2013年07月

2013年07月31日


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ハイティンクが得意とするショスタコーヴィチの交響曲の待望の最新録音の登場だ。

ハイティンクは、本盤に収められた交響曲第15番を約30年前にもロンドン・フィルを起用して、ショスタコーヴィチの交響曲全集の一環としてスタジオ録音(1978年)していることから、本演奏はハイティンクによる同曲の2度目の録音ということになる。

そして、本盤に収められた約30年ぶりの本演奏は、当該全集に収められた演奏とは段違いの素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負。

いずれの演奏においても、いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴である。

したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるというのが素晴らしい。

加えて、本演奏には、最晩年を迎えたハイティンクならではの奥行きの深さが感じられるところであり、さすがにムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる超名演(1976年)ほどの凄みはないが、同曲に込められた作曲者の絶望感などが、淡々と進行していく曲想の中の各フレーズから滲み出してくるのが見事である。

このような彫りの深い名演を聴いていると、ハイティンクが今や真の大指揮者になったことを痛感せざるを得ない。

ハイティンクの確かな統率の下、かつての手兵であるロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団が持ち得る実力を最大限に発揮した入魂の名演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

さらに、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さ、臨場感など、どれも一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ハイティンクによる円熟の名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年07月30日


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1955年12月8日、パリでのライヴ録音。

ハスキルはベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を好んで弾いたらしく、いくつかの録音が残っている。

彼女の解釈に剛健とか力強いとかいう形容詞はそぐわない。

彼女はそういう外面的な要素とは関係なく、彼女の心にベートーヴェンの音楽が喚起したイメージを現実のものにする。

したがって、その演奏は、精神の純粋さと豊かな自発性を、生き生きした感情で音楽に対する親近感を聴き手の心に喚起する。

ハスキルが好んだ指揮者の1人がクリュイタンスで、音楽に対する純粋な感受性に基づく演奏には清々しさがある。

ピアノとオーケストラの交替で進められる第2楽章は、その点で2人の心の対話とでも呼びたい演奏になっている。

ハスキルは偉大なモーツァルト解釈者で、豊かな自発性と謙虚な姿勢がモーツァルトの音楽をありのままの姿で再現させた。

彼女のこまやかな感情に裏づけられたタッチが、音楽を生き生きと再現する時、聴く人も無私の世界に遊ぶことができる。

このライヴ録音では、彼女の個性が強い臨場感を伴って感じられる。

長調の作品におけるのびやかな飛翔と違って、音楽の悲哀感やドラマティックな性格がこまやかな陰影を伴って示される。

彼女が共演を好んだクリュイタンスの指揮にも品位があり、ハスキルへの共感が演奏を支えている。

マルケヴィチと共演したスタジオ録音も優れた演奏だが、クリュイタンスとの共演も大変貴重である。

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2013年07月29日


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1975年に、チェコ・フィルと再録する前の、1967年録音のゲヴァントハウス管弦楽団との演奏で、ノイマン初の《わが祖国》(テルデック盤)である。

《わが祖国》の指揮者としては当然、ノイマンの存在も重要。

そしてノイマンなら当然、チェコ・フィルというのが常識的な流れかもしれないが、ここで取り上げるのは懐かしいゲヴァントハウスとの全曲盤である。

ノイマンはコンヴィチュニーが死去したあと、1964年、44歳の年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者に迎えられた。

そうした経緯の中で、このレコーディングはごく自然な形で誕生したものではないだろうか。

もっとも「プラハの春」事件が起きたのはおそらくちょうどその直後のこと。

当時、ノイマンの胸中は複雑だったはずであり、ライプツィヒで母国を思って録音したスメタナの《わが祖国》と言えるかもしれない。

しかしこのあくまで格調高い《わが祖国》の演奏が、彼の音楽家としての揺るぎない信念を物語っている。

ノイマンの《わが祖国》は、後年のチェコ・フィルとの演奏も素晴らしいが、ライプツィヒ時代の、より強固な造形意志に貫かれた演奏も忘れられない。

推進力と構成美に富んだ高質の交響世界が構築されており、今となっては、この演奏スタイルは、望んでも得がたいものと言えるだろう。

自然に対する畏敬の念からか、ノイマンの《わが祖国》では、全6曲いずれも、湧き出てくる素朴な感情と感謝の念に溢れている。

重厚にして精緻な、この時代のゲヴァントハウスはいい。

ゲヴァントハウス管弦楽団の飾らぬ音色が、より深い色彩を感じさせてくれるので、何度でも聴きたくなる不思議な魅力を持っている。

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2013年07月28日


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素晴らしい名演だ。

これだけ感動的なマーラーを聴いたのは久しぶりだ。

小澤は、かつての手兵のボストン交響楽団とともにマーラーの交響曲全集を録音しているが問題にならない。

小澤のマーラーの最高の演奏は、サイトウ・キネン・オーケストラとの「第2」及びこの「第9」であり、これら両曲については、古今東西の様々な名演の中でも十分に存在価値のある名演と高く評価したい。

小澤の「第9」へのアプローチはいわゆる純音楽的なもので、彼の美質である率直な解釈、音と表情の美しさに加えて、白熱した感興が漲っている。

冒頭からしなやかな表情で、作品の多様に変化する情緒を表出するが、意力の強さが流れに強靭な力を与えている。

バーンスタインやテンシュテットの劇的で主観的なアプローチとはあらゆる意味において対照的であるが、だからと言って物足りなさは皆無。

小澤の、楽曲の深みに切り込んでいこうとする鋭角的な指揮ぶりが、演奏に緊張感といい意味でのメリハリを加味することに繋がり、切れば血が出るような熱き魂が込められた入魂の仕上がりとなっている。

ボストン響との旧盤はダイナミックなものの少しばかり軽いかなと感じていたが、今回の録音では、ダイナミックさと重厚さが見事に両立している。

さらに、終楽章コーダの消えゆくような細やかな音も、Blu-spec CD による高音質のおかげでとてもよく聴き取れて、耳を澄ましていると音の向こう側へ吸い込まれてしまいそうな感じを受ける。

筆者としてはバーンスタインの新盤以来の愛聴盤となりそうだ。

サイトウ・キネン・オーケストラも、小澤の確かな統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

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2013年07月27日


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2003年の録音で、チャイコフスキーと珍しいメンデルスゾーンのピアノ協奏曲どちらも第1番。

ラン・ランはいつもながら思い入れたっぷりの濃厚な演奏を繰り広げており、そうした芸風には、チャイコフスキーの方がより適していると言えるだろう。

テンポの揺れはなかなか激しいものがあるが、チャイコフスキーだけに、それも許容範囲。

決して、違和感はなく、バレンボイムも、そうしたラン・ランの個性的なピアノを好サポートしていると言えよう。

メンデルスゾーンでは、こうしたラン・ランのアプローチは表情過多のきらいがあるが、それでも、平凡なピアニストが弾くと蒸留水のような印象を与えてしまうメンデルスゾーンのピアノ協奏曲に、こくを与えている点は評価をしてもいいのではなかろうか。

このピアノの入った交響曲風作品をラン・ランは卓越した技術でもって展開、バレンボイム&シカゴ響もしっかりサポートしている。

しかし、両曲を聴き通して、感動とか、強いインパクトを与えてくれるかというと、イマイチ何かが足りない気がする。

もう一つ面白さといった点では数々の名演があるだけにもう一押しということかと思う。

特に、チャイコフスキーには、海千山千の超名演が目白押しということもあるのだろう。

そうした名演とは違った独特の個性という点では、いささか弱い面があるのではないかと思う。

SHM-CDの音質が素晴らしいだけに、少々惜しい気がする。

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2013年07月26日


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クナッパーツブッシュは、1951年、戦後再開されたバイロイト音楽祭で《パルジファル》の指揮を任されて以来、トラブルによって中断した1953年を除き、死の前年の1964年(この録音)まで毎年この曲を振りつづけた(1953年にもナポリで指揮している)。

《パルジファル》の呼吸の深い、悠久のフレーズを持った音楽は《ニーベルングの指環》以上にクナにぴったりだ。

そういえば、彼はすでに若き日、大学の卒業論文に『クンドリーの本質』について書いている。

そのころから《パルジファル》に傾倒していたのだ。

聴きどころは、何といっても最晩年のクナの紡ぎ出す、摩訶不思議な音の世界。

「渋い」としか表現のしようのない音色と響きは、音響的には遥かに恵まれた条件の下で収録された1950年代末のスタジオ録音においては、音の巨大なうねりや地響き、凄絶なカタストローフの背後に隠れてしまうのに対して、ダイナミック・レンジの狭さやオーケストラ・ピットの独特な構造に起因する倍音成分の遅れなど、演奏家にとっては不利な条件の多い、バイロイトでのライヴ録音においては、逆に際立つ結果となっている。

