2011年09月
2011年09月30日
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1975年5月25-27日、ミュンヘン、ビュルガーブロイケラーに於けるスタジオ録音。
LP時代の愛聴盤がXRCDで見事に蘇ったことは個人的には実に喜ばしい。
ひとつひとつの音の輪郭がはっきりとし、その分奥行きが深くなり臨場感が素晴らしい。4番のXRCDより成功している。
演奏自体はいまさら言うまでもなく「ブル5」のスタンダード、ブルックナー音楽の深遠な響きがみずみずしい。
久しぶりに聴き直してみると、両端楽章の満足度は朝比奈やヴァントの剛直で峻厳な表現には及ばないが、オーケストラのコントロールが見事に行き届いた美しい演奏である。
それ以上に中間2楽章がケンペの美質が最大限に発揮された名演ではなかろうか。
第2楽章における木管の繊細な美しい表情、第3楽章におけるテンポの緩急に伴う表情の微妙な陰影を伴う変化など、ケンペならではの魅力を再確認させられた。
「作曲された音楽」と言うより、「悠久の昔から存在していた音楽」と言ったイメージの演奏だ。
こういうスタイルはケンペの得意とするところで、ブルックナーと言うより、むしろケンペを聴く録音だと思う。
朝比奈やマタチッチの豪快さを好む人には、必ずしも向かないかもしれないが、レーグナーやインバルの演奏に"もう少し迫力があったら…"と考えているくらいのリスナーには、ちょうど理想的なディスクに違いない。
そして、終楽章コーダの晴れ晴れとした雄大なスケールの音楽には誰もが魅了されることであろう。
ミュンヘン・フィルの響きも豊かで美しい。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2011年09月29日
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1976年1月18-21日、ミュンヘン、ビュルガーブロイケラーに於けるスタジオ録音。
LP時代収録されたこのコンビによる様々な交響曲で、1975年に収録したブルックナーの第5番に続いてその翌年初めに録音された第4番であるが、このケンペ&ミュンヘン・フィルのコンビで更に曲数を増やして録音して欲しかったものである。
ほぼ同時期に、同じ職人タイプのベームが「第4」の名演を残しているが、ケンぺの本盤の演奏とは全く異なるものになっているのは大変興味深い。
もちろんオーケストラも異なるし、ホールもレーベルも異なる。
しかし、それ以上に、ケンぺは、ベームのようにインテンポで、しかも自然体の演奏をするのではなく、金管、特にトランペットに、無機的になる寸前に至るほどの最強奏をさせたり、テンポを随所で微妙に変化させるなど、ケンぺならではの個性的な演奏を行っている。
筆者としては、今回XRCD化されたケンぺのブルックナーの中では、「第5」の方をより評価したいが、この「第4」も、同じタイプのベームの名演によって、一般的な評価においても不利な立場にはおかれていると思われるが、高次元の名演であることは疑いのないところである。
オーケストラのいかにもドイツ的な渋い音と、まったく揺るぎのない堅牢な構築美が作品にピタリとはまっている。
その造形感覚はあくまで雄大で、しかも芯には強い力がみなぎっており、ケンペ絶好調時ならではの逞しい音楽づくりが実に快適だ。
ヴァイオリン両翼の楽器配置も効果的で、第1楽章の第2主題部などでも立体的なフレーズの受け渡しが強く印象に残る。
今回、XRCDリマスタリングの元になったマスターはオリジナルの「BASF系」なので、安心してケンペ本来のサウンドが楽しめるのがポイントとなっている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2011年09月28日
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1964年のステレオ録音で、スウィトナーとドレスデン国立歌劇場管弦楽団の蜜月時代の素晴らしい名演。
ベリー、ローテンベルガー、プライ、ギューデン、マティス、シュライアー、ブルマイスターといった名歌手が勢揃いした超豪華歌手陣をスウィトナーが巧みに統率。
推進力と弾力性に富むアプローチが小気味よい快演を生んだ。
生き生きと躍動する序曲から素晴らしく、まさしく《フィガロ》の世界であるが、何か普通の《フィガロ》とは違うという期待感を持たせる記録。
ドイツ語版なので、最初に聴いた時は少々違和感があったが、演奏がすばらしいので聴き入ってしまった。
歌手も、オケも最高の出来であり、歌詞がドイツ語でなかったら、純音楽的には最高の名演であろう。
同時にまた、解説書に掲載の何枚かの写真に記録された、スウィトナーや名だたる歌い手たちの若々しい姿もまた、ある種の懐かしさを感じさせずにはおかない。
実際、シュライヤーやマティスは、当時まだ20代の若さであった。
テンポのよいスウィトナーの指揮、まろやかこの上ないドレスデン国立歌劇場管弦楽団の音色、ルカ教会の残響の美しさ、ホールが楽器のひとつであることを実感させる。
名匠スウィトナーと、若き歌い手たちとの快活で小気味いい、伝統のオーケストラの美音で聴いて、心地よい気分に浸りたい。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2011年09月27日
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2000年9月15日、ミュンヘン、ガスタイク(ブルックナー)、1999年9月28日、ミュンヘン、ガスタイク(シューベルト)に於けるライヴ録音。
『ブル8』、『未完成』とも、長年に渡ってチェリビダッケに鍛え抜かれたミュンヘン・フィルを指揮していることもあって、演奏全体に滑らかで繊細な美感が加わっていることが特徴。
特に2000年9月に収録されたブルックナーでは、これまで発売された他のオーケストラとの共演盤に較べて、艶の乗った響きの官能的なまでに美しい感触、多彩に変化する色彩の妙に驚かされる。
もちろん、ヴァントの持ち味である彫りの深い音楽造りは健在なのだが、そこに明るく柔軟な表情が加わることで、ベルリン・フィル盤や北ドイツ放送響盤などとは大きく異なる魅力を発散しているのである。
音質が良いせいか、ヴァントの演奏としては思いのほか木管楽器の主張が強いことも、演奏全体により多彩な表情を与えているようだ。
ヴァント自身もここではテンポの動きを幅広く取って、非常に息の長い旋律形成を試みており、それぞれのブロックの締め括りに置かれたパウゼが深い呼吸を印象付けている。
深く沈み込んでいくような美しさと、そそり立つ岩の壁を思わせる壮大な高揚とが交錯する終楽章は中でも素晴らしい出来映え。
滅多に聴くことのできない精彩にみちたブルックナーで、ライヴ特有の生命力と熱気が聴き手を説得せずにおかない。
最後の音が消えてから約10秒後、それまで圧倒されたようにかたずを飲んでいた会場が、やがて嵐のようなブラヴォーに包まれていく様子がそのまま収録されていることも印象的だ。
