2011年01月
2011年01月31日
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1958年に収録された、カラスの正規スタジオ録音によるリサイタル・アルバムの名盤。
カラスのオペラ・アリア集は、種々の編集物を含めて多数発売されているが、それらの総集編ともいえる13枚組の「マリア・カラスの芸術」[EMI]も発売済。
その中で私がいちばん大切にしているのが、この「狂乱の場」である。
1957年と58年にカラス主演の復活上演がスカラ座で行なわれて大成功をおさめたドニゼッティの《アンナ・ボレーナ》からの約20分の抜粋に始まり、それに舞台では演じることなく終わったトーマの《ハムレット》と、全曲録音を残さなかったベルリーニの《海賊》からのそれぞれ狂乱の場を収めたもの。
カラスの声は既に短い絶頂期を過ぎてはいたが、それだけになお一層の入念な歌唱設計とコントロール、そして、その中に込める強い自己同化が、まるで自らの生命を削るが如き厳しさで、歌の中に込められる。
コロラトゥーラの「狂乱の場」が、声のサーカスではなく、ドラマとしての真実を描き出せるものであることを、カラスは証明してくれた。
最盛期をやや過ぎてはいたが、幸い喉の調子は最盛期並みで、カラスならではの劇的想像力と相まって、鬼気迫る感銘を呼ぶ。
カラスという存在の「凄さ」を存分に納得させてくれる1枚である。
このアルバムを聴けば、マリア・カラスがどれだけ凄い歌い手だったか、一瞬のうちにわかる。
カラスの芸術の偉大さを実感するのにまさにうってつけ、必聴のアルバムである。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2011年01月30日
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この協奏曲のディスクとして、まず最初に指折られるべきもののひとつがギレリス&セル盤である。
というと先日書いた記事の内容と矛盾するかもしれないが、以前発売されていた盤は1968年の録音にしては録音状態がパッとせず、なにかヴェールをかぶったようなモコモコした音に不満があったからである。
しかし、ここに再発されたディスクは、最新のテクノロジーを駆使して音質が改善され、ギレリスとセルの格調高く卓越した演奏が聴けるようになった。旧盤と甲乙つけがたい。
この演奏は、ピアノ独奏者の傑出した力量、指揮者の透徹したセンス、オーケストラの卓越した能力などが相まって「名盤」の名に恥じないような充実した出来ばえになっている。
もともとギレリスというピアニストは図抜けた底力をもっているのだが、ここではじつに洗練された抑制が効いており、強と弱、剛と柔、急と緩、濃と淡などの対比が鮮やかで、全体のバランスがよい。
押して出るべきところは堂々と押して出てくるし、逆に、ひくべきところは的確にひいている。
整然とした抒情的な美しさと、ベートーヴェンの音楽ならではの強靭さとが、少しも無理なく共存しているピアノといえよう。
加えて、クリーヴランド管を指揮するセルの音楽づくりが極めて緻密、かつ精密。
独奏者をときに支えたり、ときに彼と対抗したりしながら、隙のない音楽をつくりあげていく様子がなんとも見事である。
筋肉質の、ひきしまった伴奏をつけながら、そこには大輪の花が咲き出しているかのようだ。
弱奏を多用し極めて繊細・緻密にピアノを響かせるギレリス。緻密なアンサンブルで細部までキリリと見通しのよい響きを作るセル。
この《皇帝》は、過剰な身振りを削ぎ落としてちょっと室内楽的な趣がある。
ともに力量のある独奏者、指揮者、それにオーケストラが、それぞれ自分のよさをいかしながら、共通の目標である"ベートーヴェン"に向かって力を合わせようとしている。
その力の合わせ方が、ほどよく抑制がきき、確信に満ちており、とてもよい。
「壮大」に辟易した耳にはこの演奏はよく効く。
いかにも風格ある者同士(オーケストラも含めて)の共同作業という感じだ。
強靭な構成力に貫かれた造型的演奏内容である。
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2011年01月29日
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このオペラは、1980年代からオリジナル楽器を使った「ウィーン版」でカウンター・テナーにオルフェオを歌わせる上演法も増えていたが、なんと現在それらの全曲盤ディスクはほとんどカタログから消えてしまった。
それまではベルリオーズが「パリ版」のオルフェオのパートを女声のアルトに戻すなどして「ウィーン版」と「パリ版」の長所の総合を目指したものを基礎にした上演がよく行われていた。
1959年のザルツブルク音楽祭でカラヤンが指揮したライヴもその一つ。
ここでカラヤンは、入場してくるなり、拍手も鳴り止まぬうちに祝典的な序曲などを端折ってリコルディ版の凝集度を高め、いきなりエウリディーチェの新しい墓の前での嘆きの合唱から始める。
この合唱と第4曲でのその繰り返しだけはウィーン初演版、それ以外はウィーン初演版普及前の慣用版、リコルディ版をかなりカットして使って上演の密度を高めながら、後年の彼に見られた作りものの美やドラマではない、本当に心を打つ演奏を行なっている。
歌手陣では、メゾのシミオナートがオルフェオに完璧に近い発声と格調高い役づくりを見せている。
絶頂期のユリナッチのエウリディーチェ、スブレットの新進シュッティのアモールへの起用も成功し、感動的な名演を生んでいる。
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2011年01月28日
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ペローのおとぎ話集『マ・メール・ロワ』に出てくる『青ひげ公』の物語を、バルトークの友人バラージュが台本化したものに基づいて作曲されたバルトーク唯一のオペラである。
物語は、理性的で孤独な男、青ひげ公と、その男のすべてを知りたいと考える好奇心の強い若妻ユディットを中心としたもので、城の中の複雑怪奇な部屋の扉を開けるごとに夫の正体がわからなくなる妻が、最後の扉を開けたとき、夫の残忍な姿を知る、という内容。
このディスクは、1973年に事故死したハンガリー出身のケルテスによるもので、歌手たちのハンガリー語の発声法がしっかりしているところが魅力だ。
