2011年11月

2011年11月30日


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フルトヴェングラーが亡くなる4ヶ月前のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音。

いかにもフルトヴェングラーらしい濃厚なロマンティシズムが全編にあふれた演奏で、その白熱した表現は、聴いていると胸が熱くなってくる。

序曲がはじまっただけで、聴き手はまるで時間が何かまったく別の持続の秩序に組み込まれてしまったかのような驚きと緊張を強いられ、フルトヴェングラーの音楽の異様な呪縛の中にとらえられる。

ドラマはあくまでロマンティックな憧れと夢の世界の中に、深い郷愁と共感をもってあたたかく描き出されている。

彫りが深く、とりわけ曲の前半はテンポがきわめて遅いが、深閑としたドイツの森の暗さをこの上なく雰囲気豊かに描き切っている。

ドイツ・ロマン派芸術の原点と思えるドイツの森の雰囲気を、これだけ雄大なスケールでとらえて伝えたオペラの演奏も珍しいので捨て難い。

歌手陣も、当時としては最高の顔ぶれをそろえたもので、ことにアガーテのグリュンマーはカイルベルト盤を上回る名唱。

エンヒェンのシュトライヒの充実した歌唱も光っている。

録音は、ステレオ録音とされているもので、フルトヴェングラーの残した録音のうちでは良好な部類に入る。

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classicalmusic at 05:15コメント(0)トラックバック(0)ウェーバーフルトヴェングラー 

2011年11月29日


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2005年4月6-8日、ナイメーヘン、コンセルトヘボウ・デ・フェレエーニヒング DSD レコーディング。

レパートリーの少ない小林研一郎だが、その中の極めつけはチャイコフスキーの5番である。

ムラヴィンスキーも凄いし、ストコフスキーも愉しいが、筆者は両者を折衷したような小林型を第1に採りたい。

この曲を最も得意とし、彼のレパートリーのトップに置いている小林の表現は、音楽の細部までを完全に自分のものとして消化しつくし、しかも旧録と変わらず目いっぱい振る舞っているところが凄い。

テンポは大きく変化し、楽器や表情は彫り深く抉りぬかれ、随所で情熱が爆発する。

第1楽章の序奏部から指揮者の感情が全開しているが、主部の雄弁な語り口には、まさに自分の土俵で相撲をとっているような自在感があり、第2主題、第3主題のテンポの落とし方は旧録よりもずっと自然になったが、それでも初めて聴く人をびっくりさせるだろう。

直後の一気呵成の疾走も凄まじい。

コーダでは大芝居が待っており、その冒険はセクシーでさえある。

第2楽章は目いっぱい感情をこめているのに完熟の味わいがあり、第3楽章のファゴットのテーマには往年の指揮者と同じルバートがかかる。嬉しい。

そして、フィナーレの躍動的な大迫力!

小林はまるでチャイコフスキーの5番を指揮するために生まれてきたような音楽家だが、数えきれないほど演奏しているのに、どこにも慣れを感じさせないのは立派だし、アーネム・フィルも極めて上質である。

これは数ある小林のチャイコフスキーの5番の決定盤かもしれない。

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classicalmusic at 18:54コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー小林 研一郎 

2011年11月28日


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チェコ・フィル育ての親である名指揮者ヴァーツラフ・ターリッヒ(1883-1961)が晩年LPに残したチェコ音楽のなかでもとりわけ注目すべき名盤のひとつ。

1929年にチェコ・フィルを指揮してこの組曲の最初の全曲録音を行ったターリッヒの25年後の円熟の極の演奏の記録。

ターリッヒが生前最も得意としていた作品だけあって、非の打ちどころがない堂々たる出来映えだ。

第1曲〈ヴィシェフラド〉からして訴えかける力は極めて強い。

全曲とも民族的色彩豊かな熱っぽい表現で、線の太い逞しい足取りには聴く者を激しく惹きつけるものがある。

チェコ・フィルの《わが祖国》がいろいろあるなかでも、様式的にはいちばん古いロマン的民族主義の範疇に入るものであろうが、それなりに明晰で目のつんだ気品の高い表現で、オケ自体の力も上がっている。

〈ターボル〉と〈ブラニーク〉などのチェコの歴史を取材した曲では、荘厳な寺院で壁画を仰ぎ見るような雰囲気のなかでの雄渾そのものの盛り上がりなど、ナチス占領下からの解放感がまだ風化する以前のチェコ人の共感が支えになっていたとしても、後続のチェコ人の名指揮者たちにも容易に超えられない高みに達したものであった。

特にスラヴの血の躍動を感じさせる〈シャールカ〉や〈ターボル〉は圧巻で、その壁画のなかの人物たちが生き返って壮絶なドラマを繰り広げる。

1954年録音のモノーラルだが、まだ今のように演奏力が低下する前のチェコ・フィルが、巨匠の指揮のもとで懸命の熱演を展開している。

ターリッヒはモダンで、引き締まった表情のインターナショナルな芸風の持ち主だった。

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classicalmusic at 19:16コメント(0)トラックバック(0)スメタナ 

2011年11月27日


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このムラヴィンスキー・エディションに収められたロシアものを中心とした作品の演奏にムラヴィンスキーは素晴らしい成果をあげているが、ワーグナーの演奏だけは何とも奇妙な印象を与える。

端的にいうならば、筆者はムラヴィンスキーがワーグナーを演奏する必然性を感じることが出来ないのである。

そう思える最大のポイントは、ムラヴィンスキーのフレージングが本質的に非ワーグナー的であるということである。

すなわちポキポキと折れるような極めて短いフレージングなのである。

したがってムラヴィンスキーの演奏からはいかなる「麻薬」的効果も現れてこない。

こうしたフレージングだから細部の細かいニュアンスもさっぱり伝わってこない。

ワーグナーが詰め襟の軍服を着てそそくさと分列行進とともに消えていってしまうという印象なのである。

たとえば、クナッパーツブッシュの演奏の凄さは、そのフレージングの息の長さ、一つ一つの音に十分な意味を与えようとするフレーズの充溢度に現れている。

ムラヴィンスキーの演奏にはそうした要素は全くといっていいほど感じられない。

おそらくムラヴィンスキーの演奏スタイルは、1930年代に始まるソ連の公認文化としての社会主義的リアリズムの性格に(一部はノイエ・ザッハリヒカイトの影響も受けつつ)由来している。

フレージングに潜むマニエリスティクな彫琢が希薄なムラヴィンスキー。社会主義リアリズムにワーグナーは似合わない?