1999年に収録されたシューベルトの『未完成』も見事なもので、暗く厳しい悲劇性とはかない美しさが共存した深いロマンティシズム漂う仕上がりとなっている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2011年09月26日
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《真夏の夜の夢〉は語り入りのアバドやアーノンクール、ピリオド楽器によるブリュッヘンなど、すぐれた演奏は多いが、プレヴィン盤はこの幻想的な劇音楽の魅力を明快に表現している。
プレヴィンのうまさは、どのオーケストラを指揮してもそれぞれの持ち味を生かしながら作品の本質を見事に表現できることにあり、このウィーン・フィルとの《真夏の夜の夢》もプレヴィンのそうした特徴がよくうかがえる演奏のひとつである。
プレヴィンは、艶やかなオーケストラの響きを存分に生かしながら、舞台の動きを彷彿とさせる、描写のうまい演奏を行っている。
プレヴィンは1976年にもロンドン交響楽団と《真夏の夜の夢》序曲と劇音楽全12曲を録音(EMI)しており、それもとてもすぐれた演奏だったが、このウィーン・フィルとの録音では、第4、6、8曲の3曲が省略されているとはいえ、プレヴィンはメンデルスゾーン特有の爽やかなロマンティシズムを瑞々しい響きで鮮明に表現している。
この2度目の録音では、とくにウィーン・フィルの陰影豊かな柔らかな響きの美しさが際立っていて、冒頭の序曲からプレヴィンの安定したテンポと軽快なリズム感は見事で、弦楽器のこまやかな動きと木管の調和した響きにより、聴き手を幻想的な世界に誘う。
軽やかな明るさにあふれたプレヴィン&ウィーン・フィルは、序曲の第1主題、ささやくような弦にまとわりつくピチカートの動きのいたずらっぽい無邪気さに、まず惹きつけられる。
そして細部まで透けた小さな振幅で、よく音の摘まれた妖精的な小世界を導き出している。
落ちついたテンポで妖精を描く〈スケルツォ〉、牧歌的なホルンの響きではじまる〈夜想曲〉の夢幻的な美しさと華麗な〈結婚行進曲〉、また〈間奏曲〉やコミカルな〈道化師たちの踊り〉などのさまざまな情景と雰囲気を描写も実に巧みであり、若い歌手を起用した独唱も成功している。
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2011年09月25日
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幻のスイスの名匠フォルクマール・アンドレーエのブルックナー:交響曲全集。
かつてウィーン響90周年で『ロマンティック』が発売されブルックナーの名匠として突如知られるに至ったスイスの大指揮者フォルクマール・アンドレーエ(1879〜1962)。
アンドレーエはチューリヒ・トン・ハーレ管弦楽団の指揮者、チューリヒ音楽院の院長などをつとめ、作曲家としても知られた。
ブルックナーを得意とし、第4番や第9番のスイス初演を行っている。
現在活躍中のマルクは孫に当たる。
この巨匠を指揮台に迎え、1953年の1月から2月に掛けてウィーンに於けるロシア管轄の放送局であるRAVAG(アメリカ管轄はご存知の赤白赤放送)+ウィーン響による大プロジェクト『ブルックナー:交響曲全集』世界初録音セッションが行われた。
全ての曲が1枚のCDに収まっていることからもわかるように、キリリと引き締まった快活なテンポが採用され、初期交響曲などは猛スピードといった感じで、言うなればベートーヴェン風ブルックナー。
アンドレーエのブルックナー解釈は、派手な効果を狙ったり、大げさな感情移入を伴うものではなく、客観的にスコアを鳴らすことに主眼がある。
有名な『ロマンティック』でも、冒頭のホルンの第1主題の荒涼とした茫漠たる表現など、最初から聴く者の心を捉えて離さない。
そしてブルックナー解釈の最大の問題を提供するフィナーレは、淡々と歌わせながらも愛敬があり、音楽そのものに語らせるアンドレーエの客観的精神が素晴らしい成果を上げている。
凝りに凝ったアンドレーエ録音リスト付。ORF提供正規音源。音質も良好。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2011年09月24日
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第0番から第9番までの10曲の交響曲と、ブルックナーの指示通り、第9番の後に演奏された宗教音楽「テ・デウム」を収録したCD11枚組。
この全集は、17世紀に建てられたドイツ最大のバロック式バジリカであるヴァインガルテン・バジリカで1997年から2006年にかけておこなわれた演奏会のライヴ録音を集めたもので、大聖堂の豊かな響きもあり、ブルックナー的な荘厳な雰囲気がよく伝わってくるのがポイントとなっている。
指揮のロベルト・パーテルノストロは、1957年にウィーンに生まれたオーストリアの指揮者であるが、名前からもわかるようにイタリア系で、ヴェネツィアの家系ということである。
彼は、ハンス・スワロフスキーやジェルジ・リゲティに師事、カラヤン晩年のアシスタントを務めていたこともあり、1991年にはヴュルッテンベルク・フィルの首席指揮者に就任している。
値段に惹かれて購入したが、結論をいうと、ベストではないが悪くない。
パーテスノストロのアプローチは正攻法で、ブルックナーの意図した音楽の再現に成功していると思う。
一番感心したのは、一聴してブルックナーの響きが聴こえたこと。
有名指揮者・オケでも響きが明るすぎてブルックナーらしさに欠ける(ように聴こえる)演奏もあるし、線が細くて響きが足りない演奏もある。
ここでは、オケの音がブルックナーに相応しい音で鳴っている。これだけでも決して悪くないと思う。
ゲネラルパウゼの説得力、アダージョ楽章の深々とした音響など内容は実に素晴らしいもので、ノヴァーク版を基準とした楽譜の選択も適切だ。
パーテルノストロの並々ならぬ力量は、演奏の質が作品によって偏向がなく、全ての作品で水準以上に保たれていることで証明されている。
特に第5番、第6番は立派で素敵な演奏で、オーケストラも作品と指揮者とに対する敬意に溢れていて、とても誠実な演奏である。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2011年09月23日
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バーンスタインが最後の年(1990年)にウィーン・フィルを指揮して残した無二の遺産(ライヴ録音)。
約20年ぶりに取り上げた第9番を圧倒的な感動に満ちた音楽として描き上げている。
バーンスタインは壮大なスケールの音楽を、自己の感性のおもむくままに表出しているが、内面の素朴な共感によってブルックナーの音楽的本質に触れている。
極めて自己主張の強い演奏で、随所に誇張気味の表情も見られるが、それが作為的に行われるのでなく、心からそのように感じとった結果と考えられるため、格別の真実味が感じられる。
第2楽章の克明なディテールと濃密な表情のなかに、バーンスタインの人間的な主張が明らかにされ、第3楽章の悠揚とした流れは常にない起伏を示し、すべてのフレーズに充実した表現力が充満し、強く積極的な神々しさがつくりだされて、味わい深いコーダへと高揚を続ける。