《パルジファル》の録音と言えば、まずクナの1962年盤が挙げられるべきだし、個人的にはこの盤さえあれば、他のクナの録音は要らないとさえ思っていた。

しかしこの1964年盤も、音楽の厚みが凄く、オーケストラとともにワーグナーの美しさを全開させており、他の指揮者はまったく太刀打ちできない。

歌手陣も総じて素晴らしいが、中でもグルネマンツを歌うホッターが出色で、懐が深く、暖かな温もりで聴き手を包み込む。

筆者はホッターのグルネマンツを聴くたびに、この舞台神聖祝典劇は「パルジファル」ではなく、「グルネマンツ」というタイトルの方が相応しいと思えてならない。

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2013年07月25日


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プッチーニの3作目のオペラで、このあたりから、彼の音楽の特質である感傷的な旋律の美しさがはっきりとあらわれてくる。

これは、カラスの一連のEMIへのレコーディング開始から4年後の1957年に録音されたもので、彼女は当時34歳、全盛期をやや過ぎつつある頃の、同曲唯一の全曲録音である。

カラスの絶妙の心理描写と性格表現、ディ・ステファノの情熱にあふれた歌唱がそれぞれ互角の存在感を示している。

とりわけカラスのマノンは傑出しており、大金持ちの娘として育ち、美しさゆえに苛酷な運命にもてあそばれるヒロイン、マノンを、これほど気高く、やさしく、表情ゆたかに歌いあげた歌手は、おそらくほかにいないだろう。

カラスは少しの声の衰えも感じさせないばかりか、ドラマの進行に伴って一層見事になっていく歌唱にも深みがあり、これほど知的に、心理的に歌われたマノンはない。

言葉やフレージングへの計算は細部まで完璧だ(反面、奔放さや色気に欠けるけれども)。

多血質な、デ・グリューのディ・ステファノも、持ち前の甘美な美声を生かしながら、適切な性格づけを行っており、聴かせる。

フィオラヴァンティのレスコーも最良の歌唱だ。

セラフィンの指揮も、プッチーニ独特の流れるように美しい旋律を歌わせながら、起伏の大きな音楽を作り上げており、見事だ。

セラフィンの指揮は派手さこそないが理想的であり、音楽的充実度と堅実さは、玄人中の玄人の仕事として深く心にしみいってくる。

そして、この1957年の「マノン・レスコー」の驚くばかりの音の良さ。

もともとクリアな音質だったが、復刻の名手マーク・オーバート=ソーンはその音に更に磨きをかけ、いっそう聴きやすくなった。

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2013年07月24日


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とてつもない超名演の登場だ。

ブルックナーの交響曲を心から愛するとともに十八番とし、とりわけ最晩年には、世界にも誇る至高の超名演を成し遂げた朝比奈だけに、ブルックナーの交響曲第7番については数多くの名演を遺している。

そうしたあまた存在する朝比奈による同曲の名演の中でも双璧とされるのは、最晩年の大阪フィルとのライヴ録音(2001年)と聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音(1975年)であるというのが衆目の一致するところではないだろうか。

そのような中に登場した本盤の演奏であるが、これは、前述の聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音とほぼ同時期の演奏。

1975年のヨーロッパ公演の最終日のものであり、初めて発売されるものだ。

聴き終えて大変驚き、そして感動した。

聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音と同格、いや、音質面や楽器編成(聖フローリアン大聖堂での演奏では、音響の点から木管楽器の倍管編成を一部縮小せざるを得なかった)までを含めると、本演奏の方が優れているとも言えるところであり、まさに前述の2強に本演奏が加わり、朝比奈による同曲の名演の3強の一角を占める至高の超名演と言っても過言ではないのではないだろうか。

確かに、神々しさや深みという面においては、2001年の最晩年の演奏などと比較すると一歩譲るが、荘重にして悠揚迫らぬテンポによるスケールの雄大さは、後年の演奏にも優るとも劣らないと言えるところであり、朝比奈が既に1975年の時点において、ブルックナー演奏の理想像の具現化に成功していたことに驚きの念を禁じ得ない。

音楽の懐の深さ、悠揚迫らぬ格調の高い曲想の運び方やゲネラルパウゼの効果的な活用の妙など、どれをとっても文句の付けようのないレベルに達しており、いささかも隙間風の吹かない重厚にして荘重な奥行きの深い音楽に満たされているのが素晴らしい。

特筆すべきは大阪フィルの力量であり、聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音では、大聖堂の残響に配慮してブラスセクションを一部抑え気味にマイルドに演奏させていたところであるが、本演奏では存分に鳴らしており、それでいていささかも無機的な響きを出していないのが見事である。

弦楽合奏の分厚い響きなども、とても1975年当時の日本のオーケストラの水準とは思えないような素晴らしさであり、おそらくは、当日の会場の独特の雰囲気や、ヨーロッパ公演の最終日であるという特別な事情が、大阪フィルをして、持ち得る実力を超えるような奇跡的な名演奏に導いたのではないかとも考えられる。

演奏終了後の長く続く拍手喝采も当然のことであると思われる。

いずれにしても、本演奏は、朝比奈による同曲の数ある名演の中でも、トップ3の一角を占める圧倒的な超名演と高く評価したい。

そして、このような超名演を商品化にこぎつけたアルトゥスレーベルに深く感謝の意を表したい。

音質は、1975年のライヴ録音とは思えないような鮮明で優秀な音質であり、十分に満足できるものである。

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2013年07月23日


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ショルティは、ブラームスの交響曲全集を1980年代になって初録音したことで知られている。

これは、広範なレパートリーを誇るショルティの七不思議の一つとして捉えられたが、満を持して取り組んだだけに、期待をたがわぬ名演であった。

本盤は、全集を完成して7年後の録音であるが、1980年代も後半になって、演奏に奥行きと懐の深さを感じさせるようになったショルティならではの名演と高く評価したい。

シフとショルティ指揮ウィーン・フィルの組み合わせが、聴き慣れた作品に新鮮な魅力を与えている。

最大の原因はショルティが彼の個性とオーケストラの個性を完全に融合させたことにある。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番は、オーケストラパートが特に分厚く書かれており、オーケストラ演奏が薄っぺらでは話にならないが、ここでのショルティの指揮はこれ以上は求め得ないような重厚なもので、ショルティとの相性が必ずしも良くはなかったウィーン・フィルも、ここではショルティの指揮の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。

こうした素晴らしいバックの下、シフも堂々たるピアニズムを披露している。

シフは大上段に作品と対決せず、美しい音色でどのフレーズからもそれぞれの感情の微妙なニュアンスを引き出している。

第1楽章の展開部を開始する和音の艶やかな音色と充実した響きは、力強くのびのびとした気分をもたらす。

同国人であるショルティにも、その音楽性において深く共鳴するものがあるのだとは思うが、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、ブラームスの青雲の志を見事に描き出していると言える。

併録のシューマンの主題による変奏曲は、カップリングの抜群のセンスの良さとともに、演奏内容も、ショルティとの息の合った至高の名演と高く評価したい。

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2013年07月22日


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カラヤンはベルリン・フィルとたびたびグリーグやシベリウスの管弦楽曲を録音したが、当盤はその最初のもの。

カラヤンは、グリーグやシベリウスといった北欧の音楽にも強い関心をもち、得意としていた。

《ペール・ギュント》は、細部まで精緻に磨き抜かれた美しい演奏で、北欧的な詩情や抒情性を丁寧に、しかし、あくまでしなやかに掬いとった巧みな語り口と劇的な表現の対比のうまさも、カラヤンならではのものである。

中でも〈オーゼの死〉や〈ソルヴェイグの歌〉〈イングリッドの嘆き〉などのしっとりと深い情感をたたえた表現は絶品である。

ベルリン・フィルもそうしたカラヤンの指揮に、しなやかな自発性にとんだ演奏で応えており、豊麗であるとともに、あくまで透明な弦の響きと管の名手たちのソロが織りなす色彩がなんとも美しい。

ドイツ語圏の指揮者には珍しく、1950年代からシベリウスの作品を録音していたカラヤンであるが、60年代半ばに録音された管弦楽曲の大半は、当初、交響曲や協奏曲のカップリング曲としてリリースされたものである。

そこでは、静謐な楽想をきめ細かく処理していく一方で、大音量で盛り上がっていく場面でもスマートなスタイルが保たれており、カラヤンの美学とシベリウスの書法が、絶妙な均衡を保ちながら、魅力的な世界を形づくっている。

深々とした響きが印象的な《フィンランディア》をはじめ、弦楽器の雄弁さが光る《悲しきワルツ》や、ゲルハルト・シュテンプニクが絶妙なソロを披露する《トゥオネラの白鳥》など、いずれも名演揃いである。

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2013年07月21日


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ジュリーニの旧盤は録音は古いが、それでも演奏の質という点では捨て難い魅力がある。

ヴェルディの『レクイエム』は、ともすると作品の質そのものにオペラティックな性格の部分が多く含まれるために、単に盛り上げるだけの外面的な効果を狙った演奏もある。

ジュリーニは、そんな中にあって美しい歌のカンタービレの魅力と、劇的な高揚感を失うことなく宗教的な情感をも見事に表出している点で、きわめて優れた表現を成し遂げていると言える。

