2010年01月

2010年01月31日


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ウィーン時代のアバドの、最大の業績のひとつがこの《フィガロ》だろう。ウィーン・フィルはさっそうと走らせるアバドの指揮に、喜々として従いながらも、その優美な演奏を失わず、これはアバドの《フィガロ》であるとともに、ウィーン的な《フィガロ》ともなり得ている。

クレンペラー、ベーム、ジュリーニ、カラヤンと数々の名盤が作られてきたが、1994年アバドの指揮のもとウィーンで収録された演奏は、《フィガロの結婚》というオペラだけが持つ知的香りと朗らかな人間劇としての楽しさを絶妙なバランスでブレンド、現代に生きる古典の素晴らしさを堪能させてくれる。

生き生きとした表情を一瞬たりとも失わない。《フィガロの結婚》は、もともと活発で生き生きしたオペラに決まっている。それでも、ここまで躍動感あふれる演奏はほかにない。

適材適所の配役も素晴らしい。

威厳だけでなく優しさも弱さも持つ伯爵を歌うスコウフス、そこはかとない感情移入が素晴らしいステューダーの伯爵夫人、生き生きとして一番元気なマクネアーのスザンナ、愛すべき人間性を披露したガッロのフィガロ、そして天衣無縫の若いツバメを演じて爽快なバルトリのケルビーノなど、一人一人が生きた存在感をもって役割を演じ、歌いきっている。

アバドが節度をもって全曲をふくらみ続ける蕾のように再現した点も見事だし、ウィーン・フィルのふくよかさも美しさに花を添えている。

耳だけの音楽ながら、演奏が優れているからであろう、視覚を刺激されるような感銘があり、全曲を聴き終えたとき、舞台を見終わった感銘すら覚えてしまう。

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2010年01月30日


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細部までコントロールされた切れ味の鋭いR.シュトラウスである。

このスタイルが最も成功したのが「死と変容」で、ここではひとつひとつの音への追求が凄まじく、それが曲想とマッチしているため、すさまじい緊迫感を生み出している。

「ドン・キホーテ」は、この曲の代表的名盤。

明快率直、まさに青竹をすっぱりと割ったような表現である。

しかし、単に外面的な効果をねらったものではなく、楽譜の読みは実に鋭く、深い。

セルのアプローチは、全体が的確に見極められており、どこか一ヶ所だけが突出してしまうようなことなく、バランスがよい。

施された表情は、いずれもよく吟味されており、過不足なく多彩で、洗練されている。

クリーヴランド管弦楽団のすぐれた能力をフルに発揮させながら、各変奏を隙なく描きあげていく手腕は、実に見事だ。

各変奏の変化のつけ方も節度があり、ともすれば演出過剰になりがちな各変奏(特に第1,7変奏)をキリリと引き締めながら、ドン・キホーテの愉快なエピソードを巧みに描いている。

チェロ独奏にフルニエを起用したのも成功であり、傑出した演奏を聴かせる。

フルニエのチェロは実に巧く、垢ぬけしており、全体のなかに無理なく溶け込んでいる。

これはいかにもセルらしい、そして作曲家の弟子でもあった指揮者らしい精妙な演奏である。

「ティル」も同様で、明快な棒さばきできびきび運んでいく。

オーケストラのバランスがよく、ソロもうまい。オーケストラの力量にも舌を巻く。

もう少し遊びや余裕がほしいと思うのは無い物ねだりだろう。

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2010年01月29日


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ジェシー・ノーマンの初のR.シュトラウス/歌曲集。

「4つの最後の歌」はこれまで様々な演奏が録音されてきたが、これはかつてのシュヴァルツコップ盤に匹敵するか、それを超えた名唱である。

ノーマンの豊かな表現力が、ここでも最高に発揮されており、なめらかで、ひときわ美しい声は、シュトラウスの甘美な歌曲にたいへんふさわしい。

ノーマンの豊麗な声は、自分の作品に、美しい声を望んだこの作曲家の思いを十分に果たすものだ。

ノーマンの歌唱はオーケストラ全体をも包み込んでしまうほどの包容力をもっている。

そのスケールの大きさは聴く人の心をすっぽり包みこみ、また歌心の豊かさも比類がない。

その歌いまわしの絶妙なうまさにも圧倒されてしまう。

これほど作品の内面に深く迫った表現というのも少ない。

ノーマンはここで作品の"いのち"を読み取っている。

R.シュトラウスの人生の終わりにあって、これまでの歩んできた道を回想する4つの歌をこのようにさり気なく、深い感情と共感をもって歌い上げられるのは信じ難いくらいである。

マズア指揮のゲヴァントハウス管弦楽団も重心の低いたっぷりとした響きをもち、両者で熟した音楽としているが、詩の世界までをもサウンドや音の色に集約してしまった感がなくもない。

とはいえ、オーケストラの艶やかな響きは、彼女の声の味わいをいっそう深めている。

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2010年01月28日


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モーツァルトの宝石箱だ。ため息の止まらない美しい演奏だ。

目隠しをして聴いたら、誰もがウィーン・フィルの音と思ってしまうだろう。典雅なこと極まりない。

何をもって典雅かというと、弦のアタックの柔らかさである。

いつ音が出始めたのか分からないような柔和なアタックなのだけれど、そこに子音らしきものは厳然としてある。

こうしたウィーン訛りを、ウィーン子であるクリップスが、コンセルトヘボウ管弦楽団に伝授しているのである。

「ジュピター」のフィナーレは、ソナタ形式の中に対位法が駆使されている楽章なので、こんな柔和な音楽では演奏の骨組みが弱くなるのでは、と心配していたが、まったくの杞憂に終わった。

