2011年07月

2011年07月31日


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ピアノ協奏曲第3番(1951年盤)は、ホロヴィッツ最盛期の名演であり、この曲の歴史的名演に数えられる。

ホロヴィッツのこのモノーラル録音が放つ閃光は、約60年を経た現在でも未だ少しも衰えない。

凄絶なテクニック、鋭い切れ味、表現の振幅の大きさ、表出力の鋭さ、すべてにわたってこのピアニストの類いなく冴えわたった感覚を伝える演奏となっている。

あるいはこの協奏曲の古今の諸ディスク中、ラフマニノフの自演盤と並び最右翼の原点に位置するものともいえるだろう。

ホロヴィッツは、独特の華麗なタッチにより、ときに大胆な語り口を交えて弾き進めながら、ラフマニノフの華やかなピアニズムと、哀愁を帯びたロマンティシズムを、豪快なスケールで描く。

豊かな詩情の湧出はあっても感傷的な弱々しさは微塵もなく、一貫して鋭敏な感性とシャープさを基本とし、少しの緩みもない曲運びをみせる。

ライナーのサポートも引き締まり、ここにはエモーションに流されることなく徹底して凝集力のあるラフマニノフの美が結像している。

ラフマニノフの第2ピアノ・ソナタには、かなり長大な1913年初版と、それから彼自身が規模の上で短縮した1931年改訂版とがある。

最近の若いピアニストや学生たちは、その双方のいずれかを使って、かなり数多くとりあげるようになっている。

ホロヴィッツにとっては、この作品は早くからレパートリーの一つとなっているが、彼の場合、その2つの版から彼独自のエディションをつくり出しており、華麗な技巧を駆使し、しかも構成的にも初版よりも緊張感を高めたものとなっている。

それは、まさに魅力的で、そのライヴとしては、1968年盤も残されているが、この1980年盤は、晩年の円熟が最もよいかたちで表れたもので、他の追随を許さぬ境地だ。

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2011年07月30日


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大戦中の伝説的なブルックナーで、ベルリン・フィルとの録音の中でも音は最良のもの。

ベルリン・フィルの個性的な音と演奏が豊かであった時代の演奏であり、流暢で深い陰影をもった情緒的表現は、確かに伝説になるだけの価値のあるものだ。

フルトヴェングラーの指揮も、ブルックナーの信仰告白ともいうべきこの曲に対して、深い精神性に裏づけされて見事に音化されている。

1951年のザルツブルクでのライヴ盤(ウィーン・フィル)よりはるかに明確にフルトヴェングラーのブルックナー観が打ち出されている。

とくに第1楽章の冒頭、序奏部のあとのブルックナー休止に続くティンパニの一撃と金管の壮烈なコラールはフルトヴェングラーの真骨頂を示すもの。

音楽の豊かなダイナミズムと、強い緊張感が維持されている第5番であり、この大胆なアゴーギクはフルトヴェングラーらしさを印象づけるものだ。

やや晦渋な表現ながら、終楽章の雄大なスケール感は圧倒的である。

フルトヴェングラーは、ドイツ・ブルックナー協会の会長をしていた。

いわば、ブルックナーの専門家である。

そうした面目が、この古い録音の全面ににじみ出ている。

旋律のみずみずしいしなやかさ、地の底から噴きあげるようなブラスの和声の充実感、作為なく、ブルックナーの音楽そのものを感じさせる造型、あらゆる点で、もう二度と現れまいと思われるような演奏だ。

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2011年07月29日


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シューリヒトの演奏がライヴとスタジオ録音で、別人のように異なる場合があるのは知る人ぞ知るところだが、珍しくハンブルクの北ドイツ放送交響楽団に客演したこのブルックナーは、この指揮者のライヴのなかでも燃焼度の高い演奏である。

淡々とした中にも芯のしっかりした力強さと一種独特の寂寥感が漂う名演だ。

シューリヒトの表現は、カラヤンやジュリーニの演奏と比べると響きそのものは決して厚くはないが迫力がある。

また、淡々としたストレートさの中に、懐の深い絶妙のニュアンスと豊かな深い味わいを出してくるのは独自の魅力がある。

弦のボーイングにも工夫の跡が聴かれるアクセントで、要所をピタリと止めて輪郭をくっきりさせながら上り詰める自然な高揚感と、鳴り切っても細部が明瞭で濁りがない音は、シューリヒトならではのもの。

堂々とした音楽の運びに貫かれた名演だ。

スタジオ録音には感じられない凄みを加え、とくに第1楽章には数々の新発見がある。

何も特別なことはしていないのに、初めて耳にするような音楽が頻出するのに驚かされる。

老匠のスコアの読みはかくも鋭く、かくも新鮮なのだ。

アダージョでもシューリヒトは聴く者の魂を激しくゆさぶる。

それはすなわち作曲者の力なのだが、ここまで音化し切ったのは指揮者の棒なのである。

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2011年07月28日


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ケーゲルは近頃いろいろなライヴが発掘された。日本での最晩年の演奏とか、ショスタコーヴィチとか、魅力的なものが陽の目を見た。

けれども、今なお、「パルジファル」はケーゲルの最高の演奏のひとつであり続ける。

ともかく、オーケストラの響きが明晰をきわめ、かつ美しい。ほのかに青がかかったガラスのような響きだ。まったく曖昧なところがない。バス声部はもったいぶらず、いきいきと動き、響きはたっぷりしたままに軽快ですらある。

だから、全体が精悍で引き締まった印象になる。CD3枚になっているが、とても快適なテンポである。鈍くならない。押しつけがましい和音で威圧したりしない。アンフォルタスの苦しみを表す場面など、しばしば引きずるような演奏になりがちだが、全然そうではない。ひとことで言えば、自分の視力がよくなった気がする。

1970年代の脂がのった名歌手の競演もすごい。若々しい美声で全体を歌い通すコルトのグルネマンツ。コロの凛としたパルジファル。このふたりの力によって、「パルジファル」がまるでベルカント・オペラのように快楽的なものになる。

第1幕など、事実上、グルネマンツのための音楽だが、惚れ惚れと聴ける。おいしい水のように楽々と体の中に入ってくる。

それに合唱もすばらしく鍛錬されていて、黄金のハーモニーを聞かせるのだ。

極端な話、ストーリー、思想を知らずともよい。ただただ音楽の見事さに身を浸すだけで満足感を得られる演奏だ。オーケストラ、ソロ歌手、合唱、ここまでの水準で揃った録音は他にない。音質もいい。

