2012年06月

2012年06月30日


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1998年9月4Dデジタル録音。

巨匠ポリーニの素晴らしい想像力と表現力をもって、ベートーヴェン晩年の独自の世界が見事に表現されている。

作品の本質と情緒を余すところなく引き出した演奏で、熟練の技術を見せつける。

完璧なテクニックと克明をきわめたバランス配分により、構造意識の権化のような凄みあるベートーヴェンを聴かせてきたポリーニだが、今回の“ディアベッリ”では、作品の“性格変奏的”ともいえるユニークな特質を十分に踏まえた、表情豊かな演奏に仕上がっているのがポイントとなっている。 

ポリーニ自身、「今の私のベートーヴェンは作品と対峠した歴史と蓄積から生まれたもので、当然刻々と変わってきたものです」と語っているように、構造はもちろん、性格の描き分けにも重きを置いたそのアプローチは、副次パートや微細な部分に至るまで徹底的に練りあげられているのが特徴で、通常の変奏曲概念から大きく脱皮した、この特異な作品の解釈法としてはまさに空前絶後。

晩年のベートーヴェン作品ならではの散文的な音響が、実は非常に高密度な構築性を伴ったものであることを実感させてくれるとても奥の深い演奏である。

若いポリーニは本当に素敵だった。

その斬新さは未だ光を失っていない。

だがここに聴く最近のポリーニは更に素晴らしい。

技巧も十分、スケール大きく、深みと豊かさと温かさに満ちた演奏でこの曲の魅力を明らかにしてくれた。

この成熟こそがポリーニらしさではないだろうか。

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2012年06月29日


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本盤には、2001年に惜しくも急逝したシノーポリが遺した唯一のシューマンの交響曲全集が収められている。

精神医学者でもあり、作曲家でもあったシノーポリの演奏は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さを特徴としている。

このような分析的なアプローチに符号した楽曲としては、例えばマーラーの交響曲などが該当するところであり、シノーポリも比類のない名演を成し遂げることに成功した。

したがって、精神分裂的な気質がマーラーに酷似しているシューマンの交響曲においても、シノーポリが名演を成し遂げたというのは、ある意味では当然のことであったと言えるだろう。

シューマンは長年に渡って精神病を患っていたが、シューマンの各交響曲における各旋律の随所に込められている心の慟哭や絶望感を徹底的に追及するとともに抉り出し、持ち味の分析的なアプローチによって完全に音化することを試みており、他のいかなる指揮者による演奏よりも彫りの深さが際立っている。

他方、シノーポリのイタリア人指揮者としての資質に起因すると思われるが、交響曲第1番や第3番(第4楽章を除く)などに顕著な明朗な旋律の数々も豊かな歌謡性を持って歌い抜いており、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした表現を行いつつ、音楽の流れもいささかも淀みがなく流麗に流れていくという、ある意味では二律背反する要素を巧みに両立させた見事な名演奏を繰り広げていると言っても過言ではあるまい。

そして、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の重心の低い音色が、演奏全体に独特の潤いと奥行きの深さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録の「序曲、スケルツォとフィナーレ」は、オペラを得意としたシノーポリならではの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さが光った名演と評価したい。

音質は、1990年代のスタジオ録音であり、これまで特段の高音質化は図られていないが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものである。

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2012年06月28日


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ヴァントは、1990年代に入ってブルックナーの交響曲の崇高な超名演を成し遂げることによって真の巨匠に上り詰めるに至ったが、1980年代以前のヴァントが未だ世界的な巨匠指揮者としての名声を獲得していない壮年期には、たびたび来日して、NHK交響楽団にも客演を行っていた。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第8番及びシューベルトの交響曲第9番「ザ・クレート」は、いずれもヴァントが得意中の得意としたレパートリーであり、NHK交響楽団に客演した際のコンサートの貴重な記録でもある。

まずは、シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレート」であるが、演奏は1979年のもの。

ヴァントは、ワルターのようにウィーンの抒情的な作曲家としてシューベルトを捉えるのではなく、むしろ、自らが得意としたブルックナーの先駆者としてシューベルトを捉えて演奏を行っているとも言えるだろう。

比較的ゆったりとしたテンポによる演奏ではあるが、演奏全体の造型は他の指揮者によるどの演奏よりも堅固であり、いささかも隙間風の吹かない重厚にして凝縮化された音の堅牢な建造物が構築されたような趣きがある。

もちろん、情感の豊かさを欠いているわけではないが、むしろ演奏全体の造型美や剛毅さが勝った演奏と言えるところだ。

もっとも本演奏には、終楽章において特に顕著であるが、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫と強靭な生命力が漲っており、その意味では、ヴァントの壮年期を代表する名演と評価してもいいのではないだろうか。

次いで、ブルックナーの交響曲第8番であるが、これは1983年の演奏。

ヴァントが未だ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏であるだけに、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏を1990年以降の超名演の数々と比較して云々することは容易ではある。

しかしながら、本演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。

また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならない。

そして、本演奏には、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫と生命力が漲っており、その意味では、ケルン放送交響楽団とのスタジオ録音よりも優れた演奏と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名演と言えよう。

両演奏ともに、ヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと喰らい付いていき、持ち得る実力を最大限に発揮した名演奏を披露したNHK交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

音質は、1970年代から1980年代にかけてのライヴ録音ではあるが、アルトゥスがマスタリングに協力したこともあって、十分に満足できる良好な音質に仕上がっている。

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2012年06月27日


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ポリーニによるショパンの練習曲集として有名なのは1972年のスタジオ録音(DG)であるというのは論を待たないところだ。

もっとも、有名ではあるが、当該演奏については評価が大きく分かれると言える。

確かに、技量という意味においては卓越したものがあると言えるところであり、おそらくはあらゆるピアニストの中でも最も完璧にショパンの練習曲集を音化するのに成功した演奏とさえ言えるのではないだろうか。

もっとも、聴きようによってはメカニックな機械じかけの演奏のようにも感じられるところであり、同練習曲集に込められた詩情や豊かな情感が犠牲になっているという批判も、あながち根拠がないものとは言えないところである。

ポリーニによるショパンの楽曲の演奏については、その後に登場したバラード集やスケルツォ集、前奏曲集、ノクターン集などにおいても同様のことが言えるところであり、技量においては完璧、しかしながら、その内容においてはいささか疑問符を付ける者も多く存在していると言わざるを得ないところだ。

このように、ポリーニのショパン演奏については、賛否両論が渦巻いているとも言えるところであるが、ショパン国際コンクール優勝直後にスタジオ録音された本演奏は素晴らしい。

もちろん、卓越した技量を披露している点においては、後年の演奏と変わりがないところであり、その抜群のテクニックの凄さには唖然とさせられるほどである。

しかしながら、本演奏はそれだけにはとどまっていない。

本演奏には、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が全体に漲っているところであり、音楽をひたすら前進させていこうという鬼気迫るような強靭な生命力に満ち溢れている。

かかる強靭な迫力は聴いていて手に汗を握るほどであり、ショパン国際コンクールにおいて満場一致で優勝したのは当然のことであると思われるところだ。

さすがのポリーニも、本演奏のような気迫や生命力を、その後の演奏においても引き続き持ち続けるのは困難であったとも言えるところであり、その後は約10年にわたって対外的な演奏活動を休止したのは周知のとおりである。

音質は、1960年のスタジオ録音であるが、ステレオ収録ということもあって、十分に満足できる水準である。

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2012年06月26日


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筆者はこのスタジオ録音の直前に行われた、アン・デア・ウィーン劇場におけるライヴ録音も持ってるのだが、フルトヴェングラーが意外と燃えておらず、演奏はむしろスタジオ録音のほうを採りたい。