ホルンのアクセントや、おどけたファゴットが味わい深く、まるで桃源郷に迷い込んだような美の世界だったのである。

どこをとっても最高の音楽、最高の教養がこのセットには溢れている。

このセットを座右に置き、すべてのフレーズのイントネーションを調べたり、どんなニュアンスのアクセントが置かれるのかを感じたり、主旋律と対旋律のバランスはどうか、適切なテンポとは何か、緩徐楽章とメヌエットのリズム感覚の違いは、等々を研究するだけで、4年間音楽大学に通う以上の知識が得られるに違いない。

しかし、そんなことを一切考えず、ただただ美しいモーツァルトの音楽に浸ることは、いっそう幸福なことだろう。

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2010年01月27日


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「ロッシーニ序曲集」(4曲)と「スッペ序曲集」(5曲)の2枚のレコードから9曲を選び、CD化したもので、演奏・選曲ともに良く、大変楽しいアルバムだ。

カラヤンはポピュラーな名曲、通俗小品にも決して手を抜くことなく、オーケストラの技量や機能を総動員して、緻密から壮大までその魅力を最大限に発揮した演奏を行った。

そのお陰でどれほど多くの人がクラシック音楽のファンになったことだろう!

カラヤンの演奏は、いずれの曲の場合も実に見事で、すこぶる卓抜な棒さばきで、入念に仕上げている。

旋律の歌わせ方や間の取り方の巧さは、まさにこの人ならではのものだ。

ロッシーニは、総じていくぶん腰の重い感じはするものの、4曲ともカラヤンの卓出した棒さばきの光る名演で、序奏部と主部との表情の変化をくっきりと浮き彫りにするあたりの巧さは格別だ。

ことに「ウィリアム・テル」序曲は素晴らしく、チェロの五重奏で始まる「夜明け」の静の部分の平和な表情にあふれた描写から、最後の活気に満ちた表現まで、その演出の巧みさには息をのむ思いがする。

スッペの方も力の入った演奏で、「軽騎兵」の冒頭のトランペットのファンファーレの勢いのよさ、ハンガリーの民族舞曲の深い思い入れ、軽快なギャロップなどに、カラヤンに指揮された時にだけベルリン・フィルが聴かせる「これでもか!」といった気迫と美が結晶している。

「美しきガラテア」「詩人と農夫」などすべてが個別の魅力を発散している。

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2010年01月26日


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フィルハーモニア管弦楽団は周知のように名プロデューサー、ウォルター・レッグがレコード録音用につくったオーケストラで、ベルリン・フィルの常任となってドイツ・グラモフォンに完全専属となる前のカラヤン、そして晩年のクレンペラーと数多くの名演をレコードに残してきた。

ムーティやシノーポリとフィルハーモニアというのはその後の話。創立当初から1960年代いっぱいぐらいまで、フィルハーモニアと言えばなんといってもカラヤン、そしてクレンペラーだった。

ただむろん、その時代のフィルハーモニアはこの2人とだけ活動していたわけではない。

この2人の盛名に隠れたかたちになっているが、アッカーマン、ガリエラ、マタチッチといった職人的名指揮者たちとの素晴らしいレコーディングも残している。

とくにフィルハーモニア管の訓練や形成にとってのガリエラの功績は重要で、ガリエラ指揮による隠れた名盤も多いが、ここではマタチッチとのブルックナーの4番を取り上げる。

マタチッチは晩年ブルックナー指揮者として高い評価を得、とくにわが国では最高のブルックナー指揮者として神のように崇拝する向きもあったが、どういうわけかこの録音に言及されることはほとんどなかった。

たしかに後年の巨大なスケールこそないが、職人的な腕でオーケストラを実に堅実に鳴らした立派な演奏である。

細部にこだわらず、自然な呼吸で雄大な音楽をつくりあげる晩年のマタチッチのブルックナーも、こうしたプロフェッショナルな腕前の上に築かれていったものなのだ。

マタチッチのブルックナーの原点を確認するレコードと言える。

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2010年01月25日


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これまでレコードを通してバーンスタインの演奏に接してきたが、晩年の録音に聴く演奏はどれもマーラー演奏に代表されるように重々しく、極端に拡大された表現と、独特の宗教観のようなものが目立った。

ヨーロッパに移ってからのバーンスタインの録音で本当に楽しめたのは声楽入りの自作曲が多かった。

「キャンディード」は、若い頃のバーンスタインが実験的な要素を取り入れて書いた意欲作だが、ここでは改訂版を使い、「ウェストサイドストーリー」と同様に有名なオペラ歌手を含むオールスターキャストで録音されている。

今までに出ていたオリジナルキャスト録音の、軽いタッチでよくまとまった演奏もそれなりに楽しめるが、バーンスタインの圧倒的な演奏は、この曲がミュージカルの枠を越えた特異な作品であることを鮮明に示し、多様な表現を含んだ曲の可能性が極限まで引き出されている。

このようにバーンスタインの曲は結局彼が自分で指揮して初めてその全容が姿を現すことがよくあるが、特にイタリアオペラを思わせる大げさで古風な歌が途中から、序曲に出て来る軽快なリズムのメロディーに変わる時のスリリングな感覚はバーンスタインの表現の特徴的な一面だ。

彼は古い様式の殻に隔てられた本質的なものが、実はそれほど遠く離れた理解し難い感覚や感情に基づくものではないことを、現代の我々に伝えようと努力した音楽家だ。

そうした彼の姿勢がよく表れている演奏はニューヨークフィル時代の録音に数多くあり、それは今聴くと一層強く感じられる。

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2010年01月24日


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私見を述べさせてもらうと、ウェーベルンこそが、音楽の最後の開拓者である。

