2013年06月

2013年06月30日


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ディヌ・リパッティによる名演としては、ショパンのワルツ集の録音(1950年)が極めて名高い存在と言えるが、その他に遺された録音も、必ずしも数多いとは言い難いが、そのすべてが素晴らしい名演であると言っても過言ではあるまい。

モノラル録音という音質面でのハンディがあることから、より録音の優れた演奏の方にどうしても惹かれてしまうところであるが、それでもたまにリパッティの演奏を耳にすると、とてつもない感動を覚えるところだ。

本盤に収められたバッハのピアノ曲の小品やスカルラッティのソナタを軸とした小品集も、リパッティの表現力の幅の広さを感じさせる至高の超名演と言える。

リパッティによる本演奏の魅力は、何と言っても1940年代〜1950年の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせず、むしろ現代の様々なピアニストの演奏に通ずる清新さを秘めている点にある。

そして、それだけにとどまらず、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ている。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる本演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

いずれにしても、リパッティによるかかる命がけの渾身の名演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な底知れぬ迫力を有しており、リパッティによる本盤の演奏は、あまた存在している様々なピアニストによるこれらの各楽曲の演奏の中でも、別格の深みを湛えた至高の超名演と高く評価したい。

このような至高の超名演を聴いていると、あらためてリパッティのあまりにも早すぎる死がクラシック音楽界にとっていかに大きな損失であったのかがよく理解できるところだ。

もっとも、リパッティによる本盤の各楽曲の演奏は、演奏自体は圧倒的に素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、前述のように鮮明さにいささか欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

とりわけ、1950年に録音されたバッハの4曲については、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

リパッティのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

他方、スカルラッティの2曲や、ショパンの「舟歌」、ラヴェルの「道化師の朝の歌」については、今般のSACD化を持ってしてもいささか鮮明さに欠けているが、それでも従来CD盤との違いは明確であり、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、リパッティによる至高・至純の名演奏を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年06月29日


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マタチッチの桁外れにスケールの大きい芸風を味わうことが可能な圧倒的な名演だ。

本盤には、様々な作曲家による楽曲が収められており、遺された録音が必ずしも多いとは言い難いために、とかくレパートリーが少ないなどと誤解されがちなマタチッチが、意外にも幅広いレパートリーを有していたことを窺い知ることが可能であるとも言えるだろう。

本盤に収められた各楽曲の演奏も、いずれもマタチッチの偉大な芸術を味わうことが可能な圧倒的な名演揃いであるが、とりわけ凄まじい演奏として、先ずはヤナーチェクのシンフォニエッタを掲げたい。

近年では、村上春樹氏による有名小説によってにわかに脚光を浴びつつある同曲であるが、これまでの同曲の名演としては、どちらかと言うとモラヴィアの民謡風の旋律の数々に焦点を当てた民族色豊かな演奏が主流を占めてきたと言えなくもないところだ。

これらの演奏に対して、マタチッチによる本演奏は一線を画しているとも言えるだろう。

冒頭のファンファーレからして、壮絶な迫力を誇っているし、その後の強靭な迫力や彫りの深い表現には出色のものがあり、演奏全体としては、まさに壮大な交響曲のようなとてつもないスケールの雄大さを誇っていると言っても過言ではあるまい。

同曲の演奏としては異色の演奏とも言えるところであるが、聴き終えた後の充足感には絶大なるものがあるところであり、筆者としては、マタチッチの芸術家としての桁外れの才能を大いに感じることが可能な圧倒的な超名演と高く評価したい。

次いで、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」が素晴らしい。

これまた、ヤナーチェクのシンフォニエッタに優るとも劣らぬ迫力を誇っており、とりわけ終結部の壮絶さ、そしてユニークな解釈は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

コダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」も、冒頭のくしゃみからして凄まじく、ハンガリーの民族色とは殆ど無縁の演奏であるが、スケールは雄渾の極みであり、その桁外れの壮大な迫力にはただただ圧倒されるのみである。

加えて、各曲の描き分けが実に巧みであり、聴かせどころのツボを心得た心憎いばかりの演出巧者ぶりを発揮しており、本演奏では、マタチッチのオペラ指揮者としての才能が見事に功を奏していると言えるのではないだろうか。

ポピュラーな名曲であるが、近年では最新録音に恵まれてない同曲だけに、極めて価値のある名演の登場と言っても過言ではあるまい。

ウェーバーやワーグナーの序曲や前奏曲も、マタチッチならでは重厚で、なおかつスケール雄大な至高の超名演と評価したい。

NHK交響楽団も、アンサンブルに乱れが生じているなど、必ずしも万全とは言い難い演奏である(特に、エキストラが参加していたと思われるヤナーチェクのシンフォニエッタ)が、敬愛するマタチッチの指揮に必死で喰らいつき、渾身の名演奏を展開しているのが見事であり、芸術的な感動という意味においては申し分のないパフォーマンスを発揮していると言っても過言ではあるまい。

音質は、名指揮者の来日公演の高音質での発売で定評のあるアルトゥスレーベルがマスタリングを手掛けているだけに、本全集においても1969年〜1975年のライヴ録音としては十分に満足できる良好な音質に仕上がっているのが素晴らしい。

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2013年06月28日


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本盤に収められたモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」、チャイコフスキーの交響曲第4番、そしてウェーバーの歌劇「オベロン」序曲は、ザンデルリンクが1973年にシュターツカペレ・ドレスデンを率いて来日した際の記念碑的な名演奏である。

先ず、モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」は、ザンデルリンクとしては極めて珍しいレパートリーと言えるだろう。

そもそも、ザンデルリンクによるモーツァルトの交響曲演奏の録音は、先般発売された交響曲第39番などを除いて殆ど遺されておらず、必ずしも得意のレパートリーではなかったと言えるのかもしれない。

しかしながら、本盤の演奏は、そのようなことをいささかも感じさせないような素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

近年流行の古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏とは正反対の、いわゆる旧スタイルの演奏と言えるが、シンフォニックにしてスケール雄大な演奏は、いかにもドイツ人指揮者ならではの面目躍如たるものがあると言えるだろう。

次いで、チャイコフスキーの交響曲第4番であるが、ザンデルリンクは、チャイコフスキーの交響曲を得意のレパートリーとし、歴史的な名演の数々を成し遂げたムラヴィンスキーに師事していたわりには、チャイコフスキーの交響曲の録音を必ずしも数多く行っているわけではない。

そのような中で、ザンデルリンクは交響曲第4番だけは得意としているようであり、本演奏の他にも、レニングラード・フィルとのスタジオ録音(1956年)、後期3大交響曲集の一環としてベルリン交響楽団とともに行ったスタジオ録音(1979年)、そしてウィーン交響楽団とのライヴ録音(1998年)が遺されているところである。

いずれも、ムラヴィンスキーのように即物的とも言うべき純音楽的な引き締まった演奏ではないが、演奏全体の堅固な造型美などが光った、いかにもドイツ人指揮者ならではの重厚な名演に仕上がっていた。

同じく独墺系の指揮者であるカラヤンがチャイコフスキーの交響曲の数々の名演を成し遂げているが、カラヤンによる豪華絢爛な演奏とはあらゆる意味で対照的な質実剛健たる演奏と言っても過言ではあるまい。

本演奏は、前述の1979年のスタジオ録音の6年前の演奏ではあるが、基本的なアプローチ自体は、殆ど変りがなく、どちらかと言うと、一切の虚飾を排した地道さを身上としている。

しかしながら、本演奏には実演ならではの畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っており、演奏の持つ根源的な迫力においては、1998年のウィーン交響楽団との演奏とほぼ同格であり、1979年のスタジオ録音を大きく上回っていると言っても過言ではあるまい。

加えて、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の味わい深い音色が演奏全体に独特の潤いと温もりを付加させており、オーケストラ演奏の魅力においては、1998年のウィーン交響楽団との演奏をはるかに凌駕している。

いずれにしても、本演奏は、ザンデルリンクによるチャイコフスキーの交響曲第4番の演奏としては、随一の名演と高く評価したい。

併録のウェーバーの歌劇「オベロン」序曲も、ドイツ風の重厚さと実演ならではの強靭な迫力を兼ね備えた圧倒的な名演と高く評価したい。

音質は、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤だけに、従来CD盤とはそもそも次元の異なる高音質である。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ザンデルリンクによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2011年9月18日に惜しくも逝去したクルト・ザンデルリンクは、2002年には既に指揮活動から引退していたところであるが、現役時代は我が国にもたびたび来日して、素晴らしい名演の数々を聴かせてくれたのは、我が国のクラシック音楽ファンにとっても実に幸運なことであったと言わざるを得ない。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第8番、ブラームスの交響曲第1番などは、ザンデルリンクが1973年にシュターツカペレ・ドレスデンを率いて来日した際の記念碑的な名演奏である。

先ず、ベートーヴェンの交響曲第8番は、おそらくはザンデルリンクによるベストの名演と評価したい。

ザンデルリンクは、フィルハーモニア管弦楽団とともにベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、全く問題にならない。

中庸のテンポによる本演奏ではあるが、ドイツ風の重厚さが演奏全体を支配しており、加えてシュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色が、演奏に独特の潤いと味わい深さを付加させているのを忘れてはならない。

ブラームスの交響曲第1番は、ザンデルリンクの十八番ともいうべき楽曲であり、本演奏の2年前にもシュターツカペレ・ドレスデンとともにスタジオ録音(1971年)するとともに、ベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行っているところだ。

いずれ劣らぬ名演であるが、本演奏は、実演ならではの畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が全体に漲っており、演奏の持つ根源的な迫力においては、ザンデルリンクの同曲の演奏の中でも頭一つ抜けた存在と言えるかもしれない。

シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の味わい深い音色は本演奏でも健在であり、とりわけペーター・ダムによるホルンソロの朗々たる音色には抗し難い魅力が満ち溢れている。

いずれにしても、本演奏は、ザンデルリンクによる至高の名演と高く評価したい。

さらに、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲やワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲も収められているが、いずれもザンデルリンクならではの重厚な素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

音質は、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤だけに、従来CD盤とはそもそも次元の異なる高音質である。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ザンデルリンクによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年06月27日


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シューリヒトはブルックナーを得意中の得意としており、近年ではシュトゥットガルト放送交響楽団などとのライヴ録音なども数多く発掘されている状況にある。

それらは、必ずしも音質に恵まれているとは言い難いものの、いずれもシューリヒトならではの素晴らしい名演に仕上がっていた。

もっとも、それらの数々の名演が登場してもなお、シューリヒトのブルックナーの代表的な名演との地位がいささかも揺らぐことがない名演が存在している。

それこそは、最晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音を行った交響曲第8番(1963年)及び第9番(1961年(本盤))である。

このうち、第8番については、近年のヴァントや朝比奈などによって確立された悠揚迫らぬインテンポによる演奏とはかなり様相が異なった演奏であり、速めのテンポと、随所においてアッチェレランドも含むテンポの振幅も厭わないなど、むしろドラマティックな演奏に仕上がっている。

シューリヒトがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みしているだけに、名演との評価にはいささかも揺らぎがないが、近年のヴァントや朝比奈によるインテンポによる名演奏の数々に慣れた耳で聴くと、若干の違和感を感じずにはいられないところである。

これに対して、本盤に収められた第9番については、悠揚迫らぬインテンポを基調とした演奏を行っており、第8番の演奏のような違和感などいささかも感じさせないところだ。

ブラスセクション、とりわけホルンの朗々たる奥行きのある響きの美しさは、これぞブルックナーとも言うべき崇高な美しさを誇っており、まさにウィーン・フィルによる美演をも最大限に生かした神々しいまでの本演奏は、シューリヒトとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地に達したものとも言えるのかもしれない。

各フレーズに込められたニュアンスの豊かさには尋常ならざるものがあるとともに、その端々から漂ってくる豊かな情感には、最晩年の巨匠シューリヒトならではの枯淡の境地さえ感じさせると言えるところであり、演奏の神々しいまでの奥行きの深さには抗し難い魅力がある。

第3楽章においては、もう少しスケールの雄大さが欲しい気もするが、第1楽章と第2楽章については文句のつけようがない完全無欠の崇高の極みとも言うべき名演奏であると言えるところであり、後年のヴァントや朝比奈といえども、第1楽章と第2楽章に限っては、本演奏と同格の演奏を成し遂げるのが精一杯であったと言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、シューリヒトのブルックナーの交響曲の演奏でも最高峰の名演であるとともに、ブルックナーの交響曲第9番の演奏史上でも、第1楽章及び第2楽章に関しては、現在においてもなおトップの座を争う至高の名演と高く評価したい。

音質は、1961年のスタジオ録音であり、従来盤では今一つ冴えない音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、シューリヒト&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 23:58コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーシューリヒト 

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シューリヒトが最晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音したブルックナーの交響曲第8番と第9番は、音楽評論家を含め多くのクラシック音楽ファンに支持されている不朽の名盤とされている。

1960年代前半という時期を考えると、ブルックナーの交響曲については、いまだ改訂版を使用した演奏が跋扈するとともに、ヨッフムが最初の全集を録音している最中であり、ましてや朝比奈やヴァントなどは箸にも棒にもかからない若造。

その意味では、当時においては本演奏は画期的な名演であったことが十分に理解できるところだ。

本盤の演奏で気が付くのはテンポが実に速いということであろう。

それは、同曲がCD1枚に収まっていること自体でもよくわかるところだ。

そして、後年のヴァントや朝比奈などによる演奏とは異なり、インテンポにはいささかも固執せずに、頻繁にテンポを変化させているということである。

ダイナミックレンジも相当に幅広くとっており、テンポの変化も相俟ってドラマティックな演奏であるとも言えるほどだ。

ブラスセクションによる最強奏も圧巻の迫力を誇っていると言えるが、無機的な音は皆無であり、常に懐の深い音色に包まれているのは見事である。

そして、これほどの劇的とも言うべき豪演を行っているにもかかわらず、演奏全体の造型がきわめて引き締まったものとなり、いわゆるブルックナーらしさをいささかも失うことがないというのは、巨匠シューリヒトだけに可能な圧巻の至芸であるとともに、シューリヒトがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

そして、このような荒ぶるような豪演に適度の温もりと潤いを付加しているのが、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。

シューリヒトを深く敬愛していたとされるウィーン・フィルであるが、本演奏においてもシューリヒトの指揮に見事に応えて、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の熱演を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、快速のテンポとドラマティックな表現を展開した本演奏は、今日におけるブルックナーの演奏様式とは随分と異なるものであり、スケールの小ささや劇的に過ぎる点などが気にならないわけではないが、いまだブルックナーの演奏にさしたるものが存在していなかった1960年代前半の演奏であることをも考慮すれば、名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、リマスタリングが行われたものの従来CD盤が今一つの音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、シューリヒトによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年06月26日


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凄い演奏だ。

いまや世界最高のマーラー指揮者として君臨しているインバルの勢いを、もはや誰もとどめることが出来ない。

インバルによるマーラーの交響曲演奏といえば、かつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団との全集(1985年〜1988年)が名高いが、ここ数年にわたって、東京都交響楽団やチェコ・フィルとの演奏は、段違いの素晴らしさと言えるのではないだろうか。

本盤に収められたチェコ・フィルとのマーラーの交響曲第1番の演奏は、チェコ・フィルとの演奏としては第5番、第7番に次ぐ第3弾ということになるが、インバルとしては、前述の全集中に含まれた同曲の演奏(1985年)以来、約30年ぶりのものである。

同曲は、マーラーの青雲の志を描いた交響曲であるだけに、前回の全集の中でも非常に優れた演奏の一つであったが、本盤の演奏は更に優れた名演に仕上がっており、まさに、近年のインバルの充実ぶりが窺える圧倒的な超名演と言っても過言ではあるまい。

かつてのインバルによるマーラーへの交響曲演奏の際のアプローチは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションを抑制して、可能な限り踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

全集の中でも優れた名演の一つであった第1番についても例外ではなく、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な名演奏ではあるが、今一つの踏み外しというか、胸襟を開いた思い切った表現が欲しいと思われることも否めない事実である。

ところが、本演奏においては、かつての自己抑制的なインバルはどこにも存在していない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、どこをとっても気迫と情熱、そして心を込め抜いた濃密な表現を施しているのが素晴らしい。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的かつロマンティックな表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

いずれにしても、テンポの効果的な振幅を大胆に駆使した本演奏のような密度の濃い表現を行うようになったインバルによる超名演を聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニなどの累代のマーラー指揮者が鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられないところだ。

オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンなどのブラスセクションの卓抜した技量は、本超名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。

そして、SACDによる極上の高音質録音も、本超名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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2013年06月25日


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同時発売のドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が、あまりにもスヴェトラーノフ節全開の超個性的な演奏であったことから、本盤に収められたシューベルトの交響曲第8番「未完成」、そして、第9番「ザ・グレート」の演奏についても、鑑賞する前は相当に身構えて臨んだところであるが、これが意外にもまともな演奏なのだ。

そのように評しては、大指揮者であるスヴェトラーノフに対していささか失礼と言えるのかもしれないが、本演奏を、指揮者の名を伏して聴いたとしても、スヴェトラーノフの指揮と当てる人は殆どいないのではないだろうか。

もちろん、第9番「ザ・グレート」の第1楽章終結部などに、スヴェトラーノフならではの個性を感じることも可能ではあるが、それも許容されるレベルでの解釈であり、両曲ともに、大家の指揮による名演奏と言えるだろう。

まさに、一昔前の独墺系の大指揮者による演奏に限りなく近い性格を有していると言っても過言ではあるまい。

これだけの立派な演奏をすることができる指揮者であるからこそ、スヴェトラーノフは真に偉大な存在であり、多くの音楽ファンの崇敬を集められる存在なのであると考えられるところだ。

シューベルトの交響曲第8番「未完成」は、LP時代にも録音を遺しているようであるが、筆者は未聴。

したがって、筆者としては、初めて聴くスヴェトラーノフのシューベルトであるが、深沈とした味わいの中にも、シューベルトの楽曲の生命線とも言うべき寂寥感溢れる抒情に満ち溢れており、いい意味で剛柔のバランスのとれた見事な名演であると高く評価したい。

他方、交響曲第9番「ザ・グレート」は、スヴェトラーノフによる唯一の録音ということになるが、ゆったりとしたテンポによるスケールの雄大な音楽の構えの中で、同曲特有の美しい旋律の数々を格調高く歌い上げ、これ以上は求め得ないような気宇壮大な超名演を成し遂げるのに成功している。

同曲は、演奏自体がなかなかに困難な楽曲であると言えるが、スヴェトラーノフによる名演奏は十分に説得力があるものと言えるところであり、スヴェトラーノフが、ロシア系の音楽のみのスペシャリストにとどまらず、クラシック音楽の王道とも言うべき独墺系の音楽にも見事な名演奏を聴かせることができる大指揮者であったことがよく理解できるところだ。

大指揮者スヴェトラーノフの統率の下、スウェーデン放送交響楽団も最高のパフォーマンスを発揮していると言えるところであり、交響曲第9番「ザ・グレート」の演奏終了後、指揮者を讃えるファンファーレが鳴り響くという点にも、スヴェトラーノフとスウェーデン放送交響楽団の抜群の相性の良さを感じることが可能だ。

音質も素晴らしく、今から約20年以上前のライヴ録音ではあるが、現在でも十分に通用する素晴らしい音質であり、スヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団による素晴らしい名演が鮮明に再現されるのが見事である。

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凄まじい演奏だ。

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」に、チェコの民族色豊かな抒情性などを期待する聴き手には、全くおすすめできない演奏であるとさえ言える。

いや、それどころか、殆どの指揮者がこのような演奏をすること自体が許されない雰囲気があるが、怪演という名の個性的な名演を数多く成し遂げてきた大指揮者スヴェトラーノフだけに許される演奏であると言えるのかもしれない。

しかしながら、それにしても凄い。

もちろん、スヴェトラーノフの指揮であり、しかも、ロシア国立交響楽団との豪演を聴いているだけに、聴く前から十分に覚悟して本演奏を聴いたのだが、冒頭から完全に圧倒されてしまった。

ブラスセクションの咆哮のとてつもないド迫力、地響きがするようなティンパニの凄まじいまでの強靭さ、うなりをあげる低弦の迫力など、よくぞここまで思い切った演奏をさせるものだとほとほと感心してしまった。

テンポの振幅は激しく、アッチェレランドなども随所に施してはいるが、演奏全体のスケールはこれ以上は考えられないような雄大なもの。

同曲は、新世界であるアメリカ合衆国からのお土産便りのような意味合いを有しているが、スヴェトラーノフによる本演奏は、あたかもロシアの悠久の広大な大地を思わせるものであり、同曲の演奏としては他のどの指揮者の演奏よりも濃厚で特異な性格を有するもの。

まさに尋常ならざる演奏とさえ言えるのではないだろうか。

とりわけ、終楽章終結部の強烈な最強奏という超個性的な解釈には、完全にノックアウトされてしまった。

しかしながら、聴き終えた後の充足感については、これまた尋常ならざるものがあり、これだけ聴き手を満足させてくれれば文句は言えまい。

もちろん、前述のように、チェコの民族色豊かな抒情性を同曲に希求する聴き手には全くおすすめできないが、同曲を何度も繰り返し聴き込んだ聴き手には、むしろ新鮮ささえ感じさせるとも言えるところであり、聴き終えた後の充足感などを総合的に考慮すれば、筆者としては、本演奏をスヴェトラーノフならではの超個性的な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

