2010年11月

2010年11月30日


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メニューイン/フルトヴェングラーのコンビが残した名演の一つ。

現代音楽の録音がまるでないフルトヴェングラーだが、現代音楽の良き理解者であったことは意外に知られておらず、それにどうアプローチしているかを垣間見ることのできる演奏だ。

フルトヴェングラーの強い集中力は音楽に充実感をもたらし、メニューインも彼に触発されて意欲にあふれた演奏を展開している。

もっともバルトークの作品は古典的な均整ある構成を示しているため、料理はそれほど難しくはなかったのだろう。

フルトヴェングラー特有の有機的な展開がみごとにきまり、緊張をはらんだピアニッシモと、迫力ある豪快なフォルティッシモとのダイナミックな対比はすべてツボにはまり、どこを切っても血の吹き出るはち切れんばかりの活力に満ちている。

メニューインのソロも一音たりとも弛緩することなく、張りのあるフレージングでオーケストラと対等に拮抗し、指揮者とともに、聴き手を興奮のるつぼに引き込む。

アメリカではフルトヴェングラーを戦犯扱いにしていたころ、いち早く門戸解放したのがイギリスである。

敢然と不遇なフルトヴェングラーを擁護したメニューインの気魄は衰えを見せず、両者の共感が聴き手を感動させずにはおかない。

モノながら、この当時のフィルハーモニアは名人揃いで老巨匠のタクトに鋭敏な反応を示している。

気迫と人間味にあふれ、今もって色褪せぬ演奏だ。

無伴奏ヴァイオリン・ソナタは、作曲者をして、「私の死後も、作品はあなたのようにしか演奏されないだろう」と唸らせた、メニューインの名演である。

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2010年11月29日


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フルニエは1940年代にシュナーベルとソナタ全曲を録音しているほか、ケンプとのライヴ録音があるが、このグルダとの録音が最もすぐれていると思う。

なによりも音楽がノーブルで、徹底してカンタービレで歌い、グルダの男っぽいピアノがそれを支える。

両者のコントラストが絶妙。フルニエを聴くならこれ。

フルニエはいつものように貴公子だが、この演奏で面白いのはグルダが紳士になっている点であろう。

この録音の前後にしばしばフルニエと共演したグルダは当時を回想し、フルニエを「あらゆる点で指導者」といい「非常に多くのことを学んだ」と語っているが、フルニエもグルダのいきいきとしたピアノに触発されたかのように感興豊かな演奏を展開しており、呼吸もぴったりと合っていて、演奏全体にみなぎるはつらつとした生気としなやかな気品をたたえた表現も、この両者の共演ならではの魅力だろう。

尊敬してやまないフランスの高貴なる音楽家が放つオーラに触発されたのか、グルダはいちだんと佇まいが美しく、しかも作品全体を見渡した視野の広い演奏を繰り広げており、どこをとっても無理がない。

フルニエがそんなグルダを味方にして風格あふれるソロを披露、幸福感に満ちたベートーヴェンの世界に聴き手を誘い、憩わせる。

なかでも傑出した第5番の演奏。精力的な音楽の第1楽章に続くアダージョ楽章では、ほとんど止まってしまうのではと思わせるほどゆっくりしている。

しかしこれで十分に全体を支えきる。

晩年に近づいた作曲者の内面の深淵を垣間見せる音楽だ。

翌年のバッハの無伴奏チェロ組曲とともにフルニエの芸術の頂点を占める名演といえよう。

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2010年11月28日


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収録されているのは、バルビローリのシベリウス:交響曲第1,2,5,7番の旧盤に「トゥオネラの白鳥」。

シベリウスを得意にしていたバルビローリは、手兵のハレ管弦楽団を振ってHMVに第2番を2度レコーディングしている。

有名なのは1966年のステレオ盤であるが、ここに挙げたのは1952年のモノーラルで、日本ではLPが出たまま忘れ去られ、やっと1996年にCD化された。

しかし66年盤はカタログに残っているのに、この方は早々と消えてしまったが、演奏は新盤を凌ぐ出来映えで、段違いに素晴らしい。

常識的なバルビローリ調で一貫したステレオ盤に対し、モノーラルの方はメリハリが効き、強弱は思い切ってつけられ、速いテンポを基調としつつ、曲が進むにつれてますますスピード感が増し、しかも緩急のさばき方が圧倒的だ。

第1楽章後半の猛烈な嵐と猛烈な速さはめくるめくばかりで、こんな表現は他に類例がなく、初めて聴く人はバルビローリの指揮ということが信じられないだろう。

第2楽章に入ると、指揮者の棒はいよいよ自由になる。

アッチェレランドの激しさなど、まるでフルトヴェングラーのブルックナーのようだが、あのように音楽を歪めてしまうことなく、雄弁な語りがシベリウスそのものなのだ。

曲の本質や核心を鋭くとらえ切っているからだが、もちろん第2番以後の交響曲ではこのスタイルでは必ずしも成功していない。

第3楽章の凄絶な突進とアクセントの決め方は、まるで戦いが始まったようで、ここではすべてが血のように赤い。

私は折衷的なこの曲を好まないが、本CDなら夢中になる。

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2010年11月27日


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「ロ短調ミサ」は流麗なバッハ演奏で、かつてリヒターが聴かせたような、緊張の極限にあって、魂の救済を天に叫ぶような痛切さはない。