つまり、ケーゲルの「パルジファル」は、重々しさに欠けていないのに躍動感があり、感覚的に磨かれているのに皮相ではなく、明晰でありながら味気なくならず、・・・そういう妙なるバランスを持っている。

驚いたことにライヴ録音だが、おそらくこの演奏会のためにたいへんな準備がなされたことであろう。

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classicalmusic at 01:03コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーケーゲル 

2011年07月27日


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1982年9月15日、NHKホールにおけるライヴ録音。

ヨッフムのブルックナーの交響曲に対する愛着は、既に1960年代にベルリン・フィルとバイエルン放送交響楽団とを指揮して完成した全集と、1970年代後半にドレスデン国立管弦楽団を指揮した全集に表れている。

この来日公演盤では、それがいっそう深いところで集約され、結実しているといってもよいであろう。

オケの響かせ方がブルックナーの法悦そのものであり、心のこもり切った表情、奥行き、厚みも見事。随所で音楽の箴言を伝えている。

作曲家独自の生成と高潮とが交替する作品の構成を、いっそう純化し、明確化して、曲に見通しのよさを与えている。

オーケストラの響きは、彼らの最上のものとなって潤いと落ち着きを持った表現をみせ、そのバランスの整えられたアンサンブルは、オルガニスト、ブルックナーとの結びつきを示唆している。

だがここで何よりも見逃せないのは、既に80歳を迎えていたヨッフムの音楽家としての円熟であり、しかもなお一向に衰えをみせぬ情熱と、美への献身であろう。

ヨッフムは要所を着実に押さえ、音楽を少しも飾ろうとせず、柔軟に流動させる。

いつかいかなるときにおいても、ヒステリックになることなく、素朴な、しかも晩年に入った野人ブルックナーの心境をはっきりと描き出す。

冒頭の主題形成からして実に鮮やかで、重力から開放されたような趣がある。

なかでも抒情と清浄さをみなぎらせた第3楽章は、充実した出来映えだ。

ヨッフムの作品に対する確信と愛着の念が素直な容姿の音楽を生み出している。

鮮明度の点では遜色を否めないが、音楽的な質は至極高い。

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classicalmusic at 02:55コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヨッフム 

2011年07月26日


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グルベローヴァとアーノンクールのリサイタル初共演盤。

グルベローヴァの代表的なソロ・アルバムで、コロラトゥーラの超絶技巧の極致ともいえるモーツァルトのコンサート・アリア集。

モーツァルトの音楽の、清楚で可憐な性格よりも、かなり劇的な性格を引き出した歌唱である。

グルベローヴァの歌唱はライヴでありながらも終始安定しており、いささかの乱れもない。

その声は広い音域にわたって一粒一粒輝いているし、超絶的なコロラトゥーラも余裕をもって鮮やかに歌い切り、特に高音のピアニッシモが美しい。

グルベローヴァの高音には、ほかのどのソプラノにもない独特の魅力がある。

それがとりわけモーツァルトでものすごい威力を発揮することを教えてくれたのがこのディスクだった。

ここにはアロイジアのために書かれた4曲をメインに8曲もコンサート・アリアが収録されている。

一般によく知られている曲たちではないが(しかしこの演奏によって真価が明らかになったものもあるのでは)、どの曲も聴き手の心をとらえて放さない。

コロラトゥーラにも感心するけれど、むしろその音色に現われた目のくらむような「魔性」に魅力を感じる。

グルベローヴァのツェルビネッタにもそんな「魔性」があった。

曲そのものに加え、グルベローヴァ自身の価値をも伝える傑作ディスクである。

アーノンクールの指揮はテキストと音楽の内容を的確に示している。

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classicalmusic at 18:59コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトアーノンクール 

2011年07月25日


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指揮者の中にはレパートリーの広さを誇る人がいる一方で、取り上げる曲目の範囲を限り、専ら自分に合った楽曲で勝負する人がいる。

後者の中でも代表的な存在が他ならぬクナッパーツブッシュである訳だが、彼の場合その音楽は少しもこれ見よがしなところが無いにも関わらず、そこには強く聴き手を引きつけて離さない大きな力があり、同時にそこにこの指揮者の巨大なパーソナリティーをを反映した極めてスケールの大きな演奏が実現されることになる。

クナッパーツブッシュの場合、このような最も代表的な例としてワーグナーを挙げることになるのだが、こういった巨大な芸術が実現される前提としてこの指揮者の体質が作曲家ワーグナーに最もぴったりしていることを誰しも認めない訳にはいかないし、それはこの指揮者が楽曲の中に自己の総てを投入することによって達成されるものにも他ならないと思う。

そしてもう1人、クナッパーツブッシュが完全に自己を同化させることの出来る作曲家を挙げるとすれば、それにブルックナーの存在が大きく立ち現われてくることになる。

こうして晩年のクナッパーツブッシュが指揮したブルックナーの歴史的ともいえる演奏が次々と発掘された録音を聴くに及んで、クナッパーツブッシュがブルックナー指揮者として最も著名な存在に挙げられるものであることを改めて確認した。

その悠然たるテンポと素朴な神秘主義は、特にワーグナーの中でも晩年の《パルジファル》のようないわばブルックナー風の音楽にぴったりしたものがあった。

当然ブルックナーを振った場合でも、クナッパーツブッシュの才能は他の誰よりもふさわしいものがある。

作曲家ブルックナーと同様に、この指揮者は性格的に或る種の素朴さを持っている。

彼の演奏は外声を殆ど無頓着といえる程に扱うのだが、このことは1つには彼がリハーサルに熱を入れないことからくるとはいえ、然しその無頓着さはブルックナーその人の農民風の無尽さにマッチしたものがある。

そしてクナッパーツブッシュが、ゆっくりした歩みと共に築かれるこの作曲家の壮大な音楽の流れを害うことなしにその脈動を変えるルバートの方法は、清澄さと高鳴る昂揚が順次交替するその音楽の本質を適格にとらえている様に思われる。

