2011年06月

2011年06月30日


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このブラームスの協奏曲は、ルービンシュタインの全盛期のころの録音(1952年)で、テクニックや気力が最も充実していた演奏であり、この巨匠の最良の状態を伝えている名盤として注目される。

これはルービンシュタインの65歳の時の録音だが、そうした年齢を感じさせない見事なテクニックで風格たっぷりに弾きあげている。

もっとも、彼はその後、クリップスとオーマンディと録音しており、この録音は、むしろ若いころのものと言えるかも知れない。

ルービンシュタインの若々しい表現が、音楽性にあふれており、晩年の厚みや交響的な味わいは薄いが、全盛期だけに色気や艶があり、流れが美しく、詩情にも欠けていない。

ブラームスの変ロ長調協奏曲の演奏では、とかくヴィルトゥオジティが表面に出てくるが、音楽の性格はそれだけで割り切れるものではなく、演奏者の個性とヴィルトゥオジティがどのように結びつくかに左右される。

この演奏はルービンシュタインのテクニックが充分に発揮されていると同時に、音楽のさまざまな性格も過不足なく反映されている。

渋くまろやかな美しさに溢れるルービンシュタインのソロは、輝かしい集中力や強靭なタッチを充分に維持しており、ブラームス特有のくすんだロマンやエネルギッシュな情熱を絶妙なさじ加減で描き出しているのである。

この時期のルービンシュタインはひとつの完成期にあり、ブラームスの変ロ長調協奏曲の優れた演奏もそのことを実感させる。

したがって、ルービンシュタインは華々しい技巧を誇示するのではなく、豊かな情感とバランスをとっている。

ミュンシュは伴奏として優れているだけでなく、ボストン響からブラームスらしい重厚でブレンドのよいサウンドも作り出している。

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2011年06月29日


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「ショパン・コンクール」といえば、コンクール中のコンクールとでもいうべき格の高さを誇っている。

すべてのピアニストが、一度は意識をするコンクールといえよう。

5年に一度おこなわれるこのビッグ・イヴェントに、ツィマーマンはわずか18歳で優勝を飾ってしまった。

ポーランドのサーブジェで1956年に生まれた彼は、早くからピアノに独自の才能を発揮。

1975年におこなわれたショパン・コンクールでは、史上最年少で優勝するという快挙をなしとげた。

その後、すぐに演奏活動に入り、レコーディングも活発におこなうようになる。

来日もして、わが国のファンの耳と目にも強い印象をあたえた。

ツィマーマンはポーランド出身であり、しかも、ショパン・コンクールで世に出てきているので、ショパンを得意としているのは当然としても、それだけで彼が満足しているわけではない。

彼はモーツァルトやシューマン、ブラームスなどに対しても、きわめて意欲的に取り組んでいる。

ショパンを含めて、その演奏内容は、たんなる星菫派のような抒情の吐露に終わってしまうことなく、構成力のある堂々とした性格だ。

そのたくましい存在感を秘めた音楽性は、今後さらに大きく成長していくことであろう。

ひと頃は若さのシンボルのような存在であった彼も髭などをたくわえ、外見もグッと貫禄を増してきているようだ。

現在、最も注目すべきピアニストの一人である。

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2011年06月28日


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ムラヴィンスキーの個性が刻印されたブラームス交響曲全集。

透徹した眼でもってスコアを洗い直し、厳しく律した強固な線的運びのうちにも柔軟で自在な表現を繰り出していくという、ムラヴィンスキーらしいユニークなブラームスとなっている。

とりわけ厳格な作りの中にも自由な息づかいを感じさせる第2番がすばらしい。

ムラヴィンスキーが傾倒している作品なので、音楽的にすばらしくこなれており、精緻で柔軟、自然な起伏をもった演奏を聴かせる。

そのなかには枯淡ともいえるやさしさがある。

わずかに金管の強奏の音色がロシア的といえるが、アンサンブルの洗練は他の団体とは一線を画しており、第3楽章はもはや優雅とさえ形容したい。

設計の美しさとともに指揮者と楽団の類まれな協調を物語っている。

壮大な広がりとダイナミックな力強さを持つ第3番、達観した孤高さのうちに表情の多様さを示す第4番、この巨匠ならではの独特の世界を築いたものといえよう。

第1番も個性的な演奏だが、録音年代が古いためにマイクが演奏の特質を捉えきれていないのが残念。

ロシアの指揮者もしくはオーケストラによるドイツ物は極端に評価が低い。

現代のような情報過多はある種の横並びを助長しがちだが、このムラヴィンスキーの演奏はある意味では隔離された環境においてじっくりと熟成させられたために、ほかとは全く違う魅力が生まれている。

なかでも第4番は繊細極まりなく、不思議な静寂感と悲愴な情感に溢れた演奏は、短剣のひと突きのように聴き手の心に迫る。

しかし、この演奏もいつになったら評価されるのだろうか。世の人々はそんなに伝統的な解釈に固執したいのだろうか?

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2011年06月27日


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1948年生まれの韓国女流ヴァイオリニスト。

まず4歳からピアノを始め、6歳でヴァイオリンに転向したが、10歳の頃にはステージで演奏するほどの天才ぶりを発揮した。

そして12歳の時にアメリカに渡り、ニューヨークのジュリアード音楽院で、名教師ガラミアンに師事して、1967年レーベントリット・コンクールでピンカス・ズーカーマンと優勝を分けあったのち、演奏活動を始めた。

デビュー当初から彼女の演奏は、一般的に名ヴァイオリニストと呼ばれるための条件、すなわち美しく艶やかな音と高度に磨かれたテクニック、そして楽器を美しく歌わせる情感の豊かさといったのものを備えていることは当然だが、さらにそれらに加えてその表情に、彼女ならではの燃えさかる火のような情熱を感じさせることが大きな特徴となっていると言えるだろう。

それはいかなる作品においても、独特の緊張感のある音楽運びとなって現われ、もしかして東洋人ならではと言えそうな、瞑想的で陰影豊かな表情とともに、聴き手を惹きつけずにおかない魅力となっている。

それは充分に個性的な演奏であることに間違いないのだが、作品の持ち味を余すところなく表出していることも、また、確かである。

1990年代以降になると、そこに、より柔和で大らかな表情も加わってきて、一段と深い味わいを宿すようになり、ますます充実した演奏を聴かせてくれた。

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2011年06月26日


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世界の音楽コンクールは様々なドラマを生み出す舞台でもある。

