2010年05月

2010年05月31日


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かつてパガニーニのスペシャリストとして鳴らしたリッチの演奏は、左手のテクニックに意外にラフなところもあるが、実にスリリングで切れ味のよい快演を聴かせている。

超絶技巧を要求されるこの曲の全曲盤の名演は他にもあるが、リッチのこの演奏には遠く及ばない。

難曲を技術的に克服するのみならず、技術そのものを楽しませるコツを心得た演奏といえるだろう。

逆にいえば、超絶技巧練習曲としてでなく《カプリース》を見事に"作品"として聴かせる演奏なのである。

パガニーニの《カプリース》を完全にこなすには、特殊な才能、音楽感覚以前に運動感覚を必要する。

名だたるヴァイオリニストといえども、皆が皆《カプリース》を鮮やかに弾きこなせるわけではない。

だが、リッチは違う。

《カプリース》全24曲を楽々と弾きこなし、その卓越した技量で聴き手を魅了する。

パガニーニをここまでこなし、それを"芸"として確立した現代のヴァイオリニストを、私は寡聞にして知らない。

とにかくリッチが弾くパガニーニには、技巧克服の楽しさのみが感じられ、技巧に振り回される苦しみは一切感じられない。

ここが他のヴァイオリニストと決定的に異なるところであろう。

リッチは、実はかなり粗削りなところもあるが、まさにアクロバット的といえる鮮やかな快演を聴かせている。

厳密に言えば名人芸ではなくその精神を楽しませてくれる演奏といったところであるが、技巧そのものをこれほど楽しませてくれることは、それ自体貴重な持ち味として注目される。

リッチ独特のメリハリの効いた快い表現は、生理的な快感さえも与えてくれる。

ここまでくると誰にも真似できない堂々たる"芸風"と呼ばねばなるまい。

超絶技巧は彼にとって大向こうを相手にミエを切るための小道具みたいなものだ。

パガニーニもきっとこういう芝居小屋的な雰囲気で弾いていたに違いない。

リッチは異能の奏者であった。

1959年の録音だが、いまだつややかな美しさを保っている。

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2010年05月30日


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ヨーヨー・マの上品・柔軟な音楽性が十二分に発揮された美演である。

ハイドンの第1番は彼の小味な繊細さがひときわ目立ち、その豊かな高貴さは比類がない。

あまりとさらりと表現しているので、チェロというよりも、むしろヴァイオリンの演奏でも聴いているかのような感じだ。

フィナーレのリズム感とテクニックの卓越も驚嘆に値する。

チェロならではの力強さを求めようとする人には向かないかもしれないが、特に、この第1番のような曲は、テクニシャンのヨーヨー・マにはまさにぴったりの演奏といえる。

第2番もきわめてすっきりと、鮮やかな技巧で弾きあげた演奏で、速めのテンポから実に伸びやかな音楽が流れてゆく。

音色も美しく磨きぬかれていて、とくに第1楽章の流麗な運びかたはすばらしい。

そしてなによりも、その天真爛漫なおおらかな演奏に魅せられてしまう。

ガルシア指揮のオーケストラもマのソロにぴったりだ。

ボッケリーニも卓越した演奏で、マはすばらしいテクニックで、この曲を鮮やかに弾きあげている。

この曲もチェロらしい力強い響きを求める人には、多少不満が残るかもしれないが、その磨きあげられた美しい音色で、しなやかに、しかもデリケートに表現しており、全体に音楽の流れがすっきりとしているところがよい。

聴いたあとに、さわやかさの残る演奏だ。

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2010年05月29日


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ハイドンの交響曲全集はこれが初めてで、ドラティの代表的業績に数えられる素晴らしい名演だ。

1969年から72年の短期間にこの偉業を達成したのは驚くべきことである。

古楽演奏のスペシャリストたちが次々とハイドンの交響曲を録音しているが、レコード史上初の画期的な大企画として、またドラティ畢生の仕事として、この全集は忘れることはできないだろう。

ピリオド・アプローチが幅を利かせつつある今日のハイドンの演奏様式と比べると隔世の感があるのは否めないものの、交響曲の分野におけるハイドンの作風の変遷を的確に描き分けたドラティの手腕は高く評価すべきであり、実際の音でハイドンの交響曲の世界を概観できるようになった意義はきわめて大きかった。

ほとんど顧みられないオペラにも取り組むなど、ハイドンに傾倒していたドラティの演奏は、作品への愛着と自信を示すとともに客観性を失うことなく、ひき締まった表現の中にハイドンならではの機知とユーモア、また大らかな楽しみを格調高く表現している。

これほどムラなく、優れた客観性をもって演奏された全集は、今後も長く望めないだろう。

個々の曲にはよりすぐれた個性的な演奏もあるが、ムラのない演奏はいかにも全集にふさわしいし、R・ランドンの校訂譜による演奏である点も信頼される。

無用な誇張や思い入れを厳しく排し、ハイドンの古典的な楽想を明快に表現しきった老匠ならではの偉業といえるだろう。

フィルハーモニア・フンガリカはハンガリーからの亡命者によってドイツのマールで結成されたユニークな団体。

この大部のアルバムは2001年に解散を余儀なくされたこのオーケストラの最大、かつ最良の遺産である。

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2010年05月28日


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カラヤンのブラームス:交響曲全集は、以前紹介した最後の録音がどれも超名演なのだが、残念ながら録音に満足のできない部分(ヌケが悪くビリつき気味になる)があるので、ここでは1977、78年盤を採った。

カラヤンは生涯に3回ブラームス全集を録音したが、この第2回目の録音は、第1回録音の端的・端正な演奏と比較すると、豪放で自己主張が強い。

それだけにカラヤンの流儀が随所に示されており、ベルリン・フィルを完全に掌握した自在な演奏である。

おそらくカラヤンの名声が最も輝いた時代の録音だが、そのために自我が強く表現され、全体にブラームスの孤高の心情よりもカラヤンの巨匠性を印象づける演奏となっている。

4曲とも端正で人為的な粉飾がなく、何よりも緊張度の高さと流動する歌謡性が見事なバランスで共存しているのが好ましい。

それがまた、ブラームスの本質を衝いたとも感じられる。

なかでも第2番の輝きと抒情の魅力は、カラヤン最良のときを示している。

第3番はフィナーレ楽章の終わりで弦が奏する音型の中に第1楽章の冒頭主題が隠されているのを自然に強調して見せるなどスコアの読みの深さにはさすがのものがある。

ただ、郷愁を感じさせるような彫りの深い表現が不足しているのが残念だ。

第4番の演奏は、世紀末的な頽廃美さえ感じさせるほどの耽美表現を見せる一方で、厚い弦の響きを軸にした力強い表現も合わせ持っている。

特にフィナーレ楽章での、いきなりパッサカリア主題を激しい力の噴出で開始させ最後まで一気に押し通す集中力は圧巻だ。

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2010年05月27日


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シベリウス後期の交響曲は音楽史上の孤峰として論じられることが多いが、実は現代音楽界にハーモニーを取り戻した作曲家たち(ペルトやグレツキやタヴナーにいたるまで)の源流だ。

特に第6番の冒頭のモダールにふくらんでゆく静かだが感動的なコラール。あれが「無調でない美しい現代音楽」への里程標でなくて何だと言うのだろう?