例えば、「ディエス・イレ(怒りの日)」の最後の審判を恐れる嵐のような激情も決して浮き足立つことなく内面的に描かれる。

続く「トゥーバ・ミルム(奇すしきラッパの音)」の最後の審判を告げるトランペットのファンファーレも静かな緊張感に満ちているために、その後の次第に増幅され爆発的なトゥッティに至る最後の審判のドラマがまさにリアリティを持って表現される。

この部分は若きギャウロフの深いバスの声も印象的。

最後の「リベラ・メ(我を救いたまえ)」の壮大なフーガの切れ味の良い進行と消え入るように静かに歌われる終結の対比も見事で聴くものを強く引き付ける。

このように旧録音でのジュリーニは、フィルハーモニア管と合唱団を見事にコントロールし、この作品の多彩な魅力を余すところなく伝えてくれる。

また、前述したギャウロフをはじめとするソリスト陣のジュリーニの意図を見事に汲みとった歌唱もすばらしい。

特にシュヴァルツコップの真摯な歌唱は、イタリア系のソプラノにはない、まるでリートを聴くようなユニークな魅力を持っており、宗教的な敬虔な雰囲気を引き出す大きな要因となっている。

同時期録音のヴェルディ「聖歌四篇」が併録されている。

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2013年07月20日


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《わが祖国》は6曲から構成されているが、はっきり言って、どれも似たような音楽だ。

よって、普通はいちばん変化に富んでいる〈モルダウ〉ばかりが演奏される。

だが、《わが祖国》は6曲まとめて聴いたほうがいい。

とにかく、荒々しいシーンが多いことがわかるだろう。くどいと思うだろう。暑苦しいほどだ。弾くほうも聴くほうもまさにスタミナの曲なのだ。

パーヴォ・ベルグルンド指揮シュターツカペレ・ドレスデンで聴こう。

実はモルダウを下っていくとドレスデンに達する。このCDはその町のオーケストラの演奏なのですばらしい、と言うと出来過ぎた話だが、実際すごい演奏である。

弦楽器の表現力の多彩さ、自由自在さには度肝を抜かれること請け合いだ。

このうまさは、縦線がきっちり合っているというようなうまさではない。

人間の声のように豊かな表情を使い分けるといううまさなのだ。

昨今、機械的な合奏の精度ばかり気にする人が多い。

なるほど、その種のうまさによって成り立っている音楽もある。

だが、ドレスデンの音楽は別種のうまさによって成り立つ音楽なのである。

これを聴けば、まず弦楽器があってこそオーケストラなのだとブラスバンド少年にもわからせてくれよう。

また、管楽器の何ともいえないローカルっぽい音色も味がある。

祝祭的なリズムの生気といい、場面場面での音色の切り替わりといい、一気呵成の熱気といい、恐ろしいまでの迫力だ。

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2013年07月19日


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ブルックナーの交響曲を数多く演奏・録音してきたヴァントが、最も数多くの録音を遺した交響曲は、何と言っても第8番であった。

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1971年)にはじまり、ヴァントによる唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団との演奏(1979年)、先般発売されて話題を呼んだNHK交響楽団との演奏(1983年)と続くことになる。

そして、その後は、北ドイツ放送交響楽団との3度にわたる演奏(1987年ライヴ録音、1990年東京ライヴ録音、1993年ライヴ録音(本盤))、ミュンヘン・フィルとの演奏(2000年ライヴ録音)、ベルリン・フィルとの演奏(2001年ライヴ録音)の5度にわたって録音を行っており、合計で8度にわたって録音したことになるところだ。

これは、演奏・録音に際して厳格な姿勢で臨んだヴァントとしても信じ難い数多さと言えるところであるが、それだけ同曲の演奏に自信を持って臨んでいたということであり、これら遺された録音はいずれ劣らぬ素晴らしい名演であると高く評価したい。

この中で、最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、北ドイツ放送交響楽団との最後の録音となった本盤の演奏も、さすがにミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、十分に素晴らしい名演と高く評価するのにいささかも躊躇するものではない。

1980年代までのヴァントによるブルックナーの交響曲の演奏におけるアプローチは、厳格なスコアリーディングの下、楽曲全体の造型を厳しく凝縮化し、その中で、特に金管楽器を無機的に陥る寸前に至るまで最強奏させるのを特徴としており、優れた演奏である反面で、スケールの若干の小ささ、そして細部にやや拘り過ぎる神経質さを感じさせるのがいささか問題であった。

そうした短所も1990年代に入って、かかる神経質さが解消し、スケールの雄大さが加わってくることによって、前述のミュンヘン・フィルやベルリン・フィルとの歴史的な超名演を成し遂げるほどの高みに達していくことになるのだが、1990年の来日時の演奏や本盤に収められた演奏は、そうした最晩年の超名演の先駆であり、高峰への確かな道程となるものとも言える。

比較的ゆったりとしたテンポをとっているが、必ずしももたれるということはなく、ゆったりとした気持ちで、同曲の魅力を満喫することができるというのは、ヴァントのブルックナーへの理解・愛着の深さの賜物と言える。

金管楽器の最強奏も相変わらずであるが、ここでは、やり過ぎということは全くなく、常に意味のある、深みのある音色が鳴っているのが素晴らしい。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、その後、SHM−CD盤が発売されるに及んで、更に鮮明さを増すなど十分に満足できる高音質であり、筆者も、当該SHM−CD盤をこれまで愛聴してきた。

ところが今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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1971年11月16日、ミュンヘン、ヘルクレスザールに於けるライヴ録音。

べームとバイエルン放送響の顔合わせによるブルックナーが、第7番につづき、1971年のブルックナー第8番が登場した。

正規では初出となるこの演奏は、第7番同様に速めのテンポを採用している点が特徴。

べームの代表盤とされるDGのセッション録音(1976年)に比べて、全体でほぼ8分あまり速くなっている。

とりわけ後半2楽章での印象の違いは大きく、おだやかなウィーン・フィル盤とは異なり、まことに熱い演奏が繰り広げられている。

DG盤では表面では落ち着いているが内部では青白い炎が燃えていた。

しかしこのライヴでは全身燃え盛っている。

速いテンポで突き進む爽快感、ライヴならではの少々荒いドライヴ感などDG盤では味わえない魅力がある。

オケも乗っており、鳴りも小気味よい。

キャリアの初期からブルックナーを好んで取り上げていたべームだが、1936年にドレスデンで行なった3つの録音を別にすれば、本格的に録音するようになったのはようやく1970年代に入ってから。

第7番とともに、当バイエルン放送響との第8番は、あまり多いとはいえないべームのブルックナー演奏を検証するうえで、かけがえのないものといえるだろう。

このたびもバイエルン放送アーカイヴの正規音源使用によるため、すぐれた音質といえよう。

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2013年07月18日


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ブルックナーの権威として、3度にわたって全集を完成させるなど、朝比奈は、ブルックナーの交響曲を数多く演奏した。

したがって、朝比奈には、ブルックナー指揮者というイメージが強く、マーラー指揮者というイメージは殆どない。

それでも、同じ年齢のカラヤンと比較すると、「第1」以外の交響曲はすべて演奏を行った記録が遺されているなど、意外にもマーラーをよく指揮しているのである。

特に、「第5」はマスターテープの損傷が激しくてCD化が困難ということであるが、「第2」、「第6」、「第9」、そして「大地の歌」には複数の録音が遺されている点も見過ごすことはできないだろう。

朝比奈のマーラーへのアプローチは、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーに対するアプローチと同じだ。

荘重たるインテンポで、曲想を愚直に描き出していくというものだ。

そのようなアプローチは、劇的な要素が支配的なマーラーの交響曲にはいささか符号しない点も多々見られるが、雄渾なスケールの大きさにおいては、他のどの演奏にも互角に渡り合えると思われる。

朝比奈のアプローチが最も適合する交響曲は、本盤の「大地の歌」と言えるのではないだろうか。

同様のアプローチによる名演の先例として、クレンペラー盤があるからである。

もちろん、オーケストラや歌手陣は、クレンペラー盤と比較して相当程度劣ると言えるが、演奏内容の彫りの深さと言った点では、クレンペラー盤にかなり肉薄しているのではないかと考える。

最大公約数的には、後年の演奏(ポニーキャニオン)を上位に掲げるべきであろうが、朝比奈が最円熟期を迎える直前の本盤も、十分に魅力的な名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)マーラー朝比奈 隆 

2013年07月17日


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ここ数年間は大病を経験するなど体調が思わしくなくて、ファンを焼きもきさせている小澤であるが、本盤に収められたバルトークの最も有名な2大管弦楽曲の演奏は、小澤の体調が良かった頃(2004年)のものだ。

