2009年08月

2009年08月31日


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ブーレーズの《火の鳥》(全曲版)はニューヨーク・フィルとの懐かしい録音も負けず劣らず有名だが、シカゴ響盤は17年後、ブーレーズ67歳の年のレコーディング。

ほぼ同じ時期の《春の祭典》がクリーヴランド管だったのに対して、《火の鳥》ではシカゴ響となったのは、何か彼の考えがあったのか、それとも全然別の事情だったのか。

ともあれ、むしろ逆の方がしっくりくるのではないかと想像するのは浅い考えで、結果的にシカゴ響の怪物的なスケールと、名人的な個人技を含む超絶テクニックの双方を、ブーレーズの精緻なリードが文字通りフルに引き出し、結びつけているところにこの快演の鍵がある。

ブーレーズは、かつてストラヴィンスキーの新古典主義にみられる方向転換を痛烈に批判していたことがあったと記憶する。

彼の見解からすれば、ストラヴィンスキーの真価は3大バレエのような初期作品にこそあるとでもいわんばかりに、録音もこのあたりのものを中心に行なっていた。

《火の鳥》にしても、改訂を重ねるごとに洗練されスリム化していく組曲版には目もくれず、大編成(4管)による厚塗りの初演版をとりあげる。

特殊楽器入りの大編成オケの響きの魅力が満載である。

この演奏ではそうした重厚なヴォリューム感はもちろんのことだが、実演ではかき消されてしまう内声部の動きとかハープやチェレスタの音色をクリアに立ち上がらせ、絶妙に配合する。

出来過ぎた響きゆえ耳には毒かもしれない。

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2009年08月30日


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ショルティ指揮シカゴ響と対照的なのがデュトワ指揮モントリオール響で、デュトワは「管弦楽のための協奏曲」から民俗臭を抜き取り、実に洗練された都会的な感覚で、透明なサウンドの音楽に仕上げている。

「オケ・コン」は木管、金管、打楽器のプレイヤーたちの腕が達者でないと、どうにもサマにならない演奏になる。

しかし、この演奏にはそうした心配は少しもない。デュトワの綿密で、しかも鋭い棒が、楽員たちの実力を充分に発揮させているからだ。

第4楽章など、緩急の対比をくっきりとつけながらハンガリー的熱狂を見事に表出しているし、第5楽章も目の覚めるようなアンサンブルでたたみこんでいく。

これほどエレガントなバルトークは、そんじょそこらにあるものではない。

しなやかに各フレーズは歌われ、協奏的な名人芸もやり過ぎることなく、あくまで上品に典雅にソロを聴かせる。

「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」でもデュトワは極めて洗練された表現で、美感に溢れた都会的なアンサンブルに特色がある。

デュトワの卓抜な演出の光る演奏で、第1楽章の、あのミステリアスで不安定な表情づけからして、ひきつけられるし、熱っぽくエネルギッシュな第2楽章や、打楽器とチェレスタの妙技の光る第3楽章など、実に素晴らしい。

いわゆる民族的な雰囲気に寄り掛からぬ、純音楽的な要素だけで、これ程の名演を達成したデュトワの実力は本当に凄い。

モダン・ミュージック嫌いは、ぜひこれに一度耳を傾けて欲しい。

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2009年08月29日


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アバド指揮ロンドン響のストラヴィンスキーは、きわめて鮮烈でユニークな力演で、速めのテンポを駆使して、リズミカルで軽快な都会趣味の表現になっている。

「プルチネルラ」が断然すぐれている。アバドは曲の性格を的確につかみ、きびきびしたテンポで運びながら、全体を精緻に仕上げている。

第8,12,終曲は特に素晴らしく、その生気にあふれた表現に魅了される。アバドの実力が最高度に発揮された、実に見事な演奏だ。独唱陣のなかでは、ベルカンサが一際光っている。

「カルタ遊び」もなかなかの好演で、「火の鳥」もよくまとまっている。

「春の祭典」は若々しい感覚の緊張感にあふれた素晴らしい演奏だ。

アバドは曲の性格を的確に把握し、やや速めのテンポでじっくりと運びながら、各場面を明晰に、野性味豊かに描きあげている。

細かく聴くと、この曲にはまだこんな解釈が残されていたのかと、驚かされるような新鮮さである。

特に両幕の序奏部は、美しい歌に満ちた表現が魅力的で、第2部の冒頭など完全な「夜の音楽」になっている。

第2部の「いけにえの讃美」から後半の部分にかけての劇的な表現は圧巻だ。

力と大音量でブカブカと吹きまくる野蛮なストラヴィンスキー演奏ではなく、サウンドが洗練されているのが、アバドの「ハルサイ」の特色といっていい。

これはアバドの力量を如実に示した快演といってよい。

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2009年08月28日


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一目惚れである。理屈も何もあったものではない。

ためらいがちのオープニングから何かゾクゾクしてくるが、一途に何かに立ち向かっていく、その真剣さに磁力にも似た力で引き寄せられてしまった。

そしてチェロによって第2主題が奏されるのだが、予想もしない美しさと大胆さに魅了されてしまうし、それがヴァイオリンによって繰り返される頃には、もう離れられなくなっている自分を確認するだけである。

40分弱の大作だが、第1楽章で聴かれる憧れに満ちた第2主題こそは聴く者をたちまち詩人にしてしまう媚薬のような名旋律であり、カリンニコフはこの旋律だけでも音楽史に残ると言いたくなるほどである。

円熟を前に35歳で他界したカリンニコフだが、残された交響曲は聴き手を永遠の夢追い人にしてしまう。

かつてはトスカニーニも指揮していたほどだが、その後しばらくなぜか忘れられた格好になってしまった。

だが2003年にヴラディーミル・アシュケナージが録音、燃え上がるような情熱と初々しい詩情をたたえた演奏で作品の真価を全開させてくれた。

以来、テレビCMにもこの曲が用いられるなど、カリンニコフ・ルネサンスにも似た状況が生まれている。

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classicalmusic at 00:00コメント(2)トラックバック(0)アシュケナージ 

2009年08月27日


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カツァリスの初のシューマン・アルバムであった。

カツァリスはこのシューマンで、これまでのような意表を衝く表現や新しい解釈ではなく、精神を安定させるような伝統的なスタイルを目指しており、詩情豊かにシューマンのやさしい小品集を歌い上げている。

「子供の情景」はカツァリスのストレートな解釈が、曲想を生かしたメルヘン的な雰囲気をよく出している。

あり余るテクニックをセーヴして、優しく子供の世界へいざなう、カツァリス的な表現はまったく新しいアプローチといえよう。

音色が透明で美しいのも、いかにもメルヘンチックである。

標題性をあまり強調していないのだが、カツァリスは音色の変化で、各小品の性格を見事に描き分けている。

端倪すべからぬ名人芸といえよう。

「森の情景」はかなり濃厚なロマンティシズムを感じさせるが、ロマン的な情趣に溺れず、印象としては爽やかさが残る。

特に「音楽帳」ではその思いが強い。

マーク・アレン製のピアノを使用している。

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2009年08月26日


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オリジナル楽器による演奏の中では、コープマン指揮アムステルダム・バロック管の再録音が、考証のしっかりした素晴らしい演奏を聴かせる。