優勝者に栄光の座が用意されているのは当然としても、ほんのまれには「優勝しなかった」が故に思いがけないような脚光をあびるようになる者もいないわけではない。

ピアニストのポゴレリチは、そのような存在のひとりである。

1958年ベオグラードに生まれた彼は、22歳の折、ショパン・コンクールの予選で落選してしまった。

ところが、そのときの審査員のひとりであったアルゲリッチが、予選の審査に抗議して審査員を辞任するという出来事があったため、逆にポゴレリチの名前が大きくクローズアップされる結果となっていったのである。

それ以降、彼はどこかスキャンダラスで、反逆的なイメージをただよわせるようになっていく。

彼が「衝撃的なデビュー」をしてから30年以上たった今日においても、そのイメージは本質的にはあまり変化していないといえよう。

各種ディスクに、また演奏会にきくポゴレリチの演奏は、じつに大胆不敵な性格だ。

たくましい打鍵、思いきったダイナミクス、思いがけないような濃厚な表情づけなどによって、曲想の奥深くへと、グイグイと突き進んでいく。

その進行のしかたは、ときにスリリングでさえある。

50歳代に入った彼が、今後、これまでの大胆不敵さを堅持しながら、どのような成熟を示していくのか、大いに注目していきたいところだ。

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classicalmusic at 00:12コメント(0)トラックバック(0)ポゴレリチ 

2011年06月25日


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クレメンス・クラウスはR.シュトラウスと深い親交を結び、作曲者の信頼厚かった。

その3つのオペラの初演を手がけているクラウスの指揮は、いわば「作曲者直伝」といった意味がある。

2人の親交の深さを証明する録音として一連の管弦楽曲集があるが、この指揮者の本領はなんといってもオペラにある。

この《サロメ》は作曲当時のウィーンの退廃的気分を伝えているという意味で、今後も価値を失うことはあるまい。

R.シュトラウスの楽劇ともなれば、もっと新しい録音で聴きたいが、クラウスの持つ官能性と絶妙のニュアンスは、やはり他の追随を許さぬものがある。

過度に刺激的ではなく柔軟で瀟洒な音楽づくりは、メンデルスゾーンのオーケストラ作法も念頭に置いていたというR.シュトラウス自身の作曲観を反映したものと言うことができるかもしれない。

サロメ歌いの歴史に名を残すゴルツのサロメ役も貴重。

後年の歌手たちの妖艶ないしは強烈な役づくりとは異なり、品のいい清純さをとどめているところが、よくよく思えばかえって凄い。

作曲者が考えていたサロメ像にも近いのではないか。

パツァーク、デルモータら往年のウィーンの名歌手たちも節度ある表現を保つ。

《イタリアより》もクラウスという指揮者の特徴が最高に発揮された録音のひとつ。

ウィーン・フィルの音色美を百パーセント生かし抜いたこの官能、この魅惑、そしてむせるように陶酔的な歌、しかもそれらを洗練させ、どこまでもノーブルに、貴族的に、洒落た衣裳を着せてわれわれに与えてくれる至芸がここにある。

ほれぼれするような木管ソロの明滅とそのニュアンス、茶目っ気、過去を向いた悲しいまでの美しさ、ロマンティックなムード、第3楽章〈ソレントの海岸にて〉など、夢に聴くようだ。

みずみずしく、悩ましく、こんなに魅力的な音楽が他にあろうか、と思わせるほどで、R.シュトラウスを愛する人の必聴盤といえよう。

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2011年06月24日


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クライバー66歳の時の録音だが、これはもう圧倒的で、燃え盛る炎のような激しい演奏だ。

最初に聴くときは、誰だって自分が何を感じているのか確かめる間もなく最後までいってしまうだろう。

クライバーは、よく考え、綿密に計算し、細かいところまで決め、解釈を決定しているに違いないが、それは棒を振り下ろす前の話だろう。

始まるや否や、そうした解釈は、進行する演奏の後についてくる。

周知のように数少ない録音しかないのにもかかわらず、クライバーの人気と実力は"大指揮者"並みの評価が与えられている。

主流であるはずのベートーヴェンやブラームスでさえ残された録音は数曲に限定される。

このブラームスの交響曲第4番はその稀少な演奏の一つだが、何という壮大さと壮麗さなのだろう。

聴き手はその懐の深さと雄々しいダイナミックさにたちまち引き込まれていくに違いない。

そういう意味でクライバーのブラームスは、誰にも追いつけないくらい速い。

どこかに聴き惚れていると、既に次の主題が現れていて……という具合。

今、まさに音楽が生まれ出てくるように、というのは陳腐な言い方なのだけれど、それがクライバーのブラームスには、ちっとも陳腐じゃなくなる。

バイエルン国立管弦楽団のいささか過熱気味の表現とソノリティにも興奮させられる。

厚みのあるブラス、十全に弾き切った弦、そして要である引き締まった打楽器など、これを凌駕しうる演奏など今後も現れそうにない。

しかもひとつのフレーズや響きまでスコアの読み深さをうかがわせるクライバーの表現は、精妙さの極致と言えるのだが、音楽の流れと表情はあくまでも自然であり、もし完璧な演奏があるとすればこれはその典型だろう。

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2011年06月23日


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このショパン・アルバムは、アルゲリッチが1965年ショパン・コンクールの優勝直後に録音していながら、契約の関係で発売中止となり、ショパン没後150年にも当たる1999年に、ようやく世に出た演奏である。

こうした事情もあって新鮮な印象が強いが、当時24歳の彼女の力強いタッチや、凄まじい前進エネルギーには、改めて驚かされる。

音楽的には、鋭い閃きと豊かな感性を存分に発揮して自在に歌いあげる場面が、特に印象深い。

その自発的で瞬発力のある、アルゲリッチならではの演奏の作りは、たまらなく魅力的であり、「ソナタ第3番」に始まって最後の《英雄ポロネーズ》まで、聴き手を強くつかんで離さないほどのパワーがみなぎっている。

