2012年07月

2012年07月31日


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チェコの音楽の魅力を存分に味わうことができる名演だ。

楽曲の魅力、演奏の見事さ、そしてSACDによる高音質録音という3拍子揃ったCDも珍しく、このような名演が12年もの間、お蔵入りであったことが実に不思議なくらいである。

まさにチェコ・フィルにしかできないご当地演奏で、当時(05/1997)のチェコ・フィルの音(金管や木管、弦の独特な音の美しさは他では聴けないもの)に浸ることができる。

スークの交響詩「プラーガ」は、ドヴォルザークやスメタナの楽曲でも有名ないわゆるフス教徒の旋律を巧みに交えた親しみやすく、わかりやすい音楽であるが、ヴァーレク&チェコ・フィルは、実に明朗で、なおかつ郷愁溢れる美しい演奏を行っている。

繊細な弦やフルート・ソロが光り、トランペットの音の伸びはさすがであり、金管によるフス教徒のコラールの昂揚感も気持ちがいい。

とても親しみやすい曲なので、演奏会でももっと採り上げられるといいと思う。

また、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」も、豊潤なチェコ・フィルのブラスセクション(大音量でも音がマイルドで全くキンキンしていない)をベースとしつつ、ここぞという時の迫力(金管のアンサンブルが凄まじい)にも、そして繊細な美しさにもいささかの不足もない。

ティンパニは制御気味で、人によっては「ぬるい」という向きもあろうが、それでも演奏スケールは大きいし、これはこれでとても良いと思う。

「タラス・ブーリバ」はこのCDの中でもずば抜けて素晴らしい。

冒頭から、イングリッシュホルン、ヴァイオリン・ソロ、そしてオルガンの深い響きにウットリしてしまう。

特にオルガンの絡み方が見事であり、ヤナーチェクの音楽の魅力を存分に満喫させてくれる。

ヴァーレクの指揮は奇を衒わずとても真摯で、個人的にはテンポの落とし方など所々でアンチェルの演奏を彷彿させた。

録音の優秀さも含めてこの曲のベスト盤となりうる演奏だ。

SACDによる高音質録音も見事であり、エクストンとしても最高の部類の出来と言ってもいいのではなかろうか。

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classicalmusic at 21:36コメント(0)トラックバック(0)ヤナーチェク 

2012年07月30日


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マーラーは、1990年1月28日 ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールに於けるステレオ(ライヴ)録音。

テンシュテットは、癌を発症して復帰した後は、一回一回の演奏会で命がけの鬼気迫る演奏を行った。

本盤のマーラーも、1990年の録音であり、そうした鬼気迫る演奏の一つであるが、同じ時期のシカゴ交響楽団との演奏と比較しても、オーケストラの技量はやや劣るものの、気心の知れた手兵であるだけに、演奏自体はこちらの方が数段上の出来ではないだろうか。

ロンドン・フィルとのライヴでは1985年に次いで2種目の「巨人」となるが、遅めのテンポで、細部まで抒情的に歌い込んだ美しい演奏。

何時にも増してテンポを細かく揺らし、細部の表現にこだわり音楽に没入していくが、テンシュテットの精妙な表現と一体化するロンドン・フィルが見事で、冒頭から緊張感が途切れることなく、音楽はどこまでも自然に流れ高揚する。

テンポは激しく揺れ動くとともに、粘ったリズムや雷鳴のようなティンパニ、耳をつんざくような鋭い金管の音色、生への妄執とも言うべき憧れの調べなど、我々がマーラーの交響曲第1番に望むすべての要素を兼ね備えていると言えるだろう。

これに比べるとシカゴ響とのライヴは、若干表現が硬く感じられるほど。

正直、また「巨人」かという感じもあったが、このCDはテンシュテットの「巨人」の中ではもっとも内容の充実した演奏だと思った。

テンシュテットのマーラーの「第1」の中で、のみならず過去の様々なマーラーの「第1」の名演の中でも、トップの座を争う超名演であると評価したい。

「ルスランとリュドミラ」序曲は、ムラヴィンスキーの超絶的名演がある以上、どの演奏を持ってしても物足りないが、ムラヴィンスキーの超名演を度外視すれば、これもなかなかの名演だと思う。

本盤の惜しい点は録音が、残響が多すぎたり楽器のバランスが悪かったりするなど、いささか焦点がぼけている点。

しかし、それも高い次元での話であり、ぜいたくを言わなければ十分に満足出来よう。

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classicalmusic at 21:20コメント(0)トラックバック(0)マーラーテンシュテット 

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テンシュテットは明確なポリシーを持ち、決して妥協をしなかったそうだ。

だから特にウィーン・フィルや北ドイツ放送響に嫌われた。

世界中のオケや関係者から警戒された。

悲しいことだ。

ただ世界中でロンドン・フィルとベルリン・フィルだけが、テンシュテットのポリシーと情熱を受け入れた。

オケが指揮者を信頼し、全身全霊をかけて音楽に没入する記録はそれほど多くない。

テンシュテットとロンドン・フィルにはそれがある。

両者の音楽は技術的なものを超えて圧倒的な説得力持つものが多い。

マーラーはスタジオ録音にはない燃焼度の高さがこの演奏の売りである。

かなり切迫した表現であり、テンシュテット特有の振幅の大きい見事な演奏である。

ロンドン・フィルも、まさに人生がこの演奏にかかっているかのようなのめりこみよう。

アンダンテも非常に艶めかしい。

リュートの音が明瞭に聴こえるなど、総じて打楽器系統は非常にクリアに録られており、かなり近接マイクのようである。

ロイヤルアルバートホールとかロイヤルフェスティバルホールとかだとこういう風には響かないはずである。

つまり、間接音控えめの、インパクトのある録音で、1980年のライヴということを考えれば、相当の高水準と考えて良いと思う。

「ジュピター」は北ドイツ放送響との好演もあったが、こちらも良い。

こちらは、会場がロイヤルアルバートホールでマスの響きで、間接音が豊かである。

やはり、テンシュテットはマーラー指揮者だ。

バーンスタインとはまた異なる燃焼系である。

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classicalmusic at 00:15コメント(0)トラックバック(0)テンシュテットマーラー 

2012年07月29日


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1973年5月10日&11日 ベルリン、フィルハーモニーザールに於けるステレオ(ライヴ)録音。

ジュリーニにとって1970年代はもっとも脂が乗っていた時期。

加えて、ベルリン・フィルも、名うてのスタープレーヤーが勢ぞろいした、力量的にも史上最高の状態にあった。

したがって、このような両者が組んだ演奏が悪かろうはずがない。

特に超名演と言えるのははじめの2曲だ。

ムソルグスキーの歌劇『ホヴァンシチナ』前奏曲(モクスワ河の夜明け)は、我々はムラヴィンスキーの名演を知っているが、本演奏は、あのように引き締まった緊張感を強いるようなものではない。

むしろ、明朗なイタリアの明るい太陽に照らされるようなイメージであるが、美しさにおいては、ムラヴィンスキーの名演にも引けを取らないと思う。

比較的ゆったりとしたテンポによる曲の進行も、楽曲の持つ美しさを丁寧に描き出していくのに大きく貢献している。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も素晴らしい。

若き日のチョン・キョンファを温かくリードしつつ、ゆったりとしたテンポで、隅々に至るまで優美に曲想を描いていく。

しかも、高貴な気品にも満ち溢れており、ジュリーニがこの曲をスタジオ録音しなかったのが不思議なくらい、楽曲を自家薬籠中のものにしている。

ドヴォルザークの「第7」も名演であるが、同時期にクーベリックが同じくベルリン・フィルを指揮して超名演を成し遂げており、それと比べられてしまうのが少々不利ではある。

第1楽章など、ベルリン・フィルとしては珍しいようなアンサンブルの乱れも見られるが、第2楽章、第3楽章と順次調子を上げ、特に素晴らしいのは終楽章。

ベルリン・フィルの圧倒的な合奏力をベースにして、地鳴りがするような重量感あふれる名演を成し遂げている。

クーベリックのような民族色を加味すると、どうしても及ばない面はあるものの、総体として、名演と評価するのに躊躇しない。

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classicalmusic at 21:44コメント(0)トラックバック(0)ジュリーニチョン・キョンファ 

2012年07月28日


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パーヴォ・ヤルヴィの最近の好調ぶりをあらわした大変美しい名演だと思う。

もちろん、表面だけを繕った美演は他にも多くあるが、パーヴォ・ヤルヴィの素晴らしさは、内容においても彫りの深い精緻な演奏を行っているという点にある。

第1楽章冒頭の低弦の響かせ方からして、ただならぬ雰囲気を感じる。

その後は、決して絶叫したりはせず、ひたすら精緻に丁寧に曲想を描いてゆくが、それでいて安全運転の印象を与えることは全くない。

ショスタコーヴィチならではの透明感溢れるオーケストレーションを透徹したアプローチで丁寧に表現していく。

第2楽章は一転して劇的な表現であり、その迫力はなかなかのものであるが、ここでも金管がわめくという印象はいささかも受けない。

第3楽章は更に精緻な表現を徹底しており、ホルンなど決して割れた音を出させず、抒情溢れる美しさには比類がないものがある。

終楽章は、テンポがめまぐるしく変化するなど、なかなかまとめるのに難渋する楽章であるが、パーヴォ・ヤルヴィは決して雑には陥らず、ここでも精緻で丁寧な表現に徹し、全曲の締めくくりに相応しい見事な演奏を行っている。

