2010年03月

2010年03月31日


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シャイーのレコード第3作で、初のブルックナーだった。

若手だったシャイー指揮ベルリン放送響が、しがらみから解放された新鮮な解釈で、この上なく魅力的になっている。

ノヴァーク版による第7番は、意外に成功している例が少ないが、これは若きシャイーが、曲の抒情性をうまく引き出した成功例。

シャイーのブルックナーは、いわゆるドイツ=オーストリアの伝統とはやや異なった様式感覚に支えられている。

明るく華麗な音彩が、ブルックナーとは異色の演奏と感じさせる。

ややプッチーニ的なリリシズムだが、押しつけがましさはなく、テンポ設定も自然なほう。

宗教的な要素に決別して、純音楽的に再現したのが魅力である。

音楽は情熱的であり、メリハリが鮮明だ。しかし弱音のデリケートな美しさが随所に示されており、シャイーの感性の鋭さをうかがわせる。

ブルックナーの旋律がこれほど朗々と、そして美しく歌わせた演奏というのも、ちょっと見当たらないだろう。

全曲を通してテンポに無理がなく、シャイーが素直にブルックナーに対しているのがよくわかる。

実にフレッシュで、明るさと開放感に溢れ、それらが適切にコントロールされているため、かつて新鮮な感動を受けたトスカニーニのベートーヴェンやドヴォルザークなどを想起させる。

この演奏は異文化の接触にも似たさわやかな緊張によって、聴き手を魅惑せずにはおかない。

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2010年03月30日


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都会的スーツに身を固めた民族舞踊ではなく、土の匂いのする民族舞踊を体験させるのがこれ。

ハンガリーの指揮者イヴァン・フィッシャーは、全21曲をそのオリジナル精神とスタイルにまで遡り、ハンガリー人としての血と心と技とをもって再現することによって、まったく新しい作品の姿を導き出している。

基本的にはオーケストラの演奏だが、ジプシー・ヴァイオリンやツィンバロンなども加えて作品の姿、形が一変しているし、装飾的かつ即興的なカデンツァも挿入してラプソディックでもある。

その結果一段と華麗で、同時に鄙びた味わいにも富む演奏を披露、額縁に入った「ブラームスの名曲」といったイメージを払拭、普段着のハンガリーの調べを堪能させてくれる。

それは何よりも自由で、人情味豊かだし、情緒の変化と起伏も色鮮やかで、1曲1曲が実に個性的である。

フィッシャーが盟友コチシュとともに1983年に創設したブダペスト祝祭管弦楽団も自国の調べを前にして一段と輝いている。

無理や強引さなど微塵もないのに華やいだムードがあり、しかも情が深く、ポルタメントも利かせた演奏が熱い。

もちろんジプシーの家系を引き継いできたレンドヴァイの泣かせるソロ、ツィンバロンのエケレシュの手になる超絶技巧も秀逸だ。

ブラームスの《ハンガリー舞曲》の原点はこのアルバムにあり、それはロマの人々によって引き継がれてきた喜怒哀楽の感情に私たちを直接結びつける他にない贈り物である。

原石は細工を施された宝石よりも美しい…そんな出会いに誘われるアルバムと言ってもよいであろう。

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2010年03月29日


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ペルルミュテル盤は、高齢になってからの録音であるだけに、テクニックの衰えが気になるが、作品を知り尽くした者だけに可能な表現の旨みが際立っている熱演である。

音楽が単に鳴り響く音響効果物ではないことを、まさに鳴り響きながら、教えてくれる演奏だ。

根底には中庸を得たフランス的知性があるが、その中庸のなかに、ペルルミュテルは実に豊かな表現と表情のグラデーションを生み出してゆく。

楽譜からは直接読み取れないものをたっぷりと聴かせてくれるショパンである。

ペルルミュテルといえばラヴェルの演奏が印象的だが、このショパンもきわめて味わい深い。

演奏の特徴を一言で述べるならば、知的雰囲気をもった演奏とでもいえるだろうか。

つまり、音の背後にこの芸術を育てた土壌の豊かさ、もしくは精神的背景が実感される演奏なのだ。

そしてこれこそ今日の演奏から次第に失われつつあるものではなかろうか。

ペルルミュテルがショパンの世界に伸び伸びと飛翔する姿は、うらやましいの一語に尽きる。

無駄がなく、落ち着きがあってしかも自然な演奏。

良き伝統、正しい訓練、恵まれた才能の3つが結びつかなければ、とうてい生み出し得ないおおらかな趣がある。

これは何事にもかえがたい貴重な財産だ。

ペルルミュテルのショパンは、悠然たる風情を通り越してじつにゆったりと弾き進まれる。

したがって華麗な演奏効果を期待する聴き手には向いていないが、ペルルミュテルはひたすら作品の本質に迫り、それに自分自身を重ね合わせ、彼以外の誰にもできない語り口でショパンを再現している。

円熟とはどういうことであるかを改めて実感させてくれる演奏で、録音当時の大家の健在を強く印象づけられる。

いわゆる面白味には乏しいが、ショパンの作品の解釈に於ける一つの重要な規範として、今後も不変の価値を保ち続けるであろうに違いない。

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2010年03月28日


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1960年代(一部1950年代後半も入るが)のマゼールは、主に英デッカ、ドイツ・グラモフォンに録音を残しているが、それらはほとんど例外なくといっていいほど、どれも素晴らしい。

現在の彼が、たとえどれほど指揮のテクニックが向上し、貫録が増したとしても、真に芸術的な創作者として、彼は1960年代の彼を凌駕しきれないでいる。

そのことは、たとえば2種類ある彼のシベリウスの交響曲録音を比較してみれば、自ずと明らかといえよう。

1960年代に録音された本盤は、対象に向かって鋭く深く踏み込んでいこうとする気迫が、実に凄い。

マゼールは、シベリウスの心理的深みへと鋭く分け入った緻密で怜悧な演奏で、そこに近代人の閉塞的状況からの脱出口を見いだそうとする感動的名演。

すべてが強い上昇志向をもっていた1960年代という時代の精神と、正しく照応している。

マゼールとしては初期の演奏であるだけに、若々しい気概で率直な音楽を聴かせるのが興味深く、全曲を裸身のシベリウスというべき演奏で一貫している。

壮麗なオケの響きを絶えず押しとどめながら内面の葛藤を抉り出すマゼールの演奏の異常な緊張は、この曲から北欧の自然や、作曲された時代の背景にあるフィンランド独立運動への熱い共感を聴き取ろうとする人たちの反撥にもあった。

