2010年10月

2010年10月31日


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ジュリーニが15年ぶりに指揮したオペラ上演のライヴ録音。

ジュリーニは、その若い時期にはミラノ・スカラ座などの指揮者として数多くのオペラを指揮していたが、複雑な要素がからみあって安定しにくい歌劇場という場所に肌が合わず、1960年代後半から実際の舞台を敬遠し、セッション録音だけでオペラを指揮するようになっていた。

そのジュリーニが久しぶりにピットに入ってライヴ録音されたのが、この《ファルスタッフ》である。

ジュリーニらしく真摯で格調の高い《ファルスタッフ》で、このオペラとしては笑いが少ないかもしれないが、巨匠の下で初めてオペラに取り組んだロスアンジェルス・フィルの生き生きとした演奏から、その喜びが伝わってくるようである。

彼とは相性のよかったロスアンジェルス・フィルが珍しくオペラを演奏したのも、この指揮者を励ます結果となったのだろう。

同時期のセッション録音よりも生気豊かで、しかも充実した演奏になっている。

この一見なんの変哲もなさそうな朴訥としたジュリーニの音楽のなかから、老ヴェルディがシェイクスピアのドラマのなかに託した安直な笑いを超越したメッセージが届いてくる。

ブルゾンやリッチャレッリらの歌手陣も新鮮で隙がなく、のびのびと整った歌唱とアンサンブルを聴かせてくれる。

他に類のないアプローチという点で、トスカニーニやカラヤンの録音に次ぐ3組目の《ファルスタッフ》にふさわしい1枚である。

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2010年10月30日


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アバドはベルリン・フィルの常任指揮者時代、まるで「アク抜き」でもするかのように、ベルリン・フィルからドイツ的な重さ、カラヤン的な流麗さを洗い流し、綿毛のように軽やかな室内楽的オーケストラに仕立て上げた。

カラヤンによるベルリン・フィルの国際化も、フルトヴェングラー時代までの所謂「ドイツ的サウンド」を愛好する人々にとっては物足りないものとなってしまったが、アバドは、そこに名残のようにあったドイツ的な「香り」さえ、根絶させてしまったかに見える。

実際、これをベルリン・フィルの音として、あるいはベートーヴェンの音楽として、受け入れられない音楽愛好家は多かったに違いなく、この全集が爆発的に売れるとか、高い評価を受けることも少なかったように思う。

しかし、ここに鳴る軽やかなサウンドは、アバドの内的真実と一致しているのかも知れない。

アバドは、1980年代にウィーン・フィルともベートーヴェン全集を残しているが、ウィーン盤の何パーセントがアバドの音楽であったろう。

自発的というよりは、メンバーの思うがままに演奏させるのを纏めただけ、というような主張の弱さがなかっただろうか。

そこへいくと、ベルリン・フィルとの全集は全篇にアバドの想いが徹底されている。

「これはベルリン・フィルの音ではない」「こんなにベートーヴェンが軽やかで良いのか」などという批判はお構いなしで、自分の音楽を貫いた。

演奏への評価は別の話として、まずは、その姿勢を潔しとしたい。

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2010年10月29日


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カラヤンの幻想交響曲としては3枚目のCDであるが、意外にもこの1974年盤が最後の録音である。

カラヤンは、その後、1989年の死去の年までに幾度となく演奏会で幻想交響曲を採り上げているが、スタジオ録音しないままあの世に逝ってしまった。

その理由についてはよくわからないが、本盤は、最後の録音という名に恥じないくらいの名演だと思う。

1974年と言えばカラヤンとベルリンフィルの蜜月時代の末期であり、カラヤンの卓越した統率力と各楽章の的確な描き分け、それにベルリン・フィルの卓抜した技量も相俟って、珠玉の名演に仕上がっている。

《幻想交響曲》はそのテクスチュアから様々な音が引き出し得る。

したがって、指揮者によって個性の異なる名盤が目白押しであるが、カラヤンの演奏もこの曲には忘れてはならないものであろう。

彼独特の耽美的な指向性と妖艶と言えるまでの表情の磨きによって、この曲が単なるストーリーを追った展開だけにとどまらない、音響の濃密なる祭典、オーケストラ美学(ベルリン・フィルのみ可能な)の究極としてここに示されている。

率直な若々しい表現が、精力的な活動を続けていた当時の演奏様式をよく表している。

すばらしくなめらかな肌ざわりと美しい光沢で仕上げられた、オーケストラのタペストリーと言える。

現代の管弦楽演奏の最高水準にあり、スコアのすみずみまで音に表している。

それだけに、ベルリオーズの管弦楽法の効果が鮮やかに表現された、スケールの大きい演奏だと言える。

終楽章はやや腰の重い進行ではあるが、充分に練り込まれた色彩と響きの充実で聴く者を魅了する。

鐘の音色にはやや違和感を覚えるが、ベルリン・フィルの重量感あふれる演奏には意外とマッチしているかもしれない。

交響曲というよりは、交響詩風に展開していくのは、作品の上で当然の帰結だろう。

録音も《幻想》をかなり意識したとり方で、空間的な広がりや色彩の微妙な変化が絶妙で、カラヤン自身の演出も多分にあろう。

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2010年10月28日


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いぶし銀の輝きにみちた味わい深いモーツァルト。どの曲も古典美の極みの秀演だ。

シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の響きは相変わらず美しく、管弦のどのパートも突出せずに融合している。

デイヴィスの解釈も格調高く、優美で克明、堂々とした力感と風格をもった音楽である。

作品に対する謙虚な姿勢をもった無垢の表現といえよう。

第34番はデイヴィスとシュターツカペレ・ドレスデンの相性の良さを示す好演で、精確でありながらデリカシーに富み、入念・克明・緊密にまとめられている。

第28番には手作りの温かさがあり、第29番は澄みきった感覚美と軽快な動感を表している。

テンポの安定感も見事であり、いかにもデイヴィスらしいモーツァルトだ。

「ハフナー」は緻密なアンサンブルで堅固な造形感を打ち出しているが、決して造形の仕上げだけを優先した外面的な演奏ではなく、第1楽章から内心の共感を率直に表明し、生き生きとした音楽を作っている。

