2011年05月

2011年05月31日


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朝比奈隆は、永年にわたり関西を中心に指揮活動を行なう傍ら、40年以上も前から度々ヨーロッパに足を運んで現地のオーケストラを指揮する活動を続けており、ベートーヴェンの解釈では本場のヨーロッパでも高い評価を受けていた。

このCDからも、その成果は十分に窺い知ることができる。

朝比奈らしい素朴さがあるが、音の透明度は高く、細部もよく彫琢されている。

造形も端然としてゆるぎがなく、ライヴ録音のためか次第に感興が高揚するのもよい。

しっかりした曲の構成、重要なパッセージでのテンポの運び、強弱を含めた一つ一つの音符の処理など、どれをとっても立派でさすがである。

オーケストラの音色に注目すると、新日フィルの各パートの音色は、どれをとっても華麗である。

比較的楽器の種類が少ない初期の交響曲においては、この音色がベートーヴェンの音楽美を引き出すのにプラスの作用をしている。

広々としたテンポ、大編成のオーケストラによる恰幅の良い響き、スケールの大きい堂々とした造型、悠々として迫らぬ威厳と立派な男性美、情報量の多さはこの指揮者の独壇場といえよう。

現代の流行から超然として、分厚くも情熱的なベートーヴェン像が追究されており、スコアへのアプローチはオーソドックスだが、出てきた結果は個性的という、朝比奈独特のスタイルがここにある。

このスタイルでは他の追随を許さず、もはやこのように巨匠的風格を持った指揮者は、ほとんど存在しなくなった。

全体に、重厚で力強く、スケールが大きい、極めて充実度の高い、感動的な秀演だ。

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2011年05月30日


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クリュイタンス盤は、ゲッダ、ダンジェロ、シュヴァルツコップ、デ=ロス・アンヘレス、ロンドンなどの名歌手たちの持ち味を活かした大時代的、幻想的ロマンを感じさせる名盤である。

クリュイタンスは、この大時代的なシューダン版を用いながらも、少しも鈍重にも冗長にも陥ることなく、全てほれぼれとするばかりの美しく洒落た音楽を生み出している。

そのギャラントな味わいと、洗練された美感は、CDの鮮明な音の中に甦っている。

この成功は一にも二にもクリュイタンスの精妙をきわめた指揮の功績である。

彼の洗練された感覚と素晴らしい劇的な表情が、このオペラの逸楽ムードと美を余すところなくとらえているばかりでなく、作品により大きな風格を与え、オッフェンバックの音楽の脆弱ささえ救っているのは驚くばかりである。

クリュイタンス盤の描き出す夜は官能的で暖かく、怪奇性は減退している。

そのため全体は饗宴のような豪華絢爛とした夜の雰囲気に包まれている。

3人の恋人がそれぞれ声質の異なった歌手に割りふられていることもそれにあずかっていよう。

豪華なキャスティングも素晴らしく、ゲッダのみずみずしいホフマンを始め、各歌手の持ち味も十分に生かされている。

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classicalmusic at 19:16コメント(0)トラックバック(0)クリュイタンスシュヴァルツコップ 

2011年05月29日


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フランク、ドビュッシー、ラヴェルのヴァイオリンとピアノのための名曲が収録されている。

フランクのソナタは作品がもつ多面的な魅力を余すところなく表現し尽くした名演だ。

これほど自由闊達でありながら、音楽の構成をしっかりと描き切った演奏は滅多にない。

あふれるようなファンタジーと奥行きの深い精神や熱い心を感じさせるフランクである。

数あるフランクの演奏のなかでも、最も豊かなポエジーを湛えた演奏で、ピリスの詩的雰囲気に満ちたピアノの響きに、デュメイの繊細さと力強さを併せ持つヴァイオリンが自在に絡む様は息をのむほどに美しい。

デュメイのしたたるような美しい音色にピリスのクリスタルの輝きを放つピアノが絶妙の対比を形成するとともに、高次元でひとつの統一された世界を実現している。

実に温かく透明な響きと、ときに大胆、ときに繊細な表情に満たされたピリスの含蓄豊かなピアノに包まれるようにして、デュメイも歌と情熱にあふれる演奏を心ゆくまで展開する。

それは、ヨーロッパの諸文化を統合したようなフランクの音楽にぴったりだ。

各楽章における激しく燃え上がる情念の表出も見事だ。

ドビュッシー、ラヴェルの純フランス的作品では、2人はより打ち解けた気分のなか緩急自在の表現によって聴き手を彼らのペースにひき入れる。

これほどの息の合う、また求める方向がぴったり合うアンサンブルがあろうかと思うほどの緻密で音楽性豊かな演奏を繰り広げてきたふたりの、これまた充実した内容を持つ快演である。

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2011年05月28日


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これは『ベートーヴェン・イン・ベルリン』と題した演奏をCDに収めたもので、1991年にベルリン・フィルの音楽監督に就任したアバドが、この年に初めて指揮したベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートのライヴ録音である。

《レオノーレ》序曲第3番のほかに、シェーナとアリア《おお、不実な者よ》、《合唱幻想曲》、劇音楽《エグモント》と、独唱や合唱も含む特別な音楽を集めたプログラムはとても手応えがある。

《エグモント》は死によって愛が成就する、主人公エグモント伯爵と恋人クレールヒェンの戯曲への音楽で、序曲から熱気のこもった演奏が展開される。

序曲だけが飛び抜けて名高いため、序曲だけの録音は数多くあるが、10曲からなる全曲盤を行ったのは、カラヤン、セル、マズアらだけである。

ここではアバドの献身と情熱の指揮と、それにフルに応えるベルリン・フィルの懸命の熱演によって、素晴らしい迫力で聴く者に迫ってくる。

ステューダーの歌唱は感情が乗り切っていないのが残念だが、アバドの気品ある表現とベルリン・フィルの演奏がそれを充分に補っている。

続く《おお、不実な者よ》ではステューダーが表情豊かな歌を聴かせる。

《レオノーレ》序曲第3番は壮大さと緻密さを兼ね備えた演奏で、《合唱幻想曲》はキーシンのピアノが、アバドとの息の合ったコンビを聴かせ、特に第2部での鮮やかな処理が好ましい。

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2011年05月27日


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20世紀最高のヴィオレッタ、カラスが残した8種類の全曲録音中、1958年にリスボンで歌ったライヴ録音と並んでカラス自身の出来がとくに素晴らしかったもの。

