2009年06月
2009年06月30日
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演奏はきわめて精彩豊かである。実に明るい華麗な表現で、気宇の大きさと洗練性をもった表現である。
パリ管の管楽器のうまさを前面に出した、きわめて名人好みのスタイルで、曲の標題にこだわらぬ純音楽的な名演といえるだろう。
無用な力みがなく、自然なアーティキュレーションで滑らかに歌い、感覚的な美感と情緒の深さが巧みにバランスしている。
すべてが小澤の意図する端麗な表現に統一されており、純音楽的でありながら、存分に指揮者の個性を示した演奏だ。
小澤はフランスのオケと不思議なほど相性がよいらしい。
日本人の小澤とフランスのパリ管とでは、違和感を予想する向きも多いに違いないが、これが不思議とまとまりのいい、確固としたスタイルに昇華されているのである。
この演奏もオケとの親密感が強く、パリ管の華麗な音彩を存分に味わわせる。
そのため「悲愴」はあまり暗さがなく、瑞々しく、彼独自のしなやかな旋律線の表情と純音楽的な美感が示された好演である。
「眠れる森の美女」も華やかな響きが生き生きと音楽を躍動させており、そこに魅力的な雰囲気が作られている。
改めてクラシック音楽が、民族音楽でないことを意識させる結果になった。これは、素晴らしいメモリアルである。
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2009年06月29日
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「故郷を離れた時、私は作曲するという希望を捨てました。故郷を失った私は自身も捨てたのです」と語るラフマニノフは、四半世紀近い亡命生活の中で、6曲程の作曲しかしていない。
そうしたラフマニノフが1934年の夏に、7週間でこの曲を一気に書き上げたのは、おそらく、彼の脳裏に、突然、第18変奏の美しく甘美でノスタルジーに満ちた旋律が浮かんだからに違いない。
ラフマニノフの演奏は、この第18変奏を実に淡々と弾いているのだが、内声部が、次第に高まる潮のように、旋律の上に浮かび上がる時、胸を刺すようなそれでいて甘美な世界が開ける。
他の演奏ではセンチメンタルであったり美しかったりだけで何かが欠けている。
ラフマニノフだけが、この旋律を通して、過去の扉を開けることができる鍵を持っていたからであろう。
この曲に新しい視点を導入するような天才ピアニストが現れないかぎり、こうした往年の名演奏を越えることは、なかなか難しいのではあるまいか。
そうした意味で、このラフマニノフの自作自演は、まさに歴史的遺産といえよう。
ピアノ協奏曲第1番は冒頭から気迫の凄まじさに驚かされるが、デリカシーも満点だ。
ストコフスキーとオーマンディもラフマニノフの表現にピッタリの好演だ。
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2009年06月28日
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全体に構成が緻密で、なかなかよく考えられた演奏。現役盤では最も優れた演奏として推薦できる。
レヴァインはウィーン・フィルの響きと表現力をくっきりと生かして、爽やかに劇性にとんだ表現をつくっており、完成度が高い。
ややボヘミアの土の匂いには乏しいが、語り口のうまい演奏で仕上がりもきれいだ。
レヴァインはオーケストラを存分にドライヴし、ウィーン・フィルもその棒によく応えている。
レヴァインはオペラで鍛えた劇的なセンスで、これらの交響詩集を実に巧妙に語り尽くしている。
伝説を主題にしたもの、風物を主題としたもの、それぞれに最も適切なアプローチを聴かせ、特に「モルダウ」における、各場面の推移と情景描写の巧みさは、彼の独壇場といえるだろう。
また「ターボル」とか「ブラニーク」のような伝説上の出来事を描いた曲では、その劇的な性格を見事に把握して、一遍の叙事詩のように語り尽くしている。
そして「ヴィシェフラト」では、じっくりと歌い込んでこの曲のノスタルジックな一面を見事に描き上げている。
全体的にはかなりドラマティックでスケールの大きいものとなっているが、オペラでの劇的な構想に対する蓄積と、その一面で常に要求されている客観性がここでもはっきりと生かされている。
慣用版に必要な変更を加えての演奏だが、オーケストラにまったく妥協をみせないほど自信ににみちた演奏を聴かせるレヴァインは、それでも、決してウィーン・フィルのもつ性格や機能を弱めていない。
ドラマティックでスケールの大きい熱演が聴ける。
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2009年06月27日
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古楽器を用いての演奏だが、きわめて明快でフレッシュな表現で、実に軽やかなバッハだ。
アーノンクールの緊張力あふれるバッハとは対極にある演奏といえるだろう。
バッハの演奏に多くありがちな構えたところがなく、全体をリズミカルに流しながら、あたたかな音楽をつくりあげているのが魅力だ。
合唱、オーケストラともに小編成だが、技量は抜群で、レオンハルトのキビキビとした棒によくこたえている。
この小編成の合唱の質は実に高く、まったく狂いのないフレージングには驚かされる。
ラ・プティット・バンドのすぐれた演奏も特筆すべきもので、そこには今失われかけている"優しさ"がある。
これはレオンハルトの音楽の美質ともいえよう。
もともとラ・プティット・バンドはレオンハルトの要望で結成されたオーケストラで、初期の頃はレオンハルトが振ることが多く、クイケンが振る時とは違った静謐感と第一級の造型芸術のような上質な質感と光沢を帯びている。
ソロも皆よく歌っているが、本来アルトの歌うべきパートを、男性のきわめて高い声域をもったカウンター・テナーが受けもっているのも特徴で、そのパートのヤーコプスがいちばん素晴らしい。
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2009年06月26日
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オリジナル楽器隆盛の今日、ジュリーニのこの素晴らしい演奏は、バッハの音楽の普遍的な美しさの本質を教えてくれる。
冒頭のキリエの、優しく豊かで深い祈りの歌が始まると、われわれの耳と心は感動的な至福の世界へ誘われる。
「バッハの様式は云々…」といった衒学的な狭い世界とはまったく一線を画したこのジュリーニの演奏は、さりとてロマン派風の解釈という括弧でくくるのにも抵抗がある。
ひたすらに音楽的で、ひたすらに人間的で、ひたすらに宗教的な演奏なのだ。
バッハがラテン語のテクストに託した想いは、ジュリーニとバイエルン放送局のコーラスとオーケストラの心を通じて比類なき姿となって、われわれの前に提示された。
バッハの音楽は、常に人間にとって新しい。あらゆる演奏スタイルを受け入れ、しかも作品としての生命を失わないバッハこそ、音楽の尽きせぬ魅力の源泉と言える。
このジュリーニがバイエルン放送響と合唱団を指揮したライヴ録音の、あらゆるメンバーがバッハの音楽とジュリーニの指揮に共鳴し、優しい祈りの如くに、しなやかに、しかも深い感動を込めて歌い上げている名演を聴くと、バッハの偉大さを改めて思わざるを得ない。
あらゆる声部が、オーケストラもコーラスもこれほどまでに共感をもって、有機的にからまり合い高まって行くバッハ演奏は決して多くない。
老巨匠ジュリーニの凄さとバッハの偉大さが生み出した稀代の名演である。
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2009年06月25日
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若き日のアルゲリッチとアバドによるエキサイティングな名演である。
あの衝撃的なショパン・コンクールから2年後の演奏。
あたかも"ショパン弾き"のイメージを払拭するかのごとく、近代ものを選定。
20世紀を代表する名曲であるが、聴き手にとっては彼女の真骨頂を見極める試金石のような楽しみもあった。