あたたかさと清澄感をそなえたフィナーレは、まさに感動的といわねばなるまい。
オーケストラの最高の実力を引き出した演奏であり、最も洗練された音楽感情が心から歌われている。
とはいえブルックナーの様式からは遠く離れており、第1楽章第2主題や第3楽章の粘着力の強い表現など、まるでマーラーのように聴こえる。
ブルックナーの作品よりバーンスタインの音楽性を感じさせる表現といえよう。
シンフォニストとしてのブルックナーの存在を3つの楽章を通して強くアピールする演奏である。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2011年09月22日
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フルトヴェングラーのルツェルン音楽祭管弦楽団客演のコンサートをまとめた素晴らしいセット。
ルツェルンのシリーズは、指揮者と祝祭管弦楽団の相性が極めてよく、圧倒的な迫力がある。
戦後のルツェルン公演が集められているが、詳細に見ればドイツ・レクイエムやベートーヴェン以外の協奏曲のEMI録音等、欠けている物もある。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は1994年に同社から1枚物で出たのとは別音源。
ブラームスの二重協奏曲は音質劣化部分を1952年1月のウィーン・フィル(ライヴ)で補っている編集版。
1949年《ローエングリン》は表記を信じるならこれが唯一のCD化。
諸説あるようだが、1947年表記盤よりも優れた演奏で、クライマックスのシンバルのズレなど恐らくは別演奏と思われる。
マニアにはその点でお薦め。
特に、辛酸をなめた非ナチ化裁判後の1947年のブラームス「第1」の悲壮感が漂うスケールの壮大さは、フルトヴェングラーが一回りも二回りも大きくなり、非常に深いドイツ的なものが自然に映し出された、素晴らしい出来となっている。
驚くべきは、シューマンの「第4」で、最終楽章の巨大な拡がりは、伝説のベルリン・フィル盤よりも白熱している。
指揮者が踏み外したかと思うような、神懸りの状態を、オーケストラが夢中になって追いかけてゆく様は、まさに山をも崩すといわれた巨大な演奏。
このシューマンと《エロイカ》との白熱的な名演は、かつては仏協会盤でしか聴くことがかなわず不便だった。
ターラ盤よりも音がずっと良く、またフルトヴェングラーとルツェルンとの関係について詳細に書かれた解説もあり、多くのフルトヴェングラー・ファンに薦めたい。
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2011年09月21日
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1977年11月28日、ベルリンでのステレオ・ライヴ録音。
2002年に生誕100年を迎えたオイゲン・ヨッフム(1902−1987)がベルリン・フィルを振ったブルックナーの第9。
ヨッフムの持つバイエルン人的豪放さと、ベルリン・フィルの洗練されたアンサンブルが極めて高い次元で結び合わさった名演奏。
ベルリン・フィルとの同曲はDGの全集にあった1964年録音のみであったが、ここでのヨッフムは年齢を重ねてさらに芸域を深めた高い境地にあることを実感させる。
1964年盤よりも緊張感があり、若干ニュアンスが異なる所もあるが、大胆なアゴーギクやパウゼも健在であり、やはりヨッフムのブル9である。
音楽の流れに逆らうことなく、どこまでも自然体の表現が説得力を発揮する。
所謂ケレンというものを感じさせないのが、ヨッフム流のしたたかさでもあろう。
精密さにはさほど頓着せず、ゆったりと気力十分の骨太な筆致が朗々たるオケの響きを引き出しており、ブルックナー特有のオルガン的音響が壮大に屹立するさまはまさに壮観。
楽章を追うごとにライヴゆえの感興が高まり、第3楽章ではヨッフムならではの荘重な響きで息の深い荘厳なクライマックスが現出している。
ライヴならではの緊迫感が全曲を通してひしひしと伝わる傾聴すべきドキュメントといえるだろう。
「神の楽人」と呼ばれ、そのコンサートはことごとく成功だったとされる最円熟期のヨッフム。
その至芸を伝える貴重な記録がまたひとつ甦ったことには大いに感謝したいところだ。
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2011年09月20日
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1963年11月8日、ミュンヘン・ヘルクレスザールに於けるライヴ録音。
クーベリックがスタジオ録音しなかったレパートリーだけにライヴ盤の存在はファンには嬉しいところ。
実演ではよくブルックナーをとりあげ、その功績からブルックナー・メダルも授与されていたクーベリック。
実際、残された録音を聴くとどれも非常に充実した演奏であることがわかるが、セッション・レコーディングが残されたのは、なぜか第3番と第4番だけだった。
この第8番の演奏の特徴をひとことで言ってしまえば、力強くスケールの大きな名演ということにでもなるのであるが、そこに込められた情感の深さもまたクーベリックならではの素晴らしいもの。
クーベリックはここで、息の長いフレーズを巧みに扱い、豊かなイントネーションと自然な呼吸感を生み出すことに成功している。
オーケストラの響き(特に潤いのある弦)が素晴らしく、拍が遅れ気味で音が鳴るあたりいかにもドイツのオケで、独特の深みが味わえる。
もちろん金管群の扱いも見事なもので、当時、すでに機能的にはベルリン・フィルに肉薄していたバイエルン放送響から立体的で奥の深い響きを引き出している。
クーベリックは第1楽章冒頭から明快なデュナーミクで端然と曲を構築している。
第2楽章は当然のことながらリズミックで、特に低弦には異常なほどの勢いがある。
第3楽章は素朴な表現、終楽章はこの演奏のクライマックスで、第1主題から力に満ち、強烈を極めた表現が作られている。
特に第350小節あたりからの迫力は物凄く、大指揮者クーベリックの面目躍如といった感動的な音楽を聴かせる。
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2011年09月19日
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1960-80年代のチェリビダッケの放送録音を集めた「チェリビダッケの遺産」シリーズで発売されていたブルックナー集(2セット分)をひとつにまとめたもの。
分売時にカップリングされていたシューベルトの第5番とモーツァルトの『ハフナー』もそのまま収められている。
8曲中、7曲がシュトゥットガルト放送交響楽団とのライヴ。
チェリビダッケがミュンヘンに赴く以前に首席客演指揮者を務め、その名を国際的なものとした同オケとのシュトゥットガルト時代(1971-79年)に収録されたこの録音は、チェリビダッケという他に類のないユニークな個性の変遷をたどるうえでも重要なものといえるだろう。
