2009年11月
2009年11月30日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ヴンダーリヒのリート録音で、《水車小屋の娘》とともに聴く者を魅了してやまないのが、この《詩人の恋》だ。
この《詩人の恋》にも、ヴンダーリヒの美声とみずみずしく気品ある歌の魅力が最高度に発揮されている。
張りのある清冽な美声は他の追随を許さず、端正で格調高く、どこまでもみずみずしい歌いぶりはまさに模範的な高みに達している。
艶のある美声、明瞭ですがすがしいディクション、情熱的でしかも抑制のきいた感情表現など、どれをとっても理想的と言っていい名唱。
情熱あふれる歌でありながら、表現にはつねに節度あるコントロールがほどこされており、激情の野放図な表出に走ることがない。
とりわけ全体にただよう凛とした気品は他の追随を許さないものがある。
ドイツ・ロマン主義芸術の最良の成果がここにあると言っていいだろう。
フーベルト・ギーゼンのピアノも、すこぶる表情豊かでヴンダーリヒの繊細な歌唱にぴったりと寄り添っている。
それでも、ギーゼンのピアノが少々味わいに乏しいのが残念だが、これぞドイツのテノールと言うべきヴンダーリヒの美しく輝かしい声と、情熱的で、しかも繊細なコントロールにも不足のない歌は、それを補ってあまりある。
追加収録されているベートーヴェンの歌曲も見事。
ドイツリートの最良のアルバムのひとつだ。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月29日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
「春の祭典」はインバルが渾身の力をこめて指揮したような演奏だ。
全体にスコアの読みが深く、力強く、たくましく、この曲の原始的なリズムを強烈に打ち出す。
第1部の「誘拐の遊戯」から強くひきつけられる。
やや粘りが強く、腰が重いのはインバルの特色だが、第2部ではそうした特質がプラスに働いている。
「選ばれた乙女の讃美」から、終曲にかけての迫力は物凄く、オーケストラも気持ちがよいほどよく鳴っている。
「ペトルーシュカ」でインバルは1911年版をきわめて忠実に、いわばバレエ・ヴァージョンとして再現している。
この演奏には客観的な条件ばかりではなく、音楽のディティールもきわめて明確に、そして明解に表現されており、それぞれの声部や素材がメカニカルな印象を残さず、むしろかなりリリカルな要素もみせているのが魅力的である。
「火の鳥」はテンポがやや遅めで、全体のテクスチュアとそこにある多彩なコントラストが一層明確になっている。
オケも良くコントロールされ、透明度の高い響きと共に、スコアに含まれたあらゆる要素が自然かつ明快に描き出されている。
この曲の数多い録音の中でも、もう一度作曲の原点を考えさせられるような興味ある演奏である。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月28日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
この録音は、指揮者自身がなかなか出来映えに満足できず、発売が遅れたという録音だ。
しかしたとえ未完成であっても、言おうとしていることは非常にはっきりしている。
多分、この言おうとしたことを言い切るには、もはやロンドン・フィルというオーケストラの力量では不可能だったのだ。
ここでは絶対にベルリン・フィルの超絶的な力が必要だった。
酸鼻きわまる絶叫のような第1楽章を聴いていると、そう思われてくる。
とはいえ、それでもなお、これは名作「大地の歌」の最も説得力のある演奏である。
何と言ってもフィナーレが凄絶だ。
この「告別」と題された長い楽章を聴いていると、自分が本来平和な自宅にいることも忘れてしまう。
だんだんうなだれてくる。時間が止まる。曲が描き出す世界の中に完全に吸い込まれてしまう。
普段は明るい音色のロンドン・フィルが暗鬱な響きに一変している。音符のいちいちに異様な力がこもっている。
一般的に、ロンドンのオーケストラは、かの国の伝統なのかどうか、あまりあからさまに悲しいとか不幸だとか言い募るのは品がないらしく、自然に節度が守られてしまうのだが、テンシュテットが指揮した場合は、その暗黙の領域をはみ出し、あえて泥沼に踏み込んでいくのだ。
最後、曲は神秘的な甘さの中で静かに終わる。そのいわく言い難い感触、謎のような微笑、不思議な後味、これこそ音楽でなければ表現できない何かである。
聴き手は、何か謎の中に放り出されたような気持ちがする。
作曲者は、まさしく「告別」という題名そのまま、聴き手を置いてどこかへ姿を消したのである。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月27日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ボールトもまた、モントゥーと同じくブラームスを心の底から敬愛していたひとりである。
その傾倒ぶりは「ブラームスの4つの交響曲にはすべてがある。ヨアヒムは『ブラームスはベートーヴェンよりも偉大である』と語ったが、自分はそれを理解できる」というから、筋金入りだ。
