2011年12月

2011年12月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アシュケナージのベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集は、後のメータ&ウィーン・フィル、クリーヴランド管との弾き振りの録音によって、最初のショルティ&シカゴ響との録音は影が薄くなった感は否めないが、ここでのアシュケナージは(もちろん極めてすぐれたものであるが)、比較的標準的なスタイルに近く、特に《皇帝》では最も万人向きの名演を聴かせる。

アシュケナージはまだこの録音時35歳であり、彼の最後のコンクールである、1962年のチャイコフスキーからはまだ10年しか経っていない。

全体的にはフレージングといい、フィーリングといい、優等生のそれであって、際立って個性的というわけではない。

とはいえ、もちろん、後の彼を思わせるような部分は萌芽として存在しており、磨かれた音色と無理のない表情、きっぱりとした中に多様なニュアンスを秘めている。

ことに第3番では、30代のアシュケナージが完成された大家のような深みのある表現を行っている。

第4番では彼は意識してピアノの音色を変えておりペダルを多用し、音量の変化に幅を持たせ、強弱の起伏をくっきりとつけている。

なかでも第2楽章は練り上げられた美しさと精神的な深さを感じさせる演奏だ。

これに対するショルティは、すでに将軍格の指揮者であり、シカゴ響は世界でトップを行く最強のオーケストラであり、この新人を迎えて、いつものように見事な統制と、輝かしい音とで歓迎の意志表示をしている。

全体の作り方はシンフォニックであり、弱音でオーケストラがピアノをバック・アップする時でも、重要な動機などはショルティは十分に歌わせて、単なる伴奏の役ではないオーケストラ作りをしている。

ショルティの棒は切れ味のよいリズムで、ベートーヴェン的な雄大な性格が見事に再現されている。

指揮者とオーケストラに関しては、全3回の録音で、この時のものが最もすばらしいといえる。

ただ、時にピアノはオーケストラの波に巻き込まれるようなところもあり、ソリストと指揮者の年齢差、貫禄の差を感じさせることもあるが、それは致し方のないところであろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:15コメント(0)トラックバック(0)アシュケナージショルティ 

2011年12月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



《惑星》を人気曲に押し上げるきっかけを作ったウィーン・フィルとのデッカ盤から20年の歳月を経て実現した再録音盤は、ベルリン・フィルの強固なアンサンブルを軸に、より落ち着いたテンポによる円熟した演奏が収録されている。

カラヤンの指揮は、ベルリン・フィルの緻密なアンサンブルを駆使して、実に美しく全体のプロポーションを描き上げている。

旧盤よりも、静と動の対比をくっきりとつけ、それぞれの曲の持ち味を存分に引き出した演奏で、劇的な盛り上げや、細部の彫琢にも遺漏がなく、まさにこの曲の完璧な再現といっていい。

大管弦楽を駆使したショー・ピースとして名高く、さまざまなアプローチの可能性を秘めている作品に対して、カラヤンは、堂々たる横綱相撲を展開。

目先の描写にこだわることもなければ、ムードの表出に血道をあげることもなく、もっぱら、シンフォニックなスタイルが貫かれているのが、耳に残ることだろう。

語り口の旨さについては例によって非の打ち所がなく、さらに音楽の中身についても単なるBGM的な描写音楽にとどまらないことを証明している。

力強く逞しい「火星」、悪魔的なものを漂わせた「天王星」、豊麗な音で旋律をたっぷり歌わせた「木星」など、いずれもカラヤンならではのもの。

なかでも「金星」や「海王星」といった静謐な佇まいの楽曲における浮世離れした美しさが特筆もので、聴いていると魂が吸い寄せられるような美しさである。

ここに聴くベルリン・フィルは音色の美しさ、卓越したアンサンブルなどあらゆる意味で傑出している。

ベルリン・フィルの特質ともいうべき機能的表現が、この作品には極めて強力な威力になっており、この作品を精神的に内側から見つめ直した新鮮な表現である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:54コメント(0)トラックバック(0)ホルストカラヤン 

2011年12月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1981年10月10日、ホートン・チャペル、ウェルズリー大学、マサチューセッツでの録音で、小澤&ボストン響の初の「四季」として話題を呼んだ。

先日小澤征爾がSKF松本で1時間ばかりバルトークの「青ひげ公の城」を振って復帰を果たし、筆者もテレビで見て安堵しているのであるが、本盤はかなり以前のまだ彼が46歳の頃ボストン響を指揮してヴィヴァルディ「四季」を演奏したもので先ずボストン響の「四季」が珍しい。

編成が小さく、弦の音が美しい。

音楽が爽やかで、イタリアの弦の艶やかな音色と豊麗な響きとは別の魅力をもっている。

小澤の解釈は、テンポをやや遅めに設定し、リズムに明確なアクセントをつけている。

そのために演奏全体が強い安定感をもち、明快ななフレージングで旋律を歌わせているし、一方、急速楽章では気迫に溢れた「四季」をみせている。

小澤の指揮そのものは格調の高いものだが、ヴァイオリン独奏の装飾が聴きものである。

ボストン響の名物コンマス、シルヴァースタインのソロが装飾を豊かにとり入れて美しく聴かせる。

マリナーやアーノンクールは独創的なわりにソロの装飾は少なかったが、小澤は目いっぱいやっており、単純な旋律線がきわめて複雑なものに変わっている。

数多いこの曲のレコードでも注目すべき秀演。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:29コメント(0)トラックバック(0)ヴィヴァルディ小澤 征爾 

2011年12月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



第4番はゼルキン&クーベリックによるベートーヴェン全集のベスト・ワンといえる。

音楽自体の深みと録音当時(1977年)のゼルキンの芸風がぴたりと一致。

曲のすべてを知りつくした大家の心境をつづってゆく第1楽章など、その沈んだ雰囲気や内省の心が極めて感動的である。

第3番でのゼルキンのピアノはより19世紀風であり、人間味が濃い。

それは第1楽章に最も反映しており、第2主題の大きなテンポの落とし方や、ルバート奏法は現代では珍しい。

展開部冒頭の内省的な動きも特徴だ。

「皇帝」でのゼルキンは、きらめくタッチの外面的な美しさを充分に持ちながらも、ためらいがちのルバートや感じ切ったディミヌエンドなどを随所に配し、極めて味わいに富んだ音楽としている。