セリー音楽が行き詰まって久しいが、それはウェーベルンのせいでは、もちろんない。

理論的に可能性を追及していった結果、到達したモザイク様の音の列。しかもそこに存在するのは、感性でのみ拾える色彩の魔術であった。

第2次大戦後の現代音楽の騎手ブーレーズが若かりし頃、ベルクをロマン派の残滓と酷評し、ウェーベルンこそが手本たるべき作曲家だとほめちぎったのは有名な話だ。

しかし理詰めで行けば、無調を突き詰め12音技法を〈開拓〉していったウェーベルンの世界は正しいと思う。

このディスクは、そのブーレーズ2度目の「ウェーベルン全集」である。

たとえば作品1の「パッサカリア」。すでにここでは、やがて音楽の本質的形式とみなすに至った変奏曲が採用されている。

この曲は以前にも習作だが大オーケストラのための「夏の風の中で」という曲があるが、この作品1と同様に、後の彼の音楽とは思えない、重厚で華麗な後期ロマン派が存在する。

だが、それも来るべき時のためのステップであったと考えれば納得がゆく。

やがて無調に突入して有名な作品5の「弦楽四重奏曲」や作品6の「大オーケストラのための6つの小品」が続く。

しかし、愁眉は何といっても作品10の「オーケストラのための5つの小品」だろう。

ここでブーレーズは、そのアフォリズムの頂点にふさわしく、多彩な動機、音価、音色を繊細すぎるほど繊細に演奏しきっている。

というより伝統音楽とは何であったかを、悲しいまでに簡潔な点描音楽で問うているように思われる。

それはウェーベルンの願いでもあったのだが…。

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2010年01月23日


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この指揮者のアムステルダム時代の最上の記録。

1980年代に入ってからのハイティンクの充実ぶりがよく示されており、この曲が大地に根をおろしたような再現がなされている。

ハイティンクの解釈は、作曲者の自演あるいはベームやケンペの流れを汲む。

ハイティンクのケレン味のなさが良い方向に出た演奏で、流麗な抒情性があり、深い余韻が残る。

作曲者のゆかりの深いコンセルトヘボウの力量を存分に駆使して、重厚で艶やか、密度の高い響きで全曲を統一している。

いかにもハイティンクらしく、そして、このオケらしく、悠然と構えた演奏で、豊麗なあたたかみのある音色を生かしながら、各場面を巧みに活写している。

しかも各部の表情が端正で音楽的である。

テンポも中庸を保ち、無用に動かない。

それがこの曲の本質に迫るものであることは言うまでもない。

標題音楽的な効果をもつスコアを、各曲とも理解させながら、ハイティンクは全曲を堅固な統一で、交響曲としての様相を明らかにする。

決して大仰にならず、また色彩的にも華々しくもならず、自然な流れを尊んでいるのがよい。

低音楽器がやや重く、表現が時に鈍重で不明瞭になる気味はあるが、充実した演奏である。

ことに後半の音楽設計は見事で、第2部「頂上」の主題がトロンボーンで豪快にうたわれる場面から、有名な「太陽の動機」があらわれ、喜びのあまり「幻影」を見るシーンあたりのスケールの大きさは、凄いの一語に尽きる。

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2010年01月22日


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シューベルトのピアノ・ソナタは今でこそ多くのピアニストによって取り上げられているが、かつては《即興曲》や《楽興の時》の陰に隠れたような存在だった。

長大な作品が多い故にまとめにくく、敬遠されがちだったのかもしれない。

1972年にこのシューベルトの最後のソナタを録音したリヒテルは、たんに長いだけではないそのスケールの大きさ、作品としての価値の高さを、演奏で威厳をもって知らしめた。

彼はこのソナタを悠然と弾き始めるが、その演奏は決して冗長には流れない。

このピアニストの確固とした構成力、鋭い集中力、そして深い精神性をもって、引き締まった流れと程良い緊張感が最後まで確保されると共に彫りの深い音楽が形作られ、全体として重厚で深々とした味わいをかもし出すのである。

かといって終始重々しく続くというわけではなく、テンポの緩急のコントラストも鮮明に描かれる。

一方この変ロ長調のソナタは、第1楽章の第2主題が嬰ヘ短調で現われたり、第2楽章が嬰ハ短調で書かれているなど、意外かつ絶妙な転調に彩られているが、それに対するリヒテルのゆるぎない構え、調和を図る対処も、見事だと言えるだろう。

そして、彫りの深い造形と厳しい緊張の糸のなかから、シューベルトならではの歌謡的で息の長い旋律が立体的に浮かび上がってくる。

音楽的な情感も豊かで、旨みのある表現が散見されるその演奏は、感動的な余韻を残す。

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2010年01月21日


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「メタモルフォーゼン」は、第2次世界大戦末期にシュトラウスが書いた、ドイツ(特にドレスデン)やウィーンとその文化へのレクイエムである。

ベートーヴェンの《英雄》交響曲の葬送行進曲をモチーフに使い、美しくもはかない祈りとオマージュの音楽を作り出した。

弦楽器のみによる「メタモルフォーゼン」は、プレヴィンの性格のにじみ出たやや粘りの強い表現だが、それがかえって、この悲痛な音楽の内容を色濃く表出する結果となっている。

プレヴィンはウィーン・フィルの弦楽セクションを歌わせ、やや明るめの音色で曲を進めていく。

それがまた終盤の「イン・メモリアム」部分で大きなコントラストを生み出し、静かな感動を呼び起こすのだ。

それに、中間部でのせつせつとした表現は、聴いていて思わず涙ぐんでしまうほど感動的だ。

緻密なアンサンブルから生み出される、しなやかで艶のある、しかも重厚な響きはたまらない魅力だ。

シュトラウスが書いた対位法(23声部)も素晴らしいが、このCDでは流れるような旋律に酔いしれる方が先決。

ヴィオラとチェロの音色が、全体のトーンに大きな影響を与えているのも特徴だ。

現在唯一のレコードである、管楽器のみによる「病人の仕事場から」もまた魅力的な響きを具えており、ウィーン・フィル独特の音色がよく生かされた名演。

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2010年01月20日


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カラヤンは、自分の芸術的理想を実現するために1964年に創設したザルツブルグ・イースター音楽祭で、まず《ニーベルングの指環》全曲を上演したように、ワーグナーの音楽に強い愛着をもっていた。