コープマンはオリジナル楽器の素朴な味わいを現代的感覚でまとめているところが魅力的で、精緻に整えられた合奏はまことに爽やかですっきりと仕上がっており、古き良き時代を偲ばせる要素を多分に持っているようだ。

コープマンの表現はただ単に雅やかな、宮廷ムードを漂わせるだけでなく、積極的にバロック的な強弱の表情をはっきりと付け、かなり攻撃的ともいえる面白い表現を行なっている。

古楽器を使いながらも表現はかなり現代的にスマートで、若々しく実に新鮮だ。

そしてアムステルダム・バロック管のメンバーが実に優秀で、ヴィブラートを極力排した弦楽器、それにピッチの低い管楽器を用いて、寸分隙のない優れたアンサンブルを展開している。

全曲中の聴きものの第2番では、ハーツェルツェトのフラウト・トラヴェルソが光っている。

しかも協奏曲風ではなく、あくまでもメンバーの一員のような形で演奏されているところが面白い。

第3番ではこの楽団の主軸ともいえる弦のアンサンブルが見事で、「エア」など心を吸い寄せられるような美しさだ。

オリジナル楽器によるバッハ演奏としては、今のところベストといっていいだろう。

また管弦楽組曲全曲がディスク1枚に収録されている点も魅力的だ。

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2009年08月25日


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それぞれの曲が名演中の名演であり、シンフォニー・コンサート風の演奏形態による録音では第一に推したい傑作である。

アンサンブルがよく整頓されているだけでなく、その美感がモーツァルトの陰影にみちた内面と深く結ばれているのだ。

クーベリックの演奏には、どの部分を採っても雄渾な力や繊細な美感が共存しており、それが古典の気品を感じさせる。

同じドイツ音楽の伝統の中に生きた指揮者でも、ベームが構築的な美感を重んじたのに対して、クーベリックは、適度にロマンティックで、しなやかな音楽を作り上げている。

ここでも、優雅で、気品のある演奏となっており、美しい余裕をもって歌われたその演奏の風格豊かな味わいが忘れられない。

安定した構成力で、恰幅のよいモーツァルトが仕上げられている。

伝統的であって、その最良の部分をしっかり踏まえた演奏内容といえよう。

「ハフナー」は祝典的な明るさと円熟期のモーツァルトの力強さや厳しさをのびやかなスケールで掬いとって格調高く、細部まで晴朗なロマンと美しい歌をたたえている。

「リンツ」では、抑制された表現を行いながらも、モーツァルトの音楽のもつロマン性を浮き彫りにした演奏である。

「プラハ」は、この曲のもつ愉悦感を見事に引き出した演奏で、旋律の歌わせ方のうまさは特筆に値する。

「39番」は、冒頭からどっしりとした表現力で貫かれ、それが最後まで立派に持続している。堂々とした風格をもったモーツァルトだ。

「40番」は、多少なりとも響きがたっぷりとしすぎる傾向はあるものの、充実した内容の曲だけに、こうしたアプローチも余裕をもって受け止めることができるだろう。

「ジュピター」は、いかにもクーベリックらしい、豊かな情感にみちたモーツァルトである。音楽をごく自然に流しながら、旋律を美しく歌わせているところに惹かれる。

バイエルン放送響も奥行きのあるところを示している。

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classicalmusic at 00:06コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトクーベリック 

2009年08月24日


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デュトワ指揮モントリオール響は、クリュイタンスと同じ路線を行く、きわめてエレガントで、透明度の高い美しい演奏で、フォーレの魅力がストレートに表現されている。

このコンビならではの洗練された色彩と透明な響きが大変に美しく、フォーレの音楽のひそやかな美しさをきわめてデリケートに掬いあげている。

「レクイエム」は全体にバランスのよくとれた柔らかな響きと、表情をあらわにすることのない旋律の抑制した扱いによって、内的な美しさを示している。

そのような表現から、死者への敬虔な祈りがひしひしと伝わってくる。

デュトワは、この作品の宗教曲としての美しさ、崇高さをあくまで描出しようとしており、そうした彼の意図に、オーケストラ、合唱団、独唱陣ともに万全に応えている。

この曲の清澄で、優美な特色を、控え目な表現のなかに見事にとらえた名演である。

モントリオール合唱団は静的な表現にかかわらず、弛緩することなく深々とした表現で美しく歌い上げている。

管弦楽と合唱のための「パヴァーヌ」もフォーレそのものを感じさせる優雅な演奏で、清冽な詩情をたたえた音楽を作り上げているところに、好感がもてる。

「ペレアスとメリザンド」でもデュトワは、オーケストラから、フォーレの音楽にふさわしい、まろやかな響きを引き出しており、また、作品の悲劇的な性格を表出したその語り口のうまさも抜群だ。

しなやかな音楽の流れの上に、各曲の性格を鋭敏な感覚でしっとりと描きわけて、美しく印象的である。

どのパリのオーケストラよりもフランス的といわれるモントリオール響だけに、この緻密で敬虔な表現には、ただ恐れ入るのみであろう。

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2009年08月23日


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ストコフスキー指揮ニュー・フィルハーモニア管は、いかにもストコフスキーらしい芝居気に溢れた、ドラマティックな怪演になっている。

チェイコフスキーのスコアに大鉈をふるい、表情記号や速度記号の変更もお構いなしで、面白く聴かせるためなら手段を選ばぬ、エンターテイナーとしてのサーヴィス精神が嬉しく、これほど聴いて楽しい演奏というのは、ちょっとないだろう。

録音もロンドンお得意の「フェイズ・4」システムで、トリックも存分に駆使されていて、典型的な「ストコ節」を堪能することができる。

フェイズ4録音のためか、交響曲はコンサートではとても聴こえないような内声が浮かびあがる。

スコアの指示も自由に変更され、ストコフスキー独自の表現をつくり出しているが意外なほど粘らず、音楽的に自然であるのも興味深い。

両端楽章にカットがあるが、とにかく作品をわかりやすく聴かせるという意味では見事な解釈である。

この曲をストコフスキーは生涯に3回録音しているが、いずれも彼自身の手の入ったすさまじい改編版である。

テンポは全体に遅く、表情はすべてに大袈裟で、劇的な大向こう受けを狙った演奏といえる。

しかしスコアどおりに演奏したどの演奏よりも、これは面白く楽しんで聴けるのである。

ここにはかなりのカットさえあるが、ロンドンのフェイズ4録音の威力とともに、その音響的な迫力は大変なものといえる。

「展覧会の絵」のストコフスキー編は、ラヴェル編とは曲数も異なるが、色彩鮮やかに、重厚な響きを随所に生かして原曲の雰囲気を巧みに伝えている。

演奏も編曲の特徴を明快に生かしており、メリハリのきいた壮麗な演出が聴きものだ。

ストコフスキーはアメリカでも「歪曲の巨匠」と専門家からは敵視されたが、一般の愛好家にはそれ故に受け入れられた。

そのマジックを解く鍵が、この演奏には隠されていると思う。

新派悲劇の大愁嘆場も、ときには楽しいものである。

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2009年08月22日


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1995年のベルリン・フィルのニューイヤー・イヴ・コンサートのライヴ録音である。