そんなシベリウスの冷たいまでに美しい完璧な音楽構築物は、耽美主義と完全主義に凝り固まった1960年代のカラヤン=ベルリン・フィルのサウンドを得て至高の音楽となる。

それは北欧という一地方の風土が生んだ音楽だが、民族からも個人からも遊離してオーロラのように宇宙に飛翔する音楽。

その成果を証明する記録こそがこの1枚である。

ただ問題だったのは、CD時代になってから「第4番と第6番」あるいは「第5番と第7番」などという組み合わせで売られていたこと。

これは困ったもので、絶対LPのまま「第6番と第7番」の組み合わせであるべきなのだ。

それが今回のカップリングでは1枚目が「第4番と第5番」。2枚目に「第6番と第7番」「タピオラ」が収録されており、長年の溜飲が下がる思いだ。

冷たいまでに研ぎ澄まされた弦のコラールが遅いテンポで静かに沸き上がってゆく第6番に始まり、緻密さと勇壮さが混然一体となった幻想的宇宙がオーロラの彼方に消えて行くような第7番で終わるのでなければ意味がない。

これにさらに交響詩《タピオラ》が付いているのが最高だ。

これはまさしく「究極の1枚」であり、20世紀の音楽が達成した最も美しい成果の一つである。

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2010年05月26日


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クーベリックの音楽的成熟度を感じさせる演奏である。

緻密な音楽設計が行われているにもかかわらず、クーベリックの音楽的な個性があまり強く出ず、全体にリズムは軽く、その表情は爽やかだ。

クーベリックの棒がバイエルン放送響から引き出した落ち着いた色調と柔らかい音は、個性の強いシューマンの交響曲にふさわしいものといえる。

クーベリックの柔軟な音楽性とオケの明るい響きが、重苦しくなりやすいシューマンの交響曲を晴朗で耳に快いものとしている。

格調高くロマン性に満ちたシューマン演奏の筆頭といっても過言ではないだろう。

曲のおもむくまま、筆の勢いに任せて一気呵成に書き上げていったような演奏である。

この演奏には、オーケストラの質感といい、歌いまわしの柔軟さといい、シューマンのイマジネーションと感性をそのまま換言している手応えがある。

ヨッフムの後任として就任(1961年)以来、同オケを一流にまで押し上げたクーベリックのいわば総決算的なアルバムとしての位置付けが可能だ。

シューマンのオーケストレーションの効果については議論もあるが、理屈云々よりもまずこの演奏を聴け、といえるだけの曲本来の持ち味と魅力が存分に伝わってくるのが何よりの醍醐味。

バイエルン放送響の、きわめてドイツ的な、いぶし銀のような響きが前面にあらわれた演奏で、表現は全体にすっきりと明るく爽快である。

「春」は抑制のきいた表現で、声部間のバランスなど絶妙な手腕をみせ、この曲の演奏では群を抜いて緻密なものだ。

第2番はクーベリックの緻密な解釈と流動感豊かな表現が評価される。

「ライン」はテンポの工夫で形式観をしっくりさせるなど、概してすっきりと明るくまとめられ、曲の性格をはっきり打ち出している。

クーベリックは、昔からこの作品を得意にしていたが、ここでも、そうした自信が音楽の隅々にまであらわれていて、素敵だ。

緻密な音楽設計がおこなわれているにもかかわらず、自己の主張をおさえ、楽譜を忠実に再現しているところがこの演奏の魅力で、そこには、クーベリックの音楽的な成熟が感じられる。

第4番も作品の独自の様式を見事に把握して、ロマン的な情緒を濃厚に示した優れた演奏である。

小細工を弄することなく、実に素直に取り組んだ演奏で、このオーケストラ独特のどっしりとした力強い響きを生かしながら、明朗なシューマンをつくりあげている。

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2010年05月25日


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「春の祭典」は、マルケヴィチが看板曲としていただけに、大変立派な演奏だ。

発表されて以来「春の祭典」の決定的名演ともてはやされてきた演奏であり、鬼才マルケヴィチが残した多くのレコーディングのなかでも、この指揮者の才能や持ち味が最も前面に押し出されたものの一つにもなっている。

いかにも苦しそうにファゴットが吹き始めるマルケヴィチ盤は、ブーレーズの原型ともいえる壮絶な演奏で、1959年時点におけるその緻密なリアリゼイションは感動的である。

設計が綿密なうえにリズムの切れ味が良く、強烈な迫力にあふれており、その緊迫感はものすごい。

マルケヴィチは巧緻をきわめた表現で、全体にややテンポを遅めにとり、あくまでも丹念に、一分の隙もなく、しかも原始的なリズムを強調した演奏だ。

切れ味の鋭さ、リズム処理の巧さ、迫力と熱っぽさに満ちたマルケヴィチの棒によくついて、オーケストラが燃えに燃えている。

恐ろしく明晰な頭脳と一寸の隙もない完璧なバトン・テクニックを合わせもったマルケヴィチのアプローチは、凄まじい集中力の持続や凝縮されたエネルギーのほとばしりもが見事なものになっており、その研ぎ澄まされた知性ととめどもない情熱の結合は、まさに圧倒的といえる作品の再現を実現させる結果を生んでいる。

現在では少し音質の古さも感じるが、これを凌ぐ名演は、私の識る限りではそれ以後出現していない。

この曲が現在のように一般に広く聴かれるようになり、また"ハルサイ"の愛称で親しまれるようになったのは、マルケヴィチとフィルハーモニアのこの演奏あたりからで、その意味でもこれは記念すべき録音だ。

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classicalmusic at 19:01コメント(0)トラックバック(0)ストラヴィンスキー 

2010年05月24日


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1977年の「ナクソス島のアリアドネ」以来約15年ぶりのショルティのR.シュトラウスのオペラ全曲盤で、彼が最愛のオペラという当曲の初録音である。

3年の歳月を費やして録音した大作。

ショルティはきわめて豊麗な美しさとニュアンスに富んだ響きで、さまざまな場面の色彩と対比を鮮やかに描き出し、音楽が内蔵する意味深いドラマを語る。

このオペラの魅力の根源である、豊麗さの中にある官能美と、透明・精妙さの奥に秘められた象徴性の一体化を、これまでのどの演奏にもまして聴き手に納得させる名演だ。

豊かな官能性と繊細微妙な表現を併せ持つ究極の演奏であり、ショルティの円熟を納得させる。

しかもショルティは円熟という名のもとに作品の姿を歪めてしまうようなことは決してない。

常に新しい発見と進歩が確認される新鮮な演奏を作り出す音楽家なのである。

このオペラにはベームと、サヴァリッシュの完全全曲盤があったが、ショルティは作品にこめられたメッセージをわかりやすく、生き生きと浮き彫りにしてくれるという点で、初心者にもお薦めできる。