そして《指環》全曲をはじめ、ワーグナーの主要なオペラと楽劇を録音しているほか、まとまった管弦楽曲集もこの録音のほかに、同じくベルリン・フィルとの1957年のモノーラル録音と1984年のデジタル録音、さらに1987年のザルツブルグ音楽祭におけるウィーン・フィルとのライヴ録音などがある。

ただ、それらも一聴に値する名演揃いであるが、内容的に最もすぐれているのは、カラヤンが心身ともに充実していた1970年代半ばのこの2枚のアルバムだろう。

《指環》を除く主要な管弦楽曲がほとんどそろっているし、なによりも、しなやかに強い持続力と前進力をそなえた気力充実した演奏が素晴らしい。

精緻な表現を細部まで彫り美しく徹底するとともに、《さまよえるオランダ人》序曲における金管や《ローエングリン》前奏曲の弦の精妙なアンサンブルと澄んだ響き、《トリスタンとイゾルデ》の木管の美しい音色など、名手揃いのベルリン・フィルの威力が遺憾なく発揮されている。

〈ヴェヌスベルクの音楽〉のめくるめくような官能的な表現もカラヤンならではのものだろう。

ワーグナーの音楽の壮麗さと精妙さを、ともに過不足なく満足させてくれる名演というべきである。

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classicalmusic at 18:30コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーカラヤン 

2010年01月19日


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酒、女、歌など、中世人の喜怒哀楽を歌っている。簡潔にして雄弁、これぞ作曲家一世一代の天才的な作品だ。

この曲については、一部愛好家の間で、ヘルベルト・ケーゲル指揮(2種類あるが、1960年録音のほう)の演奏が珍重されてきた。

確かに珍重に値する演奏である。

異常な興奮状態で白熱の限りをつくし、まともな精神状態とは思えないほどだ。

普通の演奏家のレッドゾーンをとっくに振りきっている。

ことに「芝生の上で」の諸曲はまさに眼前に中世人の祝祭が見せられるがごとく溌剌としている。

熱狂、滑稽、泥臭さというかイモっぽさ、生々しい欲望……それらが絶妙に配合されている。

演奏者の血が騒いでいるのがはっきりわかるし、子供ならこれに合わせて踊り出すこと間違いなしだ。

歌手が決して超一流でないところも味わい深い。その辺のお兄ちゃんが声をからして大熱演のNHKののど自慢的品のなさが、曲にピッタリ。

しかも、そのような生の歓喜をさんざん謳歌したあとに、思いがけず、あの冒頭の「運命の女神よ」が不気味な恐ろしさで回帰してくる。

いくら楽しくても、運命の采配に対して人間は無力なのだと改めて確認される、その戦慄。

スバリ、ここがこの曲のキモであり、チャイコフスキーやマーラーと共通するところなのだ。

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classicalmusic at 18:40コメント(0)トラックバック(0)オルフケーゲル 

2010年01月18日


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この交響曲は社会主義的リアリズムの曲として喧伝されたが、マーラー(第2楽章のスケルツォ)、ストラヴィンスキー(第3楽章のコラール)といった作曲家の影響がはっきり窺え、彼らの延長線上にある作品として位置づけるのが正しいであろう。

そうした解釈を明確に打ち出しているのが、アンチェルで、例えば、第4楽章冒頭で弦やオーボエにアクセントをつけることによって、「ヴォツェック」の幻影が聴き手にはっきりわかるような演奏をしているのである。

さすが、アロイス・ハーバのもとで微分音の作曲を学び、シェルヘンの弟子を務めただけある。

アンチェルの新即物主義的な指揮がこの作品にフォルムを与え、潤いのあるチェコ・フィルのアンサンブルが生彩を放っている。

作品の劇性を誇大に強調することのない純音楽的な表現だが、歌うべき部分は豊かな感興をもって表現され、いささかも皮相な印象を与えないのは見事というほかはない。

それはアンチェルが誠実に作品に対し、その内奥にひそむものを把握しているからだろう。

新古典主義的な様式が録音の頃の"時代"を示しているが、作品の原像を再現したといえる好演である。

この「レニングラード」は、1957年の録音であるから、チェコ・フィルが完全にアンチェルの楽器として機能していた黄金時代の記録ということになる。

後年のチェコ・フィルと比較しても、弦の厚みといい、アンサンブルの精度といい、オーケストラの実力は、断然上であることが分かるだろう。

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classicalmusic at 18:43コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチ 

2010年01月17日


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実に半世紀近くもフィラデルフィア管弦楽団に君臨したオーマンディが聴かせる模範的名演。

いかにもオーマンディらしい少しのけれん味もない正攻法の表現で、あくまでもフィラデルフィア管弦楽団の豊麗な音の美しさを前面に押し出しながら、精巧な仕上げをしている。

傑出したアンサンブル、明るく輝かしい音色、各奏者のほれぼれとするばかりの名人芸を駆使して繰り広げられる音のパノラマであり、鳴り響くサウンドそのものが聴き手をうっとりとさせる魅力をもっている。

まさにフィラデルフィア・サウンド、オーマンディ・サウンドの極意を堪能させる名演であり、演奏のはしばしからこのコンビが謳歌した名声のほどが実感される。

しかも円熟期のオーマンディは作品を劇的起伏と明快な表情付けで再現する天才でもあり、各曲いずれも溌剌として若々しく、これほど全体を面白く聴かせてくれる演奏も珍しい。