「リンツ」終楽章で、ふくよかな響きが自然な流動性を帯びて歌うのは、純粋な音楽美と形容するほかはない。

「プラハ」も従来のデイヴィスの秀演に勝るとも劣らない、格調高く誠実そのものの音楽である。

第39番は、冒頭から堂々と力強く、骨格の逞しい風格がある。

晴朗な美感におおわれた第2楽章、尖鋭を極めたリズム感と運動性にみちた終曲もすばらしい。

第40番も端正このうえない美しい表現だ。

「ジュピター」では、柔らかい弦に金管や木管が巧妙にブレンドされ、克明でありながら音楽が本当にスムーズに流れている。

スタッカート、ノン・レガート、レガートなどの区別がきちんと行き届いている。

伝統的なシンフォニー・コンサート様式による演奏として、第一級の出来映えだ。

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2010年10月27日


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アルゲリッチと元夫のデュトワとの共演の話題作だった。

アルゲリッチがデュトワという優れた指揮者を得て、ひらめきに満ちた演奏を展開しているのが最高。

名ピアニストであるアルゲリッチは、ショパンのピアノ協奏曲第1番とは関係浅からぬものがあり、これまでにも度々録音している。

それらにおけるアルゲリッチのピアノ演奏はいずれもナマナマしいまでの彼女の感性の冴えを再現したものばかりだった。

そのなかにあって、この1998年録音盤は、共演指揮者のデュトワ&モントリオール響の体質が強く出た内容といえよう。

その演奏は明るいトーンをもち、各表現は洗練されていて、スタイリッシュ。

重々しくなったり、暗く沈み込んでしまうような傾向がない。

オーケストラが整えてくれるそのようなセンスのよい伴奏を背に、アルゲリッチは大胆、かつデリケートなピアノを鮮やかにひききっていく。

いかにもアルゲリッチらしい生命力に溢れた表現で、燃えるように奔放な力強さとともに、青春の息吹を想わせる情感にも不足していない。

曲が秘める内面的な美しさに対しても過不足のない配慮がなされている。

ピアニストとしての彼女のセンスのよさがよく出ている出来映えといえる。

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2010年10月26日


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20世紀も末、チェリビダッケ亡き後、ドイツのシンフォニー・コンサート終演後にスタンディング・オヴェイションが得られるのは、クライバーとアーノンクール、そしてこのヴァントだけだと、どこかで読んだことがある。

それは言い換えれば、本当の意味でドイツ人の琴線に触れるドイツ音楽を聴かせられる音楽家は数少ないということなのだろう。

そのヴァントが15年ぶりに共演したベルリン・フィルとのライヴ録音によるシューベルト。

なかでも《ザ・グレイト》が傑出している。

きわめて主張が強く、しかもふくよかな歌のニュアンスが魅力的である。

この曲で重要なリズムは武骨と言えるほど素朴だが、それがすばらしく効果的で、重厚な響きとともにシューベルトの実像をそのまま表現した感をあたえる。

音楽の本質をしっかりと見据えて、ともすると暴れだす名馬ベルリン・フィルの手綱をきっちりとしめている。

派手な効果も小手先の皮相な表現もセンチメンタルな感傷もない。

しっかりとして手応えの感じられる名演だ。

《未完成》は《ザ・グレイト》と同じ演奏会の録音。

そのためか意欲的な気概の強い演奏で、重厚ななかにも細部が克明に描かれ、表情の説得力が凄い。

作品の交響性を徹底してあらわした表現だが、第2楽章はそのなかにあたたかいロマンと人間性を感じさせる。

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2010年10月25日


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ブラームスのピアノ四重奏曲第1番の演奏に当たっては、当然ながらピアノにかかっている役割は大きい。

ピアニストがヤワであったりしたら、この難曲は正しくは再現できないであろう。

その点、ここに聴くギレリスのピアノは万全である。

強靭な打鍵を主に、各表現を堂々とクリアしていく様は、じつにすばらしい。

抜群の安定感を誇りながら、しかも表情豊か。たくましいブラームスを描き出している。

この曲におけるピアニストとしては申し分のない重責を果たし得た演奏といえよう。

それに対するアマデウス弦楽四重奏団員も、時にスケール大きく、ときにデリケートに、よく配慮の行き届いた演奏で全体を盛り上げている。

他に類を見ないような固有の表現領域をもったブラームスのピアノ曲、バラードの世界は、強い表現力がなければもちろんダメだけれど、かといって、過度に主情的になりすぎてもかえって格好がつかなくなってしまう。

そうしたバランスをとるのが、なかなかに難しい。

その点、ここに聴くギレリスのピアノは、どこから見てもまさに万全といえよう。

各種の強い表現力を随所に示しながらも、ある一定の方向だけに偏ってしまったクセのようなものにはなっていない。すべてが的確に整っている。

まさに、真に力量のある芸術家が、大いなる余裕を保ちながら、もてるすべてを対象にぶつけようとして、立派にそれに成功したような再現といえよう。

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2010年10月24日


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ヴァントが最初に本領を発揮した仕事と言えば、やはり1974年から81年にかけて、ケルン放送交響楽団とともに録音したブルックナーの交響曲全集ということになるだろう。

フォルムを重視した細部のテンポ設定、テクスチュア造形の細部の明晰さなど、どれをとっても新盤に勝るとも劣らない演奏。

ブルックナーは田舎者らしい無邪気な野放図さと、カトリック教徒として神の威光にひれ伏す敬虔さを合わせ持っている。

後者に焦点を合わせれば、彼の交響曲を華麗な大伽藍のように彩らせることができる。

ヴァントはそれに対して、ブルックナーの田舎者らしい素朴さに的を絞り、そこから北ドイツ的、プロテスタント的な禁欲さを引き出している。

だからひびきはけっして華麗になったり、超越的な高みに達しない。

ひびきはつねに心のあり方の問いとして内面化され、内にこもりがちとなる。

そんな艶消しのひびきにもの足りなさを感じる聴き手もいよう。

しかし人間的な誠実さとは、そんな内向きのひびきをおびる、というのがヴァントの確信のようだ。

基本的に即物主義育ちのヴァントの解釈は、スコアに対して非常に誠実であるが、それはスコアの指示の意味を深く探りながら、それを完璧な音楽的効果として提示するということに尽きる。

デュナーミクの緻密な操作やテンポ感覚に優れたヴァントは、また音響構築におけるパースペクティヴに関しても、常に非凡なセンスを見せており、伝統に培われた質実剛健な音への配慮が、そうした各要素を総合し、まとめあげるとき、作品は余分な脂肪をすべて削ぎ落とした、引き締まった相貌のもとに、この上なく立体的な展望を開示することになる。

たとえば、交響曲第5番には、そうしたヴァントの特質がもっとも輝かしく反映されている。

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2010年10月23日


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75歳記念カーネギー・ホール・コンサートは故ゼルキンの音楽の貴重きわまりない記録である。

