2012年03月

2012年03月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1954年4月27日、ベルリン、ティタニア・パラストにおける定期公演の実況盤。

《ブラ3》は音の状態が非常に良く、演奏も死の年のものだけに完璧をきわめ、フルトヴェングラーのディスク中でも屈指の名盤といえよう。

晩年の枯れた名演の典型で、各楽章のバランスが良いことから、フルトヴェングラーのブラームスでは欠かすことのできない録音。

鮮烈な名演で、冒頭から緊迫した生命力が湧き出してくる。

とにかく大胆なアゴーギクによって情熱的で共感の限りを表明しており、彫りの深い表情には創造的な芸術性の力がみなぎっている。

終楽章のアレグロの導入部に続くすさまじいトロンボーンのクレッシェンドと続く割れるばかりのトゥッティは、死の年に至るまで気力が衰えが無かったことを確認させる。

この《ブラ3》は旧盤もすばらしかった。

わけても第1楽章の情熱はむしろ古いほうを採りたいくらいであるが、第2楽章以下は録音の良さも含めて、完成されきった新盤に軍配を挙げるのが妥当であろう。

ただし、解釈の根本はまったく同じである。

《ドン・ファン》は、同じ1954年の演奏でもウィーン盤が非常に艶やかなのに対し、このベルリン盤は響きの厳しさ、進行の重々しさ、きっちりとしたリズムが際立つ。

全体としては表情や音色が地味だが、最晩年の枯れた芸風を伝える《ドン・ファン》として貴重な録音といえよう。

《トリスタンとイゾルデ》第1幕への「前奏曲」と「愛の死」では、ベルリン・フィルの強靭な弦の威力が前面に押し出されており、この不健康な高まりや破滅感があくまでも立派な音楽として表出されてゆく。

やはりここでも最晩年のスタイルが表れている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:08コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

2012年03月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1952年12月8日 ベルリン、ティタニア・パラストでのライヴ録音。

フルトヴェングラーのエロイカのベスト盤はどれか、というのはすこぶる難しい問題であり、かつて筆者が学生時代だった頃の早大フルトヴェングラー研究会でも様々な意見をぶつけ合い、議論していた。

「やはりウラニアのエロイカがいちばんだろう」と誰かがいえば、「1950年6月20日のベルリン・フィルとのエロイカこそ最高だ! さすがに手兵だけのことはある。ターラのお陰で良い音質のCDが簡単に手に入るようになった」というそばから、「1952年12月7日のベルリン・フィルも覇気と深みがあってすばらしい」という声が聞こえ、「いやいや、翌日の12月8日の冒頭のすばらしさを聴いてみてくれ! 少し歪みっぽいのは疑似ステレオ効果に免じて目をつぶろう。前日よりさらにすごい!」などと力説する者もいた。

かと思えば「1952年のEMIのウィーン・フィルとの正規録音が、正しいフルトヴェングラーの姿なのだ」とか「正規録音の数日後のウィーン・ライヴは、さらに熱がこもっていて好きだな」という者もいたし、「1953年のルツェルン祝祭管弦楽団とのライヴは、少し音はつぶれるけどすごいよ! 何でもっとみんな騒がないのだろう?」と不思議がる者もいた(1947年のEMIのSPスタジオ録音盤や、1950年ザルツブルクのウィーン・フィル、1952年のローマ・イタリア放送響盤が最高と思っている人も、なかにはいるかもしれないが)。

われらがフルトヴェングラー研究会の最終的な見解は、当ブログの無料レポート「クラシック音楽ファンなら泣いて喜ぶ秘密の名盤集」に詳解している。

未読の方はぜひともご一読頂きたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:27コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の録音としては、本演奏(1953年のいわゆるローマ盤)と1950年に録音されたミラノ・スカラ座歌劇場管弦楽団ほかとの演奏(いわゆるミラノ盤)の2点が掲げられる。

このうち、ミラノ盤については、演奏としては極めてドラマティックで壮絶な名演であり、フラグスタートがブリュンヒルデ役をつとめるなど歌手陣は豪華ではあるが、録音状態が劣悪で、よほどの忍耐力がないと最後まで聴きとおすのがつらい音質であると言わざるを得ない。

これに対して、本ローマ盤は、音質がミラノ盤よりも比較的良好であるとともに、歌手陣も錚々たる顔ぶれが揃っていること、そしてオーケストラが、フルトヴェングラーの下で何度も演奏を行っていたイタリア放送交響楽団(RAIローマ交響楽団)であることなど、ミラノ盤と比較するとよりよい条件が揃っていると言えるところであり、遺された2つの録音を総体として評価すれば、本ローマ盤をフルトヴェングラーによる楽劇「ニーベルングの指環」の代表盤とするのにいささかも躊躇するものではない。

本ローマ盤は、これまで様々なレーベルによってリマスタリングやLPからの板おこしなどが繰り返し行われてきたが、ミラノ盤よりは良好な音質とは言え、必ずしも満足できる音質とは言い難いものであった。

しかしながら、今般、ついにEMIがSACD化に踏み切ったのは歴史的な快挙とも言えるものであり、これまでの高音質化の取り組みの究極の到達点とも言えるだろう。

それにしても、素晴らしい音質に蘇ったと言える。

もちろん最新録音のようにはいっていないが、各歌手陣の歌唱も比較的鮮明に聴き取ることができるようになったと言えるし、それ以上に、これまでは団子のような音塊に成り下がっていたオーケストラ演奏が見違えるようなクリアな音質に生まれ変わったことにより、フルトヴェングラーの至芸を大いに満喫することが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

それにしても、フルトヴェングラーによる楽劇「ニーベルングの指環」の全曲演奏を、このような良好な音質で聴ける日が訪れるとはいまだかつて夢想だにもしなかったところであり、筆者としても長年の渇きを癒すものとして深い感慨を覚えたところだ。

演奏内容は、言わずと知れた不朽の超名演だ。

とある影響力のある某音楽評論家が、フルトヴェングラーによるワーグナー演奏をスケールが小さいなどと酷評しているようであるが、氏は一体何を聴いてそのような判断を下しているのであろうか。

本演奏の悠揚迫らぬ確かな歩みと同時に、テンポの振幅を効果的に駆使した圧倒的なドラマ性、そして各登場人物の深層心理に鋭く切り込んでいくような彫りの深い深遠な音楽は、ワーグナーの壮麗かつドラマティックな音楽を完璧に音化し尽くしており、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを誇っていると言えるところだ。

これで、もう少し音質が優れていたとすれば、間違いなく、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の全曲演奏史上最高の名演の玉座を勝ち取ったことも十分に考えられると言っても過言ではあるまい。

歌手陣も、さすがは巨匠フルトヴェングラーがキャスティングしただけあって豪華の極みであり、ジークフリート役のルートヴィヒ・ズートハウス、ブリュンヒルデ役のマルタ・メードル、ローゲ役やジークムント役のヴォルフガング・ヴィントガッセン、そしてミーメ役のユリウス・パツァークなど、フルトヴェングラーの渾身の指揮とともに、これ以上は求め得ないような最高の歌唱を披露しているのが素晴らしい。

イタリア放送交響楽団も、フルトヴェングラーの確かな統率の下、ドイツ風の重厚な名演奏を繰り広げているのを高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:33コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

