月31日


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作品番号のついた41曲のほかに、新旧の「ランバッハ」を含めた46曲の交響曲を収めたものである。

これは、モーツァルトの音楽のもつ、しなやかな表情や甘美な情緒よりも、構成的な美しさや、内容的な深さを追求した演奏で、いずれの曲の場合も、硬質な表現である。

そのため、初期の作品では、愉悦的な明るさは伝わってこないが、後期になるほど、ベームらしい威厳と風格がにじみでた名演となっている。

1959〜68年にかけての録音のため、音楽的にも極めて充実しており、しかもベーム壮年期の覇気をも感じさせる演奏である。

これはオーケストラがベルリン・フィルということも関係があるのかもしれない。

何の変哲もない表情で一貫しながら、どの曲も作品自らに語らせる説得力を秘めている。

そのため、特に「ハフナー」以降の充実は著しく、数多くある録音を聴き直してみると、改めてベームとベルリン・フィルの演奏の素晴らしさを再認識する結果となった。

ベーム盤は、一つ一つの音を厳しく突き詰め、その上に確固たる造形感が築かれる演奏で、この録音の時期のベームには、まだ最晩年ほどテンポの遅さからくる重苦しさがなく、モダン・オーケストラによるスタンダードな名演の一つと言えるだけの質を持っている。

その堅固な造形と内的緊張の高さ、オケの名技性は比類がない。

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2009年03月30日


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実に風格のある演奏だ。

堂々としたスケールを持ちながら、細かい部分にまで心が行き届いていて、シューベルトの交響曲から交響的厚みと重量感とを豊かに引き出している。

シューベルトはベームがもっとも愛好した作曲家であり、それだけにシューベルトの様式を知りつくし、強い共感と作品に対する無類の誠実さに貫かれている、なんとも美しい名演ばかりだ。

ワルターとは対照的な表現で、シューベルトとしては、全体にがっしりとした骨組で、やや武骨な感じもするが、整然たる美しさをもった演奏である。

どの曲にも素朴な心情とあたたかい感情が流れており、「未完成」や第9番はもちろんのこと、第1番などの見事なほどに音楽的で純粋な表現にも魅了される。

あくまでも楽譜を忠実に再現し、正攻法で作品に挑んでいるところが、いかにもベームらしい。

悠揚とした足取りと自然なアゴーギクによって、シューベルト独自の旋律がのびのびと息づき、造型は一分の隙もなく、内部に素朴な力を宿している。

シューベルトに不可欠なヒューマンなぬくもりが示されているのもよいが、それよりもベルリン・フィルがベームの手にかかると俄然ドイツ的な響きに変容するのが不思議だ。

この名演揃いの全集から、ベームの芸術的特質のすべてが窺え、ここにはベームの芸術のすべてが含まれているといってもいいだろう。

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2009年03月29日


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「ミサ・ソレムニス」がベートーヴェンの最高傑作であることを実感させてくれる稀有の名演である。

何の理屈もなく、ただひたすら聴き込まされてしまうような熱演を行なっているのがバーンスタインである。

演奏会の雰囲気をそのまま収めているだけに、その緊張感には独特のものがあり、バーンスタインの率直でひたむきな情熱といったものが、聴き手にひしひしと伝わってくる。

いかにもバーンスタインらしい作品への共感度が、ライヴ録音によって一段と強く表出され、きわめて劇的で集中力の高い演奏となっている。

まさに合唱、オーケストラ、独唱が、聴衆を含めて一体となって、ベートーヴェンの音楽に没入しているかのような感じを受ける。

無心なバーンスタインの心から投影されてくるベートーヴェンの音楽は、民族国境をこえて、まさしく世界をひとつに結ぶ力をもっている。

この求心力、緊張力の持続はライヴ独特の強味でもある。

カラヤンのよく計算された、完璧ともいえる演出の巧みさこそないが、ここには素晴らしい集中力と、爆発的な熱狂がある。

独唱はベテラン揃いで、なかでもモーザーのスケールの大きな歌いぶりや、シュヴァルツの端正な歌唱は見事だ。

声楽陣も、この指揮者の真摯な姿勢に感化されたような、スケールの大きい充実した歌唱を展開しており、すべての演奏家が最大の力を出しきった、全く自然に音楽を作っていく様は感動的である。

録音もコンセルトヘボウ独特の豊麗でコクのある非常に好ましいものだ。

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2009年03月28日


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「イタリア」はセルの新古典主義的な芸術と、作品の様式とが完全に一致した名演である。

「イタリア」は驚くべき速さで全曲が演奏されているが、オーケストラは一瞬たりとも破綻を露呈していない。

完全に縦の線―和音とリズムの線が整っている。

セルはクリーヴランド管弦楽団を信頼し、その能力を最高度に発揮させることによって、このような演奏をつくりあげることができたのだ。

そしてメンデルスゾーン特有の匂うように爽快な、若々しいロマン主義を表現している。

第3楽章のみならず、第1楽章の反復も行い、速目のテンポと厳しい造形の中に意外な温かさやデリケートな情感(特に第3楽章)を折り込むことに成功している。

「真夏の夜の夢」も徹底的に磨かれたアンサンブルが一種の爽快感を与える。

「フィンガルの洞窟」も対旋律を明確に浮かび上がらせ、音構造をしっかりと見つめた演奏だ。

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2009年03月27日


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クーベリックが再度チェコ・フィルの指揮台に立った際の貴重なライヴ録音。

社会主義化に反発して旧西側に亡命したラファエル・クーベリックが、そこでの新たなキャリアに最も大きな足跡を残したもののひとつが、1961年から79年までのバイエルン放送交響楽団の首席指揮者としての活動であったことは間違いない。

その間にかなりの数のレコーディングも行なっており、そのレパートリーはドイツ=オーストリア音楽やチェコの作品においても、特に高い評価を得ていたが、ドヴォルザークの交響曲全集は、1966年から73年にかけてベルリン・フィルを指揮して収録された。

それは、生涯にわたってチェコの音楽家であることを自覚していたと思われる彼の美点が最高に生かされたものであるが、1991年10月11日に、この作曲家の生誕150周年記念演奏会でチェコ・フィルを指揮したこのライヴでは、その上に多様な感慨が加わり、オーケストラの感動と喜悦もまじわって、稀に見る円熟の境地に聴く者をひきつけている。

クーベリックの指揮は気力と熱気にあふれ、「プラハ」冒頭のアダージョからきわめて壮大で彫りの深い表現だ。

それにしてもクーベリックは何と若々しく、音楽する喜びを表しているのだろう。

「新世界より」も鋭いティンパニの打ち込みを始め、精彩に満ちた力強い表現で、若々しい気迫に満ちた音楽を聴かせる。

さすがチェコ出身の巨匠が、解放された祖国で全力を傾けた演奏である。

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2009年03月26日


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機能性、整合性、詩的情感、迫力、ふんだんに見せ場のある交響曲ゆえ、どのCDも高い技術力に支えられた演奏で魅力的だったが、私は特に心に響くものを選んだ。

バルビローリがニールセンを録音したのは第4番だけだったが、さすが北欧を愛したサー・ジョンの演奏には血がかよっており、"うた"があり、捨て難い。

北欧音楽を得意としたバルビローリは手兵のハレ管を率いてデンマークに演奏旅行を行なった際にも「不滅」を演奏し、ニールセンを国民的大作曲家と仰ぐデンマーク楽界から絶賛を浴びた。

バルビローリ/ハレ管は自然の生命同様、人間の生命に具わる不抜の力、不屈の精神を表現したこの交響曲にふさわしく、他には見られない暖かな音でおおらかに伸びやかに歌い、しかも力強く烈しく燃える生命の躍動感に満ちている。

ニールセンは神秘的でなく人間的である。

音楽の不滅と人間性の不滅を熱っぽく歌いあげるニールセンの魂が翼を得て飛翔するかと思われるような入魂の演奏だ。

バルビローリ自身がシベリウスの第3番を「過渡期の交響曲」と呼んでいたが、彼が実践したボーイングのメソッドの修正が効果的におこなわれ、新しいサウンドが生み出されている。

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シベリウスの交響曲全集では、ブロムシュテット盤がオーケストラの技巧も録音もとびきり優秀だ。

作品への愛情と理解ではベルグルンドにひけをとらず、彫りの深い明確な造形で、スケールの大きい名演となっている。

ブロムシュテット/サンフランシスコ響の一つ一つの音にこめられた透明感と陰影、磨き抜かれた音の壮麗さと奥深いダイナミズムによって繰り広げられる音楽の世界は、叡智と美の結晶体を思わせる。