そんなボールトのブラームス演奏は慎み深い。
もっと歌えばいいのにという場面も、はにかみながら過ぎてしまう。
しかし、そういう慎み深さはブラームスにとって決してマイナスではないだろう。
ブラームスもまた様々な想いを胸に秘めたままの悲しみの人だったからだ。
この全集の最大の聴きどころは、「第1」「第2」「第3」における、第1主題提示部の反復の場面ではなかろうか。
反復なしの演奏では飛ばされてしまう日陰の存在である「1カッコ」が、慈しむように演奏されているのだ。
「ああ、もう一度、この素敵な提示部を演奏できるのだ」というボールトの歓びが、ここに滲み出ているのである。
もちろん、それ以外の部分だって素晴らしい。
最初の楽章に反復記号のない「第4」も含め、どこをとっても慈父のように暖かな眼差しに包まれたブラームスである。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月26日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
1970年代に発見され、1978年に出版された「忘れられていた映像」を含んだ豪華盤だ。
近代フランスの作品を主なレパートリーとしているルヴィエだけに、このドビュッシーの演奏にも、なみなみならぬ自信のほどがうかがえる。
その軽妙で、センスの良い表現は素敵だ。
これらの曲はともすると演出過剰におちいりがちで、ピアノ学習者の手本となるような模範的な演奏は意外と少ないが、ルヴィエの演奏は、楽曲の構造を決してゆがめることなく、楽器に忠実に演奏しているところに好感がもてる。
ルヴィエの演奏は、フランソワの激しい情熱を表出した演奏とは対照的に、おだやかなものであるが、そうしたなかにも、陰影にとんだ、みずみずしい表情にあふれている。
ことに軽快で生き生きとした表情はうまく、その豊かな色彩感と生き生きとした表情は、いかにもこの人らしい。
いかにもフランス人らしい柔らかな表情と豊かな色彩をもった演奏で、ごく自然な音楽づくりにひかれる。
旋律や音づくりなどをあまり強調しないため、やや地味なところもなくはないが、聴いているうちに完全にルヴィエのペースにひきこまれてしまう。
フランスのピアニストは、こうした技巧的に複雑なドビュッシーを弾いても、決して力まない。
その落ち着きのある演奏は、ことに東洋的神秘性のあらわれた「映像第2集」で、長所を発揮している。
「葉ずえを渡る鐘の音」の精妙な味や、「金色の魚」のコクのある表現は見事だ。
小曲でもルヴィエは、落ち着いた表現で、じっくりと弾きあげており、味わいの深い演奏となっている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月25日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
デイヴィスの録音は、バイエルン放送交響楽団の弦楽器群の魅力を存分に引き出した、熱っぽい演奏だ。
思いの丈を吐露するかのような深い感動があり、セレナードという以上に交響詩にも似た表現の奥深さを感じさせられる。
スケールも大きく、内容的にも充実し、指揮者の円熟の境地を示して聴きごたえがある。
チャイコフスキーでは独特の憂愁を余すところなく描出している。
このチャイコフスキーの弦楽セレナードは、ドヴォルザークの弦楽セレナードと一緒に収録されることも多く、また室内管弦楽団によるすぐれた演奏も少なくない。
しかし、この曲の場合、室内管弦楽団のスリムな響きよりも厚いシンフォニー・オーケストラの豊かな響きがふさわしいように思う。
特にデイヴィスとバイエルン放送交響楽団の演奏は、第1楽章から非常にバランスのよい洗練された豊かな響きの美しさに魅了される。
そのあまり厚くなりすぎないふくよかな響きが豊かな陰影をたたえ、繊細な抒情を紡ぎ出している。
チャイコフスキーはこのセレナードを国際的に通用する作品として古典的な形式を用いたが、デイヴィスは旋律をのびやかに歌わせながら、チャイコフスキー特有の憂愁をたたえた第2楽章のワルツや第3楽章エレジーに込められたロシア的な情感も爽やかに表出しており、両端楽章の弾力性に富むリズムと生彩あふれる表情も見事である。
またドヴォルザークも思い入れたっぷりな表現で旋律を歌わせる第1楽章、多少遅めのテンポでロマンティックな詩情を丹念に表出した第3楽章など、ヴェテランの棒さばきが光る。
バイエルン放送交響楽団の重厚なストリングスも魅力的だ。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月24日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
歴史的快挙とも呼ぶべき素晴らしい演奏だ。と私が声を大にしたところで、アーノンクールのブルックナー演奏は、未だ異端視されがちである。
この画期的な演奏が評価されていない、という現実は、ブルックナーの生前と同じ状況なのではないか、と私には思えてならない。
アーノンクールは「ブルックナーは月から降ってきた石のようだ」と語る。「メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスの後継者」ではなく、「唐突に登場」したと。だから、生前理解されず、拒否されたのも当然である、と。