2012年03月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



モーツァルトのオペラの中で、音楽の密度がいちばん濃いのは《ドン・ジョヴァンニ》であろう。

水準以上なら、どのような舞台に接しても筆者は感動してしまう。

また、どのような演奏スタイルも受け入れてしまう。

エクサン・プロヴァンス音楽祭のハーディングの指揮など、通常の倍も速いかというスピードですっきりと流した演奏だったが、実に美しかった。

しかし、ドラマティックで凄味のある《ドン・ジョヴァンニ》ということになると、未だもってワルターが随一だ。

1942年のライヴなので音が古く、しかもレチタティーヴォのチェンバロをピアノで代用するという時代物だが、演奏だけを考えれば現在もこれに匹敵し得る盤は1組もない。

それは一にも二にもワルターの指揮が圧倒的だからで、歌手一人ひとりに言いたいことがあっても、指揮者中心に聴くべき演奏ゆえ、歌のことは気にならない。

それはすべての歌手が水準以上に達し、歌手のアンサンブルも見事の一語に尽き、ワルターの強力な統率下においてまとまりが最上だからである。

全盛期の彼の迫力と緊迫感は手に汗を握るほどであり、対照的に柔らかく優しい息づかいにもあふれているのだから鬼に金棒。

これほどドラマやその内容の濃さを感じさせる演奏はないが、音楽的な緊張や流れの良さも抜群なのだ。

筆者など聴き始めたら録音の古ささえ忘れてしまい、聴いている2時間半の間、体中が熱くなり通しだ。

音質の古さを補って余りある気迫のこもった名演奏の復刻である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:12コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトワルター 

2012年03月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1937年のザルツブルク音楽祭は、ナチスによって併合される前の最後の音楽祭として、トスカニーニ(とワルター)が落日の輝きをはなった音楽祭だった。

何本か残されたその年のライヴ録音のひとつがこのトスカニーニの《ファルスタッフ》。

恐らく、イタリアの巨匠がもっとも愛したオペラであり、厳しさと背中合わせの軽妙な諧謔精神が息づいた名演だ。

後年のNBC響盤も非常に高く評価されているが、残念なのは、そこには劇場の香りがまったくしなかったこと。

その点当盤は、録音は貧しいながら音楽の生命力は桁外れで、演奏は空前の域にまで達している。

トスカニーニの最高のパートナーはウィーン・フィルだった、と叫びたくなる。

一方、カラヤンのは1957年のザルツブルク音楽祭で大きな話題になった公演。

カラヤンはトスカニーニが指揮した《ファルスタッフ》に痛く感激し、ことのほか思い入れのあるオペラだったそうだ。

そしてザルツブルク音楽祭で取り上げたのがこの上演だった。

前年にEMIへ録音したキャストとは、ゴッビ、シュヴァルツコップ、パネライ、モッフォ、アルヴァなどが共通しており、アンサンブルは見事に出来上がっている。

後年に取り上げた時に比べ、若々しく張りのある音楽が《ファルスタッフ》の生命力を生かしているように思われる。

これまた、帝王カラヤンの全盛期の実力を見せつける名演。

どちらも一度は聴いていただきたい演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:40コメント(0)トラックバック(0)トスカニーニカラヤン 

2012年03月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シノーポリは不思議とニューヨーク・フィルと相性のいい指揮者であったが、《ツァラトゥストラはかく語りき》の演奏も極めて優れたものといえる。

演奏は、細部のモティーフや動きをとても明快かつ丹念に琢磨しつくして、この曲から多彩で鮮明な表現をひき出している。

シノーポリはやたらに分析的にならず、おおらかにオーケストラを鳴らして、R.シュトラウスらしい重厚なサウンドを存分に聴かせている。

これを聴く限りニューヨーク・フィルはやはり偉大なオーケストラである。

作為的なところも目につくが、シャープな表現で過度に大仰にならないのがいい。

なによりも熱演が魅力で、シノーポリの曲への思い入れが伝わってくる。

彼はヨーロッパのオーケストラよりも、ニューヨーク・フィルを指揮した方が、より見事な演奏(たとえばワーグナーの管弦楽曲)を聴かせるケースが多かったが、これなどはその典型といえるような気がする。

《ドン・ファン》はドレスデンのルカ教会におけるレコーディング。

ルカ教会での録音というと昔のLPなどでは妙にもやもやした頼りない音で収録されているケースが少なくなかったが、これはまったく違って、響きはどこまでもクリアだ。

むろんそれがシノーポリにとって必須の条件であったことは容易に想像できる。

それにしても、R.シュトラウスのスコアの隅々までをここまで明晰に読み取るあたりは、さすがシノーポリの面目躍如たるところ。

シュターツカペレ・ドレスデンの超凡な各能力が「素材」として使われている、という感がなくはないけれども、これだけ美しい仕上がりを突きつけられれば屈服するほかはない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:46コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスシノーポリ 

2012年03月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



《ザ・グレイト》はむせるような濃厚なロマンをたたえた秀演。

ワルターの演奏は、次から次へとあらわれる美麗な旋律を、ソフトなタッチで、きめこまやかに、上品にうたわせているところが魅力で、この曲をこれほど見事に彫琢した演奏というのも珍しい。

一句一音に至るまで感情が込められ、テンポが楽想の変転に応じて自在に動くが、そこに不自然な感じがないのは、もはや絶妙の芸としかいいようがない。

そのニュアンスはデリケートであたたかく、しかも雄渾な音楽が目覚ましく展開される。

ワルターの類稀な才能をいやというほど見せつけてくれる名演である。

彼はシューベルトが書いた音符の意味をすべて知りつくしているが、その大切な音を純音楽的な美しさと香りを伴って生かし抜くところが凄いのだ。

第1楽章もスケルツォも、曲想に応してテンポを細かく変化させるが、ほんのわずかな不自然さも感じさせることはなく、常に極上のアンサンブルを保ち続ける。

第2楽章にはワルター晩年の諦観さえ聴こえてくる。

後半の2つの楽想は強靭な力と抒情が一体になった表現で、フィナーレの雄大な風格は比較するものがない。

フィナーレのスケールの大きい意志的な迫力も見事だが、響きには高雅な温かみと透明感を失うことがない。

インマゼールとは正反対の、昔ながらのシューベルトを最高に深化させた演奏といえよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)シューベルトワルター 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



あらゆる時代を越え、常に《未完成》の人気ディスクの上位に残り続けるのがワルターのこのディスクではないだろうか。

旋律を心ゆくまでうたわせたウィーン的な香りをもった名演奏で、最高級の心優しさと充実感を我々の胸に刻みつけてくれる演奏である。

この作品の歌謡性をよく表した演奏だが、さすがに堂々とした風格がある。

真の意味での不滅の名盤というべきであろう。

ここでのワルターの棒も徹頭徹尾ロマンティシズムに満ち、ふくよかな情趣としなやかな歌心にあふれている。

そのリリシズムの深さは諸所でほとんど耽美的といってよいほどの魅惑的世界を醸成しており、いいしれぬ感動を聴き手にもたらす。

彼の晩年の安定した心境と法外なまでの優しさを伝えきっているようでもある。

両楽章ともに絶品、ことに第2楽章の纏綿たる表情はワルターならではのものである。 

ニューヨーク・フィルの演奏だけに、ワルター独特の重厚な響きと情緒豊かな表情がいっそう濃厚に表わされている。

こうしたロマンティックな《未完成》を聴かせてくれる指揮者は、いまや少なくなってしまった。

ベートーヴェンの《田園》と並び、この指揮者が遺した宝物のような録音といってよい。

コロンビア響との第5番も名演。

全体にやや遅めのテンポをとり、古典的な形式の中に描かれたシューベルトのロマン的な抒情をあたたかく表出している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:51コメント(0)トラックバック(0)シューベルトワルター 