特に「火星」「木星」「天王星」などは明快かつ華麗にまとめられており、フィラデルフィア・サウンドの輝かしい魅力が存分に発揮されている。

このコンビのホルスト《惑星》は確かこれが唯一の録音(SP録音があるとも言われるが未確認)で一回きりで終わっている。

完全満足の成果と言っても間違いではないだろう。

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classicalmusic at 18:15コメント(0)トラックバック(0)ホルスト 

2010年01月16日


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1937年4月28日のプラハのスロヴァンスキ・ホールでの録音。

最充実期のカザルスの名演だ。

当時カザルスはカタロニア政府の芸術大臣をつとめており、チェコ・フィルとこのドヴォルザークの協奏曲を演奏するためにチェコを訪れたのだった。

その大成功を収めた演奏会の直後に、ジョージ・セルの指揮以下、同じ顔ぶれで録音されたのがこの演奏である。

音質は決してよいとはいえないが、カザルスの気迫と至芸が手にとるように伝わってくるし、セルとチェコ・フィルの無類の精彩もうかがうことができる。

ここにはドヴォルザークのチェロ協奏曲の今日まで続く、将来の展開となる精神が一杯に漲った演奏が聴かれる。

カザルスのチェロは万感の思いを込めて力強く深く歌われ、聴く者の共感と感動を誘う。

第2楽章の感銘度など、現今の諸演奏からは決して味わえない、スケールの大きいリリシズムに支えられている。

そのチェロの音はあくまで明るく健康的で、音楽の細部にまでグイグイと入り込んで、その真髄を素晴らしい魅力をもって伝える。

ブルッフ「コル・ニドライ」の奥深さも、音質の悪さを越えて、忘れ難い名演といえよう。

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classicalmusic at 18:08コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークカザルス 

2010年01月15日


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フリッチャイ・エディションがひととおり揃い、さらに最近発売された練習風景のDVDのおかげで、この指揮者の株が徐々に上がりつつある。

もちろん、全部が全部折り紙つきの名演ではないけれど、出色物はいくつもあって、その中のひとつがこれだ。

3曲ともフリッチャイの優れた音楽性と強靭な統率力を遺憾なく表した演奏。

特に《新世界より》は歌うべき部分をたっぷりと歌わせた好演。

このように自在に表情を作っているのは、フリッチャイとしては珍しいともいえる。

これはかつてフルトヴェングラーのような演奏(以前フルトヴェングラーの《新世界》として発売された演奏は別人のものと判明)として評判になったが、確かにフルトヴェングラーが振ったらさぞやと思われるほど濃厚なロマン溢れる演奏である。

録音も驚くほど鮮明であるし、それ以上に当時のベルリン・フィルの音色の何と素晴らしいことか。

なお、フリッチャイはモノーラルでも《新世界》を録音している。

「モルダウ」は音楽の内奥から美しい詩情が湧き出してくるような表現だ。

「前奏曲」ではフリッチャイ独特のさわやかな抒情性を感じさせる。

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2010年01月14日


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フリッチャイ盤はいくぶん録音は古くなったが、モダン楽器による代表盤として、やはり忘れ難い名演である。

1957年から白血病に苦しめられるようになったフリッチャイの音楽は、その後大きな変貌をとげることになる。

1959年に録音されたこのモーツァルトのミサ曲には、まだそうした最晩年のフリッチャイの演奏がもつ自在なスケールは少ないが、真摯に厳しく研ぎ澄まされた表現によって、この未完の大作をキリリと引き締まった造形力をもって彫りなし、その魅力と威容をくっきりと明らかにしている。

フリッチャイは余分な思い入れのないモーツァルトそのものの音の中から、鋭い直観力をもって音楽を構築している。

真摯にしていかにもセンシティヴな表現が大変に美しく、モーツァルトの音楽を深く愛したフリッチャイの作品への傾倒を静かに強い感動をもって伝えずにはいないだろう。

歌手陣もそうしたフリッチャイの志の高い表現に見事に応えており、シュターダーの清澄な歌唱、テッパーの香気あふれるフレージングの豊かさ、ヘフリガーの妥協のない音楽づくりなど、いずれも素晴らしい。

聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊のオーソドックスな歌唱も見事で、身の引き締まる思いのする名演だ。

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2010年01月13日


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ブレンデルが17年ぶりに再録音した《ます》。

このブレンデルらによる演奏は、心をひとつにして曲の核心に集中しようとした稀な例に数えられる。

その求心力の役割を果たしているのがブレンデルで、出すぎず、臨機応変に他の弦楽器のあいだを自在にすりぬけ、まさに清流のなかで泳ぐますの役割を果たしている。

弦楽器奏者たちはしっとりとした親密さでたがいの肌に触れ合い、どこまでもこまやかなやさしさを失わない。

その濡れるような感触こそ、水に自在になじむますの肌合いを思わせずにはおかない。

シューベルトが求めてやまなかった仲間同士の親密感は、まさにかくありなんと思わせる。

合奏の喜びをこれほど実感させてくれる演奏も珍しく、各演奏家が聴かせる溌剌としてのびやかな調べが、聴き手をアンサンブルの輪の中に誘うかのようである。

確かにアンサンブルの主導権はブレンデルにあるが、ブレンデル一人が際立つことはまったくないし、5人がイーヴンの関係で演奏に参加、独立性と協調性の見事なバランスに支えられた室内楽の世界を作り出している。

その結果、ここに聴く《ます》にはかつてない躍動感と歌の喜びが盛り込まれており、5人の嬉々とした表情が実際に見えるかのような臨場感に浸らせるほどである。

知情意の理想的結合を見せた名演といえよう。

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2010年01月12日


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電話交換手から美声を認められて、あっという間に世界の檜舞台へ。フェリアーは20世紀のシンデレラだ。

