2013年04月

2013年04月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ジュリーニは、シューベルトの交響曲第8番「未完成」と第9番「ザ・グレート」を得意としており、「未完成」については、フィルハーモニア管弦楽団(1961年)、シカゴ交響楽団(1978年)、そしてバイエルン放送交響楽団(1993年ライヴ)との演奏、「ザ・グレート」については、ロンドン・フィル(1975年ライヴ)、シカゴ交響楽団(1977年)、そしてバイエルン放送交響楽団(1993年ライヴ)との演奏といった数多くの録音が遺されており、いずれ劣らぬ名演と言えるところだ。

若き日のフィルハーモニア管弦楽団との演奏やオーケストラの力量にいささか難があるロンドン・フィルとの演奏は別として、本盤のベルリン・フィルとの両曲の演奏は、シカゴ交響楽団との録音とほぼ同じ時期のものである。

そして、スタジオ録音とライヴ録音の違いはあるものの、演奏内容としてはほぼ酷似していると言えるのではないだろうか。

ジュリーニのこれらの演奏におけるアプローチはきわめて格調が高いものであり、そしてイタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と気品のある優美な極上のカンタービレに満ち溢れた指揮に、堅固な造型と重厚さを兼ね備えたものである。

そして、シカゴ交響楽団との演奏と比較して、本演奏の方は、ライヴ録音ならではの熱気が演奏全体を更に強靭な気迫のこもったものとしており、その圧倒的な生命力に満ち溢れた迫力においては、そしてベルリン・フィルのドイツ風の重厚な音色の魅力も相俟って、シカゴ交響楽団とのスタジオ録音を大きく凌駕していると言える。

また、ジュリーニは前述のように、晩年になってバイエルン放送交響楽団とともに両曲を録音しており、テンポがゆったりとした分だけスケールは大きくなっているが、全体の造型にいささか綻びが見られるとともに、若干ではあるが重厚さよりも優美さに傾斜し過ぎている傾向があることから、筆者としては、本演奏の方をより上位に掲げたい。

いずれにしても、本演奏は、ジュリーニによる両曲の数ある演奏の中でも最高の名演と高く評価したいと考える。

音質についても、今から35年程も前のライヴ録音とは思えないような鮮明な高音質であると評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:43コメント(0)トラックバック(0)シューベルトジュリーニ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ジュリーニは、録音に際して徹底した完成度を追求して臨んだ完全主義者でもあったことから、大指揮者と称される割には録音の点数、そしてレパートリーも、必ずしも数多いとは言い難かった。

マーラーの交響曲についても、全曲を演奏していたわけではなく、遺された録音も第1番、第9番、そして「大地の歌」に限られていたところだ。

このうち、「大地の歌」については、これまでのところベルリン・フィルとのスタジオ録音(1984年)とウィーン・フィルとのライヴ録音(1987年)の2種が発売されていた。

本盤の演奏は、ベルリン・フィルとのライヴ録音であるが、これは前述のスタジオ録音の直前のものである。

同じベルリン・フィルであることや、独唱陣も同一、そして同じベルリン・フィルハーモニーホールでの録音ということであり、演奏内容も同様かというと、必ずしもそうとは言い切れないところである。

確かに、ジュリーニの基本的なアプローチには変更はないと思われるが、スタジオ録音と比較すると本演奏は全体で2分半ほど速くなっており、全体で約60分程度の演奏時間であることに鑑みれば、これはかなりの違いなのではないだろうか。

ジュリーニの本演奏におけるアプローチは、例によってきわめて格調が高いものであり、そしてイタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と気品のある優美な極上のカンタービレに満ち溢れた指揮に、堅固な造型と重厚さを兼ね備えたものである。

そして、前述のスタジオ録音と比較して、本演奏の方は、ライヴ録音ならではの熱気が演奏全体を更に強靭な気迫のこもったものとしており、その圧倒的な生命力に満ち溢れた迫力においてはスタジオ録音を大きく凌駕している。

独唱陣も、メゾ・ソプラノのブリギッテ・ファスベンダー、テノールのフランシスコ・アライサともに最高の歌唱を披露しているのも素晴らしい。

いずれにしても、本演奏はジュリーニの卓越した指揮芸術を堪能できる至高の名演と高く評価したい。

なお、1987年のウィーン・フィル盤との優劣の比較は困難を極めるところであり、ウィーン・フィルならではの美演に鑑みればウィーン・フィル盤の方に軍配を上げたくなるが、当該盤は低音の過度のカットで悪名高いオルフェオレーベルであり、音質面を考慮に入れると両者同格の名演であると考えるところだ。

そして、本盤の音質については、今から30年近く前のライヴ録音とは思えないような鮮明な高音質であると評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:23コメント(0)トラックバック(0)マーラージュリーニ 

2013年04月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヤンセンは、チャイコフスキーの協奏曲やヴィヴァルディの「四季」の超個性的な名演の印象があまりにも大きいため、本盤を聴くに際しても、そうした超個性的な演奏を大いに期待した。

しかしながら、ベートーヴェンの協奏曲では、個性を封印し、落ち着いた大人の演奏を繰り広げている。

まるで肩すかしを喰った感じだ。

もちろん、随所に見られる極上の旋律美の歌わせ方は実に美しく、さすがと思わせる箇所も散見されるが、ヤンセンならば、もう少し踏み外しも期待したいところではないだろうか。

むしろ、ヤンセンらしさが見られるのはブリテンの協奏曲の方ではないかと思う。

筆者としても、ブリテンの協奏曲の演奏の方を名演としてより高く評価したい。

寡聞にしてブリテンに魅力的なヴァイオリン協奏曲があることを知らなかった。

比較対象を聴いていないが、素晴らしい演奏だと思った。

何よりもヤンセンのこの曲への思いが、強烈なパッションとして胸を打つ。

ベートーヴェンは本人が言うとおり「P・ヤルヴィ&カンマーフィルとのスタイルの違いが心配だった」という尤もな懸念があったものの、「案じるより生むが易し」という結果になった。

P・ヤルヴィの筋肉質、透明で強固なオケのプラットフォームの上でヤンセンは安心して跳ね回ることが出来てるばかりでなく、両者の個性を殺さぬ範囲での歩み寄りも出来た感がある。

P・ヤルヴィのサポートは、両曲ともに見事であり、ヤンセンのヴァイオリンを巧みに引き立てている。

ピリオド楽器を使用しているのがわかる箇所もあるが(特に、ベートーヴェン)、それを殊更に強調せず、あくまでも音楽の自然な流れを重視している点に好感が持てた。

録音は実に鮮明で素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンヤルヴィ 

2013年04月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



極上の高音質SACDの登場だ。

この演奏には、これまでマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD盤が登場していたが、当該盤は、マルチチャンネルの質があまり良くなく、やや焦点のぼけた音質とあいまって、臨場感にいささか欠ける面があった。

ところが、今回のSHM−CD仕様のシングルレイヤーSACDはそもそも次元が異なる音質と言える。

同じSACDでもここまで違うとは信じられないほどだ。

マルチチャンネルは付いていないが、音場が拡がる素晴らしい臨場感といい、音質の鮮明さといい、これ以上は求め得ないような究極の高音質CDと言えるだろう。

アルプス交響曲の高音質CDとしては、数年前に発売されたヤンソンスのマルチチャンネル付きSACDがあるが、マルチチャンネルが付いていないことを考慮すれば、本盤と同格の音質と言えよう。

演奏も素晴らしい名演。

ティーレマンは持ち前の技量で、情熱的かつ、劇的な音楽を展開させている。

そして何よりも、ウィーン・フィルの美音を存分に味わうことができるのが本演奏の最大の魅力だ。

ティーレマンも聴かせどころのツボを心得た見事な指揮ぶりであり、最近急増しつつあるアルプス交響曲の名演の中でも、トップの座を争う名演として高く評価すべきものであると考える。

併録の「ばらの騎士」組曲も名演。

これを聴くと、ティーレマンが、オペラハウスから叩き上げてスターダムにのし上がっていくという、独墺系の指揮者の系列に連なる指揮者であることがよく理解できる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:33コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスティーレマン 

