2010年08月
2010年08月31日
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バレンボイムは1970年代から80年代にかけてシカゴ交響楽団と全集を録音し、さらに1990年代にベルリン・フィルと2度目の全集を完成するなどブルックナーへの傾倒は並々ならぬものがある。
全体にきわめて積極性に富んだ表現で、感覚的にもみずみずしく、ベルリン・フィルの演奏もブルックナー独自の響きを着実に表現している。
第4番はバレンボイムの再録音のブルックナーでも注目すべき表現である。
ハース版を基本としながらも、それにとらわれず、演奏はブルックナーの古典主義を摘出したような解釈といえる。
その造形は端正で、決然とした力感と芳醇な歌にみちており、高潮と起伏の自然さも特筆に値する。
すべての角度から見て円熟の表現である。
バレンボイムには特有のアゴーギクがあり、そのテンポはときとして大きなうねりのように緩急をつける。
やや大時代がかった表情もあるが、第2楽章の、悲劇を思わせるような音楽表情は感動的だ。
ホルンが活躍するスケルツォ楽章の強弱法も聴きどころ。
第7番もバレンボイムの成熟ぶりをはっきりと示す演奏のひとつで、格段にスケールが大きい。
何よりもテンポがよく、デュナーミクも妥当、楽想が明晰である。
そこにロマン的な情緒があらわされ、その豊麗さと柔軟性で聴き手を説得する。
それでいながら、この作曲家の様式を客観的に把握した印象をあたえるのもバレンボイムらしい。
各種の楽譜を混用した演奏で、バレンボイムは第2楽章でノヴァーク版のシンバル他の打楽器を追加しているほか、ハースやレートリヒ版も部分的に採用しながら、ベルリン・フィルの高度な機能性を見事に生かしたスケールの大きな演奏を展開している。
第2楽章はフルトヴェングラーに代表される崇高なまでの神秘性には及ばないとはいえ、淀みのない音楽の自然な流れと、彫りの深い響きによる精彩あふれる表現は素晴らしい。
他の交響曲も純音楽的なブルックナーとして評価したい。
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2010年08月30日
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ドイツの名指揮者オイゲン・ヨッフムは、1961年にオランダ人以外では初めてコンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に就任したが、このアルバムはそのポストにあった時期に録音されたもの。
ヨッフムはブルックナーの演奏にかけては他の追随を許さない存在であり、特にこの第5番は彼が好んで頻繁に指揮した作品だった。
ヨッフムの第5番は数種類があり、どれも名演の誉れが高いが、これは1964年3月30日、31日に、南ドイツ、オットーボイレンの聖ベネディクトゥス修道院で行われた演奏会のライヴ・レコーディング。
大聖堂の豊かな残響を伴った荘厳無比な名演として以前から有名なこの演奏は、ヨッフムが実演でその真価を発揮するタイプの指揮者であったことをよく教えてくれる。
この曲のスペシャリストでもあるヨッフムには、ほかに5種類(1938/1958/1969/1980/1986)の録音が存在するが、大聖堂での演奏はこれだけ。
コンセルトヘボウの滋味がありながら透明度の高い弦楽器の音色が、録音会場の教会のなかに残響豊かに満ちていく。
ヨッフムは、全体はがっしりとした構えながら、コラール風の安寧に満ちたメロディが随所に繰り返され、それが徐々に力を漲らせながら頂点に向かっていくこの曲を手練れた演奏で聴かせる。
これこそブルックナーの魅力の表出といわんばかりの自信に満ちたアプローチである。
この曲にことさら求められるオルガン的響きが見事に捉えられ、宗教的敬虔さとあいまって、稀にみる名演となっている。
ブルックナーに対する演奏者の愛情と作品に対する造詣の深さを裏付けしており、じっくりとブルックナーの世界に浸らせてくれる名演である。
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バレンボイムはピアニストとしてクレンペラーと、指揮者としてルービンシュタインとともにベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を完成したのち、いわゆる弾き振りでこの全集を録音した。
そのためだろうか、ここでは彼が作品の隅々まで実に知り尽くしていることがわかる。
バレンボイムは、その語り口のうまさと感興ゆたかに変化に富んだ表現で聴き手を放さない。
ソロと指揮者を兼任するメリットをフルに生かしたきわめて緻密な音楽づくりがなされ、しかも即興的な味わいにも富み、型にはまることがない。
ベルリン・フィルの響きも見事だし、バレンボイムの音楽家としての格の大きさを存分に示した演奏といってよいだろう。
第3番は作品を読み切った上で己の感興を見事に生かし、コントロールして、作品の本来の姿と演奏の生命力をまったく無理なく一つにしている。
第4番は全篇落ち着きはらった進行の中で、バレンボイムが自ら語り、自ら聴き入り、ベートーヴェンの心を完全に自分のものにしている。
第5番「皇帝」は壮麗壮大なグランド・マナーで、ヴィルトゥオーゾ的な弾き方は迫力満点だ。
叙情を際立たせた第4番、さらに第5番「皇帝」の作品にふさわしい雄大なスケールをたたえるとともに決して外面的に傾かないところも良い。
ベルリン・フィルを指揮しても決して声高になることなく、その懐の深さと柔軟さに感嘆させられる。
オーケストラの充実度も特筆すべきもので、バレンボイムが雄大なスケールの構築と迫力の中に優美な表情を加えた、見事な弾き振りを示している。
ベルリン・フィルの出来もバレンボイムに全幅の信頼を置いていることが窺われる申し分ないものだ。
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2010年08月29日
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マイケル・レビンは10代で神童といわれ、20代半ばには一線を退いてしまい、30代半ばでニューヨーク・フィルの奏者として第二の人生を開始した矢先に自動車事故で他界してしまった。
若くして他界したレビンは、録音の量が少ないためか、その実力が充分に認識されていないきらいがあるが、滅多に例を見ない天性のスーパー・テクニシャンであり、桁外れの切れ味を誇った。
同時に明るく澄んだ美しい音色を兼備したヴァイオリニストであった。
