2012年11月

2012年11月30日


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殆どが既にフルトヴェングラーを代表する名演として聴き慣れた曲のはずなのに、このCDを聴いた時の充実感はどこからくるのだろうか。

ともすればこのCDに収録されている曲は、大曲の添え物的に扱われることが多い。

しかし、このように1枚のCDにまとめられると、フルトヴェングラーの演奏は、ここに収録されている曲が序曲・小品であることを忘れさせるほど巨大で感動的であることがよりはっきりする。

決して聴かせどころのツボを心得た巧さを感じる演奏ではない。

小品集でも、こうした名演を聴かせたカラヤンとは大違いである。

しかしながら、一聴すると不器用にも思える演奏内容の何という深さ。

フルトヴェングラーは、これらの小品に対して、一大交響曲を演奏するかのような姿勢でアプローチしていると言える。

したがって、楽曲によっては重々しくなったりするなど、まさに、「鶏を割くに牛刀を用ふ」の例えが符合するような演奏になっているが、逆説的に言えば、小品をこれほどまでにドラマティックに演奏し、そして、その核心に迫るような彫りの深い演奏を行った例は空前にして絶後と言っても過言ではないであろう。

もしかしたら、大曲よりも、こうした小品にこそ、フルトヴェングラーとカラヤンのアプローチの大きな違いがあらわれているのかもしれない。

ここで言っておきたいのは、両者に一概には優劣をつけられないということ。

両者ともに、異なったアプローチによって、それぞれに抜群の名演を行ったのだから、あとは好みの問題にすぎないと思うからである。

グランドスラム盤ならではの復刻音質はいつもながら見事であり、フルトヴェングラーの名演を良質な音で聴くことができる喜びを大いに噛みしめたい。

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2012年11月29日


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リストの超絶技巧練習曲集は、文字通り超絶的な技巧を要するとともに、ダイナミックレンジの広さやテンポの激しい変化など非常に振幅の激しい楽曲であり、弾きこなすためには卓越した技量はもちろんのこと、幅の広い豊かな表現力を要する難曲と言える。

このような難曲をデビュー曲に選んだだけでも、アリスのピアニストとしての底知れぬ才能とその器の大きさを感じざるを得ない。

第1曲や第2曲のたたみかけるような火の玉のような激しさはどうだろう。

打鍵も力強く、快速のテンポにいささかの弛緩もしない圧倒的な技量にも圧倒される。

第3曲の「風景」で、我々は漸く、アリスが女流ピア二ストであることを知ることになる。

ここの抒情は実に美しい。

有名な第4曲の「マゼッパ」は、堂々たる威厳に満ち溢れており、とても19歳のピアニストとは思えないスケールの雄大さだ。

第5曲の「鬼火」の軽快さも見事だし、第6曲の「幻影」や第8曲の「狩り」の重厚さも特筆すべきだ。

長大な第9曲の「回想」は、女流ピアニストならではの繊細な抒情が感動的だし、第11曲の「夕べの調べ」のまさに夕映えのような美しさや第12曲の「雪かき」の寂寥感の嵐にも大きく心を揺り動かされる。

ボーナストラックの「ラ・カンパネラ」も繊細さと重厚さのコントラストが見事な名演だ。

このように、アリスは、既に豊かな表現力を備えており、単なるテクニックだけのピアニストではない。

もしかしたら、我々は何十年に一人しか出てこない名ピアニストのデビュ−の時代に運良く居合わせているのかも知れないのだ。

例えば現役世代であればポリ−ニとか、故人ではリパッティとか、彼らに共通するのは、完璧なピアノ技巧と高い音楽性の両方を持ち合わせている点。

彼女もまさにこの2つ持ち合わせたピアニストであり、将来が楽しみな逸材と言えるだろう。

これからまた、どんなレパ−トリ−が聴けるのか楽しみだ。

今後のアリスの更なる成熟をあたたかく見守りたい。

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2012年11月28日


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毎年行われているニューイヤー・コンサートの中で、名演と称されるのは、かつてのクレメンス・クラウスは別格として、1987年のカラヤンと、1989年及び1992年のクライバーであると考えているが、今般のプレートルの2度目のコンサートは、これまでの名コンサートに匹敵する超名演であると高く評価したい。

そもそも選曲のセンスの良さに感心させられるばかりだ。

様々な見方もあろうとは思うが、第5曲目のワルツ「酒・女・歌」が全体を通じたテーマと言えるのではないか。

酒(シャンパン)や女性、そして歌こそが生きていく上の最大の活力。

プレートルは85歳の老齢ではあるが、そのような老いの影など微塵も感じられない。

どの曲にも、プレートルの溢れんばかりの力強い活力が漲っている。

それでいて、ウィンナ・ワルツとフランスのエスプリが絶妙にコラボレーションした雰囲気豊かな高貴な優美さ。

初登場の「ライン川の水の精」など、他の指揮者が演奏すれば、とてもニューイヤー・コンサートで採り上げるのもはばかるような演奏に陥る可能性もあるが、プレートルの手にかかると、そのような違和感を全く感じさせないのだから、その高踏的な至芸がいかに凄いものかがわかろうというものだ。

また、有名な「美しき青きドナウ」をこれほどまでに思い入れたっぷりに演奏した例は他にあったであろうか。

ウィーン・フィルも、雰囲気豊かな実に美しい音色を出しており、巨匠プレートルとの抜群の相性の良さを感じさせる。

前述のように、ニューイヤー・コンサートはカラヤンとクライバー以降、凡演が続き、中には1曲聴くのも億劫なほどつまらない演奏も少なくなかったのだが、プレートルの名演によって、長年の渇きが癒された思いである。

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2012年11月27日


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2009年10月31日、11月2日 シドニー、オペラ・ハウス、コンサート・ホールに於けるDSDレコーディング。

プロコフィエフの交響曲の中で、最も人気のある2大交響曲を収めた好企画CDだ。

いずれも、楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えてくれる佳演であると思う。

いわゆる個性的な表現には乏しいが、だからと言って演奏が平板ということにはならない。

アシュケナージによるプロコフィエフの見事な構築力と、オーケストラの引き締まった音色、きらびやかで機能性に満ちたプロコフィエフの音楽を聴くことができる。

「第1」も「第5」も、やや速めのテンポをとりつつ、ここぞという時の力強い迫力や、抒情的な箇所の歌い方にもいささかの不足はなく、何と言う素晴らしい曲だろうと思わせる。

こういった、楽曲の魅力を、オーソドックスな表現によって、ダイレクトに聴き手に伝えるということが、実はアシュケナージの個性と言えるのかもしれない。

シドニー交響楽団の健闘も称賛しておかなければならない。

2009年1月に首席指揮者兼アーティスティック・アドヴァイザーに就任したアシュケナージであるが、シドニー交響楽団とはますます信頼関係を深めていることがこの演奏から窺える。

エルガーやラフマニノフの交響曲・管弦楽曲集では、オーケストラの力量にいささか疑問符をつけたくなるような箇所も散見されたが、本盤の両曲の演奏を聴く限りにおいては、そのような不安は微塵も感じられなかった。

これは、アシュケナージ&シドニー交響楽団のコンビが軌道に乗ってきたことを表す証左であり、今後録音される他の交響曲やピアノ協奏曲にも大いに期待を持てるものと言える。

SACDによる極上の高音質も素晴らしいの一言であり、エクストンも、漸く、このコンビの録音会場であるシドニー・オペラハウスでのベストのマイクポイントを会得したのではないかとも感じた。

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classicalmusic at 21:31コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフアシュケナージ 

2012年11月26日


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リストのピアノ・ソナタを弾きこなすことは、あらゆるピアニストの一つの大きな目標。

この世のものとは思えない超絶的なテクニックを要するとともに、各場面の変転の激しさ故に、楽曲全体を一つのソナタに纏め上げるのが至難の業であるという点において、海千山千のピアニストに、容易に登頂を許さない厳しさがあると言えよう。

