2012年01月

2012年01月31日


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ブレンデルの評価を一段と高めたのは、1970年にフィリップスと契約し、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどの一連の作品を録音するようになってからであり、とくに清新な魅力あふれるシューベルトは、ブレンデルの名声を高めるとともにシューベルトのピアノ曲の素晴らしさを再認識させたといってよいだろう。

このCD7枚組の作品集は、1980年代に再録音されたもので、シューベルトの主要なピアノ曲がほとんど収録されている。

ブレンデルは1970年代初めにシューベルトに取り組み、後期ソナタの名盤を残しているが、10年を経て1980年代に改めてこの作曲家に没頭し、高度な作品集をつくり上げた。

ブレンデルの演奏は、音と表現もさらに彫りが深くなり、ニュアンスも豊かになっている。

きわめて意欲的なブレンデルの演奏で、シューベルトの音楽の構造性・意志性といった側面への読みが一段と深まった強固な表現だ。

音楽に込められた細部の陰影はより深みを獲得し、精神的にも深みを増し、知的感性と素晴らしくバランスのとれた抒情性も十二分に味わえる。

美しく歌いつつ、しかもそれぞれの旋律の性格を見事に把握した演奏は、シューベルトならではの旋律美を内面的に掘り下げ、それを極限まで生かす。

ブレンデル一流の見事なコントロールによる響きの美しさが、魅力の大きな要因となっているのは言うまでもない。

《さすらい人》幻想曲や後期ソナタでエキセントリックにならず、柔軟に幻想の深い広がりを追求するのはこの人ならでは。

個々の曲にはより個性的な演奏もあるが、シューベルトのピアノ曲の多様な魅力を満喫させてくれる名演である。

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classicalmusic at 19:58コメント(0)トラックバック(0)シューベルトブレンデル 

2012年01月30日


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シューベルトを弾くことにかけて驚異的な上手さで圧倒的なのは、何と言ってもブレンデルだ。

そのブレンデルがシューベルトのピアノ・ソナタをライヴ・レコーディングしたこのディスクは、シューベルトのなかでもとくに彼に合う選曲とみえて、圧倒的を通り越し、まさに聴く人を圧倒する仕上がりになっている。

ブレンデルのシューベルトの驚くべきところは、それが決して自然、調和、中庸……と言うに留まらないことだ。

たとえば、テンポを揺らすのは時代遅れ、と言われかねない今の時代に、ブレンデルはかなりテンポを動かして、音楽の流れを意のままに加速したり減速したり、そのショックで聴く人を音楽に巻き込んでいくようなところがある。

けれど、彼が19世紀的なヴィルトゥオーゾと違うのは、それが「個人的な癖」や「即興的な気ままさ」や、ある意味では「自由」にさえ聴こえるのではなく、楽曲全体の強力な一貫性、統一性と一体になった「必然」と聴こえることだ。

伴奏音形ひとつ、経過的な音階やアルペッジョひとつにまで、まさに微に入り細にわたり誇張気味に輪郭を取っていく弾き方は、時に悪魔的な凄みさえ感じさせる。

ブレンデルのシューベルトには、歌曲集『冬の旅』と隣り合わせの鬼気迫るものが満ちている。

そのブレンデルの「必然」にまで昇華された極限的、今日的名人芸を「誇張されすぎた異形の演奏」と考える人も、実は少なくない。

チェコのモラヴィア地方に1931年に生まれたブレンデルは確かに〈ウィーンを首都として、チェコやハンガリーを含む旧ハプスブルク帝国〉という彼自身の根を、次第に地中深く降ろしつつあるようだった。

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2012年01月29日


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ヨーヨー・マは、既に大家としての名声を博しているが、1955年生まれと意外なほど若い。

ヨーヨー・マのドヴォルザークは、彼の抜群のテクニックと楽譜の深い読みによって、他のチェリストでは到底到達できないような高みに達している。

リズム処理もすばらしい演奏で、マはどんなに複雑に入り組んだ曲想になっても、驚嘆すべきテクニックで楽々とひきあげている。

気持ちを十分に込めながらそれでいて品格を失っていない。

たとえば、第1楽章の第2主題(トラック1の6分11秒から)や第2楽章の出だし(トラック2の0分40秒から)、あるいはトラック2の10分56秒からは、すべてピアニッシモかピアノの指示があるが、マは、弱音を保ちながらも高らかに歌い上げる。

弱音に気持ちを込めていきながらも、音を解放していくなどということは、超絶的なテクニックに裏打ちされた深い音楽理解によってはじめて可能となる。

第3楽章のラスト(トラック3の12分25秒から41秒)において、マは信じられないようなスケールの大きなクレッシェンドを、他のチェリストの倍くらいの時間をかけて行なう。

こんな芸当はマにしかできない。

マは、驚異的なテクニックを発揮しながらも音楽の品格を失わず、完璧なまでのドヴォルザークを描き出している。

マゼールの指揮は、全体に遅めのテンポでオケを十分に響かせ、力強く演奏している。

小品の2曲も好演で、「ロンド」の洒落たリズムと節まわしが素晴らしく、「森の静けさ」では厚いカンタービレと音楽が楽しめる。

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2012年01月28日


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これは不朽の名盤だ。

シューベルト歌曲を無心に聴こうとする人にとって、理屈が全く不要な演奏である。

1952年の録音とはいえ、モノーラルゆえに、かえってひとつの風格と呼べるものが、このシューベルトに漂っている。

シューベルトのこの12曲は、まさにかけがえのない、シューベルトの歌曲録音史上に残る最高の1枚といえる。

シュヴァルツコップとエドウィン・フィッシャーという、今でさえも驚嘆すべき奇蹟のコンビが作り出す音楽。

ドイツ・ロマン派の作品を得意とするフィッシャーの深いロマン性と、シュヴァルツコップの格調の高い歌唱が、見事に一体となって、気品のある典雅で優美な音楽となっている。

《いま》という時点からみると、シュヴァルツコップの歌唱はいささか時代がかっているかもしれない。

しかし、これほどの感情移入の強さは、現在の歌い手たちには見られないし、これはひとつの時代様式を完成させた名歌手最大の贈り物だ。

詩の味わいのこまやかさと声の巧みな使い分けを、ここまで究めたソプラノはいない。

その無限の広がりの中に身を浸しているだけでも、シュヴァルツコップの言うように「人生が変わってくる」という考えが絵空事ではなく、それぞれの人たちの中に得難い体験として刻まれてゆく。

