2010年07月

2010年07月31日


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このチャイコフスキーの《弦楽セレナード》は1992年に録音されたもので、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラの出発点における成果となるが、学舎を同じくした同志たちを結ぶ絆が熱い音の奔流となって放出された輝きと勢いが圧倒的だ。

一途なのである。演奏の中身も、美しさも、情熱も。

演奏中に各奏者の眼差しが見えるような演奏と言えばよいのか、成熟した、世界の舞台で活躍する大人のミュージシャンたちが小澤征爾のタクトとの強い連帯感を背景に本当に熱い、そして無垢な感動の調べを心と肉体で存分に歌い上げている。

おそらく小澤征爾を見据える楽員の視線の途方には恩師の姿があったことであろうし、小澤征爾も叱咤激励してくれた恩師の声に励まされて指揮していったのではないかと想像されるが、それがその段階で終わらず、チャイコフスキーの心と結びついた点が画期的、あるいは歴史的意味を持つのである。

緻密だが堅くならず、美しいが慎重すぎて勢いを失うこともなく、作品をあらゆる角度から吟味した後に浮かび上がってくる確信というべき説得力がある。

しかも、学生の頃から皆が弾き込んできた作品だけに、ただ巧い、美しいといった表面的な仕上げの段階を超えて、自分たちの音楽として歌い上げた風格の豊かさのようなものまで漂っている。

これは欧米の名指揮者や名門アンサンブルによる演奏と比較しても決して負けない、作品の魅力を普遍的とでもいうべき水準と思考とで浮き彫りにした記念碑的演奏と言えよう。

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2010年07月30日


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1948年生まれのフランスのピアニスト、コラールは、最初フォーレのスペシャリストとして注目をあびた。

そうしたことからもわかるように、コラールの演奏の特徴である、知的で品のよい表現と明澄な音色とがここでも生かされ、これらの作品のもつ洗練された感覚と華やかさを、明快なタッチであますところなく再現している。

サン=サーンスのピアニズムの世界を過不足なく表出した、模範的な演奏だ。

サン=サーンスのピアノ協奏曲はロジェの名盤があるが、このコラール盤もそれに肩を並べるもの。

ロジェの演奏がサン=サーンスを超えようとしているのに対して、コラールはサン=サーンスそのものをストレートに表出してゆく。

コラールは無理のないフォルティッシモ、無理のない緊迫感がいかにも音楽性満点であり、軽妙なリズムや洒落た色合いを生かしつつ薄味になることがない。

もうひとつ追求が欲しい気もするが、それだけ万人向きといえよう。

第3番ではコラールのタッチは谷川の清水のように澄んでおり、明確かつ精妙である。

第4番第2楽章の後半など、ノリにノッていて素晴らしい。

第5番も水っぽくなる一歩手前で瑞々しさを保っており、フランスの香りが詩情を伴って流れ、満足させてくれる。

プレヴィン指揮のオーケストラも充実しており、ソロをもりたてて好演しており、重厚ながら楽しさを失うことがない。

喚起力に富んだプレヴィンの音づくりが、コラールの力感溢れるソロを見事にサポートするさまは、絶妙のコンビネーションというべきだろう。

ことに弱音部がこよなく美しい。

協奏曲以外も好演で、「アフリカ幻想曲」でのコラールの鮮やかな音色とタッチは極上の出来だ。

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2010年07月29日


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現代ロシアの楽壇を牽引するゲルギエフは、そのあふれるばかりの表現意欲と一分の曖昧さをも残さない徹底した解釈とで作品を雄弁かつ鋭角的に再現、この交響曲が秘め持つインパクトをまさに裸になって披歴している。

前例を見ない壮麗さ、大胆というべき表現の劇的起伏、そして原色的色彩感とリズムの鮮やかさが無類であり、圧倒的である。

それは確かにショスタコーヴィチの戦争交響曲の一つとしての位置づけの中で再現した熱演に他ならないが、ゲルギエフの指揮で聴くとき、その戦争はスペクタクルなどでは毛頭なく、苦悩する人間の姿が描かれた深刻なメッセージが噴出してのた打ち回っているかのようだ。

汗びっしょりになってタクトを振るその姿から「燃焼型」のようなイメージを持たれるゲルギエフだが、オペラハウスで鍛えられたドラマティックな面と明晰な楽曲分析による細かいアーティキュレーションをオーケストラに徹底させるクールな面を併せ持つマルチな指揮者である。

通常の倍程度の管楽器プルトを必要とするため、手兵マリインスキー管弦楽団にロッテルダム・フィルを加えた共同オーケストラで録音に臨んだ《レニングラード》は、第1楽章から大人数とは思えないくらいにダイナミックレンジを抑えてドライヴ。

第3楽章は美しくも哀しげなカンタービレが顔を覗かせるが、第4楽章途中まで抑えた演奏は続き、そして、「近づく勝利」を表現する怒涛のフィナーレへ突入。

その迫力たるやまさに鳥肌もの。

作品の核心を衝いた名演というべきだろう。

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2010年07月28日


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ヤナーチェクの傑作であると同時に、弦楽四重奏曲史上でも最大級の傑作であるこれら2曲には、幸いなことに、注目すべきディスクがいくつかある。

まず、イの一番にあげたいのは1963年に録音に録音されたヤナーチェクSQ盤だ。

別に作曲家の名前を冠しているから、同じチェコのグループだからというわけではなく、この演奏内容は素晴らしい。

この四重奏団のテクニックの高さと積極的な表現力に感心させられる1枚だ。

強烈な色彩感、大胆なアクセントなどをむき出しにしたようなところのある演奏で、聴き手は力づくでねじ伏せられてしまう感じだ。

まさにヤナーチェクの音楽特有の郷土色、方言のような訛に彩られた演奏だけれど、それが普遍的な高みにまで達しているところが、なんとも凄い。

ヤナーチェクはこの2曲で、四重奏団に対し、さまざまな音色を要求しているが、この団体はそれに見事に応えている。

しかも、それだけのことで精一杯にならずに、人間ヤナーチェクを感じさせる演奏をしている。

そのためにヤナーチェクの考え方や性質がしのばれて、思いがけなく新発見したような気になることさえある。

並大抵の演奏ではない。

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2010年07月27日


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レコード史上記念碑的な、不治の病で倒れた天才ピアニスト、リパッティの死の直前、最後の演奏会のライヴ録音。