「真夏の夜の夢」は全14曲から序曲をはじめとする10曲を選んだ抜粋盤だが、主要曲はほとんど入っているし、なによりもアバドならではの晴朗な歌にあふれた表現とベルリン・フィルの透明で精妙な響きが素晴らしく、メンデルスゾーンの音楽の魅力を最高度に磨かれた表現と響きで伝えている。

爽快に引き締まったテンポではじまる〈序曲〉は、これからはじまる劇への期待を生き生きと高めてくれるし、つづく〈スケルツォ〉も、品格美しい表現の中にベルリン・フィルの弦の魅力が存分に発揮されている。

お馴染みの〈結婚行進曲〉も、アバドらしくあくまでの格調高く、ベルリン・フィルが持ち前の豊麗な響きと卓抜な表現力によって、いかにも輝かしく壮麗な演奏をつくっている。

独唱や合唱の入る曲でのアバドのうまさはいまさら言うまでもないし、マクネアーらの歌もとてもセンスが良い。

「イタリア」にはすぐれた演奏が多いが、アバドの3度目の録音は、モノーラル録音ながら古典的名演といえるトスカニーニの格調を感じさせる輝かしい表現、ピリオド楽器によるブリュッヘンの清新な響きが非常に魅力的な演奏とともにとくにすぐれていると思う。

このほかウィーン・フィルによるショルティ晩年のライヴ、オリジナル版の第2〜4楽章も聴けるガーディナー盤なども忘れがたい演奏だが、アバドのジルヴェスター・コンサートのライヴ盤は弾力性に富む精確なリズムと見事なテンポによってしなやかに歌われる旋律、さらにベルリン・フィルの精妙な響きのバランスも絶妙である。

そのために古典的な形式とともに爽やかに流れるメンデルスゾーン特有のロマンティシズムも明快に表現されていて、カラヤン時代より明るくなったベルリン・フィルの透明度の高い響きも、この交響曲にあふれるイタリアへの憧憬感や幻想をより陰影豊かなものにしている。

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2009年08月21日


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1990年代後半、にわかにシベリウス旋風を巻き起こしたフィンランドからの新しい風である。

1953年生まれのヴァンスカはヘルシンキ北に位置する小都市ラハティのオーケストラの音楽監督に1988年に就任、オーケストラとともに手作りのシベリウス像を築き上げてきた。

それは作品の原点に戻り、作曲者の意図を忠実に浮き彫りしてみる、そんな努力と研鑽の日々であったように思われる。

その結果、彼らが到達した結論は、シベリウスにはシベリウスの音があり、様式美があり、佇まいの美しさがあるということであった。

それはブラームス的でも、ブルックナー的でも、マーラー的でもない、素朴で慎ましく、しかし誇り高いシベリウス像であり、聴き手に新しい発見にも似た感動を与えるものとなっている。

肥大しない、声高に叫ばない演奏が伝えるシベリウスの世界は一段と人間的で、しなやかで、そして繊細である。

名盤は枚挙にいとまがないが、ヴァンスカ率いるラハティ響の演奏で聴くと、シベリウスの心が見えてくる。

彼らは決して大言壮語しない。咲き誇る大輪の花としてシベリウスの交響曲を輝かしく、鮮やかに再現するのではなく、むしろ花になる以前の蕾の状態や、花を支える葉や茎、いやさらに土や根もあることを今一度ふまえたうえで、じっくりと、時間を費やして演奏していく。

編成も小ぶりだし、何よりも音符一つ一つに注がれる目が純粋で無垢であり、それが不思議な連帯感ともなって演奏を魅力的にしていく、そんな新しいシベリウスを聴かせてくれる。

もっと輝かしい演奏、もっとドラマティックな演奏、もっと起伏に富む演奏を見出すことは容易だが、このコンビの演奏にはそれらとは異なる愛情の豊かさと親密さがあり、それがシベリウスが思い描いていた原風景への旅にも似た感銘を与えてくれるのである。

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classicalmusic at 00:34コメント(0)トラックバック(0)シベリウス 

2009年08月20日


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指揮者の円熟を物語る秀演だ。

冒頭から明晰この上なく、しかも弦のアンサンブルの充実とニュアンスの豊かさは特筆すべきものだ。

第2楽章は弦の清澄な表情がかけがえのない魅力となっており、第3楽章の緊張力をもった表現も美しい。

終楽章では洗練された音調と整頓された造形で演奏しているが、それが音楽的に純粋な光彩を放射する。

結果として純音楽的な演奏が、標題性や劇性の誇示よりもかえって説得力を持つことになったのである。

ショスタコーヴィチの交響曲は政治色の強いものが多く、この《レニングラード》もヒトラー率いるドイツ軍によって包囲されたレニングラード市内で着想されたのもといわれていた。

しかし、ロストロポーヴィチは「第7交響曲は、いわゆるファシズムの"悪"が第1楽章で表現されています。しかしその"悪"は単にファシズムばかりではありません。たとえばスターリンも"悪"です」と語り、作曲者と親交のあった音楽家として新しい解釈を示した。

27分弱にも及ぶ第1楽章は不気味にも力強く、第3楽章の穏やかな美しさはときに痛々しくもある。

そして「近づく勝利」が表現された迫力ある第4楽章。

大編成のオーケストラを意のままにドライヴして見せ、指揮者としての力量をはっきり示した名演である。

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2009年08月19日


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イプセンの戯曲《ペール・ギュント》への付随音楽は全26曲の構成。そのうちブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団による録音は、20曲を抜粋し、独唱、合唱、俳優による語りを加えて物語の全貌を把握できるように工夫されている。

生まれはアメリカだが、スウェーデン国籍を持ちストックホルムで教育を受けたブロムシュテットにとって、ノルウェーの国民的作曲家グリーグの音楽は近しく感じられるに違いない。