この実況盤は、色々な意味でこの指揮者の有りし日の芸術を偲ぶ貴重な記録を提供してくれるのである。

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classicalmusic at 18:49コメント(0)トラックバック(0)クナッパーツブッシュブルックナー 

2011年07月24日


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R.シュトラウスの作品にかけて、カラヤンは最も理想的な指揮者であろう。

審美主義者としてのカラヤンと、シュトラウスのもつ音楽的体質が見事に一致しているからである。

《ドン・キホーテ》もカラヤンの十八番だけに、至上のシュトラウス・トーンを響かせている。

《ドン・キホーテ》の珍妙な行動絵巻は、上手な演奏で聴くと抱腹絶倒の面白さである。

このディスクはカラヤン3度目の録音だが、録音するたびごとに綿密さが加わって、ここでもまさに一分の隙もなく、完璧な仕上がりの演奏である。

カラヤンはこうした標題音楽的な作品を指揮させると抜群のうまさを発揮する。

ことに、各場面の描写のうまさと、卓抜な演出力にはほとほと舌を巻く。

カラヤンはあたかも名人の話芸を聴くかのような、実に語り上手な音楽の作り方で、騎士物語を読みすぎたあまり、頭がおかしくなり、村を出て数々の珍妙な行動を取り返すこのドン・キホーテの物語をユーモアをこめて鮮やかに活写した巧緻な演奏だ。

カラヤンは変化にとんだ各変奏を巧みに描き分けながら全編を精妙にまとめている。

また、若手のメネセスのチェロも、カラヤンのおめがねにかなっただけあって、見事なソロを行っている。

ヴィオラのクリストも、よく息の合った演奏で、カラヤンの信頼に応えている。

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classicalmusic at 19:20コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスカラヤン 

2011年07月23日


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「第5」は1974年9月15日、「第7」は1964年9月19日、以上レニングラード・フィルハーモニック大ホールでのライヴ録音。

最近の古典派、とりわけウィーン古典派音楽の演奏スタイルには目覚ましい変化が生じている。

いわゆるオリジナル楽器編成とモダン・オーケストラの如何を問わず、概してテクスチュアのクリアーな浮き彫りに大きく神経が配られる傾向がある。

このムラヴィンスキーの演奏は、こうしたスタイルが定着する前のもので、響きは全体にマッシヴな作り方に重点が置かれたものになっている。

ムラヴィンスキーの第5番の録音は過去にもいくつかあったが、そのいずれもが最高峰とまではいかなかった。

しかし、これは違った。

この演奏は第5番の全CDの中でも重要な位置を占めるものである。

ムラヴィンスキーの指揮ぶりは、聴衆へのサービスや媚びがいっさいなく、速いテンポで虚飾を排し、音楽の核のみを重視、これほど魂の孤独な闘いを実感させる演奏もあるまい。

この真剣さ、緊迫感、集中力、本番ずれしがちなプロの集団から、よくぞこれほどの暴風雨のような響きが出せたものだと感心する。

組み合わされた第7番は今一歩の出来ばえだ。

ムラヴィンスキーというと、すぐにロシア音楽と考える人が多いが、そうではないことをぜひ認識してほしい。

こんな指揮者がつい最近まで生きていたかと思うと、筆者ももう少し早くこの世に生を受け、もっともっと生演奏が聴きたかったと思う。

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2011年07月22日


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ブルックナーの音楽観の本質に宿る厳格なドイツ精神と楽天的なオーストリア精神のバランスの表現が音楽の善し悪しを決定する。

どちらが欠けてもブルックナーから離れてしまう。

この作品では重厚で渋いドイツ精神が優先する、ヴァントならではの秀演だ。

すでによく知られている通り、ヴァントはいわゆる愛想のよいタイプの指揮者ではない。

彼がつくり出す音楽は、どこか安直に近づいたりすることを拒否しているような、いかめしい性格を持ったものだ。

ヴァントの手になる音楽づくりは、いつもたいそう硬派。

甘さは徹底的に控えめで、妙に凭れかかったりするようなことがない。

そうした彼の硬派な姿勢が、ここに聴くブルックナーの交響曲第3番でも例外ではなく最大限の効果を発揮している。

通念的にはより親しみやすいはずの、「感動をもって」と記された第2楽章もズルズルと情緒的な要素をひきずることはしないし、ここでは周囲をはらうかのような感じを漂わせている。

第3楽章の中間部のレントラーふうの舞曲も、緊密な造型性をゆるませるようなことはない。

にもかかわらず、ここに聴く音楽はたいそう魅力的だ。

その明確な輪郭を持った表現、スケールの大きさ、一途な姿勢には圧倒されてしまう。

厳しいけれど、高い志に貫かれた深い人徳を備え、いつまでも忘れ難い恩師にたとえることもできる立派な演奏内容である。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2011年07月21日


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1955年4月5日、シュトゥットガルト=デゲルロッホ・ヴァルトハイムでのライヴ録音。

シューリヒト75歳のときの歴史的録音だが、その演奏は力強く雄渾で、しかも語り口はあくまで自然である。

共感にみちた表現が端正な造形のなかにのびやかに、かついかにも意味深く織りなされた自然体の演奏は、長年ブルックナー演奏に献身してきたこの巨匠ならではの至芸と言うべきだろう。

そうしたシューリヒトの指揮にしなやかな集中力をもって応えるシュトゥットガルト放送響も素晴らしい。

晩年のシューリヒトの最良の理解者は言うまでもなくウィーン・フィルだったが、その活動と並行して、シュトゥットガルト放送響にも客演していくつもの名演を実現した。

ウィーン・フィルはシューリヒトの音楽を知り尽くし、指揮棒の動きの行間を読み、微妙なニュアンスに機敏に反応した。

それに対し、シュトゥットガルト放送響は一定の距離を置きながら、指揮者、オーケストラ双方の個性のせめぎあいから異なった結果を生み出したように思われる。

重量感を伴ったやや硬質の響きによるブルックナー演奏については好き嫌いがあるかもしれないが、ここでもシューリヒトは自らの主張を貫き、この組み合わせでなければ実現できない一期一会の演奏を実現している。

シューリヒトのブル4は私の知る限りシュトゥットガルト放送響盤のみなので、その点でも貴重な録音である。

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2011年07月20日


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1980年1月29、30日 レニングラード・フィルハーモニー 大ホールにおけるライヴ録音。