カラス演じる《椿姫》の双璧は、1955年のスカラ座ライヴと1958年のコヴェントガーデン王立歌劇場ライヴである。

両ヴィオレッタとも優劣つけ難く感動的だが、音質の点では遥かにこの録音が上である。

コヴェントガーデン王立歌劇場のライヴだけに、技術的なミスは数多く聴かれる。

歌唱の"傷"ももちろんあるが、不世出の大歌手カラスのヴィオレッタの、文字通りの絶唱をここに聴くことができる点で、この1組は大きな魅力を持っている。

カラスが歌い出すヴィオレッタの様々な感情と、デリケートな陰影の美しさこそ、まさに驚嘆に値するものだ。

第1幕冒頭の侵し難い気品、第2幕の幸せから絶望への推移、第3幕での空虚と孤独感、ヒロインのドラマを声の音色と表情だけで鮮やかに歌いつくしている。

カラスの声は陰翳に満ち、艶と表情の振幅に富んでいる。

〈そはかの人か〉の格調の高さ、かてて加えて〈さようなら過ぎ去った日よ〉の空前絶後ともいえる彫琢の深さには、今なお魂が吸いよせられる思いである。

作曲者の意図した心理の綾の生かし方も絶妙で、幕切れの素晴らしさにも心を揺さぶられる。

加えてザナージの演ずるジェルモンの格式とカンタービレの美しさも深い感動を与えてくれる。

ザナージのジェルモンの引き締まった歌唱からは風格が滲み出ており、溢れるばかりのカンタービレと知的な抑制とを両立させた見事な表現である。

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2011年05月26日


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ベームが死の直前まで完成に心砕いた映像作品。

生涯最後の録音となったベームの指揮が、最晩年の彼には珍しく気力充実した力演。

収録の完成を目前にしてベームは世を去った。

巨匠がウィーン・フィルに託した音楽の遺言となり、未完の部分については、ウィーン・フィルが指揮者なしで収録したといわれる。

ベームは1960年代はじめにザクセン州立歌劇場のアンサンブルとレコード録音を行なっており、そちらもシュトラウスのスペシャリストにふさわしい秀演だったが、《エレクトラ》という作品がもつ世紀末的な色合いを表現するにはウィーン・フィルがやはり最適だ。

全体を貫く緊張感は、当時ベームが80歳代後半だったことを考えるとにわかに信じられない。

当時、ベームがウィーン・フィルの精神的な支柱であり、楽員たちの敬愛を一身に集めていたからこそ実現した演奏だろう。

タイトルロールのレオニー・リザネクは、ベームがグルベローヴァとともに「わが娘」と呼んでかわいがった歌手のひとり。

迫真の歌と演技によって復讐の鬼と化した主人公を熱演する。

それと好対照をなすのがフィッシャー=ディースカウの醒めたオレストである。

ヴァルナイのクリテムネストラ、リゲンツァのクリソテミス、バイラーのエギストらの脇役も演技を含めた存在感の強烈さは十分だ。

ゲッツ・フリードリヒによる重厚な映像は、舞台から離れたオペラ映画として構想したもの。

フリードリヒの演出は、回想シーンの挿入などスタジオ収録の利点をフルに生かしたもので、雨が降りしきるなかで展開される凄惨な復讐劇は見応えがある。

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2011年05月25日


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この曲は、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルが初演して以来、ショスタコーヴィチの代表作となった。

そのためか、現在までビデオを含めると、彼らの演奏で、なんと12種類のディスクが発表されている。

そのなかでも、最高の演奏・録音がこの1枚である。

1973年5月の東京文化会館でのライヴだが、彼らの演奏はまさに絶好調で、冒頭からきわめて魅力的な表現である。

一分の隙もない鍛えに鍛え抜かれた音楽ともいえるが、非情に透明度が高く、そこに毅然とした精神性が示されている。

第3楽章などの透徹した表情は、もはや哲学的といってよい。

終楽章の驚くべき生命力の解放も雄渾をきわめた音楽を聴かせる。

アゴーギクも音楽的で、演奏の精度の高さは比類がない。

コーダでは1974年版の改訂をはやくも採用して遅いテンポで演奏されているが、そのため終結は感動的に高揚する。

この曲ではまず聴いてほしい演奏である。

冷徹、凄絶でありながら、芯に人間的な血の温もりの通っていることを教えてくれたNHKの録音とCD制作スタッフに感謝したい。

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classicalmusic at 16:22コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチムラヴィンスキー 

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バイロイトでは《オランダ人》は若い指揮者に任されることが多く、巨匠の域に達していたベームが指揮したのは異例のこと。

これは同時にベームが最後にバイロイトに出演した時の記録となった。

ここで彼は、ワーグナーのこの出世作にふさわしい、硬質かつ直線的な音楽づくりによって、1幕仕立ての上演を息もつかせぬばかりの緊張感で貫いている。

ベームの筋肉質で無駄のない進行は、この作品のスタイルによく合っている。

厳しさにかけては天下一品のベームに鍛えぬかれた、当時のバイロイトのオーケストラの水準も驚くばかり。

まるでオーケストラ全体が唸りをあげるように高揚していくところなど、他のオペラのオーケストラにはないものだ。

そこでは世界から腕利きのワグネリアンが集まったこのオーケストラの強みが最大限に発揮されている。

ステュアート、ジョーンズと主役2人が米英出身なのはいかにもこの時代のバイロイトらしいし、他にもリッダーブッシュらの歌手陣の水準も高い。

名合唱指揮者ピッツの薫陶を受けた驚くべき威力の合唱も、ここでは主役のひとりとして大きな役割を果たしている。

「水夫の合唱」の部分など、鮮烈きわまりない表現で、恐るべき生命力である。

質実剛健でしかも含蓄に富んだこの演奏は、《オランダ人》の解釈の一つの理想と言えるのではなかろうか。

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2011年05月24日


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ゆったり流れるように始められた音楽から「この演奏はいつもとは違う、今日はどんなところへ連れていかれるのだろう」と、そんな予感のうちに自然に音楽に集中すると、時間の感覚を失って、ただひたすらにブルックナーの永遠に身をゆだね、神秘的な信仰告白を聴き、壮大なバロック時代の英雄崇拝の心地良さにひたりきった。

最初にこのディスクを聴いたときの印象は、いつものフルトヴェングラー体験とは、様相が大きく異なっていた。

演奏の凄さに度肝を抜かれたのはもちろんだが、やはり最後にこんなブルックナーに到達していたのかという思いと、これまで円熟を語られることのなかったフルトヴェングラーの、まさに晩熟を実感した。