ウィーン・フィルの技術と合奏力に助けられた感もあるが、第1,2番の熱気あふれる表現はやはり当時の若々しいマゼールのものだ。

他の曲は精緻な演奏で作品のありのままの姿を表出しているといえるが、半面生硬に感じるところもある。

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2010年03月27日


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クレンペラーがEMIに録音したモーツァルト/交響曲、管弦楽曲を集めたアルバム。

独自のテンポと表情による雄渾なモーツァルトである。

クレンペラーの演奏の特色は悠揚と歌う遅めのテンポにあり、それが画然としたリズムにより充分な運動性を表す。

各曲の緩徐楽章に特にその感は強い。

この、ほの暗く深い陰影をもって歌う美しさは彼ならではのもので、きわめて格調高く偉大な風格を感じさせる。

「ジュピター」の終楽章の対位法の処理の見事さも特筆もので、モーツァルトの真髄を究めた名演集といえる。

それと同時に、このモーツァルトは、湧き立つような生命感が全体を支配している。

オーケストラ自体が若々しい感興に乗ってグイグイと弾きすすめている。

オーケストラのそのような感興に対して、クレンペラー自身も興じて瑞々しい精力をもってオーケストラをリードしている。

ここでのクレンペラーは、若々しい、生気あふれる演奏を聴かせてくれることは確かである。

彼のモーツァルトは、すみずみにいたるまで活気に満ち、溌剌として、青春の気を失わない。

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2010年03月26日


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2001年11月3〜7日、ムジークフェラインザール、ウィーンで行なわれたアーノンクールによる当曲の初ライヴ録音。

ウィーン・フィルにとって、レヴァイン盤以来約15年ぶりとなる全曲録音となる。

《わが祖国》に新しい光を当てた素晴らしい名演である。

モダン・オーケストラを振り始めた頃のアーノンクールのイメージは"過激"の一語に尽きたものだが、当盤では、そうした姿勢が意識的に排されている点が興味深い。

いずれも遅めのテンポ設定をとり、民族色の表出や目先の描写にはこだわらずに、スコアをしっかりと見据えた演奏が行なわれており、同曲を純粋な交響詩として、もっぱら純音楽的なアプローチを心掛けている。

スメタナをチェコの作曲家という範疇におさめず、リストと親交が深く、ワーグナーにも多大な影響を受けたインターナショナルな大作曲家として捉えているとも言える。

ウィーン・フィルのふくよかな響きもプラスに働いて、全体を美しい音楽で包み込むことに成功し、まさに、純音楽的な美しさを誇る異色の名演を成し遂げることに成功したと言えよう。

また、「シャールカ」では、慣習的な改訂を排除するなど、アーノンクールらしいこだわりも投影されている。

ヴァイオリンを両翼配置にして、伴奏音型やオスティナートをきめ細かく演奏させつつ、各声部を立体的に処理していくことを通じて、新たな《わが祖国》像を形づくることに成功している。

このような名演は、最近話題となったチェコの若手指揮者であるフルシャなどの名演にも少なからず影響を与えているのは明らかであるとも言えるところであり、本盤は、《わが祖国》の演奏史に少なからぬ影響を与えた稀有の名演であると言っても過言ではない。

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2010年03月25日


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このバーンスタインの最後のライヴは、バーンスタインの衰えが目立つ演奏として、一般には不評の録音である。

しかし、バーンスタイン生涯最後のコンサートは、通常の演奏とは対極的な静寂と思索を感じさせる、ある意味別格扱いの録音としてここに挙げる。

1990年夏のタングルウッド音楽祭でのこのライヴ録音は、指揮者バーンスタインの最後の演奏会であった。

これはバーンスタインの音楽づくりをよく知っている者にとって、大変に驚くべき演奏であったと同時に、"リズムのアポテオーゼ"とか"舞踏の神化"といった評言で親しまれてきたベートーヴェンの交響曲第7番を知っている者にとっても、ショックの大きな演奏解釈であった。

ここに聴かれるような静寂さと思索に満ちた演奏は皆無であったと言っても過言ではないだろう。

もちろん、これがこの作品に最適の解釈であるかどうかは別問題。

もしかしたら、仮にベートーヴェン自身がこの演奏を聴いたとすれば予想だにしなかった感動で涙するかもしれない。

エネルギッシュで激情的、かつ生命力の漲る表情というのがこの作品に対する従来の一般的な認識であったとすれば、それはここにはない。

肉体的躍動の対極ともいうべき精神的深化の極みを聴くことができよう。

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2010年03月24日


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F=ディースカウ若き日の「冬の旅」だ。

F=ディースカウの王座はまだ揺るがない。ただし40年以上の長い演奏生活で多くの録音があり、ベストを決めるのは容易ではない。

ここでは厳しい様式感と気力の充実とで1962年の最初のステレオ録音を挙げておく。

数えきれぬほどの演奏があり、それぞれに特色がある。しかし私の心をとらえるものは2つ。

1つは凛然たること古武士のごときゲルハルト・ヒュッシュ。いま1つは、そのヒュッシュの呪縛を解き、声楽曲として豊かな世界を展開したフィッシャー=ディースカウ、それもこのムーアとの若々しい1枚だ。

この不世出のバリトンは飛び抜けた美声のうえに、声のコントロールも完璧、さらに曲に対する、客観的とも言える精緻な研究によって、この曲集の持つ悲しさ、憧れと絶望を美しく歌い出している。