そうした難曲だけに、天才ピアニストであるポゴレリチがどのようなアプローチを見せるのか、聴く前は興味津々であったが、その期待を決して裏切らない超個性的な名演であった。

演奏の特徴を一言で言えば、表現の振幅がきわめて激しいこと。

最弱音から最強音まで、これほどまでにダイナミックレンジの広い演奏は、他の名演でも例はあまりないのではなかろうか。

テンポ設定も自由奔放とも評すべき緩急自在さ。

ただでさえ、各場面の変転が激しいのに、ポゴレリチは、うまく纏めようという姿勢は薬にしたくもなく、強弱やテンポの緩急を極端にまで強調している。

それ故に、全体の演奏時間も、同曲としては遅めの部類に入る33分強もかかっているが、それでいて間延びすることはいささかもなく、常に緊張感を孕んだ音のドラマが展開する。

このソナタは途方もなく底が深いが、それを表出させてしまうポゴレリチの音楽性と技術も凄い。

ともかく、この演奏は、この難曲の演奏の可能性を開拓した素晴らしいもので、激情と繊細が同居している。

これは、まさに天才の至芸であり、ポゴレリチとしても会心の名演と言っても過言ではあるまい。

併録のスクリャービンも、力強さと繊細な抒情を巧みに織り交ぜたポゴレリチならではの名演だ。

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classicalmusic at 23:47コメント(0)トラックバック(0)ポゴレリチリスト 

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ピアノ協奏曲第2番もポロネーズ第5番も、いずれもそれぞれの楽曲の最高の名演の一つと高く評価したい。

ピアノ協奏曲第2番は、ショパンの若書きの協奏曲故に、演奏がイマイチだと、旋律の美しさという、曲想のうわべだけを取り繕った浅薄な演奏になりがちであるが、ポゴレリチの場合はそのような心配は御無用。

それどころか、あまりの個性的なピアノに完全にノックアウトされてしまった。

意表をつくような緩急自在のテンポ設定を駆使し、ダイナミックレンジの幅広さも尋常ではなく、抒情的な箇所の歌い方も濃厚さの極みである。

ポゴレリチの解釈は一種マニアックであり、演奏は奔放ともいえるほど感情の振幅が大きく、強い意志で推進され、決して停滞することがない。

深沈とした甘美な情感の漂う音や、テンポの設定、強弱の対照などにも独自のものがみられる。

しかしスケールは大きく堂々としており、第3楽章など、秘めやかな感情から烈しい昂まりまでを見事に表現している。

これだけの個性的な解釈を示しつつも、全体的な造型にいささかの揺らぎも見られず、ここに、ポゴレリチの天賦の才能が示されていると言える。

まさに、天才だけに可能な至芸と言える。

このような個性的な天才ピアニストをサポートする指揮者には、相当な寛容さが求められると思うが、アバドの手腕は見事で、ポゴレリチの個性的なピアノを柔軟性を持ってしっかりと支えていて、演奏全体に自由な精神が感じられる点を高く評価したい。

併録のポロネーズ第5番も、ポゴレリチならではの個性的な超名演。

力強い打鍵と、時折見られる情感豊かさのバランスが見事であり、あたかもオーケストラを指揮しているとの錯覚を起こすような重量感溢れるド迫力に、完全に圧倒されてしまった。

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2012年11月25日


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サン=サーンスのピアノ協奏曲集は、知る人ぞ知る名曲だと思う。

サン=サーンスの協奏曲といえば、ヴァイオリン協奏曲第3番やチェロ協奏曲第1番が非常に有名であり、前者についてはフランチェスカッティ、チョン・キョンファ、後者についてはロストロポーヴィチ、デュ・プレの名演によって、広く知られている。

それに対して、ピアノ協奏曲の知名度は不当に低いと言わざるを得ない。

録音の点数も、あまり多いとは言えない。

サン=サーンスならではの美しい旋律とフランス風のエスプリに満ち溢れた魅力作揃いだけに、大変惜しい気がする。

全集としては、チッコリー二、コラール、ロジェなどが名盤として知られるが、ここに本盤のマリコワによる名演が加わったのは何と言う幸せだろう。

本盤の売りは3つ。

1点目は、ドイツのオーケストラを使用した初めての全集ということだ。

サン=サーンスは、かなり多くの識者(例えばチャイコフスキーなど)が論じているように、ドイツ音楽をフランス風にアレンジして、フランス音楽の独自性をいかに発揮させるのかといった点に腐心していた作曲家であり、作品にもそのようなドイツ音楽の影響を随所に感じさせる面がある。

ピアノ協奏曲にもドイツ音楽風の重厚さが随所に含有されており、T・ザンデルリンク&ケルン放送交響楽団は水を得た魚の如く、実に重厚でシンフォニックな演奏を行っているのが素晴らしい。

2点目は、マリコワの女流ピアニストならではの繊細にして優美なタッチ。

これぞフランス風のエスプリ漂う瀟洒な雰囲気で満たされており、重厚なドイツ風のオーケストラ演奏とのベストマッチングぶりが見事である。

3点目は、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音であり、これ以上は求められないような鮮明な音質が最高だ。

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classicalmusic at 21:23コメント(4)トラックバック(0)サン=サーンス 

2012年11月24日


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ポゴレリチが、ショパン国際コンクールにセンセーショナルな落選をしたのが1980年秋。

皮肉にも、ポゴレリチは落選によって一躍時の人となったが、その翌年にDGにデビューした際の録音が本盤で、ポゴレリチがまことに大胆な自己主張を聴かせる。

保守的な当時の審査員が拒否反応を示しただけあって、実に個性的なショパンであるが、素晴らしい名演と高く評価したい。

ポゴレリチの特徴を一言で言えば、表現の振幅の極端なまでの幅広さであると言える。

ゆったりとしたテンポの箇所は、他のピアニストよりも更にゆったりと演奏するし、音の強弱も、他に比肩する者がいないようなダイナミックレンジの広さを示している。

アッチェレランドの強調なども凄まじさの限りだし、テクニックにおいても人後に落ちない抜群のものがある。

極端なダイナミクスの対比、大きなテンポの揺さぶりなど、なるほど伝統墨守の立場からいえばとんでもない演奏だが、表現は強固な技術的メカニズムに支えられ、豊かにはばたいている。

このように、超個性的な演奏を行うが、それでいて、あざとさが全く感じられないのが、ポゴレリチの類稀なる才能と至芸と言うことができるだろう。

意気に満ちた表現はそれだけでも気持ちの良いものだが、なによりも説得力のある演奏だ。

選曲も実に個性的。

ピアノソナタ第2番、前奏曲嬰ハ短調、スケルツォ第3番、夜想曲というように、緩急をつけた並べ方をしている点にも、ポゴレリチのこだわりと独特のセンスの良さを感じさせる。

アルゲリッチは、前述のショパン国際コンクールの審査の際(そしてポーランドを去るが)に、「彼こそは天才!」との評価を行ったとのことであるが、さすがは一流は一流を知るということだと思う。

現在ポゴレリチは50歳を越え、自らの芸術を求め、ピアノ界の異端児として大胆且つ奔放な演奏で常に音楽界の話題をさらうアーティストである。

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2012年11月23日


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こんなに素晴らしい名演であるとは知らなかった。

本盤のグランドスラムによる素晴らしいLP復刻を聴いたのを契機として、フルトヴェングラーはブルックナー向きの指揮者ではないとの認識を改めなければならなくなった。

それほどまでに、既発売CDと、今回のグランドスラム盤の音質の差は大きいと言える。

これまでの市販盤より細部の音が明瞭となり、リマスタリングも成功。

ベルリン・フィルならではの重厚な低音も見事に捉えられているし、最弱音の繊細な響きもかなり鮮明に捉えられている。

演奏も、ベートーヴェンの交響曲などで顕著な劇的なアプローチは決して行っていない。

時折、テンポの変化も見られるが、全体としては荘重なインテンポを維持していると言える。

これは、ブルックナー演奏の王道とも言うべきアプローチであり、フルトヴェングラーは、ベートーヴェンの交響曲とは異なるブルックナーの交響曲の本質をしっかりと鷲掴みにしていたことがよくわかる。