外国のオーケストラにとってシベリウスは必ずしも理解し易いものではない。

しかしブロムシュテットはまず第4番と第5番を与え、彼の豊かな経験と学識、自身によって立つ北欧人の感性によって見事にしかも最高にシベリウスの世界を実現した。

全体に骨格がたくましく、ニュアンスが豊かな音楽に仕上がっている。

第4番は重厚さと独自の洗練性が特色で、第3楽章ではひとつひとつの楽想を吟味するように歌わせ、孤高の哀愁を漂わせる。

終楽章ではグロッケンシュピールの代わりにテューブラーベルズを用いているのがユニークだ。

第5番も秀演で、何よりもこの曲が牧歌的様相を持っていることを発見させられるのが興味深い。

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2009年03月25日


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ほぼ50年近くも前の録音になるけれど、ここではリヒテル盤をとりあげておきたい。

「さすらい人」はいかにもリヒテルらしい、がっしりとした構成感をもった演奏だ。

冒頭からぐいぐいと強烈な意識的な力を示しつつ音楽が展開していくが、それは決してテクニックを披瀝して力でねじ伏せるのではなく、まさしく作品に秘められたエネルギーを解き放っている。

この曲は全体にシューベルトとしては珍しく超絶的な技巧を駆使して書かれており、終楽章などは、あまりにも難しすぎて、シューベルトでさえ満足に弾きこなせなかったという。

そういう演奏テクニック上の困難さだけではなく、表現内容も複雑多岐に渡り、困難さを数多くかかえているこの曲を、リヒテルは充分な余裕をもってクリアしている。

天を駆け、地を這うような起伏の豊かさがスケール大きく照射されており、そのなかにシューベルトならではの息の長い歌心も見事に描ききられていて、なんとも素晴らしい。

また、ダイナミクスの幅を抑え、明るい情感を浮かび上がらせるソナタでは、きめ細かな抒情を豊かに聴くことができる。

録音状態を多少差し引いたとしても、この演奏から聴くべきものは、今もって多いといえよう。

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2009年03月24日


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アバドの指揮とスカラ座管・合唱団の演奏は完璧としか言いようがない。

精緻で禁欲的な引き締まった音楽をつくりながら、まさにそのことによって作品がメロドラマに堕することを徹底的に排除し、全体をきわめて高い芸術水準にまとめ上げたアバドの指揮にまず感嘆する。

この作品のもつ、ダイナミックで、かつ抒情的な性格を、アバドは完璧ともいえる見事さで再現している。

オーケストラ、合唱ともにスケールの大きな表現で、申し分のない出来だ。

人と人の織りなす綾を、明から暗への変化を、破局という坂をころげ落ちるドラマの勢いを、見事に描いている。

歌手もアバドの解釈と合致して、音楽的なまとまりが良く、ドラマのすべてをヴェルディのスコアの中から引き出そうという態度だ。

まずレナートのブルゾンが素晴らしく、気品のある声と歌唱は役にうってつけで、知的で端正な歌唱を聴かせ、傑出している。

リッチャレッリのアメリアも力のこもった歌いぶりで健闘している。

ドミンゴもやや生真面目なリッカルドであるが、申し分ない。

脇役に、オブラスツォワ、グルベローヴァといったそうそうたるメンバーを配しているのも、素晴らしい。

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チャイコフスキーの生誕150年を記念した、1990年6月、スヴェトラーノフとロシア(ソヴィエト)国立交響楽団のコンビが来日した時のライヴ録音である。

一般にロシアの音楽家というのは、骨太で豪快な表現をおこなう人が多いが、スヴェトラーノフは、むしろ肩の力を抜いて、抒情性を大切にした演奏をおこなっており、そこに強く惹かれる。

何よりも真実味に富んだ音楽的な感興があり、しかも全体の設計に無理がない。

平衡感の強い造形で、各パートも細部までよく練られ、明晰な音楽が生まれている。

金管にロシア風の強烈さがあるのは当然だが、ここまで洗練された感覚美を感じさせるのはロシアのオケではあまり例がない。

この決然とした表現はロシアの血の表明であり、聴き手を説得せずにはおかない本場物のよさがある。

まるで重量物が大きく弾む様を思い浮かばせるが、スヴェトラーノフとロシア(ソヴィエト)国立交響楽団によるこうしたロシア的特質は、豪壮雄大なロシアのオーケストラの音楽の特徴を今に伝える貴重な存在といえよう。

いわばスマートさのない素朴な表現だが、それが民族主義的なこの作品にふさわしい。

クライマックスはやはり第4楽章で、ここでは鋭さが表面化されない動感と堅固な構成力が、堂々とした表現を作っている。

このライヴの頃からは、スヴェトラーノフの指揮もかつての猛烈型から多少抑制された表現へ変貌してきたが、持ち前の重厚で豊かな叙情に富む音楽はさらに個性的魅力が増したようだ。

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2009年03月23日


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第8番は、作品の内面に凝集されたエネルギーを鮮やかに解放し、強い説得力をもっているとともに、じつに柔らかなよい演奏だ。

作品のもつ、ユーモラスで愛らしい特徴をよく生かした演奏である。

全体にロマンティックな味わいにみちた表現で、細部にまで磨き抜かれた、表情豊かな演奏をおこなっている。

ことに第3楽章は素晴らしく、その柔らかく、おおらかな雰囲気は、ワルターならではの魅力があり、老ワルターが相好をくずしながら指揮しているような、心のあたたまる演奏だ。

第9番の演奏は、第3楽章までがハリウッド、第4楽章がニューヨークで録音されているため、当然、オーケストラが異なるが、演奏は第3楽章までが素晴らしく美しい。

第4楽章は声楽が入るまでは遅めのテンポで堂々とした音楽をつくっているのはよいが、バリトンのウィルダーマンの品格のなさにやや不満が残る。

とはいえ、久々に表現力たっぷりのオーケストラを前にして、ワルターの中に燃え立つものがあったのであろう。

全体にワルターの特色が存分に表わされており、興味深い表現といわねばならない。

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classicalmusic at 01:00コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンワルター 

2009年03月22日


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ワルターの第7番は、劇的な起伏より純音楽的な美しさを求めた平衡感の強い、音楽的に練りあげられた表現である。

しかし、巨匠的ともいえるスケールの雄大な音楽で、81歳の指揮者とは思えない緊張力と生命力に感嘆させられてしまう。

野性的といえるほどに情熱的なこの第7番を、ワルターは平穏な特徴をつかんで演奏しているところに特色がある。

大人しく、表だった迫力や推進力よりも、ご飯をゆっくり噛んで味わうような趣があり、それはそれで美しい価値がある。

スケルツォと終楽章をトスカニーニと比較してみると、その特徴がよくわかる。

ワルターのように、円満な表情でいたずらにまくし立てない壮麗な雰囲気をもった演奏も、ドイツ流の伝統的なものとして尊い。

ギリシャ的舞踏の聖化を、ワルターは柔軟で優美な形象の雰囲気から描き出そうとする。

終楽章にしても、はめをはずした歓喜の酩酊はなく、ワルターは香り高い酒の匂いを楽しんでいる。

歓喜のなかに沈思を求めたのがこのワルターの「第7」である。

また第2楽章での、前打音を拍の前に出す扱いは珍しい。

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2009年03月21日


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ロマンティックな表情で、のびのびと旋律を歌わせた演奏である。

その柔和で素朴な情感は、ワルターの穏やかな人柄がそのままあらわれているかのようだ。

ワルターは、ハイドンやモーツァルトでも数多くの名演を残しているので、ふたりの作曲家の影響が色濃いこの2曲など、古典派の歴史をひもとくつもりで、ワルターの演奏で聴くのも面白いのではなかろうか。

ワルターは、彼の個性の中にもっているモーツァルト風の特徴をはっきり出し、決してドイツ風の濃い表情をとらず、むしろ何の屈託もなく自然に表現している。

誇張もなければ強い主張もしない。柔らかに流れるように演奏している。

そうかといって、ハイドン風に様式化された表現ではなく、やはりモーツァルトの柔軟で優雅な音楽的雰囲気の演奏である。

第1番はワルター独自のアゴーギクによって、徹底して歌わせた演奏。

個性的ではあるが、作品の古典的構成を無視しているわけではなく、そのニュアンスの豊かさは十二分に評価できる。

第2番は交響曲全曲中の傑作のひとつで、青春の歌とも形容したい作品をロマンティックに、生き生きと表現して余すところがない。

実にあたたかく、人間的に息づく音楽である。

ことに第2番のほうは、ワルターが録音したベートーヴェンの全交響曲のなかでも、トップランクのものである。

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2009年03月20日


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ワルターの指揮した、ベートーヴェンの「交響曲全集」のなかでは、偶数番号の作品演奏がよいといわれているが、第4番は、柔和な表情とあたたかさで光った演奏で、ワルターはロマンティックな性格の濃いこの作品を、ごく自然に歌い流しながらまとめている。

