2013年02月
2013年02月28日
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ブーレーズならではの素晴らしい名演だ。
ヴァイオリン協奏曲第1番や交響曲第3番は、シマノフスキが、印象派の影響を色濃く受けた時代の傑作であるが、ドビュッシーやラヴェルの名演を数々成し遂げてきたブーレーズにして見れば、得意とする作品とも言えるだろう。
確かに、若き日のブーレーズのように、前衛的で切れ味鋭いアプローチは影を潜め、すっかりと好々爺となり、角の取れた柔和なアプローチを示すようになりつつある近年のブーレーズではあるが、本盤では、そうした円熟に加えて、若き日の前衛的なブーレーズを彷彿とさせるような凄みをも感じさせる名演を成し遂げていると言える。
特に、ヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章において、そうした傾向は顕著であり、ヴァイオリンのテツラフの卓越した技量をベースとした切れ味鋭い演奏と相俟って、シマノフスキの魅力を大いに満喫することができるのが素晴らしい。
ブーレーズらしく分かり易い演奏で、スクリャービン風の和声進行、反復を含みながら弧を描くように展開する音楽の軌道を明晰に描いている。
テツラフの音色のコントロールも滅法巧く、一種のヴァンダラーとしてのヴァイオリン独奏の性格を明らかにしながら、オーケストラと骨太で鋭いアンサンブルを繰り広げてゆく。
神秘的な曲想と柔らかく繊細なテツラフの音色とは相性がいい。
交響曲第3番での大気感も素晴らしく、神秘的で官能的な響きといった、この作品に不可欠な雰囲気を十分に表出しており、優秀な独唱や合唱も相俟って、完璧に再現されている。
デイヴィスリムの透明でリリックなテナーがシマノフスキ特有の詩世界に寄り添い、ウィーン・フィルも最高のパフォーマンスを示していると言える。
シマノフスキを得意とする指揮者としてはラトルが掲げられ、残された演奏はいずれも名演ではあるが、前衛性と円熟のバランスを考慮すれば、本盤に収められた両曲に限って言えば、ブーレーズの方に軍配をあげたい。
録音も含めると、これらの曲の新定番と言えるだろう。
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2013年02月27日
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ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の冒頭からして、まぎれもない全盛期のカラヤンサウンドがさく裂する。
こうしたゴージャスなカラヤンサウンドは、冒頭のみならず全曲を支配していて、ピアノ協奏曲ではなく、あたかも一大交響曲を指揮しているような圧倒的な迫力を誇っている。
その重戦車の進軍するかのような重量感においては、古今東西の同曲のあらゆる演奏をわきに追いやるような圧巻のド迫力を誇っていると言える。
このような演奏では、ワイセンベルクのピアノは単なる脇役に過ぎない。
カラヤンとベルリン・フィルによる豪華なバックに支えられて、ワイセンベルクが、カラヤンの意図に従って独奏を展開している。
いってみれば名だたる技巧家ワイセンベルクがおとなしい演奏をしているといったところ。
要は、いわゆるピアノ協奏曲ではなく、ピアノ付きの交響曲になっていると言える。
それ故に、カラヤンのファンを自認する高名な評論家でさえ、「仲が良い者どうしの気ままな演奏」(リチャード・オズボーン氏)などとの酷評を下しているほどだ。
しかしながら、筆者は、そこまでは不寛容ではなく、本演奏は、やはり全盛期のカラヤン、そしてベルリン・フィルでないと成し得ないような異色の名演であると高く評価したい。
いわゆるピアノ協奏曲に相応しい演奏とは言えないかもしれないが、少なくとも、ベートーヴェンの楽曲の演奏に相応しい力強さと重厚さを兼ね備えていると思われるからだ。
併録の小品は、いずれも、ワイセンベルクならではの研ぎ澄まされた技量と抒情を味わうことができる名演揃いだ。
なかでも「エリーゼのために」と「32の変奏曲」が出色で、ワイセンベルクの長所が万全に発揮されている。
HQCD化によって、音質がかなり鮮明になっているのは素晴らしい。
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2013年02月26日
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実になだらかで、起伏のない美しい演奏だ。
これほどわめいたりしない静的な演奏は、アルプス交響曲では初めてではないだろうか。
いかにも、晩年になって、穏健派に磨きがかかったハイティンクらしい。
なお、ハイティンクの「穏健」と彼の音楽性を結びつけてメリハリのない演奏のように評している人がいるが、よく聴けばこれが的外れだということが分かるだろう。
したがって、冒頭の夜明けのゆったりとしたテンポ設定などは雰囲気満点であり、嵐が過ぎ去った後の一日の回想についても、その美しさが際立っている。
しかしながら、登山の部分は、あまりにも起伏がなさ過ぎて、果たしてこのような緩慢な足取りで登頂できるのかいささか不安になる。
氷河の危険も、眼前に安全策が施されているようだ。
頂上に至っては、かなり標高の低い山に登ったかのように、眼前にはスケールの大きいパノラマが殆ど浮かび上がってこない。
嵐もどこか抑制がかかっており、あたかも実験室での風洞実験のような趣きだ。
前述のように、美しい演奏ではあり、評価すべき箇所も多少は散見されるものの、それが表面的なレベルにとどまっており、きわめて底の浅い凡演だと酷評せざるを得ない。
コンセルトヘボウ管との旧録音が希代の名演だっただけに期待して聴いたのだが……。
SACDマルチチャンネルによる高音質録音は実に鮮明で見事なものであり、録音面においては評価したいが、こうした高音質録音が不幸にも演奏の底の浅さを露呈することに繋がっており、何とも虚しい気持ちにさせられるのは大変残念なことだ。
さしずめ自分で険しい山を登っているというよりは美しい映像作品を見ているような感じであり、なかにはこういった演奏を好む人もいるのではないかと思い、敢えて採り上げた次第だ。
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2013年02月25日
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いずれも素晴らしい名演だ。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番はスタジオ録音もなされていない演目であるが、テンシュテットは、マーラーを指揮する時に垣間見せるような劇的な指揮ではなく、ドイツ正統派の正攻法のアプローチで、堂々たる名演を成し遂げている。
ゲルバーの巨匠風のピアニズムによるところも大きいとは思うが、こうしたゲルバーのピアノを包み込むようにサポートしたテンシュテットの指揮もまた見事であったと言える。
他方、ブルックナーの交響曲第4番は、既にスタジオ録音を行うとともに、来日時のライヴ録音も発売されている、テンシュテット得意のレパートリーの一つだ。
テンシュテットと言えば、どうしてもマーラー指揮者のイメージをぬぐい去ることは出来ないが、ブルックナーの第4番に関しては、テンシュテットのアプローチと同曲の相性が抜群に良いこともあって、これまで発売されたCDはいずれも名演だ。
しかしながら、本盤の登場によって、既発売のCDは、太陽の前の星のように存在感を殆ど失ってしまった。
それくらい、本盤の出来は群を抜いている。
テンシュテットは、マーラーを指揮する時とは異なり、ゆったりとしたテンポで曲を進めている。
それでいて、いささかも冗長には陥ることなく、随所で独特のスパイスを効かせた解釈を示しているが、それがいわゆるブルックナーの本質から逸脱することがないのは、テンシュテットの同曲への深い理解と愛着の賜物と言える。
金管の最強奏も、ベルリン・フィルの卓越した技量もあって、圧倒的な迫力を示すが、無機的に陥ることがないのは、さすがの力量と言えるだろう。
録音も非常に鮮明で素晴らしい。
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まず、コンサートの演目に驚かされた。
ブルックナーの「第8」に、他の曲目を組み合わせることは、基本的には考えられないところであるが、ライナーノーツによると、カラヤンのキャンセルによるとのことであり、漸く納得がいった。
カラヤンのプログラムでは、ブルックナーの「第9」を予定していたようであるが、テンシュテットは、「第9」の代わりに「第8」に切り替えたのであろう。
テンシュテットは、マーラーとは異なり、ブルックナーについては、特定の曲だけを指揮してきた。
ライヴ録音を含めると、録音されたのは「第3」、「第4」、「第7」、「第8」のみであり、特に、「第4」と「第8」は、スタジオ録音も行うなど、得意のレパートリーとしていたようだ。
要は、自信のある曲しか指揮しないという、テンシュテットの芸術家としてのプライドが感じられる事実と言える。
ただ、「第4」はともかく、「第8」については、スタジオ録音も含め、既発売のCDはどこか食い足りない点が多々あるように考えてきたところだ。
やや、テンポをめまぐるしく変化させるなど、ブルックナーを聴くよりは、マーラーを聴くような印象を与えがちな点に違和感が感じられたのだ。
しかしながら、本盤の「第8」は素晴らしい名演だ。