演奏は、この作品全体を支配する、暗く、幻想的な雰囲気を見事に引き出したもので、ケルテスの棒は終始鋭い。
ケルテスは精緻でたくましい音楽運びで、全体をオペラティックにまとめ上げてゆくが、その明晰極まりないドラマの世界は、強い説得力を持っている。
ケルテスは、精妙な音色的効果を神経質に鋭く描くことにより、大きなドラマティックな起伏の中に神秘的ムードを強調した点で、オペラティックな表情の濃厚な演奏である。
青ひげ公のベリーは、この役の冷たい性格をうまく表現しているし、ユディットのルートヴィヒも、好奇心旺盛な若妻が、恐怖にふるえるありさまを鬼気せまる迫力で演じている。
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2011年01月27日
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2004年6月13日、長い蜜月時代を経て2004年3月に日本フィルの音楽監督に就任した小林研一郎の就任記念演奏会の模様(サントリー・ホール)。
素晴らしいの一言。さすがはコバケンのチャイ5。その気迫と意気込みは素晴らしい。
絶妙なテンポの駆け引きを演じつつもそれが全く不自然さを感じさせない彼のバランス感覚には感服させられる。
低弦も金管も軽く吹き渡るようで、ホール感重視の音づくり。
やや冷めた印象は残るが、それでも指揮者のほとばしる情熱は伝わってくる。
第1楽章から所々でバス・トロンボーンが唸りを上げる様は圧巻であるが、やはり“コバケンも”唸りを上げその情熱がオケを奮い立たせているのが全面に現れている。
最も得意にしている曲の一つだけあって13‘35からの急速なテンポの切り返しも彼ならではといえる驚きの内容。
寡黙なソロ・ホルンに絶妙な弦のハーモニーが濃厚且つ心地良く響く第2楽章。
格調高い終楽章の響きも3分過ぎからかき鳴らされる弦の響きから急速に盛り上がり盛大なフィナーレを築き上げる。
もっとも、ライヴ故演奏上のミスはあるし、アンサンブルが乱れ気味になる個所もある。
また、コバケン特有の唸り声も入っている。だが、まるでコバケンの汗がスピーカーから飛んできてしまいそうな力強さがある。
テンポ感覚も変幻自在、超弩級の演奏だ。
“コバケン”と日本フィルの今後からますます目が離せなくなる仕上がりと言える。
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2011年01月26日
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ギレリスの最初の西側での録音は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲だった。
クリュイタンスとヴァンデルノートの指揮のパリ音楽院管弦楽団と第1番から第3番をモノーラルで入れたあと、ルートヴィヒ指揮フィルハーモニア管弦楽団と第4番と第5番をステレオで入れたものである。
ギレリスは、のちにセルともベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を残している。
だが、少なくとも第4番と第5番は、レオポルド・ルートヴィヒ指揮フィルハーモニア管弦楽団と入れた旧録音のほうが魅力的だ。
れっきとしたステレオ録音だが、ギレリスが西側で演奏をし始めた頃の録音であり、なによりも覇気に満ちた溌剌とした演奏が素晴らしい。
辣腕ピアニストのイメージはこの頃つくられたのであろうが、同時に爽やかな抒情味も欠いていないのは、とくに第4番では重要なポイントだ。
ギレリスに充分にソリスティックな活躍の余地を与えるルートヴィヒの指揮は、オペラで鍛えたドイツのカペルマイスターのそれで、今は貴重な記録だ。
《皇帝》も、第4番と同じく、覇気に満ちた溌剌とした表現、冴えわたるタッチと万全の指のコントロールを存分に聴かせてくれる。
のちのセルとの全集の影に忘れられてしまっては、あまりに惜しい若き日のギレリスの記念すべき演奏である。
また、この時代(1957年)のフィルハーモニア管弦楽団は、つねに安定した実力を誇り、ここでも、名匠ルートヴィヒと理想の協奏曲演奏を展開している。
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2011年01月25日
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サヴァリッシュ&バイエルン国立o.のブルックナー/交響曲シリーズの第1作。
サヴァリッシュはドイツ=オーストリア音楽の名匠だが、意外にも1981年10月に録音された当盤がブルックナー交響曲の初録音だった。続いて第1、9番なども録音した。
ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の音楽総監督として大きな足跡を残したサヴァリッシュは、アカデミー・コンサートと呼ばれるシンフォニー・コンサートでも牽引役をつとめた。
このディスクはそうした面での成果の一つで、素晴らしく端麗で晴朗なブルックナーである。
ブルックナーのあまり目立たない作品で彼らの持ち味を遺憾なく発揮している。
これほど知的に整理され、平衡感の強い造形を持つ演奏はLP初期以来無いといってもよいほど透徹したブルックナーで、ディテールのすみずみまで磨きつくされている。
知的なコントロールが行き届いた解釈で、作品のありのままの姿を浮き彫りにするやり方はこの指揮者特有のもの。
しかも、過度に客観的になることなく、音楽は熱気をはらんでいる。
オーケストラも全く素晴らしく、透明な響き、南ドイツ的な明るさも作品に極めて似つかわしい。
オルガンのストップを変えたときのような、金管楽器の音色の変化が絶妙なアクセントをもたらす。
ブルックナーとしてはいくぶん都会的かもしれないが、彼の音楽が国際化した現在、この録音は今後のブルックナー演奏の様式を示唆するものといえる。
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2011年01月24日
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全曲盤から序曲ほか20曲を選んだハイライト盤。