ひたむきな心象風景のひとこまひとこまが彫りの深い表情で歌われている。

ことに、余りにポピュラーなため、かえって多くの歌手がつまづきやすい〈菩提樹〉など、曲全体も全体とのバランスの上でも、やはり傑出している。

まだ年輪の大きさ、人生への諦念への歩みには遠いにしても、この曲は老人の歌ではなく、死と向き合った青春の歌である。

F=ディースカウの若さと"死"の世界の息詰まるような対峙がここにはある。

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2010年03月23日


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1961年の録音、ともう半世紀近くが過ぎ去ってしまったが、アントン・フィーツ率いるウィーン八重奏団のモーツァルトは、機能的な演奏が主流となってきた近年の演奏の中で、ますます魅力的に聴こえてくる。

さすがに情緒豊かないい演奏を聴かせている。

悠揚迫らざるゆったりとしたモーツァルトで、20世紀中頃のウィーンの情緒を味わわせてくれるのが何とも好ましい。

甘美で暖かいウィーン情緒の中で繰り広げられる快いモーツァルトで、聴き手の気持ちをこんなに心なごませる演奏も珍しい。

潤い豊かな弦の響き、そして優しさを添えるホルンの素晴らしさなど、各楽器の統一感も見事で、まさに珠玉のモーツァルトのひとときを約束してくれる。

K.334の変奏曲の楽章などは、ベルリン・フィルのメンバーだともっとテンポを速くすることが多いので、この演奏のようなウィーン的なしなやかさに不足がちになる。

その点ここでは遅めのテンポながらアンサンブルも良く、独奏ヴァイオリンも実に巧い。

K.247も、まさにウィーンのグループであることを実感させてくれる演奏だ。

ウィーンの音楽家ならではの楽しみを満喫させてくれるディスクである。

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2010年03月21日


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ハンガリー出身のドラティは、民族色の濃い作品の演奏を大変得意としていた。

そうした彼の指揮したこの《スラヴ舞曲集》は、力強く活気に溢れた曲と抒情的な美しさに満ちた曲との対比が見事で、大変聴き応えがある。

ドラティはこの曲の千変万化する曲想の特性をよくつかみ、実にうまく処理しており、民族的な情感と逞しさが見事に調和している。

ドラティは、決してスター的な存在ではなかったが、玄人好みのする名匠であり、聴き込むほどに味わいが深まる得難い名演によってファンの根強い支持を得ていた。

そして、この《スラヴ舞曲集》は、オーケストラの巧みなコントロールと表現の美学のグレードの高さといった観点から、この指揮者の持ち味が十二分に発揮された演奏になっている。

ドラティは、ロイヤル・フィルから持てる可能性をフルに引き出し、強靭で密度の高いアンサンブルを実現させているが、そこで表現されているひとつひとつのスラヴ舞曲は、それぞれの舞曲としての特徴が鮮やかに把握されているだけでなく、瑞々しい生命感情や生き生きとしたエネルギーに溢れる鮮烈なアピールを放っている。

ドラティのアプローチは、作品独特の土俗性を尊重しながら、そこに秘められた高度で普遍的な芸術性をも浮き彫りにすることに成功を収めており、恐るべき読みの深さを印象づけているのである。

この曲には名盤が多いが、民族的な情感豊かなこのドラティの演奏も、特に優れたもののひとつに数えてよいだろう。

なお、このディスクに一緒に収められている《アメリカ組曲》は、滅多に聴くことのできない作品だけに、なかなか考えられた選曲だ。

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2010年03月20日


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1934年オランダに生まれたブリュッヘンは当初、リコーダーやフラウト・トラヴェルソの名演奏家として脚光を集めたが、1981年に「18世紀オーケストラ」を組織、ハイドン、モーツァルト作品を主な対象とする新たな指揮活動を展開していった。

歴史的脈絡を大切にした作品の解釈、世界の傑出した古楽演奏家たちを結集させたオーケストラによる知的で、斬新で、情熱的な演奏は、たちまち聴き手にセンセーショナルな感動を与え、彼らは古楽オーケストラのニュー・リーダー的存在感すら見せるようになった。

その勢いはモダン・オーケストラのレパートリーからハイドン、モーツァルトを奪い取る、そんな事態すら招いたのだから、これは驚きであった。

今日では古楽オーケストラが果たした業績は広く認められ、またモダン・オーケストラに吸収される形で浸透している。

その分、過度の期待感もなくなってきたが、このハイドンのパリ交響曲集を聴くと、古楽オーケストラが達成した成果の素晴らしさに唖然とさせられる。

混濁しない響きのさわやかさ、各声部の輪郭と存在感が際立ったアンサンブル、弦楽器の優しくも鋭い表現力、対照的に雄弁かつ多彩な管楽器、目も覚めるような打楽器の活躍ぶりなどを得て、ハイドン作品は一気に情報量を拡大、聴き手に新たな姿を見せるようになった。

しかもこのコンビの素晴らしさは、こうした特質の呈示で終わるのではなく、そこから彼らの演奏の掘り下げが始まる点であろう。

その結果、交響曲はあたかも作品自らが語り出す姿を顕し、私たちが予想もしていなかった感動の世界へと誘うものとなっている。

確かに古楽演奏は主観ではなく、いわば客観主義の成果といえよう。

しかし、客観主義も徹すれば人間的な幅広さが獲得され、主観も客観も超えたもうひとつ別次元の感動の領域へと分け入っていくことが可能となる、そんな奇跡を見せた演奏と言えようか。

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2010年03月19日


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R.シュトラウスの歌曲は今でこそ多くの歌手たちが歌い、CDもたくさんあるが、この録音が行なわれた40年前はそうではなかった。