2012年03月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



旧モーツァルト全集の番号付きの曲から真作でないものを除き、代わりに7曲を追加して全45曲とした全集である。

マッケラスはオーストリアの指揮者だが、プラハ音楽院に留学してターリッヒに師事するなど、チェコとの縁も深く、1986年から90年にかけては昔から気心の知れた仲であるプラハ室内管弦楽団を指揮して、彼らと、斬新な解釈によるモダンな『モーツァルトの交響曲全集』を録音した。

全体に清潔・明快で、豊かに歌うモーツァルトだ。

古きを訪ねているようでいて、マッケラスの自己主張がどの曲でも強く、実は現代感覚に満ちている。

形式的な均衡の美しさや対位法の線の明快さも特筆ものだ。

プラハ室内管の中欧的な弦の美しさも高く評価できる。

なかでも第25番と第40番の短調の交響曲が傑作だ。

第25番では、優雅なモーツァルト像を打ち砕いて、音楽の核心に迫ろうとした切り口の鋭いもので、小編成のオーケストラを用いながらも、きびきびと引き締まった音楽をつくりあげている。

ことに、速い楽章と緩徐楽章とのコントラストを鮮やかにつけているところなど、胸のすくような明快な表現である。

第25番も名演だが、第40番でも全編をつらぬく悲劇的な色調を鋭くえぐりだした印象的な演奏だ。

その強烈で緊迫した雰囲気は、マッケラス独特のものといえよう。

第1楽章のあの有名な旋律が聴こえてきた瞬間から、聴き手は悲哀を帯びたモーツァルトの世界の虜となってしまう。

また、第3楽章のメヌエットは、あたかも涙を浮かべながら踊っている貴婦人の姿を思わせるし、第4楽章の暗い情念の爆発も素晴らしい。

出世作となったヤナーチェクの演奏も立派なものだったが、マッケラスがモーツァルトの音楽の研究者としてもいかに卓越していたかを、この録音はよく示していて興味がつきない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:35コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2012年03月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1944年3月にベルリン国立歌劇場で行われた定期公演のライヴ録音である。

フルトヴェングラーの7種の《田園》の中では、このベルリン盤が最も主観的で、フルトヴェングラー臭が強い。

フルトヴェングラーの《田園》で最も魅力があるのは第1,2楽章である。

どっしりと重々しく進める第1楽章、対照的に抒情を生かしてこまやかに歌ってゆく第2楽章。

ともに楽器のバランスと処理が鮮やかで、この2楽章のゆったりとした表現の美は彼をおいては見られない。

第3〜5楽章はテンポも速くなって、直截に描写を生かしている。

フルトヴェングラーの指揮になる《魔弾の射手》序曲の録音は5種類あるが、この大戦末期のベルリンでのライヴが傑出している。

死の直前のウィーン・フィルとのスタジオ録音よりさらに彫りが深く、フルトヴェングラーの情感が生々しく迫ってくる。

とりわけ曲の前半はテンポがきわめて遅いが、深閑としたボヘミアの森の暗さをこの上なく雰囲気豊かに描き切っている。

序奏はテンポが遅くておどろおどろしく、スケールも大きく、ホルンのロマンティックな音色が美しい。

チェロの表情はつけすぎるくらいだ。

主部もスロー・テンポを維持し、経過句やコーダのアッチェレランドは抑え気味だが、響きの翳が濃く、細部まで克明に弾ききっているので感銘が深い。

1926年盤、54年盤と並んで後世に遺したいCDといえよう。

《ダフニスとクロエ》組曲第2番は、全奏の音が、よくいえば溶け合っているが、実は分離が悪く、濁り気味なので、ラヴェルの音彩を楽しむというわけには到底ゆかず、採るとすれば「無言劇」における木管ソロのうまさであろうか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:38コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

2012年03月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーの最後の《第5》である。

定期公演の曲目は奇しくも戦後初のコンサートと同じ《田園》との組み合わせであった。

表現は一挙に1947年に戻ってしまったようだが、いうなれば、あの驚くべきドラマを最晩年の枯れたスタイルの中に同化させようと試み、見事な成功を収めたのである。

47年盤に比べると、第1楽章の第2主題でテンポを落とさず、第2楽章のコーダではあんなに幻想的にせず、スケルツォのトリオでも夢中になっていない。

フィナーレに入るとテンポの大きなしかも頻繁な流動感は変わりがないが、造型の乱れというか、もうどうなっても構わないというほどの狂気には達していない。

それだけにコーダの決まりは断然このほうが良く、特にティンパニを4分音符の連続で叩かせるところは、猛スピードだけに上すべりを防ぐ役目を果たしている。

フルトヴェングラーは死ぬまで闘っていたのだ。

録音も非常に良い。

高音がややメタリックでざらつくとはいえ、生々しさは最高、分離も良く、倍音のホルンが見事にとらえられているし、指揮者とオーケストラの激しい気迫も如実に伝わってくる。

47年5月27日盤、54年のスタジオ録音と並ぶベスト3として長く世に残したいCDといえよう。

この3枚に次ぐものとしては、筆者は52年のローマ盤を挙げたい。

《第1》はスタジオ録音直後のライヴだけに基本的な解釈は同じだが、第1楽章序奏部のものものしい間合いによる語りかけや、小結尾主題直前のリタルダントなどは前盤には見られなかったものだ。

アンサンブルの集中力もライヴならではだが、フルトヴェングラーとしては抑制が効いており、音質のクオリティの高さによって楽器の色彩感や純音楽的な香りが生きている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:34コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2012年03月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1953年8月26日、ルツェルン、クンストハウスでのライヴ録音で、フルトヴェングラーが録音した最後の《エロイカ》である。

第1楽章はものすごい気迫で開始される。最初の和音だけとれば、これが今までのベストといえよう。

そしてつづく主題の足どりはゆったりとして実に良い雰囲気であり、堂々としてスケール雄大、ひびきが満ちあふれる。

ルツェルン祝祭管弦楽団が指揮者に慣れていない感じで、それがフレッシュな感動を生み出す原因の一つになっているのだろう。

指揮者の棒は1952年のスタジオ録音以上に力みがないが、音の背後の凄絶さはまさに最高、常に立派な充実感に満たされている。

テンポの動きは再現部の前と直後に1度ずつあるだけで、後は安定しきっており、最晩年の確立した大演奏といえよう。

第2楽章も心はこもっているが流れを失わず、旋律はソロといい合奏といい、肉のり厚く歌われ、中間部から再現部のフガート、その後の阿鼻叫喚に至るまで、ほかのどの盤に比べても仕掛けはないが、それでいて物足りなくないのは偉とすべきであろう。

スケルツォからフィナーレにかけても同じスタイルだが、後者に入ると音質がだんだん濁ってくるのが残念だ。

しかし、少しも速くならないフーガといい、ポコ・アンダンテといい、コーダといい、音の後ろにすごいものがかくされており、充分満足させてくれるのがすばらしい。

フルトヴェングラーの10点の《エロイカ》を聴き終わって、1952年のスタジオ録音の次に選ぶべきものとしては、この53年盤を第一に、つづいては44年盤と50年盤を推薦したいと思う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2012年03月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブロドスキーSQによるショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全集は1989年に一気に録音完成されている。