ハイライトの選曲としては、代表的なメンバーを上手に収録した大変まとまりのよいもので、全曲盤では不満のあったラミーを始めとする非ドイツ人歌手のセリフの不器用さがここでは省略され、ハイライト盤ならではの長所のみが楽しめる。
豪華な歌手陣と、緻密な合奏力を誇るアカデミー室内管を、マリナーが清潔にまとめ上げた水準の高い演奏である。
この「魔笛」は、マリナーのモーツァルト・オペラ録音の中でも白眉の出来映えで、配役の豪華さは多くの録音の中でも屈指のものだ。
マリナーの本領が遺憾なく発揮された名演で、その明るく軽やかで、しかも品のよい表現は、なんとも素敵だ。
各場面の描き方もうまく、聴いていて実に楽しい。
マリナーの演奏の中には、モーツァルトの音楽だけがもつ至純の味わいと喜びが息づいている。
軽妙で上品、暖かいユーモアや色気をまじえたマリナーの語り口はこのオペラにぴったりだ。
必要以上に深刻になりすぎず、皮肉が利きすぎず、安心して楽しめる。、
マリナーの指揮には音楽の繊細さと自在な柔軟性・自発性がある。
颯爽たるテンポ感はマリナーならではで、この音楽の美しさと楽しさを屈託ない姿で再現している。
「魔笛」が庶民的音楽劇として書かれたことを思えば、こうした愉悦的・開放的な演奏も悪くない。
ヴェテランと新鋭とをうまく組み合わせた配役も新鮮味があり、なかでもラミーの貫禄たっぷりで堂々たる威厳にみちたザラストロと、アライサの清澄純潔で甘美なタミーノが素晴らしい。
ことにステューダーの力強く輝かしい声による夜の女王は、他では聴けない存在感だ。
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2011年01月23日
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ケンプはバッハや、さらにはモーツァルトやベートーヴェンといった作曲家に対して素晴らしい解釈を繰り広げたピアニストであったが、それと並んで忘れられないのがシューベルトやシューマンといったドイツ・ロマン派の作品に対する解釈である。
ケンプはシューマンでも数々のすぐれた演奏を聴かせた。
いずれも作品に秘められた夢と幻想を、日常的な親しみの感情をもってあらわしている。
ケンプのシューマンは、どの曲を採っても作品の内奥に迫っている。
これらの演奏は、楽想への強い共感をあらわにしながら、テンポや解釈の無理を絶対にしないところが特色といえる。
至難な技巧をもって知られる曲も、表面的に空虚な音楽となることがまったくない。
彼の音楽性にはもともと夢見るような豊かなファンタジーの発露があるのだが、その特質が最高に生きたのが、シューマンのピアノ作品ではなかったろうか。
この4枚組のアルバムに含まれるどの作品を聴いていても、ケンプが心から作品に共感し、感じた歌を自由奔放に奏でているのが良く分かる。
そしてそれがまたどこまでもシューマネスクであり、同じドイツ人としての感性の共通性を感じずにはいられない。
真にロマン的な作曲家であったシューマンに対する深い理解と愛情が示された内容である。
シューマンの真髄を率直にあらわした巨匠ならではの音楽である。
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2011年01月22日
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モラヴィアの作曲家、ヤナーチェク(1854-1928)は弦楽四重奏曲を2曲作曲したが、いずれも自己告白的内容を持つ作品で、20世紀に作られた室内楽中最高傑作のひとつと見られて注目されている逸品だ。
スメタナSQの後継者と目され、常にみずみずしい感性と多感な音楽性を持つパノハSQは、これらの作品が出来上がった背景を充分に研究した上でこの2曲の録音に取り組んだという。
スメタナSQがあれほど広く日本の愛好家たちに愛されたのに比べると、その後継者たるパノハSQの知名度はまだまだ高いとは言えない。
だがどうか、彼らの音楽に静かに耳を傾けてみて欲しい。
いくらか線が細く、押しつけがましさのない地味なキャラクターではあるけれども、まことにセンスの良い、素晴らしい音楽家たちである。
パノハSQのCDは、たとえばドヴォルザークなども悪くないが、現時点でどれかひとつをとるとすればこのヤナーチェクだろう。
透明で清涼感溢れるアンサンブルの美しさにうっとりさせられる。
また38歳年下の人妻カミラを慕う作曲者の恋心に同情する激しい情熱の表出にも欠けていない。
作品も演奏内容もなぜか愛おしく、抱きしめたくなる音楽である。
巨大な空間には向かないクヮルテットだが、逆にこぢんまりしたホールなら最高、むろんCDならその点問題ない。
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2011年01月21日
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全曲ともショルティの棒の特質と相俟って、鋭い切り込みとエネルギッシュで無駄のない曲作りがひとつの魅力となっている。
説得力豊かで、かつまたヴィヴィッドな現代感覚に富んだバルトークである。
アシュケナージのピアノは、バルトークの音楽のもつ荒々しさという点では、やや物足りないが、どの曲も、きわめて洗練された美しいタッチで、表情豊かに弾きあげているところに惹かれる。
終始落ち着いた足取りで風格豊かな音楽を展開している。
輝く音色美と冴えた迫力、弱音のニュアンスはまさにアシュケナージの独壇場だ。
第1番でアシュケナージは、卓越した技巧と、ずばぬけた美しさをもった音色で、この曲をロマンティックに表現している。
豊かな心で弾きあげているあたり、いかにもこの人らしい。
第2番でもショルティの素晴らしいバックに支えられ、この曲のもつ激しい情感を見事に表出している。
第3番は第2番を上回る立派な出来で、美しい音色と、すぐれた技巧を駆使し、スケールの大きな音楽を作り上げている。
メリハリのきいたショルティのバックは唖然とするほどうまく、特筆に値する。
その中で第2番、第3番の協奏曲に特によく現われているような豊かな感情と音色美の世界、ピアニッシモの情感はまさにアシュケナージならではの持ち味であり、彼のピアノの美点が浮き彫りにされた例となっている。
それに完璧主義者としてのショルティは、これらのスコアを読み尽くし、痒いところに手が届くような、微細な部分にもスポットを当てて、曲のディテールの面白さを味わわせてくれる。