1988年にサンフランシスコ交響楽団を指揮して入れたディスクは再録音にあたる。

1977年にシュターツカペレ・ドレスデンを指揮して入れた原語による抜粋盤は組曲の形での演奏が広く行なわれていた当時、まさに画期的なものだった。

この旧盤を通して作品の魅力に開眼した人も少なくないだろう。

重厚かつ艶やかな音色を生かしたドレスデン盤もきわめて充実したものだった。

しかし、サンフランシスコ交響楽団の澄み切った音色はより作品の世界に似つかわしい。

また、そこには11年の間のブロムシュテットの円熟も如実に反映されている。

世界を駆け巡るペールの冒険譚をブロムシュテットは生き生きと描き出すとともに、北欧の音楽ならではの心に染み入るような抒情を醸し出す。

ウルバン・マルムベルイ、マリ=アンネ・ヘガンデルの独唱も北欧人の強みを生かしたすぐれたもの。

ノルウェー民話の世界に心おきなく浸ることが出来る名盤だ。

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classicalmusic at 01:47コメント(0)トラックバック(0)グリーグブロムシュテット 

2009年08月18日


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録音年代順に追っていきたい。

「テンペスト」はアバドの面目躍如といった好演である。

清潔で端正、シカゴ響の優秀な技術を駆使して一糸乱れぬアンサンブルを繰り広げる。

「小ロシア」は冒頭から柔らかく歌い流れる演奏で、構造が明快でメリハリも充分だが、根底にあるのは歌謡性だ。

推進力が強いにもかかわらず、デリケートなニュアンスにも不足しないのがアバドらしい。

音色も明るく、チャイコフスキーの西欧的な側面をよく抽出している。

第5番はロマンティックな表現のほとばしる鮮烈なチャイコフスキーだ。

スコアにないさまざまなテンポの揺れ動きが明確な意図をもってすこぶる効果的に表されており、アバドのチャイコフスキー観が良く表明されている。

シカゴ響も自然な流れで音楽の推移と感情の発展を一体化させている。

珍しい「地方長官」も一旦破棄されたスコアを再現したものだが、なかなかの名作。

「悲愴」は曲頭から終結まで、息もつかせず聴かされてしまう。

シカゴ響の響きの良さと、アバドの緻密な棒さばきが一体となって、ある種の理想郷を創り出したのだ。

力強い表現ながら全く荒っぽさがなく、巧緻な合奏で各楽章の性格を見事に描き上げ、内面から湧出する歌が自ずと作品の悲愴美を表している。

「スラヴ行進曲」も誠実な姿勢が好ましい秀逸な演奏。

第4番は、第5番や「悲愴」での名演に劣らぬ素晴らしい出来だ。

アバドはまず標題的な要素を洗い落とし、絶対音楽として純粋な交響曲として、再現を試みているようである。

アバドによるシカゴ響の掌握はますますうまくいっているようで、「ロメオとジュリエット」の後半、弦楽セクションの聴かせどころとなっているクライマックスのあたりなど、輝きと粘りを聴かせており、このオーケストラがベストに君臨してきた理由がよくわかる。

「ポーランド」はきわめて純度の高い表現で、第1楽章の冒頭から晴朗で清潔、各楽想の表情や展開も自然である。

第2楽章も鮮明な輪郭をもった音楽で、第3楽章の響きの純粋な美しさも快い。

アバドの演奏は、この曲の粗野な生気や民族的な性格が純粋に音楽的効果に昇華され、チャイコフスキーに洗練された表情を与えている。

シカゴ響の演奏も、いつもながら素晴らしい。

「1812年」は端正な表現だ。

「冬の日の幻想」でアバドは、従来と同様にチャイコフスキーの歌謡性を豊かに表出している。

また、速めのテンポを採って推進力を感じさせ、歌に溺れてしまわない現代性を示している。

シカゴ響のスムーズなアンサンブル、感覚的に磨かれた輝かしい光沢と運動性も見事で、実に立派な演奏となった。

「くるみ割り人形」も名演で、オーケストラを存分に鳴らしながら、鋭敏な感覚による軽やかなリズムで、各曲を清潔にまとめている。

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2009年08月17日


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ロジェストヴェンスキー指揮ロンドン響が、きわめて標題的な名演を聴かせる。

ダイナミックスの幅が広く、しかも旋律を綿々とうたわせて、この曲のロシア的な悲哀を存分に表現し尽くしている。

だがイギリスの名門ロンドン響を指揮しているせいか、決して暴力的で野蛮な演奏にはならず、音楽的に洗練されているのがいい。

ロジェストヴェンスキーの知性を窺わせる、立派な表現というべきだろう。

冒頭のホルンとトランペットを中心とした"運命の主題"から、鮮明な印象を与える。

第1楽章の主題も明確で、骨太で筋肉隆々たる男性的な演奏である。

第2楽章のオーボエの旋律も濃厚にうたい、第3楽章のピチカートも実によく弾んでいる。

そして終楽章の瞬発力も凄味があり、迫力満点である。

ロジェストヴェンスキーの解釈の中心は終楽章にあるようで、堂々としたテンポでじっくりと演奏しており、その結果、この交響曲の大きな広がりが表現されることになった。

管弦楽曲も本格的な演奏だが、精彩にいまひとつ欠ける。

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2009年08月16日


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ごく標準的なウィンナ・ワルツの演奏では、ボスコフスキー指揮ウィーン・フィルがいいだろう。

表現はあくまで現代的で、メリハリを利かせたリズミカルで、快調なワルツ演奏になっている。

ボスコフスキーが最も精力的に活躍していた頃に録音されたもので、どの曲も粋で優雅で実に素晴らしい。

クラウスのあとを継いで、ニュー・イヤー・コンサートの指揮をするようになったのが、このボスコフスキーである。

ヴァイオリンを弾きながら指揮をとるボスコフスキーは、シュトラウスの再来を思わせるとして、全ヨーロッパで人気が高かった。

シュトラウス一家の作品がほぼ網羅されており、ワルツでは伴奏に乗ってそのまま踊れるような演奏をおこなっている。

ボスコフスキーならではの、ウィンナ・ワルツの心をよく捉えた表現で、ウィーンの馥郁たる香りにあふれた素敵なものばかりだ。

粋で、しかも表情が若々しく、大変楽しい。

現代的な優雅さが魅力で、たとえば、J.シュトラウスの「美しく青きドナウ」「ウィーンの森の物語」、弟ヨゼフの「天体の音楽」など、溜息のでるような美しさだ。

どの曲を聴いてもその旋律の歌わせ方や間のとり方のうまさに魅了されてしまう。

生粋のウィーンっ子のボスコフスキーらしい、絶品といえる演奏ぶりだ。

ボスコフスキーのウィンナ・ワルツは優雅で洗練されていて実に素晴らしいが、ポルカの演奏はそれをさらに上回る見事なもので、粋で生気にあふれ、大変楽しい。

そのリズムの扱いと間のとり方の巧さは、この人ならではのものだ。

生き生きとした「爆発のポルカ」「雷鳴と雷光」「狩り」、表情豊かな「アンネン・ポルカ」「クラップフェンの森で」、それに弟ヨゼフの「休暇旅行で」「かじやのポルカ」など、どれもこれも素敵でごきげんな演奏である。

