2012年04月

2012年04月30日


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ベートーヴェン《第5》は、戦前の古い録音(1937年)にもかかわらず、復刻の状態が非常に良く、フルトヴェングラーの指揮もきわめて若々しく雄渾である。

音楽的な格調の高さでは54年のスタジオ録音、劇的迫力では47年のライヴ録音に注目したいが、この録音には全盛時代の輝きが認められる。

それゆえ、ベルリン・フィルのひびきがすばらしく、アンサンブルも練れ、フルトヴェングラーの表現も熟しており、彼の数多い《第5》の中でも、最も整然たる演奏といえよう。

運命動機の提示は遅く、ものものしく、フルトヴェングラー以外の何ものでもないが、主部は大変速く、リズムの刻みも颯爽としている。

スケルツォ中間部の推進力もすばらしい。

反面、第2楽章では、内面的な表現と音色で、じっくりと感情移入を果たすなど、曲想の描き分けがはっきりしている。

フィナーレでは、遅いテンポで堂々と踏みしめる提示部と、速いテンポの再現部が極端に違うのも興味深い解釈だ。

これは後の録音にも共通するフルトヴェングラー独特の造型である。

1940年代以降のCDほど個性鮮明ではないが、フルトヴェングラーは51歳でもやはりフルトヴェングラーで、感動的な部分も多々ある。

しかし、マイクの位置も関係あるのだろうが、ティンパニと金管が弱く、弦主体の上品、典雅なバランスが目立ち、フルトヴェングラーの体臭の面では物足りなさを感じさせる。

《パルジファル》第1幕への前奏曲は、音楽がいっぱいの雰囲気を背負って湧き上がってくる名演だ。

楽器はよく溶け合い、フォルテの部分のえぐりも深い。

特筆すべきは、ペシミズムというか、センチメンタリズムというか、救いを信じないような悲しい祈願が、ある種のはかなさと弱さを生み、いかにもフルトヴェングラーらしいワーグナーになっている点であろう。

《パルジファル》聖金曜日の音楽は、これまた前曲以上の名演である。

出だしからして、いかにも即興的で、リズムが生き、泣くようなヴィブラートを掛ける弦といい、デリケートのきわみを示すフルートといい、極大のスケールといい、フルトヴェングラーの良さを堪能できる。

あの美しい"聖金曜日の主題"が、あるいははかなく、あるいはおずおずと粘り気味に、あるいは情緒に濡れて強く歌われるところ、ワーグナーの作品中でも最もフルトヴェングラーに適した音楽といえよう。

少しももたれない流れも最高で、心の乱れを音のざわめきに出してゆく終わりの部分もすばらしい。

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2012年04月29日


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1953年5月30日 ウィーン楽友協会大ホールに於けるライヴ録音。

1953年度ウィーン音楽祭開幕の「第9」録音である。

表現はバイロイト盤に最もよく似ているが、あれほどの燃焼度は示しておらず、やや物足りない。

とはいえ、やはりすばらしい部分は多々あって、特に第3楽章第2テーマの美しさや、つづく第1変奏の遅いテンポと、それを支えるピチカートの強さなど、ことによるとバイロイト盤をも凌ぐかもしれない。

全体としてウィーン・フィルの第2ヴァイオリンの実力が大きくものを言っているのである。

第1楽章もさすがに立派で、実にたっぷりとした音楽が満ちあふれてくる。

フルトヴェングラーのウィーンフィルとの「第9」の中では最良のものではないだろうか。

演奏の美しさでは1952年の「ニコライの第9」に若干劣るような気がするが、安定感があり、ウィーンフィルの歌心も充分に発揮されている。

演奏の柔軟さでは「ニコライの第9」と肩を並べ、1951年の「ムジーク・フェラインザールの第9」や「ザルツブルクの第9」が若干硬直した演奏に感じるのに対して、この演奏が優っていると思われる。

録音は若干木管楽器がオンマイクだが、弦楽器も充分に豊かに響くので、それほど気にならない。

ウィーン・フィルとの「第9」の中では最良の音質と思われる。

また、曲間など、まったく編集されていないので、まさにその場で聞いているような臨場感に浸れる。

総合的に見て、かなり優秀な出来のCDだと思う。

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2012年04月28日


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フルトヴェングラーが指揮したハイドンの交響曲で最も印象深いのは、第88番《V字》(オーケストラはベルリン・フィル)だと筆者は考えている。