テンポは速めであるが、いつものテンシュテットにように、テンポを激変させるのではなく、できるだけインテンポを維持することによって、ブルックナーの本質をいささかも損なうことのない演奏に仕上げることに成功している。
ベルリン・フィルの管楽器群の優秀さや、弦楽器の重量感溢れる合奏の力強さによる点も大きいとは思うが、ベルリン・フィルを統率して、ここまでの演奏を成し遂げた点は、テンシュテットの力量によるところも大きいと考える。
バッハは、ブランディスをしっかりとサポートする点に力点を置いているように思うが、こちらも素晴らしい名演だ。
音質も非常に鮮明で、見事なものだ。
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両曲ともに素晴らしい名演だ。
ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲は、テンシュテットとしては、スタジオ録音もなく、極めて珍しいレパートリーと言えるが、交響曲第8番や第9番の名演を遺していることを考えると、必ずしも意外な演目とは言えないのかもしれない。
新進のヴァイオリニストのザゾフスキーをしっかりとサポートするという点に重点を置いているような気もするが、ベルリン・フィルを巧みに統率して、シンフォニックで重厚な名演を成し遂げている点を高く評価したい。
このような名演を耳にすると、テンシュテットの指揮で、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴いてみたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。
シューベルトは、テンシュテットとしても、スタジオ録音を遺しているし、ライヴ録音も存在する得意のレパートリーと言える。
本盤で見られるアプローチも、そうした他の演奏におけるアプローチと殆ど変化はない。
ただ、ベルリン・フィルとのライヴ録音ということもあり、本演奏には凄まじい気迫と生命力を感じさせる。
随所で「晩年のフルトヴェングラーか」と思わせるような畳み掛けがあり、切れば血が出るような勢いがほとばしる。
速めのテンポで一気呵成に突き進んでいくような演奏であるが、随所に盛り込まれた最晩年のシューベルトならではの暗い抒情の歌い方も素晴らしく、知情兼備の爆演と高く評価したい。
とにかく凡庸な音は皆無であり、冗長にもなりかねないこの曲をこのように捌くとは…、テンシュテット恐るべし、と言ったところだ。
録音も、非常に鮮明で素晴らしい。
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2013年02月24日
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今もなお追慕される夭折の天才デュ・プレが遺した溌剌としたベートーヴェン。
25歳のデュ・プレが1970年のエディンバラ国際音楽祭で遺した奇跡のライヴ録音である。
夫にして最高の理解者であるバレンボイムの慈しむような伴奏との対話を通じて、デュ・プレの天賦の才が溌剌と溢れ出て、純度の高い感動が沸き上がるヴィヴィッドな名演が展開されている。
ベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集には、世評では、ロストロポーヴィチ&リヒテル盤と、フルニエ&ケンプ盤が双璧の名演と言われ、これまで多くの評論家の間で、両盤の優劣について様々な批評の応酬がなされてきた。
確かに、両名演は素晴らしい。
どちらの名演にもそれぞれ素晴らしい点があり、筆者としても、どちらかに軍配を上げるということははっきり言って不可能だ。
それ以外にも様々な名演があるが、やはり、この両盤に敵うものではないといったところではないだろうか。
本盤は、録音がこの当時のものとしては悪いという難点はあるが、演奏内容だけをとれば、この両盤に何とか対抗し得るだけの名演と評価できるのではないかと考えている。
それは、デュ・プレの命懸けの気迫溢れる演奏によるところが大きい。
デュ・プレが、悪魔のような病を発症する直前の演奏であることもあり、何かに取り憑かれたような底知れぬ情念のようなものを感じさせる。
こうしたデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムも、重量感溢れる力強い演奏を行っている。
そして、その後の、デュ・プレの悲劇を思うと、演奏以上の感動を覚えるのも、筆者だけではないと考える。
ここにはもはやベートーヴェンすら存在せず、ひたすらアンサンブルの愉悦だけが存在しているのだと思わされる、悲しくも素晴らしいデュ・プレの遺産である。
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2013年02月23日
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かつては知る人ぞ知る存在に甘んじていたプレートルが、数年前に発売されたマーラーの交響曲第5番及び第6番の超名演や、ニューイヤーコンサートでの味わい深い名演によって、一躍、現代の数少ない巨匠の一人と見做されるようになった。
そうした名声もあって、数々のCDが発売されるようになったが、筆者としても、改めて、この指揮者のレパートリーの幅広さと実力を思い知らされている次第だ。
本盤に収められた楽曲は、両曲ともに得意のフランス音楽であり、そもそも演奏が悪かろうはずがない。
それどころか、両曲ともに、それぞれの様々な演奏の中でもトップの座を争う名演と高く評価したい。
フォーレの『レクイエム』はいわゆる3大レクイエムの中でも最も慎ましやかな楽曲。
それ故に、殆ど聴き取れないような最弱音を駆使した演奏が多く、せっかくの同曲の魅力を台無しにしてしまうような結果に陥りがちであるのは大変残念な傾向にあると言える。
ところが、本盤は違う。
例えば、「サンクトゥス」や「アニュス・デイ」の中間部、「われを許し給え」の壮麗な金管の響きや、「アニュス・デイ」、「楽園にて」の冒頭部の何とも言えないフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいは、他の演奏では聴かれないような感動的なものだ。
それでいて、全体としては、同曲に必要不可欠の清澄な美しさに不足はないのは、巨匠プレートルの類稀なる至芸と言える。
ドビュッシーの『夜想曲』も超名演。
「雲」からして、誰よりも速めのテンポでセンス良く全体を描いて行く。
他方、「祭」は力強い迫力が際立つが、ここでもセンス抜群の味わい深さは健在だ。
そして、「シレーヌ」のこの世のものとは思えないような天国的美しさ。
これほどまでに瀟洒な味わいと美しさ、そして力強さをも兼ね備えた、良い意味でのバランスのとれた『夜想曲』の演奏は、これまでにも殆ど類例も見ないし、今後とも容易には現れないものと思われる。
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2013年02月22日
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筆者が知る限り、唯一テンシュテットとロンドン・フィルのライヴ盤だけが、作曲者の妄執や狂気にふさわしい異常性を持っていると思う。
第1楽章の疾風怒涛の荒れ狂い方からして常軌を逸している。
技ではなく力づくで敵をなぎ倒しながら一直線に進んでいくような殺気には度肝を抜かれよう。
弛緩した演奏だと永遠に続くかのように感じられる第1楽章が、あっという間に終わってしまう。
けっして物理的な時間が短いわけではなく、心理的な時間が短いのである。
第2楽章も最初から合奏の足並みが乱れるほどの突っ込み方で、2度目はないと言わんばかりだ。
これを聴くと、テンシュテットがフルトヴェングラーの再来と呼ばれたのも当然と思えてくる。
テンポを上げていくときの追い込みも凄く、実際のテンポの変化はわずかでも、気味が悪いほどの緊迫感があるのだ。
一転、第3楽章ではこれがロンドンのオーケストラかというほどに丁寧に心を込めて歌っておいて、再び嵐のフィナーレへと突入する。
独唱陣、合唱ひっくるめて火がついたような猛烈な熱演だ。
大編成の合唱は空気を揺るがせたかと思うと、静かなところでは祈るかのように歌う。
曲のいちばん最後、他の指揮者たちよりも速いくらいのテンポから止まらんばかりに一気に速度を落とし、最後の「喜びよ、神々の美しい火花よ」を歌いあげ、そこからぐんぐんと加速していく決めの大胆さにも唖然とさせられる。
これを聴くと結局「第9」はこのように作品のまっただ中を生きるように演奏するほかはないと思われてくる。
音質は充分に良く、お持ちでない方は迷わず買うことだ。
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テンシュテットは、ベルリン・フィルとの相性は抜群であったが、他方、ウィーン・フィルとの関係は最悪だったと言われる。
同じマーラー指揮者であるバーンスタインが、ウィーン・フィルとの相性が良く、ベルリン・フィルとは良くなかったというのと対照的である。
バーンスタインは、ベルリン・フィルとマーラーの「第9」の一期一会の熱演(名演と言うには躊躇している)を遺したが、同じように、テンシュテットが、マーラーの「第10」の一期一会の熱演(こちらは超名演)を遺したというのは大変興味深い。
本盤を聴いて思うのは、やはりテンシュテットは生粋のマーラー指揮者だということ。
ウィーン・フィルも、おそらくはその点はテンシュテットに一目置いていて、マーラーの「第10」では、テンシュテットに必死についていっているのがよくわかる。
