2012年12月
2012年12月31日
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素晴らしい名演の登場だ。
ドヴォルザークの交響曲第7番は、その後に作曲された第8番や第9番と比較すると、録音の点数が非常に少ない。
楽曲の内容からすれば、第8番や第9番に優るとも劣らぬような充実した名作であるだけに、大変残念なことである。
ただ、ドヴォルザークには珍しい心の内面に踏み込んでいく、いわば精神的な深みを感じさせる作品だけに、第8番や第9番とは異なり、演奏するに当たって一筋縄ではいかないという点もあるのかもしれない。
私見であるが、これまでの第7番の最高の名演は、クーベリック&ベルリン・フィルであると考えているが、なかなかこのレヴェルの名演にお目にかかることはなかった。
その渇きを漸く癒すCDこそ、本盤のフィッシャー盤であると考えたい。
演奏の性格は、既に録音した第8番や第9番と同様に、その豊かな音楽性と言えるだろう。
どこをとっても、情感豊かな美しい音楽が鳴っており、そうしたアプローチが、ドヴォルザークの音楽との相性抜群なのである。
これまでどのディスクからも聴かれることのなかった様々なディテールが明瞭に聴きとれる感覚は実に新鮮。
かといって伝統に背を向けた独自の解釈では決してないところがフィッシャーのセンスの良いところであろう。
SACDマルチチャンネルによる極上の高音質は、オーディオ的快感のスパイスを程よく効かせたセンスの良いもので、この名演のグレードをさらにアップするのに貢献している点も見過ごしてはならないだろう。
併録のアメリカ組曲も、親しみやすい作品であり、フィッシャー&ブダペスト祝祭管弦楽団も肩の力を抜いて、演奏を楽しんでいるかのような趣があり、それが見事に功を奏していると言える。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2012年12月30日
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1993年に録音された、シューマンのよく知られた作品3つをカップリングした1枚。
「フモレスケ」と「子供の情景」が、ルプーの個性が発揮された名演だと思う。
「千人に一人のリリシスト」と言われるルプーであるが、この2曲でも美音家ルプーの面目躍如たる抒情豊かな演奏を繰り広げている。
シューマンのピアノ曲は、同時代のショパンなどとは異なり、下手なアプローチをすると、やたらと理屈っぽい演奏に陥る危険性を孕んでいるが、ルプーの場合は、そのような心配は皆無。
各曲の性格をよくとらえ、華美にしすぎずに色鮮やかな演奏を聴かせてくれるあたりはルプーならでは。
シューマンのピアノ曲の美しさをいささかの嫌みもなく、安心した気持ちで満喫できる点を高く評価したい。
もちろん、抒情の豊かさだけではなく、「フモレスケ」の第5曲や、「子供の情景」の〈大事件〉、〈竹馬の騎手〉などにおける力強い打鍵による迫力においても、いささかの遜色はない。
他方、「クライスレリアーナ」は、「フモレスケ」や「子供の情景」の名演に比較すると、やや落ちると言わざるを得ない。
同曲の演奏にあたっては、各曲の性格を巧みに弾き分けていくことが必要不可欠であるが、同曲を得意とし、思い切った表現を行ったアルゲリッチの豪演などに比較すると、いささか大人しい感じがしないでもない。
ルプーなら、もう一歩次元の高い演奏を期待したい。
SHM−CD化によって、ほんのわずかではあるが、鮮明さが増したように感じたが、通常CDとの差は、殆ど誤差の範囲と言える。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2012年12月29日
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ラフマニノフの交響曲第2番は、今や最もポピュラーな交響曲の一つだろう。
現代の有名な指揮者の殆どが、同曲の録音を残している。
その演奏の傾向は、私見ではあるが、大きく2つに分かれると考えている。
一つは、ロシア音楽であることを重視し、ロシア風のアクの強い民族色豊かな演奏。
もう一つは、20世紀初頭の音楽であることを意識した洗練された演奏。
前者については、スヴェトラーノフやゲルギエフの新盤などに名演があり、後者には、デュトワの名演がある。
そして、これらの中間に位置する折衷型の名演が、この交響曲を一躍有名にすることに大きく貢献したプレヴィンということになるのではなかろうか。
本盤のフィッシャーの演奏は、この折衷型のプレヴィンの演奏の系統に連なる名演であると考える。
第1楽章など、実に洗練した表情で開始されるが、ここぞという時の力強い迫力は、ロシアの悠久の大地を思わせる。
第2楽章の終結部の金管楽器の響かせ方も初めて聴くような新鮮なものであるし、第3楽章の中間部のゲネラルパウゼも実に個性的だ。
ただ、オーケストラの音自体はいささか細く、もう少し量感はほしかったとは思うが、とはいえ、大変優秀な成果であることは疑いない。
併録の「ヴォカリーズ」は、ラフマニノフならではの美しい旋律をさらに磨き抜いた極上の美演。
SACDマルチチャンネルによる極上の高音質は、指揮台上で聴こえる音で録音してほしいとの指揮者のリクエスト通りの生々しい音質であり、本盤の名演の価値をより一層高めることに大きく貢献している。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2012年12月28日
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バルトークの6曲の弦楽四重奏曲は、ベートーヴェンが作曲した16曲の弦楽四重奏曲にも匹敵する殊玉の傑作である。
必ずしも親しみやすい作品とは言えないが、自ら足を運んで採取したハンガリーの民謡などを高い次元で昇華させて効果的に活用するとともに、前衛的な作風をも盛り込んでおり、弦楽四重奏曲という形式の可能性を最大限に発揮させた、非常に充実した内容を誇る音楽であると言える。
作曲年代が、バルトークの初期から後期へと多岐に渡っている点も、ベートーヴェンのそれと同様である。
これだけの傑作だけに、これまで様々な弦楽四重奏団によって数多くの録音がなされてきたが、本盤のフェルメール四重奏団による演奏も素晴らしい名演であると高く評価したい。
演奏の特徴を一言で言えば、非常にわかりやすい明快な演奏と言えるのではなかろうか。
もちろん、だからといって明快さ一辺倒ではなく、緩徐楽章などにおける悲劇的な表情にもいささかの不足も感じられないが、どこをとっても曖昧模糊な感じがしないのが素晴らしい。
およそ気分とか即興性とかに無関係な、計算され尽くした演奏で、細部に至るまで実に丁寧に表現されている。
まさに、バルトークがスコアに記した複雑な音型を完璧に表現している点が見事だ。
その分聴き手にも息詰まる緊迫感を強いる演奏だが、決して飽きることはない。
これほどの質の演奏を成し遂げるには、一流の団体をもってしても、大変な研究と練習量を必要としたことであろう。
フェルメール四重奏団の熱意とバルトークへの愛情に敬意を表したい。
録音も非常に鮮明であり、ナクソスならではの低価格を考慮すれば、費用対効果の観点からも、本盤の価値は相当に高いものと言える。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2012年12月27日
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1981年に録音されたルプーのブラームスで、「主題と変奏」は弦楽六重奏曲第1番第2楽章のピアノ独奏版である。
いずれもブラームスの若書きの作品であり、後年の傑作ピアノ作品と比較すると、いささか水準が劣る作品とも言える。
それ故に、録音の点数も限られているが、その中でも、このルプー盤は、知られざる作品の価値を高めることに大きく貢献する最高の名演の一つと言っても過言ではないのではなかろうか。
ピアノ・ソナタ第3番という、若きブラームスの青雲の志を描いた作品を、これまた若きルプーによる生命力溢れるピアニズムが見事に表現し尽くしていると言えるだろう。
まさに作曲者の作曲年代と演奏者の演奏年齢の見事なマッチング。
ブラームス初期の3つのソナタのうち、規模が大きく5楽章という変則形式のソナタを、ルプーが豊かな感受性で、晦渋さの残るこの大曲を見事にまとめあげている。
「千人に一人のリリシスト」と呼ばれるルプーだけに、抒情的な箇所の美しさは、他のピアニストを一切寄せ付けない至高・至純の境地に達しているが、それでいて、第3楽章や第5楽章などについても、若きルプーならではの勢いのある前進性、力強さにも不足はなく、その意味においては、各場面の描き分けを巧みに行ったバランスのとれた名演と言える。
特に極めてセンシティヴに弾きあげた第3楽章は魅力的だ。
他方、ルプーの美質が生きた「主題と変奏」も聴きもので、力強い打鍵の下、峻厳な表情を見せる。
リリシストたるルプーの異なった一面を垣間見せる異色の名演と言えるだろう。
SHM−CD化によって、通常CDよりかなり音質に力強さと鮮明さが加わったところであり、価格は少々高いとは思うが、音質については十分に合格点を与えることができる。
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2012年12月26日
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マタイ受難曲は、かつては大編成のオーケストラと合唱団による壮麗な演奏がもてはやされた時代があった。