この作品のおおらかで屈託のない詩想がなみなみと表現されていて、暗い影の認められない抒情的な幻想が豊かに湧いてくる。

実に音楽の美しさを感じさせる名演である。

フルトヴェングラーのようなスケールの大きさはないが、ことにベートーヴェンの甘い恋愛感情のあふれ出た第2楽章の旋律の高雅なロマンにみちた歌は絶品といえ、他の指揮者には求められないものである。

「運命」はワルターの特性で塗りつぶされて完全にワルターの「運命」になっている。

そこに流れている音楽性の豊かなことには、何人も敬意を表さざるを得まい。

ワルターの晩年のベートーヴェンには信じられないほどの、若々しい気迫から生み出される音楽の新鮮さには驚かざるを得ないが、特に「運命」にはそうした特徴がよくうかがえる。

速めのテンポでさっそうと表現される第1楽章など、全く若々しい。

全体的にはロマンティックな柔和さと、激しい情熱とが同居しているような演奏である。

晩年のワルターが、いままでの波乱にとんだ体験を告白しているかのような感じの表現で、ややゆったりとしたテンポで旋律を歌わせながら、悠然とまとめている。

万人に愛される標準的な演奏だ。

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晴朗に歌いながらも、要所をよく引き締めていて清澄で格調の高い演奏を聴かせるとともに、ワルターらしい伸びやかな音楽の広がりがスケールの大きさを感じさせる。

ワルターの演奏は、いたずらに劇的な誇張をさけたダイナミックな進行で、この曲が内に秘めた大らかな世界を十二分に歌い出している。

充分に音を柔らかくふくらませて、オーケストラ全体をよく歌わせた表現である。

やや遅いテンポで悠々と大きく歌ってゆくところ、あたかもとうとうとした大河の流れを思わせるかのような、悠然とした演奏で、その流麗で気品の高い表現には惹きつけられる。

旋律はふくらみをもって深呼吸で歌われ、あくまでもおおらかでスケールが大きい。

ピアニッシモはまるでささやくように、そしてクレッシェンドの幅は大きなうねりのように盛り上がるが、それでいて全体の表情は穏和で情緒的だ。

特に第2楽章と終楽章にワルターの個性が美しく出ている。

第2楽章の葬送行進曲は深い感動を表現しており、テンポと後半の対位法的進行のところの見事な処理、第4楽章の大きく波打つような情感の盛り上がり、こうありたいと思う表現である。

ワルターの録音では、最高の演奏のひとつである。

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2009年03月19日


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"モーツァルト弾き"として有名なピリスだが、この演奏には、いかにも彼女らしい自然さがあらわれており、好感がもてる。

清楚であたたかな感触が素敵だ。

情感豊かで洗練された演奏で、多くの人を魅了するショパンを弾くのがピリスだ。

でもこのワルツ集は、現在のようになる前のピリスによって弾かれている。

もしかしたら、その後のピリスの演奏を知った者にとってこそ、良さが分かるのかもしれない。

円熟する前の、若々しく、生気に富んだショパンのワルツだ。

深く掘り下げ、繊細な表情をつくり出すかわりに、生き生きした感覚を信じて弾いている、直線的な演奏の良さがある。

14曲を収めているが、リパッティ盤同様、配列をかえており、いわれてみると、かのリパッティの演奏をモデルとしているように感じられるところもあり、音楽の一貫した流れを大切にしている。

まったくためらわずにワルツの動きに身を委ねるところなど、若いピリスの新鮮な感性がショパンの音楽の弾力性を引き出しているようで、聴き進むうちに、この決して健康的ではないように思える音楽に、すがすがしい気分にさせられてしまうことになる。

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classicalmusic at 07:49コメント(0)トラックバック(0)ショパンピリス 

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「巨人」はワルターの数多いレコードでも、1,2を争う秀演で、曲の抒情と大胆な楽想の変化、劇性の起伏が完全にワルターのものとして消化されている。

ワルターはこの曲の抒情を輻輳した気分の転換、そしてユニークな書法を完全に消化し、一篇の長編のようにまとめている。

その格調の高さ、一分の隙のない構成も稀有のものである。

ワルターの演奏は、自然な確信にみち、作為のない音感と、明晰な造型とをもって、聴く者を大きく作品の世界に引きずりこむ。

マーラーの音楽になんらかの抵抗を感じられないではいられないとしても、そうした抵抗をほとんど無用のものと化せしめるに違いない。

そして、ともかく、レコードが鳴っている時間は純粋にマーラーの音感に彩られるに違いない。

この呪縛は、やはり強烈な体験であろう。

いずれにしてもワルターはマーラーの語法や管弦楽法を完全に掌握しており、そこにワルターならではのぬくもりを実感させる。

オケの弦のひびきなど、若干の弱点もあるけれど、その語り口は充分によく咀嚼されつくされており、今なお刺激的であり、示唆的である。

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classicalmusic at 04:32コメント(0)トラックバック(0)マーラーワルター 

2009年03月18日


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定評あるヴァルヒャのバッハ:オルガン作品全集がこのように格安で入手できるようになったのは喜ばしい。

J・S・バッハのオルガン作品の全貌を初めてレコードにしたのは、ヘルムート・ヴァルヒャである。

戦争直後に企画されたその録音は、1947年から52年まで続いた。

録音には主にリューベックの聖ヤコブ教会の小オルガンとカペルの聖パウロ・ペテロ教会のシュニットガー・オルガンが使われ、北ドイツのバロック・オルガンの美しい音色と澄んだ響きも新鮮な魅力がある。

ヴァルヒャのバッハ演奏の原点であるこの若々しい演奏は、今聴いても実に新鮮だ。

ヴァルヒャの解釈は有機的で、作品を構成する動機や音型が豊かな感情に裏づけられており、そのために音楽が自然な流れに乗って生き生きとした姿を現わす。

音楽のポリフォニックな構造はあくまでも明晰で、決して情念的に流れることのない表現は素晴らしい力強さを持っている。

16世紀に由来するというオルガンの音も清潔で美しい。

この覇気に溢れ、自由な精神を実感させる演奏は、ステレオによる再録音では味わえない魅力をもっている。

記念碑的な録音というべきだろう。

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classicalmusic at 18:38コメント(0)トラックバック(0)バッハヴァルヒャ 

2009年03月17日


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ザンデルリンクの指揮はまさに堅実そのものである。しかしこの演奏ではその中に、作られた効果抜きで、美しいニュアンスを盛っている。

このひとの音楽の中には、どこか身をこわばらせながら内側で熱い風を吹かせているようなところがあり、それが情にのめり込むまいと心に決しながら、しかも足もとは断崖に立って辛抱しているような姿であるところが大変面白い。

弦や木管はもちろん、金管までも美しくつや消しされて、色彩の沈んだ北欧的感性の固有の美しさが大変よく出ている。

全体をまとめる構想も堅固なもの。

ひたひたと押してゆく着実な足どりはザンデルリンクに特有のもので、第2番では最後を大見栄きってわめき散らすような児戯的な盛り上げ方をしない。

それでいて、緊張感は静かに高まっている。

地味ながら好演である。

堅実さと素朴さが密着し、徹底的な合奏美を目指した、いかにもドイツ的な演奏だ。

第6番がひときわ素晴らしく、あらゆる細部が見事に統率され、しかもアンサンブルがきめ細かく、すべてが磨きぬかれている。

透明度の高い音にはヒューマンなぬくもりがあり、それがシベリウス特有の旋律を歌っているのも好ましい。

第7番も同様の演奏だが、この曲ではいっそう幻想的な情緒の広がりが欲しい。

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classicalmusic at 20:10コメント(0)トラックバック(0)シベリウスザンデルリンク 

2009年03月16日


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ザンデルリンクのショスタコーヴィチには一種特有の抒情感がある。