その代わり、穏やかな心とやさしい眼差しがある。

いかにもリリングらしい、こまやかな心遣いが細部にまで感じられる。

バランス設計も見事で音楽の流れに淀みがない。

合唱は、リリングのバッハをよく理解した緻密な歌いぶり。合奏団も、ややイタリア風のバッハを伸び伸びと演奏している。

「マタイ受難曲」も「ロ短調ミサ」と同様に、温かい血を通わせたリリングのバッハ演奏。

バッハを生きた現代の音楽としてとらえ、従来のリゴリズムから解放された自由な世界がひらけている。

テクストの分析も、音とのかかわり合いの中で、見事にその核心を突いているが、この演奏からはリリングの考えと、作品の持つ強烈な訴えがなかなか伝わってこない。

水準の高い演奏だけに、今一歩の実在感の不足が惜しまれる。

「ヨハネ受難曲」でリリングは冒頭から緊張力にあふれた音楽を紡ぎ出す。これまでの種々の録音にも増して、今回は劇性を全面に押し出しているのである。

そして合唱の扱いにも独特の斬り込みの深さを見せ、第21番「私たちに救いをもたらし」はオリジナル楽器奏法をなぞるような唱法。

ただ福音史家を歌うシュライアーはやや表現過剰。F=ディースカウも声の衰えが著しい。

女声陣の中ではオジェーが特に後半の歌唱で充実した歌を聴かせる。

リリングの伸びやかで温かい音楽作りは、「クリスマス・オラトリオ」にもよく合っていて、どのナンバーでも流麗なバッハを聴かせてくれる。

4人の独唱者も、それぞれがリリングと水も洩らさぬ共働ぶりで立派に歌っている。

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2010年11月26日


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ペライアは、1997〜98年に《イギリス組曲》を録音し、初めて本格的にバッハに向かった。

その前、指の故障があってしばらく演奏を休んだのを機に、ピアノでバッハをどう表現すべきか、との命題をじっくりと探ったものらしい。

2000年の「バッハ・イヤー」に発表された《ゴルトベルク変奏曲》は、彼自身で曲目解説まで執筆しているように、曲の構成までつぶさに研究した上での、文字どおり満を持した所産。

この大曲を完全に把握しきった上での演奏は、高度に磨かれたヴィルトゥオジティの内に、ペライアならではのしなやかな歌心、優美な流れの良さを注ぎ込んで、気品と余裕を感じさせるものとなった。

バッハの鍵盤楽器作品をオリジナル楽器で演奏するのは、今やごく普通のことだが、ピアノならではの魅力を十分に生かしたペライアの演奏を聴くと、この時代にあえて現代のピアノを使ってバッハを弾くことの意味を改めて納得させられる。

このディスクでペライアは、独自の自由で歌心に満ちた演奏をしているが、そこに、奇をてらったところやけれん味はまったく感じられない。

まさに自然体のバッハである。

創意工夫に富んだ装飾法もみごとで、強いインパクトを与える。

50歳を過ぎて一皮むけたペライアが、新しいバッハ表現の可能性をリスナーに示した名演といえるだろう。

グールド以後、最上級の名演のひとつだ。

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2010年11月25日


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チェロの神様が指揮を? マールボロって何? ということでこの演奏は長い間無視していた。

つまり、単にゲテモノだろうと思っていたのであった。

しかし、買ってみてびっくり、こんなに素晴らしいとは。

カザルスのモーツァルトは激烈で厳しく、底の底まで音楽をえぐり出したような表現だ。

もちろん、カザルス指揮のモーツァルトでも第36番「リンツ」や第38番「プラハ」の交響曲のようにあまりにも強引なものもあることはある。

だが、第35番「ハフナー」、第40番、41番「ジュピター」は名演で、中でも最も好きなのは第35番「ハフナー」である。

まぶしいくらいの生命力や偉大な抱擁力を感じさせつつ、細部の表情の移り変わりのなんと微妙なことだろう。

この微妙さがあるからこそ、この演奏は凄いのである。

第40番と「ジュピター」も凄い。

共に表面的な彫琢という点では極めて粗いが、カザルスの内奥に歌う音楽の豊かさを堂々と表現している。

「ジュピター」の骨格のたくましい悠揚とした表現は、他に類例がないといえるほどだ。

先入観を取り払って、ぜひとも聴いていただきたいものである。

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2010年11月24日


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カヤヌスはシベリウスの親友で、生涯シベリウスの作品の紹介につとめた。

したがってカヤヌスの残した4曲の交響曲ほかは、作曲者直伝のもっとも正統的な解釈である。

むろんシベリウス在世中の空気を生々しく伝えた演奏といえる。

第1、第2、第3、そして第5を遺したカヤヌスの演奏のどれもが、シベリウスの交響曲を少しでも考えようとするなら絶対に聴かなくではならない録音だ。

途方もなく力強いが粗野ではない。格調高く美しく、真に英雄的な音楽。すべてはこれを踏まえてからの話だ。

基本テンポ設定、楽器の奏法などが現代のものと異なり、作曲当時の状況を髣髴とさせてくれる。

オケのメカニックもしまらない感じだが、たいへん音楽性の豊かな演奏。

メカニックが優れただけで姑息な新しい録音を聴くよりも、多くの発見がこの演奏には約束されているのである。

最初の2曲はたんに交響楽団としか記されていないが、実体はあとの曲と同じロンドン交響楽団である。

演奏はいずれも凄いほどの意欲と共感に貫かれている。

楽員も非常な熱意をもち、第1番を燃えたぎる灼熱の音楽としている。

第2番は端的な表情とラプソディックな趣を巧みに交錯させ、第3番では意外なほど強靭な力感、第5番では内面のロマンを堂々とあらわしている。

それぞれが作品の本質を衝いた名演である。

録音の状態が悪いのはどうしようもないが、シベリウスの演奏を楽しむうえで不可欠な録音であることは確か。

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2010年11月23日


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これはあらゆるハイドンの演奏でもトップクラスの名演だ。

第93番でアバドは、細部に精確さとともに個性的かつデリケートな表情を与えており、躍動的な演奏を聴かせる。

それは明朗・率直・開放的で、まさに現代感覚によるハイドン演奏の典型と感じられる。

「奇跡」は冒頭から得もいわれぬ気品があり、すみずみまで行き届いたアンサンブルが素晴らしい。

若々しく明晰で、清澄・端正、古典の真髄をきわめた表現ともいえる。

「時計」も名演で、旋律線の流動が印象的。トゥッティも力強い効果があり、しかもアンサンブルの美しさは絶品だ。

ヨーロッパ室内管弦楽団は、アバドの提唱によってECユース・オーケストラ在籍者から選抜して作られた室内管弦楽団。

創設は1981年。第96番が収録された86年はその5年後ということになる。

旧来の大編成オーケストラによるハイドンに見直しを加え、個々の奏者の自発性をいかした溌剌とした演奏を展開している。

ヴィブラートは控え目ではあるが、アーティキュレーションについてはピリオド・スタイルを踏襲するまでには至っていない。

若々しい情熱の発露は実にすがすがしい。

第101番ではより表現に奥行きが生まれ、ハイドンの音楽が持つ多様性が描き出されている。

オーケストラの成長を4枚のディスクで追うことが出来るのも興味深い。

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2010年11月22日


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「ある芸術家の生涯の挿話」というサブタイトルをもつこの作品は、ベルリオーズの心に深い傷跡を残した叶わぬ恋の思いを動機に、斬新な手法で描いた不滅の傑作。

クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団の演奏は、アバドの巧みな構成力と緻密な解釈、そしてオーケストラのすばらしい名人芸とが相俟って、これまでになく音楽的でハイ・グレードな名演となっている。

アバドの極めて注意深い楽譜の読みとシカゴ交響楽団の名人芸的と形容したいアンサンブルの妙技を得て、初めて成功した演奏。

ベルリオーズのロマン性や怪異な標題性にこだわらず、むしろ楽譜そのものを純粋に受けとめ、この上なく音楽的に表現している。

それぞれの部分と全体に必要な起承転結が明確にされ、そこに悠揚とした器量の大きさと逞しい緊張力が加わって造形的に端正と表現の豊かさを両立させている。

シューマンは「ベルリオーズを天才と認めるべきか、それとも音楽上の冒険者と認めるべきか…」と語っているが、そんなベルリオーズの感覚の新しさと表現の豊かさが、ここではすばらしい緊張力をともなって、知的に、明確に、描き出されている。

なお第5楽章に広島の「平和の鐘」の音を処理して使用している。

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2010年11月21日


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エストニア共和国出身のヤルヴィは、シベリウスの北欧的な雰囲気や、楽想の性格を見事に自分自身のものとしている。

第1番ではヤルヴィの個性ともいえる多血質が表明され、悠然としたテンポで雄大な音楽をつくり、彼の情熱的な性格が両端楽章に示されている。

オケにはやや粗削りなところもあるが、弦が清澄でいかにも北欧的。

第2番はきびしく端然とした造形でまとめられていて、冒頭のテンポも速く、動感と歌謡性が巧みに組み合わされ、輪郭の明快な音楽をつくっている。

ディテールも細かいところまで配慮され、それぞれの楽章の特色を適切に表出。

表情に荒々しいほどの力がみなぎり、西欧風のシベリウスとはまったく異なった、豪快で緻密な音楽を聴かせるのがユニークだ。

第3番はかなり線の太い表現で、響きにも独自のテクスチュアと厚みが感じられる。

それが決して重くならず、不思議に爽やかな印象を与えるのは、作品の運動性を適切に生かしているためだろう。

ヤルヴィの個性が強く示された解釈といってよい。

第4番は暗い情感にほのあたたかさが加わったような表現。

オケの音色はやや粗削りだが、アンサンブルとしてはよくまとまっており、作品を構築的に整理している。

ヤルヴィは強い構成力で、要所をよく引き締めて、第5番を明快に表現している。

北欧的な旋律をのびやかに歌わせ、金管を情熱的に強奏するなど、スケールの大きさも際立っている。

特に終曲には劇的な迫力があり、ヤルヴィの特色をよく表しているといえよう。

第6番は北欧的とでも形容したい澄み切った弦の音色が、柔らかくデリケートな音楽をつくっている。

全体が純音楽的で滑らかに流動する演奏で、空間的な広がりがある。

北欧の風土における洗練とは、こうしたものなのかも知れない。

第7番はいつものようにヤルヴィの手作り的な温かさを感じさせる音楽だ。

解釈としては素直で、楽想の形を明確に表出している。

そこにはヤルヴィの一種のリアリズムがあり、それは現代的感覚と評してもよく、重要な動きがシベリウス特有の管弦楽法に埋没することがない。

このあたりにヤルヴィの大きな特色がある。

スケールが大きく、壮大なコーダの充実感はなかなかのものだ。

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2010年11月20日


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アシュケナージとショルティによるバルトーク:ピアノ協奏曲全集がカップリングされているが、その演奏内容については別項に書きたい。

チョン・キョンファが特に輝いていたのは、いったい何時だったというべきなのだろうか?

そうした問題を考えるには、このバルトークの2曲の協奏曲を収録したディスクは、ある一定の解答を示してくれるに違いあるまい。

とりわけ、1976年に録音された第2番(オケはロンドン・フィル)の演奏は、ピリピリとした緊張感に貫かれ、なべてのものがピン・ポイントの明快さで把握されており、いかにもチョン・キョンファらしいところがよく出ている。

それは1983年に録音された第1番(オケはシカゴ響)と比較してみても、ある程度明らかといえるだろう。

とりわけ第1番の凄まじさは絶後、迫力あるオケのサポートと相まって、鳥肌の立つ瞬間が頻出する。

鬼気迫るような怖ささえ感じられる演奏だ。

20代後半と30代半ばの、まさに音楽にのめりこみ猛進していた時期の演奏で、チョンのひとつのピークを物語る上では最良のものであろう。

気迫のこもった歌心と鮮烈な技巧、そして強力な集中力など、心の底を揺さぶられるようなバルトークである。

この種の音楽はチョンがもっとも得意とするだけに、ここでもひたすら音楽に没入し、比類のない凝縮度の高い演奏を実現している。

高いテンションを維持しながらそこにバルトークにふさわしい歌をもりこみ、音楽の起伏を巧みに描き出す奥行きのある表現を聴かせるところもこのヴァイオリニストならではで、テクニックの切れ味も申し分ない。

身を切るごときバルトークの鋭敏な音楽から、これほど情熱と暖かさを引き出した演奏はあるまい。

これら2曲の収録時と比べると彼女の芸風は変化してきているが、少なくともバルトークを弾くにはこの頃がベストだったのではなかろうか。

両曲の演奏を通して、指揮者ショルティが圧倒的な存在感を示している点も、忘れずに指摘しておきたい。

作曲家に対する深い共感に裏打ちされたショルティの指揮は、チョンの火の玉となったようなソロに一歩も譲らない。

チョンとショルティの、この音楽へのシンパシーと感性の同一性を感じないではいられない。

協奏曲録音における一つの理想といえるだろう。

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2010年11月19日


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渡邉の円熟の芸術をくまなく表した、尊敬すべき全集である。

