2009年10月

2009年10月31日


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インバル/フランクフルト放送響は、丹念に磨きをかけた表現で、細部のいかなる表情も見逃さずに、テンポの変動の目まぐるしいこの第6番を、見事に演奏しきっている。

弦の密度が高く、管弦の融合した響きの快い第1,2楽章、しなやかな歌の表情が魅惑的な第3楽章、そして終楽章では、強靭さと、構成力のたくましさに圧倒される。

実にこまやかに表情をとらえた緻密な演奏で、この曲のもつ悲劇的な情感を、これほど色濃くあらわした演奏というのも少ない。

まさに音楽的に純粋で、都会的に洗練されたマーラーといえるだろう。

「第8」はインバルの統率力と熱気が凄く、まるで宇宙が鳴動するような力演で、この複雑きわまる大曲を一分の隙もなく、精緻・明快にまとめている。

精密な設計を行いながら、あたかもドラマをみているかのような、劇的な迫力とスケールを表出した演奏である。

第1部では声楽部の表情をよく生かしたテンポのなかに、鮮やかな遠近法をもたらし、曲の輪郭を明快に表出している。

第2部も底に情熱を秘めた冷静さが、息づまる緊張を生み出している。

インバルの情熱的な指揮に、ぴたりとついてきているオーケストラと合唱団、独唱陣もなかなかの好演だ。

とにかく曲を完璧といえるほど的確に把握した表現で、どの部分を採っても生ぬるさなどない。

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2009年10月30日


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「巨人」や「復活」に比べ、「第3」のインバルの指揮は上をいく出来である。

指揮者の解釈と意図の細部までが、どの奏者にも徹底しており、指揮者とオーケストラの関係が非常にしっくりとしているのが良く分かる。

そして、マーラーの楽譜が驚くほど綿密に研究され、分析的な構成美をいかん無く発揮している。

いかにもユダヤ人の指揮者らしく、旋律をたっぷりと、豊麗な音色で歌わせた演奏である。

第1楽章からして、各パートの複雑きわまりない旋律を、きわめて精密に表現し、各動機や主題を見事に処理しているが、ことによいのは耽美的な気分にあふれた終楽章で、やや遅めのテンポでじっくりと表現している。

長大な第1楽章を1枚に収め、第2〜6楽章を2枚目に収録した方法も賛成。

「第4」は感興のおもむくままに、明るく天国的な美しさを表現した演奏である。

旋律を思う存分歌わせながら、きわめてロマンティックな表現だ。

インバルは、マーラーがスコアに書き込んだあらゆる指示を精密に検討し、可能なかぎり忠実に実践しようとする。

彼の資質である抒情性と、知的で清潔な音楽性が発揮された演奏であるといえる。

それは晴朗そのものであり、無理のない流麗な表現である。

フランクフルト放送響も、ドイツのオーケストラだけに骨格がしっかりとしており、アンサンブルも緊密である。

終曲のドナートは巧緻で、歌の内容を深い抒情感で示し、豊かな風格を感じさせる。

このオケと指揮者のマーラーの中では、濃厚な演奏である。

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2009年10月29日


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ヤナーチェクのピアノ曲の演奏には、モノラル時代から幾度も録音している作曲者の生徒だったフィルクスニーの新録音がまず挙げられる。

5歳でヤナーチェクの知遇を得、その後生涯の愛弟子となったフィルクスニーの真実味あふれる演奏である。

このピアニストにとってヤナーチェクは自身の心の一部ででもあるのか、自在さに溢れる表現で心象風景を映し出している。

なによりも魅力的なのは、ここでは我々が日頃忘れがちな音楽の原点に立ち帰らされるということで、すべての曲がまさしくかけがえのない音色と表情をもって響いてくる。

フィルクスニーは楽譜を仲介とした解釈者としてではなく、生身の人間として創造の原点から音楽を連れ出してくるかのようだ。

そうした姿勢は旧録音も同じで、そのため、むしろ同一のピアニストとは思えないほど表現される心象風景が違う。

前者が穏やかな感情の内省的な表現なのに対して、後者では、もっと感情の振幅の大きい表現が確信を持って提示される。

特に、ヤナーチェクの代表的なピアノ作品、組曲「草かげの小径にて」は、心の底を映し出す〈鏡〉でもあるのだ。

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2009年10月28日


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録音年(1979年)からすると、D・クック最終決定版の先陣を切ったものだ。

この版は周知の通り、マーラーが残した草稿を元にクックがオーケストレーションを施し完成させた労作(1972年)で全5楽章から成る。

ザンデルリンクはクック版を基本とし、適宜、手を加えるという形でおこなわれている。

ザンデルリンクの切り口は峻厳にして彫りが深い。

かつてない表情の素朴さとドイツ風の構築性があり、堅実な音楽を聴かせる。

あたかも徹頭徹尾ドイツ的であることを眼目にしたかのような趣がある。

形だけを整えたような冷たさはなく、それどころか十分に情熱的である。

誇示誇張の表現がなく、じっくりと腰を据えて丁寧に描き出していくのが手に取るようにわかる。

アダージョは言うに及ばず、終わりの2楽章が素晴らしい。

一音一音丁寧に咀嚼し、何を言わんとしているかを明解に浮かび上がらせる。

第5楽章の後半が感動的に高揚するのもすごい。

いぶし銀にも似たオーケストラの音色と相まって、実に滋味深い演奏だ。

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2009年10月27日


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ワルター戦前のウィーン・フィルとの最後の録音のひとつとなった、歴史的名盤である。

もしかするとこれはある種別格の録音なのかも知れない。

1938年、ワルターが不穏な情勢の中で振った美しくも凄まじいマーラー演奏。

録音の古さは否定しがたいけれども、その折の無比の熱気は現在でもストレートに伝わってくる。

気迫のこもった粘りのある演奏で、アクセントが時に大変激しく、強弱の落差も極めて大きい。

起伏に富む叙事詩的な語り口だが、表情には即興的な趣があり、終楽章の表現も濃厚で、決して遅くはならず、積極的に進められる。

ワルターならではのロマンティックな情感もさることながら、特に第3楽章を中心として極めて激しい気迫、鋭角的なアゴーギク、尖鋭な推進力が目立ち、それは聴く側に一種の危機感すら覚えさせる。

唯一的な歴史的録音のひとつであり、そこに言うなればこの交響曲の一種死を予感させる音の錯綜を通じて、社会情勢の一触即発的な空気までを見事にリアライズしたものと評することもできそうである。