アダージョだけで29分というのは、かのシノーポリの怪演と同様のテンポの遅さであるが、演奏の性格は正反対。
テンシュテットの内なるパッションの爆発は凄まじく、ウィーン・フィルの鉄壁のアンサンブルにも乱れが生じているほどの劇的な爆演だ。
これは、指揮者とオーケストラの極度の緊張感が生み出した奇跡的な超名演であり、おそらくは、マーラーの「第10」の中でも最高レベルの超名演と高く評価したい。
これに対して、ベートーヴェンの「エロイカ」。
これは、ウィーン・フィルのテンシュテットへの不満がありありで「マーラーでは譲歩しても、ベートーヴェンは俺たちの音楽。お前の言いなりにはならないよ」とばかり、テンシュテットの熱い指揮に対して、ウィーン・フィルの冷めた演奏が際立つ。
第2楽章など、ベートーヴェンと言うよりはマーラーの葬送行進曲のようであるが、ウィーン・フィルの嫌々ながらの演奏が、余計にそうした演奏の性格を際立たせている。
これは、マーラーの「第10」とは異なり、一期一会の出会いがマイナスの方に出た演奏と言えるだろう。
もちろん、一期一会の記録としての価値は高いとは思うが。
録音はいずれも超優秀だ。
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驚天動地の超名演だ。
テンシュテットが咽頭癌に倒れる直前の演奏会の記録であるが、まさに命がけの鬼気迫るような凄まじい豪演とも言える。
ムソルグスキーの「はげ山の一夜」は、スタジオ録音も遺されているが、大きく違うのは本盤ではオリジナル版を採用している点。
オリジナル版に拘った指揮者としてはアバドがあり、同じくベルリン・フィルとの録音を遺してはいるが、本盤と比べると、演奏にかける気迫、力強い生命力や表現力において、雲泥の差があると言えよう。
冒頭から、何事が始まったかと思われるような、大地が鳴動するが如きド迫力であり、演奏終了後は、あまりの凄さに聴衆が拍手を一瞬ためらっているような様子も記録されている。
プロコフィエフも凄い。
グティエレスのピアノも、圧倒的な技量の下、最高のパフォーマンスを示しているとは言えるが、ここでの主役はやはりテンシュテットだ。
緩急自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化をつけて、プロコフィエフのピアノ協奏曲の中でも難解と言われる同曲を見事に解析してくれている。
そして、メインの「新世界より」。
同曲にはスタジオ録音があるが全く問題にならない。
これほどまでにオーケストラを追い立てていく圧巻の指揮ぶりは、殆ど狂気ですらある。
いわゆるチェコの民俗色など薬にもしたくはなく、テンシュテットの手にかかると、同曲は、ベートーヴェンの交響曲にも匹敵するような大芸術作品のように聴こえる。
終楽章など、主部は阿修羅のような勢いで突進していくが、それでいて、中間部の抒情も実に美しくて感動的だ。
演奏終了後の熱狂も当然のことのように思われる。
録音も非常に鮮明で素晴らしい。
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壮絶な超名演だ。
テンシュテットは、もし現在も存命であれば、今年は86歳(これは、スクロヴァチェフスキよりも若い)になったはずで、咽頭癌で若くして死去したのは、音楽界にとって大きな損失であったが、本盤のような燃焼度の高い演奏を繰り返していた点にかんがみれば、心身ともに相当に負担がきていたのではないかと思われるほどだ。
それほどまでに、本盤の演奏は豪演だ。
メインのドヴォルザークの第8番は、スタジオ録音がなく、数年前にBBCからライヴ音源が発売されたが、演奏の質は本盤の方がはるかに上。
このように劇的な名演は、他には類例を見ないものと思われる。
第1楽章は、うねるようなテンポ設定と、随所に噴き出てくるようなパッションの爆発が圧巻だ。
第2楽章も、緩急自在のテンポ設定を駆使した一大叙事詩のようなスケールの雄大さが素晴らしい。
第3楽章は、感傷には陥らない高踏的な美しさが見事である。
そして、終楽章は、おそらくは史上最速とも言えるハイテンポで全曲を駆け抜ける。
ベルリン・フィルの重量感溢れる演奏も相俟って、圧倒的な迫力の下、全曲を締めくくるのである。
次いで、プフィッツナーの序曲が素晴らしい。
この生命力に満ち溢れた劇的な名演は、テンシュテットだからこそ可能な至芸と言える。
モーツァルトのピアノ協奏曲第23番は、ピアニストのヒアーホルツァーのサポートを最優先させた感もあるが、それでも第2楽章の悲劇的な表現などにテンシュテットならではの個性も散見され、名演と評価するのにやぶさかではない。
録音も、非常に鮮明であり、十分に満足できる。
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2013年02月21日
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1985年8月25日 テルアビブ、マン・オーディトリアムに於けるライヴ録音。
1985年に、バーンスタインがイスラエル・フィルとともに来日した時のこの曲の演奏は、今でも語り草になるほどの名演だったのは有名。
これは、日本公演直前にライヴ録音されたもので、ここでも、バーンスタインは、激しくのめり込むような情熱的な表現で、耽美的な旋律を心ゆくまで歌わせており、この曲のもつ悲哀感と諦観とを、てんめんと表出した、実に感動的な名演奏である。
この曲はマーラーの最高傑作に属するが、複雑な表現を持つだけに、指揮者にとっては非常な難曲である。
一流の技を持つマエストロだけが、レコードに録音しているのも不思議ではない。
そのためか既発売のレコードは名演奏ぞろいであるが、バーンスタインの新盤は、それらを越えてそのユニークな性格を誇り得るものである。
バーンスタインも相応の覚悟がおそらくあったのだろう、ここでの彼は文字通り“マーラーの化身”そのもの。
たとえば、第3楽章のほとんど鬼気迫るようなエンディングはどうだろう。
すべてを大きく収斂する、フィナーレの無限の深さも言語に絶するほど。
辛口の批評で知られる許光俊氏も来日公演を聴いて、「実際、あれ以後、この曲でそれ以上の演奏は聴いていません。期待もしていないほどです。あまりに強烈すぎて、あれ以上のは、バーンスタイン自身が蘇らない限りあり得ないことと思われます。」とコメントしている。
筆者は当時まだ若過ぎて地方在住ということもあって実演を聴けなかったので、来日公演に接した聴衆に激しい嫉妬の念を禁じ得ない。
この音源はその来日公演のものではなく、テルアビブでのライヴであり、オケの力量、音質ともに同年に録音されたコンセルトヘボウ盤の完成度の高さには及ばないが、マーラー・ファン、バーンスタイン・ファンにとって聴き逃せぬディスクであることは間違いない。
まさにマーラーの演奏史を語るのに欠かせない記念碑的なディスクといえよう。
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2013年02月20日
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ラトルは、マーラーを現在でも得意のレパートリーとしているが、これは、EMIへの鮮烈的なデビューを飾った記念碑的な名演だ。
ラトルは、ベルリン・フィル芸術監督時代にも、マーラーの「第10」のクック版を録音しているし、余り知られていないがもうひとつライヴ録音もある。
同曲については、マーラーが作曲した第1楽章のアダージョしか演奏しない指揮者も数多くいる中で、3度にもわたりクック版を録音したというのは、ラトルの同曲、特にクック版への深い愛着の賜物と言っても過言ではあるまい。
最近でこそ全5楽章の録音が増え、一部に熱狂的なファン(筆者もその一人)もいるマーラーの「第10」であるが、この曲をキャリアの最初期から「伝道師」的に取り上げてきたのがラトル。
彼の原点ともいえる1枚であり、演奏も非常に評価の高いものだ。
ベルリン・フィルとの演奏も名演ではあったが、本盤も新鮮な魅力があり、現在でも十分に通用する名演と高く評価したい。
きりりと引き締まった清潔な表現が音楽的で、それがみずみずしい歌の流れと結ばれている。
第1楽章のアダージョからして、比較的ゆったりとしたテンポで、マーラーの美しい名旋律を情感豊かに歌い抜いてゆく。
その堂々たる指揮ぶりには、今日のラトルを予見させるのに十分な才能に満ち溢れていると言える。
終楽章の、ハンマーが何度も鳴り響き、曲想がめまぐるしく変化する箇所も、全体の造型をいささかも損なうことなく、実に巧みに表現し尽くしている。
決して一流とは言えないボーンマス交響楽団も、ラトルの見事な統率の下、可能な限りのパフォーマンスを示していると言える。
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2013年02月19日
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ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」は、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲中の最高傑作であるだけではなく、古今東西のピアノ三重奏曲中の帝王とも言うべき至高・至純の名作である。
その後、このような形式により、様々な作曲家が作曲に挑んだが、チャイコフスキーやラフマニノフなどの一部の傑作はあるものの、内容の深さなどを加味すれば、未だにこの名作を凌ぐものは現れていないと言える。
