2010年09月

2010年09月30日


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ギレリスはロシアではじめてモーツァルトを本格的にとりあげたピアニストのひとりだそうだが、1970年1月28日、ギレリスのDG初録音となったザルツブルク・モーツァルテウムにおけるライヴは、彼のモーツァルトのすばらしさを強く印象づけた。

収録されているのはすべてモーツァルトの曲。

ソナタの第3番と第8番、二短調の幻想曲、それにK398の変奏曲である(2枚目にはベームとのピアノ協奏曲第27番他も含まれている)。

ここにおけるギレリスは、それぞれ矜持あふれ、自立した音を駆使して、造型的にも情感的にも確固とした世界を築き上げており、すばらしい。

他ではあまり聴けないような格調の高さをもったモーツァルトだ。

この時期、ギレリスは各地でモーツァルトを集中的に演奏したが、まったく曖昧さのない明晰な音と洗練された表現がすばらしく、とくに後半の二短調の幻想曲とイ短調ソナタは、ギレリスが真の円熟期を迎えていたことをはっきり物語っている。

ギレリスの円熟をはっきりと印象づけた名盤で、卓抜な技巧と清澄で美しく確かな芯をもつ音によって弾かれた音楽は、いかにもしなやかで気宇が大きく、同時にそこには作品への透徹した読みがとても親しみ深く歌われている。

このギレリスの演奏からは、モーツァルトの音楽に対する限りない愛情と優しさが伝わってくる。

しかしその愛情と優しさは、決して表面的でヤワなものではなく、音楽を突き放すところから生まれる、いわば"生"の深淵を覗き込むような眼差しがあり、"音楽"がまさに音楽であると同時に"哲学"になっている。

そうしたギレリスの凄さは格別であり、まさに大人の演奏である。

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classicalmusic at 18:30コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトギレリス 

2010年09月29日


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ヴァントのこの曲の録音は何種類かあるが、ベルリン・ドイツ響とのライヴ盤は別格の存在だろう。

廃盤になってしまっては手に入れるのは非常に困難であり、もしこの機会に手に入れられることになれば、あなたのグレイト観を変えるに足るディスクになるだろう。

これは、まるで宇宙である。部分と全体の関係性がスコアなんて見てないのに、細かいところは何もわからないのに、すべてが実感として伝わってくる。

こんなふうに文章にすると陳腐なことが、とてもリアルなものとして眼前に到来する。

これは別にオカルトではなくて、たとえば、主題を形成するリズム動機を経過句でさりげなく強調するなどの操作によってもたらされるものなのだが、すばらしい演奏とはそうした細々としたことを聴き手に意識させなくても、それと同じような強度で感じさせてくれるものなのだ。

このグレイトはとても美しい。

ヴァントならではの細かさ、彫琢の深さを保ちながらも、ふと聴き流してしまうような部分、たとえば第1楽章の提示部を繰り返すときの経過句のようなところで、フッと力を抜いて優美な音楽を聴かせる。

しかも枯淡と諦念が交じった透きとおるような優美さで。

柔軟なデュナーミク操作によって、音楽の流れも他の録音よりもスムーズだ。

堅固な構成というものは、こんなに壊れやすいデリケートな作業によって組み立てられるものなのだな、と深く感じ入った。

シューベルトのこの大きな交響曲は、繊細さの途方もない積み上げによって出来ている作品なのである。

ヴァントは首席を務めていた北ドイツ放送響とはもっともよい関係であったが、私は1980年代後半以降のヴァントの最良のパートナーはベルリン・ドイツ響だったのではないか、と思い始めている。

ベルリン・ドイツ響はベルリン・フィルよりうまくないのはもちろんのこと、北ドイツ放送響のような重厚な響きとも無縁だ。

ただ、ひたすら真面目ではある。ヴァントのやりたい音楽に必死についていこうとしており、その緊張感を持続させつつも、指揮者の意志とオーケストラの自発性のバランスが最も適切に保たれているように思えるのだ。

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classicalmusic at 18:33コメント(0)トラックバック(0)シューベルトヴァント 

2010年09月28日


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ブルックナーの交響曲の中でも最もポピュラーな作品であるだけにレコード録音も多く、古くはフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュらの過去の巨匠たちの歴史的演奏記録に始まって、新しくはムーティ、ハイティンク、アバドら現代を代表する指揮者たちの新録音まで、注目すべき演奏が、目白押しである。

この〈新世代〉の演奏の中では、上述の3人の指揮者の演奏がどれも傾聴に値する名演だが、あえて一つということになればアバド盤をとる。

それは、この演奏がブルックナー解釈の伝統を継承しつつも新世代のブルックナー像を形成するものと考えられるからだ。

アバドらしい自然さとロマンティックな情感があふれた演奏で、ウィーン・フィルも金管の素晴らしい響き、木管のやさしい歌、オーストリア的なリズム感と、さすがといえる好演だ。

ppの冒頭から弱音が美しく、広大なデュナーミクが効果的。

第2楽章も形が美しい上に内的共感が強く、弦がすこぶる音楽的な演奏を聴かせる。

フィナーレは、アバドの解釈のすべてがここに集約されたかと思えるほどの充実ぶりを示している。

アバドは例によって極端な思い入れや人工的な盛り上げを排して見通しの良い潔癖な演奏を展開するが、どこまでも緻密に解析された音楽の個々の部分部分に自然な呼吸と歌があり、それによってこの聴き慣れた名曲がとても新鮮に聴こえる。

しかもたっぷりとしたテンポでスケール感に欠けることもなく、ウィーン・フィルの美しい響きもあって1990年代の代表的名盤と言える。

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classicalmusic at 18:32コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーアバド 

2010年09月27日


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ベートーヴェンの交響曲全集に続いて、1992年に集中して収録されたもの。

オリジナル楽器による演奏の旗手として名高いアーノンクールは、モダン楽器による演奏でも常に注目を浴びる指揮者である。

アーノンクールの演奏はモダン楽器に代わっても、オリジナル楽器で究明を続ける表現手法をそのまま移植するかのように先鋭的な解釈で迫るのが特徴。

これは彼が最も多く共演しているコンセルトヘボウ管弦楽団と完成させたシューベルトの交響曲全集からの有名曲の抜粋である。

モダン楽器を使用してオリジナル楽器風の味わいを出すアーノンクールのやり方は、ここでもきわめて雄弁な効果を発揮している。

緻密に焼き直されるフレージングや大胆とも思えるデュナーミク、そしてあらゆる声部を徹底的に解釈し、それを再構築していくかのような分析的視点とその実践など、普段聴き慣れたシューベルトでも、随所に新たな発見や驚きを覚えさせる表現が溢れている。