イギリスの若手による当四重奏団の演奏の素晴らしさは、個人的な感情移入による過剰な抒情表現を捨て切っている点にある。

ショスタコーヴィチの作品を一定の距離をおいて客観的に見据え、それぞれの持味を純音楽的にありのまま引き出そうと努めているように思われる。

もちろんこの作曲家特有の強弱や緩急といったメリハリ、そこから生まれる緊張感は確実に表現されており、時として思い切った感情の爆発も見られるのだが、そうした場合でも彼らの音楽は決してエキセントリックに傾くことがない。

そして集中度が高く、練り上げられたアンサンブルと、コントロールの行き届いた均質な4声部から生まれるしっとりとした響きもこの団体の大きな魅力といえよう。

ショスタコーヴィチが書き記したテクスチャーを精確に再現することに努め、作品がもつ多彩な語法や音楽構成要素に光を当てることで、何よりもショスタコーヴィチらしい響きを獲得している。

ことに急速楽章のリズミカルな動きは何というみずみずしさと躍動感だろう。

快適な運びのなかに適度の思い入れを込め、ゆとりすら感じさせる演奏は、作品への心からの共感なしにできうるものではない。

この全集を聴いていると、彼らの世代にとってショスタコーヴィチももはや古典だ、という印象を強くする。

フィッツウィリアムSQの解散で生じた空白を埋めるような、英国の音楽家による質の高いショスタコーヴィチである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:49コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチ 

2012年03月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ベルリン・フィルの定期の実況録音で、当時のものとしてはひびきが豊かだ。

《第4》はフルトヴェングラー一流の、魔術のようなアゴーギクで曲が自在に流動しており、各部の性格が巧みに強調されている。

その点、有名な1948年盤に酷似しているが、オケの状態はこのほうが良いくらいである。

特にポルタメントを多用した弦の甘美さが際立っている。

ブラームスの新古典主義的な様式より、ロマン的な内面を濃厚に描いた演奏である。

それだけにブラームス晩年の枯淡の味わいは弱められたといえるだろう。

むしろこのディスクでは《ハイドンの主題による変奏曲》のほうが聴きもので、まことに雰囲気豊かな演奏に音は良くないが惹かれてしまう。

冒頭のハイドンのテーマからして、暗く、生々しい人間味がいっぱいに立ちこめる。

実際、フルトヴェングラーは"ドラマの人"なのだ。彼の演奏はすべて"音で語ったドラマ"といえるだろう。

全曲中の白眉は「第4変奏」である。遅い粘ったテンポで、心に強く訴える"挽歌"を奏でてゆく。こんな演奏はほかのCDからは絶対に聴けはしない。

同じく遅いテンポと強調されたピアニッシモで、深沈たる寂しさを出した「第8変奏」、第1ヴァイオリンの甘美な音色と大きなカンタービレが見事な最初の3つの変奏もフルトヴェングラーならではのものであろう。

ロマン的な情感がすみずみにまで漲っているが、それはすなわちフルトヴェングラーの体臭でもあるのだ。

そして「終曲」はそれらすべての集大成で、造型も揺るぎなく、終わりのモルト・リタルダンドの指定から、イン・テンポに戻るところでテンポを上げ、ティンパニを最強打しつつ決めるやり方が実に巧い。

フルトヴェングラー独特の、熱っぽくロマンティックな解釈で、聴き手の心をぐいぐいと引き込んでいくような名演奏である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:15コメント(0)トラックバック(0)ブラームスフルトヴェングラー 

2012年03月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



第2次大戦時のこの演奏について、誰もが尋常ならざるものだと言うであろう。

生涯、常にその演奏の内に芸術のための闘争とも呼ぶべきものを響かせていたフルトヴェングラーにあって、とくにこの時代、闘いの目的は、もっともはっきりした形を整えていたのではなかろうか。

ドイツの音楽を生み出したドイツ精神と、聴衆たるドイツ人の擁護という目的である。

その目的のために力の限りを尽くし続けた果ての、音楽による闘いだったのだ。

それだからこそ、フルトヴェングラーの闘争を支持する者は皆、フルトヴェングラーに救済を求める者は皆、ベルリン・フィルとの演奏会に列を成したのである。

「コンサートに殺到する溢れんばかりの大聴衆をさばくために、同じプログラムを2度、ついには3度にもわたって繰り返さねばならなかった」(ペーター・ヴァッカナーゲル)のである。

こうした時代の瞬間が、音で実際に記録され続けたのである。

我々は残された録音を通じて、歴史を生きるのだ。

《第4》は素晴らしく彫りの深いロマンティックな表現で、フルトヴェングラーの面目躍如としたユニークな表現である。

《運命》はきわめてフルトヴェングラー色が濃く、まことにデモーニッシュの極みと言えよう。

指揮ぶりはまことに自在で、ベルリン・フィルの充実しきった、立派な響きを生かしつつ、楽員を手足のように操り、流麗にして劇的、思うがままの演奏を示す。

復刻の状態も非常によく、フルトヴェングラー全盛時代の輝きが認められる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:45コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



かつてフィリップスから発売され、現在は廃盤となっていたSACDの再発売である。

ユニバーサルは、数年前にSACDから撤退したが、最近、再びSACDの発売を開始した。

それは、レコード業界にとっても大変に素晴らしいことだと思うが、このフィッシャー盤が再発売される可能性は、フィリップスレーベル自体が消滅した今となっては、なかなか望むべくもないのかもしれない。

その意味では、チャンネル・クラシックからの再発売は、演奏の水準の高さからしても、快挙と言ってもいいだろう。

いずれも名演だが、特に、高く評価したいのは「第8」の方だ。

冒頭の何という情感の豊かな豊穣さだろう。

フィッシャー&ブラペスト祝祭管弦楽団は、これ以上は求め得ないような流れるような美演を行っている。

第2楽章の変化の著しい場面毎の描き方も実に巧みであり、第3楽章の抒情の豊かさも感動的。

終楽章の速めのテンポによるリズミカルな進行も実に音楽性豊かであり、様々な「第8」の名演中、上位にランキングされる名演と高く評価したい。

「第9」も、音楽性豊かな名演と言えるが、こちらの方は、ライバルの多さもあって、「第8」ほどの高みには達していないように思われる。

とはいえフィッシャー&ブラペスト祝祭管弦楽団のベスト・ディスクの一つであり、「第9」はクリティカル・エディションの使用云々を超えて説得力がある。

かつて聴いたフィリップスのSACDマルチチャンネルは極上の高音質であったが、本盤も優るとも劣らぬ高音質を維持していると言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 11:59コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザーク 

2012年03月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ライヴを合わせて10種類の録音が残されたフルトヴェングラーの《英雄》の最高峰と評される1952年11月のスタジオ録音と同時期に行われたライヴ録音。

フルトヴェングラーの名盤を一つ、と言われたら《英雄》につきる。

有機的演奏という表現がこの録音にはもっともふさわしく、冒頭の2つの和音から物語が始まり、気宇壮大な展開を重ねながらロマンティックで、しかもドラマティックな音の世界が形作られていく。

聴き手はそのスタートからコーダに至るドラマを目撃するかのように演奏と対峙、あたかももう一つの人生を生き抜くかのように全曲に浸ることになる。

巨匠が亡くなる2年前のライヴ録音だが、ウィーン・フィルの統率力にも抜かりがなく、美しさもスケール感も、また表現の純度と熟成度も理想的である。

演奏という行為が精神的営みにほかならない事実を実証した名演といってもよいであろう。

《英雄》は英雄が必要とされていた時期のものに限る……というわけではないが、フルトヴェングラーこそ、この交響曲第3番の演奏に、巨大な発展と雄大な広がり、そして衰えを知らぬエネルギーがふさわしかった時代の申し子だった。