1981年、日本フィル創立25周年企画「シベリウス連続演奏会」直後に行われたセッションであり、渡邉にとっては、全曲ステレオ録音が世界初となった1962年の全集につづく2回目である。

これらの演奏は非常に説得力が強く、聴き手に深い感銘を与える。

それは何よりも渡邉が作品の本質を、深く静かに見つめ、それを論理的な構成力と全人的な共感をもって表現しているからだろう。

フィンランド人の声楽家を母親に持つ渡邉にとって、フィンランドの民謡は子守歌であり、シベリウスは学ぶべき外国音楽ではなく、半ば自分の音楽なのだろう。

ゆえに、日本のオーケストラを指揮しても、どこにも無理のない自然な演奏に仕上がってしまう。

渡邉と長年辛苦をともにした日本フィルは、まことに献身的な演奏でその棒に応えており、聴きながら清々しい気持ちになる。

全曲ともに、渡邉の人柄の滲み出た心優しい演奏で、とくに「第4」の透明な叙情性が光る。

大言壮語しない「第1」「「第2」にも好感が持てる。

もっとも、全般的に、仕上げが丁寧なわりに平板さが目立ってしまうのが残念で、さらに結晶化されたハーモニーや魂の底から沸き上がるリズム感が求められる。

これは渡邉暁雄の追悼盤であると同時に、わが国の音楽史の一時期を記録した貴重なディスクとして永く伝えたい。

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2010年11月18日


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私はチェリビダッケのライヴに接したことはないが、多くの海賊盤を所有している。

私がなぜこれまでチェリビダッケの正規盤を採り上げてこなかったかというと、METEORやAUDIORなどのレーベルの海賊盤の方が、実際の生演奏の印象に近いと感じられるからである。

EMIやDGの正規盤は、デリケートなニュアンスにやや欠落が見られ、生前、チェリビダッケがあれだけ録音を嫌いつづけたわけも理解できるというもの。

けれどもディスクに収録された音楽だけといってもやはり傑出した演奏であることは間違いない。

こうして記録が残されたことに心から感謝したい。

チェリビダッケの初回の"公式リリース"のなかでも、このディスクはもっとも注目すべき録音の一つ。

《展覧会の絵》では、冒頭のプロムナードから、チェリならではの強烈な印象を与える。

でも、当初はその遅いテンポに戸惑いを覚えたとしても、この指揮者の精妙で懐の大きな世界にいったん馴染んでしまうと、その豊かさは他の人の演奏では決して体験できないものがある。

《ボレロ》は、小太鼓のpp(限りなくpppに近い)から始まって、ラストの終始にいたる18分11秒という間、聴き手は息をつくことすら許されない。

ぴんと張り詰めた緊張感がその比較的遅いテンポとともに指揮者の不屈の意志をもって堅持される。

その徹底ぶり! ボレロのリズムを軸として次々と様々な楽器を加えてゆく、その作業はあたかもスローモーション画像を見ているかのよう。

それらのすべてが克明で印象深く提示される。

この演奏はチェリビダッケの演奏の特徴の一つである、「繊細な段階づけをもつダイナミズムやオーケストラの響きの室内楽的明晰さと透明性」をはっきりと示している演奏もないだろう。

これもまた、チェリビダッケ伝説の記録の一つ。

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2010年11月17日


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バルトークの2作のバレエ音楽にいち早く目を向け、全曲録音したのはドラティだったが、その次の功労者はブーレーズといえるかもしれない。

彼はストラヴィンスキーの3大バレエ同様、先鋭的な解釈と表現で刻み直し、同作品の真価を再認識させたのである。

思えばこの《中国の不思議な役人》はディアギレフの依頼によって書かれた作品。

作風にしてもストラヴィンスキーの《春の祭典》や《ペトルーシュカ》を彷彿とさせるものがある。

ブーレーズの興味は、オーケストラをマキシマムまで駆使した逸品を掘り起こすという意味で一貫性がある。

この演奏によってバルトークの作品群がさらに潤沢になり、またオケの演目に新たな名品が加えられたのも事実である。

ブーレーズは、シカゴ響の名人芸をフルに使って、現代のリファレンス的な名演を実現させた。

緻密な合奏力といい、音色の変化といい、抜群のニュアンスの豊かさを聴かせる。

そしてブーレーズ自身の円熟味が、かつてのラディカルさを間引く結果にもなった。

《中国の不思議な役人》では、マジャール的な土俗感には目もくれずに、スコアから、鮮やかなリズムと峻烈なハーモニーを引き出すことに成功。

エロスと欲が渦巻くストーリーを表面的になぞることなく、名人集団のシカゴ響を縦横に操りながら、のっぴきならない緊張感を放射しつつ、高揚感に富んだ瞬間を形成している。

《弦チェレ》も、曖昧さが介在する余地のないアプローチを繰り広げながら、BBC響と吹き込んだ旧盤に比べて、随所にしなやかな表現が盛り込まれている。

とりわけ、第3楽章では、緻密な響きの大海原の表情を刻々と変化させ、平均律の殻を打ち破るように、ティンパニや弦のグリッサンドが精妙に明滅していくのが印象的である。

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2010年11月16日


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ヤナーチェクの《シンフォニエッタ》には、いくつかの優れた録音があり、個人的には1965年のセル=クリーヴランドや80年のマッケラス=ウィーン・フィルなどが挙げられるが、今では、他にいくつかが挙げられよう。

そうした中で、1968年のアバド=ロンドン響の録音も、なかなかの好演なのであるが、それが登場した時、あまり注目されなかったのは、ヒンデミットとプロコフィエフの曲に挟まれていて、目立たなかったからかもしれない。