この曲は途方もなく深遠で純粋であり、人の気配をまったく感じさせない神秘がある。

多くの演奏はその風景の中に何がしか余計なものを混入させたり、濁らせたりしている。

この演奏は音質が渇き気味であり、しかも金管楽器が剥き出しのバランスなど、聴感上の違和感がないとはいえない。

だが、曲の核心にどれだけ近づいているか、それをふと思った時、この演奏はがぜん浮上してくる。

伝統や慣習にまったく縛られない新古典主義的な表現である。

抑制がきいた緊張度の高い、筋肉質の響きを持っており、各パートの水平的、線的な動きが目立っている。

楽器のバランスも個性的で、金管の鋭い音色は、ロシア風の荒々しさを持つが、全体的に音楽的な密度は高く独特な説得力を持つ。

ムラヴィンスキーならではの力演である。

なお、旧ビクター盤のCDは第3楽章の155小節が唐突に始まるが(編集ミス?)、このALTUS盤ではそれがない。

ここは全曲中でも最も重要な場面のひとつなので、この修正がなされたことはたいへんに嬉しい。

ムラヴィンスキーのブルックナーは少ないだけに貴重な録音だ。

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2011年07月19日


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第8番の名演として古来有名なのがクナッパーツブッシュ盤とシューリヒト盤。

これはその名高きスタジオ盤の直前のライヴで、スタジオ盤の方はいささか枯れた感じの名演だったが さすがシューリヒト、ライヴの迫力がやはり本当であった。

録音もオケも一流で、表現にも豊かな美しさにあふれており、部分的な閃きの鋭さも見事、寂しい瞑想や内省の深さ、清らかなデリカシーと厳しい緊張感の対比がすばらしい。

クナッパーツブッシュの聴きどころが壮絶なまでの圧倒的フィナーレなら、このシューリヒト盤の聴きどころは宇宙を包容するような優しく巨大なアダージョ。

シューリヒトの柔らかな構築力と朗々たるウィーン・フィルのサウンドが見事に出会って、なにか人類そのものを語っているかのような壮大で神聖な音楽が立ち現れる。

この演奏を聴いていると、ブルックナーの悠々たる時間感覚の中で鳴り渡る壮麗な協和音は、ウィーン・フィルという楽器でないと鳴らしきれないのではないかという気さえしてくる。

基本的にノヴァーク版第2稿だが、ハースの読みを取り入れている。

コンパクトな設計に少しでも重心を与えようとしたかのような、重々しさを強調した第1楽章と、比較的速めのテンポ設定による第3楽章がすばらしい。

速いテンポのスケルツォも抉りが効いている。

対位法書法への対処はこの演奏でも見事で、シューリヒトはテンポをあまり動かさず、安定した流れの上でブルックナーの幅広い旋律を表情豊かに歌わせる。

第3楽章はその最もよい例である。

このコンビによる第9番も、究極の演奏とでも言うべき名盤だ。

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2011年07月18日


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シューリヒトの至芸が発揮されたブルックナー。

今や知る人ぞ知るカール・シューリヒト(1880-1967)だが、ドイツの忘れてはならない巨匠である。

シューリヒトは、ドイツ・オーストリア音楽をレパートリーの一つの柱(もう一つは当時の近代・現代音楽)にしていたが、ブルックナーもしばしばとりあげていた。

この第9番は、いつ聴いても美しく、魅力的で、絶対に飽きのこない名演であり、オケのすばらしさも光る。

ホルンなど金管群のウィーン・フィル独特の響きの魅力とあいまって、すばらしい演奏だ。

どの一部をとっても意味深く、こくがあり、有機的で、とくにスケルツォは完璧無類だ。

ウィーン・フィルとの相性の良さは天下一品で、このブルックナーに耳を傾けているとその凄さが分かってくる。

一見何もしていないような演奏だが、作品に語らせ、オーケストラに語らせているようで、実は彫りの深いシューリヒト・ワールドを見事に打ち立て、ブルックナーが最後に到達したほとんど宗教的境地を清冽な壮麗さと純度の高い完成度で描き尽くしている。

ただ、熟しても不思議に冷静な視線が背後にある、そんな感触があり、シューリヒトの至芸はある意味で究極の職人芸といえるのかもしれない。

凛々しく、謙虚なブルックナーである。

しかもシューリヒトの演奏には常に節度があり、表現は端正である。

シューリヒトのブルックナー解釈が、雄大な音楽をありのままに再現しながら品位を失わないのはそのためで、ブルックナーの音楽に興味を持たない人にも受け入れられよう。

ただ人によってはスケールの小ささと迫力の不足を訴えるかもしれない。

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2011年07月17日


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20世紀最高のショパン解釈者はコルトーであるといっても異論はないであろう。

彼は著書にあるようにどの曲にも独自の解釈を示しているが、そこから生まれた演奏はきわめて普遍的な説得力と豊かな魅力を持っていた。

コルトーはショパンの独奏曲をほとんど録音したが、ピアノ・ソナタ第2番の演奏も素晴らしい。

ここでコルトーは、ショパンの燃えるような情熱と純粋な詩情を融合させ、昇華させているが、その場合には何といっても彼の独特のタッチが一つ一つの楽句に豊かな音色と表情を与えている。

結果として、この演奏は華麗ではあるが真摯であり、ロマン的な感情を輝かしく発散している。

またシューマンも、コルトーの特に十八番と言えるレパートリーであった。

コルトーはシューマンの内面を深く掘り下げ、その感情の動きに密着することによって解釈を生み出し、それはシューマンの情熱の燃焼とメランコリックな感情の沈潜を完全に融合させた。

ロマン派の作曲家で最も詩的な傾向の強いシューマンの音楽に、コルトーの詩的な感受性が共鳴したためといえよう。

そしてこの録音は、ミスタッチが散見され多少の聴き苦しさもあるが、コルトーの音楽を表現することの巧みさと感情表現の深さは、恐ろしくエキスの濃い音楽表現を実現させている。

コルトーの演奏は、少し大時代的な古さを感じさせることも否めないが、濃厚な情念を内在させたその甘美でロマンティックな表現は、すこぶる音楽的であると同時に詩的であり、作品の本質を確かに捉えている。

