2012年02月

2012年02月29日


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シゲティの大きな業績の一つに、同時代の作曲家達の作品を数多く取り上げたことが挙げられる。

古典作品のみならず、モダンな作品を取り上げることがヴァイオリン音楽振興のためになると考えていたシゲティは、積極的に新しい作品を初演し、また録音するなどの普及活動に努めた。

その姿勢が評価され、多くの作品が彼に献呈されることになり、プロコフィエフの協奏曲第1番は、他の演奏家による初演後、彼がレパートリーに入れることによって実質世に送り出された作品で、プロコフィエフ自身、その解釈を認め、作品を献呈するに至ったもの。

ブロッホの協奏曲も、シゲティのために書かれたもので、やはりこれも彼に献呈されている。

シゲティは、晩年にプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番をステレオでも録音しているが、彼の最盛期に録音されたこの旧盤は、気力とテクニックの充実において、それをはるかに上回る出来を示している。

一寸の隙も妥協もない厳格で論理的なアーティキュレーションを特色とした彼のアプローチは、個人的な感情を排したザッハリヒな姿勢が強く前面に押し出されたものでもあるが、そうしたあり方を作品に対する自己の理想的な対処と確信する彼の信念は、このヴァイオリニスト独自の一徹な執念とも相まって、作品に秘められた普遍的な美のイデアを抽出する結果をもたらしているのである。

音質は古いが、ヴァイオリンの音色は、案外鮮明に聴きとることができる。

ミュンシュ指揮のブロッホのヴァイオリン協奏曲は最盛期のシゲティの面目躍如の録音。

東洋的で特異なエキゾティシズムに溢れたこのヴァイオリン協奏曲は、あまり演奏される機会に恵まれないが、芸術的価値の高さにおいては《シェロモ》などをはるかに凌ぐ作品であり、ブロッホの代表作のひとつというにふさわしい傑作である。

そして、その初演者であるシゲティのこの録音は、彼の真摯でザッハリヒなアプローチがこの秘曲のまやかしがなく彫りの深い再現を実現させている名演であり、そこでは、ミュンシュのツボを心得た構成力のあるバックアップもが、もうひとつの聴きどころとしてクローズアップされている。

未だに演奏様式的な古さをまったく感じさせないのは、これが作品のイデアに密着した演奏だからであろう。

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classicalmusic at 21:08コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフ 

2012年02月28日


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「陰惨きわまりない時代には、ただ芸術だけが重苦しい現実から注意をそらせてくれる」というチャイコフスキーの言葉が、そのまま伝わってくるかのような演奏である。

《悲愴》は実にカラヤン7回目の録音だが、これは過去6回のいずれをも超える名演である。

カラヤンは、作品を徹底して掘り下げ、耳を疑うほどの感動的な《悲愴》を聴かせて、演奏芸術のほとんど究極の姿を実感させる。

カラヤンは、名人オーケストラのウィーン・フィルを自在にドライヴしながら、この曲の暗鬱で救いようのない気分を、巧みに表出している。

芯からの悲愴感が漂い、音質の抜群の良さもあって心が震えるほどに訴えかけてくる。

驚くべき集中力をもって演奏しており、その尽きることのない燃焼の激しさ、外面的な効果に終わることのない説得力に圧倒される想いだ。

曲頭の第1楽章序奏部では未聞の暗さが慄然と響いているし、それがフィナーレのコーダ、アンダンテ・ジュストにこだまして、深い悲しみの淵にきく者の心を沈めてしまう。

まさにチャイコフスキーに生涯を捧げたカラヤンならではの奥深い演奏で、7回目の録音によって初めて成し遂げられた記念碑的名盤である。

チャイコフスキーを得意とするカラヤンの、きめこまかな棒さばきに魅せられる演奏だ。

ウィーン・フィルもカラヤンに触発された白熱的演奏を聴かせており、究極のオーケストラ・サウンドに浸らせる。

指揮者、オーケストラともに理想的であり、CDで体験することのできる最高の感動がここにはある。

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classicalmusic at 23:30コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーカラヤン 

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カラヤンがウィーン・フィルハーモニーを指揮した晩年のこの演奏は、雄大なスケールとメランコリックな美しさを過不足なく表現した比類のないもので、カラヤンの美学が端的に示された名盤として知られている。

現代的な感覚で処理しながらも、ロシア的情感を豊かに表出した演奏である。

ウィーン・フィルを指揮しているためか、力強さの中にも透明感と優美な感触がある。

オーケストラの表情にも厚みがあり、あたたかな感触が特徴で、もちろんカラヤンの個性も濃厚に表されている。

一点一画もおろそかにせず、徹底して練り上げたという点ではベルリン・フィルとの旧録音が面白いが、これはオーケストラの自発性を尊びながらも、自己の主張をはっきりと打ち出した演奏だ。

しかも無用な力みがなく、音楽によく感じたみずみずしい表情が随所に示されており、カラヤンの名人芸を随所に発揮しているが、後半の2楽章は表情がやや低徊的に沈みがちで、緊張度が弱い印象を与える。

晩年のカラヤンはオケをコントロール出来ていないとの批判が一般的であるが、筆者は違うと思う。

肩の力が抜けたと言ったらいいのだろうか。聴き手を意識した指揮から、無欲に内面に語りかけてくるような演奏だ。

いささかの無理も強引さもなく、オーケストラとともにこの作品を心をこめて歌い上げた透明なリリシズムの世界があり、本当に美しい。

何よりもカラヤンはチャイコフスキーに惚れ込んでいた指揮者であり、その生涯に5回も録音したが、この最後のウィーン・フィルとの演奏は、すべてを知り尽くした巨匠ならではの至芸が聴ける。

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classicalmusic at 19:56コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーカラヤン 

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カラヤンが遺したチャイコフスキーの「第4」の最後の録音である。 

カラヤンは老いてますます盛んだった。

「第4」は実に6回も録音を繰り返したが、それぞれに愛着と共感のほどが本当によく分かる名演を残しているし、オーケストラのコントロールも巧い。

カラヤンの「第4」としては、1971年盤がライヴのような迫力があり最高の名演であると考えるが、本盤も、カラヤンの最晩年ならではの澄み切った美しさがあり、1971年盤とは異なった魅力に満ち溢れている。

それは、オーケストラにベルリン・フィルではなく、ウィーン・フィルを起用したことが大きいと思われる。

本盤の録音は1984年であるが、この当時、カラヤンとベルリン・フィルの関係は決裂状態。傷心のカラヤンを、ウィーン・フィルがあたたかく迎い入れ、両者の良好な相思相愛の共同作業によって、この名演が成し遂げられたと言っても過言ではないだろう。

カラヤンの代名詞である卓越した統率力には、やや陰りが見えるものの、隋所に見られる絶妙のレガートや、チャイコフスキーの巧みで分厚いオーケストレーションを豪華絢爛にならすテクニックについては、いささかの衰えも見られない。

従来のベルリン・フィルとの演奏に比べ、このウィーン・フィルとのものでは、いわば《老いらくの恋》ともいうべき燃焼が感じられる。

ベルリン・フィルとの4回の録音は、いずれも卓抜な合奏力とシャープな表現に圧倒されたが、ここでは、オーケストラの柔らかで優美な表情が魅力だ。

音楽全体のクライマックスを終楽章においた演奏で、スケールの大きい劇的な表現をおこなっている。

解釈のコンセプトに新しいものは期待できないものの、カラヤン芸術の最良の結晶を聴くことができる。

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2012年02月27日


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細部を磨きに磨いて、精妙な演奏を目指してきたカラヤンの真骨頂が示された演奏として、まず第一に挙げられるべきものである。

