2010年04月

2010年04月30日


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《マニフィカト》という名曲がカンタータやマタイ受難曲、ロ短調ミサ曲ほどに聴かれていないとしたら残念だ。

前者ほどに名演盤が多くないからだろうが、神の子を宿したマリアの神への感謝と賛美を表す《マニフィカト》こそ当時最も親しまれた宗教音楽であり、もっと知られてよい。

そうした中で、このガーディナー盤はこの曲の決定盤といえるほどの名演奏を聴かせてくれる。

この「ニ長調」版の冒頭に響くD管トランペット他多くの管楽器とティンパニを伴う開始音楽は、管弦楽組曲に勝るとも劣らない素晴らしい響きだ。

これはガーディナーのフィリップスへの初録音。いわゆるオリジナル楽器やそのコピーを使った演奏で、ピッチも半音ほど低い。

しかし、そこから引き出されるバッハ像はいかにもすっきりとまとめられた現代的なもので、その多くは驚くほど速めのテンポに由来している。

「マニフィカト」における歌唱は平均的水準だが、モンテヴェルディ合唱団のコーラス〈私の魂は主をあがめ(マニフィカト)〉に続く第2曲以降でアージェンタのソプラノが清澄に響きわたる。

第3曲でオーボエ・ダモーレに導かれて歌う〈この主のはしためにも〉は感動なしには聴けない。

カンタータ第51番「もろびとよ歓呼して神を迎えよ」におけるエンマ・カークビーが清澄な声で端正な歌唱を聴かせてくれる。

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2010年04月29日


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ポリーニとベームの初共演ということで話題になった録音。

人類史上最も美しい音楽を書いたのはモーツァルトと言われている。世界で最も美しい音色を出すオーケストラはウィーン・フィルだと言われている。

このふたつが、真実として結晶化した録音がある。ベーム指揮、ポリーニ独奏で演奏されたピアノ協奏曲第23番だ。

私はこの演奏をもう15年近く聴いてきて、まったく飽きない。それどころか、聴くたびに、何と美しいのかと思う。ぐうの音も出ない。

ウィーン・フィルの録音はいくらでもあるけれど、これほどまでに美しい演奏をした記録は他にないかもしれない。

ポリーニはショパンではあれだけ詩的情感をこめて演奏していたのに、モーツァルトでは意外と淡々としている。

それでいて第23番の第2楽章など何ともいえぬ甘く悲しい情感を見事に出しているし、第19番の第3楽章でのオーケストラとのかけ合いも見事である。

ベーム指揮のオケは厚みがあるうえ、リズムやアンサンブルがきっちりしていて素晴らしい。

弦楽器は優雅で、なめらかで、柔らかくて、メランコリック。木管楽器はこれ以上ないというくらいに絶妙の表情をしている。

フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、が紡ぎ出す響きの何という美しさ。

決して濃厚な味わいではない。油彩というより、水彩画だ。透き通ったような、まさに空気の震えのような美しさだ。

ピアノも目立ちすぎないのがいい。オーケストラ以上に薄味で自己主張が強くないので、心おきなくウィーン・フィルの美しさを堪能できるのである。

世代は違うけれど、ポリーニとベームはモーツァルトの協奏曲において、ぴたりと合っていたんじゃないだろうか。

なぜかアバドではなくてベームが、ポリーニのエレガントな、というよりエレガントだったモーツァルトの弾き方に、調和していた。

この演奏に説明はいらない。

ベームは、いまでは失われてしまった"ウィーン風"モーツァルトの美をウィーン・フィルから引き出し、それが実にポリーニの、美音とくっきりした様式感を持ったピアノを支える。

モーツァルトの音楽が幸福感と結びついていた時代の記念碑みたいに、いまでは聴こえてしまうのが、ちょっと残念だけれど、まだ甦る可能性だってあるし、この記念碑はそれ自体素晴らしい。

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2010年04月28日


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サン=サーンスのピアノ協奏曲は以前はコンサートでかなり頻繁に取り上げられていた記憶があるが、このところ、お目にかかる回数がめっきり減ってしまった。

協奏曲にも流行廃りの波がはっきりあるらしい。

いまや、現役のディスクも新録音も少ないが、サン=サーンスのピアノ協奏曲は、フランス近代音楽のレパートリーのなかにきちんと残しておきたいもの。

ここで紹介するロジェの演奏は、約30年前の録音だが、サン=サーンスの協奏曲のいわば定番的な存在。

パスカル・ロジェは、1951年生まれのピアニストで、フランスものを弾かせたら、抜群のうまさをもっている。

ここでも、超絶的な技巧に支えられて、多彩な表情で弾きあげていて、素晴らしい。

ロジェは少しばかりワリを喰っている感じがあるピアニストだ。

野球選手にたとえるなら、ロジェはコンスタントに高打率を残し、守備も堅実だが、派手に大ホームランをかっ飛ばしたり、美技で大向こうをうならせるタイプではない。

実力に比し、その存在が地味になりがちである。

そうしたロジェの好ましい持ち味は、たとえばここに聴くサン=サーンスの音楽といった、ある種ヴァーサタイルな視野を必要とするような場合には最大限の効果を発揮する。

この協奏曲は無闇と巨匠風に弾いたり、通俗的になってはダメ。きちんとした音楽性を必要としている。

ロジェはその点をよくわきまえているといえよう。

サン=サーンスのピアノ協奏曲は、さっぱりと弾かれてしまうことが多いが、このロジェの演奏にはコクがあり、心の裏付けを伴ったセンスの良さが最高だ。

タッチも腰が強くて、手応え満点である。

デュトワの指揮も敏感を極め、第4番の名演は彼のセンスの良さと絶妙な表現によるサポートに助けられたものだ。

全曲を通じてのカンタービレの美しさ、情熱、ニュアンスの妙など、例をあげればきりがない。

軽やかなタッチと色彩感がサン=サーンスのピアノ書法を浮き立たせている。

第5番ヘ長調《エジプト風》に見られる異国情緒豊かな表現も魅力的である。

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2010年04月27日


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アシュケナージの3枚のスクリャービン・アルバムからのソナタをすべて収めたもの。