これだけの名作だけに、これまで数多くの演奏・録音がなされ、名演も数多く残されてきたが、そのような中で、本盤の存在意義は何か。
それは、チェコ出身の名室内楽奏者による息の合った、自然体の絶妙のアンサンブルということになるのではなかろうか。
スーク・トリオにはピアノがハーラに代わってからの新録音があるが、これはパネンカ時代の2度目の録音である。
ハーラが加わってからのアンサンブルは三者一体となった緊密さの魅力が増したが、ここにはそれと異なった三者三様の持ち味が発揮され、コントラストの妙味ともいうべき魅力がある。
いずれ劣らぬ名演といえ、新盤が登場した今も、この演奏がもつ価値はいささかも失われていない。
ピアノのパネンカも、ヴァイオリンのスークも、チェロのフッフロも、いずれもチェコが誇る名奏者ではあるが、必ずしも個性的なアプローチや卓越した技巧を売りにする奏者ではない。
むしろ、情感豊かな温かみを感じさせるアプローチを旨とする奏者であり、こうした三者が奏でたピアノ三重奏曲は、まさに、熟成したワインのような味わいのある大人の名演に仕上がっていると言える。
同曲に、怒れる獅子のような力強さを指向する聴き手にはいささか物足りなさを感じさせるきらいがないわけではないが、ベートーヴェンを単なる威圧の対象にしていない点は、高く評価してもいいのではないかと考える。
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2013年02月18日
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1970年にセルが来日する直前に録音されたもので、セルは日本公演の直後に急逝した。
セルがクリーヴランド管弦楽団を指揮した演奏の数々は、セルの楽器と称されるほどの精緻なアンサンブルを誇るものであったが、演奏によってはやや鋭角的な印象を与えるものもあった。
しかし、晩年には、そうしたいささか欠点といも言うべき角がとれ、精緻な中にも柔軟さを感じさせる名演が繰り広げられる傾向にあった。
EMIに録音したドヴォルザークの「第8」やこのシューベルトの「第9」などは、そうした傾向にある晩年のセルならではの味わいのある名演であったように思う。
セルの死の年の演奏ということもあり、前述した傾向が顕著なセル最晩年ならではの至高の名演ということができよう。
この指揮者としては温かい音楽を歌わせており、しかもスケールが大きく、仕上げの美しさも比類ない。
この曲はシューマンが讃えた言葉通り、楽想とリズムの繰り返しを重ねて作り上げられた「天国的」な長大さを持つ交響曲であり、指揮者の資質が大きく問われてくる。
聴き手に面白く、しかも充実して聴かせるのは困難だろうが、セルの魔法にかかるとこの曲が素晴らしい構成に基づいたまさに「天国的」なシンフォニーである事に眼を開かされる。
精密機械のように楽曲の輪郭をクリアにしつつ、そこで繰り広げられる超人的な精緻なアンサンブル。
それでいて、決して機械的にはならず、セルの人生を俯瞰させるような何とも言えない温もりのある味わいに満ち溢れている。
まさに、セル畢生の名演と評価すべき出来映えであると言えるだろう。
全く作為がなく、聴いた後に清々しい充実した気持ちにさせてくれるこの「第9」を遺してくれたセルの偉大さを改めて思うとともに、それに対して筆者は感謝の念を捧げたい。
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2013年02月17日
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ベームはベルリン・フィルとモーツァルトの交響曲全集を録音し、既に紹介したところだが、全集までは要らないという人にお薦めの後期6大交響曲集。
モーツァルトの交響曲の演奏様式は、最近ではピリオド楽器などの小編成によるものが主流になりつつあるが、本盤のような大編成のオーケストラによる重厚な演奏を耳にすると、故郷に帰ってきたようなほっとした気分になる。
ベームが1960年代にベルリン・フィルと組んで成し遂げたモーツァルトの交響曲全集は、大編成によるオーケストラによる古典的な名演として、金字塔とも言うべき歴史的名盤であると思う。
本盤は、その全集から後期の6曲を抜粋したものであるが、いずれの曲も、厳しい造型の下、重厚でシンフォニックなアプローチであり、モーツァルト演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足はない。
ベルリン・フィルの巧さも特筆すべきであり、ベームともども、最高のパフォーマンスを示している。
ベームは、1970年代にもウィーン・フィルとモーツァルトの交響曲全集に着手(結局は果たせなかったが)したが、老巨匠ならではの枯れた味わいはあるものの、リズムにやや硬直が見られることもあり、このベルリン・フィルとの演奏の優位は動かないと思われる。
香りや気品は後年のウィーン・フィル盤に譲る部分も大きいが、ベルリン・フィルらしく強い覇気と強靭なアンサンブル、ドイツ風のゴツゴツした重厚な響きと構成感が素晴らしい。
この頃のベルリン・フィルは、カラヤンがシェフになってサウンドが徐々にカラヤン風な明るく豊麗なものに変化しつつある時期だったのだが、モーツァルトの交響曲全集やセレナード集、ブラ1、エロイカなど、この頃のベームの一連の録音は、質実剛健なドイツのマイスターといった感じで、後年のウィーン・フィルとの再録音と違った筋肉質な音楽を聴かせる。
ルビジウム・カッティングによって、素晴らしい音質が蘇ったのも嬉しい限りだ。
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2013年02月16日
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ブルガリア出身のフランスのピアニスト、ワイセンベルク40歳の頃の録音。
LPのときは独自の曲順となっていたが、ここでは21曲の夜想曲から、13曲を抜きだして作品番号順に収めている。
若き日のワイセンベルクによるショパンのノクターン集であるが、いかにもワイセンベルクらしい明晰でなおかつ耽美的なアプローチを示している。
正確で極めてオーソドックスな解釈であり、過剰な表情づけを排した端正な演奏と言える。
もちろん、例えば第7番など、力強い打鍵も時折垣間見せはするが、全体的に見れば、重厚さとは殆ど無縁の柔和で繊細なイメージが支配していると言える。
したがって、一部の音楽評論家によっては、女々しいとか不健康な官能美などと言った、ピアニストとしては決して有り難くない酷評をされているのも、あながち言い過ぎではないものと思われる。
確かに、ノクターンは、ショパンのあまたのピアノ曲の中でも優美かつロマンティックな要素を持った楽曲ではあるが、それをそのまま等身大に演奏してしまうと、単なる陳腐なサロン音楽と化してしまう危険性がある。
ショパンの音楽に、こうしたサロン的な要素があることを否定するものでは全くないが、むしろ、ショパンは、仮にノクターンのような小曲であったとしても、より高踏的な芸術作品を志向して作曲されたものと考えるべきではなかろうか。
そのような観点からすれば、やはりワイセンベルクのような軟弱とも言えるアプローチにはいささか疑問を感じざるを得ない。
いずれにしても、ノクターンというショパンの芸術作品に内包するエッセンスである詩的な情緒や情感を我々聴き手に伝えるには到底至っておらず、うわべだけを取り繕ったなよなよとした浅薄な演奏に陥ってしまっているのは、はなはだ残念な限りだ。
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2013年02月15日
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2010年はぺルゴレージ生誕300年の記念イヤーであったが、アバドは、ペルゴレージの最高傑作「スターバト・マーテル」を含む第1集に続き、更に2枚の作品集の録音を行った。
本盤は、その第2集にあたるものであるが、早世の天才作曲家の類稀なる才能やその楽曲の魅力を知らしめることに大きく貢献する名演だと思う。
アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してから泣かず飛ばずの低迷期が続き、その重責から来るあまりの心労も重なって大病を患うことになった。
しかしながら、芸術監督退任間近に大病を克服した後は、彫りの深い円熟の名演の数々を遺すようになったのだから、実に皮肉なものだ。
特に、本盤のような小編成のオーケストラを指揮した場合、アバドの各楽器のバランスを重視した丁寧なアプローチは、俄然その威力を発揮することに繋がる。
それも、同郷の作曲家のぺルゴレージの作品ともなれば、まさに鬼に金棒ということになる。
モーツァルト管弦楽団は、歴史の浅い若いオーケストラであるが、ピリオド楽器を使用しているにもかかわらず、ごつごつした感じがしない。
それどころか、全体から滑らかな自然体で、しかもみずみずしささえ感じさせる美しい音楽が浮かび上がってくる。
これは、各楽器のバランスとともに、歌謡性を重視するアバドならではの至芸と言えるだろう。
独唱陣や、スイス・イタリア語放送協会合唱団の見事な歌唱も、ぺルゴレージの音楽の清澄な美しさを、我々聴き手に知らせしめるのに大きく貢献していると言える。
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2013年02月14日