この演奏会を実際に聴いたノヴァコフスキーの文章があるので、紹介させていただく(『フルトヴェングラーを語る』白水社)。

「ニコライ・コンサートでの演奏でした。(……)年に一度の演奏会はウィーン音楽シーズンの頂点ともいうべきもので、久しい以前からフルトヴェングラーの主催にゆだねられておりました。普通はベートーヴェンの『第9』を演奏するのが長い伝統になっていましたが、(……)ブルックナーの『第8』が選ばれることもありました。(……)このたびは、音楽の作り方が以前とは趣が変わっていました。アゴーギクに寄りかかった緊張が和らげられ、比類のない大きな瞑想のようでした。指揮者の姿はすべてを受容する献身の器としか思えませんでした。最後に到達した明澄と円熟の境地がここに忘れがたい最晩年の様式を生み出したのです。(……)フィナーレの最後の響きがやむと、息をのむような静寂が一瞬あたりを領します。やがて人々は席から立ち上がり、フルトヴェングラーとフィルハーモニーの楽員に喝采の嵐を送るのでした」。

その後フルトヴェングラーは、ルツェルン音楽祭で、最後となったブルックナーの演奏(「第7番」)を行っているが、それこそ「人々はみな魔法でもかけられたように、すわったきりでした。エドウィン・フィッシャー、フルニエ、シュテフィ・ガイヤー、クーベリック、マイナルディ、ミュンヒンガー、その他多くの音楽家たちはほとんど試演のときから、もうそうでした。まれに見るほどに完璧な演奏でした。さながら冥界からの音信のようでした」。

最晩年のスタイルによる完成されたブルックナーだったのである。その「冥界からの音信」のようなアダージョだけでも聴いてみたかったものである。

ブルックナーの受容状況は、今日大きく様変わりした。原典主義への追従はやめて、ブルックナーの内面へと立ち向かおう。

きっとこの演奏にこそ、最高のブルックナーの「第8」を聴くであろう。

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2011年05月23日


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フルトヴェングラーは、なにを指揮しても決して急ぎすぎることがなかった。

悠揚迫らぬそのテンポは、まずは聴き手を落ち着かせるのに力を発揮したばかりでなく、さらに進んで揺るぎない信頼を勝ちとった、といっていいだろう。

これぞフルトヴェングラー人気の根源の一つ、という気がする。

この第8番では、そうした独特のグランド・デザインによりながらも、ブルックナーの楽想を生かし、音楽を生かすため、フルトヴェングラーはテンポを細かく動かし、表情に変化を与え、クレッシェンドを活用して強い緊張を生み出している。

そして表出されたブルックナーの深奥からわき起こる音楽的情熱と、深々とした祈り、見事だ。

内面的な燃焼度の高い、雄渾な演奏で、フルトヴェングラーの、その強烈な個性には圧倒されてしまう。

個性的でスケールの大きい表現だが、あまりにロマン的で、ブルックナーの素朴さよりもフルトヴェングラーの音楽を聴く感が強い。

それでもこの指揮者の芸術的ルーツが、ブルックナーと同じところにあることを理解できる自然体の表現であり、そこに演奏の魅力もあるのである。

この第3楽章アダージョの部分を聴くと、ブルックナーの音楽の雄大さ、フルトヴェングラーの表現力の息の長さ(ベルリン・フィルの器の大きさも加えるべきなのかもしれない)に、誰もが圧倒されてしまうことだろう。

われわれの日常生活で用いている単位では、とても手に負えないような雄大さであり、息の長さである。

こうした芸術活動だけに許されるような次元に接する機会が、最近はとみに少なくなってしまった。

精神的な高さと深さで、これを凌駕するような演奏はほかにない、といってよい。

聴いたあとに深い感動の残る秀演である。

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2011年05月22日


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小澤のDGへのオペラ初録音。

このオペラはいかにもホフマン好みの夜の幻想性と怪奇性に富んでいる。

オッフェンバックはその魅力を多彩に、いわば闇のかがやきとして描き出すことに成功している。

ここで最大の聴きものは、2人の主役をはじめとする多くの名歌手たちの性格的な名唱だ。

小澤は一部エーザー版を取り入れた演奏だが、ドミンゴが、第1幕やエピローグでの壮年期のホフマンと、オランピア、アントニア、ジュリエッタとのそれぞれの年代でのホフマンをどう演じわけるかが聴きどころとなろう。

またグルベローヴァが3人の女性をどう歌いわけるかも楽しみなところで、ドミンゴとの掛け合いが聴きもの。

ドミンゴはロマンティックな情熱にあふれるすぐれたホフマン像を歌い出しており、グルベローヴァの、なかでもアントニアに切なさがよく出ていて素晴らしい。

また4人の敵役を、いずれ劣らぬヴェテランたちに分担させているのも非常に成功している。

小澤の切れの良さもさることながら、この録音の成功はドミンゴとグルベローヴァに尽きよう。

ドミンゴやグルベローヴァが、どんなに上手く役を演じわけても(実際、見事に歌いわけている)2人が歌うたびに、「ああ、ドミンゴだな、グルベローヴァだな」と思わずにはいられないほど、2人の歌声は、際立って魅力的なのである。

小澤の指揮はごく常識的で無難な出来で、独自のイメージがないのが難だが、フランス国立管弦楽団の美しい響きは特筆に値する。

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2011年05月21日


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ポゴレリチの演奏は、ショパンの作品が可能性としてもっていながら、まだ誰も引き出して明らかにすることができなかった世界を、まざまざと開示しているといっても過言ではない。

単に深い味わいがあるというにとどまらず、その世界の雄大さを伝える見事な演奏だ。

しかも作品に真正面から正攻法で取り組み、各曲にミクロコスモスというよりもマクロコスモス的な存在感を主張させるのも立派だ。

ポゴレリチ最大の業績は、第7曲や第24曲などの新しい演奏解釈にある。

そこで、彼は従来のショパン演奏には決して見られなかったような荘厳さを獲得している。

また第13番では、元来のショパンらしい甘い響きも上手に再現している。

第15番(俗に言う「雨だれ」)の中間部には、変わっていて驚くというよりはむしろハッとさせるような厳粛さがある。

正直言って、この作品はポゴレリチに敵う演奏はない。

ありきたりの選択になるが、この人の弾く暗さとドラマトゥルギーにはもう頭が下がるし、音色の豊かさに圧倒される。

短調の曲でのゆっくりした部分では完全に出口のない絶望や孤独の音楽が聴ける。

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classicalmusic at 03:27コメント(0)トラックバック(0)ショパンポゴレリチ 

2011年05月20日


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このブラームスの3番はクナの得意中の得意で、いろいろ出ているCDはすべて名演だが、ここでは手に入りやすく、録音も1940年代前半のものとしては満足できるベルリン盤を挙げた。

「クナッパーツブッシュのベストCDは?」と問われれば、いろいろあるが、交響曲に限るとそれはブルックナーの8番ではなく、このブラームス3番のライヴであろう。

初めてこの演奏を耳にしたときの興奮と感動は今もって忘れられない。

フルトヴェングラーが矮小に感じられるほどの悪魔的な棒さばきで、内容も造型もあまりに巨大すぎるため、全体像が見えないような恐怖をあたえられたのである。

人間業を超えた極大のスケールと、ものすごい迫力と、曲想の彫り深い抉りが極限まで濃密に発揮されており、聴いていて戦慄を禁じ得ない。

オーソドックスな演奏を好む人には嫌われるかもしれないが、これは明らかに好き嫌いを超えており、心の底から享受できない人をみると気の毒になってしまう。

「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」は、クナがウィーン・フィルを指揮した1940年のライヴ盤が日の目を見たことを喜びたい。