筆者はこういうスタイルの演奏でワーグナーを聴きたいとは思わない。

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classicalmusic at 19:21コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキーワーグナー 

2011年11月26日


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1957年1月16日に亡くなったトスカニーニの"追悼演奏会"における実況録音である。

ワルターのライヴの最高傑作のひとつであり、これを聴かずしてワルターを語ることは決してできないと思う。

1957年2月といえば、ワルターが現役引退した直後、心臓発作を起こす直前であるが、これこそ心技一体、充実し切った名指揮ぶりといえよう。

このコンサートが終わった後の新聞評に、ワルターはトスカニーニそっくりのスタイルで演奏した、と書かれたそうだが、ワルターの性格として、追悼演奏会ならばトスカニーニを意識したことは充分考えられるし、シンフォニー・オブ・ジ・エアーの特質をフルに発揮しようと思ったことも事実であろう。

しかし大切なのは、ワルターがトスカニーニのスタイルで演奏したことではなく、そのスタイルを完全に自分のものとして咀嚼し、少しの残滓も認められないほど消化しつくした点にある。

すなわち、ここでワルターは最も激しい、最も雄渾な迫力を見せるが、そこにいささかの無理や力みもなく、彼ならではの豊かな歌や、厚みや、ニュアンスをいっぱいにこめながらしかもトスカニーニ以上の凄まじいダイナミズムを実現しているのである。

ともかく、この「エロイカ」は何回聴いても新鮮さを失わず、およそ飽きるということがない。

ワルターとトスカニーニをミックスした感じで、仮借のない進行を見せながらも、リズムがもたれ気味になって、人間味を与えるようなところもワルターらしい。

芝居気はまったくなく、指揮者よりは「エロイカ」そのものを聴く感じである。

初めてこの曲に接したときの感激がよみがえってくる。

本当の名演とはそうしたものなのだろう。

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classicalmusic at 18:50コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンワルター 

2011年11月25日


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「第8」は1961年、「第9」は1950年、いずれもライヴ録音。

「第8」は、ウィーン・フィルの色彩感あふれる音と芳醇な弦に魅了される。

それは筆者がこれまで抱いていたクナッパーツブッシュの「ブル8像」を粉々に打ち砕いてしまった。

繰り返し聴くたびに、虜となっていく自分を発見するのである。

この虚飾のまったくない音を聴いていると、自分がひとり砂漠に立って、夜空を見上げるような寂寥感、ただひとり宇宙に投げ出されたような孤独感を覚えずにはいられない。

そして、その孤独にじっと耐えるクナッパーツブッシュの偉大な魂を想うのである。

さらに、この演奏は、キリスト教徒でない筆者にすら、偉大なる造物主の存在を確信させずにはおかない。

そして、これこそ「クナのブル8」の本質ではないだろうか。

「第9」は、一般に普及している原典版ではなく、ここではレーヴェ編曲の改訂版が用いられている。

クナッパーツブッシュの解釈は、濃厚な表情で演奏しており、これはブルックナーの様式とはやや異なる表現だ。

とはいえ音楽のスケールはすこぶる大きく表情にコクがあり、ゆっくりめのスケルツォに続いて、最後のアダージョは神秘的な恍惚の世界だ。

クナッパーツブッシュの指揮のもと、ベルリン・フィルの精鋭たちも、このときこそとばかりに全員が奮い立ってブルックナーを奏でているのが聴きとれる。

改訂版を採用した演奏はクナッパーツブッシュ盤のみなので、貴重な録音といえる。

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classicalmusic at 19:38コメント(0)トラックバック(0)ブルックナークナッパーツブッシュ 

2011年11月24日


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第1番は1982年1月28日、《田園》は1982年10月17日、いずれもレニングラード・フィルハーモニー大ホールに於けるライヴ録音。

《田園》は、レニングラード放送局が放送ライヴ(ディジタル)録音で、テスト録音していたもの。

《田園》という曲のせいか、ムラヴィンスキーとしてはあどけないばかりの微笑みや、いじらしい木管の歌い交わしや、心からの愛情が流れた表現であり、それが格調の高い音楽性の中からあふれ出る。

マイクがクラリネットの前にあってバランスが悪いが、それさえ愉しさを倍加させている。

この《田園》はこれまでのムラヴィンスキーとはいささか違い、管楽器パートのテクスチュアの絡みを重視して、そこに豊かな表情を要求している。

テンポも概して緩めにとっており、第1、2楽章ではまさに牧歌的性格を醸し出している。

そして、彼本来の特徴といえる低弦部を強調したマッシヴなエネルギーを第4楽章では思い切り発揮させ、終楽章ではおおらかなスケールで描いた会心の好演だ。

第1番は旧ソ連で初めてディジタル録音設備が導入されたレニングラード放送局で、実験的に行われたライヴ録音と言われる。

演奏は、造形がかなり古典主義的で、響きはロマン派的であるのが興味深い。

ムラヴィンスキーの芸術性を端的に示し、しかもその中に強靭な意志力と雄大な気宇が秘められた、格調の高いベートーヴェンである。

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2011年11月23日


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当ブログのマーラーの項に朝比奈が登場するのを訝る向きも多いだろう。確かに「朝比奈はマーラーに片思いしていた」とは、よく言われることである。

朝比奈はブルックナー演奏を始めたと同じ動機、つまり「我々には演奏する義務がある」ということで熱心にマーラーに取り組んだのだが、ついにブルックナーほどの賛同は得られなかった。

その理由は、朝比奈の魂が健康すぎたことによると思う。朝比奈の些事を吹き飛ばす豪放磊落さは、ブルックナーのように肯定的な音楽には良くても、マーラーの複雑な苦しみや悩みを掬い取るには不向きであった。

したがって、大阪フィルと録音された、「復活」「第3」「大地の歌」などは、アンサンブルの詰めの甘さも手伝ってどうにも物足りない出来に終わっている。

ところが、同じ大阪フィルを指揮した「第9」(1983年2月15日ライヴ)は別格だ。たんにマーラーとしてだけでなく、数ある朝比奈の録音の中でも抜きん出た存在なのである。

これは、朝比奈のブルックナーを愛する方に聴いて欲しい録音だ。書道の名人が、大筆で大きな文字を書いたような演奏なので、多くの方には大らかすぎて「本当のマーラーではないよ」と言われるかも知れない。

しかし、この悠久の大河を思わせるフィナーレに身を浸しながら、生きていく上でのさまざまな悩みや辛いことが溶解していくことを筆者は聴くたびごとに体験している。

そういう癒しの効用からいくと、クレンペラー盤やバルビローリ盤よりも上なのである。

これこそ、朝比奈を最高のブルックナー指揮者にした生来の資質なのであろう。

こんなところで、その偉大さを再確認できることは嬉しい。

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classicalmusic at 20:01コメント(0)トラックバック(0)マーラー朝比奈 隆 