ただここで起用したオーケストラがヨーロッパ室内管弦楽団ではなく、コンセルトヘボウ管弦楽団であるところがミソ。

アーノンクールはこのオーケストラがもつしっとりとした味わいがよりシューベルトに似合うと思ったのだろう。

さらにこの作曲家のもつオーストリア的な側面もあわせてくっきりと描出しているところも注目されよう。

自筆譜を参照し、可能なかぎりシューベルトのオリジナルの形を追求しているところもこの指揮者らしいところだ。

刮目すべき演奏である。

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2010年09月26日


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1993年にスペインで発売されるや全世界を巻き込む《グレゴリオ聖歌》ブームを引き起こしたその発端となった1枚。

中世の音楽の静かなブームや、グレゴリオ聖歌とダンス・ミュージックをドッキングさせた曲のヒットなどが伏線にあったとはいえ、クラシックの古典(しかも超古典だ!)のアルバムがポップスと肩を並べてヒット・チャートを賑わせたことは、20世紀末クラシック音楽界最大の珍現象として特記されるべき事件。

そういう意味で、一家に1枚おいて損はない「不滅の名盤」である。

ただし演奏自体は何の変哲もないグレゴリオ聖歌であり、ほかの合唱団のではなくこのシロス修道院のものがヒットしたのは単なる偶然。

ヨーロッパ音楽の源流であるグレゴリオ聖歌は、ローマ・カトリック教会の典礼のための音楽である。

遠い時代の音楽。オペラも交響曲もない時代だが、人々の生活は音楽に満ちあふれていたことを実感させてくれる。

ここで聴ける音楽は、博物館的に陳列され、好奇の目を満足させるためにあるのではない。

神に対しても、人に対しても、生活に対しても一生懸命生きていた人間たちの営みの諸相を音楽の窓から見せてくれる。

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2010年09月25日


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シノーポリは、極端なコントラストをつけるのが好きだった。黒か白みたいな音楽作りだった。それがうまくいくときもあるが、底が割れてしまうときもある。トスカニーニにしろ、イタリアの音楽家にはそのような強い傾向が見られることがままある。

だとすると、中間色を豊富に持つシュターツカペレ・ドレスデンとの相性はどうなるのか?

心配ない。オーケストラは、シノーポリがどう棒を振り回しても、動じなかったのだ。あくまでオーケストラの表現力主導の音楽になる。

それで、彼らの《抒情組曲》《ヴォツェック》断章、《ルル》組曲。

とにかくオーケストラ自体の力に脱帽する。

ぞっとするような艶っぽい、そして不安げで重苦しい響きを立てている。

《ヴォツェック》断章をこれほどの密度と洗練で演奏した例は、これとカルロス・lクライバーの海賊盤(Melodram)くらいだろう。

とりわけ3つめの楽章の繊細きわまりない音色の饗宴には降参だ。クライバーだとヴェズリモ的にワッと行くのだが、ドレスデンだと控え気味である。

だが、その抑制のなんたる気持ち悪さ。頭の部分もだが、ヴォツェックが溺れたあと、2分20秒過ぎからの妖しくうねる美しさ。

そして《ルル》組曲の第1曲も同様で、足下から冷気がジワジワのぼってくるようだ。

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classicalmusic at 16:43コメント(0)トラックバック(0)ベルクシノーポリ 

2010年09月24日


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ショスタコーヴィチはジャズの語法で《ジャズ組曲》や《ピアノ協奏曲》を作曲しているが、ジャズは若きショスタコーヴィチの創作意欲を大いに刺激したようである。

ジャズの精神に乗っかると自然に作品が陽光の光を帯びてくるから、聴き手もすぐに楽しくなってくる。

しかもこれはオーケストラのための作品なのだが、いささかも重く、大げさにならないし、確かにオーケストラ・ジャズという魅力的な音楽が存在する、そんな実感に浸らせてくれる。

若き作曲家のアイディアと遊び心の賜というべきであろう。

28歳のときに書かれた《ピアノ協奏曲》もその心は20世紀のディヴェルティメントだし、余白に添えられた《二人でお茶を》は無邪気に遊ぶ青年の笑顔すら感じさせて心憎い。

シャイーが名門コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して録音しているが、あの風格を誇る名門オーケストラが実に柔軟に、また可愛らしくショスタコーヴィチ作品を再現して、秀逸この上ない。

名門オーケストラをこんな遊び心を持つオーケストラに変えてしまったあたりに、シャイーの素晴らしさを再認識させる魅力あふれるアルバムである。

クラシックとは思えないカジュアルな作品。ショスタコーヴィチのもう一つの顔を知って嬉しくなる。

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2010年09月23日


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クレーメルがメロディア盤(1975年)とフィリップス盤(1980年)の後に、およそ四半世紀を経て録音したバッハ。

技巧の難しさに加え、極度の精神集中を演奏家に要求するこれら6曲は、20世紀の独奏ヴァイオリニストたちの関心をずっとかき立ててきた。

だから20世紀後半に活躍したヴァイオリニストたちによる《無伴奏》の名盤は、決して少なくない。

しかし時代が下って現在活動中のヴァイオリニストたちは、先人たちが見せてくれたあの高度の精神集中とその持続を、どうも苦手にしているような印象を受ける。

例外がクレーメル。

研ぎ澄ました感性に基づく細心の声部処理は、見事としか言いようがないが、しかしここではデビュー当時の彼に時折見られた弱々しい表現は姿を消しており、気迫に富んだ演奏が味わえる。

伝統に甘んじることも、精神性を重んじただけの演奏でもない、常に音楽作品とじかに触れ合っているクレーメルらしいバッハだ。

ルーティンや伝統に安住せず、常に創造性豊かな活動を展開してきたクレーメルらしい解釈が示されている。

集中力も十分でときに激しい情熱を迸らせるが、同時に細部におけるニュアンスに富んだ音の運びなど繊細かつ個性的な表現も聴ける。

計算されたヴィブラートやイネガル的なリズム、変化に富んだデュナーミクや多様な色彩、ポリフォニックな横の流れ、ダンスの愉悦等ピリオド奏法の発想を柔軟に取り入れた上で、まったくクレーメルにしかないオリジナリティに富んだ演奏が展開される。