そして、彼のテクニシャンぶりが最高度に発揮されたこのパガニーニは、どんな困難なパッセージでも余裕をもって弾き切られている快演で、さらにそこでは、彼の甘く透明な音色の魅力や適度にスリリングな表情の冴えなどもが光彩を放っており、ヴァイオリンの名人芸を堪能できる表現が実現されている。
彼のテクニックは、パールマンやミンツをも上回っているといってよいだろう。
この難曲のテクニックに特に精度の高い再現を可能たらしめた演奏としてトップにランクされるのは、このレビン盤であろう。
鍛え抜かれた左手のテクニックもさることながら、ムラのないボウイングも出色である。
レビンの美音に彩られた華やかさでも他のヴァイオリニストにひけをとらないが、弾きまくるといったものではなく、優しさと慈しみのある、しっとりとした歌の深さにあふれているのが貴重だ。
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2010年08月28日
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ラフマニノフの全集の1970年代の名盤。
アシュケナージはラフマニノフを得意としているピアニストで、このプレヴィンとの全集は1970年から71年にかけて完成させたもの。
まだ彼がソヴィエト国籍にあった若い時代の、華麗なまでに鮮やかな演奏だ。
アシュケナージは1980年代半ばに、ハイティンク&コンセルトヘボウ管と2度目の全集を完成して、より精妙に円熟した演奏を聴かせてくれたが、若々しい力を存分に発揮するとともに、みずみずしく豊かな情感をたたえたこの旧盤の演奏も、それに劣らず魅力的である。
ダイナミックな表出力とロシア的な情趣の深さを見事に合わせた演奏には、アシュケナージのラフマニノフへの共感がストレートに示されているといってよいだろう。
しかも、その演奏はお国ぶりに流れたり、感傷に溺れたりすることなく、あくまで真摯に作品に対して、各曲を存分かつ巨細に描ききっている。
そうしたアシュケナージを緩急巧みにバックアップしたプレヴィンの指揮も見事である。
ハイライトは何といっても第2番と第3番。
第2番はアシュケナージがとことん弾き込んだ曲だけあって随所にひらめきが感じられるし、表情も豊か。
第3番はこの曲のもつロマン的情感を見事に表出したもので、アシュケナージらしい繊細透明な音色と抒情味豊かな表現が光っている。
アシュケナージと同じく、ラフマニノフを自家薬籠中のものとしていたプレヴィンの棒の巧さにも拍手を贈りたい。
15年後に録音されたハイティンクとの共演盤の円熟には及ばないが、これは若きアシュケナージの、ラフマニノフへの深い共感がうかがわれる全集だ。
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2010年08月27日
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ベートーヴェンの「第9」には様々な録音があるが、しかし、「第9」にはどうしたって堂々としてもらいたい、という向きには、これ以上堂々としようがないという演奏を紹介しよう。
ベームの"白鳥の歌"となった最後の録音である。
ベーム最後の録音にふさわしい圧倒的な「第9」であり、彼はここで自分の音楽的人生を総決算しようとしたのではないか。
彼が最も多く指揮した自信作のひとつだけあって、実に堂々とした豪壮雄偉な演奏だ。
ベームはベートーヴェンの伝統的な演奏様式に深く根ざした、しかも強靭な気力をもって作品の劇性と音楽的個性を両立させている。
冒頭からきわめて遅いテンポがとられており、ひとつひとつの音に心がこもっている。
ゆったりとしたスケールの大きい表現で、第3楽章の美しさは格別だ。
ベームはこのように規模の大きな作品になればなるほど、その偉大な風格を反映させる。
ベームはこの1曲で、晩年の最後の境地をことごとく表出したともいえるような、輝くばかりの精神の美しさを感じさせる音楽だ。
この演奏は猛烈に遅い。おそらく同曲でいちばん演奏時間の長い録音だろう。
厳しい造形力はが緊張力を持続させ、大物歌手と大合唱をそろえた終楽章で実直に音楽が積み重ねられていくさまは、目頭が思わず熱くなるほど感動的である。
ウィーン・フィルの響きは清澄このうえなく、独唱・合唱とも見事で、まさに感動的と形容したい。
ベームの最後の録音だからというわけではなく、この演奏は世紀の超名演と確信している。
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2010年08月26日
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当ディスクは、すでにポストの面でも、芸風の面でも、悠々自適の境地に達していたヨッフムが亡くなる前年(1986年)に残した録音である。
さすがに老大家らしい、年輪の厚さを感じさせる演奏で、あたかも音楽をあたたかく、ふところに抱きかかえているような感じだ。
豊かで匂やかな音楽に溢れた演奏で、感情の自然な起伏を十全に表現したスケールの大きな演奏だ。
晩年のヨッフムがバンベルク響を振った他の演奏にも共通した衒いのない自然体のアプローチは、決して力むことのない、愛らしさを併せ持った生気溢れる世界を展開している。
だが、古典的な様式感よりは、自在な感情の流れを押し出した演奏だ。
セレナード第7番《ハフナー》では、この曲の明るく祝典的な気分を、ごく自然に表出しているのが特徴で、急所をビシッとおさえながら、あとは楽員の自発性にまかせてのびのびと演奏させている。
ことにロンドの楽章は上品で魅力的だ。
《アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク》の演奏は、中低域にもたっぷりと歌わせた中庸を心得た音響バランスで、とうとうと流れる音楽が自然で好ましい。
無理なところの一つも無い演奏の合間から、時折、愛らしい表情が浮かび出るのも、このコンビならではの魅力だ。
特に第2楽章の優しさは絶品だ。
ヨッフムの場合、その晩年期の来日公演時の印象があまりに強烈で、渋い老巨匠のイメージが強いものの、このセレナード第7番《ハフナー》では、第1楽章の主部で顕著なように、引き締まったテンポ設定を行なっており、豊かな風格が漂っているのが印象的だ。
しかも、音楽に対峙する姿勢はいささかもぶれることなく、自然な流れと愉悦感にあふれた名演が収録されている。
名コンビぶりをうたわれたバンベルク響のあたたかな響きを活かしながら、移ろいゆくハーモニーの綾を存分に引き出していく手腕も実に見事である。