テンポは動かし、デュナーミクも大胆に変える。

間違いなく演奏するなんて、つまらぬことに気をとられる必要など、この大指揮者にはなかった。

どうしても、こう表現しなければならなかった。

こういう演奏を必要としない現代にいながら、こういう演奏を聴くことができるのは、何とも不思議な喜びではないだろうか。

これぞ、という組合せだけに、いくつもの録音があって、どれもそれぞれすばらしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:46コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2012年03月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトのハ長調交響曲にも、ロ短調の《未完成》交響曲と相通ずる問題がないわけではないが、根本的に異なる点は、それが完成されているということであり、しかも、ベートーヴェンの《第9》交響曲よりも後に位置しているということである。

彼自身が満足し得たかどうかはわからないが、しかし、その規模の大きさにも彼の溢れんばかりの意欲が感じられる。

それは、シューマンのいう「天国的な長さ」に終わるものではないし、その意識のもとに展開されたこの作品の演奏では、聴く者を充足させることはきわめて難しい。

フルトヴェングラーは、決して天国に安住しているわけではないが、そのドラマティックともいえる熾烈な表現の機微が、一瞬たりとも揺るがせにせず、スケールの大きいコスミックな世界へ人々の心を運んでいく。

ライヴであるだけに、音響的条件は1951年のスタジオ録音に譲るが、激情の人生を共有し体験するという点では稀に見るものがある。

シューベルトとしてはきわめて劇的でメリハリが強く、アゴーギクも大きい。

そこには北ドイツ風ともいえる厳しさがみなぎっているが、それが音楽の孤高の本質をあらわにしている。

構成的にも一分の隙もない名演である。

このライヴのシューベルトを、これはシューベルトではない、といってみてもはじまらない。

確かに、ワルターやベームのほうがシュ−ベルトらしいが、この演奏から受ける感動は圧倒的に大きく深い。

《ロザムンデ》はウィーン・フィルの音が魅力的で、細部まで音楽的に練り抜かれており、劇性と繊細感を合わせ持っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:44コメント(0)トラックバック(0)シューベルトフルトヴェングラー 

2012年03月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーの「第9」というとまずバイロイト盤を思い起こすが、筆者はベルリン・フィルとの演奏が好きだ。

今までも何度かLPやCDになったが、音質が悪く、演奏に霞がかかったような印象であったため、正直言うと実は最近まであまり好きではなかった。

ところがメロディア盤は、ソ連軍が戦利品として持ち帰ったテープから直接音を起こしているため、考えられないくらい良好な音質である。

演奏はフルトヴェングラー56歳の時のものだけに、若々しく、アゴーギクの様相にはこの指揮者ならではのものがある。

テンポに一貫した緊迫感があり、素晴らしく生命力の横溢した表現で、創意豊かな気迫に満ちた「第9」だ。

第1楽章からティンパニの地響きのような強打と鋭いリズムが全体を支配し、それに重厚な弦楽器群が応えるあたりはすさまじいまでの迫力がある。

第2楽章に入っても、スタイルは一向に変化がなく緊張を維持し続ける。

第3楽章では一転、ゆったりとしたテンポで、あたかも止まっているかのような時の流れに身をまかせる。

そして第4楽章の始まりとともに夢は終焉を迎え、クライマックスで曲が閉じられる。

終楽章の声楽部も見事なもので、この作品の祝祭的な性格を明らかにしている。

これほど指揮者も演奏者も感情が高揚していながら、音楽的に逸脱したところがないというのは驚異的なことである。

大戦下という異常な状況のなかで、明日はもう演奏できないかもしれない、聴けないかもしれないという一種の極限状態を作り出し、一期一会の名演を生み出したのだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:13コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2012年03月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



先般、シューベルトの自筆譜の読み方に異論が出てきて、クレッシェンド記号をアクセント記号に読み替えるべきとなった。

それにしたがってスピード感と推進力に富む演奏が増えてきて、シューベルト像が大きく変わりつつある。

しかし、新しい読みに異論もあり、最終的な決着はまだついていない。

フルトヴェングラーの演奏は、もちろん旧来の読みにしたがうものだが、その価値はけっして古びていない。

交響曲第9番は、のちにブルックナーに受け継がれる気宇壮大なスケールをもち、輝かしい金管とどっしりした低弦とは、天と地の対比としてとらえられる。

フルトヴェングラーの演奏は、大地をしっかりと踏みしめながら、はるかなる天国を仰ぎ見つつ歩んでゆく。

天と地の懸隔は途方もなく大きいが、人間の心は志の高さによって、いつしか天の高みに達しうる。

ここには現実感覚を失うことなく、最高の理念に手を届かせようとする覇気がみなぎっている。

フロベールは、「いつもいつも空を眺めていたら、ついには人も翼をもつようになるかもしれない」と言った。

ここにそれと同じ思いが胸いっぱいに広がっている。

ただそれだけではない。

フルトヴェングラーの演奏の卓越したところは、天と地のあいだを広い遊び場として、天の恩寵を受けつつ、親しい仲間と心おきなく遊戯する悦びにあふれていることだ。

それがシューベルトの夢見たユートピアだった。

これはその核心にもっとも深くふれた演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:18コメント(0)トラックバック(0)シューベルトフルトヴェングラー 

2012年03月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



モーツァルトの《3つのドイツ舞曲》はすばらしい名演だ。

オーケストラに自由に演奏させながら、全体として小味で洒落たワルター・ムードが一貫している。

シュトラウスの《皇帝円舞曲》は、ワルターがウィーン・フィルとのコンビで遺した唯一のウィンナ・ワルツだけに貴重なレコードである。

彼は本場のオーケストラを振ってもリズムはふつうの3拍子でやらせており、テンポも速く、附点リズムの奏し方などまったくワルター調を通している。

ワーグナーの《ジークフリート牧歌》の録音はこれが4回目となり、造型面では完璧となっている。

溺れた感じがなく、かなりオーケストラの自発性を尊重しながら、客観的なスタイルを創造したのである。

旋律がほんとうの意味で歌われているのはこのレコードであり、それはワルター・プラス・恍惚たるウィーンの歌だ。

マーラーの《アダージェット》は速めのテンポでスムーズに流しながら、ごく自然にマーラーの粘っこい人間味が浮かび上がり、やがてせつない憧れへと高まってゆく。

指揮者もオーケストラも自分たちの音楽を演奏している強みがあり、音色の高貴さもウィーン以外では聴けないものだ。

筆者はこのハイドンの《軍隊》をもって、ワルターのSP時代のレコーディング中、マーラーの《第9》と並ぶ最高傑作としたい。

あらゆる面で心技一体となった《軍隊》であり、ワルターが常にこれほど充実した、自信たっぷりな名指揮を見せてくれたら、われわれはウィーン・フィルとのコンビによる最高の名盤をさらに多く持つことができたであろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:18コメント(0)トラックバック(0)ワルター 

2012年03月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワルターは第2次世界大戦前にウィーン・フィルといくつかの優れた演奏を録音したが、彼はモーツァルトの解釈で傑出していたから、1つ選ぶとすれば《ジュピター》交響曲を挙げる。

モーツァルトの交響曲の最高峰は《ジュピター》交響曲、20世紀最高のモーツァルト指揮者はワルター、モーツァルトの演奏に最も見事に対応するオーケストラはウィーン・フィルである。