シューマンの《女の愛と生涯》、ブラームスの《4つの厳粛な歌》など、彼女が歌ったものはどれも素晴らしい。

しかし、その頂点に立つのが、このCDである。

わずか41歳で世を去った彼女の最後の録音で、バッハからミサ曲ロ短調の〈神の子羊〉、マタイ受難曲の〈懺悔と悔悟は罪の心を押しつぶし〉、ヘンデルは《サムソン》の〈万軍の主よ、帰りたまえ〉、《メサイア》の〈主ははずかしめられたり〉などの名曲が並ぶ。

そこに漲る宗教的な情感の深さは稀有のものだ。

フェリアーの歌は、最初の数小節を聴いただけで、人間の素晴らしさを感じさせ、人間であることの意味を悟らせてくれる。

人の高貴さ、優しさを、このように歌い出してくる声楽家は、もう私達の前に2度と現われることはないだろう。

いくら讃えても讃え切れないこれらの演奏が、今後とも、人類のかけがえのない遺産として受け継がれていくよう願わずにはいられない。

不世出のアルトが残した文字通りの白鳥の歌である。

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2010年01月11日


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ヘルマン・プライはこの歌曲集を、エンゲル、ホカンソン、ビアンコーニと、ピアニストを異にして、私の知る限りでは確か3回録音している。

そのなかでホカンソンとのこの1枚が筆者には好ましい。

内向的なF=ディースカウの歌唱に比べると、プライは直感的に歌い上げ、こみあげる思いを外に表出していくタイプだ。

F=ディースカウのように細かいところまではいかないけれど、よりシンプルというか歌う喜びのようなものを感じさせるし、プライの持っている独特の個性は、F=ディースカウとは逆の良さがあるように思う。

その明朗で新鮮な歌声はこの人ならではのもので、ひとりの青年の甘く悲しい恋愛物語を、実に素直に表現している。

ここでの彼は美声や技巧をひけらかすことなく、また誇張した表現も持ち込むことなく、比較的淡々と、あくまでも自然かつ素直に歌い進めている。

それがこの歌曲集にふさわしく、素朴な粉挽き男の哀歓がしっくりと心に伝わってくる。

この歌曲集は、どちらかと言えばテノールで聴くほうが似つかわしい。

しかしプライの"永遠の青年"を感じさせる多感な声の輝きと、バリトンならではの陰翳の深さは、まさに一篇田園的抒情の世界を鮮やかに描き出している。

まさに青春の牧歌劇である。

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2010年01月10日


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ディ・ステファノは、ナポリ民謡のきわめて情熱的な面を歌いあげた人で、20曲収録されたこのディスクは、その彼の絶頂期のころの録音だけに、声には張りと艶があり力強い。

「フニクリ・フニクラ」のみなぎるエネルギーからして、イタリア人の大テノールらしく最高だ。

ナポリ方言はフィレンツェ語を基にした標準語とは異なり、北伊の人にとっても難解で発音も難しい。

ジュゼッペ・ディ・ステファノはオペラ・テノールとして個性的な歌唱で一世を風靡したが、その独特なステファノ節はナポリのミュージカル・ショウでニーノ・ダウレリオの芸名で活躍した時代に、情熱的に迫る恋の口説や身も世もなく嘆く悲しい恋のナポリターナを歌って培った賜物。

彼のナポリターナはナポリ人のカルーソーなどと共にクラシックの歌手では僅かな正真正銘の本場物。

現在のテノールによるナポリ民謡は、一口にいって味がないに尽きる。

技術面での進歩は確かに素晴らしいが、どれも優等生的で味も香りもない歌が多い。

ディ・ステファノのナポリ民謡が今なお聴かれ続けているのは、その歌の命が、イタリアの熱い血と共にどの歌からも噴出しているからである。

精選された《カタリー》《帰れソレントへ》《君を求めて》《オ・ソレ・ミオ》などのスタンダードな名曲を、甘美に陶酔して歌に没入したアルバムは貴重な宝石である。

この年月を越えたディ・ステファノの情熱のほとばしりは、不滅のものだ。

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2010年01月09日


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この全集は、モーツァルトの交響曲に対するイメージを根本的に修正させるに足る優れた演奏だと思う。

オリジナル楽器を用い、作曲当時の編成を再現した演奏で、テンポやスタイル、ピッチに至るまで、モーツァルト時代のそれをよみがえらせようとしている。

しかし、エンシェント室内管弦楽団の演奏の特色は、原典や様式へのこだわりとは対照的に、溌剌とした現代感覚をもってモーツァルトの曲を表出していることにある。

単なる往時の再現ではなく、現代的な生命力を持った新鮮な演奏である。

ここではホグウッドがフォルテピアノの前に座って全体のバランスに気を配り、コンマスのシュレーダーが合奏のアインザッツを揃えるという、双頭支配の18世紀そのままの演奏スタイルに終始しているのが特色といえる。

つまりこれはあくまで、モーツァルトのシンフォニーを室内楽の延長として捉えているということである。

お陰で指揮者という集中コントローラーが存在せず、全員でなごやかな合奏を展開するという極めて楽しく典雅な交響曲演奏になっている。

全体に優雅なサウンドで一貫しているが、管楽器の奏者がべらぼうにうまく、ドラマ的な展開も充分で実に面白い。

全員がアンサンブルする喜びに溢れ、溌剌とした自発性に支えられた、聴く方も実に楽しく味わえる素敵なモーツァルト演奏である。

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2010年01月08日


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カラヤンは1960年代前半にウィーン・フィルと英デッカ(ロンドン)にまとまった録音をした。