それだけに、ライヴ録音ということもあるが、演奏全体にエネルギッシュな力感が漲っており、いずれも素晴らしい名演に仕上がっている。

バルトークの楽曲は、管弦楽曲にしても、協奏曲にしても、そして室内楽曲などにしても、奥行きの深い内容を含有しており、必ずしも一筋縄ではいかないような難しさがある。

したがって、そうした楽曲の心眼を鋭く抉り出していくような演奏も、楽曲の本質を描出する意味において効果的である。

また、その一方で、各楽曲は、ハンガリーの民謡を高度に昇華させた旋律の数々を効果的に用いるなど巧妙に作曲がなされており、それをわかりやすく紐解いていくような演奏もまた、バルトークの楽曲の演奏として十分に魅力的であるのも事実である。

小澤のアプローチは、明らかに後者の方であり、両曲の各楽想を精緻に、そして明朗に描き出して行くという姿勢で一貫していると言えるだろう。

体調が良かった小澤ならではの躍動するようなリズム感も見事に功を奏しており、両曲をこれ以上は求め得ないほどに精密に、そしてダイナミックに描き出すことに成功したと言えるところだ。

それでいて、抒情的な箇所は徹底して歌い抜くとともに、目まぐるしく変転する曲想の表情づけも実に巧みに行われており、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏に陥っていないのが素晴らしい。

そして、実演における小澤ならではの、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と、前述のようなエネルギッシュな力感に溢れた強靭な生命力においてもいささかの不足はない。

前述のように、かつてのライナーやムラヴィンスキー(弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽のみ)の演奏のような楽曲の心眼に切り込んでいくような鋭さは薬にしたくもないが、これら両曲のオーケストラ音楽としての魅力を存分に満喫させてくれるという意味においては、そして、これら両曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、素晴らしい名演と高く評価したい。

小澤の精緻にしてエネルギッシュな指揮の下、渾身の名演奏を繰り広げたサイトウ・キネン・オーケストラにも大きな拍手を送りたい。

音質は、2004年のライヴ録音でもあり、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、数年前に発売されたマルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤が臨場感溢れるベストの音質である。

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classicalmusic at 21:21コメント(0)トラックバック(0)バルトーク小澤 征爾 

2013年07月16日


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ブーレーズは、15年もの長きにわたってマーラーの交響曲全集の録音に取り組んできたが、本盤は、その最後を飾るものである。

まさに、有終の美を飾る名演として高く評価したい。

全集の最後を、未完の交響曲第10番で終えるというのも、いかにもブーレーズらしい。

ブーレーズのマーラーは、若き日の前衛時代ではなく、むしろ角の取れたソフト路線が顕著となった時期の録音だけに、純音楽的なアプローチでありながら、比較的常識的な演奏に仕上がっていることが多いように思う。

そのような中で、今回の第10番は、もちろん、若き日のブーレーズのような切れ味鋭い前衛的な解釈が全体を支配しているわけではないが、近年のブーレーズに顕著な好々爺のような穏健的な解釈ではなく、むしろ、曲想を抉り出していくような冷徹とも言えるアプローチをとっている。

それ故に、甘さを一切配した、若き日のブーレーズを彷彿とさせるような名演に仕上がっている。

テンポがやや速めなのも、こうした傾向に拍車をかけており、私見ではあるが、ブーレーズが、マーラーの交響曲へのアプローチの仕方を、この第10番において漸く見出すことができたのではないかと思うほどだ。

併録の「子供の不思議な角笛」は、第10番とは異なり、いかにも近年のブーレーズらしい穏健な解釈であるが、コジェナーやゲアハーヘルの独唱と相俟って、ゆったりとした気持ちで音楽を味わうことができるのが素晴らしい。

2人の歌手が6曲ずつを分担、「死んだ鼓手」を前半最後の6曲目に入れた以外は珍しく出版譜通りの曲順で演奏されている。

録音も極上で文句なし。

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classicalmusic at 21:30コメント(0)トラックバック(0)マーラーブーレーズ 

2013年07月15日


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シモーネ・ヤングは、今や女流指揮者のフロントランナーのような存在である。

既に、ブルックナーの交響曲の名演によって、広く知られているところであるが、ついに、ブルックナーと同時代の大作曲家、ブラームスの交響曲録音を開始した。

本盤は、つい最近の録音であるが、素晴らしい名演と高く評価したい。

冒頭、男性指揮者顔負けの重量感溢れる堂々たる進軍で開始する。

主部に入っても、テンポはゆったりとしたもので、微動だにしない風格に満ち溢れている。

繰り返しも行われているが、いささかも冗長さを感じさせないのは、シモーネ・ヤングの自信と確信に満ち溢れた堂々たる指揮によるところが大きい。

第2楽章の抒情豊かさは、女流指揮者ならではの情感溢れるもので、ブラームス特有の枯淡の境地を表現できるのは、シモーネ・ヤングの表現力の幅の広さの証左と言える。

第3楽章は、普通の出来だと思うが、感動的なのは終楽章。

第1楽章と同様に、ゆったりとした微動だにしないインテンポで、楽曲を進めていく。

そして、終結部のファンファーレで、誰よりも極端にテンポを落とし、若干のゲネラルパウゼを挟むが、ここははじめて耳にするような新鮮さであり、シモーネ・ヤングの抜群のセンスの良さを感じさせる。

SACDマルチチャンネルによる高音質録音も素晴らしいものであり、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)ブラームス 

2013年07月14日


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筆者は、このコンビの同曲を実演で聴いたが、その時の感銘をまざまざと蘇らせてくれる待望のSACDの登場だ。

某有名誌の高名な評論家には酷評されている演奏であるが、筆者としては、ブロムシュテットならではの名演と評価したい。

ブロムシュテットのブルックナーと言えば、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮してスタジオ録音した「第4」や「第7」が思い浮かぶ。

今から30年以上も前の演奏ではあるが、オーケストラのいぶし銀の音色を生かした美しい名演であった。

ブロムシュテットは、今や80代も半ばであるが、本盤におけるアプローチも、前述の「第4」や「第7」とはあまり変わっていない。

ややゆったりめのインテンポで、オーケストラを愚直に鳴らしていくというものだ。

ある意味では職人肌の演奏と言うべきものであり、ヴァントなどのアプローチと共通するものがある。

ヴァントと異なるのは、厳格なスコアリーディングに基づく徹底したこだわりとか、凝縮とも言うべき厳しい造型の構築などが見られないという点であると思われる。

それでも、オーケストラを無機的には陥ることなく、壮麗に鳴らし切るというアプローチは、ブルックナー演奏の王道を行くものである。

加えて、本盤は録音が素晴らしい。

マルチチャンネル付きのSACDは、鮮明さに増して臨場感があり、まさにブルックナーのCDの理想像と言える。

最後に一言。

前述の某評論家は、特に、終楽章において、ヴァント&ベルリン・フィルのみを比較の対象に採り出してきて、本盤の演奏の程度では存在意義はないと切り捨てていた。

高名な評論家に対して申し訳ないが、これは批評には値しない暴言と言える。

ヴァント&ベルリン・フィルは、そもそも次元の異なる歴史的な名演なのだ。

これに優る演奏など、これまで名演の評価を勝ち得てきた演奏の中には皆無である(朝比奈&東京交響楽団、ヨッフム&コンセルトへボウなど)。

にもかかわらず、ブロムシュテット盤だけが、なぜ、他の名演を差し置いて比較の対象にされないといけないのか、はなはだ理解に苦しむ。

この場を借りて、苦言を呈しておきたい。

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classicalmusic at 21:31コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーブロムシュテット 

2013年07月13日


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最近では、SACDとSHM−CDを組み合わせた盤が登場したことから、やや影が薄くなった面もあるが、従来CDということになれば、やはり、このXRCDとSHM−CDを組み合わせたCDがダントツの高音質と言えるだろう。

本盤については、数年前にXRCD盤が出ており、それも高音質であったが、鮮明さや音場の広がりにおいて、本盤の方に一日の長があると言える。

1950年代後半という、ステレオ録音初期の音源を、これほどまでに鮮明に再現されるのには大変驚かされた。

マスターテープの保存状態もかなり良かったものと拝察されるが、この時代の後のCDでも、音質の劣悪なものが出回っているのを見るにつけ、それらのCDも、マスターテープに遡ったリマスタリングを実施して欲しいと願う聴き手は筆者だけではあるまい。

演奏も、超をいくつも付けたくなるような名演だ。

コンドラシンの覇気のある骨太の演奏は選曲のマッチングと相俟って、楽しいアルバムを生み出している。

コンドラシンが、ソヴィエト連邦の国外ではいまだ無名の時代のものであるが、後年の発展を予感させるに十分な圧倒的な指揮ぶりと言えるだろう。

両曲ともに、曲想が目まぐるしく変化するが、各場面毎の描き分けも見事で、終結部に向けての猛烈なアッチェレランドの激しさは、スタジオ録音とはとても思えないほどだ。

最新録音に優るとも劣らない驚異の音質で、まさに時空を越えて蘇った不滅の名演・名盤と言えよう。

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classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーR=コルサコフ 

