2012年05月

2012年05月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1950年5月22日 ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールに於けるライヴ録音。

これまで世界初演のドレス・リハーサルを収録したとされていた『4つの最後の歌』は、解説書によると本番の演奏を収録したものということである。

これまでにリリースされていたCDはかなりひどい音質であったが、TESTAMENT盤はギリギリ観賞に耐えうる音質になっている。

とはいえ、痛んだアセテート盤からの復刻ということで、あまり聴きやすいものではないが、8ヶ月前に亡くなった作曲者を悼んで感動的な「眠りにつくときに」から開始されたこの日の特別な公演をこうして少しでも良好な音で聴けるのはファンにはとてもありがたいことだ。

それにしてもこの歌曲『4つの最後の歌』の美しい事…。

この世界初演の8か月前に亡くなったシュトラウスの人生の幕引きにふさわしい白鳥の歌だ。

シュトラウス自らが要請したフラグスタートも、この音質では全貌を窺い知れないが、名唱であることは疑いもない。 

しかし、このアルバムの目玉は何と言っても初登場となるワーグナーの3曲であろう。

ワーグナーはノイズもほとんど気にならないほど音質もマシになる。

演奏は、フルトヴェングラーならではの劇的な高揚と沈潜をみせる素晴らしいもので、2ヶ月前にスカラ座で『指環』を共に上演したフラグスタートとのコンビも絶好調。

ワーグナー歌手としての全盛期を思わせるフラグスタートの圧倒的な歌唱、そして巨匠の緊迫感と雄大なスケールを兼ね備えた指揮は聴き手を震撼させるに充分なものがある。

息の長いオーケストラ・ドライヴと迫力あるティンパニ、デニス・ブレインのホルンなど聴きどころもたくさんある。

『トリスタン』の「前奏曲」はゆったりとしたテンポで陰影の深い演奏で、「愛の死」のフラグスタートは情感たっぷりと感動的に歌い上げ、フルトヴェングラーの伴奏も絶妙だ。

「夜明けとジークフリードラインの旅」は弦楽の響きが美しくティンパニの力強さが尋常ではない。

「自己犠牲」は、ドラマティックな展開を経て感動的に幕を閉じる。

フルトヴェングラー・ファンなら見逃せないアルバムの登場といえるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:43コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

2012年05月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1954年12月9.10日 ミュンヘン ヘラクレス・ザールでの録音で、このヨッフムの演奏は、1954年11月30日に逝去したフルトヴェングラーへの追悼でもあり、リスペクトとも言えるだろう。

バイエルン放送交響楽団の記念ボックスからの分売により、この名演が求めやすくなったのは有難い。

音も大変良く、フルトヴェングラーの代表作を味わうには最適のCD。

フルトヴェングラーは、自作が他の指揮者が取り上げてくれることを望んだそうだが、ヨッフムであれば大変喜んだことだろう。

まず音がすばらしく綺麗に入っていて、状態の良いモノラル録音だ。

大編成で録音を聴いても金管に弦の音がかき消されやすいこの交響曲であるが、この録音は大変優秀だと思う。(欲を言えば録音レベルが低いように思う。筆者はいつもよりヴォリュームを上げて聴いている。)

演奏も大変立派で、自作自演以外には少し前にリリースされたバレンボイム&シカゴ響の哀愁と思い入れたっぷりの演奏が見事であったが、このヨッフムの演奏も管弦楽の美しさの中に苦悩や未来への憧憬が込められている印象を持つ。

フルトヴェングラーと同様ナチス政権下のドイツで生活していた音楽家であるから、立場はどうあれ当時の体験をこの曲に体現できる力を持ち得たのだろうと思う。

楽譜を再現した、ただ美しいだけの悲壮感のない演奏になっていないのが作品に対する好意的態度と思える。(ヨッフムはフルトヴェングラーをどう思っていたのか興味深い。)

オーケストラの鋭角的な反応も素敵だ。

この曲は丸くまとまってしまうと全然面白くないので、このように鋭角的な演奏をしてこそ価値があると思う。

オーケストラにとってもとても難曲だそうだから、この録音を聴く限りではバイエルン放送響は一糸乱れぬ演奏でとても優れたオーケストラだ。 

ステレオならバレンボイム盤しかないのだが、モノラルだと自作自演盤も多い。

仏フルトヴェングラー協会の自作自演盤が最も演奏としては壮絶でこの曲らしいと思うが、誰でもが入手できる高品質な演奏とすればこのヨッフム盤は選択肢に入れるべきであろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:12コメント(4)トラックバック(0)フルトヴェングラーヨッフム 

2012年05月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



モーツァルトのピアノ協奏曲第22番は、1952年1月27日のシェーンブルン宮殿に於ける実況録音であるが、モーツァルトのスタイルをまったく無視したフルトヴェングラーの指揮ぶりである。

音も気持ちも澄んでおらず、激しすぎるフォルテやアタック、重すぎるレガートが頻出し、第2楽章にはモーツァルトらしからぬ内心の吐露が見られる。

かなり粘っこいロマン性がここにあり、むしろベートーヴェンに適した表現といえよう。

バドゥラ=スコダもフルトヴェングラーの影響を多分に受け、音色変化やルバート、とろけるようなレガートや最弱音を駆使し、心を大切にした弾き方である。

特に第1楽章の展開部後半から再現部前半にかけてが印象的だが、全体としては今一歩の突っ込みが不足し、やはり指揮者に引きずられてここまでできたというのが本当のところであろう。

1944年6月2-3日、ウィーンでのライヴ録音は、フルトヴェングラーのモーツァルト「40番」の中でもベストの演奏で、音質が良いのにまず驚かされる。

きわめて豊かで歪みがなく、残響が異常に長いのは人工的につけ加えているのかもしれないが、決して嫌味ではない。

演奏スタイルはわざとらしい素っ気なさがなく、ウィーン・フィルの艶やかで甘美な弦の音色を徹底的に生かしているのが成功の原因であろう。

第1楽章はなんといってもヴァイオリンの魅力がすばらしい。

主題のポルタメントはワルター&ウィーン・フィルを先取りしたものであり、テンポの微妙なためらい、動かし方、第2主題の大きな歌など、すべてがここでは新鮮に響く。

テンポも速めだが速すぎず、提示部の反復も行われていない。

第2楽章の出はファースト・ヴァイオリンのみ、かなり強く、ポルタメントも濃厚で、音楽がたった今生まれたかのようだ。

弦のテーマを木管のリズムが飾る部分は、木管を消すくらい弦を歌わせて、やはりフレッシュな音楽美を創造する。

もっとも、1948年盤を聴き直すと、同じことをやっているのだが、そのほうは効果がまったく上がっていないのだ。

弦の高貴な音色はメヌエットからフィナーレにかけても変わりがないが、それだけに後者に凄味は皆無で、ただただ優美なモーツァルトを目指しているのである。

フルトヴェングラーとしては珍しいケースといえよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:36コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトフルトヴェングラー 

2012年05月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブランデンブルク協奏曲第5番は、フルトヴェングラー臭ふんぷんたるバッハで、ことに第1楽章がそうだ。

遅いテンポで編成の大きいオケをいっぱいに鳴らし、長い音符は気持ちを込めて丁寧に歌わせる。

リタルダントも頻出し、その度に音楽の局面ががらりと変わってしまう。

どう見ても今日的なバッハではない。

しかし特筆すべきはフルトヴェングラー自身によるピアノ独奏だ。

チェンバロでなければ美しさの出ない部分ももちろん多いが、たとえば弦がテーマを弾く時の左手の強調など、ピアノだからこそ生きる味わいだし、それ以上にカデンツァの名人芸はいかばかりであろう。

ものすごくテンポを落とし、神秘的なピアニッシモで探るように開始する冒頭部のすばらしさ!