2013年04月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



小林研一郎がついにベートーヴェンの交響曲全集に着手した。

小林研一郎は、もともとレパートリーの少ない指揮者であり、新しい楽曲に挑戦する際には常に慎重な姿勢で臨むのを旨としてきた。

もっとも、ひとたびレパートリーとした楽曲については、それこそ何度も繰り返し演奏することによって、よりレベルの高い演奏を目指すべく研鑽を積んできた。

チャイコフスキーの交響曲(特に「第5」)にしても、マーラーの交響曲(特に「第1」、「第5」、「第7」)にしても、ベルリオーズの幻想交響曲にしても、名演が多いのはそうした理由によるところが大きい。

ベートーヴェンについては、これまで何度か演奏したことはあるのだろうが、既発CDは日本フィルとの「第9」のみ(2005年)(ライナーノーツの平林氏の解説によると、「エロイカ」のLPがあったようであるが未聴)。

したがって、今般の全集は、70歳という古希を迎えた小林研一郎が満を持して臨む一大プロジェクトと言えるだろう。

第1弾は「エロイカ」ということであるが、今後の続編に大いに期待できる素晴らしい名演と高く評価したい。

テンポは意外にも非常にゆったりとしたものであるが、随所にテンポの変化や思い切った強弱を施すなど、とても一筋縄ではいかない。

小林研一郎ならではの生命力溢れる畳み掛けていくような力強さも健在である。

また、重心の低い潤いのある音色が全体を支配しているのも本名演の魅力の一つであり、木管楽器や金管楽器(特にホルン)なども抜群の上手さを誇っていると言える。

これは、小林研一郎の圧倒的な統率力もさることながら、チェコ・フィルの類稀なる力量によるところも大きいと考える。

SACDによる極上の高音質録音も、本名演に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:22コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン小林 研一郎 

2013年04月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは素晴らしい名演だ。

ロシア人の指揮者によるブルックナーと言えば、ロジェストヴェンスキーによる全集や、「第7」〜「第9」の録音を遺したムラヴィンスキー盤、そして当時の手兵ソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)と「第8」を録音したスヴェトラーノフによる1981年盤(ライナーノーツによると、「第9」の終楽章のスタジオ録音などがあるようであるが、未聴)が思い浮かぶ程度。

それ以外にもあるのかもしれないが、マーラーとは異なり、ブルックナーとはあまり縁があるとは言えないのではないか。

これらロシア人の指揮者による演奏の中では、私見ではあるが、ムラヴィンスキーの演奏のみが名演の名に値すると言えるものの、それ以外は、スヴェトラーノフ盤も含め、面白くはあるが今一つの演奏であると考えている。

ところが、本盤は、1981年盤(第8)における、力で押し切っていくようなタイプの演奏とは別人のような成熟した演奏を聴かせてくれているのが素晴らしい。

ゆったりとしたインテンポによる、いわゆる粘着質の演奏ではあるが、例えば、本CDと同時発売されたローマ3部作のような大仰な印象は全く受けない(ローマ3部作ではそうした大仰さがプラスに働いているが)。

また、スヴェトラーノフは金管楽器を最強奏させているが、いささかも無機的には陥ることはなく、弦楽器なども重量感溢れる実に深みのある音色を出している。

まさに、同じスタイルによる名演であるジュリーニ&ウィーン・フィル盤にも比肩するスケール雄大で重厚な名演と高く評価したい。

これは、スヴェトラーノフによる指揮の力も大きいとは思うが、それ以上に、最高のパフォーマンスを持ってスヴェトラーノフの巨大とも言える音楽を描出したスウェーデン放送交響楽団の力量によるところも大きいと考える。

録音も素晴らしい高音質であり、このような名演を鮮明な音質で味わえることを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:45コメント(0)トラックバック(0)ブルックナースヴェトラーノフ 

2013年04月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



壮絶な超名演だ。

テンシュテットは、1970年代の後半から1980年代の中頃にかけて、手兵のロンドン・フィルとともにマーラーの交響曲全集(スタジオ録音)を完成させた。

その中でも、「第8」(1986年録音)は全集の有終の美を飾る名演として特に高い評価を得てきたが、本盤は、それを更に上回る感動的な超名演だ。

ライヴ録音特有のオーケストラ演奏の瑕疵も一部に聴かれるなど、演奏全体の安定性といった観点からは1986年盤の方を採るべきであろうが、本盤の超名演を聴き終えた後の深い感動からすれば、そのような瑕疵など全く問題にならない。

テンシュテットは、前述の全集の完成直後に咽頭がんを患い、闘病生活を経て奇跡的な復帰を遂げたが、その後は健康状態がいい時に限ってコンサートが行われた。

したがって、コンサートの数は限られたが、それだけにそのコンサートの一つ一つが命がけのものであった。

その命がけのコンサートの記録の一部が既に発売されており、こうして発売された「第1」、「第2」、「第5」、「第6」、「第7」のライヴ録音(EMI、LPO自主レーベル)は、いずれ劣らぬ壮絶な超名演であった。

マーラーは、愛娘の死などの経験から死を異様なまでに恐れたが、その一方で、人一倍楽天家でもあった。

そうしたマーラーの特異な性格は楽曲にも反映されることになり、その交響曲の本質は、他にもいろいろと考えられるが、基本的には、死との闘いと生への憧憬や妄執にあったと言える。

テンシュテットの晩年の心境は、マーラーの交響曲の本質と見事に合致するところがあり、このような指揮者と作曲者の心身の一体化が、かかる超名演を生み出す原動力になったものと考える。

本盤も、そうした一連の超名演に連なるものだと言える。

思い切ったテンポ設定の変化といい、幅の広いダイナミックレンジといい、テンシュテットのドラマティックな指揮ぶりは際立っているが、その壮絶な命がけの演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力に満ち溢れている。

テンシュテットの壮絶な指揮の下、ロンドン・フィルも、そして合唱団や独唱陣も最高のパフォーマンスを示しているのも素晴らしい。

録音も鮮明であり、申し分のないレベルに達していると言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:26コメント(0)トラックバック(0)マーラーテンシュテット 

2013年04月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



素晴らしい名演だ。

マルケヴィチによるチャイコフスキーと言えば、死の2カ月前にNHK交響楽団を指揮して演奏した「悲愴」の超名演が忘れ難いが、その名演のルーツは、壮年期にロンドン交響楽団を指揮して完成させた、本盤に収められた全集にあると言える。

本全集は、かつてフィリップスから発売され、長らく廃盤になっていた(数年前には、その一部が国内盤で発売されたが)。

筆者も、それを所有していたが、CD初期の発売でもあり、当時添付されていたスポンジがCDのレーベル面に付着して、事実上使用不可能になってしまったことから、今回の再発売を機に買い直すことにした。

それにしても、本盤が、発売後、あっという間に入手不可になってしまったというのは、本全集がファンの間で高く支持されている証左と言えるのではないか。

マルケヴィチのチャイコフスキーはとにかく個性的だ。

各楽器の効果的な生かし方やリズムの刻み方、アッチェレランドを含む思い切ったテンポ設定の変化など、あらゆる表現を駆使しており、まさに鬼才の名に相応しい至芸を披露していると言える。

例えば、「第1」の終楽章や「第2」の第1楽章の対旋律の絶妙な生かし方など、はじめて耳にするような新鮮さだ。

それでいて、全体の造型は非常に引き締まったものがあり、その凝縮化された厳格とも言うべき造形美は、かのムラヴィンスキーにも匹敵すると言っても過言ではあるまい。

楽曲によっては、あくまでも他の交響曲の演奏との比較論であるが、「第1」や「第2」のように、洗練された優美さを誇る名演もある一方で、金管楽器の思い切った最強奏(例えば「第4」の第1楽章及び終楽章、「第5」の第1楽章、第2楽章及び終楽章、「悲愴」の第1楽章及び第3楽章など)、ティンパニの迫力満点の強打など、スヴェトラーノフや後年のゲルギエフも顔負けの、ロシア風の土俗的なあくの強さも健在であるが、それらを完璧に音化したロンドン交響楽団の卓抜した技量も大いに賞賛に値すると言える。

録音も、1960年代のものとは思えないような鮮明なものだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:24コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー 

2013年04月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ピアノ、指揮者、オーケストラ、そして録音の4拍子が揃った稀有の名演である。