放送録音という状況のせいか、曲想のせいか、フルトヴェングラーとしては、穏やかに安定感のある、内容的な演奏となっており、実に感動的だ。

ライナーノーツによれば、改訂版を使用とのことであるが、「第7」の場合はあまり問題にはならない。

現代でこそ、ヴァントや朝比奈、そして少し時代を遡ればマタチッチによる名演などが目白押しの同曲であるが、本名演の録音は1949年。

まだ、「第7」の名演など殆ど生まれていなかった時代だ。

その意味では、「第7」の真価を初めて世に知らしめた歴史的な名演との評価もあながち言いすぎではあるまい。

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2012年11月22日


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このような超個性的な名演を発掘した東武レコーディングズの快挙である。

マーラーの「第7」は、場面の変遷が激しく、大変音符の多い楽曲だけに、うまく纏めるのが難しい交響曲である。

ケーゲルは、全体として、各旋律の輪郭をはっきりさせ、幾何学的に計算され尽くしたアプローチを行っているが、それでいて劇的な迫力や情感の豊かさにもいささかの不足はなく、相反する要素を高次元でコラボさせた稀有の名演と言うことができるだろう。

第1楽章は、粘るようなテンポ、アッチェレランドの駆使、そして効果的なゲネラルパウゼが実に印象的である。

特に、中間部のゆったりとしたテンポによる抒情豊かな演奏は、これこそ「夜の歌」というべき深沈たる雰囲気に満ち溢れている。

第2楽章は、実に生真面目な演奏だ。

しかしながら、そこから漂ってくる何と言う不気味さ。

これは夜想曲ではなく、まるで死神のワルツだ。

各楽器の響かせ方は、カウベルの力強さも相まって、独特の不気味な雰囲気を醸し出すのに大きく貢献している。

第3楽章は速めのテンポで、一聴すると何でもないように演奏しているが、スパイスの効いた各楽器の生かし方は超個性的だ。

特に、中間部のテンポ設定は独特で、終結部のトロンボーンの力奏や、ラストのティンパニの一撃の凄まじさなど、初めて聴くような場面が連続する。

第4楽章は、それまでのシリアスな雰囲気とは一転して、官能的な夜の世界が出現する。

冒頭の独奏ヴァイオリンの極端なグリッサンドや、ホルンの甘いヴィブラートなど、情感過多な妖しい世界に聴き手を導いていく。

この過激とも言える濃厚な表現こそ、世紀末芸術家マーラー演奏の醍醐味と言うべきである。

終楽章は、ここにきてケーゲルの秘められたパッションが大爆発。

中途でのテンポの激変や猛烈なアッチェレランドなど個性的な解釈をふんだんに駆使して、圧倒的な迫力のうちに大団円を迎えるのである。

東京都交響楽団は、若杉やインバル、ベルティー二に鍛え抜かれた我が国最高のマーラー・オーケストラと言えるが、本演奏でもケーゲルの個性的な棒にしっかりと応えている点を高く評価したい。

演奏終了後の熱狂も当然で、演奏会場にいた聴衆に羨望の念を禁じえない。

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classicalmusic at 21:47コメント(0)トラックバック(0)マーラーケーゲル 

2012年11月21日


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いかにもロシア的な抒情に満ち溢れた超名演だ。

ラフマニノフの「第2」は、最近では多くの指揮者が演奏する人気曲として認知されているが、現代風に洗練された演奏が主流となり、ロシア音楽ならではのアクの強い演奏が鳴りをひそめているのが何とも残念な傾向にあると思っていた。

そこに登場したのがゲルギエフの再録音に当たる本盤であり、スヴェトラーノフほどではないものの、ロシア音楽ならではのアクの強さが顕在化しているのが何とも嬉しい限りだ。

第1楽章は、提示部を繰り返しているのに大変驚かされた。

他の指揮者でも、ザンデルリンクの新盤くらいしか見当たらず、非常に稀な例と言えるだろう。

しかしながら、繰り返しによる冗長さはいささかも感じられず、むしろ繰り返しが必然のように思えてくるのは、演奏の素晴らしさの証左と言える。

ロシアの悠久の大地を思わせるようなスケールの大きい重量感や、ロシア風の情感溢れるうねるような演奏が実に感動的だ。

第2楽章は、各局面におけるテンポ設定の巧みさが際立つ。

畳み掛けるような弦楽による重厚な進軍やアッチェレランドの駆使は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力だ。

第3楽章は、旧盤よりもゆったりとしたテンポで、名旋律を歌い抜く。

スヴェトラーノフに比べると、幾分抑制がかかっているように思うが、それでも情緒に溺れることなく、高貴な芸術性を失わない点は、さすがの至芸とも言える。

特に、コーダの意味深さはゲルギエフが一番だ。

終楽章は、華麗なる音の饗宴であるが、それでいて単なる馬鹿騒ぎには陥らず、テンポといい、強弱といい、いずれも申し分なく、決して上滑りしない彫りの深い表現を行っている点を高く評価したい。

終結部の踏みしめるようなティンパニや金管の最強奏や、猛烈なアッチェレランドには、もはや言葉を失うほどの感動を覚えた。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質も本盤の魅力の一つであり、今後録音が予想される「第1」や「第3」への期待を持った聴き手は、決して筆者だけではあるまい。

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classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフゲルギエフ 

2012年11月20日


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これは、ドヴォルザークの「新世界より」という交響曲の魅力を、ゆったりした気持ちで味わうことができる名演だ。

第2楽章の中間部の微妙なテンポの変化や、終楽章の第1主題のレガートのかけ方などに、やや個性的な箇所も散見されるが、それ以外はいかにも模範的な解釈。

奇を衒うということはいささかもなく、中庸のテンポで、交響曲の全体像を描き出していく。

要するに、指揮者の個性というよりは、楽曲の素晴らしさを存分に味わうことができる演奏ということが出来るだろう。

したがって、「新世界より」に何か特別な個性的解釈や、意味深さなどを求める聴き手からすると、物足りないと感じる人もいるとは思うが、これだけ、「新世界より」の魅力を心ゆくまで堪能させてくれるのであれば文句は言えないのではないかと思われる。

この演奏、確かに「新世界」なのだが、これまでのどの演奏とも異なる、文字通りの「新世界」だ。

さらにいえば「別世界」。

ポピュラーすぎてどれを聴いても同じようにしか聴こえてこなかったこの曲であるが、あらためてその魅力と奥深さを気付かせてくれた現代の名演と言えよう。

ヤンソンスによって鍛え抜かれた手兵コンセルトヘボウ管弦楽団の好演も特筆すべきであろう。

弦楽器も、そして、金管楽器や木管楽器も実に巧く、ここぞという時のティンパニをはじめとする打楽器群の迫力も圧倒的だ。

名門オーケストラ、コンセルトヘボウ管弦楽団がヤンソンスを得て黄金時代の到来を予感させる。

そして、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音も、コンセルトヘボウのシートで聴いているかのような錯覚を覚える名録音であり、本名演の価値をより一層高めることに大きく貢献している。

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classicalmusic at 23:57コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークヤンソンス 

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ドヴォルザークの「レクイエム」は名曲で、今回、ヤンソンスの演奏が出たことはまことに喜ばしい限り。

本盤は、ヤンソンス&コンセルトへボウ管弦楽団の黄金コンビの絶好調ぶりをあらわす名演だと思う。

「レクイエム」は、ドヴォルザークの最円熟期に作曲された傑作であるが、そのわりには録音が極めて少ない。

これは大変残念なことであると思うが、その渇きを十分に癒す本名演の登場は、大変に歓迎すべきことであると考える。

期待通り、この美しい曲をまことにこの上なく美しく仕上げた立派な出来映え。

大曲であるが、聴き惚れてしまって、あっという間に終わってしまった。

ヤンソンスは、めまぐるしく移り変わる各局面の描き分けが実に巧みであり、なかなか統率が困難とも言われているウィーン楽友協会合唱団にも、その力強い統率力を発揮して、見事な歌唱をさせているのが素晴らしい。