ハイドンの円熟期の交響曲を支えている造形力と音楽的魅力を、これほど端的に再現した演奏は、ほかにはない。

これに次ぐ出来ばえを見せているのが、この第94番《驚愕》である。

ただ人によっては当盤の演奏はハイドン風というより、むしろベートーヴェン風なものに傾いているではないか、と疑問をいだく向きもあろう。

確かに、ここにはハイドン的素朴さより、ベートーヴェン的威容が前面に出てきている感じがする。

なにやら抵抗しがたい大きな力が、聴き手をぐいぐい押してくる。これがフルトヴェングラーのハイドンの真骨頂なのだ。

もともとフルトヴェングラーは、表情が豊かな上、テンポが伸縮性に富んでいるため、19世紀の演奏の伝統に根ざしている、と目されてきた。

けれども、彼がやる"誇張"には、作品が秘めている内的感情を、そうすることによって聴き手にはっきり伝える、という一大特色があった。

その結果、聴き手はフルトヴェングラーのやり方こそが他のものより自然なのだ、と思い込まされてしまう。

第94番《驚愕》は、まさしくそうした演奏にほかならず、フルトヴェングラーならではのハイドンである。

記憶に長く残る演奏とは、こういうものを指すのであろう。

1950年のベートーヴェン「第4」は、超入手難のSP盤から完全な形で復刻したもので、解釈としては、1943年盤と52年盤の中間に位し、特徴としては両者をミックスした良さがある。

ベルリン盤に比べると、さすがにウィーンの柔らかい、魅力的な音色感が光り、ティンパニも弱い。

第1楽章展開部の、スコアにないティンパニ追加をやめたのは賛成だが、これは52年盤、53年盤も同様である。

この楽章には、何かしら晩年の静の境地、言葉を換えれば"禅"に通じるものが感じられるのは興味深く、ほかの録音には見られないだけに、50年盤のいちばんの特徴に数えてよいだろう。

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2012年04月27日


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戦後2年、ナチ協力の疑惑が晴れて、ようやくベルリンのステージに復帰したフルトヴェングラーの歴史的記録となったベートーヴェン《第5》。

彼の11種の《第5》の中でも傑出した演奏で、すべてが感動に満ち溢れている。

現代のクリア過ぎる録音に比べればはるかに劣る音質なのに、聴き始めて10秒も経たぬうちに有無を言わさず引き込まれる。

ここには指揮者の言いたいことがすべて音となって刻みこまれている。

まだ戦災の跡も生々しい廃墟の中、経済も混迷の続く窮乏のベルリン市民が、久しぶりの"フルトヴェングラーの音"に酔った興奮の演奏会ライヴは、有名な"運命の動機"に特別の意味を持たせた解釈が、厳しい造型意識のもと、まさに魂に訴えかけるようなフルトヴェングラーの棒の魔力のまま、楽章を追って激しく燃えに燃え、終楽章の意表をついた加速の恐るべき効果とともに、堂々たる威厳をみせて終わる。

第1楽章から力強いデュナーミクと活力に溢れた表現が顕著だが、そこから終楽章までそのエネルギーとスケール感が持続され、堂々たるクライマックスを構築していくのは言語を絶する興奮を呼ぶ。

この牽引力と推進力は何なのだろう?

一節一節に込められた表現は屈託がなく開放的に広がっている。

推進力は"気迫"だ。

精神論と言われようと、明らかに演奏を動かす"意志"が読み取れる。

フルトヴェングラーのカリスマ性が端的に表われた録音であることは疑いない。

細部の多少の乱れも、かえって演奏者たちの感動熱狂ぶりを物語って印象深い。

《エグモント》序曲も同様で、フルトヴェングラーとしても記念碑的な演奏といえる。

《大フーガ》も強固な意志を感じさせる見事な演奏で、ディテールの味わい深さも特筆に値する。

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2012年04月26日


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ベートーヴェンの第7番という曲は、フルトヴェングラーが指揮しているような音楽ではあるまいか。

ベートーヴェンの情熱もかくやと思わせる演奏で、まことにこうでなければならない。

クレンペラーも立派だし、全盛期のクライバーのライヴも凄かったし、ジンマンのような新しいスタイルも愉しいが、第5番と同じで、全体の起承転結がフルトヴェングラー・スタイルにぴったりなのだ。

このウィーン盤はライヴではなく、スタジオ録音なのに充分燃え切っていて、フルトヴェングラー節が強く表れている。

音質がキンキンするのが本当に残念だが、このCDを一度耳にしてから、嫌なら他の盤におもむくべきだと思う。

第1楽章の主部だけは、筆者はもっと重厚な方が好きだが、第2楽章の内面的な崇高美はこの指揮者の独壇場だし、スケルツォの緩急自在、とくにアッチェレランドしてゆくときの凄味と、反対にトリオの重苦しいまでのスロー・テンポはものの見事だ。

フィナーレは嵐のような感動的な表現で、これこそベートーヴェンが言いたかった音のドラマと確信したい。

この《フィンガルの洞窟》は、徹頭徹尾"ウィーンのフィンガル"だ。

この録音より約20年前のベルリン・フィルとの旧盤と比べ、フルトヴェングラーの表現の根本は少しも変わっていないが、透徹感が出た反面、より客観的になり、ずっと落ち着いた演奏に変わっており、テンポも遅くなった。

ここでも当然、哀感は漂うが、ウィーン・フィルにベルリン・フィルのような暗さがないためか、光と艶に満ち、思い切って歌われるヴァイオリン、溶けるように美しいクラリネットはウィーン以外の何ものでもない。

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2012年04月25日


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ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、録音当時(1944年)のベルリン・フィルのコンサートマスター、エーリヒ・レーンがソロを受け持っている。