戦前のメンゲルベルクと戦後のリヒター(旧盤)は双璧とされた名演であり、その他にもクレンペラーやカラヤンによる重厚な名演もあった。
しかしながら、最近では、ピリオド楽器を活用したり、合唱も小編成によるものが主流となり、マタイ受難曲の演奏様式もすっかりと様変わりすることになった。
それも、単に時代考証的な演奏にとどまるのではなく、芸術的な水準においても十分に満足できる極めて水準の高い名演が生まれているのは、マタイ受難曲ファンとしても大変うれしい限りだ。
そして今般、コープマンやレオンハルト、コルボなどの名演の列に、本盤のクイケン盤が加わることになった。
小編成のオーケストラ、そしてきわめて小規模な合唱団故に、スケールの小ささは否めない。
例えば、イエスが逮捕される箇所のつつましい表現など、リヒター盤やカラヤン盤のような劇的迫力を期待していると完全に肩透かしをくらわされる。
しかしながら、一聴すると淡々と進行しているように見えて、実はその曲想の描き方の何と言う純真無垢さ。
恣意的な箇所はいささかもなく、どこをとっても敬虔な祈りに満ち溢れた至高・至純の美しさを湛えていると言える。
ラ・プティット・バンドの演奏はミサ曲ロ短調を上回る素晴らしいもので、これも20数年前のレオンハルトの記念碑的名盤以来であり、もしかすると、ジギスヴァルト・クイケンのキャリアの頂点ではないだろうか。
バッハの音楽の、そして西洋キリスト教文化の奥深さに、深い感動とともに心が誘われる尊い、稀有な名盤だと思う。
残響を取り入れた録音も極上の極みであり、SACDマルチチャンネルによって、この世のものとは思えないような美しい音場が形成されるのが素晴らしい。
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2012年12月25日
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万人に訴えかける説得力を備えたゲルギエフとマリインスキー劇場管弦楽団によるショスタコーヴィチ交響曲シリーズの第1作にあたるこの演奏は、1994年にヨーロッパ楽旅を行った際に録音された。
ショスタコーヴィチの「第8」は、初演者で献呈者でもあるムラヴィンスキーによる超弩級の名演(1982年盤)があるだけに、他のいかなる演奏を持ってきても物足りなさを感じるのは否めない事実である。
そのような中にあって、本盤のゲルギエフ盤は、なかなかに健闘しており、部分的にはムラヴィンスキーを凌駕する箇所も散見される点を考慮すれば、名演と評価しても過言ではないものと思われる。
第1楽章は、ゲルギエフにしては随分と抑制された表現で開始されるが、その後の展開部では一転して、金管楽器による最強奏が炸裂する。
要は、冒頭の抑制された表現は、楽曲全体を見据えた上での計算された解釈ということであり、ここに俊英ゲルギエフのしたたかさがあらわれていると言える。
展開部終了後のイングリッシュ・ホルンは美しさの極みであるが、終結部のトランペットの絶叫はいささか凡庸のような気がした。
第2楽章は、ゲルギエフとしては普通の出来で、ゲルギエフならば、もう一段次元の高い演奏を望みたい。
第3楽章は、本演奏の中では問題が多いと言える。
丸みを帯びたリズムの刻み方はいかにも生ぬるく、これでは、この楽章の狂気は表現できないと思う。
しかしながら、終結部のティンパニの重量感溢れる強打は他のどの演奏よりも最高のド迫力。
続く第4楽章は本名演の白眉。
ピアニッシモを意識するあまり殆ど聴き取れないような軟弱な演奏が散見される中で、切々たる心の痛みを、力強さをいささかも損なうことなく気高く描いていくのは、俊英ゲルギエフならではの至芸と言えよう。
終楽章のシニカルな喜劇も、隙のない卓越した表現で描き、いわゆる「強制された平和」のうちに全曲を締めくくるのである。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2012年12月24日
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吉田秀和氏に絶賛されたDG盤以来約20年ぶりの再録音。
ポーランド周辺各地方の民俗舞踊を昇華して作曲されたマズルカのうち、生前に出版された41曲を収録。
ショパンは、スケルツォ、バラード、ポロネーズ、夜想曲、エチュード、前奏曲、ワルツなど、様々な曲集を作曲した。
しかしながら、若い時代から最晩年に至るまで一環して作曲し続けてきた曲集はマズルカであり、それ故に、マズルカ集はショパンの心や魂の軌跡、変遷などと言った評され方をするのだと考える。
そんなショパンの心底に踏み込んでいく深みのある作品集だけに、ナンバーによっては初心者でも弾くことができるようなテクニック的に難しくない曲も含まれているにもかかわらず、並みのピアニストの手には負えない難しさを秘めた曲であると言えるだろう。
本盤は、ルイサダの2度目の録音とのことであるが、古今の様々なマズルカ全集の名演中、最高峰に位置づけられる超名演と評価したい。
演奏の特徴は、何と言ってもセンス満点の詩情豊かなアプローチと言える。
もちろん、旋律を抒情豊かに描いていくアプローチは他でも見られるが、ルイサダの場合は、うわべだけを取り繕ったなよなよさは皆無であり、どの曲にも一本芯の通った力強さを秘めていると言える。
第1番から第41番に向けて、ショパンが若き時代から最晩年の高みに達していくことになるが、ルイサダは各楽曲を巧みに描き分けながら、晩年の至高・至純の高峰に登りつめていく。
その変幻自在な絶妙の演奏は、前述のように詩情豊かさも相まって、もはや評価する言葉が追いつかないような高みに達していると言える。
録音も、SACDマルチチャンネルによる望み得る最高の高音質であり、ルイサダの超名演に華を添える結果となっている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2012年12月23日
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ウィーン・フィルと録音した3曲が、さすがはグランドスラム盤ならではの見事な復刻である。
これまでのEMI盤のやや不鮮明な音質とは段違いの、素晴らしい音質に蘇っている。
これによって、フルトヴェングラーの名演を良好な音質で味わうことができるようになったことを大いに喜びたい。
R.シュトラウスの交響詩と言えば、カラヤンによる名演が真っ先に思い浮かぶが、フルトヴェングラーの名演はそれとは全く対照的なもの。
カラヤンの演奏が、オーケストラの機能美を活かした音のドラマであるとすれば、フルトヴェングラーの演奏は、劇的な人間のドラマであるということができよう。
ここで指摘しておきたいのは、両者に優劣はないということ。
両者ともに、それぞれのやり方で最高峰の名演を成し遂げたのだから、あとは、好みの問題と言える。
「ドン・ファン」の官能美と彫りの深い表現、「ティル」のめまぐるしく変遷する場面毎の描き分けの巧みさ、「死と変容」のダイナミックレンジを幅広くとった劇的な表現は、フルトヴェングラーならではの至芸と言えよう。
どの曲もフルトヴェングラーらしい内容のぎっしり詰まった演奏づくりに、今さらながら感動した。
ウィーン・フィルも、フルトヴェングラーの統率の下、最高のパフォーマンスを示している。
併録のベルリン・フィルとの「ティル」は、グランドスラム盤をもってしても録音はいささか良くない。
演奏自体は、ウィーン・フィルとの演奏よりも劇的な表現を行っているだけに少々残念な気がした。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2012年12月22日
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2009年 シュティリアルテ音楽祭での演奏会形式上演のライヴ・レコーディング。
ピリオド楽器による古楽器奏法などで名を馳せた老匠アーノンクールが、近現代のアメリカ音楽の旗手であるガーシュウィンのオペラを指揮するというのは、いかにもアンバランスな組み合わせのような印象を受けたが、ライナーノーツのアーノンクールによる解説の中で、ベルクの『ヴォツェック』との親近性や自筆譜や演奏資料などを参照した上でのオリジナルへのこだわりが触れられており、それを読んで、漸く、アーノンクールがこのオペラに挑戦した意味を理解した。
そして、実際に聴いてみたところ、大変感動したと言わざるを得ない。
『ポーギーとべス』には、マゼール&クリーヴランド管弦楽団という今や古典的とも言える超名演があるが、それとは一味もふた味も違った名演に仕上がっていると言える。
リズムやテンポ切れ味の鋭さはアーノンクールならではのものであるが、このオペラ特有の、場面毎の音楽が、ジャズ風になったかと思うと、繊細な音楽になったりという、その変遷の尋常ではない激しさを、アーノンクールは、見事に描き分け、全体の造型をいささかも損なうことなく、しっかりと纏め上げた手腕はさすがという他はない。
評論家の中には、この作品を「ミュージカル」と揶揄した人もいたが、『ポーギーとべス』がすばらしいオペラの名作であることを改めて確認させてくれた名演である。
最初に聴くべき全曲版ではないかもしれないが、現行版を良く知る人には大変興味深い演奏内容であることは確かだ。
歌手陣には、すべて黒人歌手を起用したとのことであるが、これまたいずれ劣らぬ名唱を披露していると言える。
アルノルト・シェーンベルク合唱団による合唱も見事であり、本名演に大いなる華を添える結果となっていることを見過ごしてはならない。