そして音楽が進むにつれて自在にテンポを変え、強弱の幅を広くとり、ついに最も情熱的な盛り上げに達する見事さ。

ただただ息をのむばかりであり、機械的なチェンバロを聴くのがいやになる。

コルトーといえどもこんなピアノは弾けなかった。

なぜならばフルトヴェングラーの場合、単なるロマン的、19世紀的な解釈とはいえないからで、このカデンツァに関する限り、彼はバッハのスタイルも時代感覚もすべて超えてしまったのである。

いろいろと抵抗のあるバッハではあるが、第1楽章のカデンツァだけで後世に遺したいディスクである。

フルトヴェングラーが録音した4つの《ロザムンデ序曲》中では、これがいちばん上出来である。

彼はトリノ・イタリア放送響からきわめて充実した、内容のあるひびきを生み出している。

フォルテの部分など、楽員が今まで決してやったことがないほどの凄まじい力演であり、それが遅いテンポによる立派な造型と結びついて、じっくりとした音楽的感興を盛り上げてゆく。

独奏楽器の魅力には乏しいが、他の演奏でフルトヴェングラーの欠点となっていたシューベルトらしい愉しさの不足を、イタリアのオケの明るい弦がカヴァーしているのである。

R・シュトラウスの交響詩《ドン・ファン》には他にもっとすぐれた演奏・録音があるし、ラヴェルの《スペイン狂詩曲》に至っては全く採れない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

2012年05月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヴァイオリン協奏曲(1949年8月ライヴ)はフルトヴェングラーとしてはわりにおとなしい、どちらかといえば地味な造型だが、ひびき自体はまことに立派で風格があり、内に秘められた、過剰さを伴わぬ気迫が見事である。

しかし、これがルツェルン祝祭管ではなくベルリン・フィルだったら、いっそうこくのある表現になったことは疑いを入れない。

メニューインはフルトヴェングラーを心から尊敬しているヴァイオリニストだが、確かに指揮者への傾倒がにじみ出ており、まことに純情、真摯である。

やや線は細いが心がいっぱいにこもって、しかも粘りすぎず、表現上の特徴こそ今一歩とはいえ、フルトヴェングラーともども、音楽が豊かに湧き上がってくるところを買いたい。

ヴァイオリンとチェロの二重協奏曲(1952年1月27日ライヴ)は第1楽章の冒頭がいかにもフルトヴェングラー流に始まるので、これは、と思わせるが、全体としてはダイナミックスも造型もおとなしい。

ボスコフスキーは甘い音がいかにも彼らしく、ブラベッツも心がこもっている。

ピアノ協奏曲第2番(1942年11月8日ライヴ)は緩急自在なテンポといい、うねるような人間味にあふれた音色といい、まぎれもないフルトヴェングラーのブラームスであり、彼自身の造型によってフィッシャーを包み込んでゆく。

フィッシャーはペダルを多用して楽器をいっぱいにひびかせ、弱音を重視せず、身体全体で力強く表現してゆく。

時として鳴らす懐かしいオルゴールのような音色とともに、音楽に対するいじらしいまでの没入ぶりにも惹かれる。

ハイドンの主題による変奏曲(1952年1月27日ライヴ)は分離の良い録音で、特に木管群が美しく採れており、主題のオーボエなど、息づくようなニュアンスが伝わってきて心をそそられる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:35コメント(0)トラックバック(0)ブラームスフルトヴェングラー 

2012年05月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1945年5月7日、ナチス・ドイツは崩壊し、46年、フルトヴェングラーはナチスに協力した罪で国民裁判の法廷に立たされた。

純粋な芸術家である彼にとって、この間の精神的苦痛はいかばかりであったろう。

初め周囲の証言は彼に不利であったが、次第にその正しさが立証され、彼を尊敬するメニューインなどの力もあって無罪が宣せられたのである。

ここに残念なことが一つある。

それは戦後初めてシカゴ交響楽団が彼をアメリカに招こうと試みた時、トスカニーニを始めとして、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ブライロフスキー、ハイフェッツ、ミルシテイン、ピアティゴルスキーなどの大音楽家がこぞって反対したことである。

すでに裁判でナチスに反対こそすれ、協力した罪はないということになっていたフルトヴェングラーに対するこの仕打ちは、芸術家としてはなはだ心の狭いことと言わねばならない。

彼らの潔癖さもわからぬではない。

しかしナチスとフルトヴェングラーの音楽に何の関係があるというのだろう。

それではフルトヴェングラーの言う通り「ドイツが共産主義になれば自分も共産主義となり、デモクラシーの下では民主主義者となってしまうのか」ということになる。

フルトヴェングラーへのアメリカの招請に対して、一言も反対しなかったたった一人の愛の音楽家ブルーノ・ワルターと、積極的に彼を迎えるべく努力した正義派のメニューインに、トスカニーニやホロヴィッツを始めとする反対者たちには見られない温かい人間味を発見するのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

2012年05月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1952年11月30日 ウィーン、ムジークフェラインザールに於けるライヴ録音。

《第1》はスタジオ録音直後のライヴだけに基本的な解釈は同じだが、第1楽章序奏部のものものしい間合いによる語りかけや、小結尾主題直前のリタルダントなどは前盤には見られなかったものだ。

アンサンブルの集中力もライヴならではで、フルトヴェングラーとしては抑制が効いており、録音状態の良さも相俟って楽器の色彩感や純音楽的な香りが生きている。

delta classicsの音質は非常にクオリティが高い。

《エロイカ》もスタジオ録音直後のライヴだけに、同じスタイルを基本としながら、それに即興性を加えたものとなった。

たくましい男性のギリシャ彫刻を前にしたような、高い格調と熱気に満ちた《エロイカ》である。

全体にフルトヴェングラーの主観によって貫かれており、テンポを遅めにとった彫りの深い雄渾な表現で、ドイツ的に彫琢された力強い演奏となっている。

delta classicsの音質も硬いが明快で、それによりさらに魅力が倍加、それまで聴きとりにくかった楽器の表情までが鮮明に浮かび上がり、一層聴き手の心を打つようになった。

感銘深いのは第1楽章。レコーディングの後なのでアンサンブルがきっちりと仕上がり、テンポには緊迫感があり、しかも緩急の動きはこのほうが大きい。

それでいて最晩年の様式である枯れた味わいが全篇を流れ、その中に炎の核がほの見えるところがすばらしい。

フルトヴェングラーの偉大な芸術は、第2楽章の「葬送行進曲」を聴けばよくわかるであろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:58コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1952年、フルトヴェングラー・イン・イタリー。

曲目はベートーヴェン《エロイカ》とワーグナーの《トリスタン》より『前奏曲と愛の死』。

フルトヴェングラーが残した録音にはかなりの偏りがあり、またベートーヴェン?と思われるかもしれないが、そこは巨匠の残した名演を堪能するという事で是非ご理解頂きたい。

フルトヴェングラーとイタリアのオケとの相性はそう悪くなく、一定のレベルの演奏に仕上がっているのがやはり技術なのか?と感心するばかりで、この《エロイカ》も、フルトヴェングラーが指揮をした同曲異演盤と重なる箇所も多く、1944年や1952年のウィーン・フィル盤に近い演奏にも聴こえる。(但し、1944年盤は時期的により鬼気迫る感じに聴こえなくもないが)。

《エロイカ》はフルトヴェングラーの十八番の一つ。

演奏について触れる必要は全くないであろうが、第1楽章にはすでに晩年の客観視が表れており、呼吸も深い。

3月のワーグナー《トリスタン》より『前奏曲と愛の死』であるが、これも名演と言って過言ではない。

《エロイカ》もさることながら、このワーグナーは必聴!