従来のピアノ協奏曲の録音だと、ピアノが主導権を握って指揮者&オーケストラは伴奏に徹するか、それとも、指揮者が大物であることもあって、ピアノがオーケストラの一つの楽器として埋没してしまうか、はたまた指揮者とピアニストが火花を散らし合ういわゆる競争曲になるケースが多いのだが、本盤の場合は、ピアノと指揮者&オーケストラが同格であり、両者が一体となって音楽を作り上げているのが素晴らしい。

先ずは、グードのピアノであるが、その微動だにしない堂々たるピアニズムを高く評価したい。

峻厳たる造型の構築力にも秀でたものがあり、強靭な打鍵は地の底まで響かんばかりの圧巻の迫力がある。

スケールも雄大であり、その落ち着き払った威容には、風格さえ感じさせる。

他方、ピアノタッチは透明感溢れる美しさを誇っており、特に、各曲の緩徐楽章における抒情的なロマンティシズムの描出には抗し難い魅力を湛えていると言える。

技量にも卓越したものがあるのだが、上手く弾いてやろうという小賢しさは薬にしたくも無く、一音一音に熱い情感がこもっており、技術偏重には決して陥っていない。

この風格豊かで、内容の濃いグードのピアノに対して、フィッシャーも一歩も譲っていない。

いわゆる古楽器奏法を行っているのだが、音楽は実に豊かに流れる。

強弱の絶妙な付け方といい、楽器の効果的な生かし方といい、フィッシャーの音楽性の豊かさや表現力の桁外れの幅の広さを大いに認識させられるところであり、これまでのベートーヴェンのピアノ協奏曲の演奏では聴かれなかったと言っても過言ではないほどの至高・至純の美しさを湛えていると言える。

ブダペスト祝祭管弦楽団も、フィッシャーの指揮の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。

録音はこれまた極上であり、グードのピアノタッチや、フィッシャー&ブタペスト祝祭管弦楽団の最美の演奏を鮮明な音質で味わえる点も高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン 

2013年04月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラトル&ベルリン・フィルの好調ぶりがうかがえる素晴らしい名演だ。

ラトルもベルリン・フィルの芸術監督就任後数年間は、ベルリン・フィルの掌握にかなり苦しんだと思われるが、一昨年のマーラーの交響曲第9番あたりから、漸くその掌握に成功し、名演の数々を繰り広げるようになった。

ベルリン・フィルも、アバド時代から続いていた世代交代が漸く一段落し、かつての輝きを取り戻してきたように思われる。

その意味では、今や、ラトル&ベルリン・フィルは最も実り多き黄金時代に突入したと言えるだろう。

歌劇「子供と魔法」は、ラトルの作品の本質に切り込んでいく鋭いアプローチが光る。

当該オペラは、表面上は、あくまでも子供を主人公としたコメディであるが、その内実はとてもコメディには分類し切れない、人の深層心理を様々な動物や物質を活用して風刺するという、心眼を覗きこむが如き奥深い内容を有した作品と言える。

ラトルは、思い切ったテンポの緩急や、幅広いダイナミックレンジの活用などを駆使して、ドラマティックに作品を描出しており、作品に内在する本質を捉えた深みのある濃密な名演に仕立てあげた点を高く評価したい。

ラトルの卓越した統率の下、ベルリン・フィルも圧巻の技量を披露していると言える。

コジェナーやジョセ・ヴァン・ダムなどの一流の歌手陣は圧倒的な歌唱を披露しており、ベルリン放送合唱団も最高のパフォーマンスを示していると言える。

バレエ「マ・メール・ロワ」も素晴らしい名演。

我々聴き手は、どうしてもラヴェルの華麗なオーケストレーションに耳が奪われがちになるが、ラトルは、同曲に内在する憂いの描出にもいささかの抜かりはなく、彫りの深い情感豊かな音楽の構築に成功している点を高く評価したい。

ここでも、ベルリン・フィルは卓越した技量を披露しており、そのあまりの上手さには唖然とするほかはないほどだ。

HQCD化によって、音質は鮮明であるとともに音場に広がりがあるのが実に素晴らしく、本盤の価値を高めるのに大きく貢献していると言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:42コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルラトル 

2013年04月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



小澤は、ドイツ音楽の中ではブラームスを得意としており、特に交響曲第1番については、これまでのところ3種類の録音が確認されている。

師匠でもあるカラヤンが、同曲を名刺代わりとして、数多くの録音・演奏を行ったし、ミュンシュも同曲を得意としたことから、その影響も多少なりともあるのかもしれない。

3種類の中で、圧倒的な名演は、最近発売された大病復帰後の感動的なライヴ録音ということになり、安定感という意味では、2度目のサイトウ・キネン盤ということになる。

では、最初の録音である本盤には魅力がないのかと言うと、必ずしもそうとは言えない。

むしろ、本演奏には、後年の録音には聴くことができない、若き日の小澤ならではの生命力溢れる力強さが漲っており、畳み掛けていくような迫力という意味では、本盤が随一の名演ということになるのではないかと思われる。

第1楽章冒頭の序奏部は、力強くも雄渾な威容を誇っているし、主部に入っても、若干速めのインテンポで曲想をぐいぐいと推し進めていく。

その勢いは圧巻の迫力であり、彫りの深さにおいては後年の録音には劣るとは思うが、決して内容希薄な演奏には陥っていない。

第2楽章は只管美しい。

特に、中間部の弦楽器や木管楽器の艶やかな音色は、まるで、カラヤン全盛期のベルリン・フィルを聴いているような錯覚を覚えるほどだ。

それにしても、若き日に、これほどの味わい深い演奏をできる小澤に対しては、今日の大指揮者小澤への確かな道程を大いに感じるのである。

第3楽章は、木管楽器の生かし方が巧みであるし、中間部を、殆ど気づかれないほどであるが、若干テンポを落として熱く歌い抜くのは実に感動的。

終楽章は、さりげなく開始されるが、その後の高揚への演出効果は抜群。

ホルンの響きは壮麗であり、高弦も実に美しい。

その後は、ゆったりとしたインテンポによる威風堂々たる進軍であり、圧倒的な迫力の下に全曲を締めくくっている。

ボストン交響楽団も、小澤の統率の下、ドイツ風の重厚な音色を出しているのが素晴らしい。

SHM−CD化によって、音質が鮮明であるとともに、音場が拡がる点も高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:51コメント(0)トラックバック(0)ブラームス小澤 征爾 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



素晴らしい名演だ。

名演となった理由は2つあると思われる。

1つ目は、小澤自身がチャイコフスキーを得意のレパートリーとしている点だ。

小澤は、最近ではブラームスなどのドイツ音楽でも名演奏を聴かせてくれているが、もともとはフランス系の音楽やロシア音楽を十八番としていた。

特に、チャイコフスキーは、かつての手兵であったボストン交響楽団とともに、交響曲第5番やバレエ音楽「白鳥の湖」などの名演を生み出しているし、近年の大病復帰後のサイトウ・キネンとの復帰コンサートに選んだ曲は、弦楽セレナードであったことなどからして、小澤としても、かなりの愛着と自信を有しているものと考えられる。

2つ目は、ベルリン・フィルの気迫溢れる名演奏だ。

当時のベルリン・フィルは、カラヤンとの関係が決裂寸前の状態にあり、カラヤンの高齢もあって、ポスト・カラヤンが現実味を帯びていた。

そのような状況の下、カラヤンの後継者たる可能性のある指揮者の下では、カラヤンへの対抗意識もあって、圧倒的な名演を成し遂げることが多かった。

本盤などまさにその最たる演奏の一つであり、一糸乱れる精緻なアンサンブル、重量感溢れる低弦の厚み、金管楽器や木管楽器の卓抜した技量、ティンパニの圧倒的な迫力など、カラヤン全盛時代にも比肩し得るような圧巻の演奏を行っている。

このように、チャイコフスキーを深く愛するとともに自家薬籠中にする小澤と、超絶的な気迫溢れる名演奏を繰り広げるベルリン・フィルの絶妙の組み合わせによる演奏が、名演にならないわけがない。

小澤としても、ベストの状態にあった史上最高のオーケストラを得て行った会心の名演と言っても過言ではないのではないか。

SHM−CD化によって、音質に鮮明さが増すとともに、音場がより広くなった点も高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:25コメント(2)トラックバック(0)チャイコフスキー小澤 征爾 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