1972年から84年にかけて収録されたアシュケナージの名盤のひとつ。

アシュケナージはこの母国の作曲家のソナタを、12年かけて全曲録音した。

ショパンやベートーヴェンの大部の全集の影に隠れがちだが、スクリャービンのソナタの全貌を広く世界に知らしめた意味はきわめて大きい。

研磨されたピアノの響きは言うまでもなく、演奏の完成度の高さは、名だたる国際コンクールを制覇した稀代のヴィルトゥオーゾの面目躍如である。

1曲1曲、吟味を重ねたのであろう、完成度はいずれもきわめて高く、時代とともにスタイルを変えていくスクリャービンの音楽の姿を忠実、かつスケール大きく表現し尽くしている。

そこでは重厚さと精妙な響きを兼ね備えたアシュケナージの音が雄弁な効果を発揮しているのは言うまでもない。

どの1曲をとってもそれぞれの作品にスクリャービンが託した抒情、激情、あるいは超越への意思に翼を与える、スケールの大きな名演といえる。

真正面から音楽に向き合い、1音たりとて雰囲気で流してしまわないのはアシュケナージらしい。

第1番は真にヴィルトゥジティの魅力に溢れ、甘美なロマンティシズムが息づき、《幻想ソナタ》の透徹したリリシズムと純度の高い表現が大きな感動を誘う。

大きくファンタジーのはばたくスクリャービンの世界を実現したこの演奏を越える全集は、当分望めないだろう。

アシュケナージによるスクリャービンへのオマージュ。

余談だが、LPで発売されたときに余白に収録されていた小品も見事だった。それらについても、ぜひCD化していただきたいものだ。

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2010年04月26日


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ムーティがみずみずしい音楽性で、素晴らしい成功を収めた秀演だ。

ムーティ42歳の時の鬼気迫る演奏である。

ピリピリとした神経が全曲に張りめぐらされており、曖昧なところは何もなく、あくまでドラマティックに、そして神秘的にファウスト、グレートヒェン、メフィストフェレスの世界が描き出されていく。

ムーティが握りしめている絵筆は、インスピレーションと感動に打ち震えているのであり、導き出される色彩も鮮烈かつ過激であり、聴き手は抑制し難い興奮の中で、リストがゲーテ作品に寄せた切実な想いを追体験していくことになる。

ムーティのドラマに対する非凡な感性が、このユニークな交響曲を、卓越した緊張感と豊かな情感のもとに楽しませてくれる。

痛烈で端的、情熱的で鮮やかな色彩感をもち、きりりと引き締まった音楽で、長大な第1楽章から存分に劇的で、聴き手を退屈させることがない。

第2楽章は純音楽的な響きと表情の美しさが特筆され、第3楽章は情緒的にもうるおいがあり、終楽章の堂々とした終結感も聴き手を満足させることだろう。

しかも「グレートヒェン」では室内楽的緻密さで純なる清らかさも描き出すなど、表現の奥行きも深い。

4つの楽章それぞれが、完全にその性格を把握され、対照感をもって描かれているにもかかわらず、そこには一貫した音楽のイディオムが聴かれる。

スケールの大きさや、鮮やかな色彩感もプラスしている。

リストのオーケストラ作品はピアニスト的な感覚で書かれている部分もあって、作曲家が望んだ効果をオーケストラでうまく表現するのは難しいという。

下手なオーケストラでは骨折り損のくたびれもうけになる確率も多そうだが、ムーティとフィラデルフィア管弦楽団はそうした点を難なくクリアーして、この曲に内在するドラマを生き生きと色鮮やかに描き出す。

たとえば、出だしのファウストの主題からして、ムーティは増三和音に秘められたファウストの、自分ではどうしようもない欲求を明らかにする。

随所で旋律美を際立たせ存分に歌わせながらも音楽が停滞することはなく、76分がたちまちのうちに過ぎていく。

ムーティの才能と同時に怖さすら知らしめた記念碑的演奏だ。

ムーティのフィラデルフィア管弦楽団時代の代表的録音として特筆される。

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2010年04月25日


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リヒテルが、スタジオ録音をそろそろやめ、もっぱらライヴ盤を出し始めた頃の名盤のひとつ。

リヒテルはもうこれ以上遅くはできないぎりぎりのところまでテンポを落とし、しかも音色美に過剰に依存することもせず、感情表出の深い境地に静かにわけ入ってゆく。

ここではひたすらシューベルトの音楽に沈潜した大家の、年輪を経た円熟した肉声が語りかけてくる。

リヒテルは、シューベルトのピアノ・ソナタを多く録音しているが、とくに第14番は、リヒテルの数々の演奏のなかでも傑出している。

シューベルトが病のため憂愁に閉ざされた頃の産物である、このもの哀しいイ短調のソナタを、リヒテルはゆったりとしたテンポで、しばしば深淵を見遣るような表情とともに奏でている。

きわめてゆっくりしたテンポで、シューベルトの音楽の内面をじっくりとえぐりだしたような表現は、聴いていると、思わずひきこまれてしまう。

ちなみに彼は"愛すべき作曲家"シューベルトの奥に横たわる深いものを、誰よりも早く、そして的確に、探り出してみせたピアニストではなかったろうか。

この演奏の重さと、それにもかかわらず漂っている不思議な澄明さは感動的である。

なお併録されている第13番もたいへんに美しい演奏。

第9番と第11番という、なかば忘れられようとしているシューベルトが20歳頃に書いたつつましい2曲から、リヒテルは豊かな情趣を引き出している。

例によって緩急自在に弾きわけながら、音楽の流れは自然で、しっとりとした情感に満ち、心の底に深く訴えてくる。

第3楽章として作品145のアダージョを併用している第11番も、作品の問題点を感じさせる以前に、ある真実の表現をもった音楽となっている。

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2010年04月24日


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豊かなキャリアを重ねた後、モントリオール交響楽団という意にかなった手兵を得たデュトワは、そこで根底からその機能を育て磨きあげ、"フランスの楽団よりもフランス的"と言われるようなオーケストラを手中にした。

この録音がなされた時点でも、すでに彼らは、音色、リリシズム、リズム感などのすべてを相互に向上させ、演奏と音楽との双方に洗練の度を加え、爽やかさも増して、それらの特質をすべて生かし得ている。