そもそもこの曲は演奏が難しくよけいな表情がつけられないので、音色自体にとろけるような魅力がないとどうにもならない。

しかし、クナはまさにやりたい放題の大暴れ、しかも大成功を収めている。

とくに終曲のとてつもない超スロー・テンポ! その中で彼は遊びに遊ぶ。

クナは、たとえばワルターのように粋に運ぶことはまるで考えていないが、それでいて泥臭くなっていないのは、どこもかしこも真実だからであろう。

このディスクを聴くと、音楽創造というもののすばらしさや秘密が、つぎつぎと解明されてゆくに違いない。

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2011年05月19日


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ワーグナーの音楽は、寄せては返し、返しては寄せる波の動きを聴き手にイメージさせる点にその特徴がある。

沖合から寄せてきた漣は、みるみるうちに目の前で膨れ上がり、すべてを呑み込んだ後にさっと引いていく。

それが繰り返されると、音楽は巨大な波のうねりと化する。

「ヴォータンの別れ」においても何度となく登場する、海鳴りとともにどっと押し寄せた管弦楽の大波が、洪水のように辺りを浸食しながら轟音をあげて岩にぶつかり、飛沫となって砕け散る様は壮観でさえある。

波に身を委ねて漂っていると、だんだんと気持ちがよくなってくる。

長大な内容と膨大なエネルギーの発散にもかかわらず、ワーグナーの作品に聴き手が独特の心地よさを覚えるのは、そのせいであろう。

クナッパーツブッシュの編み出す音楽は、こうした波のイメージを的確に伝える一方で、大地の底から湧き出る源初的な響きを伴っている。

喜多尾道冬氏も指摘するように、大自然のもつ剥き出しの力を連想させる、その巨大な響きの塊は、人類が地球に登場する遥か以前から存在していたものであり、太古の時代より人類を畏怖させてきた。

クナッパーツブッシュの演奏を聴くことによって自己の存在が震撼するように感じられるのは、じつはDNAを通じて受け継がれてきた、遠い過去の記憶が蘇るせいなのかもしれない。

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2011年05月18日


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この近代フランスを代表する2つの四重奏曲の演奏は、往年のカペー以来、フランスの四重奏団が他を圧していたが、第2次大戦後はさまざまな四重奏団が個性豊かな演奏を聴かせるようになったのも時代の流れだろう。

最近でもアルバン・ベルク、エマーソン、東京クヮルテットなどが作品の多様な魅力をそれぞれ明らかにしているが、カルミナSQもその一つである。

2曲とも4つの楽器が調和した響きが見事であり、その重厚すぎたり軽すぎることのない透明な音の美しさと緻密な表情、旋律のしなやかな歌わせ方も素晴らしい。

生き生きとした生気とみずみずしい情感を豊かにたたえた洗練された表現が、とても新鮮で魅力的な演奏である。

ドビュッシーはデリケートな曲想なので、アプローチする弦楽四重奏団はつい慎重になりすぎる傾向もあるのだが、ここに聴くカルミナSQは4人全員がはつらつとしており、意欲十分。

消極的にならず、かといって雑にもならず、難曲とすがすがしく取り組んでおり、好ましい。

ラヴェルはフレッシュに発想されたものが、そのままの勢いを保って、小気味よくまとめ上げられたような演奏である。

緩急、強弱の変化への対応もスムーズで、各表現には曖昧さがない。

小型ながら、エネルギッシュな特色をもつアンサンブルと言えよう。

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2011年05月17日


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このバレンボイム、イギリス室内管によるドヴォルザークの「弦セレ」は、心のこもった演奏なので、好きである。

もしかすると「古臭い感じがする」とか「野暮ったい」と言われかねないほどの演奏なのだが、良いものは良いとしか言いようがない。

第1楽章はじつに温かい響きで始まるが、すぐにファースト・ヴァイオリンにポルタメント(意図的な音のずり上げ)すら現れる。

戦前のオーケストラならいざ知らず、1970年代の録音でポルタメントとは珍しいと思うのだが、それが陳腐ではなく感動に結びついているところに、この演奏の凄さがある。

しかも再現部の同じ箇所でも、やはり同様のポルタメントがかかるので、これはもう確信犯である。

室内管弦楽団でありながらフルオケのような分厚い響きで歌い上げていくのも、素晴らしいと思う。

第2楽章主部の憧れを感じさせる表現と、トリオのしみじみとした情感の対比はじつに鮮やか。

そして活き活きとした感動が直接伝わってくるスケルツォにおいて、最後の部分は、ちょっとテンポを落とすことによって夕映えの情景にしてしまう、心憎いばかりの表現だ。

第4楽章はまさに「夜の音楽」である。

最初はすーっと流しながら、しだいに熱い情感がこみ上げてくるところなど、じつにみごと。

聴き手はきっと、追憶の世界に引き入れられてしまうに違いない。

しかしそんな夢を吹き飛ばすようなパリッとしたフィナーレの熱狂、そして第1楽章の回想の懐かしさ、さらにプレスト鮮やかな締めくくりと、この演奏は最後まで聴き手を捉えて離さないのである。

カップリングされているチャイコフスキーの「弦セレ」も素晴らしいが、より感動的なのはこのドヴォルザークだと思う。

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2011年05月16日


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ピアノ協奏曲第2番は、バックハウスとベームの歴史的録音以上にドイツ的(しかも、ブラームスのルーツである北ドイツ的)なピアニズムを湛えた名盤が、ハンス・リヒター=ハーザーと、若き日のカラヤンとベルリン・フィルによるディスクである。

質実剛健なリヒター=ハーザーのピアノに、覇気と様式感、さらに色彩感に溢れたカラヤンの音楽性が合わさり、稀にみるドイツ的な最上級の名演奏となっている。

ブラームス本人のピアノ演奏を彷彿とさせるにふさわしい太く柔軟な指は"ブラームスの音"と呼ぶべき、強靭にして深い音をピアノから紡ぎ出していく。

音色、音楽性、リズム感といったあらゆる要素が、ブラームス演奏に対して理想的なものを持っていたリヒター=ハーザーは、その打鍵テクニックにおいても、バックハウスよりもより進化したものを持っていた。

そんな彼の残した最上の演奏のひとつが、このディスクである。

日本で評判のよいバックハウスとベームの録音よりも遥かに、ピアニスティックな完成度においても、音楽的充実感においても、この1枚のほうが優っている、と敢えて断言したい。