録音も、ライヴとは思えない程に鮮明で、総じて素晴らしい出来栄えであると言えよう。
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2012年12月21日
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ブラームスは、交響曲や協奏曲などにも傑作を遺したが、作品を大観したところ、やはり室内楽曲に本領を発揮した作曲家と言えるのではなかろうか。
にもかかわらず、室内楽曲の王道とも言うべき弦楽四重奏曲はたった3曲しか作曲していない。
それも、交響曲第1番を書き上げるまでに、すべてを作曲し終えている。
ブラームスは、その後は、弦楽六重奏曲やクラリネット五重奏曲、ヴァイオリン・ソナタなどの傑作を生み出していくことになるので、もしかしたら、弦楽四重奏曲というジャンルに限界を感じたのかもしれない。
それとも、ベートーヴェンという存在があまりにも偉大に過ぎたのであろうか。
それはともかくとして、ブラームスの弦楽四重奏曲も、決して凡作ではなく、室内楽曲に数々の名作を遺したブラームスの名声に恥じない佳作であると思う。
その佳作のトップを争う名演が、このアマデウス弦楽四重奏団による本盤だと考える。
この録音はアマデウス弦楽四重奏団結成10年程の時期のもので、颯爽として若々しいパワフルさと、ポルタメントやルバートなどを流麗に使いこなす演奏はこの時期ならではのもので、ブラームスの楽想を再現するのに最適と言える。
また、一分の隙もなく、旋律線と内声のバランスも非常に良い演奏は、内声の比重の高いブラームスの世界を見事に表現している。
さらにアマデウス弦楽四重奏団の素晴らしさは、決してメカニックな音を出すことはなく、たとえて言うならば、演奏に手作りのぬくもりがあるということだ。
これは、今をときめく現代の弦楽四重奏団には望みえない境地と言えるだろう。
そして、このような温かいアプローチが、ブラームスの音楽にぴったりなのだ。
ドヴォルザークは、旧録音であり、新録音があまりにも素晴らしい名演であるため、どうしても影が薄いが、生命力溢れる前進性という意味では、本盤に軍配があがるであろう。
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2012年12月20日
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驚異的な高音質SACDの登場だ。
SACDから既に撤退していたユニバーサルが、再びSACDのプレスを開始したというのは、ネット配信に押されつつある現状の中で、大朗報とも言うべきであるが、単なるプレス再開に過ぎないのがさすがはユニバーサル。
SACDを発売するに当たって、一般的となっていたハイブリッドではなく、シングルレイヤーを採用したということ、更には、数年前から好評なSHM−CD仕様としたということで、これによって、SACDの性能を余すことなく発揮することになったことが何よりも素晴らしい。
かつて発売されたSACDハイブリッド盤と聴き比べてみたが、その音質の違いは明白。
例えば、本盤の場合、「管弦楽のための協奏曲」の第1楽章冒頭のヴァイオリンやヴィオラによる最弱音がいささかも曖昧模糊に聴こえない。
また、各楽器が見事に分離して、あたかも眼前で演奏しているかのような実在感に満ち溢れているのも、本盤だけに許された優位性と言えるだろう。
「舞踏組曲」や「中国の不思議な役人」組曲に特有のダイナミックレンジの広い雄大なスケールも、本盤に大きく軍配が上がるといえる。
「管弦楽のための協奏曲」は、定評ある名演。
ショルティは作品の性格をしっかりとつかみ、曲の内面を深く掘り下げながら、中身の濃い音楽を作り上げている。
オーケストラも好演だ。
ショルティはこの曲をシカゴ交響楽団と再録音しているが、これはその名演に勝るとも劣らない優れた演奏である。
後年の演奏は、シカゴ交響楽団の名技に任せた角のとれた面もあり、個性的という意味においては、本盤の方をより高く評価したい。
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2012年12月19日
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ホーネック&ピッツバーグ交響楽団は、既にマーラーの「第1」において超名演を成し遂げており、マーラーチクルス第2弾となる今回の演奏も、聴く前から大いなる期待をしていたが、その期待を決して裏切ることはない名演に仕上がっていると言える。
本名演の売りを一言で言えば、尋常ならざる精緻なアンサンブルということになるだろう。
これほどまでに、各楽器がものを言う演奏というのは珍しいのではないだろうか。
マーラーの「第1」でもそうだったが、そうした各楽器の細やかな演奏を完璧に捉えた名録音を褒めるべきかもしれない。
しかしながら、必ずしも超一流のオーケストラとは言えないピッツバーク交響楽団の各奏者の名演奏を聴いていると、単に録音のせいだけではないのではないかと思われるのである。
ホーネックはウィーン・フィルの楽員であっただけに、各楽器の響かせ方に独特の感性が備わっているのだろう。
こうした独特のユニークな響かせ方は、精緻なアンサンブルと相まって、まさに、管弦楽の室内楽的融合という至高・至純の美しさに達していると言える。
終楽章のスンハエ・イムのソプラノも素晴らしい歌唱であり、ホーネック&ピッツバーグ交響楽団の精緻なアンサンブルに見事にフィットしている点を高く評価したい。
強いて欠点を探せば、オケのせいもあって表現に含みが乏しく、指揮者の意図がストレートに音化され過ぎ、何もかもが生々し過ぎることか。
「第1」以上に旗幟鮮明な演奏で、「第4」はメルヘンチックでのどかな曲という昔ながらのイメージを壊されたくない人は拒否反応を起こすかも知れない。
録音は、前述にように、マーラーの「第1」と同様、これ以上は求められないような極上の鮮明な高音質に仕上がっている。
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2012年12月18日
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今をときめくP・ヤルヴィが、ついにマーラーチクルスを開始したのは大いに歓迎である。
その実質上の第1弾となった本盤のマーラーの「第2」の登場だ。
結論から言えば、かのバーンスタイン盤の登場以来、もっとも衝撃的な演奏、すなわち最近の演奏の中では最高級の賛辞で称えたい演奏、と言ってしまっても過言とは思えない。
フランクフルト放送交響楽団は、マーラー指揮者として名声を既に確立しているインバルと、マーラーの交響曲全集を完成しているが、P・ヤルヴィの演奏とは全く異なる演奏に仕上がっていると言える。
インバルは、燃えるような熱いパッションを胸に秘めつつ、表面上は、可能な限り抑制的な表現を行うというアプローチであったが、P・ヤルヴィの演奏は、緻密な制度設計を旨とする演奏と言えるのではないか。
筆者も、これまで様々な指揮者でマーラーの「第2」を聴いてきたが、これほどまでに精緻な演奏にはお目にかかったことがない。
ダイナミックレンジも、例えば、第2楽章や終楽章の合唱導入部の殆ど聴き取れないような最弱音から、第3楽章や終楽章の終結部のような大音響に至るまで非常に幅広いが、割れた音や無機的な音はいささかも聴かれない。
要は、どんなに最強奏しても、優美さを失うことはないのである。
テンポもアンサンブルも、一糸乱れぬ正確さであり、筆者は、ここにP・ヤルヴィの類まれなる統率力と抜群の音楽性を感じるのである。
確かに、テンシュテットやバーンスタインの劇的な名演に慣れた耳からすると、いささか静的に過ぎ、やや迫力不足を感じさせるのも否めないが、本演奏は、そうした20世紀の後半に主流となった激しい動的なマーラー像へのアンチテーゼとして、21世紀における新しいマーラー像を打ち立てたと言う意味において、将来的にも大変意義のある名演と高く評価したいと考える。
今後のP・ヤルヴィのマーラーチクルスの動きには目を離すことができない。
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2012年12月17日
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同じR・シュトラウス作曲による「アルプス交響曲」は凡演であっただけに、「英雄の生涯」の出来を心配したが、それは杞憂であった。
ライナーとシカゴ交響楽団の不滅の演奏から56年、新たな名盤が誕生した。
いかにも晩年のハイティンクならではの大変美しい名演であると高く評価したい。
「英雄の生涯」と言えば、カラヤンの豪演のイメージがあまりにも強く、かの超名演と比較するとどの演奏を持ってきても物足りなく感じるが、それはあまりにも不幸。
筆者としても、カラヤンの演奏を名演と評価するににやぶさかではないが、カラヤンのアプローチだけが必ずしも正しいわけではない。
ハイティンクのような、繊細で暖かく時に激しく音の洪水に身を任せられる、決してわめくことはない穏やかで美しいアプローチも十分に説得力があると考える。
一番の聴き所はコンサート・マスターのロバート・チェンの緻密な表現とハイティンクの静かな伴奏だ。
もちろん、中間部の戦闘の箇所における力強さにも、いささかの物足りなさを感じることはなく、硬軟併せ持つバランスのとれた名演と言える。
常に音楽に誠実に取り組むハイティンクの美点がたくさんあって終曲後、しばし幸福感に浸れる。