デュトワの表現はどこまでも上品で、エレガントなところが素晴らしい。

クリュイタンス盤と似た、おっとりとした上品な演奏で、デュトワは繊細な表情をつけながら、各曲を丹念に練り上げ、生き生きと描出しており、特に抒情的なナンバーの美しさは、筆舌につくし難いものがある。

サウンドも洗練されていて、モントリオール響のフランス的持ち味が、フルに発揮された例と言っていいだろう。

ことに管楽器の名人芸には舌を巻いてしまう。

「アルルの女」は遅めのテンポで入念に練り上げている。

軽快なメヌエットやロマンティックな気分あふれるアダージェット、間奏曲中間部の牧歌的な旋律の歌わせ方や、ファランドールの熱気あふれる表現など、まさにプロヴァンスの雰囲気だ。

「カルメン」組曲も極上の出来で、デュトワの演出巧者な表現の光る演奏である。

前奏曲での華麗さと、運命のテーマの暗さとををくっきりと対比させたデュトワの語り口のうまさには息をのむ。

どの曲も、曲の性格を的確につかんだ表情豊かなもので、デュトワの実力がいかんなく発揮された名演である。

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2010年04月23日


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待望の正規盤CD化で、放送局音源だけに音質も優秀である。

シューリヒトのハイドンの交響曲第104番「ロンドン」は、星の数ほどあるハイドンのディスク中、間違いなく最上級を狙う演奏である。

少なくとも、私はハイドンと言わず、自分の知る全レコード中でもトップ10に入れたいほど愛好する。

第1楽章から奇跡の連続技である。威厳のある序奏にはすでに儚さも同居し、主部に入ると貴婦人のような優雅さで、聴く者を魅了する。

どんなにロマンティックに歌っても清潔感を失うことがなく、ベートーヴェンの「田園」でも聴かせた「超レガート奏法」は、まったく浮き世を超越している。

第2楽章も、優しく懐かしい歌から迫力ある部分まで、表現に無限の段階があり、テンポ感覚の自在さは誰にも真似できない。

メヌエット主部にも、音楽に根元的な活力、生命力があり、トリオの哀感と好一対をなす。

フィナーレも、速めのテンポの中に様々なニュアンスを湛えた名演中の名演。聴いていて、こんなに幸せを感じるレコードは、それほど多くはない。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、シェリングの熾烈なまでの一途さと禁欲的な真摯さに打たれる。

シューリヒトの指揮は格調の高いもので、ゆとりのある堂々たる進行が素晴らしい。

シューマンの交響曲第2番もあまりに素晴らしい。シューリヒトのロマン性が、自由に羽ばたいているからである。

第1楽章は、睡眠薬による白日夢のような序奏に始まるが、シューリヒトは我々を否応なしにシューマンの錯綜した精神の森へと誘う。

トランペットの調べが遠い叫び声のように響き、音楽は幾重にも重なった心の闇の中を進むのだが、シューリヒトの往く道は常に明るく照らされている。

第2楽章も精神的な闘争だが、まるで妖精たちの森へ迷い込んだような趣があり、第3楽章の歌もシューリヒト一流のロマンの衣裳を纏い、実に陶酔的である。

フィナーレは、心に悩みを抱きながら無理に笑っているような、ベートーヴェン的な勝利とは無縁の音楽であるが、シューリヒトは、シューマンの晦渋さを明快な音楽に翻訳して、我々を愉しませてくれるのである。

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2010年04月22日


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アファナシエフは詩人だ。彼の思索は深く、そしてその洞察力は鋭く示唆に富んでいる。

アファナシエフが録音したこのシューベルトの「最後の3つのソナタ」に彼が透視したものは、シューベルトが死の間際で味わった気持ち。

それは彼自身の現在(悲痛な気持ち)をオーヴァーラップさせたのだという。

病的ともいえるイメ・クラ的な感情移入の世界に思わずゾクッ。演奏は死の淵を見せるかのようにスタティックで深遠な美しさをたたえている。

シューベルトのソナタにこんな幻影を見せるのはアファナシエフだけ。定評ある名演など物足りなく思えるほど深刻で厳しい世界を描き出している。

今までのシューベルト観など一蹴してしまう斬新な切り口である。

テンポは全体として異常に遅い。しかし、短いフレーズをロックの速弾きよろしく、ものすごいスピードで弾き切ったりもする。

そうして訪れるブルックナーもどきの長いパウゼ。

この繰り返し作業によって生まれるのは、歌の断片にまで分解されてしまった裸のシューベルトだ。

作曲家は、その晩年にベートーヴェンが成し遂げた後期のソナタ形式作品群に、少しでも近づこうとしたのだろうか?その試みは成功したのだろうか?

アファナシエフは「否」と答える。

珠玉のように光り輝いている、夢見るような歌の連なりをもって。

揺れ動くリズムは、自意識過剰の現代人のものだろうが、モダン・ピアノを弾くアーティストとしての彼のアプローチには、抗しがたい魅力がある。

これは音楽の彼岸の姿を見せつけた、凄絶なる記録だ。

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2010年04月21日


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この曲は、モーツァルトのピアノ協奏曲中で最後から3番目にあたるわけだが、その書法の充実ぶりとスケールの大きさで、このジャンルでのモーツァルトの創作の頂点を極めるものと言うことができる。

この曲のそうしたスケールの大きさ、壮麗さが見事に表出されているのは、若き日のバレンボイムが最晩年の巨匠クレンペラーと共演したディスクである。

この組み合わせで、スケールの大きな作品である第25番を選んで演奏したことが、まさに一期一会とも言うべき稀有な成果を挙げている。

クレンペラーの指揮によって、作品は筆舌に尽くしがたい深遠さと巨大さを獲得する。

そこに精妙にして情感に富んだバレンボイムの初々しいピアニズムが絡む。

クレンペラーの悠然たるテンポ、巨大で確固たる造形に身をまかせて、バレンボイムがみずみずしく、しかも表情豊かな演奏を聴かせる。

確かにこの協奏曲は、ハ長調で書かれた平明で壮大な曲ではあるが、実はしばしば短調に傾き、光と影の微妙な交錯を宿している。

バレンボイム/クレンペラーの演奏は、この曲の魅力であるそうした崇高な翳りと輝きの交錯を表現することにおいて最高である。

曲中でつねに重要な役割を果たす木管楽器の美しさも特筆すべきであろう。

クレンペラーの偉大さと若きバレンボイムの早熟な才能。まさに記念碑的名盤と言うにふさわしい。

モーツァルトの繊細な光と影の世界を偉大な造形のなかに現出させた、後世に語り継がれるべき至高の名演だ。

バレンボイムはこのあと、2度この曲を録音し、それらも素晴らしい演奏だが、最初の録音の印象があまりにも強すぎる。

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2010年04月20日


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R.シュトラウスの音楽は、オーケストレーションの華麗さとサウンド面における都会的な洗練味が、その最も重要なポイントといえるだろう。