ギーゼキングのピアノによる『モーツァルト歌曲集』とともに、リート録音の最高作といえよう。

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2012年01月27日


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20世紀最高の名ソプラノのひとりであるシュヴァルツコップが、これまた20世紀を代表するモーツァルト弾き、ギーゼキングを伴奏者として録音したもので、名演奏家同士の共演だけに、そこから生み出される音楽は、神々しいばかりの魅力がある。 

シュヴァルツコップの最絶頂期(1955年)の録音。モノーラル時代のとても古い録音だ。

音が古めかしいだけでなく、声に関しては演奏テクニックも解釈もところどころ頼りなげだ。

しかし、それを超えて訴えてくるものがここにはある。

初心の感動というべきものが、自ら歌をうたうよろこびに満ち、それを人に伝えずにはいられず、聴き手とともによろこびを分かち合おうとする姿勢に貫かれた演奏だ。

1曲1曲に心のときめきがこもり、これほど歌を聴くよろこびを感じさせてくれるディスクも珍しい。

この録音当時からすると、モーツァルトの再現様式もずいぶん変わってきた。

この歌唱も今となってはいくぶん思い入れの強いモーツァルトといえるが、ここにはシュヴァルツコップとギーゼキングという2人の芸術家が、力と心を合わせて作り上げた「真実のモーツァルト」がある。

これはまさに千載一遇の出会いと言ってよいほど、歌曲録音史上指折りの名演に数えられる。

歌唱様式が時代によってその形を変えるのは当然だが、その「歌のこころ」は不変である。

ここでのシュヴァルツコップの歌の彫りの深さは、モーツァルトへの思いの深さそのもので、CDがある限りこの歌の命は消えないだろう。

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2012年01月26日


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ブラームスのクラリネット五重奏曲のレコードでは、ウィーンの伝統を最も豊かに体現したウラッハの名盤が圧倒的な支持を集めてきたが、このザビーネ・マイヤーとアルバン・ベルク四重奏団による演奏こそ、クラリネットの奏法や演奏スタイルが大きく変化し、進歩した現在を代表するにふさわしい名演というべきだろう。

マイヤーは、この曲を1990年にウィーン弦楽六重奏団のメンバーと録音して、しなやかに洗練された演奏を聴かせてくれたが、アルバン・ベルク四重奏団という最強力の共演者を得たこの1998年のライヴ録音では、いっそう熱い共感にとんだ演奏を存分に繰り広げている。

強靭にして精緻精妙な表現を自在に織りなすアルバン・ベルクの4人もすばらしいが、マイヤーもそれに劣らず雄弁な演奏を柔軟に展開しており、ふくよかで豊かな音色としなやかに強い表現が見事にひとつになっている。

モノローグのような弱奏から弦を圧倒するような熱く輝かしい強奏まで、マイヤーのクラリネットの音と表現力の幅広さも驚異的である。

しかも、卓抜な技巧と表現力をもつ5人は、少しも神経質になることはなく、実演らしい見事な集中力で克明で濃密な表現を余裕をもって展開しており、細部まで繊細な神経が行き届いた演奏は、あくまで美しく洗練され、最晩年のブラームスにふさわしい澄んだ情感にもまったく不足を感じさせない。

これほど流麗で多様なニュアンスをもつ演奏もないだろう。

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2012年01月25日


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アバドがベルリン・フィルと組んだ近年の一連のライヴ録音のひとつ。

第3、7、9番と続けて発売されたアバドとベルリン・フィルのマーラーは、このコンビの到達点の高さと同時に1999年当時の録音技術の最高水準を示している。

特に第9番に感動するのは作品の完成度と性格にもよるが、演奏も凄い。

ベルリン・フィルの雄弁さと、"巨匠"への道をゆっくりと歩みつつあったアバドの音楽性が一体となった演奏。

アバドはこの曲で強い自己主張を示している。

鋭い感覚で、アゴーギクとデュナーミクを自在に駆使している。

作品の性格を的確に把握したとも言えるが、なによりも旋律線が芳醇なのがアバドらしい。

ベルリン・フィルといえどもこれほど精度が高く緊張感をたたえた演奏はアバド以外では不可能だろうと思わせるほどで、かつてないような広いダイナミック・レンジと透明度の高い響きで完璧な表現を聴かせる。

奇を衒うことなく正攻法を進んだ指揮者が練り上げた現代のマーラー演奏のひとつのひな型とも言うべき諸要素を兼ね備えた秀演である。

かつてのロンドン響との来日時など、アバドのマーラーの演奏に直に触れたむきも多いだろうが、ここでは、徐々に"自らの道"を固めつつある指揮者の姿と、ライヴの求心力にも目を向けておきたい。

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2012年01月24日


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シュライアーの《ミサ曲ロ短調》は、彼が指揮をつとめた初のバッハ演奏のディスクであり、個性的ではないが、普遍的なバッハである。

聴く者の胸を突き刺すような「キリエ」も、シュライアーの手にかかるとあたたかいリズムと音色に彩られる。

オーケストラ、合唱団、独唱のアンサンブルが見事で、宗教的な感動をうまく引き出した演奏となっており、こうした宗教曲におけるシュライアーの技量の確かさを示したディスクとなっている。

《マタイ受難曲》は、ドイツの指揮者グッテンベルクおよび、1967年に彼がオーベルバイエルンで結成した合唱団のデビュー盤。

グッテンベルクは線の太いタッチで劇的に作品を再現しており、第1部の終わりのキリストが捕らえられるくだりの「二重唱アリアと合唱」と最後の「コラール」では、目覚ましいほどの演奏を提示している。