それはドイツ的とも形容したい濃厚な陰影にみたされており、様式的には堅固で緊張力が強い。

ロシアの演奏にあるようなスケールの大きさはないが、それに代わる端正な魅力をもった演奏ともいえる。

東ベルリンの交響楽団がこのように整ったアンサンブルを聴かせるのもザンデルリンクの手腕といえるだろう。

第1番はドイツ的堅実さというか、各楽器のディティールまで確実に処理され、はつらつとした生命力を感じさせる。

第8番は冒頭から驚くほどの緊張感をもった表現である。合奏の精度も非常に高く、このオーケストラの最盛期の状態を示しているといえる。

ザンデルリンクは、スコアを精確に音にしながら、そこにロシア的な暗い情緒をよく表現している。

しかもドイツ人らしく、構成力が強く、後半の連続する3つの楽章は堅固そのもの。

そのため、ロシアの演奏家によるものや、他の西欧のオーケストラの演奏などとはかなり異なった趣がある。

第10番は最近演奏される機会が増え、カラヤンは2度も録音している。しかしこのザンデルリンク盤を聴くと、このように精巧に書かれた楽譜の再現にも、驚くほどの民族性が反映することがよくわかる。

この演奏は、他のどれよりも重厚・堅固で、そしてブラームスのような深く沈んだ響きがする。ショスタコーヴィチがまるでドイツの作曲者であるかのようにきこえるのだ。

管と弦もしっとり溶け合い、全曲の造形も見事。

ザンデルリンクがほとんど真面目一徹に構えた第15番の演奏は、この曲のもつ寂寥感をいっそう強め、さらに一歩進めて音楽そのものへの冷ややかな観念を物語っているように思われる。

オーケストラもまた一分の隙も油断もない室内楽のようなアンサンブルで曲を見つめている。

この曲を論じるためには1度は聴くべき演奏といってよいだろう。

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classicalmusic at 03:06コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチザンデルリンク 

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ザンデルリンクの誠実さには頭が下がる。

曲の外的効果に頼らず音符の一つ一つを丁寧に音化していく中から、作品の真の姿が浮かび上がってくる。

ドイツ的ともいえる几帳面な構成、緻密な設計でまとめた演奏であり、響きが豊かで力強く堂々とした風格を感じさせるのも、ザンデルリンクの自信を示している。

リズミカルな部分はどことなく重々しいが、これもドイツ風といえるかもしれない。

全体にスコアに忠実だが、無用に神経質にならないことにも好感がもてるし、作品の内部に秘められた作曲家の思想を着実に表出している。

特に第1楽章第2主題や第3楽章でのしみじみとした哀感は心に迫る。

興味深いのは、3楽章までのテンポは完全にスコアと一致させながら、終楽章だけは指定よりもかなり速く始め、最後をかなり遅くする点。

注目すべきことにこれはムラヴィンスキーの演奏とほぼ一致する。

この楽章のテンポ指定には疑問が多いが、初演者ムラヴィンスキーと、一時期彼のもとにいたザンデルリンクに共通するこの解釈には、一つの「正統」があると考えてよいかもしれない。

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classicalmusic at 00:04コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチザンデルリンク 

2009年03月15日


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作曲者をして「この曲が生涯で最も大きな成功を収めた自作のひとつである」といわしめた名作の弦楽四重奏版による最高の名演奏である。

ズスケが加わった新編成のメンバーによるゲヴァントハウスSQの初のレコードだった。

この曲はオラトリオとして書かれただけに、弦の動きは弦楽四重奏曲風でなく弦楽合奏風。

つまりきめの細かい動き、軽快な素早い動きといったものはない。

ドイツ古典、ロマン派に優れた演奏を聴かせるゲヴァントハウス管弦楽団を母体とするこのカルテットは、ここでも伝統に基づいた穏健な解釈と地味ではあるが落ち着いた運びで、じっくりとこの作品を再現しながら、熱のこもった演奏が展開される。

ただ熱気だけで押しきったものではなく、いかにもゲヴァントハウス管弦楽団のがっちりとしたまとまりを思わせるような整然としたアンサンブルの中で、表現への意欲を積極的にみせている。

こうした意欲があるだけに、全体がロマン的な傾向をおびてくるのも当然のことだが、それでいて、そこに作品に適した様式と節度があるために、古典的な格調が維持されている。

オラトリオ版ではなかなかこれほどの劇的求心力の強い演奏は生まれなかっただろう。

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classicalmusic at 20:04コメント(0)トラックバック(0)ハイドン 

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F=ディースカウは古典から現代までにわたり、信じられないような量の声楽曲を歌い、演じ、録音してきた。

その膨大な録音群の中でひときわ高峰をなしているのがこのアルバムである。

F=ディースカウによる「大全集」は、まさに偉業というべきもので、好きとか嫌いとかいう次元を超えている。

将来1人の歌手がシューベルト歌曲全集を果たして録音できるかの疑問を越えて、F=ディースカウとムーアの全集はドイツ・リートの楽しさを徹底して教えてくれる。

これをもって毎日少しずつ聴いてゆく醍醐味!

シューベルトの歌曲のうち女声用を除いてほとんどここに歌い切ってしまった彼のこれらの歌には、いわゆるやっつけ仕事としての歌唱がまったくないということも驚嘆すべきことだ。

あらためてこの20世紀最高のリート歌手の存在の大きさを思わずにはいられない。

ムーアとのコンビによる共同作業の最高の結晶である。

むろん、F=ディースカウがいればあとはいらないなどというわけでは全くないし、私も彼のレコードを日頃愛聴しているかというと、必ずしもそうではないことに気づく。

しかし思えば、F=ディースカウの規範的な歌唱があればこそ、もう少しクセのある歌手や独特の味わいを持った歌手たちの演奏を安心して楽しめるのかもしれないのだ。

ドイツ・リートのレパートリーをそれこそ網羅的に歌っているF=ディースカウだが、この『シューベルト歌曲大全集』は、最も驚嘆すべき業績の一つと言うことができるだろう。

ムーアのピアノ伴奏で400曲以上のシューベルト歌曲を録音したこの大全集には、日頃滅多に歌われない、しかしまさに珠玉のような歌がたくさん収められている。

とくにゲーテの詩への反応がよく、シューベルトの健康で男性的な一面への共感が際立っている。

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classicalmusic at 07:55コメント(0)トラックバック(0)シューベルトF=ディースカウ 

2009年03月14日


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1969年、ベルリオーズ没後150年を記念して録音されたディスクで、デイヴィスが渾身の力をこめて驚くほどの大熱演をしている。

当代きってのベルリオーズ演奏家であるデイヴィスの指揮だけに、音楽のつかみかたが的を得て射ており、しかも、かなり大胆で独創的な面白さをもっている。

「レクイエム」は、コンサートでの実演がどの程度までディスクに収録できるかの実験曲みたいなところがあり、その点CDで聴くのに最も適しており、壮観な音楽空間が展開する。

原曲の指示にはない少年合唱を用いたり、実に鋭くリズムを強調したりしており、この曲の全く新しい側面を見ることのできる演奏だ。

総体的に鋭い切れ味の演奏で、なかでも圧巻の「ラクリモーザ」での心の中まで突き刺すようなリズムはデイヴィスならではのものだ。

デイヴィスはこの録音の当時、ロンドン響とともにベルリオーズ作品を精力的に録音していたが、これもそのひとつで、指揮者はもとより、オーケストラの意気込みも凄まじく、数あるロンドン響の演奏のなかでも、最高の力演のひとつとなっている。

「テ・デウム」でもベルリオーズのスペシャリストをもって任じていたデイヴィスの熱い迸りが、真正面から聴く者に襲いかかる。

音楽的密度の高さといい、合唱団、少年合唱団ともども全力をつくしての名演だ。

デイヴィスは引き締まったテンポ設定の中で、音楽に一層ふくらみを持たせ、この大人数の演奏者たちを自由に操っている。

音の底力が厚く、デイヴィスの白熱した燃焼と集中が素晴らしい。

この2曲の最も雄弁で熱っぽいCDといえる。

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classicalmusic at 22:19コメント(0)トラックバック(0)ベルリオーズデイヴィス 

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クレーメルの演奏は、ヴァイオリン協奏曲のロマンティックな面ではなく、この曲のもつ、きわめてドイツ的なしっかりとした造型に力点をおいている。