加えて飽くなきオーケストラの名人芸と感覚的な鋭敏さも要求される。

その意味で現代の名人軍団といわれたベルリン・フィルとカラヤンのコンビは、恐らくR.シュトラウスの管弦楽曲を演奏するには、理想の顔合わせといえるのではないか。

R.シュトラウスの管弦楽作品は、コンセプトはロマン派的だったが、構成的には極めて古典的なものである。

そのほとんどの交響詩は、ロンド形式、ソナタ形式、変奏曲形式のような、古典の枠組みによって支えられている。

そのことがつまりこれらの作品に、標題から離れても観賞出来る普遍性を持たせているのである。

カラヤンはそうしたことを熟知して、極めて優れた職人芸で、これらの作品を料理している。

錯綜したオーケストレーションの綾を解きほぐし、誰にでも分かるように整理して演奏されている。

そして彼の意図をベルリン・フィルは他のどの団体よりも鋭敏に反応して、オーケストラの名人芸を繰り広げている。

シュトラウスの作品に精神性や哲学はいらない。徹底した職人芸さえあれば、それで曲は立派に生かされるのである。

その輝かしくも官能的なサウンドに酔い痴れる度量があれば、これが天下の名盤であるということが、たちどころに分かるだろう。

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2010年04月19日


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パールマンというヴァイオリニストは、いつも高度なテクニックを万全に発揮させ、明るい音色を駆使しながら、活気あふれる雄弁さで底抜けに楽天的な音楽を、高い完成度でつくり上げていく。

それはここに聴くシベリウスの協奏曲(併録されているコルンゴルド、シンディングともども)においてもかわりはない。

きわめて明るく開放的な音色をもつパールマンだけに、重く暗い北欧的な情緒にはやや乏しいが、内に秘められた情熱を、メリハリをつけながら、巧みな設計で表出しているところにひかれる。

複雑に屈折したり、暗く悲観的になったりはしないで、どこまでも明るく、のびやかに発想された演奏となっている。

ごく通念的な見かたでは、シベリウスの協奏曲は北欧ふうの澄みきった情感とほの暗いトーンが入り混じっていると解されることが多い。

その点ではこのパールマンの演奏はユニークだ。

ユニークで、完成度の高い演奏である。

シベリウスはパールマンが真正面からケレン味なく切り込んだ演奏で、凛然たる音色が美しく、緊張感に満ちている。

北欧の楚々としたいじらしい香りには乏しいが、高度な実力に支えられた開放感と雄弁な迫力がすさまじい。

フィナーレなど後期ロマン派の作品を聴くような趣だ。

シンディングも鮮やかな技巧によって、ものおじせずに楽器を鳴らしきった名演だ。

プレヴィンのバックも立派。

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2010年04月18日


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1964年の、ベームにとって2度目の録音で、造形のしっかりとした極めて完成度の高い、規範的な名演である。

そのドイツ的な骨太の表現はいかにもベームらしい。

きびしい造形的な表現のなかにもメルヘン的な素朴さと、伸びやかなファンタジーを失わず、複雑な内容のすべてを的確に語り尽くしながら、格調と統一も失っておらず、真にドイツ的なジングシュピールの世界を作り上げている。

しかもこの人の演奏にはえもいわれぬ風格があり、そうしたところに強くひかれる。

この演奏は、まず何といってもカール・ベームのモーツァルトの音楽の正統的ですぐれた解釈がその基本になっているが、そのほかにも多くのすぐれた点がある。

まず全体の構成からいうと、音楽の間に入れられるセリフの部分が簡潔に、しかも必要かつ充分であることが挙げられる。

次に歌手では、タミーノ役のヴンダーリヒがすばらしく、若くして亡くなったこのテノールの貴重な録音であること、パパゲーノ役のフィッシャー=ディースカウはやや真面目さを感じさせるが、表現力は抜群で、最後のパパゲーナとの二重唱も絶品である。

ピータースの夜の女王の弱さが気になるが、その他の歌手たちはいずれも粒揃いで、とくに重唱の部分のアンサンブルの良さにも注目される。

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2010年04月17日


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組み合わせと録音のすこぶるよいディスクである。

いずれも、ドラティのバレエ音楽に対する自信のほどがはっきりと示された名演で、バレエ音楽に非凡な才能をみせてきた巨匠ドラティの優れた演奏。

ドラティは、ブダペストのフランツ・リスト音楽院でバルトークやコダーイに作曲を学び、1933年にモンテ・カルロを本拠とするロシア・バレエ団(バレエ・ルッス)の指揮者となり、1941年からアメリカのバレエ史上の大きな足跡を残したバレエ・シアターの創設に音楽監督として参加した。

そうしたドラティにとってストラヴィンスキーのバレエ音楽は自家薬籠中の作品といってよいだろう。

ドラティはデトロイト響を意のままに動かしながら、丁寧に仕上げている。

永年に渡ってあらゆるバレエ音楽を手がけてきたドラティだけあって、その棒が冴える。

細部に至るまで神経が行き届いた実に鮮やかな演奏で、リズム処理のうまさはこの指揮者独特のもの。

ドラティは大編成のスコアを極めて綿密に読みつくしていることを思わせ、そのオーケストレーションがもたらす音色的な推移やリズムの変化などを鮮明に描き出しながら、これらのバレエ音楽の踊りと情景とを見事な構成感のもとに表出している。