ゼルキンの演奏は少しも高ぶらず、温雅な表現のなかに熟した味わいを感じさせる。

作品が備えている楽しみや味わいを、誇張した表現に頼らずに、聴き手に確かに伝えてくれる。

とりわけハイドンとモーツァルトが魅力的で、楽想を自然におだやかに歌うことがどんなに大事なことか、そしてそれができなければ、これらの作品を演奏しても意味がないことを明確に示している。

ハイドンのソナタはマルカート気味のタッチと見事なペダリングで透明度の高いテクスチャーが実現されていて、ニュアンスに富んだ音色と情念が曲の魅力を十分に伝えている。

《ロンド》は穏やかな情趣に満たされ、《告別》は第1楽章のしみじみとした出だしと決然とした主部が明快な対比を見せる。

続く楽章の語り口も実に味わい深い。

ハイライトはやはりシューベルトの第21番だろう。

演奏の精神の深さにおいてこれに及ぶものはないのではないか。

詩的で温かくて純度の高い演奏が静かな感動を誘う。

豊潤な美音というわけでもないのに全曲を満ちている瑞々しさは澄み切った感性ゆえか。

ライヴだけに若干綻びは見られるものの、枯淡の境地とは違う。

一つ一つの音を全身全霊で紡ぎだしているといった迫力があり、その積み重ねはゼルキンの人生のそれにも似て、聴後に大きな感動を呼ぶ。

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2010年10月22日


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この演奏に接した聴き手は、あるいはこれがベートーヴェンとしては綺麗で抒情的すぎるという印象を受けるかもしれない。

しかし、不純物を取り除いたツィマーマンの表現は、作品に秘められた美のイデアに個性的で独自のアプローチを試み、ユニークな成果を収める結果をもたらしているのである。

第1、第2、第4が出色であるが、最初の2曲でしばしば窺われるリリックで繊細な表情の冴えは、やはり絶品である。

第1番と第2番はツィマーマンの弾き振りによる演奏。

第1番はウィーン・フィルの響きの美しさと相俟って全体に豊かなカンタービレが漂う演奏。

ツィマーマンのタッチもきわめて自然、誇張や無用の自己主張は私に常に抵抗を覚えさせるので、できる限り自然体の歌心によって描出される演奏を推す。

第2番は何よりもピアノの音色美にまいってしまう。

録音も極上だが、ツィマーマンのテクニックも音楽自体も透徹し切っているのだ。

不純物のまったく見られない切れ味の鋭さに驚かされる一方、艶やかさと即興性にも欠けておらず、単なるメカニックな演奏ではない。

第3番はツィマーマンの器の大きさを改めて印象づけられた演奏で、表情ゆたかで起伏にとんだバーンスタインとウィーン・フィルに対して、少しも肩張ることなく自分の音楽を健やかに貫いている。

明快な表現と端正で深く澄んだ歌をいきいきとたたえた演奏は、まことに志が高い。

第4番は作品をとらえる眼差しの鋭さと演奏家がもつ人間的味わいの豊かさに心奪われるズシリと重い名演。

ツィマーマンのピアノは音の結晶体ともいうべき輝きと美しさを誇り、バーンスタインの指揮は作品への限りない愛情を裏付けとした奥深さがあり、聴き入らせる。

第5番「皇帝」は巨匠ならではのスケール感と壮麗さを誇りながら、初々しい抒情のひらめきも併せ持った稀有の名演。

ツィマーマンのピアノは高潔なる気品と熱い生命の躍動感を一貫させ、バーンスタイン=ウィーン・フィルが伝統の重みとふくよかさでそれを包み込んでいる。

全体的に、一見すると感興のままに、なんて演奏とは無縁みたいなツィマーマンが、実はバーンスタインと共通した音楽の性格をもっているのが明らか。

音はあくまで硬質な響きを保ち、スタイルも、ぎりぎりまで達しながら崩れないツィマーマンのピアノはすばらしく、そのピアノと絡み合い、煽り立て、いわばどんどん火をくべる役を果たすバーンスタイン指揮のウィーン・フィルとぴったり。

ライヴもので大成功も大失敗もあるバーンスタインの、1989年ライヴのこれは、大成功のほうに属する。

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2010年10月21日


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モーツァルト歌曲のレコードでは、私はまず初めにリタ・シュトライヒによる録音に心奪われた。

その艶なる風情にあふれた歌唱は、シュトライヒ・ファンにとってはたまらない。

シュヴァルツコップとギーゼキングによる録音も素晴らしい。

表現の深さという点ではこれがピカイチだろう。

しかし、ボニーのCDを聴いてからは、こればかり繰り返し聴くようになった。

ボニーの声はクリスタルのように透き通っている。きらきらした透明な声は彼女独特のものだろう。

無垢なボーイ・ソプラノのように響く時もある。

そしてその透明さが情感の薄さを思わせることもないではない。

たとえば彼女のシューベルトやシューマンなどはもっとあふれる情感や情念を見せてもいいと思う。

でもしばらくすると、彼女はロマン的な感情をその透明な響きのなかに表現する実に繊細な音楽性をもっていることに気づいて、ああこれは独特の歌手だと感嘆するのだが……。

彼女のモーツァルトにはもっと素直な直截の喜びがある。

彼女の資質と作曲家の資質がよほど相性がいいのだろうか。

モーツァルトを歌うボニーは、その澄みきった歌声で私たちをたちまち天上世界に誘ってくれる。

有名な《すみれ》のようなバラードひとつとってみても、その細やかで繊細な語り口、節度ある感情移入など、このアメリカ出身のソプラノ歌手が際立った知性とみずみずしい感性の持ち主であることがわかる。

《春への憧れ》の天真爛漫さ、フランス語歌曲《静かな森で》のエレガンス、《夕べの想い》に漂う哀愁と瞑想的な深い味わいなど、知性と柔軟な感性から生まれた格別の名唱ばかりだ。

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2010年10月20日


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実に半世紀以上も前の録音であり、1867年生まれのトスカニーニは85歳に達しようとしていたが、20世紀の演奏芸術の方向性を決定づけたトスカニーニの指揮で聴くベートーヴェンの「運命」は、鋭く直進するアレグロ・コン・ブリオの芸術であり、今なお輝いている。

トスカニーニの、歯切れのよいダイナミックな演奏スタイルが端的に表われた、いわゆるトスカニーニ張りの典型的な表現である。

おそらく、ドイツ人やウィーンの人だったら、こんな素っ気ないベートーヴェンはない、というだろうが、音楽的にみれば、最も穏当で正確な「運命」だけに、演奏では最上級のものということができる。

余情を廃して作品を裸にし、ベートーヴェンの核心に肉薄するとこうなる、そんな決意表明を目の当たりにする壮絶な演奏であり、作品全体がひとつのクレッシェンドする情熱で再現されたかのようである。