ドレスデン国立管弦楽団との演奏はメリハリがあり感動的であったが、こちらの演奏はゆっくりとしたテンポに端正に作られた演奏が感動的だ。
そして、何よりも素晴らしいのはシカゴ交響楽団の卓抜した技量と、それを完璧に捉えきったSACDマルチチャンネルによる極上の高音質。
こうした録音面をも加味すれば、過去の「英雄の生涯」の名盤の中でも上位に置かれると言っても過言ではないだろう。
併録のヴェーベルンの「夏風のなかで」も、各場面の描き分けを巧みに行った秀演。
録音も素晴らしく、こちらについては、過去の様々な名盤の中でも最上位に置かれる名盤ということができるのではないか。
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2012年12月16日
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ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるマーラーの交響曲全集もいよいよ佳境に入ってきた、と言いたい。
というのも残すは「大地の歌」のみで、全集に「大地の歌」を入れない指揮者が過去に少なからずあったからである。
ゲルギエフには、「第10」の補筆完成版まで録音してくれとは言わないが、「大地の歌」の録音は残してほしい。
ゲルギエフのマーラーは、一言で言えば緻密で繊細な表現ということが出来る。
録音の加減もあるのかもしれないが、例えばストラヴィンスキーの「春の祭典」などで発揮した野性的とも言うべき土俗的な迫力をあまり聴くことができない。
筆者としては、ゲルギエフのマーラーには、精緻さも決して不要とは言わないが、こうした土俗的な劇的表現を期待しており、そのような点からすれば、いささか物足りない演奏に終始することが多々あった。
しかしながら、この「第4」について言うと、ゲルギエフの緻密で繊細な表現が楽想に見事にマッチ。
玉石混交とも言うべきゲルギエフのマーラーの交響曲の演奏中、おそらくは第1位、第2位を争う名演となった。
特に感動したのは、「第4」の中で最も長大な第3楽章。
長大さ故に、ここをいかに乗り越えるかどうかで演奏の評価は定まってくるものと言えるが、ゲルギエフは精緻とも言うべき繊細な表現で、実に感動的な名演を成し遂げている。
終楽章のクレイコムの独唱はいささか線が細い気もするが、ゲルギエフのアプローチを考えると、あながち不十分とは言い難い。
録音はSACDマルチチャンネルによる極上の高音質であり、特に第3楽章終結部のティンパニの立体音響の迫力は、驚くべき鮮明さである。
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モーツァルトは、数々の協奏曲の名曲を作曲した。
ピアノ協奏曲を筆頭に、クラリネット協奏曲やホルン協奏曲等々、名作には事欠かない。
こうした中にあって、ヴァイオリン協奏曲は5曲(ほかに偽作とされているのが2曲)作曲しているが、いずれも若書きであることもあって、綺羅星のごとく輝く他の名作協奏曲と比較すると、どうしても作品としての質が一段劣ると言わざるを得ない。
それ故に、よほどの名演でないと、作品の魅力を聴き手に伝えることが困難であるということができるのかもしれない。
こうした若書きの未熟さを逆手にとって、最近ではクレーメルなどによる前衛的な解釈を行う名演も生まれているが、古典的な名演としては、やはり、ワルター&フランチェスカッティの黄金コンビによる至高の名演を掲げざるを得ないのではないかと思われる。
モーツァルトを得意としたワルターによる、ヒューマニティ溢れる情感豊かな演奏は高貴な優美さを湛えて感動的であるし、フランチェスカッティの、技巧一辺倒ではなく、人間的な温もりのある演奏も、素晴らしいの一言であると言える。
フランチェスカッティは彼本来の輝くような音色を抑え気味にし、古典的な解釈を心がけているが、その分、彼本来の魅力が薄められた感が残る。
演奏全体には晩年のワルター色が濃厚で、オーケストラは少人数だが重厚な響きと壮麗な迫力に溢れ、入念な表情に満ちている。
遅いテンポによって、彫りの深い表現とスケール大きな風格を示すのも、いかにもワルターらしい。
惜しいのは、DSDリマスタリングの音質。
鮮明にはなったと思うが、少しきつ過ぎるような印象を受けるのはいささか残念だ。
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2012年12月15日
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巨匠リヒテルの残したディスクのなかで、ショパン・アルバムは数少なく、ショパンを好まなかったと思えるほどだ。
しかも、ひとつのジャンルをまとめて全曲録音しているものは珍しい。
そうした点からこのスケルツォ全曲盤は、貴重な1枚である。
リヒテルのショパンは、非常にクールで理知的であり、サロン的な甘いムードや華やかさを廃した厳格ともいえる端正さが特徴である。
4曲のスケルツォに対して、ロマンティックな華やかさよりも、端正な構築美を強調したような演奏であり、そこには、リヒテルのスケールの大きさと、堅固な構成力が生かされている。
リヒテルはショパンの表現の、刹那的な部分や過度の感情の発動を許す部分を、古典主義的な精神で極力コントロールしているが、音楽は流麗さを失うことなく、実に澄み切ったたたずまいをみせている。
彼の強い構成力と音をコントロールするテクニックなくして、このような演奏は生まれ得ないだろう。
自然体の語り口で、一見したところ淡々とメロディを紡いでいるように思えるが、実は、内面から滲み出るような、奥の深いドラマが隠されている。
この4曲のスケルツォは、ショパンの心の奥底を表現しているかのような孤高の厳しさが感じられ、まさに純度の高い芸術作品へと昇華している。
ショパンのスケルツォの持つ躍動美と深刻さという、相反する特色を、見事に融合させた演奏とも言えよう。
リヒテルの知的存在感にあふれた演奏である。
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2012年12月14日
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シューマンのピアノ協奏曲は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」に対して、ピアノ協奏曲の女王と呼ばれているが、そうした呼び名に相応しいワルターならではの名演だ。
シューマンは、指揮者ワルターにとって唯一の録音であるが、彼もピアノのイストミンも情熱たっぷりに聴かせ、ドラマティックに仕上げている。
さすがにワルター色が濃厚で、新鮮で若々しく、明るく直線的で、きびきびした進行の中に香りと品格を生かそうとしている。
第1楽章は決然とした力強さで開始されるが、主部のヒューマニティ溢れる情感豊かさは、抒情的で実に感動的だ。
第2楽章も、気品の高いロマン的抒情が溢れ出ている。
そして、終楽章は、これまでの楽章とは一転して、重量感溢れる力強い迫力で全曲を締めくくっている。
決して有名とは言えない米国出身のピアニストであるイストミンも、ワルターの巨匠の棒に見事についていっており、コロンビア交響楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。
ショパンのピアノ協奏曲第2番も名演。
こちらは、オーマンディの指揮であるが、ショパンの抒情溢れる詩情を全面に打ち出すというよりは、シンフォニックな重厚さを全面に打ち出した演奏と言える。
若書きで必ずしも成熟した作品とは言い切れない同曲を、スケール雄大な一大交響曲作品のように仕立て上げた点は、まさに巨匠ならではの円熟の至芸と言えよう。
イストミンもオーマンディの指揮に見事に合わせており、フィラデルフィア管弦楽団の明るいサウンドを得て、イストミンは自在に歌いあげている。
DSDリマスタリングは、ややきつめの硬い音質で、全体的にイマイチの音質の感じがした。
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2012年12月13日
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演奏もさることながら、本盤の魅力は、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質である。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、あらゆるピアノ協奏曲の中で、終始ピアノが弾き続ける随一の超難曲であるが、このような極上の立体音響で聴くと、ピアノの動きがよくわかり、いかに至難な曲であるのかが理解できる。
この曲はラフマニノフの自作自演やホロヴィッツを愛聴してきたが、この新録音を聴いて久しぶりに衝撃を受けた。
マツーエフのピアノは超絶的な技巧を駆使しつつ、力強い打鍵が見事であり、この曲の持つ故国ロシアへの望郷の抒情の描き方も素晴らしい。
導入部のピアノの繊細な音色とクライマックスの色彩感は、何度聴いても素晴らしい。
ゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団のサポートも見事であり、前述の録音の素晴らしさも相まって、見事な名演と評価したい。
しかし、第3楽章にまさかのカットがあり、いくらラフマニノフ自身がカットを公認した箇所とはいえ、1950年代のLPならともかく、2009年になってまだその箇所をカットして録音するのはいただけない。