フルトヴェングラーはこの協奏曲の録音を5種類残しており、うち3種類はメニューイン(他はシュナイダーハン)で、レーン盤を除けば全て戦後録音であり、一番「らしさ」が出ている演奏は、やはりこの演奏であろう。

同曲異演盤が数多く存在するフルトヴェングラーのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲だが、レーンとの戦中の演奏は外す事ができない録音。

フルトヴェングラー・ファンであれば一度は耳にした事がある定番演奏であろう。

レーンのフルトヴェングラーとの共演回数は他のソリストより桁違いであり、両者が織り成す「阿吽の呼吸」は絶品。

また、レーンの演奏はテクニック重視されがちな現代のものとは一線を画し、お手本ともいえる見事な演奏。

録音はライヴとしてはなかなか良く、このヴァイオリニストの明るい艶のある音色を楽しめる。

まるでイタリア人のように幸せでのびのびとした音色と弾き方であり、健康的、時に耽美的であり、この曲の持つほの暗さや、高音でのヴァイオリンの煌きなどはこの演奏でしか味わう事ができないかもしれない。

フルトヴェングラーの指揮はメニューイン盤とシュナイダーハン盤の中間やや後者よりで、第1楽章の第2主題とか、その後の経過句における情緒的なテンポの動きはこのほうが大きいかもしれない。

コンセルトヘボウ管との《レオノーレ》序曲第3番は、マイクがオンで、特にティンパニと金管が前面に出ており、フルトヴェングラーらしい含みは後退しているものの、トスカニーニ的な迫力は随一で、注目すべきCDといえよう。

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2012年04月24日


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トスカニーニの録音と並び、現今の《運命》演奏像のひとつの大きな規範となっている一盤ということができるのではあるまいか。

フルトヴェングラー最晩年の深遠な思念が全篇に充溢しており、それがいやます感動を与えてくれるとともに、彼の同交響曲ディスク中では録音年代の新しさ(1954年)もあって音質が最も良い点もポイントだろう。

この指揮者のロマン主義的にしてドイツ的な個性が全楽章に漲り、作品の中にどこまでも深くドラマティックに埋没してゆくそのエネルギーはまさに無比無類。

フルトヴェングラーの持つデモーニッシュな特性を改めて痛感させる。

数ある《運命》ディスクの中にあって、現在尚も聴き手の感性を根こそぎ揺るがしてしまいうる演奏のひとつであろう。

指揮者にとって《未完成》交響曲ほど恐ろしいレパートリーはないといわれたのは、その内容をとらえることが難しいということだけでなく、その時点で指揮者がもっているものやその周辺が、演奏の上に自ずから投影される可能性が高いからであるという。

生前のフルトヴェングラーの《未完成》を聴いた人の多くが、それを実感したというし、彼自身その演奏の直前には異常な緊張を示したといわれている。

第2次大戦後の1950年1月にウィーン・フィルとレコーディングされたこの演奏には、その後のベルリン・フィルとのライヴとは異なったかたちで、この時期の彼の微妙で複雑な心境が物語られているように思われる。

貴重な記録の一つといえよう。

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2012年04月23日


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数あるフルトヴェングラーの「ザ・グレート」の録音の中で、筆者が最も感動するのが、1953年8月30日のザルツブルク音楽祭の実況盤である。

愛と音楽する喜びに満ち溢れ、聴く者の心をつねに明るさで満たしてくれる「ザ・グレート」は、他にはないのではなかろうか。

筆者の態度はつねに今耳にするフルトヴェングラーこそ至上という主義があるにしても、フルトヴェングラー・コンサートとは、いつもこんな風だったのだろうか。

この「ザ・グレート」を聴き、何度同じ思いを抱いたことだろう。

イエスのような愛をもってフルトヴェングラーが音楽を開始すると、ウィーン・フィルの楽団員たちは、「過ちはフルトヴェングラーが正してくれる。我々はフルトヴェングラーが望むであろう音楽を全力で演奏するんだ」とでもいうかのように演奏を始めている。

フルトヴェングラーと楽団員たちの音楽への愛は、一人一人の聴衆へと浸透し、フルトヴェングラー・コンサートは、そうした音楽愛によって結ばれた共同体を形成するのである。

それにしても、この日のフルトヴェングラーはどうだっただろうか。

劇的で、ときにアゴーギクを利かせたいつもの高揚の調べは、深い比類のない瞑想によって、若干薄められて、円熟した、明るく澄んだ輝きを帯びていないだろうか。

どうもこの演奏のころから、最晩年様式へとフルトヴェングラーは変貌を始めたのではなかろうか。

フルトヴェングラーの演奏は、実際経験しないとわからないという話を何度となく本で読んだことがあるが、指揮者、楽団員、聴衆の三者が、音楽への愛で一体化した演奏会こそ、それこそ体験してみなければわからないのではないだろうか。

科学的筆跡学の創始者クラーゲスが、フルトヴェングラーの筆跡から「これはおそらく宗教界の教祖でしょう。芸術家だとはまず考えられない。悲劇作家ならまだしも」と述べたのは、そのフルトヴェングラーの本質に触れていたことの証なのだろう。