ソリスト、録音も素晴らしく、ショルティ自身「大きな音になっても音量を下げずに聴いてください」とコメントしている。

ベーレンス、ヴァラディ以下キャストも充実している。

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classicalmusic at 19:09コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスショルティ 

2010年05月23日


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1970年代のシュライアーのリートは、まことに初々しく、余分の思い入れや作為的なテンポの緩急も見られず、清潔な歌を聴かせてくれる。

絶頂期のシュライアーの透明な声はまるで重力を持たないかのように、シューマンの歌の深い想いや強い孤独感をも宙に漂わせる。

確かな技巧が支えているのは確かだけれど、うまさに気づかされることがないくらいのうまさのおかげで、歌はまるで何の手も加えられないまま漂い出た、自然な詩のように響く。

「リーダークライス」が素晴らしい。シュライアーはなめらかな美しい声で一音一語をおろそかにすることなく丁寧に歌い、シューマンの繊細な抒情を鮮やかに浮き立たせている。

多感な青年の心情が細やかに映し出され、バリトンで聴くことの多いこの歌曲集だけに新鮮な驚きがこの歌唱から湧きおこる。

また常に歌い過ぎることがなく、旋律に言葉を美しく乗せているのも聴いていて清々しい。

後のシュライアーとだいぶ違ってだいぶ違って、素直に聴けるのがよい。

バッハだってシューベルトだって、この頃のシュライアーは一点の曇りもないほど完璧に歌ったのだけれど、これを聴けばシュライアーの歌が最もふさわしいのはシューマンだと思えてくる。

自然としか思えない人工美で、ナイーヴとしか思えない凝った情感が歌われるシューマンの、稀有な世界がある。

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2010年05月22日


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意外にも、カラヤンはフランス音楽を得意とし、名演も数多く残しているが、カラヤンのサン=サーンスはこの1タイトルのみというから、貴重な遺産だ。

デジタル録音が一般化してきた1981年の収録。

おそらく高音質がもっとも効果を発揮する作品として選ばれたのであろう。

演奏は、まさにカラヤン的といえるもので、幾何模様のようにさっぱりと整理されたサン=サーンスの楽譜が、驚くばかりに重くたてこんだ響きをたててうなる。

当時のベルリン・フィルの雄弁な表現力が随所で生かされ、カラヤンの語り上手な音楽作りが大きな効果を発揮。

磨きに磨いたオケの輝きや、大きな息遣いで広がる長大なフレーズの処理などカラヤンならではの世界。

フランスのオーケストラの輝かしい響きとは一線を画するものの、しっとりとした色合いによるサン=サーンスもきわめて魅力的だ。

また、作品が持つ明晰な構成も的確に描き出されている。

カラヤンの指揮で特筆されるのは、作品の理解力の奥深さと重厚に歌われる演奏のスケール感の素晴らしさであり、ここに聴く演奏も、あくまでも交響曲としての魅力を追求した姿勢が一貫している。

フランス最高の交響曲をピラミッド型に構築した立派な演奏であり、威容を誇っている。

オルガンは別録りで、ピエール・コシュローがパリのノートルダム寺院の楽器を弾いたものが合成されている。

当時の最先端の録音技術が駆使された1枚。

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2010年05月21日


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ほとんど無数といってよい録音を残したハイフェッツだけにすぐれた録音も数多いのは当然のことだが、聴くたびに新鮮な感動を覚え、折にふれて取り出して聴く録音というのはそれ程多くはない。

このシベリウスの協奏曲は、その特別な何枚かのディスクの中でもトップにランクされるべき名演である。

長年弾き込んできたうまさのあらわれた演奏で、曲の内容をしっかりと把握した、確信にみちた解釈にひかれる。

いくぶん淡白な色調だが、その力強く豪快な表現は、この人ならではのものだ。

カップリングされたプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番も、スタイリッシュな中にも強い精神の集中力を感じさせる優れた演奏だが、反面アイロニカルな味わいには欠ける。

これに対してシベリウスを弾くハイフェッツは、まさに唯一無二の存在である。

出だしの何という艶やかさ、滑らかさであろう。ヴァイオリンという楽器の魅力と表情のすべてがそこに集約されている。

技巧面でもまさに妙技の極である。

フィンランドの自然の厳しさとか民族の歴史に根ざした国民性といった文学的な表現を持ち出す余地もないほど、彼のヴァイオリンの存在感はきわだっている。

男性的な力強い響きと安易な感傷を拒絶する強靭なテクニックは、ほかの何物にも頼ることなくこの曲の背後に横たわる精神の底知れない広がりと深さを見事に描ききっている。

それはまた、遅れてやってきたこの2人のロマン主義者の魂と魂の貴重な出会いが生みだした、演奏という行為の一つの理想的な姿である。

プロコフィエフも作品のロマンティシズムと技巧の冴えを最も洗練された姿で示しており、第2楽章の懐かしいまでのニュアンスは最高だ。

グラズノフは表現の幅がまことに広い。

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2010年05月20日


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アバドの《展覧会の絵》は、1981年にロンドン響を振ってDGに録音していたが、これは1993年のベルリン・フィルとの再録音であり、ライヴ録音になっている。

この《展覧会の絵》は録音も含めると同曲CDのベストではあるまいか。

確かに〈小人〉など、もうひとつ悪魔的な要素もほしい気がするが、他の9曲はいずれも描写が雄弁であり、ラヴェルのオーケストレーションの魅惑も十全に生かされている。

たとえば〈テュイルリーの庭園にて〉における緩急自在にテンポを動かした語り口のうまさ、〈ババ・ヤーガ〉の生々しい迫力とスケールの大きさなどはベストといえよう。

さらに〈ポーランドの牛車〉の心のこもったカンタービレと低弦の意味深さ、〈サムエル・ゴールデンベルク〉における2人のユダヤ人の描き分けなども素晴らしい。

旧ソ連出身のウゴルスキは、事情があって西側でのデビューが遅れた。だから新進ピアニストと思いがち。

だが、実際にはポリーニと同年(9か月の年少)で、2010年秋には68歳になる。

腕達者なウゴルスキは、スケールの大きな演奏をやってのける。

しかし彼は技巧を売り物にするピアニストではない。

自身の個性的な感受性と作品解釈をよりどころに、あくまでも既存の演奏にチャレンジする姿勢を崩さず、あまたのピアニストたちとは一線を画し続けてきた。

今後もこれは不変と思われる。

通常より遅めのテンポで弾かれた《展覧会の絵》では、おおらかでゆったりした彼特有の音楽づくりを楽しむことができる。

異色の奇才が出現したものである。

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2010年05月19日


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デュトワが40歳代初めにモントリオール響の音楽監督に就任してそろそろ10年近く、彼がオーケストラを隅々まで掌握した時代の、このコンビの特長と持ち味を典型的に伝える名盤のひとつ。