《春の祭典》は、70歳を越えた指揮者のものとは思えないほどの力感と情熱にあふれ、しかも急所はピタリと抑え、全編が精密に構成されている。

ドラティは、確信にみちた運びの中に力感あふれる表現をしなやかに行き渡らせ、デトロイト響の反応も優れている。

ことに、第1部の「賢人の行列」や、第2部の「祖先の呼び出し」などの巧みなまとめかたは秀逸である。

《ペトルーシュカ》では、第3場の人形たちのデリケートな動きや、最後の場面での不気味な雰囲気にあふれた表現など、心憎いほどの腕の冴えを見せる。

《火の鳥》は初演版による演奏である。

このドラティの晩年にデトロイト響を指揮して録音された《火の鳥》は、表現の巧緻な点で、3大バレエの中でも最もすぐれているといってよいのではないだろうか。

録音当時76歳のドラティは、風格あふれる運びと精緻な表現で、音楽の細部を実に的確にバランスよく描く。

この柔軟で確かなバランスゆえに、聴き手は音楽の大きな流れと新鮮な生命感をたたえた演奏の中にも、細部の魅力を無理なく味わえる。

細部まで実に的確な切れ味の良い表現が生き生きとしなやかに織りなされており、その精緻な美しさと全曲を見通した構成の良さは、数あるこのバレエ音楽の演奏の中でも群を抜いている。

しかも、作品を知りつくした巨匠は、各曲をいかにもバランスよく鮮明に描き分けて、見事なドラマをつくってゆく。

オーケストラ・トレーナーとしても類まれな手腕をもっていたドラティに鍛えられたデトロイト響の鋭敏な反応を示し、しなやかに強い集中力をもった反応も素晴らしい。

バレエ音楽のスペシャリスト、ドラティの透徹した解釈が年輪を加えることによって、いっそう見事な香気を放った名演というべきだろう。

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2010年04月16日


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ズーカーマンとパールマンは、イスラエル出身のヴァイオリニストとして双璧といわれているが、ズーカーマンのほうはとくに古典的な音楽にレパートリーの中心をおいているようである。

バレンボイムとは1970年代の前半にコンビを組み、協奏曲やソナタなどのレコーディングをおこなっている。

これは1974年の録音なので、ここにはこのふたりの生鮮ではつらつとした若さが感じられる。

ズーカーマンのヴァイオリンは、きわめて甘美な音色で、旋律をたっぷりと歌わせたロマンティックな演奏である。

バレンボイムのピアノも骨組みがしっかりとしていて、全体をきりりと引き締めている。

バレンボイムが、かなり知的な線からブラームスに迫っているのに対し、ズーカーマンのヴァイオリンは、純感覚的に歌っている。

その意味で、ズーカーマンの演奏は、美しく、流暢で若々しく、疑う余地もなく彼自身の音楽になっている。

それは「第1番」に最もよく現れており、「第2番」ではみずみずしくふくよかな表情が美しい。

そして、ピアノが見事に音楽を引き締めている。

ふたりの呼吸もぴったりだ。

とくに「第2番」の演奏は素晴らしい。

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2010年04月15日


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チョン・キョンファとルプーの唯一の共演盤で、彼女の初のソナタ録音だった。

"情熱"のチョンと"抒情"のルプーがコンビを組んだ異色のアルバム。

数多くあるフランクのヴァイオリン・ソナタの録音の中でも、チョン・キョンファとラドゥ・ルプーが1977年に録音したこのディスクは、全く別格の演奏を聴かせてくれる。

チョンもルプーも、共に完璧なテクニックの持主でも特別な美音の持主でもない。

その代わりチョンには余人をもって代え難い集中力が、ルプーには心の襞に染み入る繊細さがある。

その反面チョンには時に激し過ぎる感情表出、ルプーには内省的過ぎる弱さもある。

ここでの2人の共演は、2人の長所を融合する事によって短所を駆逐し、高度の精神的営みとも呼べる演奏を達成している。

崇高なまでの音楽の優しさと慈しみがここでは美しく歌われている。

チョンは初めてのソナタ録音だけに少々構えたのか、フランクでは控え目な表現になっており、彼女にしては音がスリムだが歌いまわしはロマン性に富んでいる。

これに対しドビュッシーでは積極的に発言しようとする姿勢が目立つ。

おそらくチョンとルプーの2人に"弱々しいドビュッシー"に反発する気持ちがあったためだろう。

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2010年04月14日


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「お母さま、どうか泣かないでください」とソプラノが淡々と歌う世にも美しいアダージョ楽章を持つ全3楽章1時間近い交響曲。

1992年12月、ポーランドの前衛作曲家ヘンリク・グレツキが17年も前に書いた交響曲を録音したこのアルバムは、突如、イギリスのポップスのヒット・チャートにランク・インした。

作品は1970年代半ばに書かれたものだが、1990年代になってドーン・アップショウが歌うこの美しいアダージョ楽章がラジオから繰り返し流れたことから、ヨーロッパを中心として世界的大ヒットとなった。

ちょうど"癒しの音楽"の流行ともあいまって、大きくクローズ・アップされた形である。

ペルトと同じく、現代音楽専門の評論家や作曲家たちの頭を飛び越えて直接聴衆の心を捉えてしまった稀有の1枚である。

ポーランドの売れない前衛音楽の作曲家だったグレツキは、この1枚で20世紀後半を代表する現代音楽作曲家にのし上がり、以後ペルトと並んで「新しい現代音楽」の代名詞になったほど。

ほかの録音との違いは、アップショウの透明な声がことばの悲劇性をいっそう際立たせた点にある。

3楽章とも戦争にまつわるポーランドの女性の哀しみを綴った歌詞をソプラノが歌う独唱を伴っているのだが、特に第2楽章の「お母さま、どうぞ泣かないでください」の一節は涙を誘う。