独唱のストヤノヴァや藤村も最高のパフォーマンスで、この名演に華を添えている。

ドヴォルザークの「第8」も名演だ。

アプローチとしては指揮者の個性を全面に打ち出すというよりも、楽曲の魅力や美しさを引き出した演奏と言うことができる。

だからと言って、没個性的な演奏ということではない。

例えば、第1楽章や終楽章の終結部の猛烈なアッチェレランドや、第2楽章の他のどの指揮者よりもゆったりとしたテンポによる抒情豊かな演奏など、ヤンソンスならではの個性的な解釈も見られる。

録音は、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質であり、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献している。

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2012年11月19日


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こんな録音が残っていたとは驚きだ。

朝比奈60代、若々しさがあり、それを、ドイツのオーケストラで表現していて、素晴らしいものがある。

朝比奈のハイドンは実に珍しく、筆者としても、これまで第1番と第104番しか聴いたことがなかった。

朝比奈は、ドイツの交響曲の3大B(ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー)について数多くの演奏を行い、そして数々の名演を遺してきたことを考えれば、大変惜しい気もしていたが、そのような中、ついに長年の渇きを癒す本CDが発売された。

第92番も第99番も、いずれも朝比奈ならではの剛毅にして重厚な名演だと高く評価したい。

ハイドンの交響曲の演奏様式は、最近ではピリオド楽器や、いわゆる現代オーケストラに古楽器的な奏法をさせるというものが主流を占めつつある。

そのようなアプローチは、歴史考証学的には正しいのかもしれないが、それが果たして芸術の感動に繋がるのかと言えば、筆者としては大いに疑問を感じている。

朝比奈の演奏は、こうした現在の軽妙浮薄とも言えるゆゆしき潮流とは全く正反対の重厚長大なアプローチ。

あたかも、ブルックナーを演奏する時のように、ゆったりとしたインテンポで、スコアに記された音符のすべてを愚直に、そして隙間風を吹かすことなく重厚に演奏していく。

そのスケールの雄大さは、ハイドンの交響曲の演奏としては空前絶後とも言える巨大さであり、演奏当時は、朝比奈もまだ60代の壮年期であるが、既に巨匠の風格が十分に漂っていると言える。

こうした朝比奈の指揮に、本場ドイツのオーケストラがしっかりと応えているのも、実に素晴らしいことではないだろうか。

本盤の名演に接して、無いものねだりながら、朝比奈のハイドンを、他の交響曲でももっと聴いてみたいと心底思った次第だ。

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2012年11月18日


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バッハのミサ曲ロ短調と言えば、筆者は、これまでリヒターやクレンペラー、カラヤンなどの壮麗にして重厚な名演に親しんできたせいか、各パート一人という小編成を売りにしている本盤を聴く前は、いささか不安に感じていたのが正直なところであった。

ところが、実際に聴いてみると、これがなかなかに魅力的な演奏であるのに大変驚かされた。

このような小編成による演奏や、いわゆるピリオド楽器を使用した演奏には、歴史考証学的には価値があると言えるものの、芸術的にはイマイチという凡演も散見されるが、このクイケン盤については、芸術性においても非常に高いレベルに達している名演と高く評価したい。

一聴すると、淡々と演奏しているようであるが、どこからともなく漂ってくる至高・至純の美しさ。

あたかも、ミサにおける敬虔な祈りの声が周囲から聴こえてくるかのようだ。

また、各パート一人であるが故に、各声部や各楽器の動きは明晰そのものであり、演奏の精緻さをより極める結果となっている点も見過ごしてはならないだろう。

この決してごまかしの効かないアプローチを行った点にも、クイケンの並々ならない自信が満ち溢れていると言える。

レオンハルト盤と聴き較べると、同じく中世の響きでもレオンハルトがフランドル楽派の合唱ポリフォニーを想起させるのに対して、クイケン盤はまるでモンテヴェルディのマドリガーレの世界にいるような錯覚すら覚え、どちらも西洋多声音楽の歴史を眼前に蘇らせる奥深い演奏だと思う。

もちろん合唱を使用していないことによる、言わずもがなの欲求は色々と感じはするし、これがミサ曲ロ短調の究極の姿ではないであろうが、少なくともこれまでに出た1パート1人のミサ曲ロ短調の演奏で、最も精緻で美しい名演であることは間違いないだろう。

レオンハルトの記念碑的演奏より20数年、ラ・プティット・バンドが未だに世界最高のバッハ演奏団体であることも実感させる。

ミサ曲ロ短調を愛する人にとっては必聴盤の1つだと思う。

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classicalmusic at 21:22コメント(0)トラックバック(0)バッハクイケン 

2012年11月17日


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2004年7月 コンサートホール、ライトハウス、プーレでの録音。

オールソップとボーンマス交響楽団の充実ぶりを示す意欲的なレパートリーで、オーケストラ作品を堪能する楽しみを聴き手に与えてくれる、都会的な演奏になっている。

オールソップのバルトークは実にすばらしい。

以前に発売されたバレエ音楽「木製の王子」も超名演であったが、本盤のバレエ音楽「中国の不思議な役人」も名演だ。

何よりも、各場面の描き分けが実に巧みであり、バルトークの書いたバレエ音楽ではありながらシニカルな側面を併せ持つ同作品を、聴き手にわかりやすく、そして優しく語りかけてくれるような趣きがある。

同曲のストーリーは、いかにも20世紀の現代音楽ならではのグロテスクなストーリーであるのだが、オールソップの手にかかると、そのようなストーリーを忘れて、ただただバルトークの音楽の素晴らしさのみに浸ることができるのだから、いかに本演奏が優れたものかがわかろうというものだ。

他方、併録の「舞踏組曲」と「ハンガリーの風景」は、「中国の不思議な役人」とは異なり、ハンガリー民謡風のきわめて親しみやすい音楽であるが、ここでもオールソップは、情感豊かな表現で、各楽曲を描き出している。

その緩急自在のテンポを駆使した巧みな表現力の豊かさは、オールソップのバルトーク指揮者としての適性を如実にあらわしていると言えよう。

録音は、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質。

しかも、これだけの低価格、そして演奏の素晴らしさを考慮すれば、本CDほどお買い得の商品は他に類例を見ないのではなかろうか。

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classicalmusic at 21:39コメント(0)トラックバック(0)バルトーク 

2012年11月16日


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1971年にベルリン、イエス・キリスト教会で録音された、カラヤン&ベルリン・フィルによる情景描写豊かなメンデルスゾーン。

「フィンガルの洞窟」は、カラヤンの生誕100年を記念して、SHM−CD化された全集にも収録されていなかったので、本盤はその意味でも貴重であるが、聴かせどころのツボを心得たカラヤンの演出巧者ぶりを窺い知ることができる名演だ。

メンデルスゾーンならではの透明感溢れるみずみずしいオーケストレーションを、これ以上は望めないほどの美麗さで歌い抜いていく。

「スコットランド」は、某評論家による批評によって不当に貶められている演奏であるが、確かに、筆者としても、クレンペラー盤を名演と評価するのに躊躇はしないが、それに匹敵する名演として、カラヤン盤も高く評価したい。

冒頭の序奏部は、クレンペラーに負けないくらいの深沈たる抒情に満ち満ちているし、主部に入ってからの心湧きたつ旋律の歌わせ方も絶妙だ。

第2楽章は確かに快速のテンポ設定であるが、それはクレンペラーと比較してのこと。

他の演奏と同様の速めのテンポで曲想を巧みに描いていく。

第3楽章はすばらしい音のドラマ。

ゆったりとしたテンポによる堂々たる重量感溢れる歩みは、実に感動的だ。

終楽章のラストでの壮大な盛り上がりも、この名演を締めくくるのに相応しい迫力だ。

「イタリア」は、決して急ぎすぎない中庸のテンポで、カラヤンならではの優雅なレガートを駆使した気品ある名演に仕上がっている。

ルビジウムカッティングによって、これらの名演をより鮮明に味わうことが出来るようになったことを喜びたい。

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classicalmusic at 21:29コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンカラヤン 