この3つの要素が1度だけ結びついた録音は、色褪せない魅力を持っている。

この作品に内蔵する威厳と品位、そして独特の構成と豊かな感情を、ワルターは心からの共感と深い理解に基づいて表現する。

ワルターの解釈はあらゆる意味でオーソドックスであり、それが彼の人間性と結びついて豊かな雰囲気をもたらし、モーツァルトの精神はそこから天上に向かって昇華する。

第4楽章のロンド主題によるフーガの演奏は、それを実感させずにはおかない。

ウィーン・フィルの美しい音色、豊かな響きもモーツァルトの音楽に美しい輝きをもたらしている。

ワルター&BBC交響楽団の「ブラ4」はいかにも人間的な親しみを感じさせる表現である。

金管やティンパニを抑え、ルバートを使いながら主題を情緒豊かに歌った温かい第1楽章、しみじみと寂しいムードを醸し出し彼としては旋律を地味に取り扱った第2楽章、たいへん速いテンポで活気にあふれた第3楽章など、ワルターは音楽各部の意味を強調しつくしている。

小味なモーツァルト風リズムと旋律のロマン的な歌、ここに彼の指揮するブラームスの、そしてモーツァルトの基本的な秘密がある。

1930年代半ばの録音であるが、充分観賞に耐えうる音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:46コメント(0)トラックバック(0)ワルター 

2012年03月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワルターは1947年エディンバラ音楽祭で戦後初めてウィーン・フィルと再会したが、これはその翌年、ウィーンへの復活コンサートでの放送用ライヴ録音。

マーラー指揮者としてのワルターの存在の歴史的な重みについては改めて述べるまでもないが、この《復活》の録音は、彼がこよなく愛したウィーン・フィルとの関わりの上でも、特別の意味を持つものとなっている。

すなわち、これはワルターが戦後、ようやくウィーンにカムバックした年、1948年の楽友協会における記念すべきライヴ録音なのである。

演奏はたいへんすばらしく、まずは第4楽章の〈原光〉を深々とした表現で歌うロゼッテ・アンダイのアルト独唱に注目。

言うまでもなくこの曲の重心は巨大な終楽章だが、そこが演奏も一番凄く、巨大なフィナーレを貫くテンションの高さ、オーケストラと声楽の強力な一体感は比類がない。

声楽とオーケストラが一体となり、ワルターに率いられて全表現がマーラーの心中に深く沈下してゆく。

その模様はまったく壮観で、どこがどうという分析を超えて皆良い。

なかでもアルトのアンダイは飛びぬけて立派だ。

声の質も歌い方も、ともにその時代を表してマーラー的世界に密着し、ワルターの表現をいっそう幅のあるものにしている。

マーラーの極意のほどを改めてワルターから教示される思いである。

音源は放送用のテープで、音の状態が比較的良いのも幸いだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)マーラーワルター 

2012年03月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワルターの天性が何の無理もなく、自然に花咲いている点で、ウィーン・フィルとの《田園》は《未完成》などと共に彼の最高傑作の1つとなっている。

ベートーヴェンは《田園》を「描写ではなく、感情の表れ」と述べたそうだが、確かに自然に寄せる彼の感情を最も素直に反映した作品である。

このような性格を最も強く感じさせるのがワルター&ウィーン・フィルの録音で、彼の暖かい人間性がベートーヴェンの感情と結びついて、調和のとれた美しい演奏が聴かれる。

ワルターのベートーヴェン解釈は時として抒情的に傾くこともあるが、この曲ではそれが清々しいロマンティシズムを生み出している。

これは、彼が第2次世界大戦前にウィーンで行なった録音の1つだが、オーケストラの音色、響き、そして表現力には、戦後の2つの録音では味わえない豊かなニュアンスがある。

《レオノーレ》序曲第3番は、ワルターの有する種々の要素が絡み合って独特の魅力を形作った演奏である。

ワルターの地であるモーツァルト式のリズムやハーモニーが無意識のうちに顔を出して、ベートーヴェンとしては厚みに欠け、洗練され過ぎた響きになっていることも事実だが、これはワルター&ウィーン・フィルならではのユニークな《レオノーレ》といえるだろう。

《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》は、ワルターが録音したあらゆるモーツァルトの最高傑作の1つ。

これほどまでに美しいと、もはや批評する気も起こらない。ただただ陶酔するのみである。

優美、典雅、上品、ロマンティックな情感など、何万言を費やそうとも、この録音の美しさのいかほども言いつくせはしないだろう。

最高級の名品であり、これ1曲だけでワルターの名前は不滅である。  

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:55コメント(0)トラックバック(0)ワルター 

2012年03月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトが25歳の1822年に作曲された《未完成》は、彼の死後37年もたってから日の目を見たというエピソードと、2楽章までしか書かれていないことで有名だ。

ベームのシューベルト《未完成》は、SP録音やライヴ録音も含めると7種類あるが、うち6種類はウィーン・フィルで、ここでとりあげた1966年録音は唯一ベルリン・フィルとのものである。

ワルター盤とは対照的な表現で、シューベルトとしては、やや武骨な感じもするが、全体に整然たる美しさをもった演奏である。

弦楽器の重厚な響きと卓抜な合奏力で、構築的にしっかりと表現した第1楽章、音楽の内面を深々と掘り下げ、ロマン的な表情をひき出した第2楽章。

あくまでも楽譜を忠実に再現し、正攻法で作品に挑んでいるところが、いかにもベームらしい。

歌曲、ピアノ曲、室内楽作曲家としてのいわばリリシストとしてのシューベルトとは別の、シンフォニストとしてのシューベルト像の中には、尊敬するベートーヴェンに対する憧憬という要素もあったのではなかろうか。

その憧憬を持ちながらも、シューベルトはあくまでシューベルトであった、シューベルトであり続けた、ということを、このベームとベルリン・フィルとの歴史的名演は教えてくれる。

《ザ・グレイト》では、その逞しい造型性の中に揺れ動く「弱い人間シューベルト」の繊細な心理、そして憧れが、この演奏の中には横溢している。

シュターツカペレ・ドレスデンとの最晩年の録音やウィーン・フィルとの来日公演ライヴ以上に、この1枚はベームの素晴らしさを示している。

がっしりとした骨組みで、あくまでも楽譜を忠実に再現しており、スケールも大きい。

牧歌的な雰囲気を大切にしながらも抒情的に表現した第1楽章、あたたかさとデリケートな表情をもった第2楽章、弦楽合奏の威力が存分に発揮された第3楽章、力強さを豪快にあらわした第4楽章。

シューベルトの音楽としては、やや武骨なところもなくはないが、その重厚な表現には圧倒される。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:36コメント(0)トラックバック(0)シューベルトベーム 

2012年03月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ロシア出身の名ヴァイオリニスト、ミルシテイン2度目の『無伴奏』全曲録音。

この曲の演奏では、数多くのすぐれた録音の中でも、ミルシテインの新盤があらゆる面で傑出している。

20世紀に活躍したヴァイオリニストの中でも指折りのテクニシャンとして知られたミルシテインだが、ここでは端正な表現からにじみ出る清新な詩情、あくまで落ち着いた身振りの中にも感じられる厳しく気高い姿勢など、この作品が求める美と精神性をもっともバランス良く実現、名盤中の名盤として高い評価を受けている。

何よりも手アカのついた精神性とは無縁の、それでいてネオロマン風の外面的な美しさとも質の違う、活々とした生命感あふれる音楽の流れが心地よい。

内包した精神のエネルギーの大きさを感じさせる正確でアグレッシヴなリズム、オルガンを思わせるポリフォニックな響きの美しさ、完璧なアーティキュレーション、磨きぬかれたフレージング、そしてそれらのすべてを統一する強靭な形式感。