スタジオ録音はセリフがカットされている。

ベートーヴェンに限らないが、ディスクで何回も聴くには、このように音楽だけのほうが良いように思う。

音質は従来盤でもかなり良く、歌手も揃い、フルトヴェングラーの指揮もきっちりとしているので、モノーラル時代には《フィデリオ》の代表盤であったという。

歌手ではレオノーレ役のメードルが白眉だ。

激しい気迫に女性的な魅力が加わり、技巧も優秀である。

フロレスタン役のヴィントガッセンも明るくのびる美声が正義の人柄を伝え、ドン・ピツァロ役のエーデルマンも、いかにも憎々しげな音色を出している。

ただし、ドン・フェルナンド役のペルだけは声が俗っぽくて採れない。

フルトヴェングラーは夢中になりすぎることなく、やるべきことをすべてやり尽くしている。

「第7曲」の内面的な迫力、速いテンポによって、久しぶりに太陽の光を見た、囚人たちの興奮を伝える「第10曲」、ここではコーラスのしゃべるような発音が巧い。

「第11曲」の遅いものものしいテンポと、気味の悪い雰囲気、「第14曲」のドラマティックな起伏、さらには「フィナーレ」の心弾む勝利の調べなど、われわれがこの曲に期待する表現を、ピタリと探り当てたものといえよう。

録音は1953年のスタジオ録音であり、従来盤でもフルトヴェングラーのCDとしては比較的満足できる音質であったが、今般のSACD化によって見違えるような鮮度の高い音質に生まれ変わった。

とりわけ、第1幕の終結部の「囚人の合唱」や第2幕第2場の「囚人と民衆の合唱」、各歌手陣の息遣い、そして第2幕冒頭の低弦の細やかな動きまでが鮮明に再現されるのは、殆ど驚異的ですらあると言える。

いずれにしても、フルトヴェングラーによる歴史的な名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2012年06月25日


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シューマンの「第4」の冒頭から重厚かつ引き締まった響きは、もはや今日の演奏では聴かれなくなった類のもの。

きわめて大掛かりな表現による序奏は、その次に来る主部への期待をいやがうえにも高める。

そして、テンポを速めて堂々とした主部へとなだれ込む。

その壮大さは比類なく、しかも隅々まで細やかな情感に満ち溢れている。

緩徐楽章もきわめて味わい深く、巨人の歩みのようなスケルツォへと経て、嵐のようなフィナーレへと至る。

これほど雄大ななシューマンは他に例がないだろう。

淡いロマンに彩られたシューマン像に親しんだ今日では、まるで別の作品を聴くような重厚な幻想性がユニークで、高度に音楽的な演奏だ。

その説得力はきわめて大きく、往年の大巨匠ならではの演奏だ。

「マンフレッド」序曲も演奏は唖然とするほどすばらしい名演。

オーケストラの響きが満ち溢れるようであり、すみずみにまでフルトヴェングラーの血が通っている。

感情の波が大きく拡がってゆき、何よりも歌い方の豊かさにまいってしまう。

                              
その意志的な強さと音楽の自在さは例えようもなく、これこそ創造的な名人芸である。

ハイドンの「V字」はきわめて彫りが深く、陰影が濃く、北ドイツ風のハイドンであるが実に味わい深い。

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フルトヴェングラーとベルリン・フィルの《ザ・グレイト》は、5種の録音がCD化されている。

生前に残したライヴを含む録音のほとんどすべてが商業ディスクになっているという指揮者は、フルトヴェングラーをおいてほかにいないだろう。

まさに空前絶後の巨匠というべきだが、ここに選んだディスクは1951年12月、ベルリン・イエス・キリスト教会でのスタジオ録音で、むろんドイツ・グラモフォンによって行われたものである。

フルトヴェングラーのスタジオ録音は数少ないとも感じられるが、確かに彼の芸術はライヴ録音に、より端的にあらわされている。

とはいえ、このディスクの演奏は、例外的ともいえるほど燃焼した音楽で、シューベルトとしては、きわめて劇的な表現である。

メリハリが強く、アゴーギグが大きく、フルトヴェングラーのロマン的な気質をそのままあらわしたような演奏である。

普通ならこのような解釈には疑問符を付けられることが多く、ピリオド楽器でシューベルト演奏が行われるようになった現在では、大時代的と片付けられるかも知れないが、フルトヴェングラーの場合は、その音楽的な迫真力があらゆる批判を封じ込めてしまう。

それは、まさに天才の業としか言いようがない。

この演奏の北ドイツ風ともいえるほの暗い音色と厳しい表情は、極めて説得力が強く、シューベルトの孤高の心情があらわに表出されている。

構成的にも一分の隙もない名演である。

ハイドンの「V字」は極めて彫りが深く、陰影が濃く、北ドイツ風のハイドンではあるが実に味わい深い。

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2012年06月24日


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ドイツ人ピアニストの巨匠ケンプによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集としては、これまで2つのスタジオ録音が知られていたところだ。

最初の録音は、ケンペン&ベルリン・フィルとともに行った演奏(1953年)であり、2度目の録音は、ライトナー&ベルリン・フィルとの演奏(1961年)である。

このうち、最初のものはモノラル録音であることから、ケンプによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の代表盤としては、ライトナー&ベルリン・フィルとともに行った演奏を掲げるのが一般的であると考えられるところだ。

そのような中で、今般、最晩年のケンプが来日時にNHK交響楽団とともにライヴ録音した全集が発売される運びとなったのは何と言う幸せなことであろうか。

演奏は1970年ものであり、ケンプが75歳の時のものである。

いずれの楽曲も至高の名演と高く評価したい。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の録音は現在でもかなり数多く存在しており、とりわけテクニックなどにおいては本全集よりも優れたものが多数あると言える。

ケンプによる録音に限ってみても、前述の2つのスタジオ録音の方が、テクニックに関しては断然上にあると言えるが、演奏の持つ味わい深さにおいては、本演奏がダントツであると言えるのではないだろうか。

本全集におけるケンプによるピアノ演奏は、例によっていささかも奇を衒うことがない誠実そのものと言える。

ドイツ人ピアニストならではの重厚さも健在であり、全体の造型は極めて堅固である。

また、これらの楽曲を熟知していることに去来する安定感には抜群のものがあり、その穏やかな語り口は朴訥ささえ感じさせるほどだ。

しかしながら、一聴すると何でもないような演奏の各フレーズの端々から漂ってくる滋味に溢れる温かみには抗し難い魅力があると言えるところであり、これは人生の辛酸を舐め尽くした最晩年の巨匠ケンプだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。

筆者としては、ケンプの滋味豊かな演奏を聴衆への媚びと決めつけ、厳しさだけが芸術を体現するという某音楽評論家の偏向的な見解には到底賛成し兼ねるところである。

ケンプによる名演もバックハウスによる名演もそれぞれに違った魅力があると言えるところであり、両者の演奏に優劣を付けること自体がナンセンスと考えるものである。

なお、本全集において、巨匠ケンプの至高のピアノ演奏を下支えしているのが、森正率いるNHK交響楽団であるが、ケンプのピアノ演奏に触発されたせいか、ドイツ風の重厚さにもいささかも不足がない名演奏を繰り広げている。

音質は、名指揮者の来日公演の高音質での発売で定評のあるアルトゥスレーベルがマスタリングを手掛けているだけに、本全集においても1970年のライヴ録音としては十分に満足できる良好な音質に仕上がっているのが素晴らしい。

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2012年06月23日


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インバルは1980年代に、当時の手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにマーラーの交響曲全集を録音した。

いずれも、名演揃いだと思うが、その中でも随一の名演はこの「第7」ではないかと考える。

圧倒的な勝利と異様なパロディ性の共存、相反する要素が混在したマーラー世界の象徴ともいえる作品。

これまで「難解」と言われてきたこの曲の隅々にまで光を当て、この交響曲に込められたさまざまな意味・感情のすべてを的確に表現した同曲の決定的名演。

「第7」は、最近ではそのようなこともないと思うが、1980年代は、マーラーの交響曲の中では不人気の部類に属していた。

クレンペラーによる超スローテンポのスケール雄大な名演や、バーンスタイン、テンシュテットによる劇的な名演もあったが、いずれも指揮者の個性の方が際立った演奏であり、「第7」の曲自体の魅力をストレートに表現してくれる演奏はほとんどなかったと記憶する。