さらに、これをもって、ベルリン・フィルとの仕事の到達点のひとつともいえるようである。

《悲愴》はカラヤンが得意としていた曲だけに、すみずみの微細なところまで完璧に磨き抜かれている。

それが感覚的な洗練と結び付いているので非常に美しく、カラヤン独自の美意識をうかがい知るのに絶好のものといえるに違いない。。

全体になめらかな旋律線と華麗な起伏が独自の表現をつくっており、徹底してカラヤン風の音楽といえる。

そのような精妙な表現ということで頂点に達していると考えられるのが、1976年に録音された《悲愴》の6度目の録音である。

生涯に何度も《悲愴》を録音したカラヤン。死の前年の来日時の録音が発売されて話題となったが、それを除けば、ベルリン・フィルとの最後の録音が本盤ということになる。

1988年の来日公演盤は、ライヴならではの熱気と死の前年とは思えないような勢いのある演奏に仕上がっているが、ベルリン・フィルの状態が必ずしもベストフォームとは言えない。

その意味で、カラヤンとベルリン・フィルという黄金コンビが成し遂げた最も優れた名演ということになれば、やはり本盤を第一に挙げるべきであろう。

第1楽章の第1主題の展開部や第3楽章の終結部の戦慄を覚える程の激烈さ、第1楽章の第2主題のこの世のものとも思えないような美しさ、そして第4楽章の深沈とした趣き、いずれをとっても最高だ。

ここでのカラヤンの演奏を聴いていると、カラヤンは、指揮者にもかかわらず、ピアニストのグレン・グールドのように、コンサートをドロップアウトして、レコーディング・スタジオに閉じこもり、録音された音盤によってのみ、聴き手と触れ合いたかったのではないか、と思えてくる。

このような演奏は、明らかに、多数の聴衆を前にした、したがってどうしても雑然とならざるを得ないコンサート・ホールで聴くより、リスニング・ルームという密室で聴くのに適した性格のものである。

晩年にいたるまで、カラヤンがライヴ・レコーディングを避けて、スタジオでレコーディングを続けたのは、カラヤンの目指した演奏から考えても、正しかった、と思う。

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classicalmusic at 19:58コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーカラヤン 

2012年02月26日


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ヴァイオリニストにとって、シゲティは神様のような存在らしい。

ハイフェッツも神格化されているが、彼の場合は、人間業を超えたテクニックの冴えにおいてであり、シゲティの場合は精神的な芸術性においてである。

世界的なヴァイオリニストのなかで、シゲティほど下手な人はいない。もう、下手くそ、といってもよいほどだ。

運弓に無理があるのか、音がかすれたり、フレーズがぎくしゃくしたり、というのは年中で、いま彼がデビューしても問題にされないだろう。アマチュアでさえ、もっとうまい人がいるからだ。

にもかかわらず、シゲティは神格化された存在である。それは彼の技術がいかに劣悪でも、その表現力というか、音楽自体の精神的な高さに多くの人が打たれたからであろう。

シゲティは決してムード的な小品は弾かなかった。またパガニーニのような技巧曲も弾かなかった。いや、弾けなかった、というほうが当たっているのかもしれないが、彼の食指をそそらなかったのは事実である。

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、バルトーク、プロコフィエフなどがシゲティのレパートリーであった。

モーツァルトなど、フニャフニャするばかりで少しも面白くないが、その中から彼は必死に内容を抉り出そうとしていたのである。

このヴァンガード・コレクションには、そういったシゲティの神髄が刻み込まれている。

技術は衰え、音が終始ゆれているので、痛々しいほどだが、それを超えて迫ってくるものがある。

純音楽としての外面的な美しさに欠けるため、かえって深い内容表現が痛切に伝わってくるのである。

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classicalmusic at 20:20コメント(0)トラックバック(0)クラシック音楽用語解説 

2012年02月25日


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1961年9月、ウィーン、ゾフィエンザールに於けるステレオ録音。

アダンは、ベルリオーズと同じ1803年の生まれで、パリで活躍し、53年の生涯に39のオペラと14のバレエ音楽を書いたが、現在ではもっぱら《ジゼル》の作曲者としてその名が知られている。

この《ジゼル》は、1841年に初演されたロマンティック・バレエの傑作で、踊り子の伴奏音楽にすぎなかったバレエ音楽を芸術に高めたという点で画期的だった。

チャイコフスキーも《白鳥の湖》の作曲に際して、この曲からヒントを得たといわれている。

カラヤンにとっては極めて珍しいレパートリーで、当然にこれが同曲唯一の録音。

アダンの《ジゼル》は平易な曲で、このカラヤン盤では2部構成になっており、原典版とも呼ばれる短縮版の演奏だが、カラヤンの《ジゼル》は、華麗なコンサート・スタイルでたいへんシンフォニックな表現だ。

演奏はカラヤンの強烈な個性に貫かれており、いうなればカラヤン編による交響詩とでもいった趣を呈している。

ウィーン・フィルの艶やかな弦の音色と、カラヤンの耽美的な音楽性が相まって優雅な音楽世界を醸しだしている。

リズムはやや重いが旋律を流麗に歌わせる手腕はさすがである。

バレエ音楽の演奏としては問題もあろうが、その演出のうまさは格別で、この当時のウィーン・フィルとの一連の録音はカラヤンの演奏史で最後まで残るのではないかと思われるくらい充実しており、オケの艶麗でしなやかな弦、管楽器の馥郁さたるや現在では望めないのではないだろうか。

精妙かつ情感豊かな表現で、コンサート・スタイルの演奏としては最右翼に置いてよい名演だ。

他の同曲異演盤は聴いてないが、《ジゼル》を楽しむには格好の1枚となるであろう。

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classicalmusic at 20:47コメント(0)トラックバック(0)カラヤン 

2012年02月24日


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この《ハンガリー舞曲》のような作品を演奏するに際しては、芸術性とエンターテインメントとしての要素のバランスが非常に難しい問題であり、それが演奏の価値を左右する重要なポイントになるのではないだろうか。

作品の芸術性の追求に純粋な情熱を傾けた演奏としては、ライナーのハイ・グレードな名演があり、作品の娯楽性を最大限に強調した演奏としては、巧みで効果的な演出が作品の聴きどころを増幅したカラヤンのような名演も存在する。

しかし、どちらにも偏らずに自然体で素直にこの《ハンガリー舞曲集》を楽しみたいという向きには、このアバド盤がベストに挙げられる内容といってよいだろう。

アバドは、良い意味で表現に工夫を凝らそうとする意志を示さずに、まったくナチュラルかつストレートにこの舞曲集のキャラクタリスティックな各曲を再現し、聴き手を抵抗なく引き込んでしまうしなやかで爽やかな演奏を聴かせている。

しかし、決して華やかでもなければ決して個性的でもないアバドの表現は、演奏としてこの表面的な特徴は希薄でありながらも、各舞曲に備わった本来的な美しさを汚れなく描出する結果を生んでおり、それは、この演奏に聴き込むほどに味わいが深まるかけがえのない価値を付与することになっているのである。

また、筆者は、アバドが指揮した際のウィーン・フィルのサウンドにとっても大きな魅力を感じているが、ここでは、作品の特性とも見事な一致を示している。

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classicalmusic at 20:17コメント(0)トラックバック(0)ブラームスアバド 

2012年02月23日


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R.シュトラウスの音楽が好きになったのは、《ばらの騎士》かこの《4つの最後の歌》ことがきっかけだ、というファンは少なくない。