70歳になろうというヴィルトゥオーゾの到達した音楽世界の豊かさには驚くばかりだ。

技巧的にもまったく衰えを感じさせぬばかりか、音も表現も旧盤に比べて、いちだんと深みを増している。

洗練されたすばらしい技巧により、各舞曲の性格やバッハの対位法を明らかにするなど、長年、真摯に音楽に取り組み円熟期を迎えた名手ならではの至芸と言うにふさわしい格調高い名演である。

美しく張りつめた緊張感にとんだ表現と気品高く澄んだ表現、そして衰えぬ技巧と透明でデリケートなニュアンスをたたえた音色など、バッハの音楽の偉大さとミルシテインが到達した高い境地が見事にひとつになっている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:45コメント(0)トラックバック(0)バッハミルシテイン 

2012年03月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団の1951年公演の「ライヴ録音」は、EMIから正規盤が発売されてから50年以上が経過している。

より良い音を求めて、ブート業界まっ青の、マスタリング合戦、新マスター発見合戦、各種板起こし合戦も繰り広げられてきた。

しかしながら、以前から、EMI盤は本番の演奏ではなく、ゲネプロの演奏ではないかと言われ、本番の録音はバイエルン放送のアーカイヴに眠っているのではないかという説が根強く主張され続けてきた。

今回登場したディスクの演奏は、演奏のコンセプトは同じながら、EMI盤と大幅に異っており、演奏中に聞こえる客席ノイズ音から考えて、「EMI盤ゲネプロ説」は証明されたものと思われる。

ただし、Orfeo盤とEMI盤は同じと思われる箇所もあり、EMI盤は「ゲネプロ録音をメインに部分的に本番録音を使用し編集」ということでほぼ確定かと思われる。

肝心の演奏内容であるが、私的には、Orfeo盤は、EMI盤に比べさらに緊張度の高い演奏だと感じた。

本公演は、ドイツの敗戦により中断されていたバイロイト音楽祭の再開を飾る公演として、演奏者達にとっては特別の意味があったわけで、そのことをまざまざと実感させるような演奏になっている。

逆にEMI盤は良い意味でリラックスしたというか、本番の演奏にはない伸びやかさがある。

結局のところどちらも充分魅力的で、「本番盤が出た以上EMI盤はもう必要ない」とはならない。

この「公演」を2つのヴァージョンで聴けるとは何たる幸福かと思う。

音質的には、EMI盤がエコーの多いややぼやけた音(特に合唱)なのに対し、Orfeo盤ではエッジの効いた生々しい楽器音が聴ける。

それだけでもかなり興奮させられる。合唱もぼやけ感がない。

EMI盤、Orfeo盤をめぐっては、それだけで一冊本が書けるくらいのネタがあり、筆者の手には余りあるので、さらなる詳細についてはカスタマーレビュー等をご覧頂きたい。

このOrfeo盤を聴く前は正直言ってドキドキした。録音で音楽を聴くのにこんなに緊張するなんて何十年ぶりであろうか。

EMI盤を聴いてから経った年月の長い人ほど、当盤の登場に対する感慨は大きいと思われる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:52コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーベートーヴェン 

2012年03月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤン初のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲。

アンネ=ゾフィー・ムターは、1978年2月にカラヤンの指揮でベルリン・フィルの定期演奏会に出演し、モーツァルトの協奏曲を演奏したが、この録音はそれと同じ時期に行われた、ムターのレコードへのデビュー盤である。

この時、まだ14歳の少女であったが、ムターはなかなかよく弾いており、その年齢とは思えない見事な演奏といえる。

充分に響き切った音質ばかりではなく、音楽自体が実にのびのびとしていて内的な大きさを感じさせる。

変にこぢんまりとまとまったりはせずに、内面から流れ出る音楽を実に素直に全面に押し出している。

だからとてもナイーヴで、新鮮に感じられ、聴いていて快い。

ちょっと杓子定規の弾き方をした箇所があるにもかかわらず、音を作っていく作業は徹底している。

それに、この演奏の、背筋をピンと伸ばしての歌は本当に魅力的だ。

特に両曲の緩徐楽章では表現力が深く、美しい音色で表情豊かに弾きあげている。

ムターの豊かな天分が感じられる録音で、いまでもムターの最もよい演奏のひとつだと思っている。

カラヤンも実に深沈たるバックをつけて、ベルリン・フィルも絶妙な演奏を行っている。

なお、この時には1755年製のガリアーノを使用している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:36コメント(0)トラックバック(0)ムターカラヤン 

2012年03月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ムローヴァは1958年モスクワ生まれの女流で、モスクワ音楽院でコーガンに師事した。

現在、バッハを弾くモダン楽器のヴァイオリニストを探すのはなかなか難しい。

無伴奏ソナタとパルティータは、挨拶程度にはとても弾けない作品なだけによい演奏にはなかなかお目にかかれない。

狙いを現代のバッハ弾きに照準を絞ると、ムローヴァがいい。

古(いにしえ)の演奏様式を継承し保守的ではあるが、その伸びやかな音と生き生きとした音楽作りは申し分がない。

技巧も1750年製のG.B.グァダニーニに、ワルター・バエルビエロ製のバロック弓を組み合わせた響きも素晴らしい。

かねがねヴァイオリンは弓の扱いに尽きると思っていたが、このディスクを聴いた時にそれが間違っていないことを確信した。

弓のテクニックが完璧なムローヴァだからこそ、各舞曲の表情が非常に明確に描出され、それぞれ相応しいテンポ設計と陰影のある音色で色づけされたバッハが現代に蘇るのである。

バッハ作品の様式への理解度も極めて高く、作品の世界で燃焼しつくす技を見事に知っている。

それはよい意味でのショーマンシップであり、幅広い能力をもった演奏家である。

もちろんこの演奏が唯一絶対ではないが、やっと巨匠時代を払拭したバッハにめぐり会うことができた。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:55コメント(0)トラックバック(0)バッハ 

2012年03月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アルゲリッチの2曲のピアノ協奏曲の旧盤の方を新たにカップリングしたアルバム。

目の覚めるようなピアニズム、作品の核心を鋭く抉る洞察力、そして奔放なまでの才気。

輝かしく強靭なタッチと情熱的な演奏で、聴く者に圧倒的な説得力をもって迫る、デュトワがバックを務めたチャイコフスキー。

幻想味に溢れたロマン的情緒豊かな香りが横溢する、ロストロポーヴィチが指揮したシューマン。

いずれも後年の録音に比べて未だもって色褪せない名演だ。

性差にこだわるようなことはしたくないけれど、ごく一般的にいって、チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲第1番》のような曲は、それほど女性奏者は好んでチャレンジし難いですよね。

チャレンジするのも難しいけれど、そこから多大な成果をあげるのはもっと難しい。

だが、アルゲリッチというピアニストは別格。

彼女は(ディスク上で)しばしばこの協奏曲をとり上げ、彼女にしか出来ないような大きな結実を得ている。

それはデュトワと共演したアルゲリッチ最初の当録音でも例外ではない。

この協奏曲が要求する並々ならぬ力業、スケールの大きな発想、繊細な要素から華々しい要素までのレンジの広さなど、どの点をとりあげても彼女のピアノは充分な対応をしている。

アルゲリッチの個性と言う意味では後の同曲(チャイコフスキー)録音と比較してやや薄めだが、ファーストチョイスとしてはこの盤が最高だろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:13コメント(0)トラックバック(0)アルゲリッチチャイコフスキー 