併録のスラヴ舞曲第3番も、交響曲第9番「新世界より」と同様に濃厚の極みと言うべき超個性的な名演だ。

これまた、スヴェトラーノフが演奏すると、チェコの舞曲というよりはロシアの舞曲になっているとも言えるが、演奏全体の濃密さや聴き終えた後の充足感は、他のどの指揮者による同曲の演奏にもいささかも劣っていない。

スウェーデン放送交響楽団も、こうしたスヴェトラーノフの個性的な指揮に、アンサンブルを殆ど乱すことなくしっかりとついていっており、見事な名演奏を繰り広げている点についても高く評価したい。

音質も素晴らしく、今から約30年前のライヴ録音ではあるが、現在でも十分に通用する素晴らしい音質であり、スヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団による同曲の超個性的な名演が鮮明に再現されるのが見事である。

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2013年06月24日


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アーノンクールの最円熟期を飾るに相応しい超名演であると高く評価したい。

アーノンクールといえば、ベートーヴェンやブラームス、シューベルト、ドヴォルザークの交響曲などに、数々の録音を遺してきているが、その際のアプローチは、古楽器奏法をイメージとした革新的とも言えるもの。

従来の伝統的、正統的なアプローチには背を向け、只管斬新な解釈を示すべく研鑽を積んできた。

ところが、本盤のドイツ・レクイエムにおいては、そのような革新性は皆無であり、むしろ、同曲に名演を遺してきた独墺系の指揮者、例えば、クレンペラーやカラヤンなどの、いわゆるドイツ正統派の解釈に列に連なる演奏を繰り広げていると言える。

アーノンクールも、かなりの回り道をしたが、ついに、ドイツ音楽の正統的な解釈の原点に立ち返ってきたと言える。

本演奏における、ゆったりとしたテンポによる威風堂々たるたたずまいは、まさに巨匠のなせる業と言えよう。

この曲に顕著な清澄さや、ここぞという時の壮麗な迫力、そして、絶妙なゲネラルパウゼなど、どこをとっても見事な表現を行っており、過去のいかなる同曲の名演も及ばない、至高・至純の境地に達していると言える。

アーノンクールの独特のアーティキュレーションも聴こえるが、ウィーン・フィルの献身的で非凡な音楽性と心を通わせているアーノルト・シェーンベルク合唱団の見事な歌唱力が、それらを実に自然に聴かせて、豊潤で柔らかで重厚な演奏に仕上がっている。

アーノンクールにとっては手兵とも言ってもいいアルノルト・シェーンベルク合唱団や、独唱陣、更には、ウィーン・フィルも最高のパフォーマンスを示していると言える。

録音も、ホールの残響を生かした名録音であり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

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classicalmusic at 21:50コメント(0)トラックバック(0)ブラームスアーノンクール 

2013年06月23日


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本盤には、パイヤールがパイヤール室内管弦楽団ほかとともにスタジオ録音したバッハのブランデンブルク協奏曲全集(1973年)から抜粋した第1番、第4番及び第6番が収められている。

既に、昨年11月には、当該全集のうち、第2番、第3番及び第5番が既にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されて発売されており、本盤をもって、不朽の名盤とされている当該全集全体がシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されたことになったことは誠に慶賀に堪えないところだ。

それはさておき、演奏は実に素晴らしい。

ブランデンブルク協奏曲は、現在では古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏が主流となっているが、本演奏が行われた当時は、現代楽器を使用した比較的編成の大きいオーケストラによる重厚な演奏が主流であった。

フルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤン、リヒター、ブリテンなど、このタイプによる名演は枚挙に暇がないほどであり、ブリテンによる演奏は若干その性格が異なるが、バッハという大作曲家を意識したドイツ風の重厚な演奏が行われていたと言っても過言ではあるまい。

ところが、パイヤールによる本演奏はまるで異なるタイプの演奏だ。

パイヤールの演奏は、現代楽器を使用した比較的小編成のオーケストラによる、どちらかと言えば伝統的な演奏様式によるものであるが、醸成された音楽は、前述のような大指揮者による重厚な演奏とは全くその性格を異にしている。

本盤の演奏のどこをとっても、フランス人であるパイヤールならではのフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいが付加されていると言えるところであり、まさに洒落たセンスの塊のような演奏とも言えるだろう。

ドイツ風の重厚な演奏が主流であった同曲の演奏に新風を吹き込んだセンス満点の演奏とも言えるところであり、あたかも同曲がフランスの宮廷音楽のように聴こえるほどだ。

高貴にして典雅、そして優美にしてなおかつ愉悦性に富んだ本演奏は、同曲のこれまで誰も気が付かなかった魅力を引き出すことに成功したものとして高く評価すべきであり、前述のような大指揮者による名演にも十分に対抗し得るだけの内容を兼ね備えた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

パイヤール室内管弦楽団や、フルートのランパルをはじめとした各奏者のセンス満点の美演も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1973年のスタジオ録音ではあるが、グリジー=スウィヌ、ノートルダム・デ・ローズ教会の残響を生かした名録音であったこともあり、従来CD盤でも十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

いずれにしても、パイヤール&パイヤール室内管弦楽団ほかによるセンス満点の極上の美を誇る名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)バッハ 

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本盤には、パイヤールがパイヤール室内管弦楽団ほかとともにスタジオ録音したバッハのブランデンブルク協奏曲全集(1973年)から抜粋した第2番、第3番及び第5番が収められている。

当該全集は不朽の名盤とされているだけに、残る第1番、第4番及び第6番についても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されたとのことであり、足掛け2年にわたって高音質化がなされるということになった。

それはさておき、演奏は素晴らしい。

ブランデンブルク協奏曲は、現在では古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏が主流となっているが、本演奏が行われた当時は、現代楽器を使用した比較的編成の大きいオーケストラによる重厚な演奏が主流であった。

フルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤン、リヒター、ブリテンなど、このタイプによる名演は枚挙に暇がないほどであり、ブリテンによる演奏は若干その性格が異なるが、バッハという大作曲家を意識したドイツ風の重厚な演奏が行われていたと言っても過言ではあるまい。

ところが、パイヤールによる本演奏はまるで異なるタイプの演奏だ。

パイヤールの演奏は、現代楽器を使用した比較的小編成のオーケストラによる、どちらかと言えば伝統的な演奏様式によるものであるが、醸成された音楽は、前述のような大指揮者による重厚な演奏とは全くその性格を異にしている。

本盤の演奏のどこをとっても、フランス人であるパイヤールならではのフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいが付加されていると言えるところであり、まさに洒落たセンスの塊のような演奏とも言えるだろう。

ドイツ風の重厚な演奏が主流であった同曲の演奏に新風を吹き込んだセンス満点の演奏とも言えるところであり、あたかも同曲がフランスの宮廷音楽のように聴こえるほどだ。

高貴にして典雅、そして優美にしてなおかつ愉悦性に富んだ本演奏は、同曲のこれまで誰も気が付かなかった魅力を引き出すことに成功したものとして高く評価すべきであり、前述のような大指揮者による名演にも十分に対抗し得るだけの内容を兼ね備えた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

パイヤール室内管弦楽団や、フルートのランパルをはじめとした各奏者のセンス満点の美演も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1973年のスタジオ録音ではあるが、グリジー=スウィヌ、ノートルダム・デ・ローズ教会の残響を生かした名録音であったこともあり、従来CD盤でも十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

いずれにしても、パイヤール&パイヤール室内管弦楽団ほかによるセンス満点の極上の美を誇る名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年06月22日


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本盤は、スペイン風の異国情緒ここに極まれりと言った趣きの名CDと言えるのではないだろうか。

44歳という若さで亡くなったアルヘンタであるが、アルヘンタが遺した数少ない録音の中でも最良の遺産であると言っても過言ではあるまい。

エスパーニャという表題に相応しく、スペインをテーマにした管弦楽の小品の組み合わせであるが、このようなスペインをテーマとした管弦楽小品を組み合わせるというカップリングは、まさにアルヘンタならではのものと言ってもいいだろう。

冒頭のシャブリエの狂詩曲「スペイン」からして、他のどの指揮者よりも濃厚なスペイン風の情感が演奏全体に込められている。

いや、他のどの指揮者が束になってもかなわないような濃厚なスペイン風の情緒が込められた至高の超名演であるとも言うべきであり、まさに、本演奏こそは、同曲演奏の理想像の具現化と言ってもいいのではないかと考える。

R・コルサコフのスペイン奇想曲は、ロシア音楽であるだけに、むしろロシア風の抒情を際立たせた演奏も一部に散見されるところであるが、アルヘンタによる本演奏は、それらの演奏とは一線を画する、同曲の随所に散りばめられたスペイン風の旋律を、それこそ異国情緒満点に歌い抜いたものであり、その意味では、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なった魅力を有する名演と言えるのではないだろうか。

同曲は、管弦楽法の大家とも言われたR・コルサコフによる楽曲であるだけに、オーケストレーションの華麗さや、更には、場面の変転なども随所に施されているが、アルヘンタはこうした同曲の持つ魅力を最大限に引き出すのに成功しているとも言えるところであり、まさに、本演奏は、アルヘンタの個性や資質が最大限に発揮された素晴らしい名演と言えるだろう。

グラナドスのアンダルーサ(スペイン舞曲第5番)やモシュコフスキのスペイン舞曲第1巻も、いかにも「スペイン」を感じさせる見事な名演と評価したい。

また、ドビュッシーの管弦楽のための映像が、これまた素晴らしい名演だ。

もちろん、クリュイタンスやアンセルメ、近年のデュトワのような、フランス風のエスプリに満ち溢れた洒落た味わいで勝負するような演奏ではなく、むしろ、同曲のスペイン風の情緒を全面に出した演奏ということができるが、そのむせ返るようなスペイン風の情感には抗し難い魅力が満ち溢れており、同曲の根源的な美しさを見事に描出することに成功した名演に仕上がっていると評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、英デッカによる名録音ではあるものの、1957年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であった。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、かなりの音質改善効果が見られたものの、未だ万全とは言い難いものがある。

このような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売されるに及んで驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、アルヘンタによる素晴らしい名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年06月21日


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最晩年のヴァントによる演奏である(2001年)。

録音には常に慎重な姿勢で臨むとともに、演奏する楽曲も慎重に見極めていたヴァントであるが、本盤に収められたモーツァルトのセレナード「ポストホルン」と、ベートーヴェンの交響曲第4番は、ヴァントの隠れたレパートリーの楽曲であったと言えるところだ。

モーツァルトのセレナード「ポストホルン」については、昨年末にNHK交響楽団を指揮して行ったライヴ録音(1982年)が発売されていることから、本演奏は、ヴァントにとっては3度目の約20年ぶりの録音ということになる。

3種の演奏の中では、何と言っても本演奏が圧倒的に素晴らしい。

もちろん、セレナードという楽曲の性格上、ヴァントの芸風の特色である厳格なスコアリーディングに基づく緻密さや堅固な造型美を発揮し得るものではないことから、そうした面においては取り立てた特色のある演奏とは言い難いが、演奏の持つ懐の深さ、そして格調の高さは、老巨匠だけに描出可能な至芸と言えるところであり、おそらくは同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっていると評価してもいいのではないだろうか。