元々ワーグナー演奏にも定評があるフルトヴェングラー。このトリノとの演奏では、泣かせる、聴かせる。

やはり彼はツボを知っており、テンポといい、間といい、ただでさえ《トリスタン》の最初と最後を飾る名曲を、抑えきれない感情をググッと内に秘め、青白きオーラを発しながらオケに魔法をかけてこの名演を生み出した凄まじき指揮を生で見てみたかったものである。

《エロイカ》、《トリスタン》両曲とも大爆発的な大袈裟な演奏ではないが、フルトヴェングラーにしかできない演奏はまさにファンにとっては一つのお宝には間違いないであろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:18コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

2012年05月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーのベートーヴェン『第9』の中では目立たない存在かもしれないが、中身が濃厚でエネルギッシュで激熱なストックホルム・フィルとの『第9』である。

どうしてもフルトヴェングラーの『第9』は、『バイロイト』に注目が集まり、他の演奏では戦時中の劇的な1942年のベルリン盤と最晩年の深遠な境地を示す1954年のルツェルン盤が注目される程度で他の演奏は少々隠れがちだ。

しかし、このストックホルム・フィルとの『第9』も聴けば聴くほど熱くなり次第に高揚していく。

これがフルトヴェングラーの『第9』に共通していえる、一種の麻薬的な楽しみなのかもしれない。

客演だけにオケも所々不揃い、合唱も叫んでいる様で決して上手ではないが、それでも「最高」に属する1枚であろう。

戦時中のめずらしい、中立国への客演が生んだ緊張感がすばらしい。

造型はベルリン盤とさほど変わりがないが、第1楽章と第3楽章のテンポは速めだし、表情もやや凄味に欠ける。

それでも弦の音色がかなり明るく、優美なせいもあって、フルトヴェングラーとしては流麗な『第9』であり、第3楽章の第2主題や木管の佇まいなど、他の6盤には見られぬ美しさがあることも事実だ。

他のフルトヴェングラーの『第9』との聴き比べも楽しみになる、そんな1枚。

盤起こしの持続的な雑音が入るが、驚くほど音像はしっかりしている。

経年変化した1950年代のテープ録音よりよほど鮮明である。

ストックホルム・フィルも必死に指揮についていっており、一期一会の演奏となった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:28コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2012年05月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



LP時代から筆者にとってこの演奏は一つの座右の盤でもあった。

スタジオ録音ということもあり、ライヴでのフルトヴェングラーのあの凄まじい熱気は不足しているものの、最晩年の彼の悠揚迫らざる境地は伝わってくる。

指揮は個性的でいながらどこまでも普遍的、オペラティックでありながらシンフォニックである。

緊張は和らげられて、大きな瞑想が全体を覆うように包み込んで、明澄さと円熟の境地は、以前のようにドラマを激しく転回させるのではなく、ドラマを音楽の流れに完全に委ね切る方向に作用している。

全体に流れるようなそのテンポは、演技を伴わない分、凝縮へと向かうが、これが無駄を排除した簡素さの実現に寄与している。

フルトヴェングラーは、彼独特の重量感にあふれた情感で、音楽をいわば「再構成」するようないつもの方法を明らかに避けている。

必要以上に情緒を強調したり、モティーフに誇張の色づけを与えたりしていない。

逆に、率直すぎるほど率直に、雄渾なタッチで、ワーグナーの音楽自体を十二分に鳴り響かせている。

歌手陣は、彼のかかる誘導に支えられ、力強い歌いぶりをみせる。

フルトヴェングラーの棒には、オケを含めた奏者すべてに対し「どこからでも来い」と言わんばかりの稀有の懐の深さがある。

フランツのヴォータンの品格、ズートハウスのヘルデンテノール、リザネックのドラマディシズム、フリックの格調、全てがズッシリとした重みとともに今も筆者を襲う。

フルトヴェングラーのワーグナーを聴いていつも感じるのだが、歌われる言葉を大切にして、聴衆に聴こえるように、オーケストラの響きとのバランスを意識しているので、ワーグナー特有の長い語りも、室内楽でも聴いているように、いかなる音楽的退屈さとも無縁なのである。

これこそ、他のすぐれたワーグナー指揮者の演奏では、絶対に体験できないことである。

このフルトヴェングラーの最後の演奏を聴いていると、芸術家とは、あるべきヴィジョンに向かってつねに、そして最後まで進化して仕事をする存在なのだとつくづく合点してしまう。

そんな芸術家に対して、過去のある時点と比較することにどんな意味があるというのだろう。

《ワルキューレ》の最初の一音が鳴り始めたときから、フルトヴェングラーの心の底には、近づく死への予感から、「ヴォータンの惜別の歌」が、ずっと鳴り響いていたのではなかろうか。

録音は、従来盤でも1954年のスタジオ録音ということもあって、フルトヴェングラーのCDとしては比較的満足できる音質を誇ってはいたが、今般のSACD化によって見違えるような素晴らしい高音質に生まれ変わった。

とりわけ、歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは驚異的ですらあり、フルトヴェングラーの遺言とも言うべき至高の超名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:34コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

2012年05月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ベートーヴェンの神様ともいえる名演奏家が誰あろうウィルヘルム・フルトヴェングラーである。

当全集は、戦後、とくに巨匠の晩年の演奏に集中してセット化したもので、ますます深刻にデモーニッシュになっていった不世出の大指揮者フルトヴェングラー最晩年の最後の輝きが存分に味わえる。

晩年のフルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲の演奏は、他のレーベルを含めれば、全曲をウィーン・フィルの演奏によって聴くこともできるが、全集という形で手にするとするならば、この既出のCDよりも生々しい音で迫るMEMORIES盤は、EMI盤と並び、注目してよいであろう。

演奏の内容はどれも文句無く最高で、この巨匠晩年の濃厚で馥郁たる幻想的な演奏は、他の指揮者では絶対に味わえない。

このMEMORIES盤とEMI盤は、第2番しか重複しないのも有難い。

まさに傑作中の傑作といえる、シュトゥットガルト放送響との「第1」ライヴなどが含まれているだけでなく、いくつかの作品は、フルトヴェングラーの録音の中でも傑出したものであり、録音条件の不利をこえた価値がそこにはある。

それは、フルトヴェングラーの音楽と精神とが集約されたものといっても過言ではない。

ベートーヴェンの演奏も、人が変わり、時代を追ってくるに従って、かなりの変化をみせてきたが、これは永遠の規範ともなり得よう。

フルトヴェングラー・ファン以外にも、特に最近のSACDに慣れ切ってしまっている若い人に、ぜひ聴いてほしい1組である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:22コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2012年05月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーとブラームス。この切っても切れない関係の中から稀少な演奏が復活した。

1948年の「ブラ4」は当演奏の2日後のティタニア・パラスト・ライヴが名高く(恐らく定期演奏会)、こちらのダーレムにおける放送録音(お客なし?)はなぜか一般的ではない。

演奏はすこぶる付きの快演で、即興的と言われながらもしたたかな計算が感じられるお得意の漸化式アッチェレランドが巧みだ。

「ブラ1」終楽章は、冒頭から地鳴りのようなティンパニが炸裂する巨匠の最も古い「ブラ1」だが、抜粋なのがまことに残念である。

空襲飛び交うベルリン、ドイツにおける戦中最後のコンサートで、この4日後にウィーン・フィルと「ブラ2」を演奏、直後にフルトヴェングラーはスイスへ脱出した。

非常時にこれだけの演奏を成し遂げ、また聴衆も存在したというドキュメントである。

これらの音質は年代的にみても良好の部類だ。

シュヴァルツコップ、ホッターという豪華な独唱陣を加えた「ドイツ・レクイエム」は、非ナチ化承認を得てベルリン・フィルに復帰して3ヵ月後のルツェルン音楽祭でのライヴ録音。

フルトヴェングラーの同曲は全てが劣悪音質であるが、当盤もいかんせん、コーラスの音が終始割れていて、その中でも最悪と言って過言ではない。

しかし劣悪な音質の中から聴こえてくる音楽は、心の奥底に染み入るような切実、深刻な超名演である。

それにしてもフルトヴェングラーは、何故「悲劇的序曲」をレパートリーに入れてなかったのだろうか?