若き日の小澤による爽快な名演だ。

小澤は、フランス系の音楽を十八番とするとともに、ロシア音楽を得意としている。

特に、チャイコフスキーには特別な愛着を抱いているようで、昨年の手術後の復帰の際の、サイトウキネンオケとのコンサートの演目に、弦楽セレナードを選んだほどだ。

チャイコフスキーの「第5」については、後年にベルリン・フィルと再録音しており、当該盤は、ベルリン・フィルの卓抜した力量もあって、素晴らしい名演であった。

したがって、小澤のチャイコフスキーの「第5」といえば、後年のベルリン・フィル盤の方をより上位に置くべきであるが、本盤には、後年のベルリン・フィル盤とは違った魅力があると言える。

それは、生命力に満ち溢れた圧倒的な力強さであり、特に、第1楽章や終楽章等におけるトゥッティに向けた、アッチェレランドなどを駆使した畳み掛けるような気迫においては、新盤を大きく凌駕していると言える。

また、チャイコフスキーだからと言って、重々しくなり過ぎるということはいささかもなく、洗練された優美さが全体を支配しており、その音楽の流れのよどみのなさは爽快とも言えるほどだ。

もちろん、洗練されている、爽快であると言っても、軽妙浮薄などと言った愚に陥ることはなく、どこをとってもコクのある濃密な音楽が紡ぎ出されている点も高く評価したい。

総じて、いい意味での剛柔バランスのとれた名演と言えるのかもしれない。

ボストン交響楽団も、小澤の気迫溢れる統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言えるが、特に、第2楽章の首席ホルン奏者であるカヴァロフスキのホルン・ソロは極上の美しさだ。

SHM−CD化によって、音質は鮮明になるとともに、音場は明らかに広くなっており、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:13コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー小澤 征爾 

2013年04月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



組曲「惑星」や、ブラスバンドのための組曲第1番、第2番のみがあまりにも有名で、他の数多くの諸作品が殆ど無視されているホルストの管弦楽作品を世に知らしめるという意味でも、大変に意義のある本CDの登場を先ずは大いに歓迎したい。

加えて、本CDは、ヒコックスの最後の録音ということであり、イギリス音楽の国際的認知に多大な貢献してきたヒコックスとしても、その集大成と言える畢生の名演と言える。

筆者としては、いずれの楽曲も、かつてグローヴス盤やプレヴィン盤等で聴いて以来、久々に耳にすることになったが、素晴らしい名作との感想をあらためて抱くことになった。

これには、ホルストの作品の質の高さもさることながら、ヒコックスの卓越した指揮によるところも大きいのではないかと考える。

最初の歌劇「どこまでも馬鹿な男」については、当該歌劇の中からバレエ音楽を抜粋したものであるが、劇的な迫力から繊細な抒情に至るまで実に多面的な表情を見せる内容豊かな作品であり、歌劇全体に聴き手をいざなっていくという意味でも、見事な抜粋であると言える。

「金色のガチョウ」は、随所に聴かれる惑星のような華麗なオーケストレーションにどうしても耳が奪われがちであるが、それ以上に合唱が美しさの極み。

その合唱の美しくも壮麗な威容は、あたかもイギリスの教会の中で鑑賞しているかのような錯覚を覚えるほどだ。

バレエ音楽「ルール」は、場面毎の感情の起伏が激しい劇的な名作であるが、ここでも、ホルストの華麗なオーケストレーションは健在だ。

「新年の朝」は、冒頭のホルンと低弦等による深みのある音楽が印象的。

そこにどこからともなく入ってくる清澄な合唱は、木漏れ日の光のような繊細な美しさで、あらためて、ホルストの作曲技法の巧みさを認識させられる。

その後は、どちらかと言うと静寂が支配する楽曲ではあるが、合唱は「金色のガチョウ」と同様で美しさの極みであり、華麗なオーケストレーションと相俟って、至高・至純の音楽を構築していると言える。

録音も素晴らしい。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音によって、ホルストの華麗なオーケストレーションや壮麗な合唱を鮮明な音質で味わうことができるのも、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している点を忘れてはなるまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:16コメント(0)トラックバック(0)ホルスト 

2013年04月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



若き小澤の会心作だ。

先ずは、『ロメオとジュリエット』について作曲された傑作を3曲ラインナップしたカップリングが素晴らしいが、ライナーノーツの解説によると、これは小澤自身の提案によるものということであり、小澤の抜群のセンスの良さを大いに感じることができる。

チャイコフスキー、プロコフィエフ、ベルリオーズという、いずれも小澤が最も得意とした作曲家の手による作品であり、これらをDGデビュー第1弾にラインナップした点にも、小澤の並々ならない意欲が感じられる。

後年にも再録音を行った楽曲が揃っており、円熟という意味では後年の録音の方をより上位に置くべきであるが、本盤には、若き日の小澤ならではの生命力溢れる力強さが漲っており、作品の核心に切れ味鋭く踏み込んでいく燃焼度の高さにおいては、本盤の方を採るべきであろう。

例えば、チャイコフスキーでは、あたかもライヴ録音を彷彿とさせるような、思い切った緩急自在のテンポ設定や幅広いダイナミックレンジを駆使しており、トゥッティにおける金管楽器の最強奏や雷鳴のようなティンパニ(特に終結部が圧巻の凄まじさ)は迫力満点であるが、楽曲全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、驚異の至芸と言える。

プロコフィエフでは、後年の録音よりも、やや速めのテンポでドラマティックに曲想を巧みに描き出していく。

特に、切れ味鋭いリズム感は圧巻の凄まじさであり、その畳み掛けていくような緊迫感は、若き小澤だけが醸成し得た稀有の音楽性の賜物と言える。

ベルリオーズでは、一転して情感豊かな美しさが際立っており、小澤の表現力の幅の広さを認識させてくれる。

サンフランシスコ交響楽団も若き小澤の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。

SHM−CD化によって、音質に鮮明さと強靭さを増した点も高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:54コメント(0)トラックバック(0)小澤 征爾 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



小澤征爾が1970年代にサンフランシスコ交響楽団と録音したアメリカ音楽作品集。

まず何よりも素晴らしいのは、SACD&SHM−CDによる極上の高音質であろう。

1970年代の録音であり、今から40年程前の録音であるが、あたかも眼前で演奏しているかのような鮮明な音質に蘇っているのには、正直言って大変驚いた。

いずれも現代音楽をカップリングしているが、ハーモニカ、エレクトリック・ピアノ、エレキ・ギター、ベース、ドラムスなどの音が、オーケストラの音とは完全に分離して、きわめて鮮明に聴こえる点は驚異的ですらある。

ユニバーサルは、一昨年からこのSACD&SHM−CDシリーズを発売し続けているが、本盤は、その中でも、かなり上位にランキングされる高音質を誇っているのではないかと考える。

演奏内容も素晴らしい。

これは、小澤の若き時代の演奏であるが、現在の大指揮者小澤への発展を十分に予見し得るような、実に才気あふれる名演揃いであると言える。

最近では、ブラームスなど、ドイツ音楽でもレベルの高い名演を行うようになった小澤であるが、もともとは、本盤のような現代音楽やフランス系の音楽を十八番にした指揮者であった。

本盤のような名演を聴いていると、小澤のそうした楽曲への適性が実によくわかる。

いずれも、ジャズとクラシック音楽の垣根があまり感じられない作品であるが、小澤は、各曲を実に切れ味鋭く巧みに描き出していく。

サンフランシスコ交響楽団も、若き小澤に引っ張られるように、最高のパフォーマンスを示しており、コーキー・シーゲルによるハーモニカやピアノ、シーゲル=シュウォール・バンドの各奏者の卓抜した技量も、本名演に大きく貢献している点を忘れてはなるまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:48コメント(0)トラックバック(0)ガーシュウィン小澤 征爾 

2013年04月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈には、コンサートの記録や遺された録音の数からしても、どうしてもブルックナー指揮者としてのイメージが拭えない。

確かに、朝比奈のブルックナーには名演が多く、特に、最晩年の演奏は神々しささえ感じさせる至高・至純の名演揃いであった。

では、朝比奈は、マーラーを無視していたかというと、決してそのようなことはない。

確かに「第1」は、記録によると演奏した形跡すらないようであるが、「第2」以降の交響曲は、コンサートでも相当回数採り上げ、かなりの点数のCDが発売されているという厳然たる事実を見過ごしてはならないだろう。