アーノンクールのブルックナーもまた、「月から降ってきた石」のひとつなのではないか。
アーノンクールはブルックナーを遡ればルネサンス音楽のポリフォニー、身近には酒場のダンス、そして、来るべき新ウィーン楽派の前衛との結びつきの上で捉えている。
私が「歴史的快挙」と言いたいのはここだ。
ブルックナーのスコアは「慣習」から解き放たれ、はじめて、ウィーン国立図書館に保管されたままの無垢な姿で音となったのである。
ゆえにこれまでの伝統的な価値観でしかブルックナーを語れない人々には拒絶されるしかないのだ。
アーノンクールの円熟ぶりには凄まじいものがある。刺激的ではあったが腰の軽かった「第3」の頃とは別人の堂々たる貫録が現れた。
至純な響きや精緻を極めたスコアの再現はそのままに、これまで聴かれなかった圧倒的な「力」に貫かれている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月22日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
クリスマスの時期になると、各地のオペラ団体がとりあげるこの歌劇は、グリム童話を題材に得、ドイツ民謡がふんだんにとりこまれた素朴で親しみやすい作品と言える。
だが、フンパーティンクはバイロイトでワーグナーの仕事を手伝っていたこともあり、彼の作品には、ワーグナー的な劇的緊迫感の要素も含まれている。
このワーグナー的要素を最もうまく表現しているのが、カラヤンが1950年代にフィルハーモニア管およびシュヴァルツコップ、グリュンマー、2人のソプラノと録音したEMI盤。
音はやや冴えないが、若き日のカラヤンのすがすがしい演奏である。
ここでのカラヤンは、晩年にみられたような、巧緻をきわめた音づくりではなく、ごく自然にこの作品のメルヘン的な性格を引き出しており、颯爽とした若々しい表現で聴かせる。
この演奏の中で、特筆すべきは、子供心あふれるシュヴァルツコップ、グリュンマーの魅力的な二重唱。父親役を歌うメーテルニッヒなどの脇を固める歌手の堅実な歌唱と声質の対比も申し分ない。
豪華キャストたちの役をよくつかんだ歌唱が面白く、大変聴きごたえのある演奏になっている。
それとワーグナーかと錯覚してしまう程の詩情豊かで力感あふれるカラヤンの指揮も忘れてはならない。
しかも決してグランド・オペラ風歌合戦に陥ることなく、メルヘンとしてのこの作品の領域と限界をカラヤンは見失っていない。
全体に速めのテンポで、曲の夢幻的な雰囲気をすっきりと表し、魔女の場でも過度に物々しくせず、きびきびと運び、フレーズの扱い方にもあたたかみがある。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月21日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ドイツ・レコード賞、国際レコード批評家賞などを受けた名盤である。
作曲者の死後約半世紀にして、20世紀最大のオペラ作家の一人と見なされるようになったヤナーチェクの9つ残されたオペラの最終作。
このオペラの慣用版は、作曲者が追認した《イェヌーファ》のコヴァジョヴィツ版などとは異なり、作曲者がもし生きていたら許すはずがない改悪も含んでいた。
そこで、マッケラスと音楽学者のジョン・ティッレルは、自筆譜以外の資料も駆使して、作曲者本来の意図になるべく近づけるのを原則としている。
演奏はマッケラスの持ち味が完璧に示された名演で、音楽の細部を丁寧におさえてゆく彼の職人的技の確かさが最大限に生かされている。
微妙な音の動きやリズム、あるいはヤナーチェク独自のオーケストラの響きの滲みを、マッケラスは申し分なく生かしている。
歌手陣をチェコの歌い手でまとめたのも成功しており、ウィーン・フィルの細やかで美しい響きと実に溶け合っている。
男声の囚人たちに交じってズボン役で少年囚を演じるソプラノの役柄のつかみ方など今一歩だが、最後まで一気に聴かせてしまう名演である。
「どのような人間にも神聖なひらめきというのはあるものだ」と楽譜の扉に書いた作曲者のヒューマニズムが聴いた後に胸に焼きついて残る。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月20日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
国際レコード批評家賞受賞盤。
ヤナーチェクの9つのオペラのなかでも、オペラの通、あるいは好き者的なプロの間で最も評価が高いのがこの第8作。
その音楽は、彼のオペラのなかでも最も伝統的なオペラの在り方に背を向けたもので、ヤナーチェクとしては珍しく表現主義の音楽への歩み寄りも見られる。
ここでもマッケラスが、ウィーン・フィルの表情豊かな演奏と配役の充実に助けられて、他の全曲盤を寄せつけない。
ウィーン・フィルの最美の音質と、最高の音楽的ニュアンス、そしてマッケラスの作品の持つ独特の世界を美しく幻想的に描き出してくれる指揮が素晴らしい。
歌手陣ではゼーダーシュトレームの入魂の歌唱が、マッケラスの路線と完全な一致を示した名唱である。