しかもそのどちらもシュヴァルツコップの歌唱を通じてだ、というのが面白い。

当時のシュヴァルツコップは心技一体というか、テクニックだけでなく、内面も輝き渡っていて、まさにオーラを放射していた。

時代もよかった。希望あふれる時代だった。

誰もが《ばらの騎士》のような世界に浸れる時代が目の前に来ていると実感させられた。

その輝きは今日でも失われず、私たちの夢の原動力はここにあると思わせずにはおかない。

それは《4つの最後の歌》についても言える。

これは死を目前にした老年の諦念を歌い上げた音楽であるにもかかわらず、ある種の明るさが漂っている。

死は生と対極にあるのではない。

カフカは「生を十全に生きた者は死を恐れない」と言ったが、死は十全に生きた者の至る最後の成熟であり実りである。

シュトラウスはその意味を知っているだけでなく、その豊かな実りを絵画的で壮大な響きの饗宴として私たちに呈示し、真にこのような死を迎えたいを思わせる。

その意味に最も深く触れているのが、このシュヴァルツコップ&カラヤンの演奏だ。

死は希望と夢にあふれ、それはこんなに豊かで、心ときめくものなのかと感動させられる。

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classicalmusic at 20:42コメント(0)トラックバック(0)シュヴァルツコップカラヤン 

2012年02月22日


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これはワルターの目指した音楽の最高の刻印であると同時に、ワーグナー演奏史の最良の一頁として記念される名演である。

1935年に録音されたこのSPが発売されたときは大きなセンセーションを巻き起こしたらしい。

何しろワーグナーの楽劇などまったく録音されなかった時代だからである。

ワルターのテンポは異常に速い。おそらくは晩年はもっと遅いテンポをとったに違いないが、この場合いかにも50代のワルターらしい。

ただ、全体的に見てライトモティーフの表出が著しく弱いのがワルターの欠点となっている。

しかしジークリンデが自分の想いを歌う部分の、春の陽ざしのような微光のほほえみ、ウィーンの弦の不健康な美しさなど、ワルターならではの表現も見られるし、背伸びをしない地のままの指揮に好感が持てる。

全曲が一つのまとまった解釈となり、聴いているときの安心感と陶酔は比類がない。

それに何よりも歌手が素晴らしく、ワーグナー歌唱の至高の範例とされるほどの名唱であろう。

特に第1幕のフィナーレの素晴らしさはあらゆる比較を絶している。

とくにロッテ・レーマンはごく自然に歌いながら、温かい息吹きと魅力的な女性美がむせるようだ。

メルヒオールも努力なしにジークムントの暗さを背負った人柄を出している。音色の変化が微妙だが、節まわしの巧さといい、すべてが生まれつきの才能のように自然である。

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classicalmusic at 20:10コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーワルター 

2012年02月21日


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ライナーがその晩年にウィーン・フィルと録音した貴重なアルバム。

ブラームスの《ハンガリー舞曲》(8曲)とドヴォルザークの《スラヴ舞曲》(5曲)という、興味の持てる組みあわせ。

抜粋ながら、その演奏内容はいずれも充実したものばかりである。まずは、そのことを確認しておくことにしよう。

その演奏活動の後半生を主にアメリカのシカゴ交響楽団とともに過ごした指揮者ライナーだが、ヨーロッパに戻って指揮活動をしたことも幾度かあった。

本盤は、そのような折の貴重な記録である。

ここでのライナーは、オーケストラに君臨するという常日頃のスタイルは若干なりとも背景へ後退し、彼としては比較的珍しい多彩な表情、ゆとり、ふっくらとした肌ざわりなどが随所にあって、なかなかに興味深い。

ウィーン・フィルの懐の深さも少なからず影響を与えているのであろう。

もちろん、ライナーならではの卓越した構成力の良さ、ピン・ポイントで決まる表現力などは健在で、曲がもつローカル色の表出も隙がない。

演奏は《ハンガリー舞曲集》の方が良く、随所にライナー独特の強引さが目立つものの、ハンガリーの郷土色を強く前面に押し出していて聴かせる。

ライナーは、ハンガリー出身の指揮者らしく、どの曲もハンガリー的な色彩の濃い演奏だが、ことにそのリズムの切れ味の鋭さは抜群である。

《スラヴ舞曲集》の方は、ライナーとオーケストラの間に溝ができている感じで、ライナーの意図が十分に生かされていないのが残念だ。

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classicalmusic at 19:51コメント(0)トラックバック(0)ライナー 

2012年02月20日


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ワーグナーの創作の転換点にあるロマンティック・オペラ《ローエングリン》の録音は数多くあるが、筆者が最も好んで聴き返すのは、名匠ケンペがウィーン・フィルを指揮した往年の名盤である。

ドイツの名匠のひとり、ケンペは今や忘れ去られてしまったのだろうか。

ここでウィーン・フィルから彼が引き出した多彩にして雄大な音楽は、この"ロマンティック・オペラ"の真髄を示している。

オペラティックな感興に満ち、大胆さと親密さもほどよく兼ね備えているケンペのアプローチは、懐かしいドイツの"古き良き時代"の香りを伝えてくれる。

ここで神秘的なまでの美しさを示すウィーン・フィルの演奏は、オペラ・ハウスでのこのオーケストラの経験の集積にほかならない。

ウィーン・フィルによるワーグナー演奏の魅力とは何か?と考えるとき、このケンペの録音は、その明確な解答を与えてくれるだろう。

歌手陣の充実も同曲随一の豪華さであり、この曲を代表する名盤である。

ジェス・トーマスの高貴で逞しいローエングリン、フィッシャー=ディースカウの知能犯のようなテルラムント、ルートヴィヒの巧妙なオルトルート、フリックの堂々たるハインリヒ王は、いずれもこれらの役柄の最上の演唱を示している。

グリュンマーのエルザがいささか古風だが、忘れがたい名盤である。

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classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーケンペ 

2012年02月19日


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《くるみ割り人形》組曲をはじめチャイコフスキーの3大バレエから聴きどころを抜粋した演奏会用組曲集。

このベルリン・フィルとの再録音は、いずれもカラヤン一流の演出巧者な演奏である。

ウィーン・フィルを指揮した演奏はソフト・ムードだったが、ここでは、アンサンブルがさらに緊密となり、表情が引き締まっている。

《白鳥の湖》の民族的で色彩豊かな「ハンガリーの踊り」や「情景」の描き方、《眠りの森の美女〉での幻想味あふれ、情感たっぷりな旋律の歌わせ方など、カラヤンならではの腕の冴えだ。

ことに《眠りの森の美女》は、この曲のもつシンフォニックな特性を巧みに表出していて見事だ。

劇的な序奏からリラの精の動機を導いていくあたりの演出のうまさ、「長靴をはいた猫」の木管楽器の扱い方、よどみなく流麗にまとめた「ワルツ」など、カラヤンの指揮棒の魔力には魅了されてしまう。

《くるみ割り人形》も優れていて、カラヤンの肌に合った作品だけに手慣れたものだ。

3曲に共通するチャイコフスキー特有の華麗で優美な〈ワルツ〉、《白鳥の湖》の〈情景〉に代表される悲劇的な雰囲気、情熱的な〈ハンガリーの踊り〉や〈ロシアの踊り〉など、各曲の特徴も鮮明に表現されている。

カラヤンの音の錬金術師ともいうべき手腕が素晴らしく、その意図が徹底されたベルリン・フィルの精妙な響きと表現力にも圧倒される。

これは、チャイコフスキーの音楽特性を十全に表出した、実に見事な演奏である。

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2012年02月18日


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チャイコフスキーのバレエ音楽が、耳当たりのよいポピュラー名曲というだけでない、ベートーヴェンやブルックナーの交響曲にひけをとらない本格的な音楽であると、カラヤンはきっと知っていたのだ。