第2楽章は弱音効果によって、心のこもった表現になっている。

第3楽章は主題の緩急自在な語りかけ、左手がものをいっていることなどにゼルキンの内容的な弾き方が集約されている。

第1番と第2番でのゼルキンは初期のベートーヴェンを意識して何気なく進めていくが、遅めのテンポや十分な間の感覚が見事で、いずれもフィナーレが印象的である。

合唱幻想曲も美演。タッチの冴えたピアノがベートーヴェンの魅力を最大限に発揮している。

クーベリックの指揮も音楽的充実度が抜群で、優秀な音楽性が匂うようだ。

デリケートなニュアンス、内声の充実感など素晴らしく、バイエルン放送響も大変うまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:56コメント(0)トラックバック(0)ゼルキンクーベリック 

2011年12月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーがステレオの最初期、1955〜57年にかけて録音完成したブラームスの交響曲全集。

クレンペラー独特の古雅な風格をもったブラームスである。

何回ものセッションを費やして完成されたこの全集は、壮大・峻厳な趣を持ち、重厚な響きで確信に貫かれた演奏が作られている。

一瞬のゆるみもない緊張と力に支えられた端正な演奏の中から、ブラームスの苦渋とロマンが湧き上がってくる。

もはやこのような表現は、現今の指揮者には望むべくもない。

ところでブラームスにも若い時代があったのだろうが、白髭を生やした姿しか思い浮かばない。

彼の交響曲にもそんな老いの表情が打ち消せない。

しかしそこには厳父の孤高さと慈父の柔和さが滲み出ており、雄渾でありながら包容力に富むひびきが聴きとれる。

また思索をどこまでも深くめぐらせる賢人か哲人といった風貌をただよわせ、預言者的な風格すらおびている。

宇宙の奥義を究めたようなその教えは、いくぶん神秘的で晦渋かも知れないが、噛めば噛むほど味わいの増す知恵に満ちている。

クレンペラーの演奏は、些事に拘泥せず、ブラームスのそうした味わい深いひびきの世界を悠揚迫らぬスケールの大きさで描き出しており、その感動は震撼的ですらある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:43コメント(0)トラックバック(0)ブラームスクレンペラー 

2011年12月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1970年1月30日、ミュンヘン、レジデンス・ヘルクレスザールに於けるライヴ録音。

クーベリックのブルックナーは全集には至らなかったが、これまでにも第3番のスタジオ盤、ライヴ盤、第4番のスタジオ盤、第8番のライヴ盤、第9番のライヴ盤といった注目作がリリース済み。

なかでも第3番は記録によれば、手兵バイエルンだけでも3種の録音が知られている。

まず、1962年11月8、9日のライヴ。これは前年1961年音楽監督就任後に、クーベリックがバイエルンと初めてこの曲を取り上げた記念すべきもの(未発売)。

次いで今なお高い評価を獲得している1980年のスタジオ盤(SONY)。

そして今回の1970年ライヴ。

いずれにも共通する特徴としてはエーザー版を使用している点。

ちなみに、コンセルトへボウとのライヴ録音(1954年)もエーザー版だったが、この間1967年にヨッフムがバイエルンとノヴァーク版による録音も行っていることを考え合わせても、クーベリックによる版の選択は興味深いところである。

ただ、それにもまして、やはりライヴでのクーベリックは輝きが違う。

たとえば前半2楽章は、破格の推進力と生命力があり、どの瞬間を切り取っても、こんなにも有機的に音楽が響き、心に届いてくる例をほかに知らない。

燃焼度では、偶然にも同じバイエルンで、先ごろたいへん個性的なテンシュテットの1976年ライヴが話題となったが、そちらとの比較も大いに楽しみ。

素晴らしい録音とともにまた、シリーズ恒例のSACD再生における、アーカイヴ・マスターとリマスター・テイクとの全曲聴き比べも魅力あるポイントとなっている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:30コメント(0)トラックバック(0)ブルックナークーベリック 

2011年12月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



西側にデビューする以前のリヒテルの凄さが端的に表れている歴史的名演だ。

現代においてはあまりにスッキリとした演奏のように思えるかもしれない。

イン・テンポできっちりと押し通し、表現もむしろ淡白と言っていいくらいに遊びが少ない。

しかしリヒテルの玲瓏としたピアニズムがかえって同作品を赤裸々に描き出し、的確にシューマンのロマン性を引き出し得ているのを痛感させる。

リヒテルのピアノには覇気があり、きわめて力強い。

底力ある打鍵から、堂々とした構えの音楽が生み出されているという感じだ。

それでいて、シューマンのデリケートな魅力をあますところなくカヴァーし得ており、流石である。

余分なものをすべて取り去ったようなスマートな造形、凛とした強い意志に貫かれた解釈、なにかハードボイルドを思わせるクールな演奏である。

しかし的確に曲の本質をついてゆく、強烈な求心力がこの演奏にはある。

最近は、シューマンのピアノ協奏曲を、希望に胸をふくらませ、元気いっぱいに、まるで"青年の主張"のように再現するのが流行しているようだけれど、ここに聴くリヒテルのピアノは、そのような演奏とはまるで性格を異にしている。

ここにおける彼のトーンは、決して明るいものではなく、ほの暗い。

ただひとつ、ほのかに灯ったローソクの炎をじっと見入るように、自らの心の奥深くに分け入っていき、そこにおいてシューマンの協奏曲を把握していこうとしている。

その結果、ここではときに、心の中の嵐が聴こえるようであり、心の中のモノローグが聴こえてくるようだ。

こうしたシューマンを聴くと、これこそが、と思う一瞬が確かにある。

"曲の原点に帰る"意味ではこの演奏をまず挙げたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:10コメント(0)トラックバック(0)リヒテルシューマン 

2011年12月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



《ヴォツェック》演奏史上に大きな足跡を残した名盤。

ブーレーズの怜悧な眼光によって解き明かされたビュヒナーとベルクによる心理世界は、一点の曖昧さも残さず、人間存在の根底に迫ってくる。

明晰な分析に基づき、ベルクのスコアを緻密かつ克明に再現する。

鋭敏な表現で線の錯綜をくまなく表出するオーケストラは、当ディスクの最大の魅力。

切れ味鋭いアプローチでこの作品の前衛的な側面に強い光をあてる。

シュトラウスのマリーも、この表現に合致し、主役のベリーをはじめとする歌手たちの名唱が、ブーレーズの描く管弦楽の荒涼たる世界の上で、苦渋に満ちた人間存在への深い問いかけを行っているのである。

正直なところ現在の筆者は、《ヴォツェック》よりも数段《ルル》の方を好むが、ベルクの音楽に接しはじめた当時、《ヴォツェック》の持つ求心的なドラマトゥルギーや構成の明晰さと堅固さ、無駄なく切り詰められたフォルム等に幾度となく驚かされたものである。

