2011年02月

2011年02月28日


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ミトロプーロスは20世紀の音楽を得意とし、マーラーも好んだ。1947年にはニューヨーク・フィルと、第6番の米国初演を行っている。

1960年にミラノで急逝したのも、交響曲第3番の練習中に起きた心臓発作が原因だったから、文字通りマーラー作品に殉じたといえなくもない。

問題は、彼のそうしたマーラーに示した強い共感を追体験できる良質の録音が、思ったほど多くないことだ。

セッションでは、1940年に当時の手兵・ミネアポリス響と行った「巨人」の世界初録音があるぐらい。あとは時折世に出るライヴ盤で、至芸をしのぶしかない。

この第6番でまず強烈な印象を残すのは、異常なまでの高い燃焼度だ。

切迫した気分で低弦がリズムを刻み出す第1楽章冒頭から、指揮者、オケともにテンションの高さは明白。

概してテンポは速めで、「悲劇的」な曲想を深く抉った苛烈なまでの劇的な盛り上げや、心の底からの痛切な歌い込みに、ぐいぐい引き込まれる。

渾身の力を振るったフィナーレでは、ライヴならではの凄まじいクライマックスを築き上げる。

もちろん現代音楽の名手らしく、見通しの良い造形にも欠けていない。

ミトロプーロスの熱演の陰には、マーラーが一般に広く浸透していなかった当時(1959年)、作品を聴衆に何とか広めたいという真摯な使命感があったと推察され、胸が熱くなる。

最後までパワフルな合奏を聴かせるケルン放送響の威力もさすがで、マーラー作品に潜む独特な音色をみごとに表出している。

弟子のバーンスタインに連なっていく現代のマーラー演奏を考える上でも、まことに忘れ難いドキュメントである。

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classicalmusic at 18:54コメント(2)トラックバック(0)マーラー 

2011年02月27日


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第25番は、ブリテンの高雅な趣味を感じさせる「小ト短調」である。

ブリテンは疾風怒涛のこの作を、6分から7分の力で振りながら、そこに無限のニュアンスを散りばめていく。

両端楽章は、一切力の入る場面はないのだけれど、要所要所に然るべきアクセントが置かれたり、さりげなく陰影が施されているので、充足感が満点である。

第2楽章は、夢の中に沈み込むような趣が堪らず、メヌエットはそのまま宮廷の舞踏会で奏でられるほどの優雅さだ。

第29番は、短調の「25番」で行ったことを、長調で実践すればこうなるのかという、惚れ惚れする美演である。

なんという多彩で豊富なニュアンスが通り過ぎていくことだろう。

モーツァルトの演奏に、まず求められるものは気品である。

どんな熱演であろうと、どれほど精密なアンサンブルでも、そこに気品の二文字がなければモーツァルトは沈黙してしまう。

そして、もうひとつは涙である。大声を上げて泣く涙ではない。抜けるような青空を見上げながら、あまりの美しさに頬にこぼれてしまう涙。悪い冗談に馬鹿笑いしながらも、胸の奥を濡らしている涙である。

ブリテンは、そのふたつの大事なものを生まれながらに持っている。

モーツァルトとブリテン。もし、このふたりが同時代に生きていたなら、きっと大親友になっていただろう。

この演奏は、そんなことを思わせてくれる。

「プラハ」でも、やはり大声でものを言わない演奏で、ただの1音符もメゾ・フォルテ以上強くならないのでは、と思わせるくらい奥ゆかしいアプローチながら、聴く者の心に大きな痕跡を残すという不思議な魅力を持っている。

第1楽章のコーダなど、シューリヒトやワルターがここぞとたたみ掛けていく場面ですら、ジワジワと静かな昂まり方に終始する。

しかし、ひとつひとつの音が愛おしげに奏される様は哀しいほどに美しく、全篇に涙に濡れたようなニュアンスが散りばめているのだ。

第40番も、人を驚かせるような表現は一切ないのだが、すべてのニュアンスが心に親しげに語りかけてくる。

その声に心の窓が一つひとつ開かれていく歓び!その語りかける声が、血気盛んな頃には聴こえなかった。否、聴こうともしなかったのだ。

この演奏を聴くたびに、新たな窓がひとつふたつと増えていく。

年齢を重ねることも悪いことばかりではないと思わせてくれる、素敵な演奏だ。

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classicalmusic at 02:51コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトブリテン 

2011年02月26日


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カラヤンほどシュトラウスの複雑なスコアから多彩な響きと表情をたくみにひきだすことのできた指揮者はいないだろう。

シュトラウスの作品はカラヤンが磨きあげたベルリン・フィルの高度な機能性を発揮するのにぴったりの音楽であり、またさまざまな技を凝らした表現をカラヤンはたくみな語り口で聴かせる名人芸も備えていたので、思わず「うますぎる」と感嘆してしまう。

この《ドン・キホーテ》も例外ではなく、変奏曲形式による協奏曲的な性格をもつ交響詩の魅力をほとんど完璧に表現しているし、とくにロストロポーヴィチとの共演では、チェロのソロがすこぶる雄弁であり、この技巧を凝らした作品の面白さを満喫させてくれる。

シューマンのチェロ協奏曲は、ロストロポーヴィチとバーンスタインの貴重な共演録音。

これはどなたであっても肯定してもらえると思うけれど、シューマンのチェロ協奏曲は取扱いの厄介な作品だ。

華やかさはないし、大向こうを唸らせる要素もなく、下手をするとただただ暗い音楽となってしまいかねない。

ここにおける独奏者ロストロポーヴィチと指揮者バーンスタインとは、各種の厄介な要素にしっかりと正対し、なるほどと納得しうる対処のしかたを示してくれている。

彼らの再現するシューマンは、暗い要素を必要以上に明るくするのではなく、暗さに間接照明を当てることで、暗さを重層的に把握してみせたり、暗さにも様々なグラデーションがあることも示してくれており、鮮やか。

説得力が強い。

両者の音楽性のすごさがよくわかる。

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classicalmusic at 02:10コメント(0)トラックバック(0)ロストロポーヴィチ 

2011年02月25日


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フォーレ研究の第一人者J・M・ネクトゥー他が編纂した1893年版は、もともとパート譜しか残されていない。