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2012年04月22日


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1951年8月7日、ザルツブルク音楽祭の実況録音である。

フルトヴェングラーの指揮するイタリア・オペラの全曲盤として唯一のものであり、貴重な記録といえよう。

しかし、この《オテロ》はヴェルディではなく、まったくのフルトヴェングラーである。

冒頭のオーケストラの鳴らし方からして彼以外の何ものでもなく、ことに終幕でオテロがデスデモーナを殺す場面のものすごい迫力と恐ろしいリズムは、それだけをとれば最高といえよう。

だが、フルトヴェングラーの意識は常に人間の情念へと向けられており、オーケストラの各楽器がかもし出すヴェルディの醍醐味、ヴェルディ節は、どこを探しても見られない。

からりとした絵画的な遠近感や弱音のデリカシーに欠け、まるで彼の指揮したワーグナーを聴く感じなのだ。

歌手陣ではイヤーゴ役のシェフラーが抜群である。

声、表現ともに、いかにも嫌な奴らしく、「信条の歌」あたりの暗い情念の世界は、フルトヴェングラーの指揮と相俟ってまことにすばらしい。

これに反してヴィナイのオテロとマルティニスのデスデモーナには、さほど心を打たれなかった。

両者とも、声の魅力に欠ける上に、表情をつけすぎるきらいがある。

ことに後者が歌う「柳の歌」から「アヴェ・マリア」にかけては、あまりにも悲しみが表面に出すぎるために、デスデモーナの慎ましさや、内部に抑えられていっそう強調される格調の高い哀しみが失われてしまう。

彼女にはすでに夫に殺されることを予感し、それを自らの運命として受け入れようとする諦めの心があるのではないだろうか。

その点、オテロの歌い方にはかなり打たれるところもあるが、これがベストとはいえないように思う。

録音はこの時代のものとしてはとても良い。

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2012年04月11日


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ブルーノ・ワルターは、ナチスの圧迫を逃れるに先立って、ウィーン・フィルといくつかの録音を残した。

それらはすべて円熟期の巨匠を偲ばせる優れた演奏だが、二短調協奏曲もそのひとつである。

ワルターがモーツァルトの音楽を愛し、傾倒していたことは広く知られているが、彼の心情は録音からもうかがえる。

彼は二短調協奏曲を支配しているデモーニッシュな気分、清純なリリシズムを忠実に再現しているが、彼のテンペラメントから劇的な表現にも節度がある。

彼はロマンティシズムではあったが、明晰な古典精神を身につけていた。

この二短調協奏曲で、ワルターはソロを弾きながら指揮しているが、彼のタッチは常に温かい感触を持ち、音楽への愛情を感じさせる。

とくに第2楽章でひとつひとつの音をいたわるように弾いて旋律を形作っていく解釈には心を打たれる。

その後の多くの録音が登場したが、これほど心を打つ演奏にはついに出会わなかった。

「ブラ1」は音の状態はよくないが、しかしなんといい演奏だろう。

第3楽章までは静かな内心のドラマを穏やかに表わした表現で、木管の表情が、得も言われず美しい。

ワルター一流の柔らかい流動性は音楽の上に微妙な明暗を描きながら、ひたひたと聴き手の心を潤す。

凄みとか深刻さとか、あるいは驚きとか、そういうものを超えた幸福そのものの音楽が、音の貧しさを超えて鳴り響く。

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2012年04月10日


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ハンゼンとのピアノ協奏曲第4番は、フルトヴェングラーの協奏曲盤でも1,2を争う名演といえるだろう。

1943年のライヴなので音は悪いが、ハンゼンは多彩な表情とテンポの自在な緩急によって音楽を徹底的に堪能させてくれる。

筆者は好き嫌いでいえば同曲CD中、これを最も好む。

作品のすべての細部を掘り起こし、それによって曲の心や意味をぞんぶんに羽ばたかせている。

これ以上ロマンティックで情感豊かなベートーヴェンも類例をみないが、それでいてピアニストが作曲家を上回ることはない。

ハンゼンが音楽を完全に自分のものにしているからである。

第1楽章のカデンツァをとってみても、ベートーヴェンの自作を使いつつ、見事な創造を加えてゆく。

もちろん、この解釈の主導権は指揮者が握っているが、ピアノは単に追随するのではなく、強い感興をあらわにしてオーケストラと渾然一体となった音楽を繰り広げている。

ベートーヴェンの音楽の際立った特色は、異常なまでに強烈な求心力と激しい高揚感が一体となって聴き手に迫ってくるところにある。

その最たるものの一つである《第7》には、フルトヴェングラーの戦時下のライヴ録音があって、その異常な気迫は聴く者すべてを戦慄させずにはおかない。

しかもこれは、求心力と高揚感だけを追求しているのではない。

第2楽章が絶妙なのだ。

切々としたその"歌"は、響きとして軽からず重からず、かつ速からず遅からずのテンポで心に深く染みこんでくる。

ベートーヴェンを血肉として育った巨匠ならではの遺産であり、後の世に伝えたい魂の記録である。

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2012年04月09日


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1950年7月13日、アムステルダム、コンセルトヘボウでのライヴ録音。