録音はいささか古いが、ここで奔出している驚くべき魅力は、いまなお特別の光を放っている。

抒情的な演奏、様式感のある演奏、ロマン的な演奏といった枠なんてここではもう何も関係がない。

ショパンのソナタという稀有な曲があって、アルゲリッチという稀有なピアニストが現れたというだけ。

これを冷静に聴けというのは無理というもの。

ショパン演奏の19世紀からの系譜や、現代の演奏スタイルなどとも関係がない。

まさにアルゲリッチ流の演奏で、聴く者はその中に引き入れられ、翻弄されるほかない。

それが正しいかどうかなんてわかるはずはないが、判断の対象ではない音楽そのものがここにある。

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2011年06月22日


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ホロヴィッツが岳父トスカニーニと共演したチャイコフスキーはこの曲を語るときに決して忘れることの出来ない名盤である。

筆者の考えではこの名作の現在までの最高の演奏であると同時に、ホロヴィッツが残した膨大な量の録音の中でも、その頂点にランクされる名演である。

ホロヴィッツは、驚嘆すべき技巧、鋭いタッチで圧倒するばかりでなく、ホロヴィッツ特有のアクセントの付け方が、ここではすべて曲の内的論理に適っており、聴き手の心に一音一音が突き刺さってくる。

かなり速めなテンポが設定されたこの演奏では、ホロヴィッツがそれを少しも苦にせずに唖然とするような快演を展開しているが、トスカニーニとの極限まで緊迫した対話から生まれる白熱的な緊張感は、この演奏そのものが作品を高濃度のエネルギー体に昇華させているかのような印象さえも抱かせる。

フィナーレなどは、とくに時間が一瞬に凝縮されたと思えるほどの燃焼度を示しており、信じられないような熱気を放っている。

ホロヴィッツの《展覧会の絵》には1947年のスタジオ録音もあり、演奏の完成度ではそちらをとるべきかもしれないが、より彼らしい白熱した演奏はこちらの1951年のカーネギー・ライヴであろう。

ヴィルトゥオーゾ・スタイルを貫きながら、変幻自在のタッチによってそれぞれの絵をまるで手に取るように表現していく。

そこには空疎感は微塵もなく、聴き手は彼の自由に飛翔するファンタジーにただ心を奪われるばかりだ。

最後の〈キエフの大門〉では自ら編曲を加え、より演奏効果が上がるように工夫されている。

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2011年06月21日


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旧ソ連出身のアメリカの中堅ヴァイオリン奏者アレクサンドル・マルコフのデビュー盤。

彼は1963年モスクワの生まれ。ヴァイオリニストである父に手ほどきを受け、9歳で父と共にソリストとしてデビューしている。

1975年にアメリカに移り、1982年のパガニーニ国際コンクールで第1位に入賞、翌年にはカーネギー・ホールでデビューして大成功を収めている。

ことに《24のカプリース》は、歴代名盤に匹敵する名演。

ライヴ録音のためか、マルコフは終始奔放に自らの技術と感性を表に出し、スリリングな妙味のある演奏を聴かせてくれる。

時に鋭く張りつめた音の連なりが耳を疲れさせなくもないが、半面、きめの細やかさと表現の幅があるため、第2,4,9,15,21番のデモーニッシュな美をたたえた歌い口にはヴァイオリン・ファンを魅了するものがある。

解釈、表情付けは随所で個性的なものを示し、類型化しない才能を実感させる。

協奏曲も冴えた技巧を背景としながら、ときに大胆なまでの濃厚な表情を、ときにデリカシーに満ちた表情を自在に導き出していくマルコフの手腕は、なんとも鮮やかで、間然としたところがない。

伴奏も力のあるもので、独奏者の存在感をより確かなものとしている。

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2011年06月20日


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ブレンデルの演奏は、最初の主題から、生き生きというだけでなく、弾むようなリズムと、前のめりするようなシンコペーションにユーモアさえ漂う。

そしてこの気分が破れることのないよう、ブレンデルはただちに次の変奏に向かう。

こうして持続するある気分の中で驚くほど多彩な世界が弾き分けられるが、それは必ずしも深遠と超越といったイメージに彩られた晩年を映しだすものではない。

むしろそれは(ブレンデル自身も解説しているように)ユーモアで掘り下げられた変奏なのである。

いわばこの演奏は「諧謔の精神よりの『ディアベッリ変奏曲』の誕生」なのだ。

しかしそこには真剣なもの、純粋なものがないというのではない。

第28変奏まで主題のハ長調を保持してきたベートーヴェンは、ついに第29変奏でハ短調に移る。

ブレンデルはそこでやや間をあけ、短調の暗い弾道からあのフーガの哄笑のすさまじいエネルギーの噴出、そして優美と回想をもって終わるフィナーレまで、見事な演出と構築をもたらす。

ブレンデルは明らかにこの難解な大曲の個々を深々と掘り下げ、しかも全体をまとめる視点を獲得したのである。

イロニーとは否定的なものに拠りながらそれを超えることがあるとしたら、ディアベッリの主題による変奏はまさしくその具現だったかも知れない、そんなことを想わせるのがブレンデルの名演である。

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2011年06月19日


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フランスの声楽界からは、第2次世界大戦後、残念ながら多くの人材が登場したとは言い難いようだ。

ドラマティック・ソプラノのクレスパン、バリトンのスゼーとバキエ、ブラン、バスのバスタンといった人物名以外には、これといった名前が浮かんでこない。

近年登場したコントラルトのシュトゥッツマン、そしてコロラトゥーラ・ソプラノのデッセーは、久方ぶりのフランス声楽界の星である。

フランス人で、女声で、しかもコントラルトの歌い手が、単独でシューマン歌曲全集の録音に挑戦するとは!