この客観主義と完璧主義がその後の後輩指揮者たちのひとつの目標となったものであり、カラヤンもショルティもセルもアバドも、彼らの精神的礎をここに求めたといっても決して過言ではないであろう。

「田園」におけるトスカニーニの明快で輝かしい表現は、同時にこれ以上ないカンティレーナのみずみずしさにも充ち溢れている他、各場面の意味と魅力を明確にクローズ・アップさせた演奏設計の旨みにも比類なきものを示している。

いわゆるドイツ的な演奏とはその本質を異にするが、結果的に作品のイデアに最も肉薄し得た内容と考えてよいだろう。

トスカニーニの楽器と化したNBC交響楽団も素晴らしい。

ライヴではふくよかであったはずの響きの豊かさが感じ取れないのは惜しまれるが、このCDではかなり改善された音質で聴ける。

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2010年10月19日


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ツェートマイアーは、日本での評価こそいまひとつだが、実力充分の名手。

《カプリース集》でも彼は確かな技巧とともに個性味豊かな表現を聴かせてくれる。

録音時45歳の円熟期に入っていたツェートマイアーは、彼自身2度目の録音となるこの演奏で、最も繊細で音楽的にこくのある演奏を繰り広げている。

技術面で注目されるだけでなく、音楽的な表情の冴えが散見され、そこにはツェートマイアーの豊かな感性も表れている。

鬼才パガニーニならではの名品ににして難曲《カプリース集》には、さまざまなアプローチが可能である。

純粋な技術の追求、イタリア的な歌ごころの強調、自我の強いデフォルメされた表現、逆にそれをつつしんだ即物的な行きかた…。

そうした中にあって、ツェートマイアーは若いころアーノンクールの薫陶を受けているだけに、単なる名人芸の披露に留まらない、作品そのものと直に触れ合うような演奏を聴かせる。

自筆譜から受ける印象を大切にして多彩な表情をつけていき、さらにいくつかの曲では反復や再現部で即興的な装飾や変奏を施す。

かくして19世紀前半のロマンティシズムの香りやパガニーニの音楽の独特な雰囲気(悪魔性、機知と知性)がよりいっそう浮き彫りにされている。

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classicalmusic at 19:07コメント(0)トラックバック(0)パガニーニ 

2010年10月18日


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「未完成」「ザ・グレイト」共にカラヤンの全3回中2回目の録音である。

いずれもカラヤンらしく美しく仕上がった演奏だ。

「未完成」は後年の録音よりも、カラヤンの自己主張が強いが、作品を歪曲するものではなく、なめらかな旋律線に独自の感覚美を与えながら、全体を感興豊かに表出している。

荘重ななかにも旋律を抒情的に、息長く歌わせており、感覚的にも洗練された演奏である。

第1楽章の主題の再現や、第2楽章の主題提示などで豊かな感興を表しているのも、カラヤンがシューベルトに並々ならぬ共感を抱いていることを伝えている。

「ザ・グレイト」は、カラヤンのシューベルトの中でも1,2を争う出来映えだ。

「未完成」より明るい音質で、演奏は全体に速めのテンポをとり、強い推進力をもってシューベルトのスコアから劇性と交響性を引き出している。

カラヤンとしては率直な解釈で、無用な自己主張のないのも好ましい。

どちらかというとリズムより歌に傾斜しているがスケールは大きく、長大な曲を雄渾に表現して最後まで緊張を持続させているのはさすが。

カラヤンらしい濃密な表現で、濃厚な味付けを行っており、隅々までよく磨かれ彫琢されている。

とにかく圧倒的に堂々とした巨匠風の演奏で、艶やかに磨かれた名工の作を見るような印象も受ける。

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2010年10月17日


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モノーラル録音だが、SP時代にこの曲の最高の名演奏といわれていたものである。

この曲を最も得意としていたトスカニーニだけあって、そのがっしりとした構成とダイナミックな表現は、比類がない。

「歌え。休止符までも歌うんだ!」と語ったトスカニーニには序奏という観念はなかったのかもしれない。

それほどここに聴く第7番は、ポコ・ソステヌートの序奏から鮮烈であり、既にドラマが始まっているのである。

続くヴィヴァーチェの主部の激しさは推して知るべしであり、熱き情熱が火の塊となって疾走する。

まさに火柱そのものであり、聴き手をかつてない高揚感に誘い、唖然とさせるといっても決して過言ではないだろう。

第2楽章も情緒的にひきずり、肥大させるのではなく、作品が鋭い緊迫感を秘めながら、淡々と、しかし空前の起伏をもって再現されている。

そして軽やかなリズムの処理に84歳の巨匠とは思わせない至芸を聴かせる第3楽章を経て、まさに舞踏の神化というべき終楽章に突入するが、ここで繰り広げられるリズムの興奮も空前絶後であり、聴き手を唯一無二のトスカニーニ体験へと誘う。

作品の外観を最も完全に近い精確さをもって描出したトスカニーニは、同時に楽譜に書かれているすべての音符に、その意味を明らかにすることによってみずみずしい生命を注入し、作曲者の意図を極めて高い程度で浮き彫りにすることに成功を収めている。

現在発売されている3種類のトスカニーニの演奏のなかでは、音質的に最も安定しているこの録音に着目したい。

数ある巨匠の名盤の中でも屈指の1枚である。

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2010年10月16日


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カラヤン&ベルリン・フィルの1977年来日公演におけるベートーヴェン・チクルス。

カラヤンはいま再評価されつつあるようだが、この演奏でも現代的な尖鋭さと優美さ、独自の重量感を兼ね備えた感覚美、そして着実な造形力が、実にみずみずしく歌う豪壮な音楽をつくっている。