オランダ音楽祭に招かれた際の演奏を録音したもので、フルトヴェングラーにとって戦後唯一となったコンセルトヘボウとの演奏会録音。

両曲共に何回かCD化されていたが、現在は入手が困難な状態だった。

フルトヴェングラーはブラームスを好んで取り上げており、交響曲、協奏曲、序曲、ドイツ・レクイエムなどが演奏会での主プログラムなのはご存知の通り。

中でも交響曲第1番は、今まで発売された音源も13種類に及ぶほど盛んに演奏していた十八番中の十八番。

前述したように、1951年のNDRとのものと1952年のHMV録音(VPO)は決定盤と評されている。

今回のコンセルトヘボウ管とのものは隠れた名演として知られ、当時から一流と言われていたオーケストラだけに巨匠の意図を完全に汲んでおり、自由自在に作り上げる音楽は流石。

ベートーヴェンは、録音からも編成が小さいことが伺えるが、スピード感ある動きや明るい弦の音色、木管の歌うような動きが印象的。

ブラームスは逆に、全体的には重い雰囲気で進められながらも野暮ったい感じではなく、要所要所で聞かせどころ、締めどころを心得ており、やはり十八番というしかない出来栄えで、上記2種の録音と比べても遜色のない名演である。

特にこのブラームスは演奏自体には推進力と切迫感があり、終楽章など聴き応えがある。

録音は元々貧弱で音の悪い音源であり、サーフェイス・ノイズがかなり耳に障る。

但し、ノイズを抑えるために高音を削ったりはしていないので、自然で伸びやかに聴こえる所は好感が持てる。

事実これほど演奏自体が良いという事も、この盤で改めて確認出来た事である。

少しでも音質の良い記録を残していくという意義はあるだろう。

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2012年04月08日


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グリゴリー・ソコロフは1950年生まれで、何度か来日しているが、ディスク録音の上ではようやく1994年から日本にお目見えしたといえる。

ソコロフは、1966年、16歳という若さでチャイコフスキーコンクールに優勝、世間にその名を轟かせた。

輝かしい経歴を持つにも関わらず彼の録音は極めて少なく、コンサート活動もあまり積極的には行っていない。

それにもかかわらず、これまで耳にした数点のCDは、いずれも驚嘆に値する出来ばえで、ロシアという土地が本物のピアニスト、本物の芸術家を生み出す力に、つい畏敬の念すらおぼえてしまう。

ソコロフの疑いなく巨きな姿は日本のディスク・ファンの前にまだ半分も見えていまいが、このショパンの《24の前奏曲》も実に素晴らしい。

《24の前奏曲》には、かねて名演も多いのだが、数年前にこのディスクを聴き終えたとき、筆者には、かつてこれ以上の演奏はなかったという実感があった。

したがって、正直にこの1枚を推すことにする。

完璧無比のテクニックと、聴くものの心をわしづかみにする驚異的な集中力で、根強いファンを持つソコロフのショパンの名演奏だ。

ソコロフの演奏は、どの曲でもフレーズのはしばしにまで深い思念をこめ、まさしく人間の手わざとしてピアノを響かせるもので、音符の間(ま)に得も言われぬ詩情の香りが漂う。

曲によっては緩いテンポをとるが、内面からの息吹が豊かであるため、少しもだれない。

1フレーズ、1音符のかげに濃い感動を滲ませ、切れば血を吹くような音楽を奏でるピアニストはいま、貴重である。

いま最も注目すべきピアニストの1人だ。

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2012年04月07日


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デ・ヴィートはそれほど多くの正規録音を残さず、そのほとんどはEMI系だが、これはイタリアのトリノの放送局で、フルトヴェングラーの指揮で録音された貴重な遺産だ。

よくぞこんな録音が残っていたものだ。

デ・ヴィートには今でもまだ熱狂的なファンがついているが、それだけに強烈に引きつける魅力がある。

女性でありながら男性的な気宇壮大なスケール感を、そして女らしいしなやかな情感と水も滴る抒情を合わせもち、まさに鬼に金棒のスタイルを特徴としている。

このブラームスの協奏曲では男性的な構築性を輪郭の明晰な大伽藍として造形しながら、一方で花も恥じらうしとやかさをしっとりとひびかせる。

かと思うと一転して激しい情感の目眩く陶酔に身を委ねる。

それでいて全体のまとまりも失われることはない。

デ・ヴィートの演奏の特徴は、その一音一音が自由で余裕があり、そこからスケールの大きな展望が生まれ、詩興がどこまでも広がってゆくところにある。

またその一音一音は心の微細なふるえやときめきに耳を傾ける内省的なひそやかさも示し、外界の明るく広い世界への讃歌と、内面の祈りとがひとつに融け合っている。

このブラームスの協奏曲はその両面にぴったりな曲。

彼女はここで水を得た魚のような自在さで泳ぎまわっている。

フルトヴェングラーにはもちろんこのスケールの大きさに対応する奥行きの深さに欠けていない。

メンデルスゾーンもデ・ヴィートのヴァイオリンは美しい。

彼女の神経に直接触れるようなデリケートな音で、ポルタメントとルバートを多用しつつ甘く哀しく歌い上げてゆく。

たとえばフレーズの終わりの感受性にあふれたディミヌエンドやすすり泣くような表現が決してセンチメンタルに陥らず、聴く者を遥かな国へと連れ去ってしまう第2楽章、そしてリズムを自由に崩し、個性的な濃密さを奔放に生かしたフィナーレ、いずれも見事である。