彼の芸風と「悲劇的序曲」の曲想はマッチするはずなのに…、不思議で仕方がない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:46コメント(0)トラックバック(0)ブラームスフルトヴェングラー 

2012年05月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「ブラ1」はフルトヴェングラーの唯一のスタジオ録音で、個性的な輝きを強く出した演奏である。

フルトヴェングラーの雄大な構想をもった表現もさることながら、ウィーン・フィルの優美で柔らかく感情をゆさぶるような共感をもった演奏法が胸を打つ。

重量感のある、まことに雄渾なブラームスだ。

第1楽章のスケールは極大であり、魂が灼熱しており、うねるようなテンポの動きを伴って、どこから見てもフルトヴェングラー的な表現で、強靭な低弦も特筆すべきである。

第2楽章も崩れる寸前の雰囲気がむせるようで、再現部冒頭あたりはフルトヴェングラーならではの運び具合であるし、第3楽章の不健康な味わい、特に手探りで進むような再現部の初めはすばらしさのかぎりだ。

しかし終楽章は音量に乏しく、そのため悲劇的な起伏がやや平板に感じられる。

もちろん録音の貧しいせいも多分にあるのだろうが、表現自体、彼ならばもっともっとできるはずである。

ハンガリー舞曲第1番はこの時代のフルトヴェングラーらしく、基本的なテンポが速くて、いかにも若々しい表現だ。

しかし、もちろんそれのみにとどまらず、彼独特の気迫と優しさが巧みに交代するわけだが、これがほとんど即興的に行われるのである。

興奮してくると、ぐんぐん加速をかけ、反対に大きな呼吸でテンポが落ちる。

落ち着いた気分で楽しめる演奏ではないが、奔放な情熱が忘れ難い。

ハンガリー舞曲第10番は第1番以上にすばらしい名演だ。

この曲をこれほど遅いテンポで開始した指揮者は他に決していないだろう。

ワルターに比べると倍も遅いかと思われ、別の曲のように感じられる。

渋い、深沈たる趣は何ともいえず、沈み込んでゆくような寂しさは天下一品である。

テンポの動きははなはだ多く、まことに名人芸だが、オーケストラの響きはすっきりして見通しがたいへん良い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:14コメント(0)トラックバック(0)ブラームスフルトヴェングラー 

2012年05月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューマンのピアノ協奏曲は、フルトヴェングラーとギーゼキングとの唯一の共演盤であり、1942年3月のベルリン・フィルの定期公演における実況録音である。

フルトヴェングラーの特徴は第1楽章に顕著だ。

冒頭和音の気迫、つづいて入るピアノとのずれがいかにも彼らしく、木管による第1楽章が始まると、心のこもった情感がいっぱいに漂ってくる。

この楽章で彼が言いたかったのは暗い人間の心なのだ。

中間部初めのクラリネットや再現部の第1テーマはさながらしのび泣きを想わせる。

ギーゼキングも珍しく情緒的な演奏で指揮者に応えている。

第2楽章のフルトヴェングラーはやや歌いすぎてデリカシーを欠き、第3楽章もわりに冴えない。

しかしコーダの加速はおそらく彼にしさであろう、スムーズに決まっている。

同じくシューマンのチェロ協奏曲は、ティボル・デ・マヒュラのソロが美演だ。                                        哀切に心を込め、まず第1に人間的な感情が前面に出ており、しかも繊細さや高貴さを失っていない。

渋い第2楽章が終始意味を持って語りかけてくるのは感情の持続性が優れているからであろう。

フィナーレでもどんなパッセージでも内容を感じさせ、緊迫した前進性は圧倒的でその真剣さに打たれる。

フルトヴェングラーの指揮も全体にテンポの流動がスムーズで音楽が生きており、フィナーレなど、とりとめのない曲をマヒュラとともに聴かせてしまう力がすばらしい。                                     

フルニエとの第3楽章が残されているが、音質が良くない。

フルニエのチェロは小味で優美だが、前記マヒュラのほうがはるかに感動的である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:12コメント(0)トラックバック(0)シューマンフルトヴェングラー 

2012年05月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーがスイスに亡命する直前にウィーン・フィルの定期演奏会で指揮をしたフランクの交響曲は、フルトヴェングラーの数あるライヴ録音の中でも最も悪魔的な演奏として知られている。

とはいえ、フルトヴェングラーによるフランクの交響曲の名演といえば、衆目の一致するところ1953年の英デッカ盤の方が完成度が高いが、本盤のグランドスラムによる見事なLP復刻に接して、この1945年盤も1953年盤に決して引けを取らない名演であることを思い知った。

第1楽章の第1主題に向けてのハチャメチャなアッチェレランドはいかにもやり過ぎだとは思うが、テンポ設定の思い切った変化やダイナミックレンジの幅広さ、そして情感の豊かさなどを織り交ぜつつ、全体としての造型をいささかも損なうことのない点は、フルトヴェングラーならではの至芸だといえる。

それにしても、ナチスドイツの敗色濃厚な中で、敵国であるフランス音楽(フランクはベルギー人であるが)を堂々と演奏するフルトヴェングラーの反骨精神には、ほとほと感心させられる。

他方、モーツァルトの第39番も名演だ。

さすがのフルトヴェングラーも、モーツァルトではフランクのように荒れ狂ったりしない。

フルトヴェングラーの壮年期の演奏に近い個性的な表現で、スケールも大きい。

最近の演奏様式には見られないロマン的なモーツァルトだが、音楽は意味深く、十分説得力がある。

この点は、モーツァルトの本質をしっかりと捉えていたことの証左であろう。

それにしても、この荘重たるインテンポから漂ってくる深みは、何と表現すればいいのだろうか。

まさに、天才だけが可能な至高・至純の境地と言えよう。

グランドスラムによる復刻も最高だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:24コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラー 

2012年05月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンはチャイコフスキーの作品を得意中の得意としていた。

いずれもカラヤンの緻密な設計と演出、心憎いほど巧みな棒さばきで、各曲の曲想を余すところなく華麗に表出している。

カラヤンの長所が発揮された演奏で、実に設計の巧みな、聴かせどころを押さえた表現である。

旋律の歌わせ方での独特の粘りといい、間の取り方のうまさといい、絶妙だ。

カラヤンにこうした曲を振らせると、抜群の巧さを発揮する。

要するに超一流のベルリン・フィルを駆使して、手抜きなしに正攻法で攻めるという誠実さが、こういう結果になるのだろう。

とにかく演奏は例によって老獪そのもの、演出の巧さではダントツの存在感を示している。

そしてどこまでも端然としたたたずまいで、品格が高いのもカラヤンの通俗名曲の特色になっている。

ただあまりにもカラヤン流であるため、人によっては演出過剰と感じるかもしれない。

演奏としては「スラヴ行進曲」が聴かせる。

カラヤンは帝王巨匠になっても、大衆の喜ぶ音楽の演奏を忘れなかった。

こうした活動ぶりが、"クラシック音楽のセールスマン"などと、陰口を叩かれる要因になったのだろうが、カラヤンのセールス活動がなかったら、クラシック音楽の衰退はもっと早まっていただろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:45コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーカラヤン 

2012年05月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1966年11月4日、ケルン、フンクハウスでのライヴ録音。

衝撃の1枚。

『リング』の発掘・超名演で男上がりまくりのカイルベルトだが、この『ブル8』も一層彼の名誉に寄与する事間違いなしだ。

この演奏の表現力は誰が聴いても圧倒されるはず。

ハース版による演奏では、これが筆者にとって朝比奈(ラスト)、ヴァントとともにベスト3だ。

全体的に若干速めのテンポで、輪郭をくっきりととるような骨太の演奏。

基本的には作為的なところのない素朴な演奏スタイルなのだが、スケールの大きさは十分である。

ただしブルックナーの「ゆっくり休み休み逍遙する」演奏ではない。

アダージョ後半くらいから、ぐんぐんヒートアップ。

美しい楽想が泉のごとく湧き出てくる。

全曲を一気に聴かせる意味において、朝比奈やヴァントとは異なるがゆえの魅力がある。

細部の技巧にこだわるよりも、曲全体の構造を大きく捉え、感興に乗りながらコーダに向けて豪快に推進していく力に圧倒される。

これはどの曲にも見られるカイルベルトの個性だが、8番の性格も相まって、見事の一言。

これほど熱く、確信に満ちていて、逞しい造形感を持つ凄い「ブル8」はそうそう聴けない。

ケルン放送響も上質なオケであることが実感できる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:33コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーカイルベルト 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブラームスの交響曲第1番は、NHK交響楽団にとっては得意のレパートリーとも言うべき楽曲である。