パガニーニの主題による狂詩曲も、構築力の堅固さ、オーケストラのしなやかな表現力は、素晴らしいの一言に尽きる。
各部の描き分けが実に巧みであり、同曲のベストを争う名演と言っても過言ではないと思われる。
マツーエフ&ゲルギエフのコンビによる残りのラフマニノフの録音も期待したい。
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2012年12月12日
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驚天動地の素晴らしい高音質だ。
ユニバーサルがSACDから撤退して久しいし、最近ではSACDの提唱者であったソニーまでが、Blu-spec-CDでお茶を濁そうという悲しい状況にあり、ネット配信が急速に普及する中で、このままではCDは絶滅に向かって只管突き進んでいくのではないかという危惧を抱いていた。
このような中で、ユニバーサルがSACDの発売を再開したというのは、非常にインパクトのある快挙であると言える。
ハイブリッドではなく、シングルレイヤーによる発売であるというのも、CDをできるだけ鮮明な音質で鑑賞したい心ある真摯な聴き手を大事にするという、メーカーの姿勢がうかがえて大変うれしいことだと思う。
本盤のメインのサン=サーンスの交響曲第3番は、オルガンやピアノが導入される大編成の楽曲だけに、SACD&SHM−CD化による威力は目覚ましい。
第1楽章の第2部や第2楽章第1部のオルガンやピアノとオーケストラの各楽器の分離の良さは、これまでのCDでは聴けなかったような鮮明さだ。
第2楽章第2部のオルガンのド迫力は、音が割れることなく、ずしりとした重心の低い重量感溢れる音が鳴り切っており、終結部の大編成のオーケストラによる最強奏の箇所も、各楽器が見事に分離しているのには正直驚いた。
その他の併録作品も見事な音質であるが、特に、『死の舞踏』のソロ・ヴァイオリンの艶やかな響き方には唖然とした。
さて、肝心の演奏内容であるが、『オルガン付き』は、録音当時まだ33歳だった若き日のバレンボイムならではの果敢な表現意欲に驚かされる渾身の名演と言える。
清浄なアダージョ部分にさえ張り詰めた気迫を感じさせるアプローチは常に緊張感にあふれ、それだけに終楽章で一気に解放される爆発的な高揚が比類がなく、シャルトル大聖堂で別収録されたオルガンの荘厳なサウンドと相まって輝かしい効果を上げている。
シカゴ響の強大なパワーには心底驚かされるが、背景にあるのはやはり当時のバレンボイムならではの劇的なものや壮大なものへの希求の強さにあるとみるべきであろう。
カップリングは、人気曲『バッカナール』と、『ノアの洪水』の前奏曲、『死の舞踏』というもので、こちらはパリ管の色彩豊かな響きが楽しめる内容となっている。
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2012年12月11日
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戦後のフルトヴェングラーとベルリン・フィルの名演の数々を、少なくとも一般人が簡単に入手できる優れたBOXだと思う。
価格と音の良さと演奏の素晴らしさを考えてみてもこれは素晴らしいBOXだ。
いずれも様々なレーベルから何度もプレスを繰り返して発売されてきた定評ある名演が収録されているが、本BOXの売りは信じられないような音質の良さということになるであろう。
いずれの演奏も、音質の向上が目覚ましいが、とりわけ、CD1のフルトヴェングラー復帰コンサートのベートーヴェンの「第5」と、CD12の、フルトヴェングラーの死の年のベートーヴェンの「第6」と「第5」が著しい。
フルトヴェングラー復帰コンサートの「第5」は、これまで名演と高く評価されてきた、その2日後の演奏がどうにもならないような劣悪な音質だっだだけに、本盤は比較にもならないような信じがたいような高音質で、こうなってくると、本演奏こそ、まぎれもなく、あらゆるフルトヴェングラーのベートーヴェンの「第5」の演奏中、最高の名演と高く評価しなくてはなるまい。
それと比較すると、死の年の「第5」は、いわゆるフルトヴェングラーならではの踏み外しは少ないが、深沈たる深みにおいては、こちらの方にむしろ軍配をあげたい。
「第6」も、フルトヴェングラー向きの楽曲とは言えないと思っていたが、これだけ音質がいいと、そうしたこれまでの考え方を是正したくもなってくる。
その他の演奏では、シューベルトの「第9」が、フルトヴェングラーならではの熱気に溢れた名演で、音質向上効果も抜群のものがある。
その他の演奏も、いずれ劣らぬ名演が繰り広げられており、音質が悪いが故に、フルトヴェングラーを敬遠してきた人の認識を改めさせるのに十分な、素晴らしいBOXであると高く評価したい。
フルトヴェングラー入門者には、バラバラで安いEMIやDGのライヴの廉価盤を集めるよりは、このBOXから購入することを強くお薦めしたい。
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2012年12月10日
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本盤には、1967年にスタジオ録音されたオペラ間奏曲集が収められている。
本盤に収められた各楽曲の演奏の印象を一言で言うと巧い。そしてただただ美しいということである。
1967年といえば、まさにカラヤン、そしてベルリン・フィルの全盛時代に相当する。
かかる全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルは、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックと美音を振り撒く木管楽器群、雷鳴のようなティンパニなどが融合し、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した圧倒的な音のドラマとも言うべき演奏の数々を行っていた。
カラヤンは、流麗なレガートを施すことによって曲想を徹底して磨き抜いたところであり、こうして磨き抜かれたベルリン・フィルの美しい音色は、いわゆるカラヤン・サウンドとも称されていたところだ。
本盤に収められた各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた極上の美演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。
そして、これらの各楽曲におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さは筆舌に尽くし難いものがあり、まさに本盤に収められた各楽曲の演奏は、あらゆる意味で非の打ちどころがない圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。
どの楽曲の演奏についても、前述のように巧い、そして美しいという評価が当てはまるが、特に、タイスの瞑想曲。
同曲の演奏におけるミシェル・シュヴァルベのヴァイオリン・ソロは、もはやこの世のものとは思えないような美しさであり、カラヤンによる心憎いばかりの表情づけの巧さも相まって、身も心も蕩けてしまいそうな極上の絶対美の世界を構築しているとさえ言えるだろう。
シュミットの歌劇「ノートル・ダム」間奏曲の重厚な弦楽合奏の滴るような美しさは、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルだけに描出可能な至高の名演奏と言っても過言ではあるまい。
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2012年12月09日
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アリスが、デビュー盤であるリストの超絶技巧練習曲集の次に選んだのは、それとは全く対照的なショパンのワルツ集であったのは少々意外であったが、これは実にすばらしい名演であり、あらためて、アリスの幅の広い豊かな表現力を思い知らされる結果となった。
ショパンのワルツ集は、うわべだけの美しさだけを追求した演奏だと、陳腐なサロン音楽と化してしまう危険性があるが、アリスの手にかかると、実に高踏的な大芸術作品に変貌する。
第1曲である「華麗なる大円舞曲」からして、他のピアニストの演奏とは全く次元が異なる個性的な解釈を見せる。
中間部の魔法のようなテンポのめまぐるしい変化は、聴いていてワクワクするほどで、あざとさなどいささかも感じさせない。
それどころか、どんなに奔放とも言える弾き方をしても、常に気品に満ち溢れているのが、アリスの最大の長所と言えるだろう。
「子犬のワルツ」の愛称で有名な作品64の1も、他のピアニストなら軽快なテンポであっという間に駆け抜けてしまうところを、アリスはややゆっくりめのテンポで優雅に演奏している。
そこに漂う高貴な優美さには頭を垂れざるを得ない。
「別れのワルツ」で有名な作品69の1も、決して感傷的には陥らず、決して気品を失わないエレガントな抒情を湛えている。
このようにアリスは、ショパンの華やかで宮廷的なワルツと 内省的な、瞑想的なワルツとの弾き分けが実に見事で、それだけでも物凄い才能を感じる。
ボーナストラックのノクターン嬰ハ短調も、深沈とした憂いのある、それでいて気品溢れる美しい抒情を湛えており、アリスの将来性豊かな才能が全開である。
本盤のような名演に接すると、他のショパンの諸曲もアリスの演奏で聴いてみたいと思ったのは筆者だけではあるまい。