フルトヴェングラーの指揮も第2楽章冒頭の極度に繊細なピアニッシモや、フィナーレ開始部のものものしさなどは、彼以外の何ものでもない。

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2012年04月06日


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1945年盤(ベルリン・フィル)は文字通りナチス・ドイツ崩壊直前の大戦中ベルリン最後のコンサートの実況盤だが、残念ながら空襲や停電のせいでかフィナーレしか残されていない。

残念というのは、当時のライヴとしては音が良く、演奏も気迫充分で、全楽章揃っていれば、ことによるとフルトヴェングラーの「ブラ1」のベストCDになったかもしれないからだ。

やはり異常な空気に包まれた演奏で、序奏はおどろおどろしい雰囲気で始まり、主部はアニマートの部分から猛烈なスピードとなる。

なんといっても指揮者が若々しく、聴く者を圧倒的な興奮に誘う。

嵐のような緩急は楽章全体におよび、コーダへ突進するが、ここではさすがにマイクロフォンがすべての音をとらえきっていないようであり、人工的につけられた長い残響もいささか気になる。

この数日後フルトヴェングラーは、ウィーンで「ブラ2」やフランクの交響曲を演奏した直後、スイスに亡命する。

1947年盤(ルツェルン祝祭)は、金管やティンパニが奥に引っ込んだ弦主体の録音である。

そのせいもあって、フルトヴェングラーの優しさやデリカシーが前面に出ており、流麗なブラームスになっている。

彫りの浅い、迫力に乏しい演奏だが、それはそれで楽しめるのは音楽性が高く、自在感があり、音に歪みがないからだろう。

第1、3の両楽章もスタイルは同じだが、もう一つ燃えきらないまま終わっているところがあり、それにはやはりティンパニの生ぬるい録音がマイナスに働いているのだろう。

つまるところ、第4楽章のみであるが、1945年盤を聴くべきCDであり、筆者もすべてのファンに一度は耳にして欲しいと願うものである。

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2012年04月05日


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ともに1953年4月14日のティタニア・パラスト、ベルリンでのライヴ録音だが、この種のものとしては最高の音質といえよう。

演奏も素晴らしく、第7番はフルトヴェングラーの晩年の円熟した芸術的特質をよく伝えている。

基本スタイルは1950年盤のスタジオ録音と変わりがないが、晩年の演奏だけに表情は抑え気味だ。

他盤といちばん違うのはフィナーレで、最初はゆっくりと始め、スムーズなテンポの動きを多用してコーダのクライマックスを形作ってゆく。

それまでが抑え気味だっただけにフィナーレに賭けた感じだ。

第8番もフルトヴェングラーの感興豊かな音楽が聴き手を魅惑せずにはおかない。

ストックホルム盤とほとんど同じ解釈であるが、このほうが円熟しており、オーケストラと録音もずっと良い。

ともかく厚みのある意味深い響きが一貫した第8番であり、第1楽章の再現直前のあたりは、その情熱の高まりが最高だ。

出来ばえもこの楽章がいちばん見事である。

ストックホルム盤とやや違うのは終楽章で、テンポが遅く、コーダの追い込みもおとなしい。

2曲ともフルトヴェングラーの数多い録音の中でも注目すべき名演である。

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2012年04月04日


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1951年10月27日、ハンブルク・ムジークハレでのライヴ録音。

フランス、ターラ社が発行しているフルトヴェングラーのコンサート・リストによれば、1951年〜52年のシーズンの前半は主にウィーン・フィルとのツアーが行なわれ、フルトヴェングラーはその合間を縫って各地で客演している。

その際、10月27日にはハンブルクに立ち寄り、戦後結成されたばかりの北ドイツ放送交響楽団を振っている。

これは最もフルトヴェングラー的な快演といえるもので、この指揮者の全CD中でも屈指の名演である。

フルトヴェングラーの演奏がライヴとスタジオ録音で、別人のように異なる場合があるのはよく知られているが、珍しくハンブルクの北ドイツ放送交響楽団に客演したこのブラームスは、フルトヴェングラーも好調で、オケと一体になっており、この指揮者のライヴのなかでも燃えに燃えた演奏である。