その大きな原因はまさにこのブーレーズ盤の先鋭なアプローチにあった。

現在再度聴いても、際だって説得力のある鮮烈な演奏である。

スコアの隅々まで精巧に読み解き、独自の急進的センスによって徹底的な彫琢を加えた《ヴォツェック》ディスクであり続けている。

刺激と知性に満ちた《ヴォツェック》解釈の金字塔である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:03コメント(0)トラックバック(0)ベルクブーレーズ 

2011年12月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



《オケ・コン》はバルトークの作品のなかでは、比較的おだやかで洗練されている。

これまでの徹底的に突き詰めてゆく集中力よりは、全体の空間的な広がりとバランスを重視した構想が前面に出ている。

だからバルトークの他の作品に息詰まる思いをさせられる聴き手も、この曲ではほっと一息つけるし、また逆に物足らない思いもさせられる。

バーンスタインはこうした二面性によく気づいているのだろう、この曲に欠けがちな緊張感を最大限に引き出す一方で、エンターテインメントの要素が弛緩を引き起こさぬよう気を配り、いわばサーカスの綱渡りに似たスリルに富んだ緊張と面白さで聴かせる。

それは本来作曲家自身の構想だったと思わせるほどの巧みさだ。

バーンスタインは、例えば第2楽章「対の遊び」を聴けばよくわかるが、この曲のもつコンチェルタンテ風のスタイルを相当意識して曲をまとめている。

表現は、綿密で計算がよく行き届いており、ニューヨーク・フィルの練達の楽員たちを思う存分に振りまわしている。

この演奏を聴くと、彼の魔術がいかに楽員たちに徹底しているかがよくわかる。

バーンスタインの《弦チェレ》にはバイエルン放送響を振った新盤もあり、優劣つけがたい名演だ。

新盤の方がより厳しくより深いが、旧盤の方がより豪華、より濃厚である。

表情という表情をつけられるだけつけた第2楽章など、さながら現代のメンゲルベルクといえようし、終結部のテンポの変化がなんとも物すごい迫力をよぶ。

すごいメリハリの効果、ティンパニの威力、オケの腕の冴え、色彩の燦き、まるで《オケ・コン》を聴いているような愉しさがあり、娯楽音楽となる。

雄弁なアゴーギクも比類がない。

第3楽章も舞踊音楽を思わせるし、フィナーレは後期ロマン派の世界だ。

したがって嫌う人がいても不思議ではない。

第1楽章など、ときにストコフスキー=フィラデルフィア管を彷彿とさせるのだから……。

バーンスタインの表現には抑制がまったくみられない。

個性的な表現で、すべてをぶちまけている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:12コメント(0)トラックバック(0)バルトークバーンスタイン 

2011年12月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1969年5月29日、モスクワ音楽院大ホールに於けるライヴ録音。

カラヤン&ベルリン・フィルの史上最高の名演奏の一つとされるモスクワでのショスタコ10番が、今やこうして手軽に聴けるのは喜ばしい限りである。

再録音も含めあれほど夥しい録音を残したカラヤンが、なぜかショスタコーヴィチだけはこの曲しか録音していない。

しかも不思議なことに、この曲だけを2回スタジオ録音している。

その理由は不明だが、どこかこの謎めいた暗鬱な曲に共感する点があったのかもしれない。

そのためだろうか、カラヤンにしては異例なほど沈鬱な表現や、劇的という範疇を越え、何かに取り憑かれたような切迫した表現が目立つ。

ベルリン・フィルの超絶的な巧さには凄みすらある。

カラヤンがモスクワの聴衆に対してこの曲を取り上げたのは、ベルリン・フィルの表現力を誇示するためではなかったかと思えるほどで、今でもこれほど完璧な演奏はもはや望めないのではないかと思わせるほど見事で効果満点である。

緊張感に満ちた集中力と燃焼度が高い演奏で、ここには舞台に生きる演奏家たちの止むにやまれぬ魂の燃焼がある。

また会場の雰囲気は「ピン」と張り詰めたもので、西欧の誇る最高の指揮者とオケが、モスクワの聴衆に立ち向かうかのような緊迫感がある。

作曲者であるショスタコーヴィチ自身が聴いていたライヴでもあり、その作曲者自身が満足したと言われるこの演奏は、ショスタコーヴィチ「交響曲第10番」の一つのスタイルが確立した記念すべきライヴでもあったようだ。

カップリングされているバッハはカラヤンらしくこってりとした仕上がりで、古楽器によるバッハを聴いた耳からはちょっと胃もたれしそうな演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:11コメント(0)トラックバック(0)カラヤンショスタコーヴィチ 

2011年12月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1981年盤は演奏・録音とも圧倒的優秀CDである。

カラヤンはここではわずかなデュナーミクの変更を除けば楽譜に忠実に従っており、確信にあふれた表情で練りに練られた音楽を展開している。

ベルリン・フィルの、特にフルートやクラリネットのソロの見事さも印象的。

金管も卓越しており、フォルティッシモの盛り上がりの凄さ、壮大な起伏の効果はすばらしいの一語につきる。

この頃はベルリン・フィルが完全にカラヤンの理想の楽器になりきっており、有無を言わさぬ演奏能力の高さとサウンドの強力さに圧倒される。

どんなに世評が高い作曲家でも、カラヤンはたった1曲しか取り上げていない作品が意外に多い。

ショスタコーヴィチもそうした部類に入る。

この第10番には3種類の録音があるが、本盤は最後のもので、カラヤンのアプローチは明解で美しい。

ここには"謎解き"的な解釈や表現の誇張は皆無で、ベルリン・フィルの絶大な機動力や表現力、オーケストラの持つ極上のソノリティを駆使するのみ。

意味深な解釈以上にカラヤンの関心は、曲を絶対視し音楽としての造型美や構築美を探究することにある。

しかしそれがかえって同作品の意味深な内容を際立たせているから皮肉だ。

凄絶な第2楽章のアレグロはもとより、各楽章が深遠かつ壮麗に描き出されることこの上ない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:05コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチカラヤン 

2011年12月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンのショスタコーヴィチのレパートリーは交響曲第10番に限られていた。

奇妙といえば奇妙だ。

ショスタコーヴィチの作品は、直接あるいは裏に何かの意味が込められているとみなされている。

そしてカラヤンは、たとえオペラでさえも、意味など眼中にない演奏をする指揮者だった。

そのカラヤンが、この曲にはご執心だった。

なるほど、ここには意味などない。

"証言"がどうしたといった騒ぎが収まり、ソ連がなくなり、ショスタコーヴィチもとっくに過去の人ということになると、カラヤンこそ王道を行っていたのか、という気になる。