音質は古いが、歴史的名演として注目したい。

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classicalmusic at 00:32コメント(0)トラックバック(0)コルトー 

2011年07月16日


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アバドはマーラーの交響曲でひとつの美学を築いた。

彼にはベートーヴェンやシューベルトの全集もあるが、なによりもマーラーでそれがいちばん貫徹しやすかったのだろう。

彼の美学の基本はさまざまな色合いの縦糸と横糸の精妙な織りなしにある。

絹のような艶っぽさと光沢感、手ざわりのなめらかさなど、どこをとっても流麗かつ繊細で緻密、全体がひとつのゴブラン織のような豪奢な図柄となって浮かび上がるように配慮されている。

スケール感にも欠けず、コラージュ風の構成のマーラーの交響曲にはぴったり。

まさにクリムト風の表層的なアプローチと言えるが、健康なかがやきを失っていない。

そのためにマーラーの心理のどろどろした暗部にはとどきにくい。

この第1番はそうした特徴がよく出ており、土臭さを拭った洗練のきわみをゆく演奏だ。

それに、アバドのマーラーには新鮮な感覚で作品を大胆につかみとった痛快な印象に加え、歌う魅力がある。

実によく歌わせたマーラーであり、旋律は歌わせるためにあるのだという考えを音楽の上で如実に示したような演奏になっている。

そして盛りあげるべきところでは断固とした表情をつくるので、それぞれの楽章に明快な起伏が生まれる。

現代的な、瑞々しいマーラーだ。

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2011年07月15日


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近年、独アウディーテよりクーベリックのライヴが多数発売されるようになり、「クーベリックの本領はライヴにあり」という声をよく耳にするようになった。

このマーラーのライヴ音源集(「第4」は含まれず)のうち特筆すべき演奏は、「第3」「第5」「第8」「大地の歌」の4曲だ。

「第3」は、まるで屋外コンサートを聴くような気持ちのする演奏であり、録音である。

どこまでも気宇壮大ながら、風通しの良いサウンドが心地よい。

テルツ少年合唱団の歌声が、至純なあまり心が痛いほどである。

これは内に向かうスタジオ盤より断然素晴らしい。

「第5」は、「ライヴのクーベリックは違う!」を高らかに宣言したような燃えに燃えた凄演。

まず1枚聴くなら、これだろう。

「第8」もライヴの長所が生きている。

「第3」同様に風通しの良い音で、この作品の宇宙的なスケールを的確に伝えてくれる。

シェルヘンのような破天荒なパワーは望めないけれど、コーラスの出来映えもしっかりしており、同曲のステレオ録音では筆頭に掲げたい。

「大地の歌」は、全集に加えられなかった作品だけに貴重な音源である。

1970年の録音というのは全集録音の期間中であり、スタジオ録音を念頭に置いた演奏会であったと考えるのが普通だろうか。

一体どんな事情が、スタジオ録音を妨げたのか(歌手との契約の問題かも知れない)。

テノールのクメントも及第点だが、時おり心よりも声を思わせるのが惜しい。

その点、アルトのベイカーは人生を歌ってくれる。

クーベリックの追求度、集中力はここでも申し分ない。

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2011年07月14日


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カラヤンの《ボエーム》には、オーケストラにベルリン・フィルを配し、フレーニとパヴァロッティの黄金コンビを軸にしたセンチメンタルなドラマを何処までも精緻に、そして劇的に描き切った信じられないような名演の1972年盤がある。

しかし、ここでは敢えてスカラ座とのDVDを選びたい。

カラヤン57歳のときのゼッフィレッリの演出によるスカラ座での公演を素材にしたオペラ映画が今なお色褪せない魅力を持っている。

ここで見られるのは、今日でもしばしば上演されるゼッフィレッリの名演出の原形となったもので、ポネルの《蝶々夫人》のような違和感は全くない。

それだけに、〈見る〉というオペラ本来の楽しみを心ゆくまで味わうことができる。

演奏は、カラヤンがスカラ座のオーケストラから明るくみずみずしいだけではなく、重厚かつ豊麗な響きを引き出し、このオペラの、交響曲にも譬えられる構成の妙とシンフォニックな魅力を、十分すぎるほど表現しているのが印象に残る。

歌手も、まだ若くデビュー間もないフレーニの歌も容姿も愛らしいミミは、定評ある歌のうまさに加えて、第1幕でロドルフォの前に初めて姿を現すところから初々しい朴訥さとコケットリーとを交錯させた身振り表情で見る者を悩殺する。

若くして亡くなったジャンニ・ライモンディも凛々しく充実した歌を聴かせ、あとのボヘミアンたちにも不満はなく、脇もすべて完璧に揃った《ボエーム》が見られる。

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2011年07月13日


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1983年、ロンドンでのライヴ録音である。

マタチッチのブルックナーには定評があるが、これもすごい、そしてまったく独特の演奏である。

これがイギリスの、それも洗練されたフィルハーモニア管かと驚くほどゴツゴツした荒々しい響きだ。

旋律も滑らかには歌われないし、合奏の精度も高くない。

そんな演奏のどこがよいかを言葉にするのが難しいのだ。

響きに異常な表現力がある。第3交響曲の第1楽章がこれほどまでにデモーニッシュに響いた例を筆者は知らない。

大きな音ばかりではなく、時々弦楽器が奏でる弱音がまた異様な力を帯びている。

第2楽章はまったく甘さがない。普通ブルックナーらしい魅力と見なされる、おおらかで牧歌的な雰囲気など微塵もないのだ。

ひたすら峻厳である。まるで同じ作曲家の交響曲第9番のようだ。

13分過ぎからはとくに息詰まるような緊張感である。

この演奏を聴くと、ブルックナーが晩年までこの作品を書き直していたことの秘密がわかったような気がする。

フィナーレは、テンポは速いにもかかわらず、信じられないような壮大さに達している。

ここでもまたオーケストラの響きの濃さに圧倒される。

ともかく一聴に値するライヴ録音である。

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2011年07月12日


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1956年5月14日 ボルドー音楽祭におけるライヴ。

長命に恵まれてステレオ時代に入ってからも活躍したとはいえ、1880年生まれのシューリヒトの芸術の基盤には19世紀風のロマン主義がある。

しかし、その演奏が野放図な主観性や恣意性に陥らないのは、その後の新即物主義の影響を受けているからだろう。

長い時期を中央楽壇ではなく地方で送ったシューリヒトは、そうした影響を独自に咀嚼し、自らの個性や基盤と調和させて、ゆっくりと自分ならではの芸風を確立してゆくことができた。