クレーメルのヴァイオリンには一分の隙もなく、研ぎ澄まされており、その響きはやや冷たさを感じさせるほど精巧である。

クレーメルは細かい装飾楽句にまで強い集中力を保って演奏する。

それは実に緻密で厳しい造形感覚に貫かれており、エッチングの線のように鋭くオーケストラの中に彫り込まれた辛口の演奏だ。

それが、バーンスタインの柔らかいニュアンスの指揮と際立った対照を示している。

つまり精神の厳しさではクレーメルが、感情の豊かさではバーンスタインが抜きん出ており、2人が協力することによって演奏のスケールがいっそう大きくなっている。

カデンツァもユニークで、レーガーの「前奏曲」を転用している。

ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲は、バーンスタインが主導権を握ったブラームスである。

そうかといってクレーメルとマイスキーも主体性を放棄していない。

独奏のふたりと、バーンスタインの指揮が、物凄い火花を散らしているかのような、白熱した演奏だ。

ことに、クレーメルの研ぎ澄まされた音色と、マイスキーの緊迫感にみちた表現は、この曲のもつ孤高の境地を、深ぶかと描き出していて、凄い。

特にマイスキーは、以前の録音と比べると別人のようで、音に艶があり、表情も豊かで、緊張感がある。

クレーメルも例によって孤高と呼びたいほどの潔癖さで演奏している。

バーンスタインの指揮は1つ1つの音を確かめながら演奏している感じで、音楽に思いがけない広がりをもたらしている。

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classicalmusic at 19:40コメント(0)トラックバック(0)ブラームスバーンスタイン 

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ケンプ向きの曲が収められている。つまり集中力とエネルギーをあまり必要とせず、歌謡性と抒情性が際立っている作品。こういうところでケンプは持ち味を発揮する。

「エリーゼのために」をなんの気負いも感じさせず、ごく自然に歌いあげて聴き手を説得してしまうのは見事。

スケールの大きさこそないが、独特の味わいがあって耳を傾けさせる。

ベートーヴェンのピアノ曲のうちで、いちばん地味で小じんまりとし、聴き手に強くアピールするような演奏効果をあげるのが難しい曲が並んでいる。

そうした曲にあっては、無理に面白く聴かせようと小細工をしたりせず、正攻法で風格豊かに弾きこなす巨匠の演奏のみが、曲の真の聴き応えを教えてくれる。

その意味で、ケンプの演奏が最高である。

ケンプは、もともと技巧の冴えを誇るピアニストではなく、また演奏法もむろん旧世代のそれで、たとえば特別繊細な弱音効果を駆使して感覚鋭い音楽を聴かせたりはしないが、なによりも曲に対する愛と尊敬をもって、フレーズのひとつひとつを、大切に心をこめて弾いてゆく。

しかもベートーヴェンを繰り返し弾き込んだ豊富な演奏体験と研究・考察から、ベートーヴェンのピアノ音楽のなんたるかを知りつくし、自分の確固たる演奏様式を確立している。

ベートーヴェンの小曲集が、安定した古典的様式を得て、素直で愛らしく、しかも凛とした気品をもった音楽となるのである。

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classicalmusic at 00:13コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンケンプ 

2009年03月13日


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アーベントロートという、文字通り"夕映え"のように美しい名前を持ち、一説によると西ドイツのブラント元首相の実父といわれるこの往年の名指揮者は、第2次大戦後東ドイツに住んだため、存命中は日本に知られることはなかったが、幸い、ドイツ・シャルプラッテン・レーベルの数多くの録音が紹介されてからは、その人間味あふれる名演を聴けるようになった。

彼は晩年、ワイマール音楽院の院長をつとめ、同市の名誉市民でもあったが、豪奢な車などには乗らず、いつも愛用の自転車で町を走りまわっていたので、子供から老人にいたるまで市民の人気を一身に集めていたという。

ハイドンの「第88番」は彼の数多いシンフォニーの最高傑作の一つであり、フルトヴェングラー、ワルター、クレンペラー、クナッパーツブッシュなどの名指揮者が競って録音しているが、いずれもアーベントロートの敵ではない。どうか聴き比べてみてほしい。

とりわけ両端楽章の、速いテンポでたたみかけるように進めてゆく緊張感が抜群であり、音楽が生きていることは比肩するものがない。

しかも、現今の若い指揮者の皮相なスピード感とは異なり、音楽の内容が次々と掘り起こされ、抉り出されてくるさまは圧巻といえよう。

「悲愴」はもっとも、第1、4の両楽章はあまりにも遅いテンポによる主観的な演奏ゆえ、抵抗をおぼえる人もいるだろうが、第1楽章のクライマックスの迫力、第4楽章の悲しみの歌など、他のCDからは絶対に聴くことのできないものだ。

文句なしにすばらしいのはスケルツォである。これ以上彫りの深い、緊密な、細部まで生きた表現は例があるまい。ティンパニの阿修羅のような轟きや、驚嘆すべきテンポの動かし方なども言語に絶する。  

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classicalmusic at 05:26コメント(0)トラックバック(0)ハイドンチャイコフスキー 

2009年03月12日


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チャイコフスキーが名演だ。

すっきりとした淡白な表現だが、強弱のニュアンスがまことに豊富であり、歌と情感に満ち、節回しの微妙な色合いや個性もよく出ている。

チャイコフスキーのセンチメンタリズムからは程遠いが、およそヴァイオリニスティックな美しさという点では他に比べるものがない。

第1楽章の程良いメランコリーの表出とリズミックな展開、第2楽章のソフィスティケートされた抒情、そして第3楽章のまさしく手に汗を握る完璧なヴィルトゥオジティ。

アバドのキリリと引き締まった伴奏と相俟って、これは最もスタイリッシュなチャイコフスキーだ。

特に第2楽章は静けさのうちにも心のこもった表情が豊かで、何より音色が美しい。

アバドの指揮もリズミカルでさわやかだ。第2楽章のウィーン・フィルの夢見るような木管が陶酔的。

メンデルスゾーンも独特の気品ある美しさを発散しており、洗練された技巧と音色が光っている。

ミルシテインの特徴であるこの上ない自発性、曲の形式感に対する知的なアプローチ、清潔で暖かみのある音色、正確無比なアーティキュレーション、ずば抜けたリズム感が生み出す躍動感、そういったものが一体になってメンデルスゾーンの世界を見事に描き出している。

ミルシテインは切れ味鋭いテクニックの持ち主だが、それを誇示することなくひたすら音楽表現に生かすタイプのヴァイオリニストだった。

このブラームスの演奏にもそうした芸風が端的に現れている。

毅然として聴衆に媚びず、力強い響きによって弾き進めるブラームスはこの曲の表現のひとつの理想と言えるだろう。

しかも、音楽の佇まいはつねに清澄である。

そしてなにより、ここで共演しているヨッフム指揮のウィーン・フィルが見事というほかない。

ブラームスの協奏曲でオーケストラが単なる伴奏役にとどまらないのは言うまでもない。

ここではソロと同等、時によってはそれ以上に発言するオーケストラの芳しいばかりの表現にも心惹かれる。

聴き込めば聴き込むほどに味わいが増す類の名演である。

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classicalmusic at 00:00コメント(0)トラックバック(0)ミルシテイン 

2009年03月11日


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22歳の時、この曲でセンセーショナルなデビューをしたグールドが、その死の1年前の1981年に再録音したもので、いわばグールドの"白鳥の歌"となったディスクである。

グールドは、この変奏曲を2度録音している。ここに挙げたのは死の前年(1981)の方で、デビュー当時(1955)よりもテンポは遅く、驚嘆させるよりも、じっくり聴かせようとしている。

1955年録音のデビュー盤は、生き生きとした躍動感によってセンセーションを巻き起こしたが、そのドライブのかかったような前屈みのリズムに反感を持つ人が多かった。

だが彼の最後の録音となった1981年盤は、そういうエキセントリックなところが消え、代わりに演奏の彫りもずっと深くなり、非常に感動的だ。

グールドのこの81年盤は、個々の変奏の性格の微妙な描き分け、変奏曲同士をつなぐ呼吸の絶妙さ、そして彼自身が「演奏を楽しみ、それに全霊を傾けている」という点で、曲の長さを忘れて聴き惚れさせる。

彼のバッハ演奏の集大成とでもいうべき演奏で、鮮やかにテンポの対比をとりながら、考えぬかれた表現となっている。

全体に静かな印象を受けるが、それだけに後半、それも終り近くの急速な変奏が鮮やかに浮かび上がってくる。

ピアノの響きは豊かでも、重くなく透明感がある。

作品に生気を吹き込む演奏という行為の使命が最高度に全うされた美しい例である。

この新盤は旧盤と"好一対"をなすものであり、双方を聴き比べることによって、はじめて理解される性格をもつ演奏である。

その微細なタッチを余すところなく捉えた録音も魅力的だ。

グールド一世一代の演奏と言っても過言ではない。

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classicalmusic at 07:19コメント(0)トラックバック(1)バッハグールド 