マーラー・ファンには決して聴き逃すことのできない1枚といえよう。

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classicalmusic at 07:51コメント(0)トラックバック(0)マーラーワルター 

2009年10月26日


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マーラー最後の交響曲は、それまでの自我の強烈な主張から一転し、憑きものが落ちたような表情を見せている。

心理的には激しい闘争心が減退して、諦めに似た境地が読み取れる。

一方古いしがらみを払拭し、外的にはすっきりした現代性を印象づけるが、マーラーはそれを意識して作曲したのかどうか、ここには寒風に身をさらしても、自分の古い体質を変えようとする積極性も見てとれる。

インバルの演奏は、これまでぬるま湯にひたっていた自我を、いわばみそぎをする意味で、無理やり寒中に引き出すが、その冷たさが意外に新鮮に感じられるといった趣だ。

その感覚があってはじめて第3楽章の意味が生きてくる。

この曲の核心にふれた演奏だ。

第9番は既に競合する名演が多いが、インバルは強豪のなかに混じって堂々と自己を主張している。

なかでも終楽章は、ひたすら純粋さを求めてとうとうと流れ、大きな起伏のうちに虚無に通じるはかない感情を表現する。

最後のロンド主題の再現と展開は、感興あふれる高揚が手の込んだ織物の感触を表し、やさしく、ふるえる感動をもって終わる。

第10番(アダージョ)は、悲劇と喜劇の交錯が極めて鮮明に表現されている。

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2009年10月25日


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この珠玉のような音楽の集まりを、どうか全曲、余すところなく録音してもらいたい。

記録としての意義だけでなく、ほんの数小節のつなぎの音楽と見えても、それなりの魅力をはらんでいるのだから。

しかし残念ながら今のところ、メンデルスゾーンが書いた全ての音を1枚に収めたディスクは、プレヴィンの旧盤1枚だけ。

もちろんこれは掛け値なしの名演であり、これで充分以上なのだが、録音の鮮度が落ちていることは否めない。

プレヴィン自身は、なぜか再録音では一部の曲を省いてしまった。

しかも今度は声楽部分にドイツ語を用いている。

英語とドイツ語、どちらが正しいとは言えないが、個人的には英語の方が似つかわしい気がする。

その意味でも、新録音は旧録音の補遺でしかないと思う。

プレヴィンの演奏は、軽やかな明るさにあふれた序曲に、まず惹きつけられる。

細部まで透けた小さな振幅で、よく音の摘まれた妖精的な小世界を導き出している。

プレヴィンの指揮で聴くメンデルスゾーンは、音楽の表情がとても優しく、またなめらかで、聴き手をファンタジーの世界へとごく自然に導く、そんな魅力にあふれている。

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2009年10月24日


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巨匠アンセルメは1918年にスイス・ロマンド管弦楽団を創設し、以来引退する67年までの間にこのオーケストラを指揮して数多い名演を残した。

「レクイエム」も秀演で、ひとつひとつの音を大切にしながらフォーレの音楽固有のデリケートな音の綾織りと抒情的な美しさを十全に表出している。

ダンコ(ソプラノ)のソロは、情感豊かなメロディー処理のロマン性で、独特の味わいを聴かせてくれる。

また、スーゼイ(バリトン)の清潔感をみなぎらせたソロは、宗教曲になくてはならぬ透明な祈りのイマージュを歌い出していて素晴らしいものがある。

「ペレアスとメリザンド」組曲は、この悲恋物語にふさわしい運命の予感をはらんだ出だしで、切迫感に富み、高貴な悲劇の世界へと聴き手を誘い込む。

水平線の彼方へ視線を誘う広い展望感や、エーテルの浮遊のなかにかげろうように浮かぶ夢幻的な風景は精妙に息づき、色彩感も申し分ない。

フォーレの音楽の世界と抒情味を生かした演奏で、〈メリザンドの死〉の木管の扱い方など、ため息のでるようなうまさである。

アンセルメは「ペレアスとメリザンド」組曲の第3,4曲を入れ換えて演奏している。

「マスクとベルガマスク」は繊細な表現が見事で、ソツのない演奏だ。

この演奏を聴くと、アンセルメがいかに音づくりの名人であったかがよくわかる。

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classicalmusic at 03:09コメント(0)トラックバック(0)フォーレアンセルメ 

2009年10月23日


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クレンペラー&ウィーン・フィルのマーラー「第9」は、スタジオ録音よりもいっそう深く、大きく、気高い演奏だ。

かつて私の最愛の演奏は、バルビローリ&ベルリン・フィルであったが、最近は、クレンペラーの方が次元が上だと思うようになった。

クレンペラーの凄みは、その冷徹さにある。否、冷酷さと言い換えてもいい。マーラーが五線紙に書き付けた死への恐怖、生への執着を情け容赦なく、ただただ克明に音にしていく。そこに同情や憐憫などの入り込む余地がない。

バーンスタインやバルビローリがマーラーと一体になったように自己を作品に没入させるとき、クレンペラーは作品を突き放すかのように見える。

では、クレンペラーは、まったく他人事のように師の作品を指揮しているのだろうか。断じてそうではない。

クレンペラーはその精神の深いところで、マーラーの苦悶を感じているのだ。まるで、末期ガンを患う専門医が己の余命を正確に計るような残酷なほどの共感がここにはあるのである。

その客観性、冷静さが尋常ではない。

クレンペラーはこのマーラーに自己の晩年の心境を託しているように思える。

表面的な効果を狙うことなく、意志的にコントロールされた音楽が淡々と歌う。

深遠なきわめて人間的なマーラーであり、終楽章は意外な明るさを感じさせるのがかえって感動を誘う。

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2009年10月22日


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クレンペラーはゆったりとしたテンポで荘重にじっくりと演奏して「第7」のロマンティックで陶酔的な情緒を大きく盛り上げている。