つねに古くて新しいシューリヒトの芸術の秘密がそこにあるように思う。

そう、シューリヒトのブルックナーは古くて新しい。

交響曲第7番の魅力もそこにある。

作品のテクスチャーがすっきりと見通せるような透明な響きと明晰な音楽フォルム。

微細なエピソードやソロ的パッセージなど、部分への閃きの豊富なこだわり。

そして、それらへの細心な目配り。

こうした音楽を微分する方向への指向は現代に通じるものがある。

だがその一方で、それらの部分が強い構成意識によって全体へと有機的に統合される。

部分への目配りは、すべてを統合する中心点へ向かう視線でもあるのだ。

全体構成の支柱となる動機や主題の萌芽や伏線が、実に細心読み取られる。

こうした音楽を積分する方向が確信をもってとれるのは、まだ「中心」を完全に喪失していなかった古き良き時代の芸術家ならではだ。

音楽への微分と積分の魔法のような融合がシューリヒトのブルックナーの魅力だ。

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2011年07月11日


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旧ソ連国外ではじめて行われた「15番」の録音であり、オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団こそは、アメリカ初演の栄誉を担った黄金コンビである。

オーマンディといえば、特に日本において、外面的で精神性の薄い音楽家だと評価されがちだが、ここに聴く演奏は掛け値なし、真摯で素晴らしいものである。

この盤にあってムラヴィンスキー盤にないもの、それは、ずばり「色彩」である。

特に第1楽章の多様性は、モノトーンのムラヴィンスキー式よりもオーマンディ流によって表現されるのだと思う。

第2楽章も、まるで水平線に沈みゆく夕日のような美しさであり、はじめから精神世界を彷徨するムラヴィンスキーとは別世界で美を奏でる。

後半ふたつの楽章も、フィラデルフィア管の卓抜な技術と美しい音色で、ショスタコーヴィチの遺言を内面的に彩っていく。

弦の豊かさは類例がないほどだが、その豊かさは決して外面的ではなく、卓越した弓遣いは、作品の内面へと斬り込んでゆく鋭さを持つ。

オーマンディとフィラデルフィア管の恐るべき実力を実感させられるCDである。

録音も美しく、このコンビの実情を生々しく伝えている。

多くの方に推奨したいCDだ。

ご存じのように、この米国の名門オーケストラ、フィラデルフィア管弦楽団は4月16日、破産宣告を申し立てると発表した。米経済が低迷する中、大規模なオーケストラの破産は同国で初めてだった。

まことに悲しい限りである。

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2011年07月10日


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以前紹介したザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団のスタジオ録音は、「10番」のスタンダード盤として、真っ先に推薦するものである。

一方、このフランス国立管弦楽団とのライヴも素晴らしい。

オーケストラの色彩感やサウンドの豊穣さにおいては、こちらの方が上で、ザンデルリンクの至芸を贅沢な音響で堪能できるのはありがたい。

両ディスクとも揃えておきたいものだ。

ムラヴィンスキー盤より録音も良く、演奏にも慈父のような暖かさ、懐の深さがある。

音楽が、どんなに悲痛になろうとも、凶暴になろうとも、徹底的に追いつめない心の大きさ、天から下界を見下ろすような眼差しの透徹がある。

第1楽章は遅いテンポで格調高く、じっくりと攻めており、スケールが大きい。

展開部における、立体的という言葉では追いつけない、多層的な音空間はまことに見事であるし、クライマックスにおける音の洪水には体が流されそうだ。

第2楽章の爆発ぶりも凄まじい。

この楽章に連続する内容いっぱいの音楽は、どれほどの最強音になっても美感を失わず、しかも味わいは濃厚、強靭なリズムとアンサンブルも聴きものだ。

第3楽章も冒頭部から美しく瞑想的であり、コーダの感慨深さも特筆すべきだ。

第4楽章のアダージョからアレグロに移る際の空気の変わり方には閃きがある。

ムラヴィンスキー盤とともに持っていたい。

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2011年07月09日


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演奏は、まったく正統的であり、この作品のスタンダードとして強くお薦めできるものである。

さすがに自国作品にみせるアンチェルの指揮は、内側からの表出力を支えとした力強さがあり、他のレパートリーにはない張りと輝きがある。

もちろん、抒情的味わいも豊かだ。

不思議に素朴さといったものはあまり感じられず、ドヴォルザークが残した最高の傑作を感動的に歌いあげた気迫に圧倒される思いだ。

全体に音楽が比較的淡々とした流れを持ち、各楽想の表現が明確で、テンポの大きな揺れといった作為的な表現がなく、いわゆる直截という感じがする。

現在ではこのような演奏が多くなっているが、この演奏はそれでいてこの曲から実に豊かな情感を引き出しているのが改めて感じられ、その辺が他の同様の演奏には見られない特色で、改めて見直されてよい。

オーケストラも積極性溢れる演奏を聴かせており、ライヴ的興奮を湛えている。

この《新世界より》は、1961年の録音であるから、チェコ・フィルが完全にアンチェルの楽器として機能していた黄金時代の記録ということになる。

後年のノイマン時代、さらにはクーベリックの歴史的帰国コンサートと較べても、弦の厚みといい、アンサンブルの精度といい、オーケストラの実力は、断然上であることが分かるだろう。

1939年、ナチスがチェコに介入すると、ユダヤ人だったアンチェルは家族共々アウシュヴィッツに移送され、家族を皆殺しにされてしまった。

この世の地獄を体験しながら、その嘆きや苦しみ、あるいは憤りを微塵も演奏に反映させず、このように健全で逞しい演奏ができたアンチェルに心からの敬意を表したい。

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2011年07月08日


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第1番は1964年4月、第5番は1961年11月の録音。