しかし、フタを開けてみれば、期待をはるかに上回る壮絶な演奏で、速いテンポのシャープな感覚で弾きあげた演奏である。
その旋律の流しかたや、打鍵の強さを聴いていると、とても女性とは思えないような激しさだ。
その鮮烈な感動は、時を経ても少しも衰えることがない。
第1楽章冒頭、嵐のように突き進む2分間の凄まじさ!そして軽快にしてダイナミック、繊細にして優美な表現が縦横に飛び交い、圧倒する。
そのデモーニッシュな激しさ、テクニックの超絶さには、彼女の資質が赤裸々に現れているようで興味がつきない。
その反面、リリックとか艶とかコクなどの余韻は浅く、ドライな感触であるのも事実。
しかし、直情的で猪突猛進的な彼女の演奏を聴けば、そのような色気など同曲には不要と思えてくるから不思議だ。
テンポを自在に変化させながら表現しているのが特徴で、これほど情緒的に、また、ダイナミックに弾きあげた演奏というのも珍しい。
アバド指揮のバックも、作品の本質をよくとらえており、リズム感のよい演奏をおこなっている。
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リストをかなり聴き込んでいる人でなければ関心をそそられそうもないリストの作品集だが、ブレンデルの真価はこういう曲でこそ発揮される。
ここでのブレンデルは、リストの内面を映し出そうとして、それに成功している。
ブレンデルは、例によって、磨き抜かれた美しい音色で、1曲1曲を丹念に弾いている。
音楽の内面に光りをあてているところなどは、"リストのスペシャリスト"と呼ぶにふさわしい卓抜な演奏である。
ブレンデルは、どこまでも知的で内省的、テクニックを感じさせない静かなアプローチに特色がある。
音の探究者としてのリストを前面に出し、詩的で思索的な表現といえよう。
かといって、決してテクニックが劣っているわけではなく、充分テクニックを保持しながら、それを目的とせず、あくまで表現の手段と割り切っている。
もちろん構成感・色彩感とも不足はなく感覚的にも磨きあげられた演奏だが、音の探究者リストの姿が、よりストレートに感じられる点、ブレンデルの説得力は大きい。
年輪の厚さのよくあらわれた演奏で、なんとなく渋い感じを受けるが、聴いていると、胸の奥底まで、ジーンと響いている力と強さが感じられる、説得力のある表現となっていて、凄い。
ここにもブレンデルらしい、誠実さと芸術家魂を改めて窺うことができよう。
この演奏を聴けば、華やかな衣装の陰に隠されているリストの一面を知ることができ、リストを技巧主義の権化とする見方は修正を余儀なくされるはずである。
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日本でのサティ・ブームは1980年代ごろから爆発的におこったが、チッコリーニは、1960年代の前半に、すでにサティの作品全集の第1弾を手がけていた。
つまりチッコリーニは、いわゆるサティ・ブーム以前からサティ演奏をしている、年季の入った筋金入りだ。
それだけに彼の演奏には、さすがににわか仕込みのサティ弾きにはないものがにじみ出ている。
それが聴き手の耳をくすぐり、心をいやしてくれるのだ。
有名な「3つのジムノペティ」や「6つのグノシエンヌ」がその好例。
1970年代の初めのチッコリーニの全集によって、サティの音楽は徐々に、しかし確実にわが国でファンを獲得していった。
「ほほえみで諷刺した喜劇作家モリエールがそうだったように、サティとその音楽もまたモラリストなのだ」とチッコリーニは言っている。
この演奏はそうした特徴がよく表れており、メロディーの美しさとともに、音楽による諷刺的な面も強調している。
率直で、自然体にサティにアプローチしたもので、いくぶんあっさりとした表現だが、音色の美しさと繊細さが魅力。いまなお新鮮さを失っていない。
現在までにサティの音楽はかなり正当に音楽史に取り込まれ、演奏される機会も格段に増えていった。
サティの音楽のような一見単純な作品の場合、読みを深くすることは極めて困難だ。
この驚くべき知性の人が仕掛けた世紀末的な罠をくぐるには、知性と感性が決め手となるが、ここで聴き手は、チッコリーニによる切れ味のよいサティの音楽を知的にも感性的にも純粋に享受することができる。
これはサティ演奏のスタンダードとなりうるディスクといえるだろう。
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ムーティがフィラデルフィア時代(1980-1992)に残した記念碑的名盤。
ムーティがフィラデルフィア管弦楽団に着任して、最初に放ったビッグ・ヒットといえる。
ムーティのこの演奏では、みずみずしくのびやかなカンティレーナ、ダイナミックで壮麗な造形感覚、明快でメリハリの効いた語り口、切れがよく弾力性のあるリズムなど、イタリア人ならではの持ち味が十二分に生かされ、それが作品の本質を見事にとらえた表現を実現させている様相を感じとることができる。
華麗なサウンドといい、素晴らしいオーケストラの名人芸、さらに強烈なカンタービレは、いまだにこの曲のベストの地位は固い。
大先輩たるトスカニーニがNBC交響楽団と残した歴史的名演に、正面から立ち向かっていくような覚悟と熱気が充満している。
ストレートに作品に肉薄していく劇的演奏は43歳のムーティにこそ可能な離れ業だが、奇跡の逆転ホームランをとばしており、現代の《ローマ三部作》として申し分ない出来である。
天性の音色に対する感覚、カンタービレへの熱き嗜好の作品を一段と魅力的にしており、イタリア的テンペラメントをも満喫させる。
ここでムーティは、巧妙な指揮と豊麗な"フィラデルフィア・サウンド"によって、レスピーギの色彩的なオーケストレーションを万全に再現しており、出だしからこのオケの光彩陸離たる音の輝かしさに魅了されてしまう。
緊張感あふれる音のドラマとして描き上げた強い説得力が感じられ、その張りつめた展開の鮮やかさ、そして演奏全体に感じられる熱い興奮と熱気が素晴らしい。
フィラデルフィア管弦楽団も華やかさと同時に密度の濃い表現を聴かせており、スケール感も圧倒的だ。
オーマンディ時代とは異なるシャープさとスピード感を獲得、表現全体が冴え冴えとして輝かしい。
そしてムーティは、このオケの精緻なアンサンブルや重厚でゴージャスなサウンドなども巧みに生かし、演奏のブリリアントな魅力を高めることにも大きな成功を収めている。
豪快な「アッピア街道の松」や詩的な美しさにあふれた「ジャニコロの松」も秀抜だ。
また「祭り」の4曲も立派で、こうしたムーティの卓出した表現力は巨匠トスカニーニを思わせる。
両者のコンビの見事さを後世に伝える、エヴァーグリーン的な名盤といえる。
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ブーレーズは作曲家としての厳しい目で各曲を鋭く分析し、どの曲も寸分の隙もなくすこぶる精緻に仕上げている。
作品を客観的に見詰めながらも、演奏のすみずみにまでこまやかな情趣を浸透させるようになったブーレーズ。
そんな彼がベルリン・フィルから精妙な響きを引き出し、それに熟した熱っぽい情念を注ぎ込んで、なんともいえぬ見事なラヴェルを生み出している。
カラヤン後のベルリン・フィルは響きの精妙さが少し失われてきたような気がしていたが、しかしブーレーズはラヴェルに必要な極上の響きを再び取り戻しており、《マ・メール・ロワ》《スペイン狂詩曲》《ボレロ》はいずれもすこぶるスマート、かつ新鮮である。
なかでも《ボレロ》は、最初の淡白な表現から徐々にクライマックスを導いていく絶妙な手腕に、ただただ圧倒される。
《マ・メール・ロワ》も、この曲のもつメルヘン的な世界を精妙な筆致で生き生きと描き上げていて秀抜だ。
《ダフニスとクロエ》はいかにも作曲家ブーレーズらしい演奏で、このバレエ音楽のスコアを深く読み、一つ一つの音を的確に引き出し、作品のすみずみにまで神経を通わせている。
演奏は、組み立てがしっかりしており、鋭い棒さばきで各場面を活写し、旋律の歌わせ方もきわめて巧みである。
ことに第3場は聴かせどころをぴしりと押さえた演奏で、ラヴェルの考えた音色を生き生きと再現していて見事だ。
ベルリン・フィルも指揮者の意図にしっかりと応えていて立派だ。
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ジェシー・ノーマンのタイトル・ロール、小澤&フランス国立o.という話題の顔合わせとなっていた「カルメン」。