録音も優れていて、本場ウィーン・フィルの演奏ということで、まずこれさえあれば、ウィンナ・ワルツに親しむには充分といえるCDアルバムである。

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classicalmusic at 01:37コメント(0)トラックバック(0)シュトラウス 

2009年08月15日


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約10年の歳月をかけて完成した全集で、アシュケナージは、ピアノと指揮を受け持っている。

ピアニストとしてのアシュケナージが、指揮者として活躍をはじめた第一歩が、モーツァルトのピアノ協奏曲だった。

ソロと伴奏指揮を兼ねたアシュケナージの多才ぶりが、存分に発揮されている演奏で、フレッシュな若々しさにあふれているのが魅力だ。

アシュケナージのモーツァルトは最も万人向きの美しい演奏だ。

アシュケナージは持ち前の粒のそろった柔軟な美音、磨き抜かれたタッチを駆使して、誰が聴いても快く美しいモーツァルトを奏で、楽しませてくれる。

情感、テンポもほどほどで、リズムもダイナミクスも極めて快い。

一見常識的で大人しい演奏だが、細かい配慮がすみずみまで行き届き、モーツァルトに対する彼の愛情がひしひしと感じられる。

ここでは、この人ならではの、まろやかな美しい音色とロマンティックな表情が、そのままオーケストラの響きにも生かされていて、情感豊かで繊細な音楽をつくりあげている。

またピアノとオーケストラのバランスが、実によくとれている演奏である。

極めて透明な音色の、みずみずしい表情の演奏は、まさに優等生的美演、秀演の極といえよう。

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classicalmusic at 02:41コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトアシュケナージ 

2009年08月14日


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ベートーヴェンの交響曲を考える場合、今日、オリジナル楽器による演奏を避けて通れないが、ホグウッド指揮エンシェント室内管は、その意味で現代の最もオーソドックスで、オーセンティック(本物)な名盤といえよう。

オリジナル楽器による優雅な演奏は、まるで良質の室内楽を味わう良さがある。

19世紀当時の低いピッチは、パステル画のように淡彩に響くし、管楽器の動きが弦に埋もれることなく、はっきりと聴き取れるのが魅力的である。

曲のプロポーションと細かな技法が、何の苦労もなく解明されるのは、作品そのものを知る上で、貴重な入門役を果たすものと思われる。

それに和やかなオーケストラのアンサンブルも、音楽を聴く楽しみを肌で感じさせられる。

特に「第5」など少しも押し付けがましくなく、《運命》というタイトルに汚染されない清潔さが魅力だろう。

それでいてベートーヴェンが書いたスコアのプロポーションは、実に丹念に描き上げられている。

肩肘張らぬリラックスしたアンサンブルは、音楽を演奏する楽しみと、喜びに満ち溢れていて、聴く者をも巻き込んでしまう。

それに組み合わされた《エグモント》《コリオラン》の両序曲も、素晴らしい名演が展開されている。

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classicalmusic at 00:07コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン 

2009年08月13日


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ヴェリズモ・オペラの激情的特質を最も見事に表現した理想的な名演。

旋律の豊かな肉付き、感情内容の深さ、リリカルな効果の美しさ、そしてオペラティックな魅力のすべてにわたってまったく申し分ない。

ヴェリズモ・オペラの傑作のひとつ《カヴァレリア・ルスティカーナ》は、レオンカヴァッロの《道化師》と共に上演される事も多い。

しかしその音楽の特質は、微妙に異なっている。

《道化師》においては、まず主役カニオの強い個性が全曲の感銘度を左右するが、こちらはサントゥッツァとトゥリッドゥのぶつかり合いとそれをまとめ上げる指揮者の力量のバランスが重要である。

その点で、この1枚は数多くのこの曲のディスクの中でも特に重要なものと言える。

シミオナートのサントゥッツァは、メゾでありながら高音部の輝かしさを持ち、かつドラマティックな表現力においては肩を並べるものがない。

デル・モナコの輝かしい力に満ちたトゥリッドゥもよい。

人間味に溢れたシミオナートのサントゥッツァに対し、利己的な役柄をドラマティックな声と剛直な歌い方でまとめるデル・モナコのトゥリッドゥを、名伯楽セラフィンが支えている。

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classicalmusic at 00:03コメント(0)トラックバック(0)セラフィン 

2009年08月12日


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当オペラの代表的な名盤である。

20世紀中盤を代表するイタリア・オペラのドラマティック・テノール、マリオ・デル・モナコの歌う主役カニオの絶唱は聴き手の背筋を寒くさせるほどの感動を与えてくれる。

その剛直で厳しい声を駆使して生み出すニヒリスティックなまでの役作りは、この「三面記事」的な下世話なストーリーに強烈な説得力を与えている。

19世紀的ナルシシズムとも呼べる激しい役柄に対する自己投入は、決して上品とは言えないヴェリズモの音楽にある種の気品すら感じさせてくれる。

彼の得意としたヴェルディの《オテロ》以上に、このカニオは役柄の特性とデル・モナコの個性との相性の良さを示している。

モリナーリ=プラデッリの手堅い指揮に支えられたこの名盤は、デル・モナコの芸術の真髄を記録したものであり、その生命は不滅の輝きを放っている。

デル・モナコの絶頂期の録音だけに、強靭な声と歌唱で、カニオ役に激しい怒りと悲哀だけでなく、強烈なニヒリズムを盛り込み、背筋も凍るほどの感動と戦慄を聴き手に与えてくれる。

強烈無比なパーソナリティを示す歌唱の偉大な記録。

トゥッチを始めとする他の歌手陣も水準の高い歌唱だ。

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2009年08月11日


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1993年の録音で、まだ新録音の部類だが、このショスタコーヴィチは、すでに不滅の歴史的名盤の地位が約束されているといってよい。

このアルゲリッチの独奏を上回る演奏がおいそれと出まいと思われるからだ。

なんと冴えわたったピアニズムだろう。しかも変幻自在。強烈なアタックと繊細なリリシズム、自由自在な即興性と確固とした構成意志、交響精神と室内楽精神。

ここには対立するすべての要素が、本能的ともいうべきセンスによって、楽想の変転に応じてストレートに曲中に示され、しかもそれが大きな全体で融合して、作品の魅力をくまなく表出することに貢献している。

「真面目なクラシック音楽のなかに現れるユーモアとウィットを前面に押し出した」と作曲家が語ったこの協奏曲を、アルゲリッチはいかにも生き生きと闊達自在に再現している。

コケティッシュなまでのユーモアと澄んだ詩情、そして美しい歌をたたえた演奏は、アルゲリッチならではの爽やかに引き締まった生命感にあふれており、スリリングな力の発露と抒情的な表現のしなやかな沈潜を絶妙な感覚で織りなしている。