最悪の体調でのステージだったはずなのに、その演奏は高い気品をたたえ、感動的なまでに純粋で崇高な美しさに満ちている。

録音時期が古いため、音質の点で多少物足りない思いがするが、それをものともせずに底光りする輝きをもって聴き手に迫ってくるのが、リパッティの音楽である。

微妙で繊細な息づかいの中から、豊かな詩情がほのかに漂ってきて、表情の冴えも散見される。

ショパンのワルツは、作品番号順ではなくリパッティの考えた独自の曲順で、全14曲が続くはずだったが、彼はついに力尽き最後の1曲(第2番)を弾くことができなかった。

"哀感を込めた華麗"といいたいようなショパンのワルツが、しなやかに、錚々と繰り広げられ魅力的だ。

このステージはまさにリパッティの告別演奏会となり、彼は2か月ほど後に33歳の若さで世を去ってしまったのである。

その悲劇的なエピソードと共に、半世紀を経た今日も名盤として語り継がれているこのアルバムは、今後も長く輝きを失わないだろう。

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2010年07月26日


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明快な音の中に聴くアバド/スカラ座管弦楽団の演奏の豊麗さ、輝かしさは格別で、それだけでも大きな喜びと満足を味わうことができる。

すこぶる音がよく、スカラ座管の豊麗な音を充分に堪能することができる。

アバドは《アイーダ》の模範演奏ともいえる名指揮ぶりで、硬質な中に今だかつて聴いたことのない鮮明さを持って、愛と憎しみの織りなすドラマを浮かび上がらせている。

アバドとスカラ座の演奏、個々の歌手たちの歌唱も素晴らしいが、歌手ではリッチャレッリが十全の歌唱を聴かせるし、ドミンゴはまさにはまり役、ヌッチも敢闘賞ものの好演。

この《アイーダ》の録音セッションでは、本来《ドン・カルロ》が録音されるはずだったという説がある。

アバドにとって《ドン・カルロ》は《シモン・ボッカネグラ》や《マクベス》とともに、ミラノ・スカラ座で大成功した演目だった。

しかし彼は録音の際、オリジナルのフランス語で演奏しようとして、合唱団の拒否にあったのだという。

そして代替案として当初から用意してあったのが、この《アイーダ》だというのだ。

そのせいなのかどうか、劇場的興奮よりも完成度の高さを心がけたような、一種独特の演奏になっている。

ある種の「屈折」がこの世代の特徴だとすれば、その象徴かも知れない。

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2010年07月25日


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シノーポリはフィルハーモニア管の首席指揮者に就任して間もなくマーラー・チクルスに取り組み、10年後にようやくこれを完成させた。

早くから、きわめて個性的なマーラーを聴かせてきた指揮者の1980年代の充実ぶりを示す録音。

オーケストラとの関係も、このころがベストであったのかもしれない。

バーンスタインのようなきわめて主観的にのめり込むタイプではなく、首尾一貫して客観的かつ明晰な解釈を聴かせる演奏である。

スコアが透けて見えるがごときクリアなリアリゼーションに加え、細部まで確信に満ちた表現解釈(押しの強さ)が施されている印象が強い。

マーラーの持つデリケートさとデモーニッシュさを劇的に表出させた第5番や第6番のすこぶるつきの名演と並び、声楽付きの作品はいずれも際立った出来を示している。

シノーポリはマーラーの作品がもつ悲劇性をさらに冷徹な視線を送った指揮を見せており、作品にこめられたメッセージを生々しくクローズアップしている。

マーラー音楽の深層をシビアに解き明かしていくようなキワドさを覚える演奏だ。

なによりの聴きどころは、マーラーのスコアの奥に、シノーポリのキャラクターが見え隠れしている点だ。

シノーポリのマーラーの独特の臭み、そこまでやるかという悪食趣味の演奏が嫌いなひとも多いと思うけれど、そこがあえて魅力で、いろいろと聴いたあと振り返ってみると、ところどころにキラリと光るものがあり、それだけでついつい聴いてしまうような演奏なのだ。

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2010年07月24日


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シェリングとルービンシュタイン共演による1960年代の名全集。パールマンとアシュケナージ盤が新世代を代表する全集なら、こちらは旧世代を代表する全集といえよう。

シェリングを世界の檜舞台に引っ張り出したのはルービンシュタインその人だった。

1954年、ルービンシュタインはメキシコを演奏旅行するが、そのときメキシコに帰化して活動していたシェリングと出会った。

2人は音楽的に認め合えただけでなく、ともにポーランド出身で亡命生活を余儀なくされている者同士だった。

ルービンシュタインはアメリカにシェリングを紹介し、名刺代わりにRCAに一連の録音を行なった。

その中の最も大きな成果がこのブラームスのソナタ集である。

19世紀的なサロンの空気を知るルービンシュタインのロマンティックなピアノに乗って、シェリングがブラームスの旋律美と憂愁を端正に、かつ情熱的に歌い上げている。

録音時、シェリングは42歳だったが、世間的にはまだ新鋭。ルービンシュタインは73歳に手が届く巨匠であった。

そんないきさつから、ここではルービンシュタイン主導の演奏が繰り広げられる。

シェリングは大家ルービンシュタインを前にして、多少引っ込み思案気味。

端正な美音を誇るシェリングだが、この時期の彼は、巨匠を前にしてまだ多少かしこまっている印象を受ける。

例えば第1番第3楽章がそうだ。

しかしシェリングが生み出す端正な表情は、ルービンシュタインの絶妙なサポートのもとで、ブラームスの古典的な気質をクローズアップしている。

そこを評価したい。

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2010年07月23日


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クレンペラー唯一のベートーヴェン/交響曲全集で、72歳から75歳にかけての録音。