ヴァイオリン協奏曲は若きクレーメルの西側での初の録音で、日本でのデビュー盤となったもの。カラヤンとの共演もこれが唯一となってしまった。

ヴィブラートを抑制した透明な音ですんなりと弾いているが、そこにはなめらかな甘さや艶があり、独特の美しさを生み出している。

カラヤンの伴奏のつけ方の巧さも抜群で、遅めのテンポでじっくりと歌い上げる。

第2楽章のオーボエ・ソロなどほれぼれするほど美しい。

そして、それに乗っかるようにしてクレーメルが瑞々しい音楽を繰り広げている。

この楽章は全曲中の白眉だ。

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classicalmusic at 00:05コメント(0)トラックバック(0)ブラームスカラヤン 

2011年05月15日


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ペルルミュテールのモーツァルトは何の変哲も、衒いもない演奏。

ただ一音一音、魂を込めて、大事に大事に奏でている。

プレイエルの音色・響きが、ピアノ好きにとっては「マタタビ」だ。

「無知の知」という言葉があるが、ペルルミュテールは、音楽史上の桁外れの才能に対して、余計な手管はまったく使わない。

ひとつひとつの音符を丹念に磨きぬくということだけを、愚直なまでに追求する。

この気の遠くなる作業が、最善のテクニックとセンスで、全曲ムラなく展開される。

ペルルミュテールを語るうえで、彼がラヴェル直伝の唯一の弟子であることは、避けて通れない。

表現能力が最大級となった、20世紀のコンサートグランドのチカラを十二分に計算しつくして作曲された、ラヴェルのピアノ曲。

表現の幅という点で、史上最強といえる作品を生み出した人間から免許皆伝を受けたのは、ペルルミュテールだけである。

彼のラヴェル演奏が超一流であるのは当然なのだ。

この全集は、私たちに「ラヴェルならモーツァルトをこう弾いたかもしれない」というヴァーチャル体験を可能にする。

クラシック音楽史上最高の天才モーツァルトと、20世紀を代表する超才能ラヴェル。

その2人がもっとも愛した楽器「ピアノ」によるコラボレーション。

お互いの才能が触発されあって、いささかも侵食しあうことのないパフォーマンス……。

曲はモーツァルト。でも聞こえてくる響きは、まぎれもなく「ラヴェル的」なるもの。

そして「優しく、美しく鳴る」ことにかけては比肩するもののない、プレイエル製のピアノ。

単一楽器を楽しむうえで、むしろ理想的ともいえるモノラル録音がもっとも完成された時期にこの演奏が録音された、というのも、私たちにとって本当にラッキーだったといえる。

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classicalmusic at 00:00コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2011年05月14日


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バーンスタインの最初のオペラ録音で、彼のオペラ録音は余り多くなく、ヴェルディも当録音のみである。

1966年、ウィーン国立歌劇場での上演はセンセーションを巻き起こしたが、これはそのままのキャストの録音で、理想的な陣容といえる。

一分の隙もないアンサンブルと、清新で溌剌たる音楽表現を持った素晴らしい演奏である。

素晴らしく活力に富んだ明快な表現が、この喜劇の本質を鋭く摘出している。

バーンスタインがここで作り出した《ファルスタッフ》は、驚くべき精緻な技術と感覚によりながら、まさにこのヴェルディの音楽がそうであったように、真に卓越した表現だけがもつ自在無碍な愉悦に到達しえている。

そしてバーンスタインは音の一つ一つを熟考して練磨し、作曲者がその音に託した性格のすべてを、思い切り引き出している。

バーンスタインがウィーン・フィルとの初めての録音にこのオペラを選択したのは、この究極のアンサンブル・オペラを充分に表現できると確信したからだろう。

実際、この演奏でのバーンスタインの指揮とウィーン・フィルの表現能力は素晴らしく、英デッカによる録音もヴェルディがいかにオーケストラで多様な表現を達成しているかを鮮明に聴かせてくれる。

歌手ではタイトルロールのF=ディースカウが、ヴェルディに関する長い間の経験と研究と愛着の蓄積の上に築きあげた見事な性格表現で、歌唱全体の要を形造っている。

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classicalmusic at 15:21コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディバーンスタイン 

2011年05月13日


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1966年に《ファルスタッフ》でウィーンに乗り込み大成功を収めたバーンスタインがウィーンで次に手がけたのがこの作品。

アメリカ人の指揮する《ばらの騎士》ということで危惧する声も多かったそうだが結果は大成功。

バーンスタインはウィーン・フィルの甘美極まりない美音を自在に操りつつ、我々を陶酔境へと導いてくれる。

大変ロマンティックな雰囲気にあふれた演奏で、独唱陣にはなつかしい顔ぶれが揃えられており、初々しくチャーミングなポップのゾフィー、いかにも好色家といった感じのベリーの男爵の見事な性格表現の中にも品格を失わない音楽的実力は素晴らしい。

ルートヴィヒの元帥夫人も気品があり、シュヴァルツコップのような高貴さにはやや欠けるが、知的で表情も豊かだ。

ポップ、ジョーンズ、ドミンゴも、若々しい声の魅力とフレッシュな歌いぶりで、清々しい印象を与えてくれる。

バーンスタインの指揮もうまい。

バーンスタインは音楽の主導権をウィーン・フィルに委ね、このオーケストラのもつ独特の雄弁な劇的表現力と自発性に満ちた音楽の愉楽をフルに発揮させながら、一見自らその自然な流れにのっかった形で、要所要所の勘どころを引きしめ、あるいはたっぷりと歌わせるといった統率ぶりをみせている。

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classicalmusic at 18:33コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスバーンスタイン 

2011年05月12日


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父エーリヒ・クライバーの古典的名盤に優るとも劣らない出来映えだ。

1968年のバイエルン国立歌劇場でのR.シュトラウス《ばらの騎士》の大成功でクライバーは指揮者として世に出た。

しかし、自らレパートリーを選べるようになった1970年以降、クライバーは限られた作品しか演奏しなくなった。

そして、1982年のワーグナー《トリスタンとイゾルデ》を最後にスタジオ録音も行わなくなってしまった。

この《ばらの騎士》がライヴ録音されたのは1973年、指揮者は録音当時40過ぎということになる。

もうこの段階で、クライバーの音楽は個人の演奏様式として完成されてしまっていたのだ。

それが逆にクライバーの悲劇だったのかもしれない。

クライバーには、この後にも《ばらの騎士》のライヴ録音があるが、彼の音楽はこの1973年盤よりも先へ進めなかった。

だから、このライヴ録音はクライバーの出発点でありつつ最終地点でもあるのだ。

こんな指揮者はおそらく他にいまい。

クライバーが徐々に演奏回数を減らし、ついにはほとんど振らなくなったのは、本人が自分の限界を知っていたからではないか。

歌手陣は総じてすぐれており、クライバーチームとしてよくまとまっている。

一般論として、クライバーがスタジオ録音した演奏は慎重になりすぎていて、残念ながら本当の彼らしさに欠けることが多い。

それゆえ、市場には海賊盤が溢れているが、本人も生前時々秘密裡に来日しては、そうした海賊盤を買って行ったというから面白い。

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classicalmusic at 00:00コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスクライバー 