ゼーダーシュトレームのヒロインは、すでにこの不老不死の霊薬の実験台にされて、300年以上生き続けることになったオペラ界の花形という特異な役を舞台で何ヶ国語で歌った末に原語挑戦した曲。
その役づくりは規範とすべきものであろう。
ドヴォルスキーの情熱的な歌唱も聴きものだし、チェコのヴェテラン、ジーテクもそのキャリアの重みを感じさせる味わいを醸し出している。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月19日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
グラモフォン・レコード賞受賞盤。
ヤナーチェクの7番目のオペラ《利口な牝狐の物語》は、彼が自分を取り巻く森羅万象のすべてに創造の霊感の源を求め続けたことを物語る傑作。
ひとつとして同じ内容のものがないヤナーチェクのオペラの中でも、この「牝狐」はとびきりの傑作だ。
まずウィーン・フィルが断然素晴らしく、流麗でまろやかな夢に膨らむウィーン・フィルの好演と、しかもあくまでもヤナーチェクの音楽の素朴な本質を見失わないマッケラスの指揮も見事。
マッケラスの踏み込みの深い指揮は彼のヤナーチェクのなかでも最高の部類で、その個性的な手法をよく活かしながら、作品の本質に迫る。
歌手の充実ぶりでもこのCDは既存のすべての録音を上回る。
特にポップとランドヴァーがよく、2人による第2場「愛の場面」は傑出している。
牝狐ビストロウシカの性(さが)と宿命を聴き手に鮮明に印象づけたポップの名唱は忘れ難い。
人間の世界と動物の世界との接点に立って狂言回しをやりながら、波乱の人生を体験した末に、晩年の悟りの境地に到達した作曲者の心境を代弁する猟場番役のイェドリチカ以下、チェコから応援のあとの主役・脇役も好演。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月18日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ACCディスク大賞、モントルー国際レコード大賞などを受賞した名盤。
この作品はロシアの作家オストロフスキーの戯曲『嵐』に基づいて、1919年から21年にかけて作曲されたものである。
ヴォルガ河上流の小さな町を舞台に、封建的な家庭に嫁いだカーチャが、抑圧された生活の中で引き起こす、不義と悲惨な死がリアルなタッチで描かれている。
指揮者マッケラスはヤナーチェクの権威者だけに、確信をもってこの作品のもつ独自の美しさと真実味をよく描き出しているし、歌手たちも充実している。
演奏はじかにその核心に迫ろうとする情熱と気迫を感じさせ、ウィーン・フィルもすこぶるこまやかな情感とムードに満ちあふれている。
聴き手はヤナーチェクのオペラのユニークな特質と生命に完全に魅了されつくしてしまう。
特に歌手ではゼーダーシュトレーム(カーチャ)が好演。
ゼーダーシュトレーム以外はチェコの歌手だが、みな大変見事な歌唱で絶賛を捧げたい。
ウィーン・フィルの起用も成功で、ヤナーチェク・オペラのオーケストラの豊かな表現力を存分に生かしている。
なおこのCDではマッケラスがブルノで発見したという2つの間奏曲が加えられていて効果をあげている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月17日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
マッケラスは人も知るとおり、ヤナーチェクの権威で、このウィーン・フィルを振った演奏は既に定評のあるところ。
マッケラスは、ヤナーチェクを最も得意としている指揮者だけに、熱い生命のほとばしりがある。
マッケラス盤は1980年になってデジタル録音された。
スケールの大きさのなかに、熱っぽい語り口に満ちた演奏内容である。
聴き手をいやがうえにも興奮させる演奏だ。
決して華やかすぎず、かといって朴訥一方の演奏でもなく、ウィーン・フィルの美質を生かした洗練味、彼の大きなセールス・ポイントであろう。
中庸の表現で人を説得するというのは、実に凡手ではないことの証明であろう。
ヤナーチェクの音楽に深く傾倒していたマッケラスならではの、作品への強い共感に支えられたような演奏といえよう。
ウィーン・フィルの好演も特筆され、その底力のある表現力が過不足なく生かされている。
特に金管と弦のメロウなブレンディングはウィーン・フィルならではの美しさである。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月16日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ワルターは周知のようにマーラーの愛弟子にして友人で、《大地の歌》と交響曲第9番はマーラーの死後ワルターの手によって初演された。
その2曲をワルターはすでに第2次世界大戦前に、まだマーラー時代の面影が残しているウィーン・フィルと録音している。
2曲とも、まだ壮年期の活力を残していた激しい表情や動態脈が晩年の演奏のとは一線を画する。
《大地の歌》も、音質の点では戦後のウィーン・フィルとのモノラルやニューヨーク・フィルとのステレオ録音が遥かに優れているが、演奏がはらむどこか切羽詰まった情動や、刹那にかけるかのような耽美的な表情はこの演奏ならではだ。