2013年07月12日


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アバドとユジャ・ワンの組み合わせで、彼女を世の中に有名にしたディスクである。

両曲ともに素晴らしい名演だ。

特に、パガニーニの主題による変奏曲については、同曲演奏史上ベストワンを争う名演と言ってもいいのではなかろうか。

それは、ユジャ・ワンの気高いピアノと若き才能ある奏者が集まったマーラー室内管弦楽団によるフレッシュな演奏によるところが大きい。

同曲は変奏曲だけに、目まぐるしく変転する各変奏曲の表情づけをいかに巧みに行うのかが鍵となるが、ユジャ・ワン、そしてマーラー室内管弦楽団は、変幻自在のテンポ設定や幅の広いダイナミックレンジを大胆に駆使しつつ、曲想を心を込めて精緻に描き出していく。

それ故に、ラフマニノフ特有のメランコリックなロシア的抒情の描出にはいささかも抜かりはないが、若き音楽家たちによる演奏だけに、ラフマニノフの演奏に時として聴かれる大仰さがなく、全体に力強い生命力とフレッシュな息吹が漲っているのが素晴らしい。

厚手の外套を身にまとったような重々しい演奏が主流の同曲の演奏に、新風を吹き込んだこのコンビによる清新な名演に大いに拍手を送りたい。

他方、ピアノ協奏曲第2番は、海千山千の名演が目白押しだけに、本盤をベストワンを争う名演とするのは困難であるが、変奏曲と同様のアプローチによる新鮮味溢れる名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。

アバドは、大病を克服した後は音楽に凄みと深みが加わり、現代における最高峰の指揮者の一人と言える偉大な存在であるが、本盤では、若き音楽家たちを慈しむような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。

録音も鮮明で文句なし。

ちなみに「ライヴ」と銘打っているが、音質、ノイズ面などから、部分的にはスタジオ収録であると思われる。

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classicalmusic at 21:57コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフアバド 

2013年07月11日


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ミュンシュの指揮による、いわゆるフランス印象派の作曲家であるドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲の演奏については、賛否両論があるのではないだろうか。

ミュンシュはフランス人ではあるが、フランス領でありながらドイツ語圏でもあるストラスブールの出身であり、フランス音楽だけでなくドイツ音楽を得意とする指揮者であった。

それ故に、ミュンシュが指揮するフランス音楽は、どちらかと言えば、ドイツ風の重厚さが支配していると言えるところであり、フランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいにおいてはいささか欠ける演奏が多いというのは否めない事実である。

したがって、ラヴェルの管弦楽曲であれば、先輩のモントゥーや後輩のクリュイタンス、デュトワによる演奏の方がはるかに魅力的であるし、ドビュッシーの管弦楽曲であれば、後輩のマルティノン、デュトワによる演奏の方に軍配があがると言えるのではないだろうか。

もちろん、いずれも高い次元での比較の問題であり、ミュンシュの指揮したドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲の演奏も、そんじょそこらの指揮者の演奏などと比較すると十分に魅力的であることは指摘しておかなければならない。

本盤に収められた交響詩「海」のこれまでの既発売の録音としては、スタジオ録音としては手兵ボストン交響楽団との1956年盤、ライヴ録音としては、2年前に発売され話題を独占したパリ管弦楽団との1967年盤が掲げられる。

本盤の演奏は、後者の1967年盤に次ぐ名演として高く評価したい。

前述のようにドイツ音楽を得意とした巨匠だけに、まずは全体の造型がきわめて堅固である。

そして、3つの場面の描写が実に巧みで、加えて、ライヴにおける燃焼度の高い圧倒的な生命力が全体を支配している。

特に、「風と海の対話」における畳み掛けていくような気迫溢れる演奏は圧巻の迫力を誇っている。

ピストンの交響曲第6番は、現代音楽でありながら非常に親しみやすい旋律が満載の魅力作であるが、ミュンシュは曲想を非常に丁寧に描き出しており、明瞭かつ快活な名演に仕上がっているのが素晴らしい。

バーバーの「メディアの瞑想と復讐の踊り」やベルリオーズのラコッツィ行進曲は、ライヴにおいて燃え上がるミュンシュの面目躍如たる生命力に満ち溢れた圧倒的な名演だ。

さらに凄いというか、異色の演奏は冒頭の君が代だ。

君が代をフランス風にアレンジしたような、いささか場違いな演奏ではあるが、芸術的な面白みにおいては無類のものがあると言えよう。

ミュンシュの薫陶を受けたボストン交響楽団も、その圧倒的な統率の下、最高のパフォーマンスを披露してくれているのが見事である。

録音も、1960年のものとは思えないような鮮明で素晴らしい高音質だ。

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classicalmusic at 23:07コメント(0)トラックバック(0)ミュンシュドビュッシー 

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ミュンシュはフランス人指揮者ではあるが、出身がドイツ語圏でもあるストラスブールであったことから、フランス音楽に加えてドイツ音楽も得意としていた。

例えば、最晩年に音楽監督に就任したばかりのパリ管弦楽団とともに成し遂げたブラームスの「第1」(1968年)は、同曲演奏史上でもトップを争う名演との評価を勝ち得ているし、かつての手兵であるボストン交響楽団を指揮して演奏したメンデルスゾーンの「第4」及び「第5」(1957〜1958年)、ベートーヴェンの「第3」(1957年)及び「第5」(1955年)なども、フランス人離れした重厚さを兼ね備えた質の高い名演であった。

本盤に収められたベートーヴェンの「第5」は、前述のスタジオ録音とほぼ同時期の録音であるが、さらに素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤におけるミュンシュは、スタジオ録音と同様に、重心の低いドイツ風の演奏を行っているのであるが、これにライヴならではの力強い生命力が付加されている。

ミュンシュは、特に十八番とする楽曲においては、スタジオ録音においても、燃焼度のきわめて高い熱い演奏を行うことが多いが、ライヴともなれば、その燃焼度は尋常ならざるレベルに達することになる。

ドイツ風の重厚さを基調としながらも、灼熱のような圧倒的な生命力に満ち溢れた畳み掛けていくような気迫と力強さは、生粋の舞台人であるミュンシュだけに可能な圧巻の至芸と言えるだろう。

確かに、音楽の内容の精神的な深みにおいてはいささか欠けている面もないとは言えないが、これだけの豪演を披露してくれれば文句は言えまい。

併録のワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」からの前奏曲等の抜粋は、前述のようなドイツ音楽を得意としたミュンシュならではの重厚さを兼ね備えた名演と高く評価したい。

メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲からのスケルツォは繊細な優美さが際立っており、ミュンシュの表現力の幅の広さを感じることが可能だ。

また、ブラックウッドの交響曲第1番は、現代音楽らしからぬ親しみやすい旋律に満ち溢れた魅力作であるが、ミュンシュの指揮も、知られざる作品を聴き手にわかりやすく聴かせようという滋味溢れる明瞭なアプローチが見事である。

ボストン交響楽団は、ミュンシュの薫陶の下、最高のパフォーマンスを発揮しているところであり、フランス風で音色がいささか軽やかになった小澤時代とは見違えるような重心の低いドイツ風の重厚な音色を出しているのが素晴らしい。

録音も、ややデッドで音場が広がらない箇所も散見されるが、1960年のものとしては十分に鮮明な音質であると評価したい。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ミュンシュベートーヴェン 

2013年07月10日


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インバルが東京都交響楽団を指揮して演奏したマーラーの「第2」や「第3」は素晴らしい名演であったが、本盤に収められたチェコ・フィルとの「第5」も素晴らしい名演と高く評価したい。

インバルは、マーラーの「第5」をかつての手兵フランクフルト放送交響楽団とスタジオ録音(1986年)するとともに、東京都交響楽団とのライヴ録音(1995年)もあるが、本演奏は、それら両演奏をはるかに凌駕する名演と言える。

かつてのインバルは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションをできるだけ抑制して、できるだけ音楽に踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

したがって、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な演奏ではあるが、ライバルとも目されたベルティーニの歌心溢れる流麗さを誇るマーラー演奏などと比較すると、今一つ個性がないというか、面白みに欠ける演奏であったことは否めない事実である。

前述の1986年盤など、その最たる例と言えるところであり、聴いた瞬間は名演と評価するのだが、しばらく時間が経つとどんな演奏だったのか忘却してしまうというのが正直なところ。

ワンポイント録音による画期的な高音質だけが印象に残る演奏というのが関の山と言ったところであった。

1995年盤になると、ライヴ録音ということもあり、インバルにもパッションを抑えきれず、踏み外しが随所にみられるなど、本盤に至る道程にある名演と言うことができるだろう。

そして、本盤であるが、ここにはかつての自己抑制的なインバルはいない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、ドラマティックな表現を施しているのが素晴らしい。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的な表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

いずれにしても、前述の「第2」及び「第3」と同様に、本盤のようなドラマティックな表現を駆使するようになったインバルを聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニが鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられない。

オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンの卓抜した技量は、本名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。

SACDによる極上の高音質録音も、本名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:36コメント(0)トラックバック(0)マーラーインバル 

2013年07月09日


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ゲルギエフ&ロンドン交響楽団の近年における進境の著しさを表す1枚だ。

この黄金コンビのドビュッシーも、至高の名演と高く評価したい。

このドビュッシーも、その極上の最優秀録音についてまずは指摘をしておきたい。

ドビュッシーの管弦楽曲は、フランス印象派ならではの精緻にして繊細であり、なおかつ光彩陸離たるオーケストレーションが満載であり、これを完璧に再現するためには、録音が鮮明であることが必要不可欠である。

マルチチャンネル付きのSACDであれば、なおさら理想的な音質であると言えるところであり、本盤も、そうした臨場感溢れる極上の高音質録音によって、ドビュッシーの管弦楽曲における魅力的なオーケストレーションを大いに満喫することができるのが何よりも素晴らしい。

ゲルギエフは、ヴァイオリンの両翼型配置を採用しているとのことであるが、各ソロ奏者の卓抜した技量も含め、オーケストラを構成する各奏者の位置関係を明瞭に聴き取ることが可能であるというのは、まさにドビュッシーの管弦楽曲を鑑賞する醍醐味があると思う。

演奏も、前述のように素晴らしい名演だ。

交響詩「海」は、オペラにおいても数々の名演を成し遂げてきたゲルギエフならではの演出巧者ぶりが際立っており、3つの場面の描き分けはきわめて秀逸である。

特に、「風と海の対話」における畳み掛けていくような気迫溢れる力強さは、圧倒的な迫力を誇っている。

バレエ音楽「遊戯」は、チャイコフスキーやプロコフィエフ、ストラヴィンスキーのバレエ音楽でも数々の名演を成し遂げてきたゲルギエフならではの色彩豊かで、切れ味鋭いリズムが魅力のセンス満点の名演だ。

そして、牧神の午後への前奏曲は、同曲が持つ官能的な美しさを極限まで表現し得た稀有の名演と高く評価したい。

ゲルギエフの統率の下、最高のパフォーマンスを発揮しているロンドン交響楽団の卓越した技量も見事であり、特に、牧神の午後への前奏曲のフルートの美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

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2013年07月08日


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本盤は、プロコフィエフの交響曲第5番と組曲「キージェ中尉」の人気作を収めているが、いずれもそれぞれの楽曲の魅力を満喫させてくれる素晴らしい名演だ。

我々聴き手に、何と素晴らしい曲なのだろう、と思わせてくれるのが何よりも本名演の優れたところであり、このことは指揮者にとっても最高の栄誉であるとも言える。

まさに、パーヴォ・ヤルヴィの音楽性豊かな自然体のアプローチが功を奏していると言えるだろう。

これら両曲の演奏において、パーヴォ・ヤルヴィは、曲想を精緻に丁寧に描き出していく。

プロコフィエフの管弦楽法には独特のものがあり、これら両曲においても不協和音を駆使したいわゆる音の濁りというものが散見されるのだが、パーヴォ・ヤルヴィは、そうした不協和音についても、オブラートに包んだりはせずに、明瞭に音を響かせている。

したがって、プロコフィエフがスコアに記した音楽の全てを完全に鳴らし切ることにつとめていると言えよう。

では、単にスコアに記した音符を音化しただけの内容の薄い浅薄な演奏になっているのかというと、決してそのようなことにはなっていない。

演奏のどこをとってもコクがあり、豊かな情感に満ち溢れている。

ここに、パーヴォ・ヤルヴィの豊かな音楽性が感じられるところであり、聴き手は、深い呼吸の下にゆったりとした気持ちでプロコフィエフの魅力的な音楽を味わうことができるのだ。

確かに、この演奏には、ロシア風の民族色を全面に打ち出したあくの強さであるとか、聴き手を驚かせるような特別な個性があるわけではない。

しかしながら、楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えてくれるという意味においては、過去のいかなる名演と比較しても遜色のない名演と高く評価したい。

シンシナティ交響楽団も、パーヴォ・ヤルヴィの統率の下、最高のパフォーマンスを示しており、金管楽器や木管楽器なども色彩感溢れる素晴らしい音色を出しているのが素晴らしい。

これは、パーヴォ・ヤルヴィの薫陶の賜物と言っても過言ではあるまい。

極上の高音質録音も、本名演の価値をより一層高めていることも忘れてはならない。

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classicalmusic at 21:15コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフヤルヴィ 

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パーヴォ・ヤルヴィは、現代における最も注目すべき指揮者と言えるのではないか。

広範なレパートリーを誇る指揮者であり、発売されるCDの多種多様ぶりには大変驚かされるばかりであるが、決して器用貧乏には陥らず、発売されるCDのいずれもが水準の高い名演という点も、高く評価されるべきである。

本盤には、ムソルグスキーの代表作3曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演だ。

冒頭に収められた交響詩「はげ山の一夜」は、畳み掛けていくような生命力溢れる力強さが見事であり、その怒涛のド迫力にはただただ圧倒されるのみである。

それでいて、荒っぽさなどは薬にしたくもなく、どこをとってもニュアンスが豊かであり、各楽器がいささかも無機的な音を出していないというのは、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性とともに、パーヴォ・ヤルヴィの圧倒的な統率の下、最高のパフォーマンスを示しているシンシナティ交響楽団の卓抜した技量の賜物であると言える。

また、組曲「展覧会の絵」においてパーヴォ・ヤルヴィは、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出していく。

それでいて、各組曲毎の描き分けを実に巧みに行っており、曲中に何度もあらわれるプロムナードの主題に施している表現の多様性にはほとんど舌を巻いてしまうほどだ。

そして、どこをとっても恣意的な解釈が見られず、ラヴェルが編曲した華麗なオーケストレーションの醍醐味を、ゆったりとした気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。

特筆すべきはシンシナティ交響楽団の圧倒的な技量であり、金管楽器も木管楽器も実に美しく、そして卓越した技量を披露してくれている点を高く評価したい。

「ホヴァンシチナ」前奏曲における情感の豊かさは、もはやこの世のものとは思えないような至純の美しさを誇っている。

音質も、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、このような素晴らしい名演を望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 01:07コメント(0)トラックバック(0)ムソルグスキーヤルヴィ 

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パーヴォ・ヤルヴィが手兵シンシナティ交響楽団とともに行った演奏は、これまで数多くのSACDやCD(テラーク)が発売されており、筆者は、その殆どを名演と高く評価しているが、一つだけやや踏み込み不足の物足りない演奏があると考えている。

その一つが、本盤に収められたチャイコフスキーの「悲愴」だ。

チャイコフスキーの「悲愴」は、後期3大交響曲集の中でも最もドラマティックな作品であり、古今東西の交響曲の中でもトップの座を争う傑作である。

それ故に、数多くの指揮者によって多種多様な個性的名演が成し遂げられてきたが、チャイコフスキーの激情的で起伏の激しい音楽をどれくらいうまく表現できるのかに、演奏の成否がかかっていると言えるだろう。

ここでのパーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、例によって曲想を精緻に丁寧に描いていくというものであり、どこをとっても情感の豊かさを失わない点については評価に値する。

したがって、第1楽章の第2主題や第2楽章などは、チャイコフスキー一流のロシア風のメランコリックな抒情をたくみに歌い上げており、ここは、他の名演と比較しても遜色のない出来である。

しかしながら、第1楽章及び第3楽章においては、劇的な表現をやや避けた面も散見され、チャイコフスキーの音楽の真髄に切り込んでいくという鋭さがいささか欠けていると言わざるを得ない。

終楽章がなかなかの上出来で極上の美しさを誇っているだけに大変惜しい気がする。

チャイコフスキーの演奏には、ムラヴィンスキーのような一部の天才は別として、洗練された純音楽的な表現だけで勝負するのはいささか無理があると考えられるところであり、ある程度の踏み外しとか表情過多になる寸前になるほどの思い切った劇的な表現をしないと、その本質に迫ることははなはだ困難と言えるのではないだろうか。

もっとも、パーヴォ・ヤルヴィは、最近、フランフルト放送交響楽団とマーラーの交響曲第2番の名演を成し遂げており、近年の進境著しさを考慮すれば、今後、「悲愴」のより素晴らしい名演を成し遂げる可能性も十分にあると思う。

他方、併録の幻想序曲「ロメオとジュリエット」は、パーヴォ・ヤルヴィの音楽性の豊かさが存分に発揮されるとともに、ドラマティックな要素も兼ね備えた素晴らしい名演と高く評価したい。

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2013年07月07日


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古希を迎えた小林研一郎がチェコ・フィルとともに開始した、ベートーヴェンの交響曲チクルスの第2弾の登場だ。