ロンドン・シンフォニエッタの演奏も強弱ををすっきりと整えて、ぐっと洗練されている。

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2010年04月13日


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新ウィーン楽派に近づいたマーラー演奏である。

激情に押し流されず、作品の多層的・多義的な形式構造を克明に描き出すことによって、書かれた楽譜からマーラーそのものに肉薄しようとする演奏の最右翼。

遊び性やロマン性もそこから浮き出して聞こえてくるが、クリーヴランド管弦楽団の力量あってこその表現でもある。

マーラー特有の世紀末的哀感に、感傷という香料を加えて強調する―これがかのワルター以来のマーラー演奏の主流になっていたような気がする。

だがここにきて、感傷性や抒情性を過度に強調せず、より客観的な再現を目指す演奏が多くなってきた。

ブーレーズのマーラーはその最たるものだ。

もの悲しい表情をたたえている「夜の歌」。しかしブーレーズは、厭世的な悲しみや感傷を強く押し出すことは避け、また低回趣味にも組していない。

基調となっているのは、"ほのかな明るさ"。

人生のたたかいとか慟哭、内面の恐怖というものを決して強調せず、整理整頓のかぎりをつくした透明感がいかにもブーレーズらしい。

加えてブーレーズは、古巣であるクリーヴランド管に、いささか現実感に乏しい室内楽的ともいうべき精妙さを求めている。

重々しすぎないモダンなマーラーで、練れた音作りはベストと言えよう。

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2010年04月12日


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1950年代、60年代のヨーロッパ前衛音楽の指導的立場にあった、ドイツのシュトックハウゼンの代表作を集めたアルバム。

彼はミュージック・セリエルの方法論を出発点にしながらさまざまな作曲理論を展開・実践し、同時代者たちに多大な影響を与えた。

ピアノ曲気らⅪ は、初期の点描主義から群作法、持続のセリー、偶然性の導入にいたるシュトックハウゼンの思索の足跡を一望するのに格好のシリーズである。

とくにコンタルスキーの演奏は歴史的名演と呼べるもので傾聴に値する。

アロイス・コンタルスキーは、そのクリアなタッチと力強い音楽創りに定評があり、現代ピアノ作品の演奏の場には、弟のアルフォンスと共に欠かせないピアニストであった。

このLPは1970年に日本でリリースされたが、戦後の前衛音楽を常にリードしていたシュトックハウゼンのピアノ曲機Ⅺ を入れたもので、70年大阪万博にシュトックハウゼンが来日するのに合わせて出された。

しかしこれによってシュトックハウゼンが提唱していた「群作法」「可変形式」「多義形式」などの前衛音楽の概念が、より明確にされた歴史的なディスクといっても過言ではない。

2曲のミクロフォニーも電子音楽のパイオニアであった作曲者のライヴ・エレクトロニック・ミュージックの傑作で、想像力豊かな音の出会いが聴ける。

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2010年04月11日


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《ツァラトゥストラはかく語りき》におけるメータの演奏は、メリハリをきちんと付けた実にスマートな表現で、この難渋な音楽を明快率直に料理している。

その楽譜の読みの深さと卓抜な演出力は、彼が録音当時30代の若い指揮者とは思えない程だ。

作品の根幹に横たわっている哲学めいたものや鬱屈などは、どこ吹く風とでもいいたげに、グラマラスに音楽が盛り上がっていく。

とりわけ、冒頭部の壮大な響きをはじめ、「病から癒えゆく者」で、みるみるうちに熱を帯びた音楽が勢いよく跳ねまわるのを耳にすれば、メータの際立った個性と才能を実感できることだろう。

《英雄の生涯》もまた、メータ会心の演奏である。

ゆったりとしたテンポで堂々と始まる冒頭の部分からして大変スケールが大きく、この曲の開始にふさわしい押し出しの立派な表現だ。

しかも全体に設計が綿密で、語り口もうまく、メータの早熟ぶりが如実に示されている。

情感豊かにまとめた「英雄の伴侶」は特に素晴らしい。

オーケストラの響き自体は、骨太かつ肉厚でありながら、時には、独特なフレージングで、たっぷりとした歌を引き出してみせるなど、語り口も実に巧みである。

ロスアンジェルス・フィルの弦楽セクションの輝きに満ちた厚みに加え、まばゆい光彩を放つ金管セクションも見事である。

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classicalmusic at 16:00コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスメータ 

2010年04月10日


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コリン・デイヴィスはイギリスの多くの指揮者がそうであるように、何事も極端に走ることのない妥当な演奏を聴かせる人だが、オペラでの活躍にも示されるように、無難なだけでない表情の豊かさが、その演奏を魅力的にしている。

コンセルトヘボウ管を指揮してのドヴォルザークでも、民俗的な香りを前面に押し出すことなく、節度を保ったきわめてノーブルな演奏を展開しているのだが、その端々に聴かれる直截ながら愛情を感じさせる表情の美しさは、作品の魅力を伝えて余すところがない。

デイヴィスはコンセルトヘボウ管と、ドヴォルザークの交響曲は最後の3曲を録音しているが、いずれも大変に美しい演奏となっている。

当時(1970年代後半)のデイヴィスはより率直で切れ味の鋭い音楽を作っていたが、それがこれらを交響的に表現して余すところがない。

3曲とも堅固に構築された演奏であり、これらが19世紀の交響曲としても傑出した作品であることを改めて感じさせる演奏でもある。

即ち、民族性などに頼らずとも、充分な存在価値を持つ作品であることを証明している。

「新世界より」はデイヴィスが真正面から真摯に取り組んでいる演奏で、いかにもダイヴィスらしく克明、堅実である。

彼がコンセルトヘボウを指揮した場合特にそういう特徴が表れるが、この演奏はその好例といえる。

従って、作品の古典的な形式を生かした実に力強い音楽となっている。

小手先の細工を弄せず、妥協を許さぬストレートなアプローチで、ダイナミックに音楽を進める。

ときおり個性的な解釈が顔を出すものの、基本的には決して奇を衒わない正攻法。

第1楽章の提示部を反復しているのもデイヴィスらしいが、これは交響的、純音楽的な姿勢で首尾一貫した演奏である。

それをコンセルトヘボウの豊かな響きが包み込んで、音楽的な充実感の極めて高い名演奏が実現している。

「交響的変奏曲」も同じ傾向の表現。

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classicalmusic at 15:59コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークデイヴィス 

2010年04月09日


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「3番」「4番」とコンセルトヘボウ管と共演してきたアーノンクールが、いよいよウィーン・フィルと組んで成し遂げた飛びきりの名演である。