旧盤はSP盤の復刻だが、ウィーン・フィルの退廃的な美が最大の魅力だ。
戦後のウィーン・フィルが別の団体と思えるほどである。
第1楽章の今にも崩れそうなヴァイオリン・ソロがすべてを語っている。
トルボルクは、マーラーを得意としており、シューリヒトのコンセルトヘボウ管とのライヴでも名唱を聴かせてくれている。
ひとつの時代のマーラー演奏の貴重な記録。
暗黒時代はそこまで迫っていた。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月15日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
シノーポリ初のR.シュトラウス/オペラ録音である。
1970年代後半のカラヤン盤以降は久しく新録音がなかったが、最近になってメータ盤、シノーポリ盤、ナガノ盤と、急に興味深い録音が3点現れた。
このうちナガノ盤は演奏としては注目すべきだが、フランス語の別ヴァージョンに拠っているため同列には論じられない。
シノーポリ盤は、緻密なスコアの読みと、そこから生まれる巨大な音楽的把握、さらにそれを具現する強烈な指揮者の表現意欲が横溢する演奏である。
込み入ったスコアの細部まで明確にしてゆくシノーポリの指揮は、先へ進むほど曲への内面への切り込みの鋭さを加え、ドラマの移ろいをヴィヴィッドに描き出す。
管弦楽の響き、サロメ歌手の選択に彼らしい問題意識がのぞく。
スデューダーのサロメは最初に愛らしい娘で登場し、大詰めで鬼気迫る絶唱を聴かせるまでの性格の変化の表し方が実に鮮やかだ。
彼女の歌唱ともども、カラヤン盤よりも、時代の流れをもう一歩進めた演奏と言えよう。
ターフェルは素質の大きさをうかがわせる歌唱だし、ヒースターマン、リザネク、ビーバーも好演している。
ただ、アール・ヌーボー風の繊細な《サロメ》を目指しているのは面白いのだが、音楽的完成という点でいささか問題意識倒れの感がある。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月14日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
小澤征爾の数多い録音の中でも最高傑作と評価したい、まさに圧倒的名演。
バーンスタインの濃厚と正反対の涼しいマーラーだが、小澤のベストCDに数えられる美演である。
彼はここで従来の日本的繊細さに加えて、凄絶な力感と確信に満ちた線の太さを獲得している。
テンポは速く、すっきりとした直線で豊かさよりは強い骨格を優先、色づけなしに進めてゆく。
複雑な楽器法や楽想が整理しつくされ、透明感を増し、別の曲のように新鮮に響く。音楽の純粋な美しさが裸でわかる。とにかく初めて耳にするような新しい音楽美が連続するのである。
少しも荒れ狂わない、重苦しくないマーラーがここに出現。しかも生々しい迫力は充分で、一気呵成の進行が爽快だ。
冒頭から実に精緻な表情と堅固な設計でまとめあげられており、音楽がきりりと引き締められている。
あらゆる音が有機的に生かされ、フレージングやアーティキュレーション、ディナーミクの効果も全く隙がない。
第3楽章などはメリハリが抜群で、全盛期のトスカニーニを聴いているようだ。うるさくなく、粗くなく、楽しさいっぱいである。
そして最後の第5楽章に入ると、小澤はフル編成のオーケストラと声楽陣を巧みにコントロールし、決して力まずに各パートを意味深く鳴らし、主観を加えずに音自体に語らせてゆく。
これほど完成された演奏はかつてなかったと思えるほどだ。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月12日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ハイティンクほど"大器晩成"を如実に示した音楽家は数多いとはいえまい。
そしてそれは、彼が生まれながらに共感を抱いており、何らかの結びつきを感じていたと言い、1972年までには、第0番を含む交響曲全集の最初の録音を終わって、さらに重ねられているブルックナーの演奏にも、自ずから明らかにされている。
もちろん、その間に顔合わせしてきたオーケストラも多様なものとなっており、ここでの《ロマンティック》交響曲は、ウィーン・フィルとともに1985年に録音されている。
この結びつきは、1997年の来日の際に驚くべき充実ぶりを示していたが、このブルックナーの第4番の時点でも、好ましい音楽的な交歓を見せている。
20年前のロイヤル・コンセルトヘボウ盤より内容的にはるかに成熟したものがあり、巧まずして見事な構成感と悠然たる音楽の流れを手中にしている。
"ロマンティック"の名にふさわしい素朴さと艶やかさが共存しているのもよい。
オーケストラが単にウィーン・フィルに変わったというだけでなく、旧録音と比較してハイティンクの表現は比較にならないほど充実している。
武骨で素朴な面もあるが、その全てがブルックナーにふさわしく、地味ながら大道を歩む演奏と考えられる。
しかも演奏のダイナミックが大幅に広いため、冒頭のpppを再生するには部屋の相当な静寂が必要だ。