この古典的な様式美とロマンティシズムが見事に融合している交響曲を、カラヤンは精妙極まりない響きとダイナミズムで表現している。

きわめて平衡感の強い、活力にみちた、完成度の高い表現である。

第1番は洗練された流動性とともに、カラヤン独自の豪快な表情があり、ベートーヴェンの初期作品にすでに中期的な性格があることを感じさせ、興味深い。

とはいえ、彼特有のスマートな表現だ。

「英雄」は端麗ななかにも力強さがあり、カラヤンの個性が端的に示されている。

爽快でスピード感あふれる演奏であり、オケの機動力を最高度に生かしている。

それがベートーヴェンの音楽的本質をむしろわかりやすく表現してくるのは素晴らしいことだ。

ベートーヴェンには、カラヤンの資質を自然に受け入れる大きさがある。

カラヤンはこの作品の本質美をテクスチュアの丹念な彫琢によって見事に表現している。

第2番は躍動的なリズムや明るい表情、自然な流動感がカラヤンの音楽的本質から生み出され、ベルリン・フィルも緻密で柔軟性をもった見事なアンサンブルを展開している。

第8番はさらに艶やかに磨かれた演奏だ。

構築的なバランスもすぐれており、ベルリン・フィルのアンサンブルの有機的なまとまりの良さは驚異的である。

「田園」は重厚な響きを持つ反面、第1楽章から颯爽とした足どりで軽快に流れており、この相反する2要素の融合がカラヤンの演奏の特質を形成している。

嵐の場面の緊迫した演奏も、カラヤン一流のものといえるだろう。

「運命」は非常に劇性の強い表現で、カラヤン独自の解釈が表されているのが興味深い。

しかし音楽的には極めて充実し、洗練された秀演である。

第4番は素晴らしく明晰で平衡感の強い音楽でありながら、ロマン的な気分と気宇の大きさをもった秀演。

ファゴットをはじめ随所に登場する管楽器のソロの扱いとベルリン・フィルのメンバーたちのうまさも格別で、演奏の完成度も非常に高い。

第7番はさらにカラヤンの個性を強く示した演奏で、第2楽章の歌謡性はカラヤンならではの美しさだ。

終楽章は凄絶な迫力を示しながらディテールは繊細。

こうした芸当が出来る指揮者は、カラヤンくらいのものだろう。

「第9」のもつ祝祭的で劇的な性格と雄大な構成は、カラヤンという指揮者の美学にふさわしい。

したがってこの演奏には冒頭からただならぬ気配があり、凄いほどの気力に貫かれている。

高度に完成された名演である。

録音も会場の熱気を充分に伝えている。

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classicalmusic at 16:51コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンカラヤン 

2010年10月15日


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何と室内楽的なバランスの整った演奏だろう。

スーク・トリオの演奏は、室内楽的かつ古典的で、緊密なまとまりを聴かせる。

3人それぞれが実に明確な主張を展開しながら見事な調和を保ち、一体となって感興豊かで恰幅の大きな世界を作り上げている。

スリリングなところはないが、充分に練られた表現にはまとまりだけではない華もあって楽しめる。

全体的に高水準でまとめられた非常に完成度の高い演奏で、若々しい生気と躍動にあふれた魅力的な「街の歌」や、中期特有のエネルギーが見事に生かされた第6番が印象に残るし、「大公」も堂々とした風格の名演だ。

平均年齢54歳の録音にもかかわらず、もっともみずみずしく新鮮な息吹を感じることができる。

ピアノがパネンカからハーラに替わっているが、このトリオは、相変わらず、すぐれたアンサンブルを聴かせてくれる。

ピアノに創設当初のメンバーであったハーラが復帰した直後という条件も良い刺激となったようである。

決して馴れ合いにならない、芸術性のぶつかり合い、これぞアンサンブルの醍醐味。

「大公」は、スーク・トリオにとっての3度目の録音である。

合奏の精度という点ではむしろ彼らの2度目の録音(平均年齢47歳、ピアノはパネンカ)の方に利があるのだが、3度目の方には聴いていてはっとさせられる瞬間がしばしばある。

ここでも、歯切れのよいピアノのリードによって、熱気のこもった華麗な演奏を行っている。

特に、第1楽章の堂々たる表現や、第2楽章のロマンティックな気分の出し方など、見事の一言につきる。

スーク・トリオのこの演奏を聴くと、余分な力を全く抜いて、注意深く表情をつくっていることに感心させられる。

それが第1、3楽章において大波のような起伏をつくっている。

本当に磨き抜かれた音によって真情あふれる音楽が歌われており、細部が精緻であるのにもかかわらず、全体の音楽像は雄大この上なく、それが時としてものすごい熱気をみせるのだ。

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classicalmusic at 19:21コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンスーク 

2010年10月14日


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イタリアSQの新盤は、近ごろさほど話題にならないが、もっと高く表現される必要のある名演であろう。

「死と乙女」は1979年に再録音されたもので、ヴィオラがディーノ・アッショーラに代わっている。

そのせいかアンサンブルもいっそう充実していて、音色もさわやかだ。

作品の悲劇的なドラマやロマンを鮮烈に描き出した彼らの表現は、見事な造型感覚もがすばらしく、抜群のアピールが聴き手を圧倒する。

これは清新な情感を湛えた彫りの深い表現である。

1965年録音の旧盤の方が開放的なカンタービレが輝かしいが、この新盤にはただならぬ雰囲気が漂っている。

引きしまった出来ばえで、音色は明るいが、強い表現意志のみなぎった重量感にとんだ演奏を聴いていると、運命の重圧にあえぐ巨人の熱い吐息を浴びるような思いがする。

第1楽章第2主題冒頭の動機や、第2楽章のコーダにみられる、あこがれとのムードの対比のさせ方も、まさにベテランの芸だ。

「ロザムンデ」では、シューベルトの抒情にみちた旋律を柔らかい抑揚をもって歌わせた流麗典雅な演奏だ。

「ロザムンデ」は全部で4回録音されたこの曲の最後の1976年録音で、旧メンバー最後の力作でもある。

この四重奏団のもつ多面的なカンタービレは、この曲で最も多彩な効果を発揮している。

第12番「四重奏断章」と第15番も秀演で、第2ヴァイオリンとヴィオラが奏でる豊かな肉声と、その内声が見せた鮮やかな音色の変化が記憶に刻み込まれる。

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classicalmusic at 18:31コメント(0)トラックバック(0)シューベルトイタリアSQ 

2010年10月13日


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ベートーヴェンの10曲あるヴァイオリン・ソナタは、ボン時代の1797年から1810年までの間に書かれ、《春》や《クロイツェル》などの良く知られた名曲を含んでいる。

スークとパネンカの名コンビによるこの演奏は、すばらしいアンサンブルを聴かせる。

このスークとパネンカが録音した全集には、クレーメルやシェリングなどが、個性的で大胆な全集を完成させたのとは対照的に、極力個性を排除し、室内楽的で静謐な抒情を表出することを目的とした、いわば物静かな感動が全面を覆っている。

実直な室内楽型ではあるが、派手さのない端正な表現の中に、独特の抒情味を宿していて楽しめる。

スークのヴァイオリンは、すこぶる繊細で、甘美で魅力的な音色をもっており、パネンカのピアノも実に安定していて品位が高い。

スークもパネンカも、いわゆる巨匠型の演奏家ではないが、力量と総合力の高さを持っている。

ただこのコンビはたくましさや情熱よりも、端正な演奏が身上で、このコンビに適しているのは《クロイツェル》よりも《春》ということになる。

《春》は、まさにぴったりの雰囲気をもったスークの目指す理想的な名演となっているが、《クロイツェル》のようなドラマティックな作品でも、2人の緻密な合奏から生まれる迫力ある妙味が、心地よい緊張感を生んでいる。