F=ディースカウでさえ男声用リートに限ったのに、シュトゥッツマンは男声用の《詩人の恋》や〈二人の擲弾兵〉なども怯まずに歌いこなしている。

男声に近い重いコントラルトを武器としているものの、感覚の鋭敏な反応を必要とするシューマンの歌曲では、それが足を引っ張りかねない。

しかしシュトゥッツマンは黒光りする声を逆用し、強い意志力と透徹した解釈力で、とくにシューマンの男性的な向こう気に焦点を当てて歌いついでいる。

まさに男勝り。だがけっして荒っぽくなることなく、つねに繊細な感受性とうるおいのある情感を失わず、情念の深さは胸を打ち感動的だ。

ピアノはいささか問題ありだが、それでもシュトゥッツマンの声の比類のない艶を、ちょっと素っ気ないところがあるピアノが、むしろ支えているという面さえあるのかもしれない。

シュトゥッツマンの声は何しろ深々としたコントラルトで、喜怒哀楽の変化をくっきりと、というわけじゃない。

詩の一語一語というより、詩の世界そのものを深め、ひとつの世界をかたちづくる。

微かに暗く、微かに悲しく、微かに陽気。

シュトゥッツマンが描く"微か"が、詩と音楽の美しい響きを彩る。

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2011年06月18日


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以前、マリス・ヤンソンスがオスロ・フィルを振ってのEMIデビュー録音、ショスタコーヴィチ「第5」を聴いて、それは新時代のロシアの指揮者の登場を鮮やかに印象づける演奏だったので、ぜひともこの人で交響曲全集が欲しい、と思っていたら、それが実現した。

あたかも、ロシアをそのままに響かせたような演奏で、音楽的な推進力も力強く感じさせる説得力に富む力演集となっている。

ヤンソンスは8つものオーケストラの特色を存分に活用して、「今、ショスタコーヴィチはこういう曲だ」と言わんばかりの実に入念な演奏を繰り広げている。

贅肉のないクリアな演奏で、現代的なスマートさを随所に感じさせる。

全曲を通じてテンポがよく、そこには適度の内的緊張感もあり、デュナーミクも力強く、音楽のスケールが大きい。

とはいえ、一昔前の"英雄的"解釈はここには微塵もなく、曲の重くダイナミックな側面よりも、叙情や優しさや哀しみが心に広がるページも多い。

派手な演出を避け、純音楽的な節度と洗練を聴かせるヤンソンスのセンスはなかなかのものだ。

ヤンソンスは豊満な抒情性と緊張感を交錯させ、言うべきことを言い尽くした説得力が生まれている。

鮮烈な効果に富んでいる作品では、スリムに肉付けした上、その中に彼自身の思いを注ぎ込んで聴き手を納得させ、魅了する。

音楽を歌い上げる息の長さが、やはりロシアの指揮者ならではのスケールを感じさせる。

ショスタコーヴィチ先生も、ちょっと苦笑しながらもこういう演奏が好きなんじゃないかと思う。

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2011年06月17日


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第1番の第1楽章アダージョの序奏は意外と速いテンポで始まり、アレグロの主部では急がず、アタックをしっかりときかせて堂々と進む。第2楽章は深い響きのなかに大きな歌が歌われていく。ムーティはこういう音楽で決して感傷的にならず、男らしく歌う。そしてフィナーレのアレグロ第1主題はもちろん男性的だし、展開部の盛り上がりもかなりのもので、再現部への突入をくっきりと印象づける。

「ハイドン変奏曲」もふくよかで抑制のきいた表現だ。

第2番はムーティの個性が強く示された表現で、古いドイツ風のごつごつした演奏とは対極にあるスマートな音楽である。オーケストラのバランスもそうした表現に協力しているのか、響きがふくよかで情感があり、音楽的にも成熟している。

「大学祝典序曲」と「悲劇的序曲」も柔らかく滑らかに歌う演奏だ。部分的にかなりテンポを動かす独特の表現法で、無理なく歌わせている。このように歌に傾斜したブラームスも悪くなく、新鮮な印象を与える。

美しいがとらえどころのない第3番に、ムーティはそのイタリア的な造形感覚で彼独自の形を与えることに成功した。流麗・明晰な新解釈で、第1楽章は輝かしくまた美しく、第2楽章の歌わせ方もよい。感傷的になりがちな第3楽章は男らしく明るく、フィナーレもあくまで明快。後味のよい第3番だ。

第4番ではフィリップスの音質上の好みがヨーロッパ調であるためか、従来フィラデルフィア管弦楽団にありがちな華麗一方の響きではなく、実によく練り抜かれたまろやかな音彩とゆとりあるテンポで、第1楽章ではリズムを若干重く引きずる感もあるが、その悠揚とした流れには音楽をじわじわと高潮させる息の長さがあり、オーケストラのサウンドも次第に光沢と輝きを加えていく。

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2011年06月16日


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意外なことにいずれもショルティの初録音だった。1980年度の米グラミー賞を受賞している。

現在カタログには何十種類もの現役盤がひしめいているが、結局、魅力度ということにかけては、ショルティ指揮シカゴ響が、圧倒的な貫禄であたりを睥睨している。

いかにもスケールの大きな巨匠風の演奏だが、機能的に優秀なシカゴ響の名人芸をフルに発揮させて、タカ派的ともいえるエネルギッシュで、戦闘的なブラームス像を描き上げている。

どの曲もいかにもショルティらしい表現で、堅固な造形でまとめられ、それが同時にショルティの資質と音楽的な特色を表している。

楽譜に指示されたすべての反復が実行され、しかも各曲それぞれの性格が鮮明に示されているのが素晴らしい。

例えば第1番の妥当なテンポで堅実にまとめられながらも、そこに作品に必須の豪快でスケールの大きい表現、劇性が存分に示されているのだ。

第2番の風格豊かで明朗な歌、第3番の古典的な語法とロマン的内容のバランスのよさ、第4番での精妙にブレンドされた響きなど、現代的なコンセプトによるブラームスの典型的な演奏といってよい。

2つの序曲も精緻な表現である。

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2011年06月15日


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《未完成》と《イタリア》のカップリングだが、断然すばらしいのが《未完成》。

あまりにもポピュラーでなかなか改めて聴こうという気にならない曲だが、これならば一聴に値する、独特な主張を持った極めて個性的な《未完成》である。

すべての表情がこまやかでかつ濃密、ちょっとしたルバートや弱音のニュアンスなど実に効果的で、管弦楽が声のようなふくらみと陰影を持つこともユニークである。

"思索派"のシノーポリがこの曲に何を想い描いているかといったことは、必ずしも追求しないでよい。

陶酔的と言っては語弊があるかも知れないが、この底知れぬ美しさの中に黙って身を沈めているだけで、もう充分に幸せではないか。

この交響曲は、その"未完成"であることのミステリアスさとともに、ベルツのオペレッタ《シューベルトの恋》や、ハンス・ヤーライ主演の映画『未完成交響曲』によって、あまりにも甘美なロマンティシズムによる衣装を着せられてしまったのではないだろうか。