今回は、「第2」と「第5」の組み合わせであるが、前回の「エロイカ」と同様に、素晴らしい名演と高く評価したい。

特に、「第5」は、いかにも「炎のコバケン」の面目躍如たる圧倒的な豪演と言える。

第1楽章の冒頭からして、凄まじい緊迫感に満ち溢れている。

その後も畳み掛けていくような気迫と力強さが漲っており、トゥッティに向けて遮二無二突き進んでいく推進力は、圧巻の迫力を誇っている。

第2楽章は変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化を駆使して、誰よりもドラマティックな表現を行っているのが素晴らしい。

副旋律の響かせ方について工夫を凝らしたりするなど個性的な表現が連続するが、他方、むせ返るような情感の豊かさは、小林研一郎の熱き心を体現していて実に感動的だ。

第3楽章の低弦の響かせ方も楽曲の心眼に切り込んでいくような凄みがある。

そして、終楽章は、本演奏の白眉。

楽曲の頂点に向けて、溢れんばかりの生命力で盛り上っていくような力感のある演奏を繰り広げ、小林研一郎のうなり声とともに圧倒的なクライマックスのうちに全曲を締め括っている。

「第2」も素晴らしい名演だ。

冒頭から切れ味鋭いテンポと彫りの深い表現で聴き手を魅了する。

とりわけ第2楽章は、小林研一郎の熱き歌心が結集しており、その至純の美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、小林研一郎による切れば血が出てくるような灼熱のような指揮に、適度の潤いと奥行きの深さを与えているのが、チェコ・フィルによる名演奏と言えよう。

ホルンをはじめとする管楽器の技量には卓越したものがあり、弦楽器の重厚で深みのある音色も実に魅力的というほかはない。

いずれにしても、両演奏ともに小林研一郎とチェコ・フィルの抜群の相性の良さを感じさせる名演であり、今後のベートーヴェンの他の交響曲の演奏に大きな期待を抱かせるものと言える。

録音は、SACDによる極上の高音質であり、小林研一郎&チェコ・フィルによる素晴らしい名演を望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年07月06日


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ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団によるマーラーの交響曲全集は、2001年9月の交響曲第6番を皮切りとして、2009年のさすらう若人の歌に至るまで、約10年の歳月をかけて成し遂げられたものである。

本全集のメリットはいくつかあるが、先ずは何よりも全曲がマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であるという点である。

マーラーの交響曲のような大編成のオーケストラ曲には、臨場感溢れるSACDが相応しいと思われるが、これまでのところSACDによる全集は、本全集のほかはバーンスタイン&ニューヨーク・フィル等による最初の全集(1960〜1975年)、ジンマン&トーンハレ管による全集(2006〜2010年)しか存在していないところだ(現在、マーツァルやゲルギエフ、ヤンソンスなどによる全集が進行中であるが完成までにはまだまだ時間を要すると思われる)。

これはきわめて嘆かわしい状況にあるが、その分、本全集の価値がより一層高まることになると言えるだろう。

次いで、本全集にはカンタータ「嘆きの歌」が含まれているということである。

カンタータ「嘆きの歌」は、その後の交響曲の萌芽を聴くことが可能なマーラーの最初期の意欲作であるが、同曲の録音は著しく少ない状況にあり、バーンスタインやジンマンも同曲を録音していない。

その意味では、本全集はマーラーのほぼ完全な全集であるという意味においてその価値は極めて高いものである(歌曲集「子供の魔法の角笛」が全曲ではなく、抜粋であることだけが唯一惜しい点である。また、第10番についてはクック版などの輔弼版には目もくれず、アダージョのみとしたのも大変興味深い)。

そして、何よりも演奏が素晴らしいということである。

ティルソン・トーマスは、バーンスタインやテンシュテットのようにドラマティックな演奏を行っているわけではない。

むしろ、直球勝負であり、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものだ。

加えて、オーケストラを無理なくバランス良く鳴らし、マーラーの作曲した数々の旋律を実に明瞭に美しく響かせるべく腐心しているように思われる。

それでいて、スコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの浅薄な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても豊かな情感とコクに満ち溢れているのが素晴らしい。

まさに、純音楽的な演奏と言えるところであり、マーラーの交響曲の魅力を安定した気持ちで満喫できるという意味においてはきわめて優れた名演である。

かかるアプローチは、同じくSACDによる全集完成に向けて進行中のマーツァル&チェコ・フィルによる演奏と似通っている面が無きにしも非ずであるが、マーツァル盤は、マーラーがボヘミア出身であることに着目した独特の味わい深さが演奏の底流にあるのに対して、本ティルソン・トーマス盤は、マーラーをその後の新ウィーン派に道を開いた20世紀の音楽家として捉えているという点に違いがあると言えるのかもしれない。

また、完成に約10年の歳月を費やした全集であるにもかかわらず、本全集では各交響曲や歌曲毎の演奏の出来にムラが殆どないというのも見事である。

サンフランシスコ交響楽団も、ティルソン・トーマスの確かな統率の下、ライヴ録音とは思えないような安定した技量を発揮して、望み得る最高の演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本全集は、マーラーの交響曲の魅力を、望み得る最高の臨場感溢れる高音質により安定した気持ちで満喫できるという意味において、自信を持ってお薦めできる名全集と高く評価したい。

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2013年07月05日


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本盤には、若き日のアシュケナージのピアノによる協奏曲が2曲収められている。

このうち、特に、素晴らしい超名演は、アシュケナージが若干26歳の時の演奏であるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だ。

アシュケナージについては、音楽評論家の間でも賛否両論があるのは周知の事実だ。

特に、とある影響力の大きい有名な某音楽評論家が、アシュケナージの演奏を甘口で厳しさが微塵も感じられないなどと酷評しており、それを真に受けた相当数の聴き手がアシュケナージに対してある種の偏見を抱いていることは十分に想定されるところだ。

某音楽評論家の見解の真偽はさておき、本演奏におけるアシュケナージは、そのような見解を一喝してしまうような凄みのあるピアニズムを披露している。

楽曲の核心に向かって畳み掛けていくような凄みのある気迫や生命力は、圧倒的な迫力を誇っている。

卓越した技量は当然のことであるが、技量一辺倒の薄味な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても、切れば血が吹き出てくるような灼熱の如き情感に満ち溢れている。

こうした阿修羅の如きアシュケナージのピアノを下支えしているのが、若き日のマゼールとロンドン交響楽団による豪演だ。

1960年代のマゼールは、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような前衛的な指揮を行っていたところであり、本演奏でも、そうしたマゼールの凄みのある指揮を堪能することが十分に可能だ。

いずれにしても、本演奏は、若きピアニストと若き指揮者の才能が奇跡的な化学反応を起こした一世一代の超名演と高く評価したい。

これに対して、シューマンの方は、アシュケナージはなお若いとはいえ、チャイコフスキーから14年後の録音であり、随分と落ち着いた演奏のように聴こえる。

もちろん、演奏自体は決して悪い演奏ではなく、アシュケナージの美しさの極みとも言うべきピアニズムを味わうことが可能な演奏には仕上がっているとは言えるが、チャイコフスキーほどの魅力がないことは指摘しておかなければならない。

録音は、かつて発売されていたSACDハイブリッド盤でも十分に高音質であったが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤はそもそも次元が異なる極上の超高音質である。

特に、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の超名演を、このような至高の超高音質録音で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年07月04日


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バーンスタインならではの至高の超名演と高く評価したい。

「子供の不思議な角笛」は、マーラーが同名の民謡詩集から選んで作曲した歌曲集であるが、同歌曲集を構成する各歌曲が有する諧謔や皮肉、そしてユーモアに満ち溢れた独特の内容は、交響曲第2番〜第4番のいわゆる角笛交響曲にも通底するものと言えるのかもしれない(「さかなに説教するパトバのアントニオ」や「原光」の旋律については、第2番に活用されている)。

バーンスタインのアプローチは、同歌曲集においても、これら角笛交響曲で行ったアプローチと何ら変わるところはない。

その表現は濃厚さの極みであり、緩急自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、粘ったような進行や猛烈なアッチェレランドの駆使など、考え得るすべての表現を駆使して、曲想を濃密に、そしてドラマティックに描き出していく。

各歌曲毎の描き分けも見事に行っており、あたかも歌曲集全体が一大交響曲のような雄大なスケール感を有しているのが素晴らしい。

バーンスタインがこれだけ自由奔放な指揮を行っているにもかかわらず、歌曲集全体に纏まりがあるというのは驚異的であり、これは、生粋のマーラー指揮者であるバーンスタインだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。

そして、このようなバーンスタインの壮絶な指揮に適度な潤いと奥行きを与えているのが、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による名演奏と言うことになるだろう。

同オーケストラは、シャイーが音楽監督になってからはその音色が随分と変化したとも言われているが、本盤の録音当時は、北ヨーロッパのオーケストラならではのいぶし銀の深みのある音色を誇っており、ここでもそうした同オーケストラの持ち味を生かした好パフォーマンスを発揮しているのが見事である。