そのような中で登場したインバル盤は、マーラーの「第7」の真価を知らしめた初めての名演と言えるものであり、更には、そうした評価は現代においても十分に通用するものと言える。

徹底したスコアの読みと細部へのこだわりがマーラー演奏に新時代を拓いたインバル&フランクフルト放送響の真骨頂がここにある。

インバルの解釈は、内なるパッションや個性をできるだけ抑制して、マーラーの音楽を純音楽的に響かせようとするものであり、名演ではあるものの、例えば「第9」など、いささか物足りなさを感じさせるものもあった。

しかしながら、「第7」については、そうしたアプローチがプラスに働いている。

「第7」は、終楽章は別にして、第1〜第4楽章には、マーラーの交響曲の中でも特に繊細な抒情や巧みな管弦楽法が際立っており、こうした箇所において、インバルはあらゆる音符に光を当てて、実に精密な演奏を心がけている。

やや遅目のゆったりしたテンポをとり、尻上がりに調子が上向きになっていき、特に第3楽章は、この曲のもつ怪奇趣味が良く現われて、聴き応えがある。

もちろん、終楽章の迫力は、インバルとしても、自己抑制を超えたパッションの爆発があり、いい意味でのバランスのとれた名演と高く評価できる。

この曲の場合、解説にある通り、終楽章の解釈に議論が分かれており、インバルはそれを考慮に入れたのだろう。

録音ももともと素晴らしいが、Blu-spec-CD化によって、さらに音場に奥行きが広がり、臨場感溢れる音質になったことも、本盤の価値を大いに高めることに貢献している。

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2012年06月22日


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ヴァントと言えば、何と言ってもブルックナーの交響曲の至高の超名演が念頭に浮かぶ。

その他にも、シューベルト、ベートーヴェン、ブラームスの交響曲などにおいて比類のない名演の数々を成し遂げているところである。

本盤に収められた諸曲のうち、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番については、こうしたヴァントの芸風に見事に合致した楽曲と言えるところであり、本盤の演奏についても、いかにもドイツ風の剛毅にして重厚な素晴らしい名演に仕上がっている。

NHK交響楽団も、1979年という録音年代を考慮すれば、ヴァントによる厳しいリハーサルの賜物であるが、実力以上のものを発揮した渾身の名演奏を行っている。

これに対して、本盤に収められたヘンデルの諸曲については、ヴァントとしてもあまり採り上げない楽曲であり、モーツァルトの諸曲は、後期3大交響曲集を除けば、必ずしもコンサートの演目に採り上げることが多いとは言い難かったモーツァルトの楽曲の中でも例外に属するとも言うべきヴァントが十八番としていた楽曲と言えるところだ。

これらの諸曲については、いずれも現在では古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏が主流を占めているところであり、本盤の演奏はその意味でも異色の演奏と言っても過言ではあるまい。

頑固一徹とも言える職人肌の指揮者だけに、とりわけ、モーツァルトのセレナードなど、ヴァントの芸風とは水と油のようにも思われるところであるが、これが実に素晴らしい演奏なのだ。

演奏全体としての堅固な造型美は相変わらずであるが、一聴すると無骨とも言える各旋律の端々からは豊かな情感が滲み出しているところであり、血も涙もない演奏にはいささかも陥っていない。

本演奏のシンフォニックな重厚さは、モーツァルトを得意としたベームによる名演を想起させるほどであるが、優美さや愉悦性においては、本演奏はベームによる名演に一歩譲ると言えるのかもしれない。

それでも、前述のような古楽器奏法などを駆使した軽妙な演奏が主流を占める中で本演奏を聴くと、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになるのは筆者だけではあるまい。

ヴァントの最晩年のインタビューの中で、とあるNHK交響楽団のオーボエ奏者が指揮室にいるヴァントを訪ねてきて、モーツァルトのセレナード「ポストホルン」の解釈についてジェスチャーで感動を伝えに来たとの発言があったと記憶している。

当該演奏は1982年4月のものであったようであるが、本盤の演奏も同様の解釈によるものであったのであろうか。

いずれにしても興味は尽きないところだ。

ヘンデルの両曲も、モーツァルトのセレナードについて述べたことと同様のことが言えるところであり、軽妙な演奏が一般化している現代でこそ存在価値のある素晴らしい名演である。

音質は、名指揮者の来日公演の高音質での発売で定評のあるアルトゥスレーベルがマスタリングを手掛けているだけに、十分に満足できる良好な音質に仕上がっているのが見事である。

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2012年06月21日


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本盤には、ブラームスの交響曲第1番をメインとして、バッハのヴァイオリン協奏曲第2番など独墺系の作曲家による協奏的作品が収められている。

まずは、ブラームスの交響曲第1番が超名演だ。

シューリヒトによるブラームスの交響曲第1番としては、スイス・ロマンド管弦楽団との演奏(1953年)やフランクフルト放送交響楽団との演奏(1961年)があるが、本演奏はそれらの両演奏をはるかに凌駕する超名演と評価したい。

本演奏は、第1楽章冒頭から凄まじい迫力で開始される。

その後は、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱を駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき圧倒的な豪演を展開している。

第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫は強靭な生命力に満ち溢れており、第2楽章の心を込め抜いた豊かな情感など、どこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱い情熱が漲っている。

このようなドラマティックな豪演としては、ミュンシュ&パリ管弦楽団による名演(1967年)が掲げられるが、本演奏は音質面のハンディを除けば、当該名演に十分に比肩し得る圧巻の迫力を誇っているのではないか。

フランス国立放送管弦楽団も、シューリヒトによる炎のような指揮に必死で付いて行っており、その重心の低い音色と相まって、いかにもブラームスの交響曲に相応しい名演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

併録の協奏的作品は、何と言ってもグリュミオーのヴァイオリンを評価したい。

いずれも独墺系の作曲家の作品であるが、グリュミオーのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいのヴァオリンの音色が、演奏全体に独特の艶やかさを付加しているのが素晴らしい。

シューリヒト&フランス国立放送管弦楽団も、グリュミオーのヴァイオリンを的確にサポートし、ブラームスとは全く異なる洒落た味わいの演奏を展開しているのが見事である。

録音は1959年のライヴ録音であるが、比較的聴きやすい音質であり、シューリヒトやグリュミオーによる至高の名演をこのような良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2012年06月20日


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サヴァリッシュは、史上最年少でバイロイト音楽祭に登場するなど、きわめて才能のある指揮者として将来を嘱望されていたにもかかわらず、その後はかなり伸び悩んだと言えなくもないところだ。

膨大な録音を行ってはいるが、シュターツカペレ・ドレスデンとのシューマンの交響曲全集(1972年)以外にはヒット作が存在しない。

いい演奏は行うものの、他の指揮者を圧倒するような名演を成し遂げることが殆どないという、ある意味では凡庸と言ってもいいような存在に甘んじていたと言っても過言ではあるまい。

しかし、本盤に収録されたブラームスの交響曲全集は、目立った名演を殆ど遺していないサヴァリッシュとしては、シューマンの交響曲全集に次ぐ名全集と言えるのではないだろうか。

確かに、個々の交響曲の演奏に限ってみれば、いずれの交響曲についても他に優れた演奏があまた存在していると言えるが、全集全体として見ると、水準以上の名演が揃った優れたものと言えるところだ。

堅固な造型美と重厚かつ剛毅さを兼ね備えたいかにもドイツ風の硬派の演奏と言えるが、かかる芸風はブラームスの交響曲の性格に見事に符号していると言えるところであり、NHK交響楽団の渾身の名演奏も相まって、素晴らしい名全集に仕上がっていると言えるだろう。

交響曲第1番については、NHKホールのこけらおとし公演の記録ということであるが、その意味でも大変貴重な存在と言える。

そして併録の悲劇的序曲が各交響曲以上に圧倒的な超名演だ。

冒頭のたたきつけるような和音からして、これがあのサヴァリッシュかというほどのとてつもない強靭な迫力を誇っており、その後の気迫と生命力溢れる力演にはただただ圧倒されるのみである。