ノーマンのカルメンは初めて(舞台でも歌ったことがないと言われる)。
小澤の円熟が際立つ名演だ。
小澤の指揮はフランス風とでもいえる軽快で明るいもので、悲劇のわりにはからっとしているのが特徴だ。
ビゼーの音楽の生き生きとした活力、そこに躍動する色彩を、そしてそれが表現する生々しい性格やドラマを、小澤は狙った獲物を捕らえる野獣にも似た動物的本能をもって見事につかみ、かつ鮮やかに描き尽くす。
正確なテンポ、リズムを支えに精巧に仕上げられていくその音楽は交響楽的と言えようが、豊麗で力強い盛り上がりから繊細なディミヌエンドに至るまで、どの部分も表現が生きている。
ソプラノのノーマンがカルメンだが、このカルメンは貫録充分で、シコフ(T)が演じるドン・ホセが可哀相になるほど、堂々として奔放な名演になっている。
ノーマンのカルメンは娼婦的な面を表に出しすぎず、死を恐れずに受容するカルメン像を創造していく。
その点で、ベルカンサとの共通項が認められ、終幕の二重唱などは死の予告の重唱のように響く。
エスカミーリョはエステス(Bs)で、この黒人のバスはやや重苦しい。
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2009年06月24日
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《ノルマ》はカラス最高の当たり役で、セラフィンの指揮で全曲を2度録音、いずれも至芸の名盤として知られ、一般的にはステレオ録音が決定盤とされている。
1960年のステレオ録音でのカラスは、声にやや衰えがあるが、声技を駆使して微妙な感情の演出を行い、裏切られた女の悲しみと怒りの心情を鋭く劇的に表現。
ポリオーネのコレッリは、いかにも男臭い声でローマの総監督らしい直情径行の男性を好演している。
セラフィンのスケールが大きく雄弁でエネルギッシュな指揮は前回とあまり変化はないが、ステレオだけにオーケストラと合唱がより鮮明である。
ただし、個人的には1954年のモノーラル録音を推薦したい。
カラスの声が絶頂期のため苦渋を感じさせるところがなく、多彩な声の色での表現に惹かれる。
ポリオーネのフィリッペスキは役の解釈が通り一遍ではあるが素直な美声で、コレッリの凛々しい舞台姿を思い浮かべて聴くのなら別だが、私にはコレッリよりも聴きやすい。
大きな違いはアダルジーザ。ステレオのルートヴィヒは確かにうまくはあるが、声質が暗くてイタリア・オペラ向きとは言えず、重唱にベルカントの味がない。
1937年の最初の全曲録音でもアダルジーザを歌ったモノーラルのスティニャーニはイタリアのメゾ・ソプラノの長年にわたる第一人者。
声が明るく輝かしく、カラスとの2つの二重唱での美しいからみはベルカント歌唱の極みで陶然となる。
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2009年06月23日
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スメタナ四重奏団は、この《アメリカ》四重奏曲を全部で5回録音している。
そのうちこの演奏は1966年に行なわれた2回目の録音で、その後10年以上経ってから、さらに3回録音している。
その3回の中で、1978年と1980年のものはいずれも日本での演奏会のライヴ録音で、これらを聴くとテンポ感や表現法がほとんど変わっていないことに気づく。
ということは、彼らがこの曲の表現を完全に確立し、いつどこで演奏してもひとつのスタイルに常に仕上げられるということである。
それ自体は素晴らしいことなのだが、ややもすれば演奏の持つ内的な緊張感とか迫力の不足を感じさせる。
ここで1966年の演奏を最上のものとした理由はそこにあり、彼らがまだ充分に若さと弾力性をもっていた、全盛時代の演奏が味わえるからである。
チェコのローカル・カラーに寄り掛からない、厳しく純粋な音楽的な名演で、きびきびとしたリズムさばき、そしてノスタルジックに歌われる旋律も美しく、アンサンブルも精緻そのものといえる。
この団体の創立21年目、現在のメンバーに固定されてから10年目のこの演奏には、自分たちがこの曲の音楽をこのように表現していくのだという熱気と溌剌とした情感が、この洗練された演奏の背後に感じられる。
録音そのものは決して良くはないが、演奏本位に考えるとこの演奏は、いまだに充分生命を保っていると思う。
チャイコフスキーも、彼らの全盛時代のレコーディングだけに、アンサンブルも緻密そのものだし、素朴な歌いぶりで、チャイコフスキーのノスタルジアを美しく表現している。
ロシアロシアした気分は幾分希薄だが、それだけに音楽としてのプロポーションは、純粋でもありまた格調も高い。
スメタナ四重奏団のメモリアルとしても、これは恰好の1枚といえるだろう。
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2009年06月22日
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ベートーヴェンの現代楽器によるスタンダードは、ショルティ指揮シカゴ響であろう。
大編成のオーケストラで、しかもショルティの巨匠的な音楽性は、英雄的でスケールが大きい。
ベートーヴェンのスコアに忠誠を尽くした演奏で、ショルティの知性と作曲家に対する奉仕の精神が、聴き手にも伝わってくる。
反復もすべて励行して、ベートーヴェンのスコアに誠実に従っているのも、ショルティの近代人としての知性の発露だろう。
ショルティの成熟ぶりを余すところなく伝えた名演で、録音当時のショルティは、知・情・意のバランス、心・技のバランスが見事に中庸を保っていた時代にあり、このベートーヴェンでも実に緊張度の高い充実した演奏を聴かせる。
ショルティの演奏はもはや円熟と形容したい表現で、完成度の高い、練りに練られた音楽を展開している。
9曲の交響曲は、新古典主義的ともいえる端然とした造形でまとめられ、あらゆる細部までの表情が明晰だ。
ショルティは響きをよく引き締め、しかも自由な流動性を表出し、古典的な中にも交響性と偉大さをもったベートーヴェンに仕上げている。
シカゴ響の緻密なアンサンブルは、現代のオーケストラの演奏水準の最高を極めたもので、現代のオーケストラ演奏の粋が味わえよう。
どの曲も純音楽的、数あるベートーヴェンのディスクのなかでも屈指の1組と評価したい。
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2009年06月21日
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ワルターらしいモーツァルトの名盤いうことになると、晩年のステレオ録音ではなく、1950年代のモノーラル録音ということになろう。
ワルターはステレオ録音で、コロンビア交響楽団を指揮したものも、一般には高く評価されているようだが、私の個人的見解によれば、ロマンティックで濃厚な歌と、しなやかな弾力性を失っていない点で、断然旧録音のモノーラル盤の方を推したい。
音そのものに力が漲っているほか、音楽の運びにも勢いがあって、聴く者を惹きつけて放さない。
ステレオの再録音の方は、リズムが硬直し、オーケストラの楽器編成も中途半端で、ワルターの良さを生かし切っているとは思えない。
ワルターのモーツァルトを愛するなら、絶対にモノーラルの旧盤を選ぶべきである。
ワルター最盛期の録音なので、いずれも充実した演奏で、ワルターの特徴が徹底している。
テンポを動かしてよく歌いよく流す。非常に大切に音を処理して繊細なリリックな美しさを出している。テンポと表情とがまったく一致している。管弦楽全体を飽和的に歌いたぎらせる。リズムも軽快で柔らかい。
まったくワルターの個性が隅々まで滲透して余すところがない。
第39番は非常にシンフォニックで男性的なモーツァルトで、しかも全曲が歌心に満ちて、激しい気迫で聴き手に強く迫ってくる。
第40番は豊麗な表現で、ワルターの残したこの曲の録音中でも中核的な地位にある解釈だ。
「ジュピター」は壮麗な秀演。重厚で全体が力強く、指揮者の悠揚とした風格が示されている。これほど情感の濃い「ジュピター」は、もはや現在の指揮者では聴くことができない。
特に終楽章の緻密な動きには、さすがワルターだと感心せざるを得ない。情緒の表出と構成の設計が、こんなにうまく一致するともう何もいうことはない。