冒頭の凄絶ともいえる強烈なティンパニの打ち込みや威風堂々としたテンポには、すべての聴き手が圧倒されるだろう。

序奏から異常なほどの高揚感に包まれ、全オーケストラが、まさに神がかりといって言い過ぎではない、熱っぽい演奏を繰り広げている。

第1楽章ではアゴーギクがきわめて大きく、作品の劇性をぎりぎりのところまで表現している。

第2楽章は感興が限りなく湧き上がるような表現で、感動的な音楽を聴かせる。

終曲も一句一節の彫りが深く、音楽が波のうねりとなって熱狂的に起伏し、しかも悠揚と歌う表情がすばらしい。

指揮者の気迫と響きの密度はほかのどのCDよりも凄まじく、濃厚な音のドラマが展開されてゆく。

これぞ、とてつもないフルトヴェングラーの魔法。

この曲の数多い演奏でも特筆すべき名演である。

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ウィーン・フィルとの1952年盤は録音状態が良く、演奏も抜群。

フルトヴェングラーが亡くなる2年前のライヴ録音で、その白熱的な演奏はまさにこの巨匠ならではのもの。

聴くたびに魂を揺さぶられる思いだ。

よく知られているように、「ブラ1」はブラームスが21年もの歳月を費やし、推敲に推敲を重ねて完成させた大作だが、フルトヴェングラーの演奏はその冒頭からして大河の流れを思わせるかのように悠然としている。

各部の楽想の読みの深さ、創意豊かな感興の表出も、この指揮者にしか求められないものである。

ことに劇的な盛り上がりを見せる第1楽章と第4楽章は感動的で、音の古さを忘れさせられる。

いずれも序奏部から訴える力が強く、フォルテには赤い血の色がしたたるようだ。

主部の集中力も抜群で、テンポを上げてゆく時の阿修羅のような前進も特筆もの。

逆に大きくリタルダントする時の、こうでなくては! と思わせる即興的な語りかけは、凄絶さをマイクがとらえきっていないとはいえ、フルトヴェングラーの足どりの確かさはそれを超えて迫ってくる。

まさしく表現者として最高の境地に達しているといわざるを得ない。

その一方で、中間楽章は晩年の演奏らしく枯淡の心情と優美な趣が示されている。

それがウィーンの味ともいえるのだろうが、弦の音色がまるで人の声のように生々しい感情を表しているのは、やはりフルトヴェングラーの特徴といわねばなるまい。

フルトヴェングラーの数多いブラームスのなかでも美しく音楽的な表現だ。

これは、彼のライヴ録音中、最右翼のひとつに位置づけられるディスクであるばかりではなく、フルトヴェングラー特有のタクトの魔力というものが遺憾なく発揮されている点でもトップランクにおいてよい演奏だ。

雄大壮麗にして繊細緻密なこの名演は、単にフルトヴェングラー最高のブラームスというばかりでなく、20世紀最高のブラームス演奏だったのでは……。

これを聴くと、マゼール、メータ、アバドたちが若い頃フルトヴェングラー研究グループをつくって、分析研究していたという話も、実感が湧いてくる。

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ベルリン・フィルとの1952年盤は音に若干の問題はあるが、フルトヴェングラーの「ブラ1」の数多い録音の中でも、多くのファンや評論家がこのベルリン盤をベストとしてきた名盤である。

演奏は優秀で、オーケストラが素晴らしく充実していて、強い気迫に満ちている。

実に雄渾な表現で数種あるフルトヴェングラーによる同曲演奏中でも精彩を放っている。

1952年のフルトヴェングラーは気力が充実し、その演奏は絶好調といえるものだった。

音楽の進行に指揮者のたくましい牽引力が感じられるのはやはり実演ならではといえる。

なによりの美点は、メリハリが実にはっきりと自然に決まっていることで、絶妙な言いまわしを含みながら、そのすべてが完全にひとつの有機体として築かれている。

ブラームスの音楽は、表面は伝統的構成を重んじ、内面ではきわめて個人的なナイーヴな情感を大切にするといった独自の二重構造のようなものを持っているが、当フルトヴェングラー盤は、その内的なものにとくに焦点を合わせた演奏を行なっているといえよう。

冒頭の強い感情の抑制の仕方ひとつからも、その後に展開される世界が尋常一様のものでないことを予感させるし、第2楽章の深みをたたえた美しさも出色。

孤高の寂寥感や即興的気分も随所に示されているが、全曲の造形はすこぶる大きく、そして格調高い。

終楽章の盛り上がりも実にすごく、その劇的表現は圧倒的である。

それでいて、ここでは単に内面的なものだけにとらわれて視野を狭くしているような傾向はなく、構成力の的確さ、バランスのよさも傑出している。

フルトヴェングラーたる所以だろう。

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2012年04月03日


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1953年にウラニアから発売され、"ウラニアのエロイカ"としてセンセーショナルを巻き起こしたが、フルトヴェングラーが訴えたため、発売中止となった曰くつきのレコードのCD化である。