何度も演奏するだけでなく、明らかに力を入れて、《白鳥の湖》、《眠りの森の美女》、《くるみ割り人形》を指揮していた。

あまりにもカラヤン流の演奏に慣れ、標準化したのは事実だが、今になってみれば、カラヤンは本当に格調の高い、しかも踊りを忘れない3大バレエを実現させていたのだった。

ベルリン・フィルと録音したのも素晴らしいが、それより前に、といっても、今となってはいくらか前という程度の、ウィーン・フィルとの録音もいい。

ウィーン・フィル盤は各曲ともコンサート・スタイルの表現で、リズム処理や表情のつけ方など、まったくカラヤンならではの演出を行っている。

流麗で、いわば音楽を躍らせる天性のリズム感を、指揮者とオーケストラが共有しているのがわかるのだ。

《白鳥の湖》は演出の巧妙な演奏で、第2幕の「情景」の美しさは絶品。

《くるみ割り人形》は、童話の世界を軽やかタッチで美しく描き出している。

《眠りの森の美女》は特に聴きもので、シンフォニックな特色を見事に表現しているし、旋律の歌わせ方の美しさもさすが。

カラヤンは確かにチャイコフスキーの名人で、バレエ音楽の名人だった。

ここまでくると、もうロシア的でなどある必要はない。

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2012年02月17日


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ハイフェッツによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は2回録音されており、いずれもハイフェッツの技巧がキラキラ光っている演奏だ。

ハイフェッツにはミュンシュ/ボストン響との優れたステレオ録音もあるが、トスカニーニ/NBC響とのモノーラルは別格の存在である。

今日ではハイフェッツの演奏にロマン的な要素も感じられるが、完璧な技術に裏づけられた彼の演奏には、音楽から一切の夾雑物を取り除いた厳しさによる純粋な美しさがある。

トスカニーニも音楽の本質だけを追求する厳格な精神が演奏に近寄りがたい威厳をもたらしていた。

一方で彼は、イタリア・オペラの指揮者として旋律の魅了を完全に理解していた。

このような2人の個性が、演奏に孤高ともいうべき精神美を生み出した。

とくに第2楽章のカンタービレの美しさは比類がない。

ここで共演しているトスカニーニが、「ハイフェッツこそ私の知る最高のヴァイオリニストである」と激賞していたことは有名。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、速いテンポで流麗に進めながら自由自在な強弱のニュアンスをつけ、陶酔的に歌いぬき、しかもそれらが空中を泳ぐような唖然たる巧みさと、洗練された感覚の中に行われる名人芸には胸のすくものがあり、ヴァイオリンを愛する者の必聴盤といえよう。

クーセヴィツキーの重厚にして引き締まったバックアップとも相俟って、不純物を極限まで排除した純粋無比な作品の再現を可能たらしめている。

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2012年02月16日


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ラフマニノフの第3番は、ロマン派の名人協奏曲の中でもヴィルトゥオジティの醍醐味を最も強く感じさせる作品。

この演奏は、ホロヴィッツのこの作品の録音のなかで最も古いものであり、音質的にはかなり古くて情けないものである。

しかし、そこでは、若き巨匠の火花が飛び散るような神技が発揮され、それが聴き手を文句なしに圧倒してしまう強烈な表現が展開されている。

まさに壮絶な名演であり、20歳代の若きホロヴィッツの鋼鉄のようなタッチと恐ろしいほどの集中力は、見事と言うほかはなく、すべての聴き手をあきれさせることだろう。

若きホロヴィッツは、あり余るほどの余裕を感じさせるその桁外れにパワフルなテクニックをうならせて、このブリリアントで演奏困難な大作を他に例がないほど鮮やかに弾ききっているのである。

両端楽章に示された絶対に疲れをみせないテクニックとヴァイタリティの凄さは、確かに人間離れしたものであり、中でも第1楽章の長大なカデンツァに示された圧倒的なテクニックの冴えは、彼の独壇場といえる世界である。

このテンポをクリアできるのはホロヴィッツくらいだろう。

それほどテンポは速い。

しかしそれでもなおかつ表現には余裕があり、テクニックにも乱れがない。

力強さと繊細さ、そしてスケールの大きいロマン性を痛感。

同曲の魅力を知るうえでは不可欠な演奏だ。

この録音には、ホロヴィッツの最高の栄光を見出すことができる。

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classicalmusic at 23:24コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフホロヴィッツ 

2012年02月15日


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既に指揮の小林研一郎はチェコ・フィルと組んでこれまでも数枚のCDを出しているが、スメタナの《わが祖国》はチェコ・フィルにとっては母国語で語る音楽であり特別な意味があることを思うと、結局小林が彼らから多大の音楽的信頼を得ていると言うことになろうか。

チェコの人達にとってこの曲集は国歌以上に愛着があると言われており、事実これまでチェコ・フィルのチェコ人以外の指揮者との録音はなかった。

それゆえ、この新録音ではチェコ・フィルの楽員たちの小林研一郎への信頼の高さをうかがい知ることができる。

実際この演奏を聴いてみると小林が恣意的にこの曲から何か新しい表現を作り出そうとしているのではなく、チェコ・フィルのメンバーの中に熟成され眠っていたこの曲への愛情を小林が優れた音楽的センスできめ細かに美しく引き出しているという感じが強い。

弦をしなやかに使ってたっぷりと旋律を歌い、管と弦のフレーズの呼吸が完全に一体化する。

これはまさに彼らの音楽と実感する。

チェコ・フィルがこの曲を小林と録音すること自体、ひとつの事件だと思うが、実際ここで小林は自己を強引に顕示するのではなく、彼らのなかから自然にこの曲の語法を引き出し美しくまとめあげている。

小林とチェコ・フィルの関係はきわめて充実しており、全編のびやかでスケールの大きい指揮でチェコ・フィルも共感ゆたかにこれに応えている。

これは実に音楽的な《わが祖国》と言えるだろう。

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classicalmusic at 20:03コメント(0)トラックバック(0)スメタナ小林 研一郎 

2012年02月14日


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1974-75年に録音された、ケンペ最晩年の遺産であり、この指揮者の代表作のひとつと言われる名全集。

最晩年とはいえ、僅か65歳での急逝であり、芸術家としてこれから真の円熟の音楽を聴かせてくれる矢先であっただけに惜しまれる。

全曲、ファンにはたまらない演奏で、心静かに、じっくりと聴きたいブラームスだ。

率直で飾らぬ芸風の中に重厚な雰囲気を漂わせたスタイルが身上のケンペとはいえ、ここまで恣意性とは無縁でありながら、作品が本来そなえている自然な感興にナチュラルに寄り添った表現は、やはりこの時期だからこそ達成されたものと言えるだろう。

モントゥーやボールト同様、ヴァイオリンを両翼にした旧式のオーケストラ配置がきわめて効果的で、この味わいを知ってしまうと通常の配置が物足りなくなるほど。

4曲すべてオーソドックスでありながら、ケンペならではの冴えた棒さばきにより、スコアのどの小節も生まれたてのように新鮮に響く。

無用な気負いから解放され、作品の隅々にまで目を行き届かせた濃やかなアプローチが、ブラームスにふさわしい親密な音楽を作りあげることに成功しており、飾り気のないオケの響きも、昔のミュンヘン・フィルならではの自然体の良さが滲み出たものと言えるだろう。