ここでのクレンペラーは晩年の演奏様式を確立し、独自の個性をもった表現を展開している。

それはイン・テンポを基調とした悠揚と歩む巨大な芸術で、端然とした造形が重厚、壮大、克明な音楽をつくっている。

各曲の出来映えには多少ムラがあるが、第3,7番は特別な名演として高く評価できる。

とはいえ、巨匠の記念碑的業績として、全9曲とも傾聴すべき音楽である。

「英雄」は第1楽章から遅めのテンポで始まり、きわめて晴朗で透明度が高い。

音楽が自然に息づき、しかも広々としている。

フィナーレはさらにスケールが雄大になる。逆にスケルツォは速めのテンポをとっている。

一番印象的なのはやはり葬送行進曲で、重々しい引きずるようなリズムと暗い幻想には抵抗を感じつつも心を奪われてしまう。

第7番はけっしてあせらないテンポで悠揚と歩む音楽であり、極めてコクのある充実した表情の演奏。

どの楽章も力強いアクセントと緊張感に満たされ、素朴な表情と重厚な響きが独自の個性を表している。

まさにクレンペラーならではの偉大な風格をもった音楽だ。

ピアノ協奏曲は、若き日のバレンボイムがEMIにデビュー直後に録音した全集。

この全集の主役はクレンペラーで、第1番をとってもベートーヴェン中期の一大交響曲にしており、第2番の壮麗な重厚さの中に宿る深沈たる味わいも印象的だ。

もちろん彼の個性は第3〜5番にぴったりで、第4番は絶品といえよう。

ここでは静かで柔らかく、温かい心の中に聴き手を包み込み、ベートーヴェンの音楽しか感じさせない。

「皇帝」も極めて芸格が高い。

バレンボイムも大きな器の中で大家風なピアノを聴かせている。

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2010年07月22日


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アバドのこの新盤(チャイコフスキー)は、この指揮者の芸格がさらに一段階アップしたことを物語る演奏になっている。

アバドの表現は、感情表現の幅や内在するエネルギーの躍動をより大きなものにしており、力強いダイナミズムに溢れる立体感に富んだ作品像をリアリゼしている。

ことに第4楽章主部アレグロ・ヴィヴァーチェに入ってからの、躍動感を伴ったエネルギーの目覚ましい発散が魅力。

チェイコフスキーは感傷的にすぎると思い込んでいる人は、曲を締めくくるこの部分の激しい高揚に、この作曲家の別の一面を見出し、認識を新たにするのではないか。

第1楽章の主部アレグロ・コン・アニマがその伏線になっている。

アバドは、チャイコフスキーには珍しいその"たくましさ"を、最大限に引き出し楽しませてくれる。

ただし粗野とは全く無縁、気品をたたえているのがよい。

一方、緩徐楽章とワルツ楽章は、流麗な表情が演奏を彩っており、その対比が極めて鮮烈、かつ自然。

現代風なチャイコフスキーだ。

ムソルグスキーの歌曲集《死の歌と踊り》は、本来はピアノ伴奏による歌曲集だが、アバドはショスタコーヴィチによるオーケストラ版で演奏、驚くべき緻密さと切々とした感情表現により鬼気迫る世界を描き出して息もつかせない。

ウクライナ出身の名バス、コチェルガが忍び寄る死神の恐怖を歌い上げて聴き手を戦慄に誘う。

ベルリン・フィルの好サポートも素晴らしい。

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2010年07月21日


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1989年のウィーンでの上演のライヴ録音。

アバドを好きな人なら、彼のムソルグスキーへの力の入れようが尋常なものではないことを知っているだろう。

時にはそのエネルギーをプッチーニとはいわないまでも、もっとロッシーニやヴェルディに注いでほしいとも思わないでもなかったが、ウィーン国立歌劇場の音楽監督時代にライヴで録音した《ホヴァンシチナ》やベルリン・フィルとの《ボリス・ゴドノフ》の名演を聴くと、アバドのムソルグスキーの音楽に対する情熱と慧眼には敬服せざるをえない。

この作品でもアバドは周到の準備の後、ショスタコーヴィチ版(第1幕〜第4幕)と初めてフィナーレにストラヴィンスキー版を用いてオリジナルに鋭く迫り、このオペラの独創的な魅力をはじめて明らかにしている。

ムソルグスキーの本来の意図を忠実に生かした版での演奏で、アバドが音楽に内蔵されているドラマの実体をしっかりとつかみ、それに整然とした姿を与えている。

国際色豊かな配役も優れており、ハウグランドとアトラントフも申し分なく、紅一点のリポヴシェクも立派だし、脇役ながらツェドニクのうまさも光る。

また独唱陣以上に重要な役割を果たす合唱の迫力も特筆ものだ。

アバドが果敢に採り上げ、こうしてライヴ録音まで残してくれたので、この聴きごたえのある優れたオペラを知り、繰り返し堪能することができた。

ウィーン国立歌劇場音楽監督時代のアバドの大きな業績。しかもいかにもアバドらしいそれだ。

清潔でソリッド、共感に満ちた演奏も最高だ。

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2010年07月20日


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ハンガリー出身のセルが、故郷の尊敬する作曲家バルトークと、モラヴィアのヤナーチェクの作品を演奏した興味あるアルバム。