音質は、名指揮者の来日公演の高音質での発売で定評のあるアルトゥスレーベルがマスタリングを手掛けているだけに、1970年代前半のライヴ録音とは思えないほどの十分に満足できる良好な音質に仕上がっているのが素晴らしい。

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ノイマンは手兵チェコ・フィルを引き連れて何度も来日を行ったが、単身で来日してNHK交響楽団を指揮して数々の名演を成し遂げたことでもよく知られているところだ。

本盤に収録されたスメタナの「わが祖国」とドヴォルザークのスラヴ舞曲全曲は、ノイマンが1978年及び1990年に来日した際にNHK交響楽団を指揮した際の演奏であり、1986年の来日時の演奏よりもはるかに優れた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

特に、スメタナの交響詩「わが祖国」は、録音年代はいささか古いが、圧倒的な名演と言っても過言ではあるまい。

ノイマンによる同曲の録音は意外にもあまり遺されていない。

最初の録音はライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との演奏(1967年)、2度目のものはチェコ・フィルとの演奏(1975年)、そして3度目は、チェコ・フィルとの来日時のライヴ録音(1982年)ということになる。

クーベリックが6種類もの録音を遺していることに鑑みれば少ないと言えるが、今般、NHK交響楽団との1978年のライヴ録音が加わったことは実に素晴らしいことである。

ノイマンによる交響詩「わが祖国」の代表盤は何と言っても1975年のスタジオ録音盤であるというのが衆目の一致するところであると思われるが、本演奏は、それにライヴ録音ならではの気迫や熱き生命力が付加されたものと言っても過言ではあるまい。

ノイマンによる同曲の演奏は、民族色をやたら振りかざしたあくの強いものではなく、むしろ、淡々と曲想が進んでいく中で、各旋律の随所からチェコの民族色や祖国への深い愛情の念が滲み出てくるような演奏と言えるところだ。

NHK交響楽団も、さすがに技量においてはチェコ・フィルには及ばないが、その渾身の名演奏ぶりにおいてはいささかも引けを取っておらず、ノイマンともどもチェコの楽団とたとえてもいいような味わい深い演奏を繰り広げていると言ってもいいのではないだろうか。

他方、スラヴ舞曲全曲については、ノイマンは、いずれもチェコ・フィルとともに3度にわたってスタジオ録音を行っている(1971〜1972年、1985年、1993年)。

いずれ劣らぬ名演であるが、本演奏は、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫や強靭な迫力が全体に漲っており、演奏の持つ根源的な力強さという意味においては、ノイマンによる随一の名演と言っても過言ではあるまい。

1990年代に入って、その技量を格段に向上させたNHK交響楽団も、ノイマンの統率の下、最高のパフォーマンスを発揮している。

音質は、名指揮者の来日公演の高音質での発売で定評のあるアルトゥスレーベルがマスタリングを手掛けているだけに、十分に満足できる良好な音質に仕上がっているのが素晴らしい。

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2012年06月19日


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ジュリーニは、イタリア人指揮者であるが、独墺系の作曲家による楽曲も数多く演奏した大指揮者であった。

ブラームスの交響曲全集は2度も録音しているのに対して、意外にもベートーヴェンの交響曲全集は一度も録音していないところだ。

本盤の演奏は、オーケストラがウィーン・フィルということも多分にあると思うが、これらの既に発売されている各演奏をはるかに凌駕する、ジュリーニによる両曲の最高の名演と高く評価したい。

このような圧倒的な名演奏が、今般、アルトゥスレーベルによって商品化にこぎつけられたことに対して、感謝の意を表さずにはいられないところだ。

それにしても、凄い演奏だ。

悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定は、いかにも最晩年のジュリーニならではの指揮ぶりと言えるが、いささかの隙間風の吹かない、粘着質とも言うべき重量感溢れる重厚な響きは、かのブルックナーの交響曲第9番の重量級の名演(1988年)に比肩するものとも言えるだろう。

もっとも、これだけの重厚で粘着質の演奏でありながら、いささかの重苦しさを感じさせることはなく、歌謡性溢れる豊かな情感が随所に漂っているのは、イタリア人指揮者ならではの面目躍如たるものと言えるだろう。

いわゆる押しつけがましさがどこにも感じられず、正にいい意味での剛柔のバランスがとれた演奏と言えるところであり、これには、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏が大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いや、むしろ、ウィーン・フィルの敬愛するジュリーニが指揮台にいたからこそ可能な名演奏であったと言えるのかもしれない。

いずれにしても、本盤の両曲の演奏は、巨匠ジュリーニならではの至高の超名演と高く評価したい。

ジュリーニ&ウィーン・フィルによるベートーヴェンの交響曲の演奏については、本盤の第3番及び第4番以外に遺されているのかどうかはわからないが、本盤の超名演を聴いて、第5番や第6番、第7番、第9番あたりが遺されていて欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

音質は、1994年のライヴ録音だけに、十分に満足できる良好な音質である。

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classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンジュリーニ 

2012年06月18日


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ブロムシュテットのブラームス「第1」というと、N響への客演が記憶に新しく、そちらを絶賛される方もいる。

しかし、映像を確認して頂きたいのだが、ブロムシュテットと共にもう一人、著名なヴァイオリニストが客演していたことにお気付きだろうか。

そう、シュターツカペレ・ドレスデンの首席コンサートマスター、ペーター・ミリングである。

あれはN響の実力というよりも、シュターツカペレ・ドレスデン縁の2人に支えられた所以の名演だったのだ。

さて、当CDはN響のそれより十数年前のシュターツカペレ・ドレスデンの録音だが、やはりN響とシュターツカペレ・ドレスデンでは響きの格が違う。

勿論N響も核心に迫っていたが、シュターツカペレ・ドレスデンの内声部の充実ぶりは追随を許さない。

音の層が幾重にも折り重なるような独特のサウンドであり、どんなに微弱な音にも魂を宿らせる。

全ての音が有機体のように相互作用しつつ、しかも全体のまとまりにも事欠かないという希有な合奏能力!

もっともライヴゆえ、ややアンサンブルが乱れるところもあるが、作品に真摯に向き合う姿勢は、ややするとルーティンワークになりがちな有名曲でさえ、今まさに出会うかのような新鮮さを感じさせる。

音質はややヒスノイズがあるものの概して良好である。

因みに“シュターツカペレ・ドレスデンでブラームスの「第1」はザンデルリンクだけ”というのは誤りで、実際にはケンペ盤やハイティンク盤もある。

個人的には、廃盤となったハイティンク盤の再発売を望むが、ブロムシュテット盤も中々聴かせると思う。

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2012年06月17日


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1955年6月15日 ストラスブール音楽祭でのモノラル(ライヴ)録音。

シューリヒトは、颯爽としたイン・テンポの下、繊細なニュアンスを随所にちりばめるという、言わば渋くて、枯淡の境地を垣間見せるような名演を繰り広げた指揮者だと思っていた。

しかし、それは、録音状態のいい名演が1960年代の晩年に集中していることによるものであり、1950年代半ばにフランスのオーケストラと繰り広げた前作の3枚のCDで、そのような印象が見事に覆ってしまった。

本CDも、同じく1950年代の演奏であるが、前作と同様に、テンポが目まぐるしく変遷する実に熱い演奏を行っている。

シューマンのピアノ協奏曲は、実に味わい深く、ハスキルもひとつひとつ音を慈しむように弾いていて、まるで、墨絵の世界のように渋い美しさである。

第1楽章のオーボエによるゆったりとした濃厚な表情にびっくりさせられる。

主部に入ると、演奏の歩みを速めることになるが、テンポは緩急自在で、ハスキルとの息もぴったりだ。

第2楽章は、冒頭と終結部の主題を速めに演奏して、中間部をむせ返るような抒情で歌いあげるという、実に効果的な至芸を披露している。

第3楽章も、シューリヒトの魔法のような棒のもと、見事な音のドラマを繰り広げており、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然だと思われる。