どちらかというと地味な書法を見せるヤナーチェクの音楽のなかで、これは珍しく明るく開放的だ。

第1楽章の冒頭のファンファーレが高らかに鳴り響く。

12本のトランペットが用いられ、実に広々とした空気感が生み出される。

だからたいていの演奏は色彩的な輝きに満ちた壮大さと、たたみかけるようなリズムで聴かせる。

ところがアバドはそれをできるだけ抑制し、ヤナーチェクの心の奥底に秘めた情念にふれようとしている。

金管のひびきは鈍重で沈みがち。表面はどんなに派手に振る舞っても、それは逆に心の悲哀感を焙り出すのに役立つばかりだ。

そんな複雑な心のひだに、これほどの共感と親密感をもってふれ得た演奏もまれだ。

アバドは、外面的な効果などには一切目をくれず、純音楽的アプローチを見せており、作品に秘められた作曲者のメッセージを叫びにも似た気迫で再現している。

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2010年11月15日


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C・デイヴィスによる初のシベリウス交響曲全集。フィンランド・シベリウス・メダルや仏ADFディスク大賞など、多くの国際レコード賞を受賞した。

1970年代半ばにC・デイヴィス/ボストン交響楽団で完成した全集盤の演奏は、各声部の響き合いの見通しのよさを推し進めたもので、その切り離された孤独な響きと重厚なボストン響の力強さの相乗作用に現代作曲家シベリウスの姿が重なり感動的な演奏だ。

イギリスの指揮者にはシベリウスを得意とする才能が多いが、C・デイヴィスはその最右翼というべき存在であろう。

1970年代、首席客演指揮者の関係にあったボストン交響楽団との録音の代表格がこのシベリウスである。

作品を見据える視線が熱く、あたかも作品に引き寄せられるかのような息遣いにあふれた演奏が繰り広げられており、拡がる感動の環が聴き手を温かく包み込む。

まったく恣意的なところのない堅実無比な演奏で、作品が必要とする全ての要素を満たしている。

どの曲も見事な造形で仕上げられており、表情もまさに音楽的に正統的で、偏向した感じがない。

そして堂々とした力感の充実があり、歌の魅力も充分である。

若き日の力作では、あふれるばかりの情熱と気骨をみなぎらせた骨太の演奏が圧倒的だし、第4番以降に聴く孤独と寂寥感、そして豊かな幻想性と北欧的リリシズムに心奪われる。

ボストン交響楽団の深みのある響きも、たいそう魅力的だ。

風格をもち、ほの暗く重厚な響きで、作品の北欧的な雰囲気を描き出しており、音色的豊麗さも見事というしかない。

C・デイヴィスという指揮者の最良の姿を伝えてくれる盤であると同時に、シベリウスの交響曲の最良の在りかたを伝えてくれる名盤といえよう。

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2010年11月14日


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レヴァインがまだ30歳半ばにあった頃の録音である。

1970年代はレヴァイン飛躍の時代であり、マーラーを筆頭にブラームス、シューマンの交響曲全集などもリリース、すっかり時の人となった。

ことにマーラー録音では、レヴァインは過去の慣習やしがらみから作品を解き放ち、純粋に管弦楽曲、オーケストラ曲として見据えた解釈で聴き手を新しい感動に誘い、驚かせた。

ことにここに収められた2曲は色鮮やかで、健康的であり、眼前で展開されるパノラマのような音響世界が今なお画期的だ。

レヴァインは曲の本質を素手でつかみ、思い切り生々しく聴く者の心にぶつけてくる。

共感と自信にあふれきった傑作だ。

レヴァインのマーラーは、現代的なシャープな感覚美に貫かれており、分析的である反面、オーケストラをのびのびと歌わせ、強い推進力と躍動感をもって曲を進めていくので、ヒューマンなあたたかさがみなぎる。

この「巨人」と「悲劇的」もその例にもれず、かなりの自己主張をしているものの、音楽的には手作りの素朴さのようなものを残している。

いかにもアメリカ人らしい楽天性と解放感をもったマーラーで、演奏全体はまろやかな感触で水平によく流れ、特に抒情的な部分は極めて美しい。

やや楽天的かもしれないが、マーラー作品がもつオーケストラ音楽の王道としての魅力をこれほどまでに堂々と、しかも華麗に堪能させてくれる演奏は他にない。

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2010年11月13日


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ハイティンクが1985年からじっくりと時間をかけてウィーン・フィルと継続しているブルックナー交響曲の1枚である。

ハイティンクは奇をてらわない堅実な正攻法で演奏する指揮者で、ドイツ系の作品を得意としていると言えよう。

中でもブルックナーは彼の最重要なレパートリーで、1960年代から70年代初めにかけてコンセルトヘボウ管弦楽団と交響曲全集を完成している。

第8番に関しては1981年に同オケと再録音しており、これはウィーン・フィルにオケを替えての3度目の録音である。

いずれもハイティンクらしい整理の行き届いた誠実な演奏だが、彼は他の作品にも聴かれるように、時を経るごとに成熟度を増しており、ここでも熟成した表現が聴かれる。

録音は1995年1月、1960年代にコンセルトヘボウ管弦楽団と実現したハイティンク自身の旧全集に比べると、各楽章の演奏時間がぐっと長くなった。

きちんとこまやかな陰影を再現したみごとな仕上がりで、どこまでも厳粛に、しかも芳醇な響きでゆったりと歩んでいく音楽の風格に、ハイティンクの円熟ぶりがうかがえる。

特に個性的と言えるところはないが、模範的とも言える端正さの中に巨匠的な雄大さを伴った美しい表現が光っている。

オーケストラの、特に弦楽器のやわらかい響きとしなやかな表現は、いまさら強調するまでもないが、ハイティンクの作品への真摯な取り組みがウィーン・フィルの持てる力を最大限に引き出した幸せな例と言えよう。

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2010年11月12日


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レヴァインはシカゴ響の実力を最高度に発揮させており、ことに《オケ・コン》ではオケのソリストたちの活躍が素晴らしく、第1楽章の金管の響きや第3楽章の輝かしさは息をのむほど見事。