その結果、古楽器やモダンという楽器や様式の違いを超えて、豊かな内容を示しえた究極の名盤となった。

クレーメルが全力投球したディスク。

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2010年09月22日


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この曲にはテンシュテットとかベルティーニとか、注目すべき演奏がいくつもある。が、ここでは意表を突いてザンデルリンクの録音を挙げよう。

ザンデルリンクが作り出す音楽は、さしずめブロンズ像のようなもので、細部の再現性ではなく、全体の大づかみな構築を問うている。

だから、作品がたくましく聴こえる。

このたくましいとは、もちろん他人よりも大きな音を出すとか、響きが分厚いといったことではない。

例えば、両端楽章は大きな振幅でうねる。そのうねりに神経質なところがなく、実に自信があるのだ。

これで聴くと、ザンデルリンクが超一流オーケストラばかりでなく、二級楽団も頻繁に指揮していた理由がわかる。

こうした音楽作りなら、技量が超一流でなくても、指揮者の言いたい要点を実現できるのだ。

このザンデルリンク流が細部ほじくり型よりも容易な演奏法だということはまったくない。

単にうるさいところは強く弾き、メロディは歌いまくればこういう演奏になるかと言えば、そんなことはないのである。

フレージングの力学に通じ、どうすれば音楽が自然に流れるように聴こえるのかを知らなければならない。

ザンデルリンクはその技の極め付きの名手であり、彼の手にかかると、複雑なこの交響曲もじつにやすやすと流れていくのである。

例えば、第4楽章は誰もが心をこめて歌う楽章だが、感情移入という点ではバーンスタインらのほうがザンデルリンクよりもよほど熱烈だ。

ザンデルリンクの演奏では感情の力学ではなく、響きの力学に従って音楽が先に進む。

だから、この楽章がことさら嘆きとか悲しみを訴えることはなく、美的なものとして現れてくるのだ。

この太い名木を組み合わせて作ったような感触のフィナーレが私は大好きである。

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classicalmusic at 18:30コメント(0)トラックバック(0)マーラーザンデルリンク 

2010年09月21日


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《トスカ》は牙を持つソプラノで聴きたい。敢えて言えば美しい声も、カンタービレもいらない。

平常心の心地よさではなく、美の饗宴でもなく、聴き手は、一瞬でよいから狂気というものが与える人事を超えたドラマに触れ、血が逆流するかのようなスリルを味わうためにこのオペラを求める。

そんな体験に浸らせてくれるソプラノはマリア・カラス(1923-77)をおいて他にいないだろう。

カラスは1953年にイタリアの巨匠サーバタの指揮でモノーラル録音を残したが、後の1964年にはプレートルの指揮でステレオによる再録音にも挑戦、いずれも歴史的名盤としている。

トスカという役柄に与えられた感情表現の振幅の驚異的幅広さ、その激しさと切実さとが、オペラであることを忘れて聴き入らせる吸引力を持つ壮絶なる名唱である。

またスカルピアを歌うティト・ゴッビも素晴らしい気迫でオペラを引き締めており、与えられる感銘の大きさはこのオペラの曲名を「スカルピア」としたくなるほどである。

若き日のプレートルの指揮もラテンの血が燃えたぎった直線的で、異例の燃焼度を誇っている。

確かにここにトスカがいる。カヴァラドッシとスカルピアもいる。そしてぶつかり合う生のドラマがある。そんな臨場感に浸らせる名盤である。

オペラの醍醐味は劇場に足を運んだときに満喫されるが(私はエヴァ・マルトンの「トスカ」を生で聴いた)、CDだって負けてはいない。

その代表がこれ!

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classicalmusic at 18:31コメント(0)トラックバック(0)プッチーニカラス 

2010年09月20日


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名曲だけに多くのCDがカタログを飾っているが、現代における最もオーセンティック(本物)な演奏は、ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラであろう。

各曲の初演当時の編成と楽器を用い、オリジナルに徹したところが、極めて説得力が強い。

ブリュッヘンの指揮も、メリハリをはっきり付けたバロック的ともいえるスタイルで、オーケストラのアンサンブルも緻密そのものである。

オリジナル楽器によるベートーヴェン交響曲全集だが、内容は極めてロマンティックというか、ブリュッヘンのカリスマ性で一貫された名演といえる。

わかり易くいうと、フルトヴェングラーがオリジナル楽器のオーケストラを振っているような演奏である。

実に主観的で劇的な要素に満ち溢れ、強弱のはっきりした表現はバロック的ともいえるが、コンセプトはやはりロマンであろう。

ブリュッヘンは手段としてオリジナル楽器を用いているが、本質的にはワンマン・コントロールの古いタイプの指揮者に属している。

そこがまたこの全集の面白いところで、オールド・ワイン・ニュー・ボトル的な、新鮮な感動に誘われるのである。

そして何よりもオーケストラのメンバー全員が、自発性に富んだ演奏で応えているのが、聴く楽しさを倍増させている。

当初は「モラルとして18世紀の音楽だけ」を演奏するはずだった18世紀オーケストラが、19世紀にも足を踏み入れたのは「英雄まで」でベートーヴェンを打ち止めには出来ない強い音楽的欲求が、ブリュッヘンと楽員の両方にあったからに違いない。

記念すべきデビュー盤の第1交響曲から実に8年の歳月をかけて、1曲ずつを丹念に克明に彫琢したライヴによる全集が、「第9」をもって完成した。

進取の気質を備えたその「第9」を「新旧の楽器の混在」という形で表現したように、ブリュッヘンは9曲すべての来歴を尊重した演奏を行っている。

しかも、たんに歴史を満足させるだけでなく、現代の先鋭な解釈でもあるところが凄い。

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classicalmusic at 21:35コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンブリュッヘン 

2010年09月19日


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アーノンクールとシュターツカペレ・ドレスデンの初共演録音だった。

オリジナル楽器演奏の最高峰に位置するアーノンクールは、今ではモダン楽器によるオーケストラでも優れた演奏を聴かせる指揮者として斬新さを発揮している。

これはその種の最初期の録音のひとつで、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮して、バロック期からの投影を見せる独特のモーツァルト像を描いている。