この曲作曲時のシューベルトの梅毒の発病、貧困、それに先立つ失恋といった様々な条件は、シューベルトの心理に暗い影を落とし、その影は多くの彼の作品にも反映されていく。

深く暗い奈落の底に落ちていくような絶望、そしてその絶望の淵から仰ぎ見る手の届かぬ彼岸の幸福に対する空しく悲しい憧れ。

シノーポリのこのディスクは、この曲からそんなシューベルトの"心"を抉り出している。

《イタリア》における明るさと輝かしさはイタリア人ならではのものだが、速いテンポと遅いテンポとを大胆に対比させるなど、音楽間の明暗と対照がシノーポリの演奏の大きな特色と言える。

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2011年06月14日


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1949年、ベルリンにおけるライヴ録音なので、けっして音の状態はよいとはいえないが、生前、ブルックナー協会の会長をつとめていたフルトヴェングラーの、ブルックナーの音楽に対する傾倒の深さを物語るかのような、雄渾な演奏で、その彫りの深い、雄大な表現には圧倒されてしまう。

フルトヴェングラーの巨大な個性によって大きく包みこまれたブルックナー音楽のスケールとロマン。

全容から立ちのぼってくる言い尽くせぬ香気には何者も抗えないようなところがある。

フルトヴェングラーの手にかかるとブルックナー作品はにわかに神秘的気配を強め、神々しくなる。

素朴な味わいや木訥な語り口に思えていた特質がその性格を一変させ、深層心理に肉薄するメスとなって機能しはじめ、聴き手に迫るのである。

一貫してメロディ・ラインを重視し、作品の無限旋律の美しさを見事に歌いきる。

旋律的な魅力によって曲の壮大な美しさを肌で感じることができる演奏だ。

第1・2楽章の無時間的な広大さなど、ほとんど魔力的な世界。

フルトヴェングラーは淡々と、しかもよく歌い切っていて、弦の美しい第2楽章ひとつとってもツボをしっかりとつかんでいることがわかる。

この指揮者の深遠でしっとりとしたロマンティシズムが打ち出された演奏であり、官能的かつ叙情的な誘導が最大の魅力となっているが、その中でとくに第2楽章、クライマックスへの織りなしは圧倒的な効果を放っている。

また、第1楽章と終楽章におけるテンポの変化は、この作品の情緒を深くつかんでいればこそとれた手段で、フルトヴェングラーの芸術に直に触れる思いがする。

美しさを超えた第2楽章を感動の核としながらも、この交響曲の全体像が怒濤となって聴き手を襲う演奏は他に例がなく、怖くなるようなフルトヴェングラーの指揮芸術の奥義を堪能させる。

かつてこの演奏によってブルックナー洗礼を受けた諸氏も少なくあるまい。

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classicalmusic at 20:33コメント(2)トラックバック(0)ブルックナーフルトヴェングラー 

2011年06月13日


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アーノンクール盤は、《アイーダ》のイメージを、そしてイタリア・オペラのイメージを覆すような画期的演奏である。

実はこのオペラで大事なのは神官ランフィス。

アーノンクールのCDでは、このランフィスをマッティ・サルミネンが歌っている。《神々の黄昏》のハーゲンを得意とする悪者声のバスだ。

《アイーダ》はまさにそのランフィスの声によって幕を開ける。

演じるのがサルミネンとあれば、否が応でも彼の存在に注目せざるをえない。

恋愛悲劇という表面の裏に冷徹なリアル・ポリティクスが存在していることをアーノンクール盤は鋭く指摘しているのだ。

この意義に比べれば、誰某がラダメスを歌った、誰のレガートがきれい、なんていう一般的オペラ談義はどうでもよい。

オーケストラの演奏もたいへん独特。弱音部分をジクジクと演奏しており、暗さや悩みを強調する。音楽が勢いに乗って軽快に離陸してしまうことを厳しく戒めている。

よって、このオペラの心理劇的側面が明瞭になる反面、イタリア・オペラならではの開放感には乏しい。

のろくて陰鬱なバレエ音楽、ラダメスが指揮官に指名される場面におけるグズグズした音楽、ちっとも嬉しそうではない合唱、盛り上がらない凱旋の場、湿気たトランペット……いくらなんでもやりすぎだと筆者ですら思う。

音楽がこれほどまでに特異になってしまった理由は、アーノンクールがすべてを音楽で表現しようとしているからだ。演出や演技なしでもわからせようとしているのだ。

そういう意味ではまさに録音向けの音楽だ。舞台でなら音楽がすべての表現を担わなくてもよいのである。

ただ、オーケストラはだいぶ欲求不満の様子だ。歌うことも騒ぐこともできないのだから。

ウィーン・フィルがこれほどウィーン・フィルらしく聞こえない録音も他にはないのではないか。

ともかく、これほどまでに実験精神のある《アイーダ》盤が他にないのは確か。一聴の価値は充分ある。

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classicalmusic at 19:02コメント(2)トラックバック(0)ヴェルディアーノンクール 

2011年06月12日


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バックハウスについては、ベートーヴェンとともにブラームスがよく語られるが、それもまた、たんなる規範といった次元をこえた超然たる音楽の世界を展開していた。

そのブラームスのピアノ協奏曲については、彼は、どちらかといえば第2番の方を好んだのかもしれない。

それには4回の録音があるからだが、第1番に関しては、ステレオ時代のレコーディングがまったくなく、来日の前年、1953年にベーム=ウィーン・フィルと録音されたこのモノーラル盤が貴重な存在をなしている。

バックハウスとベームは表面的な美しさには目もくれず、素朴さを基調としながら、魂がそのまま語りかけるような意味深い名演を行っている。

あらゆる音を同等に響かせて分厚い立派さを創造するバックハウス、熱っぽさに武骨な憧れを加味したベーム、と本当に素晴らしい演奏だ。

当然、条件としては最上とはいえないが、バックハウスとベームとの間にあるスタイルへの自然の合意が、密度の高いブラームス演奏の一つの典型を生み出している。

ドイツ古典派とロマン派のピアノ曲、とくにスケールの大きな作品の演奏となると、バックハウスにかなうものはいない。

とくにベートーヴェンやブラームスのピアノ協奏曲は彼の独壇場といっても過言ではない。

しかもブラームスの第2番は彼のオハコであり、他の追随を許さない。

この曲をフィジカルに熟知しているウィーン・フィル、その構成感に徹底的に通じたベーム、そしてその両者を身につけたバックハウスの間には一分の隙もなく、しかも融通無碍に呼吸し合い、黄金の三位一体を実現している。