ベートーヴェンの交響曲第4番は、1980年代に完成させたヴァントによる北ドイツ放送交響楽団との唯一の交響曲全集を構成するスタジオ録音(1984〜1988年)以来、これまた約20年ぶりの3度目の録音ということになる。

演奏の完成度という意味では、前回のスタジオ録音ということは論を待たないと言えるが、それでも、本演奏には、一聴すると剛毅で無骨さを感じさせる中にも、古武士のような風格が随所に漂っていると言えるところであり、ここには、ヴァントが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地があらわれていると言えるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏が、ヴァントによる同曲のベストの演奏との評価をすることについては、演奏の完成度という点で若干の疑問を感じずにはいられないが、演奏の独特の味わい深さや格調の高さと言った点からすれば、本演奏を名演と評価することにいささかも躊躇するものではない。

音質は、従来CD盤が発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)ヴァント 

2013年06月20日


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これは素晴らしい名演だ。

近年のゲルギエフ&ロンドン交響楽団の充実ぶりを窺い知ることができる名演とも言うことができるだろう。

本盤の選曲も絶妙である。

ストラヴィンスキーとラフマニノフと言えば、その芸風は全く正反対。

この両者は、同時期にアメリカ合衆国で活躍していたこともあるが、ストラヴィンスキーはラフマニノフの楽曲を前時代的な作風と酷評していたのは想像に難くなく、他方、ラフマニノフにしてみれば、ストラヴィンスキーの楽曲は、革新的でとても受け入れがたいものであったのではないだろうか。

それでも、どちらが送り手だったか記憶が定かではないが、両者には有名な蜜月の逸話が存在しており、両者のまるで異なる芸風ほどに溝があったのではないのかもしれない。

実際のところ、この両者は、ともに故国ロシアの大作曲家であるチャイコフスキーを深く敬愛していたことにおいても共通しており、意外にもお互いを認め合っていたと言えるかもしれない。

しかしながら、本盤に収められたストラヴィンスキーの3楽章の交響曲と、ラフマニノフの交響的舞曲は、全く対照的な作品と言える。

革新的なリズムをベースとしつつ、強烈無比な不協和音などがさく裂する現代音楽の申し子のような楽曲と、故国ロシアへの望郷の念が色濃く反映された情感豊かでメランコリックな旋律に満ち溢れた楽曲。

ゲルギエフは、この対照的とも言える両曲を巧みに振り分け、両曲の魅力を最大限に表現し得ている点を高く評価したい。

ゲルギエフによる両曲のアプローチは、近年のこれら両曲の演奏において一般化しつつある洗練されたものではない。

むしろ、個性的で、いわばあくの強ささえ感じさせるものであり、ストラヴィンスキーの3楽章の交響曲で言えば、ブラスセクションなどもオブラートに包むなどという小細工を弄することなど薬にしたくもなく、ブラスセクションにとどまらず、すべての楽器セクションを思い切って鳴らし、同曲の性格でもある一種の原始的な様相を殊更に強調しているとさえ言えるだろう。

かかるアプローチ故に、他のどの演奏にも増して、ストラヴィンスキーが同曲に込めたメッセージが明瞭に表現されているとも言えるところであり、その意味では、前述のように、同曲の魅力を最大限に引き出すことに成功した稀有の名演と評価してもいいのではないかとも考えられるところだ。

ラフマニノフの交響的舞曲も、同曲に特有のメランコリックな旋律の数々を、さすがにかのスヴェトラーノフほどではないが、思い切って歌い抜いており、演奏全体から漂ってくる独特の情感の豊かさは、ラフマニノフが亡命した後、2度と足を踏み入れることができなかった故国ロシアへの深い愛着の念が滲み出ており、実に感動的である。

演奏全体のスケールの大きさは、悠久の大地ロシアを思わせるのに十分であり、本演奏を、近年のゲルギエフの充実ぶりが如実にあらわれた名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

加えて、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

いずれにしても、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDという、臨場感溢れる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:38コメント(0)トラックバック(0)ゲルギエフラフマニノフ 

2013年06月19日


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ロシアが生んだ最も強靭さと重量感を兼ね備えたピアニスト、エミール・ギレリスが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番に好演を聴かせたとしても、なんら不思議ではないように思われる。

しかしギレリスについて語られる時には、意外にチャイコフスキーよりもベートーヴェンをはじめとするドイツ音楽であることが少なくない。

そして、それが、ギレリスの音楽の方向や性格をある程度示唆しているようにも思える。

その彼のチャイコフスキーのピアノ協奏曲の録音では、このライナー=シカゴ響との演奏のほかに、晩年のメータとのライヴもあるが、前者の方に、ギレリスの演奏史の原点ともいえる壮年期の逞しさを聴くのも楽しい。

ライナー指揮によるシカゴ響がつくり出す一分の隙もないような音楽に、堂々と正面から力で挑んでいるギレリスのピアノが、実に剛毅で力強い。

筋肉質のタッチをもった集中力のあるチャイコフスキーである。

ラフマニノフはまさにギレリスの面目躍如で、圧倒的な技巧と豊かな情感が深いところで結び付いている。

途方もないようなスケールの大きさ、周囲のものをなぎ倒してでも進むような逞しいエネルギー、外に向かって爆発するような力、内側に向かって果てしなく沈潜していくような力、そして、その両方の力の微妙なバランス等々、この曲の再現に求められているほとんどすべてといっていい要素を、ギレリスの演奏はカヴァーし得ている。

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classicalmusic at 21:42コメント(0)トラックバック(0)ギレリスライナー 

2013年06月18日


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ドイツの名指揮者であったアイヒホルンであるが、本盤に収められたブルックナーの交響曲選集は、その最良の遺産と言っても過言ではあるまい。

第1番、第3番及び第4番の録音を果たすことなくこの世を去ってしまったのは大変残念なことであるが、第2番についてはキャラガンによる新しい校訂版を用いたり、第9番については、通例の第3楽章までの演奏に加えて、1992年に刊行された未完の第4楽章の復元版を世界に先駆けて録音するなど、ブルックナーの研究学的にも極めて貴重な選集ということができるのではないだろうか。

こうしたブルックナーの交響曲の演奏に際しては避けて通ることができない版の問題への強い拘りは、アイヒホルンによる長年に渡って地道に積み重ねてきたブルックナー研究の成果であるとともに、ブルックナーの交響曲に対して深い愛着を抱いていた証左とも言えるところだ。

演奏も素晴らしい。

1990年代に入って、神々しいまでの超名演を繰り広げたヴァントや朝比奈などの演奏ほどの高峰に聳え立ったものとは言い難いが、それでも演奏の持つ懐の深さやいぶし銀の輝きさえ感じさせる重厚さは、ブルックナーの交響曲演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

6曲の演奏は、いずれ劣らぬ名演であると評価したいが、第5番や第7番〜第9番の4曲については、前述のヴァントや朝比奈、そして他の海千山千の大指揮者がそれぞれ素晴らしい名演の数々を成し遂げていることから、アイヒホルンによる本選集の演奏をベストの名演とするのはいささか困難と言わざるを得ないところだ。

これに対して、第2番及び第6番については、それぞれの楽曲の演奏史上でもトップの座を争う名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

特に圧倒的なのは第2番の演奏であり、演奏全体の堅固な造型を堅持しつつ、スケールは雄大であり、ブラスセクションの朗々たる響かせ方もいささかも無機的に陥ることなく、重厚で剛毅な中にも豊かな情感を失うことがないのが素晴らしい。

彫りの深さにも尋常ならざるものがあり、ブルックナーの初期の交響曲であるにもかかわらず、これほどの奥行きの深さ、そしてスケールの雄大さを感じさせる演奏は、他にも類例を見ないと言ってもいいだろう。

同曲の名演には、ヨッフムやジュリーニなどによるものが存在しているが、スケールの雄大さや懐の深さと言った点においては、アイヒホルンによる本演奏の方を随一の名演に掲げるべきではないかと考えているところだ。

第6番も素晴らしい。

同曲にはヨッフムやヴァントによる名演が成し遂げられているが、ヨッフムのロマンティシズム溢れる演奏と、ヴァントによる重厚かつ剛毅な演奏の中間に位置する演奏とも言えるところであり、剛柔のバランスがとれた演奏という意味では、随一に掲げられる名演と言ってもいいのではないだろうか。

アイヒホルンの確かな統率の下、渾身の名演奏を繰り広げたリンツ・ブルックナー管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。

そして、本選集の素晴らしさは、リマスタリングによって大幅な高音質化が図られたことであり、素晴らしい音質に生まれ変わった。

加えて、100ページ以上にも及ぶ詳細で読み応えのある解説書が添付されたのも見事であり、アイヒホルンによる名演奏も相俟って、全体として至高の名選集と高く評価したい。

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2013年06月17日


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本演奏を聴いて大変驚くとともに深い感銘を覚えた。

サヴァリッシュと言えば、どうしてもNHK交響楽団を指揮した、立派ではあるが大人しい演奏が印象的であるだけに、筆者としても、これまで所詮はベームの亜流指揮者としてあまり高い評価をして来なかった。

史上最年少でバイロイト音楽祭に登場するなど、才能には抜群のものがあり、凡演は少ないものの、他の指揮者を圧倒するような名演を成し遂げることも殆どないと言ったところが、これまでのサヴァリッシュに対する共通の評価と言えるのかもしれない。

しかしながら、本盤の両曲の演奏は、そうした印象を覆すのに十分な圧倒的な演奏と言えるのではないだろうか。

冒頭のモーツァルトの交響曲第39番からして、重厚で彫りの深い表現に大変驚かされる。

演奏全体の堅固な造型美は相変わらずであるが、それ以上にどこをとってもあたりを振り払うような威容に満ちた風格が漂っているのが素晴らしい。

あたかもベートーヴェンの交響曲に接する時のような硬派の演奏と言えるが、それでいて四角四面に陥らず、モーツァルトらしさをいささかも失わないというのは、多分にウィーン・フィルによる美演によるところが大きいと言える。

いや、むしろ、ウィーン・フィルにこれだけの名演奏をさせたサヴァリッシュの類稀なる才能と統率力を褒めるべきであろう。

いずれにしても、このような素晴らしい超名演を聴いていると、ベームがサヴァリッシュを何故に高く評価し、信頼していたのかがよく理解できるところだ。

次いで、ブルックナーの交響曲第9番も凄い超名演だ。

まさに壮絶の極みとも言うべき豪演であり、指揮者の名前を伏せて聴くと、サヴァリッシュによる演奏であると言い当てる者は殆どいないのではないか。

とてもNHK交響楽団を指揮していたサヴァリッシュとは思えないような凄みのある指揮ぶりであり、多くの聴き手が、サヴァリッシュに対するこれまでの印象を大きく変えるきっかけとなるかもしれない。