独唱ではアーンシェが明快な語り口で好演。マーシャルとネスの歌唱も美しく、合唱も各場面に即した血の通った表現を聴かせている。

久々に出会ったドイツの伝統に立脚した好ましい《マタイ》といえよう。

同じくグッテンベルクの《ヨハネ受難曲》は大変ドラマティックである。

特に最初の合唱「主、われらを統べ治め」では、グッテンベルクがアクセントを際立たせて極めて鋭く深い表現を行っており、彼独自のよさがはっきりと示されている。

その後も劇的な演奏展開で、特にイエスを取り囲む群衆の激しい歌い方と、コラールでの変化に富んだ表現がいい。

独唱ではアーンシェとシャリンガーが好演している。

フレーミヒの《クリスマス・オラトリオ》は、いかにも質実な"ドイツの暮らし"といった手ざわりを感じさせるバッハだ。

フレーミヒは、おだやかで、しかもよろこばしい6曲のカンタータ《クリスマス・オラトリオ》を描き出している。

ソリストは最高の布陣といってよい。

リヒターの峻厳なバッハの代わりに、一市民としての敬虔なバッハからのあたたかいプレゼントのような嬉しさが残る演奏だ。

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2012年01月23日


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《無伴奏チェロ組曲》の決定的な名盤となれば、躊躇なくフルニエのふたつの録音を挙げたいが、もうひとつとなれば、やはりこれだ。

名演の多い作品だが、ここでは歴史楽器を使用してバッハ音楽の神髄を見事に表現した演奏を聴きたい。

鈴木秀美の師匠格にあたるアンナー・ビルスマの演奏も見事だが、鈴木の演奏に漲る音楽性の豊かさはそれを凌ぐ。

モダン楽器奏者は一様に名器と呼ばれる愛奏楽器を使って極上の美音を追求するが、鈴木は個々の音楽に最適な楽器の選択も重視する。

バッハの意図を十全に表現しようとする目に見えない努力と演奏家魂の現れだ。

使用楽器はアマティ。

師のビルスマの確立したバロック・チェロの奏法やイディオムを縦横に駆使して、100%鈴木秀美の音楽世界が開示されている。

それは質朴なビルスマのそれに対して情熱的かつ雄弁、そして妖艶なまでの香りを放っている。

敢えて言えば、鈴木はロストロポーヴィチのテクニックとビルスマの解釈姿勢を自己のものとして消化している。

決して衒学的にならず、自然な呼吸法のなかで最も音楽的な表現を追求した結果として美しいバッハがここに展開する。

近年、指揮者としての活動も注目される鈴木秀美の、優れたチェリストであると同時に、豊かな音楽性と際立った個性をそなえた総合的な音楽家としての側面があますところなく示されている。

"語る音楽"を基本とし、深い洞察と豊富なアイディアによる演奏は、聴き手のイマジネーションを刺激せずにはおかない。

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2012年01月22日


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1970年から88年にかけて収録されたレコード史上初のオリジナル楽器による、バッハの『カンタータ全集』。

おびただしいバッハのカンタータの集大成で、その全貌が明らかにされている。

演奏はアーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとレオンハルト指揮のアムステルダムの合奏団が分担している。

アーノンクールとレオンハルトはその活動の初期に出会い、以降協調関係にある。

レオンハルトがウィーンで1950年代にデビューし、以降しばらくウィーン音楽アカデミーでチェンバロ科の教授をつとめていたからである。

その友好関係が史上初のオリジナル楽器によるバッハの『カンタータ全集』(全199曲)の録音を生んだ。

ほぼ半数ずつ2人が曲を振り分けたこの全集は、1990年に英国のグラモフォン賞を受けている。

アーノンクールとレオンハルトが分担して協力して行った演奏録音は大変にすぐれていてきびきびした演奏が魅力である。

オリジナル楽器による演奏が日進月歩の発展を見せていた時代に収録されただけに、一部の古い録音に不満が残る演奏がないわけではないが、全体的な水準は驚くほど高い。

アーノンクールは概して溌剌とした音楽づくりによって鮮烈なバッハ像を描いているのに対し、レオンハルトは穏やかな表現で独自の個性を主張する。

それぞれの合奏団、合唱、独唱者も水準が高く、各指揮者の意図が浸透した表現には聴いていて思わず引き込まれてしまう。

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2012年01月21日


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グリュミオー唯一のバッハ《無伴奏》録音。

グリュミオー最盛期の録音(1960〜61年)だけに、ぐいぐいと迫力をもって音楽を進めてゆき、しかもテクニックはいかなる難所でも揺るがない。

艶やかな音色と、伸びやかな響きはそれだけで大きな魅力だ。

そのようにして彼がリアライズしていくバッハの音楽には、ある種の奔放さがあるが、それは構成にメリハリをつけるためのものであって、恣意性を感じさせるものではない。

古楽器的なイディオムとは違った、伝統的なバッハ観に基づいたロマンティックな演奏だが、グリュミオーの艶やかで柔らかな音色や、表情に富んだ生き生きとした音楽作りは魅力的だ。

それに演奏を覆う眩しいほどの気品はやはり彼ならではのもの。

グリュミオーはエネスコに師事したが、それはヴァイオリンではなく、主に作曲を学んだという。

エネスコの演奏と比較すると容易に判明することであるが、エネスコの解釈をほとんど完全に継承したこのグリュミオーのバッハは、独自の明晰で合理的な演奏解釈が打ち出されている点において、エネスコの元で育まれたグリュミオーの緻密な作曲家視点をも明瞭に浮き彫りにした演奏になっている。

ある時期のわが国では、グリュミオーは単なる美音家と捉えられていたこともあったが、この演奏では、ラテン的な発想のもとで作品の意味と本来のあり方に肉薄しようとするグリュミオーの真剣な意図を感じ取ることができる。

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2012年01月20日


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グスタフ・レオンハルトは、バッハの《パルティータ》に2度挑戦している。

「現代のバッハ」と呼ばれたレオンハルトだけに、いずれも名演だが、2度目の録音を聴いた時、まずチェンバロの素晴らしい音色に驚いた。

ここで使用されているミヒャエル・ミートケの楽器(ウィリアム・ダウッド製作)は、1719年にバッハがみずからベルリンを訪れて注文したものをモデルとしている。

ミートケの楽器の特徴は、音域全体にわたる落ち着いた音色にあり、バッハの音楽のように、各声部の旋律が絡み合うポリフォニー音楽にふさわしい。

レオンハルトのCDでも、ファンタジアやトッカータなどの壮麗な冒頭楽章や端正なアルマンドで、素晴らしいポリフォニーが展開されている。

バッハ研究家レオンハルトの、楽譜の深い読みがすみずみまで行き届いた演奏だ。

またレオンハルトは2度目の録音にあたって、たとえば組曲では一般にクーラントからサラバンドに続くことから、第4番のアリアとサラバンドの順序を逆に弾いたり、各舞曲の反復を省略したりするなど、前回とは違った試みをおこなって、簡潔で奥深いバッハの世界を築き上げていくのである。