なお、使用スコアはいわゆるノヴァーク版と同じだ。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月11日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
シューマンの作品は、どのような分野のものであれ、病的な部分というか、影のような部分をかかえ込んでしまっているケースが少なくない。
だが、ポリーニのアプローチはそのようないわば負の部分にはあまり拘泥することなく、ピアノの音自体の強靭な存在感でもって、ほとんど直線的になされていく。
それでいて、出来上がった演奏は多面的な魅力を帯び、シューマンの《交響的練習曲》の本質を鮮やかに掬いあげているところに、ポリーニの凄さがあるといえよう。
シャープで躍動感に満ちた魅力があり、もちろん細部まで克明に彫琢されているが、ラテン的で明るい歌謡性もが光っている。
ポリーニは5曲の変奏曲を第5曲と第6曲の間に纏めて組み込んで、ダイナミックかつブリリアント、壮大この上ない建造物を作り上げている。
《アラベスク》もさすがにポリーニはうまい。
響きをたっぷりととって、感傷に溺れないで健康的な明快な音楽に仕上げる。
ちょっと澄ました軽やかさで、音楽の襞を明晰に追って、あっさりともたれないところがいい。
ポリーニの、清澄にしてきらめきのある音質を生かした演奏は、端正ななかにも、華やかな輝きをもっている。
そして、なめらかな躍動感も、その演奏に生き生きとした流動感を与えており、全体として快い流れでまとめられている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月10日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
マゼールとウィーン・フィルによる全集の完成セット。
ウィーン・フィル時代のマゼールのひとつの頂点を築いた演奏といっていい。
ウィーン・フィルの素晴らしさを存分に堪能できるアルバムで、このコンビの充実ぶりを物語る最良の演奏である。
演奏は知的かつ入念・率直で、作品によっては構成の強靭さが印象に残る。
マゼールは、いつもながら細部にわたって十全の目配りで捉え、いささかの隙もみられない。
多様多彩な変化を、がっちりと押さえていく構成力、造形力はマゼールの最も得意とするところ。
変化に富んだテンポの揺れが、心理的に衝撃を与えたり、微妙な刺激を与えたりする。
その過半数はスコアに記されていないような変動だが、マゼールの手にかかると作曲者自らがそう考えて発想されたように聴こえるから不思議だ。
マゼールとしては、珍しいほど感傷的な音楽を作っている。
いささか人工臭もあるが、それはマーラーの本質にも関係していることである。
グロテスクになることを避け、ほどほどの表現強調で止めている演奏が多い今日、マゼールのアプローチは大胆を極め、グロテスクの中から、マーラーの人間性を、ある種の世紀末的デフォルメを含めつつ、明確に表現している。
刺激的な全集、これでマーラーへの関心がいっそうそそられる感じだ。
ショルティなどとは対極的な解釈といえる。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月09日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
リストは、オーケストラ曲やピアノ曲などのジャンルで華麗な色彩感にあふれる作品を多く書いているが、歌曲の分野でも、抒情的で、多彩な情感にみちた、魅力ある作品を残している。
これは、フィッシャー=ディースカウの2度目のリスト歌曲集で、リストの最も完備した歌曲集である。
3枚のCDにはリストが書き残した70曲余りの歌曲の中から44曲が収められている。
ここでのF=ディースカウの声にはやや年齢的な陰りが感じられるが、表現力の幅は増大しており、甘美な旋律による抒情的な歌も、劇的な内容に彩られたバラードも、深い思考を宿した歌も、すべて万全に表現されている。
《3人のジプシー》《ペトラルカの3つのソネット》などでは以前よりも表現が大胆で、スケールが大きくなっているように思う。
バレンボイムも美しい音色と雄弁な弾きぶりで、リストが書き残したピアノ・パートを伸びやかに生かしており、リストの歌曲の素晴らしさを改めて実感する。
リストの最も甘美な抒情的世界をストレートに表出したF=ディースカウのこまやかな表情を、バレンボイムが何と巧妙に迫っていることだろう。
ここにはこけおどしの絢爛たるピアニズムもなければ、意表を衝く前衛的和声進行も見られない。
バレンボイムの名演中の名演を得て、ここでF=ディースカウが理想的な歌唱を聴かせている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月08日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ストコフスキーは「シェエラザード」を全部で5回録音したが、最も彼らしい主張が生かされたのは、ロンドン響とのこの演奏といっていい。
ストコフスキーが大変得意としていた曲だけあって、さすがにうまいものだ。
全体にテンポを遅めにとり、旋律をたっぷりと歌わせながら、この曲の持つ東洋的な雰囲気を巧みに表出している。