そして、おそらくは、サヴァリッシュによる最高の超名演と言っても過言ではないと言えるのではないだろうか。

第1楽章からしてテンションは全開。

とかく安全運転に終始しがちなサヴァリッシュ&NHK交響楽団による演奏とはそもそも次元が異なる緊迫感に貫かれていると言えるところであり、どこをとっても濃密かつ重厚な音楽が紡ぎ出されているのが素晴らしい。

ブラスセクションなども最強奏させているが、いささかも無機的になることなく、懐の深さを有しているのが見事である。

第2楽章の速めのテンポによって畳み掛けていくような気迫や怒涛のような重量感溢れる進軍にはただただ手を汗握るのみ。

本気になった指揮者とオーケストラによる真剣勝負のぶつかり合いがここにあると言えるだろう。

終楽章も凄まじい。

1990年代にヴァントや朝比奈が成し遂げた悠揚迫らぬインテンポによる演奏とは大きく異なり、テンポの効果的な振幅なども織り交ぜたドラマティックな表現も駆使しているが、ブルックナーらしさをいささかも失わないというのは、サヴァリッシュがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みしているからに他ならない。

そして、ウィーン・フィルによる極上の美を誇る名演奏が、本演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

演奏終結の後、かなりの間をおいて拍手が沸き起こるのも、当日の聴衆の深い感動を物語るものと言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、サヴァリッシュによる至高の超名演であり、サヴァリッシュに対する印象を一変させるだけのインパクトのある圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質は、1983年のライヴ録音であるが、十分に満足できる良好な音質と高く評価したい。

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2013年06月16日


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ケルテスは才能のある偉大な指揮者であった。

1973年のイスラエルでの海水浴中の悲劇の事故がなければ、当時43歳の若さであっただけに、その後の指揮者地図が大きく変わったであろうことは否定し得ない事実である。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第2番の演奏は1960年頃のスタジオ録音であり、ケルテスが未だ31歳という若き日の演奏だ。

それだけに、演奏に奥行きのある彫りの深さを求めることは困難ではあるが、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っており、まさに若武者ならではの爽快な演奏に仕上がっている。

そして、ケルテスが素晴らしいのは、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏には陥っておらず、どこをとっても瑞々しささえ感じさせるような豊かな情感が込められている点である。

これが、本演奏が気鋭の若手指揮者による演奏らしからぬ内容の濃さを有している所以であると言えるところであり、ケルテスが死の直前にバンベルク交響楽団の首席指揮者への就任が決定していたことも十分に理解できるところだ。

併録のハイドンの交響曲第45番も素晴らしい名演だ。

ハイドンの交響曲の演奏様式については、近年では現代楽器を使用した古楽器奏法や、ピリオド楽器を使用した、いわゆる小編成のオーケストラによる軽妙な演奏が主流となっている。

そのような中で、本演奏のような重厚にしてシンフォニックな演奏は稀少なものと言えるが、演奏の持つ力感や内容の濃さには尋常ならざるものがあり、その充実度は近年の演奏など本演奏の足元にも及ばないと言えるだろう。

何よりも凄いのは、このような偉大な演奏を1960年というケルテスが指揮者デビューした若干31歳という若き日に成し遂げたということであり、いかにケルテスが類稀なる才能を有した指揮者であったのかがわかろうというものである。

いずれにしても、本演奏は、若き日のケルテスによる素晴らしい名演であるとともに、軽妙浮薄な演奏が流布している現代においてこそその存在価値が大きい至高の名演と高く評価したい。

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2013年06月15日


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一昨年、ユニバーサルがSACDの発売を再開してから、SACD復活の兆しが見られつつあったところであるが、昨年より、EMI、アルトゥスが相次いで発売を開始。

そして、一時はBlu-spec-CDでお茶を濁していたソニークラシカルまでがヴァントによる過去の超名演のSACD化を開始した。

SACDの発売に対して消極的姿勢に転じつつあるオクタヴィアには若干の疑問を呈したいところであるが、パッケージメディアが瀕死の状態にある中で、極めて実りの多い状況になりつつあると言えるのではないだろうか。

そのような良好な流れの中で、日本コロムビアがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の発売を昨年より開始するとともに、今般、FM東京のアーカイヴ録音を発売していたTDKの版権を獲得して、その貴重な名演の数々のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を開始したというのは、実に素晴らしいことであると言えるだろう。

今回は、その第1弾として、没後30年を迎えたベームと、本年惜しくも逝去されたザンデルリンクによる歴史的な来日公演の際の名演がSACD化の対象として選定されたのは、その演奏の素晴らしさから言っても見事な選択と言っても過言ではあるまい。

本盤には、ベームが1977年に3度目の来日を果たした際のライヴ録音を収めており、楽曲は、モーツァルトの交響曲第29番、ブラームスの交響曲第2番、R・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」など、ベームのお得意のレパートリーで占められているのが特徴である。

先ず、モーツァルトの交響曲第29番であるが、ベームは同曲のスタジオ録音を繰り返して行っており、名高いのはベルリン・フィルとの交響曲全集(1959年〜1968年)に含まれる演奏、そして最晩年のウィーン・フィルとのスタジオ録音(1979年)である。いずれ劣らぬ名演であるが、実演でこそその真価を発揮するベームだけに、演奏の持つ根源的な迫力や音楽をひたすら前進させていこうという強靭な生命力において、本演奏は頭抜けた存在と言えるのではないだろうか。

全体の堅固な造型、そしてシンフォニックな重厚さを兼ね備えたいわゆる旧スタイルの演奏ではあるが、軽妙浮薄なモーツァルトの交響曲の演奏様式が定着しつつある現代においてこそ存在価値がある、まさに古き良き時代の味わい深さを多分に有した素晴らしい名演と高く評価したい。

加えて、最晩年のベームならではのゆったりとしたテンポによる演奏には、深沈とした独特の味わい深さがある。

ブラームスの交響曲第2番については、ベームは、ベルリン・フィル(1956年)及びウィーン・フィル(1975年)とともに2度にわたってスタジオ録音を行っている。

このうち、特にウィーン・フィルとの演奏は素晴らしい名演であるが、モーツァルトの交響曲第29番と同様に、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫といい、演奏の持つ圧倒的な力強さといい、本演奏こそはベームが遺した同曲の最高の名演と言っても過言ではあるまい。

R・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」は、シュターツカペレ・ドレスデンとのスタジオ録音(1957年)以来の録音ということになるが、これはそもそも本演奏とは勝負にならない。

本演奏の持つ、切れば血が噴き出てくるような強靭な生命力は、とても83歳の老巨匠とは思えないほどの圧倒的な迫力を誇っており、ベームとしても会心の名演と言えるのではないだろうか。

その他にも、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲なども収められており、ゲネプロではあるが、同時期のスタジオ録音(1978年)とは比較にならないほどの素晴らしい名演と高く評価したい。

ウィーン・フィルも、ベームの統率の下、持ち得る実力を十二分に発揮した最高のパフォーマンスを発揮している。

音質は、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤だけに、従来CD盤とはそもそも次元の異なる高音質である。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ベームによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:13コメント(0)トラックバック(0)ベーム 

2013年06月14日


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近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る交響曲第8番の録音の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという人もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

本盤に収められたマーラーの交響曲第5番及び第10番は、前述の交響曲全集に収められたものからの抜粋である。

テンシュテットのマーラーの交響曲第5番と言えば、同じく手兵ロンドン・フィルとの演奏であるが、来日時のライヴ録音(1984年)や壮絶の極みとも言うべき豪演(1988年)が有名であり、他方、交響曲第10番については、ウィーン・フィルとの一期一会の名演(1982年)が名高いところだ。

それだけに、本盤に収められた演奏は、長らく陰に隠れた存在とも言えるところであったが、今般、久々に単独での発売がなされたことによって、その演奏の素晴らしさがあらためてクローズアップされた意義は極めて大きいものと言わざるを得ない。

確かに本演奏は、咽頭がん発病後、一つ一つのコンサートに命がけで臨んでいた1988年の演奏ほどの壮絶さは存在していないが、それでも前述のようなテンポの思い切った振幅を駆使したドラマティックにして濃厚な表現は大いに健在であり、スタジオ録音ならではのオーケストラの安定性も相俟って、第10番ともども、まさにテンシュテットのマーラー演奏の在り様が見事に具現化された至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

本盤に収められた演奏については、前述のように個別には手に入らず、全集でしか手に入らなかったことから、HQCD化などの高音質化がこれまで施されていなかったが、そのような中での、今般のSACD化は長年の渇きを癒すものとして大いに歓迎したい。

いずれにしても、本SACD盤を聴いて大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、テンシュテットによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

そして、可能であれば、全集の他の交響曲の演奏についても、SACD化して欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

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classicalmusic at 21:58コメント(0)トラックバック(0)マーラーテンシュテット 

2013年06月13日


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凄い演奏だ。

リャードフの八つのロシア民謡より「愁いの歌」を除くと、極めてポピュラーな名曲ばかりが収められているが、朝比奈は、ポピュラーな名曲であっても、楽曲に合わせて自らの芸風を変化させるようなことはしない。

聴かせどころのツボを心得た演奏など薬にしたくもなく、それこそ、朝比奈が得意とするブルックナーやベートーヴェン、ブラームスなどの交響曲に接する場合と同様の悠揚迫らぬアプローチで演奏を行っていると言えるだろう。

したがって、演奏のスケールは極大であり、音楽そのものの大きさがこれらのいわゆる小品にはそもそもハイスペックに過ぎるとさえ言えるだろう。

それ故、聴き手によっては、違和感を感じるであろうし、鶏を割くのに牛刀を持ってとの諺にも例える人さえいるのではないかとも考えられるところだ。

しかしながら、筆者としては、これら小品についても、いささかの手抜きをせずに、自らの芸風を如何なく披露して、まさに真剣勝負で壮大な演奏を繰り広げた朝比奈に対して大きな拍手を送りたい。

いや、むしろ、軽妙浮薄な演奏があまた氾濫している嘆かわしい状況にある中で、朝比奈による重厚な演奏は非常に貴重な存在と言えるのではないだろうか。

冒頭のチャイコフスキーの弦楽セレナードからして、その悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定と、構えの大きい音楽に圧倒されてしまう。

その演奏の随所から発散されるエネルギーの凄まじさにはただただ圧倒されるのみであり、とかく甘い旋律の美しさに耳を奪われがちな同曲の真の魅力を抉り出すことに成功した稀有の名演と高く評価したい。

R・コルサコフの序曲「ロシアの復活祭」も、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なる。

管弦楽法の大家として知られるR・コルサコフの作品だけに、そうしたオーケストレーションの見事さに関心が行ってしまいがちな同曲であるが、朝比奈は、重厚かつ彫りの深い表現で、同曲の知られざる魅力を描出するのに成功していると言えるだろう。