ワルターの場合のような詩味はないが、幅広い力の湧き上がるスケールの大きさがあり、作品の内面に激しく迫る気迫が感じられ、最後まで精神力が弱まっていない。

ワルターを抒情詩的とすれば、クレンペラーは叙事詩的である。雄大、宏壮な巨編である。

その途轍もないスケールの大きさは彼の晩年の最高の境地というに相応しいものである。

ブルックナーはクレンペラーにとって最も自己のものとしやすい作曲家であったかもしれないが、ことに「第7」はクレンペラーの心境として自ら共感しうる内容なのだろう。

全4楽章のすべてにわたって指揮者と楽員の心と心の通じ合いがひしひしと感じられる演奏である。

非常に粘着力のある、幅広い表現で、どこにも威圧的なところがなく、おおらかであるとともに、情緒が豊かに盛り上げられている。

まことにたくみに語りかける力をもった演奏である。

クレンペラーが真にドイツの気質を率直に打ち出し、じっくりと演奏したブルックナーであり、気迫をこめて密度高いスコアの再現を行なっている。

構成の力も強固で、オーケストラの技術も高い。

ここでのフィルハーモニア管のソロは技巧が整っていて、特に金管と弦楽器が優秀である。

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2009年10月21日


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いずれの曲を聴いても生き生きとした自在感があふれていて、さすがに年季の入ったバッハだと感心させられる。

さすが3度も全集録音をやったオルガニストの演奏だ。

アランの演奏には、力みといったものが一切ない。

もとより彼女のバッハは激情の表現とか過度な感情移入とは無縁だったが、ここではさらに表現の純化と深化が聴かれる。

オルガンの響きはあくまでクリアであり、ポリフォニーの声部が生み出すテクスチュアが、適度の透明感をもって鮮やかに生み出されてゆく。

しかも「トッカータとフーガ ニ短調」をはじめとする抽象的な作品においてものびのびとした表現を行っており、また明瞭な音色の対比のある明るい響きによって、ポリフォニックな作品の構造が鮮やかに浮かび上がってくる。

アランはここでバッハの作品と実に調和のとれた関係を結んでおり、音楽の構造的側面と内的な世界とが何の無理なく率直に立ち現れてくる。

ここに収められた曲集は親しみやすい作品が多く、その表現はまさに喜びがあふれていて、バッハの音楽を近しいものとして聴かせている。

大バッハの作品だからおごそかに響く必要はないわけで、そうした肩の力を完全に抜いたアランの演奏には、かえって深い味わいと楽しみがある。

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2009年10月20日


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アルバン・ベルク四重奏団の再録音だが、これを聴くと、1990年代に入ってからの彼らの演奏がいっそう円熟すると同時に、表現に自由な精神が、より強く反映されてきていることが感じられる。

この曲はシューベルト晩年の作品だけに、とかく悲劇的な性格をフィーチュアして解釈されるが、アルバン・ベルク四重奏団は劇的な性格と音楽の豊かさを結びつけ、さらに作曲家が室内楽でも追究した交響的な書法を完璧に再現している。

第1楽章の冒頭を聴くだけでも、アルバン・ベルク四重奏団がただの四重奏団に見られない豊かな表現力をもっていることがわかる。

第1主題を構成する2つの要素(トゥッティによる激しい楽句とやさしく愛撫するような楽句)を鮮やかに描き分けている。

これを聴いて、死の2つの面(厳しさとやさしさ)を否応なしに聴き手に印象づける。

これは、彼らの表現に誇張がないだけに、いっそうの説得力をもたらす。

第2楽章における各変奏の性格を描き分ける点も、アルバン・ベルク四重奏団は他の四重奏団の追随を許さない。

ひとつひとつの変奏が、あたかも完結した物語のように感じられる。

これは、アルバン・ベルク四重奏団のシューベルトの音楽に対する強い共感(ウィーンの伝統を引き継ぐといえるかもしれない)と、円熟した表現力が生み出した演奏であり、この曲の最高の演奏といえるだろう。

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2009年10月19日


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バーバラ・ボニーの初のシューベルト歌曲集『ボニー/シューベルトを歌う』はエレンの歌掘劵▲凜АΕ泪螢◆咾濃呂泙襦

ボニーは、ヴィブラートを抑えた透明な声と、折り目正しい旋律の扱いによって実に美しく歌っている。

表現は控えめだが、表情は瑞々しく気品をたたえている。

〈ガニュメート〉は〈アヴェ・マリア〉に及ばないが、《ミニョンの歌》(全4曲)が優れた演奏。

劇的な表現を抑制して、静かな歌いぶりの中に切々とした情感を歌い出している。

また〈野ばら〉での詩の内容に即した変化に富んだ歌いぶりも微笑ましい。

普通、このように変化を与えると、有節歌曲の素朴さが失われてしまうものだが、ここでは彼女の可憐さと巧みさが、それを隠している。

〈ます〉はやや作りすぎだが、〈水の上で歌う〉と〈きみは憩い〉が秀演奏。特に後者でのソット・ヴォーチェの扱いが絶妙。

〈糸を紡ぐグレートヒェン〉はソプラノ・レジェーロの彼女には向かない作品にもかかわらず、よくこなしている。

〈岩の上の羊飼い〉も着実な歌いぶりだ。ただクラリネット奏者カムの音色が冴えないのが残念。

名伴奏者パーソンズが、ボニーの軽い声質と音楽性に合わせ、重いタッチを控えながら精妙に歌を支えている。

総じて、ボニーは自分の声質をわきまえ、その範囲の中で最高の歌唱を示しているといえよう。

選曲も、よく知られた曲が多く含まれており、シューベルト歌曲集の入門盤としても好適と思う。

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classicalmusic at 08:12コメント(2)トラックバック(0)シューベルト 

2009年10月18日


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クレンペラーはシューマンの書いたスコアを補正しながら、美しさをより美しくしようとしている。

いったい、厳しくいかめしいはずのクレンペラーがシューマンになると(メンデルスゾーンも同様)、どうしてこのように、ロマンティックな情緒にあふれた演奏をするのだろう。

第1番第1楽章と第3楽章の快い音の流れとその情緒とは、そのクレンペラーの共感の賜といってよい。

第4番はさらに情緒の起伏が大きい。

深く沈むような演奏の後に、激しく波打ちながら、息づまるような最後のプレストに盛り上げてゆく演奏には、堂々としたクレンペラーの音楽がある。

「ライン」はゆっくりと歌ってゆくのびやかな表現で、繊細に愛情をもって語っているような親しみを覚える。

第2楽章のスケルツォはいかにもライン湖畔に遊ぶ思いである。

作曲当初「ラインの河の朝」と題したいわれがわかるようだし、ゴシック風の構成を思わせる第4楽章ものどかで、ドイツ人の信仰というよりは、まじめな生活の喜びを感じさせる雰囲気をもった演奏である。