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2010年08月25日
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新鮮な感覚で、この曲の持つ野性味をダイナミックに表現した演奏だ。
サロネンは、若々しさで押した感があり、それが快い。
サロネンの演奏は、十分に野性的でダイナミックなのだが、それでいてその響きを含めクールな感触があり、それが新鮮である。
しかもタクトの切れは鋭く、その精緻なリズム構築を見事に解きほぐし、明快な運びで作品のエネルギーを放射させていく。
「春の兆し」のあの猛烈なスピード!それは現代的なツービート感覚であろうか。
軽やかな「ハルサイ」の幕開けかもしれない。
第1部はややゆっくりとしたテンポで始めるが、途中からから激しく熱っぽく運び、しかもきりりと引き締まっている。
第2部もサロネンの棒は鋭く、しかもミステリアスな気分をよく描出している。
「選ばれた処女への讃美」から始まる原始的なリズム処理は素晴らしく、その熱気と迫力には圧倒される。
最早、何も堰き止めるもののない颯爽としたプロポーションの、駆け抜ける音楽と化している。
ここでは、大地に眠る神もいなくなったかのようだ。
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2010年08月24日
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戦前のブッシュ盤(グラインドボーン音楽祭の収録)をはじめとして《コジ》には名盤が少なくないが、ベームによるこの2度目の録音は非常に完成度の高いものだ。
ベームのモーツァルト・オペラ演奏の精髄がここにある。
いくぶん硬質な表現だが、モーツァルトの音楽がもつ高潔さ、美しさをこれほど見事に表出した演奏というのは、ほかにはない。
デリケートな美しさ、自発性の豊かさ、そして精神の純潔さに魅了される。
歌手ではまずフェランド役のクラウスの澄明な美声と凛とした歌いぶりが見事。極めつけの名唱といえよう。
シュヴァルツコップ(フィオルディリージ)とルートヴィヒ(ドラベッラ)という2人の組み合わせも理想的で、今日でも右に出るものがない。
このシュヴァルツコップとルートヴィヒのコンビの魅惑は圧倒的であり、どんな言葉を費やしても、この2人の名唱を誉めつくすことは不可能だ。
グリエルモを歌うタッデイは熱血漢タイプの男をリアルかつ微笑ましく歌い演じている。
ドン・アルフォンゾ役のベリーも実に味のある歌いぶり。
のちのグラモフォン盤の新録音では少し重くなるベームの棒も、ここでは滑らかに流れ、上機嫌な微笑みと機知を至る所に感じられる。
録音当時レッグが「今後20年間は生命を失うことのないレコード」と豪語したというエピソードもある。
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2010年08月23日
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バレンボイムが満を持して発表したブラームス全集。
ライヴで本領を発揮するバレンボイムらしく全体は熱気に満ちあふれ、骨太でうねるような音楽は彼が心から敬愛するフルトヴェングラーを思わせる。
しかし、それは決して表面的な模倣ではなく、バレンボイム自らの音楽語法に翻案し、現代的な意味付けがなされたものであるのは言うまでもない。
作品に真正面から立ち向かい、落ち着いたテンポでブラームスの音楽がもつさまざまな要素を余すところなく表現している。
第1番はバレンボイムのフルトヴェングラーへの傾倒ぶりが最も顕著にうかがえる演奏である。
フルトヴェングラーほど濃密ではないが、やや遅めのテンポで古典的な様式とロマン的な情感がバランスよく表現されているのが新鮮であり完成度も高い。
第2番でもバレンボイムの安定感のあるテンポと響きのバランスが素晴らしく、音楽の流れにまったく停滞感がない。
アンサンブルも精緻であり、とくに木管を埋没させないふくよかな響きの美しさは格別で、ロマン的な情感をみずみずしく表出している。
第3番でもバレンボイムは往年のフルトヴェングラーを思わせる遅めのテンポでルバートを巧みに用い、のびやかに旋律をうたわせている。
ふくよかな響きと引き締まった表現も素晴らしく、劇的な性格とロマン的な情感の対比なども明確で味わい豊かである。
第4番でバレンボイムはかなりアッチェレランドを多用しているが、フルトヴェングラーほどロマン的な情念は濃くなく端正に仕上げている。
緻密にコントロールされた美しい響きと流麗な表現が素晴らしく、後半の情熱的な高揚感とスケールの大きな表現も見事である。
また、ここで聴くシカゴ響の素晴らしさも特筆すべきもので、ショルティ時代の高い機能性を受け継いだバレンボイムは、それに響きの多彩さと柔軟性を加えることに成功している。
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2010年08月22日
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バッハ演奏の主流がオリジナル楽器に移りつつある昨今、このカザルスの演奏を若い世代の人達はどう聴くだろう。
バッハ演奏のトレンドであるオリジナル楽器によるものとは異なるが、ここでのカザルスのアプローチもまた、ポリフォニックなバッハ解釈という点で傑出している。
指揮者カザルスの音楽づくりの最大の特色は、そのポリフォニカルな声部処理にある。
あらゆる声部に、生き生きとした表情を持たせ、それらの声部を有機的で立体的に組み立てるカザルスの音楽語法は"ポリフォニー音楽の頂点"にある作曲家J・S・バッハの音楽において最高の輝きを示す。
バッハのあらゆるフレーズ、あらゆる音とリズムに、カザルスは「人間の生命の息吹」とも呼べる生き生きとした躍動感とニュアンスを与えている。
その表情すべてが、人間の持つ生命の根源的エネルギーと直結している点、巨大な有機生命体とも呼ぶべき音楽の全体像を生み出している点において、このカザルスの演奏に比肩できるものは、ほとんどないのではなかろうか。
今日のオリジナル楽器派とカザルスを分けるのは、その使用楽器という物理的な差のみならず、そのポリフォニカルな声部処理の内に漲らせた生命力の強さと、内的共感の大きさである。
生命の讃歌とも呼ぶべきバッハ演奏がここにある。
"音楽する"ことの根源的な解答が、カザルスの音楽にはある!