雄大なテンポで超宇宙的なブルックナーの世界が広がっていて、録音も非常に美しく透明な音の宇宙に浸りきれる素晴らしいCD集である。
チェリビダッケが心身ともに充実しきっている頃の録音だけに、後年のEMI正規録音とは異なる魅力があり、そのあまりにもテンポの遅いEMI盤を敬遠していた人には特にこちらのDG盤を好む人も多いのではないかと思われる。
朝比奈もそうだが、音楽が止まりそうなほどゆっくりした演奏は、いくら指揮者の意図があると言われても、生理的に受け付けない人もかなりいるはず。
これは、まともなテンポでかつ、チェリビダッケの意図が十分感じられる非常に良い演奏と感じた。
無理に曲を盛り上げたりせず、フォルテも歌わせる箇所も楽器やホールを丁寧に鳴らしている感じである。
しかし抑制が効いているというのではなく、集中して気持ちがこもった演奏となっていて、とても充実している。
晩年のミュンヘン時代とはひと味違った、躍動感と生命力あふれるチェリビダッケ壮年期のブルックナー演奏の魅力を堪能させてくれるのである。
ブルックナーの第4番は、そのシュトゥットガルト時代以前、1962-68年にかけて首席指揮者を務めていたスウェーデン放送交響楽団との貴重な共演記録。
チェリとは因縁浅からぬ(?)カラヤン率いるベルリン・フィルの本拠、フィルハーモニーにおけるライヴであることも興味深いところ。
すべて放送局所蔵の音源からCD化された、良好なステレオ録音である。
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2011年09月18日
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1982年11月に収録された『シェエラザード』の本番演奏(カラー)と、1965年1月に収録された『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』のリハーサル(モノクロ)の組み合わせというたいへん興味深い映像作品。
どちらもNHK衛星で放送済みだが、正規のDVD化はありがたい。
『シェエラザード』は放送用の録画で聴衆なしの演奏。
チェリビダッケの『シェエラザード』といえば、雄大なスケールで作品の各場面を濃厚に描きつくした名解釈が、すでにシュトゥットガルト放送響盤(DG)でも、ミュンヘン・フィル盤(EMI)でも広く知られているが、今回そこにカラー映像作品が加わることは何よりの朗報だ。
カメラアングルがやや単調な様に思われるが、じっくりとオーケストラをコントロールするチェリビダッケが見もの。
組み合わせの『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』のリハーサルは、モノクロ映像ながらチェリビダッケがまだ体を激しく動かしていた頃のリハーサルということで、これも興味深い内容。
52歳のチェリビダッケがとにかく派手な動きで活気に満ちたリハーサルをおこなっており、腰を振りながらのノリノリの姿には驚かれる方も多いことであろう。
例によってスコアも無しで鋭い指摘をくり返し、音楽の情景や推移を説明し、凄まじい気迫でオケを引っ張ってゆく。
画質は素晴らしい。音質はモノだが切れ味があり不満はそれほどない。
しかしどうも『シェエラザード』はDGと同じ演奏のように思う(チェリの掛け声も一緒)。
なので、音質で負けるように思われるも、楽器の収録バランスが違うので、案外こちらのほうが迫力やニュアンスの豊かさを聴き取れる部分があることも事実。
個人的にはこちらを取りたい。(映像の印象も含めて。)
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2011年09月17日
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1979年5月21日、シャンゼリゼ劇場に於けるライヴ録音。
オケがフランスの楽団ということもあってかドイツ系とは一味違った雰囲気が魅力で、それでいてブルックナーの重厚さを久し振りに感じた気がする。
マタチッチとフランスのオケ、聴きだすとなんとなくフランスのオケはブルックナーのドイツ的音色とは違和感があるが、聴くほどにフランスのオケがマタチッチ風に変化しているのが興味深いところ。
非正規盤に較べて稍音が引っ込んでいるが、演奏はマタチッチ絶好調の姿を如実に伝えている。
チェコ・フィルとの演奏よりも拡がりと安定があり、無論部分的にアッチェレランドも散見されるが、それでいてブルックナーの本質から逸脱していない。
それにしてもさすがはマタチッチ、フランス国立管からこんな重厚な音が出るとは驚きで、さらにはフランスのオケから渋い音響を引き出す手腕も見事。
スケルツォや終楽章の迫力も凄いが、実に分厚く深い響きで歌うアダージョに強く惹かれる。
あの第2主題の有名なテーマの恐ろしくも濃厚な表現など大変なインパクト!
最終楽章は金管で音の大伽藍を構築し、この指揮者ならではの音楽を鷲掴み豪放磊落ぶりを如意に示し、音が天上に昇華する。
遅めのテンポが実に雄大で、金管、木管とも名人芸で圧巻、巨人的な芸風で鳴らしたマタチッチの面目躍如たる凄い演奏だ。
なんという豪腕!何にせよ凄まじい演奏だ。
この盤、筆者は何度聴いても飽きたことがない。
5番については、この1枚が傑出しており、愛しの朝比奈、ヨッフムすらも遠くに離すとさえ思える。
お国柄を云々言うつもりはないが、それにしてもフランスのオケを振ってこの迫力。
マタチッチ恐るべし。
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2011年09月16日
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朝比奈隆没後5周年特別企画で、筆者を含めファンが待ち望んだシカゴ交響楽団との共演盤である。
1996年5月16日、シカゴ交響楽団の定期演奏会に朝比奈隆が客演した際の貴重な記録で、朝比奈のブルックナーを語るには外せない1枚。
1996年、今は亡き朝比奈隆が単身渡米、シカゴ交響楽団とブルックナーの交響曲第5番を演奏した。
筆者はそれをNHKで観ることが出来たのだが、これはすごい演奏だった。
一期一会に賭ける両者の想いががっぷり四つに組み、巨大で濃密、劇的極まりない演奏空間を創り上げていたのだ。
シカゴ響の猛者たちを前に全く見劣りせず屹立する朝比奈は、いつにも増して古武士然としてグイグイとオケを引っ張る。
負けじと咆哮するその金管群の凄さは、TV画面からも十二分に伝わってきた。
これは絶対に観て損のない、5番の素晴らしい演奏記録だ。
この客演はシカゴ響の当時の支配人であるヘンリー・フォーゲルが、朝比奈が指揮するアルプス交響曲を聴いて感激したことにより実現したというもので、世界最高の金管セクションを相手に、自慢のブルックナー・フォルムをリハーサルで徹底的に仕込んだその演奏は、聴衆、批評家の両方から大きな賛辞をもって迎えられたとのこと。
朝比奈の大河を思わせる音楽の流れとこれぞブルックナーと想わせる解釈は圧倒的。
そしてシカゴ響の音色の美しいこと!