旧盤にみられた細部へのこだわりがなくなり、スケールのいっそう大きな、品格高い音楽となっている。

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2012年01月19日


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チェコを誇る最後の巨匠であったノイマンは1995年に惜しまれつつ他界した。

ノイマンは晩年にこの曲をチェコ・フィルと2度(85年、93年)録音しているが、どちらも彼ならではの語り口で、他の追随を許さない稀代の名演である。

甲乙付け難いところだが、この曲の性格上、ここでは敢えて最晩年の方を選んだ。

スラヴ舞曲の魅力を存分に味わうことができる名演。

あふれるようなスラヴの抒情をすばらしく表現し、発売以来同曲集の決定盤として定評のあるものだ。

この曲集は言うまでもなくチェコの様々な地方の舞曲スタイルを借りて組まれているが、ノイマンは晩年になるにつれ、より自然にこれら舞曲のイントネーションを身につけて、あたかもウィーン人がウィンナ・ワルツのあの独特の3拍子を身体で表現するように、彼らも自国の音楽を身体と心の中から紡ぎ出していった。

スラヴの語法を肌で感じながら演奏する彼らの演奏には抜群の説得力があふれている。

一聴すると何の変哲もないような演奏に思えるが、じっくり聴き込んでいくと様々なリズムの動きの中から表情が滲み出る、味わい深い演奏である。

世評高いクーベリックがバイエルン放送響を振った録音は、この全集を聴いたあとでは少し作為的な演奏に思えてくる。これも本当の本場ものの威力だろう。

ノイマンがチェコ・フィルの首席指揮者になった頃は低迷していたこのオーケストラをノイマンが再建し、1990年代再び黄金期を迎えていたチェコ・フィルの音色美と機能美をノイマンが100%生かしきった充実の名演である。

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2012年01月18日


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1998年1月11日に惜しまれつつ亡くなった巨匠テンシュテットの真髄。

テンシュテットは生前マーラー指揮者として知られ、ロンドン・フィルと全交響曲を録音した。

しかし、この演奏は1990年にシカゴ交響楽団定期演奏会に唯一客演したときのライヴである。

巨匠テンシュテットが世界最強のオケ、シカゴ響と残した最高の「巨人」であり、音による巨大な建造物である。

テンシュテットは多くの指揮者と同様、スタジオ録音よりも実演で本領を発揮したが、これもその例外ではない。

しかも、演奏はスタジオ録音とは異なり、雄大なスケールのうちにも全編に緊張感を漲らせたもので、遅めのテンポが大きく揺れ動いてマーラーの光と影を交錯させる。

第1楽章は冒頭から非常な緊張感をもつが、各部の起伏と表情の的確な多彩さが魅力的である。

第2楽章の内面性の豊かさ、第3楽章の純粋な表情もすばらしい。

終楽章のスケールの大きさは比べるものがなく、堂々とした造形の叙事詩的音楽である。

シカゴ響の名技も特筆されるもので、高度な技術とアンサンブルもテンシュテットの解釈にみごと呼応しており、この指揮者特有の官能的で豊麗な響きを、滔々とした流動感をもって表出している。

一世一代の名演とはまさにこのことであろう。

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2012年01月17日


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バックハウスは、実は意外に幅広いレパートリーをもったピアニストであった。

若い頃は"鍵盤の獅子王"と呼ばれた技巧派で、いかなる難曲もさらりと弾いてしまうほどであったが、それが逆に冷たい演奏という印象を与えてもいたようだ。

ピアニスティックなショパンを弾いていたのもその頃であったが、やがて外面的な美を追求することをやめ、作曲家の精神あるいは作品の本質に迫る姿勢に変わって、素朴で武骨な、いかにも男性的な演奏を聴かせるようになった。

そうしたバックハウスの真価が最高度に発揮される場がベートーヴェンであったと考えるのは、決して筆者だけではないだろう。

そして、このピアノ・ソナタ全集は、S=イッセルシュテットと共演したピアノ協奏曲全集と並んで、彼のベートーヴェンの真髄を味わうことのできる録音になっている。

ステレオ録音による新全集と比較すると少し音質は古いが、ここに示された堅固で揺るぎない構成力、重厚で重みのある響き、強靭な集中力の持続、彫りが深く格調の高い造形的美観などは、衰えをみせる前の彼ならではの持ち味であり、それは、このピアニストの本領を鮮やかに伝えているのである。

その表現は威厳のある風格を備えると同時に、優しさを感じさせ、特にこのベートーヴェンには隙のない技巧に加えて、独特の味わいがある。

変にうまそうに弾いたり、媚びたり、小才を利かせたりするところがいっさいなく、ピアニズムを感じさせずに、作曲者の魂が深く重厚に、立体的に、交響的に迫ってくる。

最も偉大で立派な音楽があり、この全集に肉薄し得るのは最晩年のアラウのみであろう。

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2012年01月16日


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グールドが、心と技を完全に一体化させて聴かせた最高傑作。

グールドのバッハは、誰からも栄養をもらうことなく、独自に芽を出し、花を咲かせ、さらに実までつけた奇跡の演奏である。

それは確かに研鑽の賜物であるが、余人には及びもつかない神様からの授かりものというにふさわしい水準にあり、続く世代が登頂を試みようとしても、空しく退散を余儀なくされてしまうだけである。