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EMIによるフルトヴェングラーの歴史的遺産のSACD化は、本年1月の交響曲及び管弦楽曲を皮切りとして、協奏曲や声楽曲など多岐に渡るジャンルについて行われてきているが、今般の第4弾ではついにオペラが登場。

ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」と「ワルキューレ」、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」の3点という豪華ラインナップとなっている。

いずれも名演であると思うが、その中でもベストの名演は楽劇「トリスタンとイゾルデ」と言えるのではないだろうか。

それどころか本演奏は、フルトヴェングラーによるあらゆるオペラ録音の中でもダントツの名演であるとともに、様々な指揮者による同曲の名演の中でも、ベーム&バイロイト祝祭管による名演(1966年)、クライバー&ドレスデン国立管による名演(1980〜1982年)と並んでトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

レコーディング嫌いで有名であったフルトヴェングラーが、このような4時間近くも要する長大な作品をスタジオ録音したというのも奇跡的な所業と言えるところであり、フルトヴェングラーがいかにこの演奏に熱意を持って取り組んだのかを伺い知ることが可能であると言えるところだ。

本演奏でのフルトヴェングラーは荘重にして悠揚迫らぬインテンポで曲想を進めていくが、ワーグナーが作曲した官能的な旋律の数々をロマンティシズム溢れる濃厚さで描き出しているのが素晴らしい。

各登場人物の深層心理に鋭く切り込んでいくような彫りの深さも健在であり、スケールも雄渾も極み。

とりわけ終結部の「愛と死」における至純の美しさは、神々しいばかりの崇高さを湛えているとさえ言える。

こうした濃厚で彫りの深いフルトヴェングラーの指揮に対して、イゾルデ役のフラグスタートの歌唱も官能美の極みとも言うべき熱唱を披露しており、いささかも引けを取っていない。

トリスタン役のズートハウスは実力以上のものを発揮していると言えるし、クルヴェナール役のフィッシャー・ディースカウも、後年のいささか巧さが鼻につくのとは別人のような名唱を披露している。

フィルハーモニア管弦楽団もフルトヴェングラーの統率の下、ドイツ風の重厚な演奏を展開しているのが素晴らしい。

録音は、フルトヴェングラー自身がレコーディングに大変に満足していただけのこともあって、従来盤でもかなり満足し得る音質を誇っていたが、今般のSACD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

例えば、第2幕冒頭の弦楽器の繊細な合奏やホルンによる狩りの響き、そして歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらあり、このような歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2011年11月22日


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1982年11月5日に東京文化会館で行なわれた《わが祖国》初演100周年記念コンサートのライヴ録音である。

ノイマンにとって3度目の《わが祖国》全曲盤だが、いずれも基本的な解釈の上で変わりはなく、彼の温厚で誠実な人柄がそのまま滲み出た演奏である。

決して大仰にならず、抑制のきいた表現、それぞれの曲の核心を鋭く衝いている。

オーケストラを意のままに動かしながら、それぞれの曲の性格を鮮やかに浮き彫りにしているあたりは、この人ならではの手腕といえよう。

特に「モルダウ」は描写力が巧妙で、いかにもノイマンが声高らかに歌っているような感じがする。

さらに、気宇壮大な「ボヘミアの森と草原より」、そして大きなスケールでたたみ込んでいく「ブラニーク」の激しさには心を揺さぶられる。

こうした演奏は、ほかの国の指揮者やオーケストラでは、なかなか真似のできないものだ。

ライヴだけにオーケストラに多少のキズはあるが、それらが気にならないほど緊張度が高く、密度の濃い演奏で、聴いたあとに深い感動が残る。

ノイマンとチェコ・フィルとの完全な精神的一致と、この作品に対する彼らの自信と誇りから生まれた名演である。

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classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0)スメタナノイマン 

2011年11月21日


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結成当初からドヴォルザークをレパートリーにしていたABQは、この曲を2度目のベートーヴェン全集と同年に本拠のコンツェルトハウスでライヴ録音した。

ABQの《アメリカ》は最初から最後まで豊かなメロディ、親しみを感じさせるハーモニー、生気に富んだリズムが現れては消え、息つく間もないほど。

精緻なアンサンブルと透徹した表現は彼らならではのものだが、ここでの彼らは、作品への共感をまことにしなやかに、存分に歌い尽くしている。

特に4人が織りなす澄んだ歌と精妙な変化の美しさは息を飲むばかりで、その演奏は生彩にとむとともに、神韻たる深さをたたえている。

第1楽章冒頭のヴィオラが提示する第1主題をはじめ、全員の心からの共感が豊かに感じられる演奏には、まったく隙がなく、いつもながら緊密なアンサンブルも見事である。

特に、この曲にあふれる豊かな詩情がしなやかな表情とともに瑞々しく表現されていて、郷愁を誘う第2楽章も過度にならない高貴な抒情も美しく、全曲に新鮮な魅力があふれている。

奏者と作品がまさしく一体となっていることを、聴き手に強く意識させる演奏ぶりである。

まさに円熟期の彼らならではの技であり、境地だろう。

また一緒に収録されているスメタナの第1番《わが生涯より》も熱い共感が伝わってくる名演である。

《わが生涯より》は内省的な傾向をより強めているが、情熱をほとばしらせた演奏である点は《アメリカ》と同じである。

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classicalmusic at 19:01コメント(0)トラックバック(0)アルバン・ベルクSQドヴォルザーク 

2011年11月20日


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チェコ・フィルにとって《わが祖国》がいつの時代も最も大切なレパートリーのひとつであることは言うまでもない。

古くはターリッヒから、比較的最近のものでは小林研一郎まで、全曲盤は枚挙にいとまがないし、おそらくそのすべてが名盤と言っても過言ではあるまい。

そんな中で愛好家が第一に挙げるのは、比較的上の世代はアンチェル、若い人はビエロフラーヴェクといった線が予想される。

ビエロフラーヴェクの開放的な明るい性格が演奏によく表れており、スラヴ的な情感を巧みに生かしながら若々しくすっきりとまとめ、演出過剰と思われる曲はひとつもない。

そのせいか、全曲を聴き終わった後に爽やかな感動が残る。

ビエロフラーヴェクは、ここで最初からクリティカル・エディションを用いようとせず、慣用版に自己の主張を加えて自らのエディションを確立している。

彼は〈モルダウ〉をも含めて楽器編成やその処理にも配慮を加え、声部をそれで補強することによって旋律を明確に掘り起こそうとしているところもあるし、アクセントを生かしてリズムの変化を強調するなど、表現をより明快なものにしようとしている。

特に〈ヴィシェフラド〉の冒頭の部分、〈モルダウ〉の月夜の部分、〈ボヘミアの森と草原より〉の舞曲調の部分など、細かな気配りが光っている。

およそ小細工を弄さず、スメタナの音楽を誇り高くまっすぐに再現している。

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classicalmusic at 21:32コメント(0)トラックバック(0)スメタナ 