シュトラウスの200近くにものぼる歌曲のうち、レコードで聴けるものはせいぜい20曲くらいの人気曲だけだった。

1人で130曲以上を歌って録音するというのは、まさにフィッシャー=ディースカウだからこそできたことである。

F=ディースカウの1967年から70年にかけての若々しい、そして自由自在のテクニックを駆使した完璧とさえいえるこの歌唱は、今後凌駕する歌手が現れるとは思えない。

さまざまに異なる性格の曲を自由自在に歌い分けるディースカウの力量はここでも感嘆の他はない。

こぼれ落ちんばかりの"歌の輝き"がどの曲にもあふれかえる、眩しいばかりの究極のR.シュトラウス歌曲だ。

また伴奏のムーアの燻し銀のような名人芸による表現も、最高の解釈の規範をこれらの曲で示している。

F=ディースカウも、伴奏のムーアも、R.シュトラウスの音楽に対する造詣が深いだけに、彼らの織りなす精妙な表現は格別だ。

LPが廃盤になったあと、長らく入手困難だったが、CDで入手・観賞できるようになって本当にありがたい。

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2010年03月18日


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アバドの当オペラ初録音で、ドビュッシーが出版譜に200カ所におよぶ校訂の手を加えた未出版譜によっている。ウィーン・フィルにとっても初の録音である。

アンゲルブレシュトをはじめとして《ペレアス》にも名盤が多い。

蠱惑的な美の極致をゆくカラヤン盤の妙味も忘れ難いが、ともすると饒舌になりすぎるきらいがあり、それがドビュッシーの枠に収まりきらない場合があるのに対し、アバドは透明感と静謐の美学を本領としながら、ウィーン・フィルのしなやかな音を、雄弁に(饒舌ではなく)使いこなしながら、くぐもるところのない、くっきりとしたドビュッシー像を描いてゆく。

また、アバドの指揮は劇的な切り込みが刺激的で鋭く、ウィーン・フィルも甘美さを隠し味に、ほの暗く青白い光を放つヴェールを被せたような響きでドラマを雄弁に語る。

非常に新鮮な感触の《ペレアス》ができあがっている。

配役ではユーイングのメリザンドが素晴らしく、多彩な声とニュアンスを駆使し、持てる可能性の全てを発揮した名唱だ。

ダムはゴローを熱っぽく表現して余すところがなく、ル・ルーも洗練された歌唱でナイーヴなペレアスの性格をよく伝える。

ユーイング、ル・ルー、ダムという顔ぶれは、アバドの抒情路線には適性を示しており、役柄に恵まれた、一期一会の録音と言えるかも知れない。

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2010年03月17日


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ロストロポーヴィチが初めてパリ管とコンビを組んで録音したのがこの「シェエラザード」だ。

その最優秀の録音と相まって、「シェエラザード」のレコードをたった1枚ほしい、という人に第一にお薦めできよう。

ロストロポーヴィチの指揮は、音楽のダイナミック・レンジが広大で、色彩的でかつドラマティックである。

豊かな表情、華やかな色彩美の点で申し分なく、問題があるとすれば表情がつきすぎていることだが、私にはこういうこってりとした演奏がこの曲の場合いちばんぴったりくる。

旋律の歌わせ方の身ぶりが大きく、とにかく大変にわかりやすく、ノスタルジックな味のある演奏といえる。

反面やや大味なのも確かで、細かいニュアンスなどには余りこだわらず、音の強弱だけで割り切ってしまう、単純さも耳につく。

ただここでは、パリ管を使っているのがプラスで、このオーケストラの持つ、豊かな色彩感が指揮の足らざるところを補っている感じだ。

そしてヨルダノフの独奏ヴァイオリンが、妖艶な色気で迫り、ロストロポーヴィチの表現に錦上花を添えている。

結果としてスケールの大きな、語り口の巧者な名演になっている。

特に絢爛豪華に描いた第4楽章は好演だ。

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2010年03月16日


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ジュリーニならではの懐の深い音楽に思わず引き込まれる名盤。

ジュリーニにとって2曲とも3度目の録音だけに、隅々まで磨きあげた表現をつくっている。

特にドヴォルザークは旋律を晴朗かつ伸びやかに歌わせながら、構成力が強い。

繊細と豪快を合わせ持ち、決して煽情的にならない格調の高さがあり、これこそ巨匠の音楽といえるだろう。

オーケストラのアンサンブルはきわめて緻密に構築されており、しかも堅苦しさは微塵もない。

ドヴォルザークの音楽の源泉であるボヘミアの民族的要素を適度に表出しながら、音楽はまったく弛緩することなく進んでいく。

チェコの指揮者とオーケストラによるそうした民族的要素をより生の形で表出した演奏も魅力的だが、交響曲という形式のなかに織り込み、高い次元に昇華させたジュリーニの解釈はより含蓄に富んでいる。

格調高い語り口で進行していく音楽は細かな作為とは無縁。その総体としてこけおどしではない大きな劇的起伏が作り上げられるのには驚かされる。

それは無欲の境地に到達した巨匠のみに可能な演奏といえるだろう。

ラヴェルも優雅な表現で、洗練の極みともいえる音と表情がユニークで、各曲の特色が判然と示された秀演だ。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のしっとりとした美しい響きと高いアンサンブル能力も特筆に値する。

共感豊かな演奏によってジュリーニの伴侶となっている。

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2010年03月15日


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ここに採り上げた演奏は1960年代半ばの録音であり、今や40年以上が経過したヴィンテージものである。

改めて言うまでもなく、モーツァルトの演奏はその後の古楽復興、改訂譜の出版、さらに世代交代などを経て一変、かつて名演とされたCDが色褪せていく例を見出すことも珍しくない。

だが不思議にベームのモーツァルトは今なお輝かしく、喜びの鮮度も健在である。

確かに穏やかなテンポ設定といい、角のとれたふくよかなアンサンブルといい、遠い時代の色調を確認できないわけではないが、それが決して古さとはならず、むしろベームらしい語り口の美しさ、確立された様式美を感じさせるから凄いものである。

ソリストはいずれも当時のベルリン・フィルの首席奏者たちだが、無理なく、無駄なく、職人芸に徹したソロが実に清々しい。

個性や名人芸の披露ではなく、ベームを核に繰り広げられていく演奏という名の対話であり、それが音楽の流れとともに絆をより強くしていく、そんな奥ゆかしい至芸である。

まだ20代の若さだったブランディスやライスターは初々しさを、40代であったカッポーネやシュタインスやピースクらは経験の豊かさに物を言わせた奥ゆかしいソロを披露、最愛のモーツァルトの花園に聴き手を招き入れる。

音楽ファンに残された心の故郷のようなアルバムである。

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2010年03月14日


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"髪の毛が逆立つような"という言い方で驚きを表現することがあるが、20世紀最大の名ヴァイオリニストの一人、ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)が聴かせる名人芸はまさにそれであろう。

巧いとか、美しいとか、抒情的であるとか、華麗であるといったことは、ハイフェッツの演奏全体からみれば尾ひれのようなものであり、付随した魅力の断片にしか思えなくなってくるほどである。

では何が凄いのか?