カラヤンの巧さ、ベルリン・フィルの巧さは際立ち、演奏効果満点。

この演奏効果をこそ、言葉を持たない交響曲第10番は求めている。

この1966年盤は、手慣れた感じのまったくしない初々しいアプローチに好感が持てる。

楽想の豊かな表情、雄大な構築、驚異的な演奏技術は感嘆すべきものだが、後の1981年の録音はさらに成熟し、彫りが深い。

もし1981年の録音がなければ、これがこの曲の最高の演奏といえるだろう。

彫琢された輝かしい音色と洗練の極致ともいうべき響きによる演奏が魅力の1枚といえよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:42コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチカラヤン 

2011年12月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



小林研一郎の《わが祖国》と言えば、チェコ・フィルと録音した1997年盤が頭に浮かぶが、これはそれから12年ぶりの録音である。

チェコ・フィルとの演奏と比べ、小林研一郎ならではの解釈を随所で聴くことができるが、決して爆演とならず、スケールが大きく熱いながらも正攻法な演奏から逸脱していないのは流石である。

「ヴィシェフラド」は、小林としてはいま一つの出来。東京都交響楽団ともども、エンジンがかかっていないきらいがある。

「モルダウ」に入って、漸く小林らしさが出てくる。特に、終結部の雷鳴のようなティンパ二の鳴動は圧倒的なド迫力。

「シャールカ」は、中間部のゲネラルパウゼが実に効果的で、緩急自在のテンポが曲想を巧みに描き尽くすのに貢献している。

「ボヘミアの森と草原から」は、静けさよりは小林の熱い血がそこらじゅうにたぎっている感じ。

「ターボル」の重量感溢れる巨象の進軍にはもはや抗するものは何もなく、「ブラ二ーク」における圧倒的な高揚感に繋がっていく。

特に、終結部のティンパ二の強打と、「ヴィシェラフド」の再現の崇高な歌いあげは、小林の唸り声も聴こえるなど、小林の独壇場と言っても過言ではあるまい。

東京都交響楽団も、「ブラ二ーク」のホルンの旋律の野太さなど、《わが祖国》の内包する郷愁の哀感を的確に表現するなど、持てる力を存分に発揮しており、小林の指揮ともども名演であると評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:18コメント(0)トラックバック(0)スメタナ小林 研一郎 

2011年12月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1975年5月13日(チャイコフスキー)、6月7日(モーツァルト)、東京文化会館でのライヴ録音。

ムラヴィンスキーという指揮者も凄いが、彼のもとで鍛え抜かれた旧レニングラード・フィルも素晴らしい。

しかもその両者が彼らの心の調べというべきチャイコフスキーの交響曲第5番を全霊をこめて演奏しているのだから、これはほとんど言葉を失う名演だ。

確かに私たちは数多くのチャイコフスキーの名演を知っているが、眼光紙背に徹するムラヴィンスキーの指揮は、鳴り響く音のもう一つ裏側までも見通すかのような冷徹な気配をたたえており、頂点を究めた指揮芸術の真骨頂を満喫させてくれる。

ムラヴィンスキーの重く厚い表現は、チャイコフスキーから甘く感傷的な涙を洗い去った豪快とも評すべきもので、そこには内に激しい情熱があるとともに、外に不健康なものがない、実にスケールの大きな演奏だ。

しかも世界に第一級の腕を誇るレニングラード・フィルが、あふれるばかりのロシアの色と匂いと温度を伝えており、チャイコフスキーがロシアの作曲家であることをこれほどまでのインパクトで実感させてくれる演奏もほかにない。

しかもそれは、いわゆる偏狭な民族色を超えた普遍的美しさの域に達しており、オーケストラ演奏の鑑のような魅力と輝きを放っているのである。

モーツァルトは音楽的に厳しく、しかも第1楽章の冒頭から巨匠的な円熟した風格をたたえている。

その毅然とした姿勢の内部には、豊かな感情が素朴に示されており、第1楽章の重厚な温かい表現はその好例だ。

第2楽章もどことなく骨組みの太く悠揚とした音楽が歌われている。

しかもこの演奏は、後半でますます盛り上がり、第3楽章の交響的な格調の高い表現、終楽章の素晴らしいアンサンブルが極めて密度の高い音楽を作っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:08コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキー 

2011年12月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クーベリックがチェコを離れてから4年後の1952年にシカゴ響と録音したクーベリック最初の「わが祖国」録音。

交響詩としてのスコアをきちんと聴衆に伝えることに主眼が置かれているようだ(特に、リズムや内声の動きの強調)。

その姿勢は、この録音の38年後のチェコ・フィルとの演奏でも基本的には変わらない。

フリッツ・ライナーが音楽監督に就任する前年のシカゴ響だが、30代後半のクーベリック(彼は1914年生まれだから、この録音当時はわずか38歳である)とオケのパワーのせいもあって若々しくエネルギー感に満ちた演奏になっている。

若いクーベリックは自在にオケを操っており、どの交響詩も気力の充実を反映して素晴らしい出来映えだ。

クーベリックがこれほど気負い立って演奏した「わが祖国」はCDでは他になく、シカゴ響の金管楽器は咆哮し、シンバルの炸裂、ティンパニの強打など大迫力で、オケのトゥッティではあらん限りのフォルティッシモが聴ける。痛快でもある。

クーベリックの「わが祖国」は、晩年に近づくにつれて後半の交響詩に表現の重点が置かれるようになっていくが、この録音では全ての楽章に手抜きがなく、かつ熱さ一辺倒に陥らずに叙情も忘れていない。

表現が豊かだし、迫力もあって今でも十分に魅力的な演奏だが、モノラルであり、最強音が割れているのが残念だとはいえ、そこはマーキュリー・リビング・プレゼンス、基本的に音質はいい。

これは最も劇的なアプローチをした「わが祖国」の例として語り継がれるべき演奏である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 04:12コメント(0)トラックバック(0)スメタナクーベリック 

2011年12月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1964年2月26〜28日、ロンドン、アビー・ロード第1スタジオでの録音。

実は『わが祖国』で、筆者が秘かに愛聴しているのが、このサージェント盤である。

故サージェントはビーチャムと並ぶ高名かつ典型的なイギリスの音楽家である。

音楽はあくまでジェントル、強烈な個性には欠けるが穏やかな味わいと気品を持つ。

サージェントの指揮は、いかにもイギリス紳士らしい品の良い堅実なもので、自国イギリスや北欧の作品には手腕を発揮したものだが、こうした民族色の濃い作品はどうやら肌に合わなかったようだ。