2011年11月19日


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1991年11月2日、サントリーホールに於けるライヴ録音。

クーベリックの指揮する《わが祖国》は、基本的にはアメリカのオケを振った録音の方が優れていると思う。

だが1991年の来日公演のライヴは、前年に42年ぶりに祖国に帰ったクーベリックが、かつての手兵チェコ・フィルに復帰した、いわば一種の祝典イヴェントなのだ。

確かに演奏の完成度としては、シカゴやボストンを指揮したものの方が高いが、ここにはあらゆる恩讐を越え、無心に達した巨匠の心境が、聴く者の心にひしひしと伝わってくる。

最初の〈ヴィシェフラド〉のハープから、ノスタルジアが一杯という雰囲気であり、クーベリック自身の郷愁を聴く思いがする。

すでに1986年に引退していたクーベリックを迎えながら、チェコ・フィルも輝かしくかなりの緊張感と最善のアンサンブルをもって応えている。

そこでは、クリティカルな面と慣習的な変更との双方が採り入られているが、6曲の交響詩のそれぞれが生気に満ちた表情を見せているのは、当時の心情の反映でもあろうし、後半への高揚ぶりも魅力だ。

どの曲の演奏においても、堅固な構成力と、無理なく整えられた表現力とがあり、信頼しきって聴き入ることができる。

ほんのちょっとしたフレーズに至るまで、ゆたかなニュアンスに染めあげられている様子が、なんともすばらしい。

ヴェテランならではの優れた演奏で、あらゆる欲得から解き放たれ、澄み渡った晩年の巨匠の芸風を味わって欲しい。

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2011年11月18日


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クーベリックが42年ぶりに祖国に帰り、かつての手兵チェコ・フィルを指揮した1990年の「プラハの春」音楽祭における記念すべきライヴ録音である。

クーベリックは52年のシカゴ響とのモノーラル録音に始まって、58年のウィーン・フィル、71年のボストン響、84年のバイエルン放送響、そして当録音と、全部で5種類の全曲録音を残しており、中でも後半の3つの録音は、甲乙つけがたい名演になっている。

ボストン響盤は、その精緻に透徹した表現としなやかに引き締まったバランスなど最も完成度が高いし、スメタナ没後100年記念演奏会におけるバイエルン放送響とのライヴ録音は、逞しい音楽の流れと表出力が強い説得力をもっている。

その点ではこの演奏は、録音を含めて細部のバランスに多少問題があるかもしれない。

しかし、万感の思いをこめて、くっきりと始まる第1曲〈ヴィシェフラド〉のしなやかな集中力にとんだ表現を聴くだけでも、この演奏にかけるクーベリックの熱い思いが強く伝わってくるだろう。

42年ぶりにチェコ・フィルの指揮台に立ったクーベリックの表現は、聴衆の喜びと興奮を背に受けてか、全体にややテンポを速めにとった情熱的なもので、祖国を愛する感情がどの曲のすみずみにまで表れている。

オケも緊張感を持って、最善のアンサンブルで指揮者に応える。

チェコ・フィルの真摯な反応とこのオーケストラならではの民族的な旋律や色彩の巧みな表出が、この稀有な演奏をいっそう美しく味わい深く彩っているし、特に後半3曲の情熱的な盛り上がりと晴朗にして高貴な意志力に貫かれた表現力は圧倒的である。

ことにスケールの大きく構築のしっかりした〈ヴィシェフラド〉、広大な草原を思わせる〈ボヘミアの森と草原より〉、ドラマティックに盛り上げた〈ターボル〉が素晴らしい。

ロシアと東欧の民主化は、さまざまな特筆すべき音楽シーンをもたらしたが、それらの中でも最も感動的な記念すべき記録というべきだろう。 

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classicalmusic at 06:07コメント(0)トラックバック(0)スメタナクーベリック 

2011年11月17日


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これは、指揮者クーベリックと深い関係をもっていたバイエルン放送響とのライヴ盤で、スメタナ没後100年、クーベリック70歳の誕生日を記念してのコンサートであった。

演奏内容は、クーベリックのどの同曲異演盤よりも重厚、熱い想いの丈が押し寄せてくる。

クーベリックが残してくれたスメタナの《わが祖国》は、いずれも聴きどころをもったものばかり。

ボストン響を指揮した盤は完成度が高いし、チェコ・フィルとの1990年のライヴ盤には独特の高揚した雰囲気が濃い。

その点で言うと、当バイエルン放送響とのライヴ盤は、条件的にも最も優れており、スケールの大きさと、ライヴ固有の熱っぽさとが際立つ演奏内容といえよう。

70歳のクーベリックの祖国への深い愛が、驚くべきスケールの大きさと強い気迫をもって綴られている。

線の太い、たくましい音楽性をグイと貫き通し、安定した構成力は抜群で、各曲とも、メリハリの効いた起承転結がつけられている。

論理的一貫性がある、とでもいうべきか……。

しかも、全6曲を通して満ちている強い民族色といったものに対する配慮も万全。

各リズムや旋律、色彩感などといった要素を色濃く前面に押し出しながらも、力が空転してしまうようなところがなく、落ちついたよさがあり、バランスがとれている。

この音楽が書かれた精神を、ごく自然のうちにそこに表出したものとしても忘れることができない。

オーケストラの底力も過不足なく示されており、胸をワクワクさせて聴くことができる演奏といえるだろう。

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2011年11月16日


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クーベリックは、祖国チェコへの讃歌ともいうべきこの連作交響詩を5回録音している。

中でもチェコの自由化がなった1990年の「プラハの春」音楽祭におけるチェコ・フィルとのライヴ録音は、歴史的な記録として知られているし、スメタナの没後100年を記念した1984年のバイエルン放送響とのライヴ盤も、逞しい音楽の流れと強い表出力をもった名演である。

しかし、演奏の細部まで最もバランス良く整っているのは、このボストン響との1971年のスタジオ録音であろう。

クーベリック&ボストン響盤は、チェコのローカル・カラーを充分に身に付け、しかもそれだけではないインターナショナルな感覚で、スケール大きく表現し尽くした名演である。

内容、外観ともに充実した出来ばえで、ディスクとしての完成度の高さは、このスタジオ録音盤が屈指のものといえるのかもしれない。

その演奏は、クーベリックならではの透徹した読みが細部まで的確に行きわたるとともに、きりりとひき締まった構成の中に共感ゆたかな表現がいかにもくっきりと気品高く織りなされている。