いずれの演奏も、カザルスの主観の強く現れた剛直な表現で、訴えかけてくる力が極めて強い。
押し出しの立派な管弦楽組曲第2番、第3番の序曲や若々しく生気にあふれたブランデンブルク協奏曲第5番など、まさにその好例だ。
このCDは、カザルスが尊敬してやまなかったバッハ観を知るという意味で貴重なアルバムといえよう。
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2010年08月21日
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最近のオリジナル楽器の演奏とは異なる伝統的な様式を継承した演奏だ。
古楽器台頭以前の大編成オーケストラによるもっともオーソドックスな演奏として、身も心も安心して委ねることのできるセットである。
アンサンブルをする歓び、職人的に精巧に書かれたハイドンのスコアを、音にする歓びが溢れている。
晴朗な音色と軽やかなリズムで、親しみに溢れた暖かい音楽を聴かせるが、造形は実に堅固で表情は格調が高い。
時に自己主張が強まるもののテンポやアーティキュレーションは妥当で、それでいながら巨匠的風格を持っているのだ。
ドイツのオーケストラのように重厚すぎないロンドン・フィルの上品で節度ある響きが、この演奏に独特の気品を与えている。
こういうハイドンを聴くと、本当に心が和む。
小編成では味わうことのできない大らかさにホッとするのだ。
クナのように無限の宇宙を感じるとか、シューリヒトのように魂が天を駆けるという特別な演奏ではない。
それでいて大衆に媚びた低級の演奏でもない。
真面目さとユーモア、高尚と親しみやすさ、そんなものが同居した、バランスの取れた名演集である。
これらのCDはヨッフムの最も優れた遺産のひとつといえる。
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2010年08月20日
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イタリア人の指揮者とアメリカのオーケストラ、というだけの単純な理由で、この全集に触れる機会を持たなかった方々こそお気の毒である。
この全集を知らない、持たない、聴かない、というのは音楽人生にとって大きな損失だ。
これほど淡く、爽やかで、それでいて生命力に溢れて美しいベートーヴェン演奏は稀だからである。
成功の要因のひとつは、オーマンディの薫陶を受けたフィラデルフィア管の優れた技量と音楽性。
全曲にわたり「美しくない音」がただの1音もないのだから驚きだ。
個々のパートがそれぞれ完璧な上に、それらが溶け合ったときの全体の色彩美といったら例がない。
ムーティが「オペラだけの人でない」ことを、見事に実証した全集であり、大いに推奨したい。
ムーティの指揮は素晴らしい。
イタリア式に横に歌うだけでなく、作品のキャラクターや構造を的確に捉えて立体的に構築し、持ち前の情熱で演奏に生命を吹き込んでいる。
テンポは中庸か遅めの場合が多く、それが歌謡性を強調している。
もちろん流動性も強いが、全体的には実直に作品の音楽性を追求しており、明朗でのびやかに歌うのが独自の魅力だ。
苦悩の人ベートーヴェンの音楽が、こんなにも美しくて良いのだろうか?という罪悪感さえ持たれる方もいらっしゃるかも知れないが、心配はご無用。美のために破られてならぬルールはない。
これこそベートーヴェンの哲学であり、我々は、この美を全身全霊をもって享受して良いのである。
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2010年08月19日
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ベートーヴェン=ドイツ=重厚と考える向きには、アンセルメのベートーヴェンなど選択肢のひとつにも入らないかも知れないが、これはまことに傾聴に値する録音であり、広く推奨したい。
アンセルメの演奏を一言で説明するなら「理知の光に照らされたベートーヴェン」と言うことができる。
アンセルメの頭脳によって明快に読み込まれたスコアが生き生きと再現されているのだ。
この辺りは、盟友であったシューリヒトと相通ずる芸風であるが、シューリヒトの方がよりドイツのロマンティストであったと言えようか。
オケの響きは、とても軽やか。
弦の音色は明るく、管もオーボエやホルンを筆頭に鼻にかかったフランス風の音。
それらが、アンセルメの颯爽としたテンポの中で伸び伸びと歌っている。
しかし、決して感覚的、即興的に流した演奏ではなく、不意に訪れる大小のテンポの変化や全体のバランスの妙には油断がならない。
これほど考え抜かれた演奏でありながら、いっさいの理屈っぽさを思わせない点にアンセルメの芸の深さがある。
我々がアンセルメの芸術に打たれるのは、このように怜悧な数学者と熱き表現者の共存する姿に出会うときなのだ。
この全集を手に取る者は、どの作品、どの楽章からも、同じ種類の感動と遭遇することになるだろう。
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2010年08月18日
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旧東独を代表する名手ペーター・ダムの代表盤。
大変生真面目なモーツァルトである。
いくぶん遊びやゆとりに乏しい感じはあるものの、緩徐楽章などそうした飾り気のなさが一種の素朴な美しさとして聴き手の心を打つ。
ダムの置かれた環境(旧東独)が、過小評価の一因となっているのであれば悲劇である。
ダムは20世紀屈指のホルン奏者に数えられるべき逸材である。
音色やテクニックはいうまでもなく、音楽作りの旨さには、熟練だけでは到底及びもつかぬ天賦のものを感じる。
ダムのソロは響きが柔らかく、豊かな広がりを生み出す。
解釈も素直でソノリティともども圧迫感がない。
そのために音楽は非常に温かい雰囲気を伴って再現される。
テクニックは完璧だが、それを感じさせないところに彼のすぐれた個性がある。
テンポの設定にも無理がなく、いたずらにソロをフィーチュアする意図が感じられない。
このような演奏で聴くと、モーツァルトの音楽が実に人間的な親しみを感じさせる。
ダムのモーツァルト協奏曲集には、もっと新しいマリナー指揮アカデミーとのレコーディングもあるが、こちらは彼がドレスデンの首席になってまだ日も浅いころのもの。
そもそもシュターツカペレ・ドレスデンの美しいホルン・セクションを聴くとああダムの音だと思うくらいだから、このソロとオーケストラがしっくりと溶け合っているのは当然と言うべきか。
それにしてもこのオケは素晴らしい。
ダムのソロは決して派手ではないし、テクニックもテクニックとして目立つ類いのものではない。
しかしホルン固有のまろやかな音色や、華やかさと何とも言えぬユーモアが同居するこれらの曲の味わいを、心ゆくまで楽しませてくれる演奏である。
また、モーツァルトのホルン協奏曲を学究的な態度でとりあげたものとして、モーツァルトの研究家やこの曲の演奏を志す人にも貴重なCDといえる。