レパートリーはいずれも彼の得意とするもののエッセンスだが、私はとりわけR.シュトラウスの作品を高く評価している。

カラヤンの至芸に完全に魅了されてしまう、きわめて質の高い演奏が揃っている。

精緻で彫りの深い「ツァラトゥストラかく語りき」は、晩年にみられるような奥行きのある響きや、コクのある表現はここでは聴かれないが、壮年期のカラヤン特有の才気煥発さや威勢のよさが満面にあふれ、あたかも若き哲学者が滔々と熱弁をふるうような覇気さえ感ずる、壮観な演奏である。

「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」は、カラヤン独特の語り口のうまさと洒落た感覚が、中世の物語を生き生きと表現している。

緩急自在のコントロールも効果的。彼が初めて来日し、N響を指揮した時を思い出させる。

劇的でしかも官能美にあふれた「ドン・ファン」は冒頭からウィーン・フィルの音色が何ともいえない官能的な魅力を発揮し、その艶麗な響きは、ドン・ファンの魅力と重なり合う。

それがカラヤンの個性と結びついて、文句をつけようがない実に立派な演奏で、稀にみる名演を生み出している。

ウィーン・フィルが、あたかもカラヤンの楽器のように存分に鳴っており、柔らかで艶のある弦や木管の音がたとえようもなく美しい。

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2010年01月07日


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祖国ベルギーで生み出された作品を収録しているところに、グリュミオーの特別の思い入れが感じられる。

なかでも特筆すべきはルクーのソナタ。

わずか24歳で亡くなったフランクの弟子だったルクーは、たった1曲のヴァイオリン・ソナタを残しているが、これがやはり1曲のみの師のソナタ以上に切なく美しい。

これを昔から得意にしていたのが、同じフランス・ベルギー派を背負って立つグリュミオーだった。

彼は生涯にこの曲を2回録音したが、白髪のカスタニョーネのピアノと入れた、モノーラル盤の方が絶対的に優れている。

しかしモノーラル盤は現在廃盤となってしまったため、ヴァルシとの新盤で我慢するより仕方がない。

ここでのグリュミオーは情熱的で、まるで一編のドラマのように、劇的に音楽を盛り上げて余すところがない。

ピアノがまたとても雄弁で、ヴァイオリンにつかず離れず、見事なインタープレイぶりである。

ベルギーかフランスの演奏家以外にはあまり評価されていない曲だが、このグリュミオーのファンタジー豊かな演奏を耳にすれば、近代ヴァイオリン・ソナタの重要作としてもっと聴かれてよいと誰もが感じるだろう。

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2010年01月06日


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ラフマニノフの交響曲第2番はザンデルリンクとフィルハーモニア管のCDが圧倒的に素晴らしい。大柄な音楽作りが堪能できる、掛け値なしに偉大な演奏だ。

彼方にまで伸びていくかのような旋律線がとても美しく、ロマンティックな音楽に酔わせてくれる素晴らしい演奏だ。

ザンデルリンクの演奏は、以前のものとは比べものにならないほど円熟しており、しかも個性的である。

抒情と劇性が雄大なスケールで濃厚に表出され、第1楽章冒頭からきわめて充実した音楽を聴かせている。

各楽章とも完全に曲を手中に収めた表現で、すべてが歌に満ち、アゴーギクとルバートの多用も内奥から溢れ出る感興を表している。

その共感と生命力の強さは驚くべきものである。

私は常々イギリスのオーケストラは、整ったこぎれいな音は出すけれども、踏み込みが足りない、いや踏み込もうとしない点に不満を覚えていた。

礼儀正しいが本心が見えないと喩えたらよいだろうか。リアルに見えすぎるのを嫌うと言ったらいいか。上手でお行儀がよいだけではすまない作品がたくさんあるにもかかわらず。

けれども、この盤、とりわけ第1楽章での弦楽器群のうねり方は凄い。催眠術にかけられたがごとく、ザンデルリンクの大きな指揮棒の動きに合わせて陶酔の波を漂っている。

弦楽器だけでなく、オーケストラ全体の気の入り方が尋常ではない。

音楽の収縮は堂に入り、旋律線はぐんぐん途方に延びていって果てしがない。

こんな雄大かつ恍惚とした音楽は、この曲の他の演奏からは聴けない。

これほどの名演を聴くと更なる欲が出てくる。

ベルリン・フィルとの超絶的名演のライヴ録音(かつて石丸電気で売られていたCD−R)の再発はならないのだろうか。

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2010年01月05日


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「ツァラトゥストラはかく語りき」と「展覧会の絵」はいずれも甲乙つけがたい見事な出来栄えだ。

ことに「ツァラ」は立派で、メータはじっくりと腰を割り、曲の内面を深々と掘り下げながら明解かつ情感豊かにまとめている。

メータの指揮は大上段に振りかぶったところがなく、明快な棒で、贅肉のとれたすっきりとした姿に仕上げている。

メリハリをきちんと付けた実にスマート表現で、この難渋な音楽を明快率直に料理している。

その楽譜の読みの深さと演出力は卓抜だ。

これは、彼の本領が遺憾なく発揮された演奏で、音楽の内面をより綿密に、深く掘り下げた表現である。

全体に、旋律線を明確に浮き彫りにしているせいか、この難解な音楽が、すこぶるわかりやすくなっており、しかも聴いた後に深い感動が残る。

神秘的でスケールの大きな冒頭の部分や、巧みな演出の光る「夜の歌」から「終曲」にかけては特に素晴らしい。

また「展覧会の絵」も原曲の持つロシア的な色調とラヴェル編曲の華麗なオーケストレーションとが、ほどよくミックスされた充実した演奏で聴き応えがある。

いずれもニューヨーク・フィルという天下の銘器を自在に動かし、メータ自身の音楽をつくりあげているところが素晴らしい。

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classicalmusic at 00:05コメント(0)トラックバック(0)メータR・シュトラウス 