2012年11月15日


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ムターの約30年ぶりの再録音である。

前回は、ワイセンベルクと組んだ録音であったが、今回は、ベートーヴェンやモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集の録音でも息のあった名コンビぶりを発揮しているオーキスとの組み合わせである。

ライナー・ノーツによると、ブラームスのヴァイオリン・ソナタについては、オーキスともども20年に渡って演奏をしつつ研究を重ねてきたとのことであるが、その意味では、今般の録音は、20年もの長きに渡った両者による研鑽の到達点というべきものであると言えよう。

そのような点から漲る両者の自信は、第2番と第1番を逆転させるという、収録された曲順のこだわりにも表れている。

そして、ムターのヴァイオリンも、前回の録音とは段違いの円熟ぶりを示している。

演奏は一言でいえばロマンティック。

つまり、出だしからテンポや強弱の変化がかなりはっきりとつけられ、特に緩徐楽章において顕著である。

前回の録音では、弱冠20歳という年齢もあって勢いに任せたようなところも見られたが、今回の演奏では、勢いに任せて上滑りしてしまうような箇所はいささかもない。

ムターの特徴であるスケール雄大な大らかさは感じられるものの、決して大味になることなく、ブラームスならではの渋みのある抒情も、心を込めた豊かな音楽性を湛えて巧みに表現している。

オーキスのピアノも、ムターのヴァイオリンに見事に合わせており、特に、第2番の第2楽章の両者の自由闊達とも言うべき掛け合いは、このコンビの好調ぶりを表す素晴らしさだ。

いずれにしても、本盤は、ブラームスのヴァイオリン・ソナタの古今東西の名演の座に加わる資格を十分に有する名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 23:53コメント(0)トラックバック(0)ブラームスムター 

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最近のムターの録音・録画物としては出色のものである。

ムターは、1980年にカラヤン&ベルリン・フィルとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を録音しているので、本盤は約30年ぶりの録音ということになる。

演奏は、約30年前の旧録音が、終始カラヤンのペースで演奏されたというイメージがあったが、本盤は、ムターの個性が全開の円熟の名演であると評価したい。

有り余る演奏の中、あらためてこのポピュラーな曲にビロードのような色と艶を吹き込んだ演奏である。

ムターならではの大らかさの中にも、繊細な抒情に満ち溢れている。

バックは、マズア&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。

マズアの指揮は、ベートーヴェンや特にブラームスの協奏曲では、いかにも薄味の伴奏と言った趣きであった(オケはニューヨーク・フィルであったが)が、本盤では、楽曲がメンデルスゾーンの協奏曲だけに、そのような問題点はいささかも感じられなかった。

まさに、ムターとマズアの楽曲への思いが通じ合った会心の名演と言っても過言ではなく、更に、メンデルスゾーンゆかりのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のいぶし銀の音色が、演奏に重厚さを添えることになっている点を忘れてはならないだろう。

室内楽も今まで意識して聴いたことがなかったが、素晴らしい曲でこれを世に広めたムターとプレヴィンに敬意を表する。

ピアノ三重奏曲やヴァイオリン・ソナタは、プレヴィンやハレルとともに、実に息の合った名演奏を繰り広げており、特に、ピアノ三重奏曲の終楽章の地響きがするような重厚なド迫力には、完全にノックアウトされてしまった。

ボーナストラックの「春の歌」は、ムター&プレヴィンの仲睦まじさに思わず微笑んでしまうような名演奏であり、名演揃いの本盤の締めくくりに相応しい温かみを湛えている。

なぜか誤解する人もいるが、ムターは現代最高のヴァイオリニストの一人であることには間違いはない。

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classicalmusic at 21:39コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンムター 

2012年11月14日


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シューリヒトは、数年前まではブルックナーの交響曲やブラームスの交響曲などのスタジオ録音などによって、颯爽としたインテンポを基調とする指揮者だというイメージがあった。

しかし最近アルトゥス・レーベルなどが数々のライヴ録音を発売したこともあって、劇的な演奏やロマン的な情緒を全面に打ち出した演奏をも繰り広げたりするなど、決して一筋縄ではいかない指揮者であることがわかってきた。

本盤も、シューリヒトの一筋縄ではいかない多彩な芸術を味わうことができるCDであると言える。

「ドイツ・レクイエム」は、本盤に収められた楽曲の中では録音年代が最も古く、特に合唱に濁りが見られる点が大変残念である。

基本的な解釈は、数年前に発売されたシュトゥットガルト放送交響楽団との1959年盤(ヘンスラー)に酷似しているが、第6楽章の劇的な表現は、シューリヒトの温厚な紳士というイメージを覆すのに十分な激しさだ。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番は、録音が1959年と比較的新しいだけに録音は鮮明。

ここでのシューリヒトは、いかにもドイツ正統派の巨匠と言った趣きの堂々たるインテンポによる演奏を基調しており、若き日のアラウのピアノをしっかりとサポートしていると言える。

アラウのピアノは、後年の演奏を彷彿とさせるような堂々たるピアニズムが素晴らしい。

ブラームスの「第4」は、シューリヒト得意の曲であるが、後年の演奏(ウィーン・フィルやバイエルン放送交響楽団)と比較して、かなりドラマティックなものとなっている。

特に、終楽章のパッサカリアは、各変奏毎の描き分けを大胆に行っており、終結部の猛烈なアッチェレランドは、後年のスタジオ録音には見られないシューリヒトの内なるパッションの爆発を垣間見ることが出来て実に感動的だ。

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2012年11月13日


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エデルマンが満を持して録音に臨んだリストのピアノソナタロ短調である。

カップリングに、対照的な性格のシューベルトの「さすらい人幻想曲」を配したのも、エデルマンの強いこだわりが感じられる。

リストのピアノ・ソナタは、とにかく凄い演奏だ。

名演であるが、いわゆる凄演と言った表現が適切なのかもしれない。

リストのピアノ・ソナタは、強弱のダイナミズムや緩急自在のテンポが駆使され、しかも、超絶的な技巧を要することから、古今の著名なピアニストの目標とする楽曲の一つとされてきたが、エデルマンは、こうした過去の名演に引けを取っていない。

一般にロシア系のピアニストのリスト演奏はダイナミクスの強弱変化が大きく、その分不自然なアゴーギクも鼻につく場合が多いが、エデルマンの場合はダイナミクスこそ凄まじいものの、テンポの揺れは少なく、これみよがしの恣意的な表現も無いので安心して聴くことができる。

冒頭の雷鳴のような重厚で力強い打鍵とその後に続く詩情豊かさ。

これらを抜群のテクニックをベースにして、まさに入魂の演奏を繰り広げている。

切れば血が出るような生命力溢れる演奏と言うのは、まさにこのような凄演のことを言うのだと思う。

録音は、SACDであるが、マルチチャンネルは入っていない。

にもかかわらず、これだけ臨場感溢れる音響がするのは、録音が素晴らしいだけでなく、エデルマンの演奏がそれだけ優れていることの証左であると考える。

他方、シューベルトの「さすらい人幻想曲」も名演だ。

この曲は、後年のピアノ・ソナタの傑作群に繋がっていく作品であるが、エデルマンは、各楽章の描き分けなど実に巧みに行っており、シューベルト特有の豊かな抒情の歌い方にもいささかの不足はない。

このような名演を聴いていると、エデルマンのシューベルトのピアノ・ソナタの演奏も聴きたくなったのは筆者だけではあるまい。

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classicalmusic at 21:55コメント(0)トラックバック(0)リストシューベルト 

2012年11月12日


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ユンディ・リがショパン国際コンクールで優勝したのは今から12年前の2000年。