このCD、名演目白押しの大名曲だけに較べられると少々つらいが、かといって音楽が違うという事はない。

6曲とも明確な棒で丁寧に仕上げているが、全体に表情が端正すぎ、人によっては、もう少しスラヴ的な熱っぽさ、たくましさが欲しいところであろう。

スメタナやドヴォルザークなどの、いわゆるスラヴ系の音楽は、郷愁をソソるような節回しが特徴で、それを「誇り高きわれらが民族」的な解釈の熱い演奏に仕上げて成功したのが、名盤で知られるクーベリックだと思う。

ただ、郷愁とは情熱であると同時に「やすらぎ」でもあるはずだ。

このサージェントの演奏は、決して最上の録音ではない。

しかし安心して耳を傾け、大人の視線で見守られている、みたいな、静かな気持ちになれる。

数々の熱演型名演盤に辟易した方にお薦めしたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:24コメント(0)トラックバック(0)スメタナ 

2011年12月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは1970年代前半の時期の、ルプーがデビューして間もない頃の演奏だが、ピアノの抒情詩人ルプーの面目躍如たる、代表的な演奏のひとつに数えられる。

ルプーは極めて若々しい感覚でソフトに作品にアプローチし、ブラームス晩年のピアノ小品によくいわれる枯淡とか諦観とは違った輝かしい光りを当てている。

特に《間奏曲》はいわば行間で語るようなところがある音楽だが、ルプーは流麗といってもよい生き生きとした音楽の流れをつくり出す。

そこに彼独特の爽やかな抒情が加わり、ブラームスの小品は新鮮な表情を湛えて語りかけてくるのである。

ブラームスのこれら晩年の小品集を、これほど親しみやすく、これほど快く聴かせる演奏が、これまでにあったであろうか。

そう思わせるほど、ルプーはこれらの作品で洗練された抒情性を徹底して追求している。

その意味で、ルプーの演奏芸術の持つリリシズムが改めて強く確認される演奏ともいえる。

ちょうど同じ頃にルプーは、シューベルトのピアノ・ソナタ第18番《幻想》を出したが、これが旋律を大きなフレーズで歌わせた見事な演奏であった。

このシューベルトのソナタは作品自体が非常に抒情的な性格をもっているが、これらブラームスの小品の場合、《ラプソディ》は別にしても、晩年の作品は枯淡で渋い音楽と一般に思われてきたものを、ルプーの演奏はなんと親しみやすく、チャーミングに聴かせていることか。

どの曲もルプーの繊細な感覚が光っており、作品のもつ多彩な表情をニュアンス豊かに表現した演奏で、ルプーの音楽的特性がよくあらわれたものとなっている。

さまざまに変化する各曲の表情を、繊細で、透明感にみちた音色で巧みに表現していて見事である。

ブラームスのこれらの作品が秘めている新しい側面に、眼を見開かせてくれた演奏として、大きな価値を持つように思われる。

この演奏を聴いてこれらの曲を好きになった人もいると思う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:24コメント(0)トラックバック(0)ブラームスルプー 

2011年12月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本CDは、アーノンクールのRCAへの移籍第1弾である。

アーノンクールは語る。

これまでの定説に反し、ブルックナーはこのフィナーレの大部分を書き終えており、少なくともモーツァルトの「レクイエム」以上に、真作の割合が大きい。

しかし、心ない弟子たちによって、ブルックナーの遺産がちりぢりとなり、フィナーレのスコアに関しても「ある」はずのページのいくつかも失われている、と。

シャルク兄弟やレーヴェたちは、杜撰で悪趣味な編曲だけに止まらず、師の遺品さえ私欲と虚栄心の道具にする、罰当たりな連中である。

彼らは本当のブルックナーの偉大さに気付いていなかったのだろう。

さて、このCDには、ブルックナーの遺したフィナーレの「真筆」のうち現存する部分だけが収録されている。

しかも、アーノンクールの詳細なレクチャー付きで。

ブルックナー・ファンを自認する者なら聴かない手はない。

完成された最初の3つの楽章も、アーノンクールならではの、清新の気漲る名演であることは、言うまでもない。

「フィナーレが細切れでは欲求不満」という方には、欠落部の補完されたアイヒホルン盤を併せて聴くことをお薦めする。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:08コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーアーノンクール 

2011年12月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「バッハという名の駿馬を乗りこなし、時代を駆け抜けていった男」

カール・リヒターを想うとき、筆者の脳裏にはこうして名馬を駆って疾走する颯爽たる騎手の姿が絵のように去来する。

リヒターのバッハ演奏には定評がある。

特に中高年の音楽愛好家の中には、バッハ演奏家といえば、まず一も二もなくリヒターの名を思い浮かべる人が少なくないのではないだろうか。

周知のように、リヒターの名前を一躍高めたのは、1958年の聖金曜日に放送されたバッハの《マタイ受難曲》の演奏と、その直後のアルヒーフへの記念碑的録音だった。

当時のリヒターは、旧東ドイツからミュンヘンに移住して7年目、この成功をバネとして、続く一連のバッハの宗教音楽の録音で評価を揺るぎないものとした。

その同じ1958年にもテレフンケンに《ゴルトベルク変奏曲》を録音しているが、その後1960年代後半から1970年代にかけてがチェンバリストとしてアルヒーフに旺盛な録音活動を行った時期で、この《ゴルトベルク変奏曲》は1970年の再録音。

リヒターの完璧な技巧とバッハへの深い造詣があますところなく発揮された演奏は、強い生命力がみなぎっている。

生き生きとした表情が全曲を支配しており、作品の汲めどもつきることのない魅力に、まさに引き込まれたような自発性に満ちた演奏を展開している。

ひとつひとつの音型に表情を与え、まとまりと変化を生み出し、聴き手の興味をぐいぐいと引っ張っていく力量には、さらなるゆとりが感じられる。

いまなお新しさを失っていない演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)バッハリヒター 

2011年12月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1958年2月20日 グスタフ・マーラー・フェスティヴァルにおけるライヴ録音。

この《復活》は本当にすごい。シューリヒト・ファンをうならせる完成度の高さとこれまでシューリヒトを「地味すぎる」と敬遠していた人にも一聴してわかるような異常な迫力をもっている。

シューリヒトの最大の特徴である水墨画のような枯れた境地、あるいは細部を抉り出して対象を明確にする分析的解釈を内包しながら、戦前の大指揮者のあのスケールの大きさと、聴く者を戦慄させる瞬間を何度も体験させてくれる。