指揮者の解釈との相性も抜群だ。

「第4」は、クナッパーツブッシュを思い出させる唯一の演奏だろう。

もちろん、あんなに破天荒ではないが、第1楽章の弦のうねりなど、ここまでできる人はなかなかいない。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ブラームスケンペ 

2012年02月13日


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1958年9月12-17日 ウィーン、ムジークフェラインザールに於けるステレオ録音。

カラヤンはベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》を4回録音したが、これはその最初の録音。

既に2年前、ザルツブルク音楽祭、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任、1958年には50歳を迎えていよいよ世界制覇に乗り出していたカラヤンの最初の《ミサ・ソレムニス》。

この録音はルツェルン音楽祭を訪ねていたフィルハーモニア管弦楽団がカラヤンの待つウィーンに場所を変えて録音したもの。

この録音の6年前に行われ大成功をおさめたバッハのロ短調ミサ曲とほぼ同じメンバー(メッゾ・ソプラノ=マルガ・ヘフゲン→クリスタ・ルートヴィヒ、バス=ハインツ・レーフス→ニコラ・ザッカリア)により、ウィーンで録音された。

カラヤン50歳の指揮は、颯爽たるもので、溌剌とした魅力にあふれた演奏。

新しい世代ならではの感覚をみなぎらせて晴れやかで、しかもドラマティック。

この時期のフィルハーモニア管弦楽団を指揮した演奏がベストだという声も少なくなく、後年の磨き抜かれた演奏とはまた違った魅力にあふれている。

シュヴァルツコップ、ゲッダらソリストの素晴らしさも特筆され、カラヤンの若さがもっとも美しい形で結晶している。

当時を回想するシュヴァルツコップへのインタヴュー(1997年、約9分)、さらにリハーサル・シーンも40分近く収録しているのも魅力で、輝かしい時代をしのばせる。

同じセッション時に録音された、モーツァルトの《プラハ》交響曲がカップリングされている。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンカラヤン 

2012年02月12日


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カラヤンが世を去る6年前の録音。

カラヤンのドイツ・レクイエムは映像も含めると6種類もある。

そのうちウィーン・フィルによる演奏のほうがベルリン・フィルを上回っているというのは興味深い。

本盤は演奏録音としては最後のもので、ここでは晩年のカラヤンの特長が顕著だ。

ウィーン・フィルの柔らかな音色と響きを効果的に引き立てるかのようにゆったりとした風情が漂う。

明らかにベルリン・フィルの構築的、ドラマティックなロマンティシズムとは異質の世界を描こうとしている。

カラヤンのクールな眼がすみずみまで行き渡った演奏で、自分の中のブラームスに問いかけているような《沈潜》が生まれている。

初期の録音では静的世界と動的世界の対比の上にブラームスの緊張度を拮抗させていたが、ここではドラマティックな対比は表面に出ず、あくまでカラヤンの内的ドラマとして処理される。

第6楽章が強い印象を残し、カラヤンならではの統率力で、演奏者たちをまとめ、実に激しい説得力のある演奏を示している。

とはいえ第4楽章の「あなたの住まいはなんと気持ちのいいことでしょう」のやさしさが、全曲の基調となっており、カラヤン晩年の内なる声を聴きとることができる。

あたかもカラヤン自身がこの音楽に"癒し"を求めているかのように…。

ヘンドリックス、ヴァン・ダムら、彼の目に適った独唱陣はともかく、合唱が少々モッタリしている。

しかしそれゆえにこそ、柔和な妙味が醸し出されるのである。

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2012年02月11日


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戦前から戦争直後の1950年頃まで(即ち、SPレコード全盛の時代)、大家・中堅・新進を問わず、およそレコード評論家と名のつく人のほとんどが、ユーディ・メニューインの未来像をフリッツ・クライスラーに次ぐ20世紀のヴァイオリン界の帝王として描いた。

ヴァイオリニストとしてのみならず、音楽家としても20世紀屈指の存在であったジョルジュ・エネスコすらも、「メニューインの師=育ての親」としてのみ知られていた時代が長く続いたのである。

ハイフェッツに優るとも劣らない演奏技術と、バッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(全6曲)》の録音を20歳そこそこの青年時代に完成してしまったというレコード界空前の偉業を目の前にすれば、未来の帝王の姿をこのアメリカ生まれ、凛々しくも童顔の少年に想い描かない方がどうかしていたと言っていいだろう。

「メニューイン神話」はそういう次元の、しかも超弩級の実例であった。

生まれながらの資質だけでパガニーニ、サラサーテの難曲を煙の如く弾き去ってしまう天才少年の後ろ姿に、世間の評判とは裏腹の「ヴァイオリニストとしての将来性はない。もう手遅れだ」と痛烈な烙印を押したのは巨匠イザイである。

師として彼にヨーロッパ音楽の伝統を伝授したエネスコもブッシュも、メニューイン坊やの天与の資質に目をくらまされて、彼がヴァイオリンという楽器を生涯の友とするために不可欠な職人的基礎訓練(例えば音階とアルペジオ奏法の完璧な習得)を欠いているということに気付かなかった。

同じユダヤ系でも、ハイフェッツやミルシテインなどのロシア学派(レオポルド・アウアー門下)は、生涯にわたり「世紀のヴァイオリニスト」として栄光を保ち続けた。

メニューインの名は、壮年期以後、大戦直後のフルトヴェングラー擁護論や、社会活動、教育活動によって世人の敬愛を蒐めることになる。

余りにも才能に恵まれ過ぎたが故に基礎訓練を怠り、負債(ツケ)を壮年期以降払い続けなければならなくなったこの偉大な人物の心中は如何ばかりであったか…、だが、そのことを彼自身は終生口にしなかった。

彼が恐るべき天才少年であった頃の録音を聴けば、いまどきの才能とは質を異にしていたぐらいのことは誰にも判る。

だからその時代の復刻盤を讃歌(オマージュ)として掲げる。

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classicalmusic at 19:28コメント(0)トラックバック(0)クラシック音楽用語解説メニューイン 

2012年02月10日


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「第5」は1954年のスタジオ録音のスタイルを基本として、それに実演の味をつけ加えたもので、フルトヴェングラーの「第5」CDの中でも異彩を放っている注目盤。

その大きな原因はローマのオーケストラがフルトヴェングラーに慣れていないため、刻明な棒を振ったところにある。

第1楽章の動機など、1小節をきちんと2つに振っており、そのためにいちばん遅いテンポになっているし、主部も遅めだが、それが深い思索の足どりを示すのがユニークなのだ。

1952年1月のライヴなのに、すでに最晩年の趣がある。

オケが慣れていないというのも良いものだ。たどたどしささえプラスに作用しているからである。

第2テーマでのテンポの落とし方一つをとっても意味深く、いたるところで新機軸が見られる。

第2楽章も一つ一つの音符を丁寧に弾かせるので、テンポは遅くなり、リズムにはしゃべるような丹念さが生まれ、時には手探りの進行が内容的に感じられる。

スケルツォも同じだ。

切れの悪いテーマは語りかけるようで、少しも嫌味ではなく、木管の受け渡しは瞑想を湛え、再現部あたりのリタルダントは他のどのCDに比べても最も大きい。

間をあけずに入るフィナーレはほぼ普通のテンポで進み、緩急の動きはごくごく控え目だ。

コーダさえ落ち着いた理性的な表現で、およそフルトヴェングラーらしくないが、説得力は充分なものがある。

ピアノ協奏曲第4番におけるスカルピーニの表現はかなりハンゼンに似ており、ともにフルトヴェングラーの解釈下にあることを示している。

フルトヴェングラーの指揮も晩年のものだけあって、テンポの動きにせよ、ダイナミックスにせよ、ずっと落ち着いている。

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2012年02月09日


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リヒター唯一の《クリスマス・オラトリオ》の録音。

筆者にとって、《クリスマス・オラトリオ》という作品に親しむきっかけを与えてくれた懐かしい録音。

リヒターの演奏は、力強い喜びにあふれたもので、その精神的燃焼度の高さには圧倒される。

今、聴きなおしてみると、その重厚さに驚かされる。

レチタティーヴォもオペラ的で芝居がかっているように感じる。

人間の感覚というものは当てにならないものだ。

初めてピリオド楽器による演奏に接したときにはなんと軽薄な、と思ったのに、今日ではピリオド以外は自ら進んで聴こうとはしないのだから。

リヒターの曲の解釈・表現は、コラール・フェルマータの扱い方にしても、非常に柔軟性にとんだ自由な扱い方をして、詩の内容を浮き出させているし、フレーズのつくり方がふくらみを増し、表現に人間的な息づきが至るところにあふれてくる。