最近でこそ、デュトワやアシュケナージなどを音楽監督に迎え、フランス系やロシア系の音楽も十八番にしつつあるNHK交響楽団であるが、本盤の録音当時は、名誉指揮者であるサヴァリッシュやスウィトナー、ホルスト・シュタインなどのドイツ系の指揮者が幅を利かせ、ドイツ系の音楽を中心に演奏していた。

さらに前の時代のカイルベルトやシュヒターなども含め、ブラームスの交響曲第1番は、それこそ自己薬籠中の楽曲と言っても過言ではなかったと考えられる。

実際に、サヴァリッシュなどによる同曲のCDも発売されているが、本マタチッチ盤はそもそも次元が異なる名演と高く評価したい。

テンポは全体で約42分という、ブラームスの交響曲第1番としては速めのテンポであるが、音楽全体のスケールは極めて雄大である。

マタチッチは、必ずしもインテンポには固執せずに、随所でテンポを変化させており、特に終楽章のアルペンホルンが登場する直前など、いささか芝居がかったような大見得を切る表現なども散見されるが、音楽全体の造型がいささかも弛緩しないのは、巨匠ならではの圧巻の至芸と言える。

NHK交響楽団も力の限りを振り絞って力奏しており、その圧倒的な生命力は切れば血が飛び出てくるほどの凄まじさだ。

当時は、力量はあっても事なかれ主義的な演奏をすることが多いと揶揄されていたNHK交響楽団であるが、本演奏では、こうした力強い生命力といい、畳み掛けていくような集中力といい、実力以上のものを出し切っているような印象さえ受ける。

したがって、NHK交響楽団の渾身の演奏ぶりを褒めるべきであるが、それ以上に、NHK交響楽団にこれだけの鬼気迫る演奏をさせた最晩年の巨匠マタチッチのカリスマ性を高く評価すべきである。

いずれにしても、本盤のブラームスの交響曲第1番は、NHK交響楽団の同曲演奏史上においても、特筆すべき至高の名演と高く評価したい。

ベートーヴェンの交響曲第7番は、今から25年以上も前のことであるが、NHK教育テレビにおいて、本盤に収められたマタチッチ&NHK交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第7番を放送していたのを視聴した時のことを鮮明に記憶している。

それは、マタチッチがほとんど指揮をしていなかったということだ。

手の動きはきわめて慎ましやかであり、実際にはアイコンタクトだけで指揮していたと言えるのではないだろうか。

しかしながら、そうした殆ど動きがないマタチッチを指揮台に頂きながら、NHK交響楽団がそれこそ渾身の力を振り絞って力強い演奏を行っていたのがきわめて印象的であった。

当時のNHK交響楽団は、技量においては、我が国のオーケストラの中でトップと位置づけられていたが、演奏に熱がこもっていないとか、事なかれ主義の演奏をするとの批判が数多く寄せられており、死ぬ直前の老匠とは凄い演奏をするなどと揶揄されていた。

そうした批評の是非はさておき、死を1年後に控えていた最晩年のマタチッチによるこのような豪演に鑑みれば、そのような批評もあながち否定できないのではないかと考えられる。

いずれにしても、あのような手の動きを省略したきわめて慎ましやかな指揮で、NHK交響楽団に生命力溢れる壮絶な演奏をさせたマタチッチの巨匠性やカリスマ性を高く評価すべきである。

本盤には、そうした巨匠マタチッチと、その圧倒的なオーラの下で、渾身の演奏を繰り広げたNHK交響楽団による至高の超名演が収められている。

そして、今般のSACD化によって、Blu-spec-CD盤やXRCD盤を凌駕する素晴らしい音質に蘇った。

マタチッチ&NHK交響楽団による歴史的な超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)マタチッチ 

2012年05月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「コリオラン」序曲の演奏は、3種におよぶフルトヴェングラーの「コリオラン」のベストであるばかりでなく、彼の残した数多い全録音の中でも最高にランクされる演奏。

その異常な緊張力と鬼気迫るような迫力、ドラマティックな訴えは見事で、ことに冒頭とコーダにおけるティンパニの最強打が凄まじい。

第2主題のテンポの落とし方もほかの録音よりこれが最も効いており、ことにコーダにおけるそれは、哀しい音色といい、ピアニッシモの生かし方といい、後ろ髪を引かれるような、おずおずとした運びが何ともいえない。

最近ではこの第2主題でテンポを落とさない指揮者が増えてきたが、それではこのテーマの意味は生かし得ないだろう。

現今の指揮者に、これを凌駕することは不可能だろうし、大戦中なるが故に可能だった演奏かも知れない。

《ザ・グレイト》は1942年のライヴなので音質は悪いが、楽器の抉りが効いて生々しく、その点では1947年の《運命》と並んで、フルトヴェングラーの表現を最も堪能できるCDとして価値が高い。

彼は阿修羅のように燃え立っている。

曲のドラマを身をもって体現し、聴衆を前にして類稀なパッションと表現力を全開させてゆく。

第1楽章の主部に夢中になってのめりこむフルトヴェングラーの姿があり、きれいごとの部分は皆無、激烈なアッチェレランドはとても正気の沙汰とは思えない。

第2楽章以下も感情の起伏が大きく、満足感は比類がない。

インマゼール、ワルターと並んでベスト・スリーに挙げたいが、それぞれが全く別のスタイルなのは嬉しいことだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:40コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーシューベルト 

2012年05月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1947年5月25日 ベルリン、ティタニア・パラストでのライヴ録音。

このコンサートは《エグモント》序曲、《田園》、《第5》の順にプログラムが組まれた。

戦後のフルトヴェングラーは、したがって《田園》によってシンフォニーの指揮を再開したことになる。

そのせいか、第1楽章の表現は回顧的というのか、実に懐かしい。

深い、しみじみとした味わいや、時には寂しささえ、例の遅いテンポの中から漂ってくる。

録音の状態も同じ日の《第5》より明快で、この楽章のコーダまではたいへんすばらしい。

第2楽章はデリケートな愛情に満ち、しかも即興的な表情や動きが多用された演奏で(この即興性は全楽章を一貫しているが)、第2主題のアッチェレランドは1944年盤よりもきついくらいである。

スケルツォのオーボエ主題、フィナーレの第2主題の緩急はやりすぎの気味があるが、客席で聴いている人たちには、これでちょうど良かったのかもしれない。

《第5》は2日後の演奏と本質的に変わりはなく、むしろ27日盤を好んで聴いていたのだが、仏TAHRA盤を聴いて25日盤の印象が一変した。

その音質が非常に優秀で、明快な上に歪みがなく、実にすっきりと抜けている。

分厚さでは27日のグラモフォン盤を採りたいが、濁りのなさでは仏TAHRA盤を採りたい。

演奏の本質に変化はないにしても、これで25日の演奏のほうを好む人の数は大いに増えるはずだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2012年05月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1951年8月19日、ザルツブルク音楽祭での実況録音。