素の音だ。

なんの飾り気もなく、ただただ作品の本質に迫る音。

これは、どんな能弁よりも、心に強く、深く迫ってくる。

素で勝負できるなら、これほどの強みはない。

アンチェルの現代的感覚の冴えを思い知らされるショスタコーヴィチで、作品がまるで生き物のように再生される臨場感が素晴らしい。

アンチェルの演奏には技術的にデリケートな側面とおおらかな気分が同居しているのが興味深い。

ことに第1番は、作品が自ら動き出すような快い躍動感があり、オーケストラとの絶妙なコンビネーションに驚かされる。

第5番はさらに劇的気迫とスケールの大きい演奏だが、音楽が瞬時として乾いた感じになることがないのはアンチェルならではだ。

全篇を支配しているのは、胸を締め付けられるような寂寥である。

第1楽章では、草木ひとつない荒れ果てた地球に、ただひとり佇むような極限の淋しさがある。

第3楽章の慟哭も、心の奥深くから絞り出される涙のようではないか。

実直に音を重ねていくだけなのに、そこに傷ついた心からの血の滲みが見てとれる。

終楽章も質実剛健な音楽づくりであり、いたずらに興奮を煽る要素は皆無だが、クライマックスを盛り上げているのは現代の先駆を成す演奏だ。

全体にゆとりのあるテンポで作品の悲劇性を素朴に表現しており、そこに西欧やアメリカとは異なるスラヴ的気質が表されているようだ。

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2011年07月07日


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1982年11月6日、レニングラード・フィルハーモニー大ホールに於けるライヴ録音。

チャイコフスキーの「第5」は、ムラヴィンスキーの十八番だけに、かなりの点数の録音が遺されているが、本盤の演奏は、DGに録音した1960年のスタジオ録音、この数日後の11月18日の録音(ロシアンディスク)と並んでベスト3を形成する至高の超名演であると高く評価したい。

1982年は、ムラヴィンスキーが最後の輝きを発揮した年。

レニングラード・フィルも、名コンサートマスターのリーベルマンは退団していたが、ホルン主席のブヤノフスキーやフルートのアレクサンドラ夫人などが全盛期にあり、ムラヴィンスキーの統率の下、鉄壁のアンサンブルを誇っていた。

それにしても凄い演奏だ。

金管楽器など最強奏させているが、全体の厳しい造型の下、いささかの違和感も感じさせない。

テンポは速いが、歌うべきところはしっかりと歌い抜き、どこをとってもコクのある深いニュアンスに満ち溢れている。

あたかも、音符がおしゃべりをするような趣きであり、このようにオーケストラを手足のように操っていく至芸には表現する言葉さえ思いつかないほどの素晴らしさだ。

「ロメオとジュリエット」も超名演。

鉄壁のレニングラード・フィルを思うように操り、珠玉の名演を行っている。

時折見せるオーケストラの最強奏のあまりの迫力には、完全にノックアウトされてしまった。

音質も非常に鮮明であり、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの芸術を最高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2011年07月06日


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1973年4月28日 レニングラード・フィルハーモニー 大ホールにおける、伝説の来日直前の演奏。

ムラヴィンスキーはメンゲルベルクのように主観的にスコアを読み、メンゲルベルクのように音楽を解体してしまう。

さて、それを再構成するとき、メンゲルベルクはやはり主観的なのに、ムラヴィンスキーはストレートな客観性を装う。

その手腕はまさに天才といってよいが、それでもシューベルトやチャイコフスキーにははみ出すものがあり、それが一つの魅力にもなっている。

ところが、このベートーヴェンの「4番」だけは違う。

すべてが透徹し切っており、ストレートであり、即物的であり、抽象的であり、主観の残滓はどこを探しても見られない。

にもかかわらず、このハイ・クラスの芸術性は古今東西、天下一品だ。

「ブラ4」はあらゆる意味でムラヴィンスキー的な表現である。

響きの美しさで、雰囲気的に流れやすいこの作品を、リアリスティックな音の雄大な建造物にしているのが素晴らしく、独特の個性的な解釈で貫かれている。

しかも強壮で格調高い。

終楽章では劇性と古典性がギリギリのところでバランスをとっているような表現をつくっているのが興味深い。

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2011年07月05日


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1955年2月5日 パリのシャンゼリゼ劇場におけるライヴ録音。

シューリヒトの《エロイカ》で最も有名なのは、ORFEOからリリースされた1961年のウィーン・フィルとの演奏だろう。

そのスピーディで熱気あふれる演奏は多くの評論家から絶賛された。

ただ筆者の主観だが、このフランス国立管弦楽団との演奏はそのウィーン・フィルを超えているように思う。

今回のフランス国立管弦楽団盤は、一回限り聴いて熱くなるライヴという趣で、ウィーン・フィル盤に比べて若干大味で演奏の精妙さには乏しい。

しかしその熱気、スケール、迫力に関してはこちらのほうが上かもしれない。

テンポに一切の弛緩はなく、造型は明瞭にして、響きは明快そのもの。

シューリヒトの表現は凛烈な魂によるリアリズムの一撃だが、いたるところに新しい発見があり、いのちが燃え立っている。

シューリヒトは速いテンポで突進しつつ、ニュアンスはあくまで濃厚。スケルツォが良い例だ。

ALTUSの音質もモノラルながらORFEOと比べてもひけをとらない。

両方ともすばらしいところがあって、正直その両方を聴き比べてほしいけれど、より一般の人の心にグイグイと容易に入り込んでいくのはフランス国立管弦楽団の演奏のほうかもしれない。

ウィーンの伝統を背景にしない分、この明るいラテンの響きが、シューリヒトの個性をそのまま助長してくれているような気がする。

いずれにせよ、7つ知られているシューリヒトの《エロイカ》の中でも最高の演奏の1つであることは間違いない。

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2011年07月04日


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凄い超名演があらわれたものだ。

テンシュテットは、マーラーを得意とした指揮者であり、1970年代後半から80年代前半にかけて全集を録音した。

その全集におさめられた録音はいずれも劇的な性格の名演揃いであった。

テンシュテットは当時、ベルリン・フィルにも頻繁に客演して、マーラー以外の作品についても数々の名演を行っており、順風満帆に思われた矢先の1985年に癌が発見され、活動休止に追い込まれた。