《弦・チェレ》では主題をきわめてリリカルに扱い、特に抒情性が強い。

2曲とも交響的であると同時に、ひとつのドラマを思わせるような起伏と躍動感があり、このような感興をもたらした演奏は他にないといってもよいだろう。

レヴァインは、生まれつきの劇場指揮者だと思う。だからどのような作品からも、ドラマを抉り出して止まない。

そしてまた、音楽のダイナミック・レンジが、途方もなく広いのも特色になっている。

特に《弦・チェレ》の第3楽章など、肺腑を抉られるような悲痛さが感じられる。

その点《オケ・コン》の方は、レヴァインのアプローチが幾分生真面目で、もう少し天衣無縫さがあれば、理想に近い名演になっていただろう。

広大なダイナミック・レンジに加えて、シカゴ響の超絶技巧のアンサンブルに支えられているので、演奏の豪快さはこの上もない。

レヴァインはバルトークの大規模な作品の中で、最も親しみやすく明るい(?)と考えられているこの作品に数々の名演奏を残してきたシカゴ響を率いて、全く異なった《オケコン》像を提示した。

確かに「楽しい」部分は楽しくやっている、ようではあるのだけれども、過度な管弦楽の効果に頼ることなく、また、ソロ・パッセージが与えられたパートの力量に頼りすぎることなく、より男性的な彫塑を試み、成功しているように思われる。

この作品がバルトークにとっての交響曲であることを認識させてくれる名盤。

やはりバルトークのこの2曲は、昔からシカゴ響の十八番的な名曲になっているのだろう。

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2010年11月11日


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1991年4月21日に81歳で亡くなったボスコフスキーの追悼盤であった。

実質的にはウィーン・フィルの名手たちの集まりであるウィーン・モーツァルト合奏団は、ボスコフスキーのリーダーシップのもと、モーツァルトの「セレナード&ディヴェルティメント全集」という記念碑的なセットをものにしている。

ウィーン・フィルのコンサートマスターを長年務めたボスコフスキー。

その彼が、同フィルの名手たちの集まりであるウィーン・モーツァルト合奏団を指揮したディスクは、肩肘張らない豊かな音楽の流れと典雅な響きが、実に耳に心地よい。

ウィーン・モーツァルト合奏団はアンサンブルが優秀なのは無論のこと、そのウィーン独特の甘美・艶麗な音色がたまらない魅力となっている。

ボスコフスキーの指揮は、速めのテンポで颯爽と運んだ現代的感覚の表現だが、さすがにモーツァルトの音楽の心をしっかりとつかんだもの。

どの曲の演奏にも、モーツァルトに対する深い愛情があふれており、実に素晴らしい。

ボスコフスキーも、合奏団のメンバーも、聴き手の耳を奪ってやろうなどとは考えずに、自然体を貫きながら、モーツァルトの愉悦を醸し出すことに成功している。

歌にあふれた演奏だが、強烈な個性を持ち合わせてない分だけ、庶民的で平和な音楽となっているのが魅力を生んでいる。

おそらく星の数ほども演奏したに違いない曲たちで、隅々まで知り尽くした演目でありながら、ここにはルーティンのかけらさえ感じない。

すべてが生き生きとしている。

セレナード&ディヴェルティメントの優麗典雅、ウィーン・モーツァルト合奏団のまろやかな響き、それにボスコフスキーの颯爽としたダンディズムが一体となって、モーツァルトを聴くことの楽しさと喜びを心ゆくまで満喫させてくれる全集である。

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2010年11月10日


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アーノンクール最新のブルックナー録音であるが、アーノンクールの円熟は疑いない。

第1楽章から、ヴィブラートを抑制したウィーン・フィルの清廉な響きの何という美しさ!

すべてのパートが透けて見えるようでいながら、ズシリとした響きの充実感も失わず、さらには、ワクワクするような愉悦感さえある。

そう、ヴァントのブルックナーになかったのは、この愉悦感かも知れない。

「第7」と違いイン・テンポで乗り切るコーダの雄大さも良い。

第2楽章、これほどベッタリと歌わない演奏も珍しい。

ことに弦で最初に奏される第2主題の斬新さは驚きだ。

まるで異次元からバロック・アンサンブルが紛れ込んだような錯覚にさえ陥る。

点描画のように重ねられていく音の断片が、ひとつの宇宙となる見事さに唖然となる。

スケルツォの愉しさが格別なのは、アーノンクールが舞曲の本質を捉えているが故であり、響きの法悦を無邪気に愉しむ心があるからだ。

フィナーレの揺るぎない構築美も、ポリフォニー音楽を知り尽くしたアーノンクールならでは。

コーダの大団円の迫力は、かつてのアーノンクールにはなかった力強さである。

「第8」での感嘆が、さらに大きなものとなった。

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2010年11月09日


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非常に充実した、聴きごたえのある演奏だ。

シノーポリの強い意思のもとに、オーケストラ、合唱団、歌手たちが一体となって作り上げたドラマが、まことに見事である。

シノーポリの指揮のもと、音楽はごく自然に、しかも彫りの深い性格的な把握と鮮やかな表情を保持しながら展開され、悲劇としての統一の中にまとめあげられている。

ことに、つぶのそろった独唱陣の歌唱はそれぞれに素晴らしく、流麗でしかも悲劇的な性格を表出したドン・アルヴァーロのカレーラス、円熟した歌唱を聴かせるカルロのブルゾン、美しく清純でのびやかな声のレオノーラのプラウライト、切れ味が鋭く個性的で卓越した歌唱の光るプレツィオシッラのバルツァなど、申し分ない。

1980年代半ばのシノーポリの登場は衝撃的だった。

ヴェルディの中でも、初期などのあまりメジャーではないオペラで聴かせたその斬れ味は、ともすれば保守的な伝統や慣習に傾きやすいイタリア・オペラの演奏に、新たな地平を開くことが期待された。

この《運命の力》も、ミトロプーロスが得意としていたことでも窺えるように、慣習的な解釈とは別の切り口から鮮烈なドラマを引き出すことの可能なオペラである。

その意味で中期以降のヴェルディ作品では、シノーポリにはうってつけのものだった。

惜しむらくは歌手陣の線が細いことだが、このあたりは複雑な要素の絡みあう、オペラという形式自体の難しさだろう。

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2010年11月08日


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急逝したイタリアの名指揮者シノーポリの初めてのオペラ録音であった。録音時37歳、1981年のウィーン国立歌劇場デビューで大成功を収めた翌年に録音された。