無機的陶酔とでもいうべきであろうか、グールドのバッハは聴き手を音の迷路へと誘い、意識を撹乱するかのような謎めいた体験に浸らせる。

聴き慣れた愛すべきバッハなどここにはなく、乾いたキーボードが1人つぶやくように音をたて、戯れているだけである。

グールドのバッハの世界とはそんな孤独を背景としており、目を楽しませる草花も、食欲をそそるご馳走も額縁の中にしまいこまれている。

それは、実生活にはなんの役にもたたぬ代物であるが、グールドの罠にはまった者には、この額縁の中の草花が本物以上に美しく、また愛おしく見える。

そして耳を傾ける度に生まれ変わるような喜びと満足感を覚え、そして時に泣くのである。

不純物は微塵もなく、それでいて人間的な息づかいはこぼれるばかりにあふれ出ている。

しかも抗し難い躍動感と神秘的な美しさがあり、聴く度に新たな感動と発見に誘われる。

バッハをピアノで弾くことなど、今後はさらに稀なことになっていくのかもしれないが、グールドのバッハはいつまでも新しく、輝き色褪せることがない。

彼の演奏は、解釈や演奏法といった領域をはるかに超えた次元でとらえられた普遍性に裏付けられているように思われる。

感謝するしかない究極の名演だ。

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2012年01月15日


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オーマンディ指揮フィラデルフィア管が実にスケールの大きな名演を聴かせる。

生前のシベリウスは、自宅に世界各地で演奏される自作の放送を聴ける、特別のラジオを持っていたが、彼自身が最も高く評価していたのは、オーマンディの指揮による演奏だった。

フィラデルフィア管がストコフスキー時代からシベリウス作品を得意としてきたこと、そしてオーマンディもまた素晴らしいシベリウス指揮者であったことは意外に知られていない。

最晩年の作曲者をオーマンディばかりか楽員全員が訪問したエピソードがあるが、そうした信頼感を音に聴かせてくれるのがこの第2番である。

晴れやかで輝かしく、太陽の光を浴びて一段と色彩感を高めたように響きわたる演奏は、陰影感には欠けるかもしれないが、なんと清々しく、また誇らしい感動へ聴き手を導くことだろうか。

豊麗にすぎるといった印象もあろうが、シベリウス自身も賞賛したオーマンディの音楽の豊かさは魅力だ。

特にオーマンディ晩年の演奏になるこのCDは、悠揚迫らぬゆったりとした表現で、円熟の至芸になっている。

またフィラデルフィア管のアンサンブルも、実に緻密そのもので、管楽器のソロなど惚れ惚れするようなうまさである。

決して北欧のローカル・カラーに寄り掛かった演奏ではないが、これでこそインターナショナルな交響曲の再現だと思われる。

オーマンディの自然でのびやかな解釈と、オーケストラが誇る音の美食のような音楽性と表現力が結晶となった幸福な名演だ。

「展覧会の絵」はムソルグスキーの音楽特性よりも、ラヴェルのオーケストレーションに焦点を当てた演奏で、フィラデルフィア管による豪華な音の饗宴が実に素晴らしい。

オーマンディはこの名人オケを意のままに動かしながら、それぞれの曲の持ち味を巧みに表出している。

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2012年01月14日


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今や押しも押されぬ一級の演奏家の仲間入りしているアンドラーシュ・シフが、30歳代の頃に録音したアルバム。

ピアノによるバッハ演奏の、最も現代人の感覚にぴったりくるのがシフの演奏だろう。

ここに聴くシフのピアノは、とにかく音色に磨き抜かれたような美しさがあり、1音聴いただけで、その魅力にひきこまれてしまう。

リズムの良さにも水際立ったものがあり、磨かれ、粒をきれいに揃えた音と、軽やかな運びで、シフはバッハの鍵盤曲全体を、自然な姿に整える。

テクニックもスムースで、バッハの音楽に対する各種様式観にもバランスのとれた配慮が行き届いており、間然としたところがない。

チェンバロによる、オリジナルを重視する演奏とは実に大きく隔たっている。

それでも、聴いて正しくないなんて言う気には決してならないはず。

演奏会で取り上げることは少ないにせよ、名ピアニストほどバッハ作品を見事に弾いている。

もしバッハがピアノとすぐれたピアニストを知っていたら、強くそれを希望したに違いないと思えるくらい、バッハの本質はここにあると感じられる。

20世紀末の人間の感覚とバロックの巨人が求めた技の、重なり合うところに、シフの演奏が成立している。

粒立ちのよい音で、色彩豊かに展開されるバッハは、実に新鮮な感覚に満ちあふれており、今日のバッハ演奏を代表するものの一つといっても、決して過言ではないだろう。

それに、実をいえばグールドじゃないところも大きな魅力だ。

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2012年01月13日


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22年間にわたってチェコ・フィルの首席指揮者を務めた名匠ターリッヒが残したドヴォルザーク録音の名品のひとつ。1950年代の代表的名盤。

録音も古さが目立つし、音感覚的にもやや古いけれども、これらの舞曲が民俗的特徴をきめのこまかな表現のうちに生かしてゆくのが味わい深い。

このような味わいのある《スラヴ舞曲集》の演奏は、残念ながら近年のチェコ・フィルからは聴けなくなってしまった。

ターリッヒが振っていた頃は、チェコ・フィルも戦前からの楽員が多少とも残っていて、1970年代以降のやる気のないオーケストラにはなっていなかった。

それにターリッヒ自身も、ニキシュ門下の合理主義者で、決してローカルな感覚の田舎指揮者ではなかった。

この《スラヴ舞曲集》も、いわゆるローカルカラーに寄り掛かった、方言丸出しのスタイルではなく、なかなかモダンですっきりした快演になっている。

ボヘミア的要素が単なる田舎臭さを超え、品格を保って高く薫ってくるのはさすが大家。

リズムが弾んで湧き立つような快活さもあり、旋律は実によくうたっているが、少しもセンチメンタリズムに陥ることがない。

モノーラル録音だが、ナロウ・レンジなだけで、本場によるものでは、最も魅力的といえるのではないか。

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2012年01月12日


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ハンガリー出身で、シカゴ響に黄金時代をもたらした名指揮者フリッツ・ライナーはRCAの専属であり、ウィーン・フィルは英デッカと専属契約を結んでいた。

この両者が、専属契約の壁を越えて共演した数枚の録音のなかでも、このヴェルディの《レクイエム》は、忘れ難い感銘を与えてくれる名盤である。

手兵のシカゴ響ではなく、ウィーン・フィルが相手だが、ライナーならではの厳しい統制が行き届いた緊張感に満ちたレクイエムとなっている。

ライナーの厳格な造型性は、恣意的な崩れを許さない。

決して感傷に陥らず、また情熱や勢いに任せることもなく、全体的に遅いテンポ(第1曲〈レクイエム・エテルナム〜キリエ〉や〈ラクリモサ〉などに特にそれが顕著)を基調として、緩急やダイナミクスを周到な手綱さばきでコントロールしながら、しかもその中に豊かなカンタービレを生かした表情あふれる音楽を繰り広げている。