ヘレヴェッヘやガーディナーの同じ版の録音は、ボーイ・ソプラノではなくソプラノで〈ピエ・イエズス〉が歌われていたり、ラッター版を用いてなされていた。

しかしこのディスクでは、ネクトゥーの研究結果を検討し、ラテン語の発音についても論議を重ね、最もフォーレが望んでいたであろう形で録音がなされている。

このフルネの演奏は渋くおとなしい傾向に徹しているがゆえの地味さがマイナスに作用するケースもあろうが、その吟味され尽くした表現に宿された味わいの深さに目を向けると、この名作の最高水準の名演の一つであることが容易に理解される。

フルネのもっているフランス人としての良識が発揮された心温まる音楽が満ちあふれている。

ここではフランスのオケでないがための色彩感の乏しさなども認められるが、フルネはこの日本フォーレ協会編成によるオケの適度にくすんだ奥ゆかしいサウンドをプラスに活用し、作品の典雅な感触と内面的な感情の推移を衒いなく描き出している。

そしてフルネの語り口から漂うペダンティックな雰囲気の妙と高貴な品格は、この名作の持ち味である高貴な抒情美のさらに純化された表現をも可能たらしめているのである。

非常に丁寧な、そして妥協を許さないフルネの徹底した指揮ぶりは、気品のある整ったこのディスクからも聴き取れ、長谷川冴子氏指導の東京少年少女合唱隊による見事な女声パートも、この録音の完成度に力を添えている。

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classicalmusic at 01:53コメント(0)トラックバック(0)フォーレ 

2011年02月24日


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クライバーの自信に満ちた明快な演奏が燦然と輝く《オテロ》を生んだ。

ヴェルディが考えたのはこんな音色ではないか。

このディスクは、デル・モナコの次の世代の名オテロ歌いドミンゴがキャリアの比較的初期にライヴ録音されたもの。

オテロはテノールなら誰でもというのではなく本当に適性をもった人しか歌えない。

戦後はドラマティック・テノールのデル・モナコがひとつの世界を作ったが、次世代のドミンゴはもっとリリックな歌い方で、嫉妬に苦しむ若者を表現することに成功した。

デビュー間もないドミンゴの若々しく艶やかな声とすでに備わった表現の巧さに魅了されるし、心理描写が実にうまい。

ドミンゴは数々のオテロを録音したが、初期のこの録音は光り輝く若々しさで際立っている。

後年のより円熟を深めた歌唱も見事だが、オテロの実年齢に近いころで収録されたこのディスクにおける情熱をストレートにぶつけた役づくりはより説得力が大きい。

のちに彼の心理表現はさらに繊細に、もっと明確になるけれど、情熱を秘めてきらきら光るテノールの響きと、エネルギーとダイナミズムに満ちたクライバーの指揮との相性が素晴らしい。

共演するフレーニのデズデモナの表現力も確かで、これも明るい声と、表現力に富んだ歌唱は特筆すべき出来。

そしてカプッチッリのイアーゴがこの人らしい老練な味を出している。

当時のクライバーの若々しい音楽も作品に似つかわしい。

イタリア・オペラの最高峰を実感させる名演。

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classicalmusic at 01:37コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディクライバー 

2011年02月23日


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オーストリアの大指揮者カール・ベームほど敬愛された指揮者はいなかったように思う。

歌手たちも、演奏家も、劇場支配人もみな、真実の、厳格な、親愛なる友……とベームをたたえているからだ。

87歳の誕生日間近まで演奏活動を展開し、数えきれないほどの名演を聴かせ、必ずしも録音好きではなかったといわれるベームだが、録音でも感銘深い演奏を多数遺してくれた。

彼が最後までもっとも愛したオペラでいえば、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に2度就任しており、また1961年以後は、ベルリン・ドイツ・オペラの指揮台にたびたび登場して、その最盛期を築いた。

1963年のベルリン・ドイツ・オペラ初来日公演でも《フィガロの結婚》を指揮して伝説的名演を残したが、このアルバムは、1968年にベルリンのイエス・キリスト教会で録音されたものである。

第一級のモーツァルト指揮者といわれたベームによる傑出した名演として名高いもの。

これに先立つ《魔笛》や《ドン・ジョヴァンニ》に比べると、ベームの表現の完成度は高い。

演奏は、構築がしっかりしているうえに、全体に愉悦感にあふれていて、たいへんすばらしい。

ベームの指揮は、透徹した表現と統率の音が隅々にまで行きわたり活気にみちた華麗な音楽を生み出す。

スコアから導き出される解釈の的確さ、類いまれなテンポ感、デュナーミク、フレージング、どれをとってもすばらしく、ベームの真摯で堅固な造形のなかに、モーツァルトの魂が生き生きと息づいている。

キャストも豪華で、不世出の大歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、格調高い叙情を感じさせるグンドゥラ・ヤノヴィッツ、さらにエディト・マティスやヘルマン・プライ、タティアナ・トロヤノスらがそれぞれ持ち味をよく生かして魅力あふれる名唱を展開している。

主役の歌手たちのすこぶる個性的な歌の魅力と、キャラクターの対比の鮮やかさで、傑出した名演。

理想的なキャストで、なかなか望めない見事なモーツァルトの音の最も美しい姿が実現されている。

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classicalmusic at 18:48コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトベーム 

2011年02月22日


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小澤&ボストン響の8年ぶりのDGへの新録音で、初のフォーレだった。

メーテルランクの戯曲『ペレアスとメリザンド』のロンドン上演に際し、英女優キャンベル夫人からの依頼で書きあげた全17の曲の劇音楽のなかから、3曲をとりあげて、フォーレは組曲を作った。

のちに〈シシリエンヌ〉を加えて4曲からなる組曲にした。

近年は〈メリザンドの歌〉を入れて演奏するようにもなった。

小澤征爾の『フォーレ管弦楽名演集』に収められた《ペレアスとメリザンド》が聴きもので、小澤はデリケートな感覚で各曲を丹念にまとめあげている。

小澤の得意とするフランス音楽だけに、その描写力の卓抜さに魅せられてしまう。

美しい色彩感と抒情的な味わい、全編にただよう詩情など、この曲の魅力をあますところなく伝えている。

ことに、デリケートな感覚で流麗な旋律を心ゆくまでうたわせた〈シシリエンヌ〉など見事である。

ボストン響も、美しくまろやかにとけあった響きで、優れたアンサンブルを聴かせる。

オーケストラの繊細さや音色的推移の美しさ、豊かなリリシズムなどが生きた好演といえよう。

梢の葉を揺らす銀色の風にも似た風雅な余情を感じさせる演奏だ。

ボストン響の首席チェリスト、エスキンの弾く「夢のあとに」と「エレジー」は特に高音が美しい。

組曲「ドリー」もかなりの出来。

「パヴァーヌ」はいかにも小澤らしく流れが豊かだ。

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classicalmusic at 18:35コメント(0)トラックバック(0)フォーレ小澤 征爾 