トルミスは、ショスタコーヴィチを崇敬していた、同郷のエストニアの作曲家であるとのことだが、このような意外性のあるカップリングを行ったのも、パーヴォ・ヤルヴィの抜群のセンスを証明するものと言えるだろう。

録音は、テラークならではの鮮明な名録音と評価したいが、できれば、SACDマルチチャンネル盤を出して欲しいと思ったのは、筆者だけではあるまい。

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2012年07月27日


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最近はCDでも登場回数が増えてきたイタリア人指揮者パッパーノが、ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団&合唱団を振って、アニヤ・ハルテロス、ソニヤ・ガナッシ、ロランド・ヴィラゾン、ルネ・パーぺといった、スター級の4人の花形ソリストたちを迎えて、壮麗なヴェルディの『レクイエム』を2009年1月にローマで演奏、録音した。

一言で言えば、あまたのヴェルディの『レクイエム』の演奏の中でも、最もダイナミックレンジの広い演奏の一つと言えるのではなかろうか。

冒頭の導入部は、ほとんど聴きとれないような最弱音で開始され、この先どうなるのかと思って、ボリュームを少し上げたところ、「怒りの日」のぶっ飛ぶかというようなド迫力に、思わず面喰ってしまった。

ライナーの解説によれば、パッパーノは、この冒頭の導入部にこそ、ヴェルディの天才性があるとしており、この冒頭の最弱音による演奏には相当に深い意味を見出しているのであろう。

演奏全体を俯瞰すれば、起伏の大きい演奏ということになる。

いかにもイタリア系の指揮者パッパーノならではのオペラ風の劇的な演奏と言える。

ヴェルディだから、それも主にオペラを主舞台としている(ピアニストでもあるのだが)パッパーノ指揮によるイタリア陣の演奏だから、宗教曲というよりオペラティックになるのは想定範囲ではあった。

したがって、いわゆるレクイエム的な性格からはやや外れているとも言えるが、巷間言われているようなヴェルディの『レクイエム』が内包するオペラ風の「音のドラマ」を見事に体現しており、その意味では、聴き手によって、好き嫌いが分かれる演奏になるのかもしれない。

筆者としては、気鋭の指揮者パッパーノによる意欲的で劇的な名演として高く評価したい。

HQCD化の効果はいま一つの印象で、もう少し鮮明さがほしいと思った。

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classicalmusic at 22:11コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディ 

2012年07月26日


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おそらくは史上最も遅い部類に入るマーラーの「第9」だろう。

過去の歴史的な名演を揚げるとすれば、戦前のワルターが70分前後、師匠のバーンスタインがコンセルトヘボウと録音した名演が約89分。

これらと比べると、本盤の演奏の約96分というのは異常な遅さであることがわかる。

まるでブルックナーにおけるチェリビダッケ(ミュンヘン・フィルと組んだ後年の録音)のようであるが、曲がマーラーだけに、こうした演奏も十分に許容範囲である。

「レコード芸術」風に評価すれば、第1楽章は準推薦、第2楽章は無印、第3楽章と第4楽章はともに推薦で、トータルとして推薦に値する名演と評価したい。

第1楽章はかなりの遅いテンポであるが、冒頭のヴァイオリンで奏される旋律に独特のためを入れたりするなど、はじめて聴くような新鮮な箇所もある。

ややもたれる感もないわけではないが、聴きどころには事欠かない。

第2楽章は、テンポの遅さが完全に裏目に出て、音楽が全く流れない。

マーラーの作曲したシニカルな舞曲が、これでは台無しである。

ところが、第3楽章。これもテンポは遅く、かのジュリーニ盤を思わせるが、ジュリーニ盤とは異なり決してもたれるということがない。

それどころか、踏みしめるような重いリズム感が、内包するシニカルな悲劇を我々聴き手にダイレクトに伝えてくれる。

これだけの遅いテンポで、最後まで緊張感が揺るがないのは、とてつもない至芸であると思う。

第4楽章は、師匠のバーンスタインと表現が酷似、ゆったりとしたテンポで、マーラーの絶世の名旋律を心ゆくまで歌い抜いている。

それにしても、ハノーファー北ドイツ放送フィルは、よくもこのような個性的な指揮についていったものだ。

これは、相当に練習したであろうし、指揮者とオーケストラの深い絆がないとできない至芸であると言えるだろう。

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2012年07月25日


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『英雄の生涯』も『未完成』も、ザンデルリンクならではの重厚にしてオーソドックスな名演だと思う。

とにかく、安心して楽曲の魅力を心ゆくまで味わうことができるのが素晴らしい。

『英雄の生涯』(rec. 30/09/1975)は、既に1972年のライプツィヒ放送交響楽団とのライヴ録音が発売されており、それとの優劣をつけることはなかなか困難である。

しかしイン・テンポを基調としつつ、楽曲の持つドラマティックな要素をいささかも損なうことないという、ある意味では二律背反することを事もなげに成し遂げている点に、ザンデルリンクの類いまれなる才能と、ドイツ音楽への適性を感じる。

筆者の友人にR.シュトラウスの『英雄の生涯』が苦手な人がいて、どうも相性が悪いのか、あまり好きになれないらしい。

しかしこのザンデルリンクの演奏を耳にすれば、それまでの苦手意識が薄らぐのではないかと思えるほどに雄渾で見事な演奏内容。

『未完成』(rec. 17/04/1978)は、ザンデルリンクの演奏としては、初出ということらしいが、期待に違わぬ素晴らしい名演だ。

『英雄の生涯』と同様に、中庸のテンポを基調とするオーソドックスな演奏であるが、だからと言って平板には陥ることはなく、深沈とした抒情を湛えた何とも言えない深みがあり、『未完成』の持つ魅力を最大限に表現してくれている。

本盤の他に、現時点で録音が遺されていないのが不思議なくらいだ。

録音も、コンサートの雰囲気を見事に捉えており、1970年代のライヴ録音としては優秀な部類に入る。

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classicalmusic at 21:09コメント(0)トラックバック(0)ザンデルリンクR・シュトラウス 

2012年07月24日


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ブラームスやベートーヴェンなどの独墺系の音楽を得意としたミュンシュならではの重厚な名演である。

本盤を、指揮者やオーケストラの名前を伏して聴いても、とてもフランス人の指揮者による演奏とは思えないだろう。

それくらい、厳しい造型の下、重心の低い重量感溢れる演奏で一貫している。

ミュンシュの感覚の良さはともすれば冥想的に傾いて、形式的な面の明確さを欠く演奏になりがちなのを、まことに造型のしっかりした表現にしている。

それだけに、すっきりとして、どこにもこねまわしたところがなく、曲の隅々まで透明で、明快なブラームス像を描いている。

ボストン響の緻密で洗練されたアンサンブルの演奏力が裏付けとしてあるからであろう。

特に美しい弦と輝かしい金管パートを基本にして、実に美しいアンサンブルであり、なめらかな艶がある。

作品に真正面から取り組み、激しい燃焼度で突き進んでいく若々しさと、壮大なスケールで音楽を高潮させてゆく手腕はミュンシュの真骨頂。

もちろん、イン・テンポというわけではなく、例えば「第2」の第1楽章の終結部でテンポを大幅に落としたりするなど、隋所にミュンシュならではの個性的な解釈も垣間見える。

それでも、決してやり過ぎの印象を与えないのは、ミュンシュが、ブラームスの本質をしっかりと鷲掴みにしているからであると思われる。

また「第4」ではミュンシュの作品に寄せる愛情がにじみ出た演奏になっており、聴き応え満点である。

特に両交響曲のフィナーレで沸騰点に達するパッションは、他からは聴くことが出来ない。

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classicalmusic at 21:24コメント(0)トラックバック(0)ブラームスミュンシュ 

2012年07月23日


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2009年のジルベスターコンサートに、一部スタジオ録音を加えたラトルによる新録音であるが、ラトル&ベルリン・フィルの現在最高の黄金コンビの深化を感じさせる名演である。

これまでの『くるみ割り人形』のイメージを払拭する最高の解釈で最高の演奏家たちがワクワクドキドキしながら新鮮に取り組んだ衝撃的録音。

『くるみ割り人形』の真の魅力を知らしめた世界最高の演奏家たちによる渾身の名演で、ジャンルを超えた美しさを誇り、かつてないセクシーな演奏といえよう。

全体としては実に軽やかな演奏を行っている印象を受ける。

このあたりは、フルトヴェングラーやカラヤン時代のベルリン・フィルの凄みのある重厚な分厚い音色を知っている聴者からすれば、いささか軽妙浮薄の誹りを免れないが、現代の古楽器奏法などが全盛を誇っている演奏傾向にかんがみれば、筆者としては許容範囲ではないかと考える。