ベートーヴェンの抒情を歌い上げて、端正・清楚な点ではトップ・クラスの演奏だし、ひと味違ったベートーヴェンに接することができる。

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2010年10月12日


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実に端然としたチャイコフスキーだ。

音楽的には端正・清潔、そして意外なほどに目立つ素朴な部分が、チャイコフスキーのスラヴ的な憂愁の感情と結び付いており、控え目だが気分的異質感はまったくない。

この曲の録音は数え切れないほどあるが、これほどまでに美しい演奏は他にない。

柔らかでデリケートな響きから、明るく開放的な響きまで、響きは常に透明で、そのうえ、各楽器の溶け合いが素晴らしい。

冒頭からしばらくは、木管楽器がメロディを吹き、弦楽器が伴奏するというシーンが続くのだが、その息のあった絶妙なバランスには恍惚としてしまう。

すべての楽器が聴こえるかのような見通しのよい響きは、まるでモーツァルトのようだ。

第2楽章も、弦楽器がきれいに歌いながらも、決して下品な感情爆発路線に走らず、高級感がある。

もちろんアンサンブルやオケの技巧についてはいうまでもなく、そこに巨匠的な風格も示されている。

セルはこの演奏でかなり大胆にテンポを動かすが、合奏は恐ろしいほど見事に揃っている。

あまりに揃っているがゆえに、テンポを速めてもフルトヴェングラーのような危険なヒヤヒヤ感が希薄なほどである。

もしこの演奏に欠点があるとするなら、作曲家の生々しい心理や苦闘がまったく伝わって来ないことだろう。

それほどまでに耽美と洗練を尽くした音楽なのだ。

録音はやや古くなったが、シンフォニックな美感だけでも聴き手を納得させる好演である。

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classicalmusic at 19:30コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーセル 

2010年10月11日


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この演奏はLPの時にも聴いた記憶があるのだが、印象は極めて希薄だった。

ほこりをかぶっていてシミだらけ、おまけにカビ臭い。こんな風にコンヴィチュニーのベートーヴェンを思っていた人は多いに違いない。

自分もその口であったが、今回あらためてCDになったものを聴いて仰天した。

廉価盤LPの音が悪かったのか、あるいは自分がぼんやり聴いていたのかは不明だが、CDになってあらためて接したら、そのあまりの瑞々しさに驚いてしまった。

こんなに新鮮で生き生きとした演奏だったとは。

もちろん、基本的にはオーソドックスなのだが、単に伝統的なものの上にあぐらをかいたものではなく、確信に満ちた表情や揺るぎのない安定感に支えられ、オーケストラの響きはほれぼれするほど美しい。

表現はいたってオーソドックスなのだが、出てくる響きの何と豊かなことだろう。

渋くはあるけれど暖かくしっとりとした弦楽器、柔らかな音色の管楽器など、これほどのきれいな音はもはや今日のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団からは聴くことは不可能である。

どの曲を採っても、まったく格調正しい表現である。

しかも旋律はのびやかに歌い、アンサンブルはすみずみまで克明・明確である。

テンポも妥当だが、それがいかなる部分でも変動せず、そこに音楽的な頑強さが示されているのが大きな特色である。

しかも間(ま)が充分に取られ、ゆとりのある呼吸が乱れることがない。

アーティキュレーションが楷書風で、内声部のリズム処理も堅固そのものである。

「第9」の声楽部も着実無比といえる。

全9曲の出来ばえにムラがないのもこの全集の特色で、序曲も立派。

録音も約50年近くも前のものなのに、どんな最新録音よりも瑞々しく聴こえるのは全く不思議だ。

奇数番号、偶数番号ともに出来ばえに凹凸がなく、強力にお勧めしたい。

同一オーケストラの第6番《田園》のコロムビア盤(COCO75405)は本全集とは別録音である。

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classicalmusic at 14:36コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン 

2010年10月10日


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クリュイタンスによるベートーヴェンの交響曲全集ということに、多少の違和感を持つ人々もあるかもしれない。

しかし、このカラヤン時代初期のベルリン・フィルを指揮して1960年に完成された全集を聴けば、むしろそれが遺されたことに感謝することもできよう。

もちろん、彼がラヴェルなどのフランス音楽に最高の世界を開いた一人であることはいうまでもないが、ここでは、彼がドイツ=オーストリア音楽にも卓越した感性と識見を持っていたことが明らかにされている。

ベートーヴェンの演奏に、洗練や典雅といった表現がふさわしいのかどうかは別であるが、そこにある豊かな音楽と品格の高さは、単なる客観的演奏という以上の魅力を示している。

きびきびした音、音楽の流れの躍動性、けっして重くにごったりしない明澄な響きで演奏され、無理な作為が絶対にない。

クリュイタンスは、ゆったりとしたテンポで、それぞれの曲を処理していて、劇的にまぎれずに音楽が自然に流れている。

ベートーヴェンを豊かに歌わせるにはこのテンポが適切であった。

テンポは遅いがリズムは粘らない。どの曲も明瞭で、よく歌いよく響く。

そのためにあっさりして明朗な感じがするのだが、やはりクリュイタンスのラテン人としての性格がそうしたところに表れているのであろうか。

旋律と和声が、実に豊かに感じられる演奏である。

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2010年10月09日


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一部の曲を除いて技巧的に難しくないため、アマチュアによっても愛奏され続けている「無言歌」であるが、多彩な内容を的確に表現するためには、玄人の芸が必要であることも確かである。

現在入手できる「無言歌集」全曲盤はいくつかあるが、一般に名演盤として推せるのは、ダニエル・バレンボイムがかつて録音したLP盤のCD復刻であろう。

ロマン主義者のバレンボイムが若き日に残した個性あふれる名演である。

30余年前の録音だが、音の古さはなく、30歳を出たばかりだったバレンボイムも、すでに充分成熟した、精度の高い演奏ぶりを聴かせている。

もともと豊かな情感を秘めたロマン主義者の側面をもつバレンボイムは、ここでもメンデルスゾーンの優しく甘美な歌を、ふさわしく歌わせている。

若い時分から"自分の歌"を聴かせねば気の済まぬタイプの演奏家であったから、ときには多少、癖が強いかな?と思わせるが、さすがに分は心得ており、身勝手に流れることはない。