2011年05月11日


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まだチョン・キョンファが若いころのライヴ映像を見たことがある。

そのとき、舞台にいたヴァイオリニストは演奏が始まると激しく弓を楽器にぶつけ、身体を揺らし、髪を振り乱し、あるいは靴で床を何度も蹴った。

演奏者の顔には歓喜、恍惚、苦痛、憂鬱、安堵と、ありとあらゆる表情が浮かんだ。

それは、まるで何かにとりつかれていたといってもよかった。

筆者は、一丁のヴァイオリンが、大ホールの空間を切り刻むような、こんな空恐ろしい迫力を持っていたのかと、心底驚いたのである。

だがその後、彼女は結婚し、2度の出産を経験してから、どうにも調子がよくない。

彼女のあの凄まじさは、やはり年齢のせいだったかとあきらめかけたころの1998年、彼女はあの激しさに、途方もなく深く大きなスケールを加えた、まったくみごとな演奏を披露してくれたのだ。

そのとき、プログラムにはバッハの「G線上のアリア」があったが、このわずか5分程度の曲がなんと繊細で微妙に変化し、瞑想的な深さをたたえていたことだろう。

しかも、その公演のあとに録音されたこのアルバムには、そのときの感動がかなりの高い割合で入っている。

冒頭の「ユモレスク」だって、始まるやいなやギクリとするなまめかしい音に、胸がキュンとなってくる。

「タランテラ」も凄まじいし、有名な「ツィゴイネルワイゼン」も、これほどこまやかな表情に彩られた演奏を筆者は知らない。

彼女の新作は、過去のほとんどすべてが、予告されながら半年から2年近く延期(ないしは中止)になっていた。

ところが、このアルバムは例外的に予告通りに出た。

ある雑誌の記事によると、チョン自身も会心作だと思っているとのことである。

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classicalmusic at 19:24コメント(0)トラックバック(0)チョン・キョンファクライスラー 

2011年05月10日


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ピエール・モントゥー(1875-1964)は、最晩年まで録音活動を続けたので、幸いなことにステレオ録音が多い。

フランスの指揮者にシベリウスとは珍しいレパートリーだが、1959年、ロンドン響とのセッションも立派なステレオで残ったのがうれしい。

大家の風格は、第1楽章の冒頭から明らかだ。柔らかな弦合奏による序奏に続き、木管で第1主題が出る。力まず、流麗に旋律を歌い込むなかに、ヒューマンな温かみと聴き手を包み込む優しさが広がる。

この曲が内包する、どこか懐かしさに満ちた滋味あふれる世界に、たっぷりと浸らせてくれる。

そんな美点は、聴きどころの第3、4楽章にも共通して表れる。

スケルツォ楽章の中間部に、木管などで出る牧歌的な旋律の、そっと胸に迫るいじらしさ。アタッカで最終楽章へと続く部分の盛り上げも、自然体のまま、慈しむかのように山を築く展開が何とも好ましい。

続いて出る終楽章の第1主題は、時によってやたら速くて元気が良すぎたり、力み返っている場合がある。そんな演奏を聴かされるたび、私は少なからぬ失望を味わう。

そして思い起こすのが、懐が深いモントゥー爺の、悠揚迫らぬ棒さばきである。

全体的にやや速めのすっきりしたテンポ設定と、明るめの響きは、必要以上に演奏が重くなることを避けており、ラテン的な感性もうかがわせる。

シベリウス作品の演奏でよく言われる、北欧風の男性的な要素には、少々欠けるかもしれない。

また今日的な耳で聴けば、アンサンブルの精度などに難点を見つけることは容易だろう。

だが、そうしたマイナスを加味した上でなお、私はこの老大家晩年の逸品を、愛聴盤として示すことに、何のためらいもない。

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classicalmusic at 18:34コメント(0)トラックバック(0)シベリウスモントゥー 

2011年05月09日


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1980年代のウィーン・フィルとの録音も確かに素晴らしいのだけれど、カラヤンのドヴォルザーク演奏の典型的な表現は、その前のベルリン・フィルとの録音の方がはっきりしている。

あるがままに、という姿勢が全然なく、すべてをつくり込んだ、ある意味ではとても強引な演奏だ。

もしも、この曲にボヘミアの作曲家のどこか牧歌的な味わいを求めるとするなら、当てが外れることになる。

しかし、先入観を捨て、指揮者の美学、時代の美学の反映をそこに聴きとろうとするなら、このカラヤンとベルリン・フィルの演奏は理想的じゃないだろうか。

ことに「新世界より」はカラヤン得意の曲であるだけに、演奏には寸分の隙もなく、ベルリン・フィルの優秀な機能を駆使して、鮮やかな音楽に仕上げている。

反面、民族性の表出や古典的な造形を打ち出すことよりも、中庸の安定と演奏の洗練が重視されているようで、そのため快適な音の魅力と流暢な表情が耳に快い。

それが一種の楽天性を感じさせるのもカラヤンらしさといえるのだろう。

ドヴォルザークは田舎の作曲家なんぞじゃなく、交響曲第9番は巧みに効果を組み込んだ名曲……でもあった。

第8番でもカラヤンは、ベルリン・フィルの精巧・緻密な合奏力を駆使して、純音楽的な演奏を聴かせる。

音彩の美しさもさることながら、全曲が優雅・上品によく歌い、端正にまとめられている。

リズムは独自の浮揚性をもって躍動し、トゥッティでは十分な力感を出している。

終楽章でカラヤンは、明確なクライマックスを設定して、華麗に曲を盛り上げている。

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classicalmusic at 19:37コメント(0)トラックバック(1)ドヴォルザークカラヤン 

2011年05月08日


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クリュイタンスとパリ音楽院管弦楽団の最初で最後の来日公演は、1964年5月であった。

その中で、ベルリオーズの《幻想交響曲》と、この『ラヴェル・フェスティヴァル』が録音されたのは、実に幸いなことである。

《スペイン狂詩曲》、《マ・メール・ロワ》、《ラ・ヴァルス》、《クープランの墓》、《亡き王女のためのパヴァーヌ》、《ダフニスとクロエ》第2組曲というプログラムで、そのすべてがすばらしい演奏だ。