明快で誇張のない運びと全曲を通してのしなやかな起伏と緊張感もすばらしく、精緻な美しさとゆたかなスケールを見事に合わせそなえた演奏は、いかにも彫り深く新鮮である。

腰のすわった語り口で、この交響詩の魅力が的確に語られている。

演奏全体の緻密な表現や音質といったことまで含めると、やはりボストン響との演奏が最高だと思う。

脂ののりきった時期の堂々たるクーベリックの指揮、全曲を見通す揺るぎのない構成力、音楽を支える精神の強靭さと平衡感覚、そして演奏の完成度の高さとオーケストラ表現のスケールにおいて、やはりこの全曲盤には傑出したものがあると思う。

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classicalmusic at 19:54コメント(0)トラックバック(0)スメタナクーベリック 

2011年11月15日


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2010年5月13,4日 プラハの春国際音楽祭でのライヴ録音。

実になだらかで美しい演奏だ。

録音のせいや、小編成のオーケストラということもあるのかもしれないが、これほど、ドラマティックさを抑制した《わが祖国》も珍しいと言えるのではなかろうか。

《わが祖国》といえば、チェコ出身の指揮者による定番プログラムであり、古くはターリッヒ、アンチェル、そして、クーベリックやノイマンなどに至るまで、民俗色豊かな、そして愛国心の高揚を掲げたドラマティックな名演を成し遂げてきた。

チェコ出身以外の指揮者にしても、小林研一郎の劇的な名演や、アーノンクールによる切れ味鋭い名演などがあった。

こうした海千山千の数々の名演の中にあって、チェコ期待の20代の若手指揮者フルシャの演奏は、むしろ、きわめて新鮮に響くと言えるのではなかろうか。

前述のように、ドラマティックという性格は薬にもしたくなく、やたら愛国心を振りかざした演奏ではないが、《わが祖国》の根源的な音楽の美しさ、魅力を自然体で表現したという意味では、まさに、新世代による名演と評価してもよい。

あたかも、埃をかぶった名画から、長年の埃を取り払ったようなイメージであり、フルシャ&プラハ・フィルハーモニアによるこのような新鮮な名演を、プラハの春国際音楽祭のオープニングに選ばれたこと自体が、チェコの音楽界の新たな方向性を示唆しているとも言える。

このコンビの今後の更なる発展を大いに期待したい。

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classicalmusic at 19:32コメント(0)トラックバック(0)スメタナ 

2011年11月14日


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ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの交響曲第5番を初演して、この作曲家との深い結び付きが生まれ、この作曲家の最も良き理解者となった指揮者である。

だから彼が指揮したショスタコの交響曲は、どれをとっても聴くに値するものばかりである。

特に第5番は初演以来、何十回、何百回となく演奏会でとりあげているせいか、現在までDVD等を含めると、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの演奏で、なんと12種類のディスクが発表されている。

そのなかでも、最高の演奏・録音がこの1枚である。

1973年5月3日 レニングラード・フィルハーモニー 大ホールでのライヴだが、彼らの演奏はまさに絶好調で、冒頭からきわめて魅力的な表現である。

一分の隙もない鍛えに鍛え抜かれた音楽ともいえるが、非常に透明度が高く、そこに毅然とした精神性が示されている。

第3楽章などの透徹した表情は、もはや哲学的といってよい。

終楽章の驚くべき生命力の解放も雄渾をきわめた音楽を聴かせる。

アゴーギクも音楽的で、演奏の精度の高さは比類がない。

コーダでは1974年版の改訂を早くも採用して遅いテンポで演奏されているが、そのため終結は感動的に高揚する。

1973年のライヴ録音ながら、レニングラード・フィルの輝かしさを捉え、しかもムラヴィンスキーの気高いまでの表現をしっかりと伝えている。

この曲ではまず聴いてほしい演奏である。

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classicalmusic at 19:18コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチムラヴィンスキー 

2011年11月13日


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ムラヴィンスキーはドイツ古典派、ロマン派の音楽に深い造詣を持っていたことはよく知られている。

ムラヴィンスキーが来日公演で「ベト4」に聞かせたあの揺るぎなく格調の高い指揮ぶりは、優秀録音からもよく伝わってきて、深い感銘を残さずにはおかなかった。

この「ブラ2」でも堅固で明快な構成感を打ち出しながら、しかもその内側にブラームスのロマンをはっきりととらえた、力強く集中度の高い演奏を聞かせてくれる。

それはよく言われるようにこの交響曲の田園風の味わいというよりは、強靭で意志的なものを感じさせるが、そんなところがこの指揮者の厳しい格調に通じるものにも他ならないだろう。

眼光紙背に徹したスコアの読み方は人工的なほどだが、音として出てきたものはきわめて自然でしなやかで、純音楽的である。

淡々とした運びの中の自在な表情と無限の息づき、強弱のたゆたいや寂しさ、魔法のようなテンポの動きなど、センス満点の名演だ。

ただしロシア物を指揮するムラヴィンスキーと、ブラームスを指揮する彼では、微妙な相違があったような気がする。

ブラームスの場合には、どこか醒めていて、陶酔に陥るのを避けるべく自らをコントロールしているような演奏ぶりだ。

例えば第4楽章は、なんとも情熱的な演奏ぶりで聴き手を圧倒するものがあるが、ムラヴィンスキーその人は、仕掛人として終始冷静にことを運び、熱狂の渦の外に立っているようだった。

その姿は、まさしく「謹厳で冷徹な指揮者」というにふさわしいものであった。

ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー 第1幕への前奏曲」の演奏にも同様のことが言え、ムラヴィンスキーはオーケストラをきりりと引き締め、一分の隙もない厳しい表現を行っている。

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classicalmusic at 19:03コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキーブラームス 

2011年11月12日


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1977年9月27日(ワーグナー)、10月12日(シューベルト、ウェーバー)、東京文化会館でのライヴ録音。

ムラヴィンスキーは過去4回来日した。

何人かの証言を総合すると、《未完成》の実演が一番凄かったようだ。

《未完成》はムラヴィンスキーの厳しく透徹した表現法が、彫りの深い音楽を作っていて非常に完成度の高い演奏。

旧世代に属するムラヴィンスキーは当然スコアを主観的に読む。

その点はワルターと同じなのに、出てきたものはきわめてリアルな側面をもつ。

インマゼールの演奏を先取りしているのだ。

しかも、そこにマイクには入り切らないような深遠なニュアンスが漂う。

こんなに繊細で神秘的であり、かつ深い情感を漂わせた演奏は他にはないと思う。

第1楽章冒頭の無限のピアニッシモ、聴く者の魂を切り裂くような鋭いアクセントの衝撃、そして第2楽章の神韻縹緲たる第2主題が終わり、次にはフォルティッシモが来るぞと身構えたとたん、ムラヴィンスキーはなんと深淵を覗き込むような暗いメゾ・ピアノで開始したのだ。