ハイフェッツは一人でオペラをやっているように素晴らしいとしか言いようがない。

ハイフェッツの演奏を耳にしていると、協奏曲であってもオーケストラは聞こえず、室内楽であってもアンサンブルは耳に入ってこない。

極端にいえばそれほどハイフェッツの演奏は完結しており、完全無欠の姿で聳え立っている。

しかもハイフェッツのヴァイオリンは歌う。それも徹底して歌う。

だがハイフェッツは歌っても自身の感情をむき出しにして聴き手を泣かせたり、興奮させたり、物思いに耽らせたりはしない。冷静なのである。

しかし聴き手はそんな冷たいハイフェッツが大好きになる。

なぜならハイフェッツは確かに自ら涙を流すことはしないが、作品にそう書いてあれば、ハイフェッツは全力を駆使して、しかもこれ以上の的確さはないといった完璧さで作品に込められたメッセージを音楽に変えてくれるからである。

こうした演奏家としての在り方はまさに職人芸の鏡というべきものであろう。

拍手と賞賛の言葉は自らが受けるのではなく、その奥に控える作曲者にどうぞというわけである。

この凛々しい生き方には心底惚れ込んでしまうが、誰もが真似できるものではない。

ハイフェッツの音楽は一人聳え立ち、後の演奏家の目標となっている。

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2010年03月13日


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アバドはスイスのルツェルン祝祭管弦楽団の再編・再生に意欲と情熱をもって取り組んだ。

2003年8月、《復活》をもってアバドはこのオーケストラの指揮をスタートさせた。

そしてここで聴ける《復活》は確かに21世紀を象徴する意味を持つ演奏としてその姿を顕したと言ってよいだろう。

そこには若き日から機会があるごとにこの交響曲を採り上げてきたアバドの熟成の歩みが凝縮されると同時に、演奏家がまるで1人の無垢な聴き手となって音楽に奉仕する、そんな新次元の演奏を作り出したように思えてならない。

演奏家が聴き手になってしまったのでは演奏は成立しない。

それは百も承知だが、そうではなく、感動的作品を前にしたときの想いには聴き手も演奏家も区別はないということである。

つまり演奏家も感動する原点に立ち戻って作品の最良の再現に努める、そんな演奏なのである。

「19世紀は作曲家の時代」「20世紀は名演奏家の時代」と仮に考えると、「21世紀は聴き手の時代」ということになろうか。

だがそれは聴き手が主役になるといった意味ではないだろう。

音楽家も含めて、聴き手が本来持つべき作品への無垢な姿勢と謙虚さとを持ちながら作品に立ち向かう時代ということではないか。

アバドの新しい《復活》が与える感動は、演奏家もまた聴き手的精神を持つべき時代が来つつあることを予感させる。

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classicalmusic at 18:48コメント(0)トラックバック(0)マーラーアバド 

2010年03月12日


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ヴェリズモ・オペラの起源は《カルメン》にまでさかのぼる。女主人公の強烈な個性、激情的なホセ、嫉妬、舞台上の殺人など、なるほどここにはヴェリズモの特徴的な要素がそろっている。

しかし《カルメン》はフランスのオペラだ。

さらにこれはオペラ・コミックでもある。

あまりにもどろどろしたドラマをいったん離れて、しゃれた台詞回し、フランス語の繊細な表現など、本来のオペラ・コミックの軽やかな雰囲気を楽しもうと思ったら、このCDがいい。

1875年に《カルメン》を初演したパリのオペラ・コミークでは、現在のレシタティーフで歌われる部分が台詞で語られていた。

この様式を伝えるのがクリュイタンスの録音で、同時にスペインを舞台としながら本質的にフランス音楽である《カルメン》の性格を最高に生かした演奏である。

クリュイタンスは軽快なテンポで演奏を進めるが、フレーズとリズムに反映された洗練された感覚が、端正な演奏にこまやかなニュアンスをもたらしている。

これほど自然で爽やかな《カルメン》は、その後聴いたことがない。

カラスやバルツァのような強烈な表現がなくても、ドラマの劇性が減じるわけではない。

クリュイタンスの明快な棒のもと、粘っこい思い入れや感情の淀みなどなくてきぱきと展開する音楽とドラマは、とても新鮮で現代的だ。

歌手の発声もフランス式、発音も純粋、オーケストラの明るい音色と軽やかな響きもクリュイタンスの解釈にふさわしい。

発声法が世界的にヴェリズモから離れ、過去のベルカントやバロックを志向している現在、《カルメン》の原点を伝えるこの演奏の価値は今後ますます高まるに違いない。

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classicalmusic at 19:35コメント(0)トラックバック(0)ビゼークリュイタンス 

2010年03月11日


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シャイーのマーラーの初録音で、内的燃焼度の高さと緻密な構成力を併せ持つ名演として特筆される成果を見せている。