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2011年01月20日
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冒頭から、切り込みの鋭さ、果敢な音楽への取り組みが耳をとらえて放さない、若々しくユニークで鮮烈な演奏である。
代表作ゆえ名演も多いが、シェーンベルク自身があまり明瞭にしなかったシュプレヒシュティンメの実際のとらえ方は、歌手(指揮者)によってまちまちである。
プスールは暗めの声で、作品のグロテスクな陰の部分を克明に描いているが、それはシェーンベルクが指示した音程をある程度自由に解釈することによっても助長されている。
ブーレーズ2度目の録音で、ミントンがシュプレヒシュティンメの音程をかなり忠実に守った、ある意味模範的なものと聴き比べると、その違いがよく分かる。
もちろん、まったく自由というわけではないが、きわめて強い表出が要求される箇所では、大幅に逸脱することもいとわない。
第7曲「病める月」でのささやくようなアプローチも、そして同曲最後の震えるような声の扱いも、背筋が寒くなるような世界を描出するのに成功している。
バロック音楽の清新な指揮で登場したヘレヴェッヘであるが、この録音で20世紀音楽での力量もなみなみならぬものであることを証明した。
淀みながらも決して濁ることなく、冷たく、かつ青白く燃える炎のような音響を録音が見事にとらえている。
作品が再び成立時の緊張を取り戻したかのような感触には独特のものがある。
ヘレヴェッヘとは正反対のアプローチとして、繊細で美観に溢れたシェーンベルクが聴きたくなったら、ブーレーズ盤を手にしてみるのも悪くない。
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2011年01月18日
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シューマンとリストというロマン派の2人の作曲家の代表作が収められている。
録音は1995年8月。
初めてこのディスクを聴いた時、天才少年から成熟した青年音楽家への成長に目を見張った覚えがある。
演奏は自立心と気概に満ち、逞しさを増したキーシンの姿がとらえられている。
キーシンの演奏は技巧的にも音楽的にも非の打ちどころがなく、確信にみちた、スケールの大きな快演が聴かれる。
完璧な技巧と音楽性豊かな楽曲把握に支えられた安定度抜群のキーシンの演奏は、もともと年齢よりはるかに越えた成熟度を誇るものだったが、このリストとシューマンでは、それに人間的成熟が加わって、早くも或る種の円熟味さえ感じさせる。
楽器をたっぷりと美しく鳴らし切ったシューマンの《幻想曲ハ長調》では、つきることのないファンタジーを描き出す。
高度な技巧と音楽の内容が拮抗したリストの《超絶技巧練習曲》からの5曲でも、これら演奏至難な曲をしなやかな感性と非凡な名技性、豊かなスケール感をもって弾き分けている。
シューマンもリストも、キーシンの透明なタッチと卓越した音楽性が一つ一つのフレーズを明快に浮かびあがらせて、見事な名演を生み出している。
聴き終えるころには、キーシンが録音当時すでにグランドマナーを身につけた名ピアニストであったことを実感させる。
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2011年01月17日
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4種類あるスメタナSQのヤナーチェクの弦楽四重奏曲2曲のなかの3度目の録音。
成り立ちについても、解釈演奏についても、論議の的となってきた第1番は、この時からその前年に出版されたこの四重奏団のヴィオラ奏者シュカンパが徹底的に校訂し直した版が使われ、それまでの演奏に比べてテンポの緩急や強弱の対比の幅が広がり、それだけに激しい起伏に富んだ、彫りの深い音楽として響くようになっている。
とくに第3楽章がそうで、終楽章との対照も一段と明瞭になり、標題音楽的な意図がそれまで以上に明らかになっている。
こうした校訂の基本姿勢は、いちおう従来の版に従っていた第2番の解釈演奏にも、おのずから反映されている。
スメタナSQは初来日の時、このヤナーチェクを暗譜で演奏して聴衆をびっくりさせたというが、これは彼らの円熟をよく示している。
各声部が精妙に絡み合い、響きは安定し、表情は多様。
そうした中でヤナーチェク独特のヒューマニズムを感じさせる。
しかもこの作曲家が好んだモティーフの構成やリズムもはっきり打ち出している。
こうしたことはチェコの団体でなければ不可能だろう。
長年彼らが主要レパートリーとして演奏してきた作品だけに、作品自体がすでに彼らの血肉と化している。
彼らが自らの言葉で語り、訴えているかのように、あらゆる音が緻密な表情をもって息づいている。
ヤナーチェクが表現したかったドラマの世界が、暗譜演奏の興奮を伴って、いとも解明に表出されている。
1979年の実況録音も良いが、当盤の方がより精度が高い。
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2011年01月16日
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かなりゆっくりとしたテンポと厚みのある響きによるジュリーニの演奏は、モダン楽器による名演のなかでも、最も古楽器演奏の対極に立つ演奏と言えるかもしれないが、精妙な響きと表情など、モーツァルトの音楽の深さを風格豊かに表現した名演である。
この2曲の私の原点となっているのは、トスカニーニの演奏である。
トスカニーニの速めのテンポによる厳しい表現と高貴ともいえるカンタービレの美しさは絶品だからだが、同じイタリアのジュリーニはトスカニーニとは対照的ともいえる遅いテンポをとっている。
しかし、その遅めのテンポも、晩年のフリッチャイの演奏がフルトヴェングラーを連想させたのに対し、ジュリーニの場合は厳格な造型感やしなやかなカンタービレの美しさにトスカニーニとの共通点を感じる。
また、遅いテンポによりベルリン・フィルからひきだした多様な響きと微妙な表情もジュリーニ独特の高雅な魅力といえよう。
両曲とも遅めのテンポをとり、しなやかで優美に旋律を歌わせることに主眼を置いた演奏で、オーケストラの艶やかな弦の響きを生かした流麗なモーツァルトが生まれている。