音楽を聴いていて、あんなにゾッと寒気をおぼえたことはなく、体が震えるほどだ。

まさに病的な天才だけがよく創造し得る音の世界といえよう。

堂々とした正攻法で押し切ったワーグナー、手作り風の入念さで聞かせるウェーバー共々、この指揮者の中でも注目すべき演奏と言わねばなるまい。

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classicalmusic at 03:31コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキー 

2011年11月11日


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ここにはムラヴィンスキーとレニングラード・フィルによる、2つのライヴ録音が収められている。

シベリウスは1977年10月19日、NHKホールに於けるもの、チャイコフスキーは同年10月12日、東京文化会館での演奏会の実況を収録したものである。

ムラヴィンスキーの指揮によるこれらの演奏は非常に音楽的に純度が高く、また豊かな風格を備えている。

シベリウスの交響曲は一般にしばしば見られるような北欧的な情緒性に頼ることなく、各動機の明確な扱いを通して堅固な構築性が与えられており、またその線の太い力強さの中にこの作曲家の精神が見事にとらえられている。

ムラヴィンスキーのレパートリーの中には、チャイコフスキーやショスタコーヴィチなどロシア、ソヴィエトの曲目が中心に置かれていると同時に、彼が同じくヨーロッパの北に位置する、隣国としてのフィンランドが生んだ大作曲家シベリウスの曲に共感を覚えるのはむしろ当然と言ってよい。

中でも第7番の交響曲は初期のものとは違い、民族的な性格が直截的に表に出るのとは違って、緻密な構成の中に抽象された曲であるだけに、このようなムラヴィンスキーの表現は一つの理想を達成していると言っても過言ではない。

チャイコフスキーは、弦の整えられた響きとその表現力を中心にして、ムラヴィンスキーの音楽がもつ品格の高さやスケールの大きさがよく示されており、特にそのスケールは本来のバレエを超えているようにさえ思われる。

いずれも充実度が高く、この指揮者の風格と年輪の厚みが感じられる指揮ぶりだ。

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classicalmusic at 18:42コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキーシベリウス 

2011年11月10日


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1977年10月19日、NHKホールにおけるライヴ録音。

ムラヴィンスキーのチャイコフスキーの交響曲第5番については8種類前後の録音が現存しているという。

その多くはライヴであり、当初からレコーディングを前提としたものではない。

この録音はNHKホールでの録音なだけに響きに乾いた印象を与えるとはいえ、一連の旧ソヴィエト録音よりはるかに条件は整っている。

レニングラード・フィルに半世紀君臨し続けたムラヴィンスキーの円熟期の記録としてもきわめて貴重である。

彼の解釈は常に有無を言わさぬ説得力をもっており、聴衆に媚びるところは皆無である。

一見そっけないようだが、音楽には常に血が通っている。

そうした彼のロシア流のチャイコフスキーは、カラヤンに代表される西欧の聴かせ上手な指揮者の解釈とはまったく対照的といってよい。

スケールが大きく毅然とした表情が美しい第1楽章、深々とした響きがロシアの大地を連想させる第2楽章、過度の抒情を排し、すっきりと歌わせた第3楽章、そして金管楽器をはじめ全ての楽器の鳴りで、圧倒的なクライマックスが形成される第4楽章、そのどこをとってもまったく隙がない。

そこにソヴィエト体制の影響をみることも可能かもしれないが、その鉄の規律はここでは壮大な記念碑を打ち建てる方向に作用している。

文句なく同曲のベスト・ワン録音に推したい。

こうした演奏はこれからもう現れることはないだろう。

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classicalmusic at 04:29コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキームラヴィンスキー 

2011年11月09日


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ムラヴィンスキーの《悲愴》は、第5番の録音の多さに比べるとはるかに少なく、意外である。

このディスクは、1975年の東京公演におけるライヴ録音で、そのためかこの演奏の緊張した凝集力と迫力は凄まじいものがある。

しかも感性の豊かさ、精妙をきわめたアンサンブルの見事さは比類がなく、カラヤンの最後の来日公演盤と並び、あらゆる《悲愴》の頂点におかれるべき名演である。

もちろん、一分の隙もない厳しさをもっているが、それが作品のシリアスな側面を否応なく表現しており、その意味では、これに匹敵する演奏はトスカニーニくらいだろうか。

全4楽章とも、これ以外は考えられないほど的確なテンポである。

デュナーミクも精緻そのもので、曲の冒頭から短い動機のひとつひとつにも絶妙な表情が与えられ、それらが強靭な織物のように組みあげられている。

そこに鮮やかな立体感があるのも、この演奏の大きな特色である。

チャイコフスキーが記した音符のすべてに意味があり、存在理由があることを、ムラヴィンスキーの演奏からは、誰もが理解することが可能である。

しかも、あらゆる部分に瑞々しい創意が息づいている。

それが新鮮さの原動力といえるが、第1楽章の展開部や第3楽章のコーダは、まさにあらゆる聴き手を圧倒する。

それは音量などに依存しているのではなく、内面の凄絶な緊張感から生み出されたものである。

生々しい臨場感のある録音も相俟って、《悲愴》といえば、まずこの演奏を聴く必要があろう。

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classicalmusic at 01:33コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキームラヴィンスキー 

2011年11月08日


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1999年5月3-5日、バーデン・バーデン、フェストシュピールハウスに於ける録音。

ギーレンは素晴らしく手に入った解釈で、表現は異色だが、ひとつのスタンダードというべき造形を確立している。

この演奏を聴いて、真っ先に耳につくのは、フォルテでの響きの生々しさである。

例えば、他の多くの演奏では、フォルテの響きは美しく整えられ、壮麗かつ崇高で、人工臭を感じさせないような、自然な響きをしている。

テンポ変化も最小限に抑えられ、演奏者は周囲と一体となってより透明な存在になり、大きな響きの中に全体が融合する。

それに対して、ギーレンは、そういう演奏を真っ向から否定するように、まるで正反対の響きを作り上げている。

楽器の響きよりも生の音をストレートに聴かせ、その響きは、全体が溶け合って一つの響きとなる美しさからは遠く離れた、有体に言えば、暴力的な荒々しい響きである。

しかし、荒々しいからといってアンサンブルが乱れた粗い響きでは決してなく、音そのものは鳴り切っているため、圧倒するような力強さがあり、生の音が直接出ている分、その響きはむしろ鮮やかである。

これでよいのかという抵抗感を覚えることも事実だが、ギーレンが安易に流れない解釈で聴き手に迫るのは、大いに好感が持てる。

悠揚としたスケールの大きい表情と引き締まった緊張感をあわせもつ第1楽章、ロマン的な歌謡性と弦のデリカシーに満ちたアンサンブルが見事な第2楽章、クライマックスの力感が素晴らしい第3楽章、巨大なスケールと豪快・強靭な力をみせつける終楽章と、作品の真価を真正面から余すところなく描き出した演奏である。