シャイーの真価を見せた録音で、敢えてクック版で全曲を演奏した必然性すら実感させる。

マーラーがこめた内的メッセージに鋭い光をあてた演奏であり、純度の高い表現に心洗われる。

晩年のマーラーの暗鬱さを耽美の世界におきかえた感もあるが、シャイーはそこに知的な透明感をプラスし、鮮明に旋律を歌わせみずみずしい。

第1楽章は特にその感が強く、各楽器を緻密に処理し、マーラー独自の書法を明晰に表現している。

第2楽章も純粋そのもの。

第3楽章のプルガトリオは表情の彫りが深く、第2スケルツォと終曲も二元的要素をよく理解した表現。

光と影の交錯する名演で、全曲に聴く蒸せかえるような熱気もシャイーならではのものだが、品位は失われることなく、知的興奮に誘う。

ベルリン放送交響楽団の水準もきわめて高い。

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classicalmusic at 18:31コメント(0)トラックバック(0)マーラーシャイー 

2010年03月10日


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シノーポリの振るブルックナー、それは異色なんだろうなと、この演奏を聴く前の私なら思っていた。

そもそも、マーラー指揮者と呼ばれる人たちがブルックナーを振ること自体、ブルックナー信徒にとっては冒涜そのものと言われるみたいで、そうでなくても、世間的な評価はあまり高くないように思える。

第5番の交響曲はブルックナー自身が書いた最高の作品の一つであり、こういうブルックナーのなかのブルックナーを、病的マーラー解釈の第一人者が演奏してしまう。

一体どうなってしまうのか?いや、これがじつにいいのである(本当に)!

ここで思い出してほしいのは、シノーポリのマーラーは病的とはいえ、バーンスタインやテンシュテットのように、叱咤激励したり躁だの鬱だのの世界に無理やり投げ込んだり、要するに曲を激しくいじくりまわすタイプではなかったということだ。

シノーポリのマーラーは確かに怪しさ満点の奇妙な演奏だけど、彼はテンポを頻繁に動かすとか、鬼面で人を驚かすようなことはほとんどない。バランスをちょちょっと変えたりして、マーラーが本来持っていた狂気をじわりじわりとあぶり出す、そんな方法だった。

つまり、この方法なら、ブルックナーでも大丈夫な気がしないだろうか?

かなり濃厚な演奏だと思う。ブルックナー通なら、もう少しその派手な音色を抑えてくれ、と言いたくなるかもしれない。

でも、余計な感情なしにスコアのすべてが鳴り響く、というブルックナーに求められるという条件はお釣り付きでクリアしているのではないか。しかも、ドレスデンのオーケストラが豪放に鳴っているのだから、これはもう強力かつ贅沢な演奏である。

曖昧なところまるでなく、この演奏が嫌いな人は本当はブルックナーが好きじゃないだろう、と迫ってくるような、押しの強い明晰感がある。主題や動機の縁取りが濃いので、曲のブロック構造がはっきりとわかる。

つまり、この曲の本質を的確に抑えているのだ。

特に初めてブルックナーを聴く人でも、ブルックナーの曲構造に触れられる、そんな夢のような演奏なのだ。

マーラーのときはその狂気をあぶり出していたように、シノーポリはブルックナーではその構造をじわりと浮き上がらせていたということである。

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classicalmusic at 18:38コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーシノーポリ 

2010年03月09日


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クーベリックのブルックナーは基本的にはヨッフムやハイティンクと変わらない。

ここでもバイエルン放送響が、いかにもブルックナーに相応しい洗練された明るいサウンドで、開放的に音楽を朗々と鳴らせている。

そののびやかさが、ブルックナーの曲を魅力的にしている。

第3番(エーザー版)は洗練された音彩で一貫しながら、表情が実に自然である。

作品のもつ自然への憧れや宗教的な深さを、きわめて端正に表現しながらも、ロマン的な情感もうまく表出した、クーベリックらしいバランスのよい演奏である。

ブルックナーの音楽には大自然のパノラマを連想させるような趣とともに、ウィーンの伝統や都会的な雰囲気が共存しているところがあるが、クーベリックはその両者を見事な平衡感覚で表現している。

第1楽章は多様な変化をきわめて雄弁に表出しながら格調が高く、表情のきめも細かい。

第2楽章以降も音楽的な表現で、装飾的な楽句の処理も適切である。

第4番(ノヴァーク版)も正攻法に徹した端正なブルックナー。

きわめてオーソドックスな表現を行いながら、ごく自然に音楽を流した演奏である。

全体の仕立てが豊饒なロマン的色調にふくれながら、音楽構成の堅牢な支柱を深く内に包みこんでおり、曲全体の楽章の構成まで実に自然である。

あらゆる表情が自然な流れを生んで全く姑息なところがなく、のびのびと雄大な音楽を作っている。

オーケストラの重厚な響きも素晴らしく、ブルックナーの求める響きをもち、数あるこの曲のレコードでも最も注目すべき1枚。

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2010年03月08日


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1929年オランダ生まれのハイティンクが、1985年から87年にかけて録音した、2度目の全集で、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の創立100年を記念して録音された全集。

きわめて普遍的な解釈に基づいた名演で、無類の安定感と堂々とした風格をそなえている。

演奏そのものが作品のすべてを語り無用な表現が一切ない、普遍的な解釈と高い音楽的密度を持ったベートーヴェンは滅多に聴くことが出来ないだろう。

また、これほどベートーヴェンの音楽の古典的な様式を見事にとらえた、密度の高い、堂々とした演奏も少ないだろう。

楽譜の読みは深く、伝統的様式の研究の末に、自己の解釈を完成させたという趣がここにはある。

ハイティンクの演奏は、室内楽的と呼べるほど純度の高い演奏で、中庸かやや速めのテンポが流麗な表情と透明感をもたらしており、音楽が終始妥協のない厳しさに貫かれている。

そこに威容が示され、抒情的な潤いが見事に表出される。

ワルターの演奏に似かよった、温かいぬくもりを感じさせるところも素敵だ。

ヒューマンなぬくもりに溢れたこの名演は、ハイティンクの音楽への献身の深さを如実に表わしたものと言えよう。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の深ぶかとした、渋い響きも素晴らしい。

これはワルター以来の最も温かい演奏であり、また演奏様式にも一貫性のある稀有の全集だ。

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2010年03月07日


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オーソドックスでしかも、シンフォニックなスケールと緻密さに於いて、やはりドホナーニ=クリーヴランドは凄いと思う。