50年もののブランデーの芳醇な味わいそのもの。

そのような自然でまろやかな成熟感に富む演奏は、このところとんと聴かれなくなってしまった。

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classicalmusic at 22:24コメント(0)トラックバック(0)バックハウスベーム 

2011年06月11日


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ウィーン・フィルがもっとも「ウィーン的」な味わいに満ちた演奏を行なっていた時代、ピアノ協奏曲を演奏する時のソリストはバックハウスと決まっていた。

そうした時代にきわめて中堅から大指揮者へと歩みを進めていたベームは、バックハウスととりわけ相性が良かった。

「鍵盤の獅子王」などという異名をとったバックハウスだが、現代の我々の耳からすると(異論はあろうが)、その多くの録音は徐々に過去の記録となりつつある。

彼の剛直なタッチは、現代の運動生理学上でも合理的なタッチを知る耳にとっては、時に乱暴に聞こえる。

その技術的限界(かつては最高のヴィルトゥオーゾであった事は認めるにしても)は、しばしば音楽の流れを寸詰まりにさせたり、不用意な打鍵による不満を感じさせる。

ブラームスの協奏曲やベートーヴェンのピアノ・ソナタといった定評高い録音も例外ではない。

しかし、このモーツァルトだけは、ベームとウィーン・フィルと共に全く別の優美極まりない音楽を奏でている。

バックハウスの最上の録音である。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番の演奏は、堂々たる風格があり、全ての音をつかんで鳴らし切るシンフォニックな表現の第1楽章、タッチもリズムも弾き方もきわめてごつごつした、これこそドイツ音楽といえる第2楽章、きれいごとの一切ない第3楽章、芸術の極みといえる第4楽章と、バックハウスの第2番は常に最高である。

普通のピアニストとはまったく違う、詩的な物憂さがなんともいえない。

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2011年06月10日


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マルケヴィチは、20世紀の大指揮者たちのなかでも特に知匠と言えるひとりであったが、この《幻想》は、彼の知匠としての手腕が大きな成果を実現させたユニークな名演に他ならない。

これは1961年の比較的古い録音だが、ドイツ・グラモフォンのステレオ期最高の録音で、オーディオ・ファイル的魅力も充分にあろう。

これまで出た数多くの《幻想》の中で、これほど個性的でかつその表現に納得させられる演奏も少ないように思う。

たとえば、第1楽章の「恋人の主題」に入るところで、気分的に急いで激しく盛り上げ、その後テンポを落としてラグ的なリズムを強調して優雅な恋人の主題に入る。

しかし、途中で青年がためらうようにテンポを落とすが、再び激しく高揚させていく表現法は、個性的であると同時に見事である。

また、第2楽章では、ワルツに入る部分でテンポを落とし、ウィンナ・ワルツ風なリズムのとり方をしていてまことに優雅な趣がある。

このような表現が至るところに見られ、標題の内容をより具体的に提示している。

そして特筆すべきは、作曲家でもあったマルケヴィチ生来の音に対する特殊な能力とも言うべきもので、その天才性こそ、標題音楽の内容とあいまって、独特の色調で染め上げ、交響曲としての意義の乏しさを補って余りあるものにするのだ。

獲物をじっと見据えるような目と鋭い感性は、ベルリオーズの夢と覚醒の世界を、マティスの絵を思わせる、ある種のエキセントリックな色の組み合わせで描くのだ。

リアルで具体的な標題音楽であるこの交響曲を手がけたマルケヴィチは、巧妙な配慮が光るすこぶる効果的な演奏設計によって、この交響曲のドラマとしての内容を実に鮮やかにリアリゼし、聴き手を飽きさせることのない表現を聴かせている。

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classicalmusic at 05:03コメント(2)トラックバック(0)ベルリオーズ 

2011年06月09日


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T.トーマス初のマーラー。

極めて精確で透明度の高い演奏だが、決してクールでなく、オケの活力を引き出しながら、マーラーの青春と独特の倦怠感、さわやかな抒情を自然に描いている。

驚くほど磨きのかかった演奏で、あらゆる夾雑物が取り除かれ、純度の高い仕上がりになっている。

レスポンスのよいロンドン響の機能を生かしながら、繊細な音楽作りが行われており、同時に壮大なスケール感も獲得している。

繊細をきわめながら豊麗な活力に満ち、透明でありながらこまやかな彩りをおび、ダイナミズムのバランスは絶妙で、どこをとっても瑕瑾はない。

その分マーラーの毒も洗い流されてしまい、こくを失っている観なきにしもあらずだが、それを補ってあまりある精妙なひびきが聴きものだ。

そのひびきは新鮮な春の息吹として澄み渡った空いっぱいに広がり、妖精の空に遊ぶようだ。

マーラーは地上に縛りつけられながらも、そんな清らかな世界に切ないほど憧れていた。

T.トーマスは痛いほどの共感をもって、マーラーのこのユートピアを実現している。

第3番の長大な第1楽章は精緻そのもので、この辺にトーマスの個性が示されたといえよう。

独唱のベイカーの情緒豊かな美声、少年合唱のの整頓された表情も素晴らしく、声楽入りの2つの楽章は作曲者の表現意図を見事に表している。

この指揮者の稀有な才能がもっとも積極的に作品と同化する方向で発揮された演奏。

他の交響曲もチャレンジしてほしいのだが。

《リュッケルト》も大きく息づくみずみずしい名演。

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2011年06月08日


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ヘンデルの「大きさ」が「巨大さ」の域にまで達しているのが、このジョージ・セル指揮の《ヘンデル管弦楽曲集》。

とりわけ《王宮の花火の音楽》がすさまじい。

ハーティ版を用いているが、とてつもなくゆったりとした速度、磨き抜かれたレガート、打楽器の突撃するような連打など、まったくいつの時代の曲なのか不明になるほど、ゴージャスなオーケストラ・サウンドの世界を繰り広げている。