2011年02月21日


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1992年1月のサントリーホールにおけるベルリン・フィルの来日公演のライヴ録音。

ハイフェッツやオイストラフに代表される往年の大家をはじめ、現代のクレーメルやムターまで、個性的な名演に恵まれているブラームスの協奏曲だが、このムローヴァとアバドによる贅肉のないひきしまった表現も、新鮮な魅力にあふれた完成度の高い名演である。

ムローヴァらしいひきしまった音と表現で真摯に彫りなしたブラームスであり、そうした贅肉をそぎ落としたようなソロを、アバドがベルリン・フィルをシンフォニックに鳴り響かせるとともに、このコンビならではの緻密な表現によって明敏かつこまやかに支えている。

と同時に、虚飾を排して真摯に作品に迫ったムローヴァの演奏は、ライヴらしい情熱や感興の高まりにも不足はなく、しかも細部までしなやかに抑制がきいている。

美しく澄んだ音を濃やかに冴えた表現で生かした演奏の持続力も見事で、この協奏曲から新鮮な魅力をひき出している。

ムローヴァの艶やかで透明度の高い音色の美しさもさることながら、その美音に溺れることなくブラームスの音楽の内面に迫ろうとする真摯な姿勢と情熱にも魅了される。

ドキッとするほどスポーティな身のこなし、昇りつめて高域でフレーズをくくるときのエロティックなくらいに透明な響きの艶やかさ、ときにノリを犠牲にしてまでピタリ精確にキメる技の鮮やかさ、熱狂するにはクールだが、その冴えた音の感触に耳が引き込まれる。

第2楽章の気品を感じさせる抒情の深さ、第3楽章の情熱的な高揚感と抑制がきいた表現など、ムローヴァのソロとアバド指揮ベルリン・フィルの豊かな響きと表現がぴったりと一体化し、音楽的な感興を一段と盛り上げている。

すぐれて個性的な名演というべきだろう。

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classicalmusic at 18:47コメント(0)トラックバック(0)ブラームスアバド 

2011年02月20日


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ウィーン・システムのクラリネットによる古き良きウィーン・スタイルの頂点的演奏。

録音の古さも手伝って、文字どおり伝説的レコーディングの部類に属するものだが、今ではもはや、この曲のスコアからウラッハのような音のコクと深々とした味わい、暖かい広がりを引き出す奏者はいまい。

モーツァルトのクラリネット協奏曲を語る時、必ず話題になる演奏で、半世紀以上前(1954年)のモノーラル録音が何故これほど人を惹きつけるのだろうか。

それはウラッハの演奏が自然体で、人に聴かせようとしたり、自分の個性を押し出そうとする意図がなく、それでいて音楽のさまざまな要素が見事なバランスのもとに統合されているためである。

音色は美しく、響きは柔らかく、表情も抑制されているが、それらが落ち着いた解釈と結びついて親密な雰囲気をかもし出す。

勿論、その根底にあるのはウィーンの伝統的なモーツァルトへの共感だが、ウラッハはそれを誇示することはない。

その嗜みの良さも魅力の一つである。

ここにおけるウラッハのクラリネットの優雅な響きに心ときめかさないような音楽ファンは、おそらくいないだろう。

彼が活躍したのは、今日からするとすっかりセピア色になってしまったような時代ではあるけれど、その奥床しい音楽性は少しも変色していない。

クラリネットに要求される音質がより明るく鋭くなり、感覚的で小回りのきくものへと変遷してきた現在、ウラッハの示した渋く懐の深い演奏は却って違和感を覚えさせるようになっているのかもしれないが、その分だけ逆にカルチャー・ショックのような形で我々の耳に届きもする。

この協奏曲のかつてのかくあるべき姿を彷彿させる意味でも誠に貴重な記録である。

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classicalmusic at 15:59コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2011年02月19日


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アバドとミラノ・スカラ座によるオペラ全曲の初録音。1975年の同オペラの開幕を飾ったキャストによる録音とされる。

アバドがスカラ座の音楽監督時代の最初のオペラ録音に《マクベス》を選んだのは、いかにも思慮深い指揮者らしいが、それだけ自信があったからだろう。

実際、この《マクベス》はしばらく録音から遠ざかっていたスカラ座のすばらしさを多くのファンに再認識させるとともに、ヴェルディ指揮者としてのアバドを強く印象づけたわけだが、キャストも非常に強力である。

とくにマクベスのカプッチッリをはじめ、バンクォーのギャウロフ、マクダフのドミンゴは、それぞれ個性的な役柄を見事に表現しているし、マクベス夫人のヴァーレットもうまい。

さまざまな情景や心理を鮮やかに表現しているオーケストラと合唱の多彩な表現力も聴きものである。

イタリア出身の指揮者は、アバドに限らず、やはりオペラを指揮したときが最も生き生きとした表情を見せる。

そしてオペラの領域でアバドが最も輝いていたのがスカラ座の音楽監督時代。

この時代に録音されたヴェルディ作品は、今も最上級の名に恥じない。

この《マクベス》も、それまであまり知名度の高くなかったこのオペラの真価をまざまざと知らしめたという意味で忘れられないものである。

各場面の情景さえも音で見事に浮かび上がらせる多彩な音色と表情を持つオーケストラ。各役の個性的なキャラクターを的確に押さえたキャスト。多面的な要素を見事に一つのドラマへと収斂するアバドの統率力。

どれをとっても第一級である。

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classicalmusic at 17:33コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディアバド 

2011年02月18日


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大規模な作品であるだけに、万全の名演というのは存在していないが、このショルティの旧盤は、ショルティの機能美に満ちた指揮にウィーン・フィルの味わい深い演奏が豊かな肉づきを与えている点が、大きな魅力となっている。