シノーポリは、個性的ともいえるテンポや緩急のとり方などで、まったく新鮮なヴェルディのオペラを作り出している。

シノーポリはアゴーギグを動かしながらも、ヴェルディのスコアの粗削りな音楽の中に託されたドラマのメッセージを浮かび上がらせる。

シノーポリの表現は何ともユニークで新鮮な面白さを持っており、緩急自在なテンポ、ルバートの多用などに独特のものを示すが、それらは彼の解剖学的な分析・構成によると思われ、聴きなれた因習的ヴェルディ演奏とは違う新鮮な効果を生み出している。

シノーポリの熱い血潮の洗礼を受けていない音は、1音たりともない。

恐るべき熱気と気迫、そして律動と色彩に満ち満ちた演奏は、聴き手の心に強く迫ってくる。

カプッチッリのタイトル・ロールは、圧倒的な声の威力を抑制しつつ、見事な心理ドラマを歌い上げていき、ずばぬけた声の威力と的確で雄弁な表現力で深い感動を味わわせてくれる。

ドミンゴのイズマエーレも贅沢な配役。

ディミトローヴァのアビガイレも当時を代表する存在であった。

ネステレンコのザッカリア以下歌手陣も粒揃い。

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2010年11月07日


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「デイヴィス盤こそ決定盤である」という声を耳にすることはまずないが、このように指揮者、オーケストラ、録音と三拍子そろった名盤中の名盤への正当な評価がなされないという現実はまことに悲しむべきことである。

なるほど、デイヴィスの指揮に、聴衆をアッと言わせる奇策はまったくない。

全9曲のどこもかしこも、ただただ音楽的な造型、フレーズ感と和声感、そして、適度なカンタービレがあるばかりである。

クライバーのようなスポーツ的な快感もシェルヘンのような狂気もない。

しかし、その正統的な音楽づくりの積み重ねの結果こそ非凡この上ないのである。

当たり前のことを追求し尽くしての非凡さ、というのは、まさに演奏芸術の神髄ではなかろうか。

デイヴィスの演奏は、決して真面目だけが取り柄の学術的なものでも、お題目ばかりの無味乾燥なものでもない。

そこに最大限の情熱が注がれ、どんな小さなフレーズにも瑞々しい生命が吹き込まれており、「命の脈動」が感じられる。

シュターツカペレ・ドレスデンの奥深い音色も忘れがたい。

この奥深い音色は何かというと、ひとつには歴史の詰まった音、と言えるだろう。

幾世代にもわたって受け継がれた音色、奏法の重みが、ここにある。

剛毅なベルリンとも、優美なウィーンとも違った独特の暗さ、重さが、デイヴィスの的確な道案内によって、「これぞドイツ伝統の音」というべきベートーヴェン演奏を繰り広げているのである。

また、全集として見たときの統一感も、デイヴィス盤の素晴らしさのひとつである。

番号による出来不出来はなく、録音もいずれも美しい。

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classicalmusic at 17:37コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンデイヴィス 

2010年11月06日


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エーリッヒ・クライバーはこうした新古典主義的な、端正な音楽をつくることのできる指揮者である。

これは、その好例で、やや速めのテンポで引き締まった表現を聴かせる。

これを聴くとつくづくカルロスに似ていると思う。いやカルロスがエーリッヒに似ているのだ(優美さにおいては2世が、音楽のスケールの大きさにおいては父の方が優っているように思う)。

弦の歌わせ方のしなやかさ、そこから立ち上る香気は天下一品。

メラメラと燃えさかる情熱を、きりりと引き締まった形に封じ込めたもので、実に颯爽、精悍である。

全楽章を通して演奏に漲る強烈なエネルギーと張り詰めた緊張感が凄まじく、あらゆる表現が実に明快に示されている。

全楽章を通しての劇的な構成も見事で、第一級の職人芸であると同時に優れた知性を感じさせる指揮ぶり。

バランスのとれた健全な精神がもたらす人肌の温もりとヒューマンな魅力に溢れた《英雄》だ。

1955年の録音なのにスタイルの古さをまったく感じさせないのも注目に値する。

ウィーン・フィルの冴えたアンサンブルの美しさも、この演奏の様式的な特色にふさわしい。

エーリッヒには1950年盤(コンセルトヘボウ)もあるが、演奏の質はこの盤と全く同等。

世間の評価が低いので、早めに廃盤になる恐れあり。

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classicalmusic at 16:59コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンクライバー 

2010年11月05日


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第40、41番に続くブロムシュテットのモーツァルト/交響曲シリーズ第2作。

シュターツカペレ・ドレスデンの特徴的な音質をよく示していて、柔らかな音ですすめられている。

ブロムシュテットも、この特徴を音楽面で生かすのに成功していて、角ばらない、柔らかさと滑らかさのある音楽を作っている。

両曲の両端楽章にもそういうことがいえるし、それでいて表現力は極めて豊かであり、緩徐楽章には優しさの中に特に燃えるような激しさがある。

録音のロケーションが教会ということもあるのだろうが、オーケストラの響きが若干ふわふわと聴こえる点で評価が分かれるかもしれないが、しかしブロムシュテットの表現そのものは極めて力強い。

特に《プラハ》は、堂々とリズムを刻んでゆく第1楽章の重量感といい、続くアンダンテの語り口といい、むしろ硬派の演奏になっている。

そのあと、引き締まったフィナーレがたいへん美しい。

第39番もスケールの大きな演奏だが、ここでは世界屈指のオーケストラの固有の魅力がいちだんと物を言っている。

中でも第1楽章導入部の後半やメヌエットのトリオなどには、それこそはっとするような美しい瞬間が続出する。

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2010年11月04日


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きわめて普遍的な解釈に基づいた名演で、無類の安定感と堂々とした風格をそなえている。

しかも室内楽的といえるほど純度の高いアンサンブルで仕上げているため、第1番は古典主義的な表現と洗練の極致であり、ベートーヴェン演奏のひとつの規範とさえ感じられる。