《惑星》の録音は数多いし、それぞれがかなり水準の高い演奏を聴かせているが、《惑星》に対するイメージあれこれへの模範解答のような演奏で、まるで宇宙が浄化されたような《惑星》。

パワーもあり、響きの美しさもあり、リズムの軽やかさもあり、何よりもとてもファンタスティック。

もちろんオーケストラの巧さもトップ・クラスなので、誰にでも抵抗なく受け入れられる演奏だろう。

最近はマシューズによる〈冥王星〉を加えた盤も登場したが、それはともかく、デュトワ/モントリオール響盤は、原曲によるものとしてはオーソドックスながらヴィルトゥオーゾ的な性格もみせる代表的存在と言える。

オーケストラが明快で充実したアンサンブルを聴かせるが、決してスペクタキュラーな次元にはなく適度の幻想性も具えている。

この曲は、作為的な演出を試みようとすればいかようにでもなる曲なのだが、デュトワの表現はあくまでも正攻法で、精密に楽譜を読み、決して大仰な表現に陥らず、1曲1曲を丹念にまとめている。

例えば〈金星〉〈天王星〉にしても、力まずに各曲の性格をダイナミックに描き上げているし、抒情的で詩味にあふれた〈土星〉〈海王星〉などでは、細部まで神経の行き届いたキメの細かい演出をしている。

つまるところ、各曲ともそれぞれの標題を一切考慮することなく、スコアそのものを隅々まで磨き上げるこのコンビのスタイルに徹した演奏なのだが、それがむしろ《惑星》の音楽が持つイメージ喚起力を最大限に引き出している。

また、このオケの持つ色彩的な音色の美しさがあますところなく捉えられているのも大きな魅力だ。

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2010年05月18日


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《超絶技巧練習曲》を核にしたプログラミングだが、全12曲中7曲のみというのがいかにも惜しい。

この演奏が今ある全曲盤のどれにも勝る素晴らしい出来映えだからだ。

完璧な技巧を駆使しながら、この曲集のピアニスティックな美感をあますところなく表現した演奏である。

技巧を前面に押し立てたりは決してしないが、ここぞという箇所では絢爛たるピアニズムを披瀝して聴き手を存分に楽しませてくれる。

こんなところに彼の人気の秘密があるのだろう。

アシュケナージかベルマンかと聴く側を唸らせるリストで、ここでのアシュケナージの腕の冴えはまったく素晴らしい。

ほとんど凄絶な出来映えで、まさしくここにはヴィルトゥオーゾとしての彼が存在し、華麗さと絢爛さを余すところなく繰り広げている。

その上で、言うまでもなく彼のピアノには技巧一辺倒のところが全くなく、ハッタリ的な匂いもまるでない。

すべからく自然体で、各作品の要所を確実に押さえ、音楽性あふれる地平を作り出している。

聴き手を決して突き放さぬ、それでいて超人的な指運びを通して豪壮に構築してみせるその才能に感激と驚きを禁じえない。

アシュケナージが弾くリストは、すこぶる清純である。

普通リストでは、"豪放にして華麗な"演奏が好まれる。だがアシュケナージのリストは、豪放より精緻と清純を重視する。

いわゆる"リスト弾き"と目されるピアニストとは、決定的に異なる。

けれど頼りない、か弱いリストでは決してない。ただ聴き手にアピールする姿勢が野性的でない。

そのため柄の大きい重量級でなく、中・軽量級のリスト、とのイメージが植え付けられやすくなっている。

崩れの全くない冴えた技巧が生み出す《メフィスト・ワルツ》や《超絶技巧練習曲》には、さわやかな気品が漂っている。

これこそアシュケナージが誇って然るべき持ち味、と考える。

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classicalmusic at 19:25コメント(0)トラックバック(0)リストアシュケナージ 

2010年05月17日


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今でこそこの曲の全曲盤は、複数のCDがカタログに載っているが、1970年代の初頭という時代には、このマゼール盤が唯一だったのだ。

そして現在でも全曲としては、最もスタンダードな存在といえる。

劇的な演出と演奏力の充実で、彼の最も良い面を聴き取ることが出来る。

そしてこれはマゼールが、クリーヴランド管弦楽団の音楽監督になって、最初に録音されたナンバーにもかかわらず、彼は既にこのオケを完全に掌握し、意のままに導きながら、彼独自の音を創り上げている。

やや都会的に整いすぎていて、肌ざわりの冷たい演奏となっているが、オーケストラの技術的なうまさと、その華麗な色どりは抜群である。

そのリズムの扱い方、語り口の巧さはマゼールならではのものだ。

この時代の彼の芸風をストレートに伝えた、ディピカルな演奏に数えられていい。

その魅力はスリムに引き締まった表情、柔軟で鋭いリズム、それにクールなリリシズムに尽きるだろう。

有名なバルコニーの情景や、愛の踊りの場面などの、ロマンティックなムードにあふれた描写は秀逸で、マゼールの巧妙な棒さばきに、心を奪われてしまう。

これはマゼール会心の演奏といってよい。

同じ時期に録音したガーシュウィンの《ポーギーとベス》とともに、代表的傑作といえる。

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classicalmusic at 19:45コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフマゼール 

2010年05月16日


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チャイコフスキーは、スターンが57歳の時に残したこの協奏曲の3回目の録音で、一段と円熟味を加えた演奏は、スケールゆたかで味わい深い。

円熟の境にあったころのスターンの豊かな音楽性が、あますところなく発揮されている演奏である。

スターンのヴァイオリンは悠然としていてスケールが大きく、しかも熱っぽく荒々しいロシア的情感を、もののみごとに表出している。

第1楽章から表情たっぷりで、ルバートの語り方も上手のかぎり。

心のこもった節回し、弦を絞るような粘着力のあるカンタービレ、いずれもチャイコフスキーの音楽によく似合う。

しかも曲想にしたがって、鋼鉄のような威力から無限のやさしさに至るまでの表現の幅が実に広い。

いわば自家薬籠中の作品であるが、ここでのスターンは正面から作品に対して、すばらしい集中力をもって真摯に演奏を織りなしている。

しかも、共感にとんだ表現を存分に歌いあげながらも、その演奏が決して表情過多になったり、感傷の澱を残すことがないのは、心技体のすべてが充実していた円熟期のスターンならではの余裕であり、懐の深さであろう。

そうしたスターンのヴァイオリンを、ロストロポーヴィチがいかにも力強く情熱的な指揮で、ロシア的な情感をゆたかに支えて、演奏の味わいをいっそう深めている。

メンデルスゾーンの方はかなり内容を抉った表現だ。

遅いテンポから気迫をこめ、ルバートや青白いピアニッシモを多用し、深いものを目指している。

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classicalmusic at 18:15コメント(0)トラックバック(0)スターン 