どの曲でもクリュイタンスの端正で想像力に富んだ解釈が、パリ音楽院管弦楽団の繊細で典雅な響きと結びついて芳醇なシャンパンを思わせる演奏を行ない、聴く人を快い酔いに誘ってくれる。

とくに《ラ・ヴァルス》で、混沌のうちにワルツの旋律が少しずつ形をとりながら浮かび上がってくる時の洗練されたニュアンスは忘れ難い。

また、《ダフニスとクロエ》の冒頭「夜明け」で、オーケストラの管と弦がキラキラと輝きを放ちながら、しだいに音量を加えていく時の解釈は、実に繊細で喚起力に富んでいる。

ラヴェルの音楽の古典的な性格、明晰な造型、洗練された感覚を、これほど鮮やかに再現した演奏はない。

クリュイタンスは、決してオーケストラを強い意志で引っ張ってゆくタイプの指揮者ではない。

むしろ、オーケストラの個性を引き出し、自発的な演奏に向けてまとめてゆくタイプである。

このような彼の資質が、一つ一つの情景を生き生きと再現していた。

実際、いま久々にクリュイタンスのラヴェルを聴いてみても、オーケストラの芳香、デリカシーにみちたディテールの仕上げなど、その魅力は、時代を経てもいささかも失われていない。

来日の翌年、クリュイタンスは癌で亡くなり、パリ音楽院管弦楽団は解散してパリ管弦楽団に変わってしまった。

62歳の死は、指揮者として円熟期を迎えたばかりの彼にとっては悲劇であった。

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classicalmusic at 00:21コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルクリュイタンス 

2011年05月07日


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この「未完成交響曲」は、ホーエンエムスのシューベルト音楽祭におけるライヴ録音で、会場となった聖カール・ボロメウス教会の残響はじつに美しく、その中でベーム、ウィーン・フィルが極端に遅いテンポで大演奏を繰り広げているのである。

第1楽章冒頭のバスのモノローグと、それに続くヴァイオリンのさざ波を聴いただけで、そのただならぬ雰囲気に圧倒される。

その後の管のソロも弦のカンタービレも絶美だが、展開部冒頭で、バスがディミヌエンドしながら奈落の底まで下降し、今度はそこからヴァイオリンがピアニッシモから湧き上がっていくときの緊張感と、音楽が頂点に達した際の感情の爆発は、正直いって恐ろしいほどである。

こんなにスケールが大きくてかつ凄みがあり、それでいて美しい第1楽章は他にありえない。

第2楽章はなんといっても、弦の神秘的なシンコペーションにのって歌い交わすクラリネットとオーボエのソロが、夢のような残響を伴ってひたすら美しい。

そして優しくソロが終わろうとするところに突如踏み込んでくるトゥッティの無情さ!

しかしやがて音楽は浄化され、諦念へと至るが、その神秘感のみごとさ!

深沈として雄大、83歳ベームの傑作となった。

こんな《未完成》を聴かされたら落ち込んでしまうに違いなく、気分を前向きにさせるには、交響曲第9番《グレート》の偉大さを待たなければならない。

ちなみにこの日の2曲目はその《グレート》で、これまた圧倒的な豪演であった(METEORという海賊盤で聴くことができる)。

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classicalmusic at 05:33コメント(2)トラックバック(0)ベームシューベルト 

2011年05月06日


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1973年7月5〜9日、ドレスデン、ルカ教会に於けるスタジオ録音。

「ハンガリー舞曲集」の全曲ではない(14曲)が、有名な曲はほぼ網羅されており、スウィトナー&シュターツカペレ・ベルリン盤にも比肩する、最高の名演奏のひとつ。

純ドイツ風ハンガリー舞曲!少しもマジャール系の香りがしない、徹頭徹尾ドイツ人のドイツ人によるドイツ人のための演奏である。

こう書くと、単に重くだぼついた演奏に思われてしまうかも知れないが、それは違う。

重厚でありながら躍動感にも事欠かないという離れ業を、実に鮮やかにやってのける。

力強い重低音や小気味よい打楽器群に支えられ、厚みのある弦楽器や仄暗い管楽器が豪快に踊り抜くという、ダイナミックな演奏である。

特に後半の作品など、著名な第1番や第5番などに比して余り聴き応えのない曲ばかりだと思っていた先入観を、見事に粉砕してくれた。

1曲1曲を丹念に描くレーグナーの棒もさることながら、こんなにも愉悦と哀愁に満ちた曲達が並んでいたとは!

どの曲もテンポを自由自在に動かしながら、緩急起伏を大きくつけているのが特徴で、シュターツカペレ・ドレスデンの、渋く重厚できりりと締まった響きも素敵だ。

レーグナーは、情熱的な性格の持ち主だが、きわめてロマンティックな感覚も併せ持った人だけに、この演奏にも、そうした特色がよく表れていて惹きつけられる。

レーグナーは一昔前のロマンティックな感覚を身につけている指揮者で、「大学祝典序曲」にはそうした音楽性がプラスに発揮されている。

曲の最初はさりげなく、中間から後半にかけて巧妙な盛り上がりをみせる。

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2011年05月05日


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イシュトヴァン・ケルテスが残してくれた貴重な遺産。

ケルテスのモーツァルトは、いくら聴いてもすばらしく、飽きることがない。注文をつける余地を残さない。

強制されるのでもなく、説得されるのでもなく、ただモーツァルトはこうなんだよ、と言っているようだ。

聴くほうもしだいに、そう思いはじめ、安堵、幸せの気持ちが流れ込み、やがて満ち足りた思いになる。

どの指揮者よりもモーツァルトへの愛着が強く感じられ、感性豊かに調べを歌い、抜群のテンポとリズム感をもつ。

けっして作られたものではなく、生まれながらに自然に備わって、いつしか体内から湧き出てきたようである。

モーツァルトの音楽に必要なセンスとバランスの良さからくるのだろう。

ケルテスはできあがるであろう全体像を見極め、把握してから、各部分の音づくりを始めているように見える。

第25番は気品高い演奏だ。

ケルテスは音楽的な純粋性と美しい平衡感で、円熟した音楽を聴かせる。

第29番ではロマン的な甘美さを表し、第40番も感情が内部からにじみ出るような陰影に富み、「ハフナー」は内面的な深さに加えて独自の優美な感覚が示されている。

第39番は溌剌と弾む晴朗なモーツァルトで、ケルテスの新鮮な感受性がそのまま表れた好ましい演奏だ。

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2011年05月04日


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気高さとは平民に対して貴族にそなわった属性だが、演奏でも気高さを表出することができるのだろうか……。