むしろ、12時の鐘(これがいかにも弱すぎるが)の後の「クララとくるみ割り人形」、「トレパーク」、「花のワルツ」、「パ・ド・ドゥの導入部」などにおける重量感溢れる演奏は、現代においてもなおベルリン・フィルが底力を失っていないと感じさせるような重心の低い分厚い音色を出しており、その意味では、ラトルは、ベルリン・フィルにおいて、いかなる音色をも自在に引き出すことができる色彩感豊かな音のパレットを会得したと言えるだろう。

ベルリン・フィルの技量も卓抜したものがあり、「スペインの踊り」におけるトランペットの妖しい音色など、幻惑されるような色彩美に満ち溢れている。

HQCDによる鮮明な音質も、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。

かかる筆者の論評に関して、演奏内容の評価については現在でも殆ど付け加えることがないが、音質面については、今般、ついにSACD盤が発売されることになったことから、それについて言及しておきたい。

本SACD盤は、これまでの既発の従来CD盤やHQCD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音場の広さ、音圧のどれをとっても一級品の素晴らしい仕上がりであり、あらためて、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ラトルによる素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:23コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーラトル 

2012年07月22日


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エルガーの交響曲第1番は、英国の作曲家の手による交響曲の最高峰である。

にもかかわらず、英国出身の指揮者による演奏は頻繁に行われているものの、それ以外の国の指揮者による演奏は驚くほど少ない。

作品の質の高さを考えると、実に惜しい気がする。

そんな数少ない指揮者の中で、ショルティがエルガーの交響曲第1番と第2番の録音を遺してくれたことは、何と素晴らしいことか。

ショルティは、この録音に先立って、エルガーによる自作自演を繰り返し聴いて臨んだということであるが、この点に照らしても、ショルティが単なる余興ではなく、真摯にこの傑作交響曲に取り組んだことがよくわかる。

演奏の性格を大観すると、英国の指揮者による演奏に顕著な哀切漂うイギリスの詩情を全面に打ち出したものではない。

むしろ、ドイツの正統派交響曲を指揮する時と同様のアプローチにより、古典的とも言える解釈を示している。

それでいて決してこじんまりとまとまっているのではなく、いかにもショルティらしいスケールの雄大さを兼ね備えている。

第1楽章冒頭からスコアをよく考究した表現で、非常にこまやかな陰影をもち、中庸なテンポによる造形と洗練された音彩が美しく、4つの楽章の性格も的確に示されている。

もちろん、ショルティの欠点として巷間指摘されている、ヘビーなアクセントや力づくの強奏などもみられないわけではないが、例えば第3楽章など、歌うべきところは心を込めて歌い抜くなど、決して無機的な演奏には陥っていない。

併録の序曲「南国にて」も交響曲第1番に優るとも劣らない佳演であり、ルビジウム・カッティングによる音質も良好である。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ショルティエルガー 

2012年07月21日


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1978年9月13日 ベルリン、フィルハーモニー・ホールに於けるライヴ(ステレオ)録音。

ジュリーニは決してレパートリーの広い指揮者とは言い難いが、その分、レパートリーとした曲については完成度の高い名演となることが多い。

ジュリーニがレパートリーとした宗教曲は、バッハの《ミサ曲ロ短調》やブラームスの《ドイツ・レクイエム》、モーツァルト、ヴェルディ、そしてフォーレの「3大レクイエム」などが掲げられるが、ジュリーニが指揮した宗教曲の最高峰は、何と言ってもロッシーニの最高傑作の呼び声の高い《スターバト・マーテル》ということになるのではなかろうか。

《スターバト・マーテル》は、キリストの受難を嘆き悲しむ聖母マリアへの同情と神への祈りを込めてロッシーニが50歳のときに書かれた作品。

演奏によっては妙に軽い場面も出てくる曲であるが、ジュリーニは重みのある独特のカンタービレによって、音楽の沈痛な美しさを見事に引き出している。

ジュリーニは同曲をフィルハーモニア管弦楽団とスタジオ録音しているが、天下のベルリン・フィルを指揮した本盤こそ、ライヴならではの熱気も相まって、随一の名演と高く評価したい。

当演奏では、エルンスト・ゼンフ室内合唱団(現エルンスト・ゼンフ合唱団)を率いており、さらなる敬虔な美が追求されている。

ジュリーニの決して奇を衒うことのない真摯で誠実なアプローチと、同国人であるロッシーニへの深い愛着が、これだけの名演を生み出したと言うべきであり、独唱陣も合唱も、そしてベルリン・フィルもジュリーニの指揮の下、これ以上は求められないほどの最高のパフォーマンスを示している。

併録のガブリエリやジェミニアー二の諸曲も名演であり、一晩のコンサートをそのまま2枚のCDに収録ということで、導入となる1曲目と2曲目には、ブラス・ファンにもおなじみの曲、8声の金管アンサンブルによるジョヴァンニ・ガブリエリの「ピアノとフォルテのソナタ」と「第7旋法によるカンツォーナ」が収められ、3曲目には、フランチェスコ・ジェミニアーニのト短調の合奏協奏曲が収録されている。

金管合奏で開始され、哀しみに彩られた美しい弦楽合奏でメインの『スターバト・マーテル』への心の準備をするという、まるで教会での演奏を思わせるようなプログラミングは、イタリアの音楽史を辿りながらも、通常、「イタリアの音楽」という言葉からすぐに思い浮かぶイメージとは正反対の精神の落ち着きと深い感動を呼ぶのがいかにもジュリーニらしい。

録音は1970年代後半のライヴとしては十分に合格点を与えることができる。

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classicalmusic at 23:51コメント(0)トラックバック(0)ロッシーニジュリーニ 

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軽快に仕上げたロッシーニの『セミラーミデ』序曲に始まり、重厚なタッチで描いたシューベルトの『悲劇的』、そしてメインのドビュッシー『海』と、ジュリーニが好んで取り上げたフランクの『プシュケとエロス』というユニークな組み合わせ。

共通するのは、どれもジュリーニが得意にしていた曲ということで、カラヤン時代のベルリン・フィルに客演するにあたって、得意のレパートリーで臨んだ気概が伝わる演奏内容となっている。

演奏当時は1969年で、ジュリーニが円熟の境地に達する少し前の演奏であり、若さ故のエネルギッシュな生命力溢れる劇的なアプローチをしていることが特徴と言えるだろう。

冒頭の『セミラーミデ』序曲からして、当日の演奏会の開始を告げるのに十分な迫力ある演奏を聴かせてくれる。

シューベルトの『第4』は、後年にバイエルン放送交響楽団と録音を行っているが、演奏の性格のあまりの違いに唖然としてしまう。

演奏の完成度という点に鑑みれば、バイエルン放送交響楽団との演奏に軍配を上げるべきであるが、本盤には若き日のジュリーニならではの劇的な凄まじいまでの迫力があり、特に、この曲の副題でもある「悲劇的」を体現して見せたという意味においては、高く評価しなければならない名演である。

フランクの『ブシュケとエロス』は、後年のベルリン・フィルとのスタジオ録音と比較しても遜色はない重厚かつ堂々たる表現を行っており、ライヴならではの熱気を考慮すれば、本盤の演奏の方をベストの名演としたい。

『海』は、ジュリーニが何度も録音している十八番とも言うべき曲であり、同時発売の1978年のライヴ録音が超名演であるだけにどうしても分が悪いのは否めないが、若き日のジュリーニならではの生命力溢れる激越な表現には大いに見るべきものがある。

録音は、1960年代後半のライヴ録音とは思えないほどの鮮明さだ。

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classicalmusic at 20:45コメント(0)トラックバック(0)ジュリーニ 

2012年07月20日


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レヴァインのブラームスは、ドイツの伝統的な様式から脱却した新しい表現といえるが、半面表情がまだ熟していない感が強く、音楽が自然に流れないのが気になる。

第2番が最も優れており、レヴァインのオペラ指揮者としての才能が示され、この曲特有の明朗な旋律がしなやかに歌われている。

そこに新しいロマンティシズムの胎動を感じさせるのも興味深い。

第3番は劇性がやや表面的に把握されており、そのため両端楽章は味わいに乏しい。

第4番は情熱的な表現で音自体のリアルは迫力があり、若々しく活気に満ちあふれていて好感のもてる演奏だが、現在のレヴァインであれば、さらに豊かな内容をこの曲から引き出すに違いない。

「ドイツ・レクイエム」は優れている。

レヴァインは曲の本質をとらえ、全曲をよく見通してしっかりと構成している。

合唱、オーケストラの音色もふさわしく、ティンパニと金管の扱いが実に巧い。

シカゴ響もここでは達者さを表面に出すことなく、内面からレヴァインの表現を受け止めている。

バトルが素直で美しい歌唱を聴かせ、ハーゲゴードも透明な美声で端正に歌っている。

同じく1983年に録音されたピアノ協奏曲第1番は名手アックスとの演奏。

これも見事なオケのサウンドと息の合った完璧なソロが聴きものだ。

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classicalmusic at 21:07コメント(0)トラックバック(0)ブラームスレヴァイン 