2010年05月15日


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細部まで緻密のかぎりをつくし、音楽を自分のものにしきった、ブレンデルの円熟を物語る名演だ。

演奏全体の雰囲気は雄大で温かく、やや遅めに設定されたテンポによって、音楽の造形が確実に浮かび上がり、豊かな情感を生み出している。

ブレンデルは、この協奏曲を1973年にハイティンク指揮のコンセルトヘボウ管弦楽団と録音していたが、アバド指揮のベルリン・フィルという最良の指揮者とオーケストラを得て、50代後半という最円熟期に再録音したこの演奏は、さすがにすべての面で充実している。

ブレンデルはアバド&ベルリン・フィルと1986年に第1番を録音しており、それもきわめて充実した名演であるが、6年後のこの第2番は曲の違いもあるが、より落ち着いた深い味わいがある。

ブレンデルらしく細部まできわめて知的で考え抜かれた表現は、同時にブラームスの音楽への深い共感に裏打ちされ、デリケートな歌と陰翳をニュアンス美しくたたえている。

確かな造形感をもつ演奏は、前回以上に入念に磨かれ、知と情のバランスが良いし、つねに自然な流れと音楽本来の軽やかさと自由さを失うことがない。

ことさら構えたところのない演奏の伸びやかで柔軟なスケールも、いかにもブラームスにふさわしい。

ロマン的な抒情やファンタジーを綿密な考察に基づく純正な様式美のうちに包み込むブレンデルのアプローチは、強固な形式のうちにロマン的心情を盛り込んだブラームスの作品の特質に見事に適合している。

アバドがそうしたブレンデルのソロを気力充実した演奏で見事にサポートしており、冒頭のホルンをはじめ、その手厚く磨かれた響きと柔軟な表現もベルリン・フィルならではの魅力である。

アバドの指揮はことに第1楽章がすごく、内声部の力一杯の強奏が充実以上の迫力を生んでいる。

ベルリン・フィルの演奏も完璧の一語につきる。その磨き抜かれた音色美、豊かな音楽性も極上だ。

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classicalmusic at 18:43コメント(0)トラックバック(0)ブレンデルアバド 

2010年05月14日


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アンセルメの得意としていたロシアものを集成したアルバムで、新しく再発された盤もあるが、収録曲はこの旧盤の方が充実している。

フランス音楽とロシア音楽を得意としていたアンセルメだが、その表現のコンセプトは都会的な洗練味にあり、彼は近代西欧的な視点でこれらの作品の魅力を明らかにしている。

それだけに表現は明晰かつ繊細に洗練されており、また色彩の変化が多様で、絢爛とした豪華さが味わえる。

どの曲もアンセルメが得意としているものだけあって、それぞれ見事な演奏で、彼の実力が遺憾なく発揮されている。

ことに《だったん人の踊りと合唱》は凄く、その圧倒的な迫力には息をのむ。

《はげ山の一夜》などは、リムスキー=コルサコフの華麗なオーケストレーションと、オリジナルの持つ怪異な雰囲気をミックスさせて、何ともコクの深い表現を聴かせている。

録音こそやや古びたとはいえ、その語り口の巧さと勘所を押さえた演奏は、やはりヴェテランならではの貫録といえるだろう。

また《3つのオレンジへの恋~行進曲とスケルツォ》とか《ルスランとリュドミラ》など、いわゆる小品も颯爽として洒落た表現になっているのも、昔懐かしいアンセルメ節で、そこはかとない郷愁のようなものを感じてしまう。

ただ洗練された表現が、曲の原初的な力を淡白なものにしているのも事実で、このあたりは好みの分かれるところだろう。

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classicalmusic at 18:41コメント(0)トラックバック(0)アンセルメ 

2010年05月13日


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ここにきくサン=サーンスのチェロ協奏曲、およびラロのチェロ協奏曲は1980年に、シューマンのチェロ協奏曲は1985年に録音されている。

ヨーヨー・マはデビュー以来、一貫して音楽界の第一線に在り、今日でも活動は目覚ましいが、音楽的に最も好ましい状態にあったのは1980年代だったのではないかと私は考えている。

最近の彼は自らの器用さ、多才さに、やや足もとを掬われがちのように思う。

ここにきく彼のチェロはしなやかで、フレッシュ。ききなれた曲にもかかわらず、随所に思いがけないような発見をもっている。

他のチェリストが容易になしえないような軽やかな身のこなしが、なんともすばらしい。

サン=サーンスは高貴で上品な音色、しっかりとしたカンタービレやフレージングに驚かされる。

それは曲のいかなる部分も自分の思い通りに弾けるテクニックの勝利だが、同時に最高の音楽性が裏付けになっているのだ。

マの繊細で上品な音色は、このサン=サーンスの作品には、まさにぴったりといえよう。

ラテン的な味わい、という点では、いまひとつであるが、そのみずみずしい表現には魅了されてしまう。

ラロはさらに見事で、マは、抜群のテクニックを駆使しながら、この曲のもつ優美で繊細な性格を、見事に表現している。

優美さの中にこくをもった音色と表情、曲想にしたがって微妙に色合いを変えてゆくあたりは、聴いていて身を乗り出してしまうほどだ。

マの演奏の特色である、多彩に変化させた音色や、微妙な表情づけが、うまく生かされた演奏だ。

指揮者マゼールも、個性的な独奏者の才能にうまく対応し、整理が行き届いた敏感な棒さばきだ。

コリン・デイヴィスとのシューマンは、ミュンヘンでのライヴ録音である。

マは、過度な表現は避けながら、のびやかな、美しい音色で、シューマンの音楽のもつやわらかな情感を、見事に表現している。

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classicalmusic at 18:36コメント(0)トラックバック(0)ヨーヨー・マサン=サーンス 

2010年05月12日


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ペライアがほぼ10年をかけてイギリス室内管弦楽団と完成した弾き振りの全集は、3台のための第7番は「2台ピアノ版」を使用しているが、初期の編曲を含む全集としては最もすぐれた演奏だろう。

後期の作品などは、もちろん個性的な名手たちの演奏にはやや及ばぬところがあるとはいえ、ペライアが指揮も兼ねた演奏も清潔なタッチと透明度の高い音色が美しく、自然な音楽の流れと豊かな表情も味わい深い。

曲によってはやや抒情性に傾斜しすぎる感じもないではないが、ペライアの的確な様式感と端正な表現は、どの曲においても性格や魅力を生き生きと伝えるのに成功しており、モーツァルトのピアノ協奏曲の多様性と発展過程を充分に知ることができる。