このオペラの成否を決める重要な2つの要素である、明快さとふくよかさをあわせ持った演奏だ。

第2幕フィナーレでの、夜中のニュルンベルクの街の大騒ぎの場面の雑然とした大アンサンブルを、音楽とドラマの感興を片時も失うことなく、整然とまとめあげているのは、このショルティの指揮の特徴を最も顕著に示した部分といえよう。

ヴァルターを歌うコロが、若々しく伸びの良い声で力演している。

ベックメッサーのヴァイクルも、甘美な声と確かな技巧で聴かせ、またハンス・ザックスのベイリーが、淡々としているが必要なものは過不足なく備えた好演だ。

ベイリーのハンス・ザックス、モルのポーグナーのバスの対比、コロのヴァルター、ダラポッツァのダヴィッドのテノールの対比もいいし、ヴァイクルのベックメッサーのブッファ的でないキャラクターも美しい。

ボーデのエヴァ、ハマリのマッダレーナも、派手さはないが、堅実な味わいを示している。

その他のマイスタージンガーたちも、いずれも高水準の演唱によって、ドラマを生き生きと描き出している。

ショルティは晩年に再び録音しているので、ウィーンでの録音はちょっと影が薄い。

しかしこの旧盤は、明快で、しかも表現力豊かなショルティの指揮と、技量抜群のウィーン・フィルの素晴らしい響きがうまく調和した明晰このうえない名演で、力強い《マイスタージンガー》なのだ。

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classicalmusic at 18:39コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーショルティ 

2011年02月17日


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精巧なアンサンブル・テクニックと合理的でザッハリヒなアプローチを武器にしたジュリアードSQ盤は、いわばフランス的な雰囲気や余情にはやや欠けるが、作品のイデアを確実につかみ出した演奏であり、そこでは、歪みのない作品像が描かれている。

彼らの知的なアプローチは、ドビュッシーでは思いがけないほどにロマンティックな表現を生んでおり、とくにファンタジーや官能美に溢れる第3楽章などは、その意外性が大きな聴きどころになっている。

一方、作品の精妙さを徹底的に追求したラヴェルは、特有の硬質で緻密なテクスチュアを巧みに捉えた演奏であり、その読みの深い対処に感服させられる。

ドビュッシーやラヴェルの音楽の表現にはフランス的エスプリが期待される。

しかし、そのエスプリ、つまり機知を言葉で説明するのは困難だ。

そこに洗練された洒脱とかヒューマニティといった要素を加えたとしても、作品に漂う香りを説明するのは難しい。

それはドイツ的なものの対極にあるのかも知れない。

調性和声に支配された論理的構築ではなく、自由な感性による豊かな色彩感であり、流麗さだろう。

それは4人の奏者の一致した音楽作りのコンセプト、響きや音色に対する繊細なバランス感覚とコントラスト感覚が不可欠となる。

ジュリアードSQはアンサンブル音楽のひとつの理想を達成している。

ウェーベルンは明晰なテクスチュアの立ち上がり、特殊奏法の異常なまでの冴え、そして身を切るようなシャープな表現等々、今もってウェーベルン演奏の極致といえるのではないか。

ジュリアードSQの演奏は、今聴いても先鋭的でドライに聴こえる。

このウェーベルンで洗礼を受けた作曲家たちも多いだろう。

現在でもひとつの規範となっているアルバムだ。

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classicalmusic at 18:34コメント(0)トラックバック(0)ジュリアードSQ 

2011年02月16日


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ブーレーズにとって2度目の《青ひげ公の城》だが、1976年のBBC交響楽団との演奏に対して、これが、バルトーク演奏に抜群のキャリアと適応性をもつシカゴ交響楽団との顔合わせであるという点に、まず注目されよう。

もちろん声楽陣も異なり、ハンガリーのポルガールにノーマンを加えた、現代きっての強烈な個性と美声を誇る2人の名歌手を主役に迎え、すこぶる性格的な歌唱が聴きものだ。

ブーレーズの精妙きわまりない音楽により、バルトークのこの作品の真髄が味わえる。

ブーレーズは、民族的というよりも、音楽をかなり緻密にとらえ、ある種の抑制とともにその流れを保ち、青ひげ公とユディットの心の動きと、7つの扉の内側に秘められた世界を、オーケストラの見事な音色的推移とともに描き出している。

その心理描写の妙、管弦楽の精緻な美しさ、さらに1時間以上のドラマを1本に紡ぎ上げる音楽的俯瞰力と持続力の素晴らしさは、まったく驚嘆に値する。

ポルガールの歌唱はやや控えめな歌いぶりの中で見事に孤独感を浮かび上がらせ、その性格描写の巧みさと母国語であるという利点も加えて、一層の冴えを見せている。

ノーマンは発声に不十分な部分もみられるが、ユディットのの情熱と不安を絶妙に歌い上げ、ドラマに対する強い共感を示す演唱を聴かせてくれる。

ノーマンはイタリア・オペラ風のニュアンスもみせるが、やはり稀少の好演だ。

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2011年02月15日


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《旅人》なんていうタイトルが付けられていて、詩などが添えられているのを別にすれば、実に見事に整った即興曲集だ。

音楽が厳しい美しさに貫かれ、演奏がそれを十全に出しているのだから、それ以上の衣裳は邪魔というもの。

しかし、ピアニスト自身がそうしたくなるほど、これらの曲には深い憂愁がたたえられている。

シューベルトは30代で死んでいるのに、どうしてこんな絶望にとらえられてしまったのだろう?