こういうパフォーマンスに対する批判的研究から、古楽器の演奏が登場してきたわけで、その理由もよくわかる。

ひとえに当時のセルと、すばらしいロンドン交響楽団との組み合わせでのみ成立した、稀有な名演奏。

いろいろな意味で、失われたものの大きさを知る絶好の盤といえよう。

《水上の音楽》も、セルが楽譜に手を入れているようで、オケの決然とした響き、深いリズムに圧倒される。

最後に収録された例の《ラルゴ》が、また超名演だ。

悲しみですら透明だった時代の、幻のような1ページ。

たいへんな演奏であり、「汚らわしいこの世の中はキライ、美の人工楽園の中で陶然としていたい」という人には最高に薦められる音楽だ。

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classicalmusic at 19:08コメント(0)トラックバック(0)ヘンデルセル 

2011年06月07日


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《田園》は、カラヤンならではの、語り口のうまさにひかれる演奏である。

この曲は描写音楽ではないのだが、カラヤンは、各曲のもつ標題の内容を、実にあざやかに描き出している。

ことに後半続けて演奏される3つの楽章は、ベルリン・フィルの見事な合奏力とあいまって、劇的にもりあげた名演奏となっている。

やや速めのテンポでさらりと流しながら、きわめてゆたかな味わいをもっているのが、この演奏の大きな特色である。

《英雄の生涯》は最もカラヤンらしさの出た演奏ではなかろうか。

ヴィルトゥオーゾ・オーケストラとしてのベルリン・フィルの機能もフルに発揮されている。

トゥッティでの生気の漲った豊饒な響きや、打てば響く俊敏な反応等々、高性能のスポーツカーを手に入れたごとく、カラヤンはそれをフルに活用し、見事に乗りこなしていく。

何かに追い立てるような活気が節々に現れているところなど、この時期のカラヤンの特徴を如実に示してもいる。

ダイナミクスのレンジも広く、R.シュトラウスのオーケストラルな対位法もきわめてよく彫琢されている。

R.シュトラウスの音楽の持つ標題的な表出性、濃厚な官能性、高度な名技性といった特質は、カラヤンの音楽的資質に深く共振するのだろう。

カラヤンはR.シュトラウスをとりわけ得意とし、録音も多数残している。

実際シュトラウスに限っては、カラヤンの録音はほとんど外れがないといっても過言ではない。

このライヴはある意味、カラヤンの絶頂でもある。

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2011年06月06日


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1953年ザルツブルク音楽祭でのライヴ録音だが、その年代的な古さだけで敬遠してはならない名演。

クレメンス・クラウスはリヒャルト・シュトラウスの友人にして、同時代最高の優れた解釈者だった。

後世に伝えるべき貴重な歴史的遺産である。

音は良好ではないが、この作品の軽妙な「演技オペラ」の側面と、R.シュトラウスの音楽の軽やかで透明な官能性とを結び付けたクラウスの音楽づくりは傾聴に値する。

ここでのクラウスの指揮ぶりは、死の前年にもかかわらず、衰えをまったく感じさせず、生気と創意にあふれている。

ウィーン・フィルも美感が全開して乗りにのってる感じで、チャーミングなソロ楽器の競演、劇中のワルツの悩ましいばかりの艶やかさはまさに最高といえよう。

また第3幕の最後、若い恋人同士が去った後、黒人の少年がゾフィーの落としたハンカチを拾い、舞台から姿を消して幕となるが、このしゃれ切った幕切れの音楽もクラウスの瀟洒さが抜群だ。

ライニングの元帥夫人はまことに魅力的だし、ベーメのオックス男爵もほどよく上品ではまり役。

第3幕でのオクタヴィアン(デラ・カーザ)とオックス男爵(ベーメ)の掛け合いも聴きものだ。

C・クラウスの指揮、ウィーン・フィルの演奏、歌手たちの歌いぶり、そのすべてが最高の境地で一体化しながら、この作品のすばらしさを万全に伝えている。

ここにはR.シュトラウスとウィーンの輝きがある。

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2011年06月05日


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1972年5月15日 ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールに於けるステレオ(ライヴ)録音。

2008年の生誕100周年を契機に、カラヤンの様々なライヴの名演盤が発掘されているが、本盤も、カラヤンがライヴの人であることを証明する素晴らしい名演だ。

演奏・録音とも申し分のない出来映えで、個人的には2009年に購入したベスト・ディスクの一つ。

ここでのカラヤンのイメージは長年スタジオ録音で聴いてきたものと異なり、このロンドン公演シリーズは即興性と驚きに満ち溢れている。

冒頭のモーツァルトからして、絶妙のレガートによる極上の美演が繰り広げられており、ディヴェルティメントのような軽快な楽曲を超一流の高貴な芸術作品に仕立て上げているというのは、カラヤンならではの魔術という他はない。

曲目を見ると、どうしても「春の祭典」に目(耳)が行きがちだが、モーツァルトの素晴らしさにため息が出る。

小編成オケでは奏でられない華麗な音が持ち味だ。

近年、ピリオドを使った原点回帰的演奏が主流となっているだけに、ますますこの録音は貴重と感じる。

他方、「春の祭典」は、名うての名プレーヤーが揃うベルリン・フィルを、カラヤンが圧倒的な統率力でドライブし、緩急自在のテンポを駆使して、難曲の代表格である同曲の聴かせどころを心得た心憎いまでの巧みな演奏を行っており、同曲を実にわかりやすく聴かせてくれる点を高く評価したい。

「春の祭典」のライヴとしては、1978年のパレクサ盤の方を今なお上位に置きたいが、本盤も、それに匹敵する名演だと言っても過言ではないだろう。

音質は、1972年のライヴとは思えないくらい鮮明である。

ライナーは、カラヤンの偉大な伝記を著したリチャード・オズボーンが書いており、こうした点も、本盤の価値を大いに高めている。

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classicalmusic at 21:50コメント(0)トラックバック(0)カラヤンストラヴィンスキー 

2011年06月04日


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カラヤンは1982年から85年にかけて、つごう4度目となるベートーヴェンの交響曲全集を録音したが、この「第4」はその頃にライヴ録音されたものである。