アゴーギグをほとんど使わず、ひたすら正攻法に構えながらも聴く側を圧倒するすさまじい迫力がある。

とくに打楽器の鮮烈な響きなどショッキングなほどだ。

これまでマーラー《復活》の名演といえば、現代的センスでスマートにアイロニカルに迫るタイプか、超大スケールで気迫と迫力で迫るタイプか、その2つに分かれていた。

それゆえそのどちらでもない演奏はどっちつかずの評価を受けていた。

だがこのシューリヒトの演奏はどちらでもあり、どちらでもない。新鮮でユニークではあっても奇異ではない。

聴いていて怖くなるほどの迫力とすさまじいまでのエネルギーをもつが、それだけではない。

もしかするとこれは、この作品のすべての要素を包含する最終的演奏ではないか、と思わせるものがある。

今回のALTUSの音質はモノラルながらかなり優秀。高音質とまではいわないまでも、シューリヒトの音楽を楽しむには十分すぎる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:10コメント(0)トラックバック(0)マーラーシューリヒト 

2011年12月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



SP時代には作曲者と直接、間接にかかわっていた演奏家の録音がいっぱいある。

にもかかわらず、これらはさして重要視されていないのが現状である。

それ故、こうして往年の名指揮者によるマーラー録音を復刻して集成したディスク集には価値がある。

何と言っても、長らく廃盤になっていたメンゲルベルクの「第4」の録音が復活したことが喜ばしい。

1939年11月9日、コンセルトヘボウ、アムステルダムでのライヴ録音である。

メンゲルベルクはマーラーの熱烈な支持者であり、マーラーもまたメンゲルベルクの自作の演奏を誰よりも(愛弟子ワルター以上に)高く評価していた。

「第4」のアムステルダム初演はマーラー指揮コンセルトヘボウ管弦楽団で、1905年2月にはメンゲルベルク指揮の同楽団がハーグ初演を行った。

演奏は巧緻をきわめ、委曲を尽くした解釈であり、マーラーのロマンと感傷のすべてを音にしており、歴史的にも貴重な文献というべきだろう。

見事なテンポ・ルバートにまかせて、とりわけ情緒的な誇張はしていないのだが、その情緒を実に幻想豊かに生き生きしたものにしている。

マーラーの表情の細かな変化は見れば見るほどうるさくなるような多様な変化をしているのだが、それを驚くほど微細に厳格にとらえていろいろ工夫しながら、マーラーの求めた効果を出そうと努力している。

メンゲルベルクの録音以外では、生前マーラーに「影のようにくっついていた指揮者」フリートの「復活」も偉大な記録(1923年頃)である。

彼は作曲者立ち会いのもとに何度もマーラーの交響曲を演奏しており、そのためこのたよりない録音からも、恐らくはそのマーラーから受けたであろう影響がにじみ出ている。

ひと口で言うならば感情の振幅の激しいもので、小型メンゲルベルクと思っていただいてかまわないだろう。

そうなると、やはりマーラー自身は今日のような機能的にきちんと整えられた演奏を望んでいなかったのかもしれない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:11コメント(0)トラックバック(0)マーラー 

2011年12月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



現在廃盤中のディスクのなかでは最も貴重な録音のひとつだろう。

シベリウスの祖国であるフィンランドは、シベリウスのスペシャリストといわれる指揮者をこれまでにいく人も生んでいるが、タウノ・ハンニカイネンは、筆者がその中でも最高の一人と考えている人物である。

そして、この交響曲第5番は、彼が残した決して数が多いとはいえないステレオ録音によるシベリウスの中でも、最も傑出した内容の演奏になっている。

ハンニカイネンは第5番の北欧的な雰囲気と民族性を的確に表出し、シンフォニア・オブ・ロンドンの実力以上の音を聴かせる。

音構造も明晰に示され、表情は明快で彫りが深い。

特に第3楽章は圧巻で、聴き手に強い感銘を与える。

ハンニカイネンのタクトから生まれた寒色的で荒涼としたサウンドは、私たちの夢想の中にあるシベリウスのイメージと一寸も違わぬものであり、シベリウスの脳裏で鳴り響いていた音楽をそのまま伝えているといっても大げさではないだろう。

古い木造コテッジのような演奏だが、造りが堅牢なのでいつまでたっても頼りがいがある。

ぶっきらぼうなまでの管の鳴らし方がかえってすがすがしく自然で、全体のダイナミックスの設計は文句なしの説得力がある。

「カレリア」組曲も同様。「間奏曲」は快調なテンポがあり、「バラード」にも豊かな感興が息づいている。「行進曲風に」も速めのテンポで、生気にみちた音楽を聴かせる。

本物のシベリウスを味わわせてくれる注目すべき1枚である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:37コメント(0)トラックバック(0)シベリウス 

2011年12月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブルックナーの作品は現在でこそさかんに取り上げられて演奏されているが、そうした傾向は比較的最近のことで、日本ばかりでなく国際的にも50年ほど前まではあまり取り上げられる機会は多くなかった。

そうした中にあってオイゲン・ヨッフムは、早くからブルックナーの作品を積極的に演奏していた指揮者の1人で、そのために国際ブルックナー協会からブルックナー・メダルを贈られている。

ヨッフムはブルックナーのミサ曲をはじめとする宗教音楽の多くを録音に残しており、そのいずれもが優れた演奏。

これらの声楽作品(合唱曲)は、ブルックナーの音楽をより良く理解するうえで欠かせないと思われるカトリシズムについて考えさせるだけでなく、交響曲への直接的な旋律の引用や雰囲気の再現といった観点からも非常に興味深いものとなっており、純粋に声楽作品として味わうだけでなく、交響曲と合わせて楽しめるのがポイントとなっている。

ミサ曲第1番の独唱では、エディット・マティス(S)、カール・リーダーブッシュ(B)、また第3番ではエルンスト・ヘフリガー(T)など当時の第一級の歌い手が登壇、メンバーの質の高さが第一に特筆されよう。 

ヨッフムの解釈は、おそらく敬虔なミサ曲を扱う配慮は忘れないながら、むしろポリフォニックな構築力をより強く感じさせる。

緊張感と迫力に富み作品に内在する熱く強いパッションを前面に押し出して聴き手を圧倒する。 

交響曲以外の「もうひとつのブルックナーの世界」に浸るうえで必携の2枚と言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:26コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヨッフム 

2011年12月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1977年5月12日、ミュンヘン、ヘルクレスザールに於けるライヴ録音。