セルはこうした曲目では抜群の腕を発揮する。

バルトークと同国人のセルはバルトークがこの世の名残りに遺した彼としては初めて広い音楽公衆にアピールしたこの名曲のハンガリー的な分子に鋭敏な反応を示しているのがユニークだ。

フィナーレにカットがあるのと、音楽の流れが少しギクシャクしているのが惜しいが、磨き上げられたオーケストラ美は今もって圧倒的。

オーケストラの卓抜な合奏力に驚かされ、特に第1,2楽章が傑出している。

そしていつものクールな仮面を投げ捨てたようなセルの姿は、この作品やハンガリーの音楽に対する深く熱い共感を示している。

《シンフォニエッタ》は、セルが録音した唯一のヤナーチェクの作品だが、彼の卓越した指揮能力が凝縮された素晴らしい演奏である。

セルの密度のある棒の力に圧倒された演奏で、リズムが生き物のように動く第4楽章は出色だ。

彼の解釈は厳しい精神に立脚しているが、同時にのびやかな情感に裏付けられており、音楽の民族性を昇華させて高度に純粋な美感を生み出している。

冒頭のファンファーレの輝かしい、澄んだ響きは少しも威圧感を与えないし、どのセクションも明快で、同時に精緻なアンサンブルを形づくっている。

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2010年07月19日


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若きメータが持てる実力を全開させたロスアンジェルス・フィル時代(1962-78)の録音の代表作。

若き日のメータの代表的名盤のひとつ。録音当時33歳。しかしロスアンジェルス・フィルに迎えられてすでに7年、彼の名声はめきめき上昇しつつあった。

LP初出の段階では《15人の打楽器奏者のための8つのミニチュア》という珍しい曲を余白に収めていたことでも話題になった(当盤はオリジナルでのCD化)。

《春の祭典》が断然優れている。

スケールが大きく、かつ彫りが深い。

メータはやや遅めのテンポでじっくりと運びながら、この作品の野性味と東洋的神秘感をものの見事に表出している。

録音当時33歳とは思えないほどの綿密な設計力だ。

メータの《春の祭典》はのちのニューヨーク・フィル盤(2種類)もあるが、評判はむしろこちらの方が良く、実際名演奏と呼ぶに価する。

昨今のメータの悠揚迫らざる風格の代わりに、ここにはいかにも若々しい覇気がある。

「春祭」がオーケストラの人気曲にのし上がったのはこのあたり(1969年)からだったろうか。

《ペトルーシュカ》は、線が鋭くリズム感覚も鮮やかだが、第3場など少々作為の目立つ表現が難点だ。

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2010年07月18日


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マンフレート・フスとウィーンのハイドン・シンフォニエッタは、ヨーゼフ・ハイドンの珍しい器楽曲を体系的に録音しているが、この序曲集も非常にありがたいものである。

第1巻は、1762年の《アチデ》から1777年の《月の世界》まで、オペラやオラトリオの序曲10曲を収めている。

交響曲での創作で培った多様な様式は、当然ながらこれらの序曲にも反映されており(当時の感覚では序曲も交響曲の一種)、交響曲に比べて序曲があまり演奏されていない状況が非常に不当極まりないことだという認識を与えてくれるのである。

ウィーンの古楽オーケストラとは言っても、若い世代を中心としたメンバーのため、その感覚は新しさに満ちている。

第2巻でも、1777年のニ長調序曲(交響曲第53版の代替用フィナーレ)から、オラトリオ《十字架上の7つの言葉》、《天地創造》《四季》の導入音楽も収録している点はコンセプトが徹底している。

この巻に含まれる序曲は、《哲学者の魂》など全曲盤が存在する曲では、ファースト・チョイスとは言えない演奏であり、選択の余地なくファースト・チョイスとなる第1巻とは事情が違う。

そうは言っても、序曲だけをまとめたこのディスクの存在は、ハイドンの交響曲を愛する聴き手にはやはり貴重なものなのである。

しかし、これだけの水準で序曲を聴かされると、本編のオペラやオラトリオを聴きたくなってしまうのが辛い。

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2010年07月17日


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イギリスのチェリスト、イッサーリスは1958年生まれである。

誰もが認める才能を持つ名演奏家だが、コンクールのような競う場を嫌い、一人、孤独に自身の世界を温めてきた。

26歳のときのデビュー盤にイッサーリスはこの地味なブラームスのソナタを選曲した。

しかもそれは輝かしさのアピールなどではなく、敢えて、さらに暗がりを求めてさまようかのような影の濃い演奏となっている。

1980年代半ばと言えば演奏家の世代交代が促進され始めた時期になるが、多くの若手演奏家たちが感性の新しさ、解釈のみずみずしさ、そして輝かしい個性と若々しい生命力をアピールしたのに対し、イッサーリスはあくまでも暗く、自身の淀みに敢えてこだわり、コントラバスにも似た表現の重さと暗さをベースにブラームスを歌い上げている。

だが解決できない自分をさらけ出すことで、イッサーリスの演奏はかえって真実の演奏としての気迫と説得力とを獲得した。

その仄かな光を求めるかのような演奏は多くの聴き手を魅了したし、イッサーリスが名演奏家である以前に、一人の愛すべき人間であることを明確に印象づけた。

それは脚光を浴びる新世代の若手演奏家といえども決して一色ではなく、現代に生きる喜びと同時に影を持つ事実を確認させた新しい出会いの瞬間でもあった。

「我が道を行く」とはかっこいい表現だが、貫徹するのは難しい。だがこのチェリストはやってのけた。

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2010年07月16日


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旧盤はオリジナル楽器による演奏だったが、新盤は現代楽器で演奏している。

フルトヴェングラー、トスカニーニ、ベーム、カラヤン、バーンスタインなどの名盤の歴史が築かれてきたが、イギリスの名指揮者ノリントンが21世紀のベートーヴェン像を輝かしく打ち立てた。