この協奏曲の最も生彩にとんだ演奏というべきだろう。

フェルバーとヴュルテンベルク室内管弦楽団も引き締まった演奏でアルゲリッチのピアノをくっきりと支えており、名手トゥーヴロンの柔軟なトランペット・ソロも見事である。

むろんカップリングのハイドンも秀逸。

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classicalmusic at 21:57コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチアルゲリッチ 

2009年08月10日


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未完とはいえ、モーツァルトのミサ曲の中で最大の威容を誇るこの作品に、ガーディナーは深い思いをこめながらも、少しも構えたところがない。

ガーディナーは楽譜に書かれたすべての音をはっきりとした意図を持って整理し、飾ることなく実にすっきりとこの作品を再現している。

ガーディナーは〈キリエ〉から透明な響きと無駄のない凝縮された表現で、音楽の美しさと作品内容をくっきりと浮かび上がらせている。

〈グローリア〉の「ドミネ・デウス」での流麗なオーケストラの扱い、「クイ・トリス・ペッカータ・ムンディ」での作品内面を見据えた深い表現と充実した響き、「クム・サンクト・スピリトゥ」での毅然としたフーガの構築など、この演奏はどこにも隙がない。

この作品の威容と深く多彩な内容を、これほど心優しい表現で明らかにし、しかも聴き手に深い感動を与える演奏は初めてだろう。

またモンテヴェルディ合唱団とイギリス・バロック管弦楽団が、ともにこの上ないほど整然としたアンサンブルを展開しており、そのきっぱりとした演奏の中から、モーツァルトの才気が輝きをもって伝わってくる。

おそらく現在のガーディナーにあってもこれほどの演奏は稀にしか生み出し得ないだろう。

独唱者のすぐれた歌いぶりも特筆もので、マクネアーの清らかな歌いぶりと、モンタギューの技巧の確かさから生まれる美しい歌唱も印象的。

新しいランドン版ではなく、シュミット版を使用し、さらにそれにガーディナー自身が手を加えている。

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classicalmusic at 19:46コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトガーディナー 

2009年08月09日


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学問と実際の融合に常に心を砕いてきたアーノンクールの芸術的成果が示された演奏。

アーノンクールのハイドン解釈は、彼自身の中でも明確になってきたようで、確信に満ちた表情には感心させられる。

アーノンクールはモダン楽器によるコンセルトヘボウ管を振っているのだが、演奏のスタイルそのものは、きわめてオリジナル楽器的で、まず漸弱・漸強を使わず、強弱をはっきりと付けて、まるでバロック音楽のように扱っている。

アーノンクールはこれらハイドンの後期の作品を、ベートーヴェンを経て現代へと連なる響きの世界で考える。

しかしこの刺激的な解釈には、彼が長年にわたりオリジナル楽器を用いて、バロック音楽の新しい方向を模索し続けてきた経験が生きている。

なかでも「時計」が秀演。まず第1楽章序奏部の柔軟な感触が良い。第2楽章では、弦がオリジナル楽器を用いているような効果を表していることに注目したい。

第3楽章はかなり速めのテンポと歯切れの良いリズムが爽快であり、終楽章の主題の表情や各部分の克明な処理も独自のもの。

「驚愕」では、期待通りの対比と変化に富んだ演奏を聴かせており、第2主題など軽妙で、アーノンクールの音楽的語彙の豊富さにも感心する。

「軍隊」での楽器の用法もきわめて挑戦的で、突然盛大に鳴らして意表を衝く。普通の演奏で聴き馴れていた耳には、別の曲のように響くのではなかろうか。

問題提起を怠らないアーノンクールらしい演奏だが、新鮮な感動を与える素晴らしい出来だと思う。

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classicalmusic at 18:12コメント(0)トラックバック(0)ハイドンアーノンクール 

2009年08月08日


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モーツァルト弾きとして名を成した、ヘブラーの自信が滲み出た演奏だ。

彼女の持ち味のひとつに、見事にコントロールされた美しい響きがあるが、それはこの再録音によってますます磨きあげられている。

若いピアニストが生み出す響きのように鋭角的でなく、まろやかな中にヒューマンな感情を漂わせ、聴き手を魅了するのだ。

ひとつひとつの音符がくっきりと輝き出るような明確なタッチ、よい意味で芯のある響きが快く、少なくともモーツァルトを弾くために、磨くだけ磨きこまれた筋金入りの技巧を聴くことができる。

そして、この演奏には"気品"があり、そこが彼女の強味であろう。

ほんの少し聴いただけで気持ちが和んでくる、まろやかで、うるおいがあって、ぬくもりの感じられる演奏だ。

モーツァルトに対するヘブラーの思い入れが、弾き出されるすべてのフレーズ、すべての音に、ごく自然に反映されている。

どのソナタのどの楽章であれ、こうしたヘブラーの持ち味をたっぷりと味わわせ、楽しませてくれる。

全体に渡ってさりげない"思い入れ"が生かされており、それが容易に真似のできないこの人の個性だと知らされる。

この自然な語り口は、長いキャリアを通じてヘブラーがつかみとった奥義だろう。

当代最上のモーツァルト演奏のひとつである。

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classicalmusic at 19:46コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2009年08月07日


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ちょっと類例のない、いわば王者の風格を持ったモーツァルトだ。

アラウの演奏は実に研ぎ澄まされた、透明感の強い古典的な名演に数えられる。すでに老境に入った年齢での録音で、技術的にも決して衰えをみせていないばかりか、音楽的に老け込んでいないのが、何よりも素晴らしいと思う。

テクニックもかくしゃくとしており、くっきりと彫琢された表現には何とも言えぬ男性的な意思の重みを実感する。

整然とした構成感のうちに、モーツァルトの音楽のヒューマンな側面をくっきりと描き出した演奏だ。

極めて人間味のある音楽が聴かれるが、もちろん感情的という意味ではない。より深い、表現者としての哲学を聴かせる大きな演奏である。

この演奏でのアラウは、極論すれば、一切の感傷を排してモーツァルトの音楽の真髄に迫っている、という感がある。あるいは、いかなる恣意をも追放した演奏といえる。

実に強靭で、意志の強さがはっきりと読み取れる演奏で、聴き手はずっしりとした存在感を意識させられる。

アラウのモーツァルトはピアノの音の強弱の幅が極めて狭く、それだけにどのような細部も、細かい技巧に頼ることがない。

アラウは例によっておっとり構え、自らの内なる鏡に映ずるままに伸び伸びと、悠然たるテンポで弾き進んでゆく。

なにものにも拘束されることなく、モーツァルトの世界に淡々と遊ぶアラウの柔軟そのものの精神は、ソナタを窮屈な"古典的な"規範から解放し、敢えて言うなら"ソナタ風幻想曲"として再現して見せたような、そんな趣がある。