ベートーヴェンの「第5」は、全体の印象は、晩年の颯爽たるイン・テンポのシューリヒトであるが、隋所に、この時期のシューリヒトならではの踏み外しが見られる。

第1楽章はシューリヒト独特の鋭いアクセントや陰影の付け方も見事だが、展開部や再現部での荒れ狂った様子はフルトヴェングラーの1947年盤を想起させる。

シューリヒトは、この「第5」のような奇数番号を比較的淡白に指揮するものだと思われているが、これを聴けば全くそうではないことがわかる。

例えば、第3楽章の終結部の第4楽章に向けての弦の動きなど、演奏が止まってしまうかと思うようなテンポダウンを見せたり、終楽章は、冒頭主題をゆったりとしたテンポで高らかに歌い上げたかと思うと、突然、テンポが超快速に変遷する。

終結部の一歩手前は、凄まじいアッチェランドをかけており、シューリヒトの熱いパッションの爆発が見られる。

「オイリアンテ」序曲も含め、本CDにおさめられたいずれの曲も、これまでのシューリヒトの印象を覆すのに十分な超名演と評価したい。

ライナーの平林氏の解説も、過去の演奏との比較など実に懇切丁寧であり、いい加減なライナーがはびこる中で、平林氏には深く敬意を表したい。

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classicalmusic at 21:18コメント(0)トラックバック(0)シューリヒトハスキル 

2012年06月16日


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このような崇高にして感動的なマーラーの「第3」を前にしては、ただただ首を垂れるのみである。

シューリヒトは、特に晩年、ブルックナーにおいて神がかり的な名演を遺したせいか、ブルックナー指揮者のイメージがどうしても強いが、ライナー・ノーツなどを読むと、実は、マーラーをも得意とした指揮者であったとのことである。

本盤は、1960年の録音であるが、この時代には、マーラー指揮者として名を馳せたバーンスタインやショルティの全集なども完成しておらず、20世紀後半に訪れるマーラー・ブームなど予測できなかった時期である。

マーラー直系の弟子であるワルターやクレンペラーの演奏が幅を利かせた時代である。

このような時期に、メンゲルベルクは別格として、独墺系の指揮者がほとんど見向きもしなかったマーラーに果敢に挑戦したシューリヒトのマーラーへの深い愛着と、来るべき時代への先見性を高く評価するべきであろう。

この「第3」は、何とロマンティックな演奏だろう! このような「第3」は初めて耳にするが、ブルックナーやベートーヴェンの演奏とも相通ずるものが感じられ、これこそまさにシューリヒトの至芸であろう。

どの楽章も聴きどころ満載であるが、特に、第6楽章の美しさは出色で、終結部の壮麗な盛り上がりは実に感動的だ。

こういうところを聴くにつけ、シューリヒトがいかにマーラーを愛し、深く理解していたのかがわかる。

マーラーを聴き込み、シューリヒトの他の演奏を聴き込んでからなら、大きな感動を味わえるのではなかろうか。

歌曲集『さすらう若人の歌』も名演であり、録音も、1960年のライヴ録音としては、かなり高いレベルにあると言える。

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2012年06月15日


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1957年9月9日 ブザンソン音楽祭でのモノラル(ライヴ)録音。

《トリスタンとイゾルデ》の「前奏曲」は、実に荘重なイン・テンポであり、シューリヒトのワーグナー指揮者としての適性を感じさせる。

これに対して、「愛と死」は、終結部の盛り上がりの箇所でアッチェレランドを駆使したりするなど濃厚な表情を見せており、決して一筋縄ではいかない。

《さすらう若人の歌》は、ゆったりとしたイン・テンポで通しているが、何よりも若き日のF=ディースカウの巧いこと。

そのF=ディースカウの絶美の歌唱を見事に活かしたシューリヒトの至芸にも拍手を送りたい。

そしてベートーヴェンの《第7》! いかにも巨匠風の構えの大きい名演だ。

冒頭のテヌートをかけない最強奏の一打の連続には大いに驚かされるが、主部に入ると、シューリヒトならではの颯爽とした進軍が開始される。

提示部の繰り返しは行っていないが、特に、展開部に入ってからの熱狂や終結部の低弦の響かせ方など、実に素晴らしい。

第2楽章は淡々とした表情で開始されるが、やがて、むせ返るような濃厚な表情が表れる。

第3楽章は快速のいつものシューリヒト節。

第4楽章は、やや遅めのイン・テンポであるが、シューリヒトの内に秘めたパッションをなんとか抑えようと努力しているのがよくわかる。

それも、終結部に至ってついに大爆発! 猛烈なアッチェレランドとトランペットの最強奏があり、圧倒的な熱狂のうちに全曲を締めくくるのである。

シューリヒトの音楽については『淡々とした』とか『軽く流麗』とかいったような言葉が多用されていたが、これらを聴くと寧ろ正反対とさえ思えるものである。

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2012年06月14日


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1955年2月10日 パリでのモノラル(ライヴ)録音。

シューリヒトはブラームスを得意としており、交響曲をはじめドイツ・レクイエムなども数多く演奏・録音しているが、とりわけドイツ・レクイエムについては、北ドイツ放送交響楽団との演奏(1955年)、シュトゥットガルト放送交響楽団との演奏(1959年)、そして、本演奏と同一のフランス国立放送管弦楽団との演奏(1955年)がいずれも劣悪なモノラル録音であり、鑑賞に耐え得るものがなかった。

とりわけ、本盤に収められた演奏については数年前にArchipelレーベルから既に発売されてはいるが、オリジナル・マスターを使用したものではなかったこともあって、前述のようにとても満足できる音質とは言い難いものであった。

ところが本盤は、史上初めてオリジナル・マスターを使用したことによって、従来盤とは次元の異なる見違えるような良好な音質(と言っても最新録音とは到底比較にならないが)に生まれ変わったところであり、これによって、これまで曖昧模糊としてよく聴き取れなかったシューリヒトの解釈を明瞭に味わうことができるようになった意義は極めて大きいものと言わざるを得ない。

そして演奏も素晴らしく、おそらくは数あるシューリヒトによるドイツ・レクイエムの中でも随一の名演と言っても過言ではあるまい。

同曲はレクイエムでもあり、今般、同時に発売された交響曲第1番や第4番とは異なり、基本的には荘重なイン・テンポを基調としてはいるが、演奏の随所に漲っている気迫と力強い生命力は、切れば血が出てくるような熱い情熱に裏打ちされている。

静謐さを基調とする同曲ではあるが、第2楽章の中間部など劇的な箇所も散見されるところであり、ここぞという時の強靭さには渾身の迫力が漲っている。

こうしたシューリヒトの熱き情熱を抱いた渾身の指揮の下、フランス国立放送合唱団やフランス国立放送管弦楽団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

既発CDではよく聴きとることができなかった当該合唱団による渾身の合唱も、本CDでは明瞭に聴き取ることができるのも見事である。

また、ソプラノのエルフリーデ・トレッチェルやバスのハインツ・レーフスも、素晴らしい名唱を披露している。

録音は1955年のライヴ録音でありモノラルではあるが、前述のようにオリジナル・マスターからの初CD化であり、既発CDとは次元の異なる聴きやすい音質に仕上がっている。

シューリヒトによる至高の名演をこのような比較的良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2012年06月13日


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1959年3月24日 フランス国立放送管創立25周年記念演奏会でのライヴ(ステレオ)録音。

冒頭のベートーヴェンの序曲「コリオラン」の豪演からして我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

これほどの壮絶でドラマティックの極みとも言うべき演奏は、かのフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる名演(1943年)にも匹敵すると言えるところであり、音質面を考慮すれば本演奏の方がより上ではないかとさえ思われるほどだ。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番は、若き日のアラウによるピアノに関心が集まるが、確かに本演奏においては後年のアラウ(ディヴィス&シュターツカペレ・ドレスデンによる名演)のような威容は感じられない。