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2010年08月17日
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新盤とは別人のような、若き日のツィマーマンの初々しい情感に満たされた演奏だ。
第2番が名演。
ツィマーマンはショパンを完全に自分のものにしており、作品の情感、リリシズム、ロマンティシズムを細部まで感じぬいている。
それは上等で匂うような音楽性、デリケートで柔軟な感性に裏打ちされたものだ。
それに高雅な香りと気品にみちているのがすてきだ。
この作品が書かれたときの、ショパンの年齢に近かったころのツィマーマンの録音だけに、若々しく純粋な感性で音楽をつくりあげている。
ことに、初恋の気持ちをあらわしたともいわれる、幻想曲ふうの第2楽章は絶品だ。
第1番はきわめて繊細なタッチで優美に表現しているのが魅力だ。
その音だけ聴いていると、あたかも女性が弾いているような感じで、しなやかで甘く、この作品の抒情的な流れを、ごく自然に歌わせているところにひかれる。
特に第2楽章がよく、病的な青白いロマンの一種独特な雰囲気がたちこめている。
ジュリーニの棒もうまく、立派である。
両曲ともドイツ風の充実し切った響きによる立派さが際立っている。
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2010年08月16日
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カラヤンはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を何度も録音しているが、どれを聴いてもそれぞれのピアニストの特徴を生かしつつ、最終的には彼の音楽の中に納められている。
カラヤンの器の大きさを改めて知ることになるが、このワイセンベルク盤はこの曲のピアノ協奏曲としての一側面である名技性や華麗さをたっぷりと聴かせる方向にあるようで、オケもここではベルリン・フィルではなく当時カラヤンが音楽監督をしていたパリ管を使い、このオケの鮮やかな色彩感なども加わって、まさに絢爛豪華な演奏を展開している。
外的効果云々が取り沙汰される演奏かもしれないが、元来この曲の名技性が作曲者の若い情熱的な部分からの発露である限り、この演奏も充分に納得のいくものだ。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の演奏は、ワイセンベルク、カラヤン共に絶頂期にあった頃の録音で、火花を散らすような凄まじい演奏である。
ワイセンベルクは鋼鉄のようなタッチによって豪快でダイナミックに、打鍵楽器としてのピアノ機能をフルに示し、カラヤンとベルリン・フィルの奔流のようなスケールの大きいオケの表現と対等に渡り合っている。
カラヤンはこの曲からシンフォニックで幅広い、そして奥深い表現を聴かせ、単なるオケのバックとはしていない。
第2楽章ではベルリン・フィルの瑞々しい木管や弦によって耽美的な境地にまで到達している。
さらには、ワイセンベルクがともすれば無機的になる何気ないパッセージも、カラヤンが音楽的に強くサポートしている部分も多い。
ベートーヴェンは、カラヤンとベルリン・フィルの豪華なバックに支えられて、ワイセンベルクがカラヤンの意図に従って独奏を展開している。
いってみれば名だたる技巧家ワイセンベルクが大人しい演奏をしているといったところ。
ワイセンベルクのピアノは、抹消神経をくすぐるような不健康な官能美を持ち、特に《皇帝》は、彼のファンには受けるだろう。
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2010年08月15日
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イタリア式モーツァルトの名演だ。
「フィガロの結婚」は疾駆するが如きテンポのムーティの音楽運びの中に、モーツァルトの魂がみずみずしく息づく。
ムーティの大きな特徴は、リズムの鮮明な躍動感、明るくのびやかに歌う旋律、デュナーミクの明暗・強弱の隈取りの明確さなどだが、この結果、彼の「フィガロ」にはウィーン風の優美さより、活気にあふれたドラマティックな緊張がある。
ウィーン・フィルの柔軟・繊細にして自発性に富む演奏も素晴らしい。
歌手陣では、新人のヒュンニネンの伯爵が若々しく、いかにも好色な貴族らしい雰囲気にあふれているし、バトルのスザンナもキュートそのもので、アレンのフィガロも生き生きとした好演。
プライスの伯爵夫人も堂々たる貫録とよく整った歌を聴かせる。
「ドン・ジョヴァンニ」は、通常カットされるセッコの部分もすべて網羅した全曲演奏である。
騎士長をめぐる、このオペラの中でも最もドラマティックかつパセティックな場面でムーティが聴かせる、異常なほどの緊張をはらんだ劇的表現と持続力は大変素晴らしい。
歌手陣はいずれもオペラ界で屈指の逸材たちだけに、その充実ぶりは特筆に値する。
とりわけステューダーとヴェイニスの2人が、声の美しさもテクニックも性格表現も申し分のない名唱だ。
「コシ・ファン・トゥッテ」は1982年のザルツブルグ音楽祭のライヴ録音で、ムーティは、これがはじめてのモーツァルトのオペラの録音だった。
彼の指揮はきわめて流麗で、躍動感にあふれ、モーツァルトの音楽の生命力といったものを、生き生きと表現していて、まことに素晴らしい。
歌手陣も、フィオルディリージのマーシャル、ドラベルラのバルツァ、フェルランドのアライサ、ドン・アルフォンゾのファン・ダムら、総じて粒がそろっているが、特にバルツァの演唱が光っている。
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2010年08月13日
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ブレンデルは高度な技術に裏づけられ、曖昧さのない理詰めな音楽性を誇るピアニストである。
とりわけ、ここにきく『ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集』が録音された1970年代には、その傾向が顕著であった。
第1番から第5番にかけてのいずれの演奏においても、彼のピアノは大いに雄弁で、必要な音があるべきところにきちんと収まっている。
ベートーヴェンの音楽におけるメタ・フィジカルな要素を追い求めたというより、むしろ、整合性のとれた論理性を追求した演奏内容だ。
指揮者ハイティンクも力のある伴奏をしているが、この後、急速に成熟した彼だけに、80年代、90年代に録音がなされていれば、と思わせる要素も、ここには残されている。
ブレンデルの旧盤で、新盤があまりにも素晴らしいので影が薄くなった観もあるが、特に第1番は名演のひとつに数えられよう。
フィナーレはブレンデルの個性が曲を上回るシーンがあるが、第1楽章の敏感な愉しさは出色ものだ。
驚くべき弱音、宝石のようなタッチ、弾むリズムが最高。
第4番も美しい演奏で、透明なタッチを堪能させつつ、細部まで緻密に音化し、しっとりと心に迫ってくる。