イタリアの「イン・テンポ・カンタービレ」と、ライナーを始めとするハンガリー系の「イン・テンポ・カンタービレ」とは、いささか趣が異なるのだが(イタリアに比べて、ハンガリー系の「イン・テンポ」は、より推進力が強い傾向にある)、老巨匠となっていたライナーは、その厳格さのなかに、豊かなふくらみを湛えている。

彼の手兵であったシカゴ響であれば、よりリゴリスティックな音楽づくりを行なったろうが、ウィーン・フィルという自発性にあふれた音楽性をもつオーケストラは、ライナーのこの「大家のゆとり」を敏感に感じ取り、厳しさのなかの大きなカンタービレと祈りの音楽を描き上げている。

さらにそれに、豪華なソリストたち(とりわけプライスとビョルリンク)の力強い歌唱と、ウィーン・フィルの音色が華を添えている。

名指揮者ライナーの貴重なヴェルディ解釈であり、今後もその光を失わないに違いない。

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2012年01月11日


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「ブラ1」は、カラヤンが最も多く録音している作品のひとつ。

ちなみに録音は、1943年(SP)、1952年、1955年、1959年、1963年、1977年、1987年と7種あり、これは1959年のデッカへの録音で、ウィーン・フィルとの唯一の録音でもある。

当時カラヤンは脂ののりきった51歳。

このオーケストラ特有の流麗な響きを万全に生かしながら、実に生き生きとした表現を行っている。

これ以後のベルリン・フィルとのものに比べるとまた別の個性が感じられ、彼がウィーン・フィルからもこれほど圧倒的なブラームスを聴かせるという点で興味深い録音だ。

カラヤンはウィーン・フィルを指揮するとき、このオケの持つ伝統様式を尊重しているに違いない。

この演奏は当然カラヤンの主張も表されているが、後年のベルリン・フィルとの場合よりも若々しく素直であり、造形的に無理のない安定感がある。

ブラームスの古典への志向とロマン的な心情のバランスも程よく示されており、ベルリン・フィルとの録音よりも好感を抱く聴き手も多いことだろう。

きびきびとして隙がなく、均整のとれた演奏ながら、冷たさは感じられず、青年的な覇気が魅力。

「悲劇的序曲」は練達の表現でスケールも大きい。

この時期にウィーン・フィルを振ったカラヤンの演奏は、 覇気に溢れ、若さがほとばしっているのが伝わってくる。

「帝王」と呼ばれていたのも、これら一連の録音を聴いたら充分に頷ける。

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2012年01月10日


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1974年3月25〜28日、ウィーン、ゾフィエンザールにおけるステレオ録音。

デッカならではの優秀録音による傑作。

驚異的なオーケストラ統率能力を誇るマゼールが、ウィーン・フィルの豊麗サウンドを完璧に生かした素晴らしい演奏で、ゾフィエンザールの優れた音響もあって各楽器の表情が実に豊か。

もちろんトゥッティの迫力もかなりのもので、終楽章コーダではウィーン・フィルがその実力をフルに発揮。

一方、長大なアダージョでの美しい響きも聴きもので、改めてこのオーケストラとデッカの相性の良さが実感できる。

ウィーン・フィルの楽員たちが「ここぞ!」と本気を出す姿を見てみたい曲は多々あるけれど、ブルックナーの《第5》の、それもフィナーレなんか最右翼だ。

2管編成のオーケストラが文字通りの総力戦を強いられる、対位法の大伽藍。

円熟期のベームや、晩年のカラヤンがこのシンフォニーをウィーンで吹き込まなかったのは残念でならない(最後のコラールなんか、いい音がしたであろう)。

意外と面白く聴けるのは、ウィーン・フィルが指揮者の棒の交通整理をやんわりと受けとめる体質を色濃くとどめていた1970年代に、マゼールと果たした録音だ。

この作品の緻密な構成を、しっかりととらえた演奏である。

終楽章の中核をなすフーガの、寄せては返す波のような(ffとppのパッセージが交替したりする)ダイナミックスの処理が実に手際よく、しかし音楽は決して矮小化せず、豊かな内実を保つ。

これがもし他の楽団だったら、才気に走った棒の交通整理ぶりが、多分鼻についたはず。

ただし、マゼールの指揮は、ブルックナーの音楽としては、洗練されすぎている感じで、もう少し、沈潜した宗教的な気分が欲しかった。

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2012年01月09日


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後期6大交響曲に続くバーンスタイン&ウィーン・フィルのモーツァルト/交響曲シリーズの第4作である。

意外にも3曲ともにバーンスタインの初録音で、シュミードルのクラリネット協奏曲もこれが初めてである。

バーンスタインとウィーン・フィルによるモーツァルトの交響曲演奏の特徴は、たっぷりとした響きや隈取りされた情緒、堂々とした構成といった点にあるが、このアルバムでもバーンスタインならではのモーツァルトの交響曲の本質を究めた演奏を聴かせている。

バーンスタインの指揮の下、ウィーン・フィルはその真髄を完全に現している。

第25番は洗練された美の極致ともいえる鮮麗なサウンドで、聴き手を魅了してやまない。

彫りの深さ・ゆったりとしたテンポ・運命を予感させる暗い曲想など、今までの、誰の指揮とも違う第25番であるが、その深い情念を聴いてしまうと、これが最高と説得されてしまう。

第29番も極めて音楽的に絶妙な表現で、造形は端正そのものだし、弦のしなやかさ、のびやかさなど初めて聴くような感動を与えてくれる。

木管の自発的で豊かな表現力にはもはや形容する言葉もない。

クラリネット協奏曲も秀演で、実際、シュミードルの演奏はさすがに素晴らしく、クラリネットのふくよかな音色が実に心地よく響きわたる。

シュミードルの独奏は甘く美しく、まさにウィーン独自の音と音楽だ。

ここではバーンスタインもサポートに回って、豊麗なバックグラウンドをシュミードルに提供している。

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2012年01月08日


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ポリーニによる3度目のブラームスのピアノ協奏曲第1番の登場だ。