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2009年06月20日
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ブラームスは5指の中に数えられるスケールの大きな名演だ。
3回この曲を録音しているスターンの3度目のもので、2度目のオーマンディが指揮した演奏も名盤として知られていたが、それに比べると、いちだんと表現に深みが増し、さらに充実した演奏となっている。
ごく自然に歌い上げながら、スターンの人間味あふれる、あたたかな音楽が素晴らしく、この曲の精神的な深さにまで肉薄した線の太い演奏で感動的だ。
スターンのソロはかつてのように、名人芸とテクニックの冴えを追求するのではなく、ブラームスの内面に食い込み、オーケストラ・パートと四つに組んで、拮抗する形で音楽と対峙している。
旧盤より多少粗いが、張り詰めた気迫、粘着力にあふれた表情、しみじみとした感慨の深さ、フィナーレにおけるリズムの前進性などすべてが素晴らしい。
メータの指揮もシンフォニックで充実度満点。たくましく、またフレッシュで、ソロと互角の勝負を展開して余すところがない。
円熟の頂点に立つ巨匠の芸というにふさわしい演奏になっている。
メンデルスゾーンはかなり内容を抉った表現だ。
遅いテンポから気迫をこめ、ルバートや青白いピアニッシモを多用し、深いものを目指している。
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2009年06月19日
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名指揮者アンセルメのように、ラテン的感性でロシア音楽を仕上げた演奏である。
デュトワはロシア音楽を泥臭く演奏するのではなく、全体に大変さわやかにテキパキと、しかも作曲者の色彩的なオーケストレーションを巧みに再現しており、その上にロシア的情感をうまく味付けしている。
洗練されたアンサンブルと軽快な表現が魅力的だ。
「1812年」ではシンセサイザーが巧妙に用いられ、いかにも現代的。
「スラヴ行進曲」は、いくぶん力で押しまくった演奏だが、メリハリをきちんとつけた、劇的な演奏を行っている。
「はげ山の一夜」は、デュトワの巧妙な演出が素晴らしく、ロシア的情感を、かなり色濃く表出しながら、スケールの大きな演奏を行っている。ただし、もうひとつ泥臭さといったものが欲しかった。
「展覧会の絵」は、ショルティと対照的な演奏で、極めて淡彩なサウンドと軽い感じのタッチは、ショルティが油絵なら、このデュトワはパステル画の趣である。
エレガントというのか洒落たというのか、ラテン的な洗練味を極めた演奏で、野蛮さの全くない、美麗この上ない名演といえる。
モントリオール響の管楽器のソロは、フランス風の洗練された美しさを聴かせ、全体に高雅で気品のある演奏に終始している。
各曲の表情はほどよく整理され、重苦しくなることなく、スリムなプロポーションで、それが魅力の〈展覧会の絵〉の演奏である。
多様に変化するリズムも、デュトワならではの抜群の感覚で処理していて、あ然とするほど巧妙な棒さばきだ。
ことに「古い城」と「キエフの大きな門」は見事である。
過度な緻密さや瞬発力を避け、あくまでも都会志向というよりは、ムソルグスキー寄りであるよりも、ラヴェル寄りの解釈と解した方が良さそうだ。
洗練された明るい響きが聴け、この編曲がラヴェルの手によってなされたという事実を改めて気づかせてくれるような演奏内容といえよう。
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まず、その声の清らかさにひかれる。
ノーマンはメゾ・ソプラノからソプラノに転向した人で、この録音は1975年、ソプラノになってからの歌唱である。
メゾ・ソプラノ時代に身につけた、暗い豊かな情感のあらわしかたと、ソプラノになってからのロマンティックな表現の、双方のよさを兼ね備えた名唱だ。
ノーマンの歌唱は、あくまでもこの歌曲集をひとりの女性のドラマとして捉え、この上なく劇的にスケール大きく情感豊かに歌い上げている。
すこぶる歌いまわしのうまい歌手だけに、ここでも各曲の特徴を的確につかみ、深々と表現している。
やや大袈裟で、オペラ的ともいえる表現だが、ありあまる声をセーヴした、じっくりと語りかける手腕は、やはり世界のプリマドンナにふさわしい。
安定度という点では、現役ではノーマンに勝る歌手は、そう多くはいないだろう。
歌手という存在を超えてしまったノーマンの歌の包容力は、あらゆる限界を突き破り無限へと広がる。
ただシューマンという作曲家は、彼女のその"大きさ"を必ずしも必要としないため、作品の微細な感情世界からこぼれてしまったものも少なくない。
しかし、ノーマンのヒューマンなメッセージは素晴らしいものだし、これまでになかったシューマンの姿がここにあるとも言えるだろう。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年06月18日
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パールマン&ジュリーニのブラームスは、作品の内面に深く分け入り、じっくりと歌い上げた究極の名演。
あくまでもヴァイオリン的な美感を歌い上げたパールマンの演奏は、ともかく生理的な快感に身を任せられる。
響きの美しいロマンティックな演奏で、感覚はすこぶる知的で若々しく現代的だが、実に力強く堂々と弾きこんでいる。
パールマンはユダヤ系のヴァイオリニストで、旋律をたっぷりと歌わせることのうまい人である。
ここでは、彼の演奏にありがちな楽天的な性格が影をひそめ、情熱的で男性的に弾いている。
第1楽章でのパールマンは、最高の気迫とパリッとした音色で弾き進むが、決して粗くならずじっくりと情を込めて、ジュリーニの創り出す大きな器に身を任せている。
第2楽章はヴィブラートでしみじみと歌い上げ、格調高く、フィナーレは全身を捧げつくした名演だ。
ジュリーニの指揮は、こくと威厳に溢れ、熱っぽく、スコアのすべてを雄弁に、また真摯に語らせてゆく。
そのソロを引き立てる手腕の巧さは感嘆に値する。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年06月17日
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マーラーの弟子がワルター、ワルターの弟子がバーンスタイン、そのまた弟子がインバルである。
この4人はいずれもユダヤ人だ。
インバルがマーラーを自家薬籠中のものとしているのは、そうした血の流れによるものである。
「巨人」はきわめて清潔で現代的なマーラーである。
第1楽章などはやや線の細さを感じさせるが、旋律は十分に歌い、適切な緊張感と響きの開放感が美しく息づいている。
テンポも中庸を得ており、軽やかなリズムや、なめらかなレガートの両端までの表現の幅も広い。
遅めのテンポで旋律を歌い流した演奏で、焦点を終楽章におき、それに向かってたたみこんでゆくような演出が面白い。
精密堅牢なマーラーである。
「復活」は非常に端正・精緻なマーラーである。
オーケストラの精緻なアンサンブルを生かして、一分の隙もない音楽をつくりあげている。
しかも冒頭から緊張感をもって終始一貫しており、内面的な共感も強い。
鋭い切り込みで劇的に表現した第1楽章、ロマンティックな気分をもりあげながら、柔らかく表出した第2楽章、各動機の表情づけを克明におこなった第3楽章。
しかし、圧倒的なのは第4楽章と第5楽章で、「復活賛歌」の歌詞が歌われる部分になると、よりいっそう美しい流れとなり、特にクライマックスは感動的だ。
全曲のクライマックスは明らかにフィナーレの第5楽章に置かれており、ソロのゾッフェルとドナート、それに北ドイツ放送合唱団も好演だ。
クロプシュトックの讃歌が導入される部分での感動と、その後の音楽の加熱も強く印象に残る。
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2009年06月16日
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ベートーヴェンは、この曲の旋律的な美しさをあますところなく表出した演奏である。