フルトヴェングラーの残した《エロイカ》の中でも最も劇的であり、この指揮者のあらゆる演奏の中でも屈指の名演に数えてよい。

素晴らしく共感の強い入魂の演奏であり、極めて個性的だが造形的には見事な均衡を得ている。

大胆なアゴーギグとデュナーミクも素晴らしい効果をあげており、音楽的な必然性を帯びて迫る。

まさに至芸というべき表現である。

全曲中、最もすばらしいのはフィナーレで、集中してゆくテンポの良さが見事で、厳しくも内容のある響きも印象的である。

フルトヴェングラーは《エロイカ》を得意とし、CDも約10種類を数えるが、われわれを完全に満足させてくれるものは1枚もない。

この1944年盤も初めて耳にした時は異常な感動をおぼえたものだが、今となっては音が古すぎる。

放送録音のため、ムジークフェライン・ザールの残響が豊かに入り、歪みも少なく、当時のものとしてはきわめて優れたものといえるが、それでもフルトヴェングラーの表現の何パーセントがマイクにとらえられているのだろうか。

まことに残念でならない。

とはいえ、このCDは他のライヴ盤に比べ、全4楽章の音質が均一に保たれているのが大きな長所といえよう。

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2012年04月02日


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《エロイカ》はベルリン・フィルとの初めてのライヴ録音である。

第1楽章は冒頭から覇気のある響きと前進性がまず耳に飛び込んでくる。

リズムの間をつめてゆくような進行は若々しく、テンポも速めに感じられるし、動きも少なく、音のドラマよりはトスカニーニ的なストレートな運びが目立つ。

しかし展開部の途中からにわかに即興的な表情が生き始めるのが面白い。

心なしか、もともと明快な録音も生々しさを増し、自信が出、低弦の足どりはピアノの指定を無視して分厚く奏され、再現部の始めやコーダのアッチェレランドもフルトヴェングラーならではで、終結の一気呵成の追い込みは、これが最も底力を感じさせる。

もっとも、この部分の加速は古典のソナタ形式をドラマ化するには唯一の方法と思うが、音楽の作り方がそのようにできていないので、必ずしも効果的とはいえない。

むしろ朝比奈隆のようにテンポを落とすほうが曲想に合っていると思うのだが、フルトヴェングラーの方法論はこれ一つということなのだろう。

つまり彼はあくまで古典的な形式感の持ち主ということになる。

第2楽章はすごい魂込めによって開始され、トリオの黒いパッション、フガートのハラワタが裂けるような金管とティンパニ、最後の審判の叫びや、それを導き出すチェロ、バスのアクセントなど、さすがと思わせる場面に事欠かない。

フィナーレは第1楽章以上にテンポの張りが見事だ。

まさに英雄の進軍であり、コーダのスピードもこれがいちばんである。

グルックの《アルチェステ》序曲は4回目のウィーン盤と比べると、ゆとりのある厚みと大きさにおいて優り、荘重な豊かさを持ち、弦のレガートには艶と人間味があり、低音がずっしりと入って力強く、より男性的な表現に聴こえる。

《合奏協奏曲》は完全にフルトヴェングラー流儀のヘンデルである。

チェンバロを加えず、かなりの編曲が施されており、大きな間を伴ったアインザッツといい、踏みしめるようなリズムといい、強いアクセントやドラマティックな盛り上げといい、これはヘンデルではなく、ロマン派の音楽である。

第4楽章と第5楽章を入れ替え、前者をフィナーレにしているのなども独特の演出だが、メヌエットではなく、アレグロで終わらせるところが、いかにもフルトヴェングラーだ。

第2楽章で絵画的なピチカート奏法を随所に採り入れたり、第3楽章の最後ですごい最弱音を使うなど、原曲の味からは遠いが、フルトヴェングラーを知る上には欠かせぬディスクである。

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2012年04月01日


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1954年5月14日、トリノにおける実況盤である。

フルトヴェングラーによる《ブラ3》の録音は意外に少なく、3種のみで、いずれもベルリン・フィルとの録音。

当盤の解釈は半月前のグラモフォン盤に酷似しており、第1楽章、第1テーマの提示はこれが最もものものしくて、フルトヴェングラーの味は満点であるし、終楽章の再現部終わりにおけるヴィオラのユニゾンの表情もこれがいちばん美しい。

気宇壮大にして生命力を強く実感させる演奏と言えば、フルトヴェングラーにとどめを刺す。

最近録音されたものに比べれば音の状態は劣るものの、それをカバーして余りあるのが、この大指揮者が発散する独特の"音楽"にほかならない。

ロマン的要素と古典的要素を渾然と一体化しているブラームスの交響曲の表情は、たとえ長調で書かれていてもすっきりした明るさでなく、一種の物思いの情を宿している。

第3番では、それに加えて第3楽章のえも言われぬ憂愁が聴き手を魅了する。

やや遅いテンポでその憂愁を骨太に歌い上げてゆくフルトヴェングラーの風格!

第4楽章の底力を感じさせる迫力も忘れ難く、そのどこをとってもフルトヴェングラーの独壇場だ。

《オイリアンテ》序曲の演奏はウィーン盤に似ており、パリ盤とわずか10日違いであるが、ずいぶん感銘度に差がある。

フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの特徴が端的に示された録音としても価値が大きい。

カラヤンに受け継がれて大きく変貌し、ラトルが率いる今日では個性は一変しているからだ。

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