シュターツカペレ・ドレスデンの落ち着いた響きがアーノンクールの古楽スタイルの溌剌とした解釈に絶妙にマッチし、新しい驚きにみちあふれた名演を生んでいる。

このオケの古雅な美しい響きを生かしつつ、オリジナル楽器演奏の解釈も取り入れて実に明快で歯切れの良い、その上に優美さを陰影の深さも伴った名演を展開している。

アーノンクールの指揮は、陰影が濃く、メリハリの強い表情で、バロック的な要素の強い音楽となっている。

鋭く強調された付点音符、対照的に優美といってよいほどのレガート奏法、そして第6楽章では手稿の空白部分のパートを満たしたりもする。

また、ポストホルンには名手ペーター・ダムを起用していて、見事な演奏を聴かせてくれる。

オケと指揮者の呼吸も実によく合っている。

ザルツブルグ大学のフィナールムジークとして作曲されたこの曲の前後には、本来学生達の入退場時に演奏されたと思われる行進曲(K335の第1番と第2番)も収録されており、そのあたりもいかにもアーノンクールらしいところ。

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2010年09月18日


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R.ゼルキンの晩年の演奏には、壮年時代のひたむきな感情移入は薄れているものの、音楽に対する真摯な態度は変わらない。

作品に対する深い畏敬の念と敬虔な精神に基づく解釈は求道者の厳しさを感じさせるが、同時にゼルキンの人間的な円熟は、精神のより自由な飛翔を感じさせる。

ドイツ・オーストリアの古典ものを得意としたゼルキンにとって、ベートーヴェンは主要なレパートリーだったが、録音を発表することに彼自身があまりにも慎重だったため、ピアノ・ソナタ全集の録音は完成しなかった。

しかし、彼のベートーヴェンには名盤が並ぶ。

この最後の3曲のソナタ集は、ゼルキンが84歳のときのライヴ録音であり、ドイツ・オーストリアの伝統的なピアニズムを受け継いだ彼の真摯なアプローチが目を引く。

端正な作りのなかに豊かな情感をこめた演奏であり、この老練なピアニストの深い精神性が示されている。

ゆったりめのテンポにより、落ち着いた語り口で弾き進められているが、そのなかに格調高い美しさが漂い、じっくりと熟成された味わいがある。 

このゼルキンのベートーヴェンの演奏は、改めて音楽の表現の世界、そして解釈の領域がいかに広いものであるかを教えてくれる。

彼の作品に向かう態度はまったくの自然体である。

ゼルキンの演奏には、ベートーヴェンの音楽がもつヒューマニズムの精神が、いかなるテクニックによる演技も、今日の聴衆が好む音響効果的なドラマをも無縁なものとしてしっかりと存在する。

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2010年09月17日


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当コンビのモーツァルト・シリーズの第5作で、初のセレナード録音だった。

ホグウッド盤と同じく、基本的には自筆譜に基づく新モーツァルト全集版によるものといってよい。

18世紀オーケストラの管楽器セクション(+コントラバス1名)のメンバーたちによるこの録音は、当時の管楽器を用い、きめ細かに配慮されたアンサンブルが展開されている。

モダン楽器による演奏に比べると、微妙な色合いと質朴な手応えに富んでいるのが特徴で、ハーモニーの綾がきっちり再現されている点も好ましい。

演奏そのものから受ける印象では、豊かなリリシズムとリズム感との対比がみられ、結果的にそれらの生気にみちた表現を生み出しているのが魅力だ。

映画『アマデウス』で用いられ、大人気を獲得した第3楽章でも、ブリュッヘンの指揮のもとで、メロディ・ラインを縁取っていく各楽器が絶妙な呼吸感を発揮して、伴奏音型を奏する際にもその存在感を存分に主張しているのが大きな聴きどころになっている。

第4楽章や終楽章のきわめて活力に満ちた表現は耳に残ることだろう。

また第5、6楽章では音楽のもつ対比感が巧妙に描き出されている。

慎重に、隙なくまとめられたモーツァルトはつまらない。

ことに、こうした管楽器のための合奏曲では、運動性というのか、快活な一発勝負の躍動感を求めたい。

ブリュッヘンの演奏は、各パートの巧さと積極的な表現意欲が、ブリュッヘンの冷静な、しかし豊かな感情の起伏をもつ指揮のもとに、見事な花を咲かせており、音楽的にも、また情感の盛り上がりの点でも、理想的な高みに達している。

わずかに管楽器ならではの庶民性が乏しい点が惜しいが、この作品のまずは標準的な名演ということになろう。

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2010年09月16日


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2000年11月に、ヴァントがハンブルク北ドイツ放送交響楽団とともに来日した際のライヴ。

ヴァントの最後の来日公演になったもので、シューベルトの《未完成交響曲》とブルックナー交響曲第9番ともに5回目の録音だった。

これは私にとって痛恨の1枚だ。

なぜなら当時私は東京に住んでいたにもかかわらず、聴き逃してしまったからである。

実際聴いた友人の話によると、会場の東京オペラシティは開演前から異様な雰囲気に包まれていたのだそうだ。

観客のほとんどがヴァントの来日はこれが最後になるという予感を抱いており、その瞬間に立ち会う緊張感を共有していたからであろう。

ディスクで聴く限り、《未完成交響曲》、そしてブルックナーの第9番は、いずれも神々しいばかりの名演。

音楽が持つ力の大きさを改めて共感させられた次第である。

演奏の細部について細かく触れる必要はないだろう。

それぞれはひとつの宇宙を形成し、もはや批評をさしはさむ余地はない。

美を追いかけるということはエゴイストになることである。

自分にとってその美がどれほど重要であるかは、とうてい他の人間が理解できることではない。

それゆえ、美を追いかけることは孤独であることだ。

当然、充分、反道徳的、反社会的になりうる。

芸術や美が人間の生活を豊かにするという考えは恐ろしく楽天的で鈍感な人間の考えである。

ヴァントは2002年2月24日に逝去した。

私はこのコンサートを聴き損ねたことを死ぬまで後悔するであろう。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(1)ヴァント 

2010年09月15日


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チョン・ミュンフンは、いま私が最も注目している指揮者のひとりである。