特に、本盤の「第2」や「大地の歌」、「第9」等では、複数の録音が存在するなど、意外にもマーラーに対して一見識を持っていたのではないかとさえ思うほどだ。

朝比奈のマーラーへのアプローチは、他のマーラー指揮者とはまるで異なる。

荘重な微動だにしないインテンポで、マーラーがスコアに記したすべての音符を一音たりとも蔑にせずに音化していくというものだ。

その意味では、朝比奈は、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーの交響曲に対するのと同様のアプローチで、マーラーの交響曲を指揮していることになる。

それ故に、マーラーの交響曲が含有する劇的な要素などの描出にはいささか不十分な面もあると思うが、スケール雄大な壮麗さや、音楽の内面を抉り出していくような精神的な深みにおいては、他のマーラー指揮者による名演と互角に渡り合えるだけの豊かな内容を兼ね備えていると言える。

本盤も、そうした朝比奈の真摯なアプローチによる壮麗な名演であり、その圧倒的な生命力や力強さにおいては、1990年代の後年の録音(ポニーキャノン)よりも上位に置かれるべきものと考える。

大阪フィルも朝比奈の指揮の下、素晴らしい演奏を展開しており、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを示していると言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:07コメント(0)トラックバック(0)マーラー朝比奈 隆 

2013年04月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフの交響曲第2番は、今や多くの指揮者によるレパートリーとされている。

ヤンソンスもその例にもれず、本盤を含めた全集を完成している。

ただ、演奏が優れているかどうかと言うと、筆者としてはいささか疑問に思う点がないわけではない。

良く言えば、サンクトペテルブルク・フィルの剛健にして緻密な響きにヤンソンスの粋なセンスが加わり、ラフマニノフの交響曲から、洗練された芳醇なロシア的ロマンティシズムが香ってくる演奏。

しかしおそらくは、現在の円熟の境地にあるヤンソンスならば、もっと充実した演奏が出来たのではないかとさえ思う。

それくらい、この「第2」は、イマイチなのだ。

何が物足りないかと言うと、アプローチに一貫性がないという点である。

「第2」の演奏様式としては、ロシア音楽としてのあくの強さを強調した演奏(スヴェトラーノフやゲルギエフなど)と、20世紀の音楽を意識した洗練された演奏(デュトワなど)に大きく分かれると考えているが、ヤンソンスの演奏は、どっちつかずなのである。

冒頭の開始部は、どの演奏よりもスローテンポで開始され、これはロシア的な情緒を全面に打ち出した演奏かと思うと、主部に入ると一転して颯爽とした洗練の極み。

このようなどっちつかずの演奏が、全曲を支配していると言えるところであり、これでは中途半端のそしりは免れないと言える。

むしろ、併録の「スケルツォ」や、特に、「ヴォカリーズ」は、ラフマニノフの美しい旋律を徹底的に歌い抜いた名演と高く評価したい。

ラフマニノフ最初の管弦楽作品である「スケルツォニ短調」も聴きものだ。

HQCD化によって、音質が鮮明になった点は評価できる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフヤンソンス 

2013年04月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



モーツァルトの没後200年の命日のミサの貴重な記録である。

この記念碑的なミサの指揮者を託されたのがショルティというのは、当時のショルティの置かれた立場がよくわかって大変興味深い。

本盤の2年前にはカラヤン、そして1年前にはバーンスタインが鬼籍に入っており、仮に両者が生きていれば、先ずはカラヤン、そしてバーンスタインが、その指揮者に選ばれたことは必定であるからだ。

ショルティとウィーン・フィルの相性は最悪だったということであるが、この記念碑的なミサの指揮者として、アバドやムーティなどでは役不足ということであったのだろう。

しかしながら、ここでのショルティは、極力自我をおさえて、抑制的な指揮を行っている。

いつもの力づくのショルティは影を潜め、むしろ、ウィーン・フィルの演奏に合わせているような印象を受ける。

聖シュテファン大聖堂の残響をも意識しているかのようで、若干の速めのテンポとオーケストラの最強奏の可能な限りの抑制が、けがの功名とも言えるかもしれないが、近年の古楽器奏法に通じるような新鮮な音楽の構築に繋がっているとも言える。

ショルティが、このような演奏様式を意識的に行ったのかどうかはわからないが、本盤を聴く限りにおいては、ショルティの新境地と言ってもいいのではないだろうか。

独唱陣も合唱団も、ショルティの指揮の下、最高のパフォーマンスを示しており、悲哀感を漂わせる清澄な独唱、祈りの心を込めて真摯に歌い上げる壮麗な合唱、そして重厚な響きのオーケストラが織りなす祈りの世界が繰り広げられている。

それに教会の鐘の音色など、記念碑的なミサの雰囲気が伝わってきて、実に感動的だ。

ロビンズ・ランドンの校訂版による演奏。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:11コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトショルティ 

2013年04月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2001年4月20日、ジュゼッペ・シノーポリは『アイーダ』の演奏中に心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。

ドラマチックな最期を遂げた彼を語る上で、まず真っ先に思い起こされる究極のレパートリーといえば、当時の手兵フィルハーモニア管と作り上げた全集録音(1985〜94年)と、続くドレスデンとの『大地の歌』(1996年)で知られるマーラーをおいてほかにないであろう。

スタジオ盤より3年あまりを経ての第9交響曲。

1992年以来首席指揮者を務めたシュターツカペレ・ドレスデンとのライヴは、極端なテンポ・ルバートを基調とした主情的なアプローチがいっそうの深化を遂げ、えもいわれぬ官能と陶酔、トロけるような耽美的世界が繰り広げられている。

1993年録音との端的な違いの顕れとしては、第1楽章がおよそ5分、アダージョも2分以上と、すべての楽章の演奏時間が拡大した結果、全曲が10分も長くなっていることが挙げられる。

シノーポリは相変わらずテンポを揺らし、ピアノ指示をフォルテで弾かせてみたりしている。

だがこの演奏はそれが恐ろしいくらいはまっていて、全然違和感がない。

それどころかシノーポリの意図する音楽的解釈がこの交響曲の曲想をピタリと合致している。

フィルハーモニア管盤ではやや空回りしてた感があるが、オケの自力の差だろうか、かなりの説得力をもって語りかけてくる。

一方、当楽団ととりわけゆかりの深いR.シュトラウスはシノーポリが世を去る3ヶ月前のもの。

いくつかのオペラや『英雄の生涯』『アルプス交響曲』など主要な管弦楽作品を録音している当コンビであるが、『死と変容』はこの顔合わせでは初めて。

なるほど『シュトラウスのオケ』シュターツカペレ・ドレスデン。

こちらも匂い立つような色気がそこかしこに充満して、浄化の動機が歌われるあたり時に退廃的な美を醸し出して替え難い魅力がある。

いずれにしてもシノーポリのアクの強さもさることながら、“どこまでも精緻で表情も濃厚”、このオケの底知れぬポテンシャルにはまったく驚かされる。

ここに聴く内容から想像するに、シノーポリ&ドレスデンはまだまだ恐ろしく凄絶な音楽をやってのけたであろうはずで、突然の死が惜しまれてならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:20コメント(2)トラックバック(0)シノーポリマーラー 

2013年04月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このオランダの名門オーケストラとシベリウスの組合せの録音は、ほとんどないと言ってもいいくらいだ(1960年代にジョージ・セルとの録音があったぐらいか)。

理由は歴代の音楽監督(メンゲルベルク、ベイヌム、ヨッフム、ハイティンク、シャイー)がシベリウスを得意とする指揮者ではなかったということも関係しているように思える。

ハイティンク時代に客演し、しばしばこのオーケストラと録音したコリン・デイヴィスはシベリウスを得意とするが、録音はボストン交響楽団と行った。

これについては、コンセルトヘボウ管弦楽団とシベリウスの相性の問題もあったものだと推測できる。

当盤の演奏について一言で言うと、あたたかく春の到来を告げるような伸びやかで平和なシベリウスで、春にぴったりの音楽のような気がする。

北欧の指揮者と北欧のオーケストラの演奏のように、ひんやりとした感触とか贅肉をそぎ落とした厳しさのようなものは皆無と言っていいくらいで、要はシベリウスらしくない演奏と言えるだろう。