これこそ安心して聴ける本物の音楽であり、音楽の重さを実感させてくれる、どっしりとした演奏である。

アラウは実に着実なテンポと明晰なアーティキュレーションによって、一見重厚な、だが充分に軽やかなモーツァルトを聴かせる。

その演奏は確かに風格に満ちたものだが、それだけにとどまるものではない。彼はモーツァルトに対する感傷も、おもねりも、また聴き手へのサーヴィスもすべて排除して、ひたすら音楽の実体に迫るのだ。

K.330の第2楽章に耳を傾けると、そこには明るさ、愛らしさ、悲しさ、あきらめの情など、モーツァルトに必要なすべてが揃っていて、しかも一切の誇張を排除している。

こんな演奏ができるのは、真に円熟した大家の特権といっても過言ではない。あらゆる飾りをかなぐり捨てたモーツァルト、それがアラウのモーツァルトであり、その存在感は大きい。

この虚飾を排除した演奏は、最初聴いたときは素朴すぎて拍子抜けするかもしれない。しかしその素朴のなかに円熟が秘められていることに気づくだろう。その瞬間から忘れ難いものとなるのだ。

ここには熟した演奏のみに許される充実感、琴線に触れる「音楽そのもの」が厳として存在し、80歳を越えたアラウが会得した、比類のないモーツァルトの音楽がある。

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classicalmusic at 19:06コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトアラウ 

2009年08月06日


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作曲者の自作自演だからといって、すべてがすぐれているわけではない。

しかし、1947年にはオールドバラ音楽祭を創設するなど、若い頃から指揮者としても活動したブリテンは、自作だけでなくモーツァルトなどにもすぐれた演奏を残している。

中でも、この《青少年のための管弦楽入門》は、そうしたブリテンの自作自演の中でも、最も良く知られた名演である。

副題に「パーセルの主題による変奏曲とフーガ」とあるように、パーセルの劇音楽か採られたロンドーの旋律を主題にしているが、そのパーセルの主題を、ブリテンは、いくぶん速めのテンポできびきびとした表現と推進力をもって、とても表情豊かに提示する。

入門用の音楽だからといって聴き手に媚びたり、手心を加えたりすることなく、あくまで音楽に徹した真摯な演奏である。

その点では、少々そっけないところがあるほどだが、個々の変奏曲の細部まで作曲者ならではの眼で巨細に読み込まれた演奏は、大変聴き映えがする。

この曲にはナレーターによる解説つきの版と語りのないコンサート版があり、ブリテンは後者を用いているが、各変奏曲を明快にくっきりと彫りあげた演奏は、いかにもコンサート版にふさわしい。

ブリテンの自在な指揮に、時にはオーケストラが翻弄されそうになるところもあるが、それが真摯な演奏で、作品にふさわしい親しみと、ほどよい笑みを添えているのも、この演奏の魅力になっている。

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classicalmusic at 18:41コメント(0)トラックバック(0)ブリテン 

2009年08月05日


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ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの名曲《春》《クロイツェル》2曲を組み合わせたものでは、スターンのヴァイオリン、イストミンのピアノによるものが、やはり巨匠同士の演奏として高く評価されるだろう。

スターンはこの曲を自家薬籠中のものにして、自由闊達な表情でのびのびと弾き上げている。

対するイストミンのピアノも、実にしっかりとスターンを支え、室内楽の醍醐味を存分に味わわせる。

特に《クロイツェル》におけるスケールの大きな巨匠性、また《春》のインティメートな表現も、さすがヴェテラン同士のアンサンブルである。

スケールの大きな演奏で、中身も濃く、腹にずしりとくる点は両曲とも同様。

この録音時スターンは63歳だが、年齢を感じさせないうまさがある。

ただ力強さにはいささか不足しているものの、品のよい味わいに満ちている。

スターンのつややかな音色とピアノがよく絡み合っているときには、さすがに大家だという印象を受ける。

気の合った2人だけに、フレージングとアーティキュレーションはよく一致している。

両曲ともスターン唯一の録音である。

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classicalmusic at 20:32コメント(0)ベートーヴェンスターン 

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《ブランデンブルク協奏曲》はバッハの代表的な作品だけに、多くの指揮者が録音している。

しかし、この作品に反映されたドイツ精神を最もよく体現した演奏として、私はクレンペラーの録音を考えている。

実にスケール雄大な、悠揚迫らぬようなバッハで、その圧倒的な存在感はちょっと比類がない。

他の指揮者が、多かれ少なかれ独自の解釈を打ち出し、演奏に新鮮味をもたらそうとしているが、クレンペラーの解釈には何のケレンもない。

彼は、ひたすら音楽に精神を集中し、そこに籠められたバッハの精神を伝えようとする。

ここでは、6つの協奏曲のそれぞれ異なった様式と性格が、クレンペラーの作り出す安定した流れと結びついて展開される。

そこには常にクレンペラーの鋭い眼光が働いていて、一瞬たりとも弛緩が見られない。

弦楽だけで演奏される第3番や第6番は地味な作品だが、クレンペラーの音楽に対する考え方を端的に示している。

特に第6番の第2楽章での彼の演奏は、大空を悠々と流れる雲を眺めているようなファンタジーを呼び起こす。

バッハの音楽の偉大さ、指揮者クレンペラーの偉大さを再認識せざるを得ないような演奏内容である。

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classicalmusic at 18:57コメント(0)トラックバック(0)バッハクレンペラー 

2009年08月04日


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クレンペラーの《管弦楽組曲》を初めて聴いた時、その茫洋たる演奏には一種のとらえどころのなさを感じたが、クレンペラーの演奏はそれほどスケールが大きく、しかもバッハの音楽の本質に迫っている。

テンポは遅く、力強いリズムは揺るぎない安定感を作り出す。その上で組曲を構成する舞曲が流れ、それぞれの性格が明確なイメージをもって示される。

これは、多くの時代楽器による演奏が作り出すひ弱なイメージとは異なり、バッハの音楽の持つ生命力に焦点を当てた解釈であり、時代や様式の壁を超えてバッハの本質を伝えてくれる演奏である。

バッハ演奏のトレンドはオリジナル楽器であり、大編成のオーケストラによって演奏される機会は少なくなった。

音楽的な妥当性、正統性(?)は別にして、しかし、このクレンペラー晩年の演奏を否定することは不可能だろう。

バッハの音楽の中にある巨大な想念と情感、そして何よりもその造型性の偉大さを、このクレンペラーの演奏は教えてくれる。

洒脱なセンスや小粋な味わいではなく、音楽の(対位法の音楽の)構築性と造型性が、余人をもって代え難い巨大な音楽的俯瞰力をもって具現されることによって、まったく別の深い感動を生み出すことを、クレンペラーはここで示している。