クリーヴランド管弦楽団の素晴らしい響きをよくとらえた録音が鮮やかで、現代のオーケストラ演奏の最高水準を示した、究極のドヴォルザークに違いない。

ドホナーニは、セルと同じくクリーヴランド管弦楽団を指揮しても、きわめて柔らかい音色としなやかな表情を引き出している。

カラヤンらの録音に比べて、ドホナーニの録音は、より客観的に、また知的な角度からのアプローチを見せたものである。

端正なスタイルの中で繰り広げられる風通しのよい演奏だが、いささかも冷たくならず、また引き締まった表情のすがすがしさがあり、もっとも現代的なスマートな演奏といえよう。

3曲共に豊かな感興を表した清新な表現で、楽想のそれぞれの性格が端的に示されている。

これは鋭い分析と緻密な造形力があってはじめて生まれる質の音楽だが、「新世界より」はそうしたことがこのポピュラーな名曲の真価を改めて教えてくれる。

ドホナーニは、大きなスケールで、この作品のもつ魅力をあますところなく描き出している。

ことに、そのリズム処理の巧みさ、色彩感の豊かさには驚く。

第2楽章の、瑞々しい表現など出色だ。

聴き古された曲に新しい血を注入し、瑞々しく蘇らせた演奏といってもよいだろう。

第8番も明快な解釈と表現で全体はすこぶる自然に流されており、作品の民族的な性格もわきまえられている。

第7番も同じくドホナーニの知性と、抒情性豊かな感性が見事に一体となった名演だ。

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classicalmusic at 15:45コメント(2)トラックバック(0)ドヴォルザーク 

2010年03月06日


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トスカニーニは、NBC響を指揮して数え切れないほどの不滅の名演を生み出したが、サン=サーンスの交響曲第3番は、そのなかでもトスカニーニの持ち味が最大限に発揮され、特に傑出した成果を実現させることになった名演の一つと考えてよいだろう。

トスカニーニの魅力としては、明快で壮大な造型感覚やドラマティックでメリハリの効いた表現などがまず第一に指摘されるが、そうした魅力が強力にクローズ・アップされることになったこのサン=サーンスの演奏は、さらに凄まじいほどの緊迫感や桁外れの集中力の持続もが際立っている入魂の熱演であり、トスカニーニの真価を痛感させてくれる内容を示している。

密度の高い響きと強靭なリズム、鮮烈なデュナーミク、甘美といえるほどのカンタービレが総合され、かつてない厳しい音楽を生み出してゆく。

サン=サーンスが意図したであろう循環主題を中心とした劇的な構成、オルガンを加えたことによるオーケストレーションの効果が充分に発揮され、激しく訴えかけてくる。

トスカニーニの頂点をかたちづくる時期の演奏で、とかく平板に陥りやすいこの曲に最後までひきつけておくのは、やはりマエストロの偉大な統率力によるものである。

作品の評価すら変えた名演である。

フランクはCD化で録音年の違いによる音質の差が目立つが、演奏には少しの違和感もなくトスカニーニはきわめて明晰な表現で、作品独特の響きと構成を白日の基にさらけ出す。

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2010年03月05日


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「ミサ・ソレ」は雪をいただいた秀峰を仰ぎ見るかのような、崇高な感動を覚える演奏である。

隅々にいたるまで、カラヤンならではの巧みな設計が徹底しており、きわめてスケールの大きな音楽をつくりあげている。

1985年に録音されたものだが、カラヤンにはこれ以外にも3回の録音があり、ことに1966年の2回目の録音は、名演として知られていた。

この4回目の録音は、独唱陣がヴァン・ダム以外は若手で占められており、名歌手同士が実力を競い合うような醍醐味はないが、独唱から、合唱、オーケストラにいたるまで、すべてが完全に、カラヤンの意のままに動いているのが特徴だ。

1980年代になって、カラヤンは、小細工を弄することなく、音楽の核心に迫ろうとする姿勢が強くあらわれるようになったが、これもそうしたひとつで、作品の造形的な美しさを見事にひき出した演奏である。

全楽章にわたって速いテンポで進められる。

カラヤンは高齢に至って、思い入れや余分な表現を極力切り捨てているかのようだった。

そのため、ここでの演奏は全体に引き締まった展開が聴かれるが、反面さっぱりしすぎて、カラヤンの内燃する思いがあまり届いてこないもどかしさも覚える。

しかし、全体の音楽構築は実に堂々としたものだ。

独唱陣にやや弱さがあるものの、全体のアンサンブルは抜群によく、ことに「グローリア」は最高だ。

カップリングは、1985年6月29日、ローマ・カトリックの総本山ヴァチカンの、サン・ピエトロ大聖堂でおこなわれた、ヨハネ・パウロ2世による荘厳ミサを収めたもので、そのなかにこの「戴冠式ミサ」1曲が入っている。

カラヤンには1975年に録音されたベルリン・フィルとの同曲の名演もあるが、実際のミサそのものの雰囲気を味わうのには、このディスクが最高だ。

全篇にわたってカラヤンの個性が濃厚ににじみ出た演奏で、スケールが大きく、構築的にもしっかりしているのが特徴である。

いかにもカラヤンらしい設計のうまさが光っている。

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2010年03月04日


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「第1」は驚くほど精気のみなぎった演奏だ。しかし内部には枯淡ともいうべき孤独感があり、堂々とした風格が示されている。