1960年代としては最高の独唱陣を得たことも素晴らしく、どの個所にも不満を感じさせないし、むしろ感嘆の連続である。

特に早世した名テノール、ヴンダーリヒの名唱が聴けるのはたいへん嬉しいことだ。

粒ぞろいの歌手による名盤中の名盤であることは間違いなく、こうしたバッハを愛する人にとっては限りなく大きな価値を持つ演奏であろう。

でも、今日の演奏スタイルからは乖離した面があるのは否めないと思う。

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classicalmusic at 23:08コメント(0)トラックバック(0)バッハリヒター 

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《ミサ曲ロ短調》の不滅の名盤。

バッハの4大宗教音楽のひとつに数えられ、その最高作品と見なす向きも少なくない。

優れた宗教曲は、基盤である宗教を離れて"芸術"作品として自立することがある。

その場合、芸術としての一面を強調した演奏が生まれてくるのは避け難い。

しかしキリスト教文化圏で規範とされるのは、宗教性と芸術性を両立させた演奏である。

当盤は、長らくその頂点に立ち続けてきた名盤。

まず、フレーズの隅々にまで浸透している切迫した祈りの感情が、聴き手の身に染みる。

その純粋さを聴き手にさらに印象づけるのがリヒターの凝集した表現力。

その結果、熱く激しく燃え上がる感情を、厳格できりりとした表情に包みこんだバッハが生まれた。

宗教性と芸術性が両々相まって、バッハの深さと広大さを実感させてくれる。

バッハはプロテスタント教会に仕える作曲家だったが、ここではカトリックの典礼をとり入れて両者の融合を目指し、特定の宗教を超えた特異な形態を生んでいる。

リヒターにとってこれは理想の信仰の形態だったはず。

信仰を失った現世の混迷のなかで、ひたむきに救済を求め、神の光に達しようと望むなら、神と一心同体化しなければならない。

そのためには人間は霊的な存在でなければならぬというのがリヒターの信念。

現世の欲を捨ててこそ、すべてのものが同胞となり得る。

人間はかくあるべきという不退転の決意、その強靭な精神力に心を打たれない者はいないだろう。

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classicalmusic at 21:43コメント(0)トラックバック(0)バッハリヒター 

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リヒターによる当受難曲の唯一の録音。

現代においてもリヒターのバッハ演奏は高い評価を維持し続けている。

わけても《マタイ受難曲》(1958年)と《ヨハネ受難曲》は双璧。

同じキリストの受難を描くにしてもその感触と角度は異なる。

バッハのふたつの受難曲では、俗に《マタイ》のことをオペラティックといい、この《ヨハネ》のことをドラマティックと評している。

これは、《ヨハネ》に用いられているテキストが《マタイ》以上に聖書の言葉に忠実で、音楽よりもむしろ、物語としての流れが第一に考えられているからである。

ここでのリヒターは、いかにも彼らしい厳しい態度でまとめあげた演奏を行っている。

《マタイ》の演奏の時よりも、さらに人間的な味わいを強く出していて、それがこの演奏の完成度を高めている。

本盤ではリヒター特有の峻厳な解釈と鋭敏な表現の切り口と共に、内容が促すドラマティックな要素も添加させることに成功。

その要とも言うべきヘフリガー(福音史家)の張りのある伸びやかな歌いまわしは絶品。

人間味に溢れた劇性を重んじたかのような雰囲気が漂っているのが特長といえる。

リヒターによるバッハ演奏のディスクの中でも特に傑出したもののひとつだ。

リヒター固有の演奏哲学と美意識が結集されたこの演奏は、今後ともバイブル的な存在として語り継がれていくに疑いない。

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来日時のライヴを含め、我々はほぼ10年の間隔で録音された3種類のリヒター指揮による《マタイ受難曲》演奏を持っている。

だが多くの人にとって、他の2つの録音はこの最初の録音からの変化か展開でしかない。

そればかりか他の指揮者による演奏も、「リヒターとくらべ云々」というように比較の基準としてきた。

それほどまでにこの演奏は、ある年代以上のファンにとって「マタイ体験」の原点にある。

1958年、ナチの悪夢が覚めやらないのにハンガリー動乱、東西冷戦と、明日の命がどうなるかわからない状況のなかに演奏家たちはいた。

リヒターが学んだドレスデンやライプツィヒは戦禍から回復する状況ではなかった。

牧師を父にもつ彼が、時代に対して語る言葉は説教ではなく演奏である。

この演奏については、しばしば「名盤中の名盤」とか「峻厳な演奏」とされて、また「時代も変わってきているから息苦しく感じられるかもしれない」とも言われる。

それはそうであろうが、演奏スタイルという枠や趣味の線上でこの演奏は語りきれるものではない。

鋭い劇的な造形はもちろんリヒターの解釈であるが、それとともに演奏全体の異様な昂揚は、たとえば曲中で「イエスを十字架に」と唱和する民衆に、ひと昔まえに狂信的独裁者を賛美した人々を重ねあわせられる状況があってこそもたらされたのではないか。

その熱さが、人の罪とか愛の根元的な思いが、聴く者の心を貫通する。

その意味でまさに希有な、再びは登場し得ない種類の演奏である。

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2012年02月08日


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トスカニーニが残したオペラの全曲録音のなかでも最高の出来映えなのがこの《ファルスタッフ》と3年前の《オテロ》。

どちらも放送のためのライヴで、潤いのないこもり気味な音質が惜しまれるが、リズミックな躍動感、テンポが《オテロ》での悲劇的な運びに対して、こちらはちゃんと喜劇の運びになっていることなど、長所は挙げだしたらきりがないほどである。

これほど、聴くたびに舌をまくほどの新鮮な発見と感動をもたらす演奏は、容易にあるものではないだろう。

後続の指揮者たちの表現法に与えた影響もいろいろ指摘されている名演奏だ。

配役も録音の欠陥から歌手たちの声自体の魅力を十分に伝えていないのはもどかしいが、ヴァルデンゴのタイトルロールにしても達者な技巧を駆使してつぼをよく心得たヴェテランの芸を見せているし、女声陣は概して男声以上に魅力的である。

1962年に52歳で没したイタリアのメゾ・ソプラノ、クローエ・エルモのクイックリー夫人など押し出しも立派、実もあれば花もある歌で聴き手を魅了する。

それに対して、当時まだ22歳のテレッサ・シュティッヒ=ランダルのナンネッタは、この役に打ってつけな清澄で繊細な歌唱を聴かせている。

そこへゆくと、トスカニーニのお気に入りのソプラノ、ヘルヴァ・ネッリのフォード夫人は、やや個性味が薄いけれども、軽やかな声に女らしさを匂わせながら手堅く歌っている。