独唱のポップとシュミットも最高の歌唱を行っていると言えるところであり、この諧謔と皮肉、そしてユーモアに満ち溢れたマーラーの歌曲の独特の内容を見事に表現し尽くしている点を高く評価したい。

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2013年07月03日


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ユニバーサルやEMIが揃ってSACD盤の発売に積極的になってからというもの、一時は瀕死の状態にあったSACDが急速に脚光を浴びるようになったというのは、パッケージメディアの良さをあらためて認識させるという意味において、大変喜ばしいことである。

そうしたSACD復活の流れの中で、大指揮者による数々の来日公演のCD化で定評のあるアルトゥスレーベルが、先日のムラヴィンスキーの来日公演(1973年)のCD2点を皮切りとして、シングルレイヤーによるSACD盤の発売に踏み切ったのは、何という素晴らしいことであろうか。

アルトゥスレーベルによるSACD化第2弾として、何を発売するのか筆者としても非常に興味を抱いていたところであるが、今般選ばれた音源は、いずれも文句のない歴史的な名演揃いである。

第2弾の2点のSACD盤のうち、もう一つのSACD盤に収められた、ヨッフムの死の半年前の来日公演のブルックナーの交響曲第7番及びモーツァルトの交響曲第33番も、歴史的とも言うべき超名演であるが、本盤に収められたケーゲルによるベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番についても素晴らしい名演であり、その価値においてはいささかも引けを取るものではない。

そして、本演奏もケーゲルの死の1年前の来日公演の貴重な記録であり、アルトゥスレーベルによる第2弾の音源の選び方にも、なかなかの工夫がなされているという好印象を受けたところだ。

ケーゲルは、独カプリッチョレーベル(現在は解散)に、手兵ドレスデン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音(1982〜1983年)しており、それもケーゲルの名を辱めることのない名演であると言えるが、本盤の演奏とは比べ物にならないと言えるだろう。

それにしても、本盤の演奏はとてつもなく凄い演奏だ。

筆舌には尽くし難い演奏というのは、本演奏のようなことを言うのであろう。

本演奏には、生きるための希望も、そして絶望も、人間が持ち得るすべての感情が込められていると思われる。

「田園」の第1楽章の超スローテンポや、第5番の終楽章の大見得を切った表現など、個性的な解釈が随所に聴くことができるものの、全体としては、表向きは淡々と音楽が流れており、加えて平静ささえ漂っているだけに、嵐の前の静けさのような不気味さを感じさせる演奏とも言えるところだ。

翌年には自殺を図るケーゲルが、どのような気持ちで本演奏を行ったのかは不明であるが、そうしたケーゲルの悲劇的な死を我々聴き手が知っているだけに、余計に本演奏にとてつもない凄みを感じさせるのかもしれない。

併録の「エグモント」序曲やバッハのG線上のアリアも名演であるが、特に、凄いのはG線上のアリアであろう。

一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、ケーゲルの救いようのない絶望感を聴き取る(というか感じ取る)ことが可能であり、まさに我々聴き手の心胆を寒かしめる演奏と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤は、演奏の素晴らしさ(というよりも凄さ)、そして極上の高音質という、望み得る要素をすべて併せ持った至高の名SACDと高く評価したい。

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2013年07月02日


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これはアバド&ベルリン・フィルが成し遂げた最高の名演の一つと言えるのではないだろうか。

アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前の1970年代から1980年代にかけて、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などと様々な名演を繰り広げていた時期であるというのが大方の見方だ。

ところが、そのようなアバドも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は借りてきた猫のように大人しくなり、一部の例外を除いてはそれまでとは別人のような凡庸な演奏を繰り広げるようになってしまった。

そして、アバドは芸術監督退任直前に大病を患うことになったが、大病克服後は、皮肉にも演奏に深みと凄みが加わり、現代を代表する真の大指揮者としての地位を確立するに至っている。

本盤に収められたチャイコフスキーの管弦楽曲集は、アバドがベルリン・フィルの芸術監督に着任して数年後のライヴ録音(1994〜1996年)であり、まさに前述の低迷期の演奏であると言えるが、本盤の演奏はその例外とも言えるような素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

本盤に収められた楽曲は、幻想曲「テンペスト」を除き、いずれも前任者であるカラヤンがベルリン・フィルとともに名演を成し遂げたものである。

しかしながら、アバドのアプローチはカラヤンとは全く異なるものであると言えるだろう。

カラヤンが、重厚にして華麗ないわゆるカラヤン・サウンドを駆使して、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築したが、アバドの演奏にはそのような重厚さであるとか華麗さなどとは全く無縁である。

むしろ、ベルリン・フィルの各楽器セクションのバランスを重視するとともに、チャイコフスキーの作曲した甘美な旋律の数々を徹底して歌い抜いている。

要は、オーケストラを無理なくバランス良く鳴らすとともに、豊かな歌謡性を付加した美演というのが、本盤のアバドの演奏の特徴である。

そして、このような演奏をベースとして、アバドは、オペラ指揮者において培ってきた演出巧者ぶりを存分に発揮して、各楽曲の聴かせどころのツボを心得た心憎いばかりの明瞭な演奏を展開しているところだ。

もっとも、本演奏は、ライヴ録音ということも多分にあると思うが、楽曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力も有していると言えるところであり、前述のようにカラヤンによる重厚な演奏とはその性格を大きく異にするものの、剛柔のバランスにおいてもいささかも不足はないと言える。

いずれにしても、本盤の演奏は、必ずしも順風満帆とはいかなかったアバド&ベルリン・フィルが成し遂げた数少ない名演として高く評価したい。

音質については、本従来CD盤でも十分に良好なものであるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

アバドによる素晴らしい名演をより鮮明な音質で味わいたいという聴き手には、SHM−CD盤の方の購入をお薦めしておきたい。

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classicalmusic at 23:36コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーアバド 

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アバドは、今般の管楽器のための協奏曲集の録音開始以前にも、若手の才能ある音楽家で構成されているモーツァルト管弦楽団とともに、モーツァルトの主要な交響曲集やヴァイオリン協奏曲全集などの録音を行っており、お互いに気心の知れた関係であるとも言える。

それだけに、本演奏においても息の合った名コンビぶりを如何なく発揮していると言えるところであり、素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

本演奏でソロをつとめたのは、いずれもモーツァルト管弦楽団の首席奏者をつとめるなど、アバドの芸風を最も理解している気鋭の若手奏者であり、アバドとともにこれらの協奏曲を演奏するには申し分のない逸材である。

ホルンのアレッシオ・アレグリーニをはじめ、オーボエのルーカス・マシアス・ナヴァッロ、クラリネットのアレッサンドロ・カルボナーレ、ファゴットのギヨーム・サンタナ、 フルートのジャック・ズーン、そしてハープのレティツィア・ベルモンドのいずれの演奏も、卓越した技量をベースとしつつ、アバドによる薫陶の成果も多分にあると思われるところであるが、あたかも南国イタリアを思わせるような明朗で解放感に溢れたナチュラルな音色が持ち味である。

そして、その表現は意外にも濃密で、歌謡性豊かでロマンティシズムの香りさえ漂っているところであり、いわゆる古楽器奏法を旨とする演奏としては異例と思われるほどの豊かな情感に満ち溢れていると言っても過言ではあるまい。

また、アバドの指揮についても指摘しておかなければならないだろう。

アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督の退任間近に大病を患い、その大病を克服した後は彫りの深い凄みのある表現をするようになり、今や現代を代表する大指揮者であると言えるが、気心の知れたモーツァルト管弦楽団を指揮する時は、若き才能のある各奏者を慈しむような滋味豊かな指揮に徹している。

本演奏でも、かかるアバドによる滋味豊かな指揮ぶりは健在であり、これらの気鋭の各若手奏者の演奏をしっかりと下支えするとともに、演奏全体に適度の潤いと温もり、そして清新さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質についても、最新の録音であるとともにSHM−CD化がなされたこともあって、十分に満足できる素晴らしい高音質と高く評価したい。

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2013年07月01日


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ヴァントといえば、最晩年の神々しいまでの崇高な超名演を成し遂げたこともあって、どうしてもブルックナー指揮者のイメージが付きまとうところだ。

これは、朝比奈にも共通することであると思われるが、ヴァントにしても朝比奈にしても、ブルックナーだけでなく、ベートーヴェンやブラームス、シューベルトの楽曲においても、比類のない名演の数々を成し遂げていることを忘れてはならないだろう。

ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。

当該全集以前の演奏もテスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがないと言える。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏は、1992年に北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音したものである。

本演奏と同様に、前述の全集以降は、第1番〜第4番のライヴ録音も行っただけに、残る第7番〜第9番の録音を果たすことなくこの世を去ってしまったのは極めて残念なことであった。

それはさておき、本盤の演奏も素晴らしい名演だ。

前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。

それに対して、本盤の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるところであるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出しており、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないだろうか。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸であり、本演奏こそは、ヴァントによるベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の最高の名演と高く評価したい。

音質は、1992年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何という素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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