フィッシャー=ディースカウはシューマンのリートの卓越した歌い手だが、マーラーにかけても他の追随を許さない。

それは1951年に弱冠26歳の彼が、ザルツブルク音楽祭でフルトヴェングラーと共演した「さすらう若人の歌」の録音を一聴すれば瞭然。

当時26歳だったフィッシャー=ディースカウの若々しく瑞々しい歌唱が大変に見事。

フルトヴェングラーもオケを意のままに動かしながら、この曲の持ち味を余すところなく表出している。

ウィーン・フィルも実にうまい。

フィッシャー=ディースカウの迫真の歌いぶりに、フルトヴェングラーをして、これまであまり関心のなかったマーラーの音楽を再認識させ、もっと彼の作品を演奏してみたいと思わせた、いわくつきの演奏だ。

フィッシャー=ディースカウの声は技術や声の深さ、表情の豊かさなどが完璧で、フルトヴェングラーの伴奏も威厳と風格と偉大なる愛情にあふれ、ただ聴き惚れるのみである。

フィッシャー=ディースカウのテキストとスコアの読みは、26歳の若者とは思えないほど深くこまやかだ。

心の傷つきやすい若者が、美しい自然に懸命に自分を合わせ、すがる思いを吐露するが、その繊細で鋭敏な心の働きが痛いほど伝わる。

そして、ついに抑えられなくなった想いは、天にも達する激しい慟哭で歌い上げられ、その心の苦しみは狂気と紙一重となる。

そのフィッシャー=ディースカウの捨て身の白熱的燃焼力、心情の吐露には圧倒される思いがする。

このコンビによるスタジオ録音のほうが繊細でまとまりはよいが、このライヴでは天をも衝くような激しい慟哭が主導し、生と死の境をさまよう若者の破れかぶれの心理を鋭く追求している。

内面のこの破綻の風景こそ、この歌曲集の核心をなしていることがわかる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:58コメント(0)トラックバック(0)F=ディースカウマーラー 

2012年05月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーの《V字》は、3つの録音が残されているが、この1951年ライヴ盤は、第1楽章の序奏部がほかの2盤よりもものものしく、フルトヴェングラーを満喫できる。

主部はオケの厚みと充実度がすばらしく、内的力感に満ち、3盤中のベストで、録音も1952年盤より良い。

第2楽章は温かい歌と豊かな情感にあふれ、トリノ盤に匹敵するが、音が良いぶん、このほうが上かもしれない。

メヌエット以後はベルリンのスタジオ録音と同じく、大人の風格を感じさせるスタイルの模範的な指揮ぶりだ。

《コリオラン》序曲は、後述するシューマンの《春》とともに、ミュンヘンのドイツ博物館ホールで行われた演奏会の実況録音である。

ここは大変古びた会場だが、残響が多く、かつ響きが暗く柔らかいため、独特のおどろおどろしさが出ており、ウィーンの弦がよくのびる。

《春》は第1楽章の序奏部からして、フルトヴェングラーの表現は雰囲気満点だ。

ことに主部に向かって盛り上がってゆく時の猛烈な気迫は天下一品といえようし、展開部の終わりのクライマックス設定も"ものすごい"の一語に尽きる。

第2楽章のラルゲットは良いテンポで、弦のレガート奏法がきわめて情緒的であり、中間部の頂点における凄絶なリズムや推進力も見事だ。

スケルツォに入ると、演奏旅行中のオーケストラと指揮者は、俄然ぴったりとした意気の投合を見せ始め、ミュンヘンの聴衆を興奮のるつぼに巻き込んでゆく。

この迫力は普通の音力ではない。人間の発揮し得る、ぎりぎりの精神が生んだものだ。

そして最後の第4楽章ではますます脂がのってきて、この楽章のフルトヴェングラーは自由自在である。

シューマンが完全に彼の自家薬籠中のものと化しており、音楽が大揺れに揺らされる。

しかし、地にしっかりと足がついているので、いくらやっても決して嫌味ではなく、むしろ面白い。

そして、ついにコーダの、最高のクライマックス・シーンが現出する。

デモーニッシュな金管の最強奏、アッチェレランドによる嵐の急迫はこの世のものとは思えず、手に汗を握るうちに、やがてフルトヴェングラー独特の、大きく息をつく間を伴った和音によって、さしもの演奏も終わりを告げるのである。

録音がしっかりしているのも実にうれしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:42コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーシューマン 

2012年05月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1954年8月30日、ザルツブルク音楽祭における実況録音で、フルトヴェングラーの最後の舞台記録である。

最晩年の棒なのでテンポは遅めであり、そのぶんオーケストラが絶えず分厚く、立派に鳴り、特にホルンの隈取りが効いている。

録音のせいもあるのだろうが、フルトヴェングラーとしてはピアニッシモでさえ、強めに弾かせているのが目立つ。

「第7」の第1楽章は1つ1つの音やひびきにずっしりとした内容があり、カロリーの高い序奏部が出色だ。

第2楽章では最初のテーマを弾くヴィオラとチェロの歌が心にひびく。

スケルツォでは轟然と鳴りわたるトリオがすばらしい。

フィナーレでは1953年盤よりさらにテンポが遅く、加速で盛り上げるよりも、ひびきの充実感を失わないように努力している。

死の直前の巨匠の記録として、1953年盤よりもずっと価値が高いと思う。

録音もこのほうが良い。

「第8」も演奏は"1954年のフルトヴェングラー"だ。

解釈の基本はストックホルム盤、ベルリン盤と同じであるが、いちばん抑制が効いており、最晩年の透明度を獲得している。

遅いテンポと腰の重いリズムを一貫させ、音の出し方に絶えず意味があり、すばらしい情熱を内燃させた第1楽章、やはり遅いテンポと分厚いひびきで、すごい内容を感じさせる第3楽章あたりは、フルトヴェングラーならではの名演であり、フィナーレも1953年盤をはるかに上まわる。

録音もひびきの豊かなぶん、この方が上で、フルトヴェングラーの「第8」の代表盤といえよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:44コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2012年05月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーの有名な「ブラ4」(1948年盤)は既に語り尽くされているので、ここでは「未完成」について述べたい。

いかにもフルトヴェングラーらしい「未完成」の名演である。

彼はこの曲を振る前は、そわそわと落ち着かなかったそうだが、曲想が彼の表現とぴったり合致していないので、演奏しにくかったのだろうと思う。

しかし、このCDは、一応やりたいことをやり尽くし、フルトヴェングラーなりにきわめ尽くしている。

第1楽章は音楽が地の底から湧き起こるように開始され、フォルテの凄絶さはその比を見ない。

ホルンとバスーンによる経過句で大きくリタルダントし、第2主題を導き出すのもフルトヴェングラーらしいが、チェロの弾く第2テーマの翳の濃い表情は、ほかの指揮者からは聴けないものだ。

この主題、たいていの指揮者はピアニッシモの指定にとらわれてしまうからであろう。

つづくヴァイオリンの心のこもったレガートも美しい。

その後の漸速を伴った、しかもスムーズな進行も聴きもので、フルトヴェングラーの魂が次第に高潮し、燃焼してゆくさまが目に見えるようだ。

そして提示部の終わりで第2主題が現れる部分のヴィブラート奏法は、彼ならではの温かさであり、造形上にも一分の隙もさえない。

展開部はフルトヴェングラーと未完成交響曲の厳しい対決であり、真剣勝負である。

これこそ時代の流行を越えた"真実の表現"であり、それゆえに決して古くならない生命力が燃えたぎっている。

大きくテンポを落とした、ものものしい終結とともに、聴く者の魂を奪うに充分なものがあろう。

第2楽章はテンポが速く、淡々とした運びの中にあふれるような歌を込めた指揮ぶりである。

テンポの微妙な変化はフルトヴェングラーの息づきのように自然だ。

フォルティッシモは相変わらずものすごいが、力ずくの迫力ではないので、切れば血の出るような有機性を絶えず保っているのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーシューベルト 

2012年05月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1952年2月3日、ウィーン、ムジークフェラインザールに於けるライヴ録音。