ショルティの指揮する同オケは無機的であまり感心しないが、朝比奈の音楽性がこれほどまでに有機的なオケに変えてしまう。
表現のない棒振りは必要なしと感じた次第。
ところどころでアンサンブルの乱れも見られ、必ずしも完成度が高いとは言えないが、この日の演奏が名演であったことは、聴衆のスタンディングオベーションが証明している。
リハーサルでは終楽章コーダの金管を倍管にするよう要求する朝比奈に対し、シカゴ響は、「そんなことは必要ない、自分たちが大きな音で吹けばよいだけだ」と言ってのけ、実際に、完璧なクレッシェンドとアンサンブルで大伽藍というべき巨大な迫力のコーダを響かせたというのだからまさに驚くほか無い肺活量とテクニックだ。
特典映像は、シカゴへの出発から朝比奈に密着し、演奏会の舞台裏を追ったドキュメンタリーとなっている。
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2011年09月15日
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今回の全集に収録された音源は、1999年の1月から3月にかけてミュンヘンにあるガスタイクのフィルハーモニーで行われたブルックナーの交響曲全曲演奏会をバイエルン放送がライヴ・レコーディングしたもの。
ブルックナーの交響曲をわずか3カ月で全曲(10曲)演奏し録音して発表するというのは、かつてはまったく考えられなかったことで驚いてしまう。
それでいて、全集総体としては水準の高い演奏が揃っている。
やると思えばなんでもやってしまう才人マゼールだから成し得たのであろう。
短期間のうちに収録されたため、音の傾向に統一感があるのも大きな長所となっている。
マゼールは1993年から2003年までの期間、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者を務めており、幅広いレパートリーの多彩な演奏でミュンヘンの聴衆を大いに沸かせていた。
当時のマゼールが大作交響曲を指揮したときの芸風は、細部表現を大切にしながらもスケールの大きな造形を志向したもので、そうしたアプローチはブルックナーやマーラーには大変ふさわしいものであった。
所謂インテンポのブルックナーではなく、かなり緩急の起伏が激しい。
すべてのシンフォニーを名演と評価するには躊躇せざるを得ないが、全体としては水準の高い演奏で構成された全集と評価してもいいのではないかと考える。
聴衆の賛否など気にせずに、いずれの曲も期待を裏切らない癖の強い演奏を展開し、しかも一定の説得力をちゃんと確保しているのだから大したものだ。
マゼールは、2012年には、ブルックナー演奏に伝統があるミュンヘン・フィルの芸術監督に就任する予定である。
3年間限定とのことであるが、本チクルスが短期間で集中して行われたことや、昨年末に我が国でベートーヴェンの交響曲全曲演奏を行った事実に鑑みれば、ミュンヘン・フィルとともに新チクルスを成し遂げる可能性は十分にあると考える。
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2011年09月14日
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1977年4月5日、ミュンヘン、レジデンツ、ヘルクレスザールに於けるライヴ録音。
前年のウィーン・フィルとのスタジオ録音とは趣きも異なり、ここでは過不足なく反応して音化する機能性にすぐれたバイエルン放送響の豊かな響きのもと、ブルックナーの世界にたっぷりと浸ることができる。
速めのテンポを採用して引き締まったフォルム、自然なフレージングが形づくるアダージョの美しさ、フィナーレもべームらしいライヴの高揚感も相俟ってたいへん聴きごたえするものとなっている。
冒頭から弦のトレモロによる美しい響きと透明感に溢れている。
第1主題が霧の中から浮かび上がってくるいつものブルックナー開始であるが、ここでのベームはただ美しいだけでなくどっしりとした豊かで安定した響きを構築している。
まさに奇をてらう事の無い正統的なブルックナー演奏で、終始安心して聴く事が出来る。
そのせいか第2楽章の悲壮感が多少弱いのは残念だが、とはいえ、クライマックスでは情感溢れる力の入ったパフォーマンスを堪能できる。
この曲の「歌謡性」を魅力的に表出しているが、ベームのこと、構造がないがしろになっている訳では全くなく、両者のバランスが見事。
ことさらスケール感を打ち出したり、色の濃い表情をつけるわけでは無いのだが、自然と第1楽章の高揚に、第2楽章の深い抒情に包まれていく。
ベームの「第7」の総決算[1953年ウィーン・フィル(Altus)、1976年ウィーン・フィル(DG)もそれぞれの魅力があるが]であり、同曲の演奏全体を通じても最高峰のひとつであると考える。
なお、バイエルン放送アーカイヴ音源使用により格段にすぐれた音質で蘇ったことが大きなポイントで、音質は最高ランクの部類に入ると思われる。
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2011年09月13日
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昨年はマーラーの生誕150年、今年は没後100年ということでマーラー作品のリリース・ラッシュが続いている。
モーリス・アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団の演奏によるマーラーの交響曲全集が再発されたが、これがなかなか面白いのである。
しばしば歴史的録音とはされながらも、評者の”転ばぬ先の杖”か、必ず何かしらの留保付きで語られて来た当全集、ようやく念願叶って全曲通して聴くことが出来た。
実際に触れてみると、いささかの躊躇も不要、思慮深い使命感と客観性に貫かれた、素晴らしい演奏ではないか。
確かにオーケストラのメカニカルな技量そのものを内実と切り離して”測定”すれば、超一流とは言えないに決まっていようが、要するにそれは只それだけのこと。
アブラヴァネルの深謀と熟練のタクト、それに自然に共鳴するかのようなユタ交響楽団の響き。
温かくも鄙びた魅力が細部に至るまで沁みわたっている、というだけでなく、それらが各作品の壮大な構成の中で、驚く程有機的に生かされている。
アメリカのオケらしく明るい音色だが、マーラーは暗く激しく演奏するものだという了解ができたのはバーンスタイン、テンシュテットあたりからだろうか。
ことさら悲劇性を強調しない明るく屈託のない演奏でありながら、優しさに満ちた演奏で、曲の構造もわかりやすい。
共感と慈愛に溢れてもいるが、その飄々とした味わいは、時に一方的に”感動”を煽るバーンスタイン流のアジテートとは、およそ対極にある。
その点では、表層の仕上げ方の甚だしい違いにも関わらず、あのMTTのマーラーにも通底する、ある種の遊民的な楽観性を感じさせるものかも知れない。
全集を通じての表現のスタンスの一貫性も、それこそ感動的なまでのマーラー音楽への信頼を、立派に体現している。
今更ながら、マーラー演奏の一つの原点に出会った、そんな幸福感でいっぱいだ。
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2011年09月12日
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ゲルギエフ初のワーグナー。
彼はワーグナーにことのほか情熱を示しているが、録音として出るのはこれが最初となる。
「パルジファル」は聖杯伝説を扱い宗教色が強いため、旧ソ連時代は全く演奏されず、崩壊後の1997年にゲルギエフにより80年ぶりに復活蘇演された。
晩年のワーグナーならではの長大で難解な作品ながら、ゲルギエフは得意として世界各地で上演し、好評を博している。
日本でも熱い期待が寄せられ、つい先ほどの2011年2月に第3幕を演奏会形式で上演して、好評を博した。
当盤はもちろん全曲盤。
ルネ・パーペをはじめリトアニアの名花ヴィオレッタ・ウルマーナほかゲルギエフの信頼厚い芸達者が集結、非常な熱演を見せてくれる。
ゲルギエフも終始強い緊張感を保ちつつ、壮麗な響きを引き出す豪演で、聴き手を陶酔の世界へと導く。
彼の音楽もますます大きくなり、さすがの巨匠芸を聴かせてくれる。
音のスライドが美しい、まさに音の饗宴で、ところどころ派手な場面もあるが、音楽の静謐さを損なうことはない。
こんな「パルジファル」は聴いたことがなかった!