彼一流の粘りの強い表現が少々気になるが、聴かせどころのツボをよく押さえた実に達者な演奏だ。
ストコフスキーはスコアを自由自在に改竄し、独特のアクの強い表情を付け加え、実にドラマティックに曲を盛り上げている。
まったくのストコ節ともいえる独特の表現だが、面白く聴けることに関してはこれに優る演奏はちょっと想像することができない。
またロンドン・レーベルご自慢の「フェイズ・4」システムを駆使して、ソロ楽器を思い切りクローズ・アップして、トロンボーンが右チャンネルから堂々と聴こえたりして、トリックの用い方も堂に入っている。
あまりにも仕掛けが多く、品格を欠いているようにも感じられるが、曲そのものがスペクタキュラーなのだから、ストコフスキーの行き方も是認されよう。
ただストコフスキーにはもう1枚、ロイヤル・フィルを指揮したCDもあったが、こちらは4つの楽章を切れ目なく繋げただけで、演奏そのものはあまり面白くない。
「スペイン奇想曲」は大仕掛けが至る所に見られ、名人芸に事欠かないが、全体にかなりもたれ、響きの汚れが気にかかる。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月07日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
1954年ザルツブルグ音楽祭公演のライヴDVD。
これは、劇的で変化に富んだこの作品の性格を見事にとらえた卓抜な演奏で、フルトヴェングラーならではの悠容迫らぬ芸格の高い表現には、心を打たれる。
ロマン的で、しかもデモーニッシュな素晴らしい「ドン・ジョヴァンニ」だ。
低弦に支えられたコードの厚みと、心臓をえぐるようなタッチの重みなどは、フルトヴェングラー・ファンならずとも、すぐそれとわかるような性質のものだ。
テンポは概して遅めだが、そのことが音のひとつひとつに実質と表情を与えることにつながっている。
このオペラのある部分は、象徴劇や表現派演劇の世界に近づいているが、18世紀のこれ以外のオペラとこの傑作とを隔てるそうした鬼気迫る深い淵を誰よりも実感させるのがフルトヴェングラーの指揮だ。
作品のオペラ・ブッファ的側面を切り捨てて、シーリアスなドラマの追究に徹したロマン派解釈の名演である。
歌手達もそれぞれ強い個性と大きな音楽性の持ち主で、彫りの深い配役だ。
戦後最高のドン・ジョヴァンニとうたわれたシエピのタイトル・ロール、愛と憎しみの狭間に揺れるエルヴィーラを歌わせてはこれまた戦後その右に出る歌手を知らないシュヴァルツコップ、それにグリュンマーのドンナ・アンナ、ベルガーのツェルリーナ、エーデルマンのレポレロと顔を揃えた歌の充実ぶりも、他の録音の追随を許さない。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月06日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
オイストラフがアメリカに行ったときの録音で、伴奏指揮の名人といわれたオーマンディをバックにしている。
このオーマンディのバックが、オイストラフのヴァイオリンを高々と持ち上げることに成功している。
オイストラフは、華麗で甘美なメンデルスゾーンを、表情豊かにロマンティックな香りをあふれさせ、万全に表現している。
とくに私が感心するのは第2楽章である。この緩徐楽章を、これほど豊かな表情で演奏した例というのは珍しい。
オイストラフは、真面目だが奔放なところもあり、その奔放さは第3楽章を聴くとよくわかる。
第1楽章のあの憂愁を帯びた甘美優雅な主題は、オイストラフならではの見事さである。
チャイコフスキーはオイストラフが最も脂の乗っていたころの録音だけあって、たいへん彫りが深く、密度の濃い演奏である。
技術的にも音楽的にも完成度が高い。
そのスケールの大きさとロシア的な情感を色濃く表出した骨太の表現に惹きつけられる。
オイストラフは、体の大きな逞しい人であった。そして、ヴァイオリンをまるでおもちゃのように扱いながら、完全無欠な演奏を行なった。
そのエネルギーと迫力と豊かな抒情性は、オイストラフならではのもので、第2楽章カンツォネッタなど、あくまでもロシアの歌を聴くような思いがする。
オーマンディのバックは、この曲のもつ哀愁と華麗さとを、見事に表出していて素晴らしい。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月05日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
スメタナ四重奏団5度目の《アメリカ》が素晴らしい。
彼らの演奏の中でもひときわ精彩にあふれた名演で、技巧的な面でも信じられないほどの充実ぶりだ。
しかし、この演奏で感動を受けるのは、そういう技巧の若返りもさることながら、表現が曲の隅々まで掘り下げられ、また練り上げられ、どの部分を取ってもこれ以外にやりようがないと思えるほどの説得力を発揮していることだ。
どの音もどの表情も、メンバーの血となり、肉となっている。
スメタナ四重奏団は、その長い歴史のなかで恐らくはほとんどすべての弦楽四重奏曲のレパートリーを取り上げ切ったのではないだろうか。