フルトヴェングラーが残した『合唱つき』で一番に思い出されるのは、「バイロイトの第9」であろう。

それほどインパクトがあり歴史的背景も重なり今や日本では「金字塔」ともいえる名演である。

その他にもイギリス国王ジョージ6世戴冠祝典演奏会ライヴや戦時中の1942年4月のヒトラー生誕前夜祭など大きなイベントにフルトヴェングラーは『合唱つき』を取り上げている。

当盤の『合唱つき』は、ウィーン・フィルの第1回演奏会を指揮したオットー・ニコライの業績を讃え毎年この時期に開かれる演奏会の「オットー・ニコライ記念コンサート」でのライヴである。

フルトヴェングラーが大病を患う前で聴覚もしっかりしているときの演奏という他にも、良い点がいくつもある。

それは気心知れたウィーン・フィルとの共演、そしてウィーン・フィルの拠点ムジーク・フェラインでの演奏、ソリストもオペラなどで度々共演していたメンバーであること、が挙げられる。

それ故に、ウィーン・フィル独特な弦楽器の音色の美しさは、この曲をより一層高みへと誘う最高の武器だ。

そしてバイロイトの時の臨時編成オケとは違うというのも強みで、いかにフルトヴェングラーが統率しオケが完璧にそれに応えていたのかがわかる。

第1楽章開始の遅いテンポと間合いを十二分にとった重々しい表現はバイロイト盤を凌ぎ、強靭に踏みしめてゆくフーガもすばらしいし、楽章終結のティンパニも凄絶に鳴っているような気がする。

もう一ヶ所、印象的なのが第3楽章の第2主題で、音量を強く出し、遅いテンポでじっくりと歌ってゆく美しさは、フルトヴェングラーの演奏でもベストの一つといえよう。

ソロも綺麗に録音されており、バイロイト盤と双璧をなす演奏を堪能する事ができる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:30コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2012年05月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1943年度のバイロイト音楽祭での実況盤であるが、残念なことに第1幕第1場の主要部から第2場の初めにかけてと、第3幕第4場の5重唱が欠落している。

部分的な欠落はあるが、バイロイトのフルトヴェングラーを知るためには欠かせぬもので、1943年のステージの録音とは思えぬほど音も良好で、特に独唱が鮮明に入っているのはありがたい。

フルトヴェングラーのワーグナー録音の中でも最も充実しているものの一つが、大戦末期のバイロイト音楽祭での《マイスタージンガー》。

1940年代に活躍したローレンツ、ミュラー、フックス、プロハスカなど超豪華なキャストを擁し、フルトヴェングラーも昂揚の限りを尽くしたかのような奇跡的な名演である。

フルトヴェングラーの指揮は、例によってドラマの内容を最大限に生かそうというもので、それを歌手たちが100パーセント体現し、ポルタメントなどの過剰が古くさく感じる反面、心理描写の表現は実に見事だ。

特にハンス・ザックス役のプロハスカ、ベックメッサー役のフックスが巧く、エヴァ役のミュラーも美しい。

フィナーレのザックスの語りと最後の合唱に見せる緊張と高揚はフルトヴェングラーのワーグナー観を最も説得力のある形で示したものといえるだろう。

《指環》などではフルトヴェングラー流のワーグナーに抵抗もあるが、《マイスタージンガー》の場合は曲調と指揮者の個性とがマッチしており、コーラスのもやつくのを我慢すれば、フルトヴェングラー・ファン、ワーグナー・ファンともに充分に楽しめる。

これこそ真のドイツ魂の発露であり、この指揮者の味の濃さと豊かな雰囲気が生きた場合といえよう。

このフルトヴェングラーの歴史的録音は、1937年にトスカニーニがウィーン国立歌劇場管弦楽団を指揮した《マイスタージンガー》の全曲ライヴ録音と双璧をなすといえる最高にすばらしいものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:02コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

2012年05月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1947年10月3日 ベルリン、アドミラルパラストに於けるライヴ録音。

フルトヴェングラーの戦後初のオペラ公演のライヴで、第2、3幕の主要部分を収めている。

演奏は、フルトヴェングラーらしいロマンティックな大きなうねりを伴った、気宇壮大な音楽が楽しめる。

基本的な演奏の路線は有名な1952年盤と殆ど変わりなく、スリリングなフレーズ回しや音楽づくりがこの曲の劇性を浮き彫りにしている名演である。

その強い陶酔と法悦は、まさにこの作品の本質に迫る名解釈だし、オケも熱っぽい演奏でその指揮に応えている。

しかしながら本盤では、局所的な違いはある。

強音を鳴らす部分での多少の加速や、ズートハウスの所々の即興的な歌い回しが面白く、フルトヴェングラーの熱気という点では1952年盤と変わらない。

加速については見せ場をきっちり作ることに成功しているし、ズートハウスの演技も演奏に良い影響を与えており、具体的には必死さが出ている。

歌手陣では前述したズートハウスの力に満ちた歌唱と、フリックの深い情感に満ちた演唱は、今日の我々にも強い説得力を持っている。

万人向きではないが、フルトヴェングラーとワーグナー・ファンには大きな喜びをあたえるディスクだろう。

筆者は、巨匠の《トリスタン》ライヴ録音が存在する時点で最高の評価をしてしまうが、これは1952年盤を気に入った方にも薦められるものである。

1947年の録音としては音質もかなり良い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:18コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

2012年05月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーの晩年、1952年イタリアでの録音で、トリノとローマの、いずれもRAI所属のオーケストラを振っている。

一連の録音でも、評判の高かったワーグナーの管弦楽作品は、さすがに充実した演奏で、新リマスターで、音の鮮度が上がっている。

いずれもライヴだけあって、フルトヴェングラーが感興の趣くままに精神を高揚させながら、オーケストラを意のままに動かし、大変熱っぽい音楽をつくりあげている。

《さまよえるオランダ人》序曲は速い部分はより速く、遅い部分はより遅いフルトヴェングラー流の演奏で、かなり熱狂的であり、緊迫感にもあふれている。

《ジークフリート牧歌》は幸福感に満ちた名演で、ウィーン盤よりはるかに音は鈍いが、演奏はこのほうが魅力的だ。

冒頭の温かい情感と人間味にあふれた弦のひびきやハーモニーは、誰にも真似のできないフルトヴェングラー・トーンで、まるで聴く者の心に寄り添ってくるようだ。

全体にむせかえるような歌に満ちた豊かさがたまらない。

盛り上がりのアッチェレランドもウィーン盤ほど夢中になりすぎず、コーダは繊細さの中に情愛がこもっている。

《神々の黄昏》〜「ジークフリートのラインへの旅/ジークフリートの葬送行進曲」は、この巨匠の体質が強く滲み出た感動的な名演だし、《トリスタンとイゾルデ》〜「前奏曲と愛の死」の官能美にあふれた表現にも心打たれる。

それにしてもトリノとローマの放送オケにフルトヴェングラーは何と心のこもった音を出させ、心のこもった音楽を奏でさせることだろうか。

フルトヴェングラーの偉大な芸術を知るうえで貴重なディスクである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

2012年05月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



《グラン・パルティータ》は、1947年のスタジオ録音(SP)で、フルトヴェングラーによる同曲唯一の録音である。

彼の戦後初のウィーン・フィルとの録音のひとつでもある。

演奏は全体にやや腰が重く、リラックスした気分にいくぶん乏しい気はするが、やはりフルトヴェングラーならではの風格があり、そうしたところに強く惹かれる。

全曲のどの一部をとっても、陶酔的なまでに柔らかいウィーン風な音色とハーモニーがあり、音楽性に満ちている。

特に、主題と6つの変奏からなる第6楽章の変化に富んだ表情の美しさは格別だ。

それに当時のウィーン・フィルの管楽器奏者たち(カメッシュ、ウラッハ、エールベルガーなど)による合奏が実に素晴らしく、そのぴったりと息の合った優雅な演奏に惚れ惚れとしてしまう。