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2012年12月08日
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ルプーの実に9年ぶりのソロ・レコーディングは、ルプーの代名詞とも言えるシューベルト(1991年デジタル録音)であった。
リリシストとして知られるルプーとシューベルトの相性はやはり抜群のものがあるのではないかと思う。
シューベルトのピアノ・ソナタは、最後の3つのソナタについては内容の深さにおいて尋常ならざるものがあるが、それ以外のソナタについては、ベートーヴェンのそれとは異なり、人生における闘争だとか重厚な力強さではなく、むしろ、抒情的な美しさを基調とした作品が多く、そうした作品の特徴とルプーの芸風が見事に符合していると言えるからである。
このような点にかんがみれば、ルプーならではの名演は第13番ということになるのではないだろうか。
中期のピアノ・ソナタの中では、最も愛らしい旋律に満ち溢れたこの傑作を、ルプーは、あたかも満点の星のきらめきのような美しさでニュアンス豊かに描き出していく。
特に、第1楽章の美麗さは、筆舌には尽くしがたいものがある。
これに対して、第21番は、シューベルトの最後のソナタだけあって、あの冬の旅や弦楽五重奏曲にも匹敵する深みを有する作品であるだけに、さすがのルプーも、ニュアンス豊かな美しさで曲想を描いて行くものの、今一歩、精神的な踏み込みが足りないように思われる。
しかしながら、それも高い次元での比較の問題(例えば、リヒテルや内田光子など)であり、全体としてみれば、名演と評価するのにやぶさかではない。
今、世界にはピアノの名手達が大勢いるが、これほどしっとりと濡れた音が出せる奏者はルプーをおいてほかにいない。
SHM−CD化によって、音質はかなり鮮明になったように思われる。
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ルプーの繊細な感受性によって、この曲の抒情性と古典的な均整美が磨きあげられ前面に出ている演奏として話題となった1枚。
ルプーはリパッティと同じルーマニア出身のピアニストでモーツァルト、シューベルトなどを主なレパートリーとして活躍していたが、最近あまり新盤が出ないのは寂しい限りである。
ブラームスのピアノ協奏曲第1番は、ブラームスの青雲の志を描いた若き日の作品であるが、ピアノパートだけでなく、オーケストラについても分厚く作曲されており、あたかもピアノ伴奏つきの交響曲の様相を呈していると言える。
それだけに、過去の名演、例えば、ルービンシュタイン&メータ(イスラエル・フィル)や、ブレンデル&アバド(ベルリン・フィル)は、いずれも重厚でシンフォニックな性格の名演であった。
ところが、本盤は、これらの名演と比較すると、かなり性格が異なっていると言わざるを得ない。
もちろん、第1楽章の終結部や終楽章など、力強さにおいていささかの不足もないが、全体としては、抒情的で繊細さが支配していると言える。
ルプーのピアノはどんなに最強奏の箇所でも、優美さを失うことはなく、特に、第2楽章の美しさは出色のものであり、ブラームスの若き青春の日々の傷つきやすい繊細な心根を表していると言えるのかもしれない。
さすがはリリシストであるルプーの面目躍如と言ったところだと思われる。
こうしたルプーのピアノに、デ・ワールト&ロンドン・フィルは、ルプーの資質を生かした見事な合わせ方をしており、独墺系の指揮者やオーケストラとは一味もふた味も違った抒情的な演奏を行っていると言える。
1974年の録音が、SHM−CD化によって、わすかではあるが、音質がやや鮮明になった点も高く評価したい。
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ルプーの若き日の名演である。
作品の奥深くに秘められた抒情を追求してやまないピアニスト、それがルプーだ。
柔らかいタッチと響きは天性の資質によるものだろう。
そんな彼にとって、シューベルトが最も大切なレパートリーのひとつであることは充分に察しがつく。
ここでもまた、ルプーらしい思い入れの激しさが際立つ個性的な音楽を歌い上げている。
ルプーはシューベルトを得意としているが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタとは異なった魅力を有するシューベルトのピアノ・ソナタ特有の抒情的な美しさと、リリシストで美音家と称されるルプーの芸風が見事に符合するという点がその理由ではないかと考える。
第20番と第14番のカップリングであるが、イ長調とイ短調のソナタを組み合わせたという点においても、その抜群のセンスの良さを感じさせる。
まず、第20番であるが、これは、シューベルトの最高峰とも称される最後の3つのピアノ・ソナタの中間にあたる至高の傑作。
深みのある作品ではあるが、第21番のような底知れぬ深さを感じさせず、むしろ、シューベルトならではの抒情的な美しい旋律が魅力の作品であり、こうなるとまさにルプーの独壇場。
これ以上は考えられないような優美な名演に仕上がっており、その抒情的な美しさだけをとれば、過去の名演と比較してもトップの座を争う名演と高く評価したい。
他方、第14番は、若きルプーの生命力溢れる力強さが際立った豪演。
第20番で見せた抒情的なアプローチとは全く別人のような力強いアプローチであり、ルプーというピアニストの一筋縄ではいかない多彩な至芸を感じさせてくれる。
SHM−CD化によって、音質がかなりグレードアップした点も高く評価したい。
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シューベルトを得意としたルプーの超名演。
ルプーの才覚を聴くのには適したプログラムであろうと思い購入したが、全くその通りで期待にたがわぬ名演奏。
シューベルトの最後の3つのソナタは、まぎれもなくシューベルトのあらゆる作品の最高峰とも言うべき至高の傑作群であるが、ルプーは、第20番及び第21番を1970年代半ばに録音して、第19番を1980年代になって漸く録音した。
満を持して録音しただけあって、第20番や第21番も名演ではあったが、それらをはるかに凌ぐ深みのある名演に仕上がっていると言える。
リリシストで美音家と称されるルプーだけに、抒情的な美しさが全体を支配していることは言うまでもないが、むしろ第2楽章のゆったりとしたテンポによる思索的な歩みなど、表面的な美しさに留まらず、内面の深みに入り込んでいこうという味の濃さが際立っている。
それでいて、第1楽章や終楽章の力強さにおいても、いささかの不足もなく、まさに知情兼備。
詩情豊かで、優しく心休まる演奏であるが、劇的な部分の表現がまた素晴らしく、穏やかな表情と大きな対照を生み出す。
総じてバランスのとれた至高・至純の名演に仕上がっていると言える。
楽興の時も第19番と同様の傾向で、安心して聴いていることができるが、この表情、叙情、表現力は並みのものではなく名演である。
ルプーならではの繊細な美しさが支配しているが、表面上の美しさに留まらず、実にコクのある深みのある名演を成し遂げている点を高く評価したい。
SHM−CD化による音質向上効果も非常に素晴らしいものがある。
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2012年12月07日
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これはこの曲の決定盤と言ってもいい、素晴らしい名演の登場だ。
何よりも、この曲の特徴をがっしりととらえ、その上でこの曲の魅力をあますところなく再現して見せた、キタエンコの偉大な手腕に尽きる。
マンフレッド交響曲は、チャイコフスキーの後期の作品であるにもかかわらず、後期3大交響曲(第4番〜第6番)と比較するとあまりにも評価が低いし、それに比例して、録音の点数も著しく少ない。
チャイコフスキー自身がこの作品に満足していなかったということもあるが、作品の質を考えると残念な気がしないでもない。
私見ではあるが、このような評価の低さは、演奏のせいではないかと考えている。
チャイコフスキーの交響曲全集を完成させた過去の指揮者の中でも、マンフレッド交響曲を併せて録音した指揮者は限定的であるが、後期3大交響曲で示した水準の名演を成し遂げた例は殆どないのではないかと考えている。
そのような中で、キタエンコによる名演が登場したのは何という幸せであろうか。
この曲に不可欠の重心の低い演奏であり、そのド迫力(特に、第1楽章の終結部)は、ロシアの悠久の広大な大地を思わせるような強靭さだ。
それでいて、第2楽章や第3楽章のメランコリックなロシア的抒情も美しさの極みであり、不当に評価が低いこの交響曲の偉大さを再認識させるに十分に足りる素晴らしい名演と高く評価したい。
こうして聴いてみると、マンフレッド交響曲が、番号付き交響曲と何ら遜色ない傑作であることが納得できよう。
そして何よりも素晴らしいのはSACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音で、この名演の価値を更に高めることに大きく貢献している。
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2012年12月06日
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最晩年のワルターが、ブルックナーの最も深みのある「第9」の録音を遺してくれたのは何という幸せであろうか。