第3番も同じスタイルで、ベートーヴェンが書いた音符がそのまま聴き手に語りかけてくるような、じっくりとした演奏だ。
ハイティンクの指揮も見事で、第4番は心にしみ通ってくるような演奏だし、第3番での充実感も彼のベストのものといっていいくらいだ。
「皇帝」は出だしの音を聴いた瞬間に、豪快で熱気にあふれたブレンデルの演奏に圧倒される。
技巧的にまったく落ちこぼれがないのはもちろん、音の粒もよくそろっていて美しい。
ハイティンクのバックも大変良く、シンフォニックな曲の運びは心を熱くさせる。
全体に若さがあふれ、「皇帝」の名にふさわしい、堂々たる演奏だ。
「合唱幻想曲」も壮麗で、聴いていてこれほどぐいぐいひきつけられる演奏というのも珍しい。
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2010年08月12日
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ザルツブルグ音楽祭での成果をもとに録音されたもので、カラヤンの流麗なアンサンブルが全編にみなぎる生命力を鮮やかに歌っている。
カラヤン指揮によるウィーン・フィル、それに、クラウセ、トモワ=シントウ、コトルバス、フォン・シュターデ、ダムといった声楽陣と、まさにデラックスな布陣をそろえた録音である。
こうした華やかなキャストをそろえるやりかたが常に好ましい結果を生むとは限らないのだけれど、ここではそれがうまくいっているといえよう。
カラヤンの音楽づくりは、例によって流麗。常に大向こうを意識しながらも、艶やかな色彩感に彩られたモーツァルトの音楽を無理なく描き出していく。
このオペラ自体が目指す方向性によく沿ったものといえるだろう。
多彩な声楽陣も、指揮棒の意とするところをくみとり、整然とした出来映えとなっている。
なかでも女声陣の充実は素晴らしい。
特にシュターデの瑞々しい色香と魅力に溢れた薫り高いケルビーノ、コトルバスの清純で知的、細やかな情感に溢れるスザンナなどの女声トリオが、ことに印象深い。
カラヤンは概して速めのテンポで音楽を進めていくが、音やフレーズの意味付けが入念で、鋭い劇的感覚で各曲を性格付ける。
例えば2つの伯爵夫人のアリアでは極端に遅いテンポでトモワ=シントウに夫人の思いを感慨深げに歌わせ、終幕の大詰めでも、伯爵が許しを求める箇所ではテンポを思い切り落とし、その後めくるめく速さでこの喜劇を締めくくる、という具合に随所に設計の巧さを見せる。
演奏技術の高さと音楽面の充実が、ここにオーソドックスな姿で示されているといえよう。
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2010年08月11日
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モーツァルティアンとして多くの交響曲&管弦楽曲とオペラを録音していたマリナーだが、当盤が初のモーツァルト序曲集だった。
初期の《ルチオ・シルラ》と《イドメネオ》から《魔笛》までの主要な序曲を9曲収録したもので、選曲・配列も大変妥当で、この1枚でモーツァルトの有名なオペラの序曲が、ほとんどすべて揃ってしまうところが、まず一番のミソといっていいだろう。
演奏はいかにもマリナーらしく、職人芸に徹した丁寧な仕上げが売り物といえる。
マリナーの演奏は明快な響きと軽快なリズムが快適であり、モーツァルトの音楽の魅力を端整に表現している。
小編成の室内オーケストラの特徴をぞんぶんに生かしながら、軽やかで明るく、すっきりとした表現した演奏である。
もっと重厚な響きがほしい曲もあるが、全体によくまとまっている。
生命感が躍動しており、リズムも良く、陰影に富んでおり、モーツァルトの感情のヒダのようなものを余すところなく表出している。
弦楽器の編成を極力刈り込んで、サウンドの透明さを心がけているのは、自身オーケストラのヴァイオリン・セクションで苦労をし、またバロック音楽の考証再現で、しっかりと勉強を重ねた成果であろう。
リズムがよく弾み、したがって旋律はのびのびと爽やかに歌う。
こんな基本的なことが、きちんと押さえられているのも、マリナーの誠実さであり、研究熱心の賜物なのである。
アカデミー室内管の弦セクションの透明な響きと緊密なアンサンブルは賞賛に値する。
また、管楽器群のうまさも特筆に値する。木管、特にオーボエの美しさは抜群。
なかでも「ドン・ジョヴァンニ」の陰影のつけ方の精妙さや「魔笛」や「フィガロの結婚」のノリのよさなど、いかにもモーツァルトのオペラを数多く手がけているマリナーらしい。
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2010年08月10日
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新盤はカラスの2度目のスタジオ録音による全曲盤で、1959年の収録。
《ノルマ》とともに《ルチア》もまたカラスとセラフィンによる最良の遺産である。
このオペラを語るには、やはりマリア・カラスから始めなければならない。
声そのものの威力・美感に加えて、恐ろしいまでに核心に迫る性格描写。
カラスのルチアは、まさに永遠に不滅である。
傍らに置いて、いつでも聴きたくなるような演奏というのではないけれど、なにはともあれ、一度は体験しておかねばお話にならない。
1953年の旧録音や、1955年のカラヤンとのライヴ録音に比べると、明らかにカラスの声は、美しさもテクニックの切れ味も減退している。
しかし、それでもなお残されたカラス独自の厳しい役作りと歌唱への自己同化の妙には非凡なものがある。
このステレオ録音のカラスの声も瑞々しさを失っているわけではないし、情感豊かな表現も一段と素晴らしい。
イタリア・オペラ最大にして最後の巨匠とも呼ぶべきセラフィンのリードもまた素晴らしい。
すべてを知り尽くした名伯楽は、いぶし銀の味わいを湛えた熟達の音楽作りを聴かせてくれる。
タリアヴィーニの個性的なエドガルド、若き日の声の威力に溢れたカプッチッリのエンリーコも聴き応え充分。
また、カラスとセラフィンの偉大さも2つの録音を聴くとよりはっきりとわかるだろう。
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まだベーレンライターの新校訂譜が出版されていない時期に、可能な限り自筆譜などにあたりながら、またデル・マーの協力を得ながら実現されたベートーヴェン演奏の新境地。
楽譜に関しても種々の原典を厳密に検討するなど、周到な準備がなされており、ガーディナーのこの全集にかける意欲を物語っている。
最近ではベートーヴェンをオリジナル楽器で演奏するのもごく当たり前になったが、なかでも特に光っているのがガーディナーの交響曲全集だ。
オリジナル楽器によるベートーヴェン演奏は、すでに珍しいものではないが、このガーディナーのように、ベートーヴェンの音楽の革新性を生きた音と表現によって鮮やかに甦らせた演奏はないだろう。
当然古楽器によるアプローチだが、アカデミックな印象は皆無で、生きて弾み、夢とロマンに遊ぶベートーヴェン像が実に生き生きと表現されている。