そう思えるほど古典派からロマン派にかけての主要な弦楽四重奏曲作品の演奏を思い出すことができる。
数度にわたったベートーヴェン全集録音の偉業も忘れられないが、彼らが最も得意としたのが同郷の作曲家スメタナとドヴォルザーク作品であったことも確かだ。
聴いていて絶対的信頼感が持てること、そして、いわゆる民族主義的特性をもつドヴォルザークの音楽語法を母国の誇りとし、自らの血と肉としている強み、というか自信が演奏に表われている。
《アメリカ》は確かにボヘミアではない。しかし、新大陸から祖国を思う作曲家の心情に共感しているスメタナ四重奏団の気持ちが演奏を聴いていて伝わってくるようだ。
冒頭楽章の軽快さと律動感、緩徐楽章を支配する哀愁、第3,4楽章のリズムの躍動と旋律の彫琢などが聴きどころだ。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月04日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
作品にみられるギャラントなスタイルを生かし、4つの楽器の対比と統一が的確なパースペクティヴをもって演奏を形成しているものの中でも、有田正広らの演奏は、音楽性の豊かさ、こぼれおちるような音色の美しさ等によって、われわれの共通の、そして永遠の財産と言っても過言ではなかろう。
演奏は極めて室内楽的性格が強く、各楽器の響きが美しい融和を見せている。
それは溶け合ってひとつの響きの世界を築くというよりも、むしろ正反対に各楽器の音色が完全に個性を主張しながら他声部と対等に渡り合い、綾をなすテクスチャーの絡みを前面に押し出す。
それでいてアンサンブルの呼吸が見事なのだから非の打ち所がない。
溶け合った響きの中からソロのパッセージが浮きあがってくる瞬間、楽器が絡み合うさま、馥郁とした香りなど、この演奏が与えてくれる幸福感にみちた体験は、言葉に尽くせないほどだ。
古楽器使用か、現代の金管によるものか、といった二者択一的発想を超越する魅力に満ちている。
CDは実演の感動に及ばないものの、その息遣いの自然さ、音色の変化の美しさを充分に伝えている。
精緻に彫琢されたモーツァルトである。
ちなみに、ボッケリーニSQは18世紀オーケストラのメンバーからなる。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月02日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
「第8」は、溌剌とした気概にみちた好演。
もちろん民族的な色彩に頼った演奏ではなく、この曲をロマン派の交響曲として扱っており、響きの柔らかい感触と温雅な抒情性はワルターの芸術的特質をよく表している。
メリハリも強く、爽快な流動感が曲趣にふさわしい。
「新世界より」は、数あるこの曲のレコードでも強い主張をもった演奏。
なんと音のしっとりと安定した演奏であろう。
フレーズとフレーズのつなぎが細やかなニュアンスをもっている。
第1楽章の冒頭から悠久なものを感じさせ、そこに情緒がひたひたと押しよせてくる。
決して、たたみかけてくるような鋭いアクセントや速いテンポはないが、雄大に、落ち着いて諄々と説くように曲を運んでいる。
やはりワルターは19世紀の雰囲気を身につけている。
気力が素晴らしく充実しており、音も引き締まっているが、響きは決して硬くならず、適度のふくらみと歌と人間的なぬくもりが魅力的だ。
4つの楽章が端麗なのもよいが、随所に感興が高揚しており、その抒情性はなんとも美しい。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年11月01日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
トスカニーニ盤は、音質こそは古さを感じさせるが、その内容のみに目を向ければ、やはり最も理想に近い演奏と考えてよいだろう。
そこでは、楽曲の把握や演奏設計がほとんど完全なだけでなく、そのレアリザシオンもがほとんど完全で、さらにみずみずしいカンティレーナの魅力にも充ち溢れており、三拍子そろった名演を味わうことができる。
交響曲では一点の曖昧さも残さない、いわば裸身のチャイコフスキーだ。
徹底した明るさへの志向が、トスカニーニ独自のコクのある歌と相まってリアリスティックな表現を作っているが、第1楽章では期せずしてそこに堂々とした風格が示されている。
抒情的要素をかなぐりすて、粗野なほどに逞しいダイナミズムを生かし、かつ簡潔に曲の雄大な主旨をえぐり出した音楽的な「マンフレッド交響曲」である。
そして、この演奏ほどトスカニーニの形式主義者の特徴を発揮した例は少ない。
それは第1楽章にもよく表われているが、終楽章の構成的解釈にいっそうはっきり出ている。
整然たる楽式の感覚から割り出した純音楽的な演奏だ。
「ロメオとジュリエット」もトスカニーニ風で、端正に造形されており、劇性と抒情性の両者を満足させた演奏だ。
演奏はやや緊張感に乏しい雰囲気で始まるが、曲が進むにつれて素晴らしい高揚感を示してくる。
録音状態も優れており、NBC交響楽団の卓越した演奏を聴くことができる。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。