本盤は、ユンディ・リがEMIに移籍して初録音のアルバムであるが、これはまさに満を持して臨んだノクターン全集と言えるだろう。

ショパンのノクターンは、スケルツォなどの激しさは薬にしたくもなく、どこまでも優美なロマンティシズムを湛えた楽曲集である。

それ故に、技量だけで勝負すると、うわべだけを取り繕った浅薄な演奏に陥ってしまうし、かと言って心を込め過ぎると、チープなムード音楽と化してしまう危険性がある。

それだけにアプローチが大変に難しい楽曲と言えるところであり、こうしたノクターンを節目の年の初録音に選択したところに、ユンディ・リの並々ならぬ決意と自信のほどが伺えると言える。

そしてその結果は、そのような自信が決して空回りしない名演に仕上がっていると評価したい。

ユンディ・リは、ショパン・コンクールに優勝するだけの抜群のテクニックを有してはいるが、それよりは、東洋人ならではの繊細なリリシズムを特徴とした優美な芸術性を売りにしたピアニストである。

それだけに、ノクターンのような楽曲には、その芸風が見事に符合し、芸術性において、他のピアニストの追随を許さないような高水準の演奏を行っていると言える。

曲によって出来にムラがないのも見事であり、どの曲にも、ユンディ・リのこの曲はこう解釈するという確信に満ち溢れているのが素晴らしい。

ショパンの、いやユンディ・リの若い感性が見事に発揮された名演となっている。

もちろん美しいだけだなく、聴き手を飽きさせない芯の通った表現、演奏であることは間違いない。

HQCDによる高音質録音も、ユンディ・リの繊細なタッチを見事に再現することに貢献している。

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classicalmusic at 21:25コメント(0)トラックバック(0)ショパン 

2012年11月11日


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クーベリックは、本盤の約15年後に、バイエルン放送交響楽団とシューマンの交響曲全集を再録音している。

シューマンの交響曲全集を2度録音した指揮者は、クーベリックのほか、バーンスタインくらいしか思い浮かばないが、いずれもマーラーを得意とした指揮者であるという点には注視する必要があると思われる。

シューマンは晩年、精神病に侵されていたが、マーラーの精神分裂的とも言えるような激情的な音楽と通低するものがあるのかもしれない。

バーンスタインの2度目の録音は、まさにそのような点を強調した演奏であったように思う。

しかしながら、クーベリックは特にそのような点を強調しているとは言えない。

むしろ、シューマンがスコアに記した音楽の魅力をストレートに表現していこうという、オーソドックスなアプローチとも言える。

それは、本盤だけでなく、後年の録音でも同様である。

新旧両演奏を比較すると、世評では後年の録音の方を、円熟の名演として高く評価する声が大きいと思うが、本盤には、後年の録音にはない独特の魅力がある。

それは、若さ故の燃え立つようなパッションの爆発ということになるのではなかろうか。

どの交響曲も、そして併録の両序曲も、切れば血が出るような力強い生命力に満ち溢れており、聴いていて心が湧き立つような感慨を覚えるほどだ。

それでいて、「第2」の第3楽章や「第3」の第4楽章など、抒情的な楽章の歌い方も実に美しく、ここにはみずみずしいロマン派の息吹さえ感じさせる。

ベルリン・フィルの好演も指摘しておく必要があるだろう。

カラヤンが、シューマンの交響曲全集を録音するのは、本盤の約10年後であることからしても、ベルリン・フィルがいかにクーベリックを高く評価していたかがよくわかろうというものである。

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classicalmusic at 21:58コメント(0)トラックバック(0)シューマンクーベリック 

2012年11月10日


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数多く存在するショパンのスケルツォ全集の中でも、トップの座に君臨する超名演である。

ポゴレリチは、ショパンコンクールの予選で落選し、アルゲリッチがポゴレリチを天才と称して抗議し、その後の審査をボイコットした話は有名であるが、本盤のような超弩級の名演を耳にすると、ポゴレリチがいかに抜群の才能を持った卓越した芸術家であるかということがわかろうというものだ。

第1番の冒頭の力強い一撃からして、他のピア二ストの演奏とはそもそも物が違う。

冒頭の一撃の後、一瞬の間をおいて、胸のすくような快速テンポによる疾風怒濤の快進撃が開始される。

それでいて上滑りする箇所は皆無であり、抒情的な箇所の歌い方も実に感動的だ。

それにしてもなんと劇的で、硬質で、深刻で、繊細で、そして柔らかなピアノであろうか。

有名な第2番も他のピアニストの演奏とはそもそも次元が異なる高みに達している。

強弱のダイナミックレンジの幅広さや緩急自在のテンポ設定も凄いの一言であるが、特に中間部の深沈とした抒情と急進的なスケルツォの対比は、ポゴレリチの真骨頂とも言うべき魔法のような魅力に満ち溢れている。

第3番や第4番も、極端と言ってもいいほどのテンポの緩急と、精妙で抒情的な演奏の美しさによって、ポゴレリチならではの個性的なショパン像を構築しており、その切れば血が出るような生命力溢れる激情的なパッションの爆発が、我々聴き手に深い感動を与えている。

短いアルバム(41分50秒)ではあるが、二度と現れることのないであろうショパンのスケルツォの超名演をたっぷりと堪能できる。

録音も実に鮮明であり、ポゴレリチの超絶的技巧に裏打ちされた芸術的な打鍵を余すことなく味わうことが可能だ。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)ショパンポゴレリチ 

2012年11月09日


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朝比奈の死の5か月前の至高・至純の超名演である。

朝比奈のブルックナーの「第8」としては、大阪フィルを指揮した本盤、本盤の5か月前の名古屋でのライヴ盤、そして1994年盤に加えて、NHK交響楽団を指揮した1997年盤の4種の演奏がベストであると考えている。

このうち、オーケストラの力量も含めた演奏の水準の高さとしては、NHK交響楽団を指揮した1997年盤がベストであると思うが、当該盤は未だSACD化されていない。

そうなると、録音も含めたトータルの評価としては、本盤に軍配が上がるのではないかと思われる。

朝比奈のブルックナーへのアプローチは、スコアに記された音符の数々を愚直に音化していくというものであり、巧言令色とは一切無縁。

古武士のような武骨さが身上であり、しかもテンポを可能な限り動かさず、堂々たるインテンポを基調とする。

スコアの細部に拘るあまりの過度の凝縮が、楽曲全体としての矮小化を招くという悪循環に陥ることは全くなく、全体的な造型を構築した上で、鷹揚と言ってもいいような無手勝の演奏を特徴としており、それだけにスケールの雄大さは桁外れだ。

したがって、ブルックナーの交響曲の指揮としては、最適のアプローチと言えるものだろう。

それにしても、本盤の演奏は、これが死を5か月後に控えた90歳を超える老巨匠の手によるものとはとても信じられない。

前述の4大名演の中でも、名古屋でのライヴ盤に次いでテンポは速いが、それでいて荒っぽさは皆無。

オーケストラの重厚な音色、微動だにしないインテンポ(終結部など、一部アッチェレランドもみられるが、全体としてはインテンポを基調としていると言える)、絶妙な強弱設定など、どれをとっても至高・至純の高みに達していると言える。

朝比奈が、このような超名演を人生の最後に遺してくれたことは、我々にとって大いなる幸運であったと考える。

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classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0)ブルックナー朝比奈 隆 

2012年11月08日


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朝比奈の死の1年前の演奏であるが、朝比奈が行った数々のブルックナーの「第4」の中でも、最高の名演である。

そればかりか、ブルックナーの「第4」の演奏史上、ヴァントのラストコンサートと並んでベスト2に君臨する至高・至純の超名演と高く評価したい。

朝比奈のブルックナーへのアプローチは、古武士のような武骨さを身上とした愚直なアプローチを旨としており、テンポをできるだけ動かさず、堂々たるインテンポを基調としたものだ。