この《幻想交響曲》は、彼のディスクを代表するといってよい傑作だが、何よりも磨きぬかれたオーケストラの音色と合奏力がすばらしい。

フランス音楽は、このような響きでなくてはなるまい。

したがって、つややかな弦と豊麗な管楽器が輝かしく、アンサンブルは緻密で透明、独自の繊細感にみちあふれている。

一般のフランス風をつきぬけたきびしい演奏といえるが、これこそがミュンフンの薫陶の賜物であろう。

もともとはピアニスト出身のミュンフンだが、指揮の才能はそれ以上で、オーケストラを自在にコントロールし、自らの音楽を完璧につくりあげてしまう。

この《幻想交響曲》では曲のストーリーから来る異常な音楽的揺れに対してまさにしなやかに、奥深く描いてゆく。

冒頭の憂鬱な雰囲気を大きな呼吸や溜息のように、実に細やかに弦に表情を与える所などは、ミュンフンの豊かな音楽性とそれを具現化する棒の技術がいかに高いかを証明している。

第1楽章の提示部が反復され、コルネットが追加されているのもよい。

その決然とした表情には、若々しい覇気がみなぎっている。しかもテンポは緩急自在、大胆な表情の音楽が奔流のように流れる。

まさに痛快な音楽で、第4楽章では力が充満し、終楽章ではあの奇怪な音響と音楽が完全に一致している。

そのなかに躍動的な生命力が放射されている。

パリ・バスティーユ管のアンサンブルや特に柔らかな音色はきわめて魅力的に響く。

この頃は政治的にぎくしゃくする不協和音もあったが、音楽的には全く関係なく、ミュンフンは自らの才能を演奏にぶつけている。

ただただ感嘆のほかはない演奏である。

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2010年09月14日


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スウィトナーは昔から、ベートーヴェンを得意にしてきた指揮者である。

オーストリア生まれのスウィトナーは1964年から90年までベルリン国立歌劇場の音楽総監督を務め上げ、全盛期を謳歌した。

この時代にオーケストラも最良の水準に到達、しなやかな弦の美しさ、潤いあふれる木管楽器、底光りするような金管楽器セクションが一つになった演奏で一世を風靡した。

1980年から83年にかけて収録されたベートーヴェンの交響曲全集はその最良の成果。

演奏はドイツの伝統様式を、現代的かつ妥当な客観性で表現し、作品自体に語らせた解釈で、全集としては最も好ましい在り方だ。

そのため各曲にはほとんど優劣がなく、抒情性と劇性、歌謡性と運動性などの相反するものを包含したうえでの中庸美を獲得している。

それは指揮者の中にある南欧的性格と、オケのプロイセン的な気質が複雑に調和した結果だろう。

第5番にギュルケ版を用いるなど、使用楽譜とその解釈において、全集としての文献的価値も高い。

しかも現代の感覚にアピールするふくよかな歌と明るい美感をそなえてもいる。

ベートーヴェンの音楽に存在する意志的な個性や普遍性を両立させ、低音をよく響かせながら、全体を実に堅固に表現している。

少しの小細工も弄することなく、正攻法で挑んでいるのがすごい。

全体に、誠実さをそのまま音にしたかのような自然で、たおやかな感動にあふれている。

なかでも最初期に収録された《田園》は何よりも表現の純度が高く、水彩画のような美しさを誇ると同時に、感動の質がどこまでも温かい。

個性やカリスマ性とは対極にある、歴史が作り出した名演である。

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classicalmusic at 21:13コメント(2)トラックバック(0)ベートーヴェンスウィトナー 

2010年09月13日


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ハンガリー生まれのドラティはバルトークを大変得意としており、ドラティが尊敬してやまなかったバルトークに対する熱い思いのこめられた名演である。

この演奏には、高齢に達したドラティとは思えぬ、若々しく熱のこもった指揮ぶりで、寸分の隙もない組み立ても素晴らしい。

全体にハンガリーの血のたぎりが感じられる民族色の濃い表現で、熱っぽい音のつくりかたやエネルギッシュなもりあげかたなど、この人ならではの訴えかける力の強い演奏だ。

デトロイト響の水際立ったうまさも見事の一言につきる。

単にドラティが、ハンガリーの出身でバレエ音楽を得意を得意としていたという皮相な見地からだけでなく、「中国の不思議な役人」は素晴らしい。

ドラティはこの曲を3回録音しているが、これは、その最後の録音。

ドラティの表現は、精妙、かつダイナミックなもので、この曲のもつ魅力を万全に伝えていて素晴らしい。

ここではそのユニークな語法の中に、ステージに対する洞察力、音色に対する配慮が十分に行き届き、この非常なドラマをメカニカルなだけの世界にとどめていない。

原曲通りのコーラス入りの演奏。

「弦、チェレ」も屈指の名演で、一点一画をもおろそかにせず、各楽章を入念に練り上げながら、全体を精妙に仕上げている。

緊張感にあふれた大変精度の高い演奏であり、特に第2,4楽章が見事だ。

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classicalmusic at 18:53コメント(0)トラックバック(0)バルトークドラティ 

2010年09月12日


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ダヴィッド・オイストラフは、最晩年になって、ベルリン・フィルとともに指揮と独奏とを兼ねてモーツァルトの協奏曲を録音した。

オイストラフのヴァイオリンは、若い頃に比べて豊かさや甘さが影をひそめ、厳しさと深みが増している。

技術的には衰えを感じさせるものの、美音で陶酔させる代わりに細部まで強い意志を通し、曲想を抉り抜く。

特に第3番以後の3曲が素晴らしい。

技巧的にはそれ以前の録音をとりたいが、ここには枯淡の境地にある巨匠の風格があり、音楽として心から語りかけるものがある。

オーケストラにも老大家ならではの風格がにじみ出ている。

ダヴィッド・オイストラフが旧西側でもその名を知られるようになったのは、20代も終わりという頃であり、しかも第二次大戦があったために、彼の本格的な活動は、30代後半となってしまった。

それから晩年の60代に入るまで、いろいろな形でその演奏は注目を集めたが、指揮者としても、すでに50代の頃に成功を収めていた。

1970年から翌年にかけてレコーディングしたベルリン・フィルとのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲集で、彼がソロと指揮を兼ねたのは、ひとつの必然でもあったろうし、彼の確固たるモーツァルト観を、そこで通そうとした(1974年に没)のかもしれない。

まさにそれはひとつの規範たりうる好演だ。

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classicalmusic at 12:53コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトオイストラフ 