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いずれもグールド唯一のスタジオ録音。

元々はチェンバロ協奏曲という指定ではあるが、バッハを得意としていたグールドがピアノで演奏したディスクをここでは推したい。

グールドはピアノを用いながら、チェンバロのような効果を出し、歯切れのいいフレーズ感で、バッハの曲のプロポーションを明確に描き出している。

チェンバロとは異なり、タッチに微妙な変化をつけられるピアノの長所を存分に生かした演奏だ。

またグールドはチェンバロに近い音を出すために特殊なハンマーを取りつけるなど、改造したスタインウェイを使用したバッハ演奏である。

その音色は第4番の終楽章では古雅な効果を発揮し、第5番の第2楽章でも雰囲気満点の美しさとなった。

ペダルは抑制され、声部の動きが実に明瞭だ。

たくましいダイナミズムを根底に持ちながら、才気溢れる閃きを随所にみせ、緩徐楽章では独白的・詩的なマルカート奏法が曲の透明感をよく出している。

原譜にない装飾音を自由に加えているのも、当時の演奏様式を研究した結果だろう。

全体としてはグールドのタッチやリズムが非常に現代的で、静けさに乏しいところに抵抗を覚えるムキもあるだろう。

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classicalmusic at 00:04コメント(0)トラックバック(0)バッハグールド 

2009年03月10日


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第5・第6交響曲と第7交響曲の間、ベートーヴェンの気力が最も充実していた時代に書かれたこの曲は、いかにもこの時代のベートーヴェンらしい雄渾な楽想、有機的で構築的な音楽のつくりで、古今のあらゆるピアノ協奏曲の中で王者の貫録を誇り、まさに《皇帝》のニックネームにふさわしい。

だがいっぽうで、この曲にも、ことにピアノ曲では深い内面の思いを吐露することをつねとしたベートーヴェンの優しく繊細で多感な心情が秘められている。

雄大で壮麗なだけでは不充分。軽やかさ、繊細さ、優美さをも湛えた演奏でなくてはならない。

録音は古いが、バックハウスの独奏、クレメンス・クラウス指揮のウィーン・フィルの演奏は、こうした点で最高のもののひとつである。

70歳に間近いバックハウスが血気盛んな演奏を行っている。

豪壮雄偉な演奏で骨太に仕上げられており、第1楽章の展開部でのオケとのかけ合いが気迫にあふれていて圧倒される。

第1楽章の溌剌とした生命力溢れる音楽の運び、第2楽章の優美な歌と、堂々たる演奏ながら〈はな〉のある終楽章。

優美で明快、決して重くなったりむやみに大きな構えをつくったりしないクラウスの指揮も絶品というほかない。

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classicalmusic at 00:02コメント(0)トラックバック(0)バックハウスクラウス 

2009年03月09日


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ラフマニノフのピアノ曲は、ソナタや変奏曲のような規模の大きい作品より、前奏曲や練習曲あるいは編曲ものなどの小品にこそ、彼らしい魅力が光っている。

ラフマニノフについては、しばしば言われる「ロシア的憂愁」という形容が象徴するように、情緒連綿たるセンチメンタルなものだという印象が広くいきわたっているようだ。

しかし、前奏曲をはじめとする小品を彼自身が弾いた「ラフマニノフ/プレイズ・ラフマニノフ」を聴くと、そんなヤワなものではないことが分かる。

20世紀前半最大のヴィルトゥオーゾ・ピアニストのひとりだったその演奏は、思い入れたっぷりの感情吐露やガンバリズムとはまったく正反対。

巨人が楽々と鍵盤を愛でるような、軽々とした自在さがあふれ、しかも造形が明快なので、スリリングでありながら安心感がある。

ことに細かいパッセージの玉を転がすような感触は、今日では聴けなくなった名人芸で、切れ味の良い演奏が楽しめる。

素晴らしくしっかりとした芯のある響きで、ファンタジー豊かに繰り広げられる演奏には気品があり、ラフマニノフの演奏が単なる名人芸の展示ではなく、やはり充分な反省精神を持った芸術家のそれであると納得できる。

また良い意味での遊び心も堪能させられる。

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classicalmusic at 09:04コメント(2)トラックバック(0)ラフマニノフ 

2009年03月08日


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スッペ、J・シュトラウス2世、ツェラー、レハールらの名作オペレッタからの12曲に、ジーツィンスキーの「ウィーン、わが夢の街」を加えた、大変楽しいディスクで、シュヴァルツコップの歌の比類なき精妙さと豊麗さを心ゆくまで味わえる極上のCDである。

シュヴァルツコップの歌は、品のよさと、ほどのよいお色気とをあわせ持った卓抜なもので、そのウィーン的情緒にあふれた優雅な表現は比類がない。

最後の「ウィーン、わが夢の街」以外はすべてウイーン・オペレッタのさわりばかりだが、彼女の表現はただ単に甘美な逸楽と陶酔だけでなく、ずばぬけた気品と技巧に裏付けられている。

実は彼女はここでのレパートリーを舞台で歌った経験はないのだが、実に見事にウィーンの情緒を歌い込んでいる。

大歌手が歌ったオペレッタの楽しい歌の数々…という程度じゃない。

ホイベルガーのオペレッタからの「別宅へ行きましょう」を聴くだけだって、どんな大芸術にも負けない、しかしオペレッタ独特の甘美な歌の魅力にとらえられるはず。

オペレッタの歌は、確かに歌手次第のところが多い。

シュヴァルツコップはこの上ないソプラノだった。

一代のソプラノの、考えようによっては「ばらの騎士」のマルシャリンにも匹敵する歌が聴ける。

マルシャリンは新しい歌手の新しい歌によって凌がれても、これはどうも凌がれそうにない。

甘く、こぼれんばかりの艶っぽさは、歌という快楽の宝物だ。

"オペレッタの名人"アッカーマンの指揮も実に巧妙だ。

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classicalmusic at 19:13コメント(0)トラックバック(0)シュヴァルツコップ 

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いくぶん録音は古くなったが、モーツァルトを弾かせたら当代随一とまでいわれたハスキルの名演である。

モーツァルトの演奏家は数多いが、ハスキルは最高位に置かれよう。

彼女の天衣無縫のような、少しも技術や訓練を意識させない演奏は、自然な流れの中に豊かな感情の起伏を反映させている点で、独特の魅力をもっていた。

特に変ホ長調協奏曲K271《ジュノーム》は、ハスキルがしばしば取り上げた作品である。

ここで彼女のフォルテピアノに匹敵する軽やかで明快なタッチは、旋律から簡素で純粋な美しさを引き出している。

イ長調協奏曲でもハスキルの解釈は本質的には変わらないが、後期の作品のスケールの大きさに見事な対応を示している。

また、陰影に富んだこの曲の美しさを十分に再現していて素晴らしい。

ことに、暗くロマンティックな情緒にあふれた第2楽章は絶品である。

ここで彼女が示した豊かなエネルギーと生命力もまた、モーツァルトの音楽と本質的に対応する。

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classicalmusic at 14:42コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトハスキル 

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オイストラフが初演し、献呈を受けた作品。

圧倒的なリズムとビートの饗宴を聴かせる20世紀最高のヴァイオリン協奏曲の圧倒的名演。

のっけからリズム全開の第1楽章や濃厚に民族的な旋律を歌う第2楽章も凄いが、なんと言っても生命力が爆発したまま疾走するフィナーレが圧巻。

鋼鉄製の巨大楽器でも弾いているのかと思わせるオイストラフの豪快で力強いソロと微塵の迷いもなくアルメニアの大地を疾駆する作曲者自身の指揮には脱帽するしかない。

ハチャトゥリアン自身の指揮による曲は、極めて鮮明な指揮ぶりで、オイストラフは遅いテンポでじっくりと弾き込んでいる。

そこには大柄で厚い情緒があり、特に第2楽章の切々たる哀しみが胸を打つ。

しかし、こういう曲のこういう演奏を聴くと、現代の演奏は端正にはなったが生命力が失せてきたことを実感する。

もはや、この曲のような異様なまでに野性的で強靭な音楽は、今後二度と生まれず演奏も出来ないのかも知れない。

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classicalmusic at 07:05コメント(0)トラックバック(0)オイストラフ 

2009年03月07日


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このコンビによる初のモーツァルト/交響曲録音。

心が悦びで満たされ、聴き終えたあとの気持ちがすばらしく豊かになる演奏。

第40番は、テンポが遅く重厚すぎると感じられる部分もあるが、この交響曲にある悲愴美を余計なことをしないで自然に引き出しているのが良い。

とりわけ第1楽章第1主題の歌は胸に突き刺さる。

1音たりとも心から離れて浮遊する音のない、目のしっかりつんだ織地のよう。

表現は一貫して古典的で、特に両端楽章の端然とした豊かな表現は真に古典的なモーツァルトを聴く思いがする。

「ジュピター」は、ゆったりとしたテンポを基本にしたスケールの大きい演奏で、19世紀のモーツァルト観の現代版ともいえるロマンティックなものだが過剰な表現にはなっていない。