演奏を支えているのは、遅いテンポ、明確な表現、旋律の悠揚とした歌、この3つの要素だ。
第40番の第1楽章は細部が明確、ポルタメント気味の表情が独自の風格を感じさせ、第2楽章では旋律の情緒性が徹底して示されている。
第3楽章のトリオの歌も魅惑的だ。
「ジュピター」もロマン派の古き良き時代を想起させる演奏で、第2楽章は声楽的そのもの、第3楽章もなめらかで息づかいが大きい。
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2011年01月15日
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モーツァルトが書いた舞曲や行進曲のすべてを網羅したこの全集は、1964年から66年にかけて録音された。
プロデューサーはエリック・スミスだ。
モーツァルトの音の文献として、この全集がもつ意義は実に大きい。
そして演奏はボスコフスキーとウィーン・モーツァルト合奏団の名コンビだから文句のつけようがない。
ここに収録された100曲ほどのメヌエット、約50曲のドイツ舞曲、そしてコントルダンス、ガヴォットといった楽曲は、主としてモーツァルトが生活の糧を得るために作曲したもので、今日では演奏される機会はきわめて少ない。
ボスコフスキーはそうした作品に光をあて、一つ一つをまるで慈しむように表現している。
ボスコフスキーの指揮は、全体に速めのテンポできびきびと運んだ現代的な表現だが、さすがにモーツァルトの音楽の心をしっかりと摑み、それぞれの曲のもつ楽しさ美しさを余すところなく表出している。
彼が指揮するウィンナ・ワルツと同様に、ここでは失われた世界への憧れが感じられる。
ウィーン・モーツァルト合奏団の甘美艶麗な音の美しさにも完全に魅了された。
その演奏は古き良き時代のウィーンにおけるモーツァルトの演奏スタイルを伝えるもので、オリジナル楽器全盛となった今日では時になまぬるく聴こえることがあるかもしれない。
しかし、ここで聴く人懐っこい魅力は何物にもかえられないだろう。
このコンビは、モーツァルトのセレナードやディヴェルティメントの全集も録音していて、これも愉悦感に満ちた素晴らしい演奏だが、マイナーなジャンルを網羅してくれたこの舞曲と行進曲の全集の有難味はまたひとしおだ。
なにせモーツァルトはダンスが大好きだった。
金のために書かれたともよく言われる晩年のおびただしい舞曲の中に、なんと優美で典雅な曲が混じっていることか。
モーツァルト好きならぜひ持っていたい全集である。
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2011年01月14日
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この1952年12月7日のベルリンでの演奏会は、同年5月に行われたメニューインを迎えてのベルリン・フィルの定期以来、ほぼ半年ぶりのベルリン復帰であり、また心配された病気回復後の演奏会ともあって、たいへん話題となったものである。
このコンサートに足を運んだ批評家のハンス・ハインツ・シットゥッケンシュミットによれば、指揮台に現れたフルトヴェングラーは、表情や歩き方にまだ病みあがりといった雰囲気を残していたということであるが、指揮を始めると、昔ながらの魔力にみちた演奏が展開され、フルトヴェングラーの健在ぶりが確認されたということである。
しかし、健康に不安をいだき、かつ父の持病でもあった難聴の兆しをおそれ始めたのか、この《エロイカ》の演奏には気宇壮大なスケール感とほとんど隣り合わせにどこか翳りのある表現も感じられるように思われる。
十分にダイナミックで逞しく、フルトヴェングラーならではの大きな息づかいといったものが一貫して流れてはいるが、演奏にみなぎる覇気や輝きあるいは前へ前へと走りこむ推進力は従来よりいささか後退している。
むしろ、ここにはそれ以上に柔和な優しさとさらに作品のもつ深みが追究された感があり、例えば第2楽章のいわゆるフーガのよる展開へと移行する部分の重く、長い間の取り方など、虚無的なばかりの寂寥感があり、そのものいわぬ気迫に圧倒されるばかりである。
いずれにしても、この演奏は、さらに一歩深みへと到達した66歳の巨匠による感動的なライヴということができよう。
ザルツブルク音楽祭での伝説的なライヴである《大フーガ》も白熱した演奏。
強固な意志を感じさせる見事な演奏で、ディテールの味わい深さも特筆に値する。
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2011年01月13日
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チョン・キョンファならではの名演だ。抜け切った天才の業といってもいい。
まだ20代のときのレコーディングだが、表現とテクニックは完全に融和し、陰影に満ちた音楽の襞を深々ととらえていくさまはただごとではない。
例によって情熱を惜しげもなく迸らせる全力投球の熱演で、誰をも自分の世界に引きずり込まずにはおかない異様なまでの説得力に満ちている。
その一途さ、激しさの向こう側に、何か言うに言われぬ神秘性を漂わせるところが、彼女のヴァイオリンのもう一つの魅力である。
それを東洋的と言って良いかどうかは難しいところとしても……。
第1番での虚無と哀切、第2番での崇高な祈り、ともに作品の核心をついた最良の演奏に違いあるまい。
第1番は抜群のテクニックでひきあげた演奏で、そのニュアンス豊かな表現には魅せられてしまう。
音楽への切り込みの深さも見事で、ことに、第2楽章の情熱的な激しさには、圧倒されてしまう。
チョン・キョンファは、第2番のもつロマンティックな情感を実に繊細に、かつ大胆に表現していて魅力的だ。
旋律の歌わせ方の美しさが抜群にうまく、緩徐楽章などうっとりとしてしまう。
ソロにぴったりと寄り添うプレヴィンの指揮も立派なもので、ここではさすがにインスピレーションを強く刺激されたようだ。
ことに第2番では、ロシア的な情緒を存分にあらわしており、見事だ。
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2011年01月12日
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これはポリーニが18歳で1960年のショパン・コンクールに優勝した直後のデビュー録音盤。