それでいて、木を見て森を見ないなどということはなく、無手勝と言ってもいいような鷹揚さで楽曲をスケール雄大に描いていく。

しかしながら、本盤のテンポは速い。

それでいて、荒っぽい箇所は皆無であり、スケールの雄大さが減じることは全くない。

それどころか、どこをとっても、意味の深い有機的な美しさに満ち溢れている。

つまりはスケールの雄大さと細部のきめ細かさの二律背反する要素の両立。

これは、従来の朝比奈には見られなかった(あるいは果たせなかった)演奏スタイルであり、最晩年になって漸く成し得た究極の至芸と言えるのかもしれない。

それにしても、これが90歳を超える老巨匠の指揮による演奏とはとても考えられない。

何度も指揮しているはずのブルックナーの交響曲への深い畏敬の念とあくなき探究心が、これだけの透徹した至高・至純の超名演を成し遂げることに繋がったとも言える。

SACD化によって、この究極の超名演をより一層鮮明な音質で味わうことができることになったのは嬉しい限りだ。

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classicalmusic at 21:26コメント(0)トラックバック(0)ブルックナー朝比奈 隆 

2012年11月07日


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朝比奈はブルックナーの「第7」を数多く演奏してきたが、本盤は、この約10日後に東京都交響楽団と演奏したものと並んで、生涯最後の「第7」ということになる。

もっとも、朝比奈の手兵は大阪フィルであり、その意味では、本盤こそ、朝比奈のブルックナーの「第7」の集大成と言うべき超名演であると高く評価したい。

特に、第1楽章と第2楽章については、いつもの朝比奈とは異なり、金管楽器などをいささか抑え気味に、全体の響きの中にブレンドさせて吹奏させているように思われる。

要は、全体に静けさが漂っているところであり、テンポもやや遅め。

まさに、朝比奈の白鳥の歌とも言うべき趣きと言える。

そして、その神々しいまでの崇高さは、朝比奈としても死の7か月前に漸く到達した至高・至純の境地と言えるものだろう。

ところが、第3楽章に入ると、常々の朝比奈が復活する。

テンポは非常に速くなり、金管楽器に思い切った強奏をさせるなど、重量感溢れる古武士のような武骨なアプローチで一貫している。

そのド迫力は、とても死を7か月後に控えた老巨匠の指揮によるものとは思えないような凄まじさと言える。

終楽章は一転してテンポがゆったりとしたものに変わるが、金管楽器の踏みしめるような最強奏の迫力は尋常ではない。

「第7」は、特に終楽章のスケールの小ささが難点とされているが、朝比奈の手にかかるとそのような欠点がいささかも感じられないのが見事だ。

朝比奈&大阪フィルの「第7」と言えば、聖フローリアンでのライヴが素晴らしかったが、当盤も朝比奈ファンには聴き逃せないCDと言える。

なお、SACD化によって、音質のグレードがかなりアップしたが、マルチチャンネルで聴きたかったという者は筆者だけではあるまい。

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2012年11月06日


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朝比奈はブルックナーを得意としたが、その中でも「第8」と「第5」が大のお気に入りであった。

シカゴ交響楽団に初めて客演した際も、候補として「第8」を第一にあげ、他の指揮者(ショルティ)との兼ね合いから、「第5」になったという経緯もある。

このように、「第5」は朝比奈にとってお気に入りの曲であったにもかかわらず、「第8」と異なって録音運に恵まれなかった。

晩年になって漸く東京都交響楽団との1995年盤という推薦に値する名演も生まれたが、オーケストラの力量にいささか問題があった感は否めない。

特に、第1楽章のホルンの音のはずし方は、かなり致命的とも言えた。

同時期にシカゴ交響楽団に客演した際の映像作品も遺されているが、初日の状態のやや悪い演奏であり、これまた朝比奈のベストフォームとは言い難い(3日目の演奏が素晴らしかったとのことであるが、未だCD化されていない)。

朝比奈ファンとしては、何とか理想の「第5」を遺して欲しいと待ち望んでいた者も多いと思うが、漸くその願いが叶ったのが、死の8か月前の演奏を収録した本盤であり、これこそ朝比奈が遺した「第5」の集大成とも言うべき超名演と高く評価したい。

第1楽章の随所で見られるゲネラルパウゼは実に効果的であり、著しく遅いテンポなのにもたれるということは皆無で、重量感あふれる重厚なブルックナーサウンドが炸裂している。

それでいて随所に見られる聖フローリアンの自然を思わせるような繊細な抒情も、崇高とも言える高みに達している。

第2楽章のしたたるような弦楽の音色も美しさの極みであるし、第3楽章の武骨とも言えるような力強いスケルツォも、これぞ野人ブルックナーの真骨頂を体現した理想の演奏と言える。

終楽章のフーガは、ヴァントのように整理され尽くしたいい意味での凝縮された整然さはないものの、そのスケールの雄大さはヴァントを凌ぐと言えるだろう。

SACD化も成功しており、マルチチャンネルはないもの、十分に満足できる水準に達していると言える。

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2012年11月05日


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ショスタコーヴィチの「第7」はトスカニーニによるアメリカでの初演の歴史的記録である。

トスカニーニのショスタコーヴィチは、今では偽書であるとされているものの、一時は一斉を風靡したヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」によって、ボロカスに酷評されている。

ショスタコーヴィチ曰く、テンポといいリズムといいすべてが間違っていると評しており、これによって、証言をバイブルのように信奉する人など、本演奏を歯牙にもかけていなかったところである。

しかし、証言が偽書であるか否かにかかわりなく、いかなる楽曲も作曲者の手を離れると単なるスコアに過ぎず、絶対的に正しい演奏など存在しないのではないか。

例えば、多くの聴き手に感動を与えるフルトヴェングラーのベートーヴェンも、果たしてベートーヴェンが評価したかどうかはわからないのである。

筆者は、本演奏を、ファシズムに対して一切の妥協を排して批判し続けたトスカニーニならではの鬼気迫る歴史的名演と評価したい。

初演でありながら、これほどまでに説得力のある演奏を成し遂げるトスカニーニの類まれなる才能と情熱には感服するほかはない。

ショスタコーヴィチの「第7」は、バーンスタインの演奏が非常に世評高いが、この交響曲の持つ真の意味を表現している点ではトスカニーニの表現にいささかの抜かりはなく、この交響曲の持つ意味を深く抉り出そうという彫りの深い表現を行っている。

バーバーの「弦楽のためのアダージョ」編曲版の初演者であるトスカニーニの演奏は、やはり聴き逃せないだろう。

強く引き締まり、大きくうねる演奏は、しなやかに澄んだ抒情をたたえており、その深々とした表現は、作品に対する巨匠の愛着を真摯に示している。

音の状態は決して良くないが、戦時中の録音ということを考えると、信じられないようなオーケストラの圧倒的な力感を感じさせてくれるのが見事である。

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classicalmusic at 21:12コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチトスカニーニ 

2012年11月04日


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本盤とほぼ同時期に録音されたカラヤン&ドレスデン国立歌劇場管弦楽団盤が空前絶後の超名演だけに、その陰に隠れて過小評価されている演奏である。

さすがに指揮者やオーケストラの格などに鑑みると、どうしても旗色が悪い演奏ではあるが、歌手陣なども加味するとなかなかの佳演と評価してもいいのではなかろうか。

一語でいうと地味で素朴な風格を帯びた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」である。

といってヨッフムの演奏は少しも鈍重でなく、温かく優しい表情の中にひとつひとつの音やモティーフをくっきりと鮮明に浮かび上がらせている。

本盤の魅力は、何といっても、両主役であるザックスとヴァルターに、それぞれフィッシャー=ディースカウ、プラシド・ドミンゴを配している点であろう。

フィッシャ=ディースカウはいつものように巧すぎるとも言える歌唱を披露しているが、それでも本盤ではそうした巧さがほとんど鼻につかない。

この役にはやや明るい声だが、ひとつひとつの言葉のもつ抜き差しならぬ意味を、微細な表情の中に鮮やかに歌い出している。

ドミンゴはいかにも色男らしさを描出しているが、それが若き騎士であるヴァルターという配役と見事に符合している。

これら両者と比較すると、エヴァ役のリゲンツァは、いささか線が細く、この点だけが残念だ。

べックメッサー役のヘルマンや、ポーグナー役のラッガーなど、脇を固める歌手陣も見事なパフォーマンスを示しており、合唱陣の名唱も相まって、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献している。