それでも、この第2番の演奏は魅力的だ。

コンセルトヘボウ管弦楽団特有の暖色系の音色の弦楽器群や木管楽器のカラフルなソロが耳に心地が良い。

全4楽章を通して耳のご馳走が続くが、特に第1楽章では、その魅力を満喫でき、まさにシベリウスの「田園交響曲」と呼ばれるこの作品に相応しい。

フィナーレにおいては、開放感にあふれた胸のふくらむような楽想にぴったりの演奏で、たっぷりと思う存分に有名な第1主題を歌わせる。

その後のクライマックスまでの劇的な展開、高揚感も素晴らしいとしか言いようがなく、終結部の第1主題の動機は実演で聴いたら鳥肌ものだろう。

世界屈指の音響を誇るコンセルトヘボウ・ホールの響きを生かした録音も素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:58コメント(0)トラックバック(0)シベリウスヤンソンス 

2013年04月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



海外のマーラー・ファンにも大受けだった前作の第7番『夜の歌』に続いて第9番が登場。

この作品は、近年バレンボイムが各国で集中的に取り上げていた作品だけに、第7番をさらに上回る見事な演奏となった。

バレンボイムのここでのアプローチは実にホットなもので、少し前に出た癒し系でソフトなシノーポリ盤とは、テンポ設定や、音質、楽器配置など、いろいろな意味で対照的な演奏となっている。

とにかく実演の興奮の伝わる迫力満点の仕上がりとなっており、第2ヴァイオリンを右側に置いた対向配置ならではの立体的な音響効果もあって、作品の対位法的な魅力や和声構造の面白さを如実に分からせてくれるのが嬉しいところであるが、やはり凄いのはそのドラマティックでテンションの高い音楽づくりであろう。

第1楽章ではその激しい盛り上がりに驚かされるが、一方では、重要な意味合いを持つ室内楽的な部分も大変に充実している。

シュターツカペレ・ベルリンの面々は、どこをとっても深い共感を感じさせる心のこもった演奏を行なっていてとても魅力的。

第2楽章も通常のひなびた演奏とは大きく異なる過激なレントラーぶりが面白く、アクセント強調などによって高められたコントラストもたいへんに効果的。

マーラーが最後まで順番設定に悩んだという並列的なエピソードを、とにかく飽かせず聴かせる見事な演奏である。

第3楽章はさらに強烈で、マーラーがこの楽章に込めた現世への激しい苦悩と彼岸への憧憬、そしてもはや甘美に思い起こすことさえできなくなったノスタルジー、といった諸要素をバレンボイムは荒々しいまでにがむしゃらに突進して表現し、なおかつ各パートをそれぞれ主張させ、複雑で立体的で峻烈なテクスチュア造形を行なった刺激的な音楽として聴かせてくれる。

続く第4楽章も聴きもの。

ここではきわめて濃厚な情念が示されているが、しかしそれは通常よく聴かれる感傷的で平坦なものでは決してなく、うなりをあげるコントラバスに象徴されるように、大きく波打つホットな音楽が志向されているのだ。

コーダ(19:11-)ではもちろん澄んだ美しさが支配的だが、そこに至るまでの道のりでは、バレンボイム指揮するシュターツカペレ・ベルリンの場合、生々しい情感と激しい葛藤や相克が強く表されており、改めて作品本来の姿を示してくれた演奏として、軽い疲労感さえ伴うほどの深い感動を与えてくれる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:43コメント(0)トラックバック(0)マーラーバレンボイム 

2013年04月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ハイドシェックとケーゲル、一見水と油のように思われるかもしれないが、経験豊富なケーゲルゆえに上品で的を得た伴奏振りで奇才ハイドシェックをサポートしている。

ハイドシェックの個性豊かな表現にぴったり寄り添うさまは、暴君ケーゲルのもうひとつの特徴でもある。

ハイドシェックの演奏は個性的というか癖があるので、筆者もハイドシェックの演奏全てが好きという訳ではないが、この第22番は素晴らしいと思う。

モノーラルなのが残念だが、ピアノの音は綺麗で、所々で夢心地にさせられる。

ハイドシェックのモーツァルトのピアノ協奏曲では、ヴァンデルノート指揮の第23番と共に筆者の愛聴盤である。

第40番はPILZ盤より、ずっと年代の新しい演奏で別人のような仕上がりのよさを見せている。

筆者もさまざまな第40番を聴きあさったが、それらの中にあって、このケーゲル盤も耳にする価値の十分ある1枚と言える。

基本的にはクールで、音のタッチは冷たいが、その中に一本キリリと通った意思の強さに襟を正されるような重みがある。

テンポは普通かやや速めで、切り詰められたオケを自在に操り、研ぎ澄まされた演奏を聴かせる。

特にメヌエットの独創的解釈は故ヴァントと並ぶもので、ケーゲルが自殺を思いとどまり、今なお健在ならばと悔恨を新たにさせられる。

モーツァルトの音楽の即興性とか微笑みとかを期待する向きには薦められないかもしれないが、他では聴けない独特の味わいがあるのは確か。

是非一聴を薦めたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:09コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトケーゲル 

2013年04月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラトルが、ベルリン・フィルの芸術監督に就任する頃に、ウィーン・フィルと録音したベートーヴェンの交響曲全集からの1枚だ。

筆者は、どうもこの当時のラトルをあまり評価していない。

バーミンガム市響(一部はフィルハーモニア管)と数々の録音を行っていた若き日のラトルは、生命力に満ち溢れた名演の数々を生み出して素晴らしいし、ここ数年のラトルも、大指揮者の風格を漂わせた円熟の名演を聴かせるようになっており、これまた高く評価している。

しかしながら、ベルリン・フィル就任後数年間は、気負いもあったのだとは思うが、意欲が空回りするケースが多く、数々の凡打を繰り返していたのではないかと思う。

このベートーヴェンの全集も、筆者は、筋の通っていない演奏であると考えている。

各交響曲によってアプローチの仕方が全く変わるのだ。

そうしたやり方もあるのかもしれないが、筆者に言わせれば、ラトルのベートーヴェンの交響曲に対する考え方、見解が固まっていないのではないかと思われる。

本盤の「第9」も、総体としては巨匠風のアプローチだ。

しかしながら、終楽章の合唱(特に終結部)に見られるような不自然なアクセントなど、見方によっては個性的とも言えるが、筆者に言わせれば、単なる恣意的なあざとさしか感じさせない。

新機軸を打ち出そうという焦りなのかもしれないが、少なくとも芸術性からは程遠いと言える。

もちろん、筆者は、ラトルの才能を微塵も疑っていない。

もし、現在、ベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲全集を録音すれば、間違いなく素晴らしい名演を成し遂げるものと固く信じている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:51コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンラトル 

2013年04月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ショルティらしく新古典主義的な様式感を根底においたマーラーだ。

いかにもショルティらしい精緻な表現で、きちっとまとめあげているが、そのなかにも、楽曲のこまやかなニュアンスを巧みに表出しており、ショルティの円熟味が感じられる。

一種の正確さとマーラーの美が厳しく引き締まった音楽を作り上げており、随所に示された繊細な感性とロマンの美は、ショルティの音楽的円熟の証明である。

デルネシュの独唱も深い共感に満ちている。

この演奏を「燦然たる音の饗宴」と称したのは故柴田南雄氏である。

氏は、エレクトロニクスに毒された現代の一面しか表現していないと、この演奏に否定的であった。

しかし、やがて私の時代が来ると常々マーラーが語っていたという、まさにその「時代」とは、文明が高度化し人間関係が希薄になった現代のことを指しているとも言えるのではないか。

そういう見地に立ってこの演奏を聴くと、この演奏こそ現代そのものではないかと思えてくる。

それにしても、シカゴ響の圧倒的な技量とショルティの抜群の統率力を何と評すればいいのか。

マーラーというと「多層性」とか「内的分裂」とか「苦悩」とかを表現しようとして、曲を捌ききれず、カビを増殖させたような湿度の高い演奏の多さにウンザリするが、その状況に鉄槌を下すか如き明解かつ豪快な演奏だ。