ウィーン・フィルの魅惑の音色とブルックナーには格別の良さがあるが、それにしても、これほど大言壮語しないブルックナーは珍しい。

風が吹けばかき消されてしまうほどの儚さである。

徒らなヴィブラートを戒める弦の奏法により、響きは至純を極め、ブルックナーの無垢な魂を伝えてくれる。

ここに圧倒的な音圧はない。繊細なニュアンスやバランス感覚がこの演奏の命であり、それ故に再生の環境によって評価が左右される可能性もある。

弦の音圧がことさらに高いわけでないので、この魅力は聴き取りにくいかも知れない。

全曲のどこをとっても美しいが、第1楽章のしみじみと懐かしい歌、絶えず意味深い低音の進行など堪えられない。

第2楽章のテンポ設定の巧みさには目が開かれるが、天に登りつめたような壮大なクライマックスで、シンバルとトライアングルのない意味が、これほど分かる演奏も珍しい。

ワーグナーの死を予感して書かれたコーダの「葬送行進曲」におけるワーグナー・チューバの響きは痛切であり、巨匠の死を悼むブルックナーの魂の叫びが聴こえてくるようだ。

スケルツォもリズムそのものが生き物のようであり、シューリヒト以来の名スケルツォとなった。

ここでもバスの音型が生きている。

唯一気になるのは、第1楽章の終結でテンポを速めてしまうことだが、このまま堂々たるテンポで終えることができたら、感銘はさらに深まっていただろう。

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2010年04月08日


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古今の名演奏家がこの曲集の演奏、録音に繰り返し取り組んできたが、ポーランド生まれの女流ヴァイオリン奏者、イダ・ヘンデル(1924年生まれと推定される)は、1995年にようやく重い腰を上げ、全曲を録音した。

カール・フレッシュ、ジョルジュ・エネスコに師事し、10歳になる前からオイストラフ、ヌヴー、メニューインらと名声を競い合った天才少女は、ビーチャム、サージェント、クーベリック、チェリビダッケなどのお気に入りとなり、20世紀半ばには誰もが認める名演奏家となった。

しかし音楽のビジネス化を嫌い、スター性を拒否し、結果としてレコーディングからも距離を置き、我が道を行く演奏家となった。

20世紀後半の楽壇が、自ら発言しない演奏家は忘れられていく世の中になったのは惜しまれるが、ヘンデルも危うくそうなりかけた。

だが、彼女の名声は1990年代から復活の兆しをみせ、その結果として70代の声を聞く頃に、バッハの全曲録音に踏み切ったのである。

ヘンデルはもともとロマンティックな演奏家であった。

しかし、エネスコ、チェリビダッケとの出会いがそうした姿勢を改めさせ、解釈をより冷静に深めて、構造や構成をふまえたうえでの再現を志すようになっている。

そんなヘンデルの潔い名演奏家、生き方、考え方そのものから学べる名手によるバッハはさすがに感動の視野が豊かで、喜びにも拡がりがある。

さらに演奏家がもつべき吟持、プライドの高さも教えられる、愛すべき名演である。

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2010年04月07日


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いずれも見事なアンサンブルと緊密な造形で、セルの主張を如実にうかがわせる。

アンサンブルの精密さと透明な響きがあり、また音楽の流れに停滞感がない。

テンポも全般に速めであるが、せきこんだり、リズムが前のめりになったりすることがなく、ほとんど完璧といってよいアンサンブルの精妙さと爽やかな響きの美しさも見事である。

第2番はセルの合理的解釈というものの典型を見せている。

曲想をくっきりと浮かびあがらせ、この演奏を通してベートーヴェンの想念を確実に伝えることに成功している。

第2楽章のリズム、クラリネットの節回しとそのバランス一つをとっても、ほぼ理想的といえる。

また、しなやかに歌われる旋律も魅力的であり、この曲の晴朗な美しさをみずみずしく表現している。

第5番は劇性が強く、細部まで完璧に練り上げた白熱の秀演。

第5番ではテンポの微妙な緩急と楽器の精妙なバランスが、演奏の成果を決定する決定的要素の一つになっている。

セルは曲の要素を徹底的に尊重し、その意味ではきわめて地味な態度を貫きとおす。

このレコードは、ベートーヴェンの交響曲に対するセルの考え方が、最も端的に示された代表盤である。

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2010年04月06日


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第4番は空前の名技集団シカゴ響が、ショルティの完璧なドライヴで胸のすくような快演を聴かせる。

しかもその表現は決して外面的な技術巧緻性だけにとどまらず、内面的な作曲者の心情への共感をも十全に伝えている。

一分の隙もないアンサンブルなど、ショルティの設計は隅々に至るまで行き渡っており、全4楽章がきわめて平衡感の強い造形と響きでまとめられている点も見事。

円熟した巨匠の芸を感じさせる。

「くるみ割り人形」もふくよかで繊細な表現で、その1曲1曲が魅力的である。

第5番はあらゆる点で均衡のとれた、模範的といってよい演奏だ。

管・弦のバランスやアンサンブルはまず申し分なく、ショルティの解釈も適度に客観的で、実に平衡感の強い造形である。

万人向きという点ではこれに勝る演奏はないだろう。

「白鳥の湖」は完全なコンサート様式の演奏で、オーケストラの演奏技術の見事さが随所で感じられる。

「悲愴」は寸分の隙もない純音楽的な表現だが、音と音楽は隅々までふくよかに磨かれ存分に歌い、音楽は常に流麗そのものである。

しかもショルティは全4楽章を通じて瑞々しい感受性でひたすら作品の内奥に迫っており、表面的になることがない。

したがって終楽章も強い共感が示されており、同時に作品の立体的な音構造を解明している。

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classicalmusic at 18:34コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーショルティ 

2010年04月05日


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アルゲリッチとシノーポリの初顔合わせで唯一の共演盤である。

異色の顔合わせが興味深い。

思いもかけない顔ぶれで録音されたベートーヴェンのピアノ協奏曲で、期待を裏切らない素晴らしい出来映えだ。

第1番はアルゲリッチ初録音だが、歴代名盤と並び、ベスト・ワンを争うものと言える。

常にひらめきに満ちあふれたピアノに一癖も二癖もあるオーケストラががっぷりと組みつき、互いに挑発をしかけながらスリリングに演奏を進行する。

しかも、ぎりぎりのところでベートーヴェンの様式は守られているのだ。

第2番は前回録音より一層素晴らしい。

第1番と同様に、個性豊かな演奏家のぶつかりあいが大きな成果をあげている。

彼女は1980年に自身指揮も兼ねて第2番を録音していたが、やはりソロに専念したこの演奏の方が表現がこまやかに徹底されているし、より生き生きと緩急自在な魅力がある。