2012年07月19日


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ブラームスは1957年8月17日、ルツェルン、クンストハウスでのライヴ録音。

ナタン・ミルシテインとカラヤンという極めて珍しい組み合わせ(ファンにとってはまさに夢の共演!)のブラームスのヴァイオリン協奏曲の登場だ。

筆者の記憶が正しければ、この後ミルシテインは2度、カラヤンは3度にわたり同曲をスタジオ録音している。

カラヤンは、フェラス、クレーメル、ムターと録音しており、特にムター盤は名演の誉れが高いが、いずれも、若きソロ奏者を引き立てつつも、どちらかと言えば、カラヤンペースでの演奏と言った傾向があったのは否めない事実である。

ところが、本盤では、両者ともにその個性をぶつけあっており、その後の両者の発展を予感させる名演ということが出来るのではなかろうか。

当時、カラヤンはベルリン・フィルを手中におさめ、飛ぶ鳥を落とす勢いだったこともあり、演奏にエネルギッシュな力感が漲っていたことも功を奏しているのかもしれない。

ミルシテインのヴァイオリンも、艶やかで色彩豊かな音色は比類がなく、カラヤンもミルシテインのヴァイオリンを活かしつつ、ルツェルン祝祭管弦楽団を生命力溢れる力強さで統率して、地にしっかりと足がついた力感溢れる重厚な演奏を繰り広げている。

録音は、1950年代のモノラル録音であり、特に、オーケストラの音色がやや荒っぽく聴こえるが、ヴァイオリンの音色は鮮明に捉えられており、欲求不満を感じるほどではない。

シベリウスは、ヨッフムにとっても珍しい選曲であり、ドイツ風の野暮ったさを感じないわけではないが、決して凡演ではなく、ギンぺルのヴァイオリンともどもなかなかの好演を繰り広げていると言えよう。

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classicalmusic at 21:23コメント(0)トラックバック(0)ミルシテインカラヤン 

2012年07月18日


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モーツァルトの生誕200年の1956年、ウィーン交響楽団との録音。

ベームのモーツァルトのレクイエムといえば、ウィーン・フィルを振っての1971年のDG盤が名演の誉れ高い。

たしかに表現の円熟の点ではウィーン・フィル盤が優れているが、1956年のこのウィーン響との旧盤も、壮年期のベームの揺るぎない構築性と直截なアプローチという点で、なかなか捨てがたい魅力を持っており、筆者個人としてはむしろこちらのほうを愛聴している。

1971年盤と比べれば、とても同じ人間の指揮によるものとは思えないほどの「剛毅」なレクイエムになっている。

ベームは若々しく清潔感に溢れた音楽を展開しており、シュティヒ=ランダルの清澄な声、マラニウクの温かい歌いぶりなど、独唱陣もいずれ劣らぬ堂々たるモーツァルトを聴かせてくれる。

じっくり進めながらも張り詰めた緊張感に支配された演奏で、これを聴くと、ベームの絶頂期はまさにこの時期にあったと思えてくる。

モーツァルトのいたましい白鳥の歌の形容しがたい美しさと魂の歌声を、これほどの深い共感をもって響かせることに成功したベームの偉大な音楽性には敬服のほかない。

ウィーン響も、ウィーン・フィルのような香りや艶がない分、ベームの直截な音楽性をより端的に表わし出しているといえるだろう。

1971年盤とはまたひと味違ったベームのレクイエムだ。

モノーラルだが、音質がかなり改善されて歌手たちの名唱も聴きやすいものになった。

ソリストもコーラスも、そしてオーケストラも完全にベームの意図を体現して、優れた演奏を聴かせている。

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classicalmusic at 21:22コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトベーム 

2012年07月17日


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カラヤンが録音で残したモーツァルトの宗教音楽は、このほかにも《レクイエム》や《戴冠式ミサ曲》があり、いずれもすばらしい演奏として後世にまで伝えられてもよいように思う。

とくに《レクイエム》は何回となく録音しており、作品自体がカラヤンの手中に完全に収められているように思った。

このハ短調のミサ曲でも、やや遅めのテンポで《レクイエム》と同様にじっくりと歌い上げられており、しかも細かいひとつひとつの楽想の表現の仕方にもよく神経が行き届いているのを感ずる。

カラヤンは、すばらしく美しい響きと表現によって、なめらかに大きく作品を磨きあげている。

カラヤンの演奏は、いつにもまして彼の個性と統率力が強く押し出され、それが裏目に出てしまった箇所が少なくない。

しかし、全体の仕上がりとしては申し分のないものであり、やはり積極的な意味での標準盤としてお薦めできる。

オケの精度はいうまでもないが、声楽パートを盛り立てる部分のサポートの旨さやトゥッティでのキリリと引き締まった響き、そつのない流麗な曲運びなど、モーツァルトの音楽に習熟した技が遺憾なく作品の持ち味を際立たせている。

また、この曲でとくに重要な役割を果たしているソプラノ独唱を歌うヘンドリックスをはじめ、独唱陣も揃っており、合唱の豊かな響きとともに音楽の中に浸らせてくれる。

名作であるにもかかわらず人気がいまひとつの同作品だが、噛み締めれば噛み締めるほど味わいが深くなる。

何度も聴き返すには最適の演奏といえるだろう。

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2012年07月16日


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カラヤン全盛期の録音であり、オペラを得意としたカラヤンならではのドラマティックなモーツァルトの「レクイエム」の名演だ。

これほどの劇的表現とスケールの大きな迫力のある演奏は、カラヤンとベルリン・フィルの演奏以外の何者でもない。

まるで、「レクイエム」と言うより「合唱つき交響曲」という感じだ。

各楽章の性格を深く対照的に抉り、速い部分と遅めの部分の落差をつけており、オケの重厚な響きが圧倒的だ。

最初に、これを聴いてしまうと、他の演奏が物足りなくなってしまう。

逆に言うと、ベーム等の、ゆったりしたテンポのこの曲に慣れてしまっている人には、やりすぎではと感じてしまうかもしれないが、これに、はまってしまうと他は聴けなくなってしまう。

絶頂期のカラヤンとベルリン・フィルという最強のスーパー軍団による音の美学がここにある。

一部には「レクイエム」らしくないとの批判も散見されるが、他方、モーツァルトの「レクイエム」を、聴かせどころのツボを心得た圧倒的な音のドラマに仕立て上げたのもカラヤンならではの巧さであり、こうした点が、本盤に対する評価の分かれ目だと思う。

歌手陣はカラヤンならではの相変わらず豪華な布陣であり、ウィーン楽友協会の合唱も、カラヤンが猛特訓したのであろう、大変見事な出来である。

オリジナル楽器によるスリムなモーツァルトの対極にある「レクイエム」である。

既にSACDマルチチャンネル盤あるいはDVD−audio盤が発売されており、音質はそれらが最高であったが現在は入手難。

もっとも、本盤も音質は決して悪くなく、カラヤンの名演を満喫するには十分だ。

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2012年07月15日


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ウィーン風の優雅な、類い稀なる極上の美演である。

古き良き時代の残照が未だ残っていた1960年代のウィーン・フィルに、同オケの往年のソリストが最高のパフォーマンスを示している。

ミュンヒンガーがウィーン・フィルと録ったモーツァルトはその数決して多くはない。

典雅な趣きのフルートとハープのための協奏曲はウィーン・フィルの音色と相俟って素晴らしい出来上がり、クラリネット協奏曲も本来味わうべき奥行きこそ乏しいけれどウィーン・フィルの音色が別の味に補った結果となってこれ又素晴らしい。

フルートとハープのための協奏曲は、相性抜群のフルートとハープの絡み合いが醸し出す高貴かつ優美な旋律美が魅力のモーツァルト中期の傑作であるが、トリップとイェリネクのソロはウィーン訛りを感じさせるほどの美しさの極みであり、ウィーン・フィルと合わせた三者のハーモニーは、まるで天女が奏でる竪琴の調べと言った趣きだ。

特に遅いテンポによるフィナーレは絶品で、オケも含め、典雅で繊細、匂うような上品さに充ち溢れ、天国的なまでに美しく、心静かにモーツァルトの音楽に浸ることが出来る。

もちろん初めの2つの楽章に対しても同じことが言える。

クラリネット協奏曲は、モーツァルト最晩年の傑作であり、澄み切った秋空のようなどこか抜けきった諦観が持ち味であるが、プリンツの絶妙のソロは、そうしたモーツァルト最晩年の至高、至純の境地を見事に描出している。

ミュンヒンガーは、特段の個性があるわけではないが、オーソドックスな指揮ぶりで、ウィーン・フィルや各ソロ奏者に最高の演奏をさせており、その意味では、見事な合わせ方をしている。