2012年03月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

   

シューベルト・イヤー(1997年)に鋭意録音された素晴らしい全集。

同じコンビは以前にも初期ロマン派ならではの色香で一杯の第5番で魅了してくれたのだったが、新しいこの録音では演奏ピッチも変更し(ということは管楽器はすべて、以前とは別の楽器に持ち替えて)、新しい校訂の楽譜を用いて、よりシューベルトの核心に迫る演奏を実現した。

シューベルトの手書きスコアなどを、じっくり読み込んだ成果がここにある。

解説書にインマゼール自身が『素顔のシューベルト』と題して、この作曲家の交響曲を解釈する上でのあらゆる問題を考察した文章を執筆しているが、必要とされる詳細をすべて備えた上で、誰にも真似できない豊かなファンタジーと楽団全体の素晴らしく積極的な意欲が結んで、これは胸がドキドキする名演奏だ。

インマゼールは、まるで全身の細胞が踊っているのではないかと思わせる卓越したリズム感でもって、きわめて自由で、陰影に富んだシューベルトを作り上げている。

かといって、その自由は気まぐれではなく、アーティキュレーションは常に考え抜かれ、造型感覚にも秀でている。

ここまでやりたいことをやり尽くした演奏も稀であり、絶賛に値しよう。

インマゼールがひとたびタクトを握ると、千変万化の魔法のダンスで人々を虜にする。

しかし、それは奇跡でも何でもない。インマゼールはいつもシューベルトと対話しているのだ。

滑らかに音符の並んだ自筆稿を眺めながら、そのスラーの意味を、適切なテンポを教えられているのだ。

こうして、メンデルスゾーンやブラームスの色に染められた、シューベルトの交響曲が、本来の溌剌とした姿を取り戻した。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0)シューベルト 

2012年03月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、これら器楽奏者の全世界で頂点に立つ4人が一堂に会した、超豪華アンサンブルによる話題作。

2001年ヴェルヴィエ音楽祭(スイス)でのセンセーショナルな成功を受けて生まれたアルバム。

この時の演奏は「記録に残すべきだと感じた」とマイスキー自身が後にふり返るほどの出来映えであったという。

その後スタジオ録音された当盤からも、このことは容易に想像される。

ブラームスは、はっとするようなニュアンスでアルゲリッチが奏でるテーマから演奏に引き込まれる。

ダイナミックは蚊の羽音のようなピアニッシモから大山を動かすフォルティッシモまで幅広く、表現も実に多彩。

緩徐楽章など別世界に連れ去られるような感があるが、これも先行楽章の緊迫感があってのこと。

終楽章は踊り狂うようなリズムで熱狂的に締めくくられる。

現代が誇るトップ・アーティスト4人が純粋に音楽的会話を楽しみながらも、クライマックスで聴かせる極限までの技巧を駆使した表現の深さと激しさは「これこそ室内楽を聴く醍醐味!」と実感させる素晴らしいものである。

解説書もプロデューサーによる録音エピソードに始まり、碩学タリー・ポッターの楽曲解説、濱田滋郎氏のこなれた訳と貴重な「補記」、4人の人間関係を象徴するような集合写真(クレーメルとマイスキーの間をアルゲリッチが取り持つ)と充実。

いつまでもこの体裁で発売され続けることを願いたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:51コメント(0)トラックバック(0)アルゲリッチマイスキー 

2012年03月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



インマゼール盤とともに、是非とも揃えておきたいのが、ケルテス&ウィーン・フィルの交響曲全集である。

「クラリネットとオーボエのユニゾンで奏される第1楽章第1主題の音色が、ハンガリーの民族楽器タロガトーの音を模したものであることがもっとも明確に分かる」とは、ケルテス&ウィーン・フィルによる「未完成」への中野雄氏のコメント(『クラシックCDの名盤』)である。

なるほどと感心したものの、未だタロガトーの本物の音は聴いたことがない。

ここに自らの不勉強をお詫びする。

それはそれとして、この全集の素晴らしさは一目瞭然だ。

ケルテスの音楽づくりは、まるで古楽器奏法を先取りしたような鋭いアタック、クライバー顔負けの鞭のようにしなるフレージングをもって、楽曲の構造を浮き彫りにするのを特徴とする。

ウィーン・フィルと共演しながら、ウィーン情緒と訣別した斬新さに秀でており、特に、初期作品でのシューベルトの前衛性が明らかにされていて面白い。

「第1」や「第2」など、滅多に演奏される作品ではないが、若書きゆえの破天荒な魅力があり、当時としてはかなり前衛的な作品だったはずだ。

1963年の第8、9番にケルテスの魅力的な個性が示されている。

他ならぬ「未完成交響曲」に於いて、本家ウィーン・フィルを用いながらも、「ウィーン情緒」からはもっとも遠い斬新なシューベルト像を描いたのである。

「グレイト」も瑞々しい感受性をもってシューベルトの抒情的な旋律を格調高く歌わせ、構築も端正・緊密で、ケルテスの純音楽性の高さを思い知らされる演奏。

しかしその後の録音(1970〜71年)は、作品の室内楽的な容姿をよく生かしているものの、いささか情緒の膨らみに乏しく、ウィーン・フィルのアンサンブルも格別優れているとはいえない。

上記データで、録音年が7年も飛んでいるのは、1963年に「未完成」と「グレイト」を録音した時点では、全集化の考えがなかったからだと思われる。

それらの中では、「第5」が、この曲の従来からのイメージに合った温和で優美な音楽で、ウィーン・フィルもじつに魅力的だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:27コメント(0)トラックバック(0)シューベルトケルテス 

2012年03月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



音楽史上、屈指の大器晩成型作曲家であるセザール・フランクの最高傑作がヴァイオリン・ソナタである。

というより筆者個人にとっては、全てのこの形式の中での最高傑作である。

何しろ、筆者が死ぬ時には必ずこの曲を聴きたい、と今から思い詰めているくらいなのだ。

全4楽章を貫く、循環主題による統一の妙と対位法の極致のような見事な処理。

めくるめく転調。

第2、3楽章の闘争と苦悩を、圧倒的に超克する第4楽章のキリスト教的昇華……。

とまあ、ほとんど何を書いているのかわからないが、そういう作品である。

とくにあの終楽章のカノンには絶句するしかない。

この名作の名演というとティボー&コルトーをはじめいくつも思いつくが、筆者はカントロフをイチオシだ。

カントロフは現役のフランスのヴァイオリニストの中で断然の名手。

彼には2種の名盤があり、特にこのデンオン盤は美しい。

近年の彼はもっと奔放に弾くかもしれないが、ここでは音色の高貴さと表情の厳しさとが美しく同居している。

新鋭と思っていたこのフランスの2人の演奏家も既に60歳を越えている。

この録音は今から20年近く前のもので、彼らの若き新鮮な感覚でフレッシュな演奏を聴かせている。

しかしただ新鮮というだけではなく、ここには研ぎ澄まされた両者の感性が火花を散らし、また都会的な側面も多々ある。

このラヴェルのヴァイオリン・ソナタも様々な側面を持っているが、彼らの演奏はクールでやや神秘的な第1楽章、ブルースの要素を含む第2楽章、スリリングでスピード感溢れる終楽章、それぞれにシャープで輝きを絶やさない技巧的な表現は、単に技術に偏ったものではなく、真にこの曲の美しさと直結している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:46コメント(2)トラックバック(0)フランクラヴェル 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