随所に付加されたテンポの思い切った振幅も実に効果的だ。

リャードフの八つのロシア民謡より「愁いの歌」は、筆者としても初めて聴く楽曲であり、他の演奏との比較はできないが、それでも本演奏は、朝比奈だけに可能な深沈たる奥行きを感じさせる重厚な名演と言えるのではないか。

ウェーバーの「オイリアンテ」序曲も素晴らしい名演であるが、更に凄いのは、ヨハン・シュトラウス2世の3曲。

とりわけ、皇帝円舞曲の雄渾なスケールによる演奏は、もはやワルツというジャンルを超えた一大交響曲にも比肩し得るだけの崇高さを湛えているとさえ言えるところであり、朝比奈の偉大さをあらためて認識させられたところだ。

いずれにしても、本盤の各演奏は、朝比奈のスケール雄大な、そして彫りの深い芸術を存分に味わうことができる圧倒的な名演と高く評価したい。

音質は、1970年代半ばから1980年代前半にかけてのライヴ録音であるが、モノラル録音であるウェーバーの「オイリアンテ」序曲を除けば十分に良好な音質と言えるところであり、朝比奈の偉大な芸術を良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:35コメント(0)トラックバック(0)朝比奈 隆 

2013年06月12日


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ヴァントの伝記を紐解くと、ブルックナーの交響曲の演奏に生涯をかけて取り組んできたヴァントが特別視していた交響曲は、第5番と第9番であったようだ。

朝比奈も、交響曲第5番を深く愛していたようであるが、録音運がいささか悪かったようであり、最晩年の大阪フィルとの演奏(2001年)を除くと、オーケストラに問題があったり、はたまた録音に問題があったりするなど、いささか恵まれているとは言い難い状況に置かれているところである。

これに対して、ヴァントの場合は、あくまでも比較論ではあるが、かなり恵まれていると言えるのではないだろうか。

ヴァントが遺したブルックナーの交響曲第5番の録音は、唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1974年)、そして、本盤に収められた手兵北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1989年)、数年前に発売されて話題となったベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ録音(1991年)、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(1995年)、そして不朽の名演として名高いベルリン・フィルとのライヴ録音(1996年)という5種類を数えるところであり、音質、オーケストラの力量ともにほぼ万全であり、演奏内容もいずれも極めて高水準である。

この中でも、最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、北ドイツ放送交響楽団との最後の録音となった本盤の演奏も、さすがにミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、十分に素晴らしい名演と高く評価したい。

1980年代までのヴァントによるブルックナーの交響曲の演奏におけるアプローチは、厳格なスコアリーディングの下、楽曲全体の造型を厳しく凝縮化し、その中で、特に金管楽器を無機的に陥る寸前に至るまで最強奏させるのを特徴としており、優れた演奏である反面で、スケールの小ささ、細部に拘り過ぎる神経質さを感じさせるのがいささか問題であった。

前述のケルン放送交響楽団との演奏は、優れた名演ではあるものの、こうしたスケールの小ささが気にならないとは言えないところだ。

これに対して、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの両超名演は、ヴァントの厳格なスコアリーディングに裏打ちされた厳しい凝縮型の演奏様式に、最晩年になって漸く垣間見せるようになった懐の深さが加わり、スケールに雄大さを増し、剛柔併せ持つ至高・至純の境地に達している。

本盤の演奏は、これらの超名演の6〜7年前の録音ということになるが、ベルリン・ドイツ交響楽団との演奏(1991年)と同様に、頂点に登りつめる前の過渡期にある演奏と言えるかもしれない。

後年の超名演にあって、本盤の演奏に備わっていないのはまさに懐の深さとスケール感。

全体の厳しい造型は本盤においても健在であり、演奏も荘重さの極みであるが、いささか懐の深さが不足し、スケールがやや小さいと言えるのではないだろうか。

しかしながら、これは極めて高い次元での比較であり、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:22コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

2013年06月10日


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本盤の売りは、同じくエクストンレーベル(オクタヴィア)から発売されたアシュケナージ&チェコ・フィルによるR・シュトラウスの管弦楽曲集の名演盤(1998年)と同様に、何と言ってもシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる極上の音質のあまりの素晴らしさであろう。

数年前には殆ど絶滅の危機に瀕していたSACDであるが、2010年よりユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズ開始したことや、EMIが2011年よりSACDに参入したことによって、急速に息を吹き返しつつある。

ネット配信が隆盛を極める中で、パッケージメディアの最後の砦はSACDと考えるところであり、今後とも、大手メーカーが引き続きSACDの発売を積極的に行っていただくことを強く要望しておきたい。

ところで、ユニバーサルやEMIによるSACD盤は、その殆どはマルチチャンネルが付いていない2チャンネル方式となっている。

SACDが発売された当初はマルチチャンネルが売りであっただけに、SACDの復活は嬉しい反面で、いささか複雑な思いがしているところでもある。

オクタヴィアも数年前からマルチチャンネル付きのSACDの発売を取りやめてはいるが、本盤のような圧倒的な高音質SACDを聴くと、このままマルチチャンネル付きのSACDが衰退していくのは大変惜しい気がするところだ。

マーラーの交響曲のような立体的とも言うべき豪壮華麗なオーケストレーションの魅力を満喫するためには、何と言ってもマルチチャンネル付きのSACDは必要不可欠とも言えるところであり、マーラーの交響曲第9番のマルチチャンネル付きのSACD盤が、他にはシャイーなどの一部の演奏に限られていることに鑑みても(バーンスタインの旧盤は3チャンネル)、本盤の価値は極めて高いと言わざるを得ないのではないかと考えられる。

演奏内容については、マーラーの交響曲の中でも最も奥深い内容を湛えた第9番だけに、必ずしも名演との評価をすることは困難と言えるかもしれない。

もっとも、並み居るスタープレイヤーが揃ったチェコ・フィルによる名演奏も相俟って、後述のようなアシュケナージによる音楽そのものを語らせる指揮ぶりが、マーラーの交響曲第9番の魅力を浮かび上がらせることに成功しているとも言えるところであり、少なくとも佳演の評価は可能であると言えるのではないだろうか。

本演奏の特徴を一言で言えば、楽曲の魅力をダイレクトに表現した自然体の演奏ということになるのではないかと考えられる。

本演奏においては、特別な個性などは全く存在していない。

奇を衒うことなど一切排して、ただただ音楽そのものを語らせる演奏に徹しているとさえ言える。

楽曲の聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さも見事に功を奏しており、表情づけの巧みさや各楽器セクションのバランスの良い鳴らし方なども相俟って、マーラーの交響曲第9番の美しさ、魅力を、安定した気持ちで心ゆくまで満喫することが可能な演奏に仕上がっているとも言えるだろう。

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classicalmusic at 21:37コメント(0)トラックバック(0)マーラーアシュケナージ 

2013年06月09日


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シューベルトの室内楽曲の最高峰、それどころかシューベルトによるあらゆる楽曲の最高傑作の一つでもある弦楽五重奏曲ハ長調は、シューベルトの最晩年の心底に潜む寂寥感が随所に滲み出てくるような旋律の清澄な美しさが魅力の珠玉の名品である。

これだけの傑作であるにもかかわらず、同曲のSACD盤は現在においても存在していない。

特に、第2楽章のこの世のものとは思えないような繊細な美しさは、SACDによる高音質によってはじめてその真の魅力を味わうことが可能と言っても過言ではあるまい。

そのような長年の渇きを癒してくれる素晴らしいSACD盤が登場したのは何という素晴らしいことであろうか。

しかも、マルチチャンネルが付いていることもあって、臨場感溢れる音場の幅広さには出色のものがあり、同曲の美しさ、素晴らしさを望み得る最高の音質で味わうことができるという本盤の意義は極めて大きいと言わざるを得ないだろう。

そして、演奏内容も実に素晴らしい。

東京弦楽四重奏団に、ベテランのチェロ奏者であるデイヴィッド・ワトキンを加えたアンサンブルは絶妙であり、その息の合った名コンビぶりは、本名演に大きく貢献していると言ってもいいのではないだろうか。

また、東京弦楽四重奏団とデイヴィッド・ワトキンによる本演奏におけるアプローチは、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出していくというオーソドックスとも言えるものだ。

したがって、聴き手を驚かすような特別な個性などは薬にしたくもないが、それでも淡々と流れていく各旋律の端々からは、独特の豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、シューベルトの最晩年の心底にある寂寥感や絶望感をほのかに感じさせてくれるのが見事である。

また、東京弦楽四重奏団の各奏者は、世界に6セットしかないと言われているパガニーニ選定のストラディヴァリウスを使用しており、それによって醸し出される独特の美しい音色は、本演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

併録の、弦楽四重奏曲第12番ハ短調「四重奏断章」も、東京弦楽四重奏団のかかる美質があらわれた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、前述のようにマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さ、臨場感など、どれも一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、シューベルトの最晩年の最高傑作である弦楽五重奏曲の東京弦楽四重奏団とデイヴィッド・ワトキンによる素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)シューベルト東京SQ 

2013年06月08日


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凄い超名演だ。

これほどまでに心が揺さぶられる演奏は、他にもほとんど例がないと言っても過言ではあるまい。

テンシュテットは、1985年に咽頭がんを患った後は、健康状態を確認しながら一つ一つのコンサートにそれこそ命がけで臨んでいた。

もっとも、本演奏が行われた1986年は、いまだ病状が深刻化しておらず、コンサートの数も比較的多かったとのことであるが、それでも演奏にかける渾身の情熱には尋常ならざるものがあったと言えるのではないか。

本盤の演奏についても、楽曲の性格からして第2番や第5番、第6番の豪演ほどの壮絶さはないものの、それでも凄まじいまでの迫力を誇っているというのは、まさにそれをあらわしていると言えるだろう。

第1楽章冒頭の8本のホルンによる壮麗な咆哮からして、とてつもないエネルギーが充満している。

その後は、第1楽章及び第2楽章ともに、迫りくる死に追い立てられているような焦燥感さえ感じさせるやや速めのテンポを基調としつつ、変幻自在のテンポの振幅、そして思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドやディミヌエンド、そしてゲネラルパウゼなどを大胆に駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき劇的な豪演を展開している。

そして、演奏のどこをとっても切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力と強靭な気迫に満ち溢れており、加えて、すべての音に尋常ならざる熱き情感が込められるなど、その凄みのある表現は我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

第3楽章や第4楽章において、中庸のテンポによって楽想を徹底して心を込めて歌い上げていくのも感動的であると言えるし、第5楽章の合唱も清澄にして崇高な美しさを誇っている。

また、終楽章の奥行きの深い表現は出色のものがあり、まさにマーラーの全交響曲を貫くテーマの一つである生への憧憬と妄執を見事に音化し尽くしたものとも言えるだろう。

テンシュテットは、交響曲第3番を本演奏の7年前の1979年にもスタジオ録音しており、それも素晴らしい名演であったが、強靭な気迫や渾身の生命力、そして、迫りくる自らの死を予見していたが故に演奏全体に漲っているとも言える心を込め抜いた熱き情感において、本演奏には到底及ばないものと考える。