時代趣味を超越した偉大な音楽が、ここに息づいている。

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2009年08月03日


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シベリウスのコンチェルトの清冽さ、純潔な厳しさ、凛としてデリケートなニュアンスを、チョンぐらい見事に表出した例はない。

これは彼女のデビュー盤であるが、最も得意とするチャイコフスキーと組み合わせたところに、キョンファの並々ならぬ自信のほどが知られるのである。

彼女は音楽と完全に一体になっている。他にも名盤は多いが、それらは曲とは離れた名技、名表現というのがほとんどだ。

ところがチョンの場合は、いったいどこまでが作品の魅力でどこまでがヴァイオリニストの魅力なのかがはっきりしない。

彼女をほめればそれがそのまま曲への讃辞になってしまうのである。

チョンのヴァイオリンはスリムに引き締まっていて、聴き手に極度の集中力を要求し、享楽的な要素のほとんど感じられない、一途不可逆なひたむきさは、あるいは最も日本人の感性に適した演奏といえるかもしれない。

外面はクールなのだが、内には燃えるような情熱を秘めて、真剣勝負に立ち会うような勢いで曲の核心に迫ろうとする。

むしろここではプレヴィンの指揮が、一種の中和剤の役割を果たしているかのようだ。

刃の上を渡る曲芸や綱渡りを思わせるスリルが、チョンの演奏には確かにある。

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classicalmusic at 18:39コメント(0)トラックバック(0)チョン・キョンファプレヴィン 

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ショルティの名人芸とシカゴ響の名技性とが高い次元で理想的にマッチした凄い名演で、やはり現代に於けるスーパー楽団の演奏である。

伝統にとらわれぬスコアに忠誠を尽くした演奏で、実にスケールが大きくシンフォニックな名演を聴かせる。

ショルティの指揮は、動的な躍動感とオーケストラの積極性あふれる表現意欲に圧倒されるもので、ドラマティックな面白さ、激しい高揚感もこのコンビならではの魅力である。

スケール感といいダイナミズムといい、格段に大きくしかもアンサンブルは緻密そのものだ。

どんなにダイナミックに鳴らせても、少しも騒々しくならないのは、ピッチとアンサンブルの正確さを示している。

ショルティはドヴォルザークと同じ東欧出身の指揮者であるが、彼のアプローチも、極めて気宇壮大で素晴らしい。

全体にモノーラル時代のトスカニーニの名演を思わせるかのようなカチッとした演奏で、シカゴ響の抜群の技量が存分に発揮されている。

きわめて平衡感の強い造形でまとめられており、ショルティが明らかに新古典主義的な様式観を持つことを示している。

したがって解釈は客観性の強い平均的なものだが、音楽の輪郭が明快なこと、尖鋭な動感の背後に独特のゆとりと大きさを感じさせるのは、さすがにショルティの卓越した個性といえる。

第1楽章からして一分の隙もないダイナミックな合奏を聴かせてくれるし、艶やかなイングリッシュ・ホルンで情感豊かに吹きあげた第2楽章もよい。

また、鋭い切り込みで豪快に表現した第4楽章も、いかにもショルティらしい。

特筆すべきは非常に鮮やかな録音で、弦楽器の厚みのある低音から金管楽器の輝かしい高音にいたるまで、どの楽器も、実に明澄に収録されているのに驚く。

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classicalmusic at 04:50コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークショルティ 

2009年08月02日


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時代の証言としても貴重な記録である。全人間的、汎人間的といおうか、クレンペラーはベートーヴェン的処理法で演奏しており、「メサイア」が重厚極まりないバロック的ロマン派音楽と化している。

ヘンデルのイメージは、ガーディナーあたりの活動によって近年すっかり塗り替えられてしまったが、伝統的な壮麗で力強いヘンデル像にも一半の真理を認めるとすれば、クレンペラーの《メサイア》は、その最右翼に置かれうる。

ずっしりとした重みをもつ、堂々たる演奏である。

クレンペラーはいくつかのアリアで弦のオブリガートを朗々と歌わせているが、それを、かつて志鳥栄八郎氏が、「富士の秀峰を仰ぎ見るよう」と評されたことを覚えている。まことに、言い得て妙である。

英国には19世紀以来の伝統的な《メサイア》の演奏様式があるが、英国で録音しながら、クレンペラーはオーケストラも合唱団も編成を縮小し、現代の様式に近づけている。

しかし、解釈はまぎれもなくクレンペラーの個性を反映してスケールが大きく、密度が濃い。

彼はテンポを遅めに設定して、明確なリズムとともに演奏に揺るぎない安定感と落ち着いた流れを与えている。

独唱も合唱もその流れに乗っているので、表情は豊かになり、エネルギーは充分に発散される。

クレンペラーの演奏で聴く《メサイア》は、まさしくヘンデルの音楽と人間のスケールの大きさと不屈の精神を実感させてくれる。

今日では、時代楽器による軽快な演奏がもてはやされているが、ヘンデルの在世当時にはより大きな編成で演奏されていたことを考えると、クレンペラーの堂々たる演奏は、精神においてヘンデルの演奏に一脈通じるものがあり、今日でも強い説得力を持っている。

絶頂期にあったシュヴァルツコップのソプラノが何とも魅力的だし、ホフマンのアルトも充実している。テノールのゲッダもクレンペラーの棒によくついている。

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classicalmusic at 15:53コメント(0)トラックバック(0)ヘンデルクレンペラー 

2009年08月01日


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カザルスは、かつてSP時代に、ホルショフスキーと組んで、全集を録音していた。

それも名演奏だったが、70代になって、ゼルキンと組んで2度目の録音したこの全集も、巨匠カザルスの、ベートーヴェンの音楽への傾倒の深さと、晩年になっても衰えることのなかった高い精神性をあますところなく示した、感動的な名演である。

いくぶんカザルスの主観につらぬかれた、癖のある演奏だが、この巨匠のベートーヴェンの解釈を知ることのできる貴重なディスクだ。

カザルスのチェロには厳しさと暖かさがあり、余分な私情がはさまれていないために、作品そのものから生じる迫力がある。

技巧的な衰えもまったくない。

そして、このアルバムを楽しいものにしてくれたのは、ピアノのゼルキンの協力だ。

彼は室内楽の演奏にかけても定評があり、まことに切れ味のいい演奏をしている。

まさに古典的な格調のある二重奏が繰り広げられているのである。

ここでカザルスが再現しているのは、聴き手を圧倒してやまないベートーヴェンのあの迫力、逞しさではない。

ベートーヴェンの深さ、とでもいったらよいのだろうか、神韻たる趣の演奏である。

「達者に弾いてみせるだけのベートーヴェンはもう結構」という人にぜひお薦めしたい。

きっと新しいベートーヴェンの姿が浮かんでくるに違いない。

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classicalmusic at 18:46コメント(4)トラックバック(0)カザルスゼルキン 
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