フェントンやフォードの出来には若干不満もあったが、トスカニーニの指揮と全体の仕上がりのすばらしさの前には些細な傷の程度である。

トスカニーニのオペラ演奏の価値を、頭では納得しても耳が承知しなかったような人には、とくに一聴をお薦めしたい。

あまりにも豊穣なドラマと歌に、耳を洗われる思いがする。

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classicalmusic at 22:01コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディトスカニーニ 

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《オテロ》全曲盤中最も古い録音で、トスカニーニのヴェルディ・オペラの不滅の名盤。

この演奏についてレヴァインは「オペラ録音史上最高のもの」と言ったそうだが、これは確かに歴史的名演の名に値する数少ない録音のひとつである。

これは、まさしくトスカニーニの数ある演奏の中でも最も傑出した出来ばえを示すものであり、同時にこの偉大な指揮者の本質がこれほど見事に表われた例も少ない、と思われる演奏である。

このオペラの初演に19歳でチェロ奏者として参加したトスカニーニが80歳の時に録音した演奏で、晩年のオペラ録音の中でも比較的歌手にも恵まれており、特にヴィナイのオテロとヴァルデンゴのイアーゴが傑出している。

ヴィナイの圧倒的なオテロと取っ組んだトスカニーニの気迫の激しさも相当なものである。

トスカニーニ一流の強引なテンポの運び方もフレーズの波のようなうねらせ方も、息もつかせぬたたみ方のすさまじさも、ヴィナイは平然と受けて立つ。

ヴィナイは暗めの力強い声でオテロの英雄的な性格と悲劇を最も見事に表現しているが、それ以上に凄いのはいうまでもなくトスカニーニの指揮である。

厳しいデュナーミクと強靭なカンタービレによって全曲を強く一貫し、統一している。

冒頭から最後まで貫いている堅固な造形、劇的な緊迫感と迫力あふれる演奏は、音質を超越して深い感動に誘う。

また「愛の二重唱」における甘美な陶酔感の格調の高い表現もすばらしい。

そしてトスカニーニは、じっくり構えてヴェルディの後期の音楽の意味を教えてくれるのである。

ヴェルディ最後のイタリア・グランド・オペラがいかに完璧な作品であるかがわかる名演である。

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classicalmusic at 19:35コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディトスカニーニ 

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ヴェルディとワーグナーは対極的な作曲家だと見なされている。それは正しいだろう。

ヴェルディは可視光線のなかを一直線に歩んだ作曲家だった。

一方ワーグナーは、いわば紫外線と赤外線にひびきの源を求めた。

それは意識と無意識、現実と超越の差だといってよいかもしれない。

ところでレクイエムは生者と死者との対話の音楽だ。リアリスト、ヴェルディにとっては苦手の領域のはず。

それにもかかわらず彼は友人の死に衝撃を受けて、レクイエムを作曲することを思い立った。

彼は現実を支配する巨人の力業で死者に声をとどろかせ、その霊を慰めようとする。

だが生と死のあいだには厚い壁がはだかっており、彼はそれを超えることができない。

それでも渾身の力をこめ、生者のあらゆる力を結集して死者の国の壁を叩くなら、その真剣さは死者に通ずるだろう。

いわばその過剰な生命力が、逆説的に死の匂いを焙りだしており、その構図がこの《レクイエム》の核心をなしている。

この曲をこう理解すれば、それはほとんどトスカニーニの演奏を語ったも同じことになる。

彼はヴェルディの化身かと思われるほど、やはり可視光線のなかを一直線に歩んだ指揮者だった。

この《レクイエム》の演奏は、作曲家と一心同体となった、いわば入神の技を示している。

過剰な生が死の影を映し出すこの曲の意味をトスカニーニほど突き詰め、死とはなにかを考えさせる指揮者はいない。

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2012年02月07日


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バッハは《フーガの技法》の演奏形態を指定しなかったので、演奏をとやかく言う前に、どういう楽器で演奏するかという問題が生じてくる。

親しみやすくわかりやすいという点では合奏によるもので、細かいところまで丹念に整えられたミュンヒンガーの演奏がスタンダードといってよさそうである。

《フーガの技法》を室内オーケストラで演奏する場合、演奏者によってかなり楽器編成が異なるが、ミュンヒンガーは、弦楽器を主体にした地味な編成にしている。

こうした点、いかにも誠実な彼らしい扱いである。

演奏は、実にすばらしく、彼は、それぞれの曲を入念に練り上げながら、全体をきわめて精巧に仕上げている。

その彫琢された音の響きは大変美しく、きめの細かな奥行きの深い表現には、強く心を打たれる。

未完に終わっている最後の4声の4重フーガのあと、オルガン・コラール《われら悩みの極みにありて》を全曲の結びとしているのも、大きな特色の一つである。

《音楽の捧げもの》は、ミュンヒンガー&シュトゥットガルト室内管弦楽団のコンビによる数多くの定評あるバッハの演奏の中でも、最もすぐれたものの一つだ。

ミュンヒンガーは彼自身の編曲した譜を用い、この曲の構成の美しさを強く正面に打ち出しながら、一分の隙もなく全体をまとめている。

その厳格な表現はいかにもこの人らしく、彼の真価が最高度に発揮されている。

特に荘重な雰囲気にあふれている「6声のリチェルカーレ」が出色だ。

いずれも長年にわたるミュンヒンガーのバッハ音楽研究の成果が、見事に表れており、バッハの音楽の真髄を極めた名演奏である。

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2012年02月06日


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1956-57年にロンドン、アビー・ロード・スタジオで録音された、メニューインのバッハ「無伴奏」の決定盤。

今日の進んだ技術的なマスターという点からすると、メニューインのこの演奏はいくぶん野暮ったく聴こえるかもしれない。

展開の仕方も全体の構築も、ところどころ穴が開いたようで心許なさが拭えない。

しかし全体は火を吹くような情熱のほとばしりと、ヒューマンな高い志にみなぎり、聴き手の心を熱くする。

メニューインは演奏会場でエンタテインメントのために演奏しているのではない。

いわば窓から今にも身を投げようとしている人間を説得しようとする、そんな懸命さを印象づける。

今日ではそんな接し方は煩わしく、余計なお節介だという向きが増えてきているかもしれない。

しかし、そこにヒューマンな共感の最後の絆があることもたしかだ。

技のキレなどでは、1930年代の旧録音にはかなわないが、清澄な音色と真摯な表現には打たれる。

1950年代後半のモノラル録音だが質は高く、ソロ楽器だけだからステレオでないハンディを感じない。

廃盤にせず、カタログにずっと残してもらいたい録音だ。

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2012年02月05日


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ショスタコーヴィチの交響曲第5番とチャイコフスキーの交響曲第5番は、1982年11月18日、プロコフィエフのバレエ「ロメオとジュリエット」は、1972年1月30日、いずれもモスクワ音楽院大ホールにて収録されたものである。

ムラヴィンスキーが得意な曲をカップリングしたこのディスクは、傑出した出来である。

ロシア人の体臭を強く感じさせる素晴らしい演奏で、明暗の度合いをくっきりとつけながら、丹念に彫琢していくこの巨匠の棒さばきは、あたかも名匠の振るうノミのように正確で、しかも生き生きとしている。

ことに、スラヴ民族特有の粘りと激しさ、力強さを適度に兼ね備えた表現は、他の追随を許さない。

ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの「第5」の初演者であり、何百回となく演奏会でとりあげ、何度も録音しているが、これは最近発見されたライヴ録音である。