曲それぞれをくっきりと彫り上げ、曖昧さを残すところがないのも、名指揮者らしい。

若さゆえか、やや抒情的な深さには欠けるが、きわめて洗練されたタッチで、やわらかなニュアンスを表出している。

多忙の彼に、この曲集の再録音は望めず、当分これがベストであろう。

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classicalmusic at 15:51コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンバレンボイム 

2010年10月08日


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アバドが1985年から88年にかけてウィーン・フィルとライヴ・レコーディングで作りあげたベートーヴェン交響曲全集からの抜粋盤。

ライヴならではの豊かな感興が波打つように表された秀演。

その表現はまったく正統的で、最も純正なベートーヴェン演奏だ。

アバドは伝統的なウィーン・フィルの体質の中に現代的感覚を注ぎ込み、19世紀の音楽芸術にに新たな生命力をつくり出した。

第7番はウィーン・フィル特有の冴えた弦の響きが実に美しい。

一点の曖昧さもなく、精確そのもので、そこに示された音楽的感興は絶大。

また第2楽章のアレグレットは瑞々しい美しさをウィーン・フィルの響きからたっぷりと引き出している。

舞踏のリズムがもつある種の官能性や劇的高揚、激しさ、生命エネルギーの爆発といったこの作品の解釈に伝統的に受け継がれてきたものをアバドは踏襲する。

とくに速いテンポをとるわけでもなく、どちらかというと重厚な響きが基調となっている。

頂点は終楽章にある。

第5番《運命》もやはり純音楽的で、確信にみちた堂々の力感が造形の中に逞しい筋金を通し、非常な説得力で聴き手を魅了する。

緻密な楽曲構造とアバドの流麗な棒とが絶妙に融合し、純音楽としての一つの大きなドラマトゥルギーが形成されている。

すべての意味でバランスのとれた名演である。

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classicalmusic at 18:35コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンアバド 

2010年10月07日


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「悲愴」は異色の名演である。

フランスの指揮者マルティノン、オーケストラはウィーン・フィル、曲がロシアのチャイコフスキーの交響曲と、一般的なイメージでいうとチグハグな感じがするかもしれないけれど、この演奏内容がじつに見事。

どっしりとした構成で、全体が安定感をもっている。

しかも、内容は情感ゆたかで、各表情はたっぷりとして説得力十分。

それでいて情緒過多にもなっていない。

いろいろな点でセンスのよい「悲愴」交響曲の演奏だ。

現代感覚によるチャイコフスキーで、大時代的なところがなく隅々まで明快だ。

フランスの指揮者であるマルティノンのラテン的な感覚といえるかも知れないが、それが純粋かつ率直な音楽をつくっているところは評価すべきであろう。

もともとマルティノンという指揮者は、知性を重んじるフランスの音楽家らしく造型的に筋の通った手法を重視し、あまり情緒的にのめり込むようなことはない。

ところがこの《悲愴》の演奏では、大きな起伏に裏打ちされた感情表現を行なっている。

そこに聴くあきらめ、絶望、哀しみなどという情緒的な表現は、きわめて深くて、大きい。

他のどのような盤と比較しても、その表現の情緒的性格は際立つものである。

どうしたのであろう。

彼の他の盤にはこうした性格のものが、ほとんどないだけに、つい考えてしまう。

ただ情緒的なだけでなく、造型的な太い線が通り、さらにウィーン・フィルがすばらしいことも、忘れずに指摘せねばなるまい。

ボロディンはロシアの代表的な作曲家の一人であり、彼の交響曲はロシアの指揮者とオーケストラで聴くのが筋かもしれない。

ところが、マルティノンの解釈で聴くと、ロ短調交響曲は別の魅力を伴った姿を現す。

それはまずオーケストラの色彩に、次にアプローチの方法に見られる。

彼の明るい色彩への指向は重厚な楽句にも開放感を、軽やかなテンポと明快なリズムは演奏に小気味よい流動感をもたらす。

一方、第3楽章に示されたように感情の移入も充分で、豊かなファンタジーを生み出す。

全体を通じて、マルティノンの解釈は聴き手の想像力をかきたてる。

こういう演奏を聴かせる指揮者が、今日みられないのは淋しい。

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classicalmusic at 18:33コメント(0)トラックバック(0)マルティノンチャイコフスキー 

2010年10月06日


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カンタータ「静かな海と楽しい航海」は繊細な感性と大きな息づかいが同居したアバドらしい表現。

アバド&ウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集のなかでは「田園」をまず第一に推す。

アバドは、知性と情感の見事な結合を特色とした演奏を聴かせている。

彼の精妙な表現は、物理的な精確さを越えて内的感情のすこぶる自然なあり方をも捉えており、そこでは、知・情・意の十全なバランスが印象深い解釈が示されている。

見事に制御された個性的な演奏で、第1楽章冒頭からゆとりのあるテンポでみずみずしい音楽が歌われ、展開部の高揚も素晴らしい。

第2楽章は葉擦れの音を聴くようなデリケートな感触があり、第3楽章以降も歌にあふれ、アバドの棒のさばきが見事だ。

かなり丁寧にのどかな情景を醸し出そうとする第1楽章と第2楽章。第3楽章以降で大きく音楽を高揚させようというプランが明確に現われている。

第3楽章で雲行きがあやしくなり、雷雨へと移行する第4楽章への運びもよい。

のどかさを取り戻す第5楽章が美しい。

全体に明晰で引き締まった造形で、「絵画的な描写ではなく感情の表現」というこの曲についてのベートーヴェン自身の言葉の真意を見事に突いた、絶対音楽としての格調と様式美に富んだ名演である。

しかも清廉な歌に満ち、加えてウィーン・フィルの美しい響きがなんとも言えない。

ホルンや木管の響きなど、とりわけ「田園」ではウィーン・フィルの演奏は魅力的だ。

合唱幻想曲ではポリーニのピアノが、アバドとの息の合ったコンビを聴かせる。

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2010年10月05日


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天才が自在に溌剌と楽しく再現した"祭りのような協奏曲"である。

傑作であるにもかかわらず、ストラヴィンスキー的でないとしてさほど採り上げられる機会がないが、無類の楽しさと予想外の美しさにあふれ、しかも明らかに19世紀のヴァイオリン協奏曲とは異なる美学がベースとなって生まれた名品である。

私のブログのコメントに、ヒラリー・ハーンの賛否両論が展開されているが、既出のディスクのなかでは、ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲を、ハーンの代表的ディスクとして、採り上げる価値があろう。