造形感に冴えをみせた第2番も悪くない。

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2009年10月17日


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「スコットランド」は、演奏だけをとればスタジオ盤よりも良いかもしれない。

つまりCDとCDとで比較するなら、こちらの方を選びたいのだ。

まず、バイエルン放送響がドイツ的な重厚さと柔軟な技術力でもって、クレンペラーの芸術をより巨大なものにすることに貢献してくれている。

クレンペラー自身の円熟も明らかで、呼吸、フレージング、リズムの掘り下げも深く、音楽が大きい。

スタジオ盤でのクレンペラーの特徴は、何と言っても遅めのゆったりとしたテンポにあった。

その不思議は、きわめて遅いテンポなのに、聴いていて愉しくなってしまうことである。

この特色あってこそ、クレンペラーのメンデルスゾーン演奏が第一級なのである。

しかし、このライヴ盤は「愉しい」ということは言っていられない凄みがある。

第3楽章からは、魂の慟哭さえ聴こえてくる。

終楽章のコーダは、クレンペラーの創作により、短調のままに寂しく閉じる。

そうか、これまでの凄絶な演奏はこのラストのために用意されていたものなのか。これがクレンペラーの荒涼とした心を映す鏡なのか。

この幕切れを知ってから、改めて最初から聴き直すと、また新たな感慨が生まれるのである。

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2009年10月16日


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ノーノの音楽を積極的に演奏・録音したポリーニとアバドの録音。

ノーノはミラノ共産党の支部長を務めたこともある作曲家で、《力と光の波のように》(1972年)はチリの革命家ルシアノ・クルツへの追悼として、また《そしてそこで彼は理解した》(1969年)はキューバ革命のチェ・ゲバラの死と関わっている。

これらの作品は、今日聴いても強い表出力をもって聴き手に迫ってくる。

前者は最初ポリーニのピアノ、アバド指揮によるピアノ協奏曲として構想されたが、クルツの死を知ってソプラノとテープを加えて今日の形となった。

題名通り鋼のように強靭な響きが聴く者を震撼させるノーノの記念碑的傑作だ。

演奏も素晴らしく、ケーゲル盤と並んで必聴の名演だ。

また後者はゲバラのメッセージが最後の部分で読まれるなど、アバドの指揮とあいまって実に迫力のある音楽となっている。

ポリーニ夫妻のために書かれた《…苦悩に満ちながらも晴朗な波…》(1976年)は1978年のポリーニの日本初演時には、われるような拍手が送られたという。

戦後作曲界の雄ノーノの歩みを知る上で、また現代作品でのポリーニの冴え渡った手腕を知る上で、これは聴き逃すことのできない名盤といえよう。

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2009年10月15日


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かつてはラヴェルのスペシャリストとして注目を集めたデュトワは、確かに無機的な要素を含んだ近代の作品などに独特の卓越した手腕を発揮する指揮者であるが、ザッハリヒな一面をも含んだ彼のそうした持ち味は、対極にあるロマンティックな作品にも、彼ならではの価値ある成果を見せてくれるケースも少なくない。

そしてこのバレエ音楽《白鳥の湖》は、その代表的な一例と考えてよい演奏である。

デュトワは、このバレエ音楽のロマンやファンタジーに溺れることなく、厳しくコントロールされた視点をもって作品に臨み、楽譜に秘められた作品の絶対音楽としての純粋な美しさに目を向け、誇張や個人的な思い入れを排して、それをくっきりと描出した演奏を展開している。

この種のロマンティックな作品は、演奏者によって演出が過剰になり、それが演奏を下品なものにしてしまう場合も多い。

しかし、個人的な感情の表出を抑え、禁欲的といえる姿勢で作品を再現しているデュトワは、それによってこの名作の無垢な美しさを引き出しているといってよいだろう。

この演奏は、見方によっては常識的で差し障りのない内容であり、いわゆる個性や特徴は希薄である。

しかし、デュトワの醒めた情熱は、ひと昔前の名盤を生んだアンセルメがそうであったように、結果的に歪みのない作品の美しさを浮き彫りにすることになったのであった。

私たちは、ここでデュトワの美学の意味を認識するべきである。

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2009年10月14日


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《ランスへの旅》の復活上演は、アバドの仕事の中でも特筆に値する。何しろ抜群の面白さだったのだから。

ペーザロでの上演そのままのメンバーで録音したのがこれ。

ひたすら華麗・豪華に作られたこの1幕オペラを、現代最高のロッシーニ歌手たちと、その絢爛さに負けない華々しい演奏で楽しませてくれる。

錚々たる名歌手を統率するアバドも、万全の作品研究・理解に加え、たくましい覇気をみなぎらせた音楽運び、知に溺れず、情に流されない指揮で、作品の弱さを聴き手に感じさせない。

音楽から立ち昇る貴族的とも呼べる独特の香気こそ、アバドならではの魅力である。

アバドはその後もう一度ベルリン・フィルと収録していて、それも悪くない。

でもこちらは、何しろガスティア、クベッリ、リッチャレッリ、レイミー、ライモンディといった豪華な歌手たちが、巧みさを発揮するだけでなく、思う存分楽しく遊んでいるのがいい。

アバドの指揮も何か勢いにまかせ、どんどんやってやれ、みたいなところが、むしろ好感を持てる。

1825年パリで初演されたこのオペラが、150年ぶりの再演で大成功したわけで、次はまた150年くらいしてからだとしたら、これは21世紀の間、珍重されてもいい。

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classicalmusic at 20:50コメント(0)トラックバック(0)ロッシーニアバド 

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ベームは生前、R.シュトラウスと親交があり、この作曲家に深く傾倒していた。

この演奏は、こうした2人の関係から生まれたものだけあって、曲の核心をついた実に見事なものだ。

「英雄の生涯」はベームのR.シュトラウス演奏の中でも、最も円熟した演奏のひとつだろう。

80歳を越えたベームは、この交響詩の世界を実にあたたかく見守っており、悠揚たる歩みの中に、しなやかに抑制のきいた表現を行き渡らせている。

少しも肩を怒らせたところがなく、しかも大変にスケールの豊かな演奏だ。

その落ち着いた運びと清冽な表現も印象的で、演奏はいかにも手厚く巧みである。

テンポは実に遅い、悠然たるものである。

わずかな力みもみられず、オーケストラが絶えずたっぷりした柔らかさで息づく。

抑制がきき、渋味をたたえているにもかかわらず、音楽がいかにも雄大に満ちあふれてくる。

響きが大波の中に身を浸してなんの抵抗もなく、流れはしなやかで硬直した部分はない。

人間の最晩年の豊かな大きさを獲得した「英雄の生涯」である。

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classicalmusic at 05:47コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスベーム 