ヨッフムの指揮は、ドイツ音楽の伝統に根ざした、手堅い表現で、押し出しの立派な、風格のある演奏である。

いかにも職人肌の実直な指揮ぶりであり、ワーグナーの他のオペラだと平板な印象を与えかねない危険性を孕むアプローチであると思うが、楽曲が、ワーグナーとしては肩の力が抜けた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」だけに、そのような不安はほぼ払拭され、総じて不満を感じさせる箇所はない名指揮ぶりであると言える。

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classicalmusic at 21:36コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーヨッフム 

2012年11月03日


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ブーニンがショパンコンクールで優勝したのは1986年。

その模様がNHKで放映されたこともあって、その後に日本のみで起こったブーニンブーム(筆者もブーニンのライヴに接した)には凄まじいものがあった。

あれから25年。

最近では、ブーニンの名すら知らない日本人も多いのではなかろうか。

同じコンクールで第5位だったルイサダや第4位の小山実稚恵に名実ともに先行を許し、後輩のキーシンにも大きく水をあけられている現状に鑑みれば、今となれば一過性に過ぎなかったブーニンブームは一体何だったのだろうかと思う。

本盤は、そんなブーニンブームが起きて約10年後の録音であるが、ここには先行しようというルイサダらの同輩や後輩であるキーシンを意識するあまり、何とか新機軸を打ち出そうとするブーニンの痛々しいまでの焦りが刻印されていると言える。

「ノクターン」と「スケルツォ」を交互に配置している点においても、ブーニンの並々ならない意欲が感じられるが、演奏を聴く限りにおいては、そうした意欲がいささか空回りしていると言わざるを得ない。

もともと、ブーニンのショパンは、コンクール優勝時から異色の解釈として物議をかもしていたが、デビュー当時は、テクニックさえあればいかなる演奏でも許された面がある。

しかしながら、デビューから10年も経てばそうはいかない。

テクニックだけが目立ち、個性的と言うよりはあざとさだけが目立つような演奏では、心ある聴き手からは見放されるのは当然のことと言えるだろう。

例えば超有名曲の「スケルツォ」第2番。

ここの中間部など、ポゴレリチなどの手にかかれば、実に憂愁な雰囲気が漂うのに、ブーニンは、何とか表情づけをしようと懸命にふるまってはいるものの、空回りしてしまい、単に明るい能天気な音楽だけが紡ぎだされていく。

これでは、いくら卓越した技量を有していたとしても、浅薄の誹りは免れないと言うべきである。

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classicalmusic at 21:45コメント(0)トラックバック(0)ショパン 

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ブーニンが1985年にショパンコンクールで優勝した際には、特に、我が国においてNHKで放映されたこともあって、センセーショナルな騒ぎとなった。

確かに、個性的で才能のあるピアニストの登場であり、歓迎すべきことではあったが、何もあそこまで大騒ぎすることはないのではないかと思ったクラシックファンは、筆者だけではなかったと思われる。

近年のブーニンは、自分の打ち出していくべき芸術の在り方に迷いと焦りが感じられ、筆者としてもあまり評価する気にならないが、コンクール優勝後の数年間は、さすがと思わせる才能の輝きが感じられる演奏も多かった。

本盤もそのような演奏の一つと言えるのではないか。

「悲愴」の第1楽章など、荒々しささえ感じさせるような凄まじさであるが、続く第2楽章の情感豊かさを聴くと、このダイナミックレンジの極端な幅広さにも必然性が感じられてくる。

これは、他の諸曲にも当てはまるところであり、ブーニンは、才能のみを頼りにして、ベートーヴェンの4大ピアノ・ソナタを、緩急自在のテンポ設定、極端とも言うべきダイナミックレンジの幅広さなどを駆使して、個性的な芸術作品を構築することに成功している。

まさに、才能、感性の勝利であり、これは、コンクール優勝後、数年間のみに許された個性的な演奏様式と言えるだろう。

しかしながら、コンクール優勝の記憶も薄れ、より成熟した芸術を求められる近年においては、とても通用するものではなく、この高い壁を、どう乗り越えていくのか、あるいは乗り越えられるのかが、ブーニンの今後にかかっていると言えるだろう。

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classicalmusic at 00:52コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン 

2012年11月02日


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グルダのショパンというのはきわめて珍しい。

それもそのはず、本盤におさめられた楽曲の大半が、1950年代前半という若き日に録音されたものの、お蔵入りになっていたものだからである。

いやはや驚くべき演奏だ。

ピアノの音そのものは決していい状態ではないが、グルダがショパンを自在に扱っており、かつ音楽が自然に呼吸している。

どの曲も、いわゆる通説となっているショパンらしい優美な演奏とは言えない。

いかにもドイツ人らしいゴツゴツした武骨さを感じさせるものものしい演奏だ。

この野暮ったいほどの重々しい演奏は、はっきり言って、ショパンのファンからすれば許しがたい演奏かもしれない。

しかしながら、例えば有名な《24の前奏曲》の「雨だれ」。

このショパンの心臓の鼓動とも言われる苦悩に満ちた楽曲を、これほどまでにシンフォニックに演奏した例はあるだろうか。

「舟歌」も、華やかな表情の下にあるショパンの心の闇を見事に描出している。

したがって、ショパンを聴くというよりは、ベートーヴェンを聴くような崇高さを感じさせる演奏ということができるだろう。

グルダは超一級の演奏家であるにもかかわらず、演奏そのものより他のことばかりクローズアップする音楽ジャーナリズムの在り方に問題があると思った。

ちなみに《24の前奏曲》は、チューリッヒとグラーツのライヴ録音から息子のパウルがそれぞれ13曲と11曲を選んで再構成したもの。

どちらも全曲録音が残っているのに、それを素材として新たに全曲盤としたのは、いかにもグルダの息子らしい試みと言うべきであろう。

惜しいのは録音がいささか古い点で、グルダの透徹したタッチがややぼやけて聴こえるのは残念だ。

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classicalmusic at 21:58コメント(0)トラックバック(0)ショパングルダ 

2012年11月01日


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大型実力派ピアニスト、セルゲイ・エデルマンが録音を再開して3枚目のCDであるが、まさに満を持しての得意のショパンの作品集ということが出来るだろう。

その真価はとてつもなく大きく、さらに実力の精緻ともいえる、重量級のショパン・アルバムが完成。

そして、その演奏内容は、我々の期待を決して裏切ることがない、堂々たる名演であった。

エデルマンは、50歳に到達しようかという、漸く中堅に差し掛かろうという年齢であるが、とてもそうとは思えないような円熟の至芸を聴かせてくれる。

ここでもエデルマンは、ピアニストとしての実力は勿論、巨匠の音楽家として、容赦ない怒涛の演奏を繰り広げ、さらに頂点を極めると言って過言ではない、真の完成度に到達している。

精緻のピアニズムから紡ぎだされる音には、前出のバッハ、シューマンでも同様だった聴く者を捉えて離さない独特の魅力はそのままに、今回はさらに、熟年にさしかかった音楽家としての更なる包容力によって、これら大曲群を、さらに大きく創り上げている。

打鍵も力強く、テクニックも卓越したものがあるが、それでいて、抒情的な箇所の歌い方も決して甘くはならず、高踏的な気品を湛えており、これほどまでに格調の高いショパンは、最近ではほとんど珍しいと言えるのではないだろうか。

いずれの曲も名演であるが、特に「舟歌」、「幻想曲」、そして「幻想ポロネーズ」の3曲は、これら各曲のベストを争う名演と高く評価したい。

殊に「幻想曲」は数多いの同曲の録音の中でも、歴史的な名演を繰り広げていると言っても過言ではない。

エデルマンのショパンについて、本盤以外の曲もいろいろと聴きたくなったという聴き手は、筆者だけではないはずである。

エクストンのSACDはいつもながら極上の音質である。

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classicalmusic at 21:57コメント(0)トラックバック(0)ショパン 
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