1979年アメリカ生まれの女流ヴァイオリン奏者ヒラリー・ハーンはヴァイオリンのために生まれてきた天才であろう。

この録音は2001年のことだから22歳のときに収録されている。

テクニックやセンスや音色の素晴らしさ、そこに漂うモダンな音楽性と品性も気持ちがいい。

しかしそれ以上に特筆されるのはストラヴィンスキーの難曲があたかも彼女のための子守歌でもあるかのように自在に、自由に、溌剌と、そして楽しく再現されていく手腕の見事さであり、その語り口の巧さに舌を巻くしかない。

名演という名のマジックである。

演奏家の世代交代は常に行なわれている。しかもそのテンポは速く、激しい。

ハーンは選り抜きの一人。

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2010年10月04日


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チャイコフスキーの第4番は序奏から豊麗なサウンドに耳を奪われる。

第1主題からして絶望と諦観の身振りを捨て、魅力的な律動に変身する。

ムーティの卓越したリズム感とフィラデルフィアの管楽器セクションの抜けのよい響きが、甘美でしかも確固たる世界を構築している。

スクリャービンの「プロメテウス」でも耽美性を追求するのは同様だが、この複雑な音の迷宮から突き進むエネルギーを見出しているのはムーティならではだ。

第5番でムーティは、スコアを精確・精緻に音にすることによって、チャイコフスキーのオーケストレーション独自の、内声のかくし味のような動きと旋律の内面的な力学を的確に表現し、見事な陰影でこの作曲家の憂鬱や屈折した感情を描き出している。

「フランチェスカ・ダ・リミニ」も情緒豊かな演奏で、それぞれの旋律を的確に表した、ムーティの魅力を痛感させるような晴朗な音楽だ。

「悲愴」はオケの性格とムーティの資質とがあいまって、冒頭からきわめて滑らかに歌い、官能的といえるほど艶やかに響く。

全体に木管の色彩が明るく美しく夢幻的な趣があり、響きには充実感が強い。

「法悦の詩」は官能的な音色の艶やかさ、画然としたリズム、いくぶん退廃的な表情のいずれもが曲にふさわしい。

音そのものをリアルに生かし、魅惑的に磨きあげ、感覚的な美感を濃厚に表した名演である。

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2010年10月03日


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1956年のモーツァルト生誕200年を記念して、シャルランが録音した名盤。

クラウスは、《モーツァルト/ピアノ・ソナタ全集》を2度録音している。1950年代のモノーラル盤、60年代のステレオ盤がそれ。

クラウスは年齢を重ねるたびにその演奏は、いわゆるロマン的傾向を強めていった。

モーツァルトとて例外ではない。加齢がそうさせたのだ。

だから新旧の全集のどちらを選ぶか問われれば、私は感情移入が過剰ではない古いモノーラル盤に軍配を上げる。

モーツァルト弾きクラウスの、まさに円熟の域に達した51歳の演奏が悪かろうはずがない。

クラウスはここで、ごく自然にモーツァルトに立ち向かっており、音の美しさ、軽妙なリズム感、生き生きとしたニュアンスなど、耳を傾けさせる部分も少なくない。

余分な華麗さのない極めて清潔な表現だが、それでいて決して冷たい音楽ではなく、いわば血の通った人間味のある温かさが隅々まで行き届いている。

ヒューマンなモーツァルトとして余分なところも足りないところもない、実に完成度の高い演奏である。

ただ演奏にはテンポの揺れがみられるが、それはクラウスが意識してつくり出し、設定したものだ。

したがって、彼女の様式感になじめるかが、このモーツァルトの好悪の別れめになるだろう。

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classicalmusic at 18:39コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2010年10月02日


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ラフマニノフのピアノ作品は、まず何よりも、20世紀前半のロシア・ピアノ界の大巨人たるピアニスト、ラフマニノフ自身のために作曲されている。

ラフマニノフの"巨人"とも呼ぶべき体躯、そして、その身体にふさわしい腕と指、そして今日でも古さを感じさせないテクニックを前提として、彼のピアノ作品は作られたのだ。

アシュケナージもリヒテルもオボーリンもギレリスも、ホロヴィッツですら、この点において、ラフマニノフには及ばない。

もしも、ラフマニノフが現代に生きていたら、一体どれだけ多くのロシアのピアニストがソリストとしての仕事を失っていただろうか。

ラフマニノフは、その音楽性においても、リストとアントン・ルビンシュテインの弟子であったシロティの流れを引きながら、そこに20世紀的な新しい方向性を与えたピアニストであり、作曲家であった。

その音楽性は、ヨーロッパとロシアのピアニズムの融合から生まれた濃厚で甘美なものであった。

ショパンやシューマンを弾くラフマニノフは、19世紀ロマン派のピアニストだったが、自作自演のラフマニノフは、ノイエ・ザッハリヒカイト以後の20世紀のピアニストだった。

ともあれ、ラフマニノフが残した自作自演の録音には、不世出とも呼ぶべき巨大な音楽性とヴィルトゥオジティの記録が刻まれている。

彼の自作自演は、決して古びない偉大な芸術の証である。

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classicalmusic at 18:46コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフ 

2010年10月01日


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これは1970年のベートーヴェン生誕200年を記念して行われた録音である。

古きよき時代の名演だ。

シゲティとかシェリング、あるいはハイフェッツやオイストラフ等々の巨匠たちの盤も捨てがたいのだが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏で一つの頂点を築き上げているケンプとの二重奏ということで、トータルとして素晴らしい音楽感興の高まりがある。

全体的に遅めのテンポをとって、じっくりと作品に対決しているかのようだ。

確かに、現代の若手俊英たちが極めて精度の高いテクニックでピッチに微塵の乱れも見せずに弾ききるのとは違い、ところどころにピッチの決まりきっていない音もあるが、その音楽表情には、豊かな演奏体験と人間的な成長を経なければ達することのできないような深い味わいがある。

細かいことをいえば、アンサンブルにキズがないわけではないが、50代半ばのメニューインと70代半ばのケンプが織りなすベートーヴェンは、腕だけに頼りがちな若い演奏家にはない、人間的なぬくもりのあるうるおいを感じさせる。

このヴェテラン2人は、二重奏ソナタということで必要以上に対抗対峙することはない。

それぞれの役割と作品全体のコンセプトの中で捉えられた自然な音楽高揚を心がけているのである。

2つの楽器のコントラストとバランスの見事さが品位の高い音楽を作る。

「クロイツェル」は風格を感じさせる演奏だ。

ヴァイオリンもピアノも、やや動きが重いが、昨今の若い演奏家のスピードだけを重んじるような演奏に不満の向きには、花も実もある演奏として受け入れやすいかもしれない。

「春」ではおおらかな歌が聴かれる。

ここでも軽快さが乏しいのは否定できないが、円熟の表情がその不満を和らげてくれる。

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