カラヤンは、一分の隙もないすっきりと整った音楽を作り出しており、いかにも現代的な感覚の演奏となっている。

ベルリン・フィルの華麗な響きとともに、カラヤンの棒の絶妙な魔術を味わうことのできる演奏といえよう。

カラヤンが得意としていたリヒャルト・シュトラウスの管弦楽作品の中でも、オーケストラ音響を効果的に扱う上でとりわけ腕の振るい甲斐のあるのが《英雄の生涯》だろう。

カラヤンが、最初のベルリン・フィル盤(1959年)を含めて、幾度も実演と録音を繰り返したのもむべなるかなである。

1985年、カラヤン77歳の年のこのライヴ・レコーディングは、何はともあれ管弦楽の圧倒的な響きの魅力と、それをクリアに記録した録音の音質のすばらしさに最大の特徴がある。

ただし、これをオーディオ装置のデモンストレーションにばかり使われては、カラヤンも不服だろう。

内的表現の深さと周到さにおいて、なるほどと思わせる部分を聴き逃したくない。

一般論として、再録音、再々録音されたカラヤンによる同曲異演盤は、その初期、中期のもののほうがよいように思うのだが、この《英雄の生涯》は晩年のライヴ録音になる1985年盤がおもしろい。

カラヤン自ら"英雄"になぞらえる気持ちが、特に色濃く示されている。

帝王の真髄が、ここに刻まれている。

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classicalmusic at 01:11コメント(0)トラックバック(0)カラヤン 

2011年06月03日


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ドホナーニは楽譜に手を加えるより、むしろ注意深い解釈で、シューマンのスコアをまるで霧が晴れたように明快に表現している。

確かなフレージングを一つ一つ積み重ね、隅々にまで力のみなぎった迫力のある音楽を生み出している。

ドホナーニは作品に真正面から向い合い、その魅力をストレートに引き出してくれる指揮者だ。

こうしたアプローチを「個性がなく」「平凡」と言ってしまうことも可能だろうが、彼らにおいて確実に「非凡」なのは、オーケストラの響きを練り上げ、アンサンブルを見事にまとめあげていく能力である。

この非凡さが、「平凡」な解釈を、小手先の細工を弄したり斜に構えてみたりといった幾多の一見「個性的」な解釈よりも、はるかに説得力のあるものへと変えるのだ。

特に第1番「春」は、ドホナーニとクリーヴランド管の透明感のあるさわやかな響きがこの曲にふさわしく魅力的。

リズムの粒立ちがよく、全体の構成も明快ですっきりとよくまとまっている。

第3番「ライン」はシューマンの意図した各楽章の性格を十全に表出することに成功している。

とくに「生き生きと」という指定のある両端楽章はリズム感の良さが光り、音楽が躍動し、生命感にあふれている。

個々の部分の造形が明快なのもよい。

中間の各楽章も明快で音楽がきびきびとしている。

第2番と第4番の新鮮な表現も、そうしたドホナーニの演奏様式から作り出されている。

その克明なアンサンブルは、楽譜に記された音のすべてが聴こえるような印象を与える。

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classicalmusic at 18:44コメント(0)トラックバック(0)シューマン 

2011年06月02日


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これは大指揮者セラフィンでもなく、ほかの歌手の誰でもなく、ただひたすらカラスを聴くためのCDだ。

このドラマティックな作品を、ドラマティックな歌声を持つ20世紀最高のプリマドンナ、マリア・カラスが演ずれば、どんなにすばらしいことか。

ところが、実際の舞台でカラスがこの作品に出演したのは、1948年と49年の2年間のみであった。

しかし、1957年に録音されたこのCDで、その舞台のすばらしさを想像することはできる。

その歌唱は言葉への集中度が異常に高く、声の力だけで聴かせるトゥーランドットにはない感情の豊かさ(たとえそれが病的であっても)に感嘆させられる。

《トゥーランドット》という一種異様で、狂気にも似たこのオペラは、実はカラスがもつ声のために書かれた作品ではなかったかと思わせる強烈な説得力と吸引力があり、演奏はまさに壮絶そのもの。

氷の歌姫の魔性と人間愛とをこれほどのコントラストで味わわせてくれる演奏は他になく、オペラは彼女を軸に回転し、燃焼していくのである。

また、カラスのみではなく、若き日のシュヴァルツコップが演じているリューも良い。

純粋な愛のなかで死んでいくはかない命には誰もが心打たれるものがあるが、それをシュヴァルツコップは、みごとに歌いあげている。

しかし、このリューをカラスが演じていたらもっと感動するだろうと考えるのは、欲が深すぎるというところか。

トゥーランドット姫の非人間性を冷たく描出したカラス、カラフへのいちずな恋心を実に美しく、やさしく表現したシュヴァルツコップのリュー。

そして、色彩的な響きをオーケストラから引き出し、東洋的な情緒をもりあげたセラフィンの指揮。

稀有な名演である。

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2011年06月01日


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1988年10月、カラヤン&ベルリン・フィルの最後のロンドン公演を収録したディスクで、カラヤンの新しいライヴ録音の中でも特に強烈な印象を与えられた。

「浄夜」では、ベルリン・フィルの大編成の弦がその桁外れの表現力を発揮し、濃厚な官能性を秘めた劇的な曲として完璧に演奏している。

カラヤンのレガート趣味もあってか、ダイナミクスの起伏のわりに、表情のキレがやや鈍ることになる。

でも、こういった凄絶でロマンティックな演奏は好きだ。

カラヤンはブラームスに得難い旨味を発揮する指揮者であったが、この最晩年の演奏は、なかでもカラヤンの凄味と魅力が十二分に打ち出された名演である。

カラヤンは最初の音からいきなり気合いの入った厚い響きではじめ、それを微動だにしないテンポで序奏の最後まで押し通す。

第1楽章序奏から、その激しく思いのたけをこめた演奏に息を飲み、圧倒される。

しかも、第2楽章に端的にきかれるように、その演奏には、あくまでもしなやかに澄んだ歌と手厚い表現が一つになっている。

揺るがぬ安定感は一貫して全曲に流れ、その上でフィナーレに向かって高揚し、幅を広げながら突き進んでいき、圧倒的な幕切れに達する。

まさにこの演奏は、音楽する心と技が完璧に一致した超名演といえよう。

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