ポリーニは完全主義者として知られているだけに、レコーディングには慎重を期して臨むのが常であるが、そのようなポリーニが同じ曲を3度も録音するというのは異例のことであり、これはポリーニが同曲にいかに深い愛着を有しているのかの証左であると言えるだろう。

本盤におさめられた演奏は、2度目の演奏から14年を経た後のものであるが、これは素晴らしい名演と評価したい。

そもそもポリーニのピアノ演奏が、1997年盤とは段違いの素晴らしさであると言える。

1997年盤に顕著であった技巧臭さえ感じさせる無機的な演奏など薬にしたくもなく、もちろん超絶的な技量は健在ではあるが、どこをとっても懐の深い豊かな情感が満ち溢れているのが素晴らしい。

これは、ポリーニの円熟によることは間違いがないところであり、ポリーニが演奏の技術的な正確さ、緻密さを追求するのではなく、このような情感豊かな演奏を行うようになったことに深い感慨を覚えるところだ。

このような演奏を聴いていると、ポリーニこそは名実ともに現代を代表する偉大なピアニストの一人であることを痛感せざるを得ない。

ポリーニとしては3度目の同曲の演奏ということになるが、3度目の正直との諺のとおり、漸く自他ともに満足できる名演を成し遂げることが出来たと言えるだろう。

かかる偉大なポリーニのピアノ演奏を下支えするティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデンについては、このコンビならばもう少しハイレベルの演奏を望みたい気もしないでもないところだ。

同曲は、ピアノ伴奏つき交響曲との異名をとるだけに、同曲の分厚いオーケストレーションを活かしたより重厚かつ雄渾なスケールの演奏を望みたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

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2012年01月07日


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デュトワ指揮モントリオール響が、全くグロテスクさのない優麗典雅なエレガントそのもののフランス趣味の名演を聴かせる。

透明なサウンドと緻密な合奏に支えられ、都会的で洗練された美しい響きは、本来ベルリオーズ的な演奏というべきだろう。

ベルリオーズの音楽のもつ劇的な面と、感覚的な音色の美しさを引き出した、極めてデリケートで語り口のうまい演奏である。

誇張やハッタリを避け、音楽的な発想のみで仕上げた、近代的知性に溢れた演奏なのである。

「幻想」は管弦楽の色彩美の極致ともいえる多彩な音色と艶やかさをもった演奏で、すみずみまでデリケートに表出された明晰きわまりない音楽だ。

一面では絵画的ともいえるが、極めて感覚的演奏ということもできる。

迫力とかダイナミズムには無縁だが、リズム感あふれる好演で、その緻密なテクスチュアの掘り起こしには、ただただ見事なものと感心せざるを得ない。

「イタリアのハロルド」は第1楽章から華麗で色彩豊か、ベルリオーズの作風の一面をよく表している。

ズーカーマンのヴィオラは魅力あふれる美音で、引き締まった緊張感が生まれている。

第2楽章ではヴィオラがよく音楽に溶け込み、弦楽器も誠実で端正。

第3楽章の表情も明朗そのもので、終楽章の構築的な表現とともにヴィオラと管弦楽が一体となって呼吸し、この作品の効果を最高に引き出している。

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2012年01月06日


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ピアノ協奏曲は1992年7月、ヴァイオリン協奏曲は1994年7月、いずれもグラーツでのライヴ録音。

アルゲリッチ、クレーメルともに2度目の録音だが、2人とも最初の録音より説得力の強い演奏を聴かせるのは、当然、アーノンクールの指揮も関係している。

とくにピアノ協奏曲は、冒頭の和音をはじめアーノンクールは鋭いアクセントをつけ、やや速めのテンポで展開する。

テンポや強弱の急激な変化なども従来の演奏より際立つが、それに鋭く反応するアルゲリッチとの緊張をみなぎらせた共演は、これがシューマン本来の意図だったのではないかと思わせるものがある。

第1楽章ではアルゲリッチの天才が作曲者の夢やファンタジーを目いっぱい紡ぎ出してゆく。

ルバートの語り、急激なアッチェレランドの迫力、シューマンの移ろいやすい心の表出、物凄い奔放なアクセント、暴れ馬のような突進など、もうアルゲリッチ節全開だ。

第2楽章はそんなに崩しているわけではないのに、気分のおもむくまま、まるで夢心地で弾いてゆくような趣があり、フィナーレはさながら空中を自由に飛び、はばたくようで、その雄弁さは古今無類と言えよう。

一方、クレーメルとのヴァイオリン協奏曲の場合、ピアノ協奏曲ほどの衝撃や違和感が少ないのは、長い間埋もれていたためにすぐれた演奏が少なかったためかもしれない。

ヴァイオリン協奏曲は他に比較の材料が少ないのだが、テンポの速すぎたクレーメルの旧盤より、もっとしっとりと、音の流れ・フレーズの息遣いなどが感じられる見事な演奏だと思う。

両曲とも長いこと、とび切りの名盤に恵まれなかったが、ようやく理想的とも言うべきCDが登場したと言えよう。

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2012年01月05日


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ミュンシュ=ボストン響による2度目にして、決定的名演となった《幻想》。

ミュンシュのボストン響音楽監督としての最後の録音の一つで、1949年以来10年以上にわたる緊密なパートナーシップがまさに融通無碍の名演に結実。

今のボストン響からは失われて久しいフランス風の華麗な響きを保ちつつ、壮絶に高揚していくドラマは、他では聴くことができない。

豊かな色彩感を確保しながら、情熱的な力強さを臆することなくぶつけて、グイグイと進める音楽の運びが自然で自在なミュンシュが、やはりベストだろう。

ミュンシュにとって《幻想》は肉体の一部になっているかのようだ。

数種ある演奏のそれぞれが名演の名に恥じないものだが、2度目のボストン盤が、その完成度の高さで抜きん出ており、この曲の主情的演奏として理想的なバランスを持っている。