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国内盤が途絶えているが、アーノンクールは、ピノックやクイケン、ガーディナーらに比べてさらに劇的な演奏を聴かせて、聴き手を鮮烈な感動に誘う。

生きている音楽。生きて弾み、躍動し、喜びの歌をうたい、時に立ち止まっては夢に誘う、そんな世界を体験させるのがバッハの《管弦楽組曲》であり、アーノンクールの演奏である。

およそ3世紀も前の営みながらアーノンクールが楽譜からすくい上げる音楽は、現代の歌としての生命力と力強さを誇っており、いささかも遠慮がちではない。

溌剌としたリズム、鋭くもあれば甘美でもある冴えわたる音色、指揮者と楽員とが心をひとつにして作り出すアンサンブルだけがもつ求心力と開放感、そしてソロをとる名手たちが聴かせてくれる卓越した技術の味わい、それらが渾然一体となった管弦楽組曲の世界は尽きせぬ喜びの泉であり、どこをとっても、どこから聴いても聴き手を幸福感に浸らせる。

第1番は輝かしい祭典の席に居合わせるかのような高揚した気分を約束するし、典雅さと詩人のため息をブレンドしたかのような第2番はシュタストニーの名演もあって聴く喜びの深度をさらに掘り下げた境地に旅させる。

第3番は音に聴く大伽藍であり、バロック音楽の気迫に圧倒される思いだし、第4番は晴れやかな祝典に有頂天となるような興奮がある。

アーノンクールには1967年に録音した名盤もあり、それも今なお聴くたびに新しい感動に誘うが、この再録音盤はさらに視野が豊かになった演奏の大らかさが感じられ、どこをとっても熟成した名演といわせる説得力がある。

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classicalmusic at 00:01コメント(0)トラックバック(0)バッハアーノンクール 

2009年10月13日


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イ・ムジチ合奏団の看板曲のようになっているヴィヴァルディの《四季》を、同合奏団は何回にもわたって録音しているが、ここに挙げたのは最初のステレオ録音のものである(通算2度目)。

イ・ムジチはコンサートマスターが代わるたびに《四季》を録音しているが、結局演奏本位に考えると、初代のアーヨがソロをつとめたこの録音が、ロマンティックな表現で、この曲の演奏としては理想的である。

旋律の装飾や変奏のないオーソドックスな《四季》だ。

緊密なアンサンブルと美麗な音色、そして自発的なのびやかな表現は、この曲の南国的な瑞々しい躍動感を見事に表出している。

適正なテンポ、柔らかい艶やかな音色とレガート奏法での、いかにも流麗な仕上げは、まさにイタリア本場物の味わいがある。

アーヨのソロは雄弁かつ剛直で、何よりも音色があたたかく、技巧もしっかりしている。

アンサンブルなどの技術面も見事で、磨かれた外面の美しさを誇りながら、滲み出るような情感も豊かだ。

アンサンブルのダイナミックスも素晴らしく、まるでフル・サイズのオーケストラのような迫力で、聴き手に迫ってくる。

新しい録音になるほどもちろん音質は良くなっているが、演奏には覇気が薄れ、かえって洗練味で勝負するようになったのが物足りない。

この演奏が超ロングセラーとなったのも当然であろう。

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classicalmusic at 18:21コメント(0)トラックバック(0)ヴィヴァルディ 

2009年10月12日


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「ブランデンブルク協奏曲」の演奏に関しては、オリジナル楽器を用いるか、普通のモダン楽器を用いるかの問題があり、また合奏部(トゥッティ)を複数の弦楽器にするか、各パートを一人ずつの室内楽スタイルにするかが、やはり選択肢になるだろう。

オリジナル楽器でしかも各パート一人ずつの室内楽スタイルでは、ゲーベル指揮ムジカ・アンティクヮ・ケルンの演奏が、実に素晴らしい出来を聴かせる。

ゲーベルのバロック・ヴァイオリンを始め、メンバーの一人一人が高い見識と技術をもち、しかも室内楽特有の愉悦性というか、リズムの弾む躍動的なアンサンブルを展開しているからである。

極めて個性的な解釈と、多分に急進的かつ恣意的な色合いが随所に見られる演奏だ。

感触は終始鮮烈であり、聴いていて掛け値なしにスカッとする。

ムジカ・アンティクヮ・ケルンの演奏は、バッハのオリジナル・スコアを横軸とし、忌憚のない20世紀の感覚を縦軸として、その交わった地点に現れた音像を力強く表明している感がある。

それは多かれ少なかれ現代の古楽演奏に必要とされる姿勢だが、彼らの場合はそこに革新志向と新奇さへの嗜好が加わっており、際立ってモダンで雄弁な古楽演奏になっている。

行き方としては必ずしも普遍性を勝ち得るものではないが、それがあくまで原典資料の徹底的研究の中からつかみ出されたアプローチである点は、高く評価されてよいだろう。

「管弦楽組曲」もまた各パート一人の室内楽的な演奏である。

ゲーベルのバロック・ヴァイオリンを始め、バロック音楽の名手たちの優れたアンサンブルは、この曲が極上の室内楽曲でもあることを認識させる。

今日的な意味での指揮者という集中コントローラーのいない、自発的な合奏による演奏もまた素晴らしく、バロック音楽の魅力はこうしたところにもあるというのが実感である。

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classicalmusic at 19:08コメント(2)トラックバック(0)バッハ 

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メンデルスゾーンのこの美しいトリオには名盤が多いが、その中でもこの3人の名手による共演盤は傑出している。

世代も出身国も音楽性も異なる3人が、互いに触発された白熱的な演奏を繰り広げる。

トルトゥリエの逞しい表現と、情熱的なチョンの音楽を、プレヴィンが見事なバランスでまとめ上げている。

プレヴィンがピアノの名手である事は改めて述べるまでもないが、ここでの確かなテクニックと指揮者らしい構成感、そして見通しの長い音楽の流れは、2人の個性的な弦楽奏者の仲介者となって全体を見事にまとめ上げている。