演奏は、いかにもムラヴィンスキーらしい、きびきびした鋭い表現で、この曲のもつ劇的な面を見事に表出しており、実に白熱した名演だ。

全体にみなぎる迫力と緊張感は、ムラヴィンスキーならではのものであり、彼の自信と余裕が感じられる演奏だ。

チャイコフスキーは、正確に、率直に、この曲のもつ暗い情緒を表出した名演で、音色のつくりかたや旋律のうたわせかたなどに、同国人としての血の流れを感じさせる。

ともすると薄手な感傷的表現になりがちな作品だが、ムラヴィンスキーの指揮は造型的にもしっかりとしており、譜面に書かれたそのままを忠実に再現している。

重く暗い雰囲気を劇的に表現した第1楽章と、一糸乱れぬ合奏力で力強く演奏した第4楽章などは、ことにあざやかだ。

いかにもロシアを思わせるほの暗い響きが魅力的なレニングラード・フィルの、艶のある弦楽器と底力のある金管楽器はとくに見事だ。

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classicalmusic at 21:50コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキー 

2012年02月04日


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古今の指揮者の中で、誰が最もモーツァルティアンかときかれた時、筆者はためらわずに最初にカラヤンに指を屈するであろう。

特に1960年代以降の円熟したカラヤンに。

一つには彼の天性が、モーツァルトの"歌"を歌うことができることである。

指揮者のタイプの中には、リズムに秀でた人、バランス感覚にすぐれた人、統率力のある人、個性的な音楽を作る人など、いろいろ特徴があるわけであるが(もちろんそれらを集成したのが大指揮者なのだが)、モーツァルトを演奏する場合は、特にこの作曲家の、こんこんと湧いて尽きぬ歌の泉とその千変万化の流れとを、直感的に本能的に捉えられる指揮者でないと、モーツァルトの美しさのエッセンシャルな部分を表現できないことになってしまう。

モーツァルトの音楽を精妙に造型することのできる指揮者がいても、それだけではもうひとつ足りないのである。

ほとんどドミソでできたようなテーマでも、モーツァルトの場合は、不思議なことには"歌"なのだから。

その意味では今は亡きカラヤンの右に出る指揮者は現在もいないであろう。

さらには(当然のことだが)カラヤンはモーツァルトを良く研究し、正確に把握していた。

カラヤンのモーツァルトは、独自の自己主張を表した表情がときに牛刀をもって鶏を割く感も与えるが、いっぽうで磨き上げた音彩と柔らかいニュアンスが特色といえる。

音の艶やかな感触としなやかな運動性、ディテールをほどよくぼかした表情が耳に快く響き、カラヤン美学を徹底的に表していることは疑う余地がない。

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classicalmusic at 19:23コメント(0)トラックバック(0)カラヤンモーツァルト 

2012年02月03日


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ミュンシュによるミヨー、プーランク、ストラヴィンスキーの録音を集大成したアルバムで、いずれもミュンシュ唯一の録音。

ジャズのエレメントを取り入れたバレエ「世界の創造」、プロヴァンス地方の民族色豊かな「プロヴァンス組曲」、いずれもミヨーならではのウィットに富んだ楽しい作品であり、ミュンシュはそうした特質を大らかに歌い上げている。

ミュンシュの「世界の創造」という曲の内容を知り尽くした明快な棒さばきもさることながら、ボストン響の楽員たちの卓越した技量にも驚く。

特に管楽器と打楽器のうまさは圧倒的である。

「プロヴァンス組曲」では、ミュンシュは精緻で若々しい表現をしている。

生気にあふれた第4曲や、情趣の濃い第7曲など、傑出した出来ばえである。

プーランクの「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲」では、ザムコヒアン(オルガン)の多彩なソロが聴きもの。

またプーランクの協奏曲でティンパニ・ソロを受け持つエヴァレット・ファースは小澤時代までボストン響の首席ティンパニストをつとめた名手で、現在ではサイトウ・キネン・オーケストラに参加するため毎夏来日して日本のファンにも馴染みが深い。

なおジャケットの絵はフランスの画家フェルナ・レジェによる。

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2012年02月02日


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筆者は、朝比奈のチャイコフスキーが好きだ。と同時に、チャイコフスキーを振る朝比奈が好きで堪らない。それも「悲愴」がいい。何度聴いても泣かせてくれるからだ。

その感銘は、神品と謳われたブルックナー演奏にも匹敵するものがあった。

朝比奈は、晩年こそ「スコアに忠実」という禁欲的な態度をとったが、もともとは芝居気たっぷりの芸風を持つ華のある舞台人であった。

その元来の資質を誰に遠慮なく発揮できた音楽が、チャイコフスキーだったのである。

とはいえ、それがストコフスキーばりに豪華絢爛なものではなく、内面的な情感をたっぷり開陳するあたりが大きな魅力であった。

この新日本フィル盤は、晩年の演奏ゆえに、だいぶ表現が整理されてしまっているのが残念だが、それでも、朝比奈の破天荒な表現力を偲ぶには十分だ。

第1楽章提示部は恐るべき遅さで始まる。

これだけのスローテンポを支える精神力は並大抵ではないが、オーケストラの音の薄さが露呈してしまうのも致し方あるまい。

しかし、第2主題から展開部にかけて、まるでこの世のものとは思えない凄絶極まりない音が現出する。

燃える恒星を背負う巨人のような悲劇性がここにはある。

第3楽章も、スローテンポによる驚愕の演奏。

第4楽章はまさに男泣きの音楽だ。

こういう音楽になると、朝比奈の人間の大きさ、人生の豊かさが物を言う。

今思えば、演奏会場でともに泣けた聴衆は幸せ者だったと言えるだろう。

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2012年02月01日


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クイケン3兄弟のフラウト・トラヴェルソの名手、バルトルドによる再録音。

オリジナル楽器による古楽復興運動のパイオニアとして早くから活動を開始し、現在も第一線で活躍を続けるクイケン3兄弟によるモーツァルトの名盤。

もう録音されてから30年近くも経つアルバムだが、ピリオド楽器を使ったこの作品の演奏としては、未だに最右翼においても良い名演である。

オリジナル楽器による演奏だが、フルートのみがコピーで、木製で直径の太いフラウト・トラヴェルソを使っている。

オリジナル楽器の奏法を完全に手中にした名人の手にかかると、音楽は、まるで我々のまわりを漂っている空気のごとく、これほども自然で人の気持ちに和むインティメイトな存在になるということを証明しているような演奏。

肌のぬくもりを感じさせるバルトルドのフラウト・トラヴェルソを中心に、お互いに手の内を知り抜いた名手揃いのクイケン3兄弟が、まるでハウスムジークをしているような気安さで楽しい音楽的語らいをしているうちに、彼等の高度の音楽性と高い技術によって、いつしか比類のないアンサンブルに結晶したという風の演奏。

この作品に込められたモーツァルトの遊び心と室内楽的対話の妙が、このアルバムほど何の作為も感じさせずに成し遂げられている例は珍しい。

この演奏を耳にしているとモーツァルトが一歩も二歩もこちらに近付いてきてくれているような印象を受ける。

見事な腕を持ちながら、これ見よがしでない自然さを感じさせるバルトルドのフラウト・トラヴェルソが素晴らしい。

このフラウト・トラヴェルソがやはり時代物の弦楽器と組んで生み出す四重奏の雰囲気は、現代楽器では絶対に得られない独特のもの。

穏やかで柔らかくて、ぬくもりがある響きが創り出す和やかなアンサンブルは、古楽器ファンならずとも心惹かれるものがある。

実に感興あふれる演奏で、時の経つのを忘れさせる。

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