ことにオーボエとクラリネットがニュアンス豊かに歌い交わし、テンポとリズムも模範的だ。

フルトヴェングラーはほとんど何もやっておらず、ウィーン・フィルの奏者に任せてしまった感じで、指揮者の個性には乏しいが、モーツァルトとしてはかえって成功する原因となった。

フルトヴェングラーならば、もっと遅いテンポをとったり、ダイナミックな迫力を押しつけたりしそうだが、ここではそのような抵抗が少しもない。

部分的にはもう一つのユーモアやこぼれるような魅惑があってもと思わせるが、それは欲というものであろう。

1949年録音の《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》は、壮大で力強く、セレナードらしからぬ深遠な音楽になっており、スケール雄大な造型と、ベートーヴェンをさえ想わせる精神的な厳しいひびきに特徴がある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトフルトヴェングラー 

2012年05月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーの「ブル7」は、録音して残されているのは5種類ある。

演奏は全てベルリン・フィルとのものだが、その内2種類は1951年に演奏・録音されたものである。

一つはエジプト・カイロでの演奏旅行で行われたライヴで、もう一つがその演奏旅行から戻って数日後のローマでのライヴ。

ライヴと言う点では共通しているのだが、意外にもその演奏スタイルは違う。

カイロではライヴならではの燃焼度の高いいかにもフルトヴェングラーといえる演奏だが、このローマでの演奏は、同じようなスタイルではあるものの、内に秘め静かに燃える演奏はいつものフルトヴェングラーとは違う。

落ち着いているというのか、見事なまでにベルリン・フィルをいつも以上に完璧にまでコントロールし、細部まで練り上げた演奏はともすれば彼らしかぬ演奏に聴こえてくる。

フルトヴェングラーは自身のデビュー・コンサートのプログラムで「第9」を取り上げるなど、ブルックナーの演奏には中期・後期の作品に限定されるが、ブームになる以前から積極的に演奏した。

演奏の出来不出来はともかく、フルトヴェングラーのブルックナーは一部の評論家から駄目と一括りにしてしまっているが、それは如何なものか?

この演奏もそう捨てたものではない。

音が良いものであればデジタル録音で良いし、名演と呼ばれるものも数多い。

しかし、フルトヴェングラーでしか聴けない何かが、今でも多くの人に愛されている証拠だろう。

音質はカイロ盤よりも格段にすぐれ、ことに分離の良さでは1949年盤を凌ぐ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーフルトヴェングラー 

2012年05月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1951年10月29日、ミュンヘンのドイツ博物館コングレスザールでの実況録音。

フルトヴェングラーのブルックナーは、いずれも彼の人間的で生々しい体臭が濃厚な、いわばベートーヴェン風な解釈であり、表現自体はまことに高い次元に属する。

この《第4》も、フルトヴェングラーがかなり自己主張しているが、ほかの指揮者にない美しい部分も多々見られる名演になっている。

特にアンダンテは魅力的である。

冒頭のチェロの主題からして心のこもった歌が聴かれるが、一段落したあとのヴァイオリンの合いの手が、音色をがらっと変えて出てくるところ、ブルックナーの意図と見事に合致したすばらしさである。

つづく木管の音色の瞑想や、弦の深いひびきもさすがだが、間もなくヴィオラがピチカートを背景にして、副主題がめんめんと歌ってゆく。

このブルックナーの散策の足どりは、フルトヴェングラーの独壇場であろう。

一つ一つのフレーズの終わりに、音楽が停止してしまうような大きなリタルダントが掛かり、絶え入るばかりのディミヌエンドが併用される。

この部分、曲想から考えてほとんどの指揮者は多かれ少なかれリタルダントを掛けるが、フルトヴェングラーのは異常だ。

ある作曲家が「思わず吹き出してしまった」と述懐していたが、筆者にはフルトヴェングラーの気持ちが実によくわかるのである。

もちろんいささかやりすぎだとは思うが、音楽の本質とぴったり合っているために抵抗を感じないのであろう。

これを否定してしまったら、フルトヴェングラーの《第4》を聴く意味はないし、おそらく、このCDの中で最も印象的な部分といえるのではないか。

またアンダンテ全体を通じて、ウィンナ・ホルンの魅力も特筆すべきである。

フィナーレ第2主題の、遅いテンポによる心を込め抜いた歌にも打たれるし、第1楽章最初のホルンも文字通りロマンティックだ。

楽譜は〈改訂版〉によっている。すでに〈ハース版〉が世に出てから15年も経った1951年に、フルトヴェングラーが古いスコアを使ったのは興味深い現象だ。ただし、スケルツォ再現における省略だけは行っていない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:21コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーフルトヴェングラー 

2012年05月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1949年3月15日 ベルリン、ティタニア・パラストにおける定期演奏会の実況盤。

4種類存在するフルトヴェングラーのブルックナー「第8」は、どれもユニークな内容を持つ演奏として知られているが、中でも最も強烈なのが、この1949年3月15日にベルリン・フィルとおこなったコンサートのライヴ録音である。

前日の3月14日に、ダーレムのゲマインデハウスで放送用に収録された録音もTESTAMENTから発売されているが、聴衆の有無や、ホールの響き、録音状態の違いなどもあって、印象は大きく異なる。

この3月15日の演奏は、フルトヴェングラー流の動的ブルックナー解釈の極点を示すものとして有名なもので、第1楽章展開部後半での強烈なアッチェランドを伴うクライマックス形成や、第4楽章コーダでの激しい追い込みは、ほかの演奏からは考えられないカタルシスをもたらしてくれる。

1日前の放送用ライヴよりもさらに凄絶な表現で、まさに〈ディオニュソス的なブルックナー〉であり、それは特に第1楽章とスケルツォの主部に明らかだ。

もちろんそうしたドラマティックなダイナミズムだけが凄いのではなく、たとえば第3楽章アダージョでは、楽員の共感に満ちた濃厚な演奏が、深い情感表現に結実していて、恍惚とするばかりの美しさをもたらしてくれるのが感動的だし、そうした音楽が、紆余曲折を経ながらも次第にクライマックスに向かって盛り上がってゆくときのコントロールの巧みさと迫真の音楽づくりは、フルトヴェングラーにしかできない非常に雄弁なものと言えるのではないだろうか。

肝心の音質は、前日の放送用録音に較べてたいへん条件が良く、当時のライヴとしては最良のクオリティで、超弩級のモンスター演奏を味わえるのが大きな魅力となっている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:26コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーフルトヴェングラー 

2012年05月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーの最初のチャイコフスキー録音が、ベルリン・フィルとの《悲愴》だった。

これは、それまでの代表的な演奏であったメンゲルベルクの録音を凌ぐ評価を得ていた。

それは、フルトヴェングラーがチャイコフスキーの感情を徹底的に掘り下げたことにある。

第1楽章の地の奥底から呼びかけるような喚起力、第2楽章の単なる感傷や甘美な情感に終わらせない深いメランコリー、そして第3楽章の力強い感情の昂揚した後に第4楽章で彼は感情の深淵を垣間見せる。

この一連のプロセスをフルトヴェングラーほどの説得力をもって表現した指揮者はいない。

全人類の苦悩を一身に背負ったかのような表現がいかにもフルトヴェングラーらしい。

ベルリン・フィルのやや暗い音色と強靭な響きが、彼の解釈にいっそうアピールする力を与えている。

SP録音だが音の状態は良く、これがSP復刻による1938年の録音とはとても信じられない。

フルトヴェングラーが遺したチャイコフスキーの《悲愴〉の録音としては、本盤といわゆるカイロ盤(1951年のライヴ、DG)の2種が存在し、いずれ劣らぬ名演ではあるが、ライヴ録音ということもあり、どちらかと言えばドラマティックなカイロ盤の方を上位に置く評者が多かったのではないかと思われる。

しかしながら、今般の高音質化を持って、フルトヴェングラーの魔法のような至芸を鮮明な音質で味わうことが可能となったことにより、筆者としては、本盤の方をより上位に置きたいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーフルトヴェングラー 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