オケは相変わらず隅々まで鳴りきり人工的構成美の極致。まさに工芸品。

ショルティのマーラーの最高傑作かつ、「第3」の録音でも他に類例が無い傑作だと思う。

シカゴ響の、力強い響きを見事に捉えた録音も特筆に値する。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:53コメント(0)トラックバック(0)マーラーショルティ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ショルティがシカゴ交響楽団の音楽監督に就任して最初に録音されたのがマーラーの第5番であった。

それ以来、マーラーの交響曲はこのコンビの象徴と言えるほど、重要なレパートリーとなった。

この《大地の歌》も、このコンビの他のマーラー交響曲と変わらないアプローチで、きわめて楽譜に忠実な明晰この上ない現代的な演奏である。

マーラーの楽譜が求めるものをどこまでも忠実に再現した、黄金時代のショルティ指揮シカゴ響の名演である。

ワルターが抒情的な面を大切にしているのに対して、いかにもショルティらしく、すこぶる鋭い表現を行いながら、楽曲のデリケートな美しさを、見事に表出している。

そう、この演奏はショルティには珍しく、美しくデリカシーに富んだ演奏なのだ。

音色の微妙な多様さ、各パートの微妙なニュアンスの表出、それらの交錯……まずは完璧なオーケストラ美を聴かせる。

ショルティの甘美さへの感受性が、この演奏にははっきりと出ており、第2曲の表現主義的な甘さなどはかつてのショルティには見られなかったものだ。

歌手たちも万全で、ミントン、コロ共よく歌っており、特にミントンの歌は、聴く者をその中に引き込む力を持っている。

ショルティはこの《大地の歌》をロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と20年後に再録音することになるが、2人の歌手の名唱も相俟って、この旧盤のヴォルテージの高さは比類がない。

録音も英デッカらしく鮮明で音楽的だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:40コメント(0)トラックバック(0)マーラーショルティ 

2013年04月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



晩年のクレンペラーならではの深沈たる味わいに満ち溢れた名演集だ。

このような小品集の名演を成し遂げてきた指揮者による演奏の場合、その名演に対する評価の際の表現として、「聴かせどころのツボを心得た名演」というものがあり、それが普通の褒め言葉でもあると言える。

ところが、クレンペラーの場合は、そのような表現ではとても言い表すことができない。

それどころか、クレンペラーは、聴かせどころのツボなどくそ喰らえと思っているのではないかとさえ考えられる。

要は、聴き手に対するサービス精神などいささかもなく、自らの楽曲の解釈を聴かせるのみである。

「俺は、この楽曲をこう解釈する。聴き手は、それを聴いてくれさえすればいい」と。

本盤に収められたどの楽曲も荘重なインテンポでオーケストラをめいいっぱい鳴らして、実に重厚な演奏を繰り広げている。

しかしながら、そこに漂う深みのある内容の濃いニュアンスは、まさに大指揮者だけが描出し得る至高・至純の音楽と言える。

特に、筆者が感動したのは、グルックの「オーリードのイフィジェニー」序曲。

ワーグナー編曲という面も多分にあるとは思うが、クレンペラーは、とてもバロック音楽とは思えないような、分厚い重量感溢れる凄い音楽を奏でている。

そのド迫力とスケールの大きさは、その後のワーグナーのオペラの序曲や前奏曲にも匹敵するものとさえ言える。

クレンペラーは小品でも、音楽の本質を見事に表現し、そこらの名曲集に入っている演奏とは次元が違う。

HQCD化による高音質化も嬉しい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:38コメント(0)トラックバック(0)クレンペラー 

2013年04月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルの黄金コンビは、ベートーヴェンの交響曲全集においても、名演の数々を聴かせてくれたが、この新シリーズとなるシューマンの交響曲チクルスも快調だ。

本盤は、その第一弾ということになるが、このコンビの素晴らしさを認識させてくれる名演と高く評価したい。

シューマンを文字通り「愛している」と公言してはばからないパーヴォ・ヤルヴィ。

シューマンの演奏においては、「作品に込められた感情の起伏や途方もないエネルギーを恥ずかしがることなくさらけ出さないと、シューマン本来の魅力が伝わらない」と考えるパーヴォが、シューマンのオーケストレーションの機微を繊細に表現できることのできるドイツ・カンマーフィルと組んで繰り広げるシューマン・ワールドである。

ライナー・ノーツの解説によると、ここでは、ベートーヴェンの時と異なり、ピリオド楽器を用いていないとのこと。

それでも、いわゆる古楽器奏法は健在であり、これまで聴いてきた他のシューマンの交響曲の演奏とは、一味もふた味も異なる新鮮さが持ち味だ。

意表を衝くようなテンポ設定、そして強弱の変化、金管楽器や木管楽器のユニークな響かせ方、粘ったようなレガートの絶妙さなど、息をつく暇がないほどの内容の濃い演奏になっているが、それでいて、やり過ぎの印象をいささかも与えることがないのは、パーヴォのシューマンの交響曲への深い理解と、芸術性の高さの証左であると考える。

残る交響曲第2番及び第4番への期待が大いに高まる内容であるとも言える。

録音も素晴らしい。

マルチチャンネル付きのSACDは、鮮明で臨場感のある極上の高音質であり、このコンビによる名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:46コメント(0)トラックバック(0)シューマンヤルヴィ 

2013年04月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューマンの「第4」が超名演。

ヴァントは、本盤の少し前に手兵北ドイツ放送交響楽団とともに、同曲を録音しているが、それを遥かに上回る名演だ。

独墺系の大指揮者は、その最晩年にシューマンの「第4」の名演を遺して鬼籍に入る傾向がある。

フルトヴェングラー、カラヤン、ベームなど、いずれも素晴らしい名演を遺しているが、ヴァントも、本名演を持って、こうした大巨匠の列に連なることになったと言えるだろう。

全体の厳しい造型を堅持しつつ、これ以上は考えられないような情感の豊かな演奏を繰り広げており、録音面まで含めると、かのフルトヴェングラーの名演をも凌ぐと言っても過言ではあるまい。

ブラームスの両交響曲も名演だ。

ただ、ヴァントは、同時期に手兵の北ドイツ放送交響楽団と両交響曲の超名演を成し遂げており、シューマンの場合と異なり、手兵との名演の方にどうしても軍配を上げたくなる。

しかしながら、それは極めて高い次元での比較であり、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇もない。

特に、「第4」は、淡々とした速めの進行の中に、実に豊かなニュアンスが込められており、まさに名人の一筆書きのような枯淡の境地が一点の曇りもなく表現されており、「第4」演奏の理想像とも言えるのではないか。

同じタイプの名演としては、シューリヒト(特に、晩年のバイエルン放送交響楽団との演奏)やムラヴィンスキー、クライバーの名演が思い浮かぶが、クライバーは深みにおいて一格下。

ということは、録音面まで含めると、ヴァントの名演こそ、同曲最高の名演の一つと評価しても過言ではないだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:18コメント(0)トラックバック(0)ヴァント 

2013年04月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



最近のデジタル録音の鮮明かつ華麗な《第7》を聴きなれた耳には、この異様なまでにデッドでゴツゴツの演奏はショックかも知れない。

それはまるで、総天然色の新作映画を見慣れてしまった目に、戦時中の白黒のニュース映画が異様な印象を与えるのに似ている。

しかし、そのどんな色彩もかなわない強烈なリアリティは見るものを圧倒する。

これは、そんな時代を封じ込めた歴史的1枚だ。

確かにショスタコーヴィチの交響曲は、デジタル時代になって鮮明かつ華麗な西側オーケストラの演奏が出てきてから、単なるロシア音楽の枠を越えて世界的な広がりを見せ始めた。

しかし、その国際的な普及の度合いと反比例するように「イデオロギー的」あるいは「政治的」な信念のような側面は薄められ、どうも純粋に音楽的にのみ捉え初めているような気がする。

でも、ショスタコーヴィチの音楽はまぎれもなく、「トンでもないこと」を信じていた時代の「トンでもない交響曲」なのである。

現代のようになれ合いの美音でまとめた優等生的な音楽にはない、八方破れでバランスを失したオーケストラが、デッドなホールでその信念と推進力だけを頼りに自分たちの時代の交響曲を力いっぱいゴリゴリ鳴らす。

そうやって自分たちの時代の音楽を作っていった時代があったのだ。

そんな凄絶な、まさに鳴り響く歴史としての音楽の記録がここにはある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:07コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチムラヴィンスキー 