独奏と指揮とを兼ね、同じイギリス室内管弦楽団とレコーディングしたために、バレンボイムへの挑戦などともいわれたペライアによるモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲は、実際には、決して挑戦的などではないペライアの清新なスタイルを明らかにしたものであり、爽やかで幸福感さえ漂わせた魅力あるものとなっている。

1975年から84年という10年を費やした偉業も、実際にはそれほど長いものとはいえず、若き日でなければ実現できない初々しい輝きが感じられる。

清々しい生命力あふれるモーツァルトで、演奏に漂う幸福感はさすがにペライアにして初めて可能なもの。

1つ1つの音符に目が届き、またフレージングにも優しい視線が感じられる緻密な演奏で、表情も引き締まっている。

ペライアの指が導き出すピアノの音は肉づきのよいものだ。だからといって肥満気味というのではないのだが、それはかなりグラマラス。決してシャープとか痩身というタイプの音ではない。

それでもってペライアは抒情的な部分から力強い部分までを、くっきりと描き出していく。

そうした彼の音楽性は、ここにきくモーツァルトの協奏曲全集に余すところなく示されているといえよう。

中身がみっちりと詰まった音を駆使しながら、モーツァルトの協奏曲の数々がときに押し出しよく、ときに磨き上げられた美しさで、曖昧な部分なく表現されていく。

妙な屈託のようなものがなく、総じて健康的な性格のモーツァルトがきける全集といっていいだろう。

ペライアは、やや線は細いものの、どの曲も、きわめてまろやかで、繊細なタッチで美しく弾き上げており、モーツァルトの音楽の内面に迫った表現で、聴く人を感動させる。

どの曲も美音を駆使し、千変万化にデリケートな表情をつけて弾いてゆくスタイルだが、女々しさがなく、透徹し切っているところが素晴らしい。

ピアニッシモなど人工美の極みだが、ペライアの場合はそれがプラスに作用してしまう。

オーケストラの典雅で匂うような演奏も聴きものだ。

収録曲の白眉は第19番と「戴冠式」で、モーツァルトの全CD中でも出色の出来映えである。

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classicalmusic at 18:39コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2010年05月11日


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両曲ともやや遅めのテンポで演奏され、ゼルキンのソロも落ち着いた情感を基調にしている。

タッチは明確で表情に富み、特にピアニッシモからは香しさが漂ってくるようにさえ感じられる。

何よりもアーティキュレーションが美しく、感情の細かな動きが音色と表情に反映されて、豊かなニュアンスをもたらしている。

モーツァルトはこういう演奏で聴きたいもの、と思わせる名演だ。

特に第20番は最もオーソドックスな演奏の一つとして挙げられる。

第1楽章冒頭の低弦から始まる不気味な楽想とそれが次第に盛り上がっていく場面のアバドの表現法は当を得たもので、聴く者を自然に音楽の中に誘い込む。

続いて現れるゼルキンのピアノも、音楽の一つの大きな流れに乗って自然と弾き出されていき、そこに何らの感情の途切れもない。

このことは全楽章を通していえることで、それだけにゼルキンとオーケストラとが音楽的に見事に一体化しているといえる。

たとえば第2楽章でも主部と中間部の対比的表現が見事に計られているが、しかし聴いていると、それが一つの流れにまとめられているし、第3楽章のロンドも同様である。

だからこの曲の特色を聴くのに良い演奏の一つといえる。

なお、第1楽章の最後の部分に独奏ピアノだけで演奏されるカデンツァが入るが、現在でもベートーヴェンのものが多く使われており、ゼルキンもそうである。

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classicalmusic at 18:37コメント(0)トラックバック(0)ゼルキンアバド 

2010年05月10日


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ベロフのデビュー直後の録音で、彼の存在を強烈にアピールした名アルバムだ。

メシアンによってその才能を発掘され、メシアン・コンクールに優勝したことからも分かるように、ベロフのピアニズムはまさにドビュッシー=メシアンの伝統につながる。

ベロフの名は、メシアンの《幼児イエズスに注ぐ20のまなざし》の実演と録音により、広く知られるようになった。

以後、フランス音楽を主たるレパートリーとする新鋭として活動。右手の故障のため活動を中断したが、1990年代に復活した。

この前奏曲集は、20歳のときの録音。早熟ぶりは並ではなかった。

ここで聴けるのは、清新の気をみなぎらせ、清涼感を漂わせているが、聴き手を決して冷たく突き放さないベロフ特有の世界。

鋭敏な感覚が生み出す鋭利な響きと多彩な音色が、その世界を支えている。

ここでは彼の才能が、ドビュッシーが求めた音楽表現における新しいもの、一瞬一瞬の響きの意味を十全に明らかにしている。

これはラテン的な感性が響きと化した演奏といってもいい。

まだ充分に若かったベロフがつくりあげているのは、シャープで、冴え渡ったような感性によって鮮やかに掬いあげられたドビュッシーだ。

どこまでも透明感のある音色と、研ぎ澄まされたようなリズムとが、今なお新しい時代に生きるドビュッシーを告げている。

〈前奏曲〉の絵画的な側面を見事に描いているという点でもベロフの右に出るものはない。

その演奏にあふれている衝撃的で鮮烈な個性は、40年経った現在聴いても、少しも薄れていない。

ベロフは造形感覚にすぐれ、さわやかな美しさに満ちており、それぞれの曲の持ち味を最大限に引き出している。

彼は本当にすごいピアニストだったのだ。これだけの演奏をつくりえたベロフからみると、現在の彼の創造的活動は、いくつかの紆余曲折があったにせよ、やはりさみしい(今後の活躍に期待したい)。

ちなみにベロフは、これより四半世紀後、再び全曲を録音している。どちらを採るか意見は分かれようが、私見ではこの初録音の方がよい。

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classicalmusic at 20:35コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーベロフ 

2010年05月09日


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古くはカザルスとセル、ロストロポーヴィチとターリッヒ、ステレオ時代に入ってからはフルニエとセルといった名盤が存在するドヴォルザークのチェロ協奏曲だが、この1枚は全く格別の味わいを持っている。

1968年に録音されたこのロストロポーヴィチの5度目の録音は(それ以前に先述したターリッヒ/チェコ・フィル、ハイキン/モスクワ放送響と録音している)、彼の技術の絶頂期と、チェリストとしての音楽性の交差する時期の記録であると共に、カラヤンがベルリン・フィルという類稀なヴィルトゥオーゾ・オーケストラを手に入れ、「自分の楽器」としてそれを十全に使いこなし始めた時代の記録として圧倒的な演奏密度の濃さを示している。