また、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルも、テンシュテットの命がけの渾身の指揮に必死になって喰らいつき、おそらくは持ち得る実力以上のものを発揮した大熱演を繰り広げたことも、本超名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

第4楽章のメゾ・ソプラノのヴァルトラウト・マイアーによる独唱や、第5楽章のイートン・カレッジ少年合唱団やロンドン・フィルハーモニー合唱団による合唱も、その実力を十二分に発揮した最高のパフォーマンスを発揮していると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、マーラーの交響曲第3番の名演としては、同じくライヴ録音でもあるバーンスタイン&ニューヨーク・フィルによる至高の超名演(1988年)が存在しているが、本演奏もそれに肉薄する圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質も、1986年のライヴ録音としては、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールの残響を生かした十分に満足できるものであり、テンシュテットによる超名演を良好な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年06月07日


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スヴェトラーノフの若き日の圧倒的な名演の登場だ。

いまだショスタコーヴィチが存命の時代であり、なおかつ旧ソヴィエト連邦が存在していた時代。

しかも、東西冷戦下で、旧ソヴィエト軍を中核としたワルシャワ条約機構軍がチェコの民主化を阻止するために、チェコ全土を占領化に置くといういわゆる「プラハの春」が勃発した日の翌日の演奏である。

当時の西側諸国からすれば、こうした東側諸国、とりわけ旧ソヴィエト連邦による軍事行動は許し難い暴挙であり、旧ソヴィエト連邦への敵対意識が否応なしに高まっていたことは想像に難くないところだ。

そのような中で、旧ソヴィエト連邦の指揮者であるスヴェトラーノフとソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)が、当時、旧ソヴィエト連邦政府に忠実な作曲家であると西側諸国では誤解されていたショスタコーヴィチの交響曲第10番を、ロンドンで演奏するということは、当時の西側諸国の旧ソヴィエト連邦への悪感情を考えると、ある意味では実に無謀な行為であったとも言える。

実際に、コンサートは抗議の声で騒然となり一時は演奏を中断せざるを得なくなったとのことであり、本盤においても冒頭の何小節かが何人かの聴衆の抗議の声で聴き取れなくなるなど、当時の厳しい状況が生々しく記録されている。

しかしながら、そうした厳しい状況の中でもめげることなく、最後まで演奏を行ったスヴェトラーノフ、そしてソヴィエト国立交響楽団の不屈の精神力にまずは拍手を送るべきであろう。

そして演奏も素晴らしい。

さすがに、本演奏には、後年のスヴェトラーノフの演奏のようなスケールの大きさは存在していないが、前述のような逆境を演奏に最大限に生かしたとも言えるような、圧倒的な生命力や強靭な気迫が演奏全体に漲っている。

ショスタコーヴィチと同時代を生き、そして例えて言えば現在の北朝鮮のようなとんでもない共産党独裁国家であった旧ソヴィエト連邦下に生きていたスヴェトラーノフとしても、同曲に込められた独裁者スターリンへの怒り、粛清への恐怖と粛清された者への鎮魂などのあらゆるメッセージに深く共感していたはずであり、そうしたものを十分に汲み取った彫りの深い凄みのある表現が、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っていると考えられるところだ。

もちろん、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる超名演(1976年)ほどの深みには達しているとは言い難いが、39歳の若きスヴェトラーノフが、前述のような逆境を乗り越えて、これだけの凄みのある豪演を成し遂げたことを高く評価したい。

演奏終了後の圧倒的な熱狂は、冒頭の抗議の罵声を含めて考えると、いかに本演奏が当日の聴衆に深い感銘を与えたのかがよく理解できるところだ。

併録のチャイコフスキーやR・コルサコフの楽曲も、スヴェトラーノフならではの強靭な迫力とメランコリックな抒情が相俟った素晴らしい名演だ。

音質は、1960年代のライヴ録音、しかもモノラル録音ということもあって、音場が今一つ広がらない(特に、交響曲第10番の第1楽章)のが残念ではあるが、アンビエント・マスタリングによってかなり聴きやすい音質になっている点を評価したい。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)スヴェトラーノフショスタコーヴィチ 

2013年06月06日


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EMIがフルトヴェングラーの一連の歴史的な名演やアルゲリッチの名演のSACD化を相次いで行っているのは、今年のクラシック音楽界における大きな快挙の一つであると言えるが、EMIはついにラトルの一連の録音のSACD化を開始することになったのは実に素晴らしいことである。

SACD化を行うにあたって選ばれた演奏については首をかしげざるを得ないものも含まれてはいるが、ネット配信によってパッケージメディアの権威が大きく揺らいでいる中でのEMIのこのような果敢なSACD化への取組は、SACDの生みの親でありながら近年では消極的な姿勢に終始しているソニー・クラシカルの体たらくを考えると、高く評価したいと考える。

本盤に収められたマーラーの交響曲第5番は、ラトルがベルリン・フィルの芸術監督就任を記念して行ったコンサートのライヴ録音である。

筆者は、本演奏について、ラトルの他の演奏のレビューを投稿する際に芳しくない評価を記し続けてきたが、今般のSACD盤を聴いてもその印象はさほど変わらなかったと言わざるを得ない。

そうなった理由はいくつかあるが、やはりラトルの気負いによるところが大きいのではないだろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督という、フルトヴェングラーやカラヤンと言った歴史的な大指揮者が累代に渡ってつとめてきた最高峰の地位についたラトルにしてみれば、肩に力が入るのは当然であるが、それにしてはラトルの意欲だけが空回りしているような気がしてならないのだ。

ベルリン・フィルの猛者たちも、新芸術監督である若きラトルの指揮に必死でついていこうとしているようにも思われるが、ラトルとの息が今一つ合っていないように思われる。

そうした指揮者とオーケストラとの微妙なズレが、本演奏にいささか根源的な力強さを欠いていたり、はたまた内容の濃さを欠いていたりすることに繋がっているのだと考えられるところだ。

もちろん、ベルリン・フィルの芸術監督に就任したばかりの若きラトルに過大なものを要求すること自体が酷であるとも言える。

ラトルは現在、マーラーイヤーを記念してマーラーチクルスを開始しており、昨年2月に発売された交響曲第2番など圧倒的な名演を成し遂げているところである。

したがって、現在の円熟のラトルが、ベルリン・フィルを指揮して交響曲第5番を再録音すれば、おそらくは本演奏を凌駕する圧倒的な名演を期待できるのではないかと考えられるところであり、今後はそれを大いに期待したいと考える。

それにしても、本SACD盤の音質はとてつもなく鮮明なものだ。

本盤については、既にHQCD盤が発売されているが全く問題にならない。

あらためて、SACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

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classicalmusic at 23:46コメント(0)トラックバック(0)マーラーラトル 

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ラトルは今日でこそベルリン・フィルを完全に掌握し、現代を代表する大指揮者の一人として数々の名演を成し遂げつつあるが、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してから数年間は鳴かず飛ばずの状態が続いていた。

今般、同様にSACD化された、芸術監督お披露目公演のマーラーの交響曲第5番も、意欲だけが空回りした凡庸な演奏であったし、その後もシューベルトの交響曲第8(9)番「ザ・グレート」、ブルックナーの交響曲第4番、R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」など、箸にも棒にもかからない凡演の山を築いていた。

本盤には、ホルストの組曲「惑星」と、コリン・マシューズによる「冥王星」、そして、国籍の異なる4人の作曲家による宇宙をテーマとした小品が収められているが、このうち、メインの組曲「惑星」が、イマイチの凡庸な演奏に成り下がっていると言えるところだ。

ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は、名うての一流奏者たちを掌握するのに相当に苦労したのではないだろうか。

そして、プライドの高い団員の掌握に多大なる労力を要したため、自らの芸術の方向性を見失っていたのではないかとさえ考えられるところだ。

それ故に、必然的に意欲だけが空回りした演奏に終始してしまっていると言える。

本演奏も美しくはあるが根源的な力強さがない。

同曲を精緻に美しく描き出すことにつとめたのかもしれないが、本演奏を聴く限りにおいては、ラトルが同曲をこのように解釈したいという確固たる信念を見出すことが極めて困難である。

ラトルは1980年にも、フィルハーモニア管弦楽団とともに同曲を録音しているが、当該演奏の方が、若干の荒々しさは感じさせるものの、若武者ならではの気迫溢れる力強い熱演に仕上がっていたと言えるところであり、本演奏よりも数段優れた演奏のように思われるところだ。

メインの組曲「惑星」と比較して、コリン・マシューズによる「冥王星」や、国籍の異なる4人の作曲家による宇宙をテーマとした小品については、録音自体がそもそも珍しい楽曲であることや、おそらくはベルリン・フィルも演奏した経験を殆ど有していなかったこともあって、ラトルのペースで演奏が行われているように感じられるところである。

したがって、組曲「惑星」よりもラトルの解釈が演奏にしっかりと刻印されていると言えるところであり、これらの楽曲の演奏に関してはなかなかに優れた演奏ということができるのではないだろうか。

音質は驚天動地の鮮明な高音質である。

本盤については、既にHQCD盤が発売されているが全く問題にならない。

あらためて、SACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

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2013年06月05日


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アシュケナージは、ハイティンクなどと同様に賛否両論が分かれる指揮者であるが(ピアニストとしても)、アシュケナージに厳しい評価をするクラシック音楽ファンでも、ラフマニノフの演奏に関しては高い評価をする人も多いのではないだろうか。

ベートーヴェンやブラームスの交響曲においては、過不足のない演奏を行ってはいるものの、今一つ踏み込み不足の感が否めないアシュケナージではあるが、ラフマニノフの楽曲を指揮する際には(そして、ピアニストとしてピアノ演奏する際には)、まさに大芸術家に変貌すると言っても過言ではあるまい。

ラフマニノフと同様に旧ソヴィエト連邦から亡命をしたロシア人であり、ピアニストであるという同じような経歴を有するということが、アシュケナージのラフマニノフへの深い愛着とともに畏敬の念に繋がっているとも考えられる。

アシュケナージが指揮したラフマニノフの交響曲や管弦楽曲、協奏曲、合唱曲、そしてピアニストとして演奏した協奏曲やピアノ曲については、相当数の膨大な録音が存在しているが、いずれも素晴らしい名演であり、それらに優劣を付けるのは困難である。

本盤には、ラフマニノフが自称最高傑作と評していた合唱交響曲「鐘」を軸に、「6つの合唱曲」、カンタータ「春」、そして「3つのロシアの歌」が収められているが、ラフマニノフに私淑するアシュケナージならではの圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。