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現在では既に引退してしまったブレンデルによる、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集中、最高の名演は、やはりラトル&ウィーン・フィルと組んだ4度目の全集であると考える。
レヴァイン&シカゴ交響楽団との全集を掲げる人もいるが、指揮者やオーケストラの芸格を考えると、筆者としては4度目の全集の方を上位に置きたい。
現代の指揮界を牽引するラトル指揮のウィーン・フィルという理想的な共演者を得た円熟の巨匠ブレンデルが、作品の威容を十二分に表現し尽くした演奏を聴かせている。
4度目の全集は、いずれの楽曲も名演の名に値するが、やはり、最高峰の名演に君臨するのは、本盤に収められた第5番「皇帝」であると考える。
とにかく、ブレンデルのピアノが実に堂々たるピアニズムであり、まさに皇帝の風格を兼ね備えているのが素晴らしい。
どこをとっても、力強い打鍵、自信に満ち溢れた堂々たるインテンポで一貫しており、それでいて、緩徐楽章の抒情豊かな演奏も、格調の高さを決して失うことはない。
ラトルの指揮も、ブレンデルの巨匠風の表現に一歩も引けを取っていない。
本盤の録音当時は、未だベルリン・フィルの芸術監督就任前であるが、こうした堂々たる指揮ぶりに、その後のラトルの前途洋々たる豊かな将来性が感じられる。
ウィーン・フィルの好演も特筆すべきである。
併録の「熱情」ソナタは、特に中間楽章において、いかにもブレンデルならではの思索的(悪く言えば理屈っぽい)な表現が散見されるが、全体としては円熟の表現であり、佳演というのにやぶさかではない。
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ブレンデル4度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集からの分売であるが、当時、進境著しかったラトル&ウィーン・フィルという豪華なバックを伴って、ブレンデルによる全集中、最高の名演を成し遂げることになった。
才気溢れるラトルが指揮する名門ウィーン・フィルという望み得る最高の共演者を得て、ブレンデルが磨き抜かれた美音を駆使して彫りの深い卓越した演奏を聴かせている。
一部の批評家の中には、一つ前のレヴァイン&シカゴ交響楽団との全集を評価する人もいるが、指揮者とオーケストラの芸格を考慮すれば、やはり、この最新の全集を最上位に置きたいと考える。
ブレンデルのピアノは実に模範的だ。
4度目の全集ということもあるのだろう、どこをとっても曖昧模糊な箇所はなく、堂々たるピアニズムで、威風堂々たるベートーヴェンを描いていく。
このピアニストに特有の理屈っぽさは微塵もなく、楽曲の魅力だけが我々聴き手にダイレクトに伝わってくる。
ラトルの指揮も、ブレンデルのピアノともども重厚さの極みであり、このような巨匠風の表現を聴いていると、その後ベルリン・フィルの芸術監督として大活躍した偉大な才能の萌芽を随所に感じることが可能である。
ウィーン・フィルの美しい演奏も特筆すべきであり、ブレンデルのピアノやラトルの指揮に、独特の潤いを付加していることを見逃してはなるまい。
録音も鮮明な音質であり、本盤の名演の価値を更に高める結果となっている。
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ブレンデルによる4度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集からの分売であるが、ピアニストに指揮者やオーケストラと役者が揃った名演であると評価したい。
14年前の旧録音も名演であり、その方を高く評価する人もいるが、指揮者やオーケストラの芸格や、ブレンデルの円熟を考慮すれば、筆者としては本盤の方をより上位に置きたいと考える。
ラトル率いるウィーン・フィルという最高の共演者を得て、円熟期を迎えた巨匠ブレンデルが興趣溢れる含蓄のある表現を聴かせている。
先ずは、ブレンデルのピアノを高く評価したい。
この理論派のピアニストの理屈っぽさについては、一部の批評家の間で酷評されているのは承知しているが、本盤では、そのような短所を聴きとることは皆無。
音楽は実にスムーズに流れている。
それでいて、骨太のテクニックによる強靭にして重厚な打鍵は、怒れる獅子ベートーヴェンを見事なまでに体現しており、他方、緩徐楽章における抒情的表現にもいささかの不足もない。
加えて、ラトル&ウィーン・フィルの演奏が実に素晴らしい。
例えば、「第4」の第2楽章の重厚さ。
他の演奏だと、緩徐楽章であることを意識して、やたら軟弱な表現に終始してしまうケースも散見されるが、さすがにラトルはそのような落とし穴に陥ることは全くない。
終楽章における圧倒的な迫力もラトルならではのものであり、こういったところに、今日のラトルを予見させる才能があらわれていると言えよう。
ウィーン・フィルは、いつものように美しい音色を奏でており、この名演の価値を更に高めることに大きく貢献している。
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2013年02月13日
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はじめに、筆者は、必ずしもチェリビダッケの良い聴き手ではないということを告白しておかなければならない。
同業他者への罵詈雑言の数々、生前に録音を殆ど許可しなかった(海賊盤しか手に入らなかった)という異常なまでのこだわり、そして、あのハリー・ポッターのマルフォイをそのまま大人にしたような傲岸不遜な風貌も相まって、どうもチェリビダッケには、胡散臭さを感じていたというのが正直なところだ。
チェリビダッケの没後、漸く少なからぬライヴ録音が発売されたが、玉石混交。
あの異常なまでのスローテンポに(すべてとは言わないが)、どうしても必然性が感じられなかった。
チェリビダッケのファンからすれば、聴く耳がないと怒られそうだが、人それぞれに好みや感じ方があるので、それは仕方がないのではないかと思っている次第だ。
しかしながら、数年前に発売された、来日時のブルックナーの「第5」を聴いて、歳をとったせいで丸くなったという面も無きにしも非ずだが、漸く、チェリビダッケの芸術というものへの理解が少し出来たような気がした。
そして聴いた本盤の「第4」。
確かに、常識はずれのスローテンポではあるが、少なくとも、かつて聴いたミュンヘン・フィルとのライヴ録音の時のようにもたれるというようなことはなく、心ゆくまで演奏を堪能することができた。
チェリビダッケのブルックナー演奏の性格を一言で言えば、光彩陸離たる豊穣さと言えるのではないか。
どこをとっても隙間風の吹かない重厚さ、壮麗さが支配しており、どんなに金管楽器を最強奏させても、無機的には陥らない。
それでいて、抒情的な箇所の最弱音も、いわゆる痩せたりするということは皆無であり、常に意味のある高踏的な音が鳴り切っている。
これぞ、究極のオーケストラ演奏と高く評価したい。
確かに、通例のブルックナーの演奏からすれば異端とも言えるところであり、これは、あくまでもチェリビダッケの個の世界にあるブルックナーということになるのかもしれない。
それ故に、かつての筆者のように抵抗感を示す聴き手もいるとは思うが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。
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2013年02月12日
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この「第9」はまことに素晴らしい演奏で、ドイツの伝統様式を受け継ぐスウィトナーとシュターツカペレ・ベルリンの長く緊密な関係の頂点ともいうべき記念碑的録音と言えよう。
音楽史上最高傑作の一つであることもあって、ベートーヴェンの「第9」には数多くの名演が存在している。
過去の巨匠と言われる大指揮者が、数々の個性的な名演を成し遂げてきている中で、存在価値のある名演を成し遂げるのは容易なことではない。
そのような中で、本盤のような、必ずしも個性的なアプローチをとっているとは言えない演奏が、現代においてもなお名演との評価を受けているのは、ベートーヴェンの「第9」という音楽の魅力を、ゆったりとした気持ちで安心して味わうことができる点にあるのではないか。
スウィトナーの指揮は、いささかも奇を衒うことはなく、中庸のインテンポで楽曲全体を描き出しており、シュターツカペレ・ベルリンの演奏も地に足がついたいかにもジャーマンサウンド満載の重厚な重量感溢れるもの。
それでいて、まるでライヴ録音のような、生き生きとした音楽が展開されていく。
速めのテンポも良いし、ティンパニの強打、金管の強奏、木管の美しさ、弦の素晴らしいアンサンブルなど、どこをとっても非の打ち所のない素晴らしい名演だ。
さまざまな「第9」を聴き尽くし、最後にこの演奏に触れた時、「これぞ本物!」と確信できる類の名演で、良い意味での模範的な「第9」ということができるだろう。
スウィトナーの解釈そのものは何の変哲もないが、この演奏を明らかに超えるようなディスクを探すのは至難の技だろう。
録音が、残響豊かなベルリン・イエス・キリスト教会であることも功を奏しており、スウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンの名演に潤いと奥行きの深さを与えていることを忘れてはなるまい。