これだけの名演奏を聴かされると、ミュンヒンガーがモーツァルトの交響曲をウィーン・フィルと遺して欲しかったと思わざるを得ない。

SHM−CD化によって、音質のグレードは一段とアップした。

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2012年07月14日


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ベルリン・フィルは、フルトヴェングラーやカラヤンの時代にあった重心の低い重厚な音色がアバド時代に影をひそめ、明るく軽い音色に変質しつつあった。

そのようなベルリン・フィルを受け継いだラトルも、当初は、独自色を出そうにも空回りすることが多く、軽妙浮薄なベルリン・フィルの音色と相まって浅薄な凡演が目立っていた。

シューベルトの「第9」、ブルックナーの「第4」、R・シュトラウスの「英雄の生涯」など凡打の数々…。

しかし、2007年のマーラーの「第9」あたりから、ベルリン・フィルの重厚な音色が復活し、ラトルも小賢しい技巧に走るのではなく、堂々たる正統派の演奏を行うようになった。

今般のブラームスの交響曲全集も、そうしたラトルの新しい演奏スタイルに沿った演奏であり、一言で言えば、ベルリン・フィルの重厚かつ重量感溢れる演奏をベースにした、ドイツ音楽の伝統に根ざした堂々たる正統派の名演ということになろう。

もちろん、各楽章の描き分けも見事で、ブラームスならではの枯れた抒情の描出にも抜かりはない。

「第4」の第2楽章のように、いささか表現過多な箇所も見られるが、ラトルはまだ50代、前途洋洋たる更なる将来性に期待したい。

それにしてもツィマーマンとの「ピアノ協奏曲第1番」でも垣間見えたが、ラトルとベルリン・フィルのコンビは本当にブラームスと相性が良い。

奇矯な解釈ではないが、イン・テンポ気味の縦型演奏が多いブラームスへの見方に一石を投じる様なテンポ変動を以て、ブラームスの本来重々しかった交響曲に躍動感、生命力を与えている。

それでいて縦の線も一切崩れないのはラトル、ベルリン・フィルも手腕もさながら、やはり相思相愛であるからか、と感じさせてくれるほどオケが献身的である。

20世紀の巨匠たちの時代の名演とは完全に一線を画す演奏で、21世紀のマイルストーンとも言うべき全集だと思う。

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2012年07月13日


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ケルテスは才能のある偉大な指揮者であった。

1973年のイスラエルでの海水浴中の悲劇の事故がなければ、当時43歳の若さであっただけに、その後の指揮者地図が大きく変わったことは否定し得ない事実であろう。

本演奏は1960年のスタジオ録音であり、ケルテスが未だ31歳というデビューしたばかりの時期のものだ。

それだけに、演奏に奥行きのある彫りの深さを求めることは困難ではあるが、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っており、正に若武者ならではの爽快な演奏に仕上がっている。

そして、ケルテスが素晴らしいのは、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏には陥っておらず、どこをとっても瑞々しささえ感じさせるような豊かな情感が込められている点である。

これが、本演奏が気鋭の若手指揮者による演奏らしからぬ内容の濃さを有している所以と言えるところであり、ケルテスが死の直前にバンベルク交響楽団の首席指揮者への就任が決定していたことも十分に理解できるところだ。

併録の「レオノーレ」序曲第3番、「コリオラン」序曲、そして「エグモント」序曲も、交響曲第4番と同様のアプローチによる圧倒的な名演に仕上がっている。

そして、本盤で素晴らしいのは、何と言ってもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化による極上の高音質である。

本演奏は、いずれも今から50年以上も前の1960年のものであるが、ほぼ最新録音に匹敵するような鮮明な高音質に生まれ変わった。

あらためて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ケルテス&バンベルク交響楽団による名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:37コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンケルテス 

2012年07月12日


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ブラームスを得意としたジュリーニであるが、1990年代に録音されたウィーン・フィルとの全集は、いかにも晩年のジュリーニらしいゆったりとしたテンポによる堂々の貫禄とも言うべき器量の大きさをもった名演揃いだ。

本盤に収められた「第1」は、冒頭の和音はソフトなフォルティッシモで開始されるが、その後はゆったりとしたテンポによる堂々たる進軍を開始する。

この進軍は主部に入っても微動だにしないが、他方、隋所に現れるブラームスならではの抒情的旋律については、これ以上は不可能なくらい美しく、かつ風格豊かに歌い上げている。

第1楽章の遅いテンポと克明・入念な表情は、いつもながらのジュリーニと言える。

内容的には充実感が強く、こまやかな陰影にも不足はない。

このような風格豊かな旋律の歌い方は、第2楽章や第3楽章でも同様であり、これは最晩年のジュリーニが漸く到達した内省的な表現が印象的な至高・至純の境地と言えるだろう。

第4楽章は、再び巨象の堂々たる進軍が開始されるが、主部の名旋律の演奏の何と歌心に満ち溢れていることか。

何よりもジュリーニが素晴らしいのは、これほど遅いテンポをとっても、全体の造型にいささかの揺るぎもなく、決して違和感を感じさせないこと。

ジュリーニの演奏を見事に支えるウィーン・フィルの重厚にして優美な演奏も素晴らしいの一言であり、この「第1」は、ジュリーニの渾身の超名演と評価したい。

「ハイドンの主題による変奏曲」にも同様のことが言える名演であるが、特に、第7変奏の筆舌には尽くし難い美しさは、空前にして絶後と言えるのではないだろうか。

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2012年07月11日


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英デッカのステレオ黎明期を代表する素晴らしいブラームス全集からの分売。

クーベリックにはバイエルン放送響との新盤もあるが、美しいのは断然こちらの旧盤だ。

クーベリックとウィーン・フィルの相性は決して良くなかったと言われる(たとえばスメタナの「わが祖国」など)が、本盤を聴く限りにおいてはそのような不安を感じさせることはなく、見事な名演を成し遂げている。

バリリ四重奏団の一員でもあったヴァイオリニストのオットー・シュトラッサーの著書によれば、この頃(1956〜57年)のクーベリックは自己主張が弱くて物足りない指揮者であったそうだが、少なくともこれらの演奏からそれは伺えない。

否、むしろ、主張しすぎないからこそ、このような名演が生まれたとも言えそうである。

「第3」は、ブラームスの交響曲の中でもスケールが小さい曲だけに、まとめるのが困難な曲であるが、クーベリックは重厚な中にブラームスならではの渋い抒情美を兼ね備えるという、まさに硬軟併せ持つ名演奏を行っている。

第1楽章は提示部の繰り返しを行っているが、それが決して嫌ではなく、どの箇所も血の通った熱い演奏。

第2楽章や第3楽章の苦味のある人生の諦観を感じさせるような抒情美の描出はさすがだし、第4楽章のスケールも雄大である。

「第4」の第1楽章は11分で駆け抜けるという、演奏史上でも最速の演奏の部類に入るが、決して性急な印象を与えることはなく、歌うべきところは心をこめて歌い抜くなど、名人の一筆書きのようなとてつもない名人芸。

第2楽章の優美さも特筆すべきであるし、終楽章の決してごちゃつかない整理されたパッサカリアの表現も素晴らしい。

1950年代の録音ではあるが、英デッカの名録音とSHM−CD化によって、かなりの高音質になっていることも、本盤の価値を大いに高めている。

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classicalmusic at 21:15コメント(0)トラックバック(0)ブラームスクーベリック 

2012年07月10日


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若き39歳のラトルが、初めてベルリン・フィルと録音した1枚。

今や世界をリードする組み合わせとなったラトル&ベルリン・フィルの1994年の初顔合わせであり、ラトル飛躍の原点となった録音。

リストのファウスト交響曲は、名曲とされるわりには録音の数も限定的であり、ポピュラリティーを獲得しているとは言えない。

そのような曲をベルリン・フィルとの最初の録音に選んだラトルの並々ならぬ自信のほどが伺える(数年前にベルリン・フィルの自主レーベルにより、87年のマーラーの「第6」のライヴ盤が発売されたことから、厳密に言うと最初の録音ではない)。

実にクリアなディテール、曖昧さのない響き、シャープなリズムで、音楽の肥大さなどまったく感じさせない見事な演奏だ。

第1楽章と第2楽章は非常に丁寧な演奏というイメージだ。

全く対照的な性格を有する両楽章であるが、ラトルの丁寧なアプローチが、両楽章の描き分けを見事に成し遂げるということに繋がっている。

第3楽章になると、ここでラトルはエンジン全開し、ベルリン・フィルを豪快に鳴らすなど、これまでの鬱憤を全て晴らすかのような圧倒的な迫力で曲想を描いていく。

終結部の合唱も実にうまく、ザイフェルトの独唱とあいまって、感動的にこの大曲を締めくくる。

演奏後の拍手喝采も当然のことと思われる。

ラトルは、その後、ベルリン・フィルの首席に就任し、一時は低迷した時期もあったが、2007年のマーラーの「第9」あたりから、漸く持ち前の才能が開花し、ラトル&ベルリン・フィルの黄金時代の幕開けが始まっている。