パールマンの技巧は完璧そのもので、しかも豊かで美しい音色はこの上もなく魅力的だし、また演奏のスケールも大きく、ヴィルトゥオーゾの貫録を漂わせている。
終始自信に満ちた演奏で、どの部分をとっても楽器が完全に鳴り切っている。
旋律はよく歌い、音色は明るく艶やか。情感にも富んでいて、瑞々しい抒情性も失わず、音楽があくまで自然に豊かに溢れ出てくる。
無駄のないボウイングは緻密で清らかな音を生み出し、それが明快なフレージングと結びついた演奏は、実にのびやかで同時に引き締まっている。
これほど豊かに歌わせ、しかも美麗に磨きあげた演奏というのも珍しい。
パールマンの演奏で聴いていると、この曲は少しも難しくなく、きわめてスムーズで美しい音楽に聴こえるから不思議である。
彼の個性が最も効果を挙げているのは第2楽章だろう。
真摯であるがむきにならず、余裕をもって演奏しているため、音楽は豊かな雰囲気で聴き手に訴えかけてくる。
ジュリーニの堂々としたスケールの大きな好サポートも特筆すべきで、充実した荘重な運びの中にソロを包み、第1楽章や第3楽章などでのパールマンとの激しいわたりあいは聴きものだ。
再録音のブルッフも素晴らしく、自信にあふれた美音であくまでも明るく、粘りをもって弾いており、楽器が完全に鳴り切っている。
テクニックの切れも素晴らしい。
ハイティンクの指揮も、彼にしては珍しいほど気迫に満ち、オケも燃え切っている。
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これは数多いパールマンの録音の中でも特にすぐれたもので、歌う楽器ヴァイオリンの魅力を手放しで謳歌したような名演。
やはりのびのびと屈託のないスムーズな技巧でパガニーニの超絶技巧を再現した、素晴らしいものといえよう。
アッカルド同様、立派な弾きっぷりで、思い切りカンタービレを効かせた第1&2楽章も卓抜だが、ことに素晴らしいのは浮き立つようなリズムを軽やかに表現した第3楽章で、切れのよいリズムが躍動し、この楽章のしゃれた気分を見事に弾きあげている。全曲愉しさの限りだ。
全体に明るく甘美で、この曲がヴィルトゥオーゾのための難曲中の難曲とは思えないほど、すっきりと明快に、楽天的な気分で演奏している。
テクニックも抜群で、これほど小粋で爽快なスタッカートを弾ける人はそう多くない。
五嶋に比べるとパールマンには、一種の甘美さといった要素も含まれていて、ふくよかな音色の美しさはパールマンならではだ。
五嶋のような熱情的な曲への没入はみられないが、より覚めた感覚の客観性が、かえって一般的といえるかも知れない。
サラサーテもパールマンの代表的な名演で、次々と登場する技巧の粋の見事さに、しばし時間を忘れてしまう。
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五嶋みどりのヴァイオリン、スラットキン指揮ロンドン響が、実に切れの良い名演を聴かせる。
五嶋はパガニーニを単に技巧的な作品として再現せず、イタリア風の歌に溢れた美しい音楽として演奏しているのが特色といえよう。
スラットキンの見事な支えに乗って、のびのびと若い個性を発揮させている。
これを録音したときはまだ15歳だったが、決して幼さとか可愛らしさといった少女の面影がなく、完全なアダルトのヴァイオリニストとして成熟した演奏に終始しているのは、驚嘆に値すると思う。
第1楽章の満を持した自信たっぷりな出と間の感覚はまさしく大人のもので、15歳の少女の演奏とは思われない。
音色には粘りがあり、巧みなポルタメントは堂に入り、エコーの優しさ、美しいレガート、エレガントな歌など表情がとても豊かで驚嘆ものだが、上品さと格調を失うことはまったくない。
スラットキンの指揮も充実度満点の伴奏ぶりで、オーケストラを充分に鳴らし、豊かなエネルギーを引き出しており、トランペットの生かし方などが実に楽しい。
チャイコフスキーの2曲も落ち着いた演奏で素晴らしく、音と表情がどこまでものびていく感じで魅力的だ。
これはヴァイオリン音楽の傑作CDといえる。
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メンデルスゾーンは、あくまでもリラックスして、美音を浪費するかのような、いかにもパールマンらしい伸びやかな素晴らしい名演といえる。
パールマンはヴァイオリンの特性を生かした、朗々と歌う美しい演奏を展開している。
テクニックの優秀さは言うに及ばず、音色の透明なことと歌に感情がこもっていることでも、他に比肩する演奏はちょっと見当たらない。
あまりに美しくてうますぎて、内面性に乏しいなどと、贅沢なケチもつけたくなるほどの、完全無欠な演奏なのである。
ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管も、パールマンにピッタリと付けて遺漏がない。
チャイコフスキーも文句のつけようがない名演。
快刀乱麻を断つような技巧の冴えと、磨き抜かれた美しい音色、そしてヴァイオリンをヴァイオリンらしく歌わせる、そのセンスの良さは、パールマンの天性の賜物だろう。
少しも難曲らしくなく、自然で融通無碍な演奏だ。
またここでのオーマンディの指揮も見事の一語に尽き、「協奏曲の神様」と謳われた巨匠の面目が躍如としている。
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2009年06月15日
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この曲は壮麗なスペクタクルを強調するか、サン=サーンスのフランス音楽家としての精緻さにポイントを置くかで選択の範囲が自ずから決まる。
壮麗な音の大伽藍を味わおうというなら、オーマンディ指揮フィラデルフィア管の4回目の録音が最高だろう。
フィラデルフィア・サウンドは、あくまでも輝かしくダイナミックで、サン=サーンスの音楽の醍醐味を満喫させてくれよう。
音響効果が最大限に生かされ、豊かなファンタジーと華麗なサウンドが耳に快く、オルガンの響きも相当なパワーで再現されている。
さらにテラークの録音技術が素晴らしく、広いダイナミック・レンジと、歪みのない透明な音質で、実に気持ち良く曲に浸ることができる。
そしてオーマンディの指揮は、ただ輝かしく壮麗に盛り上げるだけでなく、第1楽章の第2部など、しみじみとした抒情を美しく歌い上げ、この巨匠の円熟の境地が存分に味わえる。
オーマンディの巨匠的風格が前面に押し出された演奏で、第1楽章ではゆとりのあるテンポをとって、旋律をのびやかに歌わせている。
第2楽章はすこぶる華々しい緊迫感をともなって、サン=サーンスの精妙な管弦楽法を巧みに表現している。
全体に各部分の構造の意味を的確に把握した表現で、無用な力みや誇張はいささかもない。
フィラデルフィア・サウンドも豊かさの中に美しい陰影感を示し余すところがない。
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この曲はアルバン・ベルク四重奏団ほかの演奏が断然美しい。
若手チェリスト、シフを加えての演奏は、緊迫感にみちた劇的な表情と、豊かな抒情性を兼ね備えたもので、この大曲の持ち味を、余すところなく表現していて見事である。
極めて緊密なアンサンブルに支えられた素晴らしい熱演である。
それは第1楽章の冒頭を聴いただけでもわかる。激しくクレッシェンドして緊張を加え、ドラマを盛り上げて行く。
しかし、やがて出てくる抒情的な部分での柔らかい表現にも、この団体のスタイルがいっそううかがえる。
シューベルトがこの長大な作品にこめたドラマティックな緊張と抒情性とを、彼らは余す所なく表現しているのである。
低弦に厚みがやや不足するようにも思われるが、全編に流れる豊かな抒情性と、いつもながらの緊密なアンサンブルが一体となって秀演を繰り広げている。
特にシューベルトが自らの死を予感して作ったかのような第2楽章と第3楽章トリオは感動的で、前者でのピヒラーの第1ヴァイオリンの表情と音色の変化の速さ、艶やかさは脱帽もの。
ウィーン風の情緒を実に巧みに現代化している点も魅力的だ。
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アンサンブルがきわめて緻密で、きびきびとした演奏である。
メリハリが実にはっきりとしていて、少しの曖昧さもない。
4人の奏者がそれぞれ溌剌と弾いているが、その造形はいささかの狂いもない。