もっとも、ピリスの演奏の良さは、その絶望感や悲しさを、深く追い求めようとしないところにある。

なるほど詩を書けばこういう効用があるのか。

ぎりぎりのところで軽やかな足どりが維持され、深淵のこちら側に美がとどまる。

シューベルトのピアノ曲は、性格的小品はもとよりソナタでさえ、抒情に流されるのが世の常で、いわゆるロマンティックな演奏に傾きやすい。

女流ピアニストだけでなく、男性ピアニストもそうである。

そうした風潮のなかでピリスは、シューベルトの音楽世界を感覚的に捉えてよしとするのではなく、それを完全に自身の血肉と化した演奏を心掛けているようだ。

この《即興曲集》は、シューベルトに内在している"歌"を、ピリスが慎み深く歌い上げた演奏の典型である。

イヴ・シモンの小説の一部を引用し、シューベルトを旅人にたとえたピリスは、彼の孤独な心の旅をたどるかのように、ひとつひとつのフレーズを深々と掘り下げ、ニュアンス豊かに紡ぎ出す。

スリムな外見を支えているピリスのヒューマンな感情、それが聴き手の心を満たしてくれる。

小粒ながらピリリとした演奏がピリスの身上。その持ち味がたっぷり楽しめる。

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2011年02月14日


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古い時代から数多く録音されているフォーレの《レクイエム》の中で、フレモー盤ほど清純な演奏も少ないように思う。

音楽的な美しさと同時に深い宗教的な感情も自然に感じさせる演奏で、その点でその価値は現在でも少しも変わることがないように思う。

まず何よりも各曲のテンポ感がほぼ理想的で、音楽のあるべき姿を自然に浮き出させている。

また、管弦楽と合唱の響きが実に美しく融和し、こうした宗教曲に必要な、ヴィブラートの少ない純粋な音の響きが、この清らかな表現を可能にしている一因でもあろう。

また〈ピエ・イエズス〉をボーイ・ソプラノが歌っているが、大人のソプラノでは表現し得ない清純さがあり、それも魅力的である。

フォーレ以降に書かれた、フランスの最も有名な《レクイエム》はデュリュフレの曲ではあるまいか。

デュリュフレの《レクイエム》は第2次大戦終結後間もなくの1947年に作曲されているが、フォーレの場合と同様に父の死が作曲の動機となったもので、レコード録音は1959年に行なわれたこの作曲者自身の指揮によるものが、おそらく最初のものではないかと思う。

その後かなりあとになってからいくつかの録音が出るようになったが、いまだにこれ以上質の高い演奏はないように思われる。

やはり作曲者自身が指揮し、名オルガニストであった夫人のマリー=マドレーヌも参加した演奏は一味違う。

作曲者自身による作品の解釈という点ばかりではなく、それに見事に応えている演奏者たち、とくにフィリップ・カイヤール合唱団のすばらしさは特筆に価する。

作品もグレゴリオ聖歌を中心とする声楽部と近代フランスのモダンな響きによる管弦楽部が美しく融和している。

フォーレの《レクイエム》のクライマックスが〈ピエ・イエズス〉なら、この曲に関しては静謐な合唱で歌われる〈永遠の光〉であろうか。

フォーレにも匹敵するフランスのレクイエムの最高傑作である。

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2011年02月13日


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《影のない女》はR.シュトラウスのオペラの中でも最高傑作のひとつにあげられる名作であるにもかかわらず、多くの名歌手と大編成の優秀なオーケストラを要することから上演機会はあまり多くない。

ホフマンスタール/シュトラウスのコンビが全力を傾けた20世紀の《魔笛》とも言うべき力作だが、十全な上演が極めて難しいのと同様、ディスクでもいまだ決定盤と呼べるものがない。

そんな中で、最も様々な条件を満たしているのが、1963年、戦時中に破壊されたミュンヘンのオペラハウスが再建開場した際の記念公演のライヴ録音。

そうした特別の機会だけに、当時ドイツで当オペラを上演するにあたって考えられうる最高の配役がなされている。

トーマス、ビヨーナー、メードル、フィッシャー=ディースカウ、ボルクという主役陣に、ホッター、テッパー、若き日のファスベンダーらの脇役陣という構成は、まさに超豪華キャスト。

最近ではこれほどのものにお目にかかれない。

しかも適材適所。そして、全員が強い緊張感をもち、強い集中力で舞台に臨んでいる。

ことにトーマスの皇帝とフィッシャー=ディースカウのバラクは傑出している。

カイルベルトの劇場的感興に富んだ指揮も特筆すべきだ。

バイエルン国立歌劇場管弦楽団も気迫のこもった演奏ぶりで、この大作オペラの真価をあますところなく伝えてくれている。

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2011年02月12日


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東京二期会広報室から私宛に、

「《サロメ》の通し稽古を鑑賞していただき、ブログに取り上げていただけないかと思い、ご案内を差し上げる次第です。
通し稽古は、本来、関係者以外には非公開のものですが、今回特別にこのような機会を用意させていただきました。」

という旨のお知らせがあったので、断る理由はない、行ってみた。

通し稽古が終わった直後、最もこのブログの読者に伝えたいと思ったのが、一度だまされたと思って、二期会の《サロメ》をみに行って下さい、ということだった。

「私はオペラは嫌い」「オペラはわからない」という人はとくにみに行って下さい。

「オペラってこんなにも興味深くて面白いのか」と、今まで喰わず嫌いをしていたのが残念でたまらなくなるでしょう。

欧米ではクラシック音楽の中心はオペラである。オペラがあって初めて交響曲も協奏曲も声楽のリサイタルもあるので、豪華なオペラ・ハウスは社交の中心にもなっている。

ところがオペラ・ハウス一つない日本では、交響曲の方がクラシックのメインになっているのである。これはたいへん残念なことといえよう。

現在では日本のオペラ団の実力が上がった。ことに二期会は安心だ。

ワーグナーなどになると声の点で欧米人にはかなわないが、R.シュトラウスあたりは日本人のオペラで充分だと思う。本番は字幕付き原語(ドイツ語)上演なので分かりやすい。

この曲は第一に指揮者、そしてサロメを誰が歌うかで決まってしまう。

シュテファン・ゾルテスの指揮は、決して俗悪なものにはなっていない。東京都交響楽団の代わりを担う専門ピアニストを駆使し、室内楽的、かつまた分析的な表現法で、この作品の音構造とドラマの移ろいとを鮮やかに描き出してみせた。

ロマンティックな陶酔はここにはないが、鋭く強烈に訴えてくる演奏であった。

サロメ役は強いドラマティックな声が要求され、ヒステリックな少女としての面も表現しなくてはならない難役だが、大隅智佳子はみごとに演じきっていた。

ことに舞台で見どころなのは、サロメが最初は性の目覚めに戸惑う可愛らしい小娘として登場し、大詰めで生首を見つめながら鬼気迫る絶唱を聴かせる妖婦となるまでのドラマの展開だ。