また、表現自体に丁寧かつ自然な流れがあるので説得力がある。

緩徐楽章の悠々たる優美さも同様で、メヌエットのトリオなどは、2曲ともまさに古典的宮廷舞曲の脈をひくリズムとテンポだ。

モダン・オーケストラでならこのような解釈もこの交響曲の魅力の一つとして十分に楽しめる。

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classicalmusic at 22:23コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトブロムシュテット 

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ケンプは2つの「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集」を完成したが、その1つがこのモノーラル盤。技巧的には最盛期ともいえる時期の演奏で、後年の録音よりも精力的で情緒的には濃密である。

演奏は雄渾にして高雅、伝統的なベートーヴェンの演奏様式に立脚して、まったく音楽的に自然である。

伝統的な演奏様式を継承した壮麗な表現だが、威容と力で押し切るのではなく、ケンプならではの叙情性が作品を親しみやすいものにしている。

ベートーヴェンを弾いて、ケンプほど安定した妥当な解釈を聴かせるピアニストは、いまも存在しない。

どの曲も音楽的に練りぬかれ、気品にみち、その透徹した精神美とゆたかな幻想のひろがりが深い感銘をあたえる。

あらゆる演奏はこのような解釈を基礎としていると思うが、それだけに最も普遍的であり、作品の理解に不可欠な表現である。

ケンプはおそらくすべてにおいてベートーヴェンと自己の同質性を感じていたのであろう。

特に第4番は味わい深い演奏である。

ケンペン指揮のフルトヴェングラー時代のベルリン・フィルも男性的で逞しく、ゲルマン魂溢れる懐かしの名演を聴かせる。

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classicalmusic at 00:08コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンケンプ 

2009年03月06日


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贅肉をすべて削ぎ落としたような明確さで一貫した、非常に強靭な演奏である。

その半面、生真面目にすぎ、第1楽章に示された独特のウィットやユーモア、ペーソスとシニシズムの混合した味わいにやや欠ける。

この演奏では悲劇的な終楽章が強い説得力をもつが、それも冒頭の弱点がなければ、さらに重く深い意味をもったに違いない。

とはいえ、このきびしさは尋常ではない。

例えば、打楽器の充溢といった、最もショスタコーヴィチらしい第1楽章の冒頭のトライアングルの音からはっきりと、どの打楽器の音にも決して曖昧さを残さず、望みうる最高の強度で音そのものを光の中に投げ入れてみせる。

その意味で、例えば、ヤルヴィによる「15番」のように淡い音調とコケティッシュなきらめきが、ちょうどショスタコーヴィチが子供のころ最初に好きになったという「ウィリアム・テル」序曲の引用を介して、作曲家の幼年時代への回想を我々に促す、といったことも、ここではありえない。

第1楽章の中盤に聞こえるヴァイオリンのソロによる旋律も遠い遠い彼方から風に乗ってやってくるようなヤルヴィとは違って、あくまで、強く、明快で、一点の曇りもない。

本来ショスタコーヴィチにあるはずの笑いも、そしてその笑いの最も完成した表現の一つであるこの「15番」においてすら、ムラヴィンスキーは笑わない。

そんな冒頭からエンディングまで、狂いのないリズムで、あまりにもまぶしすぎる程の光の中を一気に駆け抜けていく。

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2009年03月05日


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1973年5月26日、ムラヴィンスキーの初来日時の東京文化会館に於ける衝撃のライヴ録音である。

本盤のベートーヴェンの第4は、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの黄金コンビの凄まじさを存分に味わうことが出来る超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーのCDは、DGにスタジオ録音したチャイコフスキーの3大交響曲を除くと、録音状態が芳しくないのが難点であったが、本盤は信じられないような鮮明な音質であり、これにより、ムラヴィンスキーの透徹したアプローチを存分に味わうことが出来るになったのは、ファンにとってこれほど幸せなことはない。

第1楽章の冒頭のややゆったりとした序奏部を経ると、終楽章に至るまで疾風の如きハイテンポで疾走する。

ここはテヌートをかけた方がいいと思われる箇所も素っ気なく演奏するなど、全くといいほど飾り気のない演奏であるが、どの箇所をとっても絶妙な繊細なニュアンスに満ち満ちている。

切れ味鋭いアタックも衝撃的であり、ムラヴィンスキーによって鍛え抜かれたレニングラード・フィルの鉄壁のアンサンブルも驚異の一言である。

各奏者とも抜群の巧さを披露しているが、特に、終楽章のファゴットの快速のタンギングの完璧な吹奏は、空前絶後の凄まじさだ。

同様のタイプの演奏としてクライバーの名演(バイエルン国立管弦楽団とのライヴ録音)もあるが、内容の彫りの深さにおいて、ムラヴィンスキーには到底太刀打ちできるものではないと思われる。

アンコールの2曲は、この黄金コンビの自家薬籠中の曲だけに、全く隙のないアンサンブルを披露しており、そうした鉄壁のアンサンブルをベースとした圧倒的な迫力と繊細な抒情が見事にマッチングした超名演だ。

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交響曲第5番「3つのレ」は、ラヴェル、ドビュッシー以後のフランス六人組の作曲家の一人、アルトゥール・オネゲルの最後の交響曲で、死の5年前に書かれた。

全3楽章で、それぞれの楽章が全てドレミの「レ」の音の弱奏で終わることから、「3つのレ」の副題を持っているが、この3つのレ音終止にどのような意味が託されているのかについて、作曲家自身は明確な説明を与えていない。

オネゲルの作品には第2次大戦の影が強く感じられるものが多いが、それは、大戦中のパリで書き上げられた弦楽のための「第2交響曲」での、人類の苦悩と、未来への確信を張り詰めた音で力強く表現した作品に端的に表れている。

また、「第3番・典礼風」では、神に救いを求める人間の祈りを描いたと言われるが、この2曲にはカラヤン/ベルリン・フィルの名演が残されている。

「第4番・バーゼルの喜び」では、平和を賛美し自然を謳歌しているが、この戦後5年を経た1950年に完成された「第5番」は、再び、悲痛とも言える深い絶望感と悲しみに覆われた作品となっている。

そこには、一種の諦念ともいえるものが横たわり、異常な緊張を孕んだ内的な厳しさが表出されている。

ミュンシュはオネゲルの良き理解者で、紹介者であり、その作品は最も得意なレパートリーの一つ。

ミュンシュの繊細でいながら力強い前向きの演奏が、オネゲルの思いの深さと呼応した名演だ。

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2009年03月04日


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アラウのピアノは、表情の作り方の繊細さといい、音色の美しさといい、ショパンの魅力を再現してあますところがない。

全体に南国的な明るい感覚のショパンで不健全な青白さはない。

流れの豊かさ、音の粒の美しさ、ラテン系の人らしいリズムの良さ、どの曲にもこういったアラウの長所がよく出ているが、「アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ」は、インバルのバックの巧さで特に光っている。