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classicalmusic at 20:12コメント(0)トラックバック(0)ブルックナー 

2011年11月07日


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1990〜92年に録音された本盤は、1970〜2000年代を通して作られたマゼールのディスク中、出色の出来ばえを持つものである。

というか1950〜60年代には数多くの名盤を作りながらその後はなぜか凡打の山を築いているマゼールが、わずかにかつての栄光と無縁ではないことを想起させてくれる演奏内容だ。

ここに聴くシベリウスは、単に表面上の帳尻を合わせて、あとは"落としどころ"を心得た上で、スマートに仕上げるというような演奏(最近のマゼールには、こうした内容が多い)ではなく、意欲的な取り組み方で、その踏み込みは深くて鋭い。

シベリウス特有の音構造をよく体得した演奏で、楽想の渋い、重厚な響きがよく表されている。

格調正しい表現で、オーケストラをたっぷりと鳴らしながら、粘ることがなく、そのなかに豊かな抒情と憧憬感があり、地味ではあるがスケールの大きい演奏である。

ここにマゼールの進境が現れており、造形はマゼールらしくきりりと引き締められているが、音楽的にはまったく気負いがなく自然だ。

ことに印象的なのは第4番で、第1楽章冒頭の暗く冷たく重い響きのなかから幻想的な弦楽部主題が湧き上がり、夜明けの曙光のような金管のコラールが現れるあたりの音楽作りは圧倒的だ。

第2楽章のオーボエの背景にある弦の響きも北欧情緒を彷彿させる。

終楽章の弦楽部の彫琢は実に見事だ。

ピッツバーグ響との緊張した関係もスリリングで好ましい結果を引き出している。

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classicalmusic at 20:33コメント(0)トラックバック(0)シベリウスマゼール 

2011年11月06日


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エッシェンバッハがレコード・デビュー直後から取り組み「ギーゼキング以来の正統なモーツァルト弾き」と称賛され、ドイツ・ピアノ界の若手の旗手として華々しい演奏活動を展開し始めた頃に録音したモーツァルトのピアノ・ソナタ全集。

演奏を聴くと若々しい感性としっかりとしたテクニックから、極めてオーソドックスで端正なモーツァルトが伝わってくる。

筆者は、若々しい自発性と豊かな歌心を兼備したエッシェンバッハのモーツァルトにも大きな魅力を覚えるが、みずみずしくはつらつとした彼の表現は、聴き手にきっと好感を抱かせることだろう。

実にフランクに、エッシェンバッハはモーツァルトにアプローチする。

その表現は、あたかも方眼紙の上に製図用の筆記具を用いてモーツァルトの音楽のエッセンスを描くかのようで、実に清潔な音楽を聴かせる。

そして様々な19世紀の解釈を超えて、今モーツァルトの音楽に何が見い出せるかを突き詰めていった表現がここにはある。

20世紀後半の演奏家としての新しさを求めるチャレンジが、エッシェンバッハのモーツァルトに新鮮さを感じさせるのだ。

エッシェンバッハは、作品の感情に溺れてしまうことなく、実に生き生きと素直な演奏を聴かせているが、その初々しくも素直な表現は、彼のある一時期の演奏だけに求めることができる魅力なのだ。

演奏家と作曲者が対話を交わすようにして弾き進めるエッシェンバッハの清澄でニュアンス溢れる演奏は、聴く者の心にいつまでも残るような深い感銘を与えてくれる。

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classicalmusic at 23:14コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2011年11月05日


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もちろん再録音である。旧盤とは別人のように成熟した演奏だ。

最も早く全集盤録音に取り組んでいたハイティンクのブルックナー音楽に対する自信と共感が気負いも誇張もない自然な流れのなかに見事に結実している。

演奏はやや遅めのテンポを採りながら、きわめて充実しており、造形的にも強靭であり、内的緊張感も強い。

ハイティンクはテンポを無用に動かさず、すべてのパートを朗々と歌わせるが、そこには波打つようなブルックナー特有の楽想が、くっきりと示されている。

何の変哲もない解釈だが、堅固でたくましく、悠揚とした呼吸で歌わせている。

すべてが自然でゆとりがあり、ことさらに劇性を強調することもないが、構成は実に明快、作品の様式に忠実、内容に深く共感している。

楽譜に何らの粉飾を加えず、しかも心情豊かな音楽を表現した、ブルックナーの真髄を極めた演奏といえるだろう。

音楽の内部まで深く深く入り込んだ名演である。

初期録音より大幅にゆったりとしたテンポで、ハース版の特徴である音楽の必然的な時間経過を丹精に描く。

シュターツカペレ・ドレスデンの、いぶし銀のような落ち着いた音色が魅力の演奏でもあり、渋さのなかにも、スケールの大きさをもった表現である。

ことに第3楽章は見事で、厚みのある弦楽器の響きを生かしながら、深々とした呼吸で、じっくりと掘り下げている。

華やかなカラヤン&ベルリン・フィル盤とは対照的な表現だ。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーハイティンク 

2011年11月04日


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1988年3月、ウィーン、ムジークフェラインザールでの収録。

ブルックナーのすべての交響曲の中でも、もっとも神秘的、かつ幻想的な内容をもつこの作品は、古くはクナッパーツブッシュの名盤などが見受けられるが、作品の壮大さが凡庸な指揮者を寄せ付けないのであろうか、残された過去の録音はいずれも不思議に見事な名演ばかりである。

比較的新しい録音からは、やはりハイティンクということになろう。

ハイティンクの資質を明快に示した好演である。

穏やかな歩みながら、作品の魅力を正面からじっくりと歌い上げた演奏で、その息づかいの深さ、生命力の逞しさ、そして音色の美しさに魅せられる、稀に見る名演である。

テンポやデュナーミクなど音楽を作る要素にまったく無理がなく、端正な造形で全体がまとめられていて、そこにはこの作品の演奏にありがちが厳しさやいかめしさより、独特の優美な表情と優しさと温かさをみなぎらせている。

これは最近のハイティンクの大きな特色といえよう。

第1楽章の金管のコラールから実に自然な息づかいと堂々たるスケール感があり、テンポは中庸だが各フレーズがよく歌われている。

曲想が転換する場合も相応しい表情を作り上げている。

第2楽章の弦楽での主題も分厚く引き締まった流れで、弦、管ともにしなやかさはウィーンフィルならでは。

第3楽章テンポは開始からやや速め、躍動感は十分、拍子感の強い足取りで進む。

フィナーレも入念な造りで細部までキメ細かく自然な響き、安心して身を任せることができる音楽になっている。

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classicalmusic at 20:30コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーハイティンク 