本盤の録音当時、ラトルはまだ39歳であるが、現在の栄光を予見させてくれるような名演である。

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2012年07月09日


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バルビローリはマーラーを得意としたが、「第6」は、既にベルリン・フィルとのライヴ録音、ニューフィルハーモニアとのスタジオ録音が発売されており、いずれ劣らぬ名演であった。

本盤の演奏は、発売されたものとしては3種目ということになるが、ライヴならではの熱気と迫力に満ち溢れた名演だと思う。

第1楽章の冒頭から圧倒的な音塊が迫ってくる。

シベリウスやイギリス音楽の演奏での抒情的で温厚篤実な指揮ぶりはどこにも見られない。

第2楽章は、いかにもバルビローリらしい抒情的表現があらわれるが、終結部の盛り上がりの急速なアッチェレランドなど、同じオケを指揮したスタジオ録音とは別人のような燃えるような指揮ぶりを見せる。

第3楽章は、重量感溢れる巨象の進軍。

終楽章は、圧倒的な音のドラマであり、終結部の熱狂的な拍手もむべなるかなと思わせる。

ベルリン・フィルとのライヴと同様に、バルビローリは第2楽章と第3楽章を入れ替えて演奏しているが、同じオケを振ったスタジオ録音では入れ替えていない。

この一貫性のなさは謎であるが、筆者としては、入れ替えない方が終楽章の悲劇がより際立つと思うのだが、このあたりは、好みの問題もあるのかもしれない。

しかし総じて、大物が熱を入れたライヴならではの大演奏で、聴きごたえ十分。

この曲やバルビローリのファンはぜひ一聴をお薦めしたい。

音質は、この当時のライヴ録音としてはかなり良好であり、歴史的な名演を良好なステレオ録音で鑑賞できる。

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2012年07月08日


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1984年5月30日 ベルリン・フィルハーモニーに於けるライヴ/ステレオ録音。

ドラティのマーラーとは意外な組み合わせと思ったが、このディスクを購入した時期は筆者がマーラーに取り憑かれたかのごとく、ひたすらマーラーを聴き入っていた時期であり、聴き終えて大変驚いた。

これは超弩級の名演であり、このような名演がこれまで眠っていたことが信じられなかった。

1984年のライヴとのことであるが、次の年にライヴ録音を遺したバーンスタインの名演とは性格が全く異なる。

バーンスタインが人間のドラマとすれば、ドラティのは音のドラマということになろうか。

第1楽章は、ゆったりとしたイン・テンポの下、剛毅にして重量感溢れる音のドラマ。

第2楽章はまぎれもなく本名演の白眉で、他に類例を見ないほどの遅めのイン・テンポであるが、マーラーならではの舞曲を軽快にではなく、あたかも巨象の進軍のように演奏することにより、死を間近に控えたマーラーの狂気がダイレクトに伝わってくる。

第3楽章もテンポは遅く、かのジュリーニ盤に匹敵する遅さであるが、ジュリーニの柔和さとは異なり、剛直そのもの。

終結部も、バーンスタインが行ったアッチェレランドなど、薬にしたくもない。

終楽章は、実にコクのある重厚な表現で、ここに至って緩急自在のテンポ設定やアッチェレランドなどが現れるが、その卓越した表現力には評価する言葉が思いつかないほどだ。

演奏終了後の聴衆の熱狂もむべなるかなと思わせる。

録音も生々しささえ感じるほどの優秀さであり、本名演を心ゆくまで堪能できる。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)マーラードラティ 

2012年07月07日


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現在最も注目すべき指揮者の1人、パーヴォ・ヤルヴィがパリ管弦楽団とともに録音を行ったフォーレの「レクイエム」が発売される運びとなった。

そして演奏も、我々聴き手の期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっている。

フォーレの「レクイエム」は、3大レクイエムの中でも極めて慎ましやかな作品であり、近年では、同曲を十八番としているコルボも含め、室内オーケストラを使用した小規模な編成による演奏が主流となりつつある。

そのような中で、クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による演奏(1962年)やジュリーニ&フィルハーモニア管弦楽団による演奏(1986年)、そしてプレートル&ベルリン・ドイツ交響楽団による演奏(2007年)などは貴重な存在であるが、これらの通例のオーケストラを使用した名演の列に本盤のパーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団による演奏が加わったのは何と素晴らしいことであろうか。

本演奏でのパーヴォ・ヤルヴィのアプローチはオーソドックスなもので、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものだ。

もちろん、スコアに記された音符の表層だけをなぞったような浅薄な演奏には陥っておらず、どこをとっても情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。

静謐さに満たされた同曲であり、演奏によっては音が殆ど聴き取れずにコクを失ってしまうようなものも散見されるが、パーヴォ・ヤルヴィの場合はいたずらに静謐さにとらわれることなく、どこをとっても独特のニュアンスに満ち溢れた内容の濃さを失っていない点が見事である。

カウンターテナーを起用しているのも本演奏の特徴であるが、それも効果的であり、かかるフィリップ・ジャルスキー、そしてバリトンのマティアス・ゲルネも最高の歌唱を披露している。

そして、パリ管弦楽団&合唱団も最高のパフォーマンスを発揮している。

いずれにしても、本演奏は、いわゆる通例のオーケストラを使用した演奏としては、トップクラスの素晴らしい名演と言えよう。

併録の「ラシーヌの雅歌」、「エレジー」、「パヴァーヌ」、「バビロンの流れのほとりで」も、パーヴォ・ヤルヴィの豊かな音楽性が発揮された素晴らしい名演だ。

このうち、「バビロンの流れのほとりで」は、世界初録音という意味でも大変貴重である。

音質も非常に鮮明かつ瑞々しささえ感じさせるほどの透明感にも満ち溢れており、本名演に華を添えている。

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classicalmusic at 21:32コメント(0)トラックバック(0)フォーレヤルヴィ 

2012年07月06日


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ラトルは今日でこそベルリン・フィルを完全に掌握し、現代を代表する大指揮者の1人として数々の名演を成し遂げつつあるが、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してから数年間は鳴かず飛ばずの状態が続いていた。

本盤には、ホルストの組曲『惑星』と、コリン・マシューズによる「冥王星」、そして、国籍の異なる4人の作曲家による宇宙をテーマとした小品が収められているが、このうち、メインの組曲『惑星』が、イマイチの凡庸な演奏に成り下がっていると言えるところだ。

ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は、名うての一流奏者たちを掌握するのに相当に苦労したのではないだろうか。

そして、プライドの高い団員の掌握に多大なる労力を要したため、自らの芸術の方向性を見失っていたのではないかとさえ考えられる。

それ故に、必然的に意欲だけが空回りした演奏に終始してしまっている。

本演奏も美しくはあるが根源的な力強さがない。

同曲を精緻に美しく描き出すことにつとめたのかもしれないが、本演奏を聴く限りにおいては、ラトルが同曲をこのように解釈したいという確固たる信念を見出すことが極めて困難である。

ラトルは1980年にも、フィルハーモニア管弦楽団とともに同曲を録音しているが、当該演奏の方が、若干の荒々しさは感じさせるものの、若武者ならではの気迫溢れる力強い熱演に仕上がっていたところであり、本演奏よりも数段優れた演奏のように思われる。

メインの組曲『惑星』と比較して、コリン・マシューズによる「冥王星」や、国籍の異なる4人の作曲家による宇宙をテーマとした小品については、録音自体がそもそも珍しい楽曲であることや、おそらくはベルリン・フィルも演奏した経験を殆ど有していなかったこともあって、ラトルのペースで演奏が行われているようにも感じられる。

したがって、組曲『惑星』よりもラトルの解釈が演奏にしっかりと刻印されているところであり、これらの楽曲の演奏に関してはなかなかに優れた演奏ということができるのではないだろうか。

音質は驚天動地の鮮明な高音質であり、本盤については、既にHQCD盤が発売されているが全く問題にならない。

あらためて、SACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

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classicalmusic at 21:11コメント(0)トラックバック(0)ホルストラトル 

2012年07月05日


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本盤にはショパンの「前奏曲集」とシューベルトの「楽興の時」が収められているが、いずれも素晴らしい名演だ。

特に、シューベルトの「楽興の時」については、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演。

「楽興の時」は、「即興曲集」と並んでシューベルトのあまたのピアノ作品の中で最も人気の高いものであるが、「即興曲集」のように作曲者の行き場のない孤独感や寂寥感が込められた奥深い内容を有するものというよりはむしろ、楽曲の標題のとおり愉悦性とともに、詩情に満ち溢れた美しさが際立った作品である。

ピリスによる本演奏におけるアプローチは、同曲の詩情に満ち溢れた旋律の数々を、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで美しく描き出していくというものだ。