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2013年02月11日
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若き日のラトルならではの生命力溢れる凄みのある快演だ。
進境著しい手兵を率いて、「ラトル&バーミンガム市交響楽団」が世界の一流ブランドに駆け上がっていく時期の録音である。
まずは、「ミューズの神を率いるアポロ」は、その重量感溢れる音色に驚かされる。
特に、「アポロの踊り」における低弦の滴るような響きは、まさに未来の巨匠とも言うべき堂々たる風格に満ち溢れている。
ストラヴィンスキーが新古典主義に傾斜した時期の作品であるが、ラトルは、前述のような重厚さをも加味しつつ、得意のレパートリーであるハイドンを指揮する時のように、生き生きとした軽快さにも事欠くことはない。
同曲を得意としたムラヴィンスキーなどとは全く異なるタイプの解釈ではあるが、本盤も若武者ならではの名演と評価したい。
「春の祭典」も凄演。
ラトルは、聴き手を驚かすような個性的な解釈を行っているわけではない。
むしろ、ストラヴィンスキーが記した複雑なスコアをしっかりと踏まえつつ、その中で、鋭いリズムや音の強弱のダイナミズムなどを非常に強調した演奏に仕上げている。
緩急自在のテンポも思い切って駆使しており、まさに純音楽的な若武者の快演と言えるだろう。
ラトルは、近年にベルリン・フィルと同曲を録音したが、本盤には、それとは違った若々しい魅力に満ち溢れていると言える。
ラトルが音楽界に新しいページを投げかけてきた意義のあるアルバムと言えよう。
HQCD化によって、非常に鮮明な音質に生まれ変わったのも素晴らしいことだ。
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2013年02月10日
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期待を裏切らない名演だと思う。
ブーレーズとエマールの組み合わせは、これまでもリゲティのピアノ協奏曲などの共演で既に名コンビぶりを発揮していたが、今回は、ラヴェルの傑作協奏曲をいかに料理するのか、聴く前から大変興味を抱いていた。
若き日の前衛的なアプローチが影をひそめ、すっかりと好々爺になったブーレーズであるが、フランスの若手ピアニストでありながら、非常に個性的な解釈で知られるエマールとの共演で、この傑作協奏曲をいかに解釈するのか……。
結果は、意外にも正統派のアプローチであった。
ブーレーズは相変わらずの分析的な表現が、ラヴェルの巧緻なオーケストレーションでは奏功。
もちろん、左手のためのピアノ協奏曲において時折見られる無機的になる寸前の最強奏など、若き日の前衛時代を一部に垣間見ることもできるが、ピアノ協奏曲ト長調、特に第2楽章などの繊細にして優美な指揮は、若い日に先鋭的なラヴェルの管弦楽曲集を遺した指揮者とは思えないような情感の豊かさだ。
エマールのピアノもただただ美しい。
エマールは予想通りのクールで客観的な表現で、それ以上でも以下でもない。
こういう行き方だと、まるでブーレーズ自身がピアノを弾いているかのように、オケと一体化している。
2つのピアノ協奏曲における繊細にして情感豊かなタッチも美しいが、「鏡」における諸作品におけるエスプリに満ち溢れたセンス満点の弾きぶりは、改めてエマールがフランス人であることを再認識させられた。
ツィメルマンとの録音も同じブーレーズ&クリーヴランド管のコンビがバックであったが、今回の方がさらに良い出来映えだと思う。
録音も非常に鮮明であり、素晴らしい。
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2013年02月09日
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カラヤンはスタジオ録音やライヴ録音等を含め、数々のベートーヴェンの「第9」の録音を遺してきているが、本盤こそ、その最高峰に位置づけられる至高の超名演と高く評価したい。
何度も繰り返すが、カラヤンはライヴでこそ本領を発揮する指揮者であった。
この2年後の1979年の来日時のライヴ録音が数年前に発売されているが、これはオーケストラの状態もなぜか良くなく(エキストラが数多くいたとされる)、カラヤンの本領が発揮できていない演奏に終始しており、残念な出来であった。
本盤に匹敵できるのは、同じ頃にスタジオ録音された全集中の1枚ということになるだろう。
テンポはカラヤンならではの速めのテンポであるが、ただ単に速いのではなく、ここでは畳み掛けてくるような力強い生命力に満ち溢れている。
特に何もしていないと思われるのに、音楽の奥底から湧きあがってくる力感は、聴き手を圧倒するのに十分な迫力に満ち溢れている。
抒情的な箇所の歌い方も、カラヤン&ベルリン・フィルはこれ以上は求め得ないような清澄かつ美しい調べを奏でていると言える。
第3楽章のホルンのこの世のものとは思えない何と言う美しさ。
終楽章の圧倒的な迫力も、カラヤンが激賞したという合唱団の優秀さも相俟って、最高の盛り上がりを見せている。
独唱が入る直前の冒頭主題のアッチェレランドなど、ライヴならではのカラヤンの最高のパフォーマンスと言えるのではないか。
ライナーノーツによると、アンプの故障によって、特に終楽章の音のバランスが悪いとのことであるが、確かにそういった感じはしたが、気になるほどではなかった。
いずれにしても、現時点でCD化されたカラヤンのベートーヴェン・チクルスの最高傑作のトリを飾るのに十分な素晴らしい超名演だ。
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両曲ともに、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期ならではの素晴らしい名演と高く評価したい。
まずは、「第4」であるが、リチャード・オズボーンによる偉大な伝記を紐解くと、カラヤンはこの「第4」の指揮に相当てこずったとの記述がある。
確かに、遺されたスタジオ録音を聴く限りにおいては、凡演ではないものの、どこか食い足りないというか、カラヤンならばもう一段上の演奏ができるのではないかと思ったりしたものである。
しかしながら、先般発売された1988年の東京文化会館でのラストコンサート盤が素晴らしい名演であったこともあり、カラヤンも最晩年に至って漸く理想の「第4」の演奏を実現できたのではないか。
そういう観点から、1988年盤こそがカラヤンの「第4」の決定盤と考えていた。
しかしながら、本盤の登場によって、トップの座は完全に入れ替わり、本盤を持ってカラヤンの「第4」の最高演奏の座を獲得したと言えるのではないかと考える。
やや速めのテンポをとってはいるが、ダイナミックレンジの幅広さや抒情豊かな箇所の情感溢れる歌い方など、いい意味でのバランスのとれた至高の演奏に仕上がっている。
「第7」は、ほぼ同時期にベルリンでのライヴ盤(パレクサレーベル)が既に発売されており、本盤はそれに次ぐ名演と評価したい。
冒頭のオーボエのミスは残念であるが、それ以後はカラヤンサウンド満載。
カラヤンの流麗な指揮と、ベルリン・フィルの凄まじいまでの重量感溢れる合奏が、最高のコラボーレーションを見せ、終結部の猛烈なアッチェレランドなど、凄まじいまでの迫力を示している。
両曲ともに、音質は普門館でのライヴ録音とは思えないような鮮明さだ。
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これは凄い超名演だ。
カラヤンは、ライヴでこそ実力を発揮する指揮者であったが、本盤はそうしたカラヤンの面目躍如たる至高の超名演に仕上がっている。
カラヤンは、スタジオ録音や映像作品を中心として、「第5」と「第6」の数多くの録音を遺しているが、両曲ともに、本盤こそカラヤンの最高の超名演と高く評価したい。
まず「第6」であるが、ベートーヴェンの全交響曲中で、カラヤンがあまり名演を遺していないのが同曲であると考えている。
その理由は、カラヤンが、他の指揮者ならば必ず反復をする第3楽章を含め、すべての反復を省略するなど、快速のテンポで全曲を演奏するが、スタジオ録音というハンディもあって、全体として聴き手に、平板で、せかせかとした浅薄な印象を与えがちなことが掲げられる。
しかしながら、本盤は、ライヴにおけるカラヤン、そしてベルリン・フィルの圧倒的な高揚感と、録音の鮮明さによって、いつものように快速のテンポでありながら、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルでないと成し得ないような重厚にして、しかも流麗な至高・至純の音楽を構築することに成功している。
もしかしたら、本盤こそ、カラヤンが「田園」という楽曲について、聴き手に伝えたかったことの全てが込められているのかもしれない。
筆者も、カラヤンの「田園」で感動したのは、本盤が初めてである。
「第5」も凄い。
第1楽章の中間部以降の畳み掛けるような進行と、物凄い緊張感は、カラヤンのスタジオ録音ではとても聴かれなかったものだ。
第2楽章の悪魔的とも言うべき鋭いトランペットの音色と、これまた正反対の清澄な木管楽器の思い切った対比は、ベルリン・フィルの圧倒的な技量も相俟ってまさに圧巻だ。
第3楽章の低弦のうなるような重量感も凄まじい迫力であるし、終楽章に至っては、粘ったようなテンポの駆使やダイナミックレンジの幅も広く、乗りに乗ったカラヤン、そしてベルリン・フィルの最高のパフォーマンスがここにあると言える。