古楽演奏の実績を持つノリントンだが、そのアプローチは実証に留まるものではなく、イマジネーションとインスピレーションを縦横かつ大胆に駆使したもので、伝統と革新とが鎬を削る緊迫感の中に聴き手を引きずり込む。

たとえば《英雄》交響曲を「英雄」らしくなく演奏したといったら誤解を招くが、この斬新さには驚かされる。

そして作品が秘め持つドラマ、そこにある抒情と劇性とを切実な真実性の中で実感させてくれるのである。

ヴィブラートはほとんど用いない奏法が作り出す見通しのよい響き、各楽器が溶け合う線や色彩感、雄弁に自己を語る管楽器や打楽器の比重の大きさ、前進していく躍動感など、驚きと発見の宝庫である。

しかもそれでいていささかも不自然さはなく、ベートーヴェンの音楽だけが持つ世界の豊かさに圧倒されるような感動を与えてくれるのである。

古くからの聴き手にはイメージ一新を促し、新しい聴き手にはベートーヴェンが21世紀に生きている事実を実感させる名演と言ってもよいであろう。

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2010年07月15日


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カラヤンのチャイコフスキー録音歴は長きにわたっているが、この全集は1970年代後半ぐらいに全集として作成されたものである。

この頃がカラヤンとベルリン・フィルの絶頂期であり、チャイコフスキーに限らずベートーヴェンやブラームスなどの全集も極めて充実した内容であった。

この後、ウィーン・フィルとの後期3大交響曲の演奏があり、これまた名演であるが、ややウィーン・フィルに依存している部分も少なくはなく、カラヤンの真のスタイルとしては私はこの全集を選びたい。

磨き抜かれたオーケストラの響きとカラヤン一流の劇的な表現が、チャイコフスキーを単なるロシア的作曲家とはせずに、さらに高いステージへと昇華させている。

テンポのとり方などに作為の目立つところもないではないが、チャイコフスキーの音楽を得意としていたカラヤンだけに、キメ細かな設計で、聴き手をぐいぐいとひっぱっていくところは、さすがである。

演奏はいずれも精緻に磨き抜かれており、初期の3曲では特に第2番が秀演。もちろん他の2曲も音楽的に水準の高い表現である。

カラヤン一流の、巧みな設計で見事にまとめた演奏で、初期の交響曲のやや内容の弱い面を補って余りある豊かな表現だ。

第4番は華麗で精力的なカラヤン風の演奏。

第5番は劇的で豪壮、作品の交響性を遺憾なく発揮させ、いささかあくが強いものの、大指揮者の風格を強く感じさせる。

「悲愴」も徹底してカラヤン風であり、光彩に満ちた演奏だ。

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2010年07月14日


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ハイドンは50曲あまりの歌曲のほかに、スコットランド民謡をもとにした歌曲を作曲している。

彼の歌曲はベートーヴェンとともに演奏される機会はあまり多くない。

器楽的な書法が優っているためだが、それでも快活で優雅なスタイルを示し、当時のウィーン風の粋な味わいを失っていない。

これらの歌曲をまとまった形で聴けるのは今なおこのアメリング盤しかない。

ハイドンの歌曲には単純なものも含まれているが、イギリス旅行後に作曲された《英国の詩による12の歌曲》が作品・演奏ともに目覚ましく、シューベルト以前にこんな歌曲があったのかと思わせる。

アメリングは、飾り気のない、素直な歌唱で、ハイドンの歌曲のすぐれた一面をよく表現している。

優雅で、おだやかな歌いぶりのなかにも、デリケートなニュアンスを伝えていて、素晴らしい。

彼女の澄んだ美しい声、テキストの的確な読み、情景の鮮明な描写は、ハイドンの晴朗な作風にぴったり。

ひとつひとつの風景をスナップ写真のようにトリミングよく切りとっている。

心をときめかせながらアルバムをめくるように親しみ深く曲に接するよろこびは、アメリングならではのもの。

デムスのピアノも美しいタッチで歌に精彩を与え、息のあったところをみせている。

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2010年07月13日


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アバドが1984年に取り組んだ全集で、5曲の交響曲のほか、序曲《フィンガルの洞窟》など7つの管弦楽曲が、4枚のディスクに収められている。

演奏は、アバドの成熟ぶりと円熟した棒さばきが冴え、全体にすっきりとまとまっており、ことに弦楽器の美しさは筆舌につくし難い。

交響曲はことごとく秀演で、「讃歌」の声楽部には若干の物足りなさもあるが、管弦楽の雄弁な表現力のため、さしたる不満を感じさせない。

何よりも感覚的なみずみずしさと溌剌とした生命力の放射が、5曲を実に魅力的なものとしている。

「スコットランド」はアバドにとって2度目の録音で、前回の録音は、フレッシュでみずみずしい表現だったが、ここでは、楽曲のもつ構成的な美しさを、より明瞭にうちだしながら、表情豊かな演奏を行っている。

端正な造形で一貫しているが、その中にアバドのみずみずしい感性が息づいており、しなやかな旋律と溌剌としたリズムが実に純粋で新鮮な音楽美をつくりだしている。

「イタリア」はアバドのイタリア的資質とイタリア人的な趣味が、いかんなく発揮された演奏で、流麗な旋律をしなやかに歌わせながら、明るく朗らかな表現を行っている。

しかも解放感と作品の古典主義的な様式が少しの違和感もなく共存している。

アバドとロンドン響との数あるディスクの中でも傑出した出来だ。

「宗教改革」はアバドのしなやかで、やわらかな息づかいが伝わってくるような演奏で、スケールも一段と大きくなっている。

ロンドン響のきめの細やかな弦楽器群の響きも絶妙である。

管弦楽曲も優れた演奏で、アバドの自己主張が素直に示されている。

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2010年07月12日


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指揮よりももっとチェロに専念してほしい、と願っていたロストロポーヴィチのファンは多かったはず。