その演奏は純真無垢とさえ言えるものであり穢れなどはいささかもなく、あたかも純白のキャンバスに水彩画を描いていくような趣きさえ感じさせる。

そして、そのような美しさが、いわゆるスコアに記された音符の表層を取り繕っただけの薄味のものではなく、一音一音に独特のニュアンスが込められるとともに、どこをとっても格調の高さを失っていない点が素晴らしい。

また、同曲においても時として聴くことが可能な寂寥感の描出についても、お涙頂戴の陳腐な哀嘆調に陥るということはいささかもなく、ピリスならではの気品を感じさせるのが見事である。

正にピリスによる本演奏は、シューベルトの「楽興の時」の演奏の理想像の具現化と言えるところであり、今後とも本演奏を超える名演を成し遂げることは至難の業だ。

一方、ショパンの「前奏曲」も名演だ。

ただ、同曲については、かつてのルービンシュタインをはじめ海千山千の大ピアニストが素晴らしい名演を成し遂げており、ピリスによる本演奏を随一の名演とするのは困難である。

もっとも、本演奏においては、ピリスならではの詩情に満ち溢れた清澄な美しさに加えて、女流ピアニスト離れした強靭な打鍵による重厚な迫力も垣間見せるなど、各曲の描き分けが実に巧みであり、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、ピリスのピアノタッチがより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

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classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0)ピリスシューベルト 

2012年07月04日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第4番は、アバドによる2度目の録音である。

最初の録音はウィーン・フィルとの演奏(1977年)であったが、本演奏はそれから約30年ぶりのライヴ録音ということになる。

1977年盤も、アバドがある意味では最も輝いていた時期の演奏でもあり、強靱な気迫と力強い生命力、そして豊かな歌謡性がマッチングした、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていた。

1970年代から1980年代にかけてのアバドの演奏には、このような名演が数多く成し遂げられていたが、1990年にベルリン・フィルの芸術監督に就任して以降は、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

もちろん、メンデルスゾーンの交響曲第4番やヤナーチェクの「シンフォニエッタ」など、例外的な名演もいくつか存在しているが、その殆どは大物揃いのベルリン・フィルに気後れしたかのような今一つ覇気のない演奏が多かったと言わざるを得ない。

ところが、ベルリン・フィルの芸術監督の任が重すぎたせいか、2000年には癌に倒れることになってしまった。

そして、アバドはその癌を克服するのであるが、それは皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督の退任直前。

もっとも、大病を克服したことによってアバドの音楽には、深みと凄みを増すことになった。

その意味では、2000年以降のアバドは真の大指揮者となったと言っても過言ではあるまい。

本盤の演奏も、真の大指揮者アバドによるものであり、1977年盤に比べると楽曲の心眼に鋭く切り込んでいこうという彫りの深い表現が支配している。

各楽器セクションのバランスを重要視した精緻な美しさにも出色のものがあるが、ここぞという時の力奏にも強靭な迫力が漲っており、各フレーズの歌心溢れる徹底した歌い抜きにおいてもいささかも不足はない。

ルネ・フレミングによる美しさの極みとも言うべき名唱も、本名演に華を添える結果になっていることを忘れてはならない。

ベルリン・フィルも、前任の芸術監督に敬意を表して、圧倒的な名演奏を披露しているのも見事である。

本演奏に際しては、ベルリンにおいて大歓迎を受けたとのことであるが、正に現代を代表する大指揮者としての貫録が十分な名演と評価したい。

併録のアルバン・ベルクの「7つの初期の歌」も、アバドの彫りの深い、そして歌謡性豊かな指揮と、ルネ・フレミングによる美しい歌唱が融合した稀有の名演だ。

音質は、本従来CD盤でも十分に満足できる高音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

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classicalmusic at 20:23コメント(0)トラックバック(0)マーラーアバド 

2012年07月03日


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驚くべき超名演の登場である。

これから壮年期を迎えようとしている今をときめくイタリアの俊英指揮者であるパッパーノがついにマーラーの交響曲の録音に着手した。

イタリア人指揮者によるマーラーの演奏については、アバド、シャイー、シノーポリなどが個性的な素晴らしい名演の数々を成し遂げており、パッパーノがどのようなアプローチで演奏に臨むのかは実に興味深い。

そして、最初の録音に、いきなり中期の傑作である交響曲第6番を選んだという点に、パッパーノの並々ならぬ自信と意気込みを感じることが可能である。

本演奏は、そうした我々聴き手の期待をいささかも裏切ることがない、そしてパッパーノの自信を大いに感じさせる堂々たる名演に仕上がっている。

それどころか、名演の前に超をいくつか加えてもいいのかもしれない。

筆者も本演奏を聴いてそれくらい深く感動した。

そして、音質が極めて鮮明であり、各楽器セクションが見事に分離して聴こえるのも、本超名演に一躍買っている。

パッパーノの基本的なアプローチは、特別な解釈を施して聴き手を驚かせようというような奇を衒ったところがいささかもなく、曲想を精緻に描き出していくという、近年主流となりつつあるマーラー演奏の王道を行くものである。

テンポはゆったりとした悠揚迫らぬものであるが、効果的なテンポの振幅を交えつつ、俊英指揮者パッパーノならではの片鱗を感じさせるような強靭な生命力と張り詰めるような気迫が全体を支配しており、特に、第1楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力強さは、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

それでいて、各旋律を徹底して歌い抜いているのが感動的であり、これはイタリア人指揮者ならではの真骨頂とも言えるだろう。

また、近年の同曲の演奏では、マーラーの意向に従って、従来版の第2楽章スケルツォと第3楽章アンダンテの順序を入れ替えて演奏するのが主流となりつつあるが、パッパーノは敢えて従来版に従って、第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテとして演奏しており、従来版を支持する筆者としてもこれは大いに歓迎したい。

そして、第2楽章の重厚にして強靭な力感は圧倒的な迫力を誇っており、その彫りの深い表現には凄みさえ感じられる。

第3楽章の各旋律の心を込めた歌い方は美しさの極みであり、その汲めども尽きぬ豊かな情感は抗し難い魅力に満ち溢れている。

終楽章も恐るべき迫力で、音質の良さも多分にあると思うが、各楽器セクションをパワフルに鳴らしつつ、いささかも雑然とした演奏には陥っておらず、加えて、同楽章のドラマティックな要素を完璧に音化した手腕は殆ど驚異的である。

かかるパッパーノによる驚異的な統率の下、最高のパフォーマンスを発揮したローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。

特に、ブラスセクションの巧さは特筆すべきであり、あらためて同オーケストラのレベルの高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、本演奏は、パッパーノの驚くべき才能と同時に前途洋々たる将来性を大いに感じさせるとともに、ローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の卓越した技量を窺い知ることが可能な圧倒的な超名演である。

今後のこのコンビによるマーラーの交響曲チクルスの続編にも大いに期待したい。

そして、音質は驚くべき鮮明さで、重厚さにも不足はなく、これはHQCD化もある程度効果を発揮しているのではないかと考えられる。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)マーラー 

2012年07月02日


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本盤は、全盛時代のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏がいかに凄まじいものであったのかを伺い知ることが可能な名CDである。

カラヤンは、交響曲やオペラのような大作においても、はたまたポピュラリティを獲得した管弦楽曲の小品などにおいても、楽曲の演奏に臨むに際していささかの手抜きをしなかった。

カラヤンは、本盤のような有名な管弦楽曲の小曲を集めたCD(レコード)を何枚もスタジオ録音したが、いずれの演奏も水準が高い名演に仕上がっているというのは、こうしたカラヤンのこれらの楽曲の演奏に臨む真摯な姿勢に起因している。

とある影響力の大きい某音楽評論家を筆頭として、いわゆるアンチ・カラヤン派の識者からすれば、かかる所業は単なるセールスマンとしか思えないのであろうが、筆者としては、カラヤンのような大指揮者が、かような有名な管弦楽曲の小品に対しても手抜きをせずに真剣勝負で演奏に臨んだ真摯な姿勢に、心から敬意を表するものである。

それにしても、本盤の演奏は素晴らしく、あまりにも見事な演奏で、筆舌には尽くし難いレベルに達しており、何よりも、前述のようにオーケストラ演奏には凄まじいものがある。

演奏は、1971年というカラヤンが心身ともに充実していた時代のものであり、加えて、手兵ベルリン・フィルも名うてのスタープレイヤーが数多く在籍する黄金時代にあった。

そして、カラヤン&ベルリン・フィルは、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの咆哮、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルのもとに融合し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

そして、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、重厚さと華麗さ、そして流麗な美しさを誇るいわゆるカラヤン・サウンドの醸成に成功していた。

本盤の各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた、豪華絢爛にして豪奢な演奏に仕上がっている。

加えて、カラヤンならではの聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも相まって、これ以上は望み得ないような完全無欠の圧倒的な超名演を成し遂げていると言っても過言ではあるまい。

本盤については、長らく廃盤の状態にあったが(一部の楽曲については、別の楽曲との組み合わせで発売されている)、今般、LP時代のカップリングによって発売の運びになったことは慶賀に堪えない。