2011年11月03日


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カラヤン晩年の美しい、彼岸の花のようなブルックナーである。

交響曲全集を残したとはいえ、カラヤンは根っからのブルックナー指揮者という訳ではなく、第7番、第8番、第9番そして《テ・デウム》といったように、ブルックナーが真に芸術的香りと深い人間性を獲得し作品の奥底に神秘的あるいは宗教的情感を盛り込むようになった傑作にのみに情熱を捧げてきた。

しかもそれが晩年になるに従いカラヤンを虜にしてきたのは興味深い。

このカラヤンのウィーン・フィルとのDVDは、カラヤンがウィーン・フィルからマーラーの官能美さえ思い起こさせる耽美的な美しさを引き出しているだけでなく、信じられないような迫力のある名演で、すべてが厳しく聴き手に迫ってくる。

また、洗練された中にも何処かオーストリアの民族的な要素を感じさせる素朴な味わいが見え隠れする演奏でもあり、最晩年のカラヤンがウィーンへと回帰したのが良く分かる内容を持っている。

カラヤン晩年のブルックナーは、研ぎ澄まされた無心の境地というべきで、ムーティが「神の声を聴くようだ」と評したのも、むべなるかなと思わせるほどの美しさである。

ウィーン・フィルのサウンドをひたすら磨き上げ、完璧なアンサンブルを実現させることで、ブルックナーの神髄に到達したのである。

余りに人工的と評されるかもしれないが、人間の力でここまで美しい音楽を奏でられるというのは、何と凄いことなのかと改めて認識させられる。

ひとつひとつの音符をかみしめるように、穏やかに、しかし気高い志をもって演奏されたブルックナーで、その気品あふれる美しさに心洗われる究極の名演である。

ウィーン・フィルもカラヤンとひとつになった感動的な演奏を聴かせており、こぼれるような情感の優しさと祈りにも似た澄明さをたたえている。

ベルリン・フィルとのスタジオ録音(CD)もきわめて優れた演奏だが、やはり映像を通して見る迫力は音だけのものより段違いに大きい。

特にライヴ収録なので、第8番、第9番ともに第1楽章の最初のトゥッティからいきなり気合を入れてウィーン・フィルを力強くドライヴして行き、最後に向かって徐々に緊迫感を高めながら、一本の筋を通して、壮大なドラマを巨大なスケールでまとめ上げて行く様は、見る側にも非常な緊張感を要求する。

ウィーン・フィルも弦の甘美な音色を生かし、柔軟な表現でカラヤンの多彩なブルックナーの世界を築き上げて行く。

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classicalmusic at 20:33コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーカラヤン 

2011年11月02日


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亡くなる直前まで精力的なレコーディング活動を続け、映像ソフトだけでもおびただしい数を残したカラヤン。

このブルックナー8番は1988年11月に収録、その約1ヶ月後のキーシンと組んだチャイコフスキーの協奏曲その他がカラヤン最後の映像作品となったわけだが、そちらはジルヴェスター・コンサートのライヴで、あくまで放送局が主導の中継映像だった。

つまり、このブルックナーは、カラヤン自身が演出の細部にまで関わった事実上最後の映像作品ということになる。

演奏は、なによりカラヤンの尋常ならざる意気込みがひしひしと伝わる凄まじいものだ。

この時期のカラヤンは肉体的な衰えをもはや隠し切れず、その様子は痛々しいほどなのだが、それだけに、一種異様なまでに爛々と光る眼光の鋭さは強烈すぎるほどで、この収録に対するカラヤンの執念にも似た情熱を嫌でも感じさせる。

ブルックナー演奏史上1,2を争うと言いたくなる第1楽章の凄絶な威圧感には、そんなカラヤン最晩年の音楽に対する執着が強烈に感じられ、その苦痛に身もだえるような壮烈なカタストロフィは言語を絶する。

それだけに、第3楽章アダージョの絶世の美感は格別の感銘をもって聴き手に迫る。

ブルックナー作品のなかでもとりわけ第8番を得意としたカラヤンとしても、この豊麗な、まさに美音に溺れ込むかのような響きはかつてないほどである。

それでいてこの演奏が、いわゆる“白鳥の歌”というような浄化や清らかさよりも、“美的なるもの”に対する強烈な憧憬を感じさせるのは実に興味深いところであり、いかにもカラヤンらしいところと言えるだろう。

壮大にして豊穣をきわめたフィナーレの素晴らしさを含め、この演奏は、“美”にとり憑かれ、その追求に一生をささげたカラヤンという指揮者の個性と魅力が、かつてなく反映した傑作といえるのではないだろうか。

そうしたカラヤンの情熱を、ウィーン・フィルがまた信じられないほどに豊かで美しいサウンドで支えている。

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classicalmusic at 23:44コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーカラヤン 

2011年11月01日


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敬虔なカトリックの信徒であったブルックナーの曲は全て信仰告白である。

そしてブルックナーを十八番とするチェリビダッケもまた、仏教的感性を有している。

つまり両者とも、超越的で宇宙的な境地に到達する術を心得ている訳だ。

ここに聴く、チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの演奏は、そんな法悦に至る壮絶なプロセスが刻まれている。

ここまで宇宙的な気宇壮大さのあるブルックナーは皆無だ。

一音一音極限まで研ぎ澄まされ、悠久の世界を眼前に表してくれる。

これはチェリビダッケが禅に深い造詣を示したことも影響しているのだろう。

ブルックナーの交響曲に対し、ある評論家は「仏教的な法悦すら感じる」と述べているが、それはそのままチェリビダッケの精神性にも通じると思う。

チェリビダッケの指揮は極端に遅いが、これに慣れてくると他の演奏が忙しく思えてくる。

空"emptiness"の世界に聴き手を誘うような、神秘的色彩をも感じ得る名演である。

音楽は作曲家の手を離れた瞬間から、作曲家の意図とは無関係に歩みだす。

演奏という行為によって、聴衆を失望させることもあれば、時には作曲者さえ予想もしなかった新たなる生命を見出すこともある。

このチェリビダッケの演奏は正に後者のような演奏だ。

この一般的に「遅いテンポ」から禅宗徒のチェリビダッケは天から降り注ぐ眩い神の光を現出させた。

それは意外にも極めて教会的であり、オルガン的である。

これこそ一般的なブルックナーらしくないアプローチにより最もブルックナーらしさを獲得できた数少ない名演のひとつと思う。

なお、ブルックナーの交響曲のファースト・チョイスとしては余りにも強烈な為、他の演奏を耳にしてから改めて本盤を選んでいただければ幸いである。

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