その彼がようやく60代半ばにしてバッハの《無伴奏チェロ組曲》全曲を録音した。

30代で「カザルス以降の最高のチェリスト」といわれた彼が到達し得た至高の境地などというとカッコイイが、彼にとって常にカザルスの存在は大きなプレッシャーとなっていたことは想像に難くない。

思えば同作品はカザルスにより発掘され、彼が60歳前半にして全曲録音が成った歴史がある。

ロストロポーヴィチは、そのカザルスに「これまでのチェロ演奏の観念を覆したチェリスト」と絶賛されたが、それを自ら悟ったような痛快さがこの演奏にはある。

カザルスの歴史的名盤をはじめ、それぞれに優れた演奏は多いが、なかでもロストロポーヴィチのものは、舞曲形式のみのこの全6曲を、緻密、しかも壮大に仕上げている。

私は聴く度に、おのおのが6つの面を持つ6つの塔からなる大伽藍を思い浮かべ、それが、朝日、夕日の光を受けて壮麗に輝く様を想像してしまう。

これはバッハの生命力に加え、これを貫徹し表現しようとする、ロストロポーヴィチの強い意思力、奔放な情熱によるもので、それがまた、従来の観念を、くつがえすほどの技術に支えられているからに他ならない。

真摯にバッハの音楽の本質に迫ろうという意気込みが伝わってくる演奏で、ロシアにおけるバッハ演奏の伝統が実感できる。

ロストロポーヴィチの演奏には決して小手先の器用さや気のきいた解釈といったものはなく、しっかりと大地を踏みしめるかのような安定感のあるスケールの大きさがある。

いわば自分の楽器を正眼にすえての真剣勝負とでもいおうか。

そこにはまさに大家の風格がはっきりと刻印されている。

ソ連当局と命をかけて戦い抜いた不屈の闘志は、チェロを構えて張りつめた姿からもうかがわれる。

巨人による巨大な演奏、まさに"枯れた"至芸だ。

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2010年07月11日


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いずれも1960年代前半の録音の各1枚物のアルバムからの抜粋。

オーマンディは昔からチャイコフスキーのバレエ音楽を得意としており、コンサートでもよくとりあげていた。

いささかオーマンディの表現がすっきりしすぎているものの、チャイコフスキーの華麗なオーケストレーションを、存分に味わうことのできる、素晴らしい響きの演奏だ。

いわゆる"フィラデルフィア・サウンド"とよばれる華麗な音色できかせる演奏で、どの曲も色彩の輝かしい、リズムの生き生きとした表現である。

オーマンディはそうしたフィラデルフィア管弦楽団の芳醇な音を前面に押し出し、何のけれん味もなく、また情緒に溺れることなく、それぞれの曲の美しさを表出している。

バレエのステップに合わせたものではなく、曲によってはテンポを大幅に動かしながら、まるで交響詩を思わせるようにまとめている。

曲の美しさを鮮やかに浮き彫りにした「眠りの森の美女」の「序奏」「パノラマ」と、「くるみ割り人形」の「花のワルツ」など、このコンビならではの冴えた演奏だ。

ことに「白鳥の湖」の「フィナーレ」の劇的な設計は見事で、定評のある金管群の音色は最高だ。

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2010年07月10日


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あまりにもポピュラーになりすぎたビゼーの音楽から、一切のけばけばしさを洗い落とし、まるで生まれたばかりのような瑞々しい生命と抒情と透明な美感を引き出したベルガンサとアバドの名演。

ベルガンサのカルメンが素敵である。

ちょっと上品な、おっとりした感じのカルメンで、物語に描かれた激情的なカルメンとは趣を異にするが、全曲を通じて情感豊かに、ドラマティックにうたいあげているあたり、やはりスペイン出身の歌手ならではの味である。

この録音で初めてカルメンに挑戦したベルガンサは「これぞビゼー自身が選んだと思われるカルメン!」と絶賛されたという。

カルメンを「自分に忠実なひとりの女性」として表現したというベルガンサの歌唱は、いわゆる情熱的なジプシー女としては異質といえば異質だが、瑞々しい美声と爽やかな情感をたたえた表現には独特の魅力がある。

ベルガンサのカルメンは、悪女ぶりが物足りないという向きもあろうが、ジプシーとして純粋に恋に殉じた女としては、けだし適役というべきであろう。

ドン・ホセのドミンゴ、エスカミーリョのミルンズ、ミカエラのコトルバスもそれぞれの役柄を見事に表現しているが、この演奏で特徴的なのはベルガンサとアバドの指揮で、余分なものをそぎ落としてビゼーの音楽の輝きと情熱を生き生きと表現した演奏は、今も新鮮さを失っていない。

メリハリをきかせたアバドの指揮もさすがにうまいし、ロンドン交響楽団もいつになくオペラティックな気分をみなぎらせていることも特筆に値する。

このオペラの最もスタンダードな名演として推薦できよう。

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2010年07月09日


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第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが入れ替わっても差がほとんどわからない稀有なクヮルテット、エマーソンSQがその技量と知性を惜しむことなく注ぎ込んだ全集である。

ベートーヴェンやメンデルスゾーンでは持て余し気味だった彼らの演奏技巧は、ここでは存分に羽ばたいている。

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲はベートーヴェンのそれとともに弦楽四重奏団にとっては踏破、征服すべき目標としてそびえ立っている。

1976年に創設されたアメリカのエマーソンSQは作品や演奏の機会に応じて第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンとが入れ替わるという柔軟なスタイルを持つクヮルテットとして知られるが、それ以上に真摯かつ誠実な作品へのアプローチが毎回聴き手を感動させてきた実績を誇っている。