両者の対話はまるでジャズのセッションを聴く趣きすらある。

好みは分かれるかもしれないが、ベートーヴェンの精神を生き生きと現代に蘇らせた演奏として高く評価したい。

特に初録音であった第1番では、個性的な2人が四つに組んで、それぞれ存分の演奏を繰り広げており、アルゲリッチならではの閃きにとんだ表現がまことに印象鮮やかで、ニュアンス豊かである。

シノーポリもピアニストに一歩も譲っていない。彼は旋律の歌わせ方を身につけ、特にフィルハーモニア管からこれ程美しい弦の音色を引き出したことは驚きだ。



なお、アルゲリッチはこの後、アバド&マーラー室内管弦楽団と2000年に2番、04年に第3番を録音している。

第2番は3度目の録音だが、第3番は初録音であり、みずみずしい感興にとんだ自在な演奏は、ぜひ一聴をお勧めしたい。

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2010年04月03日


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セルのブラームスは現代管弦楽演奏のひとつの極致である。

ブラームスの一面であるロマン主義的な暗い淀みはあまり感じられないが、首尾一貫してセルの理想と個性を鮮明に表している。

総体的に最も適切なテンポで、スコアの求めているところを忠実に表現している演奏である。

一曲一曲実に緻密に演奏されて、弦セクションはじめすべての楽器にわたって申し分のない出来である。

カラヤンの聴かせ上手とは対極にあると言えるようなのが、セルの演奏である。

厳しい姿勢で客観的に、そして古典的に楽譜を忠実に音にしているようで、ほとんど飾り気は感じられないが、オーケストラの優れた合奏力に支えられた端正な表現の中に、男性的な力強さと格調の高さに洗練された感覚が備わり、聴き返すたびに味わいが濃くなるといった演奏である。

第1番は強固な構成力と重量感があり、主題の表出が明快で、細部の音が確実に生かされている。

第2番と第4番が特に素晴らしい出来で、技術的にも精神的にも洗練され、豊かな経験をもった演奏だ。

管弦楽曲も名演といってよい。

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2010年04月02日


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アバドがマーラーの交響曲全集を完成した1995年の時点での全集。

その後、第3,4,6,7,9番についてはベルリン・フィルとのライヴ盤がリリースされているので、第2番の録音が加わればベルリン・フィルとの全集が完結することになる。

とはいえ、この3つ(ウィーン・フィル、ベルリン、フィル、シカゴ響)のオーケストラを振り分けた全集の価値が減じることはない。

各団体にふさわしい作品があてられ、アバドは各々の個性を生かした演奏を展開しているからだ。

ワルターらの第一世代、バーンスタインらの第二世代につぐ、マーラーが広く国際化された時代の名演奏としてマーラー演奏史に残る金字塔だ。

作品の持つ世界に過度にのめり込むことなく、スコアをありのままに表現するアバドのアプローチは不変だ。

しかも、音楽がもつエネルギーはいささかも減じることはない。

マーラーの楽譜の指示を細かく生かし、随所にアバドの個性を感じさせる演奏だ。

アバドのマーラーには新鮮な感覚で作品を大胆に摑みとった痛快な印象に加え、歌う魅力がある。

実によく歌わせたマーラーであり、旋律は歌わせるためにあるのだという考えを音楽の上で如実に示したような演奏になっている。

そして盛り上げるべきところでは断固として表情をつくるので、それぞれの楽章に明快な起伏が生まれる。

アバドは、マーラーの音楽の各部分を緻密に克明に再現する。

歌が中断し分断されるマーラーの音楽の構造が抜群の音楽性をともなって見通しよく示される。

こうした点に、部分をつないで歌をわかりやすく全うしようとする前世代の多くのマーラー演奏とは異なるアバドの特質が聴き取れるが、さらにアバドの場合、個々に分断されて自立し並列する部分ひとつひとつの歌の可能性を追求して、その繊細なパッセージを可能とあらば気合を込めて歌い込む。

アバドのマーラーの魅力と特質と現代性はここにある。

マーラーの演奏史に新たな1ページを刻んだ全集といえる。

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2010年04月01日


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マーラーが完成させた最後の交響曲は、前作《大地の歌》の最後で歌わせた「永遠に」の旋律が再び冒頭から登場するように、地上的なゴタゴタから離れ、生き死にの葛藤さえ越えて、彼岸を見つめているような作品。

同時に、棺桶に片足を突っ込みながらも、生への執着から完全に解き放たれることもままならず、なかなか成仏できない者のためのミサ曲でもある。

つまり、調和と葛藤という二重性がこの曲のテーマなのだ。第1楽章でソナタ形式を踏襲しながらも、二重変奏曲風にも聴こえるように。

ブーレーズという指揮者は、かつてギンギンに理論武装したスタイルでキチキチに音楽を締め上げる指揮者の代名詞であった。

ところが、今ではスター指揮者に落ちぶれてしまった、と評されることも多い。

その音楽から意志の強さが消え、または大レーベルの看板指揮者として利用されたのは事実であるけれど、それを単純に堕落とだけ見なすのは軽率のような気がする。

最近のブーレーズの持つ、飄々とした軽みは、この曲の持つ二重性を素直に表現しているように思えるのだ。

意志が透徹されていないからこそ獲得されるもの、いや意志とは関係ない次元で訪れるものがある。たとえば、死とはそういうもののように。

両端楽章は、その運命を受け入れるかのように、枯れている。

主題が最終的に聖化されて高らかに歌われるのではなく、徐々に消滅に向かう作品だから、この方法は理に適っている。室内楽的な書法が美しく響く。

それに比べて、中間の2つの楽章は悪魔のダンスのように、やたらに乾いていて細かいのが邪悪。というか、ここまで悪ふざけしたこの楽章は聴いたことがない。

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