2013年04月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1971年に結成され、80年代末に惜しくも解散してしまったフィッツウィリアムSQの代表盤であった。

同SQは第13〜15番の英・米初演を行い、作曲者とも親交があった。

1973〜77年の録音で、英グラモフォン賞を受けている。

ショスタコーヴィチの全創作のなかで重要な位置を占める弦楽四重奏曲群をまとめて繰り返し聴けるようになったのはこの全集のおかげだった。

この作曲家のこのジャンルは変化にも富んでほんとうに面白い。

それをこの全集にわからせてもらった。

フィッツウィリアムSQの演奏は、鋭い切れ味と表現の求心性があるとともに、得も言えぬ暖かい情感が音楽にかよっている。

ここで展開される緊張感と共感に満ちた演奏は、圧倒的な感銘を与えずにはおかない。

このSQの自在な表現力と緻密なアンサンブル、それに切れ込みは鋭いが決して冷たくはならない、深い意味のこもった響きの豊かさには魅了される。

彼らはショスタコーヴィチの、抑圧された中での痛切な表情や、しかしそれでも決して失うことのなかった精神の強さを表現し尽くしており、見事というほかない。

それは生前の作曲家と直接の交流があり、つねにその四重奏曲をレパートリーの中心に位置づけてきたこの四重奏団の作品と作曲者への敬愛と信頼の情のなせるわざなのであろう。

作曲者と暖かく結ばれた演奏である。

後にボロディン四重奏団の優れた全集も出たが、当全集の価値は不変だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:31コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチ 

2013年04月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



SHM−CD仕様のSACDシングルレイヤー盤は、2010年の夏頃よりシリーズ化され、既に相当の点数が発売されてきた。

長らくSACDから撤退していたユニバーサルが、このようなシリーズを開催したのは、当年のレコード業界の最高の快挙と言ってもいいところであり、発売されたいずれのCDも、従来発売のCDを凌駕する素晴らしい高音質CDに仕上がっていた。

その中でも、最も音質向上効果が著しいのは、本盤ではないだろうか。

それくらい、従来盤とは次元が異なる素晴らしい音場が展開される。

かつて発売されていたSACDハイブリッド盤は、録音の古さが目立ち、とてもSACDの実力を発揮したものには仕上がっていないだけに、その音質の差は歴然としたものがある。

これが1960年代の録音とは信じられないほどであり、あたかも最新の録音であるかのように感じられるほどだ。

セルは、デッドな録音のCDで聴くと、その解釈も相俟って、血も涙もない冷徹な指揮をするかのように考えられてしまうが、本盤のような高音質CDで聴くと、確かに全体的な造型構築への厳しい姿勢は当然のことであるが、その構築された造型の中で、緩急自在のテンポ設定を行うなど、きわめてフレキシブルに曲想を展開し、まさに血も涙もある非常に情感豊かな指揮をする指揮者であったことを再認識させられる。

ことにシベリウスは素晴らしく、セルの構成と明確な指揮は、この曲をきわめてシンフォニックなスケールの大きなものにしている。

特に、北欧的な深い響きをもった金管の威力には、さすがコンセルトヘボウであると思わせる。

この深い北欧の音があって初めてシベリウスは生きる。

主題の結び合わせとその発展のシンメトリーがシベリウスの生命であるが、セルの演奏はそれが実に緊密であり力強い。

指揮者の実力を再認識させるという意味においても、このような高音質CDの企画は大きな意義があると考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:42コメント(0)トラックバック(0)セル 

2013年04月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヤンソンスの進境の著しさをあらわす素晴らしい名演である。

本演奏は、何か特別に個性的な解釈で聴き手を驚かすような性格のものではない。

中庸のテンポでオーケストラを無理なく鳴らし、ラヴェルの華麗なオーケストレーションを鮮明に再現しようというオーソドックスなアプローチだ。

それでいて、各組曲の描き分けは完璧。

随所に出現するプロムナードについての変化の付け方は、円熟の至芸に達しているとも言える。

「キエフの大門」の終結部における盛り上がりは、圧倒的な迫力だ。

ヤンソンスの統率の下、手兵のコンセルトへボウ管弦楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。

金管楽器も木管楽器も実に巧く、弦楽器の北ヨーロッパならではのくすんだ音色も魅力的だ。

シャイーの時代に、コンセルトへボウ管弦楽団ならではの伝統の音色が失われたと言われたが、ヤンソンスの時代になって、幾分復活したのではないだろうか。

録音も素晴らしく、コンセルトヘボウ管弦楽団の魅力を満喫出来る素晴らしいCDだ。

SACDマルチチャンネルは、鮮明さと臨場感において、向かう敵はない存在であり、『展覧会の絵』のような作品を再現する際においては、理想の媒体であると言えよう。

『展覧会の絵』のみしか収録されていないという点もあるが、値段も安く、コストパフォーマンス的にも素晴らしいCDだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:12コメント(0)トラックバック(0)ムソルグスキーヤンソンス 

2013年04月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



『スコットランド』が1975年、『イタリア』が1976年、『宗教改革』が1979年の録音。

この3曲を組み合わせたCDとしては、ムーティ指揮ニュー・フィルハーモニア管が、素晴らしい名演を聴かせる。

ムーティの30代の演奏だけに、3曲ともきわめて若々しく、それがメンデルスゾーンの初期ロマン派作風にふさわしい。

ムーティ若き日のメンデルスゾーンはどれも素晴らしい演奏で、特に『スコットランド』での伸びやかでひたすら美しいカンタービレは他に例の無い見事なものとして印象的。

『イタリア』での歌いぶりは、さすがイタリア人らしい明るさと弾みがあるし、『スコットランド』も旋律を存分に歌わせた、スケール感のある立派な表現。

しかしやはり最も注目されるのは、初CD化となる『宗教改革』であろうか。

この敬虔な旋律美にあふれた名作からも、ムーティの指揮はみずみずしいソノリティを引き出していて言うことがない名演で、コレクションに加える魅力は充分と言える。

だがよく聴いてみると、『スコットランド』は構築力に疑問があり、音構造の再現も軽やかに過ぎていて物足りない。

その点では『イタリア』の方が無難だし、急速なテンポで躍動する終楽章も鮮烈だが、2曲を通して聴いてみると、ムーティの新鮮さは弱点の多い『スコットランド』の方に強く感じられる。

音楽芸術とは不思議なものである。

録音当時、低迷期だったと言われるニュー・フィルハーモニア管弦楽団もここでは優れたパフォーマンスを示していると言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:10コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンムーティ 

2013年04月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは素晴らしい名演だ。

ショスタコーヴィチの交響曲の中でも、傑作でありながら、その陰鬱な内容から敬遠されがちな同曲であるが、本盤のような名演で聴くと、改めて、同曲がショスタコーヴィチの交響曲を代表する傑作の一つであることを再認識させられる。

指揮者もオーケストラも、そして独唱陣も無名の存在であるが、こうした無名の音楽家たちが、同曲演奏史上最高の名演を成し遂げたのだから、これは隠れた才能の発掘という一大快挙と言えるだろう。

「死」をテーマにした交響曲であり、陰鬱で暗いが、初めてショスタコーヴィチの本質に触れることが出来た。

「楽譜や文献から」作曲家の心境を汲み取り、「表情付けをしっかりとつけた」演奏というのはこれが初ではないだろうか。

第1曲冒頭の、心の底から絞り出てくるような悲痛な弦楽の音色からして、我々聴き手は、この名演の魅力にたちまち惹き込まれてしまう。

第1曲から第2曲、あるいは、第7曲から第8曲という、いわゆる動と静の描き分けが実に巧みであり、独唱陣の優秀さも相俟って、あたかも壮大なオペラを聴くようなドラマティックな演奏に仕上がっている。

前述の冒頭の表現もそうであるが、総体として弦楽器の合奏は見事であり、特に、低弦の響きの不気味さは、同曲の魅力を十二分に発揮するものとして、最高のパフォーマンスを示していると言える。

さらに、間の取り方が絶妙。

クルレンツィスの指揮は、若手指揮者とは思えないような堂々たるものであり、この間の取り方が素晴らしいが故に、同曲の命でもある打楽器が大いに生きてくることになるのである。

録音も実に鮮明で素晴らしく、この超名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:23コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチ 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