2010年09月11日


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「栴檀は双葉より芳し」というが、このアルゲリッチがショパン・コンクールに優勝する5年前、1960年に録音した文字どおりのデビュー盤は、19歳の彼女がいかに傑出していたかがはっきりと示されている。

若々しさと同時に、堂々とした表現が印象深く、大器を予感させる演奏だ。

パワフルなテクニック、豊かな感性、鋭い閃きなどが一体となって、推進力に富むスリリングな演奏を繰り広げており、早くも彼女の個性が確立されていると見ることができよう。

ショパン《スケルツォ第3番》と《舟歌》では、自らの感情に流されたくないという警戒心の現れなのか固さがみられるが、それでもスケールが大きく、情感豊かである。

ブラームス《2つのラプソディ》では、ダイナミックな音楽の狭間に、そして静かに歌われるカンティレーナに、はっとするほど透き通る純度の高い感性が見え隠れしている。

ラヴェル《水の戯れ》では、若いアルゲリッチのみずみずしい感覚が、思い切りよく発揮され、輝きに満ちた華やかな響きを作り出しているが、静かな場面での透き通るような美しさも印象深い。

プロコフィエフ《トッカータ》とリスト《ハンガリー狂詩曲第6番》での強い律動感に貫かれたシャープなリズム感なども注目される。

またCDに追加された1971年録音のリストのソナタも、彼女特有の奔放までの情熱と情念をほとばしらせた名演のひとつである。

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classicalmusic at 08:21コメント(0)トラックバック(0)アルゲリッチ 

2010年09月10日


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チョン・ミュンフンが、そのすぐれた才能を多くのファンに強く印象づけたのは、ベルリオーズの《幻想交響曲》とメシアンの《トゥーランガリラ交響曲》につづいて録音したパリ・バスティーユ管弦楽団とのビゼーだったのではないだろうか。

《アルルの女》の他、《カルメン組曲》、《子供の遊び》というビゼーのポピュラーな管弦楽曲を収録した演奏も、久しぶりに聴くフランスのオーケストラならではの明るい色彩あふれる名演だった。

チョン・ミュンフンとパリ・バスティーユ管弦楽団による演奏は、プロヴァンス地方の南欧的な雰囲気と洗練された抒情を存分に表出し、そこにさらにフランスのオーケストラならではの色彩豊かなサウンドを加味して、味わいの濃い音楽を作りあげている。

チョン・ミュンフンは力を抜くことなく、かといって構えたところもなく、より柔軟な運びのなかに、感興美しい表現を展開している。

チョン・ミュンフンは、鋭敏な色彩感覚と切れ込みで、各曲をきりりとまとめ上げて立派である。

切れ味の鋭いリズムと多彩な響きもすばらしいのだが、とくにチョン・ミュンフンの演奏が見事なのは、ビゼーの魅力的な旋律をたっぷりと歌わせながら、南国のまばゆい陽光を思わせる色彩豊かな響きでビゼーの音楽に新鮮な魅力をもたらしていることだろう。

この《アルルの女》の2つの組曲も、しなやかなカンタービレとひきしまった表現がすばらしく、どの曲にも溌剌とした生気があふれ、また瑞々しい詩情が感じられる名演である。

いわゆる現代の感覚でもってした、新しい《アルルの女》になっている。

チョン・ミュンフンのものにこだわらぬ率直さが、この場合大きな成功をもたらすことになったのだろう。

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classicalmusic at 02:02コメント(0)トラックバック(0)ビゼー 

2010年09月09日


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ブラームスはツィマーマンの2度目の録音であり、その演奏は音も表現も一段と密度高く磨かれている。

ツィマーマンは「思索と研鑽の人」と称されるだけに、同曲についても徹底的に研究を重ねたのだと考えられる。

同曲はブラームスの青雲の志を描いた作品であるが、ツィマーマンはそうした疾風怒濤期にも相当する若きブラームスの心の葛藤のようなものを鋭く抉り出し、奥行きのある演奏を行っているのが素晴らしい。

また、技量においても卓越したものがあるとともに、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅は桁外れに幅広く、スケールも雄渾の極みであり、情感の豊かさにおいてもいささかの不足もない。

1音1音まで確かな意志が通った演奏は、まことに彫りが深く、スケールが大きいし、こまやかに磨かれた表現と音彩の美しさも傑出している。

まさに、技量においても内容の深みにおいても完璧なピアニズムを展開していると言えるところであり、ツィマーマンとしても会心の名演奏と言えるのではないだろうか。

若々しい情熱とリリシズムにとんだ前作の演奏も魅力的であるが、どちらかというと、バーンスタインに合わせた感があったのに対して、ここでのツィマーマンは、揺るぎない自信をもって存分に自分の演奏を展開している。

ラトルもベルリン・フィルを存分にドライヴして、いきいきと劇性ゆたかな演奏を築くとともに、細部まで曖昧さを残すことなく鋭敏にソロと呼応している。

注目の顔合わせにふさわしい新鮮な名演である。

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classicalmusic at 18:31コメント(0)トラックバック(0)ツィマーマンラトル 

2010年09月08日


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「ツァラトゥストラ」は冒頭の部分からしてひきつけられる。

ゆったりとしたテンポ、幅広く奥行きのある音づくり、そして堂々とした骨太の押し出しなどは、いかにもテンシュテットらしい表現だ。

各フレーズの意味をじっくりとかみしめながら指揮しているといった感じで、その慎重ぶりがよくうかがえる。

有名な冒頭部分のあと、弦楽器が重層的に折り重なる部分は、適度なねっとり感もあって、特に印象的だ。

今日、R.シュトラウスのこうした作品はオーケストラの技量をデモンストレーションする場と化している。

やたらに多くの楽器を使い、音色はいろいろ出るし、音量は大きいし、高度なテクニックを要求するので、腕自慢にはもってこいだからだ。

でも、メタリックな演奏ばかりが幅を利かせているのは困る。

近年はアメリカだけでなく、ドイツのオーケストラまでそう演奏するようになってしまった。

だが、テンシュテットの演奏で聴くと、「ツァラトゥストラ」もドイツ・ロマン派の嫡子であり、ベートーヴェンからあと、ブラームスとかシューマンとかを経過してできあがった音楽なのだなとよくわかる。