ヨッフムの次にバイエルン放送響の首席指揮者に着任したのがラファエル・クーベリック[1914-1996]。

1979年まで首席を務めたクーベリックは、退任後も頻繁に客演し、バイエルン放送響と最も深い関係を築きあげた名指揮者として知られることとなる。

ドヴォルザークやスメタナのほか、マーラーやベートーヴェン、シューマンなど独墺系レパートリーでの見事な演奏で知られたクーベリックは、ブルックナーでも素晴らしい成果を聴かせていた。

この交響曲第8番は、以前、海賊盤が出回ってその演奏内容がマニアの間で評判となっていたもの。

待ちに待った正規盤の登場であり音質も最上級だ。

オルフェオ・レーベルから発売されている8番は、クーベリックがバイエルンの首席に着任して2年後のものであったが、それから14年を経たここでの演奏では、オーケストラが完全に手足となり、指揮者と一体となった演奏を聴くことができる。

演奏は実に素晴らしく、何度聴いても魅力的だ。

バイエルン放送響のすごさがいかんなく発揮されていて、響きがとにかく明るい。

アプローチ的にはスタジオ録音の4番同様、純に音楽的で美しい。

演奏時間はトータルで4分半ほど遅くなりディテールの美しさと表現の深まりが顕著になっている。

あえて難を言えば、4楽章コーダのところが楽器が多くなっていくにもかかわらず重層的に迫ってこないのが少し残念。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:13コメント(0)トラックバック(0)ブルックナークーベリック 

2011年12月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1935年2月2〜5日、ウィーンでのスタジオ録音。

ベートーヴェンの交響曲に関心を持つ人にとって、フェリックス・ワインガルトナーは未だに無視できない。

戦前のSP時代には、1927年のベートーヴェン没後100年記念に英国で録音された英語版《第9》が聴かれていた。

このワインガルトナーの《第9》は日本からの要請により作られた初めての電気録音によるドイツ語版の《第9》。

その録音費用はすべて発注した日本コロムビアが支払ったのだが、それを上回る売り上げを記録したレコード。

当時最も穏健で標準的な《第9》の演奏として、この録音は戦前SP時代の代表的なレコードであった。

ワインガルトナーのベートーヴェン解釈は、第2次世界大戦前には1つの基準であった。

彼がロマン的な誇張や歪曲を認めず、音楽だけに基づいて解釈したためであろう。

事実、トスカニーニが登場するまで、このような解釈でベートーヴェンを指揮するのはワインガルトナー以外にほとんどいなかった。

英コロンビアが、ベートーヴェンの交響曲を繰り返し彼に録音させたのも、このためであろう。

戦後、色々な指揮者による録音が出てきたため、今日では色褪せた感もあるが、堂々として揺るぎないワインガルトナーの指揮は20世紀に作られた演奏として次世代に伝えられよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:03コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン 

2011年12月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クイケン兄弟にはレオンハルトと共演した録音があり(1973年)、そこではブリュッヘンではなくバルトルド・クイケンがトラヴェルソを吹いていた。

レオンハルトの迫真のソロを中心とした気魄の籠った名演だったが、これはその後1994年にクイケン兄弟が、コーネンとともに録音したディスクである。

同曲は決して難解な抽象的音楽ではなく、より「実際的な音楽」であるとジギスヴァルトが述べているように、あまたあるディスクの中でも、過分な気負いや力みのない大変にリラックスした家庭的な雰囲気のなかで奏でられる。

楽器の指定がないので、さまざまな編成で演奏されているが、4人というのは最小の編成だろう。

しかしクイケン3兄弟とチェンバロのコーネンの演奏には、少しも肩張ったり、声高などころはなく、しなやかに音楽する喜びにあふれている。

しかも、ひとりひとりが自発性にとんだ表現をすばらしい呼吸で織りなした演奏は、生き生きと豊かな表情をもち、最晩年のバッハが対位法の粋をつくした傑作の世界を余すところなく再現している。

特殊作品だからといって深刻ぶったところのない、自然体でのぞんでいるかのような彼らの演奏は、有田たちの雰囲気に近いものを感じる。

むしろ、大らかさという点ではクイケンたちの方が上か。

その意味では最もくつろいで聴けるし、親密な気分に溢れた演奏は同曲のイメージを大きく変えてしまうに違いない。

初版楽譜の曲順を採用している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:05コメント(2)トラックバック(0)バッハクイケン 

2011年12月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シェリングは、バッハのこの名作を初期と円熟期の2度にわたって録音しているが、この初期の録音は、音質は少し古いにもかかわらず、このヴァイオリニストの多くの録音の中でも特別の名演に位置づけられているひとつである。 

シェリングの積極的な意欲が強烈に訴えかけてくる演奏だ。

バッハの楽譜を克明に読み、作品の意思を汲み取ろうとする姿勢が演奏に直接反映されており、それが無伴奏ながら本質的にポリフォニックなこの音楽の構造を、はっきりと際立たせる表現を生む。

確信をもって、しかも力強い説得力を伴って聴かせるシェリングの演奏には、人間の計り知れない力をみる思いがする。

その一点一画をゆるがせにしない音楽のつくりかたは、かつてのシゲティを思わせるものがあるが、それよりもさらに表情の豊かな演奏だ。

厳格一点ばりのバッハではなく、厳格さのなかにヒューマンな感情があり、そこが人々が支持するゆえんだろう。

ここでは、彼独自の清潔さや厳しさが豊かに示されているだけでなく、初々しさやひたむきさが最大限に発揮され、非常に真摯で純度の高い表現が打ち出されている。

《パルティータ第2番》の有名な「シャコンヌ」を聴くと、この人が作品のひとつひとつの音のもつ意味というものを、いかに考えているかがよくわかる。

そして、そこに潤いのあるみずみずしい歌や張り詰めた情熱のほとばしりなどもが随所に示されたこのバッハは、シェリングの最も真剣で気高い演奏を記録した録音なのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:49コメント(0)トラックバック(0)バッハシェリング 

2011年12月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ピリオド楽器によるチェンバロ演奏の開拓者ともいえるレオンハルトによるバッハの名盤。