2010年01月04日


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モーツァルトのクラリネット協奏曲は名曲だけに録音も多いが、未だに輝きを失わないのが、プリンツのクラリネット、ベーム/ウィーン・フィルによる録音である。

"輝き"といっても、プリンツの演奏はブリリアントとか、華麗とかいうイメージには程遠く、ウィーン的な甘さ、優美、典雅をもった実に美しいソロを聴かせる。

現在からみれば、むしろおっとりとした古き良き時代の残り香を伝える演奏である。

艶やかな音色で、ウィーン風の流麗な演奏をおこなっていて、こんな浮世離れした世界は他では聴けない。

プリンツはモーツァルトの音楽を客観的に理解し、把握するのではなく、それと同化し、演奏と作品を一体化させている。

したがって、聴き手はプリンツの演奏を意識することなくモーツァルトの音楽に浸ることができる。

このような演奏は、ウィーン・フィルの首席奏者としての長い活動と、彼の個性が結びついて初めて生まれるものである。

その下地として、ウィーンで長い間培われてきたモーツァルトの音楽に対する感覚があることは確かだが、それをことさらに強調するウィーンの一部の音楽家と違って、プリンツの演奏にはそれを意識させない節度と温かい感触がある。

ここでは老大家ベームの格調の高い好伴奏に乗って、のびのびと、豊かな気品をもった音楽をつくりあげている。

ベームの厳しい指揮がオーケストラ・パートを引き締め、プリンツをしっかりサポートしていることも大きなプラスである。

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classicalmusic at 06:42コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトベーム 

2010年01月03日


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1976年に来日したとき録音されたもので、これはスーク・トリオにとって2度目の録音であるが、実にスケールの大きい熱のこもった名演奏である。

ここには、長いキャリアをもつこのトリオの充実ぶりが如実に示されている。

3つの楽器が伯仲した力量で、スケールの大きな白熱した巨大な表現をつくりだしている。

いくぶん速めのテンポで弾きあげた第1楽章の迫力ある演奏にまず圧倒される。

加えて洗練された音彩による歌の美しさ、急迫する呼吸の自然さ!

なかでも深い共感をもって再現した第2楽章は抜群で、変奏主題の荘重な歌わせ方は特に素晴らしい。

それぞれの変奏が実に真摯な表情を織りなしてゆくことなど、ただただ感嘆のほかはない。

第8変奏の堂々たるフーガのまとめかたや、第9、11変奏の哀切きわまりない情感の表出もさすがに見事だ。

変奏終曲とコーダの全精力を傾けた豪壮なクライマックスと感動に満ちた表現も、聴く者を揺り動かさずにはおかない。

これはこの曲の代表的名盤といえよう。

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classicalmusic at 09:13コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキースーク 

2010年01月02日


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シューマンはすこぶる若々しく清新な気分にみちあふれた演奏である。

録音当時80歳だったルービンシュタインだが、ここにはそうした老いのかげりは少しもみられず、実にのびやかでロマンティックだ。

小細工を弄することなく正攻法で堂々と挑んでいるところが凄い。

バックもよい。

あえて苦言を呈するならは、巨大なスケールの演奏なのだが、タッチのニュアンスやデリカシーを欠きがちで、作品の夢を伝えるにはいささか不十分だ。

グリーグは肉のりの厚い音色と粘着力の強い表現に特徴があり、いかにも巨匠らしい演奏。

この曲の北欧的なリリシズムとヴィルトゥオーゾ的な性格とを、適度なバランスで表出した演奏である。

第1楽章冒頭から、ルービンシュタインの演奏は力強く華やかで、第1楽章導入部でもひとつひとつの和音に美しい余韻を響かせ、グリーグの抒情性を十分に生かす。

どんな時でも明快なタッチで、音に熱があり、豊かな表情を伴っている。

「ルービンシュタインの音楽は、その人そのものである」とショーンバーグは言っているが、この巨匠ならではの貴族的で、柔和で、かつまた情熱的な性格は、ここでも鮮明にあらわれており、ごく自然な流れを生かしながら雄大に表現している。

これに北欧らしい香りがもっと加わればと惜しまれる。

ただしバックはいまひとつ。

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classicalmusic at 10:22コメント(0)トラックバック(0)ルービンシュタインシューマン 

2010年01月01日


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ランパルの同曲異演盤中最高の録音で、ランパルがフルート革命とでもいうべき旋風を巻き起こしていた1960年代に日本で録音した永遠不滅の名演。

ランパルが十八番としていた曲のひとつだけあって、誰にでも躊躇なくおすすめすることのできる名演である。

これらの作品の構成的な美しさを存分に引き出しながら、これほど闊達で華麗に吹きあげることのできる人というのはほかにない。

丸みをおびて、しかも温かい豊麗な音色は太陽の微笑みを思わせるし、屈託のない音楽性もぬける青空のように明るく、清々しい。

それまでのフルート演奏といえば、もっと知的で、こぢんまりとした表現の綾を楽しむものだったが、ランパルはすべての窓を開放し、比較すべきもののないヴィルトゥオジティ、そして輝かしい表現力で、フルート演奏の新時代を切り開いたのである。

第1番を例にとっても、第1楽章に聴く艶やかな音色と華麗なる名人芸、第2楽章の息の長い、それでいて肉付きのよいカンタービレの素晴らしさ、終楽章に聴く嬉々とした音作りの楽しさ、そしてもっともっと聴いていたいと思わせるカデンツァなど、どこをとっても至芸というにふさわしい。

バックのウィーンふうの表現も素敵だ。

録音から45年あまりが過ぎ、ランパルも天に召されたが、音楽ファンに贈られた巨匠からの宝である。

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