内容の充実した、まさに現代風のハイドンとモーツァルトの演奏である。
「皇帝」の第1楽章では、いくぶんテンポを動かしているが、アンサンブルの乱れはまったくない。
まるで精密機械のような演奏のなかにも、巧みな盛り上がりと精妙な旋律の歌わせ方にウィーン的な香りを感じる。
第2楽章の「皇帝賛歌」を主題とした変奏曲の演奏などその好例である。
「狩り」は、精緻なアンサンブルのなかにも、ウィーン風の甘美な音色をもったこの団体の個性を聴くことができる。
メンバーの第2ヴァイオリンが、メッツルからシュルツに変わっているが、以前にも増して切れ味のよいアンサンブルだ。
造形的にもきちんとまとめあげており、弦の響きも澄明でみずみずしい。
特に第2楽章メヌエットのきめのこまかい端正な表現は比類がない。
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2009年06月14日
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オーマンディが尊敬してやまなかったバルトークに対する熱い思いのこめられた名演である。
この演奏でのオーマンディは、バルトーク固有の、あの特異なリズムと旋律線の動きなどを的確につかみ、演奏の上にしっかりと浮き彫りにしている。
第3楽章のしっとりとした味わいや、第4楽章のリズムの扱い方、また第5楽章の色彩豊かな音のつくり方などに、彼の体内に流れるハンガリーの血が、いかに大きくものをいっているかがよくわかる。
晩年のオーマンディは、まさに天衣無縫ともいうべき境地に達していたらしい。
すべての欲とか得とかにこだわらず、本当に自分の気に入ったレパートリーだけを録音していたようだ。
この《管弦楽のための協奏曲》は、尊敬する祖国の先輩作曲家に対するオマージュだったのだろう。
フィラデルフィア管弦楽団にすべてを委ね、実にメロウなサウンドで包んだ美しい演奏になっている。
ここにはバルトークのラディカルさはさらさらなく、洗練されたオーマンディの職人芸が光り輝いている。
改めてこのコンビの凄さを、垣間見たような素晴らしい演奏である。
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2009年06月13日
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マゼールは、いつの時代においても先端に位置するような「売れっ子」なので、当然のことながらレコードの数も多い。
1950年代に始まった彼の録音歴は、60年代、70年代、80年代、90年代、そして2000年代へと、旺盛に持続されてきている。
その量的な意味でのムラのようなものは、ほとんどといっていいほど、ない。
しかしながら、マゼールの夥しい数のディスコグラフィを、その内容面からみると、ずいぶんムラのようなものがあることに気がつく。
すぐれた演奏、注目すべきものが、ほとんど初期の録音に偏ってしまっているのだ。
同曲異演盤をいくつか比較しても、それらは例外なく初期のもののほうがすぐれている。しかもかなりの差をつけて…。
こうしたことは、マゼールという指揮者を考えるうえでの興味深い点であり、同時に、彼の悲劇的な点でもあるのだけれど、そのような状況にあって、最近の録音のなかにも、初期のものに匹敵するようなすぐれた演奏内容をもっているものが、まったくないわけではない。すぐれたものがちらほらある。
たとえば、このベルリン・フィルとのブルックナー第8交響曲など、その代表的な1枚といえよう。
この演奏内容は、以前のマゼールのように大胆に曲の核心に踏み込んだという性格ではないけれど、全体を的確に見通し、随所に強靭な手応えをもつ表情をほどこしていった、隙のない出来映えである。
この録音は1989年に録音された。ときあたかも、ベルリン・フィルにおける「ポスト・カラヤン」が真剣に問題になっていた時期である。
そして、マゼールは自他ともに認める「ポスト・カラヤン」の最有力候補のひとりであった(それはアバドが選ばれていくようになるのは、既に周知の通り)。
こうしたマゼールによる暫くぶりの充実した演奏を聴くと、もしベルリン・フィルを彼が手に入れていたら、と改めて思わざるをえなくなってしまう。
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ヴォルコフ編の『ショスタコーヴィチの証言』はそれまでのショスタコーヴィチのイメージを大きく覆した。
舞台作品にも、室内楽にもその影響はすぐに現れたが、交響曲の解釈にもそれこそ革命的な変化が生じた。
その第一歩を印したのがこのハイティンク盤だ。
しかしロストロポーヴィチに代表されるような「証言」的解釈といえるわけではない。
むしろどんな立場にせよ思想によった解釈ではなく、音楽におのずと思想を語らせた点で、その後の幾多の演奏とも一線を画していると思う。
その透明感と堅実さは他の演奏では聴けないものだ。
その透徹したハイティンクの解釈を通して、全15曲の交響曲はショスタコーヴィチの人生と思想の遍歴を伝えている。
ここにはハイティンクの誠実をきわめた姿勢と、純音楽的演奏様式が一貫してある。
スコアを真摯に見つめることで作品の音楽的な意味を追求しながら曲の内面を掘り下げ、密度の高い音楽と均衡感の強い造形が表現されている。
作品に共通した悲劇的な感情や内部の隠された鋭いまなざしが、装飾や皮相感を伴わずに表出され、本質と美と思想を率直に聴き手に伝えてくれる。
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2009年06月12日
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フィッシャー=ディースカウの厖大なリート録音のハレーションのなかにかき消され、意外に見落とされているすぐれた演奏が、このバーンスタインとの〈若き日の歌〉と〈リュッケルト歌曲集〉抜粋だ。
これほどマーラーの音楽の神髄に迫った演奏も珍しい。
当時のフィッシャー=ディースカウは心技一体化し、体のすみずみにまで歌うよろこびが行き渡り、声に出すひびきはすべての霊感をおびていた。
特にこの〈リュッケルト〉と〈若き日の歌〉では、バーンスタインのピアノと驚くほどよく合い、空前絶後といえるほどのひびきの空間を作り上げている。
バーンスタインはピアノのパラフレーズの仕方が独特で、マーラーの内面の生と死との間に揺れる焦燥と不安、その分裂の風景を目に見える形で映し出している。
ディースカウの声はそれに的確に反応し、マーラーの内面の分裂の隙間へとどこまでも深く分け入ってゆく。
そして、その奥にマーラーの原点を支える絶対的な精神の基盤、つまり神なき世の芸術家の任務に目覚め、救済を模索する生き方を突き当てている。
声とピアノだけで、ベートーヴェンの〈第9〉に匹敵する深遠広大な精神的空間を表現しえたリート演奏は、このディスクをおいて他にはない。
これはドイツ・リート録音史上、金字塔的演奏と呼ぶに値する。
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2009年06月11日
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《椿姫》というオペラは、その大衆性と裏腹に、名演・名盤と呼べる録音が驚くほど少ない。
このオペラに今なお決定的な名演がないのは、第2次大戦後、最高のヴィオレッタだったカラスが最盛期に録音する機会を逸したためである。
カラスはこの1955年に行なわれた録音の4ヵ月前に、スカラ座でジュリーニ指揮の《椿姫》で大成功をおさめたばかりだったから、もしこの録音で歌っていたら素晴らしい名演が残っただろう。
しかし、カラスは2年前にチェトラに録音していたので、同じ曲を6年間は他社に録音できないという厳しい専属契約があった当時、EMIに録音できなかった(現在、カラスのヴィオレッタの名唱はライヴ録音で聴けるが音質はよくない)。
だが、この録音にセラフィンが抜擢したステッラのヴィオレッタも、カラスには及ばないとはいえ素晴らしい。
ステッラはこの録音の前年にスカラ座の《オテロ》のデスデーモナで成功をおさめ、EMIに《ドン・カルロ》のエリザベッタを録音しているように、本来の声質はリリコ・スピントだが、カラス同様セラフィンの指導を受けたのだろう、ここでは若々しい柔軟な声でヴィオレッタの悲劇を見事に表現している。