楽器の特性を知り尽くした彼ならではの磨き抜かれた表現に魅了される。

学問的にも音楽的にも、一点の疑問も残さぬ説得力をもつレオンハルトのバッハだ。

バッハの時代の様式感を的確にとらえたもので、現代的な溌剌とした演奏とはひと味違った、きわめて端正な演奏である。

特に《フーガの技法》はレオンハルトのバーゼル音楽院の卒論のテーマでもあったため、オルガンではなく、チェンバロを選択した演奏は興味深い(アスペレンが4曲に参加)。

レオンハルトの演奏に凝縮された世界の大きさにあらためて驚かされる(ただし最終フーガは収められていない)。 

トゥッティとソロが対置される協奏曲の形式を表現に生かした《イタリア協奏曲》は、今日でも作品解釈の模範となるもの。

緩徐楽章における主旋律の歌わせ方からは、音楽家レオンハルトの重ねてきた年輪が感じられる思いが……。

《フランス風序曲》でもチェンバロの華麗でしなやかな音が、彼一流の味わいのある響きのテクスチュアを生み出したいる。

《前奏曲、フーガとアレグロ》の、フーガにおける着実な歩みによって次第に音楽が高揚していく様も見事。

いずれも哲人レオンハルトの面目躍如たる演奏といえよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:58コメント(0)トラックバック(0)バッハレオンハルト 

2011年12月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ビルスマは『バッハ・ザ・フェンシング・マスター』という著作を出した。

これはチェロの弓をサーベルに見立て《無伴奏チェロ組曲》を演奏する上でのさまざまな独創的見解を譜面に即しながら縦横に説いたものである。

もとよりこの"チェリストにとってのバイブル"を演奏することは彼のライフワークで、「これからもきっと私のバッハは変わってゆくでしょう」と自ら語るように、1992年、下記の楽器を用いて録音したこのCDセットは、名匠ビルスマの一時期あるいは一段階を記録するものと理解してよい。

ビルスマは1979年にバロック・チェロによって全曲を録音していたが、この再録音は、ストラディヴァリウスの銘器セルヴェにガット弦と金属加工したガット弦を張り、現代風の弓を用いるという半モダン・チェロによって演奏している。

作品に対するビルスマの基本的な姿勢に大きな違いはないが、豊麗で幅広く、時にはコントラバスのように深い響きをもつセルヴェを自在に生かしきった演奏は、いっそう生き生きと気宇大きく、ビルスマならではの豊かな感興にとんでいる。

各舞曲の性格を生き生きと描き分けるとともに、そこに実にこまやかな表現を織りなして、これらの名作の真価と魅力を巨細に明らかにしており、まさに至芸である。

ビルスマの《無伴奏》は新旧それぞれの値打ちをもつが、旧盤と13年をへだてた新盤には、やはり演奏家としての年輪が実感されると思う。

古楽再現法の徹底というよりは、ビルスマ個人のバッハ観、音楽観の掘り下げがここには表れている。

おそらく近い将来、再びバロック・チェロを使用した3度目のビルスマ全曲盤が現れそうな気がするが、とりあえず、敢えて半モダン・チェロの上に自らの古楽奏者としての経験、英知、信念を結晶させた当盤の意味するところは大きい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:44コメント(0)トラックバック(0)バッハ 

2011年12月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「ゴルトベルク」と「ディアベッリ」。それはバッハとベートーヴェンという音楽史上比類なき2人の巨星が有した広大な音楽宇宙が、「変奏曲」という形式を得て究極の結晶となった傑作である。

ピアニストとして指揮者として、比類なき創造活動を続ける天才バレンボイムの天与の即興性と直感力が、深淵で並外れた規模と内容をもつ作品の魅力をぐいぐいと引き出しており、圧倒的な感銘を聴き手に与える。

いずれも甲乙つけがたいが、筆者はどちらかというと「ゴルトベルク」の方に惹かれる。

1989年10月12日に、バレンボイムが、そのステージ・デビュー40周年を記念して、生まれ故郷のブエノスアイレスのコロン劇場で行った演奏会のライヴ録音である。

反復を行っているため演奏時間が長く(80分27秒)、「ディアベッリ」とのカップリングで2枚組となっている。

バレンボイムのピアノによるバッハは確かこれが初録音である。

25年にわたって「ゴルトベルク変奏曲」を研究してきたというバレンボイムだが、さすがに一家言以上のものをそなえた、傾聴せざるを得ない演奏だ。

"ピアノならでは"の演奏も彼らしく、例えば第7変奏では右手と左手の音量バランスを自在に操って聴かせどころを作り、他にも漸強、漸弱の効果を多用している。

各変奏間のつながりにも配慮を見せ、人間のぬくもりを伴ったピアニズムの明快さが一貫して伝わってくるのはさすがである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:30コメント(0)トラックバック(0)バレンボイム 

2011年12月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



モントゥーは1950年代後半に、ボストン響とのコンビでチャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行なっており、それらはいずれもこの名指揮者の品格ある音楽性を存分に味わえる出来ばえだが、第5番に関してはロンドン響との1963年ウィーン芸術週間のライヴ録音が音質も優れている上、モントゥーの永遠の青春性と共感しきったロンドン響の瑞々しくもコクのあるアンサンブルがまことに素晴らしい。

モントゥーの数多い名盤の中でも最右翼に位置するもののひとつだし、第5交響曲のディスクの中でもムラヴィンスキーの1960年盤と並んで屈指のものといえるだろう。

モントゥーは1875年生まれであるから、このとき88歳! 死の前年とは思えない、若い生命力と力強い構成力で聴く者を圧倒する。

別にことさら大仰な身ぶり、手ぶりをしているわけではないのだが、至極当たり前の語り口がいつしか驚くほど底力のある表現力を身につけるまでに発展していく様が、何とも素晴らしい。

音も構成もどこまでも透明で淀みがなく、ロンドン響も大きな共感と献身をもって巨匠の棒に応えている。

ワルツ楽章に聴くエレガントさも、モントゥーならではのもの。

モントゥーは、生前、チャイコフスキーの音楽に、個人的な悲痛を盛り込む演奏を好んでいなかった。

「音楽の中にすべてが存在するというのに、なぜ個人の悩みなどひけらかそうとするのか。私はチャイコフスキーの音楽を書かれているままに演奏する。それでまさしく充分なのだ」

この言葉に、モントゥー芸術の核心がある。

チャイコフスキーを、ベートーヴェンやブラームスに置き換えれば、そのままあの素晴らしい演奏になるのだ。

幸せなチャイコフスキーである。

ムラヴィンスキーが一直線に天に駆け上がるとき、モントゥーは多くの同胞を抱きかかえながら微笑み、レニングラード・フィルがアンサンブルを鋼鉄に鍛え上げるとき、ロンドン響は心を響き合わせる歓びを謳歌する。

どちらも、それぞれの流儀を究めており、優劣の問題ではなくなる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:25コメント(2)トラックバック(0)チャイコフスキーモントゥー 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