リズムの歯切れの良さ、クリアーな音色、時代様式の的確な把握。
ベートーヴェンを時代のコンテクストのなかに置き、フランス革命期の作曲家たちの影響を念頭に置いての曲の解釈など、ガーディナーは最新の音楽学の成果をとりいれながら、従来とはひと味もふた味も異なった新しいベートーヴェン像を明らかにした。
どの交響曲をとっても、新しい発見があちらこちらにあって、目からうろこが落ちる思いがすることうけあいである。
ガーディナーはベートーヴェンを「深く詩的な感情を体験、それを音楽という言葉を用いて再現した最初の作曲家」ととらえているが、そのロマン的な感情のふくらみがスタイリッシュな美しさと高い表現技術で達成されている。
何よりも言葉の本来の意味でロマンティックなみずみずしい情熱と活力にみちた演奏自体が、これまでのオリジナル楽器による多くの演奏と見事に一線を画している。
各曲の個性を爽やかにかつ鮮明に打ち出すとともに、表現が楽器用法と響きの面でも、様々な発見の喜びにみちた、まことに新鮮な全集である。
古楽演奏の一つの頂点を記した演奏といってもよいだろう。
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2010年08月09日
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旧盤はカラスの声の絶頂期を記録した素晴らしい名盤である。
このオペラにおけるルチア像をつくり上げるには、マリア・カラスが決定的といってもいいような強い影響を与えてしまった。
ルチアはコロラトゥーラ・ソプラノの名技を発揮する役として知られたが、カラスは恋に悩み悶える薄幸のヒロインに変貌させた。
彼女の存在を抜きにしては、このオペラ、およびルチアについてふさわしく語ることができない。
ここにおける彼女の声の強さ、凄さは破格のものだし、その性格描写たるや尋常一様のものではなく、聴くたびに圧倒されてしまう。
カラスは後に同じセラフィンの指揮でステレオ再録音し、それも名盤として名高いが、この録音のカラスは声に余裕があるだけでなく、オペラ界に君臨し始めた頃の瑞々しい情感がみなぎり、過度な表情をつけずに物思わしげでデリケートな若い姫君の性格を見事に描き出す。
エドガルドのディ・ステファノも若々しい声の魅力を発揮して、甘く情熱的な中にも感情表現に心をこめているし、エンリーコの若き日のゴッビも、頑迷な性格を創り上げ、すでに非凡な才能を示している。
これらの名歌手を見事にまとめているセラフィンの指揮も特筆すべきであり、フィレンツェ5月祭管弦楽団などを率いて、無駄のない、底力のある音楽性豊かでダイナミックにオペラティックな雰囲気を紡いでいるのも魅力的である。
カラスの録音における最強のコンビ絶頂期の記録で、この名盤を聴かずして「ルチア」の演奏を語ることはできない。
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2010年08月08日
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カラヤンがベルリン・フィルのピック・アップ・メンバーで録音したもの。
演奏はいずれもカラヤンが、自らのモーツァルト観をきっぱりと打ち出した独特のスタイルによるもので、モーツァルトの音楽特有の旋律の美しさが随所に満ち溢れている。
3曲とも流麗に流した演奏で、ふるいつきたくなるほどの美しさが随所に溢れている。
聴いているうちに次第にモーツァルトの内懐の中へ抱き抱えられてしまうのは、まさにカラヤンの魔法的な棒の力といってよかろう。
カラヤンは、流麗で端正な音楽を好んだが、ディヴェルティメント第17番は、そうしたカラヤンの最も得意としていた曲の一つである。
カラヤンはディヴェルティメントを単なる社交音楽という以上に弦楽器群の豊麗な響きと魅力をシンフォニックに発揮させ、彼ならではの演奏を艶やかに聴かせている。
分厚くシンフォニックで、いくぶん粘りが強く、まるで交響曲を聴いているかのような感じとなっているが、その磨き抜かれた美しさと語り口のうまさは傑出している。
ことに、第2楽章の、さまざまに表情を変える変奏の部分の美しさは秀逸だ。ただし主題の後半の繰り返しだけを省略しているのには疑問が残る。
第4、5楽章も旋律を実に流麗に歌わせている。
「アイネ・クライネ」も同様に、粘りのある重厚な演奏。
「セレナータ・ノットゥルナ」の第3楽章ではロンド主題のアウフタクトを逆附点で扱っている。
このディスクではむしろ、ベルリン・フィルの弦の合奏力の凄さに注目すべきで、そのアンサンブルの精緻さと、艶のある音色の美しさには圧倒される。
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2010年08月07日
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バレンボイムはベルリン・フィルとともに第2回目の全集収録を完成させたが、これは、バレンボイムが指揮者として初めて深い関係を持ったイギリス室内管弦楽団と共演して1967年から1974年にかけて録音した第1回目の全集録音。
バレンボイムの弾き振りによる全集。
彼は弾き振りをも得意としているようで、すでにベートーヴェンの協奏曲全集も録音したりしている。
ここに聴くバレンボイムのモーツァルトは、決して軽妙で流麗という性格ではないけれど、安定した打鍵でしっかりと弾かれており、独特のエネルギッシュな魅力を持っている。
全集だけに曲によって多少のバラツキもなくはないが、全体としてみれば、音色の多彩さや、緩急、強弱の幅を実に自在に扱いながら、表情に豊かな彩りと内省の深さがあり、非常に水準の高い演奏が展開されている。
再録音と比べると巨匠的な音楽の大きさには欠けるものの、手塩をかけて磨きをかけたことが窺われる演奏はどれをとっても惚れぼれとするばかり。
美しいタッチできわめて自然に旋律を歌いあげ、その音楽を等身大に描いた現代におけるモーツァルト演奏の一つの理想像を示したものといえよう。
思い切りの良いオーケストラ・コントロールもなかなか聴き応えがある。
現在では指揮者としての活躍がメインとなり、表現意欲が走るようになったバレンボイムだが、これはピアノと指揮の活動の比率がちょうどモーツァルトの協奏曲演奏にふさわしかった時に収録された記念碑的全集である。
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2010年08月06日
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ドイツの名匠ケンペの初の、そして唯一となるベートーヴェン交響曲全集。
日本におけるケンペの評価を決定づけた名盤でもある。
ケンペのミュンヘン・フィル芸術監督時代の大きな成果の一つ。
1曲、1曲に彫琢の限りを尽くし、丹念に仕上げられている。
当時のベートーヴェン解釈の本流をいくもので、現代のベートーヴェン像とはやや距離を置くところもあるが、当時のほかの演奏と比べた場合、ケンペのアプローチはより普遍性を持っていることが実感される。