そして最後には大きなサプライズがある。実演をお楽しみに。

ペーター・コンヴィチュニーの演出も見逃せない。芸術的、独創的の極だ。世界でも屈指の演出家だと思う。

彼は妥協を知らぬ姿勢で、演技や歌唱を細かいところにいたるまで、指導(ダメ出し)していた。

何はともあれ、二期会がコンヴィチュニーの演出で《サロメ》を上演するので、会場に足を運んでいただきたいと願う次第である。

私は《サロメ》のCDの決定盤としてベーレンスがサロメを歌うカラヤン盤をあげたいが、やはり音だけだと臨場感に乏しい。

もちろん音だけ聴いても十二分にカラヤンの《サロメ》は感動的だが、それでも舞台の魅力は絶対的である。

あくまで実演をみた人が、思い出としてCDを聴くのがオペラを観賞する最高の醍醐味ではないだろうか。

二期会のホームページ

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classicalmusic at 21:52コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウス 

2011年02月10日


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クプファー演出の《指環》を映像収録した際に、あわせて録られたサウンド・トラック的な録音。

《ラインの黄金》のみ1991年、他3作は1992年のバイロイト音楽祭でのライヴ。

私自身がこれまでにいちばん大きな感銘を受けた《指環》は、バイロイトで1988年から1992年まで続いたバレンボイムの指揮によるものである。

バレンボイム独自のグラマラスな音楽作りと、現代的な機能美の混在した演奏として、たいへん聴きごたえがある。

ベーム時代のバイロイトと比べると近年は歌手が小粒になり、ワーグナー特有のアクは希薄になった印象は否めない。

また、指揮者も独自の個性を主張するあまり、ワーグナー本来の姿を見失いがちな傾向が見られる。

そうしたなかで、ワーグナーを聴いた充実感をもっとも感じさせてくれたのが、バレンボイムの《指環》だった。

バレンボイムは強者ぞろいのバイロイトのオーケストラを緩急自在に操り、スケールの大きな音楽を作り出している。

歌手陣も、作品を味わうのに過不足のない水準を示している。

アン・エヴァンスのブリュンヒルデなど、一部に弱いキャストはあるものの、配役は録音当時望み得るベストに近い。

クプファーの演出意図にそったバレンボイムの指揮も、後へ行くほど深く曲の内面に踏み込み、後半の見せ場の数々では、CDに残されたフルトヴェングラーの歴史的名演にも迫る。

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2011年02月09日


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リヒテルが"西側"にようやくその実体をあらわし始めたのが1959年。

それまでは幻のピアニストとして封印されていた。

しかし今日では、その"幻のピアニスト"時代が録音演奏によって次々と復元されている。

本盤もそのひとつで、リヒテルが初めてプラハを訪れた際(1954年)に収録されたものである。

当時のリヒテルは39歳。この頃の彼の演奏には、何か肩で風を切る壮快さがある。

一音一音の音質の端麗さはいうまでもないが、表現にはムラがなく、一気呵成に最後までもっていく表現力は尋常ではない。

チャイコフスキーは速いテンポでぐんぐん進めつつ、たくましい打鍵でピアノ全体を鳴らしている。

思い切ったルバートで情感を盛り上げ、時にはすさまじいスピードで突進するなど、なかなかスリル満点だ。

プロコフィエフは後年のリヒテルに比べるとコクがない。

なかでは感情をこめて豪壮なクライマックスを築き上げる第2楽章が聴きものだ。

アンチェルの指揮は清らかで柔らか味もあり美しい。

身を切るようなバッハの美演、プロコフィエフの精悍なピアニズム、そしてチャイコフスキーの奔放さ!

まさに極上のリヒテルがここにある。

とくにチャイコフスキーはアンチェルの指揮ともども、ムラヴィンスキーやカラヤンとの共演盤と比べても遜色のない名演といえよう。

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2011年02月08日


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トン・コープマンのバッハ演奏は、ヴァルヒャやリヒターと比較すると装飾を含め音の扱い方一つ一つが全く異なると言っても良いほどのスタイルを持っている。

しかし、それは近年の研究成果に則った上での刺激と言えかえって楽しめる。

コープマンは古い時代の奏法の研究家としても知られるが、そのバッハ解釈の姿勢は、一言で言えばロマン的アプローチの徹底的な排除ということができる。

コープマンのメリハリの利いたバロック的表現は、旧来のロマン派的表現とは異なった、オーセンティックなバッハ演奏の典型に数えられよう。

コープマンはJ.S.バッハの音楽に対しても人一倍誠実な眼差しを注ぐ人なのだが、同時に持って生まれた才気というか、包みきれない独創性を発揮することも、演奏にあたって忘れない。

彼は、早くから得意とするオルガンで、バッハのディスクを作ってきたが、当初のうちは、表面的に感じられる表現が気にならぬではなかった。

しかし、音楽家としての経験を深めてのちは、コープマンらしさを残しながらも従来よりずっと奥行きに富んだ、意味深いバッハ演奏を世に問うようになった。

一口に言えば、それは、あまりにオーソドックスを説きすぎはしない、「現代人が演奏家と共に楽しめるバッハ」であり、しかも必要な格調や、精神の昂揚感をも失ってはいない。

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2011年02月07日


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豊かな知性と感性、超人的なレパートリーを持ち、声楽の世界を広げたF=ディースカウだが、本領はドイツ・リートではないだろうか。

そこにはこれまで耳にしたことのない柔らかな快いバリトンの響きがあり、しなやかな歌いぶりには極めて繊細な陰影が刻まれていた。

またドイツ語も美しく、このように素晴らしいリート歌手に出会えたのは初めてのことのように思えた。

ところでF=ディースカウの最も古い録音は、ビリングのピアノによる1948年1月に収録されたベルリンRIASの放送録音《冬の旅》全曲である。

F=ディースカウ22歳の時の演奏ではあるが、既に完成された技巧を備えており、みずみずしい声で率直に心情を吐露している。

後の7度に及ぶ《冬の旅》に較べてもさして遜色がない。

この録音は当時しばしば放送され、彼の名が次第に知れ渡って行った。

日本では最初ANFからCDとして発売され、その後キングから再発されたが残念なことに廃盤となったようである。

幸いなことに現在では輸入盤で入手でき、観賞に耐えうる音質である。

演奏時間は76分に及び、その後の録音のどれよりも遅いテンポが採られているのも興味深いところだ。

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2011年02月06日


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1970年生まれのパユがベルリン・フィルの首席ソロ・フルート奏者に抜擢されたのは1993年だったが、その3年後に行なわれたこの録音によりパユはフルート界待望のスター演奏家と位置づけられることになった。