ソリストと指揮者、オーケストラが四つに組んで、お互い負けじと火花を散らす有様が目に見えるような快演だ。

ロストロポーヴィチの朗々たる音色とスケール雄大な弾き方は比較するものとてなく、場合によってはオーケストラを前面にたてて自らはひっこむ読みの深さも彼ならでは。

カラヤンも一歩もひけをとらない。これだけ演奏効果のある伴奏も滅多に聴けない。

ロストロポーヴィチは、1970年代に入ってからは指揮者としての活動を徐々に増やし、チェリストとしての比重が軽くなっていく。

音楽家としての成熟とは別に演奏者という「技術屋、職人」としての能力の頂点に、この頃のロストロポーヴィチはいたのではなかろうか。

現代的なオーケストラの機能性と濃厚極まりないロマンティシズムを融合させたカラヤンとベルリン・フィルのサポートを得て、ロストロポーヴィチは雄大無比なロマン派的世界を歌い上げている。

スタジオ録音でありながら、一期一会の感興の高まりの中で生み出された稀有の熱演の趣きを湛えたこの演奏の説得力と存在感は、「不滅の名盤」と呼ぶにふさわしい。

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classicalmusic at 18:12コメント(0)トラックバック(0)ロストロポーヴィチカラヤン 

2010年05月08日


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現在ではスタンダードな名曲の仲間入りをしているが、再評価のきっかけになったのがこの録音で、この曲の真価を広く知らしめるのに貢献した名盤。

この曲はカットして演奏される慣習が今も残っているが、これは完全全曲盤で、プレヴィンとロンドン響の傑作のひとつである。

爛熟したハプスブルク王朝を思わせる一大ロマン叙情詩といった雰囲気を持つこの曲は、プレヴィンが得意中の得意とするナンバー。

ロンドン響との蜜月時代に録音されたこの演奏には、現在の彼の演奏にはない艶っぽさと強烈なロマンとエネルギーのほとばしりがあふれるばかりで、吹きつけるようなロンドン響の弦の高まりが圧倒的だ。

全体に実に豊かな情感を持った感情豊かな演奏で、特に奇数楽章の表情にはプレヴィン独自の魅力がある。

広大なロシアの大地をイメージさせる第1楽章、こぼれるようなロマンティシズムにあふれた第3楽章、情熱的なフィナーレなどなど、聴きどころは満載だ。

そして全体にいくらか楽天的な印象を与えるのがすぐれた特色であり、弱点でもあるが、その評価は聴き手によって異なるだろう。

モスクワで演奏した際にはセンチメンタルな歌わせ方で女性の聴衆を泣かせたというエピソードも、心のひだに訴える音楽家プレヴィンの真骨頂なのである。

録音は色褪せてきたものの、安定した解釈と温かみのある音楽は今なお価値が高い。

ラフマニノフの交響曲第2番の愛好者は、プレヴィンに足を向けて寝ることはできない。

なぜなら、「長すぎる」「甘ったすぎる」「締まりがない」などと非難され、演奏ではカットされるのが日常的になっていたこの交響曲を、プレヴィンは元に戻しただけでなく、完全全曲版でなくてはこの作品の本質は味わえないと先駆的名演を聴かせてきたからである。

そこに解釈の緻密さ、演奏家としての美学と責任感があることは言うまでもないが、作品との強い一体感、音符一つ一つを抱きしめるかのように再現していくプレヴィンの共感に満ちた演奏に耳を傾けていると、プレヴィンとラフマニノフとが互いに求め合う磁気のように強く結ばれていることが納得される。

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classicalmusic at 19:21コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフプレヴィン 

2010年05月07日


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デュトワは「悲愴」では音楽を感覚的に磨き上げることに専念しており、決して粘ることがなく、重苦しくもならず、むしろ色彩的な美感を湛えてすべてが洗練されている。

もともとロシア=ソ連音楽が得意な人だけに、非常に明快な演奏で鮮やかに仕上げている。

本来かなり深刻な状況で生まれた苦心の作であるにもかかわらず、交響曲におけるデュトワの解釈は本質的に陽性で、深刻ぶることがない。

これが作品の抒情的側面を強調する結果になり、力んだところのない自然な流れを作り出すのにプラスに働いている。

艶やかで軽い弦の響き、木管の多彩な音色と金管の輝きが、明るく華麗な音彩を作り出している。

アンサンブルも滅法うまい演奏で、スコアが隅々まで精緻に表現され、音楽の流れも自然。

とにかく美しく、耳に快く、なめらかでやさしい音楽だ。

終楽章は終始美しく鳴り、機能的にも間然するところがなく、音楽が力強く雄渾で、感傷とはほど遠い。

「1812年」も標題的なプロットを強調するのではなく、交響的で端麗な演奏が作られている。

華麗な音彩を駆使した明快な表現で、デュトワは一分の隙もない構成力と鮮麗な歌謡性をもって曲をまとめている。

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classicalmusic at 20:03コメント(1)トラックバック(3)チャイコフスキーデュトワ 

2010年05月06日


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スター指揮者ではないが大指揮者、という人がいる。もちろん逆もあるわけだが、いつの時代も、認められ、高く評価されつつ、大衆的な人気はない、というタイプの音楽家にハイティンクは明らかに属している。とりわけ日本では。

専門家筋の評価は実に高い。活動の主な拠点であったオランダやイギリスはもちろん、ドイツでも、現代最高の指揮者のひとりに数えられている。

名声はかなり早い時期からだ。数少ない定期公演に招く指揮者が、それだけで世界一流の折り紙付きになるウィーン・フィルだが、ハイティンクは1970年代から長い間常連であり続けている。

まずコンサート指揮者として世に出たハイティンクは、やがてオペラの指揮も始め、こちらでも才能を発揮する。

実際現代有数のオペラ指揮者がハイティンクだ。グラインドボーン等でのオペラ指揮が注目され、全曲盤の録音を重ねた末、迎えられたのは、ロンドンのロイヤル・オペラの音楽監督だった。

どちらかといえばワーグナーなどドイツ系に強いが、実はイタリア・オペラの指揮者としても、大変優秀な指揮者だ。

それでも、歌手に人気は出ても、指揮者は、せいぜい評価される程度だった。いうまでもなく、それがハイティンクの持ち味だ。エキセントリックに人の気持ちをかきたてるかわりに、音楽の美を確かに伝える。

もしもハイティンクがもう少しあざとい演奏ができる人だったら、音楽界はかなり変わっていただろう。大人気になって、世界の楽団に君臨していたかもしれないし、嫌われてB級になっていたかもしれない。

しかし、いずれにせよ、地味ながら音楽にも作曲者にも聴く者にも誠実な、一連の演奏は失われていたことだろう。

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classicalmusic at 18:34コメント(0)トラックバック(0)ハイティンク 