第2番は第1番との作品の質的な差を反映して、はるかに強靭かつ意志的な力強さをもった演奏である。

「英雄」は格調高く毅然とした表現だが、それだけに交響的であり、ディテールも克明である。

全体に中庸といえる解釈で、あくまでも純音楽的な表現を貫いているのも好ましい。

ハイティンクのベートーヴェンには無用な誇張や表情が一切存在しない。

その演奏は極度に練り上げられ、ほとんど室内楽的といえる純度を獲得している。

第4番は全体が毅然として楽譜に忠実に表現され、決して突進しない第4楽章の音楽的な美感は特質に値する。

「運命」は無類の風格と安定感をもった表現で、まったく普遍的といえる解釈だ。

造形的にも一部の隙もなく、作品の容姿を正確に示し、この上なく充実している。

「田園」は実にあたたかい抒情に満ちた名演だ。

深々とした情感とリズムや表情の爽やかさは、数多いこの曲の演奏でも屈指のものだろう。

柔らかい雰囲気の広がりと精妙で自然な表情がぴったりと融合しており、低弦の歌の魅力とその立体的な構成の効果も抜群だ。

第1楽章の提示部反復もそれが反復ではなく、発展という印象を与えて快い。

第7番でのハイティンクの指揮はどっしりと落ち着いたもので妥当性があり堅実そのもの。

余計な表情もいっさいなく音楽が足をしっかりと踏まえ、一歩一歩立つ所を確認しながら運んで行く。

第8番は作品の優美さを前面に押し出すよりも、交響的な性格をよく表し、各楽章の構成を分析的をいえるほど精緻に表現している。

第9番で、ハイティンクはいわゆる"祝祭的"な性格を強調することなく、全体を見通しよく、あたたかく、純音楽的に表現している。

だが、同時にスケールと豊かな風格の反映があり、終楽章の彫琢も申し分ない。

楽譜の読みは深く、伝統的様式の研究の末に、自己の解釈を完成させたという趣がここにはある。

この作品のひとつの普遍的表現といえよう。

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2010年11月03日


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モーツァルトのこの3大交響曲は、そのスコアを現実の場で再現することの難しさにおいて、名作といわれる他の交響曲のどれよりも厳しい要求を演奏者に突きつけていると考えられる。

そして、最も緻密で精巧な能力を必要とするこの3曲の再現を最高のレヴェルで実現させたトスカニーニの演奏は、まさに驚異的といえる精巧無比な名演であり、そこで描出されている不純物のない作品の姿は、何度接しても新鮮な感動を与えてくれるのである。

3曲の中では特に第39番が個性的な名演である。

トスカニーニは第1楽章序奏から、かなり速いテンポをとることで序奏と主部を有機的に関連付け、優美さが強調されがちなこの楽章の構築性を浮き彫りにするなど、実にユニークだ。

烈しく彫りの深い表現が聴き手を驚かせる第40番も、作品の精神を鋭くえぐり出した異色の名演として注目したい。

旋律が細やかに表情づけられ、流麗かつしなやかに歌われているのも魅力的で、テンポが自在に動き、曲に内在する感情の変転を見事に表している。

《ジュピター》についてはいまさらコメントを必要とすることはあるまいが、スマートで、整然として隙がない。

造形の均衡ももちろん素晴らしく、そのため説得力が強い。

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2010年11月02日


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第25番と第28番と第29番はコロンビアso.(後年の西海岸のそれではなく、ニューヨーク・フィルなどを主体とした団体)、第35番が正規のニューヨーク・フィルによる演奏。

ワルター最盛期の録音なので、演奏はいずれも充実している。

第25番は凄絶と形容したいほどの劇的な熱演で、男性的かつ非常に厳しく、ワルターのロマン主義的な本質を端的に表明している。

両端楽章の迫力はワルター以外例がなく、この曲の疾風怒涛を赤裸々に表出したものといえよう。

第2楽章の歌との対照も見事である。

また、こうした暗い作品を指揮しても、ワルターの場合は、いつも人間的なやさしさがあらわれている。

この曲におけるやさしさも絶品で、ことに第2楽章の演奏など、このオーケストラをあたたかく包みこむようなワルターの呼吸が、楽員ひとりひとりの呼吸とぴったりと合って、あたたかな音楽を生み出している。

ワルターと楽員の心と心がしっかりと結びあった、理想的な名演だ。

第28番も名演で、これだけふくよかに歌うモーツァルトも珍しい。

第29番もはつらつとした表現で、モーツァルトのひとつの理想像を実現している。

「ハフナー」もまた凄まじく、力と輝きにあふれた表現で、全曲が歌と音楽に満ちあふれた輝かしい名演である。

テンポの変動のさせ方や、ベートーヴェンのような楽器の響かせ方など、これこそアンチ・ロココである。

しかも第2楽章では、実にヒューマンなあたたかさを伝えてくれる。

モーツァルトの音楽にひそむ雄弁なドラマに着目した、いかにもワルターらしい演奏だ。

モノーラル録音なので、音の状態はよくないが、精神的な深さに惹かれるディスクである。

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2010年11月01日


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客観主義に貫かれたヴァントの指揮芸術の、ひとつの帰結というべき見事なモーツァルトがここにある。

さほど大きくない編成のオーケストラ全体が、ひとつの楽器のように美しいバランスをとって響きわたる、モダン・オーケストラによるモーツァルトのひとつの極致。

表現に無駄がないが、デュナーミクにも充分な振幅があり、適度な色気も感じられるこのモーツァルトは聴きごたえ充分である。

第39番は序奏から正攻法の解釈で、第1主題も無駄なものを全て廃した表現で、傾聴に値する演奏だ。

フィナーレは走らず、確実に始まるが、それでいて音楽の喜悦がある。

《ジュピター》の、けっしておおげさでないスケール感も特筆すべきもの。

主眼をフィナーレに置き、イン・テンポを維持しながら、多彩な対位法が明確に示され、圧倒的な迫力へと突き進む。

第40番は全体に厳しいまでの強靭な造型性に貫かれたもので、情緒的なもの、感傷的なものなどはもぐり込む隙もない。

安易に近づこうとすると、はじき飛ばされてしまいかねないような底力を持った演奏内容だ。

それでいて、出来上がった音楽は単に力強いだけの無味乾燥なものとはなっておらず、フレーズの端々に至るまで豊かな内容を持ち、堂々とした存在感を保ちえているのは、ヴァントの音楽性のしからしむるところといえるだろう。

いうならば、ますらおぶりの魅力を持った短調のモーツァルトである。

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