ニコレ、ツェラー、ゴールウェイなど、ベルリン・フィルの歴代首席フルーティストたちが名演を残しているが、このパユのモーツァルトのフルート協奏曲集は、それだけでなく、古今の名フルート奏者たちの名演の中でも、最もみずみずしく光彩美しい演奏のひとつだろう。

これがパユのデビュー盤であったが、その演奏は少しも肩肘張ったところがなく、落ち着いた運びで美しい感興にとんだ表現をしなやかに飛翔させ、とても若々しく清新な生命感にとんでいる。

すがすがしい若葉の歌とでもいえばよいのか、パユのモーツァルトはどこをとっても清冽で、春の微風を頬に受けるような気分に誘う。

淀みがないことはもちろんだが、ただ単にサラリと表面をなぞるような演奏ではなく、もっと作品に寄り添いながら自分の歌を聴かせていく力強い充実感があり、その点が数ある若手演奏家とは異なるパユの魅力とも説得力ともなっている。

即ち、表面的な名人芸のアピールに終始するのではなく、持てる技術、音色、洗練された音楽性のすべてを駆使して作品のすばらしさを余すところなく歌い上げた至芸なのであり、あくまでも作品主体のヴィルトゥオジティを堪能させてくれるのである。

この爽快感は何度耳を傾けても色褪せない。

フルートとハープのための協奏曲は、パユのフルート、ラングラメのハープというベルリン・フィルのふたりのソロ奏者による演奏で、ともに柔らかく美しい輝きをもつフルートとハープの協奏ぶりがとても好ましい。

アバドの指揮ともども、このギャラントな作品を上品な感覚でしなやかに仕上げたよさが魅力である。

柔らかく洗練された暖かい響きと上品な色彩も魅力的で、アバド&ベルリン・フィルの柔軟な配慮の行き届いた演奏も見事である。

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2011年02月05日


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前作の後期ピアノ作品集は、おそらくは過去のブラームスのピアノ作品集のCD中最高の超名演(私見ではグールドより上)であったが、本盤も、前作ほどではないものの、素晴らしい名演である。

特に、作品117の「7つの幻想曲」は、ブラームスの最晩年の作品だけに、前作の深みのある鋭い名演に繋がるアプローチを行っている。

同曲は、複数の<カプリッチョ>と<間奏曲>で構成されているが、各曲ごとに大きく異なる楽想を、アファナシエフならではのゆったりとしたテンポで、ブラームスの心底の深淵を覗き込むような深遠なアプローチを行っている。

その深みのある情感豊かさは、同曲の過去のいかなる演奏をも凌駕するような至高・至純の高みに達していると言える。

ブラームスのバラードはショパンのそれ以上に深く文学に根ざしている。

21歳という大変若いときの作品であるだけに、却って文学や叙事詩から受けた印象がストレートに表現されていると思われる。

アファナシエフは、ちょうどヴァイオリンのクレーメルに対応するような天才肌の持ち主で、自ら小説も書く文学者でもある。

おそらく、アファナシエフ自身、ブラームスが読んだであろうヘルダーの詩集や、これらの作品にインスパイアされている原作文学などを読んでいるかもしれない。

とくに第1曲に聴かれるドラマ性やロマン主義の情熱などは、アファナシエフによって再解釈されているとはいえ、他の演奏家からは聴けない新鮮な響きで表現されている。

全体に遅いテンポ感だが、音楽が決して間のびせず、すばらしい凝集力をもっている。

ラプソディーは、ブラームスとしては比較的めまぐるしく表情が変転する楽曲であるが、アファナシエフは、ここでも単なるお祭りさわぎに終始することなく、次元の高い深みのある音楽が紡ぎだされていく。

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すこぶる豊かな響きの中でじっくりと描き上げられたブラームス最晩年の3作品。

これは凄い演奏だ。

アファナシエフの設定するテンポの遅さが手伝い、なにか途轍もなく深い精神性を感じさせる秀演となっている。

譜面に書かれた音々の意味すべてを完全に理解しきっている観の彼のピアノである。

音色の美しさにも特筆すべきところがあり、さらに作品を立体的に捉える手腕にも端倪すべからざるものがある。

アファナシエフという音楽家の耳の良さと分析力の卓越性を痛感させられる。

こうした感性豊かなブラームス演奏を聴いていると、聴き手は殆ど日常的な時間の観念を忘れてしまう。

ひとつひとつの曲が時を捨てていつまでも永劫に鳴り響いていて欲しいとさえ思えてくる。

同曲には、同じく鬼才であったグールドの超名演があったが、内容の深みや鋭さにおいて、アファナシエフに軍配があがると言っても過言ではないかもしれない。

モティーフやメロディをずたずたに解体し、音のモナドに還元して、響きと沈黙とを対比させるのがアファナシエフのスタイルだとすれば、これらブラームスの作品は、彼のもう一方のアプローチである呪術的な招魂儀式の色合いをおびている。

心のなかの空虚感は、理屈を越えた神秘的な体験によって補われる。

それはセラピーの試みであり、アファナシエフの病理的な解剖は、最終的にはこの音楽による治療を目指していると言える。

この演奏はすばらしいと同時にアファナシエフの演奏芸術をよく物語っている代表的なものと言える。

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2011年02月04日


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3人の巨匠たち(ルービンシュタイン、ハイフェッツ、ピアティゴルスキー)によるこの豪華な顔合わせのトリオは"百万ドル・トリオ"と呼ばれ、当時(1940年頃から50年頃まで)の音楽界の大きな話題になっていた。

しかし百万ドル・トリオの録音は、初めはわが国ではアメリカ的などと誤解され、なかなか真価が認められない傾向にあったが、時間を経過した現在の視点で再度接してみると、そのどれもがアンサンブルの演奏解釈の妙をきわめた格別の熱演以外の何者でもない。

欲を言えばチェロがフォイアマンでないことが惜しまれるが、あらゆる点からみてやはり桁はずれの名演である。

このラヴェルのピアノ・トリオは彼らの実力が最大限に発揮された名演の一つと筆者が確信している演奏で、彼らの録音の中でも最高位にランクされてしかるべき名演中の名演である。