2010年05月05日


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非常にオーソドックスな演奏だ。

ゼルキン80歳前後の演奏だが、実にのびやかに、冴えたテクニックでひきあげていてすばらしい。

正攻法の、実に素直な表現を行いながらも、それぞれの楽曲の持ち味を生かした演奏は、さすがに、現代屈指といわれた大家といえよう。

ゼルキンのタッチは明るく、響きが軽くなっているが、テクニックに衰えもない。

また、以前のように思いつめたような激しい集中力が弱まったかわりに、精神の自由な飛翔が支配する。

「真実一路」という言葉がある。

21世紀を迎えた今日にあってはあまり声高に語られることも少なくなってしまった言葉だが、R・ゼルキンというピアニストを語るには、この言葉がなによりもふさわしい。

ここにきくベートーヴェンの協奏曲においても、彼のひき出す音はグラマラスな魅力をもっていたり、やわらかな美しさをもっているという類のものではない。

しかし、その音は真実なるものを求めてやまないような一途な姿勢に貫かれており、きく者の耳に喰い込んでくる。

真面目であるということが必ずしも最高の評価を受け難くなりつつある今日の精神状況にあって、R・ゼルキンのような存在は逆に大きくクローズ・アップされてしかるべきだろう。

なかでも後期の3曲が見事で、第4番などは音楽自体の深みとゼルキンの芸風が一致して最も上出来だ。

小澤の指揮も堂々として、緩徐楽章での威厳は、彼が巨匠への道を歩んでいたことを示している。

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classicalmusic at 18:11コメント(0)トラックバック(0)ゼルキン小澤 征爾 

2010年05月04日


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ショルティは、モーツァルトの主要なオペラを録音しているが、これは、ショルティのモーツァルトとしては最も成功していた《魔笛》をしのぐ、最も優れた演奏だ。

ウィーン・フィルの威力も素晴らしく、そのまろやかな響きは、まさに、こうしたモーツァルトのオペラにうってつけだと思う。

ウィーン・フィルの比類を絶した素晴らしさがこれほどのびのび発揮されたことも珍しく、第11曲の前奏など至福のひとときを味わわせてくれる。

1980年のウィーン国立歌劇場による日本公演で大きな話題となったのが、《後宮からの逃走》のコンスタンツェ役と《ナクソス島のアリアドネ》のツェルビネッタ役で舞台をさらったグルベローヴァの活躍だった。

彼女の出現は(カラスだけを例外として)コロラトゥーラ・ソプラノを軽視する、というよりも蔑視する傾向の強かった戦後の日本音楽界に衝撃を与え、その音楽的価値を再認識させることになったのである。

このショルティ指揮による《後宮からの逃走》全曲は、まさにその昇竜の勢いにあった時代のグルベローヴァが歌ったもの。

その後にはピリオド・アプローチによる優れた盤も登場したが、歌の力ではこれが飛び抜けている。

バトルの侍女ブロンデも光っているし、タルヴェラのオスミンも今までレコードがなかったのが不思議なくらいの適役だ。

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classicalmusic at 19:19コメント(0)トラックバック(1)モーツァルトショルティ 

2010年05月03日


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今は故人となったジョルジュ・シフラについて一言しよう。

何しろ、この、ある意味では一代の名匠だったハンガリーのピアニストは、今日では忘れられかけた存在になっているのだから。

1921年ブダペストに生まれたシフラは、名高い作曲家=ピアニストのドホナーニに学び、第2次世界大戦によりキャリアを阻まれながらも、1950年代から、とりわけ"リスト弾き"として名を上げた。

シフラのリスト演奏は、いうならば往年のグランド・マナーを引き継ぐ、豪快かつ華麗なもので、戦後の即物主義に傾く演奏家のパノラマ中では異彩を放っていたといえる。

外面的なヴィルトゥオーゾ趣味に傾き、内容に乏しいといった批評もあったが、技の切れとともにハンガリー独特の情感を強く浮かび上がらせる演出には、他の追随を許さぬものがあったのも事実で、忘れるには惜しい往年の"リスト弾き"である。

さすがにハンガリー出身だけあって、シフラは、この曲のハンガリー・ジプシー音楽の感じを見事に表出している。

シフラは、ピアノをあたかもツィンバロンのように響かせ、そのヴィルトゥオーゾ風の身ぶりたっぷりの弾きぶりと相まって、この作品の特徴である疑似民族的な味わいを楽しませてくれる。

全体に即興性にとみ、生き生きとしているところが特色だ。

ことに第2番、第6番といった有名どころに、シフラの持ち味は申し分なく輝いている。

ただ曲によってはスケールの大きさに不足を感じるのも事実である。

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2010年05月02日


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レヴァインは天下のベルリン・フィルを駆使して、交響曲としてのプロポーションを明らかにした、古典的な構成感を打ち出した最上級の演奏といえる。

レヴァインは、作品を客観的に捉えた、壮麗な建築物でも見るような演奏を聴かせている。

ゆとりのあるテンポと幅広いダイナミックレンジをもった恰幅の良い演奏で、常にヒューマンな味わいが感じられる。

演奏全体に積極性が感じられ、激しい高揚感とドラマティックな気迫があるし、ベルリン・フィルの機能性も遺憾なく発揮された、堂々として壮麗な演奏である。

レヴァインの指揮は、古典的様式感に、ロマンティックな感情の高揚をバランスさせて、見事な様式美を見せている。

第1楽章はメリハリに富み、雄大で、精密さと線の太さが共存している。

第2楽章のアンサンブルも素晴らしい。

最後の部分ではオルガンの壮麗な響き、主題のチャーミングで堂々とした響きもレヴァインならではのもの。

ベルリン・フィルの豊麗な響きのおかげもあって、外面的効果の点では他に並ぶものがなく、特に最終部分の盛り上げ方は圧倒的。

「魔法使いの弟子」も精緻な表現がつくられており、滅多にない秀演である。

いずれの曲もデュトワに比べるとよりインターナショナルな表現で、硬派のイメージが強いが、多くのファンに受け入れられるのはこうした演奏なのかもしれない。

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classicalmusic at 18:06コメント(0)トラックバック(0)サン=サーンスレヴァイン 

2010年05月01日


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チェコの名ヴァイオリン奏者ヨゼフ・スーク(1929年生まれ)は、ドヴォルザーク直系の音楽家である。

同姓同名の祖父も優れた名ヴァイオリン奏者だったが、ドヴォルザークの娘と結婚しているから、ドヴォルザークは曾祖父になる。

スークは決して民族色を強調しようとはせず、民族的な要素に安易に寄りかかる演奏を避けているかのようだ。

その結果、上品な音楽が生み出されている。

しかしそこには自然に滲み出てくる民族の情感、民族の詩情があり、それを聴き手に訴えかけずにはおかない。

ことに《4つのロマンティックな小品》はスークの最愛の作品で、ただ単に作品を美しく再現していく誘惑から脱して、作品とより一体感を強めた結果としての名演を聴かせてくれる。

「ラルゲット」の得も言われぬ哀しさ、切なさなど、以前の演奏では聴くことのできなかった境地であり、円熟の賜と言いたくなる。

ボヘミア音楽の真髄を、また純度の高い気品のある演奏を生むには何が必要かを、このディスクは教えてくれる。

ドヴォルザークはチェコのシューベルトとたとえたくなる。ことに温かい室内楽にはそうした名作が数多い。

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