このプレヴィンの名伯楽ぶりに支えられて、チョン・キョンファはその本来の音楽性である強い集中力を伴った音楽への自己同化を示している。

一方のトルトゥリエのベテランらしいアンサンブルの中での緩急の作り方は、この演奏に深い奥行きを与えている。

楽譜を手に開いてみればこの名演の凄さに納得する。

シューマンも第1楽章では全体をやや抑えて内燃する情熱を表現し、終楽章に向かって劇的な高揚へと高めていくところなど実に巧みな設計だ。

即興的な味わいも十分で、聴き応えがある。

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classicalmusic at 03:55コメント(0)トラックバック(0)プレヴィンチョン・キョンファ 

2009年10月11日


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シューマンの合唱曲は、1847年(37歳)を中心にまとめて作曲されている。

シューマンの合唱曲は意外と知られていない。ここにも収録されている 《流浪の民》以外は聴いたことがない人が多いのではないだろうか。

特に有名な《流浪の民》は、ジプシーたちが過ごす一夜の様子を描いたものである。

原曲は女声合唱用に書かれているが、こんにちでは、混成合唱でも歌われる。

このCDは《流浪の民》のほか、《おぼろな光》《鍛冶屋》など、シューマンの合唱曲を13曲集めたもので、選曲がよい。

ここでの全13曲はそれぞれ個性的な表出力をもってわれわれを愉しませてくれる。

ライプツィヒ放送合唱団が、すぐれたアンサンブルとリズム感の見事な合唱で、メリハリのきいた演奏を行っているところが素晴らしい。

合唱、四重唱ともに、アンサンブルは緻密で全く危なげがない。

ホルスト・ノイマンの指揮も老巧で、合唱音楽の醍醐味を存分に味わわせてくれる。

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classicalmusic at 13:24コメント(2)トラックバック(0)シューマン 

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日々の生活のなかで聞こえるさまざまな音を、はじめて音楽に取り入れたのはマーラーだったが、それを徹底的に利用したのがアイヴズだ。

以前のアメリカ人は敬虔で、日曜日には教会で聴くオルガンのひびきは彼らの皮膚感覚となっていた。

一方お祭り騒ぎの好きな彼らにとって、陽気な祝賀パレードは欠かせない。

こうして彼らの日常はつねにひびきと結びついていた。

彼ら自らは意識しないこれらひびきの感覚を統合し、ひとつのパッチワークに仕上げたのがアイヴズだ。

これはサティとは別の意味での環境音楽であり、アメリカそのものの表現になっている。

バーンスタインはユダヤ人ながら、このピューリタンらしさを肌で感じているのは言うまでもない。

アイヴズの第2番の演奏はきわめて若々しく、清新の気に満ちあふれている。

明快で率直、作品に対する愛情が聴き手に迫ってくる。

複雑な構成や楽想もよく整理され、アイヴズ入門にはふさわしい曲であり演奏だ。

第3番も同様だが、細部にこだわらず全体を大きく把握したような表現である。

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classicalmusic at 08:34コメント(0)トラックバック(0)バーンスタイン 

2009年10月10日


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11月にゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団が再び来日公演を行う。プログラムのメインはチャイコフスキーの「悲愴」。期待を込めて、このコンビが録音した「悲愴」のディスクを聴いて予習しておきたい。

このCDは1997年にフィンランドでスタジオ収録されたゲルギエフとマリインスキー劇場管弦楽団の好調ぶりを如実に伝える1枚。

全曲を支配するとてつもない勢いはただものではない。

もちろん、力で押し切るだけではなく細かな配慮も怠らず、真に圧倒的なチャイコフスキーを実現している。

のたうち、うめくように始まる第1楽章冒頭から彼の術中にはめられる。

ファゴットをはじめすべての楽器の音色は完璧なまでにコントロールされ、まるで生きもののように自発性を発揮する。

交互に火花を放つ瞬間の爆発的な力の発露も、この指揮者とオーケストラならではのものだ。

ほのかな陰影を宿した第2楽章の美しさ、第3楽章の凄絶なクライマックス、そして再び苦しみに苛まれる終楽章とどこをとっても申し分のない仕上がり。

しかもライヴかと思われるほどの緊張感が維持されているのだから驚かされる。

真にロシア的な表現と高揚感、西欧のアンサンブルを兼ね具えた名演といえよう。

さて、この録音から12年経ち、このコンビがこのディスクの演奏内容をさらに凌駕する演奏を聴かせてくれることを望んで、楽しみに待ちたい。

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classicalmusic at 05:26コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーゲルギエフ 

2009年10月09日


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精緻な合奏力のうちに作品の深い読みがうかがわれる、全体に極めて高い水準を保った演奏である。

初期では第6番が傑出した出来映えで、端然とした造形のなかでの運動性の豊かさ、合奏の精緻さが生み出す透徹した完成度の高さは比類がない。

第4番も聴く者の胸に迫る演奏となっているが、それを一層強くするために、多少速めのテンポをとっている。

「ラズモフスキー第1番」がスケールの大きな演奏で光っているが、中期の中では「セリオーソ」が素晴らしく、名演の多いスメタナのベートーヴェンの中でも、最高の高みに達したものの1つだろう。

しなやかでこなれた精妙なアンサンブルの美しさや抒情の深さと共に、強靭無比な音楽的骨格が共存し、ベートーヴェンの悲痛な心情を伝えるかのようなドラマが繰り広げられ、感動的だ。

後期の曲では、第13番が最も充実した緊張力をもっている。

ギスギスしたところがなく、手なれていながらも常に新しい解釈を求め、いかなる動機の処理に対しても入念さがあるなど、いわば内面を抉り出すような演奏で、ベートーヴェンの晩年の心情を如実に伝えている。

第15番の圧倒的なコーダの悲劇的な盛り上がり、第16番のアンサンブルの緊密さも驚くほどだ。

ここには、弦楽四重奏というものの理想像が表されているといっても過言ではない。

気品高く、まれにみる4弦の統合と音楽的統一を達成している。

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classicalmusic at 19:26コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンスメタナSQ 

2009年10月08日


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ショルティはこの全集の録音には14年を費やしているが、どれも素晴らしく高い水準で一貫している。

ショルティは、きわめて明快な表現で、緊張感にあふれた演奏を行っている。

新古典主義に根ざしたショルティの音楽は、客観性を保ち、スコアの指示を忠実に守り、あまり粘らず、情緒におぼれることもない。

オーケストラの抜群の技量がぞんぶんに発揮されており、いかにもショルティらしい現代的な感覚の演奏だ。

ショルティよりも6歳若いバーンスタインの、ロマン主義的色彩が濃厚なマーラーと、よい対照を成している。

ショルティ一流の、きわめて精緻で、鋭い表現できちっとまとめあげているが、そのなかにも、楽曲のこまやかなニュアンスを巧みに表出しており、ショルティの円熟味が感じられる。