これは、間違いなくカラヤンの「第5」の最高の超名演であるし、古今東西の同曲の名演の中でもトップの座を争うものと高く評価したい。
両曲について、音楽のいわゆる精神的な内容の深さを追及した名演も、フルトヴェングラーなど多々成し遂げられているが、本盤の超名演は、それらを一喝するだけの凄まじい音のドラマの構築に成功していると言える。
録音も普門館でのライヴとは思えないような鮮明さだ。
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カラヤンの生誕100年にあたる2008年から、カラヤン&ベルリン・フィルのライヴ盤が色々発売されたが、間違いなく今回のシリーズが最高峰であろう。
その中でも、このCDがベストと感じた。
かつての大指揮者と呼ばれた人たちは、いわゆる自分の音というものを持っていた。
本盤も、第2番の冒頭を聴いただけで、これぞカラヤンの音ということがわかる。
最近の指揮者は、指揮者の名前を伏して聴くと、誰の指揮なのかさっぱりわからないようなケースが多く、その意味では、指揮者が小粒化、没個性化していると言える。
オーケストラや指揮者の技量などは、むしろ相当にレベルアップしているのであろうが、指揮者とオーケストラの関係が、悪い意味で民主化というか対等化しており、指揮者がオーケストラを鍛え上げるようなことは許されない状況にあることも、こうした現代における軽佻浮薄化の傾向に拍車をかけているとも考えられる。
このような現代にあって、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、かつての指揮者の個性全開の黄金時代を思い起こさせてくれる。
カラヤンの流麗な指揮の下、金管や木管のスタープレーヤーによる抜群の技量、弦楽器の高弦から低弦までが完璧なアンサンブルで鳴り切っている重厚さ、ティンパニを中心とする重量感溢れる打楽器群、これらが醸し出す極上の美音は、おそらくは史上最高の音響空間を構築していると言える。
作品の内容を深く掘り下げていくという意味においてはいささか足らざる面もあるとは思うが、これだけの圧倒的な音のドラマを堪能させてくれれば、文句は言えまい。
録音も極上である。
よくぞこれほど素晴らしいライヴ録音を残してくれた関係者の方々に深く感謝するものである。
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カラヤン&ベルリン・フィルは3度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音したが(映像作品を除く)、その中でも最高の名演は1970年代のものと言ってもいいのではないかと考えている。
というのも、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビがベストの状態にあったと言えるからである(1960年代の全集がSACD化、1980年代の全集がSHM−CD化されているのに、1970年代の全集が、「第9」のSACD化を除き、いまだに全く高音質化されていないのは実に不思議な気がしている)。
ところが、今回、全集の完成直後の来日時のチクルスがCD化されるというのは何と言う素晴らしいことであろうか。
カラヤンは、スタジオ録音よりもライヴ録音でこそ本領を発揮する指揮者であり、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代のライヴ録音を聴くことができるのだから、これ以上の幸せはないと言える。
録音状態さえ良ければ、もしかしたら、カラヤン&ベルリン・フィルの最高のベートーヴェンの交響曲全集と成り得るかもしれないのだ。
そして、本盤を聴いたが、期待にそぐわない素晴らしい名演であった。
何よりも素晴らしいのは全盛期のベルリン・フィルの分厚い重量感溢れるカラヤンサウンド。
「第1」や「エロイカ」の冒頭を聴いただけで、これぞカラヤンサウンドということがよくわかる。
金管楽器や木管楽器の最強奏の箇所においても、弦楽器は高弦から低弦まですべてが完璧に鳴り切っており、カラヤンの流麗な指揮ぶりと相まって、肉厚の至高の音楽空間が創出されている。
金管楽器も、特に朗々たるホルンなど、この世のものとは思えない美しさで、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの恐るべき実力を思い知ることができる。
一部の高名な評論家からは、オーケストラがだぶつくだけで精神的に浅薄などという批評も予測されるが、これだけの圧倒的な音のドラマを展開したカラヤン、そしてベルリン・フィルに対しては、例えば、徹底して作品の精神的な深みを追及したフルトヴェングラーなどとの優劣は容易にはつけられないと考える。
録音は信じられないほど素晴らしい。
音響が決して良くないとされる普門館でのライヴとは思えないような鮮明さだ。
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2013年02月08日
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ブラームスはオペラを除いて、多岐にわたる分野において様々な傑作を遺したが、どちらかと言うと、管弦楽曲よりも室内楽曲の方が得意と言えるのではないかと思う。
そうした得意の室内楽曲の分野においても、ブラームスは様々なジャンルの数々の傑作を遺した。
本盤に収められたピアノ三重奏曲もその例外ではなく、作曲時期は第1番のように初期のものもあるが、第1番にしても晩年に改訂を施しており、その意味ではいずれも円熟の傑作と評価されるべきものである。
本盤のスーク・トリオによる演奏も、そうしたブラームスの室内楽曲の傑作の魅力を聴き手にダイレクトに伝えてくれる名演であると言える。
スーク・トリオの演奏は、いつものように、何か特異な解釈をすることによって聴き手を驚かすというものではなく、あくまでも自然体のアプローチだ。
ここには余計な表情はない。
本質に即したものだけが精選されているといった感じで、聴き甲斐のあるものになっている。
こうした真摯で誠実な自然体のアプローチが、作品そのものの魅力を最大限に発揮させることに繋がるものであると考える。
3曲とも、ブラームスが無駄なく書き上げた曲をまざまざと具体的に示すような演奏が繰り広げられている。
これは楽譜を表面的に演奏すればそうなるということではなく、作品を徹底的に研究したからこそ成し得たものだ。
特に第1番の曲を、これだけ緊密にまとめあげるのはなかなか容易なことではない。
第2番は第1番よりもアンサンブルをする楽しさをみせており、出来栄えも高く評価したい。
第3番は起伏感がとても明快だが、それでいてごつごつしたものにはならず、覇気と意欲にみちている。
併録のホルン三重奏曲も同様のアプローチによる名演で、ブラームス好みらしい素朴なホルンの音色で、しばしば憂愁を漂わせている。
このホルン三重奏曲の演奏は、きわめて味わい深く、何よりも、チェコが誇る名ホルン奏者のティルシャルのチェコの土の香りが漂うような野太い音色が魅力的であり、これを聴けるだけでも素晴らしい。
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2013年02月06日
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1968年9月2日東京文化会館、大阪フィル第7回東京定期演奏会モノラル・ライヴ録音。
朝比奈には、最晩年の名演の数々に鑑みれば、どうしてもブルックナー指揮者としてのイメージを拭い去ることはできないが、彼の累次の演奏記録を見ると、マーラーの交響曲も第1番を除いて、相当回数演奏していることがわかる。
CDも、これまでのところ、「第2」、「第3」、「第6」、「第7」、「第8」、「第9」及び「大地の歌」が発売され、そのうち何曲かは複数の音源が発売されている。
本盤の「第4」は、朝比奈のマーラーの「第4」として初めて世に出るものであり、その意味でも大変貴重な記録であると言える。
モノラル録音であり、音場がいかにも狭いのが玉に傷ではあるが、演奏内容は、壮年期(この演奏時は60歳)の朝比奈ならではの剛毅な名演と評価したい。
まずは、全体の厳しい造型美。
マーラーの交響曲の中でも、最も古典的様式をとどめている作品だけに、こうした造型を重んじるアプローチは大正解。
もう少し踏み外しがあってもいいと思う箇所も散見されるが、ブルックナー指揮者である朝比奈にそれを求めるのは酷というものだろう。
それでも、第3楽章のゆったりとしたテンポによる深沈たる情感溢れる味わいは、後年の大巨匠朝比奈を彷彿とさせる至高の音楽に仕上がっている。
終楽章の樋本のソプラノは、録音のせいもあって、朝比奈の重厚な指揮と比較するとやや軽妙に過ぎる気もするが、同曲の演奏全体の価値を減じるまでには至っていない。
朝比奈のマーラーの交響曲の遺産として、今後発売の可能性が残っているのは「第5」だと思うが、マスターテープが著しく損傷していて、発売が厳しいと聞いた。
何とか最新の技術を用いてCD化し、発売にこぎつけて欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。
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2013年02月05日