しかしながら、シューリヒトによる見事な指揮によるところも大きいとは思うが、この当時のアラウとしては重厚にして味わい深いピアニズムを展開していると言えるのではないか。

また、このアラウのピアノを好サポートしたシューリヒトも、フランス国立管弦楽団ともども重心の低い立派な演奏を行っている点を高く評価したい。

そして、ブラームスの交響曲第4番であるが、これは圧倒的な超名演だ。

シューリヒトによるブラームスの交響曲第4番は様々なオーケストラとともにいくつかの録音を遺しているが、これまでのところ随一の名演はバイエルン放送交響楽団との晩年の演奏(1961年)であったと言える。

ところが本演奏の登場によって、両者同格の名演との位置づけになったと言っても過言ではあるまい。

そして、1961年盤が現在では入手難という点に鑑みれば、当面は本演奏がシューリヒトによるブラームスの交響曲第4番の代表盤になったと言えるのではないか。

前述の1961年盤がインテンポによる名人の一筆書きのような枯淡の境地を感じさせる端麗辛口の名演であったが、本演奏はテンポはいささか速めであるものの、どちらかと言うとむしろ濃厚なロマンティシズムに満ち溢れた名演と言える。

テンポも全体の造型が弛緩しない程度に動かすなど、細部に至るまで実にニュアンス豊かであるが、その独特の味わい深さはこれぞシューリヒトの芸術の真骨頂と言えるだろう。

そして、第2楽章をはじめとした同曲に特有の美しい旋律の数々も、シューリヒトは1961年盤以上に心を込めて歌い抜いており、そのロマンティシズムに満ち溢れた情感の豊かさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。

終楽章の各変奏の描き分けも秀逸であり、その味の濃い濃密な表現は巨匠シューリヒトだけに可能な豊かな芸術性溢れる圧巻の至芸であると言えるだろう。

録音は、前述のようにステレオ録音であり、実に素晴らしい音質であると言える。

シューリヒトによる至高の超名演をこのような素晴らしい高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2012年06月12日


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1960年8月14日、ザルツブルク音楽祭ライヴ。

コンサートホール原盤のステレオ録音(パリ・オペラ座管弦楽団)とは比べものにならないほど良い。

録音もモノラルながら良好で、何と言ってもウィーン・フィルのモーツァルト、そして楽員に尊敬されていたシューリヒトの指揮によるライヴということで、ファンのみならず、決して聴き逃せないディスクなのである。

筆者は久しぶりに聴いてみて、「こんなに気品があってニュアンス豊かな演奏だったのか」と感銘を新たにした。

特に《プラハ》は永遠の名演というにふさわしいものがあり、何回聴いても、そのたびごとに新鮮な感動が与えられる。

その感動とは、モーツァルトの音楽へのそれであろう。

《プラハ》はワルター(ウィーン・フィル、ニューヨーク・フィル)やらベーム/ベルリン・フィルなどを選択してもいいと思ったが、このライヴはいささか日陰になっているので取り上げてみた。

シューリヒトの指揮は、一見淡々としていて、速いイン・テンポで余計な色づけを排し、ストレートに運ぶ。

だから飽きがこないのだが、淡々としているのはそう見せているだけで、実は千変万化のニュアンスの味わい深さが、作曲者の移ろいやすい心を伝えてゆくのだ。

《ジュピター》はシューリヒトのライヴ録音によくありがちな、オーケストラと指揮者がお互い手の内を探り合いながら進んでいく即興的な要素があって好きである。

やはり、ライヴ録音というものは、このような一瞬の駆け引きが聴けるものでなくてはならない。

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2012年06月11日


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1955年11月13日、ウィーン国立歌劇場でのライヴ録音。

ウィーン国立歌劇場再建50年記念CDで、伝説の演奏がついに正規盤で発売された。

戦後のワルターとウィーン・フィルのライヴは随分発掘されたが、これは残る中でも特に大物。

ウィーン・フィルの「第9」といえばワインガルトナー、フルトヴェングラー、カラヤン、クライバー、イッセルシュテット、ベーム、バーンスタインと枚挙に暇がないが、おそらくこの演奏はその中でも1、2を争う名演奏。

フルトヴェングラーとまったく違う、ワルターの「第9」を堪能した。

再建されたウィーン国立歌劇場がベーム指揮の『フィデリオ』で柿落としをしてちょうど一週間後の1955年11月13日、ワルターはウィーン国立歌劇場で、ブルックナーの『テ・デウム』と共に、ベートーヴェンの第9交響曲を演奏した。

1955年といえば、ワルターの生涯の中でも最も気力の漲っていた時期、加えて記念行事的演奏会、それだけにウィーン・フィルもルーティンなところは一切なく、全パートがフル稼働しているような、熱気と充実感に満ちた演奏になっている。

ワルターは絶好調! 数年後のスタジオ録音よりはるかに素晴らしく、指揮者の気迫は物凄い。

また第3楽章での綿々とした弦、管の美しさはさすがウィーン・フィルで、テンポは遅くはないが柔和な響きと、アクセントなどの細やかなニュアンスの工夫が生きていて、穏やかさと豊かな表現力とが両立している。

第4楽章は振幅の大きい表現となり、演奏後の拍手と歓声の凄さは壮絶で、この前年にフルトヴェングラーが亡くなり、今や最後の巨匠となったワルターに対するウィーンの聴衆の熱い思いが伝わってくるようだ。

これはワルター流を徹底したベートーヴェンという意味では評価できる。

彼の全録音中でも重要なディスクの一つであろう。

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2012年06月10日


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ありそうでなかったミュンシュのベートーヴェン:交響曲全集の登場(録音・演奏は、1947〜1961年)。

第8番を除いてすべてボストン交響楽団とのライヴ録音で、声を上げ、足踏みしながらオーケストラを鼓舞するまさに火の玉のように燃える演奏を堪能できる。

ミュンシュの特長が如実に表れた、激しさとしなやかさが自在に交錯する生気溢れる演奏である。

またテンポの把握がよく、スケールが大きく、大変音楽的であり、それに加えてボストン響の整った技術が、このミュンシュの解釈を何層にも裏づけている。

特に第5番にミュンシュの個性は端的に示されており、緊張感に満ちた第1楽章から明るい終楽章まで、押しの強い力感みなぎる運びのうちに全体を大きな流れでまとめている。

第9番も豪快かつダイナミックな演奏で、とりわけ終楽章の熱い高揚はミュンシュならではのもの。

ミュンシュは、オーケストラも合唱も独唱も完全に自らの手中に収め、太い線を貫くような力と技で、この曲のたくましい構成を堅実に演奏に移しかえている。

第3番では颯爽たる進行のうちに、生き生きとした音楽が躍動する。

第8番のみパリ音楽院管弦楽団とのデッカへのセッション録音でおとなしいものの、これはこれで昔のフランスのオケの味な音が楽しめてなかなか魅力的。

他の交響曲もドイツ的な重厚さとは無縁、明快に逞しく、率直かつストレートに進むカラっとした音楽作りで、しかもそこに奥行きを感じさせているところがすばらしい。

これはミュンシュの充実した構成力と、それを完遂しうるボストン響の高度な技量との勝利を示す演奏である。

最も正統的な演奏として一つのスタンダードとなるであろう。

すべてモノラルの古い録音だが、聴きやすい水準にある。

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2012年06月09日


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フルトヴェングラー&ベルリン・フィルという黄金コンビのいままでありそうでなかったブラームスの交響曲全集。