このショスタコーヴィチ録音は1994年から99年にかけてアスペン音楽祭で行なわれたツィクルスをライヴ収録したものだが、作品を気迫と集中力をもって再現しながらも、もう一つ別の視点から作品を俯瞰して見据えていくようなアングルの大きさが特筆され、ショスタコーヴィチ作品の豊かさを聴き手がじっくりと味わっていくことを可能にしている。

柔らかくひそやかな弱音(第1番第1楽章、第10番第1楽章、第14番第3楽章コーダ)から、バリバリと音を割った暴力的な強音(第1番終楽章コーダ、第3番第3楽章、第8番第3楽章)まで、表現の幅が実に広い。

第7番第3楽章や第12番第2楽章冒頭での激情の猛烈な迸りなど、作曲者の想像した音世界をも超えてしまったのではないだろうか。

どの曲の演奏も素晴らしく、感銘は交響曲にも匹敵する。

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2010年07月08日


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1993年11月、翌年のザルツブルグ・イースター音楽祭に先立って収録されたこの録音は、この曲を得意とし、深い愛情を抱いているアバドの総決算とも呼べるものである。

ロシア音楽を得意とするアバドだが、なかでも《ボリス・ゴドノフ》への思い入れは格別のように見受けられる。

ウィーン国立歌劇場、イースターと夏のザルツブルク音楽祭で反復して取り上げ、自らの解釈にさらなる磨きをかけてきた。

音楽の細部に至るまで自らの音楽を徹底し、アバドはベルリン・フィルのもつ表現力を最大限に生かすことに成功している。

アバドの洗練された音楽性とベルリン・フィルの機能美は、この最もロシア的なオペラに劇的かつ精妙な美しさを与えた。

ロイド=ジョーンズ校訂版を基調としつつ、第4幕第1場に1869年初稿と1874年決定稿も収録している。

ボリスのコチェルガは主人公としての苦悩をきわめて人間的に表現。

レイミーのピーメン、ラングリッジのシェイスキー、ラリンのディミトリー、リポヴシェクのマリーナ等々のオール・スター・キャストに、コーラスも威力抜群。

スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団の重厚な味わいも作品にきわめて似つかわしい。

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2010年07月06日


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ショパンが初期から後期に至るまで書き続けた「夜想曲」は全21曲が残されているが、ショパンの作品の中でも夜想曲を演奏することは特に至難の業である。

曲の表面に流されて、ともすれば、過剰にセンチメンタルになったり、曲の内部まで掘り下げずに終わってしまうからだ。

その点、このピリスの演奏はきわめて完成度が高い。

ショパンはもともとピリスの得意とするレパートリーだが、このアルバムでは特に円熟味を増した彼女の良さが生きている。

ピリスのレパートリーの中にはロマン派の作品も多く含まれ、中でもショパンは重要な位置を占めているのだが、そのわりに録音が少ないために一般的にはそれほど知られていないように思われる。

彼女の最も新しいこの《夜想曲全集》は、ピリスの演奏するショパンがいかに美しいかを改めて実感させてくれる。

ピリスは自然体でありながら、情感豊かに、さまざまな形式で書かれた1曲1曲の特質を適確にとらえ、多彩な内容を格調高く描き出している。

モーツァルトと同様に、美しい音色を基底として、その上に各曲の性格を巧みに弾き分けている知的な読みの深さが感じられる。

ピリスが当代一流の"モーツァルト弾き"であるのみか、ある意味で比類ないほどの"ショパン弾き"でもある事実を、如実に示したのがこの《夜想曲全集》だった。

ノクターンは決して、ショパンがこまやかな詩情のみを注ぎ込んだ音楽ではない。

これら21曲のうちに、ショパンはその情熱、意志の力、劇的な昂揚感のすべてをも托したのである。

このことを深く感じ取り、すべてをふさわしく表現できるピアニストを、あるいはショパンは待ち望んでいたのかもしれない。

そして、ここに、このポルトガル女性が現われた、とまで、聴きながら思ったものである。

すべてのノクターンが、1曲の例外もなく、それぞれの「いのち」を息づいている!

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2010年07月05日


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20世紀は、これまで弦楽器の中でソロ楽器としては比較的注目されることの少なかったヴィオラが、やっと表舞台に登場した世紀であったが、その立役者の一人となったのがバシュメトである。

今日これほどまでにヴィオラ作品が愛好されるようになったのは、恐らくバシュメトという天性のヴィオラ奏者の出現と無関係ではないだろう。

彼の存在に刺激されたかのように、今日すぐれたヴィオラ奏者が活躍の場を拡大している。

バシュメトのヴィオラ演奏は、これまでのヴィオラの概念をくつがえすほどの鋭敏な技巧と甘く柔らかい艶のある音色を持っていることに特色があるが、このブラームスの2つのヴィオラ・ソナタでも、そうした彼の特徴が最大限活用されている。

バシュメトはヴィオラ特有の渋い甘さの中に底光りするような艶を宿した音色を生かしながら朗々と曲を歌わせ、深い共感を込めながら弾き表していく。

ブラームスの晩年に特有の深い翳りに彩られた懐の深い情感の世界が、共感あふれる歌と豊かなテンペラメントを存分に込めながら、流麗な技巧を駆使して自在に繰り広げられている。

とりわけ第2番での起伏の大きな感情の移ろいを緩急自在に弾き表してゆくバシュメトの技巧には改めて感嘆する。

変奏曲の終曲の扱い方なども、新鋭(録音時)とは思えない円熟したうまさが光る。

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2010年07月04日


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交響曲となっているものの、実際には協奏曲の性格をもつ当作品は、スペイン出身のヴァイオリニスト、サラサーテからの依頼により作曲された。