「パルジファル」解釈の新しい礎となる衝撃的演奏の登場といえよう。
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2011年09月11日
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ショルティ盤は、まず何よりも、その歌手陣の豪華さが魅力である。
1971年〜72年という録音時期も、ちょうど、ワーグナー歌手の世代交代期にあったわけで、ホッター、フリックといった大ヴェテランと若きコロとの組み合わせの妙も楽しい。
それぞれ名声にふさわしい歌いぶりを示しているが、威厳にみちたホッター、明晰な歌を聴かせるフリック、そして敬けんさ、妖艶さとともに最高の名唱ルートヴィヒなど、それぞれ巧者な歌唱で、まさに最上のキャスティングといえるだろう。
特にフリックとルートヴィヒを称えたい。
フリックは地味な役柄だが、役作りの確かさ、心理表現のこまやかさでこの演奏に重みを与えている。
ショルティの棒は、力まず、ごく自然に流しながら、この作品のもつ音楽の美しさをあますところなく再現している。
ショルティは、自信に満ちた態度でテンポを悠然と運び、豊かできびしい音の流れを作り出しており、ウィーン・フィルも、他に類がないほど豊麗で、しかも清純な美しい響きを聴かせている。
またショルティは、第2幕の花の乙女たちが登場する場面ではより官能的な美しさを求めたいが、緻密なまとめぶりと劇的な場面での高揚はさすが。
特筆すべきは、オーケストラのうまさで、ウィーン・フィルの艶麗で、しかも澄み切った響きの美しさは、たとえようもない。
ショルティの指揮のもとウィーン・フィルも美質を存分に発揮している。
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2011年09月10日
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1978年1月10日、ベルリン、フィルハーモニー・ホールに於けるライヴ録音。
ジュリーニの全盛時代は、ロサンゼルス・フィルの音楽監督をしていた1970年代後半から1980年代前半にかけてではないだろうか。
1980年代も後半になると、極端に遅いテンポによる粘着質の演奏に陥ることもあり、曲によって出来にムラが出来てくる傾向にあった。
しかし、全盛時代のジュリーニは、イタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と、ドイツ音楽にも通暁するような重厚な造型美が織りなす堂々たる素晴らしい名演の数々を生み出していた。
本盤におさめられた3曲は、1978年という全盛時代。しかも、楽団史上最高の状態にあった天下のベルリン・フィルを指揮したということで、演奏が悪かろうはずがない。
特に、ラヴェルの『マ・メール・ロウ』とドビュッシーの『海』は、ジュリーニが何度もスタジオ録音を行った十八番とも言える楽曲であるが、本盤の演奏は、ライヴならではの熱気も相まって、ジュリーニによる両曲の最高の名演と評価したい。
特に、『マ・メール・ロワ』の気品ある優美さは、この時代のジュリーニ、そしてベルリン・フィルだからこそ成し遂げられた至高の美演と言えよう。
特にラストの「妖精の園」では慈愛に満ちた優しさを感じ取ることが出来る。
『海』の情感に満ち溢れた繊細な歌い方、そしてここぞという時の重量感溢れる演奏も大指揮者の風格が漂っているし、初登場の『左手のためのピアノ協奏曲』も、重厚さと繊細なタッチが見事に融合した稀有の名演である。
音質は、アナログ的な柔らかさに適度のホールトーンを含んであたかもコンサート会場に居るようである。
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2011年09月09日
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ジュリーニの初の《運命》で、実演でもこの交響曲を指揮するのは15年ぶりだったという。
それだけに改めて作品を綿密に再検討した上で実現した演奏は、きわめて緻密に構成され、堂々たるスケールと風格をそなえている。
しかも、その表現は決して居丈高になることなく、あくまでしなやかでみずみずしい。
きわめてドイツ的な音色をもち、構築的にしっかりとした演奏である。
4曲あるシューマンの交響曲の中で、ジュリーニが録音したのはこの第3番のみ。
旋律を存分に歌わせた情緒的な表現というよりも、楽曲の構成的な美しさをあらわしているのが特色で、ティンパニやホルンなど、この曲の最も重要なパートを、力強くはっきりと浮き彫りにしている。
現在では原譜支持が圧倒的だが、フルトヴェングラーやセルなどの20世紀の巨匠たちは、スコアに手を入れることを主張し、これを実践した。
本盤のセールス・ポイントはマーラーが手を入れた版を使用している点。
無論、オーケストレーションの旨さでは群を抜くマーラーの版ゆえに響きはよく冒頭からして、そのどっしりとした響きにひきつけられるが、オーケストレーションに未熟さのあったシューマンの交響曲の欠陥を、見事にカバーした快演である。
ジュリーニの演奏美学と感性にもピタリとはまる。
叙情性豊かでスケールの大きい壮麗な第3番が出現している。
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2011年09月08日
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2005年7月1日〜2日にかけて行われた、ブロムシュテットのカペルマイスター退任記念コンサートのライヴ録音である。
旧東ドイツの名門オーケストラと新しい世代のドイツ系指揮者ががっぷり組んだ構築あふれる名演。
ゲヴァントハウス管弦楽団の美しい響きとブロムシュテットの棒の精彩とが、高次元で合体している印象が素晴らしい。
深みのある弦と金管とのブレンドが美しく、落ち着いた佇まいをもった、端然とした演奏である。
ウィーン風のふくよかで雄大ながら愚鈍な趣のブルックナーともドイツ風のどこか無骨な巨人のようなブルックナーとも違う、ひきしまってガッチリした壮大かつ精緻なブルックナーが聴ける。
すこぶる格調の高いブルックナーでり、精緻な構図の中ですべてが自然体にまとめ上げられ、味わいとこくに満ちた世界が展開している。
豊かな叙情を第一の特色とした演奏といってよいと思うが、同時に金管のフォルティッシモも実に重厚で強烈、この交響曲の魅力を過不足なく引き出す要因となっている。
精緻さと質感を十二分に備えた名演である。
加えてテンポ設定にも説得力があり、全曲を通じきわめて適確な曲運びを示す。
アンサンブルそれ自体が自発的に有機的な音楽を歌っているが、指揮者もゆたかな感興で音楽を起伏させている。
最良の意味での普遍的な演奏と評するべきか。
これは、神と対話するオルガン的な宗教サウンドのブルックナーではなく、コンサート・ホールで交響曲としてサウンドさせるシンフォニック・ブルックナーの理想形のひとつかも知れない。
特に終楽章の大聖堂のような充実した構築性は素晴らしい。
こうした自然体のブルックナーは、探してみるとその実なかなか見当たらない。