一切の虚飾を排し、自らが信じるベートーヴェンを明確に打ち出しているためだろう。
温かみがあり、良い意味でのローカル色が感じられるオーケストラの響きも魅力的。
チェリビダッケ時代に世界に雄飛する以前の、やや肌合いの異なるオーケストラの味わいが如実に記録されている。
この演奏からオーケストラの個々の奏者の名人芸や離れ技を聴きとることは難しい。
個人技による感覚上の美観は、ここでは強く抑制されているのだ。
従ってここに見られる音楽的美しさは、表層にたなびくものではなく、内に頑固なまでにしがみついたものである。
全9曲まったくムラのない出来だが、第4番から第7番までの演奏は特に強い感銘を与える。
地味ではあるが、存在価値の大きい全集。
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2010年08月05日
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内田光子とのモーツァルト:ピアノ協奏曲の演奏・録音で一世を風靡した注目のイギリス人指揮者ジェフリー・テイトの本格的なデビュー盤。
現代の若手指揮者のなかで、この人ほどスケールの大きな指揮をする人も珍しい。
"クレンペラーの再来"というキャッチフレーズも当たらずとはいえとも遠からずだ。
その音楽は悠揚迫らずゆったりとしていて、しかも強固な芯が通っている。
室内オーケストラを指揮しているが、テイトの表現は、シンフォニックでスケールが大きい。
旋律の歌わせ方のうまさにまず惹かれる。
管楽器、ことに木管楽器の表情が絶妙で、深々とした呼吸の自然な語り口をもった演奏である。
テイトの作り出す音楽は身体的不自由から来る翳りはなく本質的にネアカである。
テイトならではの、おおらかな音楽を楽しめるディスクだ。
「ジュピター」は特に名演だ。
ト短調(クラリネット入りの第2版)も室内オーケストラ特有の清澄な音色を生かし、曲に内在するパトスをギリギリまで引き出している。
録音のよさも注目すべきで、ことに管楽器群とティンパニの分離のよさには驚く。
ティンパニの音がはっきり聴こえるのも、テイト盤ならではの特色だ。
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2010年08月04日
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ドヴォルザークの交響曲といえば、なんといっても最後の3つの作品が広く親しまれているが、若き日に書かれた《第3番》はそれらにはない素朴さと初々しいロマンティシズムの香りに満ちあふれており、私は強く心惹かれる。
1874年にスメタナの指揮で初演されているから、ドヴォルザーク32歳のときの交響曲ということになるが、ふくらみ続ける憧れ、果てしない夢、未来への希望といったメッセージが盛り込まれており、実にさわやかである。
円熟期の名作は世評が高い。しかし知られざる若き日の作品には円熟では語れない若葉のような詩情がある。
演奏しているのはチェコ人音楽家同士の組み合わせ、マーツァル率いるチェコ・フィルハーモニー管弦楽団である。
マーツァルは1968年のソ連軍のプラハ侵攻を機に国外に亡命、二度と祖国の土を踏むことは叶わないと、望郷の念を胸にアメリカで指揮活動を続けてきたマエストロだが、2003年についにチェコ・フィルの音楽監督に迎えられた。
奇跡的復帰である。
チェコ・フィルの育ての親ターリヒ時代のサウンドに戻すことが自分の使命と任ずるマーツァルのもとで、チェコ・フィルは確かに息を吹き返した。
この《第3番》の演奏からはそんな両者の決意と意欲とが音の結晶となって湧き出てきており、美しさもどこか誇り高い息づかいが感じられる。
使用する楽譜も通常の出版譜ではなく、チェコ・フィルが所有しているジムロック版(ドヴォルザークの生前に出されたもの)に拠っており、やるからにはこだわった、チェコ人音楽の心意気を見せた演奏である。
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2010年08月03日
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ブルックナーの全集と並ぶヨッフムの交響曲名盤。この全集が彼のEMIへのデビュー録音だった。
晩年のヨッフムはドイツ・ロマン派の交響曲に多くの名盤を残した。
ブルックナーはその代表であろうが、このブラームスもそれに劣らぬ名盤と言えよう。
悠々たる豊かな流れの中にロマン的情緒をたっぷりと注ぎ込み、きわめて味わい深い出来映えとなっている。
基本的にはドイツ正統派としての構築性ある骨組みの確かな演奏であるが、晩年のヨッフムにはそれは当然身に染みついたものとして、さらにそこからブラームス特有の陰りと潤いある表情を滲ませている。
これは一朝一夕でできる表現ではない。
その意味で私は4曲の中で特に第4番を推したい。
作曲者晩年の寂寥感が暗く表現されるのではなく、温かな歌として全篇に美しく広がっていく。
全体がヒューマンな抒情と感情の起伏に埋め尽くされている。
その他の曲も巨匠ならではの風格があり、立派のひとことに尽きる。
第1番はオーケストラが渋く重厚な、ヨッフムが求めたであろう響きを、そのまま表出しているのが素晴らしい。
第2番の曲の真髄と深く触れ合った演奏や、第3番の壮麗で爽やか、どことなく甘美さを秘めた表現も、もはや当節の指揮者では及びもつかない。
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2010年08月01日
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ベームのモーツァルトに対する敬愛は、1959年から68年までに収録されたベルリン・フィルとのステレオ初の交響曲全集に昇華しているが、このウィーン・フィルとの第40番と「ジュピター」は、それからさらに10余年も経て録音されたものである。
それは、最晩年の円熟というような単純な図式ではなく、ベームのモーツァルト観やこれらの作品に対する知的な畏敬の念を、かなり重厚なスケールの中に明らかにしたものといえよう。
この演奏の特色は、一言でいえば、およぶ限りの表現の贅肉をそぎ落としてしまった点にある。
ベームの指揮の一大特徴であるリズムの生気は、典雅な柔らか味をこえて、しばしば厳しい鋭さを示す。
響きの色彩の具合も単純明快で、情緒的世界に結びつき易い色合いを強く制している。
情感豊かなワルター盤に対し、ベーム盤はきわめて峻厳な演奏である。
感傷的な流れにおちいらず、楽曲のもつ構成的な美しさを引き出しているところが見事だ。
両曲ともウィーン・フィル固有のオーボエとホルンの音が有効に使われている。
音楽の構造性においても、その音響においても、骨格の確かさや太さを思わせ、芯の通った力強さを聴かせているが、そこには彼ならではの品格が見える。
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