ここでは歴史的に巨匠ならではの自信に満ち溢れた輝かしい表現が際立ったものになっているが、それはむしろ表面的な特徴であり、そこではそれ以上に3人の絶妙な呼吸の一致やキメ細やかなアンサンブルの妙などが光彩を放っているのである。

完璧なテクニックを駆使して輝かしく作品を語り継いでいく彼らの表現は、ゴージャスで巨匠的な魅力をふんだんに感じさせながら、細部まで熟考されつくしたアンサンブルの見事さを誇っており、さらに楽曲の把握のあり方についてもまったく隙がない。

表現のツボが見事に把握されたこの演奏にあっては、アンサンブルの密度と完成度の比類なき高さが私たちに深い感銘を与えるのだ。

チャイコフスキーも3人の円熟した芸を堪能することのできる演奏だ。

個性の強い演奏家たちの共演だが、そのアンサンブルは絶妙で、しかも格調が高い。

表面的には力強い表現力や大きなスケールが目を引く演奏であるが、その輝かしい表現は、アンサンブルとしても恐るべき次元の高さを示している。

第2楽章はピアノ優位に書かれているが、ルービンシュタインの豊かな表現力は見事だ。

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classicalmusic at 20:29コメント(0)トラックバック(0)ルービンシュタインハイフェッツ 

2011年02月03日


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ブラームスの《ヴァイオリン・ソナタ》全3曲を収めたこのアルバムで、絶妙なアンサンブルを聴かせるのは、オーギュスタン・デュメイとマリア・ジョアン・ピリス。

ヴァイオリン、ピアノとも、このところ著しい充実を如実に示した演奏の出来ばえだ。

デュメイはラテン的で洗練された表現力と包容力豊かな音楽性、磨きぬかれた美音を駆使して、上品で味わい深い音楽を語りついでいくヴァイオリニスト。

ピリスは明快なタッチによる清冽な音と響き、シャープな感受性と緻密な表現力で集中力の高い演奏を聴かせるピアニストである。

デュメイの語り口はのびやかで、細部まで神経が行き届き、ふくよかな表情が美しい。

ピリスははつらつとしており、感覚の冴えをみせ、前向きの姿勢に貫かれていて、音楽をひきしめている。

両者の呼吸の整えかたも好ましい。

デュメイとピリスはともにラテン的な感性を持ち、それが合わさって従来の重厚なイメージのブラームスの音楽を大きく塗り替えることに成功した。

しかし、注意深く耳を傾けると両者の個性はかなり異なっていることにも気付く。

洗練された表現によって美しく旋律を歌わせるデュメイに対し、ピリスのピアノはもっと磨き澄まされた切れ味の鋭さがあるのだ。

その両者の持ち味の違いが時に協奏的に個性を主張し、デュオをより重層的なものにしているのである。

本質的に異質の2人が密度の高いデュオを実現させ、個性豊かなブラームスを繰り広げている。

ブラームスの音楽の構造をしっかりと守りながら、そこに巧みに色彩を付与したこの演奏を、南の世界への憧れを抱いていたブラームスが聴いたならばきっとおおいに喜んだことだろう。

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classicalmusic at 18:37コメント(0)トラックバック(0)デュメイピリス 

2011年02月02日


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名盤ひしめく《オテロ》だが、その中にあってもっともイタリア的伝統を汲むオーソドックスなアプローチに立ちつつ、しかもこの作品の奥深さと劇的な真実性を表わし出したのが、この録音に聴くセラフィンの名指揮だろう。

セラフィンの指揮は、仕上げに粗さを残してはいるが、この名指揮者ならではの音楽的充実度を示している。

トスカニーニと並んで、イタリアの伝統的ヴェルディ解釈の重みを伝えてくれる。

イタリア・オペラらしいカンタービレ的特質と、音楽の流れに沿った自然な表現性を生かしながら、作品そのものに雄弁に語らせることによって、この傑作の本来の魅力を味わわせてくれる。

歌手も見事で、とりわけイアーゴ役のゴッビの神技とも呼べる性格表現はまさに極めつけ。

このゴッビのうまさに匹敵しうるのは、トスカニーニ盤のヴァルデンゴだけだろう。

タイトル・ロールを歌うヴィッカーズもまさにこの役柄にぴったりのドラマティックテノール。

ストレートな歌いぶりで将軍オテロの直情的な性格を捉えて、オテロの英雄的で凛とした強さと風格を常に感じさせるものがある。

また同時に、その剛直さ故にやがてイアーゴの罠に易々とはまってしまうことも予感させる歌唱と言えようか。

ヴィッカーズは作曲家への奉仕の点で、デル・モナコと決定的に違う。

男性的なその声を、愛に苦しむ将軍を表現するために柔軟に使いこなしているのだ。

やや異質だが、リザネクのデズデモナも高レヴェルの歌唱を示している。

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classicalmusic at 18:34コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディセラフィン 

2011年02月01日


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イタリア・オペラの粋とも言える傑作だから、ここにはイタリア的要素が凝縮している。

しかしこのオペラの凄さは、声の表面的な効果の向こうに、ヴェルディのオペラでも随一とも思える見事な性格表現があることだ。

その意味ではフィッシャー=ディースカウの声は非イタリア的でも、フレージングや言葉の処理、声色に託す感情の微妙さ、多彩さはまさにヴェルディが望んだものそのままではないだろうか。

フィッシャー=ディースカウのような非イタリア的なアプローチ(しかしこの表現の豊かさ!)を許す要素がこのタイトル・ロールにはある。

イタリアの声と型だけで塗り込められた演奏にはない「真実」がここにはある。

ベルゴンツィは見事な様式美とテクニックと優雅さを聴かせて王者の資格充分で、その気品ある歌唱(決して悪玉ではない)は公爵の模範。

スコットの意志力に満ちたジルダも立派。

外国人の指揮者クーベリックがリリックかつ柔軟な音楽を作っている。

クーベリックのオペラ指揮者としての優れた能力が、十全のキャストとスカラ座のオケの極めてオペラティックな表現力の雄弁さに助けられて、最上の姿で結実している。

音楽の運びが少しもダラけず、必要以上に間のびすることもなく、歌と管弦楽が一体となって、生き生きとした"人間のドラマ"を展開する。

不思議な名盤を生んだ指揮者の功績は大きい。

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