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2011年09月07日
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本盤に収められたブルックナーの交響曲全集(00番、0番を含む)は、ヴァントや朝比奈が崇高な超名演の数々を成し遂げていた1991年〜2001年にかけて、スクロヴァチェフスキがザールブリュッケン放送交響楽団とスタジオ録音を行ったものである。
本演奏でのスクロヴァチェフスキは、各楽器間のバランスを重視するとともに、スケール自体も必ずしも大きいとは言い難いと言える。
むしろ細かな工夫で知られるスクロヴァチェフスキならではの刺激に満ちたアプローチが随所で楽しめる内容である。
もっとも、各楽器間のバランスを重視しても、録音の良さも多分にあるとは思われるが、重厚さを失っていないのはさすがと言えるだろう。
また、細部への拘りも尋常ならざるものがあり、その意味では楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした表現と言えるのかもしれないが、いささかも違和感を感じさせないのはさすがと言えるだろう。
緩徐楽章などにおける旋律の歌い方には、ある種のロマンティシズムも感じさせるが、それが決して嫌にないのは、スクロヴァチェフスキがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからに他ならない。
各交響曲の演奏ともに出来不出来はさほど大きいとは言えないが、それでも、第00番、第0番、第1番、第2番及び第6番といった、比較的規模の小さい交響曲においては、スクロヴァチェフスキによる細部への拘りや各楽器間のバランスを重視するアプローチがむしろ功を奏しており、他の指揮者による名演と比較しても十分に比肩し得る素晴らしい名演に仕上がっていると言える。
他方、第5番や第8番については、一般的には名演の名に値すると思われるが、そのスケールの若干の小ささがいささか気になると言えなくもない。
いずれにしても、本全集は、さすがに近年の演奏のような崇高な深みがあるとは言い難いが、現代を代表するブルックナー指揮者である巨匠スクロヴァチェフスキの名をいささかも辱めることのない、素晴らしい名全集と高く評価したい。
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2011年09月06日
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いずれもヨッフムの旧盤で、全集から分売されたのが有難い。
というのも、この2曲以外はシュターツカペレ・ドレスデンとの全集(新盤)で充分満足させてくれるからだ。
第1番のCDは朝比奈も良いが、スケルツォに大きな差がついている。
主部は胸がわくわくするような愉しい音楽だが、それをヨッフム(旧盤)くらい見事に表出した例はない。
快適なテンポ、生きて弾むリズム、鮮やかな音色感、チャーミングな主題の奏し方。
もちろんトリオの詩情もすばらしい。
この指揮者はアレグロ楽章の腰の軽いのが欠点だが、初期の作である1番シンフォニーだけにこれで充分だし、ブルックナーの本質をぴたりと捉えているので安心だ。
しかし、スケルツォに並ぶ傑作はアダージョで、聖フロリアン教会の春を想わせる清らかな寂しさを、ヨッフムは絶品の名指揮で聴かせてくれるのである。
第6番は、この曲の美しさを筆者に最初に教えてくれた忘れ難い名レコードで、その後ヴァント、アイヒホルン、朝比奈、スクロヴァチェフスキーなどの美演がより優れた録音で登場しても、この盤の価値は不滅といえよう。
とくにアダージョがすばらしい。
浄福と祈りに満ちたわびしさが全編を漂い、みずみずしいヴァイオリンの音色が最高である。
まさに絶美、至福のひとときだ。
同じヨッフムでもドレスデンの新盤には、この魅力はない。
第1楽章全体を駆けめぐるのは森羅万象の響きである。
彫りの深い、剛毅で有機的な生々しさがブルックナーの箴言を随所で伝える。
ただ、ヨッフムの表現はスケルツォ以下がいささかスケールの小さいきらいがある。
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2011年09月05日
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チャイコフスキーの交響曲第5番はトータル55分を超えるという、晩年のチェリビダッケならではの遅いテンポが選ばれている。
冒頭で示される循環主題のブロック(序奏部)だけで3分かかるのだから、これはもう尋常な時間感覚では捉えられないものだが、その後、幾度も変容し再現されることと、主部のテンポ設定を考えれば、十分に理解できるものでもある。
第1楽章主部はアレグロ・コン・アニマの指定で始められるが、ここではどう聴いてもアンダンテ以下の設定であり、チェリビダッケ一流のデフォルメとしか言いようがないが、3つの主題の描き分けの巧みさはさすが。
第1主題の確保部分で、トランペットを強調するあたりなど実に刺激的で、優美な第2主題とのコントラストも極めて明瞭。
前半動機リズムの繊細なデフォルメと、後半動機の憧れに満ちた情感表出が絶妙なバランスをみせる第3主題(結尾主題)も実に見事である。
続く第2楽章の美しさも予想にたがわぬ素晴らしいもので、無用な感傷に流されない表現は立派。
14分付近の危険個所(クサクなりやすい)でも、絶妙な管弦のバランスとザードロのティンパニによる引き締めによって、安手の陶酔に堕さない高揚をみせ、次の循環主題部と終結部の強烈なコントラスト形成を際立たせることに成功している。
第3楽章もハイ・グレード。大交響曲にふさわしい表情豊かで立体的なワルツであり、主部を支配するメランコリーの美しく淡い色彩と、抑制された動感が、音楽にえもいわれぬ気品を付与することに成功し、同様に美しい中間部と共に抜群の聴きごたえが嬉しいところ。
第4楽章は、冒頭循環主題のマエストーソの指示を無視した純粋な美しさがまず深い印象を与える。
3分半ほどの序奏部全体に漂うロシア聖教のコラールのような雰囲気は、遅いテンポでグロテスクに描かれる主部第1主題の関連部分と、循環主題の変形でもある主部第2主題の関連部分との対比効果にも強く影響し、荒ぶる大波が実は周期を持った運動体であることにも似て、巨大で揺るぎのない構造物を打ち立てることに成功しているのである。
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2011年09月04日
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1984年3月は、NHK交響楽団名誉指揮者ロヴロ・フォン・マタチッチ最後の来日公演であったが、このときの公演は未だに伝説的な名演として語り継がれている。
それほどの名演であったので、大いに待望されたCD化であったが、いざリリースされてみると評判が芳しくない。
マタチッチから放たれた目に見えない強靭なエネルギーがマイクに入らないのはある程度仕方のないことだが、それにしてもCD化された音質があまりにも貧しかったのである。