「スケルツォ」はアラウ81歳の演奏。強靭なテクニックはなかなか衰えを知らない。

ただスケルツォ第1番では右手の動きがややぎこちない。しかしそれはほんの小さなキズ。

81歳のアラウでなければ望めない良さがこの演奏からききとれる。

重々しさの中に一種の風格をにじませ、ショパンの音楽の質の高さを聴き手に意識させる。

「夜想曲」は他の全曲を弾くピアニストと比べ、悠然たる風格で一頭地抜いているのがアラウ。

彼の弾くノクターンは、どちらかといえばテンポが遅めだが、このテンポ設定に大家の風格が感じられる。

さらに注意をひくのは、アラウがこの曲集を、なよなよと感傷的に弾いてこと足れりとしていないところ。

例えば第13番や第15番では、ショパンが折にふれてみせる暗い情熱をとらえ、芯のある演奏に仕上げている。

「ワルツ」でのアラウは、テンポをやや遅めに設定し、悠揚迫らぬ風情の中で、いわば楷書風の演奏をくり広げる。

細部に至るまで少しも崩さない几帳面な仕上げで風格がある。

その結果、ショパンのワルツは、極めて重厚な音楽として、彫刻的な縁どりをもって立体的に立ち現れる。

自由に崩して演奏する草書風のショパンとは、ひと味もふた味も違う。とにかく重みのあるワルツである。

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パレーの天才を証明する優れた演奏だ。

幻想交響曲といえば、ミュンシュ/パリ管の録音が圧倒的に有名だが、パレー盤はそのミュンシュに充分匹敵するか、あるいはそれ以上のものではないかと思う。

パレーの幻想というと、意外にサラリと流していると思う人もいるだろう。それがなかなかどうして、時にはミュンシュ以上の迫力と集中力を見せている。

第1楽章からすべてのパートが鮮やかに息づいているが、再現部での胸躍るスピード感は、クリュイタンスのライヴといい勝負である。

ことに最後の部分の目の覚めるようなスピード感と気迫には凄まじいものがあるが、常に上品さを失わないのもパレーならではだ。

第2楽章の流麗きわまりない美しさも最高である。冒頭の弦のトレモロに施されたアクセントの効果など度肝を抜かれるが、趣味の良さに目が覚まされる想いだ。

内声部をたっぷり歌わせながら、軽妙さを失わない上手さが光っている。

第3楽章には、神経質なところのない大らかさが好悪を分けるだろうが、楽器がしっかり鳴らされているという快感を買いたい。

第4楽章は、いたずらな効果を狙わない堅実さがよく、第5楽章ではデトロイト響の能力が全開となる。めくるめくスペクタクルに酔いたい。

ミュンシュもそうだが、このパレー盤もスタジオ録音なのに、ライヴのような激しい勢いがある。

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オーボエという楽器の枠を無限に広げた天才ホリガーを聴くのにはうってつけの名盤だ。

事実、ホリガーの場合は、演奏が始まると、並外れて優れた力量に誰もが気付くという種類の超絶的な名手なのである。

これはレコードでもほとんどの場合感じられることで、彼がソロを始めるや否や、フレーズがどうとかリズムがどうとか、あるいは技巧や音楽性云々を語る以前に、もうすでに完全に完成された音楽を感じさせる。

うまいとか見事にとかの言葉では言い表せない完璧で完結した音楽。

このディスクに収録された現代作品などの場合は特に、音楽の凄味となって表われてくるのである。

アンサンブルの曲もあるが、聴きものは自作のソロ作品。

スタジオでのデジタル録音という環境が前衛作品らしい効果を高めている。

特にスタジオの無音状態から突然鳴り響く音のありよう自体が、なにかしらホリガーを印象付けるものでもあった。

現代作品としては他にもCDがないではないが、ホリガーのを聴くには録音面からもこれが一番いいだろう。

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2009年03月03日


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遅めのテンポを基本に、スコアをじっくり弾き込んだ味わいを堪能したい。

私にとっては、少年時代から聴いてきた録音だけに、どこもかしこも、耳と心に馴染んでしまい、改めてコメントする気にもなれないほどである。

向かって左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリン(チェロの後方にコントラバス)という弦楽器の旧配置による効果は素晴らしく、なぜ、他の指揮者が、揃いも揃って機能優先の新配置を選択するのかが分からない。

この演奏をいささか比喩的にいうならば、スコアを目で読むかわりに、耳で聴くような演奏なのである。

この曲に関する限り、これほどリアリスティックな演奏は、またとあるまい。

クレンペラーは、自己の主観に属する何ものも強調していない。

だがそれにもかかわらず、この演奏は聴きすすむにつれて、しだいに強烈な説得力をもって、聴く者に迫ってくる。

木管の詩情という点ではアンセルメ盤に、フランス的な粋という点ではクリュイタンス盤に一歩ずつ譲るものの、楽器間のバランスについては、細心の注意が払われており、万事合理的な音楽運びに終始している。

しかし、最後にこの演奏を感動的にしているものは、クレンペラーの器の大きさである。

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2009年03月02日


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「春の祭典」は過去2度の演奏を上まわるだけでなく、近年のこの曲の演奏の中でも傑出したものの一つといえよう。

それはバーンスタインがこの作品を自家薬籠中のものとし、すべてを自己の内側に同化しつくして自然のうちに表現に結びつけているからで、ここでユニークなリズムやテンポの変化もほとんど特異性や難しさを感じさせないほど自然で柔軟に処理されている。

「ペトルーシュカ」は第1幕の冒頭をやや速めに生き生きとしたテンポで始め、一見オーケストラルなレパートリーのように進めていくが、バーンスタインのステージに対する理解の深さが随所に表れている。

個々の素材のもつ表情、テンポの設定や変化、リズムのとらえ方などがそうで、スコアに客観的でありながら、自らの感性も十分に発揮している。

「火の鳥」はバレエのステージを意識するよりも、むしろストラヴィンスキーの当初の意図である純粋に聴覚的な面からアプローチ。

しかも組曲全体を"序曲"から"カスチェイ王の魔の踊り"までと、"子守歌"と"終曲"という二つのグループに分けている。

「バレエの情景」も鮮やかにまとめた名演だ。

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classicalmusic at 22:08コメント(0)トラックバック(0)ストラヴィンスキーバーンスタイン 

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バーンスタインのDGへのストラヴィンスキー・シリーズの第1作だった。

「結婚」はオリジナルのロシア語による演奏。

特に「結婚」はモーリー、パーカー、ミッチンソン、ハドソンらの声楽陣とアルゲリッチ、ツィマーマン、カツァリス、フランセシュといった名ピアニストをそろえた豪華なキャスティングが成果をあげていて面白い。

「結婚」では4人の独唱者もさることながら、アルゲリッチ、ツィマーマン、、カツァリス、フランセシュの4人のピアニストがすごい。

ノリにノッて丁々発止、バーンスタインの巧みな棒さばきに、まるで自分たちが主人公のように楽しんでいる。

「ミサ曲」はストラヴィンスキーの新古典時代の最後を飾る作品として一聴しておきたい。

「ミサ曲」では音の均整感、各声部の力学的バランスをモットーとする作曲家の"新古典派"的作風に対して、情念への傾斜をちらりとのぞかせる指揮者のかけひきがスリリングだ。

バーンスタインは、この作品のもつ均整のとれた、端正な性格と、彼独特の粘っこい感覚とをうまくあわせた演奏を行っている。

合唱団も、彼の卓抜な棒によく応えていて熱演だ。

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ノーマンの比較的初期の録音のひとつで、1976年の仏ディスク・リリーク大賞を受賞している。

ワーグナーの「ヴェーゼンドンクの5つの詩」と「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」を歌って、最もふさわしいソプラノといえば、往年のフラグスタートを別格とすれば、ノーマンをおいて他にいないだろう。

許されざる愛を背景に生まれた2つの名作を、ノーマンが感動的に歌っている。

ことに「ヴェーゼンドンクの5つの詩」は音にしたためられた愛の詩集というにふさわしいもので、この世のものとは思えない甘美な夢のひとときに聴き手を誘う魅力がある。

ノーマンが一つひとつの言葉に熱い想いを乗せながらも、抑制と高揚の微妙な振幅の中を泳ぐように演奏しており、聴き手を切実な感動に浸らせてくれる。

それは立派な演奏という以上に、無垢な魂のさすらいを思わせる孤独感をたたえており、一度でも耳にしたら永遠に脳裏に刻み込まれてしまう美しさがある。

同じく抑制しながらも、熱い情感でノーマンを包み込んだデイヴィスの指揮も魅力的だ。

「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」はイゾルデの静かな歌い出しから見事に声をコントロールして、情感に溺れることなく愛による浄化を大きなスケールで歌いあげている。

デイヴィスの指揮もオーケストラを美しく響かせ、気品に満ちた表現のうえに曲の内容をよく表出している。

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2009年03月01日


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作曲家が自作演奏に直接関与することが稀有となってしまった現代において、ブーレーズの存在は神々しくさえ思える。

彼の出世作と覚しき《ル・マルトー・サン・メートル》は、おそらく20世紀の傑作のひとつとして歴史に残る。

ブーレーズにとって《ル・マルトー・サン・メートル》は4度目の録音だが、さすがに演奏スタイルに変化がみられる。

今回の演奏は緊張感の鋭さがやや後退しているが、語り口はより柔軟になり、抒情的な深みと広がりを増し、滋味の深さで聴き手を引き込んでいく。

ブーレーズはかつての気負いがなくなり、メンバーも音楽を楽しみながら演奏しているのがよく分かる。

しかし大変な難曲。これを彼は彼の手兵たるヴィルトゥオーゾ集団を擁して、完璧に近い演奏を実践してみせる。

作品、演奏ともに人間の限界への挑戦であり、究極の世界を垣間見せられたような思いにかられる。

超人的なアンサンブルの巧緻さはいうまでもないが、それによる解析度の高さ、そして解釈の明解さなど、今後もこれを凌駕しうるのは彼自身しかあり得ないだろう。

これがライヴである凄さ!肝に銘じておきたい。

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