ボストン響との録音は、ミュンシュが最も精力的に活動していた頃の、若々しい活力を伝えている。

造形が端正で、後年の演奏より客観的であるが、それだけに音楽的には純粋で骨格が逞しい。

ボストン響も輝かしく充実感が強い。

情熱が噴き上がるような快演で、ミュンシュの率直な音楽性と豪快な交響性が、ベルリオーズのもつ強靭な生命力を的確に表現している。

まさにこの作品の本領を伝える名演というにふさわしいこの演奏にあっては、オケのメンバーたちの一丸となって演奏に没入している姿勢もが目覚ましく、それは、とめどもなく情熱的でホットな時間の推移をつくり出し、圧倒的な説得力をも生み出すこととなっている。

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2012年01月04日


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ミュンシュが最も得意とし、名刺代わりのように世界各地で演奏した「幻想交響曲」の古典的名盤。

ライヴも含めると6種類の演奏がCD化されているが、その中でパリ管弦楽団との1967年盤に匹敵する熱気を孕みながら、アンサンブルの充実度で勝るのがこのボストン響との1954年盤で、ミュンシュ=ボストン響の組み合わせによる最初期のステレオ録音の一つである。

この演奏にはミュンシュの最も素晴らしい面があふれている。

音楽がいまそこで産声をあげ、まあたらしい生命そのものの力で動いているという感動に襲われる。

棒はかなり緩急自在だが、オーケストラはまるでもともと自分たちがそうしたかったところを、そう振ってくれたといわんばかりの、自然な動きぶりである。

そのような動きの中に美しい情熱が輝いている。

たとえばモントゥーの「幻想」は、標題交響曲はかくあるべしといった演奏だが、ミュンシュの演奏はまったく正反対で、率直そのもの、テンポも速く、各楽器の特性をあくまで明確に出している。

本当に明快で音楽的な演奏でアクは強くないかもしれないが、第一級の演奏というべきであろう。

ボストン交響楽団のうまさも特筆すべきである。

さらに、この演奏には、テンポの緩急の変化がかなり強く出ているのと、情緒的劇的構成をつくるのが各所にみられる。

それがまた表現を豊かにしている。

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2012年01月03日


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まずは追悼ザンデルリンク。心よりご冥福をお祈り致します。

ザンデルリンクの新盤を、「ブラームス全集」の筆頭にあげる人は少なくない。

筆者もザンデルリンクを評価するのにやぶさかではない。

どこを向いても洗練されたものしかお目にかかれない時代だから、重厚なドイツの響きなどというのは昔の演奏でしか聴けないのだと諦めていた。

しかし、1990年にもなって録音されたこの全集は、それまでに見たこともない立派なドイツ風の鎧をかぶって登場し、人々に大きな驚きを与えた。

まず、ベルリン交響楽団の深みのあるくすんだ音色に魅せられる。まるで、タイムスリップして100年前に戻ったような蒼古たる音だ!

くすんだ色の油絵の具を幾重にも重ねたように分厚いブラームスのオーケストレーションが、ますます底光りをする独自の魅力に魅了される。

特に、即席ではなく長い時間をかけて練り上げたような弦楽器の渋い音色は、それこそ卒倒するほど美しい。

それをまことに堂々たる建築物に仕上げているが、細部にわたって細かな仕上げには暖かい愛情さえ感じさせる。

東西ドイツの壁が崩れ、旧東側に残されていた固有の文化も国際化の波にさらされており、こうした音色の失われる日も近いことだろう。

また多くの全集が出ている中で、4曲がこれほど均一して出来がいいという点でも、この全集は最右翼ではなかろうか。

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2012年01月02日


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1988年10月12-14日、フランクフルト、アルテ・オーパーでの録音。

インバル初のスメタナ。

インバルがスコアを徹底的に再構築した秀演。

ボヘミアの作曲家スメタナが祖国への深い愛を込めて作曲した連作交響詩だけあって、チェコ・フィルなどの本場物の数多くの《わが祖国》の録音があるが、インバル&フランクフルト放送交響楽団のディスクはそれらと比しても最右翼に位置し得る演奏のひとつだ。

鬼才とうたわれる指揮者インバルは、安易な民族色にもたれることなく、スコアを徹底的に見直した独自の視点からこの名曲の真価を世に問うている。

インバルらしい、骨組みのしっかりしたメリハリの強い表現で、重厚なドイツ風ともいえる響きが作品の交響性を強調しており、知的で構築的だ。

どの部分を採っても緻密なところまで神経が細かく張りめぐらされた、基本的には筋肉質ともいえる引き締まった音楽だが、硬直化するようなことはまったくない。

作品の起承転結を巧みに表現した、聴かせ上手な演奏である。

遅めのテンポでじっくり仕上げた「モルダウ」など、音楽作りの抜群のうまさが際立った素晴らしい演奏だが、6曲の中では後半3曲の演奏が特にすぐれており、中でも「ボヘミアの森と草原より」は秀演といえる。

インバルを首席指揮者に迎えてからこの録音時で10余年、フランクフルト放送交響楽団の発展ぶりは注目すべきものがあったが、この録音でもそうした美点がフルに生かされている。

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2012年01月01日


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この曲を看板曲としているカルテットだけあってズバ抜けてうまい。練れたアンサンブルとその彫琢された豊かな表現には魅了される。

その名を冠する彼らにとって特別の作品であることをまざまざと知らしめる、親密な共感と圧倒的な感動に裏付けられた名演。

スメタナ四重奏団にとって両曲とも3回目の録音だが、録音のたびごとに、その演奏には円熟度が増してきており、お手のものの作品に新しい気迫をもってのぞんでいる。

アンサンブルのよさはいまさら強調するまでもないが、堅固なまとまりを少しもくずすことなく、表現はきわめて積極的だ。

お国ものの強みはここでも存分に発揮されており、両曲の第2楽章でのポルカのリズムの切れ味のよさ、素朴な民族性の発露などは、その好例。

ボヘミア風ともいえるリズムや楽想の処理のうまさには、このカルテットならではのものがある。

そのボヘミアの香り漂う抒情味豊かな歌いまわしのうまさはやはり比類のないものだ。

4人で合奏していることを忘れさせるくらい、アンサンブルは精妙で隙がなく、しかも音楽が完全に彼らの言葉として熟れきっている。

こうした演奏にこめられた気迫は音楽を情熱のこもったものに仕上げ、特に第2番に迫力がある。

また第1番第4楽章の後半の絶望的な暗い響きは聴き手の胸を強く締めつける。

この2曲の演奏史に加えるべき1枚。

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