ポリーニならではの流麗なテクニックと卓越した音楽性を基盤にしたショパンである。
特別な解釈は施さず、終始しっとりとデリケートに運んでおり、力みは一切みられないが、協奏曲ともなればもうひとつの輝かしさが欲しい気もする。
クレツキの指揮は素晴らしい。
ロマンティックな情感を前面に出しており、スムーズな緩急と有機的な響きが見事だ。
特に第2楽章冒頭の雰囲気の豊かさは類例がない。
1980年代から今日に至るまでののポリーニは、すごいピアニストだとは思うけれど、いくぶん"悩める巨人"という趣がないでもない。
もちろん、芸術家によっては大いに悩むことによって生産性を増すというタイプもいるわけだけれど、ことポリーニに関しては、あまり悩みとかかわりあっていない頃のほうがよい。
少なくとも、私にとってはデビューした当時の彼の音楽性に、より魅力を感じる。
ここに聴くフレッシュな発想、直截で、屈託のないひびき、ストレートな表現力は、いま聴いても若々しい矜持があふれている。
この録音は若いポリーニがいかに完成されていたかを実証する記念碑的な演奏である。
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2011年01月11日
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ヤナーチェクの《クロイツェル・ソナタ》と《ないしょの手紙》という表題をもった2つの弦楽四重奏曲は、激しい起伏に富んだ表現主義的な作品だ。
エマーソンSQは、この曲を単なる民族的な作品として捉えることなく、現代的な厳しさを感じさせる作品として捉え、曲の核心に迫ろうとする気迫の鋭さ、内面を表現し尽くそうとする意欲の激しさなど、表現主義の世界に一歩も二歩も入りこんでいる。
作曲家ヤナーチェクの心の叫びは、そのまま彼等の叫びとなって演奏そのものに内燃しており、切々たる愛を訴える激しいスル・ポンティチェロ奏法は、各楽器に受け継がれ、作曲家の想いを託して、聴く者の心に突き刺さるように打ちこまれる。
ヤナーチェクの標題音楽としての劇的な葛藤が、精緻なアンサンブルと精妙な音色の変化で、鮮やかに浮き彫りとなり、その表現力の幅広さは、ただ驚き入るばかりだ。
エマーソンSQのメンバーは、自分たちが21世紀に生きている演奏家であることを強烈に自覚しているようだ。
彼らは、これらの作品にまさに現代的意味を与えると同時に、20世紀の作品であることを改めて知らしめたのである。
《クロイツェル・ソナタ》では、4つの楽器がきわめて強く自己主張している。
それがヤナーチェクの作曲語法やこの作品の構成を明らかにするうえで大きな力になっているのだが、加えてトルストイの小説にヒントを得た標題音楽としての劇的発展や、主人公たちの心理的葛藤までも見事に表現している。
《ないしょの手紙》も表現主義的な趣をもって開始される冒頭からもうかがえるように、内声部の表現の豊かさが見事だ。
マルティヌーも見逃せない快演。
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2011年01月09日
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ツィマーマンの初のリストで、小澤&ボストン響ともこれが初の共演であった。
第1番のツィマーマンの演奏は、アルゲリッチにほとんど遜色がない。
情熱的という点では一歩を譲るかもしれないが、彼の特質とされる音色の美しさは、数多いこの曲のCD中でも最高といっていいだろうし、その明るい響きから生ずる現代風叙情性は、この協奏曲に新しい光を当てたものということもできる。
ツィマーマンは、美しく張りつめたタッチを生かしてスケール大きな演奏を展開するとともに、ニュアンスゆたかな弱音の表現によって作品の細部まで澄んだ光を通している。
小澤の指揮ともども、さらに陰りのあるロマンもほしいが、気宇爽やかに充実している。
第1番ではソロもオーケストラも力強いし、その演奏は気迫にあふれている。
ツィマーマンのタッチは音色が明るく、透徹した響きをもっており、それは最初のアレグロ・マエストーソの優美な第2主題のひめやかな情感を反映させる。
第2番でのツィマーマンのソロも魅力的で、アルペッジョのひとつとっても繊細な表情で弾いていて、神秘的な雰囲気さえ出している。
ここでも小澤&ボストン響の見事なサポートが光っている。小澤の指揮は爽やか、かつスマートだ。
リヒテルやフランソワがともに個性的な演奏を聴かせたのに対し、ツィマーマンはピアニストとしての使命を冷静にとらえた上でのリストを再現している。
それは、ピアノという楽器がもつ限りない可能性と美しい表現力を積極的に打ち出した演奏であり、実に率直な演奏の喜びにあふれている。
決して作品の前に立ちはだかることをせず、リストそのものの世界へと自然に導く演奏であり、救いと憩いが感じられる。
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2011年01月08日
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おそらくは譜面に忠実なアプローチにより、堅実に構築されている一方、デュナーミクの幅広さがきわ立つ豪快な演奏であり、ピアニスティックな傑作にふさわしい高い演奏効果がもたらされている。
また、強奏にあっても響きは濁っておらず、音色に対するツィマーマンの繊細な感覚がうかがえる。
さらに、このリスト作品に秘められた内省的な側面ないし瞑想性についても、ツィマーマンは、奥深いところまで追求している。
ツィマーマンのすばらしいテクニックと澄んだ輝きと絶妙なニュアンスをそなえた音が最高度に生かされているとともに、作品に対する深い読みが少しの逡巡も、また誇張もなく示されている。
スリリングであるとともに、これほど美しく生き生きと安定した《ロ短調ソナタ》の演奏も珍しいだろう。
真っ正面からリストの全体像に挑みながら、道を踏みはずさないのがツィマーマンだ。
堂々たる構築性に突き進むのではなく、情念のおもむくまま、ロマン的な世界に没入するのでもない。
確かに、どこかの方向に焦点を合わせ、走ってしまうのもリストの音楽の魅力を引き出すことにはなるはずだが、あれもこれも求め、どちらも得てしまうツィマーマンに舌を巻く。
ピアノという楽器の威力を存分に示し、幅の広い演奏をつくりながら、一方で溺れんばかりにロマン的情感に浸る。
それでいながら、どこか覚めていて、調和をとる。