リパッティの誰かのレコード評にあった「貴族性表出」への、筆者の疑問であった。

さっそく彼のディスクを買い求めた。そして、脱帽した。

こうしてリパッティはハスキル、田中希代子とともに、筆者の愛するピアニストの1人となった。

これ以後も多くのピアニストの演奏に接したが、筆者の気持ちは変わらない。

ピアノは打楽器であり、だからか鍵盤を叩き付けるピアニストは多い。

そうした打鍵を、筆者は好まない。

ピアノの演奏は、手でなく、指が行う。そして、10本の指は対等の役目を担う。ひとつひとつの指の奏でる音が、はっきりと聴き取れるのだ(という錯覚を与えてくれる)。

理想を言えば、それぞれの指に、ひとつひとつ思想に裏打ちされた行動が要求されるのである。

田中もハスキルも、そしてリパッティもこの要求を満たしている。

さて、このディスクはリパッティが遺した数少ない協奏曲録音の一つで、彼が亡くなる少し前の演奏だが、死の影は全く感じられない。

リパッティのタッチは明快で弾力に富み、ひとつひとつの音が美しい余韻を残す。

それが豊かなエネルギーに結びつくとのびのびした開放感を、繊細な感情を表現する時にはみずみずしい潤いをもたらす。

テクニックも抜群だが、決してヴィルトゥオジティを指向せず、彼の解釈と一体になって演奏を支えている。

高貴で人間的な魅力に溢れた演奏は、これら3曲の最良の演奏と言えるのではないだろうか。

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classicalmusic at 00:00コメント(0)トラックバック(0)リパッティ 

2011年05月03日


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筆者は、物心がついたときから、コルトーのシューマンに魅せられ、ほかのどんな名演奏を聴いたあとにも、必ずここに帰ってきたくなる素敵な演奏である。

同じくコルトーがピアノを弾いて、パンゼラが歌った《詩人の恋》でも明らかなように、コルトーのフランス人としての洒脱な感覚がドイツのロマンティシズムと結んだ格別の味わいが、彼のシューマン演奏にはある。

それに加えて当時の音楽家の多くがそうだったように、作品を完全に自分の体内に消化吸収したのちに、借り物ではない"自分自身の感興をほとばらせた音楽"をして出してくるので、多少あるミスなどは何の邪魔にもならず、音楽が自分にふさわしい奏者を得て自分から鳴りだしたような自然さで魅了する。

20世紀前半を代表する名ピアニストの1人であるコルトーの名を聞いたら、人はまずそのショパンの演奏に思いを馳せられるかもしれない。

たしかに彼のショパンは一世を風靡した優れたものであったが、筆者にとって、より忘れ難いのが、実はシューマンの演奏である。

もともとドイツ・ロマン派の権化のような音楽に、どうしてフランスのピアニストが惹かれ、また優れた演奏を展開するのかは謎であるが、とにかくその豊かなロマン性を湛えた音楽は、コルトーの明晰なタッチから生み出されるクリアーな音質によって一層引立てられているように思えるから不思議なものだ。

シューマンのファンタジーを表現する点で、コルトーに匹敵するピアニストはいない。

細かく揺れ動くテンポに乗って、繊細な感情も若々しい情熱も運ばれ、これほど生き生きと表現した演奏はほかにない。

シューマンが詩人であったように、コルトーもまた詩人であったことを実感させてくれるディスクである。

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2011年05月02日


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クレンペラーのモーツァルト/オペラ第2作で、1966年の錚々たる顔ぶれによる名盤である。

このクレンペラー指揮の《ドン・ジョヴァンニ》は、非常に重厚でデモーニッシュな《ドン・ジョヴァンニ》だ。

徹底的に19世紀ロマン主義の伝統を継承した演奏で、デモーニッシュなドラマとしての側面を強調する。

テンポは全体に遅めでゆったりとしており、スケールの大きさを感じさせる。

歌手ではなく、指揮者が演奏全体をリードした好例で、凄まじいばかりの強靭な楽器の鳴らし方、ごつごつした感触、悠然たるテンポ、それらが一体となって、異常なまでの緊張感と集中力、全体を覆う暗いトーンをもたらしている。

歌手陣の充実は特筆もので、クレンペラーの意図を反映して、凛々しく精悍なギャウロフのドン・ジョヴァンニは豪胆で、骨太、暴力的とさえいえるドン・ジョヴァンニを歌い、役柄にぴったりのベリーのレポレロには重厚さが目立つ。

貫禄充分のフランツ・クラスの騎士長、高声の安定したクレア・ワトソンのアンナ、格調高いゲッダのオッターヴィオ、官能的なルートヴィヒのエルヴィーラも責任を見事に果たしている。

それにまだ若いフレーニのツェルリーナ、さらにこれもまだ若い頃のモンタルソロのマゼットとくるのだから、溜息の出るような豪華さだ。

タイトル・ロールを歌うギャウロフが、シエピのように情熱的に女を口説き落とすのではなく、何か強姦魔的な雰囲気を漂わせているのも、イタリア系とスラヴ系では同じバスでも音色に違いがあるというよりは、むしろクレンペラーの音作りに由来するものであろう。

そうした意味でも、この録音におけるいちばんの聴きどころは、第2幕第15場における、ドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場面である。

死への恐怖に満ちた音楽であり、まさに、デモーニッシュという形容詞がふさわしい。

自分が死ぬときもきっとこんなふうなんだろう、と思わず怖い想像を働かせてしまうほどで、ちょっとした臨死体験でもある。

この曲の最もスケール雄大なデモーニッシュな演奏として、独自の存在を主張するものだ。

オケもフルートの音を強調するなど、面白く聴かせてくれる。

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2011年05月01日


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ショルティによるワーグナーの前奏曲や序曲を中心とした1枚で、ショルティ初のオリジナル・ワーグナー/管弦楽曲集であった。

録音は1961年と65年、すなわちショルティがウィーン・フィルによって《指環》全曲レコーディングの金字塔を打ち立てていた時期と重なる一盤。

おそらくこの曲集は、ショルティのワーグナー・アプローチのひとつの原点を示すものであると同時に、彼のワーグナー観の最も説得力あるエッセンスではあるまいか。

オケの良さのためもあって、彼のワイルドで強引な指向は、むしろスケールの大きなダイナミズムへと転化され、切迫した激しい表出はより総合的サウンドへと融解している感。

のちのシカゴ響とのワーグナー集などと比べると一層その感を強くする。

総じて良い出来映えで、とくに《タンホイザー》序曲や《さまよえるオランダ人》序曲などは屈指の出来映え。

《タンホイザー》序曲は情感豊かで、いかにもショルティらしい線のきつい明快な表現だが、そのニュアンスのつけ方が実に巧い。

《リエンツィ》と《さまよえるオランダ人》はそれぞれダイナミックで男性的な表現だ。

ウィーン・フィルもさすがに巧く、オーケストラのもつ特質がそれぞれにいきているのも事実だし、ショルティの音楽の深さも見逃せない。

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