第1番(1953年5月18日) も比較的珍しい演奏でフルトヴェングラーならではのテンポ・アップはのけぞる位の激しさだ。

第2番(1952年5月7日)、第3番(1949年12月18日)ともにドラマを音楽に叩き込んだ凄絶な名演。

第4番(1949年6月10日)は吉田秀和氏が至高の名演と絶賛したヴィスバーデン・ライヴで、美しさは絶後のもの。

以上、交響曲は各曲ともベストの演奏と思う。それらが全集化されたので真っ先に購入。音質も既発売のものより良くなっていると感じた。

とにかく、世界最高のブラームス:交響曲全集の一つと筆者は断言できる。

《ドイツ・レクイエム》は(1949年11月19日) ストックホルム音楽祭に於けるコンサート・ホールでのライヴ録音。

ストックホルムの《ドイツ・レクイエム》は荘厳、深刻な味わいが素晴らしく、何とも不思議な魔力に引きずられる《ドイツ・レクイエム》である。

第1楽章は気乗りのしない演奏の開始で、コーラスもオーケストラも冴えない。

しかし第2楽章後半から、あのフルトヴェングラー独特のうねりの波が襲いかかり奇蹟が起こる。

何ものかにとり憑かれてしまったような奏者たちの陶酔が聴き手にも押し寄せる。

楽章が進むにつれて、音楽の白熱化は輝きを増し、少々のミスはフルトヴェングラーの創り出す巨大なうねりの中に巻き込まれてしまい、全く問題ではなくなってしまう。

フルトヴェングラーの恐るべき演奏である。

音が悪い、雑音が入る、音程が悪いなど多くの欠陥を持ちながら、フルトヴェングラーの不思議な魔力にとらえられてしまう。

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2012年06月08日


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廉価盤なのであまり期待をせず購入したディスクであるが、幸いなことに、この演奏は第一級の超名演であり、1970年代に録音されたレコード用オペラ演奏の中でも、特筆に値する奇跡の名盤である。

サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管は、擬音効果をふんだんに用いたリアルな表現で、今まで聴いた中で最も雰囲気のある演奏。

モル(Bs)のザラストロ、シュライヤー(T)のタミーノ、モーザー(S)の夜の女王、ローテンベルガー(S)のパミーナ、ベリー(Bs)のパパゲーノといったキャストで、1970年代を代表する歌唱陣も優れたもので、特にアンサンブルに素晴らしい出来を示している。

今は、こんな贅沢なキャストを集めることは、不可能。

シュライヤーのタミーノも、デイヴィス指揮の新盤の衰えはみられず、美声で若々しく歌っていて見事である。

歌手もオケも録音も、そしてもちろんサヴァリッシュの指揮も、全く隙なく素晴らしい。

伝統的かつ洗練された内容で、テンポも良いし軽快でいて繊細、演奏全体としてはこれまで聴いた中で一番流麗かもしれない。

これまでいろいろな《魔笛》を聴いてきたが、生き生きとした、ひたすら音楽を楽しいと感じさせるこのパフォーマンスを上回る録音を知らない。

《魔笛》のスコアに語らせた、自然体のスタイルで、サヴァリッシュの代表的名盤の第一に指折りたい録音である。

《魔笛》があまり好きではない、という人にも推薦できる。きっと新しい魅力を発見できることであろう。

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2012年06月07日


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1948年4月18日 ニューヨークでのライヴ録音。

それにしても凄まじいベートーヴェンだ。ワルターの最高傑作の1つと評しても過言ではない。

第1曲の「キリエ」からワルターの気迫と情熱は際立っており、ひびきも実に立派だ。

中間部のテンポがかなり遅く、スケールの大きさと風格を感じさせるのが独特である。

つづく「グローリア」はたいへんなスピードだが、決して上滑りせず、特に最後のプレストの手に汗を握るような速さと、その直前のアッチェレランドはまさに最高。

録音の分離が悪く、細部を聴きとれないのがかえすがえすも惜しまれるが、決めどころにおけるティンパニのとどろきと金管の最強奏が絶妙なアクセントとなり、テンポも曲想の移りや言葉の意味にしたがって微妙に変化してゆく。

クレンペラーに比して、少なくとも筆者にとっては理想の「グローリア」だが、前記の特徴は、ワルターの《ミサ・ソレムニス》全体にいえることであり、わけてもオーケストラの雄弁さはその比を見ない。

「クレド」は一転して遅いテンポで開始される。

構えが大きく、まことに壮麗だが、音楽の局面に応じて無限に変化する。

たとえばキリストの受難の場面で、オーケストラの音を1つ1つはっきり切って、異常な苦しみを表出したり、特に復活の後"天に昇りて御父の右に座し"のコーラスの途中に現われる最後の審判のトロンボーンで、大きくテンポを落としつつ強奏させるなど、ワルターならではといえよう。

つぎの「サンクトゥス」では、"オザンナ"のフーガをクレンペラー同様ソロの四重奏にしているが、ここはコーラスの方が良いと思う。

最後の「アニュス・デイ」はワルターらしく良く歌った名演で、聴いていて音楽のみを感じさせ、なんの抵抗もない。

後半の"ドナ・ノービス"の部分は速めだが、終結はちょっとあっさりしすぎるようだ。

ベートーヴェンの書き方は確かにこの通りだし、その方がミサの儀式の途中なので正しいのかも知れないが、コンサート形式による大曲の結びとしては物足りなさが残る。

ワルターの《ミサ・ソレムニス》で気になったことといえば、この終わり方だけであった。

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2012年06月06日


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ワルターとウィーン・フィル美の結晶!モーツァルト第40番&第38番『プラハ』。

ワルターといえばモーツァルト。モーツァルトといえばウィーン・フィル。

ワルターの40番の演奏は昔から定評あるものでここでも豊満な美演に感動した。

この40番を初めて聴いたとき、言葉で表現できないような経験をした。

この演奏の高みは希有のものである。

それ以来、繰り返し聴き続けている。

筆者にとって別格のモーツァルト演奏である。

この演奏のすばらしさを感じ取ることのできる感性を持っていたのは何と幸福なことであろう。

『プラハ』の序奏の堂々たる風格、そして主題提示の美しさはワルター&ウィーン・フィルならではの味わい。

うれしいことに新たな音質で蘇った。

ワルターとウィーン・フィル、そしてモーツァルトの組み合わせは、あらゆる反対意見を黙らせてしまう。

しかし戦前の録音は、何と言っても音を心の中で修正しながら聴かなければならなかった。

1950年代の高SN比録音が発見されたとき、モーツァルトと同じ永遠の旅芸人として、ありとあらゆる試練と辛酸をなめたワルターとウィーン・フィルの再会があった。

39番と41番の希有のウィーン・フィルのテープ録音もいつの日か、世に出るであろう。

ワルターは、ワルターの中にモーツァルトが生きている真の芸術家であった。

ワルター・ファンのあいだでは、SONY盤(1952年5月18日表記)とALTUS盤(1956年6月24日表記)の40番の演奏はまったく同一で、しかも音源所有者であるオーストリア放送協会の提供したデータが1956年6月24日ということから、正しい録音年月日は1956年6月24日であると広く認識されていることを付記しておく。

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2012年06月05日


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1956年9月 ロンドンでの録音で、20世紀を代表するピアニスト、ギーゼキングによる歴史的名盤の1つ。

その昔、モノーラルのLPレコードをそれこそ擦り切れるほどに愛聴した記憶のある懐かしい演奏。

抒情小曲全体の半数弱にあたる31曲が、現在では2枚組のCDに収められている。

グリーグが折に触れて書きつづった抒情小曲集は、いずれも豊かな詩情に溢れた佳作であるが、ギーゼキングはそれぞれの曲に実に自然なニュアンスを与えている。

正確なテンポ、たぐいまれな技術を背後に持ちながら曲想を表現してゆく彼の崇高な音楽性が満ち溢れている。

グリーグが日々の思いをさりげなく書き綴ったこれら可憐な小宇宙を、ギーゼキングはまるで1つ1つ慈しむかのように、何と美しく語り伝えていることだろう。

純真素朴な《ワルツ》に始まり、メロディアスな《アルバムのページ》や《メロディ》、あるいは物寂しい《孤独なさすらい人》を経て、やがてこよなく美しい《恋の曲》と名高い《春に寄す》へ……。

どれもギーゼキングの気高い音楽性と清澄なピアノに支えられ、珠玉の名品と化している。

ここに聴くギーゼキングは固有の禁欲性を保ってはいるものの、ナイーヴな情感に感性豊かに反応し得ており、澄みきったような美しさがくっきりと示されているのが印象的である。