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ナクソスレーベルは、低価格であるが故に、決して一流とは言えない指揮者やオーケストラを活用して、非常に広範囲にわたるレパートリーの作曲家の作品について多数の録音をする傾向にあり、それ故に中には粗製乱造の誹りを免れない凡演もあると言わざるを得ない。
しかしながら、ブレイナー&ニュージーランド交響楽団によるヤナーチェク・シリーズや、本盤のオールソップ&ボーンマス交響楽団によるバルトーク・シリーズは、実に水準の高い名演の数々を成し遂げている。
低価格である点を考慮すれば、ナクソス・レーベルは実にいい仕事をしていると高く評価したい。
本盤の歌劇「青ひげ公の城」も素晴らしい名演で、ブーレーズ盤と比較するとややオケの表現に物足りない感じはするが、特別なバルトーク好きでなければ、オールソップ盤の方がマイルドで聴き易い演奏かもしれない。
同曲は、バルトークの初期の作品であり、後年の作品のように前衛的な要素は少なく、バルトークにしては珍しい幻想的で神秘的な雰囲気を有した作品であるが、オールソップは手兵ボーンマス交響楽団を見事に統率して、雰囲気豊かで、なおかつ情感溢れる演奏を行っており、各7つの扉を開けた後の描き分けについても卓抜したものがある。
熱にうなされたようなオーケストラの夢幻の響き、2人の歌手による官能的な声の対話、室内楽の繊細さと爆発的な大音量を併せ持つ精緻な管弦楽。
バルトークの書いた20世紀最大の名作の一つであるこのオペラをオールソップが理想的な形で音にしたのである。
べラチェクとメラスによる独唱も、最高のパフォーマンスを示していると言える。
空間の奥行きを感じさせる録音も鮮明で素晴らしく、本名演に華を添える結果となっている点を見過ごしてはならない。
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2013年02月04日
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8つの国際コンクールで優勝歴を持つスーパー・ヴァイオリニスト、ユリア・フィッシャーが録音した、パガニーニの難曲「24のカプリース」。
パガニーニの「24のカプリース」は、バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」と並んで、あらゆるヴァイオリニストの目標である。
後者のバッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」については、精神的な面において、弾きこなすのに相当な自己研鑽が必要であるが、前者のパガニーニの「24のカプリース」については、超絶的な技巧を要する難曲だけに、技量の面において、並みいる強豪ヴァイオリニストを寄せ付けない高峰に位置していると言える。
ユリア・フィッシャーは、いまだ20代の若手女流ヴァイオリニストであるが、その超絶的な技量にはとてつもないものがあると思う。
この悪魔のように聳え立つ巨峰エベレストを楽々と制覇していく姿は、彼女が若手最高峰のヴィルトゥオーゾの一人であることの証明と言えるだろう。
さすがは、様々なコンクールで優勝を成し遂げてきただけのことはある。
同曲を構成する各楽曲を、これだけ表情豊かに完璧に弾きこなす感動的な演奏は、これまであったであろうか。
技量だけを全面に打ち出した演奏ならば、これまでもいくつもあったと思うが、ユリア・フィッシャーの演奏は、そうした超絶的な技量をベースとしつつ、女流ヴァイオリニストならではの繊細とも言える豊かな感性を発揮し、全体として、テクニックよりは情感の豊かさを聴き手に感じさせる点が素晴らしい。
ピアニッシモの表現が多彩で、ダイナミックレンジを大きくとった演奏だが、微細なテクニックも申し分なく、それを強調するよりも、音楽全体を大づかみに表現した、やや草書体の演奏という印象だ。
SHM−CD化によって、ユリア・フィッシャーの研ぎ澄まされた技量や情感豊かさが、より鮮明に味わえる点も高く評価したい。
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2013年02月03日
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ラフマニノフの交響曲第2番は、最近では様々な指揮者によって録音がなされる超有名曲になった。
それに伴って、演奏様式も、大衆に受け入れやすいということも考慮してか、ロシア的情緒を強調したあくの強いものよりも、洗練された演奏が増えてきているように思われる。
本盤のスラットキンによる新盤も、そうした現代の洗練された演奏様式に沿ったものと言えるだろう。
それは、最近発売されたゲルギエフによるあくの強い新盤との違いを見ても明らかだ。
どこをとっても、ラフマニノフならではの極上の美酒のような名旋律を美しく響かせ、嫌味のない音楽が全く淀みなくスムーズに流れていく。
まさに、耳の御馳走とも表現したい美演ということができるだろう。
したがって、この曲に、もう少し個性的な表現を期待する聴き手からすると、いささか物足りなさを感じるかもしれない。
併録の「ヴォカリーズ」は、「第2」で示した洗練された演奏様式を予見させるような佳演に仕上がっていると言える。
この「ヴォカリーズ」を、メインの「第2」の後ではなく、前に持ってきたというのが、仮にスラットキンの明確な意図によるものだとすれば、「第2」の演奏の先取りを行うという意味において、なかなかのアイデアと言わざるを得ないだろう。
デトロイト交響楽団は、スラットキンの統率の下、なかなかの好演を行っていると言える。
録音も(Naxosであることが少々驚きだが)最新で非常に良く、この曲の素晴らしさを再発見することができる1枚になるだろう。
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2013年02月02日
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1997年3月6日、NHKホールでのデジタル録音(ライヴ)。
指揮者、オーケストラともに最高のコンディションで行われた演奏で、1997年N響ベスト・コンサートのアンケートで見事第1位を獲得した名演としても知られている。
実際、ブルックナー好きのあいだでは、朝比奈の数ある「ブル8」(11種類!)の中でも、この演奏が最も優れたものとの呼び声が高く、すべてがうまくいった、朝比奈&N響としても会心の名演奏として高く評価されている。
この録音は「国宝」だろう。
朝比奈氏、N響メンバー、そして録音スタッフ全てに賛辞を捧げたい。
ブルックナーの「第8」は、ヴァントもいいが、スケールの大きさという点で朝比奈を第一に推したい。
これは本当に朝比奈隆の自発的な解釈による「ブル8」だったのだろうか?
そう首を傾げたくなるほど、「出来すぎた」名演だと思う。
あたかも、朝比奈がN響と「ブル8」を演奏したら、こういう音楽になりました、とリスナーが想像し、期待するそのままを表現したような感じだ。
そしてオーケストラの出来も素晴らしい。
大阪フィルも健闘はしているが、ここぞという時の技量はNHK交響楽団にはかなわない。
最晩年の大阪フィルとの演奏は、長年連れ添ったメンバーが指揮を先読みしているような印象がある。
こちらは、指揮を読み切れていない危うさを時々感じるのであるが、それがスリリングさを感じさせる。
それにしてもNHKホールというのは余程録音「には」適しているのか、優秀録音が多い。
筆者はこの実演に接したのであるが、生で聴くよりCDの方が音が良かった、というのは何やら複雑である。
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2013年02月01日
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ザンデルリンクはプロイセンに生まれたが、ナチスの反ユダヤ政策のためロシアへ亡命、ムラヴィンスキーの下でレニングラード・フィルの指揮者を務めた。
その間、ザンデルリンクは20歳代から40歳代後半まで当時のソ連で演奏活動をしていたので、思いのほか所謂ロシア物は聴かせる場合が多い。
戦後は東ドイツへ戻り、本盤はもうその頃からかなりの年月を経て、手兵としたベルリン交響楽団というドイツ楽団を振ってのチャイコフスキー後期交響曲集である。
本盤はそういったドイツとロシア、2つの祖国をもつザンデルリンクならではのチャイコフスキーである。
ザンデルリンクのチャイコフスキーは、ドイツ的な堅固な造型の中に、第2の祖国とも言えるロシアの感興が織り込まれた独自の世界を生み出している。
ザンデルリンクは、ムラヴィンスキーの薫陶を受けたというが、ムラヴィンスキーのチャイコフスキーのように引き締まった峻厳な超凝縮型の演奏ではない。
かと言って、同じベルリンのイエス・キリスト教会で3大交響曲を録音したカラヤンのように、劇的で華麗な演奏でもない。
その演奏の性格を一言で表現すれば、いかにもドイツ人らしい厳しい造型の下での重厚な演奏ということになるのであろう。
テンポはきわめて遅いが、他のドイツ系の指揮者、たとえばベームのような野暮ったさは全く感じさせない。
したがって、最大公約数的には良い演奏には違いないのだが、こうしたザンデルリンクのオーソドックスなアプローチだと、チャイコフスキーのような曲の場合、「何か」が不足している感は否めない。
中ではカスタマーレビューにもあるように、最も深刻でない「第5」の評判が高く、深みのある演奏。
他の2曲はその「何か」が不足しているように感じられてならない。
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