美しく、デリカシーに富んだ演奏でもあり、音色の微妙な多様さ、各パートの微妙なニュアンスの表出、それらが交錯して完璧なオーケストラの美を聴かせる。

一種の正確さとマーラーの美が厳しく引き締まった音楽を作り上げており、随所に示された繊細な感性とロマンの美は、ショルティの音楽的円熟の証明である。

意志的な力とコントロールで均衡感の強い音楽を組み上げているが、同時に自在な呼吸に支えられた豊かな表情があり、成熟を感じさせる演奏だ。

おどろおどろしいマーラー、官能的で、表現が粘りがちになる情念的マーラー、やたらとネクラに、諦め顔のマーラー等々、既成のマーラーでは物足りなくなった向きには、ショルティのマーラーはまことに爽快に感じられる。

マーラーを古典として眺め、そこに自然な音楽像を作り出した感動的名演をいえよう。

シカゴ響の力強くダイナミックな合奏力と、録音の素晴らしさも特筆すべきものだ。

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classicalmusic at 20:36コメント(0)トラックバック(0)マーラーショルティ 

2009年10月07日


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1986年、ミュンヘンのヘルクレスザールでのライヴ録音である。

ヘンデル《メサイア》への共感に発する壮麗なつくり、ハイドンの声楽曲特有の崇高さと素朴さとの融合、色彩豊かな自然描写…。こういったあたりが《天地創造》の魅力であろう。

序奏から最後の合唱まで、そのすべてを味わわせてくれるのがバーンスタインである。

まさに"熱い"演奏だ。

序奏の「混沌」からすでに並々ならぬオーケストラの描写力を感じさせる。

バーンスタインの表現は全曲にわたって、実に自然で大きく、また少しも気負うところなくハイドンの総譜から豊かな内容を引き出している。

晩年の彼らしい、ひとフレーズごとにじっくり歌い込む音の運び、そして要所要所でのパワーの炸裂。

全篇にわたってバーンスタインの体質が、強烈にあらわれた演奏で、実演のときにすこぶる燃える指揮をするこの人ならではの、熱っぽい音楽をつくりあげている。

全体に粘っこい表現だが、この曲の神秘的で重厚な性格をよく表出しているのが特徴だ。

オーケストラと合唱はともに熱演で、バーンスタインと見事に協調しており、全身で歌い奏している。

独唱陣にややむらのあるのが惜しいが、モルが最も立派。

これは、まさに、バーンスタインの個性を聴くべきディスクである。

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classicalmusic at 19:35コメント(0)トラックバック(0)ハイドンバーンスタイン 

2009年10月06日


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《マイスタージンガー》に比べると、個性豊かなすぐれた演奏が多い。

カラヤン盤は、この作品がひたすら豊かな響きの美しさに捧げられていると感じさせる演奏で、彼のワーグナー演奏の集大成とも呼ぶべき美しさ、緻密さ、雄大さ、深さを聴かせてくれる。

そのまばゆいばかりの管弦楽の美しさは、我々を魅了してやまない。

いかにもカラヤンらしい、よく練り上げられた演奏で、宗教的な崇高さと官能的な面を、精緻な表現で見事に表出している。

思わせぶりなしに、ここまでカラヤンの美意識は《パルジファル》を表現してしまった。

カラヤンの《パルジファル》は、彼のワーグナー演奏の頂点に立つ演奏であり、またこの作品のひとつの極を究めた表現ともいえる。

隙のない精妙な演奏は素晴らしく、官能的な美しさと美声を揃えたキャストも充実している。

《マイスタージンガー》と並ぶ、カラヤンのワーグナー演奏の極致というべきだろう。

ベルリン・フィルというオーケストラの力も効いている。

歌手陣も、素晴らしい出来映えだが、パルジファルのホフマンは彼のベストの歌唱であり、またグルネマンツのモルも光っている。

カラヤンは、以前から70歳になったら録音したいと語っていた念願の作品であるワーグナーの《パルジファル》を完成して、その精緻精妙をきわめた表現によって、カラヤン美学の極致を示したのであった。

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classicalmusic at 18:44コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーカラヤン 

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カラヤンが珍しくベルリン・フィルやウィーン・フィル以外のオーケストラと録音したのが、この《ニュルンベルクのマイスタージンガー》だ。

録音当時の1970年は、ドイツは東西2国に分断されていた。

その東独を代表するドレスデン・シュターツカペレの持つ古雅な音色こそ、ベルリン・フィルやウィーン・フィルではなく、カラヤンがこのオーケストラを録音に採用した最大の要因だろう。

もし、ここで手兵のベルリン・フィルを起用していたとしたら、その演奏は、よりゴージャスな響きのインターナショナルなキャラクターを持つものになっていただろう。

中世ドイツの健全な市民精神を描き上げたこの作品にふさわしい音色を持ったこのオーケストラを、カラヤンは敢えて起用した。

その成果が、ここに見事に記録されている。

演奏は、この人一流の演出巧者なもので、中世ドイツの市民の生活と複雑な人間感情とを鮮やかに描出している。

このあたり、いかにもカラヤンならではの手腕だ。

歌手陣は、当時の最上の顔ぶれが揃えられている。

ユニークなのは、ヘレン・ドナートのエヴァ。通常この役の歌手よりもリリックなドナートは、エヴァの可憐さをよく表現している。

若き日のルネ・コロのヴァルターも素晴らしい。ザックスとの声の対比としての若々しさを、美声の極みを示すコロは見事に描き出している。

キャリアの頂点で早逝した名バス歌手リッダーブッシュによるポーグナーも、人間味に溢れた名唱として忘れ難い。

テオ・アダムのザックス、エヴァンスによるベックメッサーは、個性の強い歌唱で、好悪を分けるかもしれない。

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classicalmusic at 12:21コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーカラヤン 

2009年10月04日


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クレメンス・クラウスは20世紀の中葉を代表する偉大な指揮者の一人である。

第2次世界大戦前、ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場の総監督を歴任し、モーツァルトからワーグナー、R.シュトラウス、ベルクの『ヴォツェック』まで手がけたオペラ指揮者として大きな業績を残した。