至極まっとうに聴こえるリストなのだが、同時に見事に成功した離れ業なのではないだろうか。
4曲の小品も傾聴に値する。
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2011年01月07日
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ムターのシベリウスはきわめて濃厚な表現で妖艶とも言える演奏である。
これは彼女が自らの演奏スタイルを切り開き新たな地平を見いだしたころの演奏で、実に能動的でドラマティックな仕上がりである。
ムターのネメつけるごとく噴き出す情のコワさと作品が内包する"女の肉体性"のようなものが共振して、なにやらたじろいでしまうほど激しく濃く情緒に絡みついて迫りくるシベリウス。
この曲の大自然の美しさや人々の純粋なエネルギーといった要素をさらに豊かに脚色し、あたかもドイツ後期ロマン派のような深い抒情的世界をつくりだしている。
多くの人が聴き慣れている曲の、コンサートで大拍手を受けるタイプの演奏とはまさに正反対のところにあるのがこれだ。
力を入れちゃいけない、泣いちゃいけない、というムターのヴァイオリンは、あくまで美しく、時には冷たい。
それだけじゃなくプレヴィン指揮のオーケストラがムターの方向をさらに先へと進ませようとしているんじゃないか、と思えるくらい。
つまり意欲とか覇気がない。
でも、聴いているうちに、聴き慣れたシベリウスでなく、こちらのシベリウスのほうがずっと自然な美しさを持っているんじゃないかという気になってくる。
シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、落ち着いて味わうべき曲である。
興奮せず、静かに聴く音楽の良さもある。
プレヴィンの没入しないエモーションも情景として就かず離れぬ肉声のモノローグ。
ドレスデン国立管のやや湿った響きもムターの演奏には最適である。
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2011年01月06日
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コープマン&アムステルダム・バロック管弦楽団のコンビによる初のハイドン:疾風怒濤期の交響曲集である。自身のチェンバロを含めて16人編成となっている。
演奏は小編成だが弦のアンサンブルは非常に密度が高く、音色の変化と表情が緊密に結びついた多彩な音楽を聴かせる。
しかも感興が明快に示されているのも素晴らしい。
したがって「哀悼」の第1楽章は魅力的だし、「告別」もテンポと表情が妥当で音楽が力強い。
第49番第1楽章には伸びやかさと素朴さがあり、第2楽章の歯切れのよい表情や、終曲の推進力の強いアンサンブルも見事だ。
コープマンのつくり出す音楽はすべて外向的で生き生きとした躍動感に満ちあふれている。
スコアに書かれた音符、デュナーミク、アーティキュレーション、すべてが一体化して最高のエネルギーが発散するよう、彼の棒は常にヴィヴィッドに動く。
ハイドンの音楽の底流に流れるウィットやアイロニーといったものが、コープマンの棒と密接にシンクロすることは想像に難くないだろう。
実際、彼のハイドン演奏は古典的な枠組みを一つの踏み台として、その中に隠されたハイドンの様々な音楽的アイデアを顕在化させていく。
《告別》等はその意味でコープマンの腕の見せ所で、ハイドンのアイデアにさらに演出を施すかの如く冴えた棒で聴かせてくれる。
思えば、当時のコンマスはモニカ・ハジェットだった。
何かに憑かれたように、激しい情熱を包み隠さないハジェットは、コープマンが中期のハイドンの短調交響曲を表現するにあたって必要な存在だったに違いない。
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2011年01月05日
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シノーポリの演奏は、このオペラのスコアに内包されていた新しい可能性を切り拓く画期的な名演だ。
始めから終わりまで、新鮮でユニークな発見と魅力に満ちている。
響きが透明で繊細。しかも思い切ったルバートや微妙なテンポの揺れによってフレーズがひとつひとつ生き生きと呼吸する。
マスカーニの音楽が同時代の印象主義、そしてさらに来るべき表現主義につながる。
シノーポリがスコアから引き出しているのは、激情と刺激にあふれた原色的・煽情的な、いわゆるヴェズリモ・オペラではなく、そうした外面的衣裳の内側にあるマスカーニの音楽自体の美しさだ。
オペラの分野でのシノーポリが、イタリアもので本領を発揮する人だったことを改めて実感させる切れ味鋭い名演。
透明な輝きを駆使し、スコアに内含された新たな真実を鋭いタッチで抉り出す。
そこでは自在に揺れ動くテンポがきわめて効果的。それを駆使して登場人物の心理を巧みに表現する。
緩急や強弱の幅を大きく取り、それを微妙にコントロールしながら、各場面の本質を描き出す。見事な心理学だ。
バルツァのサントゥッツァとドミンゴのトゥリッドゥが素晴らしく、この主役2人の歌に関する限り、今までの名盤のなかでもベストにあげてしかるべきだろう。
バルツァのサントゥッツァが強烈なファム・ファタール型で、男たちはドミンゴのトゥリッドゥばかりか、ポンスのアルフィオまでけっして粗野な精力家ではなく、むしろ弱さをあらわにして運命に翻弄されてゆくタイプとして表出されているのも、そうしたシノーポリの視野、解釈に見合う。
そしてインパクトある合唱が、この作品を、象徴的な近代的運命劇にまで高める。
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2011年01月04日
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テレサ・ベルガンサは、ご承知のとおり、20世紀末までわずかの老いも見せず活動を続けた"世界一のメゾ・ソプラノ"(カラヤンの言)である。
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス、モンセラート・カバリエ、ピラール・ローレンガー等々、並みいるスペインの先輩・同僚たちの中で、とりわけ人々に感動を与え、大きな説得力の源ともなるのは、ベルガンサの歌唱の精確さであろう。