ギーゼキング自身の「抒情詩篇」といえるような性格だ。

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2012年06月04日


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ワルターは、旋律をよく歌わせる指揮者である。

それも、中庸を行った歌わせ方で、その品の良さ、典雅さはたとえようもなく美しい。

ワルターは、常に微笑みを忘れなかった人だ。

だから、とくにモーツァルトの明るく歌うような旋律では、常に「笑って……」という言葉を連発したという。

その暖かみのある真摯で人間味あふれる表現は、ワルター独自の世界である。

そして、ワルターはまた、モーツァルトを演奏する際に、オーケストラのメンバーを前にして「泣き伏したくなるほど、明るく、明るくなければならない」と言ったというが、その言葉は、この第40番の第2楽章のことを言ったのではないか、と思われるほどぴったりの演奏である。

モーツァルトの音楽に対する心からの共感が、これほど陶酔的にあらわれた演奏というのも、他にはない。

モーツァルトを愛してやまなかったワルターは、モーツァルトの他の交響曲と同じく、第41番《ジュピター》も何度も録音している。

いずれ劣らぬ名演だが、亡くなる2年前に録音されたこの演奏が最もすばらしい。

ワルターのモーツァルトへの敬愛の念がにじみ出た演奏で、ゆったりとしたテンポの第1楽章からして、いかにもワルターらしい風格が感じられるが、圧巻は終楽章のフーガで、その壮大で崇高な表現には、本当に魅せられる。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」はきりりと引き締まった気品のある表現で、細部にまで磨き抜かれた、表情豊かな演奏をおこなっている。

とくに、第2楽章の柔らかな、そして、暖かみのある表情は比類がない。

ワルターならではの、優しさと愛と歌にみちあふれた名演で、この指揮者の最晩年の録音だが、とてもそうとは信じられないほどの生気が感じられるのがすばらしい。

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2012年06月03日


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1960年5月29日、ウィーン、ムジークフェラインザールでのライヴ録音。

マーラー生誕百年記念の1960年、ウィーンでも祝賀コンサートが予定され、その目玉として、ブルーノ・ワルターを招くことが計画された。

当時80代半ばに達していたワルターは、1957年に心臓発作を起こしたこともあって、表舞台からは限りなく引退に近い状態にあり、もっぱらコロンビア交響楽団とのレコーディング活動に専念していたのであるが、この特別公演はほかならぬ恩師の記念演奏会ということもあってか、ワルターにも気力がみなぎり、感動的な演奏を聴かせてくれることとなったのである。

結果としてワルターのウィーンでの最後の演奏会となったこの公演であるが、曲目といい、演奏内容といい、ワルター好きなら絶対おさえておきたい意義深いものであることは確かである。

幸い、この種のライヴ録音としては、モノラルながら音の状態もまずまずであり、細部まできちんと聴けるのがなによりの朗報。

当時のワルターは、一連のコロンビア響とのレコーディングにもあらわれているように音楽のスケールの大きさや厳しい造形美を追及していた時期にあたり、ここでの演奏にもそうした傾向が窺われているのが非常に興味深いところ。

たとえば名高いマーラーの第4番では、クレンペラーも真っ青の堂々たる造形美を示しながらも、情感表現では実演のワルターならではの濃やかを示し、その相乗効果がとんでもない深みをみせてくれているのである。

特に第3楽章アダージョは絶品であり、『フィデリオ』第1幕四重唱のパロディ(クレンペラー盤で聴くとよくわかる)とも思われる第1主題部での天国的な静謐(もとネタは世俗丸出し。ちなみにワルターの『フィデリオ』は強烈だった)や、中間部での過ぎ去った人生への賛歌とでもいいたくなるその思索的な美しさと雰囲気には実に素晴らしいものがある。

第4楽章では、クレンペラー盤と同じくシュヴァルツコップが独唱を担当し、通常とは大きく異なる境地に達した感動的な歌唱を聴かせてくれている。

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2012年06月02日


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フルトヴェングラーの死の年(1954年)、ベルリン・フィルとの最後の演奏旅行中、ルガーノのテアトロ・アポロにおける実演を録音したものだが、彼のすべてのディスクの中でも特別の意義を持つ、屈指の名盤といえよう。

フルトヴェングラーはモーツァルトにあまり深い愛着を持っていなかったらしいが、彼はやはり天才であった。

死の6ヶ月前に至って、ついにモーツァルトを自分のものとしてしまったのである。

数あるこの曲のディスクの中でもフルトヴェングラー盤だけは別世界なのである。

"救いようもない慟哭"といったらよいのだろうか、他の演奏ではそこここに感じられる"モーツァルトの愉悦"がまるでない。

しかし、音楽として結晶化され尽くしているせいか、少しも嫌ではなく、演奏者とともに嘆きつつ、モーツァルトの本質(人生の本質)を垣間見る想いだったのである。

イヴォンヌ・ルフェビュールは1904年生まれのフランスの女流で、日本ではまったく知られていないが、さすがにフルトヴェングラーが選んだだけあって、見事なモーツァルトを聴かせてくれる。

デモーニッシュな大きさには欠けるが、巨匠の造型の中にぴったり入り込み、指揮者との魂のふれ合いが至上の芸術的感興に聴く者を誘うのだ。

やや冷たい、小味な音は澄みきってモーツァルトの心を伝え、多用されるルバートも決してべたつきはしない。

そして時には劇的なフォルテも見せるのである。

第2楽章の中間部やフィナーレあたり、女流らしい弱さがあるが、その代わり感じきったピアニッシモの美しさは絶品というべく、フルトヴェングラーとともに、肺腑を抉るような哀しさが、しかも超俗の雰囲気を湛えて、比類もない高みに到達している。

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2012年06月01日


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1953年7月27日(諸説あり)、ザルツブルク音楽祭の実況盤であるが、録音は優秀で、おそらくフルトヴェングラーのディスクの中でも特に優れたものに数えられよう。

演奏も実にすばらしく、彼がレコーディングしたモーツァルトでは「K466」と並んでベストの出来と絶賛されよう。

全体に遅いイン・テンポで一貫しているが、少しも重くならず、その格調の高さとひびきの透明感は抜群である。

音楽に身をもって没入し、ドラマティックに盛り上げてゆくよりは、終始客観的な眼で全体をとらえており、それがしんねりむっつりした感じを少しもあたえず、われわれは安心して『ドン・ジョヴァンニ』を愉しめるのである。

ウィーン・フィルの繊細典雅な音色のニュアンスも十二分に生きている。

「序曲」は冒頭の低弦の二分音符のクレッシェンドがものすごく、切れば血の出るような生々しいひびきがフルトヴェングラー調であるが、主部に入るとアンサンブルの見事な、格調の高い、透明な解釈となり、それでいて物足りなさはまったく見られず、立派な演奏が展開される。

「序曲」のテンポは普通だが、幕があくと、どの部分もかなり遅い。

「ぶってよ、マゼット」など、その最たるもので、人によっては嫌うかもしれないが、クレンペラーの『フィガロ』同様、少なくとも筆者には何ら違和感はなかった。

むしろ、そのテンポのおかげで、落ち着いて音楽を堪能し得るのである。

オーケストラは常に立派な厚みのある音で歌を支え、スケールも大きいが、決して大味にはなっていない。

第1幕の終結、第2幕の石像の登場やドン・ジョヴァンニとのやりとり、そして地獄堕ちの場面なども、フルトヴェングラーとしてはまことにおとなしい。

夢中になりすぎたり、狂気じみたりせず、しかも緊迫感は充分なのである。

燃え立ったフルトヴェングラーを期待する人には物足りないかもしれないが、これこそ彼が行きついた晩年の境地であり、完成されきったモーツァルトの世界だと思う。

歌手陣もベストだ。

ことに風格のあるシュヴァルツコップと可憐なベルガーに惹かれるが、どの歌手も十二分に気持ちを込めているにもかかわらず、歌い崩しがまったく見られない。

モーツァルトのオペラの場合、これは殊更重要なことなのである。

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