この演奏は終始開放的、楽観的である。欲を言えば、健康的にすぎ、例えばケンペがR.シュトラウスを指揮した時のような、陰影の変化に乏しい。

とはいえ、オーケストラの力をめいっぱいに引き出し、聴き手を音響の大海原で遊ばせながらも、単なる娯楽に終わらない点、この曲でも特に注目してよい録音だと思う。

「ドン・ファン」についても同様のことがいえるが、この曲の場合はさらに若さと情熱のたぎりを聴くことができる。

少しばかり健康にすぎるかもしれないけれど、ポップの「4つの最後の歌」も聴き応えのある出来ばえだ。

彼女の「R・シュトラウス歌い」としての豊富なキャリアが、あますところなく示されている。

艶のある、のびやかな歌声が印象的だ。

テンシュテット指揮ロンドン・フィルのサポートも骨のあるところを示している。

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classicalmusic at 18:32コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウステンシュテット 

2010年09月07日


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以前は全曲盤から聴きどころを17曲抜粋したハイライト盤しか入手できなかったが、これは完全全曲盤。

オラトリオとはいえ宗教的な内容ではなく、むしろ自然や生活の賛美を主体にしているため、世俗オラトリオと呼んで区別されているのが当作品。

カラヤンの演奏は肩肘張らずに、爽やかで情味豊かに表現する。

アリア、レチタティーヴォ、合唱の入った楽曲を網羅した全曲盤で、トムソンの原詩のイメージを鮮やかに描き出した表現の妙や、要所に現われる対位法的な楽曲の造形の巧みさなど、カラヤンの技量が遺憾なく発揮されているところは聴きもの。

カラヤン一流の巧みな演出にひきつけられる演奏で、ことに、後半のもりあげ方のうまさは圧倒的だ。

音楽がすすむにつれて、カラヤンの棒の魔術に完全に酔わされてしまう。

3人の独唱者たちもよく歌っており、合唱、オーケストラとともに生気にとんだ演奏を繰り広げている。

それにしても、後のベートーヴェンやウェーバーを予感させる管弦楽法や楽想表現などが見て取れるのは何とも興味深い。

カラヤンの演奏にはそうした視点をも刺激するだけの洞察力の裏付けがある。

ハイドンの音楽はとてもわかりやすく、ヒューマンな感動に満ちている。

再確認したのは、何をヒューマンと感じるかは時代によって違うということだ。

エコロジー的な考えの強い現代の感覚は、おそらくカラヤンの時代よりハイドンの時代に近い。

でもこれがハイドンでないというのではない。

この巧緻な演奏は20世紀の人類の感性を鏡のように映し出す、演奏史に残る金字塔であることにかわりはない。

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classicalmusic at 05:03コメント(0)トラックバック(0)ハイドンカラヤン 

2010年09月06日


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1909年、まだロシアに居を構えていたラフマニノフがアメリカに訪問した際に自らのピアノで初演したピアノ協奏曲の大作。

人気のある第2番以上に曲想は一段とラプソディック、ほとばしるような情熱が盛り込まれているし、ロマンティックな美しさも豊かで、作品から与えられる感銘はピアノ協奏曲の女王といいたい衝動にかられるほどだ。

ホロヴィッツをはじめとする名演がならんでいるが、1993年1月、キーシンが22歳の時にボストン響の定期公演でライヴ録音したこの演奏は、奔放さと節度の微妙にして最善のコントロールがはかられた名演であり、若き天才ピアニストの凄さを見せつけられる。

キーシンは遅めのテンポでじっくりと運んで、明快なタッチで持ち前の澄んだ美音をニュアンスこまやかに生かしている。

緩急の変化を大きくつけた演奏はスケール大きく、きわめて幅広い表現力をもっているが、冴えた技巧を存分に発揮した圧倒的なクライマックスから最弱音のひそやかな歌まで、その演奏は常に見事にコントロールされており、共感や情熱故にいたずらに音楽の形を崩すことがない。

ことに第1楽章後半以降の表現は無類で、キーシンのデリカシーと共感に溢れ、ニュアンスに富んだ美音を紡ぎ出すソロを、洗練されたのびやかで美しいオーケストラの響きが柔らかく包みこんでいく。

小澤征爾&ボストン響の熱きバックアップも見事であり、洗練された響きと表現で柔軟に懐深く支えて、キーシンのピアノを巧みに引き立てている。

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2010年09月05日


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オリジナル楽器による演奏が百花繚乱を呈している現代にあって、抜群の信頼度と魅力を放っているのがブリュッヘン&18世紀オーケストラによる演奏だ。

響きの脆弱さや表現の委縮などは微塵もない。

むしろ現代楽器による演奏でもかくやと思わせるような、堂々とした風格とスケールの大きさを痛感させる。

ティンパニや低弦が力強くボリューム感もあり、耳慣れた《ハフナー》や《リンツ》でも、ワクワクさせるような押しの強い表現で肉薄している。

もはやブリュッヘンの演奏は、最も先鋭的な演奏様式による表現の新境地に足を踏み込んでいると言っても過言ではないだろう。

1曲1曲が目の覚めるような内容に塗り替えられていく、強力な刷新力がこの演奏にはある。

第38番は1988年の収録。

ブリュッヘンと18世紀オーケストラのモーツァルト・シリーズの6枚目で、1991年のモーツァルト・イヤーのためにさまざまなピリオド楽器のアンサンブルが次々とモーツァルトに取り組んでいた時期にあたる。

ピリオド楽器の特性を生かすのも大切だが、結局、最後にものを言うのは表現内容であるということを実感させたディスクだ。

つづく第39番では、初出のときベートーヴェンの交響曲とカップリングされ、次なる照準を明確に示した1枚。

18世紀オーケストラの自発性を尊重しながら、作品のスケールをありのままに表現したブリュッヘンらしい演奏だ。

細部の掘り下げも深く、モーツァルトのあまりに早い晩年の寂寞とした情緒をにじませる。

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2010年09月04日


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1990年代にバレンボイムは全曲盤を次々に録音していたが、それとは別に管弦楽曲集を作ったというのは面白い。しかもシカゴ交響楽団で。

オペラの全曲はベルリン・フィルだったりバイロイトだったりするのだけれど、オペラはオペラ、オーケストラ曲はオーケストラ曲ということなのであろう。

ある意味で、カラヤンがベルリン・フィルで録音した管弦楽曲集が、1970年代に当時のオーケストラ演奏の最も進んだのものひとつを聴かせたということになると、バレンボイムは1990年代にシカゴ交響楽団という楽器を使ってそういうことをやったのかなという気がする。