そこにはワルター独自のあたたかさとのびやかな歌と、ひたむきな推進力と緊張感があり、豊麗なロマンティシズムがすべてを支えている。

これは歴史的な演奏の記録である。

「ハイドン変奏曲」は整った構成で各楽章が入念に処理されており、格調の高い演奏だ。

「大学祝典序曲」は温雅で明朗、祝典的な華やかさが快い印象を与える。

「第2」はオーケストラの人数が少ないためか、響きの量感に不足している。

ワルターの指揮もやや生気に欠ける感があるが、それでも旋律はふくよかに歌い、ドイツ・ロマン主義の精髄を伝える。

後半の2つの楽章では率直に感興を盛り上げるが、造形には全く無理がない。

「第3」もオケの編成が少ない感じがあるが、CD化で音色がまろやかになった。

ワルターの指揮も平衡感が強く、それぞれの楽章の性格が判然と描き出されている。

「第4」は、作品の抒情性を豊かに引き出した演奏で流麗この上ない。

特に第2楽章のなぐさめにみちた暖かい表現は印象的で、後半の2つの楽章も力強い。

ニュアンスの美しさも特筆に値するが、終曲では音構造が明確に表現され、単なるロマンティシズムを突き抜けた境地を示す。

「悲劇的序曲」は純音楽的な表現。やや遅めのテンポで朗々と旋律を歌わせたもので、情感を大切にしながら、流れの豊かな演奏を行っている。

こうした曲を聴くと、ワルターのブラームス観というのものをはっきりとうかがうことができる。

「運命の歌」は老ワルターの、温かな人間味と、やさしさが伝わってくるかのような、慰めにみちた演奏である。合唱団は技術的にも優れたものとはいえないが、ワルターの棒によく応えて、感動的な歌唱を行っている。

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classicalmusic at 18:32コメント(0)トラックバック(0)ブラームスワルター 

2010年03月03日


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男性的な堂々としたゼルキンのピアノと、精緻なセルの指揮による演奏。

押しても引いてもビクともしない強固な造型を備えており、それはセルの強い統率力とゼルキンの厳しい意志の力が生み出した結果である。

ゼルキンは含みのない武骨さと力いっぱいの打鍵によって、男性的で堂々たるブラームス像を奏でており、音楽を細部まで鮮明に満喫できる。

しかもどこかゆとりがあり、豊かな情感や寂しさなども頻出して、表現をいっそう多彩なものにしている。

セルの指揮は緻密なニュアンスが美しい。

ブラームスの2曲のピアノ協奏曲はオーケストラが重要な役割を担っていて、指揮者とオーケストラがうまくないと映えない曲になってしまう。

その点ではバックハウスとベーム=ウィーン・フィルが名演とされているが、このブラームスの作品としてはあまりにも重厚すぎる。

その点、R.ゼルキンのまさに誠実で、しかも逞しい熱演と、セルとクリーヴランドの、これも飾らない北ドイツ風の重い演奏は、この作品の真実の姿を響きにしている名演である。

バックハウスやツィマーマンの演奏は最初に聴いたときは驚くが、2度、3度と聴く気になれない。

ゼルキン&セルの演奏は聴くたびごとに演奏の巧みさを発見する。

ブラームスにしてはキッパリ物を言い過ぎると思う人もいようが、この頑固オヤジ同士の一徹さもまた尊い。

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classicalmusic at 06:30コメント(2)トラックバック(0)ゼルキンセル 

2010年03月02日


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文字どおりカラヤンの最後の来日公演となった演奏で、死のわずか1年前に指揮されたものである。

しかし、演奏内容は磨き抜かれた美しさと壮麗なる輝かしさを誇っており、勢いもスケール感もまったく失われていない。

カラヤンが最後まで凛々しく、年齢に甘えない芸術家であったことを知らしめる、厳しく、妥協のない名演であり、これ1枚でもカラヤンの凄さが実感される。

ベルリン・フィルもそんなカラヤンの指揮に全力で応えているが、驚くべきはその表現の緻密さであり、ちょっとしたフレーズからもハッとするような美しさが聴かれて、身が引き締まる思いだ。

「展覧会の絵」はダイナミック・レンジが極めて広く、その迫力と精密さは言語を絶する。

ベルリン・フィルのアンサンブルの緻密さと、サウンドのゴージャスなことでは、その右に出るものはない。

過去3度の録音にも共通する都会指向の洗練味は相も変わらず魅力的で、カラヤンの平衡感覚の見事さと、ストーリーテラー的な巧さも他の追随を許さない。

ベルリン・フィルの手厚い表現力と輝かしい色彩を豊かに生かして各曲を緻密に磨きあげ、すばらしく聴き映えのする演奏をつくっている。

特に、充実した低弦に支えられた音楽の広がりと奥行き感は抜群で、自在に描かれたその表現がいっそう印象的になっている。

ベートーヴェンの交響曲第4番からも、カラヤンの新たな登頂への挑戦が伝わってくる。

きわめて流麗に流しながら、作品のもつ美しさ、躍動感をとことん追求した演奏だ。

スタジオ録音での完成された容姿にとらわれず、なりふりかまわずひたすらムジツィーレンの興趣を開放しているかのように思える。

老いてなお、これほどの若々しい表現を表出できたカラヤンのしなやかな感性には、驚く。

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classicalmusic at 18:58コメント(0)トラックバック(0)カラヤンムソルグスキー 

2010年03月01日


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クナッパーツブッシュとウィーン・フィルによるこの録音は、それが残されていたことに深く感謝したいかけがえのないディスクである。

ブルックナーという作曲家の本質を見事に把握した演奏で、歴史に残る名演といえよう。

造形のスケールも大きく、あらゆる部分に意味があり、深い心情が表出されている。

素朴で力強く作為のない自然体の演奏だが、そこには音楽を知り尽くした境地が開かれていて、風格がある。

この曲は、演奏者のブルックナーの精神や音への共感がなくては充分に表現し切れない曲である。

クナッパーツブッシュのブルックナーはそのどれもが格別の名演だが、この巨匠の音楽を最良の状態で打ち出されるのは、やはりウィーン・フィルを得た時と考えるのが妥当であろう。

全曲を一貫した重い情感で、どっしりと統一した、クナッパーツブッシュの深い理解と、ウィーン・フィルの渋いブルックナー・トーンとは、他に求められないものである。

これはあたかも、ブルックナーの音楽とその表現の典型を示したような演奏である。

改訂版を用いた演奏のため、ブルックナーの作風とは異質の部分があるにもかかわらず、それを忘れさせてしまうほど豊かな音楽が充満している。

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