その後、闘病の末に何とか復帰するが、1993年に完全に指揮活動を停止してしまうまでの間は、癌との戦いの中での正に命がけの演奏が繰り広げられることになった。

癌が発見されるまでのマーラー演奏すら劇的な性格のものであったのであり、復帰後の演奏は、更に輪をかけて、命を賭けたとてつもない強烈な名演を行うようになった。

特に、EMIが発売した第5〜第7のライヴ録音は、我々聴き手の肺腑を打つ凄まじい超名演であった。

本盤の第2番「復活」は1989年の演奏であるが、これも凄い。

そもそもテンポが全集におさめられたスタジオ録音と比較して段違いに遅い。

全体を約93分というのは、他の指揮者の演奏と比較してもかなり遅い部類のテンポ設定と言えるが、決してもたれるということはなく、全体的に緊張感漂う不思議な静謐さに覆われている。

それはあたかも、迫りくる死に対する諦観の境地のようだ。

それでいて、ここぞという時の悪魔的なフォルティッシモは大地を揺るがすほどの迫力があり、時折見られる猛烈なアッチェレランドはもはやこの世のものとは言えない狂気に満ち溢れている。

終楽章の合唱も圧倒的であり、演奏終了後の熱狂も当然のことであると思われる。

マーラーの「復活」は、筆者としては、これまでバーンスタイン&ニューヨーク・フィルの新盤を最高の名演と考えてきたが、今後は、テンシュテット渾身の命がけの超名演である本盤の方を、更に上位に置きたいと考える。

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2011年07月03日


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ムラヴィンスキーのチャイコフスキーの第5番は輸入盤を含めると、確か7、8種類の録音が存在しており、そのどれもが卓越した出来を示している。

さらに吟味するとグラモフォン盤はスタジオ録音のせいかいくらか迫力が劣るし、1973年盤は部分的に凄い表現が見られるとはいうものの、音質のムラがわずかに見られるので、結果として円熟味を増した1983年盤を第一に推したい。

このディスクは1983年3月19日に行われた、レニングラード・フィルの創立百周年記念特別演奏会を収録したものである。

したがって、晩年のムラヴィンスキーならではの情熱、深い共感、彫りの深さ、人間的なぬくもりをもった深遠な芸術を味わうことができる演奏内容になっている。

スケールの大きさと力強さ、加えて細部への配慮、そして音の輝き、いずれもその懐の深い表現のあたたかさに心奪われる。

第1楽章の開始からきわめて音楽的に純粋であり、精確で雄大なスケールの表現がつくられている。

響きの純度も高く直截で新古典主義的な解釈だが、さすがに練りに練られた表情には間然とするところがない。

第2楽章もよい意味でスタンダードというべき解釈。

第3楽章のワルツはたとえようもないほど優美で、洗練された味わいに満ちている。

終楽章も流動感が強い。

巨匠がもたらしたこの作品の解釈の規範ともいうべき演奏で、この指揮者の音楽の深さを痛感させる名演だ。

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2011年07月02日


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第4番は何といっても第1、第4楽章の音楽のエネルギッシュな運び方には舌を巻いてしまう。そのおかげで、第2楽章のメランコリックな表情が非常に生きている。

筆者は、昨今のこの曲の演奏は、いろいろなところで仕切り直しをしすぎるような気がしてならない。

このカラヤン&ベルリン・フィルの組み合わせの凄さは、オーケストラが室内楽のように反応して繊細に音楽を紡ぎ出すところだが、この曲の第3楽章で、まず弦楽―木管―金管と3セクションに分かれてテーマを提示した後、それぞれが絡むくだりは実に見事な演奏である。

とにかくインパクトが強いこの盤を、数ある名盤、特に後年回を重ねた同じ組み合わせの録音の中から敢えて選んだ所以である。

第6番《悲愴》に劣らず、第5番も録音回数が多い(5回)。

カラヤン57歳時のこの演奏は2度目の録音で、1964年の《悲愴》同様、彼特有の資質と演奏解釈が直截簡明に伝わってくる魅力的な演奏である。

洗練された響きで流麗に整える一方で、たとえば両端楽章などの高揚する部分ではエネルギッシュに突進する溌剌とした"若い"表現が聴かれるし、第2楽章などまだ充分にこなれているとはいえないまでも、歌いまわしに柔軟さが現れている(前半)。

後年に到達した円熟の表現と比べれば、確かに余韻は浅いかもしれぬが、ストレートな物言いとかスタイリッシュな瑞々しい感性など、ここでしか味わえぬだけに感銘は深い。

カラヤンは《悲愴》の録音を実に7回も行なっているが、この演奏は4度目のもの。

時にカラヤン56歳。

ベルリン・フィルとのいわば興隆期に当たり、彼のスタイルが完全に浸透し完成の域に達したことを示す演奏とも言い得る。

これ以前の演奏で顕著に現れていた威勢のよさや、全体をそつなくスマートにまとめ上げる感触を残しながらも、後の1970年代や晩年にみせる洗練された響きへのこだわりや表現力の増幅などの萌芽が、この演奏からは嗅ぎとれる。

しかも、その両端楽章が過度に噛み合い、バランスが保たれているところに妙味がある。

カラヤン固有の資質が相殺されることなく共存しているこの演奏こそ、最もカラヤンらしいといえるのではないか。

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2011年07月01日


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このノイマン晩年のマーラー新録音はバーンスタイン以後のマーラー演奏における最大の収穫であろう。

力づくではないのに音楽の意味が心に痛いくらい迫り、各楽器のさばき方はまるで魔法を見るようだ。

オーケストラの美感と雄弁な表現力、それを如実にとらえた録音も最高!

ノイマン最晩年の2度目のマーラー全曲録音計画が未完に終わったのは返す返すも残念。

せめても7曲が録音されたのは救いで、特にこの「第6」は恐ろしくレヴェルが高く、チェコ・フィルも好調。

ノイマンのマーラーには、野の花のような自然な生命が息づく。

ドヴォルザークとマーラーとのあいだに意味ぶかいアーチが架かる。

あえて名付ければボヘミア様式のマーラー。

マーラーの音楽のなかに多様に含まれる土着的な民謡あるいは歌謡的要素を大切にして、つねにそれらを心をこめてしみじみ歌う。

だが歌に溺れない。

音楽のフォルムは峻厳なまでに端整でしっかりとしている。

この静かな偉大さ。

ことに最後の録音となった「第6」(と「第9」)の孤高の境地は驚異的だ。

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