加えて、従来CD盤での発売ではなく、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤での発売となったことは、全盛時代のカラヤンを代表する圧倒的な超名演であることに鑑みても極めて意義が大きいと言える。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の音質の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の圧倒的な超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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本盤には、カラヤンがベルリン・フィルを指揮して1966年に録音したヨハン・シュトラウス、同2世、ヨゼフ・シュトラウスによるウィンナ・ワルツ集が収められている。

オーストリア人であったカラヤンは、ウィンナ・ワルツを得意中の得意としており、録音の点数もかなりの数にのぼっている。

ベルリン・フィルとは、本演奏の3年後にもヨハン・シュトラウス2世やヨゼフ・シュトラウスのその他のワルツ集をスタジオ録音しているし、1980年にも3枚にわたるウィンナ・ワルツ集のスタジオ録音を行っている。

そして、ウィーン・フィルとの演奏では、1959年のスタジオ録音と、最晩年の1987年のニュー・イヤー・コンサートのライヴ録音が名高いところである。

この他にも数多くの録音が遺されているが、これはカラヤンが、自分の祖国の音楽として、ウィンナ・ワルツに深い愛着を持っていた証左と考えられる。

それだけに、いずれの演奏も名演であるが、特に、カラヤンの個性が全面的に発揮された名演ということになれば、カラヤン、そしてベルリン・フィルが全盛期にあった本演奏(加えて1969年の演奏)を掲げたい。

全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤン・サウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本盤に収められた各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた極上の美演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

そして、これらの各楽曲におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さは筆舌に尽くし難いものがあり、まさに本盤に収められた各楽曲の演奏は、あらゆる意味で非の打ちどころがない圧倒的な超名演と言える。

聴き手によっては、ウィンナ・ワルツの演奏としてはシンフォニックでゴージャスに過ぎると言った批判も十分に予測できるところであるが、筆者としては、これだけの圧倒的な音のドラマで楽曲の魅力を堪能させてくれた本名演に文句は言えないのではないか。

本盤については、国内盤が長らく廃盤であり入手難が続いており、リマスタリングの対象にもならなかったことから、必ずしも満足な音質とは言い難い初期盤を長らく愛聴してきたところである。

しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わった。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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これは全盛期のカラヤンだけに可能な圧巻の至芸を味わうことができる名CDと言えるのではないだろうか。

カラヤンは幅広いレパートリーを誇ったが、その中でもオペラについては得意中の得意としていた。

カラヤンによるオペラ演奏については、いわゆるアンチ・カラヤン派の識者の中にも評価する者が多く存在しているところであり、カラヤンが遺したオペラ演奏の中でも相当数の演奏については、オペラ演奏史上でも歴史に残る超名演と言っても過言ではあるまい。

そのようなオペラを得意とするカラヤンにとってみれば、本盤におさめられたオペラのバレエ曲は自家薬籠中の楽曲とも言えるところであり、どの演奏も正に水を得た魚のように、生き生きとした躍動感と切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れた名演奏を成し遂げている。

演奏は、1970〜1971年というカラヤンが心身ともに充実していた時代のものであり、加えて、手兵ベルリン・フィルも名うてのスタープレイヤーが数多く在籍する黄金時代にあった。

そして、カラヤン&ベルリン・フィルは、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの咆哮、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルのもとに融合し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

そして、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、重厚さと華麗さ、そして流麗な美しさを誇るいわゆるカラヤン・サウンドの醸成に成功していた。

本盤の各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた、豪華絢爛にして豪奢な演奏に仕上がっている。

オペラのバレエ音楽には、かかる演奏は見事に功を奏しており、加えて、オペラを得意とするカラヤンならではの聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも相まって、これ以上は望み得ないような完全無欠の圧倒的な超名演を成し遂げていると言っても過言ではあるまい。

現在では、クラシック音楽界も長期不況にあり、このようなオペラのバレエ曲のみを収録したCDを作成すること自体が困難なご時世ではあるが、カラヤンのような大指揮者がかようなオペラのバレエ曲集のスタジオ録音を行ったという、クラシック音楽界にいまだ活気があった古き良き時代を懐かしく思い出す聴き手は筆者だけではあるまい。

本盤については、長らく廃盤の状態にあったが(一部の楽曲については、別の楽曲との組み合わせで発売されている)、今般、久しぶりに再発売の運びになったことは慶賀に耐えないところだ。

加えて、従来CD盤での発売ではなく、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤での発売となったことは、全盛時代のカラヤンを代表する圧倒的な超名演であることに鑑みても極めて意義が大きい。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の音質の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

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本盤には、アルビノーニのアダージョやパッヘルベルのカノンとジーグ、ボッケリーニの小五重奏曲といったバロック音楽と、かかるバロック音楽にインスピレーションを得て作曲された近現代の名作であるレスピーギのリュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲が収められている。

カラヤンは、いかなる管弦楽曲の小品であっても、いささかの手抜きをすることなく、交響曲やオペラなどの大作に接するのと同様の真摯な姿勢で演奏に臨んだが、本盤のこれらの楽曲の演奏においても、そうしたカラヤンの真摯な姿勢を十分に伺い知ることが可能な圧倒的な名演に仕上がっている。

本盤の各楽曲の演奏は1969年であるが、これは正にカラヤン、そしてベルリン・フィルの全盛期。

かかる全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤン・サウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本盤に収められた各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた極上の美演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

そして、これらの各楽曲におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さは筆舌に尽くし難いものがあり、正に本盤に収められた各楽曲の演奏は、あらゆる意味で非の打ちどころがない圧倒的な超名演である。

それにしても、カラヤンのような大指揮者が、このような管弦楽曲の小品を録音することについては、いわゆるアンチ・カラヤン派のファンからはセールスマンであるとか、クラシック音楽の品位を落とすとの批判も十分に予測されるところである。

それには、とある影響力の大きい某音楽評論家や、某音楽評論家の腰巾着のような各界各層の有識者の罵詈雑言が大きく影響していると思われるが、筆者としては、交響曲やオペラのような大作であれ、ポピュラリティを獲得している管弦楽曲の小品であれ、その価値には大差はないと考えており、むしろ、カラヤンのような大指揮者が、身を持ってそれを多くのクラシック音楽ファンに示すとともに、いかなる楽曲に対しても手抜きをせずに真剣勝負で演奏に臨んだ真摯な姿勢に、心から敬意を表するものである。

本盤については(それぞれの楽曲が別の楽曲との組み合わせで発売されている)、リマスタリングやSHM−CD化等が施されるなど、高音質化の不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わった。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

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2012年07月01日


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これは素晴らしい名演だ。

現代を代表する最高のピアニストの1人でもあるバレンボイムが、リスト生誕200年を記念して満を持して臨むリストのピアノ協奏曲第1番及び第2番の録音であり、それだけにその覚悟と自信のほどを伺い知ることが可能な圧倒的な名演に仕上がっている。

何よりも、バレンボイムの音楽の構えが極めて大きい。

そしてその骨太の音楽づくりは、演奏をスケール雄大なものにするのに大きく貢献している。

超絶的なテクニックにおいてもいささかも不足はないところであるが、それでいて巧過ぎるなどといったいわゆる技巧臭を感じさせないのが何より素晴らしい。

強靭で叩きつけるような打鍵は圧倒的な迫力を誇っていると言えるし、他方、繊細な抒情的表現においても申し分がないものがあり、その表現力の桁外れの幅の広さには唖然とさせられるほどだ。

このように、スケールの雄大さ、技巧臭をいささかも感じさせない内容の豊かさ、そして表現力の幅の広さなどを駆使した結果、とかく技量一辺倒で薄味な演奏が多いリストのピアノ協奏曲を極めて内容豊かで奥深いものに昇華させ、殆どベートーヴェンのピアノ協奏曲の域にまで引き上げているのに成功したと言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、バレンボイムによる本演奏は、リストのピアノ協奏曲のあらゆる演奏の中でも、最も奥深い内容を有した至高の名演奏と言ってもいいのではないだろうか。

このような圧倒的で彫りの深いバレンボイムのピアノを下支えしているのが、ブーレーズ&シュターツカペレ・ベルリンによる名演奏である。

徹底したスコアリーディングに基づいて、楽想を精緻に描き出していくというブーレーズならではのアプローチは本演奏においても健在である。

バレンボイムの彫りの深いピアニズムに触発された点も多分にあるとは思われるが、かつてのブーレーズの演奏に顕著であった冷徹さは薬にしたくもなく、むしろ各フレーズの端々からは豊かな情感が滲み出してきているところであり、演奏全体に独特の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

アンコールとして収められたコンソレーション第3番や忘れられたワルツ第1番も、バレンボイムならではの雄渾なスケールと重厚さ、そして奥行きのある彫りの深さを感じさせる素晴らしい名演だ。

音質は、ピアノ演奏と相性が良いSHM−CD盤であることもあって、バレンボイムのピアノ・タッチが実に鮮明に捉えられており、素晴らしい鮮明な高音質である。

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