アシュケナージは、合唱交響曲「鐘」を、1980年代前半にもコンセルトヘボウとともにスタジオ録音を行っており、それも名演ではあったが、筆者としては、後述の音質面をも含めて総合的に勘案すると、本演奏の方をより上位に掲げたい。

そして、同曲には、デュトワやポリャリンスキーなどによる演奏以外に目ぼしい演奏が乏しいことに鑑みれば、本演奏こそは、同曲演奏史上最高の超名演との評価もあながち言い過ぎではあるまい。

アシュケナージによる本演奏は、テンポの緩急、表情づけの巧みさ、ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた旋律の歌わせ方、壮麗にして重厚な迫力のすべてにおいて、これ以上は求め得ないような見事な演奏を繰り広げている。

このように述べると、あたかもとある影響力の大きい某音楽評論家がアシュケナージを貶す際に使用する「優等生的な演奏」のように思われるきらいもないわけではないが、アシュケナージの演奏の場合は、アシュケナージがラフマニノフの本質をしっかりと鷲掴みにしているため(というよりも、アシュケナージがラフマニノフ自身と化しているため)、本演奏こそが同曲演奏の理想像の具現化のように思われてならないのだ。

これは、バーンスタインがマーラーの交響曲や歌曲を演奏する時と同様であるとも言えるだろう。

まさに、指揮者と作曲家の幸福な出会いというのが、本演奏を超名演たらしめた最大の要因であると考えられる。

「3つのロシアの歌」、「6つの合唱曲」、そしてカンタータ「春」についても、合唱交響曲「鐘」と同様のことが言えるところであり、ラフマニノフの音楽を自らの血とし肉としたアシュケナージならではの圧倒的な超名演と高く評価したい。

アシュケナージの指揮の下、豊穣で極上の美を誇る弦楽合奏をベースとした渾身の名演奏を繰り広げたチェコ・フィルにも大きな拍手を送りたい。

マリーナ・シャーグチ(ソプラノ)、イリヤ・レヴィンスキー(テノール)、そしてセルゲイ・レイフェルクス(バリトン)の各独唱陣や、プラハ・フィルハーモニー合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

「6つの合唱曲」におけるアシュケナージのピアノ演奏の素晴らしさは、もはや言わずもがなである。

音質は、従来CD盤でもDSDレコーディングということもあって極めて良好なものと言えるが、ベストの音質は、同時期に発売されたシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACD盤である。

何よりも、マルチチャンネルが付いていることもあって、音質の極上の鮮明さに加えて音場に圧倒的な臨場感があるのが大きなメリットである。

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classicalmusic at 21:13コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフアシュケナージ 

2013年06月04日


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本盤には、ムターとオーキスが1998年に行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲録音(ライヴ録音)から有名な2曲を抜粋したものである。

かつては巨匠カラヤンの指導の下、10代でデビューしたムターは、カラヤン&ベルリン・フィルという土俵の上で懸命な演奏を行っていたところであるが、1989年にカラヤンが鬼籍に入った後の1990年代に入ってからはその素質や個性を大きく開花させ、個性的な演奏の数々を披露するようになった。

ムターのヴァイオリン演奏は、他の多くの女流ヴァイオリニストのように抒情的な繊細さや優美さで勝負するものではない。

一部の女流ヴァイオリニストによる演奏において聴かれるような線の細さなどはいささかも感じさせることはなく、常に骨太で明朗な音楽の構築につとめているようにも感じられる。

もっとも、かような明朗さを旨とする演奏にはいささか陰影に乏しいと言えなくもないが、ムターの年齢を考えるとあまり贅沢は言えないのではないかとも考えられる。

本演奏においても、そうした骨太で明朗な音楽づくりは健在であり、加えて、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げている。

それでいて、お涙頂戴の感傷的な哀嘆調に陥ることは薬にしたくもなく、常に格調の高さをいささかも失うことがないのがムターのヴァイオリン演奏の最良の美質であり、これはムターの類稀なる豊かな音楽性の賜物であると考えられる。

加えて、卓越した技量においても申し分がないが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしい。

また、ライヴ録音ということもあって、各楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような熱い生命力においてもいささかの不足はない。

このようなムターによる卓越したヴァイオリン演奏の引き立て役として、オーキスによるピアノ演奏も理想的であり、いずれにしても本演奏は、ムターによる円熟の個性的なヴァイオリン演奏を味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は1998年のライヴ録音ではあるが十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 21:18コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンムター 

2013年06月03日


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2011年秋よりラハティ交響楽団の新しい芸術監督に就任したオッコ・カムが、待望のシベリウスの管弦楽曲集の録音を開始した。

第1弾は、劇付随音楽「テンペスト」や交響詩「タピオラ」を軸とした管弦楽曲集であるが、交響曲が含まれるのかどうかなど今後のシリーズの行方には興味が尽きないところだ。

いずれにしても、今後のこのシリーズの継続、そして充実をこの場を借りて祈念しておきたい。

オッコ・カムは若手指揮者の登竜門と言われたカラヤンコンクールで優勝(1969年)し、カラヤンによるシベリウスの交響曲全集を録音(DG)する際に、第1番〜第3番の演奏を任されたという輝かしい経歴を有している。

その後、ヘルシンキ・フィルを率いて1982年に来日(当時35歳)を果たしたが、その際のライヴ録音もTDKより発売されている。

その演奏は、北欧の新世代を代表するような颯爽としたものであったが、そうした芸風は、若干の円熟味を加えつつも本演奏においてもなお健在と言えるだろう。

要所においては強靭な迫力も有しているものの、演奏全体としてはいささかも暑苦しくない、北欧の大自然を彷彿とさせるような清涼感に満ち溢れており、このような演奏を聴いていると、これぞ本物のシベリウスという気がしてくるから実に不思議だ。

全体としては爽快でフレッシュな息吹を感じさせるような演奏と言えるが、それでいてスコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの薄味な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても北欧の雄大な大自然を彷彿とさせるような豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。

劇付随音楽「テンペスト」におけるドラマティックで聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも心憎いばかりであり、あらためてオッコ・カムの類稀なる才能を感じさせられたところだ。

いずれにしても、本盤の演奏は、今や北欧を代表する円熟の大指揮者となりつつあるオッコ・カムによる清新さを感じさせる名演であり、今後のシリーズの続編への大きな期待を持てる名演とも言えるだろう。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

特に、交響詩「タピオラ」や交響詩「吟遊詩人」などにおける弦楽器の最弱音の再現には、かかる臨場感溢れる高音質は大きなアドバンテージであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年06月02日


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これは素晴らしい名演だ。

若き日のバーンスタインによる傑作の一つと言っても過言ではあるまい。

バーンスタインは、1980年代に入ると、演奏のテンポが大幅に遅くなるとともに、濃厚でいささか大仰な演奏を行うようになった。

マーラーの交響曲・歌曲集など、極めて優れた円熟の名演もある一方で、かかる晩年の芸風が大きくマイナスに働き、ウドの大木の誹りを免れないような凡演も多かったというのも否めない事実であった。

しかしながら、ニューヨーク・フィルの音楽監督(1958〜1970年)をつとめていた時代の若き日のバーンスタインの演奏は、こうした晩年の芸風とは正反対であり、若武者ならではの爽快で溌剌とした快演を数多く行っていた。

ある意味ではヤンキー気質丸出しの演奏と言えるところであり、オーケストラにも強引とも言うべき最強奏させることも多々あったが、それ故に音楽内容の精神的な深みの追求など薬にしたくもない薄味の演奏も多かったと言えるところだ。

もっとも、自ら作曲も手がけていたという類稀なる音楽性の豊かさは顕著にあらわれており、自らの芸風と符号した楽曲においては、熱のこもったとてつもない名演を成し遂げることも多かった。

例えば、この時代に完成されたバーンスタインによる最初のマーラーの交響曲全集(1960〜1975年)は、後年の3つのオーケストラを振り分けた全集(1966〜1990年)とは違った魅力を有している。

そして、本盤に収められたガーシュウィンの有名な2大名曲についても、当時のバーンスタインの芸風と符号しており、爽快で圧倒的な生命力に満ち溢れたノリノリの指揮ぶりが見事である。

とりわけ、ラプソディ・イン・ブルーにおいては、バーンスタインが指揮のみならずピアノまで受け持っているが、その才気が迸った情感のこもったピアノ演奏は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

円熟という意味では後年の演奏(1982年)を採るべきであるが、圧倒的な熱演という意味においては本演奏もいささかも引けを取っていない。

また、パリのアメリカ人は、あたかもこれからヨーロッパに進出していくバーンスタインの自画像を描いているような趣きがあり、自らに重ね合わせたかのような大熱演は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

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2013年06月01日


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近年のアバドは素晴らしい。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任した頃は、かつてのロンドン交響楽団の音楽監督時代のような力強さが影を潜め、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始しアバドもこれまでかと思っていたが、大病を克服した後は不死鳥のように生まれ変わった。

その後の演奏には、かつてのアバドにはなかった凄みと深さが加わり、今や現代最高峰の指揮者と言っても過言ではないほどの偉大な存在になりつつある。

本盤に収められたベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」も、まさにそのような偉大な指揮者による素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

アバド&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲の演奏(特に、最初の全集のうちの第1番〜第6番)については、そのあまりの軽妙さにいささか違和感を感じずにはいられなかったが、本演奏では同じベートーヴェンの楽曲であってもそのような違和感など微塵も感じさせない。

持ち前の豊かな歌謡性と音楽の核心に切り込んでいこうという鋭さ、そして、各場面の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さなど、どこをとってもこれ以上は求め得ないような卓越した表現力で、スケール雄大な音楽を構築しているのが素晴らしい。

このような素晴らしい名演を聴いていると、アバドこそは現代における世界最高のオペラ指揮者であることをあらためて認識させられるところだ。

冒頭の序曲の躍動感溢れる演奏の見事さ、第1幕終結部の囚人の合唱のこの世のものとは言えないような美しさ、第2幕冒頭の「神よ」の効果的な強調(これは、ヨナス・カウフマンの名唱を褒めるべきであるが)、そして、第2幕のフィナーレの囚人と人民の合唱等の壮麗さなど、実に感動的であると高く評価したい。

オーケストラはルツェルン祝祭管弦楽団であるが、アバドが手塩にかけて育て上げている若きマーラー室内管弦楽団のメンバーも多数参加しているということであり、本演奏においても、アバドと息の合った気迫溢れる熱演を展開しているのが素晴らしい。

歌手陣は、先ずはレオノーレ役のニーナ・ステンメの迫力ある歌唱が我々聴き手の度肝を抜くのに十分であり、フロレスタン役のヨナス・カウフマンやロッコ役のクリストフ・フィシェサー、そしてドン・ピツァロ役のファルク・シュトルックマンの名唱も見事という他はない。

その他の歌手陣やアルノルト・シェーンベルク合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質については、ルツェルン音楽祭のオープニングコンサートのライヴ録音であるが、演奏会形式であることもあって音質は極めて鮮明である。

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