「第4」や「第7」もなかなかの名演であったが、この「第9」も名演の名に相応しい出来であると考える。
演奏は、ワルターの個性を強く表しながら、極めて格調が高い。
「第4」や「第7」では、テンポの動かし方やとりわけスケルツォ楽章におけるトリオでの超スローテンポなど、ブルックナー演奏の定石からするといささか異質な後期ロマン派的解釈も散見されたが、この「第9」に限っていうと、そのような箇所は殆どなく、インテンポによる確かな足取りで、この深遠な交響曲を重厚に、そして荘重に描き出していく。
特に第3楽章は改めてワルターの深遠な芸術を感じさせるが、それと同時に人間的な情味を色濃く残しているのがユニーク。
優美な「第7」と比較すると、ワルターの芸風に必ずしもマッチする交響曲とは言えないと思うが、これほどの深みのある名演に仕立てあげた点はさすがは巨匠ワルターというほかはない。
残念なのは、コロンビア交響楽団の演奏の拙劣さ。
金管楽器は、録音のせいも多少はあるのではないかと思うが、無機的な力づくの吹奏を行っている点が散見される。
特に、最悪なのは終楽章のワーグナーテューバの品のなさ。
ここは何とかならないものであろうか。
終結部のホルンもイマイチだ。
しかしながら、演奏全体としては、名演との評価を揺るがすほどのものではないと考えておきたい。
DSDリマスタリングは、例によって、ややきつめの硬い音質が少々気になった。
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ワルターが手兵コロンビア交響楽団と最晩年に録音したブルックナーの交響曲は、いずれも優れた名演であると言えるが、その中でも最も素晴らしいのは本盤の「第7」ではないだろうか。
というのも、「第7」は、ブルックナーの交響曲の中で、最も優美なものであるが、それが最晩年のワルターのヒューマニティ溢れる情感豊かな指揮と見事にマッチしていると言えるのではないかと考えられるからである。
作品自体が抒情性を前面に表した曲なので、作品とワルターの音楽的本質が深く関わり合った演奏といえる。
特に第1楽章は響きの量感を別にすれば、非常にワルター的といえる。
第3楽章の中間部におけるスローテンポや、特に終楽章におけるテンポの変化など、ブルックナー演奏の定石とはいささか異なる後期ロマン派的解釈も散見されるが、特に第1楽章と第2楽章は他の指揮者の追随を許さないほどの美しさに満ち溢れていると言える。
ただ、ワルターの感性と作品の抒情性が重畳したためか、演奏が歌謡的に傾斜し、造形的な厳しさという意味では問題も残す。
このような弱点もあるが、やはり捨てがたい優美な演奏である。
「第4」や「第9」で見られたコロンビア交響楽団の技量の拙劣さも、この「第7」では殆ど見られない点も、本名演の価値をより一層高めていると言える。
併録の「ローエングリン」第1幕への前奏曲やジークフリート牧歌はさらに超名演。
いずれもゆったりしたテンポの下、深沈たる深みのある抒情的な表現が見事。
コロンビア交響楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。
DSDリマスタリングも、他の盤だとややきつめの硬い音質が気になる例も散見されるが、本盤には、そのような欠点もなく、非常に鮮明な音質に仕上がっている。
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ワルターは必ずしもブルックナー指揮者とは言えないと思うが、それでも、最晩年に、コロンビア交響楽団との間に、「第4」、「第7」及び「第9」の3曲の録音を遺した点に留意する必要があるだろう。
そして、本盤の「第4」であるが、これは典型的な後期ロマン派的な演奏だ。
金管群は力強さを増し、そのため終楽章などいっそう雄大な音楽と感じられる。
冒頭の力強いトレモロからして指揮者の芸格の高さが如実に表れていると思うが、テンポのめまぐるしい変化も特筆すべきだ。
特に、第3楽章の中間部の超スローテンポや、終楽章の開始部の快速のテンポなどは、他の演奏にもあまり見られない例であると言える。
こうしたテンポの変化は、ブルックナー演奏の基本からするといささか逸脱していると言えるが、それでいて恣意的な解釈を感じさせないのは、巨匠ワルターだけが成し得た至芸と言えよう。
第1楽章は壮麗で、展開部は部分的にやや緊張力が乏しいが、音楽的には常にゆとりがあり、対旋律もよく歌っている。
第2楽章も端正でありながら、情緒豊かな表現もワルター的といえる。
抒情的な箇所のヒューマ二ティ溢れる情感の豊かさは実に感動的であり、総体として、名演と評価するのにやぶさかではない。
ブルックナー以上に素晴らしいのが併録の『タンホイザー』より「序曲とヴェヌスベルクの音楽」。
ゆったりとしたインテンポでスケール雄大な音楽を構築しており、カレッジ・コンサート合唱団も最高のパフォーマンスを示している。
惜しいのはDSDリマスタリングの音質がややきつい点。
SACD化かBlu-spec-CD化するなどして、もう少し柔らかい音質に改善していただくことを大いに望みたい。
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2012年12月05日
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ジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団によるマーラーチクルスも、本盤の登場によって完成した。
ジンマンが、第10番をどう採り上げるのか大変興味を持っていたが、アダージョだけでなく全曲版を採り上げ、しかも版の採用に当たっては、一般的なクック版ではなく、何とカーペンター版を採用したのには、さすがに驚いた。
これまでのマーラー指揮者では、直弟子であるワルターやクレンペラーは当然のこととして、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニ、ブーレーズ、シノーポリなど、「第10」についてはアダージョのみという指揮者が多い。
「第10」をクック版により演奏した指揮者も、インバルやラトル、シャイーなど、少なからず存在しているが、マーラーの交響曲全集完成者で、カーペンター版を採用した指揮者は、おそらくはこれが初めてではないだろうか。
こうした点に、ジンマンの同曲への深い拘りが感じられて興味深い。
クック版と比較して、ティンパニを効果的に活用するなど、オーケストレーションがより華麗なものになっており、私見ではあるが、ブルックナーで言えば、「第7」におけるハース版とノヴァーク版のような関係にあると言えるかもしれない。
ジンマンのアプローチは、良い意味でのオーソドックスなもので、カーペンター版の華麗なオーケストレーションを実にコクのある内容豊かな表現で、面白く聴かせてくれるのが素晴らしい。
何よりジンマンの自筆譜研究によるマーラー指揮の第一人者という立場としての解釈はさすがで、演奏・録音共になかなかなされず指揮者・演奏者が慣れていない中、よくこの名演を成し遂げたと思う。
モリス版のLP以降30年以上この交響曲の5楽章版を何種類も聴いてきたが、クック版以外で繰り返し聴いてみたくなったのは、ロペス=コボス&シンシナティ響が演奏するマゼッティ第2版以来久しぶりの出来事だ。
SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献していると言える。
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2012年12月04日
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既に発売されたピアノ協奏曲第1、2、4番も名演であったが、本盤も類稀なる名演だ。
何よりも、プロコフィエフを知り尽くしたアシュケナージがバックをつとめている点が大きい。
ピアニストとして既にプロコフィエフのピアノ協奏曲全集を録音しているアシュケナージにしてみれば、同協奏曲は自家薬籠中の作品と言っても過言ではないのだろう。
「第3」の冒頭の独特の開始部からして、他の演奏とは次元が異なるような抒情に満ち溢れている。
このロシア的な抒情と20世紀的なモダニズムが高次元で融合した傑作を、アシュケナージは確かなタクトで精緻に描き出していく。
この豪華なバックに支えられて、若き才能豊かな気鋭ピアニストのガヴリリュクは、最高のピアニズムを展開している。
唖然とするようなテクニックの下、強靭な打鍵と情感溢れる優美さのコントラストが抜群である。
まさに、指揮者とピアニストの最高の競演がここにあると言えるだろう。
アルゲリッチ&アバド盤もとても良かったが、ガヴリリュク&アシュケナージによる本盤の方が、リズム及び演奏の精度とキレ、ソロとオーケストラのグルーブ感が高いように感じる。
「第5」も、「第3」に匹敵するような名演に仕上がっていると言える。
SACDによる高音質録音も素晴らしい。
シドニー・オペラハウスコンサートホールの録音ポイントを、トリトーンも漸く掌握したと言えるのではかなろうか。
エルガーやラフマニノフの交響曲ではイマイチだった音質も、ここではいささかの不満を抱かせないようなハイレベルの高音質録音に仕上がっている。
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俊英ピアニスト、アレクサンダー・ガヴリリュクが、アシュケナージのサポートの下に行った、プロコフィエフ・シリーズの一環、ピアノ協奏曲全集の1枚目の登場だ。
ウクライナに生まれ、ロシア・ピアニズムを受け継ぎ、浜松国際ピアノコンクールで16歳という若さで優勝。