やはり最盛期だったディ・ステファノのアルフレードとゴッビのジェルモンの歌唱も素晴らしく、さらにセラフィンの作品の本質に迫る劇的な緊張感をたたえた指揮、それに鋭く反応しているスカラ座の管弦楽団と合唱団、充実したキャストのオペラティックな感興豊かな表現力も非常に味わい深い。
セラフィン盤は、指揮の玄人好みとも呼べる渋い音楽作りが楽しめる。
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2009年06月10日
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引退をはさんで、その風格と渋味を湛えた音楽がますます注目され、熱狂的に支持されるようになった巨匠、ザンデルリンク。
シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したブラームス全集は、もはや望んでも得られない貴重な記録で、その渋い造形美と温もりを感じさせる肌合いは「総檜造りのような音」と形容された。
内からわき起こるような力感と堂々とした偉容を湛えた、これぞブラームスといえる演奏。
ザンデルリンクのブラームスの交響曲といえば、本盤の後に録音したベルリン交響楽団との全集(カプリッチョレーベル)が名演の誉れ高いが、本盤も、それに勝るとも劣らない名演と高く評価したい。
何よりも、オーケストラの力量から言えば、本盤の方が断然上であり、その意味では、新盤とは違った意味での魅力ある名演と言うことができよう。
本盤の成功は、もちろん、ザンデルリンクの巨匠風の堂々たる指揮ぶりにあるが、何よりも、シュターツカペレ・ドレスデンの重厚な音色をベースとした素晴らしい好演にあると言える。
東ドイツという国が存在していた時代のシュターツカペレ・ドレスデンの音色には独特のものがあった。
重心の低い、それでいていぶし銀の輝きのある美しいジャーマン・サウンドは、特に、ドイツ音楽を演奏する際に、他では味わうことができない深遠さを醸し出すことになる。
それにしても、何と言う深みのある響きであろうか。
録音場所となったドレスデンの聖ルカ教会の残響も見事なものがあるのであろうが、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色には、現代のオーケストラにはもはや求め得ないような至高・至純の輝きがある。
したたるような弦楽器の音色や重量感溢れる打楽器も見事であるほか、金管楽器や木管楽器も素晴らしいが、特に、ダムが吹いているであろうホルンの朗々たる響きには、ただただ感動するのみ。
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2009年06月09日
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晩年のモントゥーがウィーン・フィルと残した録音はどれも素晴らしい。練習嫌いのウィーン・フィルのメンバーは、ときにモントゥーの長く、執拗な稽古にブツブツ不平を言いながらも、自分たちより遥かに年長の指揮者への敬愛を最上のパフォーマンスで表現した。
「驚愕」は、第1楽章序奏から、雅な木管の調べが美しい。長い稽古の甲斐もあって、アンサンブルは当時のウィーン・フィルとしてはもっとも整然としており、テンポやリズムも颯爽としていて気持ち良い。それでいて、機械的に鳴らされる音符はただのひとつもなく、つねに音楽的感興に溢れている。
第2楽章も実に丁寧な仕上げであるが、「驚愕」の渾名の由来となったトゥッティの強奏&強打でのユーモア感覚も極上である。
相変わらず典雅なメヌエットを経て、フィナーレにおけるただならぬ精神的高揚感はいったい何なのか。
聴衆のいないスタジオに、突如、指揮者とオーケストラに何か不可思議な力が舞い降りたのような奇跡の瞬間がマイクに納められたことを天に感謝したい。
一方、弦のしとやかな美しさという点では、「時計」も負けていない。第2楽章に滲み出る哀感にモントゥーの偉大な人生の年輪を感ぜずにはおれないのである。
メヌエットにおけるフルートの風に吹かれたような詩情もウィーン・フィルの美点をとことん導き出した好例だろう。
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2009年06月08日
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エルガーの管弦楽法はかなり複雑で、各楽器を重ね過ぎているため明快に響かせるのは難しい。
しかしこれをうまく響かせた場合の重厚な味わいは、たしかにエルガー独自のものである。
シノーポリは、イギリスの指揮者が伝統的に踏襲してきた解釈とは異なる独自の視点から、エルガーを眺めている。
第1番は精緻な分析と総合を経て構築された造形をもとに、イギリス風というよりも、純音楽風に運んだ説得力の強い名演である。
第1楽章の自己主張の激しさなど、シノーポリがただものではないことを示している。
第2番におけるシノーポリのこってりとした解釈には、明らかに世紀末ウィーンの影がさしかけているように思われる。
全体に遅めのテンポで細部を克明に描き出しているので、エルガーの作品からは通常感じられない濃厚な味わいが出ている。
それはこの演奏の魅力となっている反面、シノーポリ流のかなり独断と偏見を感じさせる解釈から来た味なので、本来のイギリス風スタイルの演奏とは一線を画するものといえよう。
「威風堂々」の2曲も、物凄い迫力の秀演だ。
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2009年06月07日
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特異で劇的な開始をもつこの受難曲と、鋭角的なリヒターの指揮、解釈とが重なったため、リヒター盤以外にはいつも満たされないものを感じ続けてきた。
その後ようやくリヒターを相対化できたのであるが、それはもっぱらガーディナーのお陰である。
むろんガーディナーの指揮のもとでも、音楽はやはり緊迫し、激しい表情をみせる。力のこもったドラマがある。
しかし、ここが重要なのだが、リヒターの表現はもっぱら彼個人に由来するのに対し、ガーディナーはテクストから読みとれるものを音化しようとする。
力強さ、熱気の底に、作品を客観的に観察する冷徹な精神があり、その同じ精神が、精密で純度の高い表現を完遂するという驚くべき演奏だ。
ガーディナーの「ヨハネ」は、合唱を柱とした極めて純度の高い全体の構想が強烈なドラマトゥルギーを生み出し、聴く者の耳を呪縛する。
ガーディナーの熱い気迫が伝わってくるような演奏で、冒頭の切り込みの凄さ、緊迫した導入の鮮烈さは今までになかったものだ。
その気迫に火をつけられた器楽陣が先行し、そしてためらいがちに進む声楽パートとのズレが不思議な生命力を喚起する。
極めてシャープで緊張感のただよう表現で、"ドラマティック"といわれているこの作品を生き生きと表現している。
独唱陣では、ロルフ・ジョンソンの福音史家が知的な語り口で、最もすぐれている。
それにモンテヴェルディ合唱団の鮮烈な歌唱が純粋な世界を作り上げている。
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2009年06月06日
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ヨーヨー・マは1955年に台湾系中国人を両親としてパリに生まれたが、まもなく渡米し、ジュリアード音楽院でヤーノシュ・シュタルケルとレナード・ローズに師事した。
そのすぐれた才能は早くから評判となり、欧米各地でオーケストラと共演、多くのリサイタルを開いて絶賛を博した。
いまや現代最高のチェリストの一人として注目されている。
彼が、ポーランド生まれで、アメリカを中心に活躍しているピアニスト、アックスと組んだこの演奏は、新しい資料による新ベートーヴェン全集によっているため、これまでのとは多少違っている。
このふたりの演奏は、ロストロポーヴィチとリヒテルの熱演とは対照的に、穏やかでのびのびとしている。
マのチェロは、持ち前の美音とすぐれたテクニックで、実に素直に悠然と弾きあげている。
マのソロはきわめて豪胆で明快、曖昧さのない切れ味の鋭いもので、全体に引き締まった好演である。