バレンボイムは、パリ管時代にもワーグナーにかなり強い志向をみせていたが、シカゴ交響楽団という、より適性の強い機能を手中にして、見事なワーグナーの音を作り出すことに成功している。

アンサンブルの精度の高さと音色的な配分のよさもさすがであり、音楽・音響ともに楽しめる1枚だ。

バレンボイムは、オペラにおいても確実に注目すべき業績を重ねているし、ワーグナーの表現においては、いわば天性とも思えるような強靭な力を発揮してきている。

このシカゴ交響楽団との「序曲・前奏曲集」も、それを物語るものの一つといってよいであろう。

きわめてよく知られた音楽ばかりであるが、それらが誰にも納得のいく世界を示しているのと同時に、他のいかなる追随も許さぬほど新鮮で強烈なものとなっている。

それは、バレンボイムのあらゆる音楽的希求に対して、オーケストラが不可能という文字を知らぬほど完璧に対応しえているからでもあろうが、この種のレパートリーとしては、まさに最上の1枚といっても過言ではない。

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2010年09月03日


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ツィンマーマンの日本での第6作。ただし録音は1984、85年に行われたもので、彼の20歳の時の演奏である。彼のソロ盤はこれが初めて。

録音に使われた楽器は、最初の12曲が1706年製のストラディヴァリウス、後半の12曲が1684年製のストラディヴァリウス。

ピアニストにショパンの《練習曲》がそびえたつように、ヴァイオリニストにはパガニーニの《カプリース》が課題としてのしかかっている。

名演奏家の多くはこの挑戦状に若くして立ち向かい、己の技術と音楽性をアピール、結果的に演奏家としてのお墨付きを獲得することになるが、ドイツの俊英ツィンマーマンは20歳の時にトライ、驚くべき業績を記録している。

その演奏は豪快にして華麗、しかも信じ難い柔軟性とスピード感を背景にした、いかにも新世代らしい名演を堪能させる。

「難曲に立ち向かう」のではなく、「難曲だから楽しんでしまった」、そんな心と技術のゆとりすら残した演奏であり、やはりただ者ではなかったことを実感させる。

ツィンマーマンが20歳の時の録音だが、ここで最も感心させられることは、彼がすでにおとなの配慮をもって演奏至難なものを含むこれらの曲を技巧誇示ではなく音楽を聴かせるために弾いていることだ。

かといって技巧的に未熟なところがあるわけではまったくない。

自らの、そして現代の感性に従った瑞々しく爽やかな歌であることも、何より素晴らしい。

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classicalmusic at 18:33コメント(0)トラックバック(0)パガニーニ 

2010年09月02日


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このオペラにはとくに有名なアリアはなく、どちらかというと渋い味わいの作品だが、音楽も非常にすばらしく、また題名役はバリトンなら誰もが歌いたがる役のひとつでもある。

しかし、シモン・ボッカネグラ役とヤーコポ・フィエスコ役には声の力より豊かな表現力が要求され、すぐれた指揮者でないと作品の本質を表現できないという難しさもある。

これまでの録音で、そうしたすべてをもっとも満たし、感動させてくれる演奏はアバド盤と、忘れ去られつつあるこのカヴァッツェーニ盤である。

トスカニーニ、セラフィン、デ・サーバタ、グイ、カプアーナ、ヴォットー……、きら星の如くいた"イタリア・オペラの黄金時代"を支えた名指揮者の系譜の最後のひとりが、ガヴァッツェーニであった。

ヴェルディの時代からプッチーニの時代の空気を吸ったこれらの人々の音楽は"伝統"という二文字の重さをわれわれに教えてくれる。

ガヴァッツェーニはただのオペラ指揮者ではなく、作曲家、評論家としての活動した見識ある音楽家で、アバド以前のミラノ・スカラ座の重鎮的な存在だった。

《シモン・ボッカネグラ》は、アバド盤の美しい演奏が知られているが、この"男のドラマ"としてのオペラを、最も男性的な骨太さ、逞しさでまとめあげているのは、このガヴァッツェーニ盤だろう。

その彼は演奏の手綱をしっかりと引き締めつつ、ゴッビ(題名役)、ジェンチル(マリア役)、トッツィ(フィエスコ役)、ザンピエリ(アドルノ役)らに奔放な歌と声による演技の場を解放し、それを引き立てている。

オケがウィーン・フィルというのも魅力で、その豊かな表現力には感嘆の他はない。

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classicalmusic at 18:31コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディ 

2010年09月01日


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ワルターは、晩年にコロンビア交響楽団を指揮して、多くのレパートリーをステレオ録音している。

フルトヴェングラーよりも10歳年上だった彼の演奏を、かなり良好な音質で聴くことができるのは、そうしたおかげである。

この全集も、1958年から59年にかけての録音で、CD化されて、より鮮明な音になった。

ワルター最晩年の録音で、巨匠は既に80代を迎えていたが、ふくよかで温かい人間性と彫りの深い音楽性で聴き手を魅了する歴史的名演である。

巨匠の偉大な風格を示した演奏である。

ワルターの演奏は、すこぶる老熟した、底光りのするような深い味わいをもったもので、ワルターならではの、優しく、温かく、穏やかな人間性というものが、聴き手にそのまま伝わってくるかのようだ。

温かく、豊かなニュアンスに満ちた心を和ませる表現は、ワルター独自のものだ。

晴朗に歌いながら要所をよく引き締めて格調高く、全集を貫くヒューマンな歌の心はベートーヴェンの本質を表現して余すところがない。

基本的にワルターは抒情の人、歌の人といえ、《田園》交響曲などそうした魅力が類稀な結晶となっているが、《運命》や第7番などでは密度濃い構成力と逞しい推進力をベースに壮麗な音の世界が打ち立てられており、決して好々爺的な演奏などではない。

フルトヴェングラー、トスカニーニらとともに20世紀前半から半ばにかけての指揮界に君臨してきたワルターの至芸は、さすがに芸風に余人の追随を許さぬ風格と存在感がある。

特にロマンティックでみずみずしい第2番と、作品の本質を衝いた表現で聴き手を感動に誘う《田園》は、全曲中の白眉である。

巨匠の芸術から学び取るものは大きい。

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