常にきりりとして情に溺れないベルガンサだが、さらに私たちを感動させるのは、彼女の歌がそれでいながら少しも理知的な冷たさには陥らず、必要なだけの情緒、魂のほてりは、しっかりと伝わってくることである。
そうした芸風は、得意とするモーツァルト、ロッシーニをはじめとするオペラの数々、古今諸国の芸術歌曲にも変わりなく聴かれるが、とくに彼女の大切にしているジャンル、故国スペインの歌を手がける場合には、際立って鮮やかに現れる。
ここに選んだディスクは、彼女が1970年半ば、ギターの巨匠ナルシソ・イェペスと共演の機会を得て録音したファリャ《7つのスペイン民謡》(イェペスによるギター伴奏版)、音楽家としても才能を発揮した夭逝の名詩人ガルシア・ロルカの《13のスペイン古謡》を中心に、F・ラビーリャのピアノ伴奏によるトゥリーナ、モンサルバーチェなどの歌曲も加えたもの。
すでに言ったとおりのベルガンサならではの魅力・風味に満ちていながら、それにのみ頼らない真の芸術的歌唱に貫かれている。
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2011年01月03日
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異論の向きもあると思われるが、ここではショルティ盤を第一に推したい。
子供が手近かなものを叩いて音を出すことに純なよろこびを感ずる。そこにひびきの原点がある。
ショルティはこの子供らしい無邪気なよろこびを片時も失っていない音楽家だ。
ハイドンは一見謹厳実直だが、生涯無邪気な子供の目を失わず、その一方で賢者のバランスのとれた老練な省察も見せる。
このふたつのファクターがうまく噛み合って生まれたのがこのオラトリオだ。
曲は天地創造の現場に居合わせるわくわくするよろこびに満ち、大きなスケールで広がってゆく構成力にも欠けず、リアルな神秘感をたたえ、実に感動的だ。
ハイドンが途方もないゆたかな想像力と音楽的な才能に恵まれていたことを実感させる音楽だ。
その無邪気なよろこびと、スケールの大きな構成が見事に浸透し合っている点で、ショルティの演奏をしのぐものはない。
まるでハイドンから直接棒の振り方を教わったと思わせるほどの憑依を示している。
この「天地創造」の演奏でなによりも必要なのは、天地がはじめて開けてゆく光景に目を見張る初心の感動である。
その感動がひびきとなって聴き手に伝わって来なければ万全とはいえない。
ショルティにはその生き生きした無邪気な感動があり、その無邪気さはまたハイドン自身のいちばんの持ち味でもあった。
しかしだからといって粗雑であってよいわけではない。
ここではシカゴ交響楽団の精緻な合奏能力によって、無邪気であると同時に精妙で晴朗な演奏が実現している。
独唱陣ではラファエルのモリスが進行役にうってつけ、アダムのニムスゲルンははじめて人間に目覚めたよろこびと不安をよく出している。
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2011年01月02日
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フランスの名ピアニスト、コラールは、1970年から84年まで15年をかけて、フォーレのピアノ曲全曲録音を完成させた。
20歳代から30歳代前半のコラールの若々しさが輝き、みずみずしい感性に息づいた演奏を、ここに聴くことができる。
コラールは、その若さにもかかわらず、一本芯の通った彫りの深い演奏を行っている。
全体に、暗く沈んだ内省的な作品よりも、むしろ、明るくのびのびとした作品の方にこの人のうまさがよくあらわれている。
若手らしく、フレッシュな表情で、フォーレの作品のもつ抒情的な雰囲気を実に美しく引き出した演奏だが、曲によっては、ややコクに欠けるのが残念だ。
コラールは、音の質量よりは洗練された微妙な音楽を、輝かしい硬質の音よりはふくらみのある柔らかい音を求め、それを獲得している。
そしてこの姿勢は、表現全体にかかわってくる。
コラールがフォーレで成功を収めているのは、多分そのためだろう。
彼は、フォーレ独特の繊細な和声の綾、その色彩の微妙な変幻を、透明感のある音色と絶妙な節回しをもって美しく表現し、独自の音楽空間を作り出す。
各曲の魅力的な聴きどころをおさえたこのディスクは、フォーレのピアノ曲のスタンダードな名盤に挙げられよう。
これまでも、また今後も、この演奏を通じてフォーレに開眼する向きも多いのではないかと思われる。
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2011年01月01日
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内田光子のシューベルトは、モーツァルトと共に彼女の定評あるレパートリーとなっている。
ソナタ第21番をメインとするこのシューベルト・アルバムは、内田自身の所有するピアノを、ウィーンのムジークフェラインザールに持ち込んでの録音である。
理想の響きを探求し、音作りに打ち込んだ彼女の演奏では、音色のひとつひとつが輝きを放つが、特に弱奏の繊細な美しさは印象的である。
そして彼女は、作品と親密に対話しつつ、この長大な変ロ長調のソナタ独特の息の長い旋律線を、丹念に紡いでいる。
さらに、まるで言葉を発しているかのような叙情的な語り口で弾き進め、音楽の流れのなかに自身の感情の起伏を融合させてゆく。
この演奏を聴いていると、シューベルトが歌曲にのみ本領を発揮した叙情作家という通説に疑問を抱かざるをえなくなる。
悪夢と祈りのあいだを往復しながら果てしなく広がって行く深遠な音のドラマの世界は、ベートーヴェン後期のソナタにも比肩する。
弱音や休止符の持つ説得力でこの内田を越えるピアニストは現在ほかになさそうだ。
リヒテルの同曲の録音もこれに似た訴えがあったが、音質があまり良くなく、CDではそれが音になっていない。
内田の場合は録音が優秀で、このシューベルトの最後のソナタを収めた1枚、とりわけ安らぎと祈りに満ちた第1楽章の最初の主題の比類のない出し方を目の前で弾いているようにとらえた録音スタッフにも脱帽。
モダンのピアニストのなかでもとりわけ鋭敏な和声感覚によって、連綿とした歌とともにうつろいゆく音色の変化をしっかりととらえている。
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