アックスのピアノもマとぴったりと呼吸が合っており新鮮で実によく付けていて、マとともに最上のアンサンブルといえる。
ソナタでは実にしなやかで伸び伸びとした運びの中に、チェロとピアノのぴったりと呼吸の合った二重奏がかもしだす抒情のかぐわしさは、他に類をみないもので、自然体・平常心で臨んで曲の味わい深さを出した好演。
「魔笛」の主題による2曲もヨーヨー・マの技巧は優れていて危なげなところはどこにもなく、短調の変奏での深く熱っぽいチェロの歌が胸を打つ。
アックスのピアノもしっかりしている。
ネアカのベートーヴェンだが、両者の和気あいあいのアンサンブルのせいで、これらの作品が実に楽しく味わえる。
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2009年06月05日
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1950年代から60年代前半にかけてのビッグ・レーベルのオペラ全曲録音は、新進気鋭と専属契約し、自らスターを育成する意欲と情熱と誇りにあふれ、各レーベルが凌ぎ合ってユニークな名盤を生んだ。
英デッカは強烈な個性を擁するとともに、耳で勝負のオペラとしての声の音色の調和も入念に配慮したが、「運命の力」は他社に先駆けたステレオ録音により、戦後のオペラ黄金時代の中心となったオール・イタリア人のベスト・メンバーを結集し、熟練のモリナーリ=プラデッリに指揮を任せた。
当時の最高のキャストを集めた名盤である。
テバルディのレオノーラの歌唱がきれいごとにすぎ、デル・モナコは愛に生きる男としての心情が弱いうらみがあるが、声の輝きと威力が僅かの不満を吹き飛ばす。
これほど充実した「運命の力」は滅多に聴くことができない。
それは単にキャストの表面的な豪華さのためではない。
全盛期のテバルディやデル・モナコの声は確かに素晴らしいが、聴き手を感動に導くのはその声自体の美しさではなく、その豊かな響きによって明らかにされたヴェルディの音楽の魂であり、そこに結実したドラマの見事さに他ならないのだ。
このオペラの全貌を知ることができる貴重な記録といってよい。
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2009年06月04日
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ドイツの巨匠バックハウスの質実剛健というべき特質がよく示された1枚である。
バックハウスはブラームスの演奏を得意としていたが、ここに収められた12曲の性格的小品となると、彼得意の荘重な表現力を生かすのは難しい。
しかし、かといって器用に演奏しようとしないのが彼らしい。
気取った演奏は無用とばかり、訥々とした語り口ながら、そこに大家の風格を漂わせている。
逞しく骨張った音、叙情に溺れない剛毅さ、ときに無愛想とさえ思えるような淡々とした表情、ブラームスのピアノ曲にロマン的情緒を求める人にはあまりにもそっけなく感じられる演奏といえるかもしれないが、聴き込むほどにその飾らない素朴さのうちに渋い味わいが感じられてくる。
そうした味わいはまさにブラームスの音楽に対する深い洞察から生まれてくるものだろう。
なかでも「6つの小品」の第3番バラード、カプリチオ、間奏曲変ホ長調の3曲が特に印象的な演奏だ。
また作品118-6の深い絶望感、作品76-2や119-2の不安な気分、作品117-1の内省的な歌などにみる曲の本質のみを露わにするような語り口は、バックハウスならではのものだ。
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2009年06月03日
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レヴァインが新進気鋭だった1974年から取り組み、第2&8番は未収録に終わった全集の第4弾、フィラデルフィア管弦楽団との初顔合わせ録音だった。
「第5」はレヴァインのマーラー演奏の本質を最もよくあらわしているが、けっして表面的なものではなく、すばらしい緻密さと豊潤さを保ちながら、しかも、抒情性や情感、虚無感なども過不足なく表現している。
レヴァインのマーラーは、他のユダヤ系演奏家による粘っこいものとは違い、表面はややさらりとして明るいが、音そのものは恐ろしく緻密に磨き抜かれている。
醒めた現代人らしい解釈で、スコアをとことん追い込んで、しかも類稀な美しい効果を発揮している。
レヴァインにとってマーラーの交響曲は、思い入れの対象でも何でもなく、ただ従来から存在する歴史的な名曲のひとつに過ぎないのであろう。
フィラデルフィア管弦楽団という名人集団を自在に操って、マーラーのスコアを容赦なく音に翻訳し、あるがままの姿を聴き手に提示している。
フィラデルフィア管という名人オケを振っているということもあって、フォルティッシモでも少しもうるさくならず、また弱音もどこかスマート。
それでいて、この曲のもつ一種の崩壊感のようなものは過不足なく伝えている。
名演というべきで、ここから何を感じ取るかは、聴く者ひとりひとりのイマジネーションであろう。
ヴィルトゥオーゾ・オーケストラの輝かしい表現力も、レヴァインが求める音楽と響きのために最大限に奉仕しているようだ。
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2009年06月02日
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さすがにロシア人による演奏だけあって、その民族的な情感の表現のしかたは素晴らしい。
いかにもロシアのグループらしい、メランコリックで熱気に溢れた演奏を聴かせる。
ことに第1番第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」の部分も、実に感情のこもった歌いぶりで、リズムの扱いや、ニュアンスのつけ方は、卓抜である。
特に中間部のしゃくり上げるような、独特のフレージングはロシアの団体ならではのものだといえる。
第2番第2楽章での速度の変化や民族的リズム感、そして緩徐楽章の抒情的な息吹も、ロシア独特のものであろう。
終楽章のロシア的舞曲の扱いも、いかにも本場物といった自信に溢れた演奏になっている。
しかし、決してそれらに溺れきることで自己満足しているわけではない。
表情に実に細かい神経を使いながらも、音楽の輪郭を大切にして構成感を尊重しているため、ゆるぎない大地の上に音楽が乗っているようだ。
また、もう1つの大きな特色は、最近の四重奏団に共通する、鋭さを持っていることである。
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2009年06月01日
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ロジェの演奏はあくまでもフランス趣味で、どこまでもエレガントで都会的、洗練の極を示した美しいものである。
ロジェは、落ち着いた表情で弾きすすめながらも、フランス人ならではの、詩情豊かで、センスのよい表現を行っており、強くひきつけられる。
全体に軽いタッチで、ロジェはラヴェルの感覚的な洗練性を描き上げる。
ピアノ協奏曲はこれぞラヴェルと言いたい美しさだ。
ロジェの抑制の美学はこの曲にぴったりだが、それだけに終わらず、洒落たデリカシーや粋なリズムが恍惚の一時を約束してくれる。
技巧の冴えと情熱では、アルゲリッチに一歩を譲るが、洒落たエレガンスにおいては、むしろロジェの方が上といえよう。
特に第1楽章第2主題や、第2楽章の深沈とした美しさは特筆に値すると思う。
左手のためのピアノ協奏曲も小味なはかなさが詩情を呼び、まことに品がよい。
この曲のジャズ的な要素や、ラヴェル独特の情感といったものを、ものの見事に表現した演奏で、ピアノの響きの美しさも秀逸だ。
デュトワの指揮はさらに見事で、そのチャーミングなパリの哀歓の表出は、現在彼以外の指揮者では成し得ないだろう。雰囲気のよい音楽をつくりあげていて素晴らしい。
またデュトワ指揮のモントリオール響が、実に美しい管のソロを聴かせ、ラヴェルのオーケストラ・パートの魅力を改めて示している。
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