またコンサート指揮者としても戦前、ウィーン・フィルを始めヨーロッパの主要オーケストラとの活動を繰り広げ、その足跡はたとえば英HMVのSPに残されたウィーン・フィルとのブラームスの交響曲などにしのぶことができる。

戦後はウィーン・フィルと「ニュー・イヤー・コンサート」を創始し、むしろ余技であるヨハン・シュトラウスはじめシュトラウス・ファミリーのワルツ・ポルカの指揮で話題となったため、その本領が忘れられ、ひと頃とくにわが国で「小粋なウィーンのヨハン・シュトラウス指揮者」とのみ考えられた時期もあったが、最近そのイメージも正されつつあり、クラウス・ファンとしてはホッと胸を撫で下ろしているところだ。

そのクレメンス・クラウスの偉大な芸術を味わえる素材としては、比較的最近になってバイロイトでの『ニーベルングの指環』や『パルジファル』など、名演のライヴも発売されたが、やはり、戦後ウィーン・フィルを指揮して録音したR.シュトラウスの『サロメ』や管弦楽曲を挙げるべきだろう。

これらの演奏記録は、R.シュトラウスとの深い親交を結び、つねにその最良の演奏者であったクラウスであるだけに、R.シュトラウス演奏史上のオーソリティある貴重なドキュメントであるばかりか、その演奏の質の高さから今日でもそれぞれの曲の代表的名盤の地位を失っていない。

ウィーン・フィルから最上の音楽を引き出しつつ、R.シュトラウスの流麗な音楽世界を十全に再現した演奏は見事というしかない。

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classicalmusic at 09:21コメント(0)トラックバック(0)クラウスR・シュトラウス 

2009年10月03日


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クリュイタンスは、ドビュッシーの管弦楽曲で優れた演奏を聴かせてくれたが、《ペレアスとメリザンド》でも音楽の微妙な響きを見事に再現している。

演奏は、申し分なく美しい。

クリュイタンスの指揮も絶妙で、声に沿って静かに流れ続けるときの見事に抑制された表現も聴きものだが、数多い間奏の気分のもたせ方もうまい。

微かなアクセントで流れてゆく声にオーケストラが繊細な色彩を重ねてゆく。

構造の隅々まで神経の行き届いた彼の解釈は、カタストロフに向かう劇と音楽の緊張感を、自然で美しい流れをもってつくり出している。

フランス語の美しさをいかした歌手達、ジャンセン(T)、スゼー(br)、ロス・アンヘレス(S)、コラール(Ms)など、当時第一線歌手の好演も忘れ難い。

特にジャンセンはうまい。

スゼーも役の雰囲気が出ている。

デ・ロス・アンヘレスは声の美しさと精妙なテクニックを豊富に聴かせる。

フランス国立放送管弦楽団の繊細な音色も魅力の一つである。

モノーラル録音ながら、この曲の最高の演奏といえよう。

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classicalmusic at 11:44コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシークリュイタンス 

2009年10月02日


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古楽の演奏家に、未知の時代へと曲目を広げてゆく人と自分の時代領域を守る人の2つのタイプがあるとすれば、ガーディナーは前者の代表格。

次々と新録音を発表し、その勢いは留まることを知らない。

1830年に初演された《幻想》はガーディナーのロマン派進出の契機となった作品の一つ。

古楽器派のメインテーマはその楽曲が書かれた時代の"歴史的情報"を演奏に反映させることだが、本作はまさにその見本のような録音。

自ら管弦楽法の著作もあるベルリオーズは、当時(新旧の楽器が同居していた)の楽器の扱いに熟知していた。

それだけに、楽器配列も含めてオリジナルな音で聴く《幻想》からは、ガーディナーの巧みな構成力と矢で的を射抜くような先鋭な解釈とが相俟って、従来の演奏では聴きとることのできなかった作品本来の前衛性が充分なリアリティをもって迫ってくる。

1830年の初演当時を忠実に再現するためにオフィクレイド(テューバの原型とされる管楽器)、セルパン(蛇のような形の管楽器)、ナチュラル・トランペット、ヴァルヴつきホルン、ピストンつきコルネットなどの古楽器(またはそのレプリカ)を惜しげもなく使用。

さらには、初演当時に使用された旧パリ音楽院ホールで収録するというアーノンクールも顔負けの徹底ぶり。

第4楽章のティンパニなどモダン・オーケストラに比べてやや迫力不足の感は否めないが、第5楽章の19世紀から鳴り響いてくるような弔鐘は背筋がゾッとする。

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classicalmusic at 00:16コメント(0)トラックバック(0)ベルリオーズガーディナー 

2009年10月01日


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レイフ・ヴォーン・ウィリアムズはショスタコーヴィチと並ぶ20世紀の偉大なシンフォニストだったことを忘れてはならない。

1910年に完成した最初の「海」の交響曲から死の年の交響曲第9番に至るまで、偶然ではあるがちょうどジンクス通りの9曲の交響曲を残している。

スタイルとしては、映画音楽から編まれた5楽章制の「南極交響曲」を唯一の例外としていずれも4楽章制の伝統的な枠組みを持つが、民謡を取り入れるなどの民族的な要素が含まれたり、場面によっては斬新なテクスチャーを見せる部分もあり、決してアナクロニズムにに終わっていない。

一般的には第1番「海」、第2番「ロンドン交響曲」、第5番、第7番「南極交響曲」の4曲が最も人気のある作品だろうが、それ以外の作品も親しみやすい中にもシーリアスな内容を持った優れたものなので、ここでは全集として取り上げたい。

ボールトは無骨ともいえる重厚な表現で、エルガーの流れを汲むスケールの大きい交響曲の世界を引き出している。

エルガーの場合とは異なり、より精緻なニュアンスを求めたくなる場面も多々あるが、抑揚の大きいドラマティックな表現は、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲のシーリアスな面を抉り出す結果になり充実している。

ヴォーン・ウィリアムズはボールトのリハーサル、本番にしばしば立ち会い意見を語り合い、公私とも深い絆で結ばれていた。

ボールトの頭の中には、ベートーヴェンの交響曲と同様に9曲のスコアの隅々までが、作曲家の肉声とともに収まっていた。

ただ録音年代がばらばらなのと3つのオーケストラが使用されているため全体として統一感に欠ける部分があるのが残念だ。

それでもスタンダードな全集であることは間違いない。

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