演奏の良さよりも、オーケストラの荒さばかりが耳についてしまうのだった。
しかし今回マスタリングの工夫で、この公演が再びXRCDとして蘇った。
いざ再生して至福に酔った。
ブルックナーは、まさに神の存在さえ俄かに信じざるを得ないほどの驚天動地の名演であり、これを超える感動は未だに味わったことがない。
マタチッチによる演奏は極めて個性的な表情で、音楽の流れが当世風になめらかでなくごつごつしている。
そこにスラヴ風ともいうべきトゥッティの強調が加わり、リズムも鋭い。
したがって表現は劇性と集中力が強く、独特のくせはあるが、熱っぽい説得力をもって迫ってくる。
このときマタチッチから放たれるオーラというか、エネルギーは並大抵ではなく、筆者は電気に打たれたように部屋で動けなくなってしまった。
特に第3楽章では、長大なゼクエンツが天へとつづく光の階段となって目の前に現れてくる。
そこでは確かに、天からの明るい光がマタチッチを照らしているかのようだった。
N響のメンバーも演奏中に涙が溢れて楽譜が見えなかった、と語ったと言われる。
とはいえ、筆者だけが感動していても仕方ない。もっと多くの方にこの感動を味わって頂きたいものである。
ベートーヴェンの2曲は違う演奏会での録音を1枚に収めたため、雰囲気が随分異なっている。
2曲のうちでは、第7番が秀演。テンポは相当速めだが、落ち着きのなさは感じさせず、かえって随所に解釈の新鮮さがある。
特に第2楽章アレグレットはかなり速めだが、このほうが原譜に忠実と思われる。
第2番第3楽章のトリオは、やや作為的な部分もあるが、そこにマタチッチの強い個性を感じる。
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2011年09月03日
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カラヤンの当曲の最初の録音(1966年)であった。この後1975年に同じくベルリン・フィルと再録音しているが、デジタル録音は残さなかった。
カラヤンらしく美しい響きで統一した演奏。
カラヤンのブルックナーはベルリン・フィルと組んだ場合、きわめて精緻な響きと密度の濃いアンサンブルで極限まで磨き抜かれた演奏を展開する。
第9番もその広大な宇宙を一点一点緻密で曇りなく描き抜いた演奏で、好悪は分かれるだろうが、演奏の質・内容自体はきわめて高度な次元に達している。
第1楽章の第2主題や終楽章では弦の表情に独特の粘りがあり、ブルックナーの中にあるワーグナー風の要素が浮き彫りにされているかのようだ。
しかしカラヤンなりに豊かな感興が示されており、誠実に演奏しているので充実感が強い。
カラヤンの録音の中でも十指に入るのがブルックナーの第9番ではないだろうか。
ここには素朴な味わいなどかけらもないし、一切の信仰とも無縁で、そもそも"意味"から最も遠いところにある。
ひたすら音そのもの、音楽の響きそのものの美と効果とを追求している。
光は隅々にまで当てられ、夾雑物はまったく見えない。
これに《テ・デウム》をつけ加えるのは勘弁してほしい。純粋そのものなのだから。
人はここで深い思いを抱いたり、感動したりする必要はないし、できない。
ひたすら美しい響きに浸り、完全に抽象化された音楽の世界を遊んで終わる。
考えようによっては、これはブルックナー演奏の極北にあるのではないだろうか。
カラヤンのブルックナーでは、最晩年のウィーン・フィルとの第7、8番に次ぐ優れた演奏といえよう。
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2011年09月02日
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2007年5月、シカゴ、シンフォニーセンター、オーケストラ・ホールでのライヴ録音。
実に陰影の深い、立体的で雄渾、そして楽想の表情も全体に生き生きとして鮮明な、まさに目を見張るような素晴らしい演奏だ。
造形の完成度においても同曲レコードでも1、2を争うものだろう。
全体に恰幅のよい表現で、造形的にもブルックナーの様式を完全に体得したうえでの構築が素晴らしく、4つの楽章の音楽的な起伏と平衡感覚は見事としかいいようがない。
何よりも音に精神的な気迫が漲り、どの部分をとっても楽想が的確な表情であるべきところに収まっており、ブルックナー特有の対位法的な書法や旋律線の表現もかなり無理なく決まっている。
ここでは音楽の深いところに目を据えたハイティンクの、一種の気持ちの余裕と懐の深さが大きく功を奏しており、その結果として細部の仕上がりが格段に隙のない美しいものとなっている。
ハイティンクの堂々とした風格を再認識させられるとともに、シカゴ響が指揮者を信頼し、全員が一体となって演奏していることにも感嘆させられる。
冒頭から豊かな感情が泉のように湧出しており、その音楽の自然な美しさと充実感はたとえようがない。
特に第2楽章のアダージョは圧巻。
快調なテンポできりりと引き締めたスケルツォのあとに、フィナーレがひときわ雄大なスケールで広がっているあたりも素晴らしい。
オケの重厚・豊麗な響きもブルックナー音楽のおおらかな流れと朗々としたトゥッティの美を作り出している。
指揮者の円熟と作品の素晴らしさを実感させる、特に注目すべき秀演である。
この1枚はブルックナーの神髄に迫る名演といえよう。
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2011年09月01日
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オットー・クレンペラーは、ついに来日の機会をもたないまま、世を去った巨匠のひとりであった。
クレンペラーの指揮には、たしかに北ドイツ風の武骨なところがあるが、オーケストラから重厚な、きわめてシンフォニックな響きを引き出し、悠然たる風格をもって作品の偉大さを聴く者に印象づける。
そこではもはや細部の技術的な彫琢や部分的なテンポの設定などは問題にはならない。
クレンペラーの手にかかるといかなる作品も圧倒的な威厳をもって迫ってくるのである。
しかも表面上は峻厳冷徹でありながら、その中に鬱勁たる情熱を秘めていることを感じさせる。
このような特質はベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲において、もっともよく発揮されていたように思う。
クレンペラーは、ブルックナーの音楽の根底に、すべての人に訴えかける素朴だが健康な精神と、どこか"羞恥"を漂わせた暖かい人間性を感じていたのであろうか、壮年時代から晩年にかけてしばしばとりあげている。
変ホ長調交響曲で、クレンペラーはモーツァルトやベートーヴェンの交響曲に対するのと同じ畏敬の念と愛情に満ちた演奏を聴かせる。
全体は彼特有の遅いテンポと、どっしりしたリズムで展開されるが、オーケストラの厚みのある響きと確信に溢れた表情が強い印象を与える。
クレンペラーの解釈には大地に根ざした安定感があり、その上でブルックナー特有の変化に富んだ楽想が展開され、その力強くのびのびした感情が雄大なスケールを生み出している。
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