スペイン色を濃厚にもつ作品をラロがかいたのは、そうした事情があったせいだろう。

だから当作品の演奏にあたっては、スペイン色との対応のしかたも大きな要素となってくる。

ここにおけるデュメイとプラッソンとは、そうしたローカル色を特に強調するようなことなく、洗練されたスタンスを保ちながら、柔軟性をもって対応しており、無理がない。

明るいトーン、素直でのびやかな表情などが効果的にいきている。

大向こうを意識するような大柄な性格ではないものの、細やかなよさをもつ内容だ。

デュメイのソロは音色が美しく、特に引き締まった高音が魅力的だ。

アーティキュレーションにも強い自信が反映され、旋律を歌わせるときには緩急の細かいニュアンスを生かしている。

このように自在で、洗練された感覚を発散するスペイン交響曲の演奏は珍しい。

協奏曲第1番では、オケののびやかな演奏とデュメイの引き締まったソロが鮮やかな対照を示し、豊かな雰囲気をもたらす。

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2010年07月03日


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1976年生まれのカナダの俊英、ジェイムズ・エーネスによる《カプリース》全曲。1717年製ストラディヴァリウスを使用。

情熱的に弾けるような若々しさは当然として、彼の演奏はそれ以上に大きな構えで音楽を造形する感性も十分に備わっていることを感じさせる。

つまり、単にテクニックだけで弾きまくるのではなく、全曲の後半に行くに従って徐々に音楽的表現密度を高めて、その結果有名な終曲に到達するといった具合である。

ピアニストは年をとるにつれて、思想が深まってゆく例にこと欠かない。それに対し、ヴァイオリニストは若いうちが花という場合が少なくない。

ヴァイオリンという楽器には若い感性に訴えるなにかがあるのだろう。ちょうど抒情詩が若い詩人の感覚にぴったりなように。

ジェイムズ・エーネスがこのディスクを録音したのは1995年だから、この《カプリース集》は19歳での録音ということになる。

天下の難曲のレコーディングのスタンダードな意味での名演に、まだ未成年者であった人の演奏を選ぶとは、思えば大変なことである。

だが、それが、ごく自然にできてしまう。

いま聴き返しても、まことに新鮮な佳演で、素晴らしく高い技巧のかたわらに、爽やかなリリシズムも香らせ、ざらにはいないヴァイオリニストである彼を再確認させる。

すらすらと弾き上げられているために、パガニーニの"悪魔的"な面がやや淡いともいえるが、いわゆる熱演型とは対照的に、すっきりと曲の佳さを告げて秀逸である。

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2010年07月02日


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前者は北欧スウェーデン出身のオッターによる初のシベリウス/歌曲集。

シベリウスの歌曲の最良の表現がここにはある。

オッターは柔らかな温かみのある美しい声で、最初の「アリオーソ」からしみじみと心に染みる歌を聴かせる。

これほど豊かな歌心を持つ歌手は稀で、「眠れ」での不安を宿したひそやかな歌いぶりや、「とんぼ」での弱声の奥深い表現も見事。

「黒いばら」での劇的な表現にも圧倒される。

歌曲では音楽もさることながら詩が非常に重要だ。

スウェーデン語のようにメジャーな言葉によらない歌曲の場合(日本歌曲もそうだが)、言葉を理解できない聴き手にも詩の内容を伝えられる情感豊かな歌い手と出会えたらなんと幸せなことか。

作品13、作品50、作品90ほかの25曲を収めた後者のアルバム(ただし作品50はドイツ語)に耳を傾ければ、北国の豊かな大自然の情景、人々の心に飛び跳ねる幸せな夢想(とりわけルネベリの詩)が、自分のもののように感じられるだろう。

ロマンティックな躍動が、言葉の抑揚を生かしたオッターの大胆な語りから生まれる。

音楽に満ちる若さと希望に感動。

フォシュベリのピアノもスケールが大きく、北欧的な清澄さと憂愁をよく伝えている。

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2010年07月01日


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パールマンの溌剌とした情感があふれ出たような演奏だ。

アーティキュレーションが格別に見事な、そして自らの表現力とテクニックを誇示するといっても過言ではないその演奏は、それぞれの曲をいわば白日のもとに置く。

あまりに光の部分が表に出過ぎてはいるが、このヴァイオリンの名手の音楽に輝かしい光を当てる、颯爽とした見事な演奏であることは確かなことだ。

このヴァイオリニストらしい、本質的に奔放さをもった音楽的資質と楽器そのものの生理とあいまって、まことに自在感に満ちた表現を生み出している。

小品のそれぞれが鮮やかな個性を主張する若々しい演奏であり、じっくりと味わえる演奏。

イツァーク・パールマンとクライスラーの作品というと、ちょっと合わないように思う人もいるかもしれないが、実は彼の演奏するクライスラーの音楽は、ウィーンの演奏家にも劣らないほどウィーン風の美しさを持っている。

それはひとつには、パールマンがどんな曲を弾いても常に自分自身で音楽を楽しんで演奏する、そうした彼の演奏の本質によるものだが、それに加えてこのクライスラーの音楽では、嫌味のない自然なポルタメントを用いて、ウィーン独特の雰囲気を醸し出していることにもよる。

例えば、ドヴォルザークの《スラヴ舞曲》の編曲では、多用されている二重音の表現にノスタルジアさえも感じられ、ドヴォルザークよりもウィーンのクライスラーを強く感じさせる。

また《美しきロスマリン》や《愛の悲しみ》などの、微妙なテンポの揺れやワルツのリズムの取り方にも独特のものがあり、ピアノのサンダースのうまさも注目される。

ヴァイオリンの音楽には、この楽器の官能性を追求する作品があるが、クライスラーの作品はその最たるものである。

そこでは倫理的な音楽はかえって邪魔になるといった事情をパールマンはよくわきまえ、一応芸術としての枠内に留まりながら色気をも充分に発揮した演奏を聴かせてくれる。

その境界をわきまえることは、実はとても難しいのである。

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