「20世紀後期最高の16歳のピアニスト」と絶賛を受け、国際的な活躍に加え、定期的な来日で日本でも人気を博してきた。
これは素晴らしい名演だ。
この演奏では、明晰なタッチで曲の輪郭をくっきりと表現し、しなやかで圧倒的なテクニックを存分に魅せる。
かつてピアニストとしてプロコフィエフのピアノ協奏曲全集を完成したアシュケナージの名サポートを得て、ガヴリリュクは抜群のピアニズムを披露していると言える。
曲のすみずみまで深い造詣があるアシュケナージが、ガヴリリュクに絶大なる信頼を託した演奏だ。
特に、ピアノ協奏曲の第1番と第2番はプロコフィエフとしても初期に当たる作品あり、現代を代表するモダニストとも称された前衛時代のものだけに、かなりの技巧を要する難曲である。
こうした難曲を、ガヴリリュクは、作品の特色に相応しい明晰なタッチで、曲想を精緻に描き出しており、そうした抜群のテクニックに裏打ちされた明快なアプローチが、両曲の魅力を最大限に表現するのに大きく貢献していると言える。
まだまだ若く、伸びしろが多分にあるガヴリリュクだけに、今後の更なる成長が楽しみな逸材であると考えたい。
アシュケナージも、これらの作品の細部に至るまでを深く理解し尽くしているだけに、前述のように名サポートを行っており、アシュケナージの統率の下、シドニー交響楽団も最高のパフォーマンスを示していると高く評価したい。
SACDによる高音質録音も、エクストンとしても最高の部類に入る出来栄えであり、本名演の価値を大いに高める結果となっている点を見過ごしてはならない。
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2012年12月03日
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ジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団によるマーラー・チクルスがようやく完成した。
本盤の「第8」は、「第7」の録音から1年のブランクを置いて録音されたものであるが、満を持して録音されたものだけに、その期待にたがわない名演となった。
演奏内容は相変わらずジンマンの指揮がマーラーの特性をよく捉えており、些かの気の緩みもない。
特に、素晴らしいと思ったのは第2部。
「第8」は、第1部があまりにも賑々しいために、それとの対比を意識するあまり、第2部(特に、冒頭部)をいかにも弱々しく演奏し、それ故に、殆ど聴き取れないということもよくあるが、ジンマン盤ではそのようなことはない。
SACDマルチチャンネルによる高音質録音ということも多分にあるとは思うが、実に明快で精緻な演奏を心がけているように思う。
そして、この長大な第2部を、決して冗長に陥らせることなく、場面ごとの描き分けを適切に行い、全体を一大叙事詩のようにスケール雄大に演奏している点を高く評価したい。
他方、第1部は、録音にやや濁りがある点が惜しい。
合唱にやや濁りが見られる点で、このあたりは、大編成の楽曲故の録音の難しさなのかもしれない。
しかしながら、演奏自体は、第2部ほどではないものの、高い水準で纏まっていると言える。
但し、往年のマーラー指揮者、例えばショルティやバーンスタイン、テンシュテットらは、ずいぶんと力強く演奏者を引っ張って最高の高揚をもたらしていたが、もはやそういうタイプの演奏は今や途絶えてしまったのかもしれない。
いずれにしても、トータルの評価として、他のマーラーの交響曲もジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団で聴いてみたいと思わせるだけの出来映えである名演と言えよう。
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2012年12月02日
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4大ヴァイオリン協奏曲の一角を占める不朽の名作。
しかも、ベートーヴェンが作曲した数々の楽曲の中でも、最も明朗な要素を持った傑作。
この傑作ヴァイオリン協奏曲には、これまで多くの名ヴァイオリニスト&名指揮者のコンビが、その登頂に向けて挑んできた。
その結果として、これまで数多くの名演が成し遂げられてきたが、本盤のフランチェスカッティ&ワルターの黄金コンビによる演奏も、過去の様々な名演に決して引けを取らない名演であると高く評価したい。
本名演の特徴を一言で言えば、情感豊かな人間的な温もりのある演奏ということができるのではないだろうか。
ワルターのヒューマニティ溢れる情感豊かな指揮ぶりは、いつもながら感動的であるし、ワルターと同様に、いわゆる技術偏重には陥らず、どこまでも温か味のある演奏を披露するフランチェスカッティのヴァイオリンも素晴らしい。
フランチェスカッティのヴァイオリンは、したたるような美音と淀みのない流れで純音楽的な香りに満ちており、何よりも艶やかなカンタービレが彼ならではの魅力を発揮している。
幾分ロマン性の勝った表現だが、ベートーヴェンの音楽の造形はしっかりと把握している。
ワルターの指揮も、この曲らしいリリシズムの点でピカ一で、細部にまで愛情が溢れている。
ワルターの確かな統率の下、コロンビア交響楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。
DSDリマスタリングは、ややきつめの音質に仕上がったような印象があり、鮮明さにおいてはややグレードアップが見られるものの、全体としてイマイチな感じがしたのは大変残念だ。
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2012年12月01日
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ルプーの日本でのデビュー盤(1972年録音)で、リリカルなピアニズムと堅固な構築感をもった新鮮なベートーヴェンとして好評を得た1枚だ。
「千人に一人のリリシスト」とか美音家ピアニストなどと称されているルプーであるが、本盤は、その若き時代に録音したベートーヴェンのピアノ・ソナタの最も有名な3作品を収めている。
さすがに、リリシストと言われるだけあって、ここでも実に抒情的で美しい演奏を行っている。
特に、「悲愴」の第2楽章や「月光」の第1楽章は、出色の美しさと言えるだろう。
それでいて、若き時代故の生命力にも満ち溢れており、「悲愴」や「月光」の終楽章のたたみかけるような力強さは、強靭な打鍵も相まって、圧倒的な迫力を示していると言える。
しかしながら、これら「悲愴」や「月光」よりも、さらにリリシストであるルプーの個性が発揮されているのは、「ワルトシュタイン」と言えるのではないだろうか。
第1楽章など、大抵のピアニストは踏みしめるような重い足取りで演奏するが、ルプーは実に繊細なソフトタッチで演奏し、他のピアニストの重厚な演奏に慣れた耳からすると、物足りなささえ感じるほどだ。
しかしながら、その精緻とも言えるピアニズムの美しさは尋常ではない。
他の箇所も、ゆったりとしたテンポにより決してわめかない演奏を心がけており、「ワルトシュタイン」の過去の名演の中でも、最も優美さを兼ね備えた名演と高く評価したい。
ピアノ曲との相性抜群のSHM−CDによる高音質により、ルプーの紡ぎだす音が一層冴えわたるのも本盤の大きな魅力の一つと言える。
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リリシストとか美音家として知られる名ピアニストであるルプーと、パワフルな指揮ぶりで知られるメータの組み合わせ。
芸風が全く異なる両者によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集であるが、完全にルプーペースの演奏に仕上がっていると言える。
その意味では、メータは、あくまでもルプーの支え役に徹していると言える。
ルプーペースの演奏というだけあって、これほどまでに美しいベートーヴェンのピアノ協奏曲は過去にも例を見ないのではなかろうか。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲だけに、重厚さであるとか、力強さなどを売りにする名演が多いが、ルプーの手にかかると、そのような点は薬にもしたくはない。
それでいて、軟弱さは皆無であり、むしろ、ベートーヴェンの威圧の対象にしていない点を高く評価すべきであろう。
ルプーの大理石のような硬質なタッチは透明で粒が揃い、極上の瑞々しさをもったピアニズムで、音色は完璧なまでに磨き抜かれ、全ての音が透かし彫りのように聴こえてくる。
どんなに最強奏をしても、音が割れたり、無機的になるということはいささかもなく、フォルテが連続する楽句でも演奏は常に明晰であり、あたかも星がきらめくような美麗さに満ち溢れていると言える。
そして、それが決して表面的な美しさにとどまっていない点も特筆しておかなければならない。
どの箇所も、美しさの中に豊かなニュアンスが込められていて、そのデリケートな緻密さが素晴らしい。
匂うように美しいハーモニーを武器としながら、やるべきことはすべてやりつくした模範的解釈である。
メータの指揮は若々しい力を前面に押し出した力強いものだが、一方で落ち着いた情感もあり、清々しい余韻を残す。
SHM−CD化により、ピアノ曲との相性の良さも相